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2021.12.02-Bloomberg-https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-12-02/R3GMQVDWRGG001
女子テニス協会、中国での大会開催中止-彭帥さん巡る問題で懸念表明

  女子テニス協会(WTA)は1日、中国の著名テニス選手、彭帥さんの安否を巡る懸念が払拭されていないとして、香港を含む同国での全ての大会を中止すると発表した。外国のビジネス団体が金銭的な損失のリスクを冒してまで中国政府に挑んだまれなケースとなった。
  WTAのスティーブ・サイモン会長兼最高経営責任者(CEO)は、ウェブサイトに掲載された発表文で、「残念ながら中国指導部は、この非常に深刻な問題に信頼に足る方法で対処していない。彭さんの居場所は分かったものの、彼女が自由で安全なのか、検閲や強制、脅迫を受けていないか重大な疑念を抱いている」と指摘した。

  WTAは、中国での大会開催は選手やスタッフへのリスクを伴うとして、香港を含む同国での全ての大会を直ちに中止すると説明。彭さんが性的な関係を強要されたと告発したことについて、検閲を伴わない透明性のある徹底調査をあらためて求めた。
  2022年2月に中国で開催される冬季五輪に先立ち、選手やスポンサー企業への圧力が強まる可能性がある。米国や同盟諸国は、中国の人権問題を理由に同五輪を外交的にボイコットすることを既に検討している。一方、中国の国営メディアは同国政府が多くの外国要人を同五輪に招待しない可能性があると報じている。


2021.11.28-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211128/k10013365501000.html
全勝優勝 横綱 照ノ富士「大きい目標 ふた桁の優勝」

  千秋楽の結びの一番に勝って初めての全勝優勝を果たした横綱・照ノ富士は、土俵下のインタビューで「久しぶりの九州場所で、開催出来ることをありがたく思って土俵に上がっていた。皆さんの応援のおかげで土俵に上がるときは自信を持っていつもやっている」と話し、館内から拍手が送られました。

  自身初の全勝優勝については「今まで出来なかったことなので、本当にうれしく思う」と話したうえで、28日の取組前の心境を問われると「重圧を感じてもしようがない。土俵に上がっている以上は自分のベストを尽くしてやりきることしか考えていない」と話しました。
  初めて番付上の一人横綱として臨んだ今場所は、大鵬以来59年ぶりとなる新横綱から2場所続けての優勝を果たしました。
  照ノ富士は「1日、一番という気持ちで臨んでいるのが、少しでもつながったのかなと思う」と話した上で、来年に向けては「大きい目標を立てて、ふた桁の優勝回数を目指して頑張っていきたい。そう簡単にできることはないと思うので、自分なりに努力して頑張りたい」と6回となった優勝回数を伸ばしていくことへの意欲を語りました。
敢闘賞 阿炎「変わるための1年だった」
  敢闘賞を受賞した阿炎は「うれしいです」と述べた後、優勝争いに絡んだことについて「気にしないように、一番一番に集中していたので自分なりに思い切りのいい相撲を取ることができた」と話していました。
  阿炎は接待を伴う飲食店に出入りし、日本相撲協会のガイドラインに違反したなどとして3場所出場停止の処分を受けたあと、ことしの春場所で復帰し、さらに今場所、7場所ぶりに幕内に戻りましたが、「変わるための1年だった。これで止まらずもっと変われるように頑張っていきたい」と話していました。
敢闘賞 隆の勝「もっと上を目指して」
  2回目の敢闘賞を受賞した隆の勝は「本当にうれしい。勝ったら敢闘賞というのは直前に知ったのでちょっと緊張した」と話していました。
  好調の阿炎との取り組みについては「突きが強いので、止まらず前に攻めようと思っていた」とした上で、勝って11勝4敗となった成績を受け「ことし最後の場所で大勝ちできたのでよかった。もっと上を目指して頑張っていきたい」と来年を見据えました。
技能賞 宇良「1つ夢をかなえられてうれしい」
  初めての三賞となる技能賞を受賞した宇良は「1つ夢をかなえられてうれしい。途中けがもあって三賞を取れないと思っていた」と話していました。
  また、ことしを振り返り「幕内に戻ってこられるとも思っていなかったので、感慨深いところがある」と話した上で、来年に向けて「しっかり稽古に励んで幕内で十分戦える力士を目指して頑張りたい」と意気込みました。
八角理事長「一人横綱で大変 よくやってくれた」
  日本相撲協会の八角理事長は全勝優勝を果たした横綱・照ノ富士について「ひざと体調を直して、よく戻ってきた。横綱に上がってからは精神的にも立派だ。一人横綱で大変だと思うがよくやってくれた」と評価しました。
  一方、12勝3敗の大関・貴景勝について「先場所、先々場所のことを考えると、よく頑張った。ただ、いい時と悪い時の波が大きい。波を小さくして、いい相撲で、常にこれくらいの番数を勝てるよう心がけてほしい」と話しました。
  また、2年ぶりの開催となった九州場所を終えて「コロナ禍で大変だったが、多くのお客さんに来てもらってありがたい。感染者が1人も出ず、土俵上もそうだが感染対策もよく頑張ってくれた」と振り返りました。
伊勢ヶ濱審判部長「横綱の責任を果たしている」
  日本相撲協会の伊勢ヶ濱審判部長は、初めての全勝優勝を果たした横綱・照ノ富士について「しっかり横綱の責任を果たしていると思う。落ち着いて相撲を取っていたというのがいいのではないか。全然慌てなかった」と話しました。
  また、関脇で9勝をあげた先場所に続いて、今場所も関脇で11勝をあげた御嶽海について「1つでも2つでも上の成績を目指してやればいいのではないか」と話した上で、来場所、成績次第で大関昇進があるか聞かれると「数だけで決めるわけではない。すべて見たり、相撲の内容を見たり、いろんなものを見ながらみんなで決めていくものだ」と述べました。
  また今場所全体の取組について、伊勢ヶ濱審判部長は「1年納めの場所で、久しぶりの九州場所だった。みんな結構、いい相撲を取っていたと思う。九州の皆さんに見せようと思って、頑張っていたのではないか。今場所のような気合いが入った相撲を取り続けて、お客さんに見てもらえばいいと思う」と話していました。


2021.11.28-日刊スポーツ-https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202111280000268.html
【若乃花の目】照ノ富士これが横綱相撲 足を内側に入れて残す現役唯一の技

<大相撲九州場所>◇14日目◇27日◇福岡国際センター
  これが横綱相撲です。それは、阿炎に押し込まれ土俵際に詰まった時の照ノ富士の対応で分かります。俵に足がかかった時、照ノ富士は右足を阿炎の内側に入れて残しました。12日目に明生が照ノ富士に投げを打たれた時は、外から足を掛けて失敗しました。内側にかけての残し方が横綱相撲と感じるところで、現役でこれが出来るのは照ノ富士しかいません。もっと言えば、モンゴル出身の横綱は何人も出ましたが、技のかけ方といい使い方といい、いちばん昔の日本人らしい相撲を取れるのが照ノ富士だと思います。アマ相撲の経験もある師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)の教えを生かして稽古しなければ、本場所であの動きはできないでしょう。

  心技体の「技」はもちろん「心」の強さも出た一番と言えます。控えで座っている時の表情も落ち着いたものでした。押されるのは分かっている。ただ、どのぐらいの力なのかも分かっている。焦るのでなく、とにかく落ち着けば大丈夫と構えていました。最後に阿炎が引かざるをえなかったのは、横綱の圧力がそうさせたのでしょう。現状では非の打ちどころがありません。1歩どころか、2歩も3歩も差をつけて引っ張っています。それはそれで少し寂しい気もしますが、それほど照ノ富士の強さが際立っているということでしょう。(元横綱若乃花 花田虎上・日刊スポーツ評論家)


2021.11.27-Yahoo!Japanニュース(毎日新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/666667d08c55d2f91583a0e1a262b0262c074a79
ヤクルト、日本シリーズ制覇 20年ぶり6度目 セでは9年ぶり

  プロ野球の日本一を決める「SMBC日本シリーズ2021」は27日、神戸市のほっともっとフィールド神戸で第6戦があり、ヤクルトが延長戦の末、オリックスを2―1で破って対戦成績を4勝2敗とし、2001年以来20年ぶり6度目の日本一に輝いた最高殊勲選手(MVP)にはヤクルトの中村悠平捕手(31)が選ばれた。

  日本シリーズは20年までパ・リーグ球団が8連覇しており、ヤクルトはセ・リーグ球団として12年の巨人以来9年ぶりに日本一を奪還した。
  今回は史上初の前年リーグ最下位同士の対戦だった。前年最下位からの日本一は1960年の大洋(現DeNA)以来2度目。高津臣吾監督(53)は就任2年目で日本シリーズを制した。
   オリックスは前身の阪急時代を含め25年ぶり5度目の頂点を目指したが届かなかった。
   新型コロナウイルスの影響でポストシーズンが1週間遅れたため、第1、2戦が行われた京セラドーム大阪がイベントで使えず、神戸での開催となった。
◇延長十二回 ヤクルト・川端が殊勲打
   ヤクルトが延長戦を制した。五回に塩見の適時打で先制。同点の十二回、2死二塁から代打・川端が左前適時打を放って勝ち越した。先発の高梨が五回途中を1失点。救援陣がいずれも無失点と好投した。オリックスは9回1失点の山本を打線が援護できなかった。


2021.11.22-スポニチ(SponichiAnnex)-https://www.sponichi.co.jp/society/news/2021/11/22/kiji/20211122s00042000216000c.html
台本通りの“笑顔”!? 中国テニス不明選手の動画公開

  中国最高指導部メンバーだった張高麗元副首相(75)との不倫関係を2日に告白した後、消息不明になっていた女子テニス元ダブルス世界ランキング1位の彭帥(ほう・すい、35)の動画が21日、公開された。

  中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報の胡錫進(こ・しゃくしん)編集長がツイッターに投稿した37秒の映像で、この日午前に北京で開かれたテニス大会の模様。来賓として紹介され、右手を振りながら笑顔を見せている。同紙記者が撮影したという。

  20日深夜にも、レストランで友人らと夕食を取ったとする様子を2本投稿。入店時の15秒のものと、テーブル席での1分8秒。談笑の場面では彭以外の男女の間で「明日は20日?」「いや21日だ」との会話がされている。胡氏は自身が入手したとし、最新映像だと強調するように「土曜日に撮影されたことが分かる」と書き込んだ。
  中国では通常閲覧できないツイッターへの相次ぐ投稿。直近の映像で「無事」であることを強調、国際社会の懸念を払しょくする狙いがあるとみられる。中国国営メディアが18日に、自らは無事で性的暴行も「事実ではない」とした彭のものとするメールを公開したが、自身の意思で書いたものか疑問視する声が広がっていた。
  また、中国の人権問題から来年の北京冬季五輪を外交ボイコットする動きがあることなどを警戒して積極的に公開したとみられる。
  しかし、政府にとって好ましくない言動をした人物に対し強制的に意に沿った発言をさせてきたなどと人権団体から指摘されてきた中国政府。今回の動画も当局の台本通りの“笑顔”との疑念は残り、国際社会が納得するかは見通せない
  女子テニス協会(WTA)のスティーブ・サイモン最高経営責任者(CEO)は、動画について「彼女が自分で決定を下し、行動を起こすことができるか不明」と不信感をあらわにし、懸念払しょくには「不十分」とする声明を出した。


2021.11.19-NHK NEWS WEB.-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211119/k10013352001000.html
大谷翔平 満票でMVP 日本選手2人目 イチローさん以来20年ぶり

  大リーグ、エンジェルスの大谷翔平選手が今シーズン、最も活躍した選手に贈られるMVP=最優秀選手に選ばれました
  日本選手の受賞は2001年のイチローさん以来2人目で、満票での受賞は大リーグで6年ぶりです6年ぶり 満票でMVP大リーグのMVPはレギュラーシーズンに最も活躍した選手に贈られ、全米野球記者協会に所属する記者30人の投票によって選ばれます

  ことしの受賞者が18日xs、アメリカのテレビ番組の中で発表され、アメリカンリーグのMVPに、投打の二刀流でめざましい活躍を見せたエンジェルスの大谷選手が初めて選ばれました
  日本選手のMVPは2001年に大リーグ1年目だったイチローさんが受賞して以来、20年ぶり2人目です。
  大谷選手は大リーグ4年目の今シーズン、ピッチャーとして9勝、156奪三振、バッターとしてホームラン46本、100打点、26盗塁で、史上6人目の「ホームラン45本、25盗塁」を達成するなど投打ともに自己最高の成績をマークし、7月のオールスターゲームでは史上初めて投打の同時出場を果たしました。
大谷「すごくうれしい 皆さんに感謝」
  大谷選手は、MVPが発表された番組に中継で出演し「すごくうれしいし、投票してくれた記者や、チームの監督、コーチ、トレーナー、ファンなど支えてくれた皆さんに感謝する」と喜びを口にしました。
  そのうえで、二刀流で大リーグに挑戦したときにMVPの獲得を予想していたかについては「とりたいなとはもちろん思っていた。日本にいたときよりアメリカに来たときのほうが受け入れてもらえる雰囲気があったので、感謝している」と話していました。

  MVPの最終候補には大谷選手のほか、ホームラン48本でアメリカンリーグのホームラン王を獲得したブルージェイズのゲレーロJr.選手と同じくブルージェイズでホームラン45本を打ったシミエン選手が入っていましたが、大谷選手は投票した30人全員から1位の票を集め、当時ナショナルズだった2015年のハーパー選手以来、6年ぶりに満票での受賞となりました。
  ナショナルリーグは打率3割9厘、ホームラン35本をマークしたフィリーズのハーパー選手が2015年以来、2回目の受賞を果たしました。
“二刀流” 歴史塗り替える活躍でMVP
  大谷選手は今シーズン、現代野球では例のない二刀流選手としてホームラン46本を打って9勝をあげ、大リーグの歴史を塗り替える活躍で順当にリーグMVPに選出されました。大谷選手は今シーズン、大リーグ4年目で初めて、シーズンを通して二刀流でプレーしました。
  バッティングでは前半戦だけでホームラン33本を打って日本選手のシーズン最多記録を更新する快進撃を見せホームラン王争いでも一時は独走状態でした。相手の警戒が高まった後半戦は勝負を避けられる場面が相次いだこともあってペースが落ちましたが、最終戦で46号ホームランを打って打点も100の大台に乗せました。
  ピッチャーとしては、4月26日の今シーズン3回目の登板で、右ひじを手術する前以来、およそ3年ぶりに勝ち投手となり、6月から9月にかけては8連勝するなど先発ローテーションを守り続けて9勝をあげました。
  今シーズンは初めて投打の同時出場を解禁して、先発登板した試合でみずから先制ホームランを打ったりベーブ・ルース以来100年ぶりとなる「ホームラン数トップで先発登板」をしたりと、現代野球では例のない二刀流で活躍を続け、オールスターゲームでは史上初めて、先発ピッチャーを務めながら1番指名打者で出場して勝ち投手となりました。
  
ホームラン王のタイトルはゲレーロJr.選手に譲りましたが、「ヒット、打点、得点、投球回、奪三振」の投打5部門で100の大台に達した初めての選手となり、投げては160キロ超え、打っては140メートルを超えるホームランと鮮烈な印象を残し、順当にアメリカンリーグのMVPに選ばれました。
【大谷翔平 これまでの歩み】
  大谷翔平選手は岩手県出身で身長1m93センチ、体重95キロ。右投げ左打ちの27歳です。
  2012年、岩手県の花巻東高校3年の時に夏の岩手大会準決勝で投手として、球速160キロをマークして注目されたほか、打者として高校通算56本のホームランを打ち注目されました。
  2012年のプロ野球ドラフト会議の直前には大リーグ挑戦の意向を表明しましたが、ドラフト1位で指名した日本ハムから、大リーグでプレーするという大谷選手の夢を後押しし、投手と野手の「二刀流」で育成するという異例の提案を受け、入団を決意しました。

  日本ハムでは1年目から「二刀流」でプレーし、2年目の2014年には、投手として防御率リーグ3位の2.61、チームトップの11勝を挙げ、球速では当時のプロ野球最速に並ぶ162キロをマークしました。野手としては、主に指名打者として出場し、打率2割7分4厘をマークし、ホームラン10本を打ち、この年、プロ野球史上初めて同じシーズンに2桁勝利と2桁ホームランを達成しました。3年目はバッターとしては打率2割2厘、ホームラン5本でしたが、投手としては先発投手陣の柱として22試合に登板し、15勝5敗、防御率2.24の成績を残し、「最多勝」「最優秀防御率」「勝率第1位」の3つのタイトルを獲得しました。
  4年目には、投手として10勝、防御率1.86、プロ野球最速の165キロをマークしました。打者としては自己最多のホームラン22本を打ち、史上初めて投手と指名打者の2つの部門でベストナインに選ばれました。そして5年目のシーズンを終えた2017年11月、ポスティングシステムを利用しての大リーグ挑戦を表明。エンジェルスへの入団が決まりました。

  エンジェルス1年目の2018年は、ピッチャーとして4勝、バッターとしてホームラン22本を打って新人王に輝きましたが、その年のオフに右ひじのじん帯を修復するトミー・ジョン手術を決断。翌年はバッターで軸足となる左ひざを手術しました。
右ひじの手術から1年半以上が経過した2020年シーズンはピッチャーでは0勝1敗、防御率37.80。バッターでは打率1割9分と本来のパフォーマンスにはほど遠く、2021年シーズンの開幕前、アメリカのメディアの中には2021年シーズンを「二刀流のラストチャンス」と見る向きもありました。

こうした中、大谷選手は2021年、ピッチャーとして9勝、156奪三振、バッターとしてホームラン46本、100打点、26盗塁で、史上6人目の「ホームラン45本、25盗塁」を達成するなど投打ともに自己最高の成績をマークし、シーズンで最も活躍した選手に贈られるMVP=最優秀選手に選ばれました。
過去3回MVP受賞 チームメートのトラウトも快挙たたえる
  大谷選手のチームメートで過去にMVPを3回受賞しているトラウト選手は、自身のツイッターで「チームメートとして君の成し遂げたことを目の当たりにできたのは特別なことだった。MVP受賞は当然だ」とつづり「SHOTIME(ショータイム)」というハッシュタグと自身と大谷選手が握手している写真を添えて投稿しました。
  さらに、みずからのことばで喜びを伝える動画を大リーグの公式ツイッターに寄せ「ショータイム!MVPを受賞したことを祝福したい。なんて信じられないシーズンだったんだ。試合の中でピッチング、バッティング、そして外野に移動するなんて。君が受賞してとてもうれしいよ」と改めて後輩の快挙をたたえていました。


2021.11.18-Yahoo!Japanニュース-https://news.yahoo.co.jp/byline/akotomoko/20211118-00268543
彭帥はどこに?「#MeToo」運動は中国で再燃するか?

  テニスのウィンブルドン選手権で優勝経験もある中国の彭帥(35歳)が、張高麗前副首相(75歳)に性的関係を強要された後に不倫関係になったことをSNSで告発後、消息不明になっている。

  女子テニスツアーを統括するWTA(女子テニス協会)のスティーブ・サイモン最高経営責任者(CEO)兼会長は14日(日本時間15日)、公式ホームページ上で声明を発表し、「彭帥(ホウ・スイ)に関する事件は非常に憂慮すべきもの。中国の元指導者の性的暴行を伴う行為についての彼女の告発は、非常に深刻に扱われなければならない。どんな社会でも、彼女が主張するような行為は、容認、無視されるのではなく、調査される必要がある。名乗り出た彭帥選手の勇気と力強さを称賛する。この問題が適切に処理されることを期待している。疑惑は完全に、公正に、透明に、検閲なしに調査されなければならない」と主張した。

  彭帥を知るテニス仲間たちも彼女を案じ、支持する声をあげている大坂なおみは17日、ツイッターで「検閲はどんなことがあってもOKではありません。彭帥と彼女の家族が、安全で無事であることを願っています。今の状況にショックを受けていますが、彼女に愛と光を送ります」と記し、彭帥の写真とともに「#WhereIsPengShuai(彭帥は今どこに)」のタグを付けた。男子世界ランク1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)も彭帥失踪のニュースに衝撃を受けていると明かした

  一連の騒動で中国の政界には激震が走っているに違いない。なぜなら、中国では決して触れてはならない中央の役人(元役人)に関するスキャンダルがあっという間に世界中に広がり、その上、当事者の彭帥が失踪したことへの批判が集まっているからだ。中国共産党第19期中央委員会第六回総会(六中総会)や米中首脳会談など重要な政治日程の最中で、北京での冬季オリンピックの開催を控えている時だというのに。

  アナリストの中には、これを江沢民派と習近平派の闘争と関連づけて見る人もいる。張高麗は江沢民と関係が近いと言われており、習近平政権の威信に傷をつける意図がある動きではないかというのだ。しかし、張高麗はすでに政界を引退しており、権力闘争の核心を握っているわけでもない。私は権力闘争に関心を向けるよりも、彭帥が大きなリスクを冒してまで自らにとっても醜聞となることを晒した事実を重く見るべきだと考える。

  真相はまだ闇の中ではあるが、彭帥は軟禁されている可能性が高い海外に逃れている説、国内で身を隠している説もあるが、彭帥が計画的に動いていなければ、それらの説は成り立たない。家族にも影響が及ぶ可能性があることを敢えてするだろうか昨今の中国では多くの人が失踪している。私自身、長年中国研究に携わってきたが、少なからぬ友人や友人の家族、関係者が行方不明になっている。共産党政権が負の評価を受けるような声は「国家安全を脅かす」として封殺しているのだ。彭帥ほど有名な人であればそう手荒なことはされないと思うが、彼女の安全を確認できるよう、国際社会からの声を高めていくべきだろう。

  プロテニスプレーヤーとて、絶大な権力を誇る中国共産党の高官を前にしてはなんの力も持てない。全く平等ではない関係の中で生じた男女関係の問題に中国政府はどう対応するのか。WTAが求めているように検閲せず、公正に調べることができるのか。
  「#MeToo運動は中国でも2018年頃から盛り上がっていたが、当局の検閲が強まり、注目されていたいくつかの裁判が打ち切られ、被害を訴える当事者たちのSNSへの投稿は禁止された。近年、中国でセクハラや性犯罪が裁判になることはまれだ。中国語で「#MeToo」運動を意味する「米兔」という言葉は中国のソーシャルメディアから排除されている。
  現在、彭帥に関するニュースは中国ではほとんど報じられていない。経済の先行きが不透明で、社会にも不安定要素がある中で、これ以上騒ぎを大きくしてはならないという判断があるのではないか。しかし、世界は注目している。これまで泣き寝入りせざるを得なかった被害者たちも。


2021.11.11-Yahoo!Japanニュース(WOW Korea)-https://news.yahoo.co.jp/articles/75011c8f392b41e9049e49b69e9f775ab7928837
韓国プロゴルフ協会労組、ストライキを暫定中断=101日ぶりに業務復帰

  韓国プロゴルフ協会(KPGA)労働組合が、ストライキを中断し101日ぶりに業務に復帰する。

  全国民主労働組合サービス連盟サービス一般労働組合KPGA支会は11日、キョンギド(京畿道)ソンナム(城南)のKPGAビル前で記者会見を開き、「ストライキを一時的に中断し、業務に復帰する」とし、「これは、今月中に予定された雇用労働部城南市庁の勤労監督に積極的に協力するための暫定的なストライキ中断であり、ストライキの全面撤回ではない」と明かした。
   KPGAの労組ストライキはことし4月、「職場内の同性セクハラ事件」のメディア報道を止めることができなかったという理由で、関係した職員に対し待機命令2か月、停職3か月の懲戒を下したことが発端となった。また、報復性の人事に続き、週末勤務時の代休を削除、また週52時間の制度便法運営など交渉中だった団体協約を覆した。これらを受けて、労働組合は8月2日からストライキに突入した。


2021.10.27-東京新聞-https://www.tokyo-np.co.jp/article/139089
ヤクルト6年ぶりセ・リーグ優勝 2年連続最下位から栄冠

  プロ野球ヤクルトは26日、横浜市の横浜スタジアムで行われたDeNA戦に5―1で勝ち2位阪神が中日に敗れたため、6年ぶり8度目のセ・リーグ優勝が決まった。ヤクルトは前回に続き、2年連続最下位からの優勝となった。

  高津臣吾監督(52)は就任2年目で初のリーグ制覇。米大リーグでプレーした日本選手として初の優勝監督となった。
  セは昨季、新型コロナウイルス禍のためにクライマックスシリーズ(CS)の実施を見送ったため、今季は2年ぶりの開催。ヤクルトは11月10日に始まるファイナルステージから出場し、2001年以来の日本一を目指す。


2021.10.19-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/0068213df60a928be0cae68074a0a5d3acdff203
ワールドマスターズ再延期 台湾、韓国大会と近接で調整は難航か-黒川信雄

  生涯スポーツの世界大会「ワールドマスターズゲームズ(WMG)2021関西」の再延期をめぐり、国内組織委員会が2026年の開催を軸に検討していることがわかった。日程変更は周辺地域で予定されている次回WMGや関連大会への影響もあり、調整の難航も予想される。

  原則として4年に1度開かれるWMG。関西の次の開催地は25年に台湾が計画されており、組織委は台湾側とも調整を進める構えだ。 ただ、台湾大会の翌年への延期は、台湾や国際マスターズゲームズ協会(IMGA)も難色を示すリスクもある。
  WMGの海外からの参加者には「開催地を旅行したい」という思いも強く、近接する地域、日程で開催が続くことは、旅行地としての魅力が減る恐れもあるからだ。
  実際、昨秋に1回目の延期を決めたさいも、新日程が数カ月にわたり決まらない事態が発生した。22年に韓国で開催予定だったマスターズゲームズの地域大会(後に23年に延期)との調整が難航したことが背景にあると指摘されている。
  再延期の日程には、官民ともに膨大な準備作業に追われる25年大阪・関西万博後に先送りしたいという関係者の思惑も透けて見える。ただ、WMGはその基本構想案において、WMGの「理念と成果」が「万博へのレガシー(伝統)」になるとうたわれており、万博後の開催となれば、その実現も困難になる。
   再延期をめぐり、すでに数億円規模の協賛金を支払っているスポンサー企業関係者は「状況は理解するが、本当に残念だ」と肩を落とす。万博との相乗効果をどう創出するかも課題になる。(黒川信雄


2021.10.01-goo!ニュース(日刊ゲンダイ)-https://news.goo.ne.jp/article/nikkangendai/sports/nikkangendai-770654.html
白鵬“誓約書付き”「間垣」襲名承認で露呈した嫌われぶり 協会は“第2の貴乃花”化を大警戒

  すんなり――とはいかなかった。 30日、相撲協会の理事会が行われ、横綱白鵬(36)の引退が受理されると同時に「間垣」の襲名も承認された。
■異例の誓約書サイン付き
  前日の年寄資格審査委員会では反対意見が続出。過去の素行が問題視され、出席者からは「今後10年、独立は許さず部屋付きとして修業すべき」など、厳しい意見も出たほど。理事会でも紛糾するかと思われたものの、過去に前例のない「誓約書へのサイン」を条件に許可が下りることとなった。
  その誓約書とは、「新人親方として先輩の言うことをよく聞き業務を誠実に行う」「ルールやマナーに逸脱する言動をしない」といったもの。特別なことが書いてあるわけではない。
  親方のひとりは「いくら親方衆が白鵬が親方になることに反対しようと……」と、こう続ける。
■白鵬の慢心にクギ
  「協会としては襲名を認めないわけにはいかない歴代最多の45回優勝をはじめとする記録や、ひとり横綱として土俵を引っ張った功績は決して無視できるものではありませんから。ただし、万歳三唱や三本締めをしたり、負けて自ら物言いを要求するなど、数々の素行がチャラになったわけではない白鵬は『勝つためには何をしてもいい』『強い者が正しい』という考えの持ち主。協会は子どもでも理解できるような誓約書に一筆入れさせることで、白鵬の慢心にクギを刺したのでしょう。いかに煙たがられているかがわかります」
  角界には貴乃花という前例がある。現役時代は洗脳騒動や親兄弟の確執など世間を騒がせたものの、こと相撲に関しては真摯。貴乃花を毛嫌いする親方衆ですら、「常に正々堂々。横綱としては非の打ちどころがなかった」と認めている。
  それが引退後に暴走。権力を求めて理事選に強行出馬し、最終的に執行部にケンカを売って協会を退職するハメになった。
  横綱として立派だった貴乃花ですらそうなのだから、現役時代から唯我独尊の白鵬がおとなしくできるかどうか、協会が警戒するのも当然だ。
 「例えば『憎らしいほど強い』と言われた北の湖さんは、現役時代の功績だけで理事長になったわけではない。新米親方時代、巡業先で土俵を立てる柱の穴を率先して掘るなど謙虚さがあったからこそ人望を集めたのです。駆け出し親方なのに横綱同然の振る舞いをしていれば、総スカンを食いかねません」(前出の親方)
  この日は協会を訪れ、師匠の宮城野親方と共に誓約書にサイン。これを守れなかった場合は、親方としてふさわしいかどうか、再び審議が行われる。10月1日に引退会見を行う白鵬。派手好きの目立ちたがり屋がどこまで辛抱できるか……。


2021.09.27-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210927/k10013278171000.html
大相撲 横綱 白鵬 現役引退の意向固める 史上最多45回優勝

  大相撲で史上最多となる45回の優勝を果たした横綱 白鵬が現役を引退する意向を固めたことが関係者への取材でわかりました。
“今後本場所で横綱として15日間土俵を務めることはできない”
  白鵬は、右ひざの手術の影響などで休場が続き、去年の11月場所後に横綱審議委員会から「休場があまりにも多い」として「引退勧告」の次に重い「注意」の決議を受けていました。ことし3月の春場所は、再び右ひざのけがで3日目から途中休場して場所中に手術を受けました。
  白鵬は、7月の名古屋場所に進退をかける意向を示し、リハビリとともに土俵上での稽古を再開したうえで、6場所連続休場から復帰しました。その名古屋場所では、初日から連勝を重ねて史上最多を更新する45回目の優勝を全勝で果たしました。

  直後のNHKの取材に対して「体もあちこちぼろぼろだ。先のことはゆっくり考えたい」などと話していて、秋場所に向けた合同稽古に姿を見せたもののその後、同じ部屋の力士が新型コロナウイルスに感染したため秋場所は初日から休場していました。
  関係者によりますと、白鵬は痛めた右ひざの状態などから、今後本場所で横綱として15日間土俵を務めることはできないと判断し、現役を引退する意向を固めたということです。また、白鵬はことし5月には、年寄名跡を取得していますが、親方になるための正式な手続きは近く行われる見通しだということです。
  白鵬はモンゴル出身の36歳。15歳で宮城野部屋に入門し、天性の体の柔らかさに厳しい稽古による力強さや卓越した技を兼ね備え、平成19年夏場所後に69代横綱に昇進しました。
  通算の勝ち星は1187勝、優勝回数45回、横綱在位はおよそ14年に渡る84場所でいずれも史上最多を記録していて現役生活20年で大相撲の記録を次々と塗り替えてきました。
  おととし9月には日本国籍を取得し「強いお相撲さんを育てることが1つの恩返しだと思う」と話し将来は親方として後進の指導に当たる意向を示していました。
決断に至る背景は
  平成27年初場所で33回目の優勝を果たした白鵬は、優勝回数で昭和の大横綱、大鵬を抜いて以降は、本場所ごとに優勝回数や通算の勝ち星数などみずから目標を設定してモチベーションを維持する状況が続きました。
  そのころから白鵬は「取って変わるような若手が出てくれば自分は退く」と周囲の関係者に口にするようになりました。
  しかし、白鵬のあとを追って横綱に昇進した日馬富士と、鶴竜、それに稀勢の里の3人は、いずれも白鵬よりも先に現役を引退し、台頭する若手も脅かす存在までには至りませんでした。
  優勝や勝ち星に関わる記録のほぼすべてを塗り替えてきた白鵬は、ここ数年、「東京オリンピックを現役として迎える」ことを目標の1つに挙げてきました。モンゴル相撲の英雄で、レスリングでも前回の東京オリンピックに出場した父のムンフバトさんと同じ舞台に関わりたいという思いが理由でした。
  その思いの影には、ライバル不在の状況が続く中で、土俵外のことに目標を定めるしかモチベーションを維持する方法がなかった白鵬の心情が見て取れます。
  しかし、ここ3年はけがによる休場が目立つようになりました。両ひざに加えて、足の親指などを相次いで痛め、満身創いの状態となります。
  それでも、休場明けの場所で優勝するなど健在ぶりを見せてきましたが、去年11月場所までの12場所のうち8場所を休場。横綱審議委員会から「休みがあまりにも多い」として「注意」の決議を受けました。

  4場所連続で休場したあと、ことし3月の春場所には出場しましたが、右ひざの痛みから3日目から休場し右ひざの2回目の手術を受けました。
  ひざの皿の裏にある軟骨の損傷した部分をなめらかにするなどの処置を受けた白鵬は、その後、軟骨の再生医療を取り入れ、4月からはひざの周りの筋肉を刺激して強化するリハビリを行い、6月には土俵上で相撲を取る稽古を再開しました。
  7月の名古屋場所直前には関取の炎鵬などとも申し合いを行って調整し、急ピッチな仕上げで復帰の場所を迎えました。
  場所前には、複数の関係者に名古屋場所で15日間相撲を取りきることに強い覚悟を示していたほか、宮城野部屋の宿舎に飾られた七夕の短冊にも「15日間取り切る」と書き、相撲人生をかけて場所に臨みました。
  序盤は、危ない場面もありながら、持ち味の対応力と素早い相撲で勝ち星をあげ、中盤以降は力強く寄り切る相撲も見せて初日から連勝しました。
  一方で、本来は右足で踏ん張り左足から踏み込むのが白鵬の立ち合いですが、今場所は、手術した右足への負担を考慮してか、すべて左足で踏ん張って右足から踏み込んでいました。
  関係者によりますと、場所中も毎日、取組後には右足を中心に入念なケアを受け、疲労をためないように、朝稽古で稽古場に降りない日もあったということです。
  こうしてすべてをかけて臨んだ復帰場所で全勝優勝を果たし、みずからこだわったきた強い横綱としての貫禄を示すことができたと判断し引退を決断したものとみられます。
記録ずくめの相撲人生
  通算勝ち星、幕内での勝ち星、通算優勝と全勝優勝の回数、横綱在位、いずれも白鵬が歴代1位です。
  通算の勝ち星は、平成13年春場所の初土俵から積み重ねた1187勝。2位、大関 魁皇の1047勝を大きく上回り断然トップです。
  幕内での勝ち星は1093勝。幕内の通算出場は1282回で、歴代8位にとどまる中、幕内での勝ち星は、ただひとり1000勝を超えていて、勝率は8割5分と非常に高い率を誇っています。
  6年前、平成27年の初場所では33回目の優勝を果たし、昭和の大横綱 大鵬の32回の優勝回数の最多記録を44年ぶりに塗り替えました。
  最後の優勝はことし7月の名古屋場所で、最多記録を45回にまで伸ばしました。このうち15戦全勝での優勝は16回、双葉山と大鵬の大横綱2人の通算8回の2倍となる歴代1位です。
  さらに、平成22年春場所から平成23年5月の技量審査場所まで7場所連続優勝の記録も横綱 朝青龍と並ぶ歴代1位です。
  朝青龍が引退した平成22年には、初場所から九州場所にかけて、双葉山の69連勝に次ぐ歴代2位の63連勝を記録しました。
  さらに平成21年と22年は、年間6場所、90戦のうち86勝し、年間で4回しか負けないという圧倒的な強さを2年間も見せつけました。朝青龍が平成17年に記録した年間勝利数の84勝を上回るこちらも歴代1位の記録です。
  秋場所の時点で幕内に103場所在籍、歴代1位、魁皇の107場所まであと4場所まで迫っていました。このうち横綱在位は84場所、横綱在位中の出場回数は1019回、さらに横綱在位中の勝ち星899勝、これらも歴代1位でまさに記録ずくめの相撲人生でした。
取り口や言動に批判も
  圧倒的な強さを見せてきた白鵬は近年、取り口や言動に批判を受けるようになりました。
  平成29年の九州場所後には、横綱審議委員会の当時の北村正任委員長が「張り手やかち上げが15日間のうちの10日以上もあるというような取り口は横綱相撲とは到底いえない、美しくない」と相撲ファンからの多くの投書を引用する形で苦言を呈しました。
  こうした批判に対して白鵬は、その後の取材で「横綱が8勝7敗で良いのなら、いいんだけどね」と話すなど、勝つための手段という考えを示しました。
  さらに平成29年九州場所の優勝インタビューでは万歳三唱をして場所後に厳重注意を受けたほか、平成31年春場所の優勝インタビューでは手締めをし相撲道の伝統と秩序を損なうとして、相撲協会から「けん責」の懲戒処分を受けました。
  白鵬は当時「ファンが喜ぶと思いやってしまった」などと弁明しました。
  さらに6場所連続休場から復帰し全勝優勝を果たしたことし7月の名古屋場所のあとも14日目の仕切りや千秋楽の張り手やかち上げについて、横綱審議委員会の矢野弘典委員長が「実に見苦しくどう見ても美しくない」と厳しく批判し、八角理事長からも口頭で注意を受けていました
  こうした批判から勝つこと、強さこそが横綱の務めと考える白鵬と、周囲が求める横綱像との隔たりがかいま見えていました。
親方になるための審査は
  力士が親方になる際は、通常105ある「年寄名跡」のいずれかを取得したうえで、相撲協会の「年寄資格審査委員会」に襲名を認められなくてはなりません。
  白鵬は、ことし5月に年寄名跡を取得していますが、襲名が認められるかどうかは秋場所後の「年寄資格審査委員会」で議論されることになります

  白鵬は過去に取り口や言動が繰り返し批判を集めているだけに議論に影響することも考えられ、親方になることが承認されるかどうかが今後の焦点となります。
  一方、白鵬が親方になるにあたっては「一代年寄」が認められるかも注目されていました。成績や功績が特に優れている横綱の場合、しこ名のまま親方の資格を得る「一代年寄」となることが認められてきました
  これまでに大鵬と北の湖、それに貴乃花の3人が認められていて、白鵬もかねてから一代年寄への希望を口にしてきました
  ただ、ことし4月、相撲協会が大相撲で守るべき規範を検討するために設置した有識者会議が提言をまとめ、その中で一代年寄について「名乗りを認める根拠は見いだされない」などと否定的な見解が示されました。
  こうしたことから一代年寄が認められる可能性は低いとみられています


2021.07.21-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20210721-LHJGWW4FLJLA7EWCUFVD4XHUNY/
新横綱・照ノ富士「不動心を心掛け」と口上

  大相撲の照ノ富士(29)=本名ガントルガ・ガンエルデネ、モンゴル出身、伊勢ケ浜部屋=横綱昇進伝達式が21日、東京都江東区の伊勢ケ浜部屋で開かれ、日本相撲協会の使者を迎えた令和初の新横綱は「謹んでお受けいたします。不動心を心掛け、横綱の品格、力量の向上に努めます」と述べた。土俵入りの型は師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)と同じく不知火型となる。

  日本協会は大相撲秋場所の番付編成会議と臨時理事会を開き、照ノ富士の第73代の横綱昇進を満場一致で決定。高島(元関脇高望山)と浅香山(元大関魁皇)両親方を使者として派遣し、午前9時半ごろから伝達式が行われた。師匠とおかみさんらとともに使者を迎えた照ノ富士は緊張した面持ちで式に臨み、はっきりとした声で口上を述べた。
  照ノ富士は18日に千秋楽を迎えた名古屋場所で、14勝1敗の好成績を収めて優勝次点となった。先場所まで連覇していた安定感も高く評価され、19日に横綱審議委員会が全会一致で横綱に推薦していた。

  横綱誕生は平成29年の稀勢の里以来4年ぶりで、モンゴル出身は朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜に次いで5人目となる。照ノ富士は両ひざの故障や病気に苦しみ、大関陥落後に序二段へ番付を落としてから頂点まで上り詰めた。


2021.07.02-日刊スポーツ-https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/202107020000205.html
大谷翔平が球宴初選出 DH部門1位 日本人野手はイチローらに続き4人目

  エンゼルス大谷翔平投手(26)が1日(日本時間2日)、メジャー4年目で米オールスターに初選出された。ファン投票の2次(最終)選考結果がスポーツ専門局ESPN内で発表され、ア・リーグDH部門で大谷が得票1位となり、13日(同14日)にロッキーズの本拠地クアーズフィールド(コロラド州デンバー)で開催されるオールスターに先発出場することが決まった。

  大谷は1次投票で断トツの196万1511票を集め、2位のJ・D・マルティネス(33=レッドソックス)、3位のヨルダン・アルバレス(24=アストロズ)とともに最終候補3人にノミネートされた。6月29日の2次投票途中経過でも63%の票を集め、2位アルバレスの20%、3位マルティネスの17%を大きくリードしていた。

  大谷はここまでリーグトップの28本塁打、同3位の63打点をマーク。日本人野手ではイチロー外野手(マリナーズ)の10回(ファン投票9回)、松井秀喜外野手(ヤンキース)の2回(同1回)、福留孝介外野手(カブス)の1回(同1回)に続く4人目の選出。直近では、2010年のイチロー以来となる。
  大谷はオールスター前日の12日(同13日)に開催されるホームランダービーへの出場も表明している。

  ○…ブルージェイズのゲレロがア・リーグの一塁手で75%の票を集め、両リーグトップの得票率だった。2位はナ・リーグの遊撃手で64%のパドレスのタティス、3位が大谷の63%。エンゼルスからはトラウトも外野手トップの19%を集め選出されたが、右ふくらはぎの張りのため欠場が確定しており、他の選手が代わりにスタメン出場する。投手と控え野手は選手間投票などで選ばれ、4日に全選手が出そろう。


2021.06.28-Yahoo!Japanニュース(Tennis Classic)-https://news.yahoo.co.jp/articles/7258d806cce3febcdecbb4fe697699425b818535
地元イギリスのコンタが濃厚接触者として大会を欠場[ウィンブルドン]【テニス】

2017年ベスト4のコンタが濃厚接触者に。10日間の隔離で大会を欠場

  6月27日、ウィンブルドンは女子シングルス第27シードとして出場する予定だったジョハナ・コンタ(イギリス/世界ランク31位)新型コロナウイルス濃厚接触者として、10日間隔離すると発表。これにより大会を欠場することとなった。

  発表によると、27日にコンタのチームの一人に新型コロナウイルスの症状が見られ、その後の検査の結果で陽性反応が出たと確認。
  政府の法律に基づき、大会を主催するAELTC(オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ)は、コンタを10日間の隔離するとし、大会を欠場する運びとなった。
  前哨戦のWTA250 ノッティンガム大会では、約4年2ヵ月ぶりにWTAタイトルを獲得し、ウィンブルドンに向けて、万全の準備をしていたコンタ。ウィンブルドンでは、2017年にベスト4に進出しており、その時も前年準優勝で当時世界ランク1位のアンゲリーク・ケルバー(ドイツ)を破っており、良いイメージを持って大会を迎えることができただろう。
  26日に行われた大会前の記者会見でコンタは、2年ぶりに行われるウィンブルドンだけに終始、上機嫌で対応。「ウィンブルドンは私たち(イギリス人)のスポーツの夏の大部分を占めているの。大会が戻ってきたことは励みになる。正常な状態が戻ってきたことを示し、とても良いことだと思う」と大会を楽しみにしていた。
   コンタの欠場により、ラッキールーザーとして中国のワン・ヤファン(同123位)が本戦入り。初戦でカテリーナ・シニアコワ(チェコ/同64位)と対戦する。


大坂なおみ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  大坂 なおみ(1997年10月16日 - )は、大阪府大阪市中央区出身。 女子プロテニス選手。自己最高ランキングはシングルス1位。これまでにWTAツアーでシングルス7勝を挙げている。うちグランドスラムは通算4勝で、2018年と2020年の全米オープン、および2019年と2021年の全豪オープン優勝者。身長180cm。体重75kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
  2019年までは日米二重国籍だったが、22歳の誕生日を迎えるにあたり日本国籍を選択、選手登録は日本日清食品ホールディングス所属。マネージメントはIMG。拠点はボカラトンエバートテニスアカデミー。姉の大坂まりもプロテニス選手。
  男女を通じてアジア初の世界ランキング1位。日本人初のグランドスラムシングルス優勝。プレミア・マンダトリー優勝。日本人史上3人目となるWTAファイナルズ出場。WTAアワード年間最優秀新人賞
選手経歴
ITFデビューまで
  1997年10月16日、大阪府大阪市で生まれ[12]中央区空堀商店街近くに住んだ。1999年全仏オープン女子ダブルスを優勝したビーナスセリーナのウィリアムズ姉妹を見た父と姉の大坂まりの影響で3歳からテニスを始め、テニス経験のない父の教えの下、近所の靱テニスセンター等で練習し、2001年にアメリカ合衆国移住し、父方の祖父母がいるニューヨーク州ロングアイランドエルモントに住んだ。母は日系企業に勤めて家計を支え、姉妹は全米オープンの会場でもあるナショナル・テニス・センター等で毎日6時間近く練習した。オルデン・テラス小学校三年生まで過ごした。2006年フロリダ州に移住し、ペンブロークパインズの公共コートで練習した。2007年8月、全国公共公園テニス協会選手権で大坂まりとの14才以下女子ダブルスで優勝した。また14才以下のフロリダ選抜に選ばれた。2008年ヨネックスとスポンサー契約を結んだ。Broward Virtual中学・高校に入学した。
2011-15年
  プロツアー出場資格が得られる14歳になった2011年10月、ITFサーキットモンテゴ・ベイ大会」でデビューした。以降厳しい環境を求めてジュニア大会には目を向けず、ツアー下部大会に出場した。
  2013年6月ITFサーキットエルパソサナズ・マランドに敗れたが準優勝。9月、プロに転向した。
  2014年6月飛び級で高校を卒業した。7月バンク・オブ・ウェスト・クラシックで初めて予選を突破し本戦出場。1回戦で対戦した2011全米オープン女王のサマンサ・ストーサーに2-1で勝利。最速193km/hのサーブで大番狂わせを演じた。
  2015年5月カンガルーカップ鄭賽賽に敗れ準優勝した。10月試合制限解禁の18才になる。WTAファイナルズライジング・スター・インビテーショナルに出場。キャロリン・ガルシアを下し優勝した。11月WTA125Kシリーズフワヒン選手権ヤロスラワ・シュウェドワに敗れるも準優勝した。年間最終世界ランキングは144位。
2016年 トップ50入り
  全豪オープンでは予選を突破し、グランドスラム初出場。本戦でも2回戦で第18シードのエリナ・スビトリナに勝利。3回戦でビクトリア・アザレンカに敗れた。4大大会初出場で3回戦進出は小幡陽子以来52年ぶり。 3月のマイアミ・オープンでは予選を突破し本選出場、本選2回戦で元世界ランキング5位のサラ・エラニを破って3回戦まで進出した。大会後のランキングで95位となりトップ100入りをした。
  全仏オープンでは1回戦で第32シードのエレナ・オスタペンコに6-4, 7-5で勝利。2回戦でもミリヤナ・ルチッチ=バロニに6-3, 6-3で勝利。3回戦では世界ランク6位のシモナ・ハレプと対戦、第1セットを先取するも6-4, 2-6, 3-6で惜敗した。  ウィンブルドンは、ひざのけがのため欠場。
  全米オープンでは1回戦で第28シードのココ・バンダウェイに6-7(4), 6-3, 6-4で勝利、2回戦で段瑩瑩に6-4, 7-6(3)で勝利し3回戦進出。3回戦では第8シードのマディソン・キーズを相手に第3セット5-1で、あと2ポイントまで追い込むも、そこから逆転され、5-7, 6-4, 6-7(3)で敗れた。
  9月の東レパン・パシフィック・オープンではワイルドカードで出場。1回戦で土居美咲との日本勢対決に6-4, 6-4で勝利すると、2回戦で第6シードのドミニカ・チブルコバに6-2, 6-1で圧勝、準決勝でエリナ・スビトリナに1-6, 6-3, 6-2で逆転勝利と強豪を撃破し、WTAツアーで自身初の決勝進出を果たす。決勝は元世界ランキング1位キャロライン・ウォズニアッキに5-7, 3-6で敗れ準優勝となった。大会後のランキングで47位となりトップ50入りを果たす。これらの活躍が評価され、日本勢初となるWTAアワード最優秀新人賞を受賞した。11月25日、日清食品ホールディングスとの所属契約を結んだ。
2017年 トップ10選手初勝利
  全豪オープンでは、2回戦で第9シードのジョアンナ・コンタに敗れた。全仏オープンは初戦敗退
  7月、ウィンブルドンでは2回戦で第22シードのバルボラ・ストリコバに勝利したが、3回戦で第10シードのビーナス・ウィリアムズに敗れた。
  全米オープンでは初戦で前回覇者で第6シードのアンゲリク・ケルバーに勝ちトップ10に初勝利した。全米オープンで前回覇者が1回戦で敗退するのは全137回のうち女子では2度目、男子を含めても3度目という歴史的な番狂わせであった。その後3回戦でカイア・カネピに敗れた。年間最終世界ランキングは68位。12月、セリーナ・ウィリアムズらトップ選手のヒッティング・コーチを務めたサーシャ・バインがコーチになった。彼はキャロライン・ウォズニアッキとの契約終了2日後にコーチの依頼が来たことに、掛け持ちはしないこと、自身から契約破棄しないことから3日前に連絡が来ていたら断っていたことを「これも運命だね」と語る。また女子選手が200km/hクラスの高速サーブを打てるならば、黙っていてもトップ30圏内に入れる可能性があるのに、当時70位前後であったのを理解できなかったという。
2018年 プレミアマンダトリー・全米初優勝
  全豪オープンでは、2回戦で第16シードのエレーナ・ベスニナ、3回戦でアシュリー・バーティに勝利したが、4回戦でシモナ・ハレプに敗れた。
  3月、ツアーカテゴリで4大大会に次ぐプレミア・マンダトリートーナメントインディアンウェルズ・マスターズで1回戦・元世界1位マリア・シャラポワに6-4 6-4で勝利。その後も勝ち進み、準々決勝で世界ランク5位のカロリナ・プリスコバに6-2 6-3で勝利、準決勝で現世界ランク1位のシモナ・ハレプに6-3 6-0で勝利。そして決勝でダリア・カサキナに6-3 6-2で勝利しWTAツアー初優勝。シングルスでのプレミア・マンダトリー大会優勝は日本人女子初である。この優勝により、WTAランキングを44位から22位とした。練習拠点であるエバートテニスアカデミーで、練習をよく見ていた元世界1位のクリス・エバートは「サーシャを高く評価したい。彼は、彼女に何が欠けていたのか、何が必要かを知っていた。彼女の動きは(コーチ就任前と)明らかに違ってきている」とコーチ変更が初優勝への背景にあることを指摘した。続くプレミア・マンダトリートーナメントであるマイアミ・オープンでは、1回戦で同大会8回の最多優勝記録を持つセリーナ・ウィリアムズに6-3 6-2のストレート勝ちを収めた。

  グランドスラムで初めてシード選手として迎えた全仏オープンは3回戦で第13シードのマディソン・キーズに1-6, 6-7(7)で敗れた。7月、ウィンブルドンでは3回戦で初めてのセンターコートでプレーしたがアンゲリク・ケルバーに敗れた。
  8月17日、インスタグラムでプレッシャーを感じていたこと、克服しつつあることを告白した。全米オープンでは第20シードで出場。3回戦をダブルベーグルで勝利し、4回戦でアリーナ・サバレンカを6-3、2-6、6-4で下すと、準々決勝ではレシヤ・ツレンコを6-1、6-1で圧倒し、日本女子として1996年ウィンブルドン伊達公子以来22年ぶりのグランドスラムベスト4進出(全米オープンに限れば初めて)を決めた。準決勝はマディソン・キーズに6-2、6-4とストレートで勝利し、グランドスラムで日本女子史上初の決勝進出を果たした。決勝はセリーナ・ウィリアムズを6-2、6-4のストレートで下し、20歳でグランドスラム初優勝を果たした。この優勝でWTAランキングも7位に上昇、トップ10入りをした。続く東レパン・パシフィック・オープンはカロリナ・プリスコバに敗れたが準優勝した。10月、錦織圭と伊達公子に並ぶ日本人歴代最高タイの4位を記録した。また日本女子で3人目のWTAファイナルズに出場した。年間最終世界ランキングは5位。
2019年 全豪初優勝 世界1位
  全豪オープンでは第4シードとして出場し、3回戦で第28シードの謝淑薇に5-7、6-4、6-1で勝利、4回戦で第13シードのアナスタシヤ・セバストワに4-6、6-3、6-4で勝利し、初めて全豪オープンベスト8に進出した。準々決勝では第6シードのエリナ・スビトリナに6-4、6-1で勝利し、これにより錦織圭と伊達公子の持つ4位の記録を上回り男女通じて日本勢最高の世界ランキング3位以上が確定した。準決勝では、第7シードのカロリナ・プリスコバに6-2、4-6、6-4で勝利した。勝利した方が世界ランキング1位となる決勝では、第8シードのペトラ・クビトバに7-6(7-2)、5-7、6-4で勝利し初優勝を果たした。グランドスラム初優勝からの連続優勝はジェニファー・カプリアティ以来18年ぶり、オープン化以降史上6人目の快挙となった。また、生涯獲得賞金が11億円を超え杉山愛を抜き日本最多となった。今大会ではサービスエース・リターンエース・ウィナー・ブレークの数が女子シングルスの出場者で最も多く、これについて杉山愛は「大坂は『ビッグサーバー』から『オールラウンダー』の選手に変貌を遂げた」と語っている。また、他にも優勝の要因として、「肉体改造によるバックハンドの威力向上」「精神面での成長」を挙げた。1月28日付の世界ランキングで、李娜の持つ2位の記録を上回り男女通じてアジア人初の1位となった。
  しかし2月、サーシャ・バインとのコーチ関係を解消したところから、大坂の歯車が狂い始めた。3月のBNPパリバ・オープン、5月のマドリード・オープン、8月の全米オープンと、同世代のベリンダ・ベンチッチに3連敗。グラスコートシーズンではバーミンガム・クラシックウィンブルドン選手権ユリア・プチンツェワに連敗するなど苦しんだ。それでも9月に父のレオナルド・フランソワ氏が代理コーチに就任すると、生まれ故郷の大阪で開催された東レ・パンパシフィック・オープンでは2年連続決勝進出、決勝でアナスタシア・パブリュチェンコワを6-2, 6-3で下しツアー4勝目を挙げた。続くチャイナ・オープンでも、準々決勝で全米王者のビアンカ・アンドレースクを、準決勝では同大会前年優勝のキャロライン・ウォズニアッキを、そして決勝では世界ランキング1位のアシュリー・バーティをそれぞれ破り優勝。日本人選手が2大会連続で優勝するのは史上初のことであり、スランプからの復活を印象づけた。WTAファイナルズはラウンドロビン初戦でクビトバを7-6, 4-6, 6-4で破り同大会初白星を挙げたが、第2戦を前に右肩の負傷のため欠場を発表し、シーズンを終えた。年間最終世界ランキングは3位。
2020年 全米V2
  年始のブリスベン国際でベスト4入りした後、全豪オープンに前年覇者として挑んだが、3回戦で新星コリ・ガウフに3-6, 4-6で敗れた。
  3月から新型コロナウイルス感染症の流行の影響でツアーが中断された際には、「マリオテニス エース」を使用した国際チャリティー大会に出場して錦織圭と対戦した。
  ツアー再開後の復帰戦、ウエスタン・アンド・サザン・オープンではベスト4入りするも、ウィスコンシン州で起きた黒人襲撃事件(ジェイコブ・ブレークへの銃撃事件)に抗議する意を込めて翌日の準決勝を棄権すると発表した。しかし、大会側も大会日程を1日延期することを表明したため、棄権を撤回。準決勝にも勝利したが、この試合で負傷したため決勝は棄権した。
  全米オープンでは第4シードとして出場、勢いそのままに勝ち上がり決勝まで駒を進めると、前哨戦の決勝で対戦する予定だったビクトリア・アザレンカを1-6, 6-3, 6-3の逆転で破り、2年ぶり2回目の優勝を果たした。また、引き続き黒人襲撃事件への抗議の意を込めるため、着用しているマスクに過去の犠牲者の名前を記したことでも大きな話題となった。全仏オープンは脚の痛みで欠場し、そのままシーズンを終えた。年間最終世界ランキングは3位。
2021年 全豪V2 無期限休養による離脱
  第3シードで参戦した全豪オープンでは、3回戦まではストレート勝ちで順調に勝ち上がった。4回戦では、スペインのガルビネ・ムグルサを相手に一時はマッチポイントを握られるなど苦戦したが、冷静さを失わず4-6、6-4、7-5で逆転に成功した。これ以降、準々決勝では台湾の謝淑薇を、準決勝では米国のセリーナ・ウィリアムズをいずれもストレートで下した。決勝でも米国のジェニファー・ブレイディを6-4、6-3のストレートで下し、2年ぶり2度目の全豪オープン優勝を決めた。その後マイアミ・オープンでは準々決勝でマリア・サッカリに敗退。去年のシーズン再開から続いていたマッチ連勝が23でストップした。
  元来苦手とされているクレーコートのグランドスラム大会、全仏オープン開幕直前の5月27日に、「選手の精神状態が軽視されている」と訴え、試合後の記者会見には出席しないことを宣言した。30日の1回戦、パトリシア・マリア・ティグを6−4,7−6で破ったものの、宣言通り試合後の会見を拒否した(ただしオンコートのインタビューは笑顔で受けた)。結果、主催者は1万5000ドル(約165万円)の罰金を科した上で、4大大会の主催者合同で「違反を続けると大会からの追放、4大大会出場停止もあり得る」と警告、世界的に大きな話題となった。

  2回戦を控えた5月31日(現地時間)自身のtwitterで、大会を棄権することを電撃表明。「トーナメントにとって最善の方法は、他の選手、そして私自身の健康のためにも、みんながテニスに集中することができるように、私がこの大会を棄権することだと思う。決して、みんなの邪魔になることだけはしたくなかった」とコメント。
  更に、「The truth is that I have suffered long bouts of depression」とも記し、2018年の全米オープン以降、長い間うつ状態(depression)に悩まされていた事実を告白した。「真実は私は2018年全米オープン以来、長い間うつ状態に苦しんできたということです。そして、その対処に本当に苦労しました。私を知っている人なら私が内向的であることを知っているでしょうし、トーナメントで私を見た人なら、社会不安を柔らげるためのヘッドフォンをしていることに気付くでしょう」。
  そして、会見拒否については「私は世界中のメディアに話す前に大きな不安の波に襲われます。本当に緊張し、できる限り最善の答えを出そうとすることにストレスを感じます。パリで私はすでに不安を感じていたので、セルフケアとして記者会見をスキップした方がいいと考えました。ルールがかなり古くなっている部分があると感じたので、先制的に発表しました」と、説明した。また、トーナメント側には謝罪したことを明かした。今後については「今はコートから少し離れますが、その時が来たら、ツアーと協力し、選手、報道陣、ファンにとってより良いものにする方法を話し合いたいと思います」と語った。
  全仏主催者は「大坂なおみ選手には申し訳なく、悲しい思いをしています。なおみがローランギャロスから撤退した結果は残念です。彼女の一刻も早い回復を祈っており、来年なおみを迎えることを楽しみにしています。すべてのグランドスラム、WIA、ATP、ITFはすべてのアスリートの健康とメディアを含むトーナメント参加者のあらゆる側面を継続的に改善していきます。」と、声明を発表した。
  大坂の言動に対し、他のテニス選手からは「会見も仕事の一部」とする意見が多く発せられ、同調する者はいなかったが、コメントには理解や尊重も付随していた。さらに、一連の騒動は種目を越えてスポーツ界全体の話題になり、NBAスターのステフィン・カリージャ・モラント、あるいはF1王者のルイス・ハミルトンなどから応援を受けた

  2021年7月23日夜に行われた2020年東京オリンピックの開会式では聖火ランナーの最終走者として聖火台に点火し、東京都知事小池百合子から「この大会を象徴するものだった」と称された。テニス競技では女子シングルス3回戦でマルケタ・ボンドロウソバ(チェコ)にストレートで敗れた。連覇を狙った全米オープンでも3回戦で準優勝することになる新鋭レイラ・フェルナンデスに1-2で敗退するなど、全豪以降大会で優勝を挙げられない中、試合後の会見で無期限休養を発表した。そのままシーズンを終了し、最終順位は13位。
2022年
  1月のメルボルンサマーセット1で約4か月ぶりのツアー復帰を果たし、準決勝まで進んだものの、腹部負傷のためここで棄権。万全を期して連覇へ臨んだ全豪オープンだったが3回戦でアマンダ・アニシモバに1-2の逆転負けを喫し、連覇はならず。これにより大会明けの世界ランキングで85位まで順位を落とした。次戦として3月のBNPパリバ・オープンに出場したが、2回戦の第1セットで冒頭で、観客から「なおみ、お前は最低だ」と暴言ヤジを受け、堪えきれず涙した。0-6, 4-6で敗戦後には、敗者として珍しいオンコート・インタビューを行い、涙したのは21年目にウィリアムズ姉妹が同じ仕打ちを受けた映像が思い浮かんだからだと釈明した。マイアミ・オープンでは立て直し、準決勝で東京五輪金メダルのベリンダ・ベンチッチに逆転勝ち。決勝は、世界1位アシュリー・バーティの引退に伴い1位昇格が確定したイガ・シフィオンテクとの対戦。4-6, 0-6で敗れるも、「いつもほどがっかりはしていない。」と話した。
日本代表
  2011年10月、全米テニス協会が大坂にほとんど関心を示さなかったので、父親が「テニス選手としての国籍」は日本を選択した。
  2013年9月、東レパン・パシフィック・オープン予選に出場。初戦でシルビア・ソレール・エスピノサに敗れるも、吉川真司代表コーチが「すごい才能」と日本テニス協会に報告した。2014年7月、バンク・オブ・ウェスト・クラシックで本戦出場後、日本テニス協会に登録していないが、日本オリンピック委員会から強化指定選手の認定を受けた。2016年6月6日、特例による五輪出場資格の56位以内を目指していたが、87位と届かずリオ五輪に出場出来なかった。
  2019年10月に日本国籍を選択する手続きを行った。
フェドカップ
  2017年2月、フェドカップ日本代表に初選出され、アジア・オセアニアゾーン1部決勝で自身はガリナ・ボスコボワに勝利したがチームは敗れた。2018年4月、フェドカップワールドグループ2部プレーオフで勝利し4年ぶりのワールドグループ2部昇格に貢献した。
ホップマンカップ
  2018年1月、ホップマンカップは予選敗退した。
プレースタイル
  アグレッシブ・オフェンシブベースライナー。豪快でパワー溢れるグラウンドストロークを持ち味とし、両サイドからウィナーを打つことが出来る。パワフルなフォアハンドが武器であるが、脚を踏ん張り、一度の強打で形勢を逆転できるバックハンドも得意。サーブも非常に強力で、最速サービス記録歴代10位の201km/h(125マイル)を計測し、また様々なスピンサーブも打て、緩急をつけることができる。
  好きなサーフェスハード。好きなショットフォアハンド
  第1セットを先取すると気持ちが乗り負けない。2016年10月の天津オープン準々決勝以降61連勝。第1セットを先取した試合は過去81試合。ストレート勝ちが69試合、フルセット勝ちが7試合で、勝率は約9割3分8厘。第1セットを落とした試合は64試合で、ストレート負けが43回、フルセットでの敗退が8回で、逆転勝ちは13回だけ。勝率は約2割3厘。
人物
家族
   父親はハイチ共和国ポルトープランス出身で、アメリカ合衆国ニューヨーク市立大学シティカレッジで学んだ後、13年間日本に在住した、 ハイチ系アメリカ人。母親は北海道根室市出身の日本人で、苗字の「大坂」は母方から来ている。札幌市で出会った両親は、その後大阪市に転居し、父親は市内で大手語学学校の英語講師をしていた。姉の大坂まりもプロテニス選手である。母方の祖父は、第二次世界大戦終戦の年の1945年に北海道北方四島歯舞群島勇留島で生まれ、根室漁業協同組合組合長をしている。札幌市の住居が、大坂の日本の住民票住所である。大坂の母方の曾祖母は「勇留島に萱草の花が咲く頃」の著者の大坂みつよである。
国籍
  ・2018年までは法的には日米二重国籍であったが、 日本テニス協会に所属している。2019年に22歳の誕生日を迎えるに当たり、日本国籍を選択して必要な手続きを行ったことを同年10月10日に明らかにした。
  ・ハイチ系アメリカ人と日本人の両親を持ち、アメリカ合衆国に移住したが、本人は日本、アメリカ、ハイチという3つの国を代表している事を誇りにしている。
  ・育った環境から日本語よりも英語の方が流暢であるが、テニスの記者会見等では英語で質問された後に自らの国籍の言語での質問も受けるのが通例であるため、日本語の勉強もしている。
  ・父親の出身地、カリブ海の島国ハイチでも偉業をたたえる声が広がっている、中南米の最貧国とあってテニス選手の人口は少ないが、ゆかりのある大坂の活躍は地元メディアが連日大きく報じ、試合も生中継している。
テニス関連
  ・試合のルーティーンを決めていてシューズは右から履く。当日の朝食スモークサーモンを載せたベーグルを食べる縁起担ぎをしている。しかし初優勝した2018インディアンウェルズ決勝は小麦ではなくサワードウトーストであった。
  ・憧れの選手はセリーナ・ウィリアムズロジャー・フェデラー。小学校3年に「将来の夢」というテーマで憧れのセリーナの絵を描き、「彼女のようになりたい」と願いを込め自室に飾った。また良く見る選手はノバク・ジョコビッチ
  ・ダリア・カサトキナは大坂なおみが苦手な股抜きショットを教えた直後の2018年インディアンウェルズ決勝に敗れ「股抜きショットが見られなかったことが残念」と話し、次のマイアミ・オープンへプライベートジェット機を共有して向かった。
  ・2019年2月7日、ジュニア時代のコーチと称する男性から、コーチ料未払いを理由に訴えられたが[134]、フロリダ州の裁判所は、同年7月29日に開かれた審理の後、生涯獲得賞金の2割を報酬とする契約締結当時の2012年3月に当事者が未成年であり、裁判所に承認もされていないことを理由に、契約は無効であるとして、同年9月13日に大坂側の主張通りこの訴えを退けた。判決ではコーチングの内容が不明確であることも契約の有効性を否定するものとして示された。
  ・人気の高さから数多くの世界的ブランドとスポンサー契約を結んでおり、アメリカの経済誌『フォーブス』の2021年の発表によると、年収は世界の女子スポーツ選手として史上最高の6000万ドル。翌年も5730万ドルで女子選手首位だった。
  ・2014バンク・オブ・ウェスト・クラシック時、スポンサーはゼロ。飛行機、ホテル、遠征先の食事代は、両親が支えていた。インタビューで当時持っていなかった携帯電話が欲しいと答えたが、母親に賞金で買いなさいと諭された。
政治問題
  ・黒人差別抗議活動へ熱心に取り組んでおり、2020年にBLMが盛り上がると賛同する言動を見せた。その年のウエスタン・アンド・サザン・オープンでは大会期間中に起きた黒人襲撃事件(ジェイコブ・ブレークへの銃撃事件)に抗議する意を込めて準決勝を棄権すると発表。しかし、大会側も同意で大会日程を1日延期することを表明したため出場を続行した。続く全米オープンでは着用しているマスクに過去の犠牲者の名前を記したことでも大きな話題となった。日本国内では冷ややかな意見も数多く見られたが、海外では共感を呼び、ニューヨーク・タイムズナイキなどから称賛を受けた。日本には人種差別は存在しないとする声に対し、大坂は2人のコメディアン(Aマッソ)が2019年に大坂なおみの肌の色を侮辱した事実を思い起こさせるツイートを投稿した。同じく黒人系で人種問題に取り組む八村塁と親交がある。
  ・2019年1月に公開された大坂なおみをモデルにした日清食品のアニメCMでは肌の色がホワイトウォッシュされているという批判があり、公開中止された。その後少女漫画誌『なかよし』2021年2月号より連載開始された大坂なおみをモデルにした漫画「アンライバルド NAOMI天下一」(構成:水野タマ 監修:大坂まり 作画:上北ふたご)では肌の色に留意されている。
  ・2021年に開催された2020年東京オリンピックの開会式では、多様性が重視されモーリス・ラヴェルの「ボレロ」が流れている中で、オリンピックの最終聖火ランナーとして聖火台への点火を行った。
他エピソード
  ・自身のヒーローはバスケットボール界のスーパースターである故コービー・ブライアントで、「心の師」と慕うなど大きな影響を受けている。
  ・好きな音楽は黒人音楽で、とりわけビヨンセの大ファンであり、「なぜビヨンセが全米オープンと同時期にマイアミでコンサートを開催することに決めたのか教えて。私、本当に泣きそうなの」とツイッターで発言し、2018全米オープンと同時期にビヨンセのライブが重なったことを嘆いている。
  ・好きな料理は日本食で、特に焼肉寿司を好む。フロリダ州フォートローダーデール近くのセミノールハードロック・ホテル内の高級和食レストラン「KURO」を訪れた写真を、度々ツイッター上で公開している。
  ・アニメ漫画好き。特に日本のアニメ、漫画は、日本語を学ぶ材料にもなっている。2016全豪オープンエリナ・スビトリナ戦後のインタビューで「最強になるんだ、これまでの誰とも違う」と『ポケットモンスター』のテーマソングから答えた事がある。『ユーリ!!! on ICE』を見ていて、平昌オリンピックで、羽生結弦が2大会連続でオリンピック金メダルを獲得した際には、羽生のフリーの演技の動画とともに「本当に泣きそう。今まで誰かの熱狂的なファンになって感激したことないけど、ユウユウ(羽生結弦)の熱狂的ファンになったみたい。」と投稿した。『ハイキュー!!』を読んで、バレーボールをしてみたが上手く出来なかったエピソードを明かしている。
  ・ゲームは『オーバーウォッチ』、『ジ・エルダー・スクロールズ5スカイリム』などが好き。2018年インディアンウェルズ優勝後から退屈しのぎにプレステ4を遠征に持参し始めた。7月にオーバーウォッチのプロリーグであるオーバーウォッチ・リーグ最終戦も観戦した。
  ・好きな色は黒。好きな俳優はブラックパンサーに出演したマイケル・B・ジョーダン。好きなテレビドラマは『The Office』。映画は『猿の惑星』。好きな街は東京都渋谷区の原宿である。
  ・使うメガネCOACHのホースアンドキャリッジパイロット。
  ・オリコンの「好きなスポーツ選手ランキング2018」の「女性部門」で初の1位に輝いた。
2019年7月24日、MLBロサンゼルス・ドジャースの試合前の始球式に登場し、投手板から約3メートル近づいたものの、捕手役の前田健太に対してほぼストライクゾーンへの見事な投球を披露した。
  ・2019年9月16日、大阪府知事から感動大阪賞、大阪市長から市長特別表彰が贈られた。
  ・2021年「BETアワード」で、最優秀女性アスリート賞を受賞。
  ・2022年2月8日にエピックゲームズは「フォートナイト」に大阪が日本時間3月4日から登場することを発表

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大谷翔平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  大谷翔平(1994年7月5日 - )は、岩手県奥州市出身のプロ野球選手。右投左打MLBロサンゼルス・エンゼルス所属
概要
  投手としても打者としても活躍する「二刀流」の選手として広く知られる。
  高校3年生時に、当時としては高校生最速となる球速160km/hを記録した。
  2012年のNPBドラフト1位で北海道日本ハムファイターズから指名され、2013年の入団以降、投手と打者を両立する「二刀流」の選手として試合に出場した。2014年には11勝、10本塁打で日本プロ野球(NPB)史上初となる「2桁勝利・2桁本塁打」を達成した。2016年には、NPB史上初となる投手と指名打者の両部門でベストナインのダブル受賞に加え、リーグMVPに選出された。投手としての球速165km/hは日本人最速記録である[7]2017年オフにポスティングシステムメジャーリーグベースボール(MLB)ロサンゼルス・エンゼルスに移籍。2018年から投打にわたって活動し、同年は日本人史上4人目の新人王を受賞。2021年には日本人史上2人目(アジア人史上でも2人目)となるシーズンMVPシルバースラッガー賞を受賞している。
  2015年の第1回プレミア12では3位に輝いて銅メダルを獲得した。
  2021年9月、タイム誌による「世界で最も影響力のある100人」 に、「アイコン(象徴)」のカテゴリーでヘンリー王子メーガン妃、女優のブリトニー・スピアーズらと共に選出された。
  2021年12月、スポーティングニュースは「スポーツ史上最高のシーズンTOP50」を発表し、エンゼルス大谷翔平の2021年シーズンを1位に選定した。
  2021年12月、AP通信の年間最優秀男性アスリート賞を受賞した。
経歴
生い立ち
  岩手県水沢市(現在の奥州市)に、社会人野球の選手だった父・大谷徹バドミントン選手の母を持つ、スポーツマンの両親の家に、三人兄弟の末っ子として生まれる(長男は社会人野球選手でトヨタ自動車東日本硬式野球部所属の大谷龍太)。
  翔平という名前は、父が地元の奥州平泉にゆかりのある源義経にちなんで、義経の戦うと飛ぶイメージから「翔」の字を用い、平泉から「平」を取って名付けられた。
リトルリーグ
  奥州市立姉体小学校3年時に水沢リトルリーグで野球を始め、全国大会に出場した。当時の捕手は、恐怖を感じるほど球が速かったと語っている。小学校5年生にして球速110km/hを岩手県営野球場で記録し、また1試合で6回17奪三振の成績を残したこともあった。奥州市立水沢南中学校時代は一関リトルシニアに所属し、ここでも全国大会に出場した。
  大谷が少年時代に憧れた野球選手は、打者では松井秀喜、投手ではダルビッシュ有だったという。
高校野球
  自身が中学3年時にセンバツ大会決勝に進出した花巻東高校のエース、菊池雄星に憧れ、同校へ進学。「日本一になる」「日本人最速となる160kmを記録する」「ドラフトで菊池雄星を越える8球団から1位指名を受ける選手になる」ことを目標に掲げた。MLB移籍後も「僕にとって雄星さんは特別な存在」と語っている。
  大谷はこの高校での寮生活について、良い環境であり自身が大きく変わるきっかけになったと後に語っている。生活や娯楽に制限を受けたことで、何が正しいのかを考えて行動することの重要性を学んだという。親以外の指導者から教わる経験も初めてであった。監督の佐々木洋による『先入観は可能を不可能にする』(先入観を捨てることによって不可能が可能になる)という言葉を心に刻んだ。入部後は監督の佐々木洋の「まだ骨が成長段階にある1年夏迄は野手として起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせる」という方針により、1年春は「4番・右翼手」で公式戦に出場。秋からエースを務め、最速147km/hを記録。

  2年春には最速151km/hを記録し、「みちのくダルビッシュ」と呼ばれ注目を集める。第93回全国高等学校野球選手権大会初戦の帝京高校戦では骨端線損傷により右翼手として先発出場するが、4回途中から登板し、田中将大(駒澤大学附属苫小牧高校)に並ぶ甲子園での高校2年生最速タイ記録(当時)となる150km/hを記録。その後は治療に専念し、試合には打者限定で出場した。
  3年生になる直前、2012年3月の第84回選抜高等学校野球大会初戦の大阪桐蔭高校戦は、5回まで2安打無失点6奪三振の好投を見せ、相手エースの藤浪晋太郎から本塁打も放ったが、最終的に8回2/3を11奪三振11四死球で9失点(自責5)で敗退。
  3年生の夏、2012年度の全国高等学校野球選手権岩手大会の準決勝・一関学院高校戦ではアマチュア野球史上初となる160km/hを記録した。この試合は7回を3安打1失点13奪三振の快投でコールド勝ち。しかし決勝の盛岡大学附属高校戦では、多彩な変化球を操り15奪三振と力投するも、味方のミスや、相手チームによるファウルとの瀬戸際だった本塁打など運にも見放され5失点を喫し、高校最後の全国選手権大会出場はならなかった。

  甲子園通算成績は14回を投げ防御率3.77、16奪三振。野手としては2試合で打率.333、1本塁打。
  9月には第25回AAA世界野球選手権大会日本代表に選出され、主に四番・指名打者として起用された。5位決定戦の対大韓民国代表戦に先発し、7回を投げ2失点、12奪三振、最速155km/hを記録するも敗戦投手となった。9月18日、プロ志望届を提出した。
  プロ野球ドラフト会議前にはNPBだけでなくMLB球団からも注目され、本人は当初「(MLBかNPBかは)五分五分」と語っていたが、ロサンゼルス・ドジャーステキサス・レンジャーズボストン・レッドソックスとの面談を経て、10月21日にMLBへの挑戦を表明。会見では「日本のプロよりもメジャーリーグへの憧れが強く、マイナーからのスタートを覚悟の上でメジャーリーグに挑戦したい」と語った。
日本ハム時代
  しかし、10月23日に北海道日本ハムファイターズGM山田正雄が大谷をドラフト会議で1位指名することを公表し、日本ハム監督の栗山英樹も「大谷君には本当に申し訳無いけれど、指名をさせていただきます」と話していた。
  10月25日に行われたドラフト会議ではファイターズが大谷を1巡目で単独指名し交渉権を獲得。指名後の会見では「びっくりしたし動揺もした。評価して頂いたのは有り難いが、アメリカでやりたいという気持ちは変わらない」と語り、指名挨拶のため日本ハムから訪問を受けた際にも面会しなかった。しかしその後、2度目の訪問で指名挨拶を受け、両親を交えた入団交渉も4度にわたって行い、3度目の入団交渉からは栗山も同席する。交渉では『大谷翔平君 夢への道しるべ〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜』と題された30ページに及ぶ資料が提示され、高校卒業後、直接アメリカへ渡った韓国の野球選手がMLBで活躍しているケースが少ない点や、過酷なマイナーリーグの現状、母国のプロリーグで実力をつけた選手の方が MLBで活躍できる確率が高い点などが説明された。更に前年までダルビッシュ有が着用していた背番号11、投手と打者の「二刀流」育成プランなどを提示された。結果的に大谷は12月9日に日本ハム入団を表明した。12月25日に契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1500万円(推定)で仮契約を結んで入団会見した。背番号は上記の通り前年までダルビッシュが着用していた「11」に決まった。会見後には札幌ドームで監督の栗山英樹と投打で1球勝負するエキシビションも行われた。
2013年
  2013年は春季キャンプで投手と野手の練習メニューを並行してこなし、2月途中から一軍に合流。オープン戦・春季教育リーグでも投手、右翼手指名打者として出場。3月21日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦のオープン戦では、投手として登板した後に打席に立ち、更に右翼手の守備に就くなど、本格的な二刀流起用を想定した采配をされる。
  投手登録のまま打者として開幕一軍入りし、2013年3月29日のシーズン開幕戦埼玉西武ライオンズ戦、西武ドーム)では8番・右翼手で先発出場。高卒外野手の開幕戦先発出場は2011年駿太以来で、球団では1959年張本勲以来54年ぶりだった。その開幕戦で2安打1打点を記録した。高卒新人が開幕戦で複数安打を記録したのは1960年矢ノ浦国満以来53年ぶり2人目であった。その後は下位打線で出場しながら二軍の試合で投手として調整していたが、4月13日のオリックス・バファローズ戦(ほっともっとフィールド神戸)で外野守備中に右足首を捻挫[54]、出場選手登録を抹消された。5月4日に復帰し、5月6日の西武戦(西武ドーム)ではプロ入り後初めて一番打者として出場した。5月23日の東京ヤクルトスワローズ戦では、投手として初登板・初先発。5回2失点で勝敗はつかなかったが、新人投手の初登板では史上最速となる157km/hを記録した。6月1日の中日戦で先発投手を務め、5回3失点でプロ初勝利を挙げる。

  6月18日の広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)はセ・リーグ球団の主催試合で指名打者が使えないため、五番・投手で先発出場。先発投手が3番から5番の打順(クリーンナップ)を打つのは1963年梶本隆夫以来50年ぶりのことだった。投手としては4回3失点で降板したが、降板後に右翼手の守備に就き、打者としては1安打1打点を記録した。7月10日の楽天戦(クリネックススタジアム宮城)では永井怜からプロ初本塁打を打つ。高卒新人でプロ初勝利とプロ初本塁打を記録したのは1967年江夏豊以来、46年ぶりであった。しかし翌11日(楽天戦)の試合前練習中に外野をランニングしていたところ、フリー打撃の打球が右のこめかみ付近に直撃し試合を欠場した。「右頬骨不全骨折」と診断されたが、その3日後の14日(千葉ロッテマリーンズ戦)で復帰し、大谷智久から自身初の代打本塁打・本拠地初本塁打・2試合連続本塁打となる2号本塁打を打った。
  オールスターゲームにはファン投票で外野手として初選出され、第1戦では5回から投手として登板し1回2安打無失点、最速157km/hを記録する投球を見せ、降板後は左翼の守備に就いた。第2戦では高卒新人としてはオールスターゲーム史上初となる一番打者で起用され、第1打席で初安打となる二塁打を記録、続く第3戦では高卒新人としては1986年清原和博以来となるオールスターゲームでの打点を記録し、敢闘選手賞とスカイアクティブテクノロジー賞を受賞した。
  8月9日のロッテ戦では6回からプロ入り後初の救援登板を果たす。8月18日の福岡ソフトバンクホークス戦(帯広の森野球場)では五番・右翼手で先発出場し、8回からは投手を務め1回を1安打無失点に抑える。
  初年度、投手としては13試合に登板し、3勝無敗、防御率4.23を記録した。打者としては77試合に出場し、打率.238、3本塁打、20打点を記録した。
2014年
  2014年は3月30日のオリックス戦(札幌ドーム)でプロ入り初の猛打賞を記録した。4月12日の西武戦(札幌ドーム)でプロ入り初の2桁奪三振とシーズン初勝利を記録。5月13日の西武戦(函館オーシャンスタジアム)では、9回を被安打6・奪三振9の内容でプロ入り初完封勝利。6月4日の広島戦(札幌ドーム)ではパ・リーグ史上最速の球速160km/hを計測。その後も6月11日の巨人戦(札幌ドーム)、6月18日の阪神戦(甲子園)[71]、6月25日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム[72]で最速160km/hを4試合連続、他球場でも計測した。20歳となった7月5日のロッテ戦では、プロ入り初の1試合2本塁打を記録。7月9日の対楽天戦(楽天Koboスタジアム宮城)では毎回の16奪三振で1失点の完投で8勝目。1試合16奪三振は、1980年木田勇と並ぶ球団タイ記録。毎回奪三振は自身初で、球団では史上10人目(13度目)。また1968年の江夏豊の20歳2か月を更新する16奪三振以上のNPB最年少記録とした。

  オールスターゲームには前年の外野手に続き、投手として監督推薦で選出。投手と野手の両方で選出されるのは関根潤三以来2人目。7月19日の第2戦(甲子園)に先発登板し、1回裏に先頭打者の鳥谷敬への2球目でオールスターゲーム史上最速の162km/hを計測、この後、阿部慎之助への初球でも計測。公式戦を入れると、2008年のマーク・クルーン以来の史上2人目のタイ記録。1イニングを投げ、打者5人に対し3被安打1失点の内容で、全23球のうち12球で160キロ以上を記録した。試合は12対6でパ・リーグが勝利し大谷が勝利投手となるが、20歳0か月での先発勝利は池永正明の19歳1か月に次ぐオールスターゲーム年少記録となった。
  前半戦終了迄に7連勝していたが、後半戦最初の登板となった7月26日の楽天戦(コボスタ宮城)では8イニングを投げ被安打5、奪三振10、失点2の内容で勝敗はつかず、8月3日のソフトバンク戦(札幌ドーム)で日本人最速タイ記録の161km/hを計測したが、7イニングを投げ被安打9、失点2で敗戦投手となり連勝がストップ[80]。8月26日のソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)で自身初の10勝目を挙げたが、同一シーズンで10勝と6本塁打を記録したのはパ・リーグ史上初。8月29日のロッテ戦(東京ドーム)で初回に自身初の2日連続となる8号本塁打を記録し、2桁勝利を挙げた投手としては1950年の藤本英雄(26勝)の7本塁打のNPB記録を更新した[82]。9月7日のオリックス戦(京セラドーム大阪)で10号本塁打を記録し、NPB史上初となる「同一シーズンで2桁勝利と2桁本塁打」を達成した。9月21日の楽天戦(コボスタ宮城)で登板したあと、発熱などの影響で登板機会が10月5日の楽天戦(札幌ドーム)までずれ込んだが、その試合で初回に銀次への投球が球速162km/hを計測した。NPBシーズン公式戦記録(2008年6月1日にマーク・クルーンが記録)に並ぶ自己最速記録であり、由規による日本人NPB最速記録および自身によるパ・リーグ記録を更新した。10月11日のクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ(オリックス戦)の第1戦(京セラドーム)でポストシーズン初登板初先発。2回には二死満塁からの2四死球で2点を取られたが、6イニングを3失点に抑えCS初勝利を挙げた。20歳3か月の投手がCSで勝利するのは2009年の田中将大の20歳11か月を更新する史上最年少記録。
  2014年度、投手としては24試合に登板し、11勝4敗、防御率2.61を記録した。打者としては86試合に出場し、打率.274、10本塁打、31打点を記録した。
  オフには「日米野球2014」の日本代表に選出。背番号は過去に涌井秀章らが着用した「16」に決まった。第1戦では中継ぎとして登板し、1回を三者凡退に抑えた。先発となった第5戦では4回2失点7奪三振という結果だったが敗戦投手になった。12月には高卒3年目選手では松坂大輔以来史上2人目となる年俸1億円(推定)で契約を更改した。
2015年
  2015年は3月27日の楽天戦(札幌ドーム)で自身初の開幕投手を務め、5回2/3を被安打3、失点1、6奪三振に抑え勝利投手になった。5月14日の西武戦(西武ドーム)では、チームでは1979年高橋直樹以来となる完投勝利での開幕6連勝を飾った。一方で、打撃面では低調で、4月1日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)では先発の藤岡貴裕から野手では2試合目、6打席目でのプロ入り最速となる第1号本塁打を放つが、6月19日のソフトバンク戦ではプロ入り初の1試合4三振を記録した。
  オールスターには2位の牧田和久と28万票以上の大差をつけ、投手部門で選出。投手と野手の両方でオールスターゲームへファン投票選出されたのは、1953年の投手部門、1963年の外野手部門で選出された関根潤三以来52年ぶり2人目となった。オールスターには第1戦に先発し、結果は2回2安打1失点という成績だった。
  8月8日の楽天戦では自身初となるサヨナラ安打を記録した。8月18日、対ロッテ戦(QVCマリン)で9回12奪三振の完封で前年の11勝を上回る自己最多の12勝目を挙げた。
  最終的には、10月6日のパ・リーグ全日程終了時点でハーラートップの15勝、防御率2.24、勝率.750で最多勝利最優秀防御率最高勝率の投手三冠に輝いた。高卒3年目での15勝到達は、球団では2007年ダルビッシュ有以来となった。一方、野手としては年間通して低迷し、最終的に打率.202、5本塁打、17打点の成績に終わった。
  10月9日に第1回WBSCプレミア12日本代表の最終ロースター28名に選出された。チームがリーグ2位で迎えたクライマックスシリーズファーストステージ第1戦に先発したが3回途中5失点で敗戦投手となった。第3戦では1点ビハインドの8回一死一・三塁のチャンスで代打で登場するも三振を喫してしまうなど投打に精彩を欠きチームはCS敗退した。プレミア12では投手一本で専念。プレミア12開幕戦の韓国戦で先発して、6回を2安打無失点に抑える活躍を見せて勝利に貢献した。日本はグループリーグを突破して準決勝の韓国戦でも先発し、7回を1安打無失点に抑えたがチームは3-4で敗れた。この好投を評価されてプレミア12のベストナインに選出された。
  この年はその他、8月17日に日本郵便北海道支社が大谷の写真を使った切手セットを北海道内で発売すると発表した。プロ野球選手の切手は前例があるが、日本ハムの選手では初めてとなった。
2016年
  2016年も開幕投手を務めたが、打線の援護に恵まれず、先発した5試合で白星が無かった。先発6戦目となった5月1日のロッテ戦(QVCマリン)で9回を4失点で抑えてシーズン初完投初勝利を飾った。しかし、5月途中まで防御率3点台と、シーズン途中まで投手として調子が上向くまで時間を要した。一方、打撃は好調で、5月11日のオリックス戦(東京D)では東明大貴から、自身初の4試合連続の本塁打を記録した。5月29日、楽天戦(コボスタ宮城)ではパ・リーグの公式戦ながら指名打者を最初から起用せず[注釈 5]、6番・投手として先発出場し、投手としては7回4安打1失点で3勝目を挙げ、打者としては3安打1打点の猛打賞を記録した。

  6月5日の巨人戦(東京D)でルイス・クルーズへの投球で自身の持つNPB公式戦最速記録を更新する球速163km/hを計測した。7月3日、ソフトバンク戦(ヤフオク)では自身初となる1番・投手として先発し、打者としては初球先頭打者本塁打を放ち、投手としては8回10奪三振で抑え、8勝目(4敗)を挙げる活躍をした。投手のNPBにおける1番先発は1971年外山義明以来45年ぶり史上3人目だが、先頭打者本塁打は史上初。ちなみにMLBにおいても投手の先頭打者本塁打は過去に例がない。6月は4勝0敗、奪三振41個、防御率0.29の成績で自身2度目となる月間MVPを受賞した。
  7月10日の対ロッテ戦で試合中にマメを潰して途中降板し、その影響で約2か月の間、先発投手としての登板は無かった。マツダオールスターゲームでは投手としてファン投票に選出されたが、マメの影響で投げられないことが考慮され、異例の野手として出場が許可された。7月15日、オールスター第1戦試合前のホームランダービーでは一回戦で山田哲人、決勝戦で柳田悠岐を破り、優勝を果たした。7月16日、オールスターの第2戦では5番・指名打者として先発して、自身初のオールスター本塁打を放つなどMVPを受賞する活躍を見せた。7月24日の対オリックス戦で、3年ぶりとなるリリーフ登板で1回を無失点に抑え、プロ初ホールドを記録。

  9月7日の対ロッテ戦で約2か月ぶりに先発投手に復帰すると、9月13日に対オリックス戦で、糸井嘉男への投球で自身の持つNPB公式戦最速記録(かつ日本人最速)を更新する球速164km/hを計測した。9月28日の西武戦(西武ドーム)で9回1安打15奪三振で完封勝利を挙げ、日本ハムの4年ぶりのリーグ優勝達成に貢献。この試合で10勝を挙げ、自身2度目の「同一シーズンで2桁勝利と2桁本塁打」を達成し、NPB史上初の「10勝、100安打、20本塁打」を達成した。規定投球回にはあと3回足りず、2年連続の最優秀防御率は逃した。
  クライマックスシリーズファイナルステージでは、第1戦に8番・投手として先発出場し2打数1安打、7回1安打6奪三振無失点で初勝利。第5戦では3番・指名打者として先発出場し9回にDH解除でリリーフ登板。自身初セーブを挙げ、4年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。同試合では自身の持つ当時のNPB最速記録(かつ日本人最速)を更新する球速165km/hを計測している。
  日本シリーズでは、第1戦(マツダスタジアム)に8番・投手として先発出場、打席では3打数2安打と結果を残すも、投球内容は2本の本塁打を打たれるなど6回3失点で敗戦投手となる。投手としてはこの1試合のみの登板となるが、打者としては第2戦に9回表に代打で出場、第3・4・5戦(札幌ドーム)では3試合とも3番・指名打者として先発出場する。特に第3戦では延長10回裏、二死二塁の場面で大瀬良大地からサヨナラ適時打を放ち、チームのシリーズ初勝利に貢献した。チームはこの勝利から3連勝となり、日本一に王手をかけた状態で第6戦を迎える。その第6戦(マツダスタジアム)では出場機会が無かったものの、ベンチ入りメンバーには入っていた。スコア4-4の同点、8回表2アウト満塁、打席に中田翔、次の打者が投手のバースで代打が予想される場面で大谷がネクストバッターズサークルで待機すると、結果的に相手投手ジャクソンは中田に対し、1球もストライクが入らず押し出し四球となる。その後大谷は打席に向かわずベンチに退くも、そのまま打席に入ったバースの適時打、レアードの満塁本塁打が飛び出し、この回だけで計6得点が入ったことにより勝敗がほぼ決まった。後に栗山はこの場面において、ジャクソンに重圧を掛ける意図があり、「大谷を起用するつもりは全く無かった」と明かしている。この試合にも勝利したチームは4勝先取となり、大谷自身初の日本一を経験した。
  10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された。東京ドームで行われた11月13日のオランダ戦では、7回表に放った打球が右翼方向の天井に入り、ルールに従って二塁打となっている。これは2002年に記録した松井秀喜以来となる。
  11月25日、パ・リーグのベストナインが発表され、史上初の投手と指名打者のダブル受賞を果たした。本来、ベストナイン投票規定では投手部門と野手部門の重複投票は禁止されていたが、同年の大谷の活躍を考慮し9月下旬に規則変更されていた。12月22日、ホリプロとマネージメント契約を締結したことを発表。
2017年
  2017年は4月8日のオリックス戦で一塁への走塁の際に、左ハムストリングス(太もも裏)を痛め、大阪市内の病院で検査を受けた結果、左大腿二頭筋の肉離れと診断され9日に登録を抹消された。6月27日に一軍復帰出場を果たすものの、シーズンも怪我の影響で満足のいくプレーはできず、投手としてはプロ入り後ワーストタイの3勝、野手としても65試合出場、8本塁打という成績に終わっている。
  9月12日の楽天戦で通算40勝となり、史上4人目となる40勝・40本塁打を達成。最終登板となった10月4日のオリックス戦ではNPB史上66年ぶりとなる「4番・投手」で出場し、打席では4打数1安打、投球では10奪三振の完封勝利を記録。10月12日に東京都内の病院で内視鏡による「右足関節有痛性三角骨(足関節後方インピンジメント)除去術」を受けた。
  11月11日にポスティングシステムを利用してMLBに挑戦することを表明した。MLBの労使協定により、プロ経歴5年で23歳の大谷はインターナショナル・ボーナス・プールでの契約対象選手となるため契約金は低額で、かつマイナー契約しか締結できない(年俸調停権を得るまではMLB最低保証年俸程度で選手を保有できることから、資金力に関係なく様々な球団が大谷の獲得を目指した。交渉期間はMLB選手会からの要望により、大谷に限って通常の30日間から21日間に短縮され、その代わり交渉期間前の書類によるプレゼンテーションが許可された。11月29日に代理人を通じてMLBの全30球団に対し、「自身に対する評価」「今後の育成法」、といった内容を書き記した質問状を送付した。12月4日に書類審査の結果、移籍先候補はアメリカ西海岸沿いを中心とする7球団(シアトル・マリナーズロサンゼルス・エンゼルステキサス・レンジャーズサンフランシスコ・ジャイアンツロサンゼルス・ドジャースサンディエゴ・パドレスシカゴ・カブス)に絞ったと代理人が表明した。落選した球団には、ニューヨーク・ヤンキースボストン・レッドソックスといった名門も多く含まれており、MLBファンの間でも大きな反響を呼んだ。
エンゼルス時代
  2017年12月9日にロサンゼルス・エンゼルスと契約合意に至ったと発表された。同日に球団側も大谷の獲得を表明し、背番号は「17」と発表された。翌10日にマイナーリーグ契約を結び、ルーキー級アリゾナリーグ・エンゼルスに配属され、本拠地のエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムで入団記者会見が行われた。日本ではその一部が日本テレビ系列の情報番組「シューイチ」内で生中継された。代理人はネズ・バレロ(Nez Balelo)、通訳は水原一平
2018年
  2018年2月6日、スプリングトレーニングに招待選手として参加。オープン戦では投手として2試合で先発登板、打者としても指名打者で11試合で起用されるが、防御率27.00、打率.125と投打ともに不振にあえいだ。現地の一部メディアでは「マイナー起用すべき」との声も上がった。3月28日にメジャー契約を結び、アクティブ・ロースター入りした。
  3月29日の開幕戦オークランド・アスレチックス戦で「8番・指名打者」で先発出場し、ケンドール・グレーブマンから初打席初球初安打を記録。4月1日のアスレチックス戦で初登板初勝利、4月3日、本拠地初戦のクリーブランド・インディアンス戦で指名打者として出場し、第1打席で初本塁打を放った。勝利投手が2日以内に打者として出場した試合の初回に本塁打を記録したのは、1921年ベーブ・ルース以来、実に97年ぶりの快挙である。
  4月6日のアスレチックス戦の第1打席で、3試合連続となる第3号本塁打を記録した。日本人による3試合連続本塁打は、2004年9月(2年目)と2007年7月に記録した松井秀喜以来2人目であり、1年目の4月に達成したのは日本人選手史上初。MLB史上では4人目の快挙。また、打点が公式記録となって以降で、本塁打と2打点を本拠地開幕戦から3試合続けたのは、ア・リーグでは初めてである。4月8日に本拠地初登板となったアスレチックス戦で、7回を投げ1安打12奪三振1四球の快投を見せ、開幕2勝目を挙げた。新人投手としてデビューから最初の2試合で6奪三振以上は、球団史上3人目の記録となった。また、デビュー登板から2試合のうちに12奪三振を記録したのは、ア・リーグタイ記録であり。開幕から10試合で2勝&3本塁打は1919年のジム・ショー以来99年ぶりの快挙となった。4月9日にプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを初受賞した。日本人選手の受賞は2016年8月7日のイチロー以来、2年ぶり。また、1973年にア・リーグで「Players of the Week」が作られて以降、二刀流選手としては初の選出となった。1年目の日本人選手で4月上旬の選出は最速で、23歳9か月というのも最年少記録となった。4月22日に4番・指名打者で出場したが、同一シーズンで3試合以上先発登板している選手が4番で出場したのは、MLBでは1961年のドン・ラーセン以来57年ぶり史上16度目で13人目。

  4月24日には、ヒューストン・アストロズ戦で100マイル(160.9km/h)越えの投球を連発し、5回裏にはジョシュ・レディックに対し101マイル(162.5km/h)の速球を2度に渡り投じ、過去10年で先発投手で101マイル越えの速球を投げたのは大谷が7人目。また、前年ア・リーグMVPだったホセ・アルトゥーベを3打数無安打(うち2奪三振)に封じたため、同一シーズンで「サイ・ヤング賞投手」(4日に対戦したコーリー・クルーバー)から本塁打を打ち、「MVP打者」から三振を奪ったMLB史上5人目の投手となった。4月27日のヤンキース戦で、MLB移籍後初の5番・指名打者で出場し、第1打席で第4号本塁打を放った。1か月での4本塁打、25奪三振達成は1971年9月のファーガソン・ジェンキンス以来、47年ぶり史上4人目。
  5月2日に、4月のア・リーグルーキー・オブ・ザ・マンスを受賞した。日本人選手の選出は2012年4月のダルビッシュ有以来6年ぶり6人目。
  6月8日、右肘の内側側副靱帯を損傷し、自身初となる10日間の故障者リストに登録された。7月3日、シアトル・マリナーズ戦に6番・DHで6月4日以来、約1か月ぶりに打者として復帰した。7月23日のホワイトソックス戦(エンゼル・スタジアム)で8号ソロを放った。これまでの本塁打全てが本拠地エンゼル・スタジアムで放ったものであり、新人選手が最初の8本(最終的に9本)全てをエンゼル・スタジアムで放ったのは球団史上初となった。8月3日、敵地クリーブランド・インディアンス戦に3番・DHで先発出場し、マイク・クレビンジャーからMLB初となる第1打席に先制10号2ラン、続いて第2打席に2打席連続の第11号ソロ本塁打を放った。MLB1年目での日本人選手による2桁本塁打到達は2012年の青木宣親(10本)以来、6年ぶり7人目となった。
  9月2日、アストロズ戦で6月6日のロイヤルズ戦以来88日ぶりに投手として復帰登板した。同一シーズンで10試合以上に先発登板し、かつ10本塁打以上を記録したのは、ベーブ・ルース以来の出来事でMLB史上2人目の快挙である。

  月5日の試合前にMRI検査の結果、大谷の右肘靱帯に新たな損傷が判明し、医師からは靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)を勧められていると発表した。
  9月7日、5番・DHで出場したホワイトソックス戦でカルロス・ロドンから3試合連続の第19号勝ち越し3点本塁打を放った。城島健司(2006年)に並んでいた日本人のメジャーリーグ第1年目での本塁打記録を更新し、単独1位となった。9月10日、今シーズン2度目となる9月3-9日までのプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞した。日本人メジャーリーガーによるシーズン2度の受賞は1996年の野茂英雄以来2人目となり、1年目では史上初だった。9月15日、4番・DHで出場したマリナーズ戦の第一打席でエラスモ・ラミレスから第20号ソロ本塁打を放った。日本人選手のシーズン20本以上は松井秀喜に次いで史上2人目。
  このシーズンは打者として104試合(代打22試合)に出場し、打率.285、22本塁打、61打点、10盗塁。投手としては10試合に先発登板し4勝2敗、防御率3.31の成績を残し、MLB史上初の「10登板、20本塁打、10盗塁」を達成し、シーズンを終了した。
  10月1日、ロサンゼルス市内の病院でトミー・ジョン手術を行い、成功した。
  同日、9月のア・リーグのルーキー・オブ・ザ・マンスを受賞した。4月以来2度目の受賞となり、日本人選手が同賞を複数回受賞するのは2001年のイチロー以来となった。2位のミゲル・アンドゥハーに48ポイントの大差をつけ、ア・リーグの新人王を受賞した。日本人選手の受賞は2001年のイチロー以来17年ぶり4人目となった。
2019年
  2019年は開幕からリハビリを重ね、5月7日のデトロイト・タイガース戦で打者として復帰した。6月13日のタンパベイ・レイズ戦に「3番・指名打者」で出場し、日本人初のサイクル安打を達成した。1900年以降、投手で2勝以上し、サイクル安打を放ったのは、1920年、1921年のジョージ・シスラー(5勝、サイクル安打2度)以来史上2人目、98年ぶり。6月27日のアスレチックス戦で2年連続2桁本塁打となる10号2ランを放った。日本人メジャーリーガーで入団から2年連続10本以上の本塁打を打ったのは、松井秀喜、井口資仁、城島健司、福留孝介に次いで5人目となった。9月12日、翌13日に左膝蓋骨の手術(二分膝蓋骨)を行うと発表した。全治まで8週間から12週間の予定で、残りのシーズンを欠場。106試合に出場し、打率.286(384打数110安打)、18本塁打、62打点を記録した。
2020年
  2020年から"Two-Way Player"(二刀流選手)がルール上定義され、大谷はMLB初の「二刀流」適用選手となった。"Two-Way Player"は、前年まで不可能だった「投手として故障者リスト入りし、マイナーリーグ公式戦でリハビリ登板しながら (rehab assignment) 、同時に野手としてMLB公式戦に出場する」ことが可能となり(詳細は 「ロースター (MLB)#選手区分」 を参照)、エンゼルスは開幕から大谷をDHで起用しつつ、同時にマイナーで調整登板させ、5月中旬を目処にMLBで復帰登板させるプランを発表した。しかし、COVID-19の影響でシーズン開幕が7月下旬に延期となり、二刀流での起用が開幕から可能となった。7月26日のアスレチックス戦で2018年9月2日以来693日ぶりに復帰登板を果たしたが、1回途中一死も取れず3安打、3四球、5失点で降板し、敗戦投手となった。8月2日のアストロズ戦ではこの試合最速156km/hの速球が2回途中から140km/h台に落ち、1回2/3を無安打5四球2失点(押し出し四球2)3奪三振で降板した。この登板後にMRI検査を受け、翌3日に「右屈曲回内筋群の損傷、投球再開まで4~6週間」と診断され、同年中の復帰登板は絶望的となり、投手としては上記2試合だけの出場に終わった。負傷者リスト登録はせず、同月6日からDHとして出場を続けたが、最終的に44試合で、打率.190(153打数29安打)、7本塁打、24打点の成績に終わった。オフにMLBサービスタイムが3年に達して年俸調停権を取得したが、年俸交渉は越年となった。
2021年
  2021年2月9日に年俸調停を回避して2年総額850万ドルで契約合意したことが公式発表された。シーズンでは4月4日の対ホワイトソックス戦では、MLB移籍後初となる「2番・投手」で先発出場。打者として初回に先制の2号本塁打を放った。投手としても球速163km/hを計測するなど好投したが、4回途中3失点で負傷降板し3年ぶりの勝利とはならなかった。4月9日のブルージェイズ戦で、松井秀喜の1393打席を大幅に塗り替え、日本人最速となる997打席でのMLB通算50本塁打を達成。4月21日のテキサス・レンジャーズ戦ではNPB/MLB通算100本塁打を達成した。4月24日の対アストロズ戦でMLBでは初となる左翼手の守備に就いた(交代させる野手がいなかったため急遽DHを解除して起用)。同26日のレンジャーズ戦では、5回9奪三振4失点で、3シーズンぶりに勝利投手となった。5月11日のアストロズ戦では2番・投手として7回10奪三振1失点の快投後、右翼に就いて試合終了までプレーを続けた。同17日のインディアンス戦に13号本塁打を放ち、日本人メジャーリーガー初の両リーグ本塁打王単独トップに躍り出た。6月4日、マリナーズ戦に2番投手で投打同時出場を果たすと6回を4安打2失点で4月25日以来39日ぶりのシーズン2勝目を挙げた。この試合では、MLB20試合目の登板で初の無四球を達成し、さらには10奪三振を記録した。11日に敵地で行われたダイヤモンドバックス戦では、2番・投手で、MLB移籍後初の交流戦先発登板を果たした。ナ・リーグの球場で投手が1番から4番までの打順に入るのは初となった。翌16日のアスレチックス戦ではシーズン10個目の盗塁を成功させ、2年ぶりの2桁10盗塁に到達した。

  18日、オールスターゲームのホームランダービーに出場することを表明した。日本人の出場は史上初であるのに加え、投手としてキャリアをスタートさせた選手の出場も史上初となる。
  2番・DHで先発出場した同日のタイガース戦で、第3打席に20号2点本塁打を放ち、2018年以来3年ぶりのシーズン20号本塁打に到達した。チーム70試合目(打者出場65試合目)での20号到達は、松井秀喜が2007年に樹立した、チーム106試合目(打者出場93試合目)での20号到達の日本人選手最速記録を大幅に更新した。その後、第5打席にも21号ソロ本塁打を放ち、2019年以来2年ぶりの1試合2本塁打を記録した。同19日、本拠地アナハイムでのタイガース戦に2番・DHで先発出場。第2打席に2試合連発、MLB1年目の2018年に並ぶ22号本塁打を放った。同20日、本拠地でのタイガース戦に2番・DHでスタメン出場。第3打席に3試合連続の23号本塁打を放った。自身のプロ最多本塁打数を更新した。同23日、本拠地でのジャイアンツ戦に2番・投手で先発出場。これにより、ア・リーグのチームがDHを解除し、ナ・リーグのチームがDHを使用するという史上初の珍事が生じた。結果、この週(6月14日 - 20日)で7試合に出場し、打率.296(27打数8安打)、6本塁打、9打点、1盗塁を記録。投げては6回1失点、奪三振5でシーズン3勝目を挙げ、翌日の21日には2018年4月、9月に続いて、3年ぶり3度目となるア・リーグのプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞した。

  同27日、MLBオールスターゲームのファン投票の1次結果を発表し、ア・リーグ指名打者部門で196万1,511票を集めてトップ通過した。7月1日にMLBオールスターゲームファン投票の最終結果が発表され、ア・リーグ指名打者部門で全体の63%を集める圧倒的な得票率でMLBオールスターゲームに初選出された。同28日には第25号本塁打を放ち、アジア人では歴代2位であった秋信守大韓民国出身。MLB通算本塁打数では松井秀喜を上回ってアジア人歴代1位)の最多記録24を抜いた。
  6月は25試合に出場し、打率.309、13本塁打、出塁率.423、長打率.889、OPS1.312を記録し、7月2日にア・リーグ野手部門で初の月間MVPに選出された[。同2日のボルチモア・オリオールズ戦で第2打席で右翼席へ29号ソロ、第3打席で左翼席へ30号2点本塁打を放ち、NPB/MLB通じて自身初となる30本塁打に両リーグ最速で到達。日本人選手としては2004年の松井秀喜が31本塁打を記録して以来、17年ぶりの快挙となった。また、オールスターゲーム前の本塁打数として2019年にマイク・トラウトが記録した28本を抜き、エンゼルスの球団新記録となった。なお、ベーブ・ルースが先発投手として1試合以上出場したシーズンで記録した最多本塁打は1919年の29本であったことから、アメリカ合衆国の記者ジャック・ベアは「二刀流選手として大谷はベーブ・ルース以上」と述べたという。
  7月4日、ニューヨーク・ポスト紙は、アメリカン・リーグの前半戦MVPに大谷を選出した。
  同4日本拠地で行なわれたオリオールズ戦に「2番・DH」で先発出場。第2打席で第31号本塁打を放ち、2004年に松井秀喜ニューヨーク・ヤンキース所属)が記録した日本人選手として最多のシーズン本塁打数「31」(アジア人としても最多に並んだ。同4日にオールスターゲームの選手間投票などで選ばれた投手と控え野手が発表され、ファン投票選出のア・リーグDH部門に続き、同先発投手部門でも選出され、史上初めて投打二刀流で選出された。6日には、シーズン2度目となるプレイヤー・オブ・ザ・ウィーク(6月28日 - 7月4日)を受賞した。打者として6試合に出場し、打率.286、6本塁打、8打点、1盗塁、OPS1.543を記録。同6日本拠地アナハイムでのレッドソックス戦に「2番・投手」で投打同時出場。シーズン最長タイの7回、89球を投げ5安打2失点でNPB/MLB通算50勝目となる4勝目を挙げた。
  同7日には本拠地でのレッドソックス戦に「2番・DH」で出場し、3試合ぶりとなる第32号本塁打を放った。松井秀喜による日本人選手最多本塁打記録であった31本をシーズン前半戦のうちに更新し、日本人では単独最多となった(アジア人としても最多)。さらに、当時点ではMLB両リーグ内で最多の本塁打数であり、またオールスターゲーム前に32本塁打以上かつ12盗塁以上の達成はMLB史上初の記録でもあった)。同4日の31本塁打達成時および同7日の32本塁打達成時には松井から大谷を絶賛し応援する内容の祝辞を贈られ、大谷は「(松井を)子どもの頃からすごい見ていたので、光栄だなと思います。」「素直に嬉しいですし、(松井が)わざわざコメントしていただけるのも嬉しいです。まだまだ打てるように期待に応えられるように頑張りたい。」などと語った
  最終的にオールスター前に33本のホームランを放った。これはアメリカ合衆国外出身者のオールスター前のホームラン数ではサミー・ソーサドミニカ出身)に並びトップタイの記録である。同10日、米スポーツ界で目覚ましい活躍をした選手や優れたプレーなどに贈られ、スポーツ界のグラミー賞またはアカデミー賞と言われるESPY賞の「ベストMLB選手」部門に日本人選手で初めて選出された。
  7月12日、翌日に控えるオールスターゲームにアメリカンリーグ側「1番指名打者」で先発出場すると同時に[200]先発投手としても出場することが発表された。日本人選手がオールスターゲームで先発登板するのは1995年野茂英雄ロサンゼルス・ドジャース所属)以来、26年ぶり2人目であった。同日に開催されたホームランダービーでは第1ラウンドでワシントン・ナショナルズ所属のフアン・ソトと2度の延長戦にもつれる熱戦を繰り広げるも、敗退となった。翌13日に開催されたオールスターゲームでは、1回表に先頭打者としてナショナルズのマックス・シャーザーと対決してMLBオールスターゲーム初打席に立ったが、二塁ゴロとなった。1回裏には先発投手としてMLBオールスターゲーム初登板を果たし、三者凡退に抑えた。2回裏にはホワイソックスのランス・リンが登板したため1回表限りの登板となった打者としてはそのまま続投し、3回表に2打席目を迎えてブルワーズのコービン・バーンズと対決したが、初球を叩いて一塁ゴロとなった。5回表にレッドソックスのJ.D.マルティネスを代打に送られた。2回表にブルージェイズのマーカス・セミエンが先制点を記録し、最終的にアメリカンリーグが5-2でナショナルリーグを下したことから、大谷は勝利投手となった。このオールスターゲームで大谷が使用したハンドグローブ、スパイクシューズ、フットガードはアメリカ野球殿堂入りした
  同18日、本拠地で開催されたマリナーズ戦、5試合ぶりに後半戦初となる34号本塁打を放った。7月19日のアスレチックス戦では「2番・投手」の投打同時出場で後半戦初登板し、6回を3安打無失点、8奪三振1四球の快投を見せるも勝敗は付かなかった。また、打っては4打数1安打で二塁打を放ち、7回からは右翼の守備に就き、8回の守備で退いた。同26日本拠地でのコロラド・ロッキーズ戦に「2番・投手」で投打二刀流出場し7回被安打5、奪三振5、失点1で1打点も記録し、MLB自己最多となる5勝目を挙げた。
  8月2日、2か月連続でアメリカンリーグの野手部門でプレイヤー・オブ・ザ・マンスを受賞した。日本人野手の複数回受賞は史上初の快挙である。打者として23試合出場でリーグトップタイの9本塁打を放ち、投手として3試合登板し、2勝0敗、防御率1.35。20イニングを投げて17奪三振を記録した。8月14日の対ヒューストン・アストロズ戦(エンゼルス・スタジアム)には1番・DHで出場。1回裏にルイス・ガルシアから第39号本塁打を打ち、1982年のレジー・ジャクソンに並ぶ、球団タイ記録の左打者シーズン最多本塁打を記録。同18日、敵地でのタイガース戦に「1番・投手」で出場。MLBでの自己最長となる8回を投げ、被安打6、与四死球0、奪三振8、失点1(自責1)で8勝目を挙げた。打者としても8回の第4打席で4試合ぶりの40号本塁打を打ち、レジー・ジャクソンの持つ球団左打者のシーズン最多本塁打記録を更新した。9月3日、レンジャーズ戦で9勝目を挙げた。
  9月15日にタイム誌が「世界で最も影響力のある100人」を発表し、野球界で唯一選出された。推薦人はヤンキースのレジェンドで、MLB通算696本塁打を放ったアレックス・ロドリゲス
  同24日、3試合で11四球のアメリカンリーグ新記録を50年ぶりに更新した。また、2016年のブライス・ハーパーと並ぶMLB最多記録と並んだ。同25日、4試合で13四球のMLBのタイ記録を達成し、ベーブ・ルースと並んだ。
  10月3日、シーズン最終戦に「1番DH」で先発。第1打席で11試合ぶりとなる本塁打を放ち、この1本でシーズン100打点を達成。打者として138安打・100打点・103得点、投手として130回1/3、156奪三振という、MLB初となる投打5部門での「100」を成し遂げた。
  後半戦は打撃の調子を落としたことに加えて、一発を恐れた相手チームから勝負を避けられることも多く、本塁打王にはあと一歩及ばなかった。しかし、MLBでは自身初めて投打の二刀流として怪我なくシーズンを完走し、打者としての最終成績は打率.257、46本塁打、100打点、OPS.965、26盗塁、投手としての最終成績は9勝2敗、防御率3.18、156奪三振という飛躍のシーズンとなった。
  オフの10月22日に日本版のフォーブスが選ぶ30歳未満の30人の一人に選ばれた。11月18日には同年の二刀流での活躍が評価され、アメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)に史上19人目の満票で選出された。日本出身の選手としては2001年のイチロー以来史上2度目となる。この年のエンゼルスはポストシーズン進出争いに絡めずに負け越したが、ポストシーズン進出を逃したチームからの選出は史上4人目、満票での選出は史上初となった。11月23日に自身初めてオールMLBチームのファーストチーム指名打者、そしてセカンドチーム投手に選出された。その他にもシルバースラッガー賞エドガー・マルティネス賞など数々の表彰を受けた。
2022年・・・2022年はシーズン開幕前の2月1日にソニーから「MLB The Show 22」のカバーを務めることがニューヨークタイムズスクエアで発表された。前年にMVPを受賞した選手がカバーを務めるのは5人目となった。
  4月8日には米有力雑誌「TIME」米国版(4月25日、5月2日号)でMLBで2004年に86年ぶりに世界一となったレッドソックス以来となる表紙を飾った。
  5月16日アスレチックスとのダブルヘッダー2試合目に「3番・DH」で先発出場し今季7号本塁打を放った。これが日本選手最速の出場459試合目でのメジャー通算100号となった







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