中国・インド紛争-1
2022.12.13-読売新聞-https://www.yomiuri.co.jp/world/20221213-OYT1T50186/
中印が国境地帯で衝突、両軍が素手で殴り合い…中国側は印軍の「不法越境」主張
【ニューデリー=浅野友美】
インド陸軍は12日、中国が領有権を主張するインド北東部アルナチャルプラデシュ州タワン地区で、
中印両軍が9日に衝突し、双方で複数の負傷者が出たと明らかにした。いずれも軽傷で、衝突後すぐに両軍が現場を離れたという。
複数の印メディアは、
中国側の部隊は300人以上に上り、少なくとも6人の印兵が負傷したと伝えた。
シン印国防相は13日、衝突は両軍兵士の素手での殴り合いによるものだったと国会で説明。11日には現地の司令官同士の話し合いで対立の解決を図ったという。
中印の未画定の国境では、2020年6月に印北部カシミール地方で両軍が衝突し、兵士20人以上が死亡してからにらみ合いが続く。21年1月にも印北東部シッキム州での小競り合いで、両軍に負傷者が出た。
中国軍で中印国境を管轄する「西部戦区」の報道官は13日に談話を発表し、中国軍の国境警備隊が定例の巡視活動を実施していたところ、印軍が「不法に越境」してきたため、「プロとして強力に対応した」と主張した。「印側に一線の部隊を厳格に管理するよう求める」とも要求した。
2021.10.28-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/2485d6ad3589f249375ce6f3f8e9036931e1f856
中国、ブータンに接近 国境画定目指す覚書、インド揺さぶり図る
【シンガポール=森浩
】国境をめぐる対立が長年続いてきた中国とブータンが、
国境画定交渉を加速させる覚書に署名した。
中国はブータン接近を通じ、ヒマラヤ地域で対立が深まるインドに揺さぶりを掛ける狙いがある。
インドは外交・安全保障面でブータンの後ろ盾であり、交渉の行方は座視できない状況といえそうだ。
中国とブータンは1984年以降、400キロ以上に及ぶ国境画定に向けた交渉を24回重ねたが合意に至っていない。両国には国交もなく、中国はインドの介入があると批判している。
そうした中、
中国とブータンは今月14日、国境画定を実現するための3段階の行程を定めた覚書を交わした。覚書の詳細は不明だが、中国の呉江浩外務次官補は「国交樹立に向けても有意義な貢献をする」と称賛し、ブータン外務省も「国境交渉における前向きな進展だ」と歓迎する声明を発表した。
中国のブータン接近は、インド牽制が思惑にある。中印両軍は昨年、事実上の国境である実効支配線(LAC)付近で衝突し、中印関係は急速に冷え込んだ。インドにとってブータンはインド中央部と北東部をつなぐ戦略的要衝「シリグリ回廊」と近い。ブータンが〝親中化〟すれば国防に影響が出る可能性が高い。
ブータンには中国との関係を安定化させ、摩擦を軽減したい思考が働く。
中国は近年、ブータン領内に無断で道路や集落を建設しており、昨年には東部の自然保護地区の領有権を主張する構えを見せた。いわば、中国の圧力が国境をめぐる交渉を前進させた形だ。 ブータンには長年の後ろ盾であるインド一辺倒ではなく、自力で安定を確保したいとの意識が強まっている。
インドはヒマラヤ地域での軍事インフラ整備や軍隊の展開力で中国に遅れ、自国領での中国対応で手一杯ともいえる状況だ。「
近年の状況は(ブータンに)安全保障面のインド依存には限界があると認識させた」と、印シンクタンク「オブザーバー研究財団」のマノジ・ジョシ研究員は分析した。
ブータンは輸出入の8割以上をインドが占めるなど経済的な結びつきも強く、簡単に中国になびく環境にはない。インド外務省は事態を注視する構えだが、ジョシ氏は「
中国は(インドの影響力が強かった)ネパール、スリランカ、バングラデシュに食い込んだ。インドとブータンの特別な関係にも挑戦したいと考えている」と警戒感をあらわにしている。
2021.01.25-gooニュース-https://news.goo.ne.jp/article/bbcworldnewsjapan/world/bbcworldnewsjapan-55806946.html
中国軍とインド軍、国境地帯で衝突か インドで報道
中国軍とインド軍の部隊が国境地帯の係争地で衝突したと、インドのメディアが報じた。双方とも負傷者が出ているという。
報道によると、衝突はインド北東部シッキム州の北部ナクラで20日に発生した。
インド軍は声明で、「
2021年1月20日にシッキム州北部ナクラ地域で小さな衝突が起こったが、確立されている手順に沿って地方の司令官らによって解決された」と説明。大ごとではないとした。
中国とインドの国境は世界最長で、国境地帯では高度の緊張が続いている。両国とも広い範囲の領有権を主張している。
昨年6月には北部ラダックで衝突が起こり、インド兵20人以上が死亡した。
当局によると、今回の衝突では中国のパトロール兵がインド領土に入り込もうとし、押し戻された。一部報道は、その際に棒や石などが使われたが、銃器の使用はなかったと伝えた。
インド紙タイムズ・オブ・インディアは関係者の話として、双方に援軍が駆けつけたが発砲はなく、状況は沈静化したと報じた。
中国外務省の趙立堅報道官は、今回の事案について詳しい説明はしなかった。ただ、中国軍部隊は「平和維持に努めている」とし、インド側に「国境地帯の状況をエスカレートまたは複雑化させる恐れのある行動を避ける」よう求めた。
中国の国営英字紙・環球時報(グローバルタイムズ)の編集長はツイッターに、「中国側のパトロール報告書には、この衝突の記録はない」と投稿した。
インドにとってシッキム州は、中国に攻め込むのに重要な場所とされ、ヒマラヤ地帯で唯一、インドが地形的、戦略的に優位に立っている土地とされる。
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なぜ国境地帯で争い続く?
中国とインドの3440キロメートルに及ぶ国境は、大部分が確定されていない。
国境線は川、湖、冠雪の状態によって変化し、多くの地点で双方の兵士が向き合っている。この状況が時に、衝突を招いている。
今回衝突があったとされる、標高5000メートル超のシッキム州ナクラでは、昨年5月にも小規模な衝突があった。その翌月には
ラダックのガルワン渓谷で衝突が発生。インド軍に死者が出たほか、中国軍にも負傷者が出たとされる(中国側は正式なコメントを出していない)。
その衝突の後、双方は緊張緩和に向けた話し合いを重ねてきた。24日には9回目となる協議がラダック東部で開かれたが、何らかの合意に至ったことを示す情報はない。
国境地帯では両国がインフラ施設などの建設を進めており、それが関係を悪化させている面もある。
インド政府はサイバーセキュリティ上での懸念を理由に、中国製のアプリ200種以上を禁止している。
中国とインドの軍事紛争は、1962年に1度起きたきりだ。この紛争ではインドが大敗した。
1996年には、実効支配線と呼ばれる国境地帯の係争地で銃器や爆発物の使用を禁じる合意書に、双方が署名した。合意は守られているが、昨年9月には警告射撃や空に向けた発砲があったとして、双方が非難し合った。
2020.12.14-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://special.sankei.com/a/international/article/20201214/0002.html
中印の対峙、厳冬のヒマラヤで継続 衝突から半年 中国、実効支配強化狙いか
【シンガポール=森浩】
インド軍と中国軍がインド北部カシミール地方の係争地で衝突し、
インド側の20人が死亡した事件から15日で半年となる。現地は冬を迎え、ヒマラヤ山脈の一角では気温が氷点下10度以下となっているが、
事実上の国境である実効支配線(LAC)付近の複数の場所では両軍の対峙(たいじ)が継続。「過去30~40年で最も困難な局面」(インド外相)
という両国の緊張が続くなか、
中国はヒマラヤ地域で実効支配を強める。
2020.10.13-msnニュース(産経新聞)-https://www.msn.com/ja-jp/news/world/
中国外相、日米のインド太平洋構想を「新NATO」と牽制
【北京=三塚聖平】
中国の王毅(おう・き)国務委員兼外相は13日、
日米が提唱する「
自由で開かれたインド太平洋」
構想について、北大西洋条約機構(NATO)を引き合いに出して「
インド太平洋版の新たなNATOの構築を企てている」
と主張し、強く牽制(けんせい)した。中国外務省が発表した。
日米やオーストラリア、インドなどが、中国を念頭に連携を強化していることに警戒を示した。
中国外務省によると、王氏は訪問先のマレーシアでヒシャムディン外相との会談後、共同記者会見を行った。その際、王氏は同構想について「米国の主導的な地位と覇権システムを守っている」と主張した。
その上で、王氏は同構想が「東南アジア諸国連合(ASEAN)を中心とした地域協力の枠組みと衝突し、東アジアの平和と発展の将来を損なう」とし、各国に警戒を呼び掛けた。
会談では、中国側が新型コロナウイルスのワクチンをマレーシアに優先的に提供する意向を示した。
2020.9.9-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200909/k10012608781000.html?utm_int=news_contents_news-main_001
中国とインドの国境地域の係争地帯で1975年以来の発砲
中国とインドの国境地域にある係争地帯で、
中国はインドの軍が1975年以来初めて発砲したと非難しました。これに対して
インド側は発砲したのは中国側だと真っ向から否定するなど非難の応酬となり、緊張が続いています。
中国とインドの国境地域にある係争地帯では、ことし6月、双方の軍が衝突してインド側の20人が死亡し、先月下旬からは一部の地域で小競り合いが続いています。
こうした中、中国軍は7日、インド軍が国境を越え、中国の国境警備隊に対し、威嚇射撃を行ったと発表しました。
中国外務省の趙立堅報道官は8日の記者会見で「インド側が先に発砲し、1975年以来続いてきた国境地域の落ち着いた状況をインド側が打ち壊した」と非難しました。
これに対しインド軍は声明で「中国軍が数発を発砲した。外交レベルでの協議が行われているにもかかわらず、中国軍は露骨に違反し、挑発的な行為におよんだ」として真っ向から否定し、非難の応酬となっています。
両国の国防相は今月4日、訪問先のモスクワで会談し、互いの立場を主張しながらも、問題解決に向けて対話を続けることで一致したばかりでした。
両国の間ではおよそ4000キロに及ぶ国境の多くが画定しておらず、緊張が続いています。
2020.7.8.-Goo-
https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/464084dbddc3c77b9dfa9c23e3f202e7?fm=rss
国境紛争 二番煎じは失敗――矢板明夫・台北支局長
【「矢板明夫の中国点描」産経新聞 R02(2020).07.08 】
中国軍とインド軍が6月中旬、
国境付近で激しく衝突した。
双方は銃器などの近代兵器を使わず、棍棒(こんぼう)や石などを使って攻撃し合い、合せて60人以上の死傷者を出した。
衝突の理由について、中国軍の報道官は「
インド側が双方の承諾に違反して、実効支配線を越えて違法活動を行ったと主張した」のに対し、インド側は「
中国の兵士が実効支配線を変更しようとした」と反論した。ロイター通信が入手した衛星写真によれば、
中国軍が衝突までの数日間に機械類を持ち込み、ヒマラヤ山脈の山腹に道を切り開いたほか、川をせき止めるなど挑発した形跡があった。」
台湾の政府系シンクタンクの軍事問題専門家は、「
中印双方の国境付近でのにらみ合いは数年前から始まっているが、今回は中国側が先に挑発した」と分析した。
衝突の後、インドは死亡した20人の名前を公表し、大がかりな葬儀を行った。モディ首相はその後、前線部隊を視察し、兵士たちを励ました。これに対し、中国の官製メディアは武力衝突があったことを小さく伝えただけで、インド側より多いといわれる自国兵士の死傷者数を含め、詳細を一切公表しなかった。
その後、中国側は率先して捕虜を釈放するなど事態を穏便に済ませようとした。「
自国に非があるため、(中国側は)騒ぎを大きくしたくないと考えたようだ」と同専門家は指摘した。
中国は最近、中印国境に限らず、周辺国・地域に挑発行動を繰り返している。台湾空域に中国軍用機が頻繁に侵入しているほか、尖閣諸島(沖縄県石垣島)周辺には80日以上も中国公船が連続して出没している。7月に入って、
ベトナムなどが領有権を主張する南シナ海の島嶼(とうしょ)付近でも中国海軍が大規模な軍事演習を実施した。
内政がうまくいかないときは、周辺と軍事的な緊張を高め、人民の注意をそらそうとするのは中国共産党の常套(じょうとう)手段だ。
習近平国家主席が尊敬する中国建国の父、毛沢東は党内の権力闘争のために外国との衝突をよく利用したことで知られる。1962年に起きた中印の国境紛争も、その代表例だ。
この年、
毛が主導した大躍進政策が失敗し、
多くの餓死者が出た問題が明らかになり、党内で不満の声が高まっていた。
そこで毛は突然、軍を動かして中印国境付近のインド軍を急襲した。その後はすぐに撤退し、官製メディアで勝利を大きく宣伝、党内の主導権を取り戻したといわれる。
習氏を取り巻く昨今の内外情勢は、
当時の毛に近いところがある。新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)で中国経済は大きな打撃を受け、香港問題でも泥沼的な状況がつづく。米中貿易問題は解決の糸口がみえず、党内で指導部の責任を問う声が高まっている。
習氏は約60年前の毛の時代を模して中印国境で紛争を起こそうとしたが、当時とは違ってインドからの猛反撃に遭い、戦果を挙げられなかったのは想定外だったようだ。米国をはじめ国際社会の多くがインドを支持する姿勢を示している。中国の拡張路線に不満を持つロシアもインドに武器を売却するなど、中国の側に付かなかったのが習政権にとって大きな痛手となった。
ロイター通信などによると、
中国軍は6日から、中印国境の紛争地から撤退を始めた。習氏の二番煎じの試みは失敗に終わったようだ。
2020.7.5-産経新聞 SANKEI NEWS WEB-https://special.sankei.com/a/international/article/20200705/0001.html
中印衝突、貿易戦争に飛び火 「中国製」アプリ使用禁止、関税引き上げ検討
【シンガポール=森浩、北京=三塚聖平】
インド北部カシミール地方の係争地で中国軍とインド軍が衝突した問題を受け、
インドが報復措置として経済面で中国排除ともいえる動きを強めている。
携帯端末向けの中国製アプリの使用禁止を決め、関税引き上げも検討中だ。ともに巨大市場を抱える両国は経済面での関係が深まっていたが、衝突を受けて先行きに暗雲が垂れ込めている。
中国製品の通関手続き厳格化
インド電子・情報技術省は6月29日、
中国企業が製作、または開発に関与したアプリ59種類の使用を禁止した。インド国内からは、米グーグルのアプリ提供サイト「グーグルプレイ」などで検索できない状態となった。同省は理由について「データの安全性に関する懸念があり、自国の主権と安全保障が脅かされる懸念がある」と説明している。
禁止されたアプリには、若者に人気の動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」も含まれている。運営元の北京字節跳動科技(バイトダンス)は成長が見込めるインド市場を重視しており、昨年からデータセンター新設などで10億ドル(約1070億円)を投じる計画を進めており、影響は小さくない。
2020.6.25-NHK 論説委員会-
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/431654.html
「中国・インド国境衝突 アジア両大国の思惑は」(時論公論)
加藤 青延
専門解説委員
安間 英夫
解説委員
【はじめに】(加藤・中国担当 安間・インド担当)
(加藤)
中国とインドの国境地帯で先週、両国の兵士が衝突し、45年ぶりに死者が出る事態となりました。
陸続きで隣り合う核保有国同士、しかも
人口で世界第1位と2位という両大国間のあつれきは、今後の国際政治を左右しうる新たな変動要素として浮かび上がってきたといえます。
アジアの両大国の思惑と対外戦略について考えます。
【解説のポイント】(加藤)
①まず、なぜ今回衝突が起きたのか、両国の国境紛争の歴史を振り返りながら見ていきます。
②続いて、両国の外交姿勢を見ながら、対立の背景に何があるのかを考えます。
③最後に、両国がもたらす地政学的な要素が国際社会にどのような影響をもたらしうるのかを展望します。【衝突はどのように起きたのか】
(安間)衝突のあったのは、中国とインド、そしてパキスタンの3つの国に囲まれた「カシミール地方」という地域です。
標高4000メートル以上の険しい山岳地帯で、3つの国の間でそれぞれ領土の主張が食い違い、国境が画定していません。今月15日、実効支配線をはさんで駐留する双方の部隊の間で、投石やこん棒で殴り合うという異例の形で衝突となり、インド軍によりますと、インド側の20人が死亡、中国側にも死者が出たということです。銃など武器を使わなかったのは、偶発的な戦闘を防ごうと、両国で取り決めていたためですが、死者が出たのは45年ぶりとなりました。
この付近では、先月から、相手側が越境したなどとして小競り合いが起き、今回の衝突はそれが先鋭化した結果でした。衝突直後、互いに非難し合っていた両国は、今週に入って緊張緩和に向けた措置をとることでひとまず合意し、これ以上の事態の悪化を食い止めようとしているようです。
【中印国境紛争の歴史】
(安間)両国の国境紛争は、長い歴史があります。1954年、領土・主権の尊重、不可侵などを決めた「平和5原則」を掲げ、共存していくことになりましたが、このとき国境は画定せず、対立の火種は残されたのです。このあと中国が支配下に置いたチベットをめぐって両国の関係は悪化。
1962年には戦火を交える紛争に発展し、このとき中国がインドを圧倒して、支配地をインド側へと拡大したのです。その後、にらみ合いや小競り合いはあったものの、双方がおおむね自制したことで、激しい衝突になることはあまりありませんでした。
【中国はどう考えているか】
(安間)加藤さん、インド側は今回中国が越境して挑発したと主張していますが、中国は他の地域で見られるように、拡張主義的な動きを強めていると見ていいのでしょうか?
(加藤)私も当初は中国が強硬な姿勢に出るとみていたのですが、どうもその後の動きをみていると様子が変なのです。確かに中国は、このところ対外的に強硬な姿勢で臨む、戦う狼と書く「戦狼」外交を展開してきました。例えば、アメリカやオーストラリアをはじめ、東シナ海、南シナ海、台湾海峡に面する国や地域に対して、威圧的で強硬な姿勢や行動が目につくようになってきています。
ところが、今回のインドとの衝突では、直ちにインド側と協議を行い、できるだけ穏便に処理しようとしているように思えます。自分たちがどれだけ被害を受けたかすらも明らかにしていないのです。
そこからは強気一点張りのように見えた中国の戦狼外交にも意外な弱点があることが見えてきたように思えます。なぜ今回、中国がインドに対して、強気に出ないのか。私は、中国が最大の外交戦略として進める大規模な経済圏構想「一帯一路」と深くかかわっているのではないかとみています。
こちらの図は、中国の国営メディアが伝えた「一帯一路」の路線図ですが、海のルートを見ると不思議なことに、中国の友好国とみられるパキスタンやミャンマーは経由していません。しかもスリランカから逆もどりさせてまでわざわざインドのコルカタを経由させています。
実際には、インドを取り巻くように、スリランカやパキスタン、ミャンマーなどで港の整備を行い、インド包囲網を形成しつつあるように見えるのが実態なのに、中国が示す路線図にはそうした実態はほとんど描かれていないのです。
これは一帯一路政策を進めるうえで、インドを仲間に引き入れなくてはならないという中国の外交姿勢を示したものといえるでしょう。
【インドはどう考えているか】
(加藤)今回の衝突ではインド側も中国側との協議に応じましたが、インド側はどのように見ているのでしょうか?
(安間)インドにも、中国との間で戦争や決定的な対立を避けたい事情があります。人口はほぼ匹敵する規模とはいえ、経済規模は中国のおよそ5分の1。軍事費も中国の3分の1以下です。
1962年の国境紛争では屈辱的な敗北となり、負ける戦いはしたくないというのが本音だと思います。さらに無視できないのが、経済の結びつきという実利です。
中国はインドにとって最大の貿易相手国であり、製造業振興など経済発展を目指すモディ政権の方針にも欠くことのできないパートナーとなっています。しかしだからといって、領土問題、つまり主権で、譲るわけにはいきません。
2014年に就任したモディ首相は、ヒンドゥー至上主義というナショナリズムを基盤に支持を拡大してきました。領土問題で対立する中国とパキスタンに対して弱腰の姿勢を見せると、一気に求心力を失うおそれがあります。インドにとって中国は、対立・警戒しながらも「大人の関係」で付き合っていかなければならない隣の大国ですが、今回の衝突でインドは、やはり「警戒を解いてはいけない相手」だという思いを新たにしたのではないでしょうか。
【インドはどこへ向かうか】
(加藤)では、インドはこれからどのような方向に向かうのでしょうか?
(安間)インドは、日本やアメリカが掲げる「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けた重要なパートナーとして位置づけられています。
中国と激しく対立するアメリカのトランプ大統領は、ことし9月にG7=主要7か国の首脳会議を自国で開こうとしていますが、インド、オーストラリア、韓国、ロシアの首脳を招待し、インドのモディ首相は出席に前向きな考えを示しています。
トランプ大統領は、中国を取り上げ、“対中国包囲網”とも言える各国の連携を築いて、インドにも協力を求める構えです。さらに中国と対立を深めるオーストラリアも、経済・安全保障面でインドと協力を強化しようとしています。
インドが、今後、こうした“対中国包囲網”に加わっていくのかどうか。私は、独立した大国、世界のひとつの極であることを自負するインドは、決してアメリカなどのいいなりになるのではなく、アメリカ側と中国を天秤にかけながら、どのような利益を引き出せるかしたたかに見極めていくと見ています。
【中国が注視 インドの動向】
(加藤)実は、中国は内陸部の2万2千キロ以上に及ぶ陸上国境で14か国と世界で最も多くの国と接しています。中国が、このところ逆の海側、つまり東シナ海、南シナ海などで威嚇的な行動に出られるのも、そうした裏側、西側の陸上国境が安定していることが大前提なのです。先ほどの「一帯一路」の地図を見ると、陸上ルートでも不自然な線が描かれていることがわかります。
それはトルコからわざわざ逆戻りして、ロシア経由でヨーロッパに入っていることです。つまり、中国にとって一帯一路には、大国のロシアとインドとを抱き込まざるを得ないことを意味している。裏返せば、ロシアとインドがともに中国と対立すれば、手を組んで一帯一路を分断することもありえるのです。
特にインドは、最近、アメリカやオーストラリアなどからラブコールを送られているだけに、中国がうまく付き合えるかどうかは、今後の中国の対外戦略の行方をも左右することになるでしょう。
これまで国際情勢を見るうえで、とかく米ロ、米中の対立という構図が描かれることが多かったのですが、今回の中国とインドの衝突をめぐる動きは、そうした対立構造の新たな変動要素として、インドがキャスティングボートを握る時代がくることをも予感させるものになったといえるでしょう。
(加藤 青延 専門解説委員 / 安間 英夫 解説委員)
2020.6.19-Yahoo!!Japan(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/21df473292dc160d55d4017accd6f2178af18e94
中国、拘束のインド軍兵士10人を解放 印メディア報道
【シンガポール=森浩】
インド北部カシミール地方の係争地で中国軍とインド軍が衝突した問題で、
インドのメディアは19日、中国軍が拘束していたインド軍兵士10人の身柄を解放したと伝えた。 印民放NDTVなどによると、10人は18日に解放され、健康状態に問題はない。これまで両軍は拘束された兵士の存在を明らかにしておらず、水面下で解放に向けた交渉が進んでいた。両軍は15日の衝突後、緊張緩和を目指して複数回交渉の場を持ったという。
インド軍によると、衝突では20人が死亡したほか、76人の兵士が負傷した。中国側は死傷者の数を明らかにしていない。
2020.6.18-SankeiBiz-https://www.sankeibiz.jp/macro/news/200618/mcb2006180623016-n1.htm
インド、軍衝突で中国へ反発強まる 「配慮外交」に変化も
【シンガポール=森浩】
インド北部カシミール地方の係争地で中国軍とインド軍が衝突した問題で、
インド軍は16日夜、自軍の死者が20人に達したと発表した。摩擦を抱えつつ決定的な対立を避けてきた中印両国だが、45年ぶりに死者が出たことで
インド国内では中国への反発が広がりそうだ。全方位外交を志向し、
中国に一定の配慮を見せてきたモディ政権だが外交姿勢の転換を迫られる可能性がある。
インド軍によると、衝突はラダック地方のガルワン渓谷付近で15日夜に発生し、数時間続いた。
現場は標高が高く、新たに死亡が確認された17人は衝突で重傷を負った後、氷点下の気温にさらされたことで死に至ったようだ。
インドメディアは中国側も43人が死傷したと報じている。双方は棒や石で攻撃し合い、銃器は使用されなかったという。
中印は、1962年の中印国境紛争以降、事実上の国境線である実効支配線(LAC)付近で散発的に小競り合いを起こしてきたが、決定的な対立には至らなかった。特に
インドが、中印国境紛争での敗北の記憶や軍事インフラの整備の遅れで、抑制的に行動してきた面がある。
近年では2017年夏、中印、ブータンが国境を接するドクラム地区で中印両軍がにらみ合ったが、大規模な衝突は起きなかった。
18年4月にはモディ首相が中国・武漢で習近平国家主席と会談し、関係改善をアピール。
モディ首相は、日米が提唱する「
自由で開かれたインド太平洋」
構想に賛同しつつ、対中関係も重視する姿勢を見せた。
今回の衝突でも
中印ともに「
対話による解決を目指す」
と強調している。「
だが、歴史的に対峙(たいじ)と対話を繰り返してきた関係が変化する可能性がある」と話すのは、
中印関係に詳しい印ジンダル・グローバル大のスリパルナ・パサク准教授だ。
インド国内で反中感情がより高まれば、モディ政権としては強い姿勢を示す必要が出てくる。既に中国製品ボイコットの動きが広がっており、17日には首都ニューデリーの中国大使館周辺で衝突に抗議するデモが発生した。
インドは今月に入り、オーストラリアと安全保障面で複数の協定を締結するなど、中国を牽制(けんせい)する構えを見せる。パサク氏は「インドは今、拡大する中国に対抗するため、外交的な支援を必要としている。今後は日米豪との連携が深まっていくだろう」と話している。
2020.6.17-NHK NEWS WEB-
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200616/k10012472971000.html
中印係争地帯で軍が衝突 インド軍20人死亡 緊張高まりに懸念
インド軍は、中国との係争地帯で双方の軍が衝突しインド軍の20人が死亡したと発表しました。
中国との衝突でインド側に死者が出たのは45年ぶりだとされ、両国間の緊張が一段と高まることが懸念されます。
インド軍は、インド北部ラダック地方の中国との係争地帯で15日、双方の軍が衝突し、インド側の将校と兵士の、合わせて20人が死亡したと、16日夜発表しました。
インド外務省は声明で「
中国が一方的に現状を変更しようとした結果、衝突が起きた。中国が合意を守っていれば避けられた犠牲者が出た」と中国を非難しました。
両国は2013年に互いに軍事力を行使しないことで合意しており、インドメディアは軍の関係者の話として、衝突の際には互いに石を投げ合うなどしたと伝えています。
一方、中国外務省の趙立堅報道官も記者会見で「
インド軍の部隊が、おととい2度にわたって境界線を越えた違法な活動を行い、中国側に挑発や攻撃を行った結果、衝突につながった。インド側に強く抗議し、厳正に申し入れを行った」とインドを非難しています。
両国は、
1962年に国境線などをめぐって武力衝突して以降、係争地帯での衝突を繰り返しています。
先月上旬からは互いの兵士がにらみ合いを続け、一部では小競り合いが起き、けが人も出ていました。
インドメディアによりますと、
衝突でインド軍に死者が出たのは1975年に4人が死亡して以来、45年ぶりだということで、係争地帯をめぐる両国間の緊張が一段と高まることが懸念されます。
2020.5.11-産経新聞 SANKEI NEWS WEB-
https://www.sankei.com/world/news/200511/wor2005110006-n1.html
中印兵、国境で殴り合い 負傷者も
インド北東部シッキム州の中国国境で9日、両国の兵士が殴り合いとなり、インド側4人と中国側7人が軽傷を負った。計150人ほどを巻き込んだが、現場レベルの話し合いの上、引き離されたという。インドメディアが10日、伝えた。
国境に関する認識の相違が殴り合いの発端となったとみられている。
インドは北東部や北部で中国と国境対立を抱えている。
2017年には両軍がブータンを含む3カ国の国境地帯で約2カ月間にらみ合い、
1962年の中印国境紛争以来とされる緊迫した事態となった。(共同)
中印国境紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中印国境紛争(英語:Sino-Indian Border Conflict)は、
中華人民共和国と
インドの国境問題により、
1962年に中華人民共和国とインドの間に生じた紛争。
経緯
かつての
中華民国と長年
イギリスの
植民地であった
インドは、途中に
ネパールと
ブータンを挟んで長く
国境を接していた。ほぼ全域が
ヒマラヤ山脈といった高山地帯であり、正確な国境はあいまいであったものの、事実上
独立し
ダライラマ政権の
統治下にあった
チベットに中華民国の
実効支配が及ばなかったこともあり、両国間の国境紛争は、
1914年の
シムラ会談の決裂以来、沙汰止みになっていた。
その後、
国共内戦を経て
1949年に
建国され、中華民国に代わり中国大陸を支配し、
1950年に
チベット侵攻を行った
中華人民共和国を当初のインドは非共産圏では
ビルマに次いで国家承認して最初に大使館を設置した国となった
。
1954年に「ヒンディ・チニ・バイ・バイ」(中国とインドは兄弟
)を掲げてた
ネルーと中華人民共和国の
周恩来はともに
領土主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存の5つからなる「
平和五原則」を掲げた。しかし、
1956年に
チベット動乱が起き、
1959年に
ダライ・ラマ14世の
チベット亡命政府がインドに亡命すると中国とインドは、両国の国境の解釈をめぐって対立するようになった。
主に
カシミールとその東部地域の
アクサイチンおよび
ラダック・
ザンスカール・
バルティスターン、ブータンの東側
東北辺境地区(後の
アルナーチャル・プラデーシュ州)で激しい
戦闘となったが、中国人民解放軍の圧勝で終わった。インドの
保護国だった
シッキム王国では、
ナトゥ・ラ峠を挟んだ地域で小競り合いが起き、峠の西側は中国となった。
なお、
1950年代後半より表面化した
中ソ対立の影響で、
ソビエト連邦はインドを支援していた。また
印パ戦争では
パキスタンを中華人民共和国が支援しており、中ソ両国の対立が色濃く影響していた。この紛争は、インドが
核兵器開発を開始するきっかけともなった。
紛争後の経緯
中印国境紛争後、
アクサイチンに
中国人民解放軍が侵攻、
中華人民共和国が実効支配をするようになると、パキスタンもそれに影響を受け、
1965年8月には武装集団をインド支配地域へ送り込んだ。これにインド軍が反応し、1965年、
第二次印パ戦争が勃発した。
なお、その後インドと中国の間で直接的な交戦は起こっていないが、中国によるパキスタン支援は、インドにとって敵対性を持つものであった。
2010年9月にはインドは核弾頭の搭載が可能な中距離
弾道ミサイルを、パキスタンと中国に照準を合わせて配備すると表明した
。
戦闘地域
主に
カシミールとその東部地域の
アクサイチンおよび
ラダック・
ザンスカール・
バルティスターン、ブータンの東側
東北辺境地区(後の
アルナーチャル・プラデーシュ州)で激しい戦闘となった。
現在
2003年に
アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー首相は中国を訪問し、
江沢民国家主席と
シッキムをインドの領土と中国は認める代わりに、チベットを中国領とインドは承認することで合意した
。
2005年に、
マンモハン・シン首相と
温家宝首相の間で、「両国が領有を主張する範囲の中で、人口密集地は争いの範囲外」とする合意がなされ、両国にとって
戦略上重要とされる
アルナーチャル・プラデーシュ州、特にタワン地区は現状を維持している。なお現在
アクサイチンは中華人民共和国が実効支配している。
日本の
学校教育用
地図帳では、両国主張の境界線をともに引いた上で、地域は所属未定とする手法がとられている。
2010年9月2日、インド東部の
オリッサ州政府は、同国
中央政府の
国防関係者の談話として、同国が開発した中距離弾道ミサイル「アグニ2」(核弾頭の搭載が可能)の改良型実験に成功したことを発表した。「アグニ2」の射程は2000キロメートルで、改良型の「アグニ2+」は2500キロメートル。これまでにインド国防部関係者は「アグニ2」や短距離弾道ミサイルを、中国との国境地帯に配備するとしている。また、インド政府関係者は2010年3月に発表した国防計画に絡み、「
2012年までに、
中距離弾道弾による防御システムを完成。対象は中国とパキスタン」と発言した。
中国
メディアは脅威が高まったとの認識を示し、
中国社会科学院・南アジア研究センターの葉海林事務局長は、インドが中国を主たる対象として核ミサイルの開発と整備を進めているとした。現在、「アグニ2」を中国の経済発展地域に可能な限り届かせるため、国境近くに配備しているが、開発中の「
アグニV」の
有効射程は5000 - 6000
キロメートルとされ、インド国内のどこに配備しても、中国全土を
攻撃することが可能で、脅威はさらに高まるという。また、インドとパキスタンは潜在的な敵対関係にあるが、パキスタンを念頭に置くならば、「アグニV」のような射程が長いミサイルを開発する必要はないとも主張した。
2013年4月15日、
中国軍が50人程度の部隊をインド支配側に10km程度侵入させ、野営地を設営した。
インド軍も中国軍の野営地近くに部隊を派遣してにらみ合いを続けていたが、同年
5月5日までに両国が共に部隊を撤収させることで合意し、同日中に両軍とも撤収を始めた。
2017年6月16日、中国軍がブータンとの係争地であるドグラム高原に侵入し、道路建設を始めたため、ブータンの防衛を担当するインド軍が出撃する。工事を阻止しようとするインド軍と中国軍はもみ合いになり、インド側の塹壕二つが重機で破壊されている。以降は工事が停止し、二か月にわたりにらみ合いとなる。同年
8月15日インド・カシミール地方パンゴン湖北岸の国境にて中国軍兵士が侵入しようとしたため、インド兵士が押し戻そうとし、投石などの小競り合いが起きて両軍兵士達が負傷している。その後両軍は陣営に戻り、以降は沈静化した。
同年
8月28日にはドグラム高原でにらみ合いの続いている両部隊を撤退させることで合意し、両軍とも部隊を引き上げるとインド当局が発表する。しかし中国外交部は撤退するのはインドのみであり、規模は縮小するものの中警備を継続すると発表している。
2020年5月9日、シッキム州の国境付近で中印両軍の殴り合いによる衝突が発生した。インド紙ヒンドゥスタン・タイムズは、中印軍の総勢150名が関与し、中国側7名とインド側4名の計11名が負傷したと報じている。