拉致問題-2015-2016-2018-2019年


2019.12.14-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp
曽我さん ことし最後の署名活動

佐渡市の曽我ひとみさんが、地元で、ことし最後となる署名活動を行いました。
曽我さんは行方不明のままの母ミヨシさんなど拉致被害者全員の一刻も早い帰国を願って協力を呼びかけました。
昭和53年8月に北朝鮮に拉致された曽我ひとみさんは、17年前帰国を果たしましたが、ともに拉致された母親のミヨシさんの消息は今もわかっていません。
曽我さんは、14日地元のフェリー乗り場で、拉致被害者の一刻も早い救出を求め、ことし最後となる署名活動を行いました。
曽我ひとみさんは署名した人たちに、「母の笑顔を見るまで救出の手はゆるめない」と書かれたパンフレットを手渡し協力を呼びかけていました。
ことしは米朝首脳会談など北朝鮮情勢にさまざまな動きがありましたが、拉致問題については進展はみられませんでした。
曽我さんはミヨシさんについて「今月28日で米寿を迎えますがこれから寒くなるので、健康が心配です。佐渡で米寿を祝ってあげたい」と母を気遣っていました。
また政府への要望として「拉致被害者も家族も高齢になっています。拉致問題の解決に向けて今まで以上に全力で取り組んでほしい」と話していました。


2019.11.18-SANSPO COM-https://www.sanspo.com/geino/news
北朝鮮、拉致被害者・松本京子さんに「手厚い医療」指示か

1977年に北朝鮮に拉致されたと日本政府が認定している鳥取県米子市の松本京子さん=失踪当時(29)=について、北朝鮮当局内で「手厚い医療を受けさせよ」との指示が出ているとの情報があることが分かった。韓国の拉致被害者でつくる拉北者家族会の崔成龍代表が17日、平壌の消息筋から入手したと明らかにした。
 崔氏は、指示は金正恩朝鮮労働党委員長が出した可能性が高いと指摘。「北の当局が日本などとの今後の交渉をにらみ健康を管理している可能性がある」と話した。
 71歳になる松本さんは平壌郊外の平安南道价川の居住施設におり、病状は重くないが持病がある。高度医療が受けられる平壌の朝鮮赤十字総合病院などで通院治療を受けているという。
崔氏は、松本さんが北朝鮮北東部、清津で長年暮らした後、平壌に移送されたと2012年に公表した人物。13年に韓国の情報機関、国家情報院はこの情報を確認した。
 松本さんについては、16年に視力低下などの症状で朝鮮赤十字総合病院に入院しているとの情報も崔氏が公表した。


2019.11.4-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・悲しみの11月から42年 東京都立川市立立川第七中

(横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の両親の滋さん(86)と早紀江さん(83)ら家族は11月になると、悲しみが深まる。14日の滋さんの誕生日を家族で祝った翌15日、めぐみさんが拉致されたからだ。拉致事件を通して長年、「命の大切さ」を学んできた東京都立川市立立川第七中学校の生徒たちからめぐみさんへの手紙が新たに寄せられた。一部を紹介する。)

中1 原田ほのかさん(12)「拉致問題知って 継続が力になる」
 私は内閣府の霞ケ関見学デーに行き、たくさんの人々が拉致問題を知ってもらおうと努力していることが分かりました。平和な毎日に感謝しなくてはならないという気持ち、少しでも早く、拉致被害者の方々を帰国させてあげたいという気持ちが強くなりました。
 横田めぐみさんの拉致を描いたアニメ「めぐみ」を見て、たくさん感じるものがありました。一番は、なぜ、こんなひどいことがおこったのに、多くの人が拉致問題を知らないのかということです。それは、ニュースで取り上げる機会が少なくなっているからだと思います。また、少しでも被害者の方々の力になるには、小さなことからだと思います。まだ知らない身近な人たちに伝え、署名活動などをすることです。ニュースで取り上げられなくても、ずっと、続けていくことが大事だと思います。
 普段の生活のありがたみや感謝についても伝えなくてはならないと思います。あたり前のように思っているかもしれませんが、とても幸せなことなのです。拉致被害者はその幸せを一瞬にして奪われてしまったのです。普通に食事できること。家族といられること。拉致被害者にとっては、あたり前ではないのです。
 私は拉致被害者の方々に伝えたいことがあります。絶対、あきらめないでください。私たちも被害者の帰国をあきらめず活動していきます。また、その思いを聞いた人がすこしでも拉致問題に関心をもってもらえればいいな、と思います。

中2 仲尚登(なおと)さん(14)「被害をVR体験 救出へ思い強く」
 つい気がゆるむような平和な日本にも、ただ過ごしているだけでは感じられない問題がある。拉致は、小さい子供から大人まで無理やり遠くへ連れだし、夢や自由をある日突然一瞬で奪い去ってしまう人権侵害だ。多くの人に知ってもらわなければならない、日本と北朝鮮で起きている現実だ。
 私は国際シンポジウムに参加した。拉致被害者のご両親らも参加され、どうすれば一日でも早く被害者を取り戻せるか話し合い、一緒に「ふるさと」を歌い、音源を北朝鮮向けラジオで生で流すなど普段できない体験をさせていただいた。
 拉致被害見学イベントで印象に残ったのは仮想現実(VR)の体験だ。横田めぐみさんがどのように拉致されたかを体験した。自分が拉致され光が見えない状況だったらと考えると、こわかった。子供たちにこんなものを見せていいのかという反対意見も多くあったそうだ。それでも、私は体験してよかった。心にささるような体験をして、このようなことがあってはならないという気持ちを持つ人が増えなければ拉致問題解決は先のばしになるかもしれない。目をそむけるのではなく、正面からぶつかっていかなくてはならない。

 自分が協力しても何も変わらないと思うのではなく、協力したい気持ちを自信を持って世の中に発信できれば、それが大きなものへと変わっていく。助けたいという気持ちを強く持ち、願って、願って、願えば、拉致被害者の夢や笑顔を取り戻せると思う。

中2 根本奏奈(かな)さん(13)「人々の未来 これ以上奪わないで」
 横田めぐみさん、はじめまして。私は13歳です。めぐみさんが拉致されてしまった年齢です。アニメ「めぐみ」を見て改めて事の大きさを感じました。正直な感想はみんなが想像しているよりつらい思いをしているだろうな、でも、これからも希望を捨てず生きてほしい、という思いでした。
 北朝鮮のみなさん。どんな理由があったにせよ、めぐみさんを連れて行ったことは許さないし、許されることではないです。13歳の少女の未来を奪ってまでしたかったことは何ですか。これ以上、いろんな人の未来を奪わないでください。たった1人と思っているかもしれないけれど、めぐみさんの両親や周りの人のように傷つく人を増やさないためにも、二度とこんなことをしないでください。
 滋さんと早紀江さんは42年間、署名活動や講演を行ってきました。めぐみさんの元気な声や笑顔をまた見られるように、その日がきっと来ると信じているからです。辛くなったら空を見上げてください。空はどこまでもつながっているから、たとえ離れていても、心はつながっているんだと思ってくれたらうれしいです。
 めぐみさんは十分すぎるくらいつらい思いをしてきたと思います。滋さんも望んだ「人並みの幸せ」は一瞬にして崩れてしまったけれど、待ち続ける人に「ただいま」と言えるよう、必ず元気な姿で帰ってきてください。そして、人並み以上の幸せを手にしてください。そんな日がくると信じて、待ち続けます。


2019.11.4-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・「なぜ救えないのか」募る思い 横田滋さん、早紀江さん

 めぐみちゃん、こんにちは日本はとても厳しい夏の暑さが過ぎ行き、秋の気配を感じます。11月15日であなたが北朝鮮に拉致されてから42年となります。冷え込みが強まり、冬が近づくこの季節は、豪雪に埋もれた厳冬の北朝鮮が心に浮かび「なぜ救えないのか」と、悔しさが募ります。拉致事件は進展への希望があるように見えながら、なかなか局面が開かず、胃がきりきりと痛む毎日です。めぐみたちすべての拉致被害者が懸命に望みをつなぎ、日々生きていることを思い、必ず全員が祖国の土を踏む日が来ることを信じて祈り続けています。

父親にくしをプレゼントした翌日に姿消す
 先月、あなたは誕生日を迎え、55歳になりましたね。明るい少女だっためぐみちゃんが今、どのような姿なのか。もはや、想像もつきません。42年前、あなたの13歳の誕生日を、お父さん、双子のきょうだいの拓也、哲也と祝ったときは、これほど壮絶な人生が待ち受けているとは、思いもよりませんでした。
 同じ年の11月14日、今度は、めぐみちゃんがお父さんの45歳の誕生日を祝い、茶色のくしをプレゼントしてくれましたね。その翌日、あなたは姿を消しました。台所で楽しく、たわいのない会話を交わした「普通の日々」が、いかに幸せだったか、身にしみます。
 「なぜ、めぐみが拉致されなければならなかったのか」「なぜ、守ってあげられなかったのか」と、ひたすら苦しみました。その答えは今も見つかりません。
 北朝鮮の無慈悲な国家犯罪により連れ去られた拉致被害者、そして家族は今、この瞬間も、苦しみの煉獄(れんごく)の奥底で、祈り、救いを待っているのです。
 拉致事件は、北朝鮮が一方的に連れ去った被害者を親きょうだいの元へ帰す、という人として当たり前のことをすれば、解決するのです。決断するのは、北朝鮮の最高指導者です。

 心をまっすぐに自らのありようを見つめ、決断すれば日本、北朝鮮、世界に平和と幸福が訪れるのです。その道筋を導き出すべく日本の政府、政治家、官僚の皆様も全身全霊をささげていただきたいと願います。
 日本は最近、災害が相次ぎました。多くの方が亡くなり、家を失い、深く傷ついています。新しい令和という時代の中で、一日も早く皆様の傷が癒やされ、希望に満ちあふれた日々が切り開かれますよう、祈ります。高い壁を乗り越え、日本がきっと前に進むと、希望を持っています。

「強いめぐみちゃんが、死ぬわけがない」
 拉致事件の解決はあと一歩、絞り出すところまできていると思います。ここですべてを出し切るか。固まってしまうのか。すべての拉致被害者を救い、祖国の土を踏ませるため、日本は正念場を迎えています。
 平成14年9月17日、日朝首脳会談が行われ、北朝鮮の最高指導者は拉致を認めて謝罪しました。その一方で、めぐみたちを「死亡」「未入境」と偽りました。

 9年に家族会を結成し、一心不乱に救出運動に取り組んできた私たちは、北朝鮮の一方的主張で肉親の安否を宣告されました。
 「死亡」を突きつけられた家族、そして「生存」を伝えられた家族にとっても、その現実は過酷すぎるものでした。「明暗が分かれた」。そう表現されたこともありますが、拉致で切り裂かれたかけがえのない人生、幸せは容易に取り戻すことはできないのです。
 「めぐみが亡くなった」と偽られたあの日、家族は一堂に会し、記者会見に臨みました。お父さんは涙で言葉が続きませんでした。
 「強いめぐみちゃんが、死ぬわけがない」。お母さんは無我夢中で力の限り叫んだことを覚えています。
 「日本の国のため犠牲になって苦しみ、亡くなったかもしれない若者たちの心の内を思ってください」
その時の自分自身の姿は報道などで後から知ったのですが、お母さんは「まだ生きていることを信じ続けて、闘ってまいります」とも申し上げました。その思いは寸分も変わりません。
 1カ月後の10月15日、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが飛行機で羽田空港に帰国を果たしました。「よく耐えて無事に帰ってきてくれた」と、感慨があふれました。
 同時に、お父さんもお母さんも、「5人に続いて、めぐみが飛行機から降りてくるのでは」という思いがぬぐえず、時を忘れて、飛行機を見つめていました。あの日から、17年が過ぎました。長い時がたち、拉致を知らない子供たちも、少なくないようです。

残された時間はわずか
 拉致被害者、そして家族にとって、拉致事件は毎日が節目で闘いです。私たちが突きつけられてきた過酷な現実の一瞬一瞬が心に突き刺さり、いまだ被害者が帰らない重い現実とともに、のしかかるのです。
 国民の力強い後押しによって、事は大きく進みました。ただ、完全な解決はまだ見えません。被害者と再会を果たせず、無念を募らせながら多くの家族が天に召されていきました。懐かしく、大切な方々が旅立たれ、ただただ悲しい思いでいっぱいになります。
 お父さんは11月14日で87歳になります。お母さんも83歳。被害者の親世代だけでなく、きょうだい、子の世代も年を重ねました。小さな双子の男の子だった拓也と哲也も、51歳です。被害者も老い、病に苦しんでいるはずです。残された時間は、もう、わずかです。
 病院で懸命にリハビリに励むお父さんも、めぐみと同じように、果敢に闘っています。目に宿る力は衰えず、励ましに「頑張る」と応じる力の源は、あなたと元気な姿で再会するという希望にほかなりません。
 もうすぐ、冬を迎えますね。北朝鮮の厳しい寒さの中に幾とせも、めぐみたちをさらしてしまいました。冬が近づくたび、暗鬱(あんうつ)とした気持ちは募り、必ず、一刻も早く助けたい、という切望を新たにします。
 めぐみちゃん、お父さんも、お母さんも、力を振り絞ってがんばるから、あと少し、待っていてね。日本すべてが


2019.9.16-首相官邸HP-https://www.kantei.go.jp/jp
「全拉致被害者の即時一括帰国を実現せよ!国民大集会」等

令和元年9月16日、安倍総理は、都内で拉致被害者御家族との面会を行い、「全拉致被害者の即時一括帰国を実現せよ!国民大集会」に出席しました。
 総理は、拉致被害者御家族との面会の挨拶で次のように述べました。

「本日は、わざわざこうしてお集まりいただいたこと、御礼を申し上げたいと思います。
 明日で小泉総理が訪朝し、金正日(キム・ジョンイル)委員長と会談を行い、金正日委員長自身が拉致を認めて謝罪してから17年を迎えることとなるわけでございます。残念ながら、あれから17年、その後帰還を果たした方々以外の方々の1名の帰還も成し得ていないことは、日本政府として痛恨の極みでございます。
 そんな中、先般、フランスのビアリッツで行われましたサミットにおきましては、サミット全ての参加国において現在進めている米朝プロセスを支援し、朝鮮半島を非核化していくことで一致したところでございますが、何よりも大切な拉致問題について、私から改めて、この拉致問題の重要性、深刻さについて、また経緯についても説明させていただいたところでございますが、日本の姿勢に対して、全ての参加国から理解と支持を得たところでございます。特にトランプ大統領からは、日本と協力して、この問題全力で解決をしていこうという発言もあったわけでございます。今後も、日米で、そして国際社会と力を合わせてこの問題の解決のために全力を尽くしていきたいと、こう決意をしているところでございます。
 そして何よりもこの拉致問題を解決していく上においては、日本が主体的に取り組んでいく必要があるわけでございます。この問題を解決する上においては、私自身条件を付けずに、金正恩(キム・ジョンウン)委員長と向き合っていく。そして、冷静な分析の上に、あらゆるチャンスを逃さないとの姿勢で、この問題の早期解決に取り組んでいく決意でございます。
 17年前、金正日、当時の委員長が、この拉致問題について北朝鮮が行ったことを正式に認めたのでございますが、あれからの17年間の歳月と同時に、この拉致問題を金正日委員長が認める前の年月は、社会にとって、日本社会がまだまだ半信半疑であった時代もあったわけでございますし、政府自体もこの問題について、実際に北朝鮮が拉致を実行したかどうかということについて、皆様と認識を一にしていなかった時代もあり、正に皆様方はそういう中で、本当に肉親を取り戻すために大変な御苦労を重ねられてこられたんだろうと、こう思う次第でございます。しかしその後、北朝鮮自身が自分たちが実行したということを認めた後も、今日まで残念ながらこの問題が解決していない。
 オールジャパンで、安倍内閣一体となってこの問題を解決しなければいけない。改めて、今日その決意を新たにしているところでございます。皆様方も、あれから年を重ねられたわけでありまして、この問題解決に向けて、もう一刻の猶予もないわけでございますので、今日皆様方から色々とお話を伺いながら、皆様と共にこの問題、取り組んでいきたい。皆様方が、お嬢様を、そして息子さんを、肉親を、皆さんの手で抱き締める日がやってくるまで、私たちの使命は終わらないとの決意で臨んでまいる次第でございます。
 今日は、またこの後、皆様からそれぞれお話を伺いたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。」

 また、総理は、国民大集会の挨拶で次のように述べました。
「国民大集会の開催に当たり、総理大臣として一言、御挨拶を申し上げます。
 2002年9月17日に、平壌(ピョンヤン)で日朝首脳会談が行われ、当時の金正日国防委員長が公式に拉致を認めてから、明日で17年目となるわけでございます。当時私も、小泉総理と共に訪朝したわけでございまして、先方から5名が生存、そして8名が死亡、そう言い渡されたわけでございますが、あの時のことの衝撃は、今も胸に刻まれているわけでございます。しかしその後、彼らが出してきた資料は真実ではないということが明らかになり、我々はそれ以来、全員の奪還を目指して、今日に至っているわけでございます。
 拉致被害者御家族の皆様はもちろん、御本人も年を重ねてこられました。一刻の猶予も許されない。その思いを強くしているところでございます。いまだに残念ながら5人の皆様の御家族の帰国後は、一人の拉致被害者の奪還も成し得ていない。痛恨の極みでございます。
 こうした中で、本年5月末には、拉致被害者の御家族の皆様に、来日されたトランプ大統領と再び面会していただきました。拉致被害者の皆様との面会は2回目となるわけでございますが、今回も時間をとって一人一人の皆様から事情を聞いていただきました。その際、早紀江さんにもお話も頂きましたし、あるいは有本さんからもお話を頂いたんですが、有本さんのお話、大変情熱を込めて話をされましたので、ちょっと長めになったんですかね。事務局の方が、有本さんそろそろ、とこう促されたんですが、トランプ大統領は、今、正に有本さんにとって大変大切なことを話しているんですから、有本さんにはどうか最後まで話させてくださいと、トランプ大統領が促されまして、有本さんはその後、私の全部ここで話はできないので、私の思いは手紙に書いてそれをホワイトハウスのスタッフの方に渡したので、是非後で読んでもらいたいと、こう有本さんがおっしゃいました。それに対しまして、トランプ大統領は、誰に渡したんだい、スタッフに渡したって永久に私の手には来ないよ、と、誰か受け取った人は手を上げてくれ、と言ったら、ホワイトハウスの人がその手紙を、こう高く手に掲げました。トランプ大統領は、じゃあその手紙、俺のところへ持って来い、と言ってその手紙を受け取って、それをボルトン補佐官に渡しました。私のデスクの一番上に置いておいてもらいたい、必ず読むからね、とこう彼は言ってくれました。その後、その手紙を読んだ後の返信の手紙が、有本さんのところに来ました。そこには、有本さんに対して、私と安倍さんは必ず勝利する、ということを自筆で書いていただいたわけでございまして、正に日本とアメリカ、この問題を解決していく上において、完全に立場を同じくしているわけでございます。
 しかしもちろん、この問題を解決していく上においては、大統領とともに国際社会の理解が必要であります。先般のビアリッツ・サミットにおきましても、G7のメンバー、少し入れ替わりがございましたので、改めて拉致問題の重要性についてお話をさせていただきました。北朝鮮との問題は、もちろん核の問題、ミサイルの問題は大切ですし、朝鮮半島を非核化していくという米朝プロセスを支援していく。そのためには、一致をしなければいけないということでは、正に参加国全員が賛成したのでございますが、同時に東アジアの情勢の平和と安定を確保する上においては、拉致問題を解決しなければいけない。拉致問題を解決しなければ、日朝の国交正常化はないわけでありますから、日朝国交が正常化しない限り、この朝鮮半島の、あるいは北東アジアの平和と安定にはつながらないというお話、説明もさせていただきました。拉致問題を解決していくということについて、日本の立場に対する支持を、全ての参加国から、支持と理解を得たところでございます。
 しかしもちろん、この問題を解決していく上においては、日本が主体的にこの問題に取り組んでいかなければなりません。私自身、条件を付けずに金正恩委員長と直接向き合っていく。冷静な分析の上に、あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動していく考えでございます。
 北朝鮮には、勤勉な労働力とそして豊富な資源があります。しかし、それをいかしていく上においては、北朝鮮に大きな決断をしてもらう必要があるわけであります。それによって初めて北朝鮮には明るい未来が開かれてくるのであります。相互不信の殻を破り、そして何より重要な拉致問題を解決し、不幸な過去を清算して、北朝鮮との国交正常化を目指していく決意に変わりはありません。拉致問題は、安倍政権の最重要課題であります。本日、この集会に先立ち、拉致被害者の御家族の皆様と懇談する機会をいただきました。改めて皆様の痛切な思いをお伺いさせていただきました。御家族の皆様が、この日本の地で御家族を抱きしめる日がやってくるまで私の使命は終わらないとの決意で、この問題に取り組んでまいります。
 拉致問題の解決のためには、正に日本国民が一致団結して、全ての拉致被害者の一日も早い帰国への実現に強い意志を示していくことが大切であろうと思います。17年前の明日9月17日、あの17年前5名の方々が帰国することができたのも、それに向けて国民の皆様が声を大きくして、一つにして、被害者を日本に返せ、こう声を上げていただいた結果だろうと、こう思っています。その声こそが国際社会を動かし、そして北朝鮮を動かしていくことにつながっていきます。私もまた、皆様と心を一つにしながら、過去の経験をいかし、拉致問題解決に向けて全力を尽くしていくことをお誓い申し上げまして、本日の御挨拶とさせていただきたいと思います。皆様一緒に頑張っていきましょう。よろしくお願いします。ありがとうございました。」


2019.7.13-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】 ・・・笑顔で「ただいま」言える日を 高木柚実凪さん 15歳

(横田めぐみさんら、すべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」。若者らは学校の授業などを通して非道な現実を知り、拉致問題解決の道筋に思いをめぐらせる。寄せられた手紙の一部を新たに紹介する。)

「ただいま」という声を何度夢見ただろう。「おかえり」を言える日を何度望んだだろう。当たり前だった日々のありがたみにめぐみさんが姿を消してから気付きました。大切なものは失ってから気付くものでした。めぐみさんの笑顔。めぐみさんの明るさはなくてはならない大切な存在だったと。一番めぐみさんを必要としているのは早紀江さんと滋さんです。
 お二人は四十二年間ずっと帰国だけを願って署名活動や講演会を行ってきました。出版された本もあります。必ず帰って来る。そう信じて毎日を過ごされています。家族の方に愛されて幸せそうな顔でうつるたくさんの写真。笑顔でいっぱいだったはずなのに北朝鮮から送られたのは悲しいまなざしのめぐみさんでした。この写真を見て私は涙が止まりませんでした。早紀江さんは今も直視できないそうです。
 一刻でも早くめぐみさんに笑顔を取り戻してもらいたい。その一心で活動を続けています。どうか元気でいてください。あと少し待っていて下さい。必ず助けます。どうしてもつらくなったら空を見上げて下さい。どんなに離れていても空は一つです。空の下で一つにつながっています。めぐみさん。皆が信じています。めぐみさんの「ただいま」を。笑顔で「おかえり」を言える日を。だからどうか生きていて下さい。元気に笑顔でいられるように。

 (たかぎ・ゆみなさん 中学3年)
四十二年前で止まったままでいる時間。私が味わったことのない悲しさ寂しさが流れた時間。その時間以上の幸せ、早紀江さんと滋さんがめぐみさんを待っています。願っています。
 当たり前の日々と何もないという幸せを。大丈夫。もう二度とめぐみさんを手放さないように、寂しさを忘れるくらいの温かい家族がめぐみさんを待っています。もう少し待っていてください。


2019.7.13-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・めぐみさん帰国へ全力尽くす 鈴木海翔さん 14歳

(横田めぐみさんら、すべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」。若者らは学校の授業などを通して非道な現実を知り、拉致問題解決の道筋に思いをめぐらせる。寄せられた手紙の一部を新たに紹介する。)

横田めぐみさん元気でしょうか。
 自分が初めて拉致事件を知ったのは去年、中学1年生の時でした。横田めぐみさんは、42年前の11月15日、同じ中学1年生の時に拉致されて、今の自分には考えられません。まだ夢や希望があったのがこの一日ですべてうばわれてしまいました。今の自分だったら、死にたいと思うくらいの絶望だと思います。
 でも、横田めぐみさんは、日本に帰国できることを信じて、北朝鮮で苦しみながらも、人一倍努力していると思います。

(すずき・かいとさん 中学2年)
 僕は横田めぐみさんのおかげで気付けた事がいっぱいあります。
 家に帰って「ただいま」と言えることのありがたさを僕に教えてくださいました。
 家に帰って家族がいること、家族と一緒に笑い合えることのありがたさを教えてくださいました。
 僕は横田めぐみさんの悲しい事、苦しい事は分かりません。だから役立つ事は少ないかもしれませんが、その少しの役立ちを全力で取り組んでいきたいです。
 僕達、日本人は横田めぐみさんが一瞬でも早く日本に帰国出来ることを心から祈っています。愛する家族に「ただいま」と言える日が来るのを待っています。


2019.7.3-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・空を見上げたら心がつながる 山門梨沙子さん 14歳

(横田めぐみさんら、すべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」。若者らは学校の授業などを通して非道な現実を知り、拉致問題解決の道筋に思いをめぐらせる。寄せられた手紙の一部を新たに紹介する。)

 めぐみさん、こんにちは。はじめまして。私は中学3年生で今卓球部に所属しています。私がめぐみさんだったら、もう拉致されてしまっている年齢です。もし、自分が拉致されていたら…と考えると、想像がつかないような恐怖、辛(つら)さ、苦しみがあるのだと思います。さらに家族に会えない、友達と楽しくおしゃべりができないなどさみしさに胸が引きさかれるような思いがあるでしょう。そんな中で乗り越えて前を向き続けられているめぐみさんは本当にすごいと思います。
 生きている意味って何だろう、私はなぜいかされているのだろう。そう思うことがあると思います。そんなときに思いだしてみてください。母の早紀江さん、父の滋さんの笑っている姿を。滋さんは病気を持ち、入院している状況です。苦しいリハビリや生活が続いても、めぐみさんと再会できる日を待ち望み、一生懸命生きていらっしゃいます。そんな素敵なご両親のためにも毎日、精一杯生きてください。
 日本国民はめぐみさんのご両親をはじめ、たくさんの人がめぐみさんの帰国を待ち、祈念しています。
 
(やまかど・りさこさん 中学3年)
北朝鮮と日本には島をはさんで国境があります。でも、同じ空の下で生きていることは同じです。空はどこまでもつながっています。同じように心もつながっています。だから、空を見上げてみてください。日本でも誰かがきっと空を見上げ、通じ合っているのです。
 いつか必ず私たちの思いがつながり、北朝鮮と日本に虹がかかる日がきます。それまで必死に、大切な人のために生き続けてください。
 一刻も早いめぐみさんの帰国を心より信じ、待ち続けています。


2019.7.13-産経新聞-
めぐみさんへの手紙】・・・拉致解決 カギは子供たち 立川市立立川第七中教諭・佐藤佐知典さん 59歳

(若い世代に拉致問題の残酷さを伝え続ける中学教師がいる。東京都立川市立立川第七中学校の佐藤佐知典(さちのり)さん(59)。これまで同校に拉致被害者、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=の両親らをたびたび招き、家族の絆を教えてきた。佐藤さんの授業に密着すると、問題解決の道筋や命の意味を真剣に話し合う生徒らの姿があった。生徒らが思いをつづった手紙も紹介する。)

救出の悲願 授業で訴え続け
 「帰国した横田めぐみさんと一緒に、(両親の)滋さんと早紀江さんが笑顔で生徒に会いに来てくれる」。佐藤さんは悲願を語る。拉致被害者全員の救出を心に誓い長年、教育現場で啓発に取り組んできた。来年、定年を迎える。
 昭和52年11月15日、新潟市でめぐみさんが拉致された際、自宅は横田家のすぐそばにあった。父と滋さん(86)は日本銀行の同僚で、妹はめぐみさんの同級生。当時、拉致など思いもよらなかったが、20年後の平成9年、めぐみさんが北朝鮮に連れ去られていたことが明らかになった。

同年、拉致被害者の家族会が結成され、支援者も加わって救出運動が本格化すると、教師になっていた佐藤さんも仕事の合間をぬって、全国各地の署名活動に参加した。「地獄の日々を送っためぐみさんと、家族の苦しみに気づけなかった」ことが無念でならなかった。解決のために何ができるのか、自問を続けた。
 11年に赴任した立川七中で初めて授業で拉致問題を取り上げた。これまでに計4回、滋さん、早紀江さん(83)夫妻を招き、全校生徒を集めて講演会を開いた。生徒らには解決のためできることを議論させ、思いをまとめた作文を新聞などに送る課題にも取り組ませてきた。
 佐藤さんは最近、若い世代に問題を語り継ぐ重要性を強く感じている。膠着(こうちゃく)する情勢への憤りとともに、「助けを待つ被害者が忘れ去られる」という焦燥感にもかられる。そういう時は、「拉致解決のカギは若い世代への啓発」という初心に立ち返るのだという。「子供たちが拉致問題を知れば親、兄弟、友人、そして社会に広がる。必ず世論にも繋(つな)がるはずです」

 生徒が中学生の間にめぐみさんの両親の声を聞けるよう、3年に1度のペースで開かれてきた講演会は、両親の高齢化で参加が難しくなったが、一昨年には帰国した被害者の蓮池(はすいけ)薫さん(61)が講演を行い、授業にも参加した。
 拉致という過酷な体験に聞き入る生徒らを見つめ、佐藤さんは蓮池さんら被害者5人が帰国した14年当時のわが国を思いだしたという。「蓮池さんらが帰国するまで、拉致への関心は薄く、疑う声さえあった。北朝鮮が拉致を認める数カ月前の署名活動の帰り道、日韓が共催したサッカーワールドカップに沸く世間を横目に、悔しくて、悲しくて、『命の意味』を何度も自分に問いかけた」
 早紀江さんは初めて講演した際、生徒に「めぐみを必ず連れてくるね」と約束した。佐藤さんは「親子の尊い愛に、私も、生徒も育てられた。諦めることは絶対ない」と言い切った。

早紀江さん「力強い思いに励まされ」
 立川第七中学の皆さん、お元気ですか。夫の滋は療養中で私も体調が優れず、学校にうかがうことは難しいですが、被害者全員の帰国を願う力強い思いに、いつも励まされています。
 めぐみは中学1年、13歳の時に拉致されました。皆さんと同じ年頃の女の子が自由を奪われ、普通の生活を送ることさえ許されず、暗闇に閉ざされたまま42年が経過してしまいました。
 私たち被害者の親は、拉致されたすべての子供たちに日本の土を踏ませてあげることだけが願いです。拉致解決は日本、北朝鮮、そして世界を幸せにすることに繋がるはずです。
 若い皆さまが人ごとではなく、誰の身にも起こりえた拉致の現実を知り、解決を考え、後押ししてくださることは、とても大きな力になります。たくさん学び、明るい毎日を過ごし、立派に成長されることをお祈りしています。
真剣討論「人生考えるきっかけに」
 「SNSで発信したり、有名人に訴えてもらったりするのはどうか」「北朝鮮のことを学び、互いに知り合う必要もある」-。討論が始まると生徒は真剣な表情で思いをぶつけあった。
 6月の昼下がり。立川七中の体育館に約150人の3年生全員が集まり、拉致問題をテーマに討論する授業を行った。グループに分かれた生徒らは中学生にできるアイデアを提案しあった。「教科書やポスターで私たちが同世代に伝える」「国際問題として世界中に広める努力が足りない」。さまざまな意見が出て、生徒らが熱心にメモ書きをしていた。
 同校は人権問題の重要課題として拉致を取り上げてきた。大神田(おおかんだ)佳明校長は「さまざまな人権問題や命の大切さを深く学ぶきっかけになれば」と期待する。
 生徒らは、政府作成の資料や横田めぐみさんの拉致事件を描いたアニメ「めぐみ」で拉致問題を学んだ上で、めぐみさんの両親の滋さんと早紀江さんらの講演を聞き、作文や討論を実施。拉致解決の重要性から、家族や仲間の大切さにも考えを広げてきた。
 土橋快成(つちはし・かいせい)君(14)は「人生の意味を考えるきっかけになった。被害者帰国へ、考えたことを少しでも行動に移していきたい」と語った。


【めぐみさんへの手紙】

2019.5.5-産経新聞-
【めぐみへの手紙】・・・平成に拉致が白日 令和で解決に歩み

めぐみちゃん、こんにちは。元気でしょうか。日本は、暖かな春の陽気が広がり、あなたの大好きな花々もきれいに咲き誇っていますよ。めぐみが小学5年生の時、バザーで買った小さなゴムの木は、4鉢に増えて大きい葉を茂らせ、あなたの帰国を待っています。
 日本は、大きな時代の節目を迎えました。天皇陛下が譲位され、1日、皇太子さまが天皇に即位されました。元号は「平成」から改元され、「令和」の時代が幕を開けました。新たな日本が力強く、希望に満ちた歴史を刻むことを祈っています。

 譲位した上皇さまと、上皇后さまは、日本全国を回り、国民に寄り添ってこられました。そして、上皇后さまは折に触れて、拉致事件の解決を願うお言葉も寄せてくださいました。
 昨年10月の誕生日にあわせ公表されたお言葉では、拉致事件について、「平成の時代の終焉(しゅうえん)と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません」との思いを示されました。今年2月には、高齢化する私たち家族を気遣いつつ「希望を持ちましょう。何もできませんが解決を願っています」と、お言葉を寄せていただきました。

今、お父さんもお母さんも病を抱え、年を取り、思うように体が動かなくなりましたが、決してあきらめません。いつも「希望」を持ち、祈り、すべての被害者救出を信じて闘います。
 国際情勢はますます難しく、拉致事件の行く末は混沌(こんとん)とし、私たち家族は何も分からず、戸惑うばかりです。めぐみが拉致されてから42年になります。どうすればすべての被害者を救えるのか、焦りが募ります。
 平成の時代には、北朝鮮による拉致が白日の下にさらされ、めぐみがそちらで共同生活をしていた蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが日本へ帰国を果たしました。これは、大きな歩みだったのではないでしょうか。
 新たな時代を迎える中でさらに歩みを進め、拉致事件をすっかり解決して、明るく、希望に満ちた日本を次世代に引き継ぎたい。政府、政治家の皆さまは全力を尽くして、すべての被害者に祖国の土を踏ませていただきたいと切望します。
 めぐみちゃんは昭和52年11月15日、13歳のとき新潟市で連れ去られました。生死も分からず、お母さんは毎日、泣き叫び、海岸や街中をさまよい歩きました。 「何も分からない」のは言語に絶する苦しみです。理由もなく、肉親が煙のように消える。多くの家族が、地獄のような日々に長年、苦しんできました。拉致被害者もまた、恐怖のどん底で、長い時間を耐えてきました。これほど非道な仕打ちがあるでしょうか。
 めぐみちゃんが拉致されて北朝鮮にいると分かったのは平成9年1月でした。本当に不思議なきっかけで情報がもたらされ、驚きとともに、「必ず助ける」と心に誓ったものの、どうすれば救えるのか、まったく見当もつきませんでした。
 手を差し伸べてくださったのは、拉致事件解決を目指す各地の有志の方々でした。間もなく、新潟市で大通りに立ち、初めて救出を訴えることになりました。
 ≪父 横田滋≫≪母 横田早紀江≫

( こう記されたタスキが準備されていて驚きました。「これをつけて街中に立つのかな」「選挙のようだけれど…」。最初は戸惑いましたが、とにかくやるしかないと、このタスキをかけ、各地の署名活動や集会の場に立ちました。それまで、人前で話すことなんてなかったけれど、一生懸命に声をあげました。)

9年3月には全国の被害者の家族が集まり家族会が結成され、一致団結して救出運動を始めました。同じ境遇の家族が手を取り合い、前に進みました。
 当時、北朝鮮は謎に包まれた縁遠い国でした。そんな国が、国家犯罪として日本の若者たちを次々と拉致するなど、想像を絶する出来事です。一人でも多くの国民に事実を伝え、政府に動いてもらうしかありませんでしたが、事態がどれだけ前へ進んだか、実感はなく、手探りの連続でした。

 それでも少しずつ、着実に理解は広がり、何もなかった20年間から一転、日々がめまぐるしく動き出しました。デモ行進や座り込みをして、拉致解決を訴えたこともあります。 そして14年9月、北朝鮮は拉致を認めて謝罪しました。でも、めぐみたちは「死亡」「未入境」などと、偽られたままです。拉致事件のありようを、長い間、政府は、どう思ってきたのでしょうか。
 お父さんは昨年4月に入院して1年が過ぎました。みるみる元気を取り戻し、最近、一緒に桜の花を見に行ったときも、目を輝かせながら、ほほえんでいました。ベッドの傍らに飾っためぐみちゃんの写真に元気をもらい、毎日、リハビリに励んでいます。

「めぐみちゃんが帰るまで元気でいないとね」。お母さんがこう話すと、お父さんは「うん、がんばる」と力強くうなずきます。いつも励まし合い、あなたの帰りを待っています。
 拉致事件が起きてから、時代は昭和から平成、そして令和を迎えました。残る被害者と、私たち家族の闘いは、まだ続いています。
 お父さんとお母さんは集会などに参加することは難しくなりましたが、双子の弟の拓也と哲也は国内外を駆け回っています。めぐみのことを、一瞬たりとも忘れたことはありません。
 たくさんの国民が被害者全員の即時帰国を求め声をあげています。お父さんが撮影しためぐみの写真展を開いてくださるマンションの皆さま。地道に署名を集める支援者の方たち。寄居中学校のめぐみの級友も救出運動に力を注いでいます。
 めぐみちゃんたちが耐え忍んできた苦しみは、決して無駄ではありません。いつの日か必ず、日本、そして世界に大きな喜びと、実りを与えるはずです。だから絶対に、元気な姿で帰国しなければなりません。必ず帰れると信じて、もう少し、頑張っていてね-。


2019年3月31日
拉致被害者向け周波数増枠
産経新聞

ラジオ「しおかぜ」北の妨害開始
北朝鮮による拉致被害者に向けて発信する民間ラジオ「しおかぜ」で、4月から短波周波数を5波に増枠し同じ時間に2波で番組を一斉放送する
     「多チャンネル化」を新たに始めることが決まり、政府が支援策を検討していることが30日、分かった。平成17年の放送開始直後から現在まで続く
     北朝鮮当局の電波妨害を攪乱(かくらん)し、情報を確実に北朝鮮内へ届けるのが狙いだ。

政府、支援策を検討

しおかぜを運営する特定失踪者問題調査会によると、新たな放送免許の交付を受け、同じ時間帯に使用できる短波の周波数が計3波から計5波に増える。
     4月1日から、うち2波を無作為に選択し、同じ時間帯に番組の一斉放送を行う。
  しおかぜは、政府認定拉致被害者の家族や拉致の可能性が排除できない特定失踪者の家族のメッセージ、朝鮮半島情勢を伝えるニュースなどを日本語、
     朝鮮語、英語、中国語で放送。北朝鮮は国内では厳格な情報統制を敷き、深刻な電力不足とされる状況でも大量の電力が必要な妨害電波の
     発射を続けてきた。
  しおかぜは妨害を避けるため、これまでも3波のうち1波を無作為に選び放送してきたが、5波から2波を選んで一斉放送すれば、妨害が困難になる
     可能性がある。
  新たな取り組みの背景には、しおかぜの厳しい実情もある。北朝鮮内で中波を受信するラジオが増加しているとの情報を受け、28年に放送を開始し
     たが、資金不足で再三休止。さらに、放送委託した海外の民間ラジオ局が明確な理由を示さずに、昨年5月から放送休止の状態を続けている。
  今年も再開の見通しは立たず調査会は当面、短波の同時一斉放送に取り組む。政府もしおかぜの運営を支援し、中波でも放送実績に応じて業務委託費を
     支払う予算を計上してきた。政府関係者によると、中波の放送休止や短波の一斉放送開始を受けて、新たな支援策の検討を進めている。 
     調査会の村尾建兒(たつる)副代表は「金正恩(キム・ジョンウン)政権は対話姿勢をアピールしながら情報流入を極度に恐れている。拉致被害者に
     直接届く可能性があるラジオ放送を通して北朝鮮に解決を迫る圧力をかけられれば」と話す。


【めぐみさんへの手紙】
2019.11.4-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news
【めぐみさんへの手紙】「なぜ救えないのか」募る思い 横田滋さん、早紀江さん

めぐみちゃん、こんにちは。日本はとても厳しい夏の暑さが過ぎ行き、秋の気配を感じます。11月15日であなたが北朝鮮に拉致されてから42年となります。冷え込みが強まり、冬が近づくこの季節は、豪雪に埋もれた厳冬の北朝鮮が心に浮かび「なぜ救えないのか」と、悔しさが募ります。拉致事件は進展への希望があるように見えながら、なかなか局面が開かず、胃がきりきりと痛む毎日です。めぐみたちすべての拉致被害者が懸命に望みをつなぎ、日々生きていることを思い、必ず全員が祖国の土を踏む日が来ることを信じて祈り続けています。
父親にくしをプレゼントした翌日に姿消す
 先月、あなたは誕生日を迎え、55歳になりましたね。明るい少女だっためぐみちゃんが今、どのような姿なのか。もはや、想像もつきません。42年前、あなたの13歳の誕生日を、お父さん、双子のきょうだいの拓也、哲也と祝ったときは、これほど壮絶な人生が待ち受けているとは、思いもよりませんでした。
 同じ年の11月14日、今度は、めぐみちゃんがお父さんの45歳の誕生日を祝い、茶色のくしをプレゼントしてくれましたね。その翌日、あなたは姿を消しました。台所で楽しく、たわいのない会話を交わした「普通の日々」が、いかに幸せだったか、身にしみます。

「なぜ、めぐみが拉致されなければならなかったのか」「なぜ、守ってあげられなかったのか」と、ひたすら苦しみました。その答えは今も見つかりません。
 北朝鮮の無慈悲な国家犯罪により連れ去られた拉致被害者、そして家族は今、この瞬間も、苦しみの煉獄(れんごく)の奥底で、祈り、救いを待っているのです。
 拉致事件は、北朝鮮が一方的に連れ去った被害者を親きょうだいの元へ帰す、という人として当たり前のことをすれば、解決するのです。決断するのは、北朝鮮の最高指導者です。
心をまっすぐに自らのありようを見つめ、決断すれば日本、北朝鮮、世界に平和と幸福が訪れるのです。その道筋を導き出すべく日本の政府、政治家、官僚の皆様も全身全霊をささげていただきたいと願います。
日本は最近、災害が相次ぎました。多くの方が亡くなり、家を失い、深く傷ついています。新しい令和という時代の中で、一日も早く皆様の傷が癒やされ、希望に満ちあふれた日々が切り開かれますよう、祈ります。高い壁を乗り越え、日本がきっと前に進むと、希望を持っています。
「強いめぐみちゃんが、死ぬわけがない」
 拉致事件の解決はあと一歩、絞り出すところまできていると思います。ここですべてを出し切るか。固まってしまうのか。すべての拉致被害者を救い、祖国の土を踏ませるため、日本は正念場を迎えています。
 平成14年9月17日、日朝首脳会談が行われ、北朝鮮の最高指導者は拉致を認めて謝罪しました。その一方で、めぐみたちを「死亡」「未入境」と偽りました。

9年に家族会を結成し、一心不乱に救出運動に取り組んできた私たちは、北朝鮮の一方的主張で肉親の安否を宣告されました。
 「死亡」を突きつけられた家族、そして「生存」を伝えられた家族にとっても、その現実は過酷すぎるものでした。「明暗が分かれた」。そう表現されたこともありますが、拉致で切り裂かれたかけがえのない人生、幸せは容易に取り戻すことはできないのです。
 「めぐみが亡くなった」と偽られたあの日、家族は一堂に会し、記者会見に臨みました。お父さんは涙で言葉が続きませんでした。
 「強いめぐみちゃんが、死ぬわけがない」。お母さんは無我夢中で力の限り叫んだことを覚えています。
 「日本の国のため犠牲になって苦しみ、亡くなったかもしれない若者たちの心の内を思ってください」

 その時の自分自身の姿は報道などで後から知ったのですが、お母さんは「まだ生きていることを信じ続けて、闘ってまいります」とも申し上げました。その思いは寸分も変わりません。
 1カ月後の10月15日、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが飛行機で羽田空港に帰国を果たしました。「よく耐えて無事に帰ってきてくれた」と、感慨があふれました。
 同時に、お父さんもお母さんも、「5人に続いて、めぐみが飛行機から降りてくるのでは」という思いがぬぐえず、時を忘れて、飛行機を見つめていました。あの日から、17年が過ぎました。長い時がたち、拉致を知らない子供たちも、少なくないようです。
残された時間はわずか
拉致被害者、そして家族にとって、拉致事件は毎日が節目で闘いです。私たちが突きつけられてきた過酷な現実の一瞬一瞬が心に突き刺さり、いまだ被害者が帰らない重い現実とともに、のしかかるのです。
 国民の力強い後押しによって、事は大きく進みました。ただ、完全な解決はまだ見えません。被害者と再会を果たせず、無念を募らせながら多くの家族が天に召されていきました。懐かしく、大切な方々が旅立たれ、ただただ悲しい思いでいっぱいになります。
 お父さんは11月14日で87歳になります。お母さんも83歳。被害者の親世代だけでなく、きょうだい、子の世代も年を重ねました。小さな双子の男の子だった拓也と哲也も、51歳です。被害者も老い、病に苦しんでいるはずです。残された時間は、もう、わずかです。
 病院で懸命にリハビリに励むお父さんも、めぐみと同じように、果敢に闘っています。目に宿る力は衰えず、励ましに「頑張る」と応じる力の源は、あなたと元気な姿で再会するという希望にほかなりません。
 もうすぐ、冬を迎えますね。北朝鮮の厳しい寒さの中に幾とせも、めぐみたちをさらしてしまいました。冬が近づくたび、暗鬱(あんうつ)とした気持ちは募り、必ず、一刻も早く助けたい、という切望を新たにします。
 めぐみちゃん、お父さんも、お母さんも、力を振り絞ってがんばるから、あと少し、待っていてね。日本すべてが、あなたたちの帰国を待ちわびています。


2019.7.28-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news
【めぐみへの手紙】被害者全員に祖国の土を踏ませる政治の力を信じ、待っています

  めぐみちゃん、こんにちは。日本は夏の季節を迎えました。深さを増す緑、美しく咲く花々に四季がめぐる早さを実感し、長い年月、すべての拉致被害者を帰国させられない現実に、言いようのない、むなしさが募ります。新しい令和の早い時期に、拉致事件がすっかり解決されることを祈るばかりです。
  世界はめまぐるしく動き、トランプ大統領が米国の指導者として初めて北朝鮮に入り、金正恩(キム・ジョンウン)氏と再び相まみえました。「拉致被害者はいつ帰国できますか?」。道を歩けば、多くの方々に問いかけをいただきます。でも、私たち家族は、複雑な国際情勢や外交交渉の核心は、本当に、知る由もありません。励ましに感謝しつつ、戸惑い、言葉に窮してしまうのです。

突然姿を消した肉親を40年以上追い、北朝鮮にいることも分かっているのに、どうすれば救えるのか答えがつかめない。苦しみの根本がここにあります。
 私たち家族は、どこにでもいる普通の日本人です。最後に被害者を救うのは日本の政府、政治の力をおいて、ほかにありません。
 国会を見ていると、日本にとって大切な外交、国際関係の課題は、あまり取り上げられていないように感じます。拉致事件も議題に上がることは少なく、嘆かわしい思いにかられます。

折しも、国の代表を決める選挙が行われました。「国家と国民のために働きます」。選挙のたびに手を上げ、頭を下げた多くの人たちと、この残酷な42年間が過ぎ行く有様を、どう考えればいいのでしょうか。
 未来を見据え、子供たちに希望に満ちた日本を引き継ぐため、真剣な議論が行われることを願ってやみません。国民の皆様もそのありようを見極め声をあげていただければと思います。
 昭和52年11月15日にめぐみが拉致された後の20年間はどこにいるのか、まったく分かりませんでした。
平成9年、真相を調べていた方々の尽力で初めて、めぐみが北朝鮮にいると分かりました。「やっと、めぐみと会える」。あの時の希望は忘れられません。でも、その後の日々は、何も見えなかった20年間と同じか、それ以上に苦しい道のりとなってしまいました。
 同じように肉親が拉致された方々が集まり、家族会を結成し、必死に訴えましたが、最初は取り合ってもらえませんでした。拉致は「疑惑」「嘘」と断じられることさえあったのです。

実は、拉致事件は政治の中で早い時期に取り上げられていたことも、後から知りました。全国で相次いだ奇妙な失踪について、政府は昭和63年、国会で「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁しています。
 しかし、足踏みするかのように問題は前に進まず、私たちの声も届いていないような雰囲気は一体、何なのでしょうか?
 北朝鮮という国は、静かに、不気味に閉ざされていました。日本の政治に対しても、怒りや、悔しさを感じることは、たびたびありました。拉致問題の進展を遠ざけるような動きに対して、デモ行進や、座り込みまでしたこともあります。

それだけに平成14年、日本と北朝鮮の指導者が首脳会談を開くと初めて聞いたときは、重い扉が音をたてて開くように感じました。
 この年の9月に会談が開かれる直前、お父さんもお母さんも、政治にかつてない、前向きな力を感じていました。しかし北朝鮮は、めぐみが「死亡した」と主張しました。捏造(ねつぞう)した「死亡診断書」や偽の「遺骨」まで提出し、私たちは絶望のふちで、さらにもがき苦しみ、闘い続けました。
 その一方で、北朝鮮は拉致を認め謝罪し、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんたち5人の被害者が帰国を果たしました。
私たちが感じた政治の前向きな力を、今一度、見せていただきたい。あらん限りの知恵と志を注ぎ込み、再び、重い扉をこじ開け、5人に続くすべての被害者に祖国の土を踏ませていただきたいのです。]
 めぐみちゃん。お父さんは今日も、一生懸命、リハビリに励みながら、あなたの帰国を待っています。ベッドのそばに並べたあなたの写真が、力の源です。
 お父さんもお母さんも年老いて病を抱え、救出運動の前線には立てなくなってしまいました。懸命に闘う家族や支援者の方達を思いもどかしさが募ります。

「死亡」「未入境」とされためぐみたち未帰国の被害者の足跡は、長く平和の中にあった日本に、目を背けてはならない、残酷な現実を示したのではないでしょうか。いまも続く非道な国家犯罪を、忘れないでください。北朝鮮で救いを待つ数多の人々を、決して忘れないでください。
 政治の力が真に発揮されるとき、残る被害者全員がきっと、祖国の土を踏めるはずです。私たち家族は、日本がその瞬間を迎える日が来ることを信じます。めぐみちゃんもその日まで、どうかがんばっていてね。


2019.5.5-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news
【めぐみへの手紙】平成に拉致が白日 令和で解決に歩み

めぐみちゃん、こんにちは。元気でしょうか。日本は、暖かな春の陽気が広がり、あなたの大好きな花々もきれいに咲き誇っていますよ。めぐみが小学5年生の時、バザーで買った小さなゴムの木は、4鉢に増えて大きい葉を茂らせ、あなたの帰国を待っています。
 日本は、大きな時代の節目を迎えました。天皇陛下が譲位され、1日、皇太子さまが天皇に即位されました。元号は「平成」から改元され、「令和」の時代が幕を開けました。新たな日本が力強く、希望に満ちた歴史を刻むことを祈っています。
 譲位した上皇さまと、上皇后さまは、日本全国を回り、国民に寄り添ってこられました。そして、上皇后さまは折に触れて、拉致事件の解決を願うお言葉も寄せてくださいました。
 昨年10月の誕生日にあわせ公表されたお言葉では、拉致事件について、「平成の時代の終焉(しゅうえん)と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません」との思いを示されました。今年2月には、高齢化する私たち家族を気遣いつつ「希望を持ちましょう。何もできませんが解決を願っています」と、お言葉を寄せていただきました。

今、お父さんもお母さんも病を抱え、年を取り、思うように体が動かなくなりましたが、決してあきらめません。いつも「希望」を持ち、祈り、すべての被害者救出を信じて闘います。
 国際情勢はますます難しく、拉致事件の行く末は混沌(こんとん)とし、私たち家族は何も分からず、戸惑うばかりです。めぐみが拉致されてから42年になります。どうすればすべての被害者を救えるのか、焦りが募ります。
 平成の時代には、北朝鮮による拉致が白日の下にさらされ、めぐみがそちらで共同生活をしていた蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが日本へ帰国を果たしました。これは、大きな歩みだったのではないでしょうか。

新たな時代を迎える中でさらに歩みを進め、拉致事件をすっかり解決して、明るく、希望に満ちた日本を次世代に引き継ぎたい。政府、政治家の皆さまは全力を尽くして、すべての被害者に祖国の土を踏ませていただきたいと切望します。
 めぐみちゃんは昭和52年11月15日、13歳のとき新潟市で連れ去られました。生死も分からず、お母さんは毎日、泣き叫び、海岸や街中をさまよい歩きました。 「何も分からない」のは言語に絶する苦しみです。理由もなく、肉親が煙のように消える。多くの家族が、地獄のような日々に長年、苦しんできました。拉致被害者もまた、恐怖のどん底で、長い時間を耐えてきました。これほど非道な仕打ちがあるでしょうか。

めぐみちゃんが拉致されて北朝鮮にいると分かったのは平成9年1月でした。本当に不思議なきっかけで情報がもたらされ、驚きとともに、「必ず助ける」と心に誓ったものの、どうすれば救えるのか、まったく見当もつきませんでした。
 手を差し伸べてくださったのは、拉致事件解決を目指す各地の有志の方々でした。間もなく、新潟市で大通りに立ち、初めて救出を訴えることになりました。
 ≪父 横田滋≫≪母 横田早紀江≫
 こう記されたタスキが準備されていて驚きました。「これをつけて街中に立つのかな」「選挙のようだけれど…」。最初は戸惑いましたが、とにかくやるしかないと、このタスキをかけ、各地の署名活動や集会の場に立ちました。それまで、人前で話すことなんてなかったけれど、一生懸命に声をあげました。

9年3月には全国の被害者の家族が集まり家族会が結成され、一致団結して救出運動を始めました。同じ境遇の家族が手を取り合い、前に進みました。
 当時、北朝鮮は謎に包まれた縁遠い国でした。そんな国が、国家犯罪として日本の若者たちを次々と拉致するなど、想像を絶する出来事です。一人でも多くの国民に事実を伝え、政府に動いてもらうしかありませんでしたが、事態がどれだけ前へ進んだか、実感はなく、手探りの連続でした。
それでも少しずつ、着実に理解は広がり、何もなかった20年間から一転、日々がめまぐるしく動き出しました。デモ行進や座り込みをして、拉致解決を訴えたこともあります。 そして14年9月、北朝鮮は拉致を認めて謝罪しました。でも、めぐみたちは「死亡」「未入境」などと、偽られたままです。拉致事件のありようを、長い間、政府は、どう思ってきたのでしょうか。
 お父さんは昨年4月に入院して1年が過ぎました。みるみる元気を取り戻し、最近、一緒に桜の花を見に行ったときも、目を輝かせながら、ほほえんでいました。ベッドの傍らに飾っためぐみちゃんの写真に元気をもらい、毎日、リハビリに励んでいます。

「めぐみちゃんが帰るまで元気でいないとね」。お母さんがこう話すと、お父さんは「うん、がんばる」と力強くうなずきます。いつも励まし合い、あなたの帰りを待っています。
 拉致事件が起きてから、時代は昭和から平成、そして令和を迎えました。残る被害者と、私たち家族の闘いは、まだ続いています。
 お父さんとお母さんは集会などに参加することは難しくなりましたが、双子の弟の拓也と哲也は国内外を駆け回っています。めぐみのことを、一瞬たりとも忘れたことはありません。

たくさんの国民が被害者全員の即時帰国を求め声をあげています。お父さんが撮影しためぐみの写真展を開いてくださるマンションの皆さま。地道に署名を集める支援者の方たち。寄居中学校のめぐみの級友も救出運動に力を注いでいます。
 めぐみちゃんたちが耐え忍んできた苦しみは、決して無駄ではありません。いつの日か必ず、日本、そして世界に大きな喜びと、実りを与えるはずです。だから絶対に、元気な姿で帰国しなければなりません。必ず帰れると信じて、もう少し、頑張っていてね-。


2019.3.16-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news
【めぐみへの手紙】「指導者同士の真剣な話し合いを待っています」

父   横田 滋(しげる)
母       早紀江

(北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(83)夫妻は今この瞬間も、めぐみさんたちすべての被害者の一刻も早い救出を祈り、待ち続けている。飛ぶように過ぎる日々に焦りが募る中、先月末に開催された米朝首脳会談では、トランプ米大統領がふたたび、金正恩朝鮮労働党委員長に拉致問題を提起した。横田夫妻は拉致問題解決に向け、日朝の指導者による真剣な話し合いに期待を寄せながら国民の後押しを呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは。新しい年を迎え、めまぐるしい日々を過ごすうちに、あっという間に3月です。お父さんもお母さんも、めぐみたちすべての拉致被害者を救い出すことを心に誓いながら、一刻の過ぎ行く早さに、空恐ろしくなることもあります。
 つい先日、米国のトランプ大統領と、北朝鮮の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)氏が首脳会談を行いました。会談後、安倍晋三首相はトランプ大統領から報告を受け、私たち家族とも面会して、今後の成り行きについて、お話しされました。

米朝首脳会談では、米国が北朝鮮に非核化の問題で厳しく臨み、トランプ大統領は拉致問題の解決を繰り返し投げかけたそうです。安倍首相は金正恩氏と直接向き合い、被害者の帰国を求めるという決意を、改めて私たちに伝えました。
 「水面下」といわれるものも含め、日本と北朝鮮がどのような交渉をしているのか、私たちは知る由もありません。ただ、重かった扉が音を立て動き、日本と北朝鮮の指導者が互いの平和を実現するため真剣に話し合う機会が、現実味を帯びているように感じます。

拉致は単なる「問題」ではなく、前代未聞の「大事件」です。非道極まりない国家犯罪をすっきりと解決できなければ、日本の恥です。北朝鮮も拉致被害者全員を帰して初めて、明るく豊かで、幸福な国づくりを進めることができます。
 安倍首相の決意を信じ、すべての被害者が祖国の土を踏みしめる日が来ることを、切に願います。
 拉致事件をはじめ、日本は国内外のさまざまな課題と向き合っています。後を絶たない災害も、その一つではないでしょうか。今月11日で、数多くの命が奪われた東日本大震災から8年となりました。

被災者の方々は復興へ懸命な日々を歩まれてきたはずです。お一人お一人の悲しみが癒やされ、大きな希望の光が差しますよう、祈りを捧(ささ)げます。
 あまたの困難を乗り越えて、明るく、力強い日本が次の世代に引き継がれることを願っています。
 お母さんは先月、誕生日を迎え83歳になりました。また一つ、年を重ねてしまったのかと、悲しくさえなります。
 私たち家族は、どこにでもいる普通の日本人です。めぐみちゃん、弟の拓也、哲也と一緒に楽しく暮らした41年前を振り返ると、途方もない思いにかられます。拉致事件がなければ、お父さんもお母さんも、穏やかな余生を過ごしていたことでしょう。でも、あなたが姿を消した昭和52年11月15日から、修羅のような日々を過ごしてきました。

めぐみちゃんに元気な姿で再会するため、病院で療養しているお父さんも、同じ思いを抱いているはずです。リハビリや治療が功を奏し、最近は意識もはっきりして、みるみる元気になっています。明るい笑顔を見るたび、皆さまのお力添えに感謝するばかりです。
 でも、元気になった分、拉致事件の重すぎる現実が身に迫り、考え込むことも多いようです。新聞を読み聞かせると、しきりに詳しい話を問いかけてきます。
 最近、病院の許可を得てお父さんを自宅に連れて帰ったときのことです。わが家に戻れば、もっと元気が出るかも、と思ってのことでしたが、お父さんはいつになく厳しい表情で、部屋を見渡していました。

その姿に、お母さんは気付かされました。「めぐみちゃんが拉致されてから、私たちの家はくつろぎの場ではなく、厳しい『闘い』の場所だった」-と。
 平成9年、めぐみちゃんが北朝鮮にいることが分かり、拉致被害者の家族会が結成されると、めまぐるしい毎日が始まりました。
 家の電話は鳴り止まず、ファクスや手紙が山ほど届き、マスコミの方々がたくさん、取材に来られました。めぐみちゃんを救いたくて、無我夢中でした。
 そして、拉致事件にどう向き合うか、家族で幾度も話し合いました。「めぐみちゃんの命が危ない」-。めぐみちゃんの事件が初めて実名報道されるときにも、激しい議論になりました。恐怖を必死に振り払い、皆で前に進みました。

久しぶりにわが家に戻ったお父さんも昔を思い返し身の引き締まる思いに駆られたのかもしれません。
 拉致被害者はかつて、連れ去られた事実さえ知られずに闇の底に埋もれ、置き去りにされてきました。拉致事件が起きてから最初の20年間、私たちは、理由なく姿を消しためぐみちゃんの痕跡を追い、地獄の中でもがき苦しみ続けました。
 ようやく、めぐみちゃんたちが北朝鮮にいることが分かっても拉致は「疑惑」に過ぎないとされた時代が続き、私たち家族の訴えは容易に届きませんでした。

しかし平成14年、北朝鮮はついに拉致を認めて謝罪し、蓮池(はすいけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我ひとみさんたち5人が帰国を果たしました。重い扉が確かに開きましたが、北朝鮮はすべての拉致被害者を返さず、めぐみちゃんたち残された被害者を「死亡」や「未入境」としたまま、今日に至ります。
 救出運動は喜び、怒り、悲しみ、あらゆる感情が交錯する怒濤(どとう)の連続でした。そして、たくさんの奇跡がつながって、少しずつ、事が前に進んできました。
私たち家族とともに、懸命に声をあげてくださる国民の皆さまの力があれば、必ずや喜びの奇跡が再び訪れ、被害者全員が笑顔と、うれし涙を流し、祖国の土を踏む日が来るに違いありません。最後にそれを実現するのは、国家の力、政治の力に他なりません。
 闘いの場だったわが家に再び、めぐみを迎え、安らぎの団欒(だんらん)を過ごせる日が、必ず実現するはずです。その時まで、お父さんとお母さんは、めぐみちゃんをはじめすべての人の幸せを思い、祈り、待ち続けます。


2019.3.16-産経新聞-
【めぐみへの手紙】・・・「指導者同士の真剣な話し合いを待っています」

(北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(83)夫妻は今この瞬間も、めぐみさんたちすべての被害者の一刻も早い救出を祈り、待ち続けている。飛ぶように過ぎる日々に焦りが募る中、先月末に開催された米朝首脳会談では、トランプ米大統領がふたたび、金正恩朝鮮労働党委員長に拉致問題を提起した。横田夫妻は拉致問題解決に向け、日朝の指導者による真剣な話し合いに期待を寄せながら国民の後押しを呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは新しい年を迎え、めまぐるしい日々を過ごすうちに、あっという間に3月です。お父さんもお母さんも、めぐみたちすべての拉致被害者を救い出すことを心に誓いながら、一刻の過ぎ行く早さに、空恐ろしくなることもあります。
 つい先日、米国のトランプ大統領と、北朝鮮の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)氏が首脳会談を行いました。会談後、安倍晋三首相はトランプ大統領から報告を受け、私たち家族とも面会して、今後の成り行きについて、お話しされました。
 米朝首脳会談では、米国が北朝鮮に非核化の問題で厳しく臨み、トランプ大統領は拉致問題の解決を繰り返し投げかけたそうです。安倍首相は金正恩氏と直接向き合い、被害者の帰国を求めるという決意を、改めて私たちに伝えました。
 「水面下」といわれるものも含め、日本と北朝鮮がどのような交渉をしているのか、私たちは知る由もありません。ただ、重かった扉が音を立て動き、日本と北朝鮮の指導者が互いの平和を実現するため真剣に話し合う機会が、現実味を帯びているように感じます。
 拉致は単なる「問題」ではなく、前代未聞の「大事件」です。非道極まりない国家犯罪をすっきりと解決できなければ、日本の恥です。北朝鮮も拉致被害者全員を帰して初めて、明るく豊かで、幸福な国づくりを進めることができます。 安倍首相の決意を信じ、すべての被害者が祖国の土を踏みしめる日が来ることを、切に願います。
 拉致事件をはじめ、日本は国内外のさまざまな課題と向き合っています。後を絶たない災害も、その一つではないでしょうか。今月11日で、数多くの命が奪われた東日本大震災から8年となりました。
 被災者の方々は復興へ懸命な日々を歩まれてきたはずです。お一人お一人の悲しみが癒やされ、大きな希望の光が差しますよう、祈りを捧(ささ)げます。
 あまたの困難を乗り越えて、明るく、力強い日本が次の世代に引き継がれることを願っています。
 お母さんは先月、誕生日を迎え83歳になりました。また一つ、年を重ねてしまったのかと、悲しくさえなります。
 私たち家族は、どこにでもいる普通の日本人です。めぐみちゃん、弟の拓也、哲也と一緒に楽しく暮らした41年前を振り返ると、途方もない思いにかられます。拉致事件がなければ、お父さんもお母さんも、穏やかな余生を過ごしていたことでしょう。でも、あなたが姿を消した昭和52年11月15日から、修羅のような日々を過ごしてきました。
 めぐみちゃんに元気な姿で再会するため、病院で療養しているお父さんも、同じ思いを抱いているはずです。リハビリや治療が功を奏し、最近は意識もはっきりして、みるみる元気になっています。明るい笑顔を見るたび、皆さまのお力添えに感謝するばかりです。
 でも、元気になった分、拉致事件の重すぎる現実が身に迫り、考え込むことも多いようです。新聞を読み聞かせると、しきりに詳しい話を問いかけてきます。
 最近、病院の許可を得てお父さんを自宅に連れて帰ったときのことです。わが家に戻れば、もっと元気が出るかも、と思ってのことでしたが、お父さんはいつになく厳しい表情で、部屋を見渡していました。
 その姿に、お母さんは気付かされました。「めぐみちゃんが拉致されてから、私たちの家はくつろぎの場ではなく、厳しい『闘い』の場所だった」-と。
 平成9年、めぐみちゃんが北朝鮮にいることが分かり、拉致被害者の家族会が結成されると、めまぐるしい毎日が始まりました。
 家の電話は鳴り止まず、ファクスや手紙が山ほど届き、マスコミの方々がたくさん、取材に来られました。めぐみちゃんを救いたくて、無我夢中でした。
 そして、拉致事件にどう向き合うか、家族で幾度も話し合いました。「めぐみちゃんの命が危ない」-。めぐみちゃんの事件が初めて実名報道されるときにも、激しい議論になりました。恐怖を必死に振り払い、皆で前に進みました。

 久しぶりにわが家に戻ったお父さんも昔を思い返し身の引き締まる思いに駆られたのかもしれません。
 拉致被害者はかつて、連れ去られた事実さえ知られずに闇の底に埋もれ、置き去りにされてきました。拉致事件が起きてから最初の20年間、私たちは、理由なく姿を消しためぐみちゃんの痕跡を追い、地獄の中でもがき苦しみ続けました。
 ようやく、めぐみちゃんたちが北朝鮮にいることが分かっても拉致は「疑惑」に過ぎないとされた時代が続き、私たち家族の訴えは容易に届きませんでした。

 しかし平成14年、北朝鮮はついに拉致を認めて謝罪し、蓮池(はすいけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我ひとみさんたち5人が帰国を果たしました。重い扉が確かに開きましたが、北朝鮮はすべての拉致被害者を返さず、めぐみちゃんたち残された被害者を「死亡」や「未入境」としたまま、今日に至ります。
 救出運動は喜び、怒り、悲しみ、あらゆる感情が交錯する怒濤(どとう)の連続でした。そして、たくさんの奇跡がつながって、少しずつ、事が前に進んできました。
 私たち家族とともに、懸命に声をあげてくださる国民の皆さまの力があれば、必ずや喜びの奇跡が再び訪れ、被害者全員が笑顔と、うれし涙を流し、祖国の土を踏む日が来るに違いありません。最後にそれを実現するのは、国家の力、政治の力に他なりません。
 闘いの場だったわが家に再び、めぐみを迎え、安らぎの団欒(だんらん)を過ごせる日が、必ず実現するはずです。その時まで、お父さんとお母さんは、めぐみちゃんをはじめすべての人の幸せを思い、祈り、待ち続けます。


2019.3.1-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・救援の手、あなたのすぐ近くに 広島市 岩瀬姫佳さん 19歳

 「私だったらどうしただろうか」、また「私の家族だったら何をしただろうか」-当時まだ13歳だったあなたを襲った恐ろしい事件を知ったとき、私がまず考えたのはこれでした。
 私だけでなく、日本に住む多くの中学生や高校生、大学生も同じように考えたと思います。めぐみさん、今は私の母よりも年上になってしまったあなたを、こう呼ぶのをお許し下さい。じつは私の母の名も「めぐみ」というのです。母の話ではあのころとても人気の名前だったとのことです。それだけにあなたの身の上に起こったことを、私も私の家族も、とても他人事とは思えません。
 私は今大学1年生で、経営についてやマネジメントの勉強をしています。将来はこれらを生かして金融関係のお仕事に携わっていきたいと考えています。めぐみさん、あなたはとても明るく活発な女の子だった半面、幼い双子の弟さんたちの面倒をすすんでみる、優しい少女だったそうですね。そのことはあなたのお母さんが話してくれたので、日本中の人が知っています。あの事件さえなかったら、きっとあなたも自分の将来のために多くのことを学んでおられたに違いない、ふとそんな気持ちになることがあります。
 将来を夢見ながら、たとえつつましくても真面目に努力している日本人を、ある日突然人さらいのように連れ去るなんて、とても現代の出来事とは思えません。北朝鮮の工作員が実行したとされるこの事件を、私たちは決して忘れません。この犯罪を実行した人も、日本国内にいると言われるその共犯者も、私たちは絶対に許しません。
 めぐみさんは北朝鮮の独裁者やその家族に関わる秘密を知ってしまったために、日本に返せないという趣旨の報道を見ました。何という手前勝手な理屈でしょう。自分たちが無理やり拉致し利用しておいて、今度は返さないための口実を作り出す。こんな屁理屈に私たちは騙(だま)されません。
 めぐみさん、今日本の安倍晋三首相や政府は、「拉致解決」を最も重要な課題として、北朝鮮と交渉してきています。北朝鮮の経済の破綻を救うことの出来る国は日本だと私は思っています。私たちは北朝鮮の一般の人々にも様々な方法で働きかけ、日本が北朝鮮を支援する代りに、不法に拉致した日本人の全員を直ちに返すことを要求しています。もう少しの辛抱です。決して諦めることなく、日本の救いの手が届くのを待っていて下さい。

【めぐみさんへの手紙】・・・(いわせ・ひめかさん 大学1年)
めぐみさん、私は何の力も持たない、ただの学生に過ぎません。でも、あなた方を救い出すためなら、どんな協力も惜しまない決心です。私の友人たちも同じ考えです。ラジオ放送が聞けたら聞いて下さい。新聞を読めるならぜひ読んで下さい。日本政府の救援の手は、あなたのすぐ近くまで伸びています。絶対に諦めることなく、あなたのご両親や日本政府、日本国民を信じて下さい。
 緯度は日本の東北地方と同じでも、大陸の冬はどんなに底冷えがすることでしょう。風邪をひかないように気をつけて、お元気でお過ごし下さい。さようなら。母があなたと同じ名を持つ娘より。


2019.3.1-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・ぼくたちも、やれることを 兵庫県姫路市 井上大輝さん 13歳

 今回、めぐみさんの人生を見させていただきました。今の日本は、昔とだいぶん変わっています。政府の人たちは、アメリカに協力を求め、北朝鮮の人たちと話をしています。めぐみさんのお父さん、お母さん、弟たちもけんめいにがんばっています。なのであきらめずにがんばってください。政府の人たちは昔と少し変わってはいますが、まだまだ解決していないことがたくさんあります。ぼくたちには、こういう風に、日本の現状、世界の現状を手紙で伝えることしかできません。やれるだけのことは、ぼくたちもしていこうと思います。北朝鮮も、今変わりつつあります。世界の人たちは、みんな同じ人間なので、きっと分かってくれるはずです。めぐみさんのお父さん、お母さん、弟たちもめぐみさんが帰ってくるのを、ずっと待ち続けています。ぼくたちも、ずっと待っています。頑張って。


2019.1.21-産経新聞-
【めぐみへの手紙】若者から帰国を願う手紙、本当に勇気づけられる

(北朝鮮による拉致問題は進展が見えないまま平成31年を迎えた。拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(82)夫妻は今この瞬間も、全被害者の即時救出を切望している。家族たちの思いに応えるかのように、若い世代からめぐみさんらすべての被害者に贈る手紙が次々に寄せられている。「膠着(こうちゃく)した状況を動かす大きな力になる」。夫妻は思いも背に、解決に向けた国民の後押しを重ねて、呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは。本当にめまぐるしく、1年が過ぎ行き、また新しい年を迎えました。あなたを必ず助け出すと心に決めながら、さらに年月を重ねてしまったことが本当に辛く、それでも、決してあきらめず、再会を信じて、日々を生きています。
 このたび、めぐみたち拉致被害者への思いを込めたたくさんのお手紙を若い方々からいただきました。めぐみは13歳で拉致されました。今、当時のめぐみと同年代の皆様は、拉致事件が起きたとき、お生まれでさえありませんでした。
そんな方々が、めぐみちゃんたち被害者の生き方に触れ、帰国を願ってくださることは本当にありがたく、勇気づけられます。
 たくさんつづっていただいた手紙を通し、若々しい励ましと後押しの思いに心を打たれました。必ずや北朝鮮に届き、膠着した状況を動かす大きな力になるはずです。

 私たち家族は長い時間、救出運動に全力をかたむけてきました。最初は街頭で訴えても見向きもされず、拉致を「嘘」と断ぜられ、救出を訴える署名用紙を乗せたボードをたたき落とされたこともありました。
 それでも、少しずつ思いが広がり、社会の声は高まり、ついには北朝鮮が拉致を認めました。ここに至ったのはやはり、拉致に心から怒り、涙し、救出を切望した国民の方々の声があったからこそだと思います。
 ただ、拉致事件が完全に解決しないまま、40年以上の時がたつ中、家族は「救いを待つ被害者が忘れ去られてしまう」という、底知れぬ恐怖感とも向き合ってきました。だからこそ、国民の皆様には、これまでと同様に関心を持ち続けていただきたいのです。
  次代を担う若い世代の方々が拉致事件を知り、解決の道筋を考えていただくことは、とても大事なことだと強く感じます。
 今年、日本では天皇陛下が譲位されることになり、新しい時代を迎えようとしています。昭和の時代に起き、日本に深く突き刺さってきた拉致事件という国家犯罪が、平成のうちにすっかり解決され、明るい未来の幕開けにつながることを願ってやみません。
 昭和52年11月、めぐみちゃんが煙のように消え去ってから、心が安まる日は一日もありませんでした。

 20年を経た平成9年、北朝鮮にいることが分かり、救出を訴える活動をお父さんと始めました。拉致被害者家族会も結成され、全国に被害者救出を支援する組織が広がり、情勢は少しずつ、確かに、前に進んでいきました。
 そして平成14年。北朝鮮は拉致を認め、謝罪しながらも、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。
 間もなく、飛行機で羽田空港に帰国し、祖国の土を踏んだ蓮(はす)池(いけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、そして、曽我ひとみさんの姿を見つめながら、かならず、めぐみちゃんたちも救い出すのだと誓ったことを、昨日のことのように思い出します。
 お母さんは今日まで、めぐみが必ず生きていると信じ、それを疑ったことはありません。若い皆様がその思いを知って下さり、共感と励ましの言葉をつづっていただいたことを、とてもうれしく思います。
 お父さんは86歳。お母さんももうすぐ、83歳になってしまいます。
 被害者、家族が高齢となり、残された時間は日に日に少なくなっていきます。他人事ではなく、どうか、自らの事として拉致事件を考えていただきたい。ふとしたとき、拉致を解決できないまま、日本が何事もなかったかのように進んで行くのではないか、という不安が頭をもたげます。

 最近は、拉致問題の「風化」という言葉を耳にすることもよくあります。政府や政治家の皆様は、現状をどうごらんになっているのでしょう。非道な国家犯罪を解決できないばかりか忘れ去られる。そんな日本で本当に良いのでしょうか。

 一昨年と昨年、思いがけない形で拉致問題が国際社会に示されました。米国のトランプ大統領が、国連で北朝鮮を厳しく非難しました。史上初の米朝首脳会談でも、トランプ大統領は拉致問題の解決を提起したといいます。これを、北朝鮮の最高指導者はどう受け止めたのでしょうか。


道を歩けば、多くの励ましとともに「なぜ解決しないの」と問いかけをいただきます。難しい国際情勢を知るすべはなく、ただただ戸惑ってしまいます。
 私たちは政府が必ず、すべての被害者を救うと信じてきました。なかなか進まない成り行きに悔しさと悲しさが募ります。最後は、日本が自らの手で被害者を救わねばなりません。
 お父さんは今日も、元気な姿でめぐみちゃんに再会するため、リハビリに励んでいます。あなたのことを思いニコニコとほほえんだり、時にはなかなか進まない拉致問題に厳しい表情を見せたり-。皆さんの前に立つことはできなくても、救出にかける情熱は、寸分たりとも変わっていません。
 お父さんとお母さんにとって一番の願いは、一刻も早く被害者全員が帰国し、普通の生活を取り戻すことです。そして明るく、希望に満ちあふれた日本を、次世代に引き継ぐことです。
 めぐみちゃんたち被害者に思いを寄せてくださる若い世代の皆さん。そして、親御さん、お孫さんを持つ皆様。すべての国民の方々があげる声、思いが力強い後押しになります。
 新年を迎え、今年こそ、祖国の土を踏んだめぐみちゃんたちとともに、皆様に感謝を伝えられる日が来ることを祈ってやみません。めぐみちゃん。歩みは遅くとも、必ず、喜びの日が来ます。どうか、待っていてね。


2019.1.21-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】(下)400人以上が思い寄せ 救出願う輪

 拉致被害者、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての被害者に贈る「めぐみさんの手紙」にはこれまで、小学2年生から大学生までの400人以上が思いを寄せている。自分にできることは何か。救出の道筋は-。次代を担う若者、子供たちの気持ちはつながり、救出を願う輪は広がりをみせる。「勇気づけられる」。めぐみさんの母、早紀江さん(82)は、そう語る。

家族の訴え 1000万人が応えた・・・東京都町田市 小田島璃乃(おだじま・りの)さん 中学1年 12歳
めぐみさん、こんにちは。私は今、中学1年生です。めぐみさんが、北朝鮮に拉致された時も、中学1年生だったと聞きました。
 私には、今めぐみさんが何を考えて、どこでどのように過ごしているのか分かりません。しかし私だったら、さみしすぎて、何も考えられなかったと思います。日本に、一日でも早く帰りたくて、たまらなかったと思います。
 めぐみさんが拉致されてから40年の月日がたちました。その間に日本は、内閣総理大臣が代わったり、色々な事が変化してきました。2020年には東京オリンピックも行われます。もう少ししたら、平成も終わります。めぐみさんの知らないところで、日本は少しずつ前に進んでいます。拉致問題も本当に少しずつだけど、解決してきています。めぐみさんも、いつか日本に帰れる日を信じて、前を向いてあきらめずに、がんばって下さい。

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お母さんの早紀江さんと、お父さんの滋さんは、めぐみさんが姿を消してから、拉致問題について数多くの方に必死に訴えました。その結果、1千万人以上の方々から署名をいただきました。しかし、早紀江さんも、滋さんも、歳を重ねていきます。今では、双子の拓也さんと哲也さんが、様々な活動を行っています。このように、家族全員が、めぐみさんの帰りを待っています。いや、日本国民全員が、めぐみさん達の帰りを待っているのです。
 日本は、この拉致の問題を、いつか必ず解決するはずです。その時は、日本全体が笑顔で、めぐみさん達を受け入れるはずです。その時が来るまで、あともう少しだけ、待っていて下さい。

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あの日から、四十数年経ったのに・・・岡山市 長谷川真央(はせがわ・まお)さん 高校3年 17歳
 私は今日まで、「北朝鮮拉致問題」という言葉を何度か聞いたことはありましたが、詳細は知りませんでした。私は17年生きてきましたが、この問題について考えたことがありません。今思うと、大変情けなく恥ずかしいです。
 考えるきっかけになったのは、国語の授業で観(み)たアニメでした。めぐみさんが拉致される前後の日々やめぐみさんの御家族も含め、拉致被害者家族の皆さんが力を合わせて共に闘っている姿が描かれていました。そのアニメを観て、めぐみさんが体験された言葉では表しきれない恐ろしさや絶望、苦しみを同じように実感したなら、私はどうなっていたか分かりません。
 さらに、今の私より若い中学生の女の子が拉致された時の心細さがどれだけ辛(つら)いものなのかと想像しても計り知れないことを人として、また同じ日本人として悔しいです。「あの日」から四十数年の月日が経(た)った今でも、拉致問題はなかなか解決されないどころか、進展させることさえも難しくなってきていると考えます。日本が国として日本国民であるめぐみさんをはじめ被害者の皆さんを助けられないことに私は憤りをおぼえてなりません。
 めぐみさんはこの四十数年間、様々な思いをめぐらせながら北朝鮮で必死に暮らされていると思います。その日々の中でも小さな幸せがめぐみさんに訪れることを願います。そして今日をきっかけに政治や社会、国際問題などにより関心を持ち、思考し、積極的に選挙に参加することが日本人としての役目であり、少なからず出来る事だと私は考えます。
 めぐみさんが生きておられること、めぐみさんが無事に日本に帰国し、御家族と再会されること、この問題が少しでも早く解決されることを心から祈り続けます。

授業で見たビデオに涙・・・東京都大田区 藤野花(ふじの・はな)さん 小学5年 11歳
 私は、道徳で拉致問題について考えました。 ビデオを見たとき、目がうるうるしてくるぐらい悲しくなってとても恐しいなと感じました。見ているだけでもこわいのに、自分がめぐみさんだったら、めぐみさんの家族だったらと考えると、よけいこわくなってしまいました。拉致ということや拉致という悪いことをする人がいるということを改めて感じました。拉致という悪いことをしてなにが役にたつんだ、どんな良いことになるんだと反発したくてうずうずしています。めぐみさんが北朝鮮で、どんなことをさせられているのかなと思うと、キュッとむねがいたみます。
 めぐみさんがなるべく早く日本、そしてめぐみさんの家族の元に帰って、幸せにくらせるようになることを願いながら、日々あゆんでいきたいと思います。そして、めぐみさんが無事に帰ってくることに少しでも力になれるように、努力していきます。

SNSで世界に訴える・・・三重県松阪市 前出琴音(まえで・ことね)さん  3年 15歳
 私は社会の授業でめぐみさんの事を初めて知りました。めぐみさんの他にも16人の人が拉致されている事も知りました。そこで私は今の状況をより多くの人に知ってもらいたいと思いました。どうしたら世界の人が今の状況を知ってくれるのか考えました。それはSNSで世界中に発信するという考えです。今の情報化社会ではほとんどの人がインターネットやスマートフォンを利用しています。それらはとても拡散力が大きいのでより多くの人が今の状況を知る事ができると思います。またテレビで流したり、人の目にとまる様なポスターなどを作る事も大切だと考えます。そして国民一人一人が参加する事も重要だと思います。
  私は今回の授業で他人事にしないという所が一番大切だと考えました。めぐみさんは当時13歳で私たちと差はほとんどありません。だからこそ「自分には関係ない」ではなく自分たちができる事をしていきたいです。


2019.1.21-産経新聞-
めぐみさんへの手紙】(上)拉致被害者救出へ 私ができることは

(拉致被害者、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての被害者に贈る「めぐみさんの手紙」にはこれまで、小学2年生から大学生までの400人以上が思いを寄せている。自分にできることは何か。救出の道筋は-。次代を担う若者、子供たちの気持ちはつながり、救出を願う輪は広がりをみせる。「勇気づけられる」。めぐみさんの母、早紀江さん(82)は、そう語る。)

めぐみさんも、あきらめないで・・・東京都渋谷区 小泉愛菜(こいずみ・まな)さん 小学3年 9歳
横田めぐみさんへ めぐみさんおげんきですか。
 わたしは、東京に住んでいる小学校三年生の小泉愛菜です。お母さんが「めぐみさんが中学一年生の時に、北朝せんにつれさられた」と、わたしに教えてくれました。もう41年も、帰ってきていないと聞いて、かなしかったです。私だったら、41年も家族に会えないなんて、考えられません。北朝せんに、つれさられた時どんな気持ちでしたか? 私だったら、大泣きしているどころじゃなく、ずっとさけんでいると思います。
 北朝せんは、めぐみさんが死んでしまったと、いっているけれど、私はめぐみさんが生きていると、しんじています。だから、日本の人たちが、めぐみさんが、帰ってきてくれることを信じています。だから、めぐみさんも、あきらめないで、いてください。
 私は、まだ子どもだからできることがあまりないけれど、学校の、友だちに、めぐみさんのことを話したいです。めぐみさんのことを、しらない人にも、教えてあげることで、みんあが、めぐみさんのことを、おうえんしてくれると思います。そしたら、めぐみさんが帰ってこられると思います。日本に帰ってきたら、めぐみさんと、ぜひお話したいです。わたしのとくいな、おり紙をおしえてあげます!だからめぐみさんも元気でいてください。
(小泉愛菜より)

戦争と一緒 世界で考える問題・・・東京都町田市 松岡優太(まつおか・ゆうた)さん 中学1年 12歳
 めぐみさんは、今本当につらいと思います。自分といっしょの中学1年生で、ある日、ふつうに学校へ行きいつも通りに勉強して、いつも通りに部活に行った帰り道に拉致されてしまったということ、いつもの日常から、がらりと変わってしまったということ、家族や友達と会えなくなってしまったことは本当につらいし、くるしいと思います。
 でも、いつか日本にもどってこられると思います。絶対にあきらめないで下さい。今の環境は本当に大変だと思います。だけど絶対にあきらめないで下さい。家族にも友達にもまた会えて、昔の生活にもどれるという希望を捨てないで下さい。
拉致というものは、世界中の問題だと自分は思っています。拉致は絶対に起こってはいけません。そして、この先拉致が起こっては絶対にいけないと思います。そして拉致は命に関わる問題です。国と国で命に関わる問題というものは、戦争と一緒です。戦争を起こさないようにするには、拉致問題を解決することが大事だと思います。そしていずれ、国どうしの仲が良くなり平和になってほしいです。
 いつか、絶対にめぐみさんは日本に帰ってくることができると思います。日本で生活できると思います。そして拉致は、世界中の問題なので一秒でも早くこの問題が解決してほしいと思いました。

「たかが数十人」ではない・・・岡山市 草場琴羽(くさば・ことは)さん 高校2年 17歳
初めまして、こんにちは。この拉致問題を知って貴女(あなた)が帰ってくることを沢山(たくさん)の人が望んでいることを知ってもらうためにお手紙を書かせていただきました。 この問題で一番印象に残っているのは、こんな意見でした。
 「たかが、数十人のために日本と北朝鮮との国際的な交友を崩していいのか」 という言葉に驚愕(きょうがく)しかありませんでした。たかが数十人なわけがありません。親族の方、友達、知り合いの方にとってはかけがえのない数十人、いえ、かけがえのない一人です。国家国民全体が動くべき問題だと思います。
 めぐみさんとご両親が一刻もはやく会うことができ、「あの時」から止まってしまった家族との時間が再び動き出すことを願っています。そしていつまでも元気に過ごせるように、政府には大きく動いてほしいと願っています。
当時のことを思うと、心細くてしようがないことでしょう。めぐみさんが北朝鮮で今日まで頑張ってこられたことに、拉致問題解決に向けて勇気と希望が見えることを祈っています。きっと帰ってこられることを私は信じています。

署名集め国際司法裁へ・・・三重県松阪市 小濱雅楽(こはま・うた)さん 中学3年 15歳
 めぐみさん、こんにちは。
 私は、社会の授業でめぐみさんの体験を基に、北朝鮮拉致問題について学びました。めぐみさんは、当時13歳でクラブ活動を終えて帰ってくる時に拉致されたことを知って、私はいつもの日常を失われるのはどれだけ辛(つら)いことか、想像するだけで怖さを感じました。そして、その恐ろしい怖さを知っていながらも解決できない私たち日本があることに、申し訳なさを感じました。少しでもめぐみさんの力になれるよう解決策を考えた結果、まずはこの事件を知らない人が多い若い世代に伝えるべきだと思いました。そして、国民の力を合わせて署名を集め、国際司法裁判所へ訴えたらいいと思いました。
 私は、北朝鮮拉致問題について考えてみて、恵まれた毎日があることに感謝を抱いて生きようと思いました。私たちが拉致問題に対してあまりできることはないと思いますが、拉致被害者が無事に帰れることを願っています。

他の国の人と 今を変えていく・・・三重県松阪市 中井飛路(なかい・ひろ)さん 中学3年 15歳
 めぐみさん、こんにちは。私は中学生です。私は、学校の授業で拉致問題について学びました。めぐみさんが私と同じ中学生の頃に拉致されたということ、他の国の人でも、日本人でも、同じ被害にあった方がたくさんいること、拉致問題は重大な人権問題だということなどを授業で知りました。今まで詳しく知る機会が無かったのですが、大きな衝撃を受けると共に、私はこう思いました。
  拉致問題は、他人事でも過去のことでもなく、日本や拉致被害者の問題を抱える他の国の国民全員で考えなければならない今の問題だ、と。そしてこの意識を多くの人が持ち、今を変えていかなければならないと強く思いました。このことを今より多くの人に知ってもらい、また、私がこうして願っていることがめぐみさんに届いてほしいです。まだ中学生の私にはお手紙を書いたり、祈ったり、募金をしたりと、できることが少ないですが、今を変えたいです。めぐみさんの帰りを待っています。


2019.1.21-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news
【めぐみへの手紙】若者から帰国を願う手紙、本当に勇気づけられる

(北朝鮮による拉致問題は進展が見えないまま平成31年を迎えた。拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(82)夫妻は今この瞬間も、全被害者の即時救出を切望している。家族たちの思いに応えるかのように、若い世代からめぐみさんらすべての被害者に贈る手紙が次々に寄せられている。「膠着(こうちゃく)した状況を動かす大きな力になる」。夫妻は思いも背に、解決に向けた国民の後押しを重ねて、呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは。本当にめまぐるしく、1年が過ぎ行き、また新しい年を迎えました。あなたを必ず助け出すと心に決めながら、さらに年月を重ねてしまったことが本当に辛く、それでも、決してあきらめず、再会を信じて、日々を生きています。
 このたび、めぐみたち拉致被害者への思いを込めたたくさんのお手紙を若い方々からいただきました。めぐみは13歳で拉致されました。今、当時のめぐみと同年代の皆様は、拉致事件が起きたとき、お生まれでさえありませんでした。

そんな方々が、めぐみちゃんたち被害者の生き方に触れ、帰国を願ってくださることは本当にありがたく、勇気づけられます。
 たくさんつづっていただいた手紙を通し、若々しい励ましと後押しの思いに心を打たれました。必ずや北朝鮮に届き、膠着した状況を動かす大きな力になるはずです。
 私たち家族は長い時間、救出運動に全力をかたむけてきました。最初は街頭で訴えても見向きもされず、拉致を「嘘」と断ぜられ、救出を訴える署名用紙を乗せたボードをたたき落とされたこともありました。

それでも、少しずつ思いが広がり、社会の声は高まり、ついには北朝鮮が拉致を認めました。ここに至ったのはやはり、拉致に心から怒り、涙し、救出を切望した国民の方々の声があったからこそだと思います。
 ただ、拉致事件が完全に解決しないまま、40年以上の時がたつ中、家族は「救いを待つ被害者が忘れ去られてしまう」という、底知れぬ恐怖感とも向き合ってきました。だからこそ、国民の皆様には、これまでと同様に関心を持ち続けていただきたいのです。

次代を担う若い世代の方々が拉致事件を知り、解決の道筋を考えていただくことは、とても大事なことだと強く感じます。
 今年、日本では天皇陛下が譲位されることになり、新しい時代を迎えようとしています。昭和の時代に起き、日本に深く突き刺さってきた拉致事件という国家犯罪が、平成のうちにすっかり解決され、明るい未来の幕開けにつながることを願ってやみません。
 昭和52年11月、めぐみちゃんが煙のように消え去ってから、心が安まる日は一日もありませんでした。

20年を経た平成9年、北朝鮮にいることが分かり、救出を訴える活動をお父さんと始めました。拉致被害者家族会も結成され、全国に被害者救出を支援する組織が広がり、情勢は少しずつ、確かに、前に進んでいきました。
 そして平成14年。北朝鮮は拉致を認め、謝罪しながらも、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。
 間もなく、飛行機で羽田空港に帰国し、祖国の土を踏んだ蓮(はす)池(いけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、そして、曽我ひとみさんの姿を見つめながら、かならず、めぐみちゃんたちも救い出すのだと誓ったことを、昨日のことのように思い出します。

お母さんは今日まで、めぐみが必ず生きていると信じ、それを疑ったことはありません。若い皆様がその思いを知って下さり、共感と励ましの言葉をつづっていただいたことを、とてもうれしく思います。 お父さんは86歳。お母さんももうすぐ、83歳になってしまいます。
 被害者、家族が高齢となり、残された時間は日に日に少なくなっていきます。他人事ではなく、どうか、自らの事として拉致事件を考えていただきたい。ふとしたとき、拉致を解決できないまま、日本が何事もなかったかのように進んで行くのではないか、という不安が頭をもたげます。

最近は、拉致問題の「風化」という言葉を耳にすることもよくあります。政府や政治家の皆様は、現状をどうごらんになっているのでしょう。非道な国家犯罪を解決できないばかりか忘れ去られる。そんな日本で本当に良いのでしょうか。
 一昨年と昨年、思いがけない形で拉致問題が国際社会に示されました。米国のトランプ大統領が、国連で北朝鮮を厳しく非難しました。史上初の米朝首脳会談でも、トランプ大統領は拉致問題の解決を提起したといいます。これを、北朝鮮の最高指導者はどう受け止めたのでしょうか。

道を歩けば、多くの励ましとともに「なぜ解決しないの」と問いかけをいただきます。難しい国際情勢を知るすべはなく、ただただ戸惑ってしまいます。
 私たちは政府が必ず、すべての被害者を救うと信じてきました。なかなか進まない成り行きに悔しさと悲しさが募ります。最後は、日本が自らの手で被害者を救わねばなりません。
 お父さんは今日も、元気な姿でめぐみちゃんに再会するため、リハビリに励んでいます。あなたのことを思いニコニコとほほえんだり、時にはなかなか進まない拉致問題に厳しい表情を見せたり-。皆さんの前に立つことはできなくても、救出にかける情熱は、寸分たりとも変わっていません。

お父さんとお母さんにとって一番の願いは、一刻も早く被害者全員が帰国し、普通の生活を取り戻すことです。そして明るく、希望に満ちあふれた日本を、次世代に引き継ぐことです。
 めぐみちゃんたち被害者に思いを寄せてくださる若い世代の皆さん。そして、親御さん、お孫さんを持つ皆様。すべての国民の方々があげる声、思いが力強い後押しになります。
 新年を迎え、今年こそ、祖国の土を踏んだめぐみちゃんたちとともに、皆様に感謝を伝えられる日が来ることを祈ってやみません。めぐみちゃん。歩みは遅くとも、必ず、喜びの日が来ます。どうか、待っていてね。


2019.1.17.-産経新聞-
【めぐみへの手紙】若者から帰国を願う手紙、本当に勇気づけられる
(1)
(北朝鮮による拉致問題は進展が見えないまま平成31年を迎えた。拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(82)夫妻は今この瞬間も、全被害者の即時救出を切望している。家族たちの思いに応えるかのように、若い世代からめぐみさんらすべての被害者に贈る手紙が次々に寄せられている。「膠着(こうちゃく)した状況を動かす大きな力になる」。夫妻は思いも背に、解決に向けた国民の後押しを重ねて、呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは。本当にめまぐるしく、1年が過ぎ行き、また新しい年を迎えました。あなたを必ず助け出すと心に決めながら、さらに年月を重ねてしまったことが本当に辛く、それでも、決してあきらめず、再会を信じて、日々を生きています。
  このたび、めぐみたち拉致被害者への思いを込めたたくさんのお手紙を若い方々からいただきました。めぐみは13歳で拉致されました。今、当時のめぐみと同年代の皆様は、拉致事件が起きたとき、お生まれでさえありませんでした。
  そんな方々が、めぐみちゃんたち被害者の生き方に触れ、帰国を願ってくださることは本当にありがたく、勇気づけられます。
  たくさんつづっていただいた手紙を通し、若々しい励ましと後押しの思いに心を打たれました。必ずや北朝鮮に届き、膠着した状況を動かす大きな力になるはずです。
(2)
  私たち家族は長い時間、救出運動に全力をかたむけてきました。最初は街頭で訴えても見向きもされず、拉致を「嘘」と断ぜられ、救出を訴える署名用紙を乗せたボードをたたき落とされたこともありました。
  それでも、少しずつ思いが広がり、社会の声は高まり、ついには北朝鮮が拉致を認めました。ここに至ったのはやはり、拉致に心から怒り、涙し、救出を切望した国民の方々の声があったからこそだと思います。
  ただ、拉致事件が完全に解決しないまま、40年以上の時がたつ中、家族は「救いを待つ被害者が忘れ去られてしまう」という、底知れぬ恐怖感とも向き合ってきました。だからこそ、国民の皆様には、これまでと同様に関心を持ち続けていただきたいのです。
  次代を担う若い世代の方々が拉致事件を知り、解決の道筋を考えていただくことは、とても大事なことだと強く感じます。
  今年、日本では天皇陛下が譲位されることになり、新しい時代を迎えようとしています。昭和の時代に起き、日本に深く突き刺さってきた拉致事件という国家犯罪が、平成のうちにすっかり解決され、明るい未来の幕開けにつながることを願ってやみません。
  昭和52年11月、めぐみちゃんが煙のように消え去ってから、心が安まる日は一日もありませんでした。
  20年を経た平成9年、北朝鮮にいることが分かり、救出を訴える活動をお父さんと始めました。拉致被害者家族会も結成され、全国に被害者救出を支援する組織が広がり、情勢は少しずつ、確かに、前に進んでいきました。
(3)
そして平成14年。北朝鮮は拉致を認め、謝罪しながらも、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。
  間もなく、飛行機で羽田空港に帰国し、祖国の土を踏んだ蓮(はす)池(いけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、そして、曽我ひとみさんの姿を見つめながら、かならず、めぐみちゃんたちも救い出すのだと誓ったことを、昨日のことのように思い出します。
  お母さんは今日まで、めぐみが必ず生きていると信じ、それを疑ったことはありません。若い皆様がその思いを知って下さり、共感と励ましの言葉をつづっていただいたことを、とてもうれしく思います。
  お父さんは86歳。お母さんももうすぐ、83歳になってしまいます。
  被害者、家族が高齢となり、残された時間は日に日に少なくなっていきます。他人事ではなく、どうか、自らの事として拉致事件を考えていただきたい。ふとしたとき、拉致を解決できないまま、日本が何事もなかったかのように進んで行くのではないか、という不安が頭をもたげます。
  最近は、拉致問題の「風化」という言葉を耳にすることもよくあります。政府や政治家の皆様は、現状をどうごらんになっているのでしょう。非道な国家犯罪を解決できないばかりか忘れ去られる。そんな日本で本当に良いのでしょうか。
  一昨年と昨年、思いがけない形で拉致問題が国際社会に示されました。米国のトランプ大統領が、国連で北朝鮮を厳しく非難しました。史上初の米朝首脳会談でも、トランプ大統領は拉致問題の解決を提起したといいます。これを、北朝鮮の最高指導者はどう受け止めたのでしょうか。
(4)
道を歩けば、多くの励ましとともに「なぜ解決しないの」と問いかけをいただきます。難しい国際情勢を知るすべはなく、ただただ戸惑ってしまいます。
  私たちは政府が必ず、すべての被害者を救うと信じてきました。なかなか進まない成り行きに悔しさと悲しさが募ります。最後は、日本が自らの手で被害者を救わねばなりません。
  お父さんは今日も、元気な姿でめぐみちゃんに再会するため、リハビリに励んでいます。あなたのことを思いニコニコとほほえんだり、時にはなかなか進まない拉致問題に厳しい表情を見せたり-。皆さんの前に立つことはできなくても、救出にかける情熱は、寸分たりとも変わっていません。
 お父さんとお母さんにとって一番の願いは、一刻も早く被害者全員が帰国し、普通の生活を取り戻すことです。そして明るく、希望に満ちあふれた日本を、次世代に引き継ぐことです。
  めぐみちゃんたち被害者に思いを寄せてくださる若い世代の皆さん。そして、親御さん、お孫さんを持つ皆様。すべての国民の方々があげる声、思いが力強い後押しになります。
  新年を迎え、今年こそ、祖国の土を踏んだめぐみちゃんたちとともに、皆様に感謝を伝えられる日が来ることを祈ってやみません。めぐみちゃん。歩みは遅くとも、必ず、喜びの日が来ます。どうか、待っていてね。


2019.1.1-産経新聞-
【横田めぐみさんへの手紙】英語で… 堺市 亀川乃晶さん 高校2年

(横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての拉致被害者への思いをつづる「めぐみさんへの手紙」にはこれまで、小中高生ら約250通の応募があった。文面から伝わるのは「忘れない」「一日も早く取り戻したい」という強い思い。一部を紹介し、改めて北朝鮮による拉致を考えるきっかけとしたい。)

母の子を思い愛強く・・・堺市 亀川乃晶さん 高校2年
 10月5日のめぐみさんの誕生日に産経新聞に載った横田滋さん、早紀江さん夫妻の「めぐみへの手紙」(昨年10月5日付)を読み、学校の英語の暗唱大会のテーマに拉致のことを書きました。

《和訳》・・・「めぐみさんのお母さん」・・・・・横田めぐみさんについて新聞で読みました。彼女は1977年11月15日、新潟県で13歳の時に、学校に登校したきり、帰ってきませんでした。彼女のお母さん、早紀江さんとお父さんの滋さんは41年間ずっと、彼女を捜し続けています。彼女は北朝鮮に連れ去られました。めぐみさんは今、54歳になっています。
 2002年9月、小泉純一郎首相は平壌で開かれた日朝首脳会談で、金正日総書記に会いました。北朝鮮は1970年代から80年代に13人の日本人を拉致したことを認め、それから5人の拉致被害者が日本に帰ることができました。しかし、横田めぐみさんは帰ってきませんでした。北朝鮮は、めぐみさんが亡くなったといい、彼女の遺骨が日本に届きました。日本政府が調べましたが、その遺骨は偽物で、彼女の遺骨ではありませんでした。
  私の母と私は、拉致問題について話し、母が私にある話を教えてくれました。ウサギの母親は、とても遠い場所に子ウサギが離れていたとしても、その生死を感じとることができるという説がある。…皆さんはこれをどう考えますか。
 私の母は私に言いました。「少なくともめぐみさんのお母さんと私は、この母ウサギと一緒だと思っている。だから、めぐみさんのお母さんが、めぐみさんはちゃんと今も生きている!と信じているのなら、めぐみさんは必ず生きているはず」
 私はこの話を聞いて思いました。ウサギでも人間でも母親が子を思う愛は限りなく強く、激しくて、深いものだと。お母さんってすごい!
 2017年11月、早紀江さんは米国のトランプ大統領に会い、拉致問題の解決を要請しました。安倍晋三首相はトランプ大統領とともに強くこの問題解決に取り組んでいます
めぐみさんとめぐみさんのお母さん、そのご家族がもう一度、一緒に笑って幸せになってもらいたいと、私は心から願っています。


2019.1.1-産経新聞-
【横田めぐみさんへの手紙】「たくさんなみだが」埼玉県松伏町 重中慶子さん 小学2年

(横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての拉致被害者への思いをつづる「めぐみさんへの手紙」にはこれまで、小中高生ら約250通の応募があった。文面から伝わるのは「忘れない」「一日も早く取り戻したい」という強い思い。一部を紹介し、改めて北朝鮮による拉致を考えるきっかけとしたい。)

ぜったい帰って来て・・・埼玉県松伏町 重中慶子さん 小学2年
 めぐみさんの話は新聞をお母さんといっしょに読んではじめて知りました。
中学一年生の女の子が、学校の帰りにとつぜん外国の人にゆうかいされて、41年間帰ってこれていないということ、「らちひがいしゃ」ということ、知らない言葉でした。 お母さんと話をしてめぐみちゃんの気もちめぐみちゃんの家ぞくの気もちを考えました。
 めぐみちゃんがどれだけこわくてしかたがなかったか考えました。41年間という時間は、わたしにはそうぞうがつきません。でも、お母さんと話をしていて、「親にとって、子どもがいなくなった日のことは41年なんてきのうのことのようにぜったいにわすれられないことなんだよ。」と言う話を聞いた時に、わたしはなぜか分からないのだけれどたくさんなみだが出ました。
わたしもぜったいめぐみちゃんのことをわすれません。 ぜったい日本に帰って来て下さい。 めぐみちゃんが一日も早くお父さんお母さんに会えますように。

(原文ママ)

横田早紀江さん・・・・・「胸に響き、力づけられます」

 拉致被害者の一刻も早い救出を願う全国の若者から寄せられた手紙に目を通した横田早紀江さんは感謝の思いを語りつつ、「拉致問題に関心を持ち続けていただきたい」と呼びかけた。

めぐみたちすべての拉致被害者の救出を願う手紙につづられた、ひとつひとつの言葉が強く胸に響き、力づけられました。本当にありがとうございます。
拉致問題は未解決のまま長い時間がたち、その事実を知らない方も増えています。そうした今、若い皆さんが問題を知ることには、大きな意味があります。
  皆さん1人1人の思いは決して小さくありません。拉致事件という残酷な人権侵害の事実を学び、解決の道筋を考えていただくことは必ず、国を動かし、全被害者を帰国させる動きにもつながるはずです。
  年老いた家族は、拉致をすっかり解決し、希望にあふれた日本を次世代に引き継ぐことが最大の願いです。若い皆様もどうか、関心を持ち続け、声をあげていただけるよう、お願いします。
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めぐみさんに手紙を書きませんか
 北朝鮮に拉致され、いまだに帰国が実現しない横田めぐみさんらすべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」を、全国の小中学生や高校生、大学生から募集しています。学校のクラス単位での応募も歓迎します。
 字数はおおむね原稿用紙1~5枚(400字~2000字)ぐらい。郵送の場合は〒100-8078(住所不要)産経新聞社編集局社会部「めぐみさんへの手紙」係へ。eメールはnews@sankei.co.jpまで。住所、氏名、年齢、電話番号(小中学生の場合は保護者の方の連絡先)を明記してください。
 産経新聞社は募集した手紙を、拉致問題解決のための世論喚起などに生かさせていただくとともに、優れた手紙は紙面で紹介していきます。
 産経新聞社はこの手紙の募集に合わせて、拉致問題に関するテーマについて現役記者らが分かりやすく講義する“出前授業”を実施しています。
 問い合わせは、編集ソリューション室(nie-tokyo@sankei.co.jp)まで。



2018.11.13-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/affairs
【めぐみへの手紙】あの日から41年 「ただいま」必ず聞ける

(昭和52年11月15日、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=が新潟市で北朝鮮工作員に拉致されてから41年となる。14日に誕生日を迎える父の滋さん(85)と、母の早紀江さん(82)が再会を誓い、今の思いを寄せた。)

めぐみちゃん、こんにちは。今年もあっという間に11月です。しんとした冷たい空気に冬の気配を感じます。寒い季節を迎えるたびに、日本より遙かに厳しいであろう北朝鮮の過酷な環境を思い、めぐみちゃんたち拉致被害者が全員、無事に過ごせるよう祈ります。
 もうすぐ、「あの日」から41年がたちます。めぐみちゃんが北朝鮮に連れ去られた昭和52年11月15日。忽然(こつぜん)と姿を消したあなたを捜し、泣きじゃくる弟の拓也と哲也の手を引きながら、新潟の暗闇の中で幾度も、「めぐみ」と叫びました。

同じころ、あなたは工作船に押し込まれ、めぐみちゃんを捜した私たちと同じように、船倉の暗闇の中で必死に叫び、お母さんたちに助けを求めていたと、後に知りました。例えようのない恐ろしさ、絶望は察するにあまりあります。
 北朝鮮は平成14年に拉致を認めながら、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。そして、拉致から間もなく撮影したとするあなたの写真を提出してきました。その姿は、私たちの前から姿を消しためぐみちゃんそのものでしたが、明るかった表情とかけ離れた、とても悲しい顔でした。
 何かを訴えるように、悲しいまなざしを向けるあなたに、涙が止まりませんでした。お母さんは今も、あの写真を直視できません。その一方で、「めぐみちゃんは、ここにいた」と確信し、一刻も早く救い出す決意を、より強く固めることができました。
 それでも、多くの国民の皆様の後押しを得て、家族会が21年間、全力を注いできたのに、残る被害者をいまだに救い出せません。お父さんもお母さんも年をとったせいか、過ぎ行く時がより一層、早く感じます。拉致問題の全面解決に希望を持ちながらも、進展が見えない現実に焦り、やきもきしています。

 被害者との再会を待ちきれず、天に召された家族も多くいます。未帰国被害者の親の世代は私たちと、有本恵子さんのご両親の明弘さん、嘉代子さんしか残されていません。皆、年をとり、病を抱えています。41年間という別離の空白の悲しみ、苦しみを言い表せる言葉は見つかりません。
 日本政府は今、被害者の帰国へ、北朝鮮との交渉を図っているはずです。家族は非道な国家犯罪でとらわれた肉親を必ず救うという一念で、懸命に、1日を生き抜いています。局面はまさに「最後の好機」です。
 政府、そして政治家の方々は、どうか、私たち家族に残された時間が長くないという現実をまっすぐ見据えてください。国会をはじめ政治の場で、本当に日本国にとって大事なことを話し合い、進めてください。国民の皆様も、政治が真剣に行われているか、厳しいまなざしを向け、改めて声をあげていただきたい。被害者全員を救出する「本気度」が問われています。
 くしくも、めぐみちゃんはお父さんが誕生日を迎えた翌日に拉致されました。あなたが拉致される前日、「これからはおしゃれに気を遣ってね」とプレゼントしてくれた櫛(くし)を、お父さんは今も大事にしていますよ。
 お父さんは間もなく、86歳になります。あなたと元気に再会するため、病院で静養し、リハビリにも一生懸命、励んでいます。入院前は体力が衰え心配でなりませんでしたが、見違えるように元気になりました。

 お父さんは最近、意識がはっきりして、いろいろな思いをめぐらせています。
 「拉致はどうなっているの」。つい先日もこう問われ、お母さんが新聞を読み聞かせると、静かに耳を傾け、「なかなか進まない。やっぱり難しいね」と険しい表情でつぶやきました。
 確かに、拉致はとても難しい問題です。でも、お母さんは本来、難しい問題ではないと思い続けてきました。「不条理に連れ去られた国民を、毅然(きぜん)とした態度ですぐさま奪還する」。この当たり前になされるべき国家の働きがなされず、長年、放置されていた現実は誠に恐るべきものです。
 かつて、めぐみちゃんたち多くの日本人が次々と拉致される大事件が国内で起きていたのに国民はその事実に気付けませんでした。
 そして日本国は早くに、その事実に気付いたのに、なぜすぐに、手をさしのべられなかったのでしょう。
 時をへて、拉致問題は、大国の思惑や、複雑な駆け引きが絡む、国際的な大問題になってしまいました。
 めぐみちゃんは、明るくて、元気な女の子でした。学校から帰るといつも、玄関から「お母さん、ただいま! それで、今日はね…」としゃべり始めましたね。「そんなに大きな声で言わなくても、聞こえていますよ」。お母さんが台所から答えても、お構いなしで話し続ける。思い出すたびに、クスリと笑ってしまう、楽しい思い出です。
 でも、41年前のあの日から、あなたの声も姿も見えなくなってしまいました。それから毎日、泣き叫び、あなたを捜し続けました。「なぜ、こんな目にあわねばならないのか」-。北朝鮮に拉致されたことなど知る由もなく、何年も嘆き悲しみ続けました。
 「いっそ、新潟の海に身を投げ出してしまいたい」
 それほど、思い詰めることもありました。拓也と哲也もいたのに、なんと浅はかなことを思う母親だったかと、情けなくなります。
 新潟ですべての涙を流し去り、あなたが北朝鮮にいると分かった後は、ただ前だけを見つめて、救出運動に駆け回ってきました。多くの人に支えられ、すべてを天に委ねて祈り、生きてくることができました。
 国家犯罪による拉致というとてつもない現実と直面しながら、お父さんも、お母さんも不思議な力に守られ命をつないでいます。めぐみも同じように、日本国や世界の皆様の思いに守られ、必ず、全ての被害者とともに祖国の土を踏みしめることができるはずです。
 「ただいま! ありがとう」。13歳のころと変わらない元気で、明るいめぐみちゃんと、間もなく、再会できる。お父さんもお母さんも、そう信じています。


2018..10.4-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news
【めぐみへの手紙】5日で54歳の誕生日 あなたを必ず助け出します

 (北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=が5日、54歳の誕生日を迎える。父の滋さん(85)が療養する中、母の早紀江さん(82)が思いを寄せた。)

 めぐみちゃん、こんにちは。誕生日を迎え、あれほど小さくて、あどけなかったあなたが、54歳になります。一刻の重みを強く感じながら、途方もない思いに襲われます。 お父さんは今日も、写真の中でほほえむめぐみちゃんの姿に元気をもらいながら、一生懸命、リハビリに励んでいます。お母さんも元気な姿であなたを抱きしめるため、日々前を向いて救出を願い続けています。

あなたが北朝鮮に連れ去られ、姿を消してから、すでに41年も誕生日を重ねてしまいました。「おめでとう」と、素直に伝える気持ちにはなれません。これほど長く、助けてあげられなくて、本当にごめんね。 生まれたあなたを初めて抱き上げたときのことを、お母さんははっきりと覚えています。生命力に満ちあふれた「ズシリ」と重たい感触でした。黒い髪の毛が立派な、かわいらしい女の子を授かり、お父さんもうれしくて、うれしくて仕方がありませんでした。

あなたは花や自然が大好きで、元気に走り回っていました。そして芯が強く、頑張り屋でした。家族皆で正月やクリスマスを祝い、いろいろな場所に旅行に行きましたね。家族の輪の中心には、いつも明るいあなたの姿がありました。
 「私は自分のことをすべて、お母さんに話しているんだよ」。笑顔で寄り添い、そんな言葉をかけてくれてから間もなくあなたはいなくなりました。
 お父さんとお母さん。そして、あなたがかわいがっていた弟の拓也、哲也と一緒に楽しく誕生日を祝う。そんな普通の日常がどれほど尊く、ありがたいものか。身にしみて感じます。
 今、あなたはどんな姿になっているのでしょうか。私たちにとって、めぐみは13歳の女の子の姿で止まったままです。だから、どうしても、すてきな大人になっためぐみを思い描くことができないのです。
 けれども、家族は皆、明るく、強く、元気だったあなたを知っています。この瞬間も助けを待ちながら、懸命に生き抜いているめぐみちゃんを思い、拉致被害者全員の救出を訴え続けています。日本国のたくさんの国民の方々も、力を尽くしています。
 日本は、拉致という非道な国家犯罪を必ず解決し、未来への明るい道筋を切り開けるはずです。めぐみちゃん。あなたを必ず助け出します。長い闘いになりましたが、希望を強く持ってもう少し、待っていてね。


2018.9.17-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news
【めぐみへの手紙】元気な姿で再会するため お父さん、頑張っています

めぐみちゃん、こんにちは。日本の夏は今年、とてつもない暑さに包まれました。経験したことのない記録的な猛暑が続いたうえ、各地が大地震や豪雨などの大変な災害に見舞われ、復興に向け、多くの方が懸命に取り組んでおられます。
 平成14年9月17日、日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認めてから、きょうで16年がたちます。あの日、北朝鮮はあなたを「死亡した」と偽りました。いまだにめぐみちゃんたちを救えない悔しさがこみ上げます。

85歳のお父さんと82歳のお母さんにとって今年の暑さは本当に厳しいものでしたが、あなたに再会するまで決して負けないよう、一生懸命、過ごしています。
 お父さんは今、めぐみちゃんと元気な姿で再会するために、病院で一生懸命、リハビリに励みながら、力を蓄えています。
 昨年から今年にかけて、体力が落ち、急遽、入院することになりました。入院前は、日ごとに、食べ物や飲み物がのどを通らなくなっていました。高齢で飲み込む力が弱まると出る症状で、誰しも起こりうる、やむを得ないことでした。
今は、多くの方々に助けられながら、しっかりと元気を取り戻しています。
  お父さんは当初、点滴で栄養を補っていましたが、限界があり、「胃瘻(いろう)」にすることになりました。胃瘻は管を通して胃に直接、栄養を入れる処置です。口から食べ物や飲み物を取ることができなくなるのは、あまりにもかわいそうで、家族としては胃瘻にさせたくはありませんでしたが、迷った末に決めました。
 それからは、病院の方々と共にリハビリを重ね、硬直していた手足がほぐれ、体が伸びるようになりました。入院前はうまく言葉が出ず、意識を保つのが難しかったのですが、最近は笑顔が増え、言葉が出るようになりました。私たちとの会話もしっかり、理解できるようになっています。
 お父さんのベッドの前の台には、めぐみちゃんの写真を飾っています。幼いころのめぐみ。北朝鮮が平成14年に拉致を認めた後に差し出してきた、大人になっためぐみ。写真の笑顔を励みに、頑張っています。
 お母さんはいつも、お父さんに語りかけます。

 「もうすぐ、めぐみと拉致された皆さんが帰ってくるよ。お父さんとめぐみが会って、お話をする日までは、がんばらなければね」
 すると、お父さんは力強いまなざしで「うん。がんばる」と答えます。その姿に、お母さんも勇気をもらいます。お父さんが今、休息できるのは、長年、救出運動に駆け回ってきた分、「一息ついて、休養をしなさい」という天のおぼしめしだと感じています。
 あなたたちを救うため、今日もたくさんの方が声をあげています。めぐみちゃんと北朝鮮で一緒だった曽我ひとみさんも街頭に立って、救出を訴えています。
 「早く帰りたい」。お月様を眺め、めぐみちゃんがつぶやいた姿を、ひとみさんは忘れていません。お母さんのミヨシさんとの再会を信じて、私たちと同じように必死に闘っています。
 今年6月、史上初の米朝首脳会談が開催され、米国のトランプ大統領が、金正恩氏に拉致問題を提起しました。本当に思いがけないことで、「重い扉」が開きつつあるように感じます。
 一方、日本のありようはどうでしょうか。いまだ被害者を救えない現実に「このままで本当に良いのですか」と、問いかけたくなります。先行きが見えない中で、政治家の方々が何を大事に思い、事を進めていかれるのか、しっかりと、見つめていくつもりです。官僚の方々も改めて、被害者全員の帰国に向け懸命な働きを見せていただきたい。
 何よりも、私たちが襲われた拉致という非道な出来事と、41年間の地獄の苦しみをもう二度と、誰にも味わってほしくないのです。

 北朝鮮は国家犯罪として多くの日本人を連れ去りましたが、長い年月、それを許した日本の国のありよう、国内で渦巻いていたであろうさまざまな悪い動き、そうしたものを次世代に残さず、すっかり解決し、未来を担う子供たちへ日本を引き継ぐべきではないでしょうか。
 拉致は、人の命を肉親と故郷から引き離し、閉じ込めるものです。北朝鮮は、被害者の命を政治や外交の取引材料に使う残酷な行為を今すぐやめるべきです。拉致の全面解決を北朝鮮の最高指導者が決意するとき、被害者だけでなく、飢餓や抑圧に苦しむ北朝鮮の国民にも、大きな幸福が訪れると固く信じています。
 めぐみちゃん。希望を強く持って、待っていてね。=随時掲載


2018.8.17-産経新聞 SANKE NEWS WEB-https://www.sankei.com/world/news/180817/wor1808170041-n1.html
【激動・朝鮮半島】拉致被害者を「失踪者」に書き換え、韓国与党議員が北朝鮮におもねる改正法案で物議

  【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮が拉致した韓国人の名誉回復や支援を定めた韓国の国内法について、与党「共に民主党」議員が、拉致被害者を示す「拉北者」との呼称を「失踪者」に書き換える改正法案を国会に発議したことが物議を醸している。被害者家族は、韓国人拉致を認めようとしない北朝鮮を手助けするものだとして猛反発している。
  対象は、1950年代の朝鮮戦争時の拉致の真相究明と被害者の名誉回復を目的に2010年に制定された法律と、それ以後に拉致された被害者や家族の補償や支援を07年に定めた法律。戦争時とそれ以降を合わせ、約10万人の韓国人拉致被害者がいるとされる。

  同党の宋甲錫(ソン・ガプソク)議員は13日、2つの法律名にも盛り込まれている「拉北被害者」という用語を「失踪者」に置き換える法案を発議した。韓国紙によると、宋氏は「『拉北者』という表現に北朝鮮が強い拒否感を示しており、南北関係での衝突を和らげるためだ」と説明。法案には同党の計12人が賛同している。
  北朝鮮はこれまで韓国人拉致を否定し、被害者を「失踪者」や「失郷民」として扱ってきた。韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権にも北朝鮮との対話で拉致問題を持ち出す動きは見られず、今回の発議は北朝鮮への刺激を避けようとする政権・与党の空気を端的に示している。
  戦時拉致被害者の家族協議会の李美一(イ・ミルイル)理事長は、産経新聞の取材に「歴史的事実で、深刻な犯罪でもある拉致に対する北朝鮮の法的責任をうやむやにし、隠蔽(いんぺい)に手を貸すことになる」と発議を厳しく批判。拉致被害者らへの名誉毀損(きそん)などで宋氏を告訴した。
  北朝鮮は、日本人拉致に関しても「既に全て解決された」とメディアで主張し、解決を求める安倍晋三政権を繰り返し非難している。


2018.6.7-産経新聞 THE SANKEI WEB-https://www.sankei.com/article/20180607-OJSWPXJHABOGVAZSMOJOMLP6XQ/
「めぐみへの手紙」期待と絶望を重ね迎えた「大切な時」 心静かに成り行き見つめたい

  めぐみちゃん、こんにちは。毎日が飛ぶように過ぎ去り、今年も一年の半ばを過ぎようとしています。季節の移ろいは早く、木々の緑は濃くなり、梅雨を迎え、そして暑い夏の気配が迫ってくるように感じます。
  家の周りにはきょうも、あなたが大好きな色とりどりのきれいな花が咲き、心を明るくしてくれます。めぐみちゃんと一緒に、日本の美しい風景を何も考えず、ただ、静かに眺めたい。ずっと思い続けてきた願いは、募るばかりです。
  お父さんもお母さんも、本当に年を取ってしまいました。拉致被害者の救出を呼びかける写真展などで、めぐみちゃんと一緒に家族みんなで撮った写真を見ると「ああ、こんなに若いころがあったんだ」と、気が遠くなってしまいます。
  いつも明るく、楽しそうに笑い、元気いっぱいだったあなたの姿は、13歳の女の子のままで止まっています。それを取り戻せず、40年も時がたってしまった。怒り、悲しみ、悔しさ。途方もない感情がこみ上げますが、涙は枯れ果て、あなたの救出だけを心に決め、前へ前へと進んでいます。
  厳しく、難しい状況が続いた拉致問題は今、大切な時を迎えています。各国の指導者が歩み寄り、平和について話し合っています。
  ただ、私たち家族はいつも、複雑で理解しがたい政治や国際関係に翻弄されてきました。期待が裏切られて絶望のふちに追いやられたことは幾度もあります。
  つい最近も、一度は決まった米国のトランプ大統領と、北朝鮮の金正恩氏の首脳会談が「中止」と発表されました。そうかと思えば瞬く間に、交渉の場を再び設ける動きが進み、当初の予定通り会談を開催することが表明されました。


2018.04.08-産経新聞 THE SANKEI NEWS -https://www.sankei.com/article/20180408-SR34GL4DZRPUFOU6FG44DTO2SM/
「めぐみへの手紙」「最後のチャンス生かして」 首相にお願いしてきました 横田滋・横田早紀江
(1)
  めぐみちゃん、元気ですか。今年もあっという間に時が過ぎ4月です。春が本番を迎える中、お父さんとお母さんは桜の花を見に行く機会がありました。親しい方にお手伝いしていただき、皇居の周辺をはじめ都心の各所をめぐり、車内から美しい桜を眺めることができました。
  心が躍り、晴れ晴れとするような素晴らしい光景。お父さんもお母さんも年を取るばかりで、病気もあり、暗い気持ちに覆い尽くされてしまいそうになりますが、明るい花々と、皆さんの支えが、気持ちを前向きにしてくれました。
  めぐみちゃん。あなたも花々が大好きで、野山を自由に駆け回るのが大好きな女の子でした。生命の力に満ちあふれた桜を前に「めぐみちゃんと一緒に、この美しい日本の風景を眺めたい」という願いを改めて、強くしました。
  「お父さんとお母さんが必ず助けてあげる」。こう誓い、救出運動に取り組むようになってあっという間に20年が過ぎました。でも、拉致問題は進展せず、めぐみちゃんをはじめたくさんの子供たちは闇の中に包まれたままです。

  厳しく難しい状況が続きましたが今、拉致問題は重要な時を迎えています。米国、韓国のリーダーたちが北朝鮮側と会談し、未来について話し合うことが決まりました。拉致被害者の帰国に向けて、力を尽くすと約束してくださった米国のトランプ大統領も、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と首脳会談を行うことが決まったそうです。
(2)
  私たち家族に、難しい政治や国際情勢は分かりません。訴えたいのは、すでに40年も続く非道で、残虐きわまる、無慈悲な拉致問題に真摯(しんし)に目を向け、解決しない限り、本当の平和は訪れない、という思いです。
  平成9年、めぐみちゃんが北朝鮮にいることが分かり、同じ年に結成された拉致被害者の家族会は文字通り、命を削るように被害者奪還を訴えてきました。でも、解決の兆しが見えたように感じた次の瞬間、期待は裏切られ、何度も絶望の底に突き落とされました。激しすぎる浮き沈み。家族はなされるがままの日々を過ごしてきました。そしてここに至り私たちに残された時間は多くありません。
  先日、家族会は安倍晋三首相にお会いし、拉致問題解決に力を尽くしていただくようお願いしました。安倍首相は近々、米国でトランプ大統領に面会されます。
  「被害者を救う最後のチャンスを必ず、生かしていただきたい」。家族会の皆さんと一緒に安倍首相に思いをお話ししました。あらゆる機会を生かし、高い壁を打ち破り、被害者に祖国の土を踏ませてほしい。安倍首相に「日本の国として一日も早く、拉致を解決する姿を世界に示していただきたい」ともお伝えしました。
(3)
北の「手口」にだまされないで
  今年1月、内閣府へ伺ったときのことです。「被害者救出のため、できることはやり尽くしました。これ以上、何を訴えればいいのか…」。めぐみちゃんの同級生の皆さんと、加藤勝信拉致問題担当相にこうお伝えしました。
  それからというもの、お会いする方々からご心配の言葉をいただきます。「横田さんはもう、あきらめてしまったのだろうか」と思われた方もいるようです。
  確かに、お父さんもお母さんも年老いて、病気もあり、疲れ果てています。ここ何年かで、本当に無理がきかなくなりました。めぐみちゃんのことを思い続け、全国の津々浦々を回って訴えてきましたが、よく今日まで生きてこられたと、気が遠くなります。
  今、強く思うのは被害者全員を救い、最後に祖国の土を踏ませる責務は、日本国であり、政府であり、政治家にあるということです。

  一庶民で、普通のお父さん、お母さん、そしてきょうだいだった家族たちは一致団結して救出運動を続けてきました。戸惑いながらも、たくさんの場所で皆さまの前に立ち、全身全霊で訴えてきました。だからこそ、お母さんは「子供たちを救うために、訴え、考え得るすべてのことをやり尽くした」と思えるのです。救出をあきらめることは決してありません。ただ、解決に向けた大きなチャンスといわれる今、老いた家族に長い時間を待てる猶予はありません。
(4)
  厳しく、つらすぎる現実にも、必ず意味がある。神様はすべてを見通し、必ず最後にいいようにしてくださる。最近、「被害者と家族は大きな宿命、使命の中に生きている」と、より強く感じるようになりました。
  これまで、北朝鮮は多くの嘘をつき、約束を破ってきました。世界の指導者たちは、その「手口」にだまされないよう、しっかり事を見極め、話し合いを進めていただきたい。金正恩氏もまっすぐ心を開き、正しい道を歩み、真の平和を導けるよう祈っています。
  何よりも、拉致は日本の国が自らの力で解決する問題です。この大切な時、すべての政治家の方たちが真剣に国の危機を見据え、知恵を集め、全身全霊で取り組んでいただくことを強く願ってやみません。
  めぐみちゃん。もう少しできっと会えるよ。お父さんもお母さんも必死にがんばっています。めぐみちゃんも信じて待っていてね。


2018.01.03-産経新聞 THE SANKEI NEWS -https://www.sankei.com/article/20180103-XREQUDN2RBONVFZWZ6KAX3MG2U/
「めぐみへの手紙」「思いがけない奇跡を」お正月のたび、思います 痛恨の思い、底知れぬ焦り
(1)
  めぐみちゃん、こんにちは。いよいよ新しい年を迎えましたね。昨年の初め、「今年中に、すべての拉致被害者を救出していただきたい」と政府にお願いしながら、拉致問題が前に進まないまま1年間が過ぎてしまったことを、本当に切なく感じます。
  世間がせわしない雰囲気に包まれた年の瀬、お父さんとお母さんも落ち着かない日々を送りました。めぐみちゃんがいた頃は、クリスマスや大みそかを家族みんなで、にぎやかに過ごし、すがすがしい気持ちでお正月を迎えたものです。
  クリスマスは小さなツリーを飾り、好きな飲み物を飲んで、楽しく食卓を囲みました。お母さんが焼いたチキンも並べて、お祝いしましたね。大みそかは除夜の鐘を聞きながら年を越しました。でも、めぐみちゃんが姿を消してから、寂しい年末になってしまった。
  1年の終わりと、始まりを告げる鐘の音が響くたび、明るかったあなたを思い出し、大事なものが欠けているという現実を突きつけられます。いつになれば、あのころの楽しい日々を取り戻せるのか…。お父さんとお母さんにとって年末年始はとても辛(つら)い季節です。
  めぐみちゃんは寒さに強い女の子でした。小さいころは冬になるとよく、のどを痛めましたが、成長するごとに頑丈になった。お父さんやお母さんと違ってスポーツもよくできた。バレエや水泳、バドミントン。体をよく鍛え、よく食べ、よく歌を歌い、拓也や哲也と一緒になって、にぎやかに、はしゃいでいました。
  日本は今、身を切るような寒さですが、北朝鮮の厳寒は、それと比べようのないものでしょう。その厳しさに耐え、毎日、救いを待っているめぐみちゃんたちを思うと、心配で心配で仕方がなくなります。

  拉致されてあまりにも長い時がたち、身体が耐えられても、ひどく痛めつけられた心が耐えられるか。想像するだけで胸が苦しくなります。それでも、あなたのことだから、「きっと大丈夫だ」と強く信じています。
  クリスマスとお正月を迎えるたび心に思います。「拉致被害者と家族に思いがけない奇跡が与えられるのではないか」-。人の祈りは簡単に通じるものではありませんが、めぐみちゃんたちが一刻も早く祖国の土を踏み、日本国民をはじめ、世界中の人々が幸せに過ごせる日がやって来るよう、願ってやみません。
(2)
  めぐみちゃんが北朝鮮に拉致されてから、40年がたちました。昭和52年にあなたが姿を消し、理由さえ分からない地獄の20年間が過ぎ平成9年、北朝鮮にいることが分かってから、さらに20年が過ぎ去りました。
  大切な子供たちが助けを待っていることを知りながら、これほど長い時間がかかってなお、国民を救うという当たり前の責務がなぜ果たされないのか。怒りや悲しみはとうの昔に過ぎ去り、今はただただ、不思議に思うばかりです。
  お父さんは足腰が弱り、思うように話ができなくなりました。お母さんも体調を崩して声が出なくなり、大変な思いをしました。めぐみちゃんを追い続けた40年間、一瞬一瞬が死にものぐるいで深く考えることがありませんでしたが、振り返ると、想像を絶するとてつもない重荷を抱え、生きてきたことを実感します。
  昨年は本当に、いろいろなことがありました。北朝鮮は次々とミサイルを発射し、核実験を繰り返しました。軍事的緊張で破滅の予感が広がりました。「めぐみちゃんたちは一体、どうなってしまうのか」。不安にさいなまれ、眠れない日々が続きました。
  お父さんもお母さんも80歳を超え、おじいちゃんとおばあちゃんになり、さらに重すぎる現実を突きつけられ、疲れ果てています。

  それでも、思いがけず、米国のドナルド・トランプ大統領が国連でめぐみちゃんのことを語り、世界中に非道な国家犯罪の事実を知らしめてくださいました。来日された際には直接、家族会の皆様と思いを伝える機会もいただきました。
(3)
  さまざまな動きの中で、「本当に良い風が吹いてきている」と、前向きに捉えています。もちろん、拉致問題の解決は日本が自らの力で成し遂げなければなりません。被害者を救えなければ「国家の恥」です。世界中から侮られ、未来の子供たちに取り返しのつかない禍根を残すでしょう。お父さんもお母さんも、日本は本当にすばらしい国だと誇りに思っています。だから必ず、めぐみちゃんたちを救ってくださると信じています。
  年老いた拉致被害者と家族に残された時間はありません。昨年も、拉致問題の解決を心から願い、必死に闘ってきた方たちが数多く旅立たれていきました。
  12月、増元るみ子さんのお母様の信子さん、曽我ひとみさんのご主人のジェンキンスさんが相次いで亡くなられました。大切な人々が次々と世を去るたび、痛恨の思いとともに、底知れぬ焦りを感じるのです。
  でも、めぐみちゃん、知っていますか? 助けるまでに長い時間がかかってしまいましたが、日本全国の人々が拉致被害者のことを思って涙し、怒り、救出を誓い、声を上げて応援してくださっています。あなたの写真や、描いた絵が各地で展示され、街を歩くと、それを見たたくさんの方々から励ましをいただきます。

  お父さんとお母さんは信じていることがあります。北朝鮮に拉致されるという厳しく、辛(つら)すぎる試練の中で、被害者も家族も、大事な役目を神様から課せられているのだ、と。もう少しで日本に帰ることができると思います。最後の最後まで勇気と希望を持ち、あきらめずがんばっていてください。必ず助け出します。=随時掲載



2017.11.14-産経新聞 THE SANKEI NEWS -https://www.sankei.com/article/20171114-CASF3CMLPNO3FBBSCAMOWT6VH4/
「めぐみへの手紙」拉致40年…トランプさんの目を見つめ、私の思いお話ししました
(1)
めぐみちゃん、こんにちは。日本は木の葉が色づく季節が過ぎゆき、日々、寒さも感じるようになりました。あなたは美しい自然が本当に大好きでしたね。一刻でも早く、日本のきれいな風景を見せてあげたい。お父さんとお母さんはそれだけを願い、一生懸命がんばっていますよ。
  今年も11月15日を迎えてしまいます。決して忘れることはない「あの日」。昭和52年、新潟で13歳のあなたが連れ去られてから、40年がたってしまいます。なぜ今日まで助けられなかったのか…。53歳になったなんて想像もつきません。途方もなく長い月日を振り返ると、怒り、悔しさ、悲しさ、いろいろな感情が一気にこみ上げてきて、言葉になりません。
  13年間しか一緒にいられなかったけれど、あなたのちょっとしたしぐさ、楽しかった会話を今も鮮明に覚えています。助けるまでにこんなにも時間がかかってしまって本当にごめんね。

  お母さんは今月6日、拉致被害者家族会のみなさんと一緒に、米国のトランプ大統領にお会いしました。これまでもブッシュ大統領やオバマ大統領にお会いして、拉致問題の解決をお願いしました。どこにでもいる普通のお母さんが3人もの大統領にお会いするなんて、本当に不思議で、考えられないことです。とてつもなく重責で、しんどい思いをしました。
(2)
  トランプ大統領は大柄で明るい方でした。身を乗り出して私たちの話を聞いてくださり、その真剣なまなざし、熱意がとても強く、印象に残りました。
  お母さんは81歳になり、大きな声が出せなくなりました。面会の直前に風邪をひいてのどを痛め、ひどいがらがら声になってしまいました。多くのことが語れず、とても心苦しかったのですが、9月の国連総会で拉致をはじめ北朝鮮のさまざまな問題を世界中に訴えてくださったことに、深い感謝をお伝えしました。
  家族が伝えたい思いは、みな同じだったと思います。子供たちを無残な形で連れ去られたまま、長い年月を歩んできました。めぐみちゃんの母親として、親として、すぐにでも取り返したい。良き父親であるトランプさんにも、その気持ちをわかっていただけるはず。それを信じて、目を見つめてお話ししました。
(3)
恐怖に覆い尽くされ 最後には必ず会える
  朝鮮半島情勢は緊張して、何が起こるかわかりません。今回のトランプ米大統領との面会も含めて一瞬一瞬がとても大切な時間です。めぐみちゃんたちを救わなければならない責任を感じながら、必死に願いを伝えてきました。面会が何かを変えるきっかけになることを祈ります。
  もちろん、拉致問題を解決するのは日本自身の取り組みにかかっています。自らの力で悪に立ち向かい、被害者を一刻も早く救っていただきたい。「拉致を解決できないのは国の恥です」。お母さんはいつも、みなさんにそう申し上げます。日本がさまざまな問題を解決して「さすが日本国だ」と認められ、すべての国々に平和と幸せな日々が訪れることを心待ちにしています。
  今改めて振り返ると、拉致問題がいかにひどい出来事だったかと気が遠くなります。北朝鮮による国家犯罪が次々と、日本各地で起きていた歴史は、とても重たい現実です。40年前にあなたがいなくなった時の衝撃。風景や空気、すべてが暗澹(あんたん)として、恐怖に覆い尽くされ、死にたいと思うぐらい錯乱していました。
(4)
  それから20年がたち、めぐみちゃんが北朝鮮に連れて行かれていたことがわかりました。苦しく、泣き叫ぶ人生は終わり、あなたが元気で生きている望みが大きな力になり、喜ばしいとさえ思いました。「もう弱ってはいられない。しっかりと、闘っていかなければならない」。そう誓いました。
  あなたとの再会についてよく聞かれます。お父さんは、いざその時が来たらどうなるのか、想像もつきません。「いろいろなことを取り戻すため、たくさんの時間が必要だな」と、思いをはせていますが、お父さんはきょう14日の誕生日で85歳になりました。残された時が少ないことに、焦りを感じています。

  お母さんはいつも、「覚悟はできている」とみなさんにお話しします。それは決して、後ろ向きなのでも、あきらめたわけでもありません。自分も含め、人は生涯の中で何が起こるのか、あらかじめ予測することはできません。課せられた使命を思い、できうるだけのことを一生懸命やれば、何が起きてもそれでいい。お母さんは最後には必ず、めぐみちゃんと会えると思っています。だから日々、生かされている中で、さまざまな迷い、苦しみにもどうにか向き合うことができているのです。
(5)
  めぐみちゃん、日本は雨降りが多く、さわやかな秋はありませんでした。そちらはどうですか。年の瀬が迫ると、いつも北朝鮮の厳しい冬を思い、心配になります。お父さんもお母さんも疲れ果てていますが、めぐみちゃんの方がもっと大変だったと思います。
  知らないところに連れ去られ、言葉も、習慣も、何もかもを一から学び直さなければならない。日本で生まれ、学んできたことは一体、何だったのか…。あなたのことだから、そんな苦しさの中でも、必死にがんばっていることでしょう。
  めぐみちゃんが元気で帰ってくると信じている。どれだけ苦しくても、元気で力強いお父さんとお母さんでいることを約束します。救出のためにできることをすべてやって、思い残すことがないようにします。あきらめずに待っていてね。=随時掲載


2017.10.14-産経新聞 THE SANKEI NEWS -https://www.sankei.com/article/20171014-HFZXPCI7KNPAHDB4G7YY6K652E/
「めぐみへの手紙」5人が下りたタラップをずっと見つめていました 拉致被害者一部帰国あす15年
(1)
  めぐみちゃん、こんにちは。日本は澄み渡った秋空がいよいよ高くなり、深い緑が美しい季節となりました。めぐみちゃんたちを必ず救い出すと心に誓い、支えてくださる皆さまの力で、折れそうになる心を何とかつないでいます。
  平成14年10月15日。15年前、めぐみちゃんと同じように北朝鮮に拉致された5人が日本へ帰国を果たしました。蓮池薫さんと祐木子さん、地村保志さんと富貴恵さん、そして曽我ひとみさん。5人は足元を確かめるように、一歩ずつ、タラップを下りてきました。
  家族会の皆が羽田空港に集まって、日の丸の旗を手に、「お帰りなさい」と5人を迎える横断幕を掲げ帰国を喜びました。長年、闇に隠されてきた国家犯罪が白日の下にさらされ、日本国民の目の前に突きつけられた瞬間でした。
  「助けてください!」。街頭で必死に叫ぶ家族たちが抱えていた顔写真の皆さんが帰ってきた。写真で幸せそうな笑顔だった若者たちは年を重ね、やせて、疲れ切っていました。「本当によく帰ってこられた」。そう思いながらも、北朝鮮の厳しすぎる生活がにじんでいるようで、胸に迫るものがありました。

  あの日、お父さんとお母さん、新潟小学校の馬場吉衛校長先生も5人をお迎えしました。そして、5人が下りた後も、ずっとタラップを見つめていました。「機内にまだ誰かいるのではないか。めぐみちゃんも乗っているのではないか…」。でも続いて祖国の地を踏みしめる人はいませんでした。
(2)
  平成14年9月17日。日朝首脳会談で北朝鮮は拉致を認めましたが、めぐみちゃんたちを「死亡」と伝えてきました。東京に集まった家族たちは、体を粉々に打ち砕かれるような衝撃を受けました。
  死亡とされた被害者の家族は皆、怒りや悲しみなどさまざまな感情が交錯して茫然(ぼうぜん)自失でした。生存を伝えられた家族は「こんなことになって申し訳ない」と肩をふるわせ、号泣する人もいました。
  なぜ、国家犯罪の被害者が謝らなければならないのでしょう。あまりに残酷で理不尽な宣告。9年に家族会が結成してから、共に闘ってきた家族は、さらに言いようのない混乱の渦に突き落とされましたが、伝えられた「結果」にかかわらず、全員が抱き合い、前を向いて、闘いを続けることを誓いあいました。
  北朝鮮の主張を信じることは、できませんでした。「明るく元気で、何事にもくじけないめぐみちゃんが死ぬわけがない」と。実際に北朝鮮は偽物の「遺骨」を提出し、拉致のいきさつや暮らしぶりなど「証拠」として示したものも、嘘にあふれていました。
  「今は帰ってこられないけれど、めぐみちゃんもいずれ必ず帰ってくる」。あれから15年、ずっと信じ続けていますが、帰国を果たした人はいません。厳しく、地獄のような日々でした。
  家族会は日本のあらゆる場所を訪れ、拉致問題の解決を訴えてきました。飛行機に乗って世界各国の要人にもお会いし、北朝鮮の深刻な実情を伝えてきました。それでもなお、捕らわれた子供たちは姿さえ見えません。
(3)
  お父さんとお母さんは年を取り、体も動かなくなってきました。今年、特別に大切にしてきた国民大集会も、体調やお父さんの介護のことを考え、思い悩んだ末に2人とも欠席することを決断しました。本当に申し訳なく思います。
  めぐみや、多くの人々が拉致されて40年。私たち家族が救出運動を始めてからも20年がたってしまいました。被害者を一刻も早く救おうと、多くのものを犠牲にして走り続けてくださった皆さまの思いも痛いほど伝わってきて、動けなくなってきたことが本当に悔しく、申し訳なく思います。
  今、弟の拓也や哲也たちも私たちにかわって訪米したり、日本各地の集会に参加したりして必死に訴えています。あの小さかった弟たちが、今は立派なお父さんです。それぐらい、長い時がたったのですね。
  日本では総選挙が行われます。「国を思い、拉致を必ず解決する政治を実現していただきたい」。私たち家族の思いは、ずっと変わりません。この思いをしっかりと心に持つ政治家を選ぶため、私たち国民は候補者一人一人を凝視して、選ばなければなりません。大切な選挙だと思います。
  さらわれた国民を救えないのは国家の恥ではないでしょうか。党派を問わず、真心から拉致被害者を救うために知恵を集め、一日も早く実行していただくことを祈ります。私たちには、時間がありません。
  核やミサイルの問題も緊張が高まっています。北朝鮮の指導者はきっと孤独な人なのだと思います。心を開き、世界中の人々と話し合えるようにできればいいのですが。そういう機会が来るように祈っています。

  めぐみちゃん。いつも姿の見えないあなたに「こんにちは」と声をかけていますね。お父さんとお母さんはいつでも、あなたがすぐそばにいるように感じているのですよ。これまで思いつく限りの努力をしてきました。ありとあらゆる手を尽くし天に委ね祈ります。必ず喜びの日が来ます。もう少し、待っていてね。
(4)
国を思い、必ず解決する政治を
  平成14年9月17日。日朝首脳会談で北朝鮮は拉致を認めましたが、めぐみちゃんたちを「死亡」と伝えてきました。東京に集まった家族たちは、体を粉々に打ち砕かれるような衝撃を受けました。
  死亡とされた被害者の家族は皆、怒りや悲しみなどさまざまな感情が交錯して茫然(ぼうぜん)自失でした。生存を伝えられた家族は「こんなことになって申し訳ない」と肩をふるわせ、号泣する人もいました。
  なぜ、国家犯罪の被害者が謝らなければならないのでしょう。あまりに残酷で理不尽な宣告。9年に家族会が結成してから、共に闘ってきた家族は、さらに言いようのない混乱の渦に突き落とされましたが、伝えられた「結果」にかかわらず、全員が抱き合い、前を向いて、闘いを続けることを誓いあいました。
 北朝鮮の主張を信じることは、できませんでした。「明るく元気で、何事にもくじけないめぐみちゃんが死ぬわけがない」と。実際に北朝鮮は偽物の「遺骨」を提出し、拉致のいきさつや暮らしぶりなど「証拠」として示したものも、嘘にあふれていました。
  「今は帰ってこられないけれど、めぐみちゃんもいずれ必ず帰ってくる」。あれから15年、ずっと信じ続けていますが、帰国を果たした人はいません。厳しく、地獄のような日々でした。

  家族会は日本のあらゆる場所を訪れ、拉致問題の解決を訴えてきました。飛行機に乗って世界各国の要人にもお会いし、北朝鮮の深刻な実情を伝えてきました。それでもなお、捕らわれた子供たちは姿さえ見えません。
(5)
  お父さんとお母さんは年を取り、体も動かなくなってきました。今年、特別に大切にしてきた国民大集会も、体調やお父さんの介護のことを考え、思い悩んだ末に2人とも欠席することを決断しました。本当に申し訳なく思います。
  めぐみや、多くの人々が拉致されて40年。私たち家族が救出運動を始めてからも20年がたってしまいました。被害者を一刻も早く救おうと、多くのものを犠牲にして走り続けてくださった皆さまの思いも痛いほど伝わってきて、動けなくなってきたことが本当に悔しく、申し訳なく思います。
  今、弟の拓也や哲也たちも私たちにかわって訪米したり、日本各地の集会に参加したりして必死に訴えています。あの小さかった弟たちが、今は立派なお父さんです。それぐらい、長い時がたったのですね。
  日本では総選挙が行われます。「国を思い、拉致を必ず解決する政治を実現していただきたい」。私たち家族の思いは、ずっと変わりません。この思いをしっかりと心に持つ政治家を選ぶため、私たち国民は候補者一人一人を凝視して、選ばなければなりません。大切な選挙だと思います。
  さらわれた国民を救えないのは国家の恥ではないでしょうか。党派を問わず、真心から拉致被害者を救うために知恵を集め、一日も早く実行していただくことを祈ります。私たちには、時間がありません。
  核やミサイルの問題も緊張が高まっています。北朝鮮の指導者はきっと孤独な人なのだと思います。心を開き、世界中の人々と話し合えるようにできればいいのですが。そういう機会が来るように祈っています。

  めぐみちゃん。いつも姿の見えないあなたに「こんにちは」と声をかけていますね。お父さんとお母さんはいつでも、あなたがすぐそばにいるように感じているのですよ。これまで思いつく限りの努力をしてきました。ありとあらゆる手を尽くし天に委ね祈ります。必ず喜びの日が来ます。もう少し、待っていてね。=随時掲載


2017.09.16-産経新聞 THE SANKEI NEWS -https://www.sankei.com/article/20170916-6FAUSCTUURK6HPYXBK2L6UANF4/
「めぐみへの手紙」日朝首脳会談から15年 あなたが死ぬ訳がない あの日、力の限り叫んだ
(1)
  めぐみちゃん、こんにちは。日本は美しい秋空が広がり、コスモスの花が咲く季節になりました。新潟の家でも美しいコスモスが咲いていましたね。お花が好きでよく笑い、「自由」が大好きな子だったのに、一番自由を奪われる国に捕らわれてしまった。長く助けられず、苦しい思いをさせて、本当にごめんね。
  お父さんは84歳。お母さんは81歳です。ここまでよく、天に生かしていただきました。めぐみちゃんたちすべての拉致被害者が帰ってくるなら、私たち年老いた親たちが、身代わりになってあげたい。
  間もなく9月17日を迎えます。15年前の平成14年、日朝首脳会談で北朝鮮は日本人を拉致したことを認めました。でも、めぐみちゃんや多くの拉致被害者たちは「死亡」したと、一方的に伝えてきました。
  「5人生存、8人死亡」
  あの日、東京に集まった家族会は、大勢の報道陣の前で記者会見をしました。たくさんのフラッシュがまたたく中で、最初にマイクを持ったお父さんは、涙があふれ、止まりませんでした。言葉が続きませんでした。お母さんはマイクを受け取り、声を上げました。
  《日本の国のため犠牲になって苦しみ、亡くなったかもしれない若者たちの心の内を思ってください》
  《絶対、いつ死んだかも分からないようなことを信じることはできません。まだ生きていることを信じ続けて、闘ってまいります》
(2)
  報道などで後から自分の姿を見ましたが、無我夢中で、あのとき何を言ったのか、実はよく覚えていません。ただ力の限り叫びました。待ちに待って、ようやく届いたのが「死亡」の宣告。さまざまな感情が爆発して頭は真っ白でしたが、あれだけ強いめぐみちゃんが簡単に死ぬ訳がないという確信だけはありました。
  お父さんとお母さんはいつも「覚悟」を胸に生きてきたつもりです。平成9年にめぐみちゃんが北朝鮮にいると分かり、新聞で顔写真と名前が公開されることになった瞬間から、大変な現実に向き合いました。
  顔や名前が出たら、拉致の事実を隠すため、命を奪われるかもしれない。家族で話し合い、深く悩み抜きました。「20年間、何も動かなかった。すべてを公にしないと、何も伝わらず、変わらないままだ」。お父さんはそう思い、勇気を出して、めぐみちゃんの実名公表を決断したのです。
  それからというもの、北朝鮮のとてつもなく恐ろしい動きを幾度も目の当たりにするたび、「死」を身近に感じ続けました。そして今、核とミサイルの問題で状況はより切迫しました。
(3)
国家として救う信念を
  15年前、闇に包まれていた北朝鮮が拉致という国家犯罪を行っていたことが明らかになりました。私たちはずっと「この事実から目をそらしてはならない」と必死に訴えてきました。
  ところが、北朝鮮は世界中の批判を顧みず、拉致被害者を帰すことさえせず、核やミサイルを着々と開発しています。それは、破滅へと続く道です。一瞬ですべてが溶け去り壊滅する。日本人は核の恐ろしさを身をもって知っています。世界中が脅威に目を覚まさなければ事態が、いよいよ迫ってきたと実感します。
  長い間、政府に「早く救ってください」とお願いして、他のご家族と一緒に、ありとあらゆる努力をしてきましたが、いまだ拉致は解決できません。めぐみたちの姿は見えず、どこにいるかさえも分からない。なぜこれほど動かないのか疑問といらだちが募ります。
  そして、家族と同じように拉致被害者を思い、非道な国家犯罪に怒り、涙し、私たちを励ましながら闘ってくださった皆さまがたくさんいます。その存在は、私たちが心を折らずに闘い続けてこられた力の源です。

  救出運動が始まったころは、北朝鮮への恐怖や拉致という途方もない事実が信じられず、遠巻きに立ち去る方も多くいました。それでも、灼熱(しゃくねつ)の夏も凍える冬も一年中、街頭に立ち、署名を呼びかけ、あきらめずに解決を訴えた皆さまのご尽力があったからこそ、拉致を解決しようとする動きが日本中に広がりました。

(4)
  お父さんとお母さんはいよいよ衰え、皆さまと同じ場所に立つことが厳しくなり、本当に申し訳なく思います。お一人お一人の姿を心に描き、感謝の祈りを捧(ささ)げています。支えてくださった皆さまも私たち家族と同様に老い、病み、力尽きて亡くなる方もいらっしゃいます。大切な方を失うたびに、眠れないほど心が痛みます。
  お父さんもお母さんも、難しい国際関係は分かりませんが、日本の国家が拉致からずっと目を背け、被害者を助けようとしなかったことが、今日の大きな問題につながっている原因の一つであるように感じます。
  国家として救う信念がなければ、拉致問題は絶対解決しません。解決は国家の責務です。被害者を救い出すため、政府にはできることがまだあるはずです。心を一つに、優れた知恵を集め、解決に取り組んでいただきたいと思います。
  一体、どうなってしまうのか。そんな不安を振り払いつつ、全被害者が笑顔で祖国の土を踏み、「皆さま、今まで本当にありがとうございました」と、感謝できる日が必ずやってくると信じています。
  めぐみちゃん、体に気をつけて、どうか病気だけはしないで。ただただ、早く会いたい。お互い、立ち上がれなくなってしまうことがないよう、心を強く、がんばって待っていてね。=随時掲載


2015.2.9-産経ニュース-https://www.sankei.com/premium/news/150209/prm1502090005-n1.html
次々消えた印刷工5人“新情報” 裏にちらつく北朝鮮「偽札」
  昭和40年前後、わずか半径5キロほどの地域で働く若者5人がが相次いで失踪した。北朝鮮による拉致の可能性が排除できない特定失踪者にリストアップされ、いずれも印刷関係の会社に勤めていた。特定失踪者問題調査会の1月の調査では、これまで分かっていなかった足取りも判明。忽然と姿を消した彼らの背後には、北朝鮮が製造したとされる偽札の存在も見え隠れしている。
就職で上京の5人…半径2キロ弱の範囲に勤務
  印刷関係の仕事に従事していた失踪者は調査会が把握しているだけで10人。そのうち5人が、昭和38~43年の6年間に東京都内で足取りが確認されたのを最後に消息を絶った。
  5人はいずれも失踪当時10代後半から20代前半で、就職のために地方から上京し、会社の寮などで暮らしていた。それぞれが勤めていた会社の所在地は東京都千代田区、新宿区、墨田区で半径5キロ圏内にある。
  43年4月に失踪した早坂勝男さん(71)=失踪当時(24)=は行方不明直前に勤めていた墨田区の印刷会社に入る前、台東区の印刷会社で長く勤務していた。その当時は半径2キロ弱という範囲に、印刷関係の特定失踪者5人の勤務先が集中していたことになる。
  調査会が職業や年齢別に失踪者をグループ分けしている「マッピングリスト」によると、昭和40年代には看護師など医療関係者が3人、電話交換手など電話関係者が4人、原発・核兵器・ミサイルなどに関係する技術者3人失踪している。
  ただ、印刷関係者5人のような共通点は見いだせず荒木和博代表は「調査会が把握している情報の中では、これだけ狭い地域から同時期に同じような仕事をしている人が失踪している事例は他にはない」と特異性を指摘する。
目と鼻の先で仕事…退社時期不自然な失踪者も
  調査会が職業や年齢別に失踪者をグループ分けしている「マッピングリスト」によると、昭和40年代には看護師など医療関係者が3人、電話交換手など電話関係者が4人、原発・核兵器・ミサイルなどに関係する技術者3人失踪している。
   ただ、印刷関係者5人のような共通点は見いだせず荒木和博代表は「調査会が把握している情報の中では、これだけ狭い地域から同時期に同じような仕事をしている人が失踪している事例は他にはない」と特異性を指摘する。
目と鼻の先で仕事…退社時期不自然な失踪者も
  調査会は1月29日、失踪者の勤務先などを調べる現地調査を実施した。調査の前後で、3つの情報が明らかになった。
  昭和38年6月に失踪した中塚節子さん(69)=失踪当時(18)▽中塚さんと同じ会社に勤め一緒に消息を絶った当時20代前半で現在70代の男性▽41年9月に失踪した日高信夫さん(70)=失踪当時(21)-の勤務先は70~80メートルしか離れていなかったのだ。日高さんが就職した38年4月から中塚さんらが失踪する同年6月まで、わずか2カ月だが、3人は目と鼻の先で働いていたことになる。
  調査会は1月29日、失踪者の勤務先などを調べる現地調査を実施した。調査の前後で、3つの情報が明らかになった。

  昭和38年6月に失踪した中塚節子さん(69)=失踪当時(18)▽中塚さんと同じ会社に勤め一緒に消息を絶った当時20代前半で現在70代の男性▽41年9月に失踪した日高信夫さん(70)=失踪当時(21)-の勤務先は70~80メートルしか離れていなかったのだ。日高さんが就職した38年4月から中塚さんらが失踪する同年6月まで、わずか2カ月だが、3人は目と鼻の先で働いていたことになる。
  日高さんは父親に「大阪で就職する」という内容の手紙を送り、東京駅から大阪行きの列車に乗った後、消息を絶った。早坂さんも家族に「大阪に行って勉強をしたい」と話していたことがわかっていたが、調査後に早坂さんの写った写真から実際に大阪を訪ねていたことが判明。2人に「大阪」という新たな共通点が浮上したのだ。
 一方、41年8月に失踪した小林栄さん(71)=同(23)=のケースでは、退社時期に不自然な点が見られた。茨城県の小林さんの実家に、印刷会社が失踪を知らせてきたのは、同月26日の消印の手紙だった。その手紙には「(同月)21日の朝、社長が社内でみかけた」などと書かれ、その後所在が不明になっていることが記されていた。
  しかし、平成24年に警察が小林さんの厚生年金記録を調べたところ、小林さんは失踪1年前に印刷会社を退社しており、昭和41年4月からは別の会社に勤めていたことが記されていた。いずれの会社も今は既に存在しておらず、その真偽は不明のままだが、退社時期が不自然であることは明白だ。
目的は日本の印刷技術?…偽札造りに関与?
  拉致の可能性が排除できない印刷関係者の失踪について、荒木代表は「北朝鮮の偽札作りのために拉致された可能性がある」と指摘する。「スーパーK」や、さらに精巧さを増した「スーパーノート」と呼ばれる偽100ドル札について、米財務省は北朝鮮が製造したと断定。対北制裁に踏み切る一因となった。
  北朝鮮が偽札の研究を始めた当初、日本の印刷技術を盗むため、関係者を拉致したのではないか-。調査会はそのような推論を立てる。
  だが、東京から失踪した5人の印刷関係者は若く、熟練した技術を持っていたとは言い難いとの指摘もある。小林さんの弟で同じ印刷会社で働いた経験のある七郎さん(68)は平成25年、産経新聞の取材にこう答えている。
  「兄は印刷機に一枚ずつ紙を差し込んで印刷するオフセット印刷の技術者として働いていた。最初は紙を差し込む仕事から始め、熟練するとインクを混ぜ合わせて色を調合する仕事も担当するが、調合は40歳以上の人がやっていたため、兄はほとんどやっていないのではないか」
  これに対し、荒木代表は「拉致されたことを前提に考えれば、『若い印刷関係者を連れてこい』というおおざっぱな指示が出ていたのではないか」と指摘している。
占い好き…ぴたりと一致した目撃情報
  2003(平成15)年に脱北した自称・元朝鮮労働党の軍事教官が06年、日高さんの写真を見て、「平壌の病院で見た男性と似ている」と証言した。調査会もこの人物と面会し、日高さんとみられる人物に関する証言を得た。

  「平壌の印刷工場で働いていると聞いた」「髪の毛が多い」「胃が悪くて入院していた」
  「占いの話をしていた」という証言を聞いて、家族は日高さんが占いが好きだったことを思い出したという。証言の一つ一つが、日高さんの特徴とぴたりと一致した。
  特定失踪者問題調査会は日高さんを「拉致濃厚」と判断。他の印刷関係の失踪者との関連を調べている。
  平成25年5月には、日本政府が米国で主催した講演会に小林さんの弟、七郎さんが特定失踪者家族の代表として参加。印刷関係の失踪者が偽札作りに関わった可能性を指摘し「偽札造りに失踪した日本の印刷関係者が協力させられたと思うと、改めて兄の北での胸の内を考えざるを得ません」と訴えた。
  5人の失踪から40年程度が経過し、再会を願う家族も高齢化している。調査に同行した早坂さんの兄、勇治さん(78)は調査会が北朝鮮に向けて放送している短波ラジオ「しおかぜ」の収録に臨み、勝男さんに向けてこう訴えた。
  「寒いでしょうが、もう少し頑張ってください。元気で帰ってくることを待っております」
・・・・・・終わり








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