世界の文化-1

グレタ・トゥーンベリ      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文化勲章受章者の一覧   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


Petite Geekin Sapporo-http://petitegeekeinsapporo.blogspot.com/2015/06/blog-post.html
軽くて強くて断熱効果もある

  南アメリカ大陸の背骨ともいわれるアンデス山脈には、ペルー南部、ボリビア、チリにまたがある標高約4千メートルの高原地帯が広がっています。ボリビアのコイパサ塩湖 (塩分を含んだ湖)の近くに、チパヤ村があります。村の土地も塩分を多く含んでいるので、いくつかの作物をのぞいて樹木はほとんど育ちません。そんな過酷な土地でも生えるのが「キヌア」という雑穀。昔から村人の暮らしを支えてきました。キヌアはNASA (アメリカ航空宇宙局) の研究で「理想的な宇宙食だ」という見解が発表されたほど、ミネラル分を理想的な配分で含んでいます。ボリビアなどではスープに入れて食べます。また、塩分が多い土地に適応した天然の芝生も生えています。村人が生計のために放牧するヒツジやリャマは、これを食べて育ちます。村の家は、この芝土を四角く掘り出してブロックにしたものを、とんがり帽子のような形に積み上げてつくります。芝の根が張りめぐらされた土のブロックは、乾くと軽くて強く、断熱効果があり寒さにも耐えます。ここは標高が高いので空気中の塩素濃度は低地の60%程度。空気が薄い分、太陽の光も強く注ぎます。

  歩いていると静かで、芝土の間を細く流れる水の音が聞こえてきます。あまりに静かなので、遠くにいるヒツジやリャマが草を食べる音まで聞こえてきそうです。ここに住むチパヤ族は南アメリカに大昔から住んでいた人たちですが、今では人口も少なくなりました。過酷な自然環境のなかで長い間生きてきたチパヤの人たちを見ると、人間ってすごいなあと思います。


2022.10.18-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20221018-KCCJDMSKQJLIHEJLIPWCUMRI7M/
第33回世界文化賞、受賞者6人が喜び語る 3年ぶりに合同記者会見

  世界の優れた芸術家を顕彰する「高松宮殿下記念世界文化賞」(主催・公益財団法人日本美術協会=総裁・常陸宮殿下)の第33回受賞者らによる合同記者会見が18日、東京・虎ノ門のオークラ東京で行われた。新型コロナウイルスの感染拡大を受け開催は3年ぶり。

  出席した受賞者は、絵画=ジュリオ・パオリーニ(81)<イタリア>▽彫刻=アイ・ウェイウェイ 艾未未(65)<中国>▽建築=妹島(せじま)和世(65)+西沢立衛(りゅうえ)(56)/SANAA<日本>▽音楽=クリスチャン・ツィメルマン(65)<ポーランド/スイス>▽演劇・映像=ヴィム・ヴェンダース(77)<ドイツ>―の5部門6氏。

  美術家のパオリーニ氏は「60年を超える芸術活動は無駄ではなかった」、美術家・建築家のアイ・ウェイウェイ氏は「私にとって特別なときとなった」とそれぞれ喜びを語った。建築家の妹島氏は「多様な方々と一緒にいられる空間をという思いでつくってきた」、西沢氏は「建築設計はみんなで集まって、ようやくつくれるもの」などと述べ、関係者への謝意を表した。
  ピアニストのツィメルマン氏は「世界文化賞こそ、音楽家にとって最高の賞だ」と語り、映画監督のヴェンダース氏は「皆さんと一緒に座らせていただき感動している」と話した。
  米国の国際顧問に就任したヒラリー・ロダム・クリントン元米国務長官も登壇し、「芸術・文化は非常に重要な形で人々を結びつけるものであり、希望を与えてくれる」と挨拶した。
  授賞式は19日、東京・元赤坂の明治記念館で開かれる。


2022.03.28-コミックナタリー-https://natalie.mu/comic/news/471523
マンガ大賞2022発表!大賞はうめざわしゅん「ダーウィン事変」

  マンガ大賞2022の大賞が、うめざわしゅん「ダーウィン事変」に決定。結果発表と授与式が本日3月28日に東京・ニッポン放送イマジンスタジオにて行われた。

  「ダーウィン事変」は、人間とチンパンジーの間に生まれた交雑種“ヒューマンジー”の少年・チャーリーを描く物語。彼はテロ組織・動物解放同盟(ALA)に襲撃された生物科学研究所の、メスのチンパンジーから生まれたのだった。人間の両親のもとで育てられ高校へ進学することになったチャーリーは、頭脳明晰だが“陰キャ”と揶揄される少女・ルーシーと出会う。チャーリーとルーシーが親交を深めていく一方、過激さを増したALAはチャーリーを戦争に引っ張り出そうと画策しようとする。同作は2020年6月より月刊アフタヌーン(講談社)で連載されており、単行本は3巻まで発売されている。

  そのほかマンガ大賞2022には、たらちねジョン「海が走るエンドロール」、赤坂アカ原作による横槍メンゴ「【推しの子】」、和山やま「女の園の星」、松虫あられ「自転車屋さんの高橋くん」、龍幸伸「ダンダダン」、魚豊「チ。―地球の運動について―」、稲垣理一郎原作による池上遼一「トリリオンゲーム」、真造圭伍「ひらやすみ」、藤本タツキ「ルックバック」がノミネートされていた。

  「マンガ大賞」は、書店員を中心としたマンガ好きの有志による選考委員が、誰かに薦めたいと思うマンガを投票で決めるもの。前年の1月1日から12月31日に出版された単行本および電子書籍の内最大巻数が8巻までの作品の中から選考員による投票が行われ、ポイント制により各順位が決定した。今年で15回目となったマンガ大賞2022には99人の選考員が参加し、一次選考時点で233タイトルが挙がっていた。なおコミックナタリーでは、授賞式の模様を追ってレポートする。
※3/28 15:17追記:2位以下の作品タイトル、受賞イラストを追加しました。


2022.01.18-Yqnhoo!Japanニュース(REUTERS)-https://news.yahoo.co.jp/articles/afdb8c5985c4f405029f83663e8f919427564e86
アンネ一家の密告者はユダヤ人か、FBI元捜査官らが調査

  [アムステルダム 17日 ロイター] - 第二次世界大戦中にナチスドイツの収容所で死亡したユダヤ人少女アンネ・フランク一家の隠れ家を密告したとみられる人物を、米連邦捜査局(FBI)の元捜査官などでつくるチームが特定した。 調査を行ったのは元FBI捜査官のビンセント・パンコーク氏のほか、歴史家、犯罪学者、データ専門家など約20人で、これまでほとんど知られていないユダヤ人公証人のアーノルト・ファンデンベルフが密告した可能性が高いと結論付けた。 調査チームによると、新たな証拠の中で決定的だったは戦後の資料の中から見つかったアンネの父オットー氏宛ての無署名のメモで、ファンデンベルフの名を挙げ、情報を渡した人物だとしている。 メモでは、ファンデンベルフが戦時中、アムステルダムのユダヤ人団体のメンバーとしてユダヤ人が潜伏している住所を知ることができ、自身の家族を救うために隠れ家をナチスに伝えていたとされている。 フランク一家で唯一生き残ったオットー氏は、このメモの存在を知っていたものの、公にはしなかったという。


2022.01.17-サンスポ-https://www.sanspo.com/article/20220117-5FGRZRUFZFLIRONQOUMPSY5YGA/
アンネ・フランク一家密告した人物を特定か

  「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女、アンネ・フランク一家の隠れ家を密告した可能性がある人物を、米連邦捜査局(FBI)の元捜査官が率いる約20人のチームが特定した。ロイター通信などが17日報じた。

  密告したとされるのは、ユダヤ人公証人のアーノルト・ファンデンベルフ。調査チームはオランダのメディアに、自分の家族を守るためアンネの一家を裏切った可能性が極めて高いと指摘した。
  アンネの一家はホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を企てるナチスから逃れようと、占領下のオランダ・アムステルダムの隠れ家で暮らしていたが、1944年8月に拘束された。強制収容所に移されたアンネは45年、15歳で死亡した。
  隠れ家が見つかった経緯は謎で、チームは歴史的な「未解決事件」解明のため、コンピューターなど最新技術を用いて数年かけて調査した。
  英BBC放送によると、調査を主導した元FBI捜査官のビンス・パンコーク氏は「ファンデンベルフは自身と妻の安全のために、接触してきたナチスに何か貴重な情報を提供しなければならなかった」と話した。(共同)



2021.04.18-産経新聞 THE SANKEI NEWS -https://www.sankei.com/life/news/210418/lif2104180009-n1.html
【書評】『いのちとリスクの哲学 病災害の世界をしなやかに生き抜くために』 宇宙視線と生命倫理
(1)
  令和3年4月、政府は福島第1原発「処理水」を原則「海洋放出」して処分する基本方針を発表した。これに対し、多方面から反対の声が上がっている。この問題をどのように考えたら良いか、迷う人があれば直ちに本書をお薦めしよう。
  冒頭、長大な「まえがき」で一ノ瀬正樹は断言する。「福島原発事故の放射線飛散量は健康影響をもたらすような量には至らないであろうことが、データ的におよそ分かっていた」「にもかかわらず、リスク概念に本質的に結びついている量的思考をすっ飛ばして、放射線被ばくをするかしないかという『一かゼロか』式の思考に陥る人々が続出し」、その事大主義がかえって多くの人命を奪った、と。

  福島第1原発跡地で溶融炉心の冷却などに用いられた汚染水は電気化学的な浄化処理が施され、水そのものが放射活性を帯びた三重水素トリチウム水以外はほぼ完全に除染された処理水」となる。三重水素は自然界に存在する物質だから天然存在比率程度に希釈すれば海洋放出は取り立て環境に影響を及ぼさない。問題は「量的思考」の徹底にあり慎重な排出処理の制御が鍵となる。
  だがこうした大局を見据える冷静な「宇宙視線」でなく、近視眼的な「人生視線」で「一かゼロか」式の短絡、はっきり記せば「思考停止」に陥ることで21世紀の日本人は、より多くの命を奪ってきたのではないか? 3・11で見られたこの社会病理は新型コロナウイルス感染症で繰り返され、ピントの外れた「対策」がかえって事態を悪化させている懸念が拭えない。
(2)
   「震災関連死」「動物倫理」「過剰な『予防原則』」から高校新科目「公共」への哲学的覚書(著者は同科目設置の検討委員だった)まで、多様な問題群が「福島」から「コロナ」に至る「いのちとリスク」を考える哲学的な星座を構成する。その詳細な検討は本文に譲り、ここでは著者の本質的なメッセージを記すにとどめよう。
  いかなる状況下でも「宇宙視線」「人生視線」の2つの異なるレンズ倍率で眼前を凝視し沈思黙考、熟慮し続けること。「いのちを守る」ために一ノ瀬はフランシス・ベーコンを引用する。「知は力なり」と。( 評・伊東乾(作曲家、指揮者))



2020.12.04-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/201204/wor2012040016-n1.html
アフガン、中村医師殺害事件から1年 複数人の身柄拘束も…見えぬ犯人像

  【シンガポール=森浩】アフガニスタン東部で、農業支援に取り組んでいた福岡市の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」現地代表の医師、中村哲さん=当時(73)=が殺害された事件から4日で1年が経過した。警察は事情を知るとみられる複数人の身柄を拘束して捜査を進めたが、実行犯特定には至っていない。真相解明には時間がかかる見通しだ。
  事件は昨年12月4日早朝、東部ナンガルハル州で発生。用水施設の工事現場に向かっていた中村さんの車を武装グループが襲撃し、銃撃を受けた中村さんが死亡。アフガン人ボディーガードら5人も命を落とした。
  武装グループは地域の民族衣装を着ており、話していた言葉などから地元かその近郊出身者とみられる。中村さんが手がけた用水路建設事業が、地元の水に関わる利権に触れたとの説もあるが、真相は不明だ。
  同州政府のコギャニ報道官は産経新聞の取材に「複数人を拘束して取り調べたが、武装グループにつながる有力な証拠はない」とコメント。中村さんの用水路が地域の農業生産を高めたことに触れ、「英雄の死を忘れない。犯人は必ず捕まえる」と強調した。
  ただ、国内ではイスラム原理主義勢力タリバンなどによるテロ攻撃が相次ぎ、治安の悪化に歯止めが掛からない。トランプ米政権が11月、駐留軍のさらなる削減を決めたことで武装勢力が勢いづくことも予想され、思うような捜査が展開できるかは不透明だ。


2020.10.28-新潟日報-https://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20201028577590.html
加藤澤男氏、文化功労者に・・・文化勲章は橋田寿賀子さんら5人

  政府は27日、2020年度の文化勲章を脚本の橋田寿賀子(95)、工芸(人形)の奥田小由女(83)、日本文学の久保田淳(87)、物性物理学の近藤淳(90)、彫刻の澄川喜一(89)の5氏に贈ることを決めた。文化功労者には、スポーツの加藤澤男(74)=新潟県五泉市出身=、作曲の三枝成彰(78)、漫才の西川きよし(74)ら20氏を選んだ漫才の分野からの選出は初
  文化勲章の親授式は11月3日に皇居で、文化功労者の顕彰式は同4日に東京都内のホテルで開かれる。
◎加藤さん「功績認められうれしい」
  加藤澤男さんは、体操の五輪3大会で日本人最多の金メダル8個を獲得。引退後は国際体操連盟(FIG)の技術委員を5期20年務めた。「昔のこと」と謙遜しながらも、体操界への大きな功績を認められての栄誉に「うれしい。ありがたい」と喜んだ。
  名門・東京教育大(現筑波大)時代に才能が開花した。「自信は練習からくる」という信念の下、人一倍努力を重ね、五輪には1968年メキシコ、72年ミュンヘン、76年モントリオールの各大会に出場。金8、銀3、銅1個の合計12個のメダルを獲得した。
  引退後は母校の教壇に立ち、後進の指導と日本体操協会の仕事もこなす忙しい日々を送った。中でも「あっという間だった」と振り返るのが、FIGの技術委員を担った92年からの20年。五輪と世界選手権を統括するだけでなく、採点規則を作り、講習のために世界各国へ飛んだ。世界の50カ所を回った年もあった。
  体操界をリードしながら教員としての仕事を全うできたのは、周囲の支えがあったから。筑波大と白鷗大で教授を務め、専門の「運動学」を伝えてきた。「恩師に『人に請われるうちが花』と言われて70歳まで続けた。大学には本当に世話になった」と感謝する。
  新型コロナウイルスの影響で延期された東京五輪の開催が近づく。「感染対策をしながら練習でどこまで追い込めるか。選手たちは本当に大変だが、ベストを尽くして準備してほしい」とエールを送った。
 
 【かとう・さわお】元日本体操協会理事、筑波大と白鷗大の名誉教授。五輪で体操男子個人総合2連覇を達成し、日本の団体総合3連覇に貢献。74歳。五泉市(旧村松町)出身。茨城県在住。


2020.9.18-https://seiron-sankei.com/taisyoukokuti
正論大賞

  自由と民主主義のために闘う「正論路線」を発展させた言論活動に贈られる正論大賞に、日本財団会長の笹川陽平氏(80)が決まった。新進気鋭の言論人に贈られる正論新風賞には評論家、江崎道朗氏(57)が、正論大賞特別賞に台湾・元総統、李登輝氏(96)が選ばれた。笹川氏、江崎氏はともに産経新聞「正論」執筆メンバー。
  正論大賞は今回が35回目、新風賞は20回目。笹川氏は年頭の「正論」欄で「中国古典にとらわれず新元号を」と主張し、元号が初めて日本の古典(国書)から採用される流れをつくったほか、「対外情報発信態勢の確立を」「人材育成に偉人教育の活用を」など国の将来を見据えた言論活動を展開。またハンセン病抑圧活動を始めとする、40年以上にわたる慈善活動も「正論大賞」にふさわしいとされた。
  江崎氏は安全保障、インテリジェンス、近現代史を専門とする気鋭の論客で、東京裁判史観からの脱却やヴェノナ文書で裏づけられる大東亜戦争の真相など、最新歴史研究を取り込んだ言論活動で日本の論壇に新風を吹き込む姿勢が評価の対象となった。
  李氏は中国共産党との間で硬軟とり交ぜた政治手腕を発揮し、「哲人政治家」として東アジアの歴史に大きな足跡を残した。また日本統治時代の大正12(1923)年に台湾で生まれ、旧制台北高校を経て京都帝国大学(現・京大)で学び、戦後の日本人が失った「公」のために尽くす純粋な日本精神を持ち続け、さらに台湾で民主化を推し進めた信念は正論大賞特別賞にふさわしいとされた。
  正論大賞の正賞はブロンズ彫刻「飛翔(ひしょう)」(御正進(みしょう・すすむ)氏制作)で副賞は賞金100万円、新風賞の正賞は同「ソナチネ」(小堤良一(おづつみ・りょういち)氏制作)で副賞は賞金50万円。特別賞の正賞は同「あゆみ」(小堤氏制作)。


2020.1.25-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200125/k10012259001000.html
中村哲医師のお別れ会 5000人が参列 福岡

先月、アフガニスタンで銃撃され亡くなった医師の中村哲さんの「お別れ会」が出身地の福岡市で開かれ、およそ5000人が別れを惜しみました。
  医師の中村哲さんは、福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表として、アフガニスタンで長年、人道支援と復興に力を尽くしてきましたが、先月4日、東部ナンガルハル州ジャララバードを車で移動中に何者かに銃撃され亡くなりました。
  25日は、「お別れ会」が福岡市早良区の西南学院大学のチャペルで開かれ、遺族や全国各地の支援者など合わせておよそ5000人が参列しました。
  黙とうのあと、ペシャワール会の村上優会長があいさつし、「中村先生の精神・魂は今でも私たちの心の中に強く大きく存在しています。先生の意志を共有し、継続してご支援いただけるようお願いいたします」と時折、声を震わせながら呼びかけました。
  また、中村さんの長男の健さんは「『口だけでなく行動で示せ』という父のことばを心に刻み、一歩一歩、前に進んでいきたい」と述べました。
  このあと、献花が行われ、参列した人たちが中村さんや中村さんとともに亡くなった運転手などの遺影に静かに花を手向けていました。
  10年余り前、中村さんと一緒に現地で働いたという滋賀県の70代の男性は「安らかにと、祈りました。ペシャワール会の活動は今後も変わらず支援していきたい」と話していました。
事件後の「ペシャワール会」の対応
  中村さんが現地代表を務めた福岡市のNGO「ペシャワール会」では、事件で中断したかんがい事業の本格的な再開を目指して事務局の担当者がほぼ毎日、電話かメールで現地スタッフの責任者と連絡を取り合い、治安の状況などを確認しています。
  情報収集とともに安全確保に向けた取り組みも進めていて、先月下旬、現地の州政府に対して用水路の建設現場などでの警備の強化を要請したほか、今月22日には治安当局から事務所の警備態勢について助言を受けたということです。
  ただ、中村さんたちが活動してきた地域には反政府武装勢力などの影響力が強いところもあることなどから、ペシャワール会はしばらく様子を見たいとしていて、村上優会長は「州政府の協力があるから100%安全と言えるわけではないので、安全を確認しながら一歩一歩、前に進めていく」と話しています。
犯人の特定には至らず
  銃撃事件の背景について、地元当局の複数の関係者は、中村さんが建設を進めていた農業用水路の水の利権をめぐるトラブルが関係したのではないかという見方や、武装グループが中村さんをアフガニスタン政府の協力者とみなして犯行に及んだのではないかという見方を示していますが、依然、不透明なままです。
  ナンガルハル州の警察は、地元の男2人から事情を聴くとともに、自宅から押収した武器や弾薬などを分析して調べを進めています。だだ、男らはこれまでのところ、事件との関連について一切、話していないということです。
  また、この2人とは別に、政府の情報機関「国家保安局」も複数の男から事情を聴いていますが、事件との関連については話しておらず、犯人の特定には至っていないということです。
アフガニスタン 治安の悪化に歯止めかからず
  アフガニスタンでは2001年、同時多発テロ事件の首謀者、オサマ・ビンラディン容疑者をかくまっていたとして、アメリカが軍事作戦に踏み切り、当時のタリバン政権を崩壊させました。
  その後、治安は一時、回復傾向にありましたが、2014年にアメリカ軍を中心とする国際部隊の大部分が撤退して以降、タリバンが反政府武装勢力として盛り返しているほか、過激派組織IS=イスラミックステートの地域組織も台頭しています。
  タリバンやISが軍の施設や政府機関などをねらったテロや襲撃を繰り返す中、多くの民間人が犠牲となっていて、国連によりますと、おととし、テロや襲撃に巻き込まれて死亡した民間人は3800人余りに上り、調査を始めた2009年以降、最悪となっています。
  また、死者とけが人をあわせた数は、5年連続で1万人を超えています。
  このうち、中村さんが銃撃された東部ナンガルハル州は、伝統的にタリバンの影響力の強い地域の1つでしたが、ここ数年は、パキスタンとの国境の山岳地帯にISが拠点を設けています。
  こうした中、ナンガルハル州では、外国人などの援助関係者が、武装グループから襲撃されたり、誘拐されたりするケースが後を絶ちません。
  ジャララバードでは、おととし1月に国際的なNGO「セーブ・ザ・チルドレン」の事務所が襲撃され6人が死亡したほか、首都カブールでも去年11月にUNDP=国連開発計画の車両が襲撃され、援助関係者1人が死亡するなど、治安の悪化に歯止めがかからない状態が続いています。

生まれた子の名は“ナカムラ”
  アフガニスタンでは、中村さんの功績を忘れてはならないとして、生まれた子どもに「ナカムラ」と名付けた人がいます。首都カブールに住むサミウラ・マランさん(39)です。
  サミウラさんは、中村さんが農業用水路の建設などかんがい事業を手がけた東部クナール州の出身で、以前から中村さんたちの活動に感謝の気持ちを抱いていたということです。
  中村さんの銃撃事件を知り、「国の復興に力を尽くした中村さんの功績を忘れてはならない」として、事件2日後の先月6日に生まれた男の子を「ナカムラ・ムスリムヤール」と名付けました。
  4人きょうだいの三男として生まれたナカムラちゃんには、「中村さんのように、アフガニスタンのために一生懸命に働く人物になってほしい」と願いを込めたといいます。
医療や農業支援は再開 灌漑事業は中断
  中村さんは、現地に診療所を設立し、地元の人たちに医療支援を行ってきました。
  こうした医療支援は、事件を受けて中断していましたが、先月中旬から少しずつ再開しています。
  東部ナンガルハル州のダラエヌールに設けられた診療所では、アフガニスタン人の医師と看護師などが、ほぼ毎日24時間態勢で診療を行っています。
  冬場のこの時期には、かぜの症状を訴える子どもや女性が後を絶たないほか、出産のため診療所を訪れる女性も多いということです。子どもを連れて訪れた20代の女性は、「診療所が再開して本当にうれしいです。これまで薬がもらえず、苦労したので、大変、助かります」と話していました。
  さらに、中村さんは、地元の人たちの収入を安定させようと、農業支援も行ってきました。
  こうした中村さんの遺志を受け継いだ人がいます。アジマル・スタネクザイさん(40)です。
  18年前、中村さんと出会ったのをきっかけに、ペシャワール会が支援する現地のNGOの中心メンバーとして、数々のプロジェクトに関わってきました。
  「途絶えかけた活動を再び軌道に乗せたい」として、今月に入ってから農作物の手入れや植林の現場などでの指導を再開しました。
  アジマルさんが今、力をいれているのが、オレンジなどかんきつ類の栽培です。
  従来の小麦や野菜のほかに栽培する作物を増やせば、地元の人たちの収入の増加につながるとして、生前、中村さんが重視していたといいます。
  アジマルさんは、「中村さんの夢は、乾いた大地に水を引き、雇用をつくり、貧困をなくすことでした。彼の遺志をついで支援を続けていきます」と固い決意を話していました。
  ただ、中村さんが活動の最大の柱としていた農業用水路の建設など、かんがい事業の再開は本格化していません。
  中村さんは、用水路によって水を安定的に供給し、農業の生産性を高めてもらおうという目標を掲げていました。
  しかし、銃撃事件をきっかけに事業は中断。用水路の建設現場などには、大型機械やトラックが残されたままとなっています。
  今月に入り、護岸工事など比較的小規模な工事は一部で再開されたものの、用水路の建設など大がかりな工事には着手できていません。
  最大の懸案は現地の治安です。中村さんたちが活動してきた地域には、タリバンやISなどの影響力が強いところもあり、安全を見極めるのが難しいのです。
  現場の近くに住む50代の男性は、「事業が中断してとても残念です。プロジェクトが再開されることを期待しています」と話していました。
  また、アジマルさんは、「私たちの最大の心配は、治安状況です。ナンガルハル州では特に悪くなっています。状況を見ながら、慎重に事業を進めていきます」と話していました。


2020.1.4-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200104/k10012234901000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001
中村さん銃撃から1か月 農業用水路建設など再開求める声

  アフガニスタンで医師の中村哲さんが銃撃され、死亡した事件から4日で1か月です。犯人に結び付く有力な手がかりがない中、事件の影響で、中村さんが進めていた農業用水路の建設などはほとんど中断し、地元の住民からは工事の再開を求める声が高まっています。
  この事件は先月4日、アフガニスタン東部のナンガルハル州で、福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表の医師、中村哲さん(73)が車で移動中に何者かに銃撃され、死亡したものです。
  地元の警察は2人の男から事情を聴くとともに、自宅から押収した武器や弾薬などを分析して調べを進めていますが、男らはこれまでのところ、事件との関連については話していないということです。
  またこの2人とは別に政府の情報機関「国家保安局」の関係者もNHKの取材に対し、複数の男から事情を聴いていることを認めていますが、犯人に結び付く有力な手がかりは得られていないとしています。
  一方、事件の影響で中村さんが進めていた農業用水路の建設や護岸工事などの活動はほとんど中断しています。
  こうした活動は農業の安定につながるとして高く評価されていただけに、地元の住民からは工事の再開を求める声が高まっています。
  このためペシャワール会では現地での安全を確保したうえで速やかに活動を再開したいとして、今月、ペシャワール会の関係者がアフガニスタンの現地スタッフと面会し、今後の活動方針などを話し合うことにしています。
犠牲になった運転手や警備員の遺族
悲しみは今も事件が起きた当時、中村さんに同行していて犠牲になった車の運転手や警備員の遺族は今も悲しみに包まれています。
  このうち中村さんの運転手を10年以上務め、事件に巻き込まれて死亡したザイヌラさんの弟のルトゥフラさんは「兄は父が亡くなった後、一家の大黒柱として家族を支え続けました」と述べ、家計を支えた兄を突然失った悲しみを語りました。
  また中村さんの人柄について、「中村さんはどんなに危険な場所でも懸命に働き、地元の人たちのために力を尽くしていたと兄は何度も私に話していました」と述べたうえで、「このような残忍な犯罪が再び起きないよう、アフガニスタン政府は一刻も早く犯人を捕まえてほしい」と話していました。
  一方、中村さんの警備を担当していたサイード・ラヒミさんの父親のカーンさんは「息子はわが家を一生懸命支えてくれたすばらしい子どもでした。息子の死を考えると、悲しくて本当にやりきれない思いでいっぱいです」と述べました。
  そのうえで、「一家の大黒柱を失い、将来がとても不安です。息子の子どもは学校に通っていますが、将来、通えなくなるかもしれません」と今の心境を語りました。

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201511.2-文藝春秋-https://books.bunshun.jp/articles/-/3353
財閥令嬢・沢田美喜は戦後の混乱期に数多くの国際孤児を育てた
  テレビドラマ「サインはV」で、范文雀演じるジュン・サンダースが、エリザベス・サンダース・ホーム出身だったことを覚えているだろうか。
   戦後の混乱期に同園を造り、数多くの国際孤児を育てた沢田美喜は、明治三十四年(一九〇一年)生まれ。祖父は三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎。父は三菱財閥の三代目総帥、岩崎久弥男爵、母寧子は保科子爵家の出という令嬢だった。東京女子高等師範学校附属高等女学校を中退し、津田梅子らが家庭教師として指導した。
   大正十一年(一九二二年)クリスチャンの外交官、沢田廉三と結婚し、キリスト教徒となる。夫の転勤にしたがい、ロンドン、パリ、ニューヨークで生活する。昭和十一年(一九三六年)帰国。
   終戦に伴いGHQが進駐し、アメリカ兵を中心とした連合国軍兵士と日本人女性との間に数多くの国際孤児が誕生した。両親ばかりでなく、社会からも見放された彼らのために、沢田は、昭和二十三年、敷地一万五千坪の大磯の岩崎別邸内に、エリザベス・サンダース・ホームを開設する。財産税として物納されていたが、募金を集めて買い戻したのである。
  「なんにもなくなったときにはじめたでしょう。ですから、父からもなんにもしてもらえなかった。ただ、最初に子供を大磯へつれて行くとき、わたしが結婚式のときに使ったロールスロイスを貸してくれたんです。『なんにもしてやれないから、せめていい車で送ってやれ』って」(「週刊文春」昭和四十年十二月十三日号「大宅壮一 人物料理教室」より)
   孤児たちが就学年齢に達すると、ホーム内に小学校、中学校を設立した。学校名は、戦死した三男の洗礼名から、聖ステパノ学園と命名した。昭和三十七年、ブラジルのアマゾン川流域の開拓をすすめ、聖ステパノ農園を設立。ホームの卒園生が数多く移住した。こうした事業に私財をすべて投じたほかはほぼ寄付で運営し、手元には何も残らなかったという。
  「わたしの娘がお嫁に行くとき、指輪の一つ、やれませんでした。おばあさんが、なにか一つ残してくれといったんですが、とうとう残らなかったし……。御所(皇居)のおよばれのときにいただいた、銀のボンボン入れがありましたが、これだけは娘にやろうと思っていたんです。御紋がついていますし、売るわけにいきませんから。そしたら、なかの盗癖のある子が、みんな盗んで行っちゃった」(同)







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