monomousu   もの申す
TOPにもどる
最近のニュース
世界の問題2018年10月2019年12月
世界の問題-1(2023年2月~)
世界の問題-2020年
世界の問題2021年1月~2121年6月
世界の問題2021年7月~2023年1月

世界の犯罪-1
世界の貿易-1   世界の文化-1
世界文化遺産-1 世界文化-1-wikipedia
世界文化遺産-1-wikipedia-1
世界の問題-2021年7月~2023年1月



2023.01.19-Yahoo!Japanニュース(JIJI COM/AFP BB NEWS)-https://news.yahoo.co.jp/articles/01dbc81fdff81956466e74a17988df13b3e0763a
NZ首相、来月辞任の意向表明

  【AFP=時事】ニュージーランドのジャシンダ・アーダーンJacinda Ardern)首相は19日、2月7日までに辞任する意向を表明した。

  アーダーン氏は与党・労働党の年次会合で、議会の夏季休会中に職務を続ける活力を取り戻したいと思ったが、「それができていない」と説明した。議会休会以降、公の場に姿を見せたのは1か月ぶりだった。
   労働党は22日に開かれる議員総会で、後任の首相となる新党首を決定する。
   アーダーン氏はまた、10月14日に総選挙を実施する方針も示し、それまでは一議員として活動すると述べた。
   2017年に連立政権の首相に就任したアーダーン氏は、3年後の総選挙で中道左派・労働党を圧勝に導いたが、最近の世論調査では党、首相個人ともに支持率が低下していた。【翻訳編集】 AFPBB News


2022.06.06-REUTERS-https://www.reuters.com/article/indonesia-australia-idJPL4N2XT1NA
豪首相、インドネシア訪問 通商・安全保障で協力強化へ

  [ジャカルタ 6日 ロイター] - オーストラリアのアルバニージー首相が6日、インドネシアを訪問し、通商、安全保障、気候変動問題での協力強化を呼びかけた。二国間外交では就任後初の訪問地となった。

  公式協議に先立ち、アルバニージー首相とインドネシアのジョコ大統領は竹製の自転車で大統領宮殿内を走った。
  首相は、東南アジア最大の経済大国であるインドネシアとの関係の重要性を強調。著名企業の代表、ウォン外相、ファレル貿易・観光相とともにインドネシアを訪れた。
  首相は「インドネシアは世界5大経済大国の一つになる」とし「通商・投資関係の再活性化が私の政権の優先課題だ」と表明した。
  インドネシアと地域の開発のために4年間で4億7000万豪ドル(3億3849万ドル)を支出する計画や、インドネシアとの2億豪ドルの気候・インフラ協定、豪外務省の東南アジア事務所の設立を改めて強調した。
  温暖化ガス排出量実質ゼロの世界へ共に移行するために、地域全体で安価で信頼できる安全なクリーンエネルギーの利用を改善したいと述べた。
  また記者団に、防衛や海上での警備・安全に関する協力の強化を約束したと明らかにした。
  インドネシア・オーストラリア包括的経済連携協定(IA-CEPA)の可能性の実現に向けて協力していくとしたほか、インドネシアの新首都「ヌサンタラ」の開発に向け専門知識を提供する方針を示した。
  ジョコ大統領は、両国が二国間の取り決めを強化していく重要性を強調。戦略的経済パートナーシップやIA-CEPAの重要性を改めて指摘した。


2022.05.16-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/74d6b8cd05591ac0dea3f268577a168f387964b7
レバノン総選挙、親イラン勢が過半数割れか

  カイロ=佐藤貴生】中東レバノンで15日、国会(定数128)総選挙の投票が行われ、16日までの暫定集計の結果、親イランのイスラム教シーア派政党「ヒズボラ」を中心とする勢力が過半数を割り込むとの見方が強まっている。

  政治腐敗と経済低迷への国民の不満が示された形だ。大勢は同日中にも判明する。ロイター通信が伝えた。
  ヒズボラはアウン大統領のキリスト教政党「自由愛国運動」などと連携し、2018年の前回選で過半数の71議席を確保した。
  ヒズボラは選挙前の議席を維持する勢いだが、自由愛国連合は2議席減らす見込み。 代わって、反ヒズボラのキリスト教政党「レバノン軍団党」が5議席増の20議席に躍進するとみられる。
  同党はスンニ派大国サウジアラビアの支援を受けているとされる。既存政党の支配を打破して政治改革を目指す独立系候補も5議席前後を獲得する見込みだ。

  宗派や民族が混在するレバノンでは、議席はキリスト教とイスラム教の両勢力に64議席ずつ配分され、選挙後に宗派を超えた多数派工作が行われる。ヒズボラ系の勢力減で協議が長引き政治の機能不全が続く恐れがあるほか、イランとサウジの代理勢力の対立も本格化しかねない。
  暫定投票率は約41%と前回選を10ポイント近く下回り、国民の政府不信の高まりを示した。
  レバノンは2020年にデフォルト(債務不履行)に陥り、首都ベイルートで大規模爆発が起きて国民の政治不信が強まった。通貨レバノン・ポンドは19年以降、9割も価値を下げて国民の75%が貧困ライン以下で暮らしている。 国際社会は政治改革が実現しなければ財政支援は行わない方針で、国民は当面、苦しい生活を余儀なくされそうだ。


2022.04.26-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20220426-PZRZXWBO6ZJSPC35JS2DHR2FLY/
パキスタンの「孔子学院」で爆発 中国人院長ら3人死亡

  【シンガポール=森浩】パキスタン南部カラチのカラチ大学で26日、大規模な爆発があり、地元警察によると、中国人3人を含む4人が死亡した。国内の武装組織「バルチスタン解放軍」(BLA)が犯行声明を出した。

  爆発は同大学内にある中国政府が中国語普及の国外拠点とする教育機構「孔子学院」付近で発生。死亡したのは学院の中国人院長や教員だという。地元警察は、全身を覆う衣装「ブルカ」を着用した女性が自爆テロを起こした可能性があるとみて捜査している。

  パキスタンは巨大経済圏構想「一帯一路」への参加などを通じて中国接近を進めているが、BLAなどは「地元の資源を奪っている」と主張して中国人を標的にしたテロを繰り返している2021年7月には北西部で中国人技術者9人が死亡するテロ事件も起きた。


2022.04.14-TBS News-https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye6012966.html
フィンランド首相「NATO加盟について数週間以内に判断」

  ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、フィンランドの首相は、NATO=北大西洋条約機構への加盟申請について数週間以内に判断すると述べました。
  フィンランド マリン首相
   「検討プロセスは早く進むと思います。数週間のうちでしょう」
   フィンランドのマリン首相は13日、訪問先のスウェーデンで、NATOに加盟申請をするかどうかの判断を、議会での議論を経て数週間以内に行うと述べました。

   ロシアと1300キロあまりの国境を接するフィンランドは、摩擦を避けるためにこれまで軍事的に中立を保ってきましたが、ロシアのウクライナ侵攻で世論にも変化が生じてきています。
   一方、スウェーデンでも、「政府が6月の加盟申請を目指している」と現地メディアが報じましたが、アンデション首相は「プラスとマイナスについて慎重に検討すべき」と述べるにとどまりました。

   実際に加盟申請が行われれば、ロシア側からの対抗措置も予想されます。


2022.01.12-毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20220112/k00/00m/030/362000c
ロシア主導部隊、カザフから撤退へ 治安安定のため2000人派遣

  中央アジア・カザフスタンのトカエフ大統領は12日、抗議デモ後の治安安定のため派遣されたロシア主導の集団安全保障条約機構(CSTO)の部隊が13日に撤退を開始すると明らかにした。最も被害が大きかった最大都市アルマトイを訪問し、開催した会議で述べた。インタファクス通信が伝えた。

  トカエフ氏は「わが国の情勢安定のため大きな役割を果たした」と謝意を示した。計2000人超が派遣されたという。派兵を巡っては、米国が必要性について明確な説明を求めていた。
  カザフのスマイロフ首相は12日、就任後初めて閣議を開き、治安組織の改革や武器管理の強化を命じた。(共同)


2022.01.08-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20220108-GSXPHSMCMRKQ7GK56P3TYFLQ74/
露、カザフ介入で存在感強化 「平和維持部隊」要請の数時間後に派遣

  【モスクワ=小野田雄一】中央アジアの旧ソ連構成国、カザフスタンで起きたデモで、ロシア主導の「集団安全保障条約機構」(CSTO)はカザフの要請に応じる形で平和維持部隊の派遣を決めた。同部隊が演習ではない実際の任務を遂行するのは初めて。旧ソ連圏の「盟主」を自任するロシアはカザフ情勢に介入し、デモによる政権転覆を阻止すると同時に、「裏庭」とみなす中央アジアで影響力を強める思惑だ。

  CSTOはロシアとカザフ、ベラルーシ、タジキスタン、キルギス、アルメニアの6カ国からなる軍事同盟。当初の派遣は計2500人規模で、主体はロシア軍が担う。政府施設やインフラの保護を任務とし、デモの鎮圧には参加しない。派遣は情勢安定化までの一時的なものだとしている。
  カザフのトカエフ大統領は5日夜、「外国で訓練されたテロ集団」が破壊工作をしていると主張し、CSTOに介入を要請。CSTOは数時間後に部隊派遣を発表した。6日には先遣部隊が活動を開始している。
  ロシア外務省も6日の声明で、デモを「外国から触発された武力による国の安全と一体性を損なわせる試み」だと評価した。
  今回注目されるのは、部隊派遣の迅速さだ。2010年のキルギス政変の際、CSTOはキルギス側が要請した部隊派遣を拒否。20年のベラルーシでの反政権デモや、アルメニアとアゼルバイジャン間の紛争に際しても、CSTO部隊の派遣には至らなかった。
  今回の部隊派遣の背後には、プーチン露政権の複数の思惑があるとみられる。

  第1は、勢力圏とみなす中央アジアの大国カザフで友好関係にある現政権がデモで崩壊し、親欧米政権が樹立される事態を防ぐことだ。燃料値上げに端を発した今回のデモが反政権デモに発展した背景には、長年の権威主義体制への不満がある。同様の不満は他の中央アジア諸国にも存在する。ロシアは、親露派政権がデモで倒された14年のウクライナ政変が中央アジアで再現され、ひいては自国内の反政権機運が刺激される事態を警戒している。
  第2は、ロシアのプレゼンス(存在感)を旧ソ連圏に示すことだ。中央アジアでは近年、巨大経済圏構想「一帯一路」を進める中国や、民族や言語が近いトルコが影響力を拡大し、ロシアの地位は揺らいできた。CSTO部隊の受け入れにより、カザフでロシアの発言力が強まるのは確実だ。
  一方、介入のリスクを指摘する声もある。露紙「モスクワ・タイムズ」(電子版)は6日、「ジョージア(グルジア)やウクライナのように、旧ソ連諸国へのロシアの介入は親露国を急速に反露国に変えた。カザフでも(政権側を支援する)ロシアへの反感が強まる可能性がある」とするコルトゥノフ露国際問題評議会会長の見解を伝えた。

  露外交評論家のバウノフ氏も自身のツイッターで「ロシアは今や、ウクライナとカザフという二正面に注意を割かざるを得なくなった」と書き込んだ。


2022.01.06-SPUTNIK 日本-https://jp.sputniknews.com/20220106/1000-9903475.html
カザフスタン 大規模暴動で1000人超が負傷

  カザフスタンで発生した暴動で1000人以上が負傷し、数百人が搬送され入院し、数十人が集中治療室で看護を受けている。同国の国営テレビ「ハバール24」が報じた。
  同局は、「カザフスタン保健省の発表によると、同国の様々な地域で暴動により1000人以上が負傷し、そのうち約400人が入院、62人が集中治療室にいる」とニュースで報じた。さらに同局は、「10人以上の医療従事者が、暴動の参加者らによって負傷した」と報じている。
  これよりも前、暴動の参加者が救急車の進行を阻止し、救急車2台が破壊されたと報じられた。

  年明け以降、カザフスタン西部の産油地域であるマンギスタウ州ジャナオゼンやアクタウの住民が2倍におよぶ燃料価格の上昇に抗議するため集結したが、他の都市にも抗議行動が広まった。大都市のアルマトゥイでは4日早朝から5日深夜まで治安部隊と抗議行動参加者が衝突、警察はスタングレネードや催涙ガスを使用した。

  5日、抗議者たちはアルマトゥイの市庁舎に乱入し放火、その後、カザフスタンの大統領官邸を占拠した。


2022.01.06-朝日新聞-https://www.asahi.com/articles/ASQ162Q06Q16UHBI005.html
カザフスタンの抗議活動、全土に拡大 デモ隊と衝突で警察ら8人死亡
モスクワ=喜田尚

  ガス価格の値上げを機に中央アジア・カザフスタンで抗議活動が全土に広がり、内務省は5日、デモ隊との衝突で警察官ら8人が死亡したと発表した。地元からの報道によると、最大都市アルマトイで行政庁舎や空港などが襲撃を受けた。トカエフ大統領は沈静化のため非常事態を全土に拡大し、ロシアなど旧ソ連6カ国の集団安全保障条約機構(CSTO)に支援を要請したと明らかにした。

  トカエフ氏は5日深夜にテレビ中継された演説で自らが同国の安全保障会議機長に就任したことも明らかにした。同議長はこれまでソ連からの独立から2019年まで政権に就き、辞任後もトカエフ政権に影響力を行使してきたとされるナザルバエフ前大統領が就いていた。ナザルバエフ氏の今後の地位は明らかにされていない。
  カザフスタンでは新年から市場経済拡大の一環で液化石油ガス(LPG)の価格が自由化され、販売価格が2倍になり、2日からカスピ海沿いの西部地域で始まった市民の抗議が全土に広がった。

  4日にはソ連からの独立時に首都だったアルマトイ中心部で警官隊との大規模衝突に発展。トカエフ氏は内閣の総辞職を受け入れ、期限付きでLPGなど燃料や食品に価格調整を許可する方針を示したが、抗議は収まらなかった。
  一部で反ナザルバエフ氏のスローガンが叫ばれたとの情報もある。トカエフ氏は5日深夜の演説でデモ隊について「武器が置かれた施設を占拠している」などと批判。アルマトイ郊外で軍の空挺(くうてい)部隊と戦闘になっているともし、「最大限に厳しく対応する」と述べた。
  トカエフ氏は19年、ナザルバエフ氏の辞任を受けて大統領に就任。その後、首都の名称がそれまでのアスタナからナザルバエフ氏の名前であるヌルスルタンに変更された際には、アルマトイなどで抗議の動きも伝えられた。地元メディアは5日朝、トカエフ氏が今回のデモの沈静化を図る中で治安機関幹部だったナザルバエフ氏のおいを解任したと伝えていた。(モスクワ=喜田尚


2022.01.05-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20220105-OEYN3OXGW5POPKB7UIT6ALSOVE/
カザフ全土でデモ暴徒化 内閣総辞職

  中央アジアの旧ソ連構成国、カザフスタンで、燃料価格の値上げをめぐる抗議デモが全国規模の暴動に発展し、トカエフ同国大統領は5日、内閣総辞職を承認し、首都ヌルスルタンに非常事態宣言を発令した。デモ隊や治安部隊員ら計190人以上が負傷し、治安部隊員に死者も出ている。同国最大の都市アルマトイではデモ隊がトカエフ氏の自宅や市庁舎を占拠した。

  トカエフ氏は5日にテレビ演説し、2019年まで約30年間にわたり同国に君臨したナザルバエフ前大統領が務める安全保障会議議長の役職を同日付で引き継いだと発表。「暴動には厳しく対処する」と述べた。
  タス通信やロイター通信によると、カザフ政府は、自動車燃料などに使われる液化石油ガス(LPG)の価格統制が生産者に損失を与えているとして、今月1日から価格統制を撤廃。LPG価格は従来の約2倍となる1リットル当たり120テンゲ(約32円)に上昇し、2日から同国西部の都市などで抗議デモが発生した。デモは全国各地に波及した。
  トカエフ氏は治安部隊を投入してデモ隊200人以上を拘束し、4日にアルマトイなどに約2週間の非常事態宣言を発令する一方、価格統制の再開を表明。しかしデモは収まらず、アルマトイでは5日までに約400の商業施設が被害を受け、30台以上の警察車両や救急車が燃やされた。

  マミン内閣の総辞職に伴い、スマイロフ第1副首相が首相代行に就任した。(モスクワ 小野田雄一



2021.12.29-Yahoo!Japanニュース(PRESIDENT Online)-https://news.yahoo.co.jp/articles/ce73530979d2f13b7c4a71451466ee6ec9533b0a
習近平に恥をかかせた…欧州の「中国離れ」のきっかけとなった小国リトアニアの勇敢な行動
(1)
  欧州で存在感を増していた中国が、想定外の逆風にあえいでいる。きっかけは、小国・リトアニアが中国との経済協力関係を解消し、台湾に接近したことだ。筑波大学の東野篤子准教授は「激怒した中国政府はリトアニアに圧力をかけ、苦境に陥れた。だが、この報復行為に近隣諸国が強く反発。これまで良好だった欧州と中国の関係に隙間風が吹き込んでいる」という――。

■リトアニアと中国との関係はさほど険悪ではなかった
  近年、欧州の小国リトアニアが注目を集めている。同国は中国との関係に見切りを付け、台湾との関係構築を大胆に進めているのだが、これに中国が猛然と反発し、あらゆる手段を用いてリトアニアへの圧力を強めている。
   それでも台湾への接近をやめようとしないリトアニアの大胆さと、なりふり構わず同国へのけん制と報復に走る中国という構図に、国際社会の関心が集まっているというわけだ。
   なぜこのようなことになったのか、経緯を簡単に振り返っておきたい。もともと、リトアニアと中国との関係はさほど険悪ではなかった。
   2012年に中国と中・東欧や西バルカンの16カ国との経済協力枠組みである「16+1」が創設された際には、リトアニアはむしろ中国との関係強化に期待を寄せていたとみられる(なお、同枠組みは2009年にギリシャが参加した際に「17+1」と改称されたが、後述するようにリトアニアの離脱によって「16+1」へと逆戻りすることになる。また、本稿では混乱を防ぐため、時期的には「17+1」とすべきところもすべて「16+1」と記述する)。
■中国による「途上国扱い」に不満
  発足から数年後、リトアニアだけでなく「16+1」諸国の多くは、同枠組みに不満を抱くようになった。
   「16+1」で約束された中国による原発や高速道路の建設などの大型インフラ投資案件には、計画倒れに終わったものが少なくなかった。
   実施されても計画が大幅に遅れ、予算が当初予定の何倍にも膨れ上がったものもある。
   このため、中国主導のインフラ投資計画に大きな疑問符がつくようになったのである。
(2)
  また、そもそも中国は「16+1」を、中国による「途上国支援」としてとらえていた側面がある。経済危機や不況に苦しむ中・東欧諸国や西バルカン諸国に対し、中国がインフラ投資を携えて手を差し伸べる――。これが中国の描いていた「16+1」のイメージであった。
   しかし、「16+1」の加盟国には、欧州を代表するIT先進国のエストニアやリトアニアから、経済不況にあえぎ、支援を渇望する旧ユーゴ諸国まで、実にさまざまな国が存在していた。こうした国々を十把一絡げに「途上国」扱いしてきたことに、「16+1」の根本的な問題が存在していたのである。

習近平が出席した会議に首脳が不欠席
  リトアニアの中国離れが可視化されるようになったのは2021年以降のことである。同年2月にオンラインで開催された「16+1」首脳会議は、習近平自ら出席したにもかかわらず、6カ国が首脳ではなく閣僚を出席させた。
   中国はとくに、首脳の欠席をいち早く表明したリトアニアとエストニアを問題視したようであり、両国の駐中国大使は深夜に外交部に呼び出され、叱責されたという。 中国との軋轢が表面化し、一層中国離れを加速させたリトアニアは同5月、「16+1」からの離脱を発表した。
   この決定に関する当時の駐中国リトアニア大使の説明は以下のようなものだった。  すなわち、「16+1」にはEU加盟国と非加盟国が混在しているため、2つに分断される恐れがあった。
   また、リトアニアは「16+1」を通じて中国への市場アクセスの改善を働きかけてきたが、中国の市場の閉鎖性は全く変わらなかった。つまるところ、「16+1」にこれ以上参加する意義を見いだすことができなくなった――。  リトアニア大使の説明には、「16+1」が抱えていた問題点が凝縮されていたのである。
■欧州で初となる「台湾代表処」を設立
   「16+1」からの離脱宣言と相前後するように、リトアニアは台湾への急速な接近を開始した。7月には台湾の大使館に相当する「台湾代表処」を設立することを発表。  EUの27の加盟国のうち、すでに18カ国が台湾の出先機関である代表処を有しているが、その看板にはすべて「台湾」ではなく「台北」が用いられていた。「台湾」の名称を用いることは、中国が求める「ひとつの中国」原則に反するため認められないとする中国側の主張を、多くの欧州諸国が受け入れていたためである。  しかしリトアニアは欧州諸国として初めて「台湾」の名称を冠した代表処を設立することを選択した。対台湾関係の構築において、もはや中国の顔色をうかがうことはしないという決意の表れに他ならない。  また、「台湾」の名称を用いることは台湾を国家承認することを意味するものではないため、「ひとつの中国」原則違反にはあたらない、というのがリトアニアの立場であった。同代表処はその後、11月18日には正式に開設されている。  リトアニアはさらに、台湾に累計25万本近くの新型コロナウイルスワクチンを提供。またリトアニアと台湾の要人同士の訪問も今秋以降活発に行われている。  蔡英文台湾総統も、「状況が許せば、リトアニアという勇敢な国をぜひ訪問したい」と明言している。リトアニアと台湾は、「中国という共通の脅威に立ち向かう民主主義パートナー」と互いを位置づけ、連携をアピールするようになった。
(3)
■「歴史のごみ箱にたたきこまれるだろう」
   こうした一連の動きは、中国をいたく刺激した。
   中国共産党系の新聞『環球時報』英語版は、リトアニアを非難する記事を日々更新している。小国のリトアニアは、米国の歓心を買いたいがために中国に歯向かい、台湾に接近しているというのが、その主な論調である。
   また、高圧的な発言で知られる趙立堅外交部報道官は12月20日、「ひとつの中国」原則は「国際関係における基本的な規範であり、国際社会における普遍的コンセンサス」であると強調したうえで、それを尊重しないリトアニアは「歴史のゴミ箱にたたきこまれるだろう」と切り捨てている。 ■中国が行った報復措置の数々  中国のリトアニアに対する具体的な報復措置も次第にエスカレートしていった。8月には、駐中国リトアニア大使が中国側の要求で本国への帰任を余儀なくされた。
   代表処の正式開設以降、駐リトアニア中国大使館は領事館レベルに格下げされたうえ、11月下旬以降はビザ発行などを含めた領事業務も停止された。  ほぼ同時期に、中国に輸出されたリトアニア製品が中国税関を通らなくなった。
   そして12月中旬、それまで中国に踏みとどまっていたリトアニア外交官4名とその家族は、中国当局から外交特権の剝奪をちらつかされ、全員が中国から撤退した。  当面はリトアニアの外務本省からリモートで業務を行うという。外交官らへのこうした圧力は、外交官特権に関するウィーン条約にも違反している恐れがある。
■リトアニアで製造・加工された製品は輸出を認めない
  とはいえ、ここまでの段階では、リトアニアが実質的に被った被害は限定的であったといえる。そもそもリトアニアの対中貿易は同国の貿易全体の1%前後であり、中国との2国間貿易が滞っても、同国への経済全体に影響を及ぼすほどではなかった。
   リトアニア大使館員の中国からの撤退にしろ、中国当局の厳しい監視と嫌がらせが続く中で、リトアニア人外交官らが中国で十分な外交活動ができる状況ではそもそもなかった。このまま中国にとどまれば拘束の危険もあり、引き上げはむしろ正解であったともいえる。
   ただし、その後中国が採用した措置により、リトアニアはいよいよ窮地に追い込まれつつある。
   中国は12月中旬以降、欧州諸国を中心とした多国籍企業に対し、リトアニアで製造・加工された製品を用いた場合には中国への輸出を認めないと通告したとされる。  リトアニアには、ドイツ、フランス、スウェーデンなどのEU加盟国の多国籍企業が多数活動しており、そのなかにはドイツの自動車部品大手コンチネンタルなども含まれる。同社はリトアニアの工場で、自動車の座席コントローラーなどの電子部品を製造し、中国にも輸出しているが、同社の製品も中国の税関を通過できない状況である。
(4)
■「ドイツ企業は工場を閉鎖する可能性がある」
   影響は徐々に出始めている。EU加盟国の企業の一部は中国の圧力を受け、リトアニア関連の製品の使用停止を検討しているという。
   また在バルト諸国ドイツ商工会議所は今週、リトアニア政府に対して書簡を送付し、「リトアニアと中国の経済関係回復のため、建設的な解決法が提示されるのでなければ、ドイツ企業はリトアニアにおける工場を閉鎖する可能性がある」と通知したという。
   中国だけではなくリトアニアにも、態度を改める余地があるというメッセージが、ドイツのビジネス界から発せられた意味は重い。
   リトアニアにとって、国内で稼働するドイツ企業はまさに生命線といえる。そのドイツのビジネス界が中国側に回るとなれば、リトアニア経済は完全に身動きが取れなくなる。
   欧州の企業に直接圧力をかけるという中国の手法は、EU加盟国間の分断を深く静かに進行させている。
■ここまで妨害活動をする中国の「焦り」
   中国がここまでしてリトアニアへの妨害活動を行う理由はなにか。それは、台湾への接近を検討している他の諸国に対する「みせしめ」に他ならない。
   リトアニアに続いて「台湾」代表処を開設し、台湾との関係強化を図ろうとする国が間違ってもこれ以上増えないよう、全力で阻止しようとしている。
   リトアニアの動きを今止めなければ、「ひとつの中国」原則が、中国から遠く離れた欧州の小国をきっかけに突き崩されてしまいかねないというのが中国の焦りである。
   このため、国際法違反も厭わずあらゆる手段を用いてリトアニアに圧力をかけ、台湾との関係構築を断念させようとしているのだろう。
   EUは、代表処の開設や台湾との交流の深化は「ひとつの中国」原則の違反ではない、とするリトアニアを支持している。そもそもEUでも、現在のEUの事実上の代表部である「欧州経済通商台北弁事処」を、「EU駐台湾弁事処」へと改称する動きも出ているし、2021年秋に公表されたEUのアジア太平洋戦略でも、対台湾関係の構築には積極的な姿勢を見せていた。
■一丸となって対抗する体制にはないEU
   その一方で、リトアニア製品が中国の税関でブロックされ、中国が欧州域内の多国籍企業にリトアニア製品のボイコットを強要していることに対しては、EUとして有効な対抗策をとることができていない。
   EUは、中国の一連の行動には明確なWTOルール違反がみられるとして、WTOへの提訴を検討中だが、WTOを通じた問題には多大な時間が必要とされる。
   また、中国がこうした理不尽な経済的圧力をEUに対して行使してくる可能性を念頭に、かねてEUでは独自の「反強要措置(ACI)」の策定が進んでいたが、このACIの発動までにはまだ多くのEU内部の調整を必要とするうえ、WTOルールとACIの整合性については、EU内部でも慎重な声がある。
   すなわち、EUが一丸となって中国の対リトアニア圧力に対抗しうる体制には程遠いのである。
(5)
■小国を窮地に追い込んだ中国が失ったもの
   しかし、リトアニアに対する強硬姿勢によって、中国が失いつつあるものも決して小さくないことには留意しておく必要があろう。
   例えば、2020年末にドイツのメルケル首相が主導して基本合意にこぎつけたEU・中国包括的投資協定(CAI)は、中国の人権状況をめぐって中国とEUとの軋轢が鮮明になり、欧州議会が2021年5月に凍結を決めていた。
   中国側は依然としてCAIの凍結解除を望んでいるとされるが、中国がEU加盟国への敵対行動を続ける以上、CAIの復活は絶望的である。
   さらに、この一連の中国の言動で明らかとなった中国の「小国蔑視」は、これまで中国と密接な経済関係にあった中・東欧諸国の中国離れを確実に加速させている。  チェコやスロバキア、ポーランドなどの中・東欧諸国はリトアニアに続けとばかりに、台湾へのワクチン提供や要人の相互往来を、もはや中国に臆することなく展開している。
   中国のさまざまな措置は徐々にリトアニアを窮地に追い込んでいるが、それと引き換えに中国は、かつてのような欧州諸国との良好な関係を、自ら手放しつつあるともいえるのである。

---------- 東野 篤子(ひがしの・あつこ) 筑波大学 人社系国際公共政策専攻 准教授 慶應義塾大学法学部卒業、慶應義塾大学大学院修士課程修了、英国バーミンガム大学政治・国際関係研究科博士課程修了(Ph.D)。OECD日本政府代表部専門調査員、広島市立大学国際学部准教授などを経て現職。専攻は国際関係論、ヨーロッパ国際政治。主な関心領域は、EUの拡大、対外関係、国際統合理論。著作に、『解体後のユーゴスラヴィア』(共著・晃洋書房、2017年)、『共振する国際政治学と地域研究』(共著・勁草書房、2018年)など、訳書に『ヨーロッパ統合の理論』(勁草書房、2010年)。
(筑波大学 人社系国際公共政策専攻 准教授 東野 篤子)


2021.12.15-CNN Co.jp-https://www.cnn.co.jp/world/35180879.html
UAE、米とのF35購入協議を停止 中国技術の制限に難色

  UAE・アブダビ(CNN) アラブ首長国連邦(UAE)は14日、米国製F35戦闘機の購入に向けた協議を停止すると明らかにした。米国がUAEへの中国製技術の売却を制限しようとしていることへの苛立ちの表れとみられる

  UAE当局者はCNNの取材に、「米国に対してF35調達に向けた協議を中断すると通知した」と説明。技術的な要件や独自運用の制限、費用対効果の分析を踏まえ、見直しに至ったと明らかにした。
  この当局者はさらに、米国は依然UAEにとって高度防衛装備品の優先供給国であり、将来的にF35に関する協議を再開する可能性もあると述べた。

  一方、米国務省は、ホワイトハウスはこの取引に引き続き「注力」していると説明した。米国製武器の売却はUAEとイスラエルが2020年8月に結んだ国交正常化合意の要になると見られていたが、その後、米国の政治家から懸念の声が上がり難航している。
  国防総省のカービー報道官は14日、米国はUAEと協力して両国の懸念に対処する用意があると表明。「米国とUAEのパートナーシップは一回の武器売却を超える戦略性と複雑性を持つ」と述べた。
  前日にはイスラエルのベネット首相がUAEの首都アブダビで、同国の事実上の指導者ムハンマド・ビン・ザイド皇太子と会談していた。イスラエルの指導者によるUAE公式訪問は初めて。
  米政府はUAEに対し、中国通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)を通信網から排除するよう繰り返し要請し、こうした技術が米国の兵器システムに安保上のリスクを及ぼす可能性があると主張してきた。
  一方、UAE当局者は機密漏えいの可能性に関する米国の主張に懐疑的であり、最大の貿易相手国である中国と主要な戦略同盟国である米国の間の「新冷戦」に巻き込まれることに懸念を示している


2021.12.10-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20211210-OLBQKOIL2VPZTPTLOU7QMOTGGA/
パキスタン、民主サミット出席見送り 米から招待も中国に配慮か

  【シンガポール=森浩】米国主催で9~10日開かれた「民主主義サミット」をめぐり、パキスタンは招待を受けながら参加を見送った親密な関係にある中国がサミットに反発していることから、配慮して出席を見送ったもようだ。

  パキスタン外務省は8日の声明で招待に謝意を示し、米国と連携する重要性を強調。その上で、民主主義に関する協議を「将来、適切な時期に行えると信じている」と述べ、欠席を表明した。外務省は不参加の理由を明らかにしていないが、パキスタン紙ドーンは「サミット参加は中国との関係に深刻な打撃を与えかねず、取ることのできないリスクだ」と指摘した。

  中パ関係は伝統的に緊密で、中国は巨大経済圏構想「一帯一路」関連事業を通じ、総額約620億ドル(約7兆円)の投資を予定している。中国の王毅国務委員兼外相は3日、パキスタンのクレシ外相と電話会談し、サミットについて「米国は民主主義の価値を悪用し、世界に分裂をもたらそうとしている」と強く批判していた。
  パキスタンは長年にわたって隣国アフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンを支援しており、強い影響力を持つ。米国としては、国内にはアフガン戦争の泥沼化につながったとしてパキスタンへの不信感も根強いが、米軍撤収後のアフガン安定化のために一定の関係を保ちたい状況でもある。サミット招待は関係緊密化を目指すサインだったともいえるが当てが外れた形だ。


2021.11.30-Yahoo!Japanニュース(SankeiBiz)-https://news.yahoo.co.jp/articles/4aa423f8526038a10b8afcf9e39a6a82e2b6d8d7
アジアの今 ラオス、初の高速鉄道開通で中国傾斜加速

  東南アジアの内陸国ラオスで初の高速鉄道が開通する。中国が事業費の多くを負担して建設した「中老鉄路」
  雲南省昆明への乗り入れを前提に、国境の街ラオス北部県ボーテンから首都のビエンチャンを結ぶ約420キロの鉄路だ。開通日は社会主義国家ラオスの46回目の建国の日となる12月2日。中国などから来賓を招いて盛大に式典が開催される。

  小国ラオスの鉄道建設がここまで注目されるのは、背後に中国の一帯一路が控えるからにほかならない。インド洋への経済覇権拡大を目指す中国にとって、ラオスとミャンマーを経由するルートの確保は欠かせない。ともに雲南省から鉄道を延伸させ、北京まで乗り入れさせる計画を持つ。安全保障もさることながら、貿易拡大が当面の狙いだ。
  このうち、ミャンマー・ルートについては今年2月の国軍クーデターで先行きが見通せなくなった。ラオス・ルートがにわかに現実味を帯びるようになった。既にラオスの隣国タイとは中老鉄路をさらに延伸させ、ビエンチャンのメコン川対岸ノンカイから首都バンコクを結ぶ高速新線「タイ中高速鉄道」に接続させることで合意している。実現すれば、昆明までの約1650キロの長大な国際鉄道が完成する。
  経済的な優位性は揺るぎのないものとなる。 バンコクへの乗り入れは2028年ごろになるとされるが、それまではラオスまでトラック輸送で代替させる計画。タイからはコメや鶏肉、ドリアン、さらには中国料理で欠かせないツバメの巣などが中国向けに輸出される予定だ。中国14億人の胃袋を満たす新たな生命線の一つと位置づけられている。
   一方、通過地点に陥る可能性の高いラオスだが、悲観はほとんど聞かれない。ダム建設など中国依存は高く、中国なしでは将来は語り得ないからだ。西側からは「債務のワナ」などと揶揄(やゆ)されるものの、代替策も支援もなく、声に耳を傾ける余裕もない。ひたすら中国傾斜を強めていくだけだ
在バンコクジャーナリスト・小堀晋一


2021.11.25-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20211125-AM3P4IZUWVNY3L2Q4BPTIQ3PEU/
米、リトアニア支持鮮明 台湾との関係強化後押し

  【ワシントン=大内清】バイデン米政権が、台湾当局の大使館に相当する「台湾代表処」の開設を認めたリトアニアへの支持を鮮明にしている。24日にシャーマン国務副長官が首都ワシントンでリトアニアのランズベルギス外相と会談。前日には両国高官らが「インド太平洋戦略対話」を行い、代表処開設をめぐりリトアニアとの外交関係の格下げを発表した中国に対抗する姿勢を示した。

  戦略対話でバイデン政権は、リトアニアを北大西洋条約機構(NATO)の同盟国としてのみならず、地理的には遠く離れたインド太平洋地域におけるパートナーだと強調。貿易や投資、安全保障、サイバーなどの各分野で連携を強化することでも一致した。名指しこそ避けているものの、リトアニアへのさらなる報復措置が予想される中国を念頭に置いたものであることは明らかだ。
  またシャーマン氏は会談で、「リトアニアがインド太平洋で民主主義勢との結びつきを拡大するのを支持する」と述べ、同国と台湾の接近を後押しした。
  リトアニアは中国と国交を持ち、台湾とは外交関係がないが、近年は香港での民主派弾圧や新疆ウイグル自治区での人権侵害などで中国を批判し、台湾との関係を強化。旧ソ連末期に民主化運動を経て独立を達成した歴史も、中国の権威主義体制への反発と、威圧を受ける台湾への共感の背景にあると指摘される。
  そうした中、台湾当局は今月18日、欧州で初めて「台湾」の表記を冠した出先機関「駐リトアニア台湾代表処」を同国の首都ビリニュスに設置これに猛反発する中国は21日、リトアニアとの外交関係を「大使級」から「代理公使級」に引き下げると発表した。

  その直後のタイミングでバイデン政権がリトアニアへの支持を鮮明にさせたのは、台湾との関係強化に動く国々に向けて「見捨てることはない」とのメッセージを送るために他ならない。また、ロシアの後ろ盾を受けて欧州連合(EU)との対決姿勢を強めているベラルーシと隣接するリトアニアを支えることは、地域の安定維持にとっても大きな意味を持つ。

  バイデン政権は来月9~10日に開催する「民主主義サミット」に台湾やリトアニアを含む約110カ国・地域を招待。権威主義や腐敗、人権侵害などとの戦いをテーマとした協議を通じ、民主主義陣営の連帯を強化したい考えだ。


2021.11.25-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20211125-KHWRFZLFWRITZFCOWLPMNAA6Q4/
女性首相「半日」退陣劇に衝撃 スウェーデン

  【ロンドン=板東和正】スウェーデン議会で同国初の女性首相に選出された社会民主労働党党首のアンデション首相(54)が24日、就任から半日足らずで辞任した。同党と連立を組む中道左派、緑の党が政権を離脱したことを受け、アンデション氏が辞意を表明。異例の退陣劇に衝撃が走っている。

  スウェーデン議会は24日、財務相を務めていたアンデション氏の新首相就任を承認し、近く新内閣が正式発足する見通しだった。
  しかし、選出後の予算審議で、議会が連立政権の予算案支持を拒み、野党側が出した代替案を可決。これに緑の党が反発し、連立政権離脱を決めたことでアンデション氏が辞任を発表した。英BBC放送によると、就任後、わずか数時間後の辞任だったという。
  アンデション氏はBBCなどに「連立政権は、1党が離脱した場合には(首相が)辞任するという憲法上の慣例がある」と辞任理由を説明。「正当性に疑問を持たれるような政権は担いたくない」と述べた。


2021.11.03-SankeiBiz-https://www.sankeibiz.jp/macro/news/211103/mcb2111030640003-n1.htm
イランとサウジ、対立深刻化 レバノン閣僚発言に飛び火

  【カイロ=佐藤貴生】中東レバノンの閣僚がイエメン内戦をめぐってイラン寄りの発言をしたとして、サウジアラビアやペルシャ湾岸諸国が駐在するレバノンの大使を国外退去させるなど外交問題に発展している。イスラム教スンニ派のサウジとシーア派のイランは中東で勢力争いを展開しており、双方の対立がレバノンに飛び火した格好だ。

  発端は10月下旬、レバノンのテレビ局が放映した同国のコルダヒ情報相の発言。ロイター通信によると、サウジなどが2015年から軍事介入し、親イランの民兵組織フーシ派と戦うイエメン内戦について「無益な戦いだ」とし、フーシ派は「自衛」の戦争を強いられていると述べた。

  レバノンのミカティ首相は、コルダヒ氏の発言は閣僚就任前の8月時点のもので、政府の立場を反映したものではないと強調。しかし、サウジは「屈辱的だ」として自国に駐在するレバノン大使を国外退去させ、在レバノンの外交団を呼び戻した。アラブ首長国連邦(UAE)やバーレーン、クウェートなどスンニ派の湾岸諸国も同様の手段を取った。サウジはレバノンからの輸入も全面禁止した。

  レバノンでは民兵組織や政党を持つ親イランの「ヒズボラ」が影響力を強めており、「サウジは反撃の機会を狙っていた」(レバノンの30歳の記者)との見方もある。コルダヒ氏は辞任を拒否しており、9月に発足したばかりのミカティ政権は対応に苦慮している。
  レバノンは約200人が死亡した昨年8月の大規模爆発以降、政治の空転が続き、停電やガソリン不足が深刻化。国民の半数以上が貧困下で暮らしている。10月中旬には首都ベイルート市街で宗派対立による銃撃戦も発生しており、政情不安に拍車がかかる恐れもある


2021.10.31-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20211031-IH7WYZJZPVNBBCDNYVRFO3CZUU/
モルドバと露ガス企業、供給延長で合意 危機回避

  【モスクワ=小野田雄一】東欧の旧ソ連構成国、モルドバとロシア国営ガス企業ガスプロムは31日までに、天然ガス供給契約を5年間延長することで合意した。合意に達しなかった場合、モルドバがガスを100%依存してきたロシアからの供給が11月にも止まる可能性があったが、延長合意でモルドバのガス危機はひとまず回避された。

  両者のガス供給契約の延長交渉は今年、世界的な天然ガス価格の高騰で難航。9月末の契約終了の直前、両者はモルドバが天然ガス1千立方メートル当たり790ドル(約9万円)を支払う条件で1カ月間の延長に合意した。しかし、その後の交渉でも価格面や条件面で折り合いがついていなかった。
  タス通信によると、11月の契約額は1千立方メートル当たり450ドル。その後は市場価格などに応じて価格を調整する。モルドバはガスプロムに数億ドル規模とされる過去の未払金も支払う
  モルドバでは昨年、親露派のドドン大統領から親欧米派のサンドゥ大統領に政権が移行。欧州連合(EU)などはロシアがガス交渉を通じてサンドゥ政権に圧力をかけているとみてロシアを批判。ロシア側は政治的思惑を否定していた。


2021.10.8-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20211008-3FE4NJAETNLM5KSAIMFDSWZI5Y/
ドゥテルテ政権批判「沈黙は共犯」マリア・レッサ氏

  【シンガポール=森浩】ノーベル平和賞の受賞が8日決まったフィリピンのジャーナリスト、マリア・レッサ氏(58)は米CNNテレビのマニラ支局長などを経て2012年、ニュースサイトラップラー」を共同創業した。ロイター通信によると、レッサ氏は同日午後に受賞決定の報告を受け、「言葉を失った」と語った。
  フィリピンでは16年に発足したドゥテルテ政権が超法規的な麻薬撲滅作戦などを展開した。レッサ氏は「沈黙は共犯である」として強権を前にしてジャーナリストが声を上げなければ、黙認したことと同様だと主張。強引な麻薬撲滅作戦で市民に多数の死者が出ている実態などを報じた。

  ドゥテルテ氏はラップラーを目の敵としており、「フェイク(偽)ニュース媒体」などと指摘して不快感を隠していない。レッサ氏は19年には、過去の報道を理由に「サイバー名誉毀損(きそん)」容疑で摘発された。批判的な報道によって政権の標的となったとする見方が強い。ラップラー自体にも締め付けの思惑から脱税容疑が掛けられた。
  それでもレッサ氏は批判の手を緩めなかった。20年に令状なしで長期間の逮捕・拘留を可能とする「反テロ法」が施行された際には、「(政府に対して)批判的な意見をいう人がテロリストとして認定される」と反発した。
  18年には真実を追求するジャーナリストとして、米タイム誌の「パーソン・オブ・ザ・イヤー(今年の人)」にも選ばれた。
  急速に普及が進む会員制交流サイト(SNS)についても関心を持ち、「怒りや憎しみを含んだ嘘はより速く、より遠くまで広がると指摘。ネット上にフェイクニュースが蔓延(まんえん)する事態に警鐘を鳴らしている。


2021.10.02-NHKNEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211002/k10013288281000.html
比ドゥテルテ大統領 政界引退へ 副大統領選挙の立候補取りやめ

  来年任期満了を迎えるフィリピンのドゥテルテ大統領は2日、政界を引退する意向を明らかにし、予定していた副大統領選挙への立候補を取りやめる考えを示しました。フィリピンでは来年5月、大統領と副大統領を選ぶ選挙が行われる予定で、1日から立候補の受け付けが行われています。

  任期満了を迎えるドゥテルテ大統領は、憲法で再選が禁じられていることから副大統領選挙に立候補する意向を示していましたが、2日、政界を引退する意向を明らかにし、副大統領選挙への立候補を取りやめる考えを示しました。
  この中でドゥテルテ大統領は「副大統領への立候補は憲法の精神に反し、私はふさわしくないとする国民の声がある。その求めに従い、私は政界を引退する」と述べました。
  大統領選挙をめぐってはこれまでに国民的な人気を誇る元プロボクサーのマニー・パッキャオ氏などが届け出ているほか、ドゥテルテ大統領の長女で、南部ダバオ市の市長を務めるサラ・ドゥテルテ氏などの立候補が取り沙汰されています。
  ドゥテルテ大統領の立候補については、サラ氏が大統領に就任すれば「親子による政権独占になる」との批判も高まっていて、専門家や地元メディアからは今回の判断でサラ氏の立候補を後押しするねらいがあるとの見方も出ています。
首都マニラの市民は
  ドゥテルテ大統領が政界を引退することを表明したことについて、首都マニラの市民からは驚きとともにさまざまな意見が聞かれました。このうち、30歳の男性は「とてもかわいそうに思います。副大統領になって欲しかったし、私たちにはドゥテルテ大統領が必要です」と話していました。また、27歳の男性は「ドゥテルテ大統領が進めてきた政策が続くのであれば、政界の引退自体は問題ないと思います」と話していました。一方で、32歳の女性は「もう彼の任期は終わりですし、他の人にチャンスを与えてほしいです。そうすることで、高齢のドゥテルテ大統領も休息がとれるでしょう」と話していました。


2021.09.26-WEDGE Infinity-https://wedge.ismedia.jp/articles/-/24166#google_vignette
中国によるアフガン進出を左右するパキスタン情勢
(1)
  8月30日(日本時間31日)、米中央軍のマッケンジー司令官は、米軍のアフガニスタンからの撤退が完了した旨を述べた。2001年9月11日の米国同時多発テロをきっかけに、アフガニスタンに介入した米軍及びNATO諸国軍だったが、20年にわたる軍事行動や民主化運動が正式に幕を閉じることになった。
  8月15日のタリバンによるカブール陥落前後から、米軍始めNATO諸国は、自国民及び協力アフガン人を退避させる行動をしてきたが、その間も、カブールが混乱状況にあったのみならず、26日にはカブール国際空港周辺で大規模な自爆テロが発生した。「IS-K」と名乗るISの一派が犯行声明を出した。
  今後、タリバン政権が支配するアフガニスタンは再びテロの温床になってしまうのだろうか。

  この8月の国連安全保障理事会では、今年4月からの間にタリバン、アルカイダやISILなど20のグループによってアフガニスタンの34の内31の地区で計5500回にわたる攻撃が行われていたことが報告された。
  今年初めの米国議会では、バーンズCIA長官が、現在はアルカイダやISILは米国本土を攻撃する力はないが、米軍が撤退すると、情報を収集し、必要な対応策をとるのが難しくなるのは事実であると警告した。今後、いかに正確な情報を早く収集し、危険を察知した場合にいかに早急に行動を起こせるかの体制をどのように築けるかが課題となる。トランプの合意、バイデンの撤退は、この体制を築くのをより困難にしたかもしれない。
  アフガニスタンは、6か国(中国、イラン、パキスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン)と国境を接している。既に、タリバンに積極的にアプローチしている中国は、米軍撤退後、アフガニスタンにさらなる影響力を行使するのだろうか。
  米軍のアフガニスタンからの撤退は、中国対策に集中するためという目的もある。しかし、中東でも米軍の縮小が中国の存在感を増しているように、アフガニスタンからの米軍撤退が逆にアフガニスタンから中東にいたるまで中国が勢力を伸ばす結果になることも懸念されている。
(2)
  中国は米軍の存在がアフガニスタンにもたらしていた一定の治安を利用し、着々と投資機会を探り、タリバンとの関係を築いてきた。すでに石油や天然ガス開発に投資してきたが、米軍撤退後は経済支援の代償にリチウムやコバルトなど産業資源の開拓権利を狙っている
  また、アフガニスタンは、中国が主導する「一帯一路構想(BRI)」で、中央アジアから中東、欧州を結ぶ要所である。BRI最大のプロジェクトである中国・パキスタン経済回路とカブールをつなぐ道路建設計画もあり、資源開発やインフラ整備が実現すれば中国の覇権の動脈となるBRIは大きく前進する。
  中国が米軍撤退の恩恵をうけるかは、ウイグル分離派組織である東トルキスタン・イスラム運動が活性化するか、そしてアフガニスタンやパキスタン内の治安にかかっているといえる。
パキスタンの動きにも注視を
  アフガニスタンと南の国境を接するのがパキスタンである。2011年にウサマビン・ラディンは、パキスタンに隠れていたところを米軍の特殊部隊によって殺害された。かつて米国がテロ対策を「AFPAK政策」と呼び、アフガニスタンとパキスタンを重視したのは、両国がテロの温床にならないように安定した国家になってほしいとの願望からだった
  実は、そのパキスタンは、アフガニスタン以上に将来の不安を抱えていると見ることも出来る。Chayesらアフガニスタンの専門家によれば、タリバンはそもそもパキスタンの軍と軍統合情報局(ISI)が作ったものである
  ソ連のアフガニスタン撤退後、西側からの豊富な武器を持った部族間の衝突が続きアフガニスタンは内戦状態だった。パキスタンはパシュトゥンの中でもイスラム原理主義者を支援し、アフガニスタンの内戦、特に国境沿いを鎮静化することで、パキスタン軍がカシミールでのインドとの戦いに専念することが可能になると計算した。
  パキスタン政府や軍、ISIはこれまでアフガニスタン・タリバンとパキスタン・タリバンを分けるような発言をしてきたが、両者は同じコインの表裏であるとされ、米国のアフガニスタン撤退でタリバンがアフガニスタンで勢力を得れば、パキスタン・タリバンも勢いを復活させ、再び北西部を中心にパキスタン情勢をさらに不安定にする危険がある。
  米国がアフガニスタンから撤退した後、タリバンやイスラム組織が再びアメリカ国内でテロを起こす可能性はゼロとは言えない。しかし、アフガニスタンやイラクでの「永遠の戦争」を忘れたく、新型コロナウイルスで精神的・経済的に疲弊し、分断が改善されないアメリカでは、首都ワシントン以外では、撤退騒動もアフガニスタンも比較的早く忘れられるかもしれない。それは、最近のバイデン政権への支持率低下の理由が、アフガニスタン撤退以上に、コロナや経済政策に向けられている点からもわかる。


2021.08.23-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20210823-NFOBFDBJGVPGZPNNBK4F3FBQCM/
アフガン混乱 米への不満くすぶる欧州

  【ロンドン=板東和正】アフガニスタン情勢の混迷を受け、駐留米軍の撤収を急ぐバイデン米政権への不満が欧州の同盟国でくすぶっている。撤収をめぐる米欧の連携不足も指摘され、同盟重視を掲げるバイデン政権への不信感にもつながりかねない。

  北大西洋条約機構(NATO)は20日、アフガンの首都カブール陥落後初めて臨時外相会議を開いて対応を協議。終了後の声明では、今後も連帯してテロと闘う意思を表明するなど、同盟の結束を強調した。

  ただ、欧州ではイスラム原理主義勢力タリバンによる実権掌握前から米国の早期撤収への懸念が強まっていた。ウォレス英国防相は13日、米国が撤収方針を決めたタリバンとの合意を「腐敗した取引」と批判。「アフガン政府を弱体化させる」と警告した。

  同盟国の間では、20年間取り組んできたアフガンの民主化が失敗したことへの落胆は大きい。中国やロシアといった権威主義国家が政治宣伝に利用していることも踏まえ、ウォレス氏は19日、「欧米の決心が敵国に脆弱とみなされるのは不愉快だ」と述べた。
  英下院では緊急に行われた討議で与野党議員が「米軍撤収は完全な誤り」などと非難。ドイツでも「米国の致命的な判断ミス」(レトゲン下院外交委員長)などの声が上がった。
  欧州では混乱によるアフガン難民増加への警戒も強い。2015年にはシリア内戦のため100万人以上の難民が押し寄せた経緯があるだけに、フランスのマクロン大統領は「難民流入から(国を)守らなければならない」と訴えた。
  欧州諸国は、「米国第一」主義を掲げ同盟を軽視したトランプ前米政権との関係に苦労した。バイデン政権は欧州との関係修復に努めてきたが、今回の対応を受け、バイデン政権にも「単独主義」(英与党・保守党の幹部)との批判が出ている。

  ドイツ・メディアによると、メルケル独首相は与党の内部会合で、米国の撤収方針について「米国の国内政治が理由だ」と述べた。
  一方、英メディアによると、米国が4月に完全撤収を宣言した後、英国は駐留継続を呼びかけたが、同盟国の大半が米抜きの駐留に難色を示し、NATO主導の国際部隊も撤収を決めた。NATOのストルテンベルグ事務総長は20日、「米抜きでアフガンに残ることは現実的な選択肢ではなかった」と語った。


2021.08.12-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/3f0b7a52024e48376d6c77ce7f8fa22e37f9092d
スイス、中国偽ニュースに異例の批判 架空の学者引用

  在中国スイス大使館は、中国メディアが新型コロナウイルス報道で、架空のスイス人生物学者を引用して「偽ニュース」を流していると指摘し、削除を求める声明を発表した。

  声明は、大使館のツイッターで12日までに発信された。世界保健機関(WHO)が求める新型コロナの起源調査に疑義を示した「ウィルソン・エドワーズ」という人物について、「存在するなら、会ってみたい! これは偽ニュースだろう」と明記

  スイスでは、同名の住民登録はないとしている。 この人物は、中国国営中央テレビの国際放送CGTN、人民日報系の英字紙グローバル・タイムズなどに登場した。
  WHOが7月、中国でウイルス起源をめぐる追加調査の実施を提案したのを受け、フェイスブックやツイッターでWHOの独立性に懸念を提示したと報じられた。
  記事中、WHO関連の学者が米国から「強い圧力と脅し」を受けているとも発言している。 WHOのテドロス事務局長は武漢などで追加調査を行うため、中国に協力を求めたが、中国政府は応じていない。(パリ支局 三井美奈


2021.07.30-SankeiBiz-https://www.sankeibiz.jp/macro/news/210730/mcb2107300548003-n1.htm
イスラエル製スパイウエア、世界で被害 仏大統領も

  【カイロ=佐藤貴生】台湾で要人らの無料通信アプリ「LINE(ライン)」のハッキングに使われたとみられるスパイウエア「ペガサス」は、イスラエルの企業NSOが開発したものだ。不正使用により各国の政府関係者や記者、人権活動家ら多数へのハッキングに使用されていた可能性が浮上し、国際的な問題になっている。

  スパイウエアはスマートフォンやパソコンを感染させると所有者が気づかないうちに電子メールや写真、通話記録などの情報が入手できるソフトウエア。NSOは「犯罪者やテロリストを追跡するもので、人権面で問題のない国の政府に提供してきた」としている。

  不正使用疑惑は今月中旬、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルなどがハッキングの対象になった可能性がある5万件の電話番号リストを入手し、米紙ワシントン・ポストなど世界の17メディアが共同調査を行って表面化した。イスラエル政府は輸出制限も視野に調査に乗り出している。

  共同調査の結果、フランスではマクロン大統領のスマホから情報が抜き取られた可能性が判明し、同氏はスマホを交換した。イスラエル政府は28日、仏政府にペガサスの輸出状況などに関する暫定調査結果を示し、「(疑惑を)深刻に受け止めている」と述べた。

  2018年に在トルコのサウジアラビア総領事館で殺害された反体制サウジ人記者、ジャマル・カショギ氏の婚約者のスマホも監視されていたとされる。記者殺害にはサウジ高官が関与したとされ、サウジでは人権活動家の女性も監視対象になっていた。
  インドでは閣僚や野党指導者らのスマホなど300件が標的になったとされている。パキスタンのカーン首相やモロッコ国王のモハメド6世らも監視対象だった可能性がある。誰が仕掛けたかは不明だが、インドやメキシコ、中東諸国で不正使用された事例が多い。

  このほか、アラブ首長国連邦(UAE)ドバイ首長国の王女英紙フィナンシャル・タイムズの女性編集幹部メキシコやハンガリーの記者らも、監視されていた疑いがあるという。


2021.07.30-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20210730-N3U4ORUMMFNXVPLKROBQ7CUHEY/
比、米軍地位協定の破棄を撤回 中国への懸念を共有

  【シンガポール=森浩】フィリピンのロレンザーナ国防相は30日、国内で米軍の活動を可能にする訪問軍地位協定(VFA)」の破棄撤回を決めたことを発表した一方的に協定破棄を宣告していたドゥテルテ大統領が方針を変更した。両国の同盟に決定的な亀裂が生じる事態は回避された形で、中国が実効支配を強める南シナ海情勢にも影響を与えそうだ。

  破棄撤回はフィリピンを訪問したオースティン米国防長官との共同記者会見でロレンザーナ氏が明らかにした。協定はフィリピン国内での合同軍事演習などを可能にしており、失効すれば米国の地域での存在感低下は避けられない状況だった。会見でオースティン氏はフィリピン側に謝意を示し、「強固な同盟関係はインド太平洋地域の安定と繁栄に不可欠だ」と述べた。

  協定をめぐっては、ドゥテルテ氏が2020年2月に破棄を一方的に通告強権的な「麻薬撲滅戦争」を指揮した自身の側近に対し、米国が入国ビザ(査証)を取り消したことへの対抗措置とされる。その後、協定の失効日は複数回延長されたが、米比関係にすきま風が吹く形となった
  その間、中国は南シナ海での実効支配を強化。今年3月にはフィリピンの排他的経済水域(EEZ)内に約220隻の中国船団が停泊した。一貫して対中融和姿勢を示してきたドゥテルテ氏だが、米軍との協定を維持することで海洋進出を強める中国を牽制(けんせい)したい思惑が働いたもようだ。


2021.07.20-日刊スポーツ-https://www.nikkansports.com/general/news/202107200000436.html
ケイコ・フジモリ氏敗北 急進左派候補が接戦制す ペルー大統領選決選投票

  大接戦となり決着していなかったペルー大統領選決選投票は19日、アルベルト・フジモリ元大統領(82)の長女ケイコ・フジモリ氏(46)の敗退と、急進左派ペドロ・カスティジョ氏(51)の勝利が決まった。選挙管理当局が発表した。

  フジモリ氏は発表に先立ち「結果を認める」と話した。3度目の出馬だったが、ペルー初の女性大統領や日系父娘2代で政権を担うという悲願は達成できなかった。
  カスティジョ氏はペルーが独立200周年を迎える7月28日に就任、任期は5年。6月6日実施の決選投票はカスティジョ氏が約4万4000票上回ったが、フジモリ氏が「不正」を主張したため、選管当局が精査し決着が遅れていた。

  カスティジョ氏は当選発表後、フジモリ氏に対し「国の前進のために、障壁を築くのをやめよう」と融和を訴えたが、地元政治アナリストはフジモリ氏が野党として議会でカスティジョ氏の政権運営の妨害を図る可能性があるとみている。
  フジモリ氏は新自由主義的経済政策や治安強化など父の元大統領の政策をなぞり都市の富裕層の支持を得たが、人権侵害事件で服役中の元大統領の強権政治再来を嫌う「反フジモリ層」を切り崩せなかった。当選すれば元大統領を恩赦するとしていた。自らも選挙前に汚職事件で起訴され、非難を浴びた。

  北部の村の小学校教師で貧困層が支持基盤のカスティジョ氏は、4月の第1回投票で首位に立った。資源の国有化など経済政策が左傾化するのではないかとの懸念や、左翼ゲリラとの関連が取り沙汰された。しかし腐敗政治を批判し教育や福祉の拡充を約束、大企業を利すると主張する現憲法の改正を訴え、地方から広範な支持を得た。
  決選投票の最終集計ではカスティジョ氏の得票率が50・13%、フジモリ氏は49・87%だった。(共同)


2021.07.20-Yahoo!Japanニュース(NNN co.jp)-https://news.yahoo.co.jp/articles/a01f780d10b7cd87c3815fe1873e33a44bdfa0dc
中国のサイバー攻撃関与、米欧・日本などが一斉非難

  ワシントン(CNN) 米マイクロソフトの電子メールシステムに対する大規模ハッキングやランサムウェア(身代金要求ウイルス)などの相次ぐサイバー攻撃をめぐり、米国や欧州、アジアの同盟国が19日、中国を非難する声明を一斉に発表した。

  米ホワイトハウスや同盟国政府が一斉に行った発表では、中国国家安全省が一連のサイバー攻撃に関与したと断定。同省が「犯罪契約ハッカー」を利用して、私利私欲狙いの不安定化活動を世界各地で実行させたとして非難した。
  米政権はさらに、米国内の標的を狙ったランサムウェア攻撃にも中国が関与したと断言した。
  こうした攻撃について米政権高官は、「多額の身代金要求」を伴っていたと述べ、中国の身代金要求は「数百万ドル」規模だったとしていた。
  一連のサイバー攻撃は、米大手エネルギー産業や食品製造業界に存在する重大な弱点を露呈させた。米バイデン政権はこうした攻撃の再発防止に向けた対抗措置に乗り出しており、中国政府の関与を発表したことでさらに攻勢を強めた形だ。
  ただ、米政府は19日の発表の一環として中国政府に対する新たな制裁を科すことは見送った。米当局者は、「(中国に)責任を取らせるためのさらなる行動を排除しない」としている。
  バイデン大統領は19日、中国に対する追加制裁を盛り込まなかった理由について、「具体的に何が起きたのかを見極めているところだ。まだ捜査は終わっていない」と説明した。
  米司法省は19日、2011~18年にかけて米内外の企業や大学、政府機関のコンピューターシステムに不正侵入した罪で、サンディエゴの連邦大陪審が中国籍や中国在住の4人を起訴したと発表した。 声明には米国と機密情報を共有する「ファイブアイズ」構成国の英国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダのほか、日本や欧州連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)も加わった。


2021.07.07-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20210707-YZZODAFYKVKU3GQJFTHPOKUVUY/
ロシアがエストニア領事を一時拘束 対欧米圧力の一環か

  【モスクワ=小野田雄一】ロシア連邦保安局(FSB)は6日、ロシアの機密資料を取得しようとしたとして、第2の都市サンクトペテルブルクにあるエストニア総領事館のラッテ領事を拘束したと発表した。エストニア外務省は「根拠がなく、違法な拘束だ」と反発した。インタファクス通信などが伝えた。

  ロシアと欧州の間では最近、ロシアが欧米側外交官への圧力を強める一方、イタリアやチェコ、ブルガリアなどが露外交官による違法活動を非難するなど、外交的対立が深まっている。今回の拘束もロシアによる欧米側への外交圧力の一環である可能性がある。
  同通信によると、ラッテ氏は同日、サンクトペテルブルク工科大学での会合に出席し、露国民から機密資料を受け取ったとして拘束された。エストニア外務省は、ラッテ氏は1時間半後に解放されたとし、「ロシアが隣国との友好関係に関心がないことを示す新たな一例だ」と非難した。
  ラッテ氏は今後、ロシアから国外退去を命じられる見通し。エストニアも報復措置を取る可能性が高い。

  ロシアは4月、同様の容疑でウクライナ領事を一時的に拘束した後、国外追放処分としたほか、米国が4月に発動した新たな対露制裁の報復として米外交官10人も国外追放した。2月にも無許可の反プーチン政権デモに参加したとして、在露大使館などに勤務するドイツとポーランド、スウェーデンの3カ国の外交官を国外追放としていた。



ボンボン・マルコス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  フェルディナンド・ロムアルデス・マルコス・ジュニアFerdinand Romualdez Marcos Jr.、通称:ボンボン・マルコス(Bongbong Marcos)、1957年9月23日 - )は、フィリピンの政治家。かつて北イロコス州知事や下院議員、上院議員を務めた。実父はフィリピンの元大統領のフェルディナンド・マルコス、実母はイメルダ・マルコスである。
来歴
  1957年マニラ首都圏マニラ市でフェルディナンド・マルコス(シニア)とイメルダ・マルコスの長男(第二子)として生まれる。1970年イギリスに送られ、ウェスト・サセックスのワース・スクールに入学した。その後、オックスフォード大学セント・エドモンド・ホールに入学。ここで哲学・政治学・経済学コース(PPE)を学び、学士号を取得したと言われていたが、実際は虚偽で、非卒業者に渡される「特別卒業証書」を取得していた。その後、アメリカ合衆国フィラデルフィアペンシルベニア大学ウォートン・スクール経営学修士課程に進学するも修了しないままフィリピンに戻った。

  1980年、当時フィリピンを統治していた新社会運動の下、無投票で北イロコス州副知事に就任した。その後、1983年に州知事に就任した。1986年エドゥサ革命で、父・シニアが打倒されたため、フィリピンを離れてアメリカ合衆国ハワイ州亡命して移住生活をした。
  シニアが1989年にハワイ州で死去した後、コラソン・アキノ大統領はマルコス家の帰国を許可し、一家はフィリピンに戻った。権力基盤の再構築を開始し、1992年から1995年には北イロコス州第2区地区選出の下院議員を務め、1998年には再び北イロコス州知事に正当な選挙による当選で就任した。
  2010年上院議員に当選したが、2015年8月26日のテレビ番組内で、大統領選挙への出馬を示唆し、その後2016年フィリピン大統領選挙において副大統領候補として出馬し、エドゥサ革命のことを隠して、漫画を使った自伝で選挙戦を展開したが、対立候補のレニー・ロブレドに敗北した。
  2021年10月5日、自身のフェイスブック上で2022年フィリピン大統領選挙に出馬することを表明した。その後、11月13日には現職ロドリゴ・ドゥテルテ大統領の娘でダバオ市長のサラ・ドゥテルテが、大統領選挙への立候補を取りやめ、副大統領選挙に立候補し、マルコスと連携することを発表した。


エドゥサ革命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  エドゥサ革命とは、1986年2月22日フィリピン軍改革派将校のクーデター決起から25日アキノ政権樹立に至るまでフィリピンで発生した革命である。
  「エドゥサ(EDSA)」は、マニラ首都圏にあるアギナルド空軍基地国防省が同居)が面するエドゥサ通り のことを指す。この革命では、フェルディナンド・マルコス政権に抗議する100万の群衆がエドゥサ通りに集まった。エドゥサ通りは少なくとも3回、革命や大規模な抗議活動・デモの舞台となっており、いつ起こったものか判別できないので、エドゥサ革命という名称はフィリピンでも、あまり使われない。
  「フィリピン2月革命」「フィリピン市民革命」「2月政変」とも呼ばれることもあるが、フィリピンでは「ピープルパワー革命、単にピープルパワーという愛称で呼ばれることが最も多い。またコラソン・アキノの選挙時のシンボルカラーであった黄色から「黄色革命」とも呼ばれる。
背景
マルコス独裁
  1965年に大統領に就任したフェルディナンド・マルコスは、ベトナム戦争へのフィリピン軍の派遣を行う他、東南アジア条約機構 (SEATO) において中心的な役割を果たすなどなど冷戦下において反共産主義の姿勢を強く掲げ、アメリカ日本韓国南ベトナムなどの西側諸国との関係を強化する傍ら、国内産業の工業化と西側自由世界の貿易自由化を推進し、フィリピン経済の安定化に貢献した。この様な実績が評価されたこともあり、1969年に行われた選挙で再選を勝ち取った。
  しかしマルコス政権はその後独裁の様相を強め、1972年9月21日には、「布告No.1081」によって、フィリピン全土に戒厳令を布告した。この戒厳令により憲法は停止され、1973年には戒厳令の布告中に、大統領職と首相職を兼任することを認める議院内閣制の新憲法を制定、さらに1976年には暫定議会選挙まで両職を兼任できるように憲法改正を行う。
  このようなマルコス大統領による独裁支配に反対する野党勢力の中心人物のベニグノ・アキノ(ニノイ・アキノ)らの有力者は次々に拘束され、その多くはアメリカなどの海外への亡命を余儀なくされた。
ベニグノ・アキノ暗殺
  亡命先のアメリカで、反マルコス活動を続けていたベニグノ・アキノは、その後大統領選挙への立候補を行うためにフィリピンへの帰国を決断し「帰国した場合、命の保証はできない」とマルコス大統領から警告を受けていたにもかかわらず、1983年8月21日に亡命先のアメリカから中華民国中正国際空港経由で帰国した。しかしマニラ国際空港に搭乗機が到着し、警護役のフィリピン軍兵士に機内から連行されボーディングブリッジ脇の階段を降りた直後に射殺された。
  この暗殺事件は、世界的にマルコス大統領に対しての非難を呼ぶとともに、国内においてくすぶっていた反マルコスの機運を爆発させることになった。実際に、それまで散発的な行動でしかなかった反マルコス運動が、一夜にしてフィリピン全土を覆うようになり、マルコス大統領の独裁体制のみならずイメルダ夫人の豪勢な生活スタイルや、一族による汚職にまで非難が集中するようになった。
  アキノ暗殺事件では、多くのフィリピン国民がマルコス大統領自身が直接関与していないにせよ、隠蔽工作には関わっていると考えていた。1985年に暗殺事件の容疑者として起訴された、国軍参謀総長のファビアン・ベール大将らの無罪判決は、裁判の公正性への疑問と共に、この考えをより強くさせるものだった。
内政の混乱
  反マルコスデモの頻発に象徴される、フィリピン全土に波及し始めた政情不安は、アメリカ合衆国日本などの友好国の注目をひき、世界からの観光客減少や外資による投資を敬遠させた。翌年には経済のマイナス成長が始まり、フィリピン共和国政府の振興策も効果がなかった。失業率は1972年の6.30%から1985年には12.55%まで増大した。
  さらにマルコス大統領自身も、腎臓疾患のために政務に支障が生じ、閣議に欠席する日が続く。この頃にはイメルダ夫人が政務を取り仕切るようになり、取り巻きたちは、バターン原子力発電所建設に象徴される、意図的に杜撰なプロジェクトなどで汚職を繰り返し、これに対する国民の不満は爆発し、フィリピン国内で反マルコスデモと警官隊の衝突が相次ぐようになった。
  フィリピン全土が内乱状態に陥るような事態は、フィリピンにアメリカ軍基地を持ち、冷戦下における軍事上の拠点としても重要視していたアメリカ合衆国連邦政府としては、絶対に避けたいものだった。ロナルド・レーガン大統領もマルコス大統領に対し、「ベニグノ・アキノ・ジュニア暗殺事件に対する責任がある」といって非難を強めるようになった。このような状況下で、アキノの暗殺後にその遺志をつぐことになった妻のコラソン・アキノ(コリー)が、反マルコス派のシンボル的な存在としてにわかに注目の人となる。
革命
不正選挙
  このような状況下に置かれたマルコス大統領は、国民の不満を解消することや国際社会からの非難をかわすことを目的に、まだ任期が残っていたにもかかわらず、1986年初頭に大統領選挙を行うことを発表した。そこに立候補したコリーは徹底して反マルコスキャンペーンを行い、フィリピン全土を回って支持を訴え国民の大多数の支持を訴えた。
  大統領選挙中、マルコス支持派は「マルコス・パ・リン(まだマルコスに大統領を続けてほしい)」と、対抗するアキノ派は「タマ・ナ(もううんざり)」、「ソブラ・ナ(やりすぎだ)」と応酬を繰り返した。
 1986年2月7日に投票が行われ、開票の結果、民間の選挙監視団体「自由選挙のための全国運動(NAMFREL)」や公式な投票立会人らが、「最終得点はアキノが約80万票差で勝利した」と示したものの、マルコス大統領の影響下にあった中央選挙管理委員会の公式記録は「マルコスが160万票の差で勝利した」と発表した。
非難と造反
  マルコスによるあからさまな開票操作は、野党連合のみならず、フィリピンに大きな影響力を持つカトリック教会アメリカ合衆国連邦政府からも非難を浴び、コリーと支持者たちは「明らかな不正選挙が行われた」として、これを受け入れず抗議を行った。多くの国民が貧富の差を超えて同調し、人々は右手親指人差し指 L (laban、タガログ語:闘い)の指文字を掲げ、“闘うぞ”とアピールした。フィリピン国内各地では、コリーのシンボルカラーであった黄色のシャツを着た人々による反マルコスデモが沸き起こり、マニラでは100万人がエドゥサ通りを埋めた。
  2月22日には、選挙結果に反対するフアン・ポンセ・エンリレ国防相やフィデル・ラモス参謀長らが決起し、「マルコスをもう大統領とは認めない」と表明し、国防省のあるアギナルド空軍基地(フィリピン独立革命に功績のあったエミリオ・アギナルドにちなむ)に篭城するなど、マルコス体制を支えてきた軍の高官たち、冷戦下において反共主義を採り続けてきたマルコスの事実上の後見人的存在であったアメリカ政府も、この時点において完全にマルコスを見放した。
マルコス亡命
  2月25日にコリーが大統領就任宣誓を行い、多くのマニラ市民によってマラカニアン宮殿を包囲されたマルコス夫妻は、アメリカ軍のヘリコプターで脱出した。その後マルコス夫妻とその一族は、クラーク空軍基地からアメリカ空軍機でハワイ州に向かい、そのまま亡命し、ここに20年以上にわたるマルコスによる独裁は終焉を迎えた。


クルド人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

  クルド人 (英語: Kurds)は、中東のクルディスタンに住むイラン系山岳民族。
概要
  トルコイラク北部・イラン北西部・シリア北東部等、中東の各国に広くまたがる形で分布する。人口は3,500万~4,800万人といわれている。
  中東ではアラブ人トルコ人ペルシャ人(イラン人)の次に多い。宗教はその大半がイスラム教に属する。一方、宗派については、イスラム教のスンニ派(トルコのクルド人のあいだではスンナ派シャーフィー法学派が多数)、アレヴィー派の順に多く、ヤズィーディー(Yazidi)やアフレ・ハックゾロアスター教に属しているクルド人もいる。
  クルド人のキリスト教徒の起源は元々アルメニア人アッシリア人だとされており、クルド人の大半は中世にイスラム教を採用したが、イスラム教が広まった後も、クルド人の中にはキリスト教に改宗し、キリスト教に改宗したクルド人の多くは東方教会に属したとされている。

  近年でも一部のイスラム教徒のクルド人がキリスト教に改宗した者もいる。
  ゾロアスター教は2016年にゾロアスター教公式の火の寺院がイラク北部のクルド人自治地域のスレイマニヤに建てられ、多くのクルド人がゾロアスター教に戻ってきた。クルド人のユダヤ教徒の大半がイスラエルに住んでいるが、イラク北部のクルド人自治地域にも400から730のクルド人ユダヤ教徒の家族がいるとされている。

  クルド人は異なる宗教と信条を支持しており、伝統的にクルド人は世俗主義で慣行に自由を持っているとされている。言語的にはインド・ヨーロッパ語族イラン語派クルド語に属する。主な生業は牧畜で、この地のほかの民族と同じく遊牧民として生活する者が多かったが、近年トルコ等を中心に都市へ流入し、都市生活を送る割合も相当数存在する。
  アイユーブ朝の始祖サラーフッディーン(サラディン)はクルド人の出自と見られている。
  クルド人女性は、20世紀と21世紀にクルド人社会で進歩的な重要な役割を果たし、女性の自由や解放、権利と平等に力を入れ改善された。またクルド人民防衛隊には女性の防衛部隊があり、ISILとの戦いで戦果を挙げている。
歴史
  クルド人の居住地は中世から近世にかけて広大な版図を保ったオスマン帝国の領内にあった。
  第一次世界大戦でオスマン帝国が敗れ、サイクス・ピコ協定に基づきフランスイギリスロシアによって引かれた恣意的な国境線により、トルコイラクイランシリアアルメニアなどに分断された。
  1922年から1924年まではクルディスタン王国が存在した。1946年、現在のイラン北西部に、クルディスタン共和国1月22日 - 12月15日)が、ソヴィエト連邦の後押しによって一時的に樹立された。
  20世紀後半になると文化的な圧力の元で政治勢力が誕生し、大きな人口を抱えるトルコイラクでは分離独立を求め、長年居地元政府との間で武力闘争を展開するといった様々な軋轢を抱えている。近年では、各国の枠組みの中でより広範な自治権獲得を目指したり、当事者間による共存のための対話を模索する動きもある。一方でこれらの地域を離れ、欧米などへの移民となるケースも増加している。
各国での居住状況

トルコ(詳細は「北クルディスタン」および「トルコのクルド人」を参照)
  クルド人口が最も多いのはトルコで、ザザ人を含めると、約1,144万5千~1,500万人が居住するヒツジの飼育と農業を生業とする半遊牧生活を送る。定住生活を営むようになってからの歴史は浅い。
  伝統的な居住地は、トルコ南東部および東部であったが、オスマン帝国後期に、コンヤ、アンカラ、クルシェヒール、アクサライなどの内陸アナトリア地方に移住させられた部族もあり、これらは、今日、中部アナトリア・クルド人 と呼ばれている。
  また、共和国期には、経済的、社会的な理由による自発的な移住のほか、反乱の結果としての強制移住も行われ、クルディスタン労働者党による武装闘争の開始後、特に1990年代、治安悪化を理由に、イスタンブール、イズミル、アンカラ、アダナ、メルスィンなどのトルコ国内の大都市や国外に移住するもの数は増加した。
  今日、トルコで最大のクルド人口を抱える都市はイスタンブールであり、2007年の時点で約190万のクルド系住民が居住している。

  オスマン帝国の主たる後継国家であるトルコでは、共和人民党政権が単一民族主義をとったため、最近までクルド語をはじめとする少数民族の放送・教育が許可されてこなかったが、これがクルド人としての統一したアイデンティティを覚醒させることとなり、クルド人独立を掲げるクルド労働者党(クルディスタン労働者党)(PKK。トルコ及び日本政府はテロ組織と見なしている)はゲリラ攻撃を行なったので、1995年トルコ軍が労働者党施設などを攻撃、イラク領内にも侵攻し、イラク北部の労働者党拠点を攻撃した。
  イラクもこれに賛同して、自国のクルド人自治区に侵攻したが、武装解除問題を抱えていたことから、米軍の攻撃を受けることとなる。

  しかし、欧州連合 (EU) 加盟を念願するトルコに対して、EU側がクルド人の人権問題を批判して難色を示したことより、トルコが軟化してトルコ国内のクルド人の扱いはやや好転しつつある。
  ただし、トルコ軍への徴兵を拒否しているクルド人の良心的兵役拒否を認めず、軍刑務所へ収監されるなどしており、欧州連合欧州評議会欧州人権裁判所から非難されている
  2006年5月24日、イスタンブールのアタテュルク国際空港貨物用施設で大規模な火災が発生した。原因は漏電と伝えられている。翌日、クルド人の独立派武装組織「クルド解放のタカ」が犯行声明を出した。この組織はクルド労働者党との関係があると指摘されている。
  2007年の国会総選挙では、定数550に対し、クルド人候補は過去最高の20~30議席前後を獲得した。
  2009年12月11日、憲法裁判所は、クルド人中心の民主社会党(DTP)の活動禁止を決定した。そして、党首を含む二人のDTP 議員を国会から追放するなどの措置をとった。
  この決定直後に、欧州連合(EU)は公党の禁止措置は有権者の権利を奪うものだと主張、当局の民主的な対応を求めた。14日、同国のエルドアン首相は、「問題があるのであれば、個人を罰するべきで、党そのものを禁止してはいけない」と憲法裁判所の決定を批判した。 17日、トルコ政府は、上記の憲法裁判所の決定にもかかわらず、国内のクルド人の権利拡大政策を継続することを明らかにした。
  2015年6月の総選挙では、エルドアン大統領系与党政党が過半数をとれず258議席にとどまった。一方、クルド系の国民民主主義党(HDP)が世俗派のトルコ市民、リベラル派、左派からも支持を得て全体の10%以上の79議席を獲得した。

イラク(詳細は「クルディスタン地域」、「イラクのクルド人」、「第一次クルド・イラク戦争」、および「第二次クルド・イラク戦争」を参照)
  イラクはトルコに次いでクルド人が多く居住しており、北部をクルディスタン地域としている。
  サッダーム・フセイン大統領により、少数民族クルド人は長らく迫害を受けてきた。特に、イラン・イラク戦争では、敵国に荷担したという疑いから、クルド人に対して化学兵器で攻撃したとして、国際的な非難を浴びた(ハラブジャ事件)。
  一方で、ベルゼンジ部族といったクルド独立闘争を行っていたムッラームスタファ・バルザーニーが属するバルザーニ部族と対立していた部族は政権に協力した。
  2003年からのイラク戦争によってフセイン政権が崩壊すると、クルド人は米軍駐留を歓迎した。その後、更なる独立権限を持った自治政府設立を占領当局に呼びかけているが、当局は自国内にクルド人を抱えるトルコに遠慮して実現の見通しは立っていない。
  2005年イラク移行政府では、クルド愛国同盟を率いたジャラール・タラバーニを大統領に選出し、副大統領には、シーア派などから選出したことで、国内の民族バランスが図られた。
  とはいえ、クルドは政権内で少数派であることには変わりない。クルド人初のイラク大統領として、クルドの運命をどの様に導くのか未知数である。
  また2017年9月25日には国際社会が反対する中、独立住民投票が自治政府により実施されている。イラクのクルド人地区については、クルディスタン地域も参照のこと。
  イラク国内でのクルド人は家族が宗教に反する行為を行った場合に激しく虐待行為を行い殺害まで至っているとして、国際連合(国連)が懸念の声を上げている。
  2007年4月7日にはイラク北部地域でムスリムの男性と駆け落ちするためにヤズディ教からイスラム教に改宗したとして、17歳の少女が家族らによってリンチを受け虐殺されている映像がインターネット上に公開され、問題となった名誉の殺人#批判を参照)。

シリア(詳細は「ロジャヴァ」および「シリアのクルド人を参照)
  北部に少数が在住。2011年から続くシリア内戦の長期化によってアサド政権の影響力が低下し、ロジャヴァ(西クルディスタン地域)を中心に活動するクルド人民防衛隊(YPG)を含めた各武装勢力の活動が活発化している。2013年よりロジャヴァは事実上のクルド人独立地域となっているが、YPGがアサド政権打倒を目指す反体制派に与せず中立的な立場を維持する戦略を採ったため、シリア政府もアルカイーダ系反政府勢力やIS(イスラム国)との戦闘を優先し、事実上黙認している状態である。2014年以降はシリア北東部でIS(イスラム国)が急速に支配地域を拡大したことにより、コバニアイン・アル=アラブ)では反乱勢力(自由シリア軍)と、カーミシュリーハサカなどではシリア軍アサド政権)との共闘が見られている。
  2015年以降はアメリカや英仏独を後ろ盾とするシリア民主軍に参加するも、シリア内戦最大の激戦となったアレッポの戦い (2012-)では欧米が支援する反体制派ではなくアサド政権側に協力するなど、欧米とアサド政権(及びその後ろ盾であるロシア)双方との関係維持を目指す独自の動きを見せていたが、2017年後半から2018年前半にかけてイスラム国の崩壊やアサド政権によるダマスカス近郊及び南部地域の反体制派制圧などが相次ぎ、主要な戦闘地域がイドリブを中心としたシリア北部に移るとクルド人を巡る状況にも大きな変化が訪れた。
  クルド人勢力の影響力拡大を嫌うトルコがシリアに対する本格的な越境攻撃を繰り返す一方、クルド人の後ろ盾であった欧米はトルコの軍事行動を黙認。2018年末にはトランプ大統領がアメリカのシリアからの撤退を示唆するに至り、YPGはアサド政権に軍事支援を要請。国土の南西部で反体制派制圧を成功させ戦力に余力が出来ていたアサド政権もYPGの要請に応え援軍の派遣を決定した事でクルド人勢力とアサド政権が急速に接近しつつあり、それに伴いロシアを仲介してYPGが制圧した反体制派支配地域のアサド政権への移譲とその見返りにPYDによるロジャヴァの自治承認を求める交渉が進められている。
  2019年8月にはシリア北部に安全地帯を設けることを目指すとアメリカとトルコが合意。しかし10月6日、アメリカ政府はYPGを標的にしたトルコによる越境軍事作戦について関与しないと声明。YPGを支援するためシリアに駐留していたアメリカ軍は撤退を開始した[10]。10月9日、トルコ軍は国境を超えシリアに侵攻し、クルド人に対する軍事攻撃を開始した。
   ・クルド民主統一党 (Partiya Yekitiya Demokrat、PYD)
   ・クルド人民防衛隊 (Yekineyen Parastina Gel、YPG)
   ・クルド人民防衛隊(Women's Protection Units)YPJ)
   ・シリア民主軍 (Syrian Democratic Forces、SDF)
イラン(詳細は「東クルディスタン」および「イランのクルド人」を参照)
ジョージア(詳細は「ジョージアのクルド人」を参照;「en:Aslan Usoyan」および「en:Kurdish–Turkish conflict」も参照)
レバノン(詳細は「レバノンのクルド人」を参照)
アルメニア(詳細は「アルメニアのクルド人」を参照)
アゼルバイジャン(詳細は「アゼルバイジャンのクルド人」を参照)
ロシア(詳細は「ロシアのクルド人」を参照)
日本(詳細は「在日クルド人及び蕨市を参照」を参照)


ギリシャ共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  ギリシャ共和国通称ギリシャは、南ヨーロッパに位置する共和制国家2011年国勢調査によると、ギリシャの人口は約1,081万人、面積は日本の約3分の1である。アテネは首都および最大都市であり、テッサロニキは第2の都市および中央マケドニアの州都である。
概要
  ギリシャの地理はヨーロッパの南東端にあり、アジアおよびアフリカとの交差点にある。バルカン半島南端に位置し、国境は北西にアルバニア、北に北マケドニア共和国ブルガリア、北東にトルコと接する。同国は9つの地理的地域からなり、マケドニア中央ギリシャペロポネソス半島テッサリアイピロスドデカネス諸島およびキクラデス諸島を含むエーゲ海諸島西トラキアクレタ島イオニア諸島がこれに該当する。本土の東にはエーゲ海、西にはイオニア海、南には地中海がそれぞれ位置する。同国の多数の島嶼のうち227島には居住者がおり、海岸線は全長1万3,676キロで地中海盆地最長かつ世界第11位である。国土の80%は山岳地帯であり、オリンポス山は2,917メートルで同国最高峰である。
  ギリシャの国民国家オスマン帝国からの独立戦争後の1830年に建国されたが、同国のルーツは全西洋文明の発祥地だと考えられる古代ギリシアの文明に遡る。ギリシャ自体は民主主義西洋哲学近代オリンピック西洋文学[4]歴史学政治学、主要な科学的および数学的原理、悲劇喜劇などのドラマの発祥地である。ギリシャの文化的・技術的偉業は世界に大きな影響を与え、アレクサンドロス大王の遠征を通じて東洋に影響を受けヘレニズムが形成され、ローマ帝国やそのあとの東ローマ帝国への編入により西洋に大きな影響を与えた。現代のギリシャ人のアイデンティティーはギリシャ正教により形成され、ギリシャの伝統はより広範な正教会に伝播した。ギリシャの豊富な遺産は17件の世界遺産数にも反映され、ヨーロッパや世界でも有数である。
  ギリシャは民主主義かつ先進国であり、先進的な高所得経済、高度なクオリティ・オブ・ライフ、高度な生活水準を有する。一方で、数多くの資格や許認可が政治家に委ねられている構造を背景に賄賂や汚職、脱税が横行しており、汚職指数はヨーロッパの国家の中でもイタリアと並んで高いレベルにある。ギリシャ危機に象徴される根深い経済問題に悩む。 国際連合原加盟国であり、欧州連合の前身である欧州諸共同体の10番目の加盟国で、2001年以来ユーロ圏の一部である。そのほか多数の国際機関の加盟国でもあり、欧州評議会NATOOECDOSCEWTOがこれに該当する。ギリシャは世界有数の海運国および観光立国であり、バルカン半島最大の経済規模を有し、重要な地域投資国である。
国名(「ギリシャの国名」も参照)
  ヘッラスはホメーロスではテッサリアの一都市またはプティア地方を指すにすぎなかったが、のちにギリシアそのものを指すようになった。
  西洋の諸言語はラテン語: Graeciaに由来する形を持つ。Graecia自体はGraeci(ギリシア人)の土地という意味で、これ自体古代ギリシア人の自称のひとつ。これも本来はギリシア全体ではなく一地方名であったらしいが、それがどこであったかはよくわかっていない。ローマ人はこの語をエトルリア人経由で借用した。
  日本語による公式名称はギリシャ共和国で通称はギリシャまたはギリシア国会の制定法や外務省、およびギリシャの在日大使館のサイトではギリシャと表記される一方、人文系の世界ではギリシアと表記されることが多い。ギリシャあるいはギリシアという名称は、ポルトガル語Gréciaに由来し、古くは「ゲレシヤ」といったが、明治以降に「ギリシヤ」に変化した。中国語では希臘(シーラ)と表記するが、これは古代ギリシア語「(ヘッラス)に由来する。日本語での漢字表記も同じく希臘で略称はとなる。
歴史(詳細は「ギリシャの歴史」を参照)
ギリシア・ローマ時代
  古代のギリシャはアテナイスパルタコリントステーバイなどの多数のポリス(都市国家)が各地域に成立しており、ギリシャ全体としては言語・文化・宗教などを通じた緩やかな集合体で、マケドニア王国に征服されるまでギリシャ統一国家を形成することはなかった。政治的に独立していた各ポリス間では戦争が絶え間なく繰り返された。紀元前5世紀アケメネス朝(ペルシア帝国)が地中海世界に進出してくると、各ポリスは同盟を結び、これに勝利した(ペルシア戦争)。しかしその後、アテナイを盟主とするデロス同盟とスパルタを盟主とするペロポネソス同盟とでギリシア全体に渡るペロポネソス戦争が勃発し、ギリシャ全体が荒廃し勢力を失った。紀元前4世紀半ばにマケドニアピリッポス2世カイロネイアの戦いに勝利すると、ギリシャ諸ポリスはマケドニアを盟主としたヘラス同盟(コリント同盟)に属することとなる。ギリシャ人はアレクサンドロス3世(大王)の東方遠征に従軍し、長年の宿敵ペルシア帝国を滅亡させた。ペルシャの傭兵となったギリシャ人がいたが、彼らは裏切り者として奴隷にされた。
  大王死後、マケドニアを支配したアンティゴノス朝と対抗。この時期にピュロスエペイロス王)らが活躍した。やがてアカイア同盟を結成して共和政ローマと手を結ぶ。マケドニアの没落後はローマと対決したが、紀元前146年にローマ軍に敗北、コリントスの破壊とともにローマ属州アカエアとされた。古代ギリシアは民主主義の原点であった。
東ローマ帝国(詳細は「東ローマ帝国」を参照)
  395年ローマ帝国が東西に分裂したあとは、ギリシャ地域は東ローマ帝国に属した。
  7世紀以降の東ローマ帝国はギリシア語を公用語とし、皇帝をはじめとする支配階層もギリシア語を母語とする民族が中心となっていったが、彼ら自身は自分をギリシャ人とみなさず、「ローマ人(ロマイオイ/ロメイ)」と称した。東ローマ帝国はギリシャ民族の歴史の一部と捉えられている。なお、東ローマ帝国を「ギリシャ化したローマ帝国」と捉える研究者もいる(ギリシャでは自らを「ローマ人」と呼ぶことがあるという)。ただ、東ローマ帝国の中心地はアナトリアトラキアマケドニアであり、現在のギリシャにあたる部分は、スラブ人の侵入と移住、アラブ勢力の来襲やブルガリア帝国やノルマン王国といった外部勢力の攻撃が相次ぎ、帝都コンスタンティノープルからは辺境地域とみなされていた(ただしテッサロニキはスラヴ人の侵入でも陥落せず、人口数万人を擁して栄えた、帝国第二の都市であった。)。
  1204年第4回十字軍によってコンスタンティノープルが占領されて東ローマ帝国は崩壊し、ギリシャにも十字軍が侵入してきた。12世紀末のコムネノス王朝末期以降、東ローマ帝国は内部崩壊を起こして国政が混乱していたため、ヨーロッパ側に住むギリシャ人の多くは十字軍は混乱を収め、安定をもたらすものとして歓迎した。
  このため、アテネ公国などの多くの十字軍国家が成立した(十字軍に抵抗したのは裕福なコリントスのみ)。ほかには東ローマの亡命政権であるエピロス専制侯国や、ブルガリア帝国セルビア王国、また都市国家ヴェネツィアなどが割拠するようになった。
  アナトリアに逃れたギリシャ系の東ローマ帝国の亡命政権ニカイア帝国により1261年に東ローマ帝国は再建されたが、以前より力が弱体化していたためにギリシャ全土を奪回できず、諸勢力の割拠状態が続き、その隙をついてギリシアやアナトリでは14世紀以降イスラム王朝オスマン帝国が勢力を伸張させていった。
オスマン朝・ヴェネツィア支配時代(詳細は「トルコクラティア」を参照)
  1453年コンスタンティノープル陥落によって東ローマ帝国はオスマン帝国によって滅ぼされ、残る諸勢力も15世紀末までにはほとんどがオスマン帝国に征服された。オスマン帝国はコンスタンティノープルに遷都し、369年間のオスマン帝国による統治が続いた。
  一方で、オスマン帝国に支配されなかった地域もある。東ローマ帝国滅亡後も、イオニア諸島1797年までヴェネツィア共和国の領土であり、その後も1800年イオニア七島連邦国1815年イオニア諸島合衆国が成立している。そのほかにも、1669年までのクレタ島、1686年から1715年までのペロポネソス半島もヴェネツィア領であった。
独立回復と王政時代(詳細は「東方問題」を参照)
  1821年オデッセイにおいて創設された秘密組織フィリキ・エテリアを中心として、オスマン帝国に対する反乱が企てられた。3月にギリシャ各地の都市で蜂起が起こり、ギリシャ独立戦争が始まった。エジプトの助けを得てこれを鎮圧しようとしたオスマン帝国に対し、が介入、1829年アドリアノープル条約によってギリシャ独立が承認された。1832年バイエルン王国の王子オットーをオソン1世として国王に据えギリシャ王国として独立し、コンスタンティノープル陥落以来379年ぶり、古代ギリシャ滅亡から考えると約1900年ぶりにギリシャ人の国家が復活した。
  その後は汎ギリシャ主義(メガリ・イデア)を標榜し、1897年にはトルコに侵攻(希土戦争)し敗北するも、第一次世界大戦直前の1912年から1913年にはバルカン戦争で勝利し、クレタ島をトルコから奪取した。
  1919年パリ講和会議では日本の提出した人種差別撤廃案に賛成するなど反人種差別を表明した。1919年 - 1922年セーヴル条約を押しつけるため、ギリシャ系住民保護を名目にアナトリアに侵攻したが、(希土戦争ムスタファ・ケマル・パシャが率いるトルコ軍に敗退した。1924年クーデターにより共和制ギリシャ第二共和政となるが、1935年には王政ギリシャ王国1935年 - 1941年)が復活し、国王ゲオルギオス2世の強権発動によって極右政党党首イオアニス・メタクサスが陸軍大臣に任命されていたが、1936年4月12日に暫定首相デメルジスが死去したことに伴い首相に就任。1936年8月4日にメタクサスがクーデターを起こし八月四日体制1936年 - 1941年)と呼ばれる独裁体制となった。
第二次世界大戦時代
  第二次世界大戦では枢軸国と敵対し、ナチス・ドイツおよびイタリアブルガリアの侵攻にあい(ギリシャ・イタリア戦争)、戦いの最中にメタクサスが病死、王室と政府はイギリスに亡命した。1941年4月のギリシャの戦いに敗れ、ギリシャ本土はドイツ・イタリア・ブルガリアの3国による分割占領状態におかれ、傀儡国家ギリシャ国1941年 - 1944年)体制になった。大戦中、占領軍に対するレジスタンス運動を主導した共産主義左派ギリシャ共産党(KKE)に支援されたギリシャ人民解放軍(ELAS)、対立する反共共和主義者のパルチザンギリシャ民族共和同盟(EDES)の三つ巴の戦いとなった。さらにナチスによるロマニオットセファルディムに対するホロコーストが行われた。
ギリシャ内戦
  ギリシャが枢軸国軍から解放され亡命政府が帰還したあと、1944年12月3日十二月事件が起き、共産主義左派と王党派右派の間で対立が先鋭化すると、1946年にはギリシャ内戦が勃発した。ソ連と隣国ユーゴスラビアに支援された共産勢力が「ギリシャ民主軍(共産主義者民主主義軍)」というゲリラ部隊を組織するが、戦後の財政難に苦しむイギリスに替わってアメリカ合衆国が王党派右派政府の全面的な支援に乗り出したことと(マーシャル・プラン)、1948年以降ユーゴスラビアとソ連が対立し、ギリシャの共産勢力はソ連を支持したため、ユーゴスラビアからの援助が失われ、内戦は1949年共産主義勢力の敗北によって終結した。
戦後
  1950年に行われた総選挙の結果、保守連立政権が発足するが政局は安定せず、翌年(1951年)に選挙制度を最大与党に有利に改正して行われた選挙によってようやく政局は安定した。1952年北大西洋条約機構(NATO)へ加盟、1953年に隣国のユーゴスラビアおよびトルコとの間に三国親善条約と同盟条約が結ばれ、外交的にもようやくの安定をみた。
  1950年代の後半になると、キプロスをめぐってトルコとの対立が激化するが、ギリシャ自体は順調な経済成長を続け、1951年から1964年の間に国民平均所得はほぼ4倍になった。
  国王と対立した首相コンスタンディノス・カラマンリスの辞任をきっかけに総選挙が行われ、中道勢力と左派勢力が躍進、一旦は中道連合(EK)を率いるゲオルギオス・パパンドレウが首相に任命されるが、他党との連立を拒んだパパンドレウは再び総選挙を行い、1964年、中道連合(EK)は過半数を獲得した。パパンドレウ政権は教育制度改革等の内政面で功績を挙げるが、軍の制度改革に失敗してパパンドレウは国王コンスタンティノス2世によって首相辞任を要求された。
軍事独裁政権時代
  国王アメリカ合衆国の支援のもとに中道諸派の連合による新政権を確立させるべく、1967年、総選挙を準備した。しかし、選挙の結果中道派政権が確立されることによる発言権の低下を恐れた軍部が陸軍将校、スティリアノス・パッタコス准将、ゲオルギオス・パパドプロス大佐、ニコラオス・マカレゾス大佐を中心としてクーデターを起こし、結局アメリカが軍部の独裁体制を容認した。結局、反クーデターに失敗したコンスタンティノスは国外へ亡命した。
  1968年には憲法が改正され軍事独裁政権が確立する。軍部は国内の批判勢力に対して激しい弾圧を行い、前首相パパンドレウを始めとして多数の著名人を国外に追放した。欧州各国からは軍部独裁政権に対して厳しい批判が向けられたが、ギリシャは地勢的にNATOの要であるとしてアメリカが軍事独裁政権を擁護・支援したため、ギリシャに対して実効性のある圧力が加えられることはなかった。
  1970年代に入ってギリシャの国内経済が悪化すると、軍部の独裁政権に対する国民の不満が増大し、学生による大規模なデモなどの抗議行動が活発化する。軍事独裁政権の首班であったゲオルギオス・パパドプロスは大統領制を導入するなどの政策を行うが、国内経済が回復しないこともあって国民の抗議行動は収まらず、1973年、学生デモ隊による大学占拠に対して実力鎮圧を行った結果多数の死傷者を出したことで独裁政権の基盤が揺らぎ、パパドプロスの腹心で秘密警察長官であるディミトリオス・イオアニディスがクーデターを起こし、パパドプロスは失脚した。その後、パパドプロス政権の閣僚であったフェドン・キジキスが名目上の大統領に選ばれて軍部の独裁体制は続くが、1974年に軍事政権が支援したキプロスでのクーデターは、大統領マカリオス3世の身柄確保に失敗した挙句、トルコ系住民の保護を口実にトルコ軍キプロス島に上陸する事態となり、海軍と空軍が陸軍と秘密警察に対して態度を硬化させる。結果、軍事政権の中核を占めていた陸軍と秘密警察は孤立し、軍部の独裁体制は崩壊した。(詳細は「キプロス紛争#1973_-_74年」を参照)
  このように政治的には混乱と弾圧の続いた軍部独裁時代ではあったが、マーシャル・プランほかの欧米各国による経済支援策と、外国資本の積極的な誘致を背景に、戦争とその後の内戦によって壊滅的な打撃を受けた国内インフラを復興させるための大規模な国内投資により、戦後のギリシャ経済は軍事独裁政権の崩壊まで非常に高い経済成長率を誇った。この高成長時代は「ギリシャの奇跡」と呼ばれる。(詳細は「ギリシャの奇跡」を参照)
共和政治の確立
  キジキス大統領は国内の諸政治勢力と協議してフランスへ亡命していたコンスタンディノス・カラマンリス元首相に帰国を要請、帰国したカラマンリスを首相に指名した。
  1974年11月11日に行われた軍事政権崩壊後初の選挙の結果、カラマンリス元首相率いる新民主主義党が多数の議席を獲得して与党となり、次いで行われた国民投票により君主制は廃止され共和制への移行が決定した(ギリシャにおける民主主義の回復については、活動的な役割を担ったアレクサンドロス・パナグリスも参照)。
  1975年には憲法が再改正され、1977年の選挙の結果左派勢力の伸長があったものの政局の混乱は発生せず、ギリシャの政局は以後安定化する。1981年欧州共同体(EC)の10番目の加盟国となった。
  1980年代には全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が選挙の結果過半数を確保して与党となり、社会主義政権が誕生した。アンドレアス・パパンドレウはNATOと欧州共同体(EC)への加盟に懐疑的で、西側諸国を「帝国主義国家」と呼ぶほど親ソ派であったが、大きな外交政策の変更は行われず、NATOとECへの加盟は続行されたままギリシャは引き続き西側諸国の一員として冷戦の終結を迎える。
  2004年には1896年以来108年ぶりに首都アテネにおいて2回目の夏季オリンピック第28回アテネ大会)が開催された。それに先立つ2001年にはユーロ導入も実現したが、工業生産力が西欧諸国と比較して小さいギリシャの経済は脆弱で、2010年には統計操作による巨額の財政赤字隠蔽が発覚したことから、ユーロ圏全体や世界中を巻き込む金融危機へと発展した(2010年欧州ソブリン危機)。
  2020年新型コロナウイルスの感染が拡大。同年末までに2回のロックダウンが実施された
政治(詳細は「ギリシャの政治」を参照)・・・国家体制として共和制議院内閣制を採用している。
行政・・・大統領国家元首として儀礼的な責務にあたる。大統領は任期5年で議会により選出される。現大統領は2020年3月13日に就任したカテリナ・サケラロプル行政府の長である首相は議会によって選出され大統領により任命される。閣僚は首相の指名に基づき大統領が任命する。(「ギリシャの大統領」および「ギリシャの首相」も参照)
立法・・・立法府たるギリシャ議会(Vouli ton Ellinon)は一院制で、300議席、任期4年。比例代表制によって選出される。
政党(詳細は「ギリシャの政党」を参照)・・・70年代の民主化以降、中道右派の新民主主義党(ND)と中道左派の全ギリシャ社会主義運動(PASOK)が二大政党として交代で政権を担当する期間が続いた。財政危機を受けた2012年の選挙では、二大政党は得票を落とし、極左の急進左派連合(SYRIZA)とギリシャ共産党 (KKE)、中道右派の独立ギリシャ人(ANEL)、極右の黄金の夜明けが伸長した。2015年の選挙で緊縮受け入れに反対した極左のSYRIZAが第一党となり、ツィプラス政権が誕生した。しかし、SYRIZAは公約違反を繰り返したため支持率は下落し、2019年7月の選挙では,今まで最大野党であった中道右派の新民主主義党(ND)が39.9%の得票で、単独過半数となる158議席を獲得した。NDのミツォタキス党首が新首相に就任し、SYRIZAは下野した。
司法(詳細は「ギリシャの司法」を参照)
国際関係(詳細は「ギリシャの国際関係」を参照)
  周辺国との関係では、キプロスの帰属問題でトルコとは対立関係にある。2010年代半ば以降、ヨーロッパを目指すシリアアフガニスタンイラクなどから移民難民がトルコ経由で押し寄せることから、国境安全保障上の観点でトルコとの国境沿いに長さ40キロにも及ぶ壁を建設、2021年8月工事が完了した。
  ギリシャ民族の国家であったマケドニア王国やギリシャ国内のマケドニア地方と同じ名を名乗るスラヴ系のマケドニア共和国とも対立状態にあったが、マケドニア共和国が国名を北マケドニア共和国に変更したため、両国の対立状態は薄れている。
日本との関係(詳細は「日本とギリシャの関係」を参照)・・・2021年現在、371人のギリシャ人が日本に住んでいる。詳細は在日ギリシャ人を参照。
  駐日ギリシャ大使館   ・住所:東京都港区西麻布三丁目16-30   ・アクセス:東京メトロ日比谷線広尾駅3番出口







このTopに戻る






世界の国々-1
モルドバ(沿ドニエストル・モルドバ共和国)-1-世界の国々
 
ここは2021年7月~2023年01月のニュースです