英国と中国との問題-1



2021.06.28-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20210628-YUW63IEZ2JKN7KJOI4ULNPTKX4/
国安法施行1年 香港から英に10万人移住か

  【ロンドン=板東和正】香港国家安全維持法(国安法)が昨年6月末に施行されて以降、中国共産党政権が統制する香港の現状に絶望した香港市民が英国への移住を進めている。英政府が1997年の香港返還前に生まれた香港市民に発行する「英国海外市民(BNO)旅券」の保有者らに市民権獲得の道を開いたのを受け、すでに約10万人が渡英したとの推計もある。

  英政府は今年1月、国安法への対抗措置として、BNO旅券の保有者とその扶養家族を対象に特別査証(ビザ)の申請受け付けを開始した。特別ビザがあれば5年間の滞在を経て永住権を、その1年後には市民権を取得できる。以前はBNO旅券を持っていても英国滞在期間は6カ月間に制限され、永住・市民権は得られなかった。
  香港市民を支援する英市民団体「ホンコンガーズ・イン・ブリテン」の調査によると、これまでに約8万人が特別ビザを申請し、うち約1万8千人が承認された。同団体は、昨年6月末以降、BNO保有者やその家族を含めた約10万人が香港から英国に移住したと推計。5年以内に最大80万人が英国に移り住む可能性もあるとみている。

  ただ、香港から離れ、英国で一から仕事を探すことに苦労する香港市民も少なくない。
  昨年9月に渡英したBNO保有者の男性(37)は英国での生活を始めてから約2カ月間、仕事が見つからず、貯金を切り崩して生活した。11月にはウェイターとして日本食レストランに雇われたものの、新型コロナウイルスの変異株が拡大した影響で間もなくレストランは閉店してしまった。
  男性は今、不動産関連の仕事に就いているが、「コロナ禍による景気悪化でなかなか定職につけず、精神的に追い詰められた」と振り返る。
  ホンコンガーズ・イン・ブリテンの創設者は、就職の問題のほか、文化や教育システムの違い、言葉の壁などに苦しむ移住者もいると話す。極度のホームシックに陥る市民も少なくなく、昨年、英国に移住したBNO保有者の女性は「香港から逃れて自由を手に入れたが、故郷が恋しくて涙が止まらなくなるときがある」と明かした。
  一方、自身や家族がBNO旅券を保有していない移住者の多くは亡命を申請している。ただ、亡命の認定には半年以上かかるケースがあり、安定した生活を保障されずに不安な日々を過ごす移住者もいる。


2021.5.8-PROVE-https://www.provej.jp/column/china/hongkong-china-2020/
香港の歴史と中国本土との関係。2020年の混乱をわかりやすく解説

  1842年、中国の清朝はアヘン戦争に敗北し、香港はイギリスの植民地になりました。それ以来香港では行政のリーダーを選挙で選ぶことはできませんでした。1997年の香港の中国への返還に先立って、1984年、中英共同声明が調印されました。この声明には、「従来の資本主義体制や生活様式を、返還後50年間維持する」と明記されています。

  このように、香港の人々は中国の一国二制度の下、英国流の資本主義経済や言論の自由の中で暮らしてきました。香港は、アジアの国際金融センター、国際貿易港として、繁栄を謳歌してきた側面も持っています。
  しかし、行政長官が民主的に選出されないなど、一国二制度に対しての不満の声が高まっていきます。
  2014年、若者らが道路を占拠する「雨傘運動」が起こりました。また、2019年にも、大規模なデモが起こり、民主派政党・香港衆志の創始者の一人であるアグネス・チョウ氏の存在が世界的に広まりました。

  民主化を求める若者を中心とする市民の要求が高まり、中国政府は神経をとがらせていました。
  中国の習近平国家主席は、2019年のデモの後、2020年6月30日に、中国政府が香港の統制を強める「国家安全維持法」に署名し、一国二制度が崩壊することが懸念される歴史的な節目を迎えました。
  習近平国家主席は、これまで香港に認められてきた自治と自由は許すべきではないと判断し、国内の厳密な専制体制を香港にも適用することとしたのです。
  ここでは、中国と香港の歴史、なぜねじれた関係になっていったのか、この問題への各国のスタンスについてご紹介します。

グローバルにおける香港のビジネスポジション
  香港は、中国広東省の沿岸部深セン市の南部に位置します。香港島、九龍半島、新界に分かれており、2020年現在の人口は約750万人で、市街地は香港島北部と九龍半島に集中しています。
  人口密度が極めて高い地域としても有名です。周囲は天然の良港になっており、古来より貿易拠点として、現在は観光地としても栄えています。
  香港とシンガポールは中継貿易拠点として、中国とASEAN諸国をそれぞれの後背地に持ち、国際金融センター(銀行や証券会社などの金融業において中心的な役割を持つ都市)としての地位を築いてきました。
  80年代には、アジア諸国の急速な経済成長にと中国経済の本格的な開放で、諸外国からの対中投資や対中貿易が拡大。資金需要が増加しました。しかし、1997年のアジア通貨危機の発生後は、金融機能の低下を余儀なくされ、銀行業務の規制緩和や資本市場の統合などの金融改革を進めてきました。
独自の行政機関と法律  中国の一部でありながら独自の行政機関を持ち、独自の法律が運用されています。
  このように、中国本土とは異なる制度を適用し、高度な自治権を認める制度のことを「一国二制度」と言い、この制度が適用される地域は「特別行政区」と呼ばれています。中国では、香港とマカオが特別行政区になっています。
  1997年7月、イギリスから返還された香港に対して中国は、外交・防衛を除外する分野で高度の自治を、50年間維持すると約束していました。
  香港は、独自の行政、立法、司法権を持ち、中国本土では認められない言論の自由、通貨やパスポートの発行権を有しています。
  一方中国には、憲法にあたる香港基本法の解釈や改正権、政府高官の任命権を持つなど、香港をコントロールするシステムもあります。
一国二制度の問題点と雨傘運動
  香港の行政長官の選挙は、従来親中国の人々が多数を占める選挙委員会で選ばれる間接選挙でしたが、2017年の選挙以降普通選挙に改めると発表されました。
  しかし、これには条件がついており、中国からの独立を主張する候補者は立候補することができないというものでした。「これは偽りの普通選挙だ」と人々が立ち上がったのが「雨傘運動」だったのです。この運動は、中国から何の譲歩も得られることなく失敗しました。
  「雨傘運動」以後、運動参加者や活動家たちの間には何をしても無駄という挫折感が広まりましたが、香港独立を目標に掲げる政党「香港民族党」が2016 年に発足しました。
  発起人の陳浩天氏は「香港で民主化を実現するには、まず独立するしかない」と語りました。このデモは、最盛期は参加者が10万人を超えていました。しかし、警察がバリケードの強制撤去を進め、79日間でデモは終結しました。
  その後の大規模デモは、2019年6月、香港政府の「逃亡犯条例」改正案に対するデモが起こりました。民主活動家のアグネス・チョウ氏を始めとする3人が、警察本部包囲デモを扇動したとして無許可集会の扇動罪に問われました。2020年12月、裁判官は3人に実刑判決を言い渡しました。

  中国は、一国二制度の下、2047年まで香港では社会主義は行なわないと約束し、基本法にも盛り込まれています。「2047 年になる前に香港は中国に呑み込まれるのではないか」という香港の人々の不安は的中したのです。
習近平国家主席がどうしても香港を手に入れたい理由
  中国は、清朝時代にアヘン戦争に敗北することで、香港という領土をイギリスに取られてしまったという苦い経験があります。中国にはこれ以降「国家の利益を守るために領土は一寸たりとも失ってはいけない」という考えが教訓として残っています。しかし習近平国家主席による香港への介入について各国は「強引過ぎる」との意見を示しています。
  なぜそこまでして手に入れたいのでしょうか。その理由を2つの視点から見てみましょう。
中国に比べて資本の移動や資金調達が簡単
  香港が中国に返還された1997年、中国と香港のGDPの比率は100対18でした。人口12億の中国に対して、香港にはその1%にも満たない650万人しかなかったのですが、1人あたりの経済力は圧倒的に大きく、優秀な人材も集まる香港は、「金の卵を産むニワトリ」のような存在でした。
  その後、国際金融センターとしての力を失っていったこともあり、GDP比率は現在100対3になりました。それでも共産党の指導下にある中国と比較して、資本の移動や資金調達が簡単である点が魅力の一つとなっています。
米中貿易摩擦を回避するため
  香港は中国大陸にとっての合法的で合理的な「貿易障壁の抜け道」です。
  中国大陸の対外貿易相手国の第1位は米国です。中米貿易額は中国輸出入総額の19%を占め、第2位は香港です。中国大陸と香港の貿易額は、中国輸出入総額の14%を占めており、これは対日、対韓、対独の3カ国の合計に匹敵します。
  2018年における輸出面を見てみると、大陸の331億ドル相当の通信設備、167億ドル相当のコンピューター設備、258億ドル相当の集積回路設備が香港に輸出されています。
  香港の人口は750万人です。面積1000平方キロと国土は狭く、大陸の14%もの輸出入を消化しきれません。なぜ大陸は香港から大量の貨物を輸出入しているのかというと、香港は大陸の対外貿易の中継点だからです。
  中国大陸の製品は、まず香港に持ち込まれ、ラベルを「香港」と貼り変えられ、世界各地に輸出されます。一部、先進国の中国大陸に対する制限を回避できるというメリットにより、中国大陸から直接輸出した場合と比べて、関税を軽減できました。巧妙に貿易摩擦を回避し、中国の1/7の製品が香港を通じて全世界に販売されてきました。
  ラベルを貼り変えた商品の一部は米国にまで輸出されています。米中貿易戦争によって、万が一中国の多くの対外貿易が中止されるなどの窮地に立たされたとしても、中国はこの香港というパイプがあればたくさんのことをすり抜けられます。
  中国がどうしても香港を手に入れることにこだわる理由は上記以外にもあるかもしれませんが、上記2つが主な理由と考えられます。

国家安全維持法
  2019年のアグネス・チョウ氏らのデモの影響を受け、習近平国家主席は、中国共産党が香港への支配を強めるために、「国家安全維持法」の制定に動きました。5月下旬の全人代で導入方針を承認後、たったの1か月で審議を終えるという異例の速さで可決しました。
  習近平国家主席は、これまで香港に与えられてきた自治と自由は許可できないと判断し、中国本土の厳密な専制体制を香港にも適用する意志をこの国家安全維持法に込めたのです。

  この法律によって中国政府の権限が大幅に強化され、「一国二制度」が有名無実化となるのは明らかです。従来のような民主化要求デモは今後できないことになりました。
  この国家安全維持法が恐れられているのは、できたばかりの法律で裁判の判例もないため、何が罪になるのかまだ分からない点と言われています。何が国家分裂で、何が海外勢力との結託になるのか。多くの香港の人々が、政治的な発言を控えるようになっているようです。

国家安全維持法に対する各国の動き
  香港では、反政府的な動きを取り締まる国家安全維持法が施行された後、多数の民主派の議員や活動家が逮捕されるなど、民主派への圧力が強まっています。
  国家安全維持法の設定に対して強く反発したのがイギリスとアメリカです。旧宗主国のイギリスではジョンソン首相が、「国家安全維持法の施行は、中英共同声明に明確な違反で、香港基本法に反する」と強く批判し、英国海外市民の資格を持つ香港市民がイギリスに5年滞在でき就労も認める特例措置を発表しました。
  アメリカでは、トランプ米大統領が、2019年11月、香港の人権と自治を擁護する「香港人権・民主主義法案」に署名し、「香港人権法」が成立しました。
  同法は、米国務省に対して香港の高度な自治を保障した「一国二制度」が正しく機能しているかどうかを検証する「年次報告書」を作成するように義務づけ、香港で人権侵害などが行われた際は、当局者に制裁を科すことできるようになります。
  中国外務省は、「中国政府と人民は断固反対する」と、同法が成立したことに声明を出し、「重大な内政干渉で、あからさまな覇権の行使である」と米国を非難しました。「アメリカが独断専行を止めなければ中国は必ず報復措置を取る」と強調しました。
  2021年1月、バイデン政権が誕生後、バイデン大統領も中国に対し厳しい姿勢を示しています。3月18~19日に開いた米中外相会談において、新疆ウイグル自治区、香港の人権侵害、台湾問題について懸念を表明しています。2021年4月には、アメリカのブリンケン国務長官が、「中国が香港の自治の弱体化を進めている」と述べ、中国への強硬姿勢を鮮明にしました。

最後に
  中国と香港がなぜ長年揉めているのか、その歴史や背景についてご説明しました。4月に行われた菅首相とバイデン大統領の会談のキーワードの1つに「対中強硬姿勢」があり、両国は台湾の安全確保に努めると約束を交わしました。
  香港の民主活動家のアグネス氏が逮捕された際、日本政府は何も言及しなかったことから、「このような人権問題に対して何も発言しないのはどうなのか?」と国内で批判が高まりました。今回バイデン大統領との会談で対中強硬姿勢に舵を切った日本は、今後香港のこの問題に対して、無言を貫くことはできなくなるのでしょう。



2020.11.22-excitニュース-https://www.excite.co.jp/news/article/AllNightNippon_256227/
中国が香港を中国化する理由~英中共同宣言の違反
(1)
  ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(11月20日放送)に内閣官房参与で外交評論家、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の宮家邦彦が出演。アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの5ヵ国が中国を非難する声明文を発表したというニュースについて解説した。

5ヵ国が中国を非難する声明を発表
  香港が民主派4人の議員資格を剥奪したことをめぐり、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの5ヵ国は11月18日、中国の行動は「国際的義務に明白に違反する」と非難する共同声明を発表した。5ヵ国の外相は、中国は1997年の香港返還後も自治を維持するとした1984年の英中共同宣言での義務に違反していると指摘している。
飯田)ということですが。
  宮家)これは中国とイギリスの合意ですから、私の拙い国際法の知識によると、少なくともイギリスは文句を言えるのです。中国と握ったのですから、「約束したではないか」と。しかし、他の四か国に解釈権があるかと言えば、厳密には違うと思います。ただ、我々にも言えることは、そうは言うけれども、「英中共同宣言は国連に登録してある国際条約ではないか」ということです。だから、これはもう国際的な約束なのだと。その前提でみんな動いていたところで、中国が香港の「高度な自治」を保証していたわけですから、「何とかしなさい」ということは言えるかも知れません。
(2)
中国化が進んでしまっている香港~背に腹は代えられぬ中国
宮家)これに対し中国は何と言っているかというと、英中宣言は既に「歴史的な役割を終えたのだ」と。そういうイメージでいると思います。
  よく言うよとは思いますが、背に腹は代えられないのでしょう。香港でのああいう民主化の動き、「雨傘革命」から始まってもう何年も続いていて、このまま放置すれば、民主化勢力の人たちがいろいろな選挙で多数を占めるかも知れない。

  いままでは、行政長官も含めて、相当中国の色のついた人を任命することができたけれども、本当に議会が民主的に選ばれてしまったら、大変なことになる。それが本土の方に波及でもしたら……ということを考えると、私は中国の態度を容認しているわけではないですが、北京はルビコン川を渡って、不退転の決意で打破するしかないと腹を括ったのでしょう。
  ですから、残念ですが、香港では中国化が進んでしまっているということでしょうね。私も、どうしたらいいか、言葉以上に武力を使うわけにもいかないし、本当になかなか出口はないのですが・・・、困ったことです。
今後の台湾への影響
飯田)この流れがそのまま台湾にも来るのかどうか。
(3)
宮家)台湾とは違います。
  台湾は海を隔てているわけだし、香港のように陸続きではないですから。しかし、香港と台湾の関係で言えば、皮肉なことに香港であんなに弾圧をするから、蔡英文さんが再選されてしまったのです。中国が香港でやり過ぎなければ、少なくともあんな形で台湾で総統選挙が盛り上がるということはなかったのです。逆効果だったのです。しかし、中国はそれを承知の上で腹を括ってやったのだと思います。
飯田)習近平さんが「戦争の準備だ」と言い出すほど強硬になっていると言われていますが、国内はそれほど不安定なのですか?
宮家)不安定だとは思いませんが、トランプさんが最近は相当台湾へ肩入れをして、中国批判もして、残りが2ヵ月しかないのに、対中関係ではやりたい放題をやって、既成事実をつくっているわけです。そのなかに台湾もあるのです。11月3日の大統領選挙の日に、無人機を台湾に売っているのですから。それは中国にすれば、アメリカから強い脅威を感じているということではないでしょうか。
飯田)それに対して、動かなければならないと。
宮家)ここでしっかり反発しておかないと、大変なことになると思っているのだと思います。
radikoのタイムフリーを聴く:https://radiko.jp/share/?sid=LFR&t=20201120072920


2020.11.13-REUTERS-https://jp.reuters.com/article/hongkong-security-britain-idJPKBN27S2A9
英、香港議員巡る中国の新規則は共同宣言違反 制裁を検討

  [ロンドン 12日 ロイター] - 英国は12日、中国が香港の議会に当たる立法会の議員資格に関し、新たな規則を導入したことは、香港に高度の自治を約束した1984年の中英共同宣言に違反するとした上で、制裁を検討していると表明した。

  中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会は、訴訟を経ずに立法会議員の資格剥奪を可能にする決議を採択。これを受け、香港政府は11日、立法会の野党議員4人の資格剥奪を決めた。[nL4N2HX1VD]

  英国のラーブ外相は、こうした対応は中英共同宣言に違反し、「中国は再び約束を破り、香港の高度な自治をおとしめた」と述べた。
  英国側は中国の劉暁明駐英大使を呼び出し、深い遺憾の意を表明。アダムズ外務担当閣外相は議会で、個人への制裁を検討していると明らかにした。香港政府の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官が制裁対象に含まれるかとの質問には「マグニツキー法(人権制裁法)のような形での制裁を引き続き検討していく」とした。
  現段階で誰が制裁に指定されるかを推測するのは有益ではないとした。中国の大使館はコメントの要請に回答していない。
  欧州連合(EU)は中国政府の新規則は香港の自治を侵害しているとし、直ちに撤回するよう求めた。
  米国は香港への自治侵害などを理由に林鄭氏と中国の当局者らに既に制裁を科しており、追加措置を講じる可能性を警告。

  オブライエン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は11日、中国は「国際的な合意に甚だしく違反した」とし、「香港の自由抑圧に関与した関係者を引き続き特定し、制裁を科す」と述べた。

  ポンペオ米国務長官は12日、中国共産党は「ゆがんだ愛国心を掲げ、自由と民主主義の追求を抑え込んでいる」と強調。「こういった行動や政策に責任ある人物を追及する」とした。
  カナダは12日、香港の若者がこれまでより容易にカナダで留学したり就労できるようにする考えを示した。



英中共同声明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  中華人民共和国政府とグレートブリテン及び北アイルランド連合王国政府の香港問題に関する共同声明中国語: 中華人民共和國政府和大不列顛及北愛爾蘭聯合王國政府關於香港問題的聯合聲明)または英中共同声明中華人民共和国グレートブリテン及び北アイルランド連合王国香港問題に関して共同で発表した声明であり、1984年12月19日中華人民共和国国務院総理趙紫陽イギリス首相マーガレット・サッチャー北京で署名したものである。署名の場には鄧小平中央軍事委員会主席李先念国家主席、イギリスのジェフリー・ハウ外務・英連邦大臣なども同席した。

  両国が1985年5月27日に批准公文を交換し、国際連合事務局で登録したことで声明は発効し、香港返還前の14年にわたる過渡期のはじまりとなった。
  その影響で共産主義中国共産党)の一党独裁政府である中華人民共和国の支配を受けることを喜ばない香港住民を恐怖に陥れ、イギリス連邦内のカナダオーストラリアへの移民ブーム(華僑)が起こった。当時テレビ生放送を視聴していた多くの香港市民は涙を流して悲しんだといわれる。
  その後、1989年北京市六四天安門事件が発生すると、香港では民主派支持の大規模デモが行われ、独裁的かつ自国民に対する武力行使も辞さない中華人民共和国の本質が明確になったとして再び移民ブームが巻き起こった。大部分の香港移民は、イギリス連邦の構成国であるカナダのトロントバンクーバーシドニーシンガポールに渡航した。

概要
  声明によると、「香港の地域(香港島九龍新界を含む)を回収することは中国人民が共有する願望であり、中華人民共和国政府は1997年7月1日香港に対する主権の行使を再開する」とした。声明に従い、イギリスは1997年7月1日に香港を中華人民共和国に譲渡した。
  声明はまた、中国の香港政策の方針を記述した。声明によると、中国は一国二制度をもとに、中国の社会主義を香港で実施せず、香港の資本主義の制度は50年間維持されるとした。これらの方針は後の香港特別行政区基本法に引き継がれた。
  2017年6月30日、中華人民共和国外交部スポークスパーソンである陸慷は定例記者会見で、「香港は中国の特別行政区であり、香港の事務は中国の内政であること」を主張した。彼は、「英中共同声明は中国の香港に対する主権の回復および過渡期について定めたものであり、主権回復から20年経った2017年においては、英中共同声明は歴史の遺物であり、現実的にはすでに意味をなさず、中国政府の香港に対する管理にも拘束力を持たない」とした。
  さらに返還後の香港に対し、「イギリスは主権、統治権、監督権を持たないこと」も主張した。
背景(「香港の歴史」も参照)
  1842年、阿片戦争イギリス帝国に敗北し、南京条約を締結して香港島をイギリスに割譲した。
  1860年、清はアロー戦争で再び敗れ、北京条約九龍をイギリスに割譲した。
  1898年、清はイギリスと展拓香港界址専条を締結、新界と200余りの島嶼は1997年までの99年間、イギリスに租借された。
  1898年から1997年までの期間のほとんどを通して、イギリスは香港島、九龍と新界を統治した。
  1941年(昭和16年)、真珠湾攻撃と同日(12月8日)、酒井隆率いる日本軍深圳から香港へ侵攻した(香港の戦い)。イギリスは敗れ、香港総督マーク・アイチソン・ヤングは12月25日に降伏した。
  1942年、中華民国不平等条約の廃止及び平等条約の締結についてイギリスとの交渉を開始した。国民政府主席蔣介石は香港問題を提起し、「九龍はほかの租界とともに返還されるべき」と主張したが、イギリスのウィンストン・チャーチル首相に却下され、逆に書面で「九龍は不平等条約には含まれていないことを認めなければ、平等条約は締結しない」と脅された。中華民国は仕方なく譲歩し、1943年に中国における治外法権の返還に関する中英条約を締結した。その代わり、中国は香港問題を提起する権利を留保することをイギリスに照会した。

  香港は3年8か月間の日本占領時期を経て、1945年(昭和20年)8月の日本の降伏により占領から解放された。1949年には中国共産党中華人民共和国を建国し、1950年にイギリスにより承認された。1967年5月には一二・三事件文化大革命に影響された共産党系の労働者と住民によるストライキからの六七暴動爆弾テロが起き、同年7月には沙頭角銃撃戦紅衛兵が中国側から発砲した。結局、国務院総理周恩来が香港をすぐには回収しないと堅持したことでようやく沈静化した。
  1978年以降中華人民共和国が改革開放を実施すると、イギリスと中華人民共和国は香港問題に関する交渉を開始した。交渉は2年間にわたり、2段階で計22回行われた。第1段階は秘密交渉で、1982年9月にフォークランド紛争で自信を深めていたイギリスのマーガレット・サッチャー首相が中国を訪問してから1983年6月までを指し、主に交渉における両国の原則、香港の主権の帰属、中国人民解放軍の駐軍問題などを議論した。第2段階は正式な会談で、1983年7月から1984年9月を指し、香港で実施される制度や過渡期の措置など具体的な内容について議論した。交渉において、最初は両国とも強硬であり、鄧小平が「香港はフォークランドではないし、中国はアルゼンチンではない」「主権問題の交渉はできない」と主張した。イギリスが「主権を返還する代わりに統治権を維持する」(「以主權換治權」)と提案すると、鄧小平は「一国二制度」と「港人治港」(「香港人が香港を治める」の意)の構想を提案した。最終的に交渉はまとまった。
署名・批准および発効
  1984年9月26日、中英両国は北京で共同声明と三つの付属書の草案に署名した。1984年12月19日、両国は北京人民大会堂の西大庁で正式に声明に署名した。中国の代表は趙紫陽国務院総理鄧小平中央軍事委員会主席李先念国家主席であり、イギリスの代表は首相マーガレット・サッチャー外務・英連邦大臣ジェフリー・ハウだった。英中共同声明の署名は、イギリスによる香港統治の終結と中華人民共和国の香港に対する主権の回復及び香港特別行政区の成立を決定づけた。署名の後に趙紫陽とサッチャー首相はそれぞれ発言し、両国が交渉で平和裏に香港問題を解決したことを高く評価した。
  1997年7月1日、英中共同声明での規定により、香港は中国に返還された(香港返還)。ここに、イギリスによる香港統治は155年に及び終了した。
評価
  英中共同声明への署名はイギリスで物議をかもした。1987年から1992年までイギリス労働党影の外務大臣を務めたジェラルド・カウフマンは2014年12月の共同声明調査妨害による庶民院での緊急弁論で、1997年の香港返還の式典には出席したが、「イギリスが恥じるべき1日」であるとした。彼はイギリスが「香港を中国に返還する義務などなく、外務省の官僚はいつも通りに大事な貿易関係を有する外国政府にへつらったことで民主をより重要でない位置に置いた」と批判した。
  フォークランド紛争を戦い抜いた保守党タカ派であるサッチャー首相が鄧小平の要求に屈したことに対して意外と感じた人は多いが、香港は軍事的には守備が難しい上、食料の大半を広東省からの輸入に頼っているため、両国の協定において新界のみ返還して香港島と九龍を維持することには無理があった。実際、交渉時には「イギリス側が応じない場合は、武力行使や水の供給の停止などの実力行使もありうる」と鄧小平から示唆され、サッチャー首相はショックを受けたという。
  1980年代の初期、香港の市民は前景の不透明さにより不動産市場の暴落を恐れ、香港の経済も影響を受ける結果となった。新界の土地問題も争点の一つであり、1970年代末には中国とイギリス間で議論された。
その後
内容に関する議論(「香港空港コアプログラム」も参照
  英中共同声明の締結後、声明の付属書二により中英合同連絡グループが設立された。声明では香港の「現行」の資本主義制度が50年間変わらないことを保証したが、中国とイギリスとでは「現行」の定義が違った。中国はそれが声明が署名された1984年時点の状態を指し、すなわち1997年の返還時点での制度は1984年時点と同じであるべきとしたが、イギリスは1984年から1997年までの13年間、制度が全く変わらないことは不可能であるとした。このため、中国はその13年間におきた政治制度の改革とインフラの建設を声明違反とした。このため、中国は香港国際空港の開港などの事業にしばしば干渉した。
1997年の香港返還(詳細は「香港返還」を参照)
  1997年7月1日、中華人民共和国は英中共同声明に従って香港に対する主権を回収した。同日、香港特別行政区の設立により156年間のイギリス植民地時代が終わり、香港特別行政区基本法に従い「一国二制度」が実施された。香港市民の大半は中国国籍を取得し、香港特別行政区旅券を申請する権利を得た。
2014年の共同声明
  2014年6月16日、李克強国務院総理はイギリスを訪問し、2300億香港ドルに上る経済協定を締結するとともに、イギリスに英中共同声明の成果に関する声明への署名を要求した。多くの専門家は両国が英中共同声明の署名からちょうど30年後にあたる2014年に声明を発表し、一国二制度の香港における実施をより良くするための議論を行うことを予想した。香港基本法の起草委員会の委員だった法律家の李柱銘は中国が経済協定の締結と同時に声明を要求したことは、それを餌にイギリスに一国二制度の方針がうまくいっていることに同意させ、諸外国による香港の状況の批判を封じるためであると評した。結局、中国とイギリスは2014年6月17日に共同声明を発表した。声明によると、一国二制度と香港基本法に従って香港の繁栄と安定を守ることは両国の利益に符合するという。

  2014年7月、イギリス議会の庶民院は中国の反対を押し切って、「英中共同声明と香港基本法の実施の状況を調査する」と発表した。調査では英中共同声明と香港返還が住民投票を経ていないことがその失敗を招き、制度の民主化改革もままならない結果となった、とする証言が出てきた。
  イギリスの議会の外交事務委員会による調査団は2014年12月に香港に訪問する予定だったが、2014年香港反政府デモの勃発により、調査団の出発に先立って北京政府が調査団の入国は拒絶されることを通告した。庶民院は12月2日に緊急弁論を行い、発言した議員のほぼ全員が中国に怒りをあらわにした。外交事務委員会のリチャード・オッタウェイ委員長は、議員たちが香港に訪れるのは英中共同声明の実施の状況について考察するためであるとした一方、中国の駐英大使の副官倪堅から得た印象は「英中共同声明はすでに失効した」というものだった。オッタウェイは、中国政府は声明で定められた政策は50年間不変であると約束したが、この約束は破られた、と述べた。
2020年の香港国家安全維持法(詳細は「2019年-2020年香港民主化デモ」および「中華人民共和国香港特別行政区国家安全維持法」を参照)
  2020年6月30日、中国の全人代常務委員会香港国家安全維持法香港立法会を通さずに全会一致で可決し、7月1日に発効する見通しとなった。同法は香港に高度な自治を保障する一国二制度の事実上の崩壊だと指摘されている。2020年7月1日は香港返還23年目の記念日であり、英中共同声明で約束された2047年6月30日まではあと27年ある。
2047年問題(詳細は「2047年の香港問題」を参照)
  香港特別行政区基本法一国二制度及び五十年不変の期限は2047年6月30日に終わり、これにより生じる憲政上の問題は1997年の香港返還と同じく、香港の社会においてたびたび議論された。





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