エンタメ-1



2020.12.29-毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20201229/k00/00m/040/253000c
ピエール・カルダンさん死去 98歳 ファッションデザイナー「モードの革命児」

  ロイター通信などによると、戦後フランスを代表するファッションデザイナーで「モード界の革命児」と呼ばれたピエール・カルダン氏29日、パリ西部の病院で死去した。98歳だった。
  1922年、イタリアのベネチア近郊出身。2歳の時にファシズムが台頭する母国を一家で出て、フランスに移り住んだ。仕立屋での修業時代、人体などに直接、布を当てて形を取る「立体裁断」の技術を体得し、クリスチャン・ディオール氏のアトリエなどで働いた後、30歳手前で独立。ユニセックスなデザインやビニール素材の使用など斬新な発想が話題を呼んだ。
  富裕層相手のオートクチュール(高級仕立て服)から脱却しようと59年、プレタポルテ(既製服)コレクションを発表。60年にはメンズのファッションショーを開き、スーツ一辺倒の紳士服業界に旋風を巻き起こした。「ピエール・カルダン」のロゴを広めるなど、デザイナーの経営基盤を支えるためのライセンスビジネスを展開。「ピエール・カルダン」を世界で最も有名なブランドの一つに育て上げた。
  50年代後半に初来日。各地で立体裁断の講習会を開催し、日本のファッション界にも大きな影響をもたらした。来日した回数は50回以上。パリで学んだ立体裁断を日本で広げた文化服装学院の元名誉学院長の故小池千枝さんや、その教え子だった故高田賢三さん、コシノヒロコさんらと交流を重ねた。

2020.12.26-日本経済新聞-https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK60769_W0A221C2000000
羽生結弦が5年ぶりV 全日本フィギュア、2位に宇野昌磨

  フィギュアスケートの世界選手権(来年3月・ストックホルム)代表最終選考会を兼ねた全日本選手権第2日は26日、長野市ビッグハットで行われ、男子は羽生結弦(ANA)がフリーで215.83点を出して前日のショートプログラム(SP)に続いて1位となり、合計319.36点で5年ぶりの優勝を果たした。日本スケート連盟の選考基準を満たして代表に決まった。

  羽生はフリーでループ、サルコー、トーループの3種類4度の4回転ジャンプを成功させた。5連覇を狙ったSP3位の宇野昌磨(トヨタ自動車)はフリー2位の190.59点を出して合計284.81点で2位となり、SP2位で17歳の鍵山優真(神奈川・星槎国際高横浜)はフリーは3位で278.79点の3位。
  5組によるアイスダンスのリズムダンス(RD)で注目の村元哉中、高橋大輔組(関大KFSC)が67.83点で2位につけた。3連覇を目指す小松原美里、小松原尊組(倉敷FSC)が71.74点でトップ。
  今年は新型コロナウイルス感染防止対策を講じ、会場の収容人員の半分を上限に観客を入れて開催。最終日の27日にアイスダンス、昨年覇者でSP首位の紀平梨花(トヨタ自動車)らが臨む女子のフリーを実施する。〔共同〕


2020.12.25-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201225/k10012783321000.html
作詞家 なかにし礼さん死去 82歳「北酒場」「石狩挽歌」など

  「北酒場」や「石狩挽歌」など、昭和を代表するヒット曲の作詞家で、直木賞作家のなかにし礼さんが、23日、心筋梗塞のため東京都内の病院で亡くなりました。82歳でした。

  なかにし礼さんは、昭和13年に旧満州、今の中国東北部に生まれ、終戦後、日本に引き揚げました。東京の大学に入学してからシャンソンの翻訳を始め、大学卒業後に作詞家となり、由紀さおりさんの「手紙」や、いしだあゆみさんの「あなたならどうする」など、男女の複雑な恋愛感情を情感豊かにつづった作詞で数々のヒット曲を生み出しました。このほかにも、北原ミレイさんの「石狩挽歌」や、菅原洋一さんの「今日でお別れ」、細川たかしさんの「北酒場」など、なかにしさんが作詞した歌は4000曲以上に上ります。
  昭和60年代に入り本格的に小説やエッセーなどを書き始め、明治から昭和初期の長崎の花街を舞台にした「長崎ぶらぶら節」で、平成12年に直木賞を受賞しました。また、みずからの戦争体験をもとに旧満州からの引き揚げをテーマに描いた小説「赤い月」は、のちに映画やテレビドラマにもなりました。
  さらに、妻の石田ゆりさんの家族をモデルにした小説「てるてる坊主の照子さん」は、平成15年に放送されたNHKの連続テレビ小説「てるてる家族」の原作になりました。
文筆活動のかたわら、なかにしさんはテレビやラジオの出演のほか、みずからの体験を踏まえて、平和の大切さを語る活動を続けていました。なかにしさんは平成24年に食道がんであることを公表し、同じ年に復帰しましたが、その後、がんが再発し、その治療の経過を書いたエッセーを出版するなど、仕事を続けていました。


2020.12.24-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201224/k10012781781000.html
「北酒場」「喝采」など作曲 中村泰士さん死去 81歳

  ちあきなおみさんの「喝采」や細川たかしさんの「北酒場」を作曲するなど、多くの歌謡曲をヒットさせた作詞家で作曲家の中村泰士さんが、今月20日、肝臓がんのため大阪市内の病院で亡くなりました。81歳でした。
  中村さんは奈良県出身で、美川鯛二という名前で歌手として活動したあと、昭和43年に発表された佐川満男さんの「今は幸せかい」で作曲家デビューしました。昭和を代表する歌手の楽曲を多く手がけ、昭和47年に発表された、ちあきなおみさんの「喝采」と昭和57年の細川たかしさんの「北酒場」は日本レコード大賞を受賞しました。
  作詞も手がけたほか、平成9年からはライブコンサートを始め、平成14年には近畿各地をめぐるツアーを開くなど、幅広く活躍しました。所属事務所によりますと、中村さんはことし9月末に体調不良を訴え、その後、病院で検査を行ったところ肝臓がんが見つかりました。治療を受けながら、今月5日までライブ出演などの仕事を続けていましたが、今月20日、大阪市内の病院で亡くなりました。
  葬儀は親族のみで執り行ったということです。


2020.12.22-Yahoo!Japanニュース-https://news.yahoo.co.jp/articles/f232e3e99f4598bd38a1a2efe37b68a38d7f6147
林家こん平さん死去…大喜利登場の故郷「チャーザー村」も悲しみ「みんな感謝しています」

  日本テレビ系「笑点」の初代大喜利メンバーとして知られる落語家の林家こん平(はやしや・こんぺい、本名・笠井光男=かさい・みつお)さんが17日午後2時2分、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去していたことが21日、分かった。77歳だった。葬儀・告別式は19日に近親者で営まれた。こん平さんは2004年8月に病に倒れ、翌年7月に難病の「多発性硬化症」であることを公表。再び高座に上がることを夢見ていたが、願いはかなわなかった。
  出身地の新潟県長岡市小国町千谷沢(ちやざわ)の住民は、郷土が誇る大落語家の訃報を受け、哀悼の意を表明した。
  稲作が中心産業の旧・千谷沢村は1954年、こん平さんが12歳の時に旧小国町と旧越後町に分割編入された。こん平さんは故郷を「チャーザー村」と呼び「笑点」出演時の大喜利などに度々登場させ、温かい笑いに変えていた。千谷沢地区に住む長岡市小国支所地域振興課の湯本利昭さん(55)は訃報を受け「4年前、闘病中なのに地元中学校の式典に来てくださいました。昔から地域のことを広めていただき、みんな感謝しています…」と語った。今も同地区には544人が暮らし、生家も親族が継いでいる。
   冬には積雪2メートルに達する豪雪地帯。訃報が伝えられたこの日午後も「涙雪」が断続的に降り続け、高さ69センチまで積もった。


2020.12.21-日本経済新聞-https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM212WG0R21C20A2000000
エズラ・ボーゲル氏死去 ジャパン・アズ・ナンバーワン

  「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者で知られるエズラ・ボーゲル米ハーバード大名誉教授が20日、東部マサチューセッツ州ケンブリッジで死去した。90歳だった。同大のフェアバンク中国研究センターが発表した。手術を受けた後、合併症により逝去したという。
  ボーゲル氏はおよそ60年にわたって日本や中国などについて研究した東アジアの専門家。ハーバード大によると1958年に同大の博士号を取得し、日本語の習得や中間層の家庭について研究するために2年に渡り日本に滞在した。同大の教授のほか、東アジア研究センターの所長も歴任した。
  79年の著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」では、日本が戦後に高度経済成長を実現したことついて分析し日本型のシステムや経営を評価した。日本でベストセラーとなった。知日家として知られ、来日も多かった。2019年には日中関係を歴史的観点から記した著書を発刊していた。


2020.12.16-J SPORTS-https://news.jsports.co.jp/rugby/article/20190310219633/?p=1
五郎丸歩、全力で走り抜けた32年間。引退表明会見でラストシーズンにかける思いを語る
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  12月16日(水)、今シーズン限りでの現役引退を表明した元日本代表FB(フルバック)五郎丸歩選手(ヤマハ発動機ジュビロ)が地元の静岡・浜松で会見を行った。会見場には静岡県内のメディアのみが出席を許され、県外のメディアはオンラインでの参加となった。

  冒頭、少し緊張した表情で登場した五郎丸選手はこう話した「2021年1月16日に開幕するトップリーグを最後に、現役を引退する決意をしました。3歳から始めたラグビー選手を終える寂しさもありますが、32年間、全力で走り抜けてまいりました」。

  「私には残り1シーズンしか体力、気力はともに残っていません。みなさまに対しての感謝の思いを胸の中に秘め、背負い、全力で戦い抜いていきたいと思っております」
  なぜ、35歳という年齢で引退を決意したのか、またその経緯に関しては「私はヤマハ発動機ジュビロという素晴らしいチームと、22歳でプロ契約をさせていただきました」。
  「契約した瞬間から35歳まで第一線で戦い抜くと、そう決意して契約したことを昨日のように思い出します。ですので、ここ数年、数ヶ月という短いスパンではなく、長いスパンで(今シーズンで)引退という日を迎えることになりました」と説明した。
  五郎丸選手自身が、35歳がハイパフォーマンスを出し続けることができるギリギリの年齢と判断したようだ。「アスリートは体力だけでなく、気力も大事。気力の部分が自分の中で衰えていることを感じ、この35歳という節目で、自分が現役を退くことが、自分にとっても周りにとってもベストだと思い決断した」。
  当然、五郎丸選手は2022年から始まる新リーグに参加することは考えていない。「トップリーグ自体も今季が最後で、来季から新リーグが始まるわけですが、あと1年プレーしたらどうかという声も多く聞こえたが、22歳のときに決めた自分の考えを曲げず、ここで気持ちよくトップリーグとともに去るという決断の方が自分には合っていた」と話した。
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  そして、シーズン前に引退発表会見をすることに関しては「私自身が決めました。引退発表会見はシーズンを終えた後にするのが、本来の形であると理解しております。しかし、昨シーズンも新型コロナの影響で、6試合で終えたことが大きな要因です」。
  「もう1つの大きな要因は、2015年ワールドカップ後から本当に多くの方に応援していただき、支えていただいた。もしかしたら途中で中断してしまうかもしれない中、そういった方々に今シーズン前に、しっかりした形でご挨拶させていただき、自分のラストシーズンを迎えることが、みなさまに対する私が考える礼儀として考え、この会見を承諾していた」と説明した。
  まだラストシーズンが残っているが、五郎丸選手に取って一番思い出に残っている試合、シーンを聞かれ「32年もラグビーやっていると、一番を選べなくなりますが、日本のラグビーの歴史を変えた、あの(2015年ワールドカップ)南アフリカ戦は心に残っている」。
  「次のスコットランド戦で大敗したことも思い出の一つですし、ヤマハとして入れ替え戦を戦ったゲームも自分の中では一番です。一番を選ぶのは難しい。すべての試合、練習が自分の中では一番なので、一番を選ぶことはできない」という。
  常々、「ラグビー文化として日本に根付かせたい」と話した五郎丸選手。その達成度を聞かれて「みなさんのおかげで、アジア初開催となった2019年ワールドカップがこれだけの成功したのは、ラグビー界にとって本当に大きなことだったと感じています」。
  「ワールドカップ後のシーズンは大事でしだが、新型コロナウィルスの影響で6試合戦った後、中断、終了したことは非常に残念に思いますが、1月16日に開幕するトップリーグでみなさんの期待に応えられるように、ラグビー界あげて頑張っていきたい」と語気を強めた。
  五郎丸選手と言えば2015年ワールドカップ後に「五郎丸選手ポーズ」が流行ったが、そのときの心境を聞かれて、やや困った表情をした後、「ラグビーをずっと続けた人間としては、やはり1人にフォーカスされることに対する違和感はありました。ラグビーはヒーローが出るわけではなく、チームみんなが役割を全うして勝利が見える」。
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   「そういったラグビーを3歳から経験しているので、私ひとりにフォーカスが当たることに非常に違和感があったが、ラグビーという競技がこの日本で広がっていない以上、私がその仕事といいますか、ラグビーの魅力を広げていくことが自分に与えられた使命だと思い、ここまでやってきた」。
  「最初は少しきつかったです。ただ考え方を変えれば、素晴らしい機会をいただいたと思います。あのポーズから入って、ラグビーを好きになった、また違う選手を好きになったという方々が1人でもいれば、私がラグビーをしてきた、続けてきた意味があるのかなと思います」と振り返った。
  五郎丸選手の活躍などもあり、ラグビーをする子どもたちが増えたことに関しては「ラグビー選手として、日本代表のジャージーを着たいという子どもたちが増えていることに嬉しく思います」。
  「2015年ワールドカップを戦う前は、そういった子ども少なく、そういう環境を変えたいと、2012年に始まったエディージャパンの過酷なトレーニングでしたが、そのトレーニングをしっかり4年間、耐え抜き、1つラグビーというものを憧れのステージに上げられたことを非常に嬉しく思っています」。
  また、「2019年ワールドカップに私は出場しませんでしたが、日本代表がラグビー、スポーツの魅力を多くの方々に発信していただいた」と話した。そして、子どもたちへのメッセージとして、五郎丸選手は「日本のラグビーは、ここ数年で大きく変わってきました。私が小さいときに見ていた日本代表よりも、はるかに強くなってきました」。
  「個人としても松島幸太朗選手や姫野和樹選手など、海外で活躍する選手も多く出てきました。私が小さいときには考えられなかった。チームとしても日本代表が2019年には初のベスト8にたどりついた。本当にラグビー界は世界レベルに年々上がっていると思っています」。
  「そういった高い目標を現役のトップの選手が今、示してくれているので、そういった選手に負けないように、そういった選手を追い抜くように日々努力してほしいなと思います」と話した。
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  引退後については「まったく白紙です。私自身の性格を取っても、2つ同時に考えられるような、そんな起用な人間ではありません。不器用ですが、目の前のことを積み上げてきた人間ですから、シーズン後のことは、シーズン後、自分の役目を終えた後、しっかり考えたい」と話すに留めた。
  ベスト4常連のヤマハ発動機は、2014年度の日本選手権こそ優勝しているが、まだトップリーグのタイトルには手が届いていない。
  五郎丸選手も十分にそれを承知しており、今季の目標を聞かれて「ヤマハとして初めて取ったタイトルは日本選手権です。1月16日に開幕するトップリーグはまだ取れていません。取ることで、このチームが1つ2つとステップアップする大きなタイトルだと思いますので、まずはここに集中して頑張っていきたい」と腕を撫した。
  最後に五郎丸選手はマイクを手に取って「本当にこれまで多くの方々に支えていただきまして、本当にありがとうございました。私自身にはラストワンシーズン残されています。ラストワンシーズン、全力で戦って参りたい。熱い声援をよろしくお願いします」と頭を下げた。
  18シーズン目、最後のトップリーグがラストシーズンとなる五郎丸選手は、突破力と正確なプレースキックで貢献し、ヤマハ発動機の初優勝で有終の美を飾ることができるか。
文/斉藤健仁


2020.12.14-朝日新聞 DIGITAL-https://www.asahi.com/articles/ASNDG4V82NDGUCLV00H.html
浅香光代さんが死去 92歳、女剣劇のスターとして人気

  女剣劇のスターとして人気を集めた俳優の浅香光代(本名北岡昭子)さんが13日、膵臓(すいぞう)がんで死去した。92歳だった。通夜・葬儀は親族のみの密葬で行う。喪主は長男一男(かずお)さん。
  東京・神田生まれ。母が働く料亭の常連客から紹介され、9歳のころ浅香新八郎・森静子の「新生国民座」に加わった。終戦後まもなく一座を組み、不二洋子や二代目・大江美智子に続き、男装をした女剣劇の座長として活躍した。
  花柳流の師範でもあったが、返上。「演劇舞踊浅香流」の家元になる。浅草の自宅ビルに稽古場兼舞台を設け、若手の指導にあたった。門弟は全国に3千人以上いたという。
  テレビタレントとしても活躍。べらんめえ口調の歯に衣(きぬ)着せぬ物言いが魅力で、元プロ野球選手・野村克也さんの妻、野村沙知代さんとのいわゆる「ミッチー・サッチー騒動」でも注目を集めた。(小泉信一)


2020.12.11-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201211/k10012760071000.html
漫才トリオ 横山ホットブラザーズの長男 アキラさん死去

  「お~ま~え~は、ア~ホ~か~」のギャグで親しまれた昭和の上方演芸を代表する漫才トリオ横山ホットブラザーズの長男、横山アキラさんが12月9日、腎不全のため亡くなりました。88歳でした。
  横山アキラさんは昭和7年、大阪市に生まれ、昭和19年に音楽漫談をはじめました。その後、2人の弟を率い、トリオ漫才「横山ホットブラザーズ」のリーダーとして活躍してきました。
  のこぎりで音を出しながら、「お~ま~え~は、ア~ホ~か~」としゃべるギャクなどで人気を集め、平成15年に上方漫才大賞を受賞したほか、平成29年には大阪市の無形文化財に指定され、昭和の上方演芸を代表する漫才トリオとして長年、親しまれてきました。
  所属事務所によりますと、横山アキラさんは平成28年以降は病気のため舞台に立てず、入退院を繰り返していたということで、12月9日、腎不全のため死亡しました。88歳でした。通夜や告別式は近親者で済ませたということです。


2020.12.11-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201211/k10012759361000.html
コメディアン 小松政夫さん死去

  「デンセンマンの電線音頭」や「しらけ鳥音頭」などのネタや歌で人気を集め「小松の親分」の愛称で知られたコメディアンの小松政夫さんが今月7日、肝細胞がんのため東京都内の病院で亡くなりました。78歳でした。
  小松さんは福岡市の出身で、昭和39年に当時、国民的人気だったコメディアンの植木等さんの付き人として芸能界入りし、テレビ番組や舞台で演じたひょうきんなキャラクターや持ち前のギャグで一躍人気者となりました。
  中でも、伊東四朗さんとのコンビで出演したコント番組で演じた「小松の親分」は、小松さんを代表するキャラクターとなり、番組の中で披露した「デンセンマンの電線音頭」や「しらけ鳥音頭」などのネタや歌が大ヒットしました。
  また、イッセー尾形さんとの即興の二人芝居など舞台での活動も精力的に行ったほか、植木等さんとの師弟関係を描いた自伝的長編小説「のぼせもんやけん」は平成29年に原案としてNHKでドラマ化されています。
  小松さんは去年11月に肝細胞がんが見つかり、治療を受けながら最近まで仕事を続けていましたが、先月14日から入院し、今月7日、都内の病院で肝細胞がんのため亡くなりました。78歳でした。
  葬儀は親族のみで11日執り行ったということです。
伊東四朗さん「俺より先に逝くなんて」
  コメディアンの小松政夫さんが亡くなったことについて、コント番組にコンビで出演していた俳優の伊東四朗さんは「俺より先に逝くなんて馬鹿野郎。会いたかった」と、所属事務所を通じてコメントを発表しました。
イッセー尾形さん「どんな無茶ぶりも受けとめ笑いに」
  コメディアンの小松政夫さんが亡くなったことについて、小松さんとの二人芝居で共演した俳優のイッセー尾形さんは「突然の訃報にただただ驚いています。きっと元気でやっておられるとばっかり思ってました。楽しい舞台をご一緒させていただきました。笑いの渦と真剣な汗が目に焼きついています。こう言うと、ますます信じられませんが…とにかく小松さんの包容力に甘えての舞台でした。どんな無茶ぶりでも受けとめて大きな笑いを劇場に巻き起こしたものです。ここで型どおりを言わなければならないなんて。残念です。心よりご冥福をお祈りいたします。やすらかにお休みください。おつかれさまでした」と、コメントを寄せました。
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2020.12.9-Livedoor NEWS(毎日新聞)-https://news.livedoor.com/article/detail/19353428/
一龍斎貞水さん死去、81歳 人間国宝、講談界の大看板

  怪談などを得意にした、講談界の大看板で人間国宝の一龍斎貞水(いちりゅうさい・ていすい-本名・浅野清太郎)さんが3日、肺がんのため死去した。81歳。葬儀は近親者や一門の関係者で営んだ。後日、しのぶ会を開く。喪主は長男丈太郎(じょうたろう)さん。

  東京・湯島生まれ。1955年、都立城北高入学と同時に、五代目一龍斎貞丈に入門。同年5月、貞春を名乗り、上野の本牧亭で初舞台。66年、真打ちに昇進し六代目貞水を襲名した。
  活動は多岐にわたり、特殊効果を駆使した「立体怪談」は高く評価され、「怪談の貞水」と呼ばれるようになった。講談師として初の全編読み切り「四谷怪談」(全5巻)、「赤穂義士本伝」(全15巻)をCD化。2005年には講談界初の欧州ツアーを行った。

  また、「講談湯島道場」を開くなど後進の育成にも力を入れた。02年、講談界として初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。同年~06年、講談協会会長。相談役に退いた後、10年に再び会長になった。
  今年、新型コロナウイルスの感染拡大で講談も自粛を強いられたが、「湯島道場」を再開して配信するなど、闘病しながらも講談への情熱は衰えなかった。11月25日、「連続講談の会」での読み物「金毘羅利生記」が最後の高座となった。
  著書に「一龍斎貞水の歴史講談」など。


2020.12.07-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201207/k10012750731000.html
東大元学長の有馬朗人さん死去 90歳

  物理学者で、東京大学の学長や文部大臣などを歴任した有馬朗人さんが亡くなりました。90歳でした。
  有馬さんは昭和5年、大阪市生まれで、昭和28年に東京大学理学部を卒業し、その後東京大学の教授となり、平成元年から学長を務めたほか、平成5年からは理化学研究所の理事長も務めました。
  原子核物理学の研究で優れた業績をあげ、平成5年に「日本学士院賞」を受賞したほか、平成10年にはフランスで最も名誉ある国家勲章「レジオン・ドヌール勲章」を受けています。
  また、平成10年に参議院議員選挙で初当選し、文部大臣や科学技術庁長官を務めたほか、日本科学技術振興財団の会長などを歴任し、日本の科学技術の振興や教育改革などに取り組みました。
  平成16年に文化功労者に選ばれたほか、平成22年には文化勲章を受章しています。

  平成18年からは中高一貫校や大学を運営する武蔵学園の学園長を、平成22年からは静岡文化芸術大学の理事長を務め、平成27年からは安全管理上の問題が相次いだ高速増殖炉「もんじゅ」について議論するために設置された文部科学省の検討会で座長を務めました。
  また、俳人としても知られ、句誌「天為」を主宰していたほか、平成29年の句集「黙示」などで毎日芸術賞を受賞しています。
  平成29年には世界の伝統文化などを保護するユネスコの無形文化遺産として、新たに「俳句」の登録を目指そうと、協議会を設立しました。
  一方、有馬さんは平成17年の新聞社への寄稿で、「物理学者としてノーベル賞を受賞してこそ認められるが、研究以外のいろいろなことをやり学問を究められなかった」と振り返っていて、政治や行政に携わったことは「人生の痛恨事」だったと語っています。
  関係者によりますと7日午前、東京・世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、その後、死亡が確認されたということです。
原子核物理学の研究者
  有馬朗人さんは原子核物理学の研究者で、原子力行政に深く関わったほか、臨界事故の対応などにも当たりました。
  有馬さんは、将来にわたってエネルギーを確保していくには、使用済みの核燃料を再処理して何度も利用する「核燃料サイクル政策」が欠かせないとし、政策の中核的な施設として開発された高速増殖炉「もんじゅ」などに関わってきました。
  平成11年には科学技術庁長官として、ナトリウム漏れ事故で「もんじゅ」が長期停止する中、運転再開に向けて取り組み、現地を訪れた際には「高速増殖炉は、日本が世界に誇れる最先端の技術であり、21世紀の日本のエネルギーを確保していくうえでも、できるだけ早期に運転を再開したい」と述べ、地元、福井県の知事に理解や協力を求めていました。
  平成27年からは、安全管理上の問題が相次いだ「もんじゅ」の運営を立て直すため、文部科学省が設けた検討会で半年間、座長を務めました。
  平成28年5月の最後の会合で報告書が取りまとめられた際、有馬さんは「将来の日本のエネルギー、人類のエネルギーをどうするのか、きちんと考えていくべきだ。新エネルギー、再生可能エネルギーの必要性は十分あるわけだが、同時に原子力などの新しい技術を国を挙げてしっかり検討をしてほしい」と要望していました。

  ただ「もんじゅ」は、その後、相次ぐトラブルやコストを理由に、政府が廃炉を決めました。有馬さんは、科学技術庁長官だった平成11年9月に、茨城県東海村にある核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」で起きた臨界事故で当初、対応にも当たりました。
  事故の8日後には村長に対して、国が得た事故に関する情報を十分伝えられなかったことや、科学技術庁として、事前の審査が甘かったことなどを陳謝しました。
  この事故では、2人の作業員が大量の被ばくで亡くなったほか、周辺の住民など600人以上が被ばくするなどしていて、当時、国内最悪の原子力事故とも呼ばれました。
  また、平成23年に起きた福島第一原発の事故のあとは、有馬さんは政府へ提言する活動などを行い、この中で福島の復興と廃炉に全力を尽くすとともに、徹底した安全性の確保を前提に、原発を再稼働することを訴えていました。
  有馬さんはNHKの取材に対して、高速増殖炉や再処理工場といった核燃料サイクルの中核施設が行き詰まっていることに触れ、経済産業省や文部科学省など、政府が具体的に進めなければ、開発が進む中国やロシアなどと比べて原子力技術の後進国となるおそれもあると懸念を示していました。
  そのうえで有馬さんは、原発事故の反省を踏まえ、将来の世代のためにエネルギーをどうするかや、原発から出る廃棄物処分の問題をどうするのかなどについて、自分たちの世代が考えて進めていく責任があるとしていました。
原子力規制委 田中初代委員長「臨界事故で落ち着いて対応」
  原子力規制委員会の初代委員長を務めた田中俊一さんは「戦後、日本が原子力利用を推進しようと動いてきた中、いろいろな立場で支えてきた方だった。もともと有馬さんが専門とする原子核物理学と、原子力を広く利用研究しようという学問の間には、研究者どうしに壁があったが、それを乗り越えて発展させようとする道を作ってきた」と振り返りました。
  茨城県東海村の事故対応について、田中さんは「私も専門家のひとりとして事故の収束に臨んだが、施設の周辺に影響を与えるようなとても大きな事故で、現場は非常にばたついていた。そうした状況にあっても落ち着いて状況を科学的に分析し、対応していたのを覚えている」と話していました。


2020.12.06-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201206/k10012749361000.html
井戸川絹子さん死去 東京五輪 金メダル「東洋の魔女」のエース

  1964年の東京オリンピックのバレーボール女子で金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれた日本代表のエースだった井戸川絹子さん、旧姓、谷田絹子さんが4日、大阪府豊中市内の病院で脳出血のため、亡くなりました。81歳でした。
  井戸川さんは大阪府池田市出身で大阪の四天王寺高校を経て実業団の強豪、「日紡貝塚」に入社し、「鬼の大松」と呼ばれた大松博文監督の厳しい指導のもと力をつけました。
  そして、1964年の東京オリンピックでは「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール女子日本代表のエースアタッカーとして活躍し、金メダル獲得に大きく貢献しました。
  現役引退後は地元の大阪を拠点にバレーボールの指導に精力的に取り組み、来年に延期となった東京オリンピックでは大阪の聖火ランナーにも選ばれていました。
  親族によりますと、井戸川さんは4日午前11時すぎ、豊中市内の病院で、脳出血のため亡くなったということです。81歳でした。


2020.11.27-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/1c7001842b6dff28df327e7d4e7369cdf9a64cbb
船場太郎さんが死去 元吉本新喜劇、元大阪市議会議長

  吉本新喜劇の元俳優で大阪市議会議長を務めた船場太郎(本名・松原昌平)さんが死去したことが27日、分かった。81歳。大阪市出身。
  大阪市会事務局などによると、平成3年に大阪市議に初当選し、連続6期務めた。15~16年には、市議会議長も務めた。


2020.11.26-中日新聞-https://www.chunichi.co.jp/article/160522
サッカー“神の子”マラドーナさん死去、60歳

  サッカーの元アルゼンチン代表で、1986年のワールドカップメキシコ大会で“神の手”“5人抜き”といった伝説的なプレーを見せ、アルゼンチンを優勝に導いたことでも知られる、ディエゴ・マラドーナさんが25日、亡くなった。今年10月30日に60歳の誕生日を迎えたばかりだった。アルゼンチン政府もSNSで追悼し、3日間、全土で喪に服すとしている。

  マラドーナさんは1960年、アルゼンチンの首都・ブエノスアイレス生まれ。現役時代はその卓越した技術から「神の子」とも呼ばれ、1982年から4回連続でワールドカップにアルゼンチン代表として出場し、サッカー史上、世界最高の選手の1人として知られた。
  メキシコ大会の“神の手”とは、準々決勝のイングランドとの試合で、ヘディングと見せかけて実は左手で決めていたゴールのこと。“5人抜き”は同試合で、ドリブルで相手の5人の選手を抜いてゴールを決めたプレー。また、イタリアの1部リーグ「ナポリ」などでも活躍し、世界的な名声を得た。
  フィールドではそのプレーで多くの人々を魅了し、スーパースターとしてあがめ立てられる一方、プライベートではマフィアとの交際、愛人とのスキャンダル、コカインでの逮捕といったトラブルで世間を騒がせた。
  94年のワールドカップ・アメリカ大会では検査で禁止されている薬物を使用していたとして出場停止処分を受けている。97年に現役引退。その後は肥満、コカイン中毒、アルコール依存などで入退院を繰り返していた。
  2010年の南アフリカ大会では、アルゼンチン代表の監督として指揮をとったが、準々決勝で敗退。その後、監督の座を退いた。
  現地の報道などによると、マラドーナさんは今月初め、ブエノスアイレスの病院で頭部の手術を受けたあと、郊外にある自宅で療養していたが、25日、亡くなったという。
  そんなマラドーナさんの光と影に迫ったドキュメンタリー映画『映画 『 ディエゴ・マラドーナ 二つの顔』も製作され、日本でも今年、公開される予定だったが、新型コロナウィルスの影響により、来年4月2日公開に延期となっている。


2020.11.26-Yahoo!Japanニュース-https://news.yahoo.co.jp/byline/unenatsuki/20201126-00209601/
2年続けて「4勝0敗の日本シリーズ優勝」は福岡ソフトバンクが史上初。ワールドシリーズで達成したのは…

  福岡ソフトバンクホークスは、昨年も今年も、日本シリーズを4勝0敗で制した。どちらのシリーズも、対戦したのは読売ジャイアンツだった。
  日本シリーズが2年続けて4試合で終わったのは、史上2度目のことだ。ただ、1度目の1959~60年は、同じカードではなかった。1959年は南海ホークス(4勝)と読売(4敗)、1960年は大洋ホエールズ(4勝)と毎日大映オリオンズ(4敗)が対戦した。なので、同じ球団の2年連続4勝0敗は、福岡ソフトバンクが初。同じ球団の2年連続0勝4敗も、読売が初めてだ。
  一方、メジャーリーグのワールドシリーズには、2年続けて4試合が5度ある。そのうちの3度、1927~28年と1938~39年、1998~99年は、ニューヨーク・ヤンキースが優勝した。2年連続0勝4敗の球団はないが、1989~90年のオークランド・アスレティックスは、1989年が4勝0敗、1990年は0勝4敗だ。2004~05年は、赤靴下と白靴下、ボストン・レッドソックスとシカゴ・ホワイトソックスが、続けてナ・リーグの球団をスウィープした。2005年に0勝4敗のヒューストン・アストロズは、2013年からア・リーグへ移った。

  ヤンキースの「3年目」のうち、最初の2度は、リーグ2位(1929年)と3位(1940年)に終わり、ワールドシリーズへ進めなかった(当時のリーグは地区に分かれていなかった)。3度目の2000年は、地区優勝を果たしてポストシーズンへ進出し、ディビジョン・シリーズとリーグ・チャンピオンシップ・シリーズを勝ち上がると、「サブウェイ・シリーズ」となったニューヨーク・メッツとのワールドシリーズも制した。この年のワールドシリーズは、4試合ではなく5試合。第3戦に2対4で黒星を喫した。
  1998~2000年のヤンキースはワールドシリーズの試合で12勝1敗、2018~20年の福岡ソフトバンクも日本シリーズの試合で12勝1敗(1分)だ。もっとも、どちらもシリーズ進出は4年連続。このスパンのヤンキース(1998~2001年)は15勝5敗、福岡ソフトバンク(2017~20年)は16勝3敗(1分)となる。ヤンキースは、2001年のワールドシリーズも優勝まで1イニングに迫ったが、第7戦の9回裏に逆転された。


2020.11.21-OLYMPIC CHANNEL-https://www.olympicchannel.com/ja/stories/features/detail/
【11月21日(土)】プロ野球日本シリーズ第1戦:巨人vsソフトバンクの放送予定・予告先発

  プロ野球SMBC日本シリーズが、11月21日から行われる。2020年シーズンのセ・リーグチャンピオンの読売ジャイアンツと、パ・リーグ覇者の福岡ソフトバンクホークスが日本一をかけ激突。2年連続で同じ顔合わせとなった。ここではシリーズ第1戦の放送予定・予告先発を紹介する。(画像は時事)
  8年ぶり23回目の日本一を目指す巨人の先発は、今季14勝を挙げ最多勝と最高勝率のタイトルを獲得した菅野智之。4年連続11回目の日本一がかかるソフトバンクは、今シーズン最多勝、最優秀防御率、最多奪三振の3冠に輝いた千賀滉大にマウンドを託す。エース対決となったシリーズ初戦をものにするのはどちらか。
  日本シリーズは7戦4勝先取制で実施。今シーズンは全試合を通じてDH制を採用する。


2020.10.31-Yahoo!Japanニュース(BBC NEWS JAPAN)-https://news.yahoo.co.jp/articles/8763c4a1448fb3c40555688cda230fd1e44c78c7
初代「007」俳優サー・ショーン・コネリー死去 90歳

  映画で初めて「007」ことジェイムズ・ボンド役を演じた英スコットランド出身の俳優、サー・ショーン・コネリーが亡くなった。家族が31日、明らかにした。90歳だった。
  家族によると、サー・ショーンはバハマ諸島の自宅で家族に囲まれて、眠りながら息を引き取った。 「ここしばらく体調が悪かった」と息子ジェイソン・コネリーさんが明らかにした。「バハマまで来て父のそばにいられる家族は全員、集まっていた」という。
  「こうなったばかりなので、この巨大な出来事を理解しようと家族全員が努力している」とジェイソンさんはコメントし、「父を知って愛していた全員にとって悲しい日です。そして、父の俳優としての素晴らしい才能を楽しんだ世界中の人にとって、悲しい損失です」と述べた。
  今年8月に90歳の誕生日を迎えたものの、最近は体調不良が懸念されていた。 現在のボンド俳優、ダニエル・クレイグさんは、「サー・ショーン・コネリーはボンドとして、そしてそれ以外の本当にたくさんのものとして、記憶されていく。
  ひとつの時代、ひとつのスタイルを決定した人だ。スクリーン上で表現したウイットや魅力は、メガワット単位で計れるほどだった。現代のブロックバスター映画を作り出した1人だ」とコメントし、コネリーさんを「映画にとって本当に偉大な存在の1人」とたたえた。
  「これからもずっと俳優や映画人に影響を与え続ける」とクレイグさんは続け、さらにコネリーさんがゴルフを愛していたことを念頭に「どこに行ってもそこにはゴルフ場がありますように」と追悼した。


2020.10.28-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/west/news/201028/wst2010280010-n1.html
「女流王将戦」大阪狭山市出身の幼なじみが大一番「盤を挟めるのが本当に楽しみ」
(1)
  将棋の女流タイトル3冠を保持する西山朋佳(ともか)女流王将(25)=女王・女流王座=に室谷(むろや)由紀女流三段(27)が挑戦している女流タイトル戦第42期女流王将戦三番勝負」の最終第3局が30日、東京都内で行われる。西山さんは女流王将の初防衛、室谷さんは悲願の初タイトル獲得が懸かる大一番だ。2人は大阪府大阪狭山市出身で、同じ将棋教室に通って切磋琢磨(せっさたくま)した間柄。幼なじみであり、ライバルでもある2人がひのき舞台でしのぎを削る。(中島高幸)
対戦成績ほぼ拮抗
  「大きな舞台で2人が指していること自体がうれしい。いい内容の将棋を指してほしい」。西山さんの師匠、伊藤博文七段(60)と室谷さんの師匠、森信雄七段(68)は口をそろえた。
  将棋界のプロ制度は、男女の区別がない「棋士」と女性だけの「女流棋士」がある。西山さんは現在、女流棋士ではなく、女性初の棋士を目指し養成機関「奨励会」の三段。さらに奨励会員が参加できる女流棋戦で活躍し、8つある女流タイトルのうち3冠を占めている。
  室谷さんは平成22年、17歳で棋士とは別制度の女流棋士になった。現在、大阪狭山市の観光大使を務め、ユーチューブやツイッターなどでも幅広く活動。女流タイトル戦に挑戦者として登場するのは今回で5回目の強豪だが、獲得はまだない。今回の女流王将戦の本戦決勝で、女流トップの里見香奈女流四冠(28)を破って挑戦権をつかみ取った。
(2)
  今月3日開幕の三番勝負第1局は西山さんが先勝。13日の第2局は室谷さんが白星を挙げた。2人は今回の三番勝負を含め、5局戦っており、対戦成績は西山さん2勝、室谷さん3勝とほぼ拮抗(きっこう)している。
同じ教室で切磋琢磨
  「小さい頃『いつかタイトル戦で指したいね』と話していましたが、実現して嬉(うれ)しいですし、盤を挟めるのが今から本当に楽しみです」-。室谷さんは9月12日、ツイッターに西山さんと対戦する喜びを書き込んだ。
  2人は幼少のころ、大阪狭山市内の将棋教室「若駒会」に通っていた。西山さんは平成14年の小学校入学直前に入会し、3学年上の室谷さんはすでに将棋教室の先輩だった。主宰する南徳一さん(84)は「西山さんは一を聞いて十を知るような、先を読むタイプの子供だった。室谷さんは努力家で、負けん気が強かった。みんな仲がよかった」と振り返った。
  西山さんの姉、静佳さん(28)は囲碁棋士の初段で、室谷さんと同じ小・中学校に通った同級生。静佳さんによると、室谷さんと西山さんはたびたび関西将棋会館(大阪市福島区)に一緒に出掛けたり、食事をしたりすることもあった。静佳さんは「仲が良く、地元出身者同士でタイトル戦が実現するなんて感激です」と喜んだ。

(3)
親しくもライバル
  現在は関西ではなく、関東が拠点の2人。
  互いの友情をほうふつさせるこんなエピソードがある。西山さんのほうが先に女流タイトル戦の挑戦者となり、平成26年の女流王座戦五番勝負が初挑戦となった。西山さんが1敗で迎えた第2局の会場に、室谷さんが訪れた。
  初のタイトル戦ということもあり、緊張していた西山さん。対局前日の前夜祭でスピーチをすることになっていたが、練習に付き合ったのが室谷さんだった。しかし、第2局は西山さんが敗れて2連敗。対局後の関係者の打ち上げの席で、つらい気持ちだった西山さんを室谷さんが気遣っていたという。
  この第2局で立会人を務めた渡辺明三冠(36)=名人・棋王・王将=は「棋士にとっては、ほかはライバル。少し知っているくらいの間柄ではこの2人のようにはならない」と振り返る。
  一方の室谷さんが女流タイトル戦に初挑戦したのは、2年後のマイナビ女子オープンだった。勝てば挑戦者という本戦決勝の相手が西山さんで、室谷さんが白星を挙げた。伊藤七段はこのときの西山さんについて「『自分の手を研究されていた』と悔しそうに振り返っていました」と話した。

  どちらかがタイトルを獲得する決着局となる第3局。渡辺三冠は「親しいけれども負けたくはない。お互い、いろんな思いを抱えて指すのでしょう。見ごたえのある対局になりそう」と期待をふくらませた。


2020.10.28-NHK NEWS WEB -https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201028/k10012685031000.html
「ワールドマスターズゲームズ2021関西」1年程度延期方針決定

  来年5月に関西を中心に開催を目指していた生涯スポーツの国際大会、「ワールドマスターズゲームズ2021関西」について、大会の組織委員会は28日、新型コロナウイルスの影響を踏まえて1年程度、延期する方針を決めました。
  ワールドマスターズゲームズは、4年に1回開かれる生涯スポーツの国際大会で、原則30歳以上であれば誰でも参加できます。
  来年5月に予定されていた大会では関西2府4県に福井、岡山、鳥取、徳島を加えた10の府と県で35競技59種目が行われる予定でした。
  しかし、新型コロナウイルスの感染の収束が見通せないことなどから、大会の組織委員会は28日、大阪市内で開いた理事会で、1年程度、延期して再来年の5月に開催する方針を決めました。
  この決定を来月4日にスイスで行われる大会主催者の、IMGA=国際マスターズゲーム協会の総会で提案するということです。
  延期の方針を決めたことについて、組織委員会の会長を務める兵庫県の井戸敏三知事は「競技だけでなく参加者の交流や、地域の観光振興という大会の開催理念を実現するには来年5月の開催は厳しい。1年延びた準備期間を感染予防対策などに有効に活用したい」と話しています。
  組織委員会は競技数や参加人数などの大会規模は、当初の目標から変更しないということで、今後、詳細な日程を検討することにしています。


2020.10.8-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201008/k10012654211000.html
囲碁 公式戦最年少対局 11歳仲邑菫初段 本戦初勝利で記録更新

  囲碁の最年少棋士、11歳の仲邑菫初段が14歳の上野梨紗初段と初めて対局し、2人合わせて25歳10か月で公式戦の最年少対局記録を更新しました。対局は仲邑初段が勝ち、予選を突破したあとの「本戦」の最年少勝利記録も更新しました。

  8日、東京の日本棋院で行われた「女流棋聖戦」の本戦では、史上最年少でプロ棋士になった11歳7か月の仲邑菫初段と、現在、仲邑初段の次に若い14歳3か月の上野梨紗初段が公式戦で初めて対局しました。

  2人の年齢を合わせると25歳10か月で、日本棋院によりますと、去年4月に仲邑初段のデビュー戦で記録された公式戦の最年少対局記録26歳9か月を11か月更新しました。
  対局は序盤、一進一退の攻防でしたが、中盤に上野初段にミスがあり、236手までで白番の仲邑初段が6目半勝ちしました。
  仲邑初段が大会の予選を突破して「本戦」で勝利するのは初めてで、村川大介九段が持つ13歳1か月の本戦の最年少勝利記録を1年6か月更新しました。
  一度に2つの記録を塗り替えた仲邑初段は「結構よく打てたと思います。特に緊張はしなかったです。次も自分らしく精いっぱい打ちたいです」とコメントしています。


2020.9.28-日刊スポーツ-https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202009270000935.html
竹内結子さん自殺か 前夜家族と食事後、先に寝室へ

  「ランチの女王」や「ストロベリーナイト」など数多くのドラマや映画で活躍した女優竹内結子さんが27日未明、都内の自宅で急死した。40歳だった。
  関係者によると、現場の状況から自殺とみられ、警視庁が詳しい経緯を調べている。今年1月に第2子男児を出産。今月1日には、食品メーカーのイベントに出席し元気な姿をみせていた。芸能人の急死が続く中でのトップ女優の訃報に、芸能界では戸惑いとともに大きな悲しみが広がっている。

  関係者によると、竹内さんは27日未明、東京都渋谷区内の自宅マンションでぐったりしているのを、夫で俳優の中林大樹(35)が見つけ、119番通報。警視庁渋谷署の警察官も駆けつけ、都内の病院に救急搬送されたが、死亡が確認された。発見された時には心肺停止状態で、遺書などはなかったという。
  別の関係者によると、前日26日夜は、家族で食卓を囲み、何も変わった様子はなかったという。夕食後、竹内さんは先に自宅内の2階寝室に向かったという。
  所属事務所はこの日、竹内さんの急死を公式ホームページで発表。「日頃よりお世話になっている関係者の皆様、応援してくださっているファンの皆様に、この様な辛いお知らせを申し上げることになり、あまりに突然の出来事で所属タレント、社員は驚きと悲しみで呆然としております。詳しい状況は現在確認中です」などと報告した。
  竹内さんは今年1月、第2子となる男児を出産した。産休に入りながらも、今月1日には、都内で、CMキャラクターを務めるサンヨー食品「サッポロ一番」のイベントに出席し、元気な姿を見せていた。14歳になった長男の近況について「お湯を沸かすのもはらはらしていたうちの子が、自分でサッポロ一番を作るようになって。夫と一緒に夜食として食べて、ヒソヒソ男の内緒話をしています」と笑顔で明かしていた。
  竹内さんは96年にフジテレビ系「新・木曜の怪談」で女優デビュー。99年のNHK連続テレビ小説「あすか」でヒロインを務めた。02年のフジテレビ系ドラマ「ランチの女王」で主演を務め、トップ女優となった。10年のフジテレビ系主演ドラマ「ストロベリーナイト」では女性刑事役を好演、その後連ドラや映画化もされ、代表作になった。
  プライベートでは、映画「いま、会いにゆきます」で共演した歌舞伎俳優中村獅童(48)と05年に結婚した。同年11月に第1子となる長男を出産したが、08年2月に離婚。19年2月に同じ事務所の中林と再婚し、今年1月には次男を出産した。今年7月には出演映画「コンフィデンスマンJP プリンセス編」が公開され、日本テレビ系「所さんの目がテン!」では、コーナー企画のナレーションを務めていた。
  ◆竹内結子(たけうち・ゆうこ)1980年(昭55)4月1日、埼玉県生まれ。95年、大蔵省(現財務省)のCMでデビュー。96年、フジテレビ系「新・木曜の怪談」のヒロインでドラマ初出演。99年、NHK朝の連続テレビ小説「あすか」のヒロインでブレーク。01年のTBS系「白い影」でヒロイン役、02年フジテレビ系「ランチの女王」で主演を務め、人気を不動のものにした。07年公開の映画「サイドカーに犬」では日刊スポーツ映画大賞の主演女優賞など多くの賞を受賞。血液型A。


2020.9.22-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200922/k10012629621000.html
元TOKIO 山口達也容疑者 酒気帯び運転の疑いで逮捕

  人気グループ「TOKIO」のメンバーだった山口達也容疑者が22日午前、都内で酒を飲んだ状態でバイクを運転したとして警視庁に逮捕されました。
信号待ちをしていた車に追突する事故を起こしたということです。逮捕されたのは、「TOKIO」の元メンバー、山口達也容疑者(48)です。
  警視庁によりますと、22日午前9時半ごろ、東京 練馬区桜台で酒を飲んだ状態でバイクを運転したとして、酒気帯び運転の疑いが持たれています。
基準の5倍近い0.7ミリグラムのアルコール検出
  信号待ちをしていた車に追突する事故を起こし、警察官が駆けつけたところ、呼気1リットルから基準の5倍近い0.7ミリグラムのアルコールが検出されたため、その場で逮捕されたということです。
  車を運転していた男性と山口容疑者にけがはありませんでした。
  当時は友人の家に向かう途中だったということで、調べに対し「酒を飲んでバイクを運転し事故を起こしたことは間違いありません」と容疑を認めているということです。
   山口容疑者はおととし、自宅マンションの部屋に女子高校生を呼び出してわいせつな行為をしたとして書類送検され、その後、起訴猶予になりましたが、当時の記者会見では「かなりの量の酒を飲み泥酔という形になった。自分の甘さが招いたこと」などと話していました。
  山口容疑者はおととし5月、所属していたジャニーズ事務所から契約を解除されています。
かなりの量を飲酒か 重大事故のおそれも
  道路交通法では、呼気1リットルに含まれるアルコールの濃度が0.15ミリグラム以上で酒気帯び運転にあたり摘発の対象になります。
  また、0.25ミリグラム以上だった場合は、免許取り消しの処分も課されます。
  捜査関係者によりますと、事故現場に駆けつけた警察官が確認したところ山口容疑者からは酒のにおいがして、検査の結果呼気1リットル当たり0.7ミリグラムのアルコールが検出されたということです。
  この0.7ミリグラムという数値は、飲酒後の時間経過にもよりますが、ビールの場合だと500ミリリットル缶を7本ほど飲んだ計算になります。
  ある交通担当の警察官は「ほろ酔いくらいでは出ない数値で、かなりの量の酒を飲んでいたとみられる。判断力が鈍り、重大な事故を起こすおそれがあった」と話しています。


2020.9.20-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/fabf749c8f0cca0d337e62be42bf1dd25c9770ae
俳優の藤木孝さん自宅で死亡、自殺か

  俳優の藤木孝さん(80)が20日、東京都中野区の自宅で死亡していたことが所属事務所への取材で分かった。現場の状況などから自殺を図ったとみられ、警視庁野方署が詳しい状況を調べている。

  所属事務所によると、20日未明に同居する息子が帰宅したところ、藤木さんが亡くなっているのを発見。藤木さんは3月以降、新型コロナウイルス感染拡大の影響で仕事が減少し、外出を控えて自宅で過ごすことが多くなっていたという。来年1月から上演予定のミュージカル「パレード」に出演が決まっていた。
  藤木さんは静岡県出身。昭和34年にロカビリー歌手としてデビューし、「ツイスト男」の異名でブームを牽引(けんいん)した。その後俳優に転じ、NHK大河ドラマ「太平記」「新選組!」などテレビドラマや映画、舞台に多数出演した。


2020.9.14-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200914/k10012617341000.html
俳優の芦名星さん 自宅で亡くなっているのが見つかる 36歳

  数多くのドラマや映画に出演していた俳優の芦名星さんが、14日、東京都内の自宅で亡くなっているのが見つかりました。36歳でした。関係者によりますと自殺とみられるということで警視庁が詳しい状況を確認しています。
  亡くなったのは俳優の芦名星さん(36)です。
  関係者によりますと、14日午前、東京 新宿区のマンションの部屋で亡くなっているのを、親族が見つけたということで、現場の状況などから自殺とみられるということです。
  警視庁が詳しい状況を確認しています。
  芦名さんは福島県郡山市出身で、2013年に放送されたNHKの大河ドラマ「八重の桜」に出演するなど、数々の映画やドラマ、舞台などで幅広く活動していました。


2020.9.13-毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20200913/k00/00m/050/022000c
大坂なおみが2年ぶり2回目のV 4大大会3勝目 全米テニス

  テニスの4大大会、全米オープンは12日(日本時間13日)、ニューヨークのビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターで女子シングルス決勝が行われ、第4シードで世界ランキング9位の大坂なおみ(22)=日清食品=が、全豪オープンで2度の優勝経験がある同27位のビクトリア・アザレンカ(31)=ベラルーシ=を1―6、6―3、6―3で降し、2年ぶり2回目の優勝を果たした。4大大会での勝利は2019年の全豪以来で通算3勝となり、女子の李娜(中国)を抜いてアジア勢単独最多となった。ツアー通算6勝目で、優勝賞金300万ドル(約3億1800万円)を獲得した。

大坂は大阪市出身。ハイチ出身の父と日本人の母を持ち、3歳で米国へ移住した。18年の全米で男子を含めた4大大会シングルスで日本選手として初優勝の偉業を達成。全豪優勝後には世界ランキング1位も経験した。

今大会は人種差別に抗議するため、1回戦から決勝までの7試合で、入場時などに黒人被害者の名前の入った7枚のマスクを1枚ずつ着用。「世界中の人に被害者がどういう人かを知ってもらい、関心が広がれば」との思いを原動力に勝ち上がった。【浅妻博之】
大坂なおみ 私のマスクを見てみんなが話題にしてくれればうれしい
  (優勝した後にコートであおむけになり)試合が終わって崩れ落ちる時があるけど、けがをしたくないので寝転がった。出だしは調子がよくなかったけどチームのみんなが私の力を信じてくれた。(人種差別の撤廃を訴えるために計7枚用意したマスクを全て着用し)私のマスクを見て、みんなが(この問題を)話題にしてくれれば、うれしい。


2020.9.9-AERA DOT-https://dot.asahi.com/wa/2020090900023.html?page=1
伊勢谷友介容疑者は大麻逮捕に「自分は大丈夫と思っていた」 楽屋で奇行が目立ち…
(1)
  俳優、伊勢谷友介容疑者(44)の大麻所持による現行犯逮捕は、日本中に衝撃を与えた。
  東京芸大卒のインテリで演技派として知られただけに、大麻逮捕との落差があまりにも大きかったからだ。その一方、違法薬物をめぐる内偵の情報は以前から流れていたという。
  「情報としては5年ほど前からあった。この2、3年は徹底マークしていた。ある情報から、かなりの量の大麻を手にしていると確実な情報がきたので、自宅にガサとなった。捜索に入った時、伊勢谷容疑者は驚きつつも、捜査員を招き入れた。入った時に捜査員らは匂いから大麻をやっていると直感。広いリビングのテーブルの灰皿に大麻を吸った痕跡を確認。乾燥大麻を巻く紙も一緒にあった。大麻はテーブルの引き出しの中にも複数あった。現場で本人に『大麻だな?』と聞くと『そうです』とあっさり認めていた。ひとりで使用するにはかなり多い大麻。パーティなどで使っていたようだ。交遊関係者からも情報が寄せられていた。何度も買うとバレてしまうが、本人は『自分は大丈夫だと思っていた』という趣旨の話をしている」(捜査関係者)
   押収された大麻は20.3グラムと40回も吸える量だった。
   伊勢谷容疑者は華麗なる女性遍歴も有名だった。最初に熱愛報道が出たのはまだ無名モデルだった1999年でお相手は人気絶頂期だった広末涼子。 バイクで伊勢谷とのデートを楽しむ姿を目撃された。
   その後、有名になったのは、長澤まさみとのゴシップ。2013年に放送されたドラマ『女信長』(フジテレビ系)の共演をきっかけに交際に発展。同棲報道も出て結婚報道なども出たが結局、交際2年ほどで破局した。
   その後、お相手として報じられたのはモデルの森星。森英恵の孫と山本寛斎の弟というビッグカップルだけに、デート姿もファッショナブルで堂々としていたが、最近はほとんど報じられなくなり、破局の噂も出ていた。数々の有名人との浮名を流す一方で女性がらみのDVトラブルなどの噂も絶えなかった。伊勢谷容疑者を知る芸能事務所関係者がこう話す。
(2)
  「伊勢谷容疑者の奇行は知られた話。楽屋入りしても、やたらテンションが高くて、知らない人にまで挨拶したり、裏方の女性にハグしたり、頭をたたき続けたりとちょっと異様だった。子役の子供を抱き上げるのはいいが、ずっと離さなかったりと普通じゃない。薬をやっているんじゃないかと疑う人は多かった。ドラマで共演した人に夜、延々と電話をしたり、大声で怒鳴ったりと、困ったちゃん。とうとう来る時がきたという感じだ」
  伊勢谷容疑者の所属事務所が公式サイトにコメントを発表。「関係各所の皆様、ファンの皆様へ多大なる心配およびご迷惑をおかけておりますことを、まずは深くお詫び申し上げます」と謝罪し、事実関係については「確認中」とした。
 (本誌取材班)
 ※週刊朝日オンライン限定記事


2020.8.31-産経新聞 THE SANKEI NEWS -https://www.sankei.com/entertainments/news/200831/
女優の階戸瑠李さん死去 「半沢直樹」にも出演

  女優の階戸瑠李(しなと・るり)さんが持病のため28日、死去したことが31日、分かった。31歳。所属事務所が同日、公式サイトで発表した。葬儀、告別式は親族のみで行う。
   階戸さんは石川県出身。映画「娼年」、ネットフリックス作品の「全裸監督」などに出演。TBS系人気ドラマ「半沢直樹」の8月16日放送の回にも、半沢を陥れる会社の事務員役で出演し、注目されていた。
   所属事務所は公式サイトで「(階戸さんが)持病により急逝いたしました」と報告。「あまりにも突然の訃報に接し現実を受け入れ難く、とても残念でなりません」などと記した。


2020.8.31-日本経済新聞-https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63240810R30C20A8I00000/
益子修氏死去 三菱自動車前会長、経営立て直し奔走

  三菱自動車の前会長の益子修(ますこ・おさむ)氏が27日、心不全のため死去した。71歳だった。告別式は近親者のみで行った。
  1972年に三菱商事に入社。2004年に三菱自動車に転じ、05年に社長に就任。経営危機に陥っていた同社の立て直しを推進した。14年に会長となったが、16年に発生した燃費不正問題を機に社長に復帰した後、18年に再び会長に就いた
  16年には主要株主である日産自動車からの出資を取り付け、近年は仏ルノーを含めた3社連合のかじ取りに注力した。
  8月7日、健康上の理由で会長職と取締役を退任していた。


2020.8.29-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200829/k10012590931000.html
競泳 池江選手「第2の水泳人生の始まり」復帰レースを終えて

  白血病からの競技復帰を目指してきた競泳の池江璃花子選手が、29日、都内で行われた大会の女子50メートル自由形に出場しました。復帰レースを終えた池江選手は「すごく緊張したが目標タイムを大幅に更新して、リスタートをいい形で切ることができた。第2の自分の水泳人生の始まりになったと思う」とかみしめるように話しました。
  およそ1年7か月ぶりにレースに臨むにあたっては、「何も考えず楽しんで泳ぐことを1番に考えていた。やっぱりスタート台の前に立ったときは戻ってきたなと実感した。久しぶりに全力でダイブするので、レース直前はゴーグルが取れないか心配して、ずっと顔を押さえていた」と冗談交じりに話しました。
  レースについては「最後の15メートルは疲れで体が動かなくなったが、負けたくないという気持ちで最後まで出し切った。今回は組で1着になれてうれしいが、一方で、これからの試合で勝てなかったときの悔しさの想像がついた。アスリートとしての負けたくないという気持ちは残っていたと感じた」と話しました。
  レース直後に涙を見せた場面については「闘病生活を間近で支えてくれた関係者がうるっとしている姿を見て、もらい泣きしてしまった」としたうえで、「ここまで回復して、ここまで戻ってきた姿をやっといろんな人に見せられる機会だったので、無事に終えることができてホッとした」と話していました。
  今後に向けては「去年の9月のインカレのときに来年は絶対に出たいという気持ちでやってきたので、その思いを爆発させて思いをかなえられた姿を見せたい。1番の目標はパリオリンピックに出場することなので、体力を戻していって、徐々にタイムを出していきたい」と意気込んでいました。


2020.8.28-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200828/k10012587431000.html
漫才界の大御所 内海桂子さん死去 97歳

  漫才コンビ「内海桂子・好江」で人気を集め、漫才界の大御所として活躍してきた内海桂子さんが多臓器不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。97歳でした

  内海桂子さんは大正11年に生まれ、三味線や踊りなどの修行を積んだあと昭和13年、16歳の時に東京・浅草で初舞台を踏み、漫才の世界に入りました。
  昭和25年、弟子の内海好江さんと結成した漫才コンビ「内海桂子・好江」は、三味線を使ったテンポのよい漫才で人気を集めました。
  昭和57年には漫才師として初めての芸術選奨文部大臣賞を受賞するなどコンビは半世紀にわたり、第一線で活躍しました。
  平成9年に相方の好江さんが亡くなったあとも、内海さんはひとりで舞台に立ち続け、90歳を超えても自作の都々逸を三味線で披露するなど漫才界の大御所として、人気を集めてきました。
  また、平成10年からは今の漫才協会の会長を9年間務め、若手の育成にも力を注ぎ、最近では人気漫才コンビ・ナイツの師匠としても注目を集めていました。
  プライベートでは77歳の時に24歳年下の男性と結婚して、注目を集め、夫の協力でツイッターを発信して年長者ならではのつぶやきが大きな話題になっていました。
  内海さんは、ことし1月に体調を崩して入院、リハビリに努めていましたが、今月22日に多臓器不全のため、東京都内の病院で亡くなりました。

  97歳で亡くなった内海桂子さんはことし4月までおよそ10年間にわたって毎日欠かさずツイッターを投稿、世の中に向けてメッセージを投げかけてきました。アカウントのフォロワーは49万人に上っています。
  生前、「思ったことを何でも書いて世間にぶつければいいの」と話していた内海さん。24歳年下の夫の助けを借りながら投稿してきたツイートの内容は、身の回りの出来事から、テレビ番組などの感想、みずからの波乱万丈の人生を織り込んだものなど多岐にわたり、ことし1月に体調を崩して入院して以降も新型コロナウイルスの感染の拡大を心配する投稿などを行っていました。
  最後の投稿は4月14日でした。

  内海桂子さんが亡くなったことを受けて、ツイッターでは死を悼む声が続々と上がっています。
  内海さんの訃報について「漫才界の一時代を築いた方が天に召されました。さみしいかぎりです。ご冥福をお祈りいたします」とか、「たくさんの笑いをありがとうございます。そして、お疲れ様です」と長年にわたる活動への感謝や死を悼むメッセージが投稿されています。
  また「長い間、ツイッターで楽しませてくれてありがとうございました。天国でもつぶやいてください」とか、「世代は違うとも、堂々としたお姿に『かっこいい!』と感銘を受け、くぎづけになった思い出があります」などの書き込みも見られました。
おしどりマコさん「師匠からお話を伺うと身が引き締まる思い」
 このほか、芸人のおしどりマコさんは、「桂子師匠の戦争中の話、子どもの頃の演芸の話、昔の浅草の様子、桂子師匠から直接お話を伺うと身が引き締まる思いがいつもしました」と内海さんとの思い出をつづっています。
活動の拠点 東京 浅草の演芸場を訪れた人は
  漫才師の内海桂子さんが亡くなったことについて、内海さんが拠点としていた東京 浅草の演芸場を訪れた人たちからは、悼む声が聞かれました。
  60代の女性は「歯にきぬ着せぬ物言いでも、人を傷つけないやさしい思いが伝わってきました。浅草の生き字引として、ナイツも慕っている感じが伝わっていたので残念です」と話していました。
  初めて演芸場を訪れたという20代の男性は「貴重な方が亡くなってしまい、もったいないなと思っていました。一度、内海さんの漫才が見られたらよかった」と話していました。
  また、80代の男性は「根っからの明るい話しぶりや、師匠と弟子の掛け合いが好きでした。100歳までもう少し長生きしてもらい、楽しい話を聞きたかったです」と惜しんでいました。


2020.8.24-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/392d5b540cc6c6c4324a62aa284a3cb5a806b0f5
横田めぐみさん拉致描いた映画完成 出演者ら、被害者の早期帰国実現誓う

  昭和52年に北朝鮮にさらわれた横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=ら被害者や、救出活動に奔走する家族の闘いを描いた映画「めぐみへの誓い」の完成披露記者会見が24日、東京都千代田区の憲政記念館で開かれた。今年に入ってめぐみさんの父、滋さん(享年87)ら家族が相次いで亡くなっており、出演者らは作品を通じた、めぐみさんらの早期帰国実現を誓った
   作品は、平成22年から各地で上演されてきた同タイトルの演劇を映画化したもの。めぐみさんや昭和53年に連れ去られた田口八重子さん(65)=拉致当時(22)=ら被害者の北朝鮮での苦境や、日本国内で必死に協力を呼び掛ける家族の苦闘など拉致問題の残酷さを描いた。
   滋さんを演じた原田大二郎さん(76)は会見で、「訃報が飛び込んできて目の前が真っ暗になった」と滋さんの死去に触れ、「滋さんとのご縁でこういう役をやらせていただいた。これから滋さんの代わりに、僕のできることはやっていかなきゃいけないと強く感じた」と話した。
   出演者らは拉致被害者奪還への強い思いを披露した。めぐみさん役の菜月さん(20)は「一日でも早く、北朝鮮に拉致された人みんなが日本に帰ってきてほしい。この映画がその一歩になったらいいと強く思っている」。野伏翔(のぶし・しょう)監督は「人間の自由、家族の絆の大切さを感じる映画になっている。それを断ち切ることは誰にも許されないということを強烈に感じてほしい」と語った。
   会見前の試写会には、昭和53年に拉致された増元るみ子さん(66)=拉致当時(24)=の弟、照明さん(64)が駆けつけた。作品鑑賞後、照明さんは「船倉に閉じ込められるシーンなどリアル感があった。めぐみちゃんと同じ目にあったのではないかと姉のことを考えた。被害者を取り戻せていない今の日本は安全ではない。日本人の手で被害者を取り戻してもらいたい」と話した。  制作にあたり、クラウドファンディングなどで資金を募り、これまでに約6400万円が集まった。今後は出資者対象の試写会を各地で開き、来春をめどに劇場公開とインターネットでの配信を目指している。


2020.8.21-関西 NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20200821/2000033899.html
劇作家評論家の山崎正和さん死去

  戯曲「世阿彌」などで知られる劇作家で、評論家としても活躍し、おととし文化勲章を受章した京都出身の山崎正和さんが、19日、兵庫県内の病院で悪性中皮腫のために亡くなりました。86歳でした。

  山崎さんは京都市出身で、戯曲「世阿彌」が俳優座で上演されて高い評価を受け、その後、アメリカの大学に演劇を学ぶために留学をするなど劇作家としての活動を続けました。
  「オイディプス昇天」や「言葉 アイヒマンを捕らえた男」などの戯曲を発表し、新しい演劇の世界を確立しました。
  その一方で評論活動も始め、近代の日本人について芸術の捉え方を西洋と比較した視点から論じた「劇的なる日本人」で芸術選奨文部大臣新人賞を受賞したほか、「鴎外 闘う家長」や「柔らかい個人主義の誕生」などの著作を発表し、時代を代表する評論家としての地位を築きました。
  また、大阪大学などで教べんを執りながら社会活動にも幅広く従事し、経済産業省の参与や中央教育審議会の会長などを歴任しました。
  平成11年に紫綬褒章を受章し、平成18年に文化功労者に選ばれたほか、平成30年には文化勲章を受章しています。
  山崎さんが長年理事を務めたサントリー文化財団によりますと、山崎さんは19日、兵庫県内の病院で悪性中皮腫のため亡くなりました。86歳でした。



2020.8.18-日本高校ダンス部HP-https://www.dancestadium.com/high/2020/zenkoku.html
第13回 日本高校ダンス部選手権 夏の公式全国大会 (2020年)スモールクラス結果

優勝-同志社里高高等学校(大阪)
準優勝-大阪府立久米田高等学校(大阪)
優秀賞-
東京都立三田高等学校(東京)
樟蔭高等学校(大阪)
山村国際高等学校(埼玉)
帝塚山学院高等学校(大阪)
品川女子学院(東京)
神奈川県立川和高等学校(神奈川)
審査員特別賞-品川女子学院(東京)
エースコックスーパーカップ特別賞-神戸市立葺合高等学校(兵庫)
au5G賞-山村国際高等学校(埼玉)
産経新聞社賞-東京都立三田高等学校(東京)
(社)ストリートダンス協会賞-大阪府立柴島高等学校(大阪)


2020.8.14-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200814/k10012567381000.html
俳優 渡哲也さんが死去 78歳 肺炎のため

  日活のアクションスターとして多くの映画に出演したほか、「大都会」や「西部警察」などのテレビドラマで人気を集めた俳優の渡哲也さんが、今月10日、都内の病院で肺炎のため亡くなりました。78歳でした。
「大都会」や「西部警察」 刑事ドラマシリーズで人気を不動に
  渡さんは兵庫県淡路島出身で、昭和40年に映画「あばれ騎士道」でデビューし、日活のアクションスターとして活躍したあと石原裕次郎さんのプロダクションに入りました。
  その後、「大都会」や「西部警察」など、刑事もののテレビドラマシリーズで人気を不動のものとし、裕次郎さんが亡くなったあとは、いわゆる「石原軍団」を率いて幅広く活躍しました。
  NHKでは大河ドラマ「義経」で平清盛の役やスペシャルドラマ「坂の上の雲」で東郷平八郎の役を演じるなど、凛(りん)としたたたずまいと高い演技力で人気を集めました。
  平成17年には紫綬褒章を、平成25年には旭日小綬章を受章しています。
  渡さんは、平成27年に急性心筋梗塞で手術を受け、その後も肺気腫などを患い、自宅で療養しながらリハビリを続け、テレビコマーシャルへの出演などを続けてきました。
  石原プロモーションによりますと、渡さんは、今月10日、都内の病院で肺炎のため亡くなりました。
本人の希望で家族葬に
  渡哲也さんが亡くなったことについて、石原プロモーションは「長きにわたり病との闘いの末去る令和2年8月10日午後6時30分に肺炎のため都内の病院にて旅立ちました。ここに生前のご厚誼を深く感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます」とするコメントを14日午後7時半すぎ公式のツイッターに掲載しました。
  この中で、葬儀については静かに送ってほしいという故人の強い希望により、14日、家族葬という形で執り行い、お別れの会やしのぶ会なども行わないとしています。また、香典や弔電などの儀も故人の遺志により、辞退するとのことです。
  そのうえで、「何卒、故人の遺志をご理解いただけますようお願いいたします。皆様のお心の中にて故人への祈りを捧げていただけますことを心よりお願い申し上げます」としています。
悼む声が相次ぐ
  インターネットのツイッターなどには、渡さんと交流のあった著名人から死を悼む声が相次いでいます。
  このうち、俳優の宍戸開さんは「“また一人日活俳優がなくなりました・・・”慎んで渡哲也さんのご冥福をお祈りいたします」とツイッターに投稿しています。
  また、お笑い芸人のドランクドラゴン塚地武雅さんは「渡哲也さん…おいしいごはんというドラマで師弟の役でご一緒させていただきました。椅子を手刀で割るというシーンで本番、いきなり頭で割る姿を見て驚きとサービス精神と漢気を感じ、プロだ!僕もこうならなきゃいけない!と思ったのを覚えています!」また、「渡哲也さん、その節はお世話になりました!1クールという短い時間でしたが近くでいろいろ見せていただいたことは勉強になることばかりで忘れません!謹んでご冥福をお祈り申し上げます!」と投稿しています。
  また、俳優の高橋克典さんは自身のブログに渡哲也さんと一緒に写っている写真を掲載し「心よりご冥福をお祈りします」とコメントしています。
高橋英樹さん「哲!早過ぎるよ!」
  渡さんと同じ時期に日活で活動し、NHKのスペシャルドラマ「坂の上の雲」などの作品で共演した俳優の高橋英樹さんは「突然の訃報に、大変驚きました。私の中では、いつも元気な彼の姿しか思い浮かびません。共に日活映画時代の青春期を過ごした仲間。哲!早過ぎるよ!お疲れさま!の言葉しか見当たりません。ご冥福をお祈り致します」というコメントを出しました。
街でも悼む
  俳優の渡哲也さんが亡くなったことについて、渋谷の街では死を悼む声が聞かれました。
  50代の会社員の男性は「『西部警察』など、昔からドラマでよく見ていた俳優さんです。最近になって、あまりテレビで見かけなくなっていたなと思っていました。78歳で亡くなられたというのは、今の時代ではちょっと早すぎるのではないかと残念です」と話していました。
  また、渡さんと同い年の78歳という理容師の男性は、「亡くなったニュースを知らなかったので、聞いてびっくりしました。同じ世代の人間からするととても寂しい気持ちです」と話していました。
  夫婦で渋谷を訪れていた50代の男性は、「渡さんといえば、西部警察のイメージですね。当時活躍した俳優の人たちが皆さんお年をとられているので、だんだん寂しくなっていきます」と話していました。
  また、女性も「最近までお酒のCMなどにも出演していたと思います。まだ年齢もそこまで高齢というわけでもなかったので、もっとテレビで活躍されると思っていました。とても残念です」と話していました。


2020.7.27-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200727/k10012534531000.html
山本寛斎さん死去 76歳 国際的ファッションデザイナー

  国際的なファッションデザイナーで、イベントプロデューサーとしても活躍した山本寛斎さんが、今月21日、白血病のため亡くなりました。76歳でした。
  岐阜市出身の山本寛斎さんは、大学中退後、コシノジュンコさんなど有名デザイナーのもとで働いたあとに独立し、27歳の時に日本人として初めてロンドンでファッションショーを開催し、斬新なデザインと歌舞伎から影響を受けた大胆な演出で注目を集めました。
  既成概念にとらわれない前衛的なデザインは、若者を中心に支持を集め、パリやニューヨークなどのコレクションに参加するなど国際的に活躍する一方、デヴィッド・ボウイさんやスティーヴィー・ワンダーさんなど世界的ミュージシャンとも親交を深めました。
  日本の神話「因幡の白兎」をモチーフにしたデヴィッド・ボウイさんのステージ衣装は、山本さんの代表作の1つとして知られています。
  ファッションデザイナーの枠を超えてライブイベントなどのプロデューサーとしても活躍し、ロシアやベトナム、インドなど国内外で大規模なショーを開催したほか、京成電鉄の特急「スカイライナー」のデザインを手がけるなど、幅広い分野で活躍を続けました。
  山本さんは70歳をすぎても、日本の伝統文化や芸術などを融合させたショーを開催するなど精力的な活動を続けましたが、ことし3月、急性骨髄性白血病で入院して治療中であることを公表していました。
  自身のSNSなどでは「新たな挑戦と捉え、前向きに治療に励んでおります。これからも世界中の人々に元気をお届けするため、『スーパー元気な山本寛斎』になって必ず戻ってきます」とメッセージを送っていました。
  事務所によりますと、山本さんは今月21日に急性骨髄性白血病のため、入院先の東京都内の病院で76歳で亡くなりました。
  葬儀は、近親者のみで執り行ったということです。
山本未來さん「無償の愛を与えてくれた存在」
  山本寛斎さんが亡くなったことについて、娘で俳優の山本未來さんは、自身のインスタグラムを更新し、「父、山本寛斎は去る7月21日、私を含め家族が看取る中、安らかに76歳にてこの世を旅立ちました」と報告しました。
  そして、「私にとって、父はエネルギッシュで明るいことはもとより、穏やかで、寛大で、人懐っこく、コミュニケーションを大切にし、無償の愛を与えてくれた存在でした。また人生を通して『時に折れることがあろうと、常に前向きに、果敢に挑戦し続けることが明るい未来に繋がる』ということを教えてくれました」としのんでいました。
  そのうえで、「生前中の父・山本寛斎と関わってくださった関係者の皆さま、医療関係者の皆さま、応援してくださった皆さまへ心より感謝を申し上げます」とつづっています。
コシノジュンコさん「日本が暗く」
  山本寛斎さんが師事したデザイナーのコシノジュンコさんは「世の中が落ち込んでいるこのようなときに、元気印の寛斎さんがいなくなると日本はより暗くなります。残念です」というコメントを出しました。
企画イベントは予定どおり開催
  山本寛斎さんは、ファッションを軸に日本の伝統文化や芸術などを融合させたショー「日本元気プロジェクト」を近年、毎年開催しています。
  ことしは、新型コロナウイルスの影響で、初めてオンライン配信に切り替えて今月31日に開かれる予定で、俳優の夏木マリさんや、歌舞伎俳優の市川右團次さんなどが出演することになっています。
  事務所によりますとイベントは予定どおり開催されるということです。
  山本さんは闘病中、イベントのホームページにコメントを掲載し、「長年、皆さまに“ファッションを通して元氣になろう!”とお伝えしてまいりましたが、闘病中の今、身をもって、“ファッションには人を元氣にするチカラがある!!”ということを実感しております。私にとって、現在のワクワク・ドキドキは、一日でも早く退院し、“晴れ着姿のカンサイ”を皆さまにご披露したいということです。7月31日、力強いスタッフ陣と、夢に向かって一生懸命な若い世代の方々と共に、ファッションを通して、世界中に元氣をお届けします!!」と、このイベントへの思いをつづっていました。


2020.7.19-Yahoo!!Japanニュース(文春オンライン)-https://news.yahoo.co.jp/articles/ef7df53b434fae5f859750644efe89a0375a2aaf
三浦春馬さんは日記に「死にたい」と捜査関係者 堀越学園同級生保護者は「自殺するような子じゃなかった」
《三浦春馬さん追悼》恩人が明かす“天才子役時代”とその後の苦悩「役に入りすぎて不安定になることも」 から続く
(1)
  7月18日に亡くなった俳優の三浦春馬さん(享年30)。所属事務所のアミューズは公式サイトでこう発表した。 《弊社所属の三浦春馬が、2020年7月18日に亡くなりました。ファンの皆さま関係者の皆様におかれましては、ご心配、ご迷惑をお掛けしておりますが、詳細に関しましては、現在確認中であり、改めてご報告させていただきますので、何卒ご了承の程 宜しくお願い申し上げます 株式会社アミューズ》

  三浦さんは東京・港区にある自宅のクローゼットで首を吊った状態で見つかり、その後、搬送先の病院で死亡が確認された。捜査関係者によると、「自宅からは『死にたい』と書かれた日記が見つかっている。自殺とみて捜査を進めている」という。
「サッカーボールを蹴って走り回っていた」幼少期
  三浦さんは茨城・土浦市で生まれ育ち、4歳の頃から地元の児童劇団「アクターズスタジオつくば校」に通った。「土浦のスターで地元の誇りなんです」と地元の近隣住民が三浦さんの幼少期を振り返る。 「春馬君が小学生の頃、ご自宅の前でサッカーボールを蹴って走り回っていた無邪気な姿は今でも覚えています。でも高校生になると同時に、芸能の仕事をするために春馬君だけ単身で東京に引っ越していました。お母さんは忙しい春馬君の身の回りの世話をするために、ほぼ毎週東京に通っていましたよ。
   春馬君が上京してからはお会いする機会も減ってしまい、最後に見かけたのは7、8年前くらいのお正月です。その時はもうすでにかなり売れっ子の役者さんでしたが、昔と変わることなく、気取ってない感じで『お久しぶりです』としっかり挨拶をしてくれました。こんなにいい子がなんで……。本当に残念でなりません」
堀越学園の担任と交わした約束「なんとか卒業しようね」
  三浦さんは1997年にNHK連続テレビ小説「あぐり」に子役として出演し芸能界デビュー。2007年に公開された映画『恋空』で主演を務め、17歳で「第31回日本アカデミー賞・新人俳優賞」を受賞したことがブレイクポイントになり、その後は急激に活躍の場が広がっていった。
   その時期の三浦さんを支えていたのが、堀越高校で3年間三浦さんの担任を務めた恩師・熊沢敬一郎氏だ。数多くの芸能人を輩出している堀越学園で、山瀬まみ、市川海老蔵、尾上松也、中村七之助ら、数多くの有名芸能人を輩出したクラスを受け持ってきた。 「同僚から聞いて、ただただびっくりしています。真面目で実直でとてもいい子でした。私は彼のクラス担任を3年間通して受け持ちました。入学から卒業までというのは彼の代だけだったので、自分のなかでもとても印象深い生徒です。
   春馬君が1年生のときは、まだそれほど仕事は多くなかったんです。ですが3年生になると仕事が増えてきて、どんどんメジャーになっていきました。でもそのうち忙しくなり過ぎてしまって、出席日数が足りなくなってしまった。春馬君とは『なんとか卒業しようね』と話したことを覚えています。彼も、忙しくても補習をしっかり受けて、卒業のために二人三脚で頑張ったんですよ。クラスのなかでも、一番の売れっ子になってくれていたのに……」
(2)
最後に見た明るい姿と「先生、観に来てください!」
   忙しい合間を縫って、三浦さんがクラス会に参加することもあったという。卒業後も熊沢氏と三浦さんとの交流は続いていた。熊沢氏が最後に三浦さんと会ったのは昨年のことだ。
   「昨年、春馬君が出演していたミュージカル『キンキーブーツ』を観たいと話したら、『熊沢先生、観に来てください!』って彼がわざわざチケットを用意してくれたんです。公演後に楽屋で会って、『元気かい?』『よかったよ』とか他愛もない話をしましたが、彼はとても明るく元気そうに見えました。
  ですが、春馬君とはその時が最後になってしまいました。今、春馬君に対しては安らかに……という言葉だけです」  三浦さんを知る同級生の保護者も驚きと困惑を隠せない様子でこう語った。
   「春馬君は爽やかでいい子だと、当時から親御さんの中でも評判がよかったんですよ。もちろん活躍されている方なので、目立っていました。卒業式でメディアのインタビューを受けていたのが、とても印象に残っています。でも、有名だからといって変に気取ることはなく、素敵な方でしたよ。自殺なんてするような子じゃなかった。ニュースを見た今でも信じています」
  突然の訃報は、芸能界にも波紋を広げ続けている。堀越学園の同級生だった俳優の鮎川太陽は自身のTwitterで悲しみの声を上げた。 《春馬 なんでだよ どうしてだよ 3年間共に過ごした友達じゃねえか。何度もノート貸してやったじゃねーか ラーメン食ったじゃねーか 一緒にカラオケ行ったじゃねーか 連絡してやればよかった 話聞けばよかった 一緒に呑めばよかった。いつか同じ板の上にって、…気づいてやれなくてごめん》
   多くの人から愛された三浦さん。訃報のショックの大きさは計り知れない


2020.7.16-Yahoo!!Japanニュース(ABEMA TIMES)-https://news.yahoo.co.jp/articles/5d2c87493963321db5672d6f468f053d59e0d396
藤井聡太七段、最年少タイトル獲得!30年ぶりに記録更新 初の「17歳タイトルホルダー」に/将棋・棋聖戦五番勝負

  将棋の最年少棋士・藤井聡太七段(17)が7月16日、ヒューリック杯棋聖戦五番勝負の第4局で、渡辺明棋聖(棋王、王将、36)に勝利、シリーズ成績3勝1敗で、棋聖のタイトルを獲得した。藤井七段は17歳11カ月で史上最年少のタイトル獲得。従来の記録を30年ぶりに更新、将棋界初の「17歳タイトルホルダー」となった。

  悲願の初タイトルに王手を迎えて始まった第4局は、先手の渡辺棋聖が得意の矢倉を採用。藤井七段が勝利した第2局の局面を、あえて渡辺棋聖が再現する進行を見せ、タイトル25期の実力者による研究と意地に対し、藤井七段が真正面から受け止めるような序盤に。それでも激しい攻防となった第2局と異なり、本局は互いにじりじりと間合いを詰め合うような展開になった。激しい終盤戦になったのは、両者の持ち時間が30分を切ってから。好手を繰り出し渡辺棋聖を追い詰めると、わずかなミスの許されない状況でも最善手を連発。プレッシャーにも打ち勝ち、ついにタイトルを手に入れた。

   対局後、藤井七段は「バランスを取るのが難しかった。最後までわからなかったです」と対局を振り返ると、タイトル獲得については「まだ実感がないというのが正直なところです」と率直な思いを述べた。それでも「責任のある立場になりますので、より一層精進したいと思います」と、タイトルホルダーとしての自覚を持とうというコメントもあった。
   藤井七段は、中学生だった2016年10月に、史上最年少の14歳2カ月で四段昇段、プロデビュー。直後から続けた史上最多の29連勝をはじめ、数々の記録を樹立してきた。新型コロナウイルス感染拡大を受けた対局延期により、最年少でのタイトル挑戦も危ぶまれていたが、公式戦が2カ月空いた6月以降の対局ラッシュでも、トップ棋士を次々と撃破。外出自粛期間を研究の機会としたこともあってか、棋士たちからは格段に成長したという声も相次いでいた。

   少年時代からの夢を叶えた藤井“新棋聖”だが、現在は王位戦七番勝負で木村一基王位(47)にも挑戦中。最短であれば8月中旬にも藤井“二冠”、最年少での八段昇段を果たす可能性がある。また、将棋界のビッグタイトルである竜王戦でも決勝トーナメントに進出しており、挑戦権獲得の期待もある。29連勝時、日本中が沸いた「藤井フィーバー」の再来は、今後のさらなる活躍次第で、その時以上の盛り上がりを見せる。


2020.7.12-Yahoo!!Japanニュース(スポーツ日本:SponnichAnnex)-https://news.yahoo.co.jp/articles/e8d334d739e11c33c9eff95541ee5e4a5bd99c11
中川親方が謝罪 不適切指導で部屋閉鎖へ 力士ら転属、数人は引退示唆

  弟子への不適切な指導により、自身が師匠を務める大相撲の中川部屋が閉鎖の見通しとなった中川親方(54=元幕内・旭里)が11日、部屋関係者を通じて「ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。今は何もお答えできない。また改めてお時間を取らせていただきます」とコメントした。
   関係者によると、中川親方は先月、部屋での稽古中に暴言などを伴う指導があったもようで、力士が相撲協会に報告。中川親方や力士らはコンプライアンス委員会の聴取を受けた。13日に開かれる日本相撲協会の臨時理事会で中川親方の懲戒処分が協議されるが、相撲協会は暴力問題などの再発防止に向けて指導者の責任を重視する方針を示しているだけに、引退勧告などの厳しい処分となる可能性が大きい。
   部屋の閉鎖が決定した場合、元中学横綱の幕下・吉井(16)ら力士9人と呼び出し、床山、世話人は7月場所(19日初日、両国国技館)の直前に他の部屋への転属を余儀なくされる。関係者によると、受け入れ先は同じ時津風一門の時津風部屋などに加え、一門外も含めた複数の部屋になるもよう。数人の力士は引退を示唆しているという。
   中川部屋は相撲協会を退職した元春日山親方(元幕内・浜錦)が率いていた旧春日山部屋を引き継ぐ形で17年に創立した。部屋頭の幕下・旭蒼天(27)らは春日山部屋から追手風部屋の一時預かりを経て中川部屋所属となっており、今回、他の部屋への転属となれば、異例の4部屋目の所属となる


2020.6.26-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200626/k10012485311000.html
囲碁 芝野虎丸二冠 史上最年少で「三冠」に 記録を大幅更新

  囲碁の芝野虎丸二冠が、26日七大タイトルの1つ「十段戦」を制して20歳7か月で「三冠」を達成し、井山裕太さんが持つ最年少記録「23歳1か月」を大幅に更新しました。
  芝野虎丸二冠(20)は去年、「名人戦」を19歳で制して史上最年少での七大タイトル獲得を果たしたあと、「王座」のタイトルも奪って「二冠」となり、ことし3月から3つ目のタイトル挑戦となる「十段戦」の五番勝負を戦っています
  芝野二冠は、村川大介十段(29)を相手にここまで2勝1敗とタイトル獲得まであと1勝に迫り、26日東京の日本棋院で行われた第4局に臨みました。
  対局は午後4時57分、芝野二冠が村川十段を投了に追い込み、3勝1敗で「十段」のタイトルを獲得しました。
  芝野さんは20歳7か月で「三冠」を達成し、井山裕太三冠(31)が平成24年に成し遂げた最年少記録「23歳1か月」を2年6か月更新しました。
  また、芝野さんと井山さんは現在持っている七大タイトルの数が3つで並ぶことになり、芝野さんは、現在、井山さんと直接対決している「本因坊戦」に、単独トップの「四冠」がかかることになります。
芝野さん「記録を励みに頑張る」
  「三冠」を達成した芝野虎丸さんは、26日の対局について「結果については素直にうれしいですが、内容的には満足できないところがあるので反省のほうが強いです」と振り返りました。
  そして、最年少で「三冠」を達成したことについては、「最年少記録ということはあまり考えていませんでしたが、こういう記録があるということはうれしいことなので、それを励みにして頑張ろうと思います」と笑顔で話していました。
  また、本因坊戦で直接対決している井山裕太三冠について問われると、「布石も構成力もすごいですし、中盤以降の厳しさも感じていましたが、実際に打ってみると思っていた以上に強く感じて、大変な相手だなと思います。井山先生を倒すというよりは、自分がもっと強くなって井山先生にとってもいい相手になれるといいかなと思っています」と意気込んでいました。


2020.6.20-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200620/k10012477991000.html
米 男子ゴルフツアー 選手の新型コロナ感染 初めて確認

  新型コロナウイルスの影響で中断されたあと、今月11日に再開した男子ゴルフのアメリカツアーの大会で、選手の感染が初めて確認されました。
  新型コロナウイルスへの感染が確認されたのは、39歳でツアー通算5勝をあげているアメリカのニック・ワトニー選手です。
  男子ゴルフのアメリカツアーは新型コロナウイルスの影響で、ことし3月中旬の大会が途中で打ち切られたあと、今月11日に再開し、18日からはサウスカロライナ州で再開後、2戦目となる大会が行われていました。
  大会主催者によりますと、ワトニー選手は大会前の検査では陰性でしたが、体調不良で医師に相談したあと、再び検査を受けた結果、新型コロナウイルスへの感染が確認され、19日の第2ラウンドはプレーせず大会から離脱したということです。
  男子ゴルフのアメリカツアーの選手で、感染が確認されたのは初めてです。
  この大会には、松山英樹選手が出場していて、大会は続行されています。


2020.6.8-産経フオト-https://www.sankei.com/photo/photojournal/news/200608/jnl2006080001-n1.html
「最後のほうは分からないまま指していた」藤井聡太七段が第1局制す タイトル戦初勝利

  将棋の渡辺明棋聖(36)=棋王・王将=に高校生棋士、藤井聡太七段(17)が挑戦するタイトル戦「第91期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負」(産経新聞社主催)の第1局が8日午前9時から東京・千駄ケ谷の将棋会館で指され、先手の藤井七段が157手で勝ち、初のタイトル戦挑戦で初戦を白星で飾った。最年少タイトル獲得記録の更新を目指す藤井七段は幸先の良いスタートを切った。
  今期の棋聖戦五番勝負は渡辺棋聖が初防衛を目指し、藤井七段はタイトル戦初挑戦で初タイトル獲得に挑む。第1局は、藤井七段が昨年度の最優秀棋士賞を受賞した最強棋士、渡辺棋聖に完勝した。
  藤井七段はこの日、屋敷伸之九段(48)が達成した17歳10カ月と24日の最年少タイトル挑戦記録を4日更新。藤井七段が五番勝負を勝ち越し、渡辺棋聖から棋聖位を奪取すれば、屋敷九段が持つ18歳6カ月の最年少タイトル獲得記録を上回る。
 第2局は28日、同じ東京・将棋会館で行われる。
リモート会見 一問一答
  第91期ヒューリック杯棋聖戦五番勝負第1局を制した藤井聡太七段が8日夜、モニターを利用したリモート会見に臨んだ。
第1局で勝利した心境は
 「まず先勝できてよかった。第2局までしばらく間があるので準備したい」
 --熱戦で終盤、王手が続く場面があったが
 「かなりきわどい展開になり、時間がなかったので、最後のほうは分からないまま指していた」
 --和服を予想していたが、スーツ姿だった
 「師匠にいただいた和服があったが、4日の挑戦者決定戦から今日の第1局まで時間がなく、勝手が分からなかった。第2局以降で着たい」
 --3月以降連勝しているが
 「最近はトップ棋士と対戦できることが多く、充実していると感じている」
 --タイトル戦で戦っての感想は
 「長い持ち時間で渡辺棋聖と戦うのは初めて。中盤でいくつか思いつかない手を指され、こちらも見習わなければならない」
 --大勝負が続く厳しいスケジュールだった
 「ここまで対局が続くことはあまりなかった。休むときはしっかり休むようにしている」
 --1勝してタイトルが近づいたと思うが
 「先勝できたのはよかったが、まだ始まったばかり。第2局以降全力尽くしたい」


2020.6.3-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200603/k10012456771000.html
巨人 坂本と大城が新型コロナウイルスに感染

  プロ野球の巨人は主力の坂本勇人選手とキャッチャーの大城卓三選手が、新型コロナウイルスに感染していることが確認されたと発表しました。
  巨人は3日、14年目の31歳、坂本選手と3年目の27歳、大城選手が新型コロナウイルスに感染していることが、確認されたと発表しました。
  球団では先月末に選手やスタッフを対象に行った、新型コロナウイルスに感染したことがあるかを調べる抗体検査を実施した結果、4人に新型コロナウイルスの感染歴を示すとされる抗体が確認されたということです。
  そして4人のうち、坂本選手と大城選手は2日、PCR検査を実施した結果、3日午前、「陽性」と確認されたということです。
  球団によりますと、2人は3月下旬以降、味覚やきゅう覚の異常など体調に問題はなく、検査から2週間前までさかのぼった2人の日常の行動を確認したところ、坂本選手は先月29日に知人と昼食を取った1回、大城選手は先月28日にチームメート2人と夕食を取った以外は、外食も夜の外出も一切していないということです。
  プロ野球では今月19日のシーズン開幕に向けて、2日から練習試合が始まり、坂本選手は4番・ショート、大城選手は7番・キャッチャーでともに先発出場していました。
  2人の感染確認を受けて午後2時から、東京ドームで予定されていた西武との練習試合は中止となりました。
  また、保健所が2人の選手との濃厚接触者について特定を急いでいますが、球団では念のために幅広く検査を受けるべきだと判断した、26人について3日、都内の医療機関でPCR検査を受けさせることを決めました。また、これ以外の1軍の選手や監督、それにコーチなどが全員、4日の午前中にPCR検査を受けるということです。
  坂本選手と大城選手は今後、PCR検査を連日受け、陰性が確認され次第、早期にチームに合流することを目指すことにしています。プロ野球では、3月下旬に阪神で藤浪晋太郎投手を含めた、3人の選手の感染が明らかになっています。
坂本勇人選手とは
  巨人の坂本勇人選手は兵庫県出身、プロ14年目の31歳です。青森の光星学院高校、現在の八戸学院光星高校から平成19年にドラフト1位で入団し、2年目からショートのレギュラーに定着しました。
  その後、球界を代表する選手に成長し、平成27年からはチームのキャプテンを務めていて、平成28年に首位打者のタイトルを獲得したほか、これまでベストナインに5回選ばれています。
  昨シーズンは、全試合に出場し自己最多でリーグ2位となる40本のホームランを打ち、5年ぶりのリーグ優勝に貢献し、初めて最優秀選手に輝きました。
大城卓三選手とは
  巨人の大城卓三選手は沖縄県出身、プロ3年目の27歳です。社会人のNTT西日本から強打が持ち味のキャッチャーとして、平成30年にドラフト3位で入団しました。
  1年目から83試合に出場すると2年目の昨シーズンは、ファーストでの出場も合わせて109試合に出場し打率2割6分5厘、ホームラン6本の成績でした。
  これまでのプロ2年間の通算では、192試合に出場してホームラン10本、打率2割6分5厘で、今月19日からの開幕が決まった今シーズンは正捕手獲得を目指していました。
スポーツ界の新型コロナ感染
  スポーツ界では、これまで新型コロナウイルスに感染した大相撲の力士が亡くなったほか、プロ野球やバスケットボール男子のBリーグ、サッカーのJリーグで選手やスタッフなどから感染者が出ています。
  大相撲では、新型コロナウイルスに感染した三段目の勝武士が、先月13日に亡くなったほか、勝武士の師匠の高田川親方や同じ相撲部屋のほかの力士も感染しました。
  プロ野球では、3月下旬に阪神の藤浪晋太郎投手を含めた選手3人の感染が明らかになったほか、バスケットボール男子、Bリーグの大阪エヴェッサでは選手やスタッフ合わせて13人が、新型コロナウイルスに感染しました。
  サッカーJリーグでも2日、J1の名古屋グランパスが元日本代表の金崎夢生選手の感染を発表したほか、元日本代表でJ1、ヴィッセル神戸の酒井高徳選手などが、新型コロナウイルスに感染しました。プロ野球・巨人は新型コロナウイルスに感染したことが確認された2人の選手と接触し、球団として念のために幅広くPCR検査を受けるべきだと判断した26人の検査の結果が陰性の場合、予定どおり、5日からの練習試合を実施する考えを示しました。
専門家「感染させるリスク高くないと推察される」
  巨人によりますと、新型コロナウイルスの対応策を協議する「対策連絡会議」の専門家チームの賀来満夫座長は、2人の選手について、抗体検査で、感染後しばらくしてできるIgG抗体が確認されていることから、「感染から回復して、かなり時間がたったと思われる。そのため、他人に感染させるリスクは高くないと推察されるが、感染防止のために練習試合を中止し、濃厚接触者を特定してPCR検査を実施するという、慎重な判断は支持したい」という見解を示しているということです。
  こうした専門家の見解を受けて、感染した選手2人は、4日以降、入院した医療機関で毎日、PCR検査を受け、陰性が確認できしだい、チームへの合流を目指すということです。


2020.6.3-JIJI COM-https://www.jiji.com/jc/article?k=2020060300537&g=soc
巨人選手の新型コロナ感染判明 西武との練習試合中止―プロ野球

  プロ野球巨人は3日、午後2時から東京ドームで予定されていた西武との練習試合を中止した。球団広報部は理由を明らかにしていないが、関係者によると、巨人の選手に新型コロナウイルス感染が判明したという。巨人は同日夕に記者会見を行う予定。
  新型コロナの影響でプロ野球は当初3月20日の開幕を延期。5月25日の12球団代表者会議で新たな開幕日を6月19日に定め、前日2日に開幕に向けた無観客での練習試合が始まったばかりだった。
  プロ野球では3月に阪神の藤浪晋太郎投手ら3選手の感染が判明。3選手とも既に回復し、チームに合流している。
  日本野球機構ではJリーグと合同で立ち上げた「新型コロナウイルス対策連絡会議」の感染症専門家チームの助言を取り入れた感染防止のガイドラインを作成中で、今後巨人はそれに沿って対応することになる。


2020.5.27-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200527/k10012446961000.html
前澤友作氏の資産管理会社 約5億円申告漏れ指摘 東京国税局

  ファッション通販サイト「ZOZO」の創業者で実業家の前澤友作氏が役員を務める資産管理会社が、プライベートジェットの私的利用をめぐって東京国税局からおよそ5億円の申告漏れを指摘されたことが関係者への取材で分かりました。
  関係者によりますと、実業家の前澤友作氏は、みずからが役員を務める資産管理会社「グーニーズ」が所有するプライベートジェットを、私的な海外旅行などで頻繁に利用していたということです。
  前澤氏は、プライベートジェットの利用料として一部の費用を資産会社側に支払っていましたが、東京国税局は、本来、前澤氏が支払うべき利用料が去年3月期までの3年間でおよそ5億円不足し、資産管理会社はその利用料を所得として計上する必要があると指摘したということです。
  関係者によりますと、会社側はすでに修正申告しましたが、赤字分と相殺され、法人税の追徴課税は発生しなかったということです。
  一方、前澤氏個人も、絵画の売買で得た利益などをめぐって、東京国税局から、おととしまでの3年間でおよそ9900万円の申告漏れを指摘され、追徴課税はおよそ4000万円に上ったということです。
  これについて前澤氏は27日、ツイッターに「私は逃げも隠れもしないし、税務処理の方法でご指摘があれば、惜しまず税金払いますので、税金はどうか有効活用願います」などと投稿しています。


2020.5.26-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200526/k10012444801000.html
木村花さん SNS上の非難が1日に100件近く 自殺の可能性も

  シェアハウスでの生活を記録する民放の番組「テラスハウス」に出演し、3日前、都内で死亡したプロレスラーの女性について、番組への出演や言動を非難するSNS上の書き込みが多い時で1日に100件近くあったとみられることが関係者への取材でわかりました。遺書のようなメモも見つかり、警視庁はひぼう中傷を苦に自殺を図った可能性もあるとみて調べています。
  シェアハウスで男女6人が共同生活する様子を記録するフジテレビの番組「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラー、木村花さん(22)は3日前、都内の自宅で倒れているのが見つかり、搬送先の病院で死亡しました。
  所属団体などによりますと、SNS上では番組への出演や言動を非難する投稿がされていたということですが、木村さんに対するこうした書き込みは多い時で1日に100件近くあったとみられることが関係者への取材でわかりました。
  捜査関係者によりますと、木村さんの自宅からは母親や仲間への感謝の思いがつづられた遺書のようなメモが見つかったということです。
  警視庁はSNS上でのひぼう中傷を苦に自殺を図った可能性もあるとみて詳しいいきさつを調べています。
道場所有の女性「礼儀正しく 娘のように思っていた」
  木村花さんがプロレスの練習に通っていた道場を所有する72歳の女性は、花さんについて「大きな声で『こんにちは』とあいさつしてくれるし、礼儀正しく、娘のように思っていました。頑張ってやっとここまで来て、大きな舞台にも出られるようになり、これからの子でした。とてもショックで悲しく、何とも言えない気持ちです」と無念の思いを語りました。
  そのうえで「いわれもないひぼう中傷で気持ちが沈んでしまったのではないかと思います。顔が見えないからといって相手の気持ちを考えずに書き込んだ人たちは、次々に書き込みを削除したといいますが、憎いし、悔しいです。リングの上では悪役を一生懸命に演じていた花ちゃんは、強く見えるかもしれないけど、ふつうの22歳の女の子です。悩みを打ち明けられる人がそばにいなかったのか、ひとりで命を絶つなんて本当にかわいそうです」と話していました。


2020.5.25-Sankei Biz-https://www.sankeibiz.jp/workstyle/news/200525/cpd2005251930003-n1.htm
「ネットいじめ」「指殺人」世界でも問題視 法整備求める声も

  女子プロレス選手の木村花さんの急死をめぐっては、SNS上で多くの誹謗(ひぼう)中傷を受けていたことが問題となっている。芸能人などの個人に対してネット上で厳しい批判を繰り返す行動は「ネットいじめ」として世界でも問題視されており、専門家は法整備の必要性を訴えている。
  木村さんへの誹謗中傷が始まったのは、3月末のテラスハウス放送後からだった。
  テラスハウスはシェアハウスで男女6人が共同生活する様子を記録した番組で木村さんは昨年9月から出演していた。3月末に配信された回では、メンバーの1人が木村さんのプロレス衣装を誤って洗濯するトラブルが発生。木村さんが相手を強く非難する様子が配信されると、木村さんに対する誹謗中傷が過熱した。
   《早く消えてよ》《お前の方がクズだよ》などの書き込みがSNS上に相次ぎ、木村さんは胸を痛めていたとみられる。
   今月23日未明には、木村さんは《毎日100件近く率直な意見。傷付いたのは否定できなかったから。死ね、気持ち悪い、消えろ、今までずっと私が1番私に思ってました》とSNSに記していた。 その直後、木村さんは自殺を図ったとみられる。
  SNS上の有名人への誹謗中傷をめぐっては、これまでも度々、問題となってきた。

  韓国では昨年、人気女性グループ「KARA」の元メンバー、ク・ハラさん=当時(28)=が自殺。元交際男性とのトラブルを機に執拗(しつよう)に中傷され、ハラさんは「ひと言の言葉で人を殺すことも生かすこともできる」などとSNSでの誹謗中傷を批判していた。
  また、ハラさんと親しかった歌手のソルリさん=当時(25)=もSNSで非難を受け、自殺。パソコンのキーボードや携帯電話を指で簡単に操作して悪質な書き込みを行うことで有名人らを死に追いやることになるという意味の指殺人」が社会問題化した。
  ただ、こうしたSNS上での誹謗中傷は刑法の名誉毀損罪などに問われる可能性があるが、立件のハードルは高い。
  インターネット上のトラブルに詳しい斎藤裕弁護士によると、名誉毀損罪の成立には「不特定多数に具体的事実を示し、社会的評価を低下させる必要がある」とする。このため、今回の木村さんのケースのように《消えろ》《気持ち悪い》などとする罵倒の類では適用は難しく、より具体的な本人をおとしめるような内容が必要とされるという。
  一方、民事での損害賠償請求でも、SNS事業者に投稿者のアドレス開示を求め、投稿者本人を特定することを求められるなど、時間と費用がかかる。
  芸能人に対するSNSでの誹謗中傷について詳しい佐藤大和弁護士は「集団での誹謗中傷に対しては、迅速かつ適切に対応できる法律がないのが問題だ」と指摘。「1人が大人数に対して対応できる被害救済制度の法整備と、SNSを運営する各社が主体的にコメントを停止するなどの措置をとれるようにすべきだ」と話している。
大渡美咲、村嶋和樹、吉沢智美


2020.5.22-OkinawaTimes(沖縄タイムス)-https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/574803
長崎高野連、7月に代替大会開催 夏の甲子園中止で、千葉も検討

  新型コロナウイルス感染拡大の影響で、今夏の全国高校野球選手権大会と出場権を懸けた地方大会の中止が決まったことを受け、長崎県高野連は22日、運営委員会で代替大会を7月に開催することを決め、発表した。
  長崎県高野連によると、全国選手権の出場校を決めるために予定していた大会と同時期の開催となる見通し。感染防止対策や観客の有無、選手の移動方法などについては今後検討していくという。西田哲也会長は「開催の課題のクリアに向けて全力で話し合いを重ねていきたい」と話した。
  千葉県高野連も臨時理事会で、独自の大会を8月に開催する方向で準備を進めることを決めた。(共同通信)


2020.5.7-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200507/k10012421291000.html
外交評論家の岡本行夫氏が死去 新型コロナウイルスに感染

  外交評論家で、小泉内閣や橋本内閣で内閣総理大臣補佐官を務めた岡本行夫氏が、新型コロナウイルスに感染し、亡くなっていたことが、外務省関係者への取材でわかりました。74歳でした。
  岡本行夫氏は、外務省の北米第一課長などを歴任したあと、外交評論家になり、当時の橋本内閣で沖縄問題担当の総理大臣補佐官を務めました。
  その後、小泉内閣でも総理大臣補佐官に任命され、イラク戦争が終結したあとの復興に向けた政府の支援策の検討にあたりました。
  総理大臣補佐官を退任したあとは、外交評論家としてテレビに出演するなど活動していましたが、外務省関係者によりますと、新型コロナウイルスに感染し、先月下旬、亡くなったということです。
アーミテージ元国務副長官「日米関係の巨人」
  アメリカで知日派として知られ、岡本行夫氏と親交のあったアーミテージ元国務副長官は、「岡本行夫氏は、日米関係の巨人だった。彼は国のために最善と思ったことを常に行った。それゆえ、私の目から見れば、彼は真の愛国者だった。お祈り申し上げます」というコメントを発表しました。
ジョセフ・ナイ教授「日米関係と同盟の擁護者」
  アメリカのクリントン政権で国防次官補を務め、沖縄の基地問題など日米関係に深く関わってきたハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は、「岡本行夫氏は、個人的な良い友人で、日米関係とわれわれの同盟のすばらしい擁護者だった。彼を失ったことに心から悲しんでいる。ひどいウイルスの悲劇的な犠牲だ」というコメントを発表しました。


2020.5.6-TBS NEWS-https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3973052.html
赤江珠緒さん 退院、TBSラジオにコメント

  新型コロナウイルスに感染し、入院していたフリーアナウンサーの赤江珠緒さん(45)が退院したことがわかりました。
  赤江さんは新型コロナウイルスに感染し、肺炎の症状で入院していましたが、6日のTBSラジオ「赤江珠緒たまむすび」にコメントを寄せ、退院を報告しました。
  「いろいろとご心配をおかけしましたが、この度、退院となりましたので取り急ぎご報告いたします。この後しばらくは自宅療養をしながら体力の回復を目指します。今回助けていただいた医療現場の皆様に心より感謝を申し上げます」


2020.5.4-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200504/k10012417441000.html
大相撲 夏場所は中止 7月の名古屋場所は国技館開催へ

  日本相撲協会は、緊急事態宣言の延長が決定したことを受けて、今月24日に初日を迎える予定だった、大相撲夏場所の中止を決めました。本場所の中止は、一連の八百長問題に揺れた平成23年春場所以来です。
  日本相撲協会は4日、緊急事態宣言の5月31日までの延長が決定したことを受けて、夏場所の扱いについて協議しました。
  そして持ち回りの理事会を開いた結果、ファンや関係者の健康と安全を確保するためなどとして5月24日から東京 両国の国技館で予定されていた夏場所の中止を決めました。大相撲の本場所の中止は、一連の八百長問題に揺れた平成23年春場所以来、3回目です。
  また相撲協会は、毎年7月に名古屋市で開催され、ことしは7月19 日を初日としていた名古屋場所については日程は変更せず、大人数での移動と長期滞在を避けるため会場を愛知県体育館から国技館に変更することを決めたうえで、観客を入れずに開催することを目指すとしています。
  さらに9月の秋場所のあと各地で行われる予定だった秋巡業の中止も決めました。
  相撲協会は、4月の臨時理事会で、当初の予定から2週間、夏場所の初日を延期するとしていましたが、その後の新型コロナウイルスの感染状況の悪化や、特別措置法に基づく緊急事態宣言について、政府が新たな感染者数は減少傾向に転じている一方、医療提供体制は厳しい状況が続いているなどとして、対象地域を全国としたまま、5月末まで延長する方針を明らかにしたことから、夏場所の開催は厳しいとの認識を示していました。
八角理事長「大変残念に思う」
  日本相撲協会の八角理事長は、「相撲観戦を楽しみにしているファンの皆様には、大相撲を見せられる日が先になってしまい、大変残念に思います。力士をはじめとする協会員一同、今後も皆様と同様に、一生懸命、新型コロナウイルスの感染予防に努めていきます」としたうえで、「今後、本場所が開催できた際には、精いっぱい迫力のある相撲を見てもらえるよう、これからも取り組んでいきます」とコメントを発表しました。
  また八角理事長は、名古屋場所の会場を東京 両国の国技館に変更して開催することについて、「特別開催として無観客開催を目指しています」としています。
  さらに、秋巡業を中止とした理由については、「開催できるかどうかのめどが立たない中で準備を進めていくことは、主催者にご迷惑となると判断し、中止を決定しました」と説明しました。
  そして、新型コロナウイルスの感染が拡大している状況を踏まえて、「一刻も早く現在の状況が終息することを願うとともに、感染症により亡くなられた方とそのご遺族に心よりお悔やみを申し上げます。また現在治療中の皆様、ご家族の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。全国各地で感染症の治療・ケアにあたられている医療関係者の皆様に心から感謝するとともに、エールを送らせていただきます」とコメントしています。
開催の可能性探ったが
  日本相撲協会は、大相撲夏場所の日程を2週間延期するなどして開催の可能性を探っていましたが、緊急事態宣言の延長を受けて、開催を断念せざるをえませんでした。
  ことし3月の春場所は、場所の1週間前まで開催するかどうかの検討が続き、一時は中止する案も上がっていましたが、結局、観客を入れない形での開催に踏み切り、1人の感染者を出すこともなく無事に場所を終えました。
  しかし、春場所が終わった直後の3月下旬から感染の状況が急速に悪化し、先月3日、相撲協会は夏場所の開催を2週間延期して今月24日を初日とすると発表しました。
  記者会見した八角理事長は、「通常開催を目指しながら無観客での開催や中止を含めて、あらゆる角度から柔軟な姿勢で検討を重ねたい」と述べ、中止の可能性を否定しませんでした。
  その後も状況は好転せず、先月7日には東京や神奈川、大阪など7都府県を対象に緊急事態宣言が出され、10日には力士で初めての感染者が出たことが発表されました。
  角界での感染拡大は続き、高田川親方や十両の白鷹山を含め、これまでに7人の感染が明らかになっていて、最初に感染した力士1人は今も入院して治療を続けているということです。
  先月27日には、夏場所の番付が発表されたものの、力士は体をぶつけ合う稽古を控えるように求められ、基礎的な運動しかできず、場所に向けて十分な稽古ができている状況とは言えませんでした。
  芝田山広報部長は、連日、報道の代表取材に応じ、「現状を踏まえて検討していく。諦めずに5月の開催を視野に入れていきたい」と、あくまで開催の可能性を探る姿勢を示していました。
  しかし、今月1日、緊急事態宣言について安倍総理大臣が対象地域を全国としたまま、1か月程度延長することを決定する方針を明らかにするなど、夏場所の開催が厳しい状況となっていました。
  そして、緊急事態宣言の延長が決定されたことを受けて、相撲協会は夏場所の開催を断念せざるをえませんでした。
芝田山広報部長「番付はそのまま次の本場所へ」
  日本相撲協会の広報部長を務める芝田山親方は、夏場所の番付について「相撲を取るわけではないので番付の上がり下がりはない。そのまま移行する予定だ」と述べ、現時点で次に行われる本場所まで維持する考えを示しました。
  今後の力士の稽古については「引き続き出稽古は禁止する。接触する稽古は原則として自粛を勧めるが、力士たちの体調を十分に観察したうえで、師匠の判断で取り入れてもかまわない」と柔軟な対応をしていく考えを明らかにしました。
  角界では親方と力士の新型コロナウイルスの感染が相次ぎましたが、芝田山親方は「あくまで政府の緊急事態宣言の延長を受けて中止した」と強調したうえで「相撲界で40年以上やっていて、このようなことが起きるとは思ってもみなかった。皆さんと一緒に感染予防策を徹底して辛抱するしかない。私たちも苦渋の決断だ。本場所の開催は絶対的に必要なもので、次の場所に向けてしっかりと準備を進めていきたい」と話していました。
新大関 朝乃山「一日一日を大事に 今できることを」
  観客を入れずに行われたことし3月の春場所後に大関に昇進し、新大関として夏場所に臨むはずだった朝乃山は「7月の場所に向けて、一日一日を大事に今できることを続けていきたい」と気持ちを切り替えていました。
  春場所で44回目の優勝を果たした横綱 白鵬は「今は残念な気持ちだが、世の中がこういう状況なのでしかたがない。この5月をどう過ごすかが次の場所に生きていくのではないか」と心境を話しました。
  例年は名古屋市で行われている7月の本場所の会場が東京 両国の国技館に変更されることについては「名古屋のファンの気持ちを思うと残念だが、これも世の中の状況を考えると今はしかたのないことだ。先の見えないたたかいだが、終息した時には名古屋のファンとも触れ合うことができたらと思う」と話していました。
  横綱 鶴竜は「今できることを継続して行い、7月の場所で元気な姿を見てもらえるようにしっかり準備したい」と話し、大関 貴景勝は「引き続き、基礎運動を中心に体の全体を鍛えていきたい」と冷静に受け止めていました。


2020.5.1-RecordChina-https://www.recordchina.co.jp/b799570-s0-c50-d0035.html
日本の五輪銀メダリスト、収入ゼロで配達員に=中国ネット「応援したい気持ちになった」

  12年ロンドン五輪のフェンシング男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した三宅諒が、東京五輪の延期によって3社あったスポンサーとの契約が1月いっぱいで満了となり、現在収入ゼロになったため、フードデリバリーサービスの配達員としてのアルバイトを始めたとする報道が、中国でも注目されている。
  中国のスポーツメディアの網易体育は30日、日本メディアの報道を引用し、三宅が30日、配達員のアルバイトの初日の成果として「8軒回って4688円でした!」と報告したことを紹介した。
  これについて、中国のネットユーザーからは「よく知らない選手だけど、頑張ってほしい」「応援したい気持ちになった」「競技活動を続けていくため。恥ずかしいことでもなんでもないと思う」などの声が寄せられていた。
  また、三宅が、日本代表としての海外遠征費用約67万円を自己負担していたと明かしたことについては、「国の代表選手が遠征費用を自己負担?」「中国ではあり得ないのではないか」などと驚く声も上がっていた。(翻訳・編集/柳川)


2020.5.1-JIJI COM-https://www.jiji.com/jc/article?k=2020050100994&g=soc
大原れいこさん死去 テレビプロデューサー

大原 れいこさん(おおはら・れいこ、本名犬養麗子=いぬかい・れいこ=テレビプロデューサー)4月27日午前10時1分、膠芽腫のため東京都内の病院で死去、84歳。岡山県出身。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男拓(たく)氏。後日お別れの会を開く予定。

祖父は大原美術館(岡山県倉敷市)を設立した実業家、故大原孫三郎氏、夫は元共同通信社社長の故犬養康彦氏。70年、番組制作会社テレビマンユニオンを共同で設立。「オーケストラがやって来た」「五嶋龍のオデッセイ」などの音楽番組を多数手掛けた。


大原麗子
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「テレビプロデューサーの大原れいこ(本名:犬養麗子、旧姓:大原)とは異なります。」
大原 麗子(1946年〈昭和21年〉11月13日 - 2009年〈平成21年〉8月3日)は、日本の女優。本名は飯塚 麗子(いいづか れいこ)

死去
  2009年8月6日、連絡が取れず不審に思って警察に通報していた実弟らによって、自宅で死亡しているのが発見された。62歳だった。行政解剖の結果、死亡推定日時は同年8月3日。死因は不整脈による脳内出血であると診断された・・・







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