monomousu   もの申す
TOPにもどる
最近のニュース

拉致問題


2019.11.18-SANSPO COM-https://www.sanspo.com/geino/news/20191118/pol19111805020003-n1.html
北朝鮮、拉致被害者・松本京子さんに「手厚い医療」指示か

1977年に北朝鮮に拉致されたと日本政府が認定している鳥取県米子市の松本京子さん=失踪当時(29)=について、北朝鮮当局内で「手厚い医療を受けさせよ」との指示が出ているとの情報があることが分かった。韓国の拉致被害者でつくる拉北者家族会の崔成龍代表が17日、平壌の消息筋から入手したと明らかにした。
 崔氏は、指示は金正恩朝鮮労働党委員長が出した可能性が高いと指摘。「北の当局が日本などとの今後の交渉をにらみ健康を管理している可能性がある」と話した。
 71歳になる松本さんは平壌郊外の平安南道价川の居住施設におり、病状は重くないが持病がある。高度医療が受けられる平壌の朝鮮赤十字総合病院などで通院治療を受けているという。
崔氏は、松本さんが北朝鮮北東部、清津で長年暮らした後、平壌に移送されたと2012年に公表した人物。13年に韓国の情報機関、国家情報院はこの情報を確認した。
 松本さんについては、16年に視力低下などの症状で朝鮮赤十字総合病院に入院しているとの情報も崔氏が公表した。


2019.11.4-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news/191104/wor1911040020-s1.html
【めぐみさんへの手紙】「なぜ救えないのか」募る思い 横田滋さん、早紀江さん

めぐみちゃん、こんにちは。日本はとても厳しい夏の暑さが過ぎ行き、秋の気配を感じます。11月15日であなたが北朝鮮に拉致されてから42年となります。冷え込みが強まり、冬が近づくこの季節は、豪雪に埋もれた厳冬の北朝鮮が心に浮かび「なぜ救えないのか」と、悔しさが募ります。拉致事件は進展への希望があるように見えながら、なかなか局面が開かず、胃がきりきりと痛む毎日です。めぐみたちすべての拉致被害者が懸命に望みをつなぎ、日々生きていることを思い、必ず全員が祖国の土を踏む日が来ることを信じて祈り続けています。
父親にくしをプレゼントした翌日に姿消す
 先月、あなたは誕生日を迎え、55歳になりましたね。明るい少女だっためぐみちゃんが今、どのような姿なのか。もはや、想像もつきません。42年前、あなたの13歳の誕生日を、お父さん、双子のきょうだいの拓也、哲也と祝ったときは、これほど壮絶な人生が待ち受けているとは、思いもよりませんでした。
 同じ年の11月14日、今度は、めぐみちゃんがお父さんの45歳の誕生日を祝い、茶色のくしをプレゼントしてくれましたね。その翌日、あなたは姿を消しました。台所で楽しく、たわいのない会話を交わした「普通の日々」が、いかに幸せだったか、身にしみます。

「なぜ、めぐみが拉致されなければならなかったのか」「なぜ、守ってあげられなかったのか」と、ひたすら苦しみました。その答えは今も見つかりません。
 北朝鮮の無慈悲な国家犯罪により連れ去られた拉致被害者、そして家族は今、この瞬間も、苦しみの煉獄(れんごく)の奥底で、祈り、救いを待っているのです。
 拉致事件は、北朝鮮が一方的に連れ去った被害者を親きょうだいの元へ帰す、という人として当たり前のことをすれば、解決するのです。決断するのは、北朝鮮の最高指導者です。
心をまっすぐに自らのありようを見つめ、決断すれば日本、北朝鮮、世界に平和と幸福が訪れるのです。その道筋を導き出すべく日本の政府、政治家、官僚の皆様も全身全霊をささげていただきたいと願います。
日本は最近、災害が相次ぎました。多くの方が亡くなり、家を失い、深く傷ついています。新しい令和という時代の中で、一日も早く皆様の傷が癒やされ、希望に満ちあふれた日々が切り開かれますよう、祈ります。高い壁を乗り越え、日本がきっと前に進むと、希望を持っています。
「強いめぐみちゃんが、死ぬわけがない」
 拉致事件の解決はあと一歩、絞り出すところまできていると思います。ここですべてを出し切るか。固まってしまうのか。すべての拉致被害者を救い、祖国の土を踏ませるため、日本は正念場を迎えています。
 平成14年9月17日、日朝首脳会談が行われ、北朝鮮の最高指導者は拉致を認めて謝罪しました。その一方で、めぐみたちを「死亡」「未入境」と偽りました。

9年に家族会を結成し、一心不乱に救出運動に取り組んできた私たちは、北朝鮮の一方的主張で肉親の安否を宣告されました。
 「死亡」を突きつけられた家族、そして「生存」を伝えられた家族にとっても、その現実は過酷すぎるものでした。「明暗が分かれた」。そう表現されたこともありますが、拉致で切り裂かれたかけがえのない人生、幸せは容易に取り戻すことはできないのです。
 「めぐみが亡くなった」と偽られたあの日、家族は一堂に会し、記者会見に臨みました。お父さんは涙で言葉が続きませんでした。
 「強いめぐみちゃんが、死ぬわけがない」。お母さんは無我夢中で力の限り叫んだことを覚えています。
 「日本の国のため犠牲になって苦しみ、亡くなったかもしれない若者たちの心の内を思ってください」

 その時の自分自身の姿は報道などで後から知ったのですが、お母さんは「まだ生きていることを信じ続けて、闘ってまいります」とも申し上げました。その思いは寸分も変わりません。
 1カ月後の10月15日、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが飛行機で羽田空港に帰国を果たしました。「よく耐えて無事に帰ってきてくれた」と、感慨があふれました。
 同時に、お父さんもお母さんも、「5人に続いて、めぐみが飛行機から降りてくるのでは」という思いがぬぐえず、時を忘れて、飛行機を見つめていました。あの日から、17年が過ぎました。長い時がたち、拉致を知らない子供たちも、少なくないようです。
残された時間はわずか
拉致被害者、そして家族にとって、拉致事件は毎日が節目で闘いです。私たちが突きつけられてきた過酷な現実の一瞬一瞬が心に突き刺さり、いまだ被害者が帰らない重い現実とともに、のしかかるのです。
 国民の力強い後押しによって、事は大きく進みました。ただ、完全な解決はまだ見えません。被害者と再会を果たせず、無念を募らせながら多くの家族が天に召されていきました。懐かしく、大切な方々が旅立たれ、ただただ悲しい思いでいっぱいになります。
 お父さんは11月14日で87歳になります。お母さんも83歳。被害者の親世代だけでなく、きょうだい、子の世代も年を重ねました。小さな双子の男の子だった拓也と哲也も、51歳です。被害者も老い、病に苦しんでいるはずです。残された時間は、もう、わずかです。
 病院で懸命にリハビリに励むお父さんも、めぐみと同じように、果敢に闘っています。目に宿る力は衰えず、励ましに「頑張る」と応じる力の源は、あなたと元気な姿で再会するという希望にほかなりません。
 もうすぐ、冬を迎えますね。北朝鮮の厳しい寒さの中に幾とせも、めぐみたちをさらしてしまいました。冬が近づくたび、暗鬱(あんうつ)とした気持ちは募り、必ず、一刻も早く助けたい、という切望を新たにします。
 めぐみちゃん、お父さんも、お母さんも、力を振り絞ってがんばるから、あと少し、待っていてね。日本すべてが、あなたたちの帰国を待ちわびています。


2019.7.28-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news/190728/wor1907280019-s1.html
【めぐみへの手紙】被害者全員に祖国の土を踏ませる政治の力を信じ、待っています

めぐみちゃん、こんにちは。日本は夏の季節を迎えました。深さを増す緑、美しく咲く花々に四季がめぐる早さを実感し、長い年月、すべての拉致被害者を帰国させられない現実に、言いようのない、むなしさが募ります。新しい令和の早い時期に、拉致事件がすっかり解決されることを祈るばかりです。
 世界はめまぐるしく動き、トランプ大統領が米国の指導者として初めて北朝鮮に入り、金正恩(キム・ジョンウン)氏と再び相まみえました。「拉致被害者はいつ帰国できますか?」。道を歩けば、多くの方々に問いかけをいただきます。でも、私たち家族は、複雑な国際情勢や外交交渉の核心は、本当に、知る由もありません。励ましに感謝しつつ、戸惑い、言葉に窮してしまうのです。

突然姿を消した肉親を40年以上追い、北朝鮮にいることも分かっているのに、どうすれば救えるのか答えがつかめない。苦しみの根本がここにあります。
 私たち家族は、どこにでもいる普通の日本人です。最後に被害者を救うのは日本の政府、政治の力をおいて、ほかにありません。
 国会を見ていると、日本にとって大切な外交、国際関係の課題は、あまり取り上げられていないように感じます。拉致事件も議題に上がることは少なく、嘆かわしい思いにかられます。

折しも、国の代表を決める選挙が行われました。「国家と国民のために働きます」。選挙のたびに手を上げ、頭を下げた多くの人たちと、この残酷な42年間が過ぎ行く有様を、どう考えればいいのでしょうか。
 未来を見据え、子供たちに希望に満ちた日本を引き継ぐため、真剣な議論が行われることを願ってやみません。国民の皆様もそのありようを見極め声をあげていただければと思います。
 昭和52年11月15日にめぐみが拉致された後の20年間はどこにいるのか、まったく分かりませんでした。
平成9年、真相を調べていた方々の尽力で初めて、めぐみが北朝鮮にいると分かりました。「やっと、めぐみと会える」。あの時の希望は忘れられません。でも、その後の日々は、何も見えなかった20年間と同じか、それ以上に苦しい道のりとなってしまいました。
 同じように肉親が拉致された方々が集まり、家族会を結成し、必死に訴えましたが、最初は取り合ってもらえませんでした。拉致は「疑惑」「嘘」と断じられることさえあったのです。

実は、拉致事件は政治の中で早い時期に取り上げられていたことも、後から知りました。全国で相次いだ奇妙な失踪について、政府は昭和63年、国会で「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁しています。
 しかし、足踏みするかのように問題は前に進まず、私たちの声も届いていないような雰囲気は一体、何なのでしょうか?
 北朝鮮という国は、静かに、不気味に閉ざされていました。日本の政治に対しても、怒りや、悔しさを感じることは、たびたびありました。拉致問題の進展を遠ざけるような動きに対して、デモ行進や、座り込みまでしたこともあります。

それだけに平成14年、日本と北朝鮮の指導者が首脳会談を開くと初めて聞いたときは、重い扉が音をたてて開くように感じました。
 この年の9月に会談が開かれる直前、お父さんもお母さんも、政治にかつてない、前向きな力を感じていました。しかし北朝鮮は、めぐみが「死亡した」と主張しました。捏造(ねつぞう)した「死亡診断書」や偽の「遺骨」まで提出し、私たちは絶望のふちで、さらにもがき苦しみ、闘い続けました。
 その一方で、北朝鮮は拉致を認め謝罪し、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんたち5人の被害者が帰国を果たしました。
私たちが感じた政治の前向きな力を、今一度、見せていただきたい。あらん限りの知恵と志を注ぎ込み、再び、重い扉をこじ開け、5人に続くすべての被害者に祖国の土を踏ませていただきたいのです。]
 めぐみちゃん。お父さんは今日も、一生懸命、リハビリに励みながら、あなたの帰国を待っています。ベッドのそばに並べたあなたの写真が、力の源です。
 お父さんもお母さんも年老いて病を抱え、救出運動の前線には立てなくなってしまいました。懸命に闘う家族や支援者の方達を思いもどかしさが募ります。

「死亡」「未入境」とされためぐみたち未帰国の被害者の足跡は、長く平和の中にあった日本に、目を背けてはならない、残酷な現実を示したのではないでしょうか。いまも続く非道な国家犯罪を、忘れないでください。北朝鮮で救いを待つ数多の人々を、決して忘れないでください。
 政治の力が真に発揮されるとき、残る被害者全員がきっと、祖国の土を踏めるはずです。私たち家族は、日本がその瞬間を迎える日が来ることを信じます。めぐみちゃんもその日まで、どうかがんばっていてね。


2019.5.5-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news/190505/wor1905050002-s1.html
【めぐみへの手紙】平成に拉致が白日 令和で解決に歩み

めぐみちゃん、こんにちは。元気でしょうか。日本は、暖かな春の陽気が広がり、あなたの大好きな花々もきれいに咲き誇っていますよ。めぐみが小学5年生の時、バザーで買った小さなゴムの木は、4鉢に増えて大きい葉を茂らせ、あなたの帰国を待っています。
 日本は、大きな時代の節目を迎えました。天皇陛下が譲位され、1日、皇太子さまが天皇に即位されました。元号は「平成」から改元され、「令和」の時代が幕を開けました。新たな日本が力強く、希望に満ちた歴史を刻むことを祈っています。
 譲位した上皇さまと、上皇后さまは、日本全国を回り、国民に寄り添ってこられました。そして、上皇后さまは折に触れて、拉致事件の解決を願うお言葉も寄せてくださいました。
 昨年10月の誕生日にあわせ公表されたお言葉では、拉致事件について、「平成の時代の終焉(しゅうえん)と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません」との思いを示されました。今年2月には、高齢化する私たち家族を気遣いつつ「希望を持ちましょう。何もできませんが解決を願っています」と、お言葉を寄せていただきました。

今、お父さんもお母さんも病を抱え、年を取り、思うように体が動かなくなりましたが、決してあきらめません。いつも「希望」を持ち、祈り、すべての被害者救出を信じて闘います。
 国際情勢はますます難しく、拉致事件の行く末は混沌(こんとん)とし、私たち家族は何も分からず、戸惑うばかりです。めぐみが拉致されてから42年になります。どうすればすべての被害者を救えるのか、焦りが募ります。
 平成の時代には、北朝鮮による拉致が白日の下にさらされ、めぐみがそちらで共同生活をしていた蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが日本へ帰国を果たしました。これは、大きな歩みだったのではないでしょうか。

新たな時代を迎える中でさらに歩みを進め、拉致事件をすっかり解決して、明るく、希望に満ちた日本を次世代に引き継ぎたい。政府、政治家の皆さまは全力を尽くして、すべての被害者に祖国の土を踏ませていただきたいと切望します。
 めぐみちゃんは昭和52年11月15日、13歳のとき新潟市で連れ去られました。生死も分からず、お母さんは毎日、泣き叫び、海岸や街中をさまよい歩きました。 「何も分からない」のは言語に絶する苦しみです。理由もなく、肉親が煙のように消える。多くの家族が、地獄のような日々に長年、苦しんできました。拉致被害者もまた、恐怖のどん底で、長い時間を耐えてきました。これほど非道な仕打ちがあるでしょうか。

めぐみちゃんが拉致されて北朝鮮にいると分かったのは平成9年1月でした。本当に不思議なきっかけで情報がもたらされ、驚きとともに、「必ず助ける」と心に誓ったものの、どうすれば救えるのか、まったく見当もつきませんでした。
 手を差し伸べてくださったのは、拉致事件解決を目指す各地の有志の方々でした。間もなく、新潟市で大通りに立ち、初めて救出を訴えることになりました。
 ≪父 横田滋≫≪母 横田早紀江≫
 こう記されたタスキが準備されていて驚きました。「これをつけて街中に立つのかな」「選挙のようだけれど…」。最初は戸惑いましたが、とにかくやるしかないと、このタスキをかけ、各地の署名活動や集会の場に立ちました。それまで、人前で話すことなんてなかったけれど、一生懸命に声をあげました。

9年3月には全国の被害者の家族が集まり家族会が結成され、一致団結して救出運動を始めました。同じ境遇の家族が手を取り合い、前に進みました。
 当時、北朝鮮は謎に包まれた縁遠い国でした。そんな国が、国家犯罪として日本の若者たちを次々と拉致するなど、想像を絶する出来事です。一人でも多くの国民に事実を伝え、政府に動いてもらうしかありませんでしたが、事態がどれだけ前へ進んだか、実感はなく、手探りの連続でした。
それでも少しずつ、着実に理解は広がり、何もなかった20年間から一転、日々がめまぐるしく動き出しました。デモ行進や座り込みをして、拉致解決を訴えたこともあります。 そして14年9月、北朝鮮は拉致を認めて謝罪しました。でも、めぐみたちは「死亡」「未入境」などと、偽られたままです。拉致事件のありようを、長い間、政府は、どう思ってきたのでしょうか。
 お父さんは昨年4月に入院して1年が過ぎました。みるみる元気を取り戻し、最近、一緒に桜の花を見に行ったときも、目を輝かせながら、ほほえんでいました。ベッドの傍らに飾っためぐみちゃんの写真に元気をもらい、毎日、リハビリに励んでいます。

「めぐみちゃんが帰るまで元気でいないとね」。お母さんがこう話すと、お父さんは「うん、がんばる」と力強くうなずきます。いつも励まし合い、あなたの帰りを待っています。
 拉致事件が起きてから、時代は昭和から平成、そして令和を迎えました。残る被害者と、私たち家族の闘いは、まだ続いています。
 お父さんとお母さんは集会などに参加することは難しくなりましたが、双子の弟の拓也と哲也は国内外を駆け回っています。めぐみのことを、一瞬たりとも忘れたことはありません。

たくさんの国民が被害者全員の即時帰国を求め声をあげています。お父さんが撮影しためぐみの写真展を開いてくださるマンションの皆さま。地道に署名を集める支援者の方たち。寄居中学校のめぐみの級友も救出運動に力を注いでいます。
 めぐみちゃんたちが耐え忍んできた苦しみは、決して無駄ではありません。いつの日か必ず、日本、そして世界に大きな喜びと、実りを与えるはずです。だから絶対に、元気な姿で帰国しなければなりません。必ず帰れると信じて、もう少し、頑張っていてね-。


2019.3.16-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news/190316/wor1903160030-s1.html
【めぐみへの手紙】「指導者同士の真剣な話し合いを待っています」

父   横田 滋(しげる)
母       早紀江

(北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(83)夫妻は今この瞬間も、めぐみさんたちすべての被害者の一刻も早い救出を祈り、待ち続けている。飛ぶように過ぎる日々に焦りが募る中、先月末に開催された米朝首脳会談では、トランプ米大統領がふたたび、金正恩朝鮮労働党委員長に拉致問題を提起した。横田夫妻は拉致問題解決に向け、日朝の指導者による真剣な話し合いに期待を寄せながら国民の後押しを呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは。新しい年を迎え、めまぐるしい日々を過ごすうちに、あっという間に3月です。お父さんもお母さんも、めぐみたちすべての拉致被害者を救い出すことを心に誓いながら、一刻の過ぎ行く早さに、空恐ろしくなることもあります。
 つい先日、米国のトランプ大統領と、北朝鮮の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)氏が首脳会談を行いました。会談後、安倍晋三首相はトランプ大統領から報告を受け、私たち家族とも面会して、今後の成り行きについて、お話しされました。

米朝首脳会談では、米国が北朝鮮に非核化の問題で厳しく臨み、トランプ大統領は拉致問題の解決を繰り返し投げかけたそうです。安倍首相は金正恩氏と直接向き合い、被害者の帰国を求めるという決意を、改めて私たちに伝えました。
 「水面下」といわれるものも含め、日本と北朝鮮がどのような交渉をしているのか、私たちは知る由もありません。ただ、重かった扉が音を立て動き、日本と北朝鮮の指導者が互いの平和を実現するため真剣に話し合う機会が、現実味を帯びているように感じます。

拉致は単なる「問題」ではなく、前代未聞の「大事件」です。非道極まりない国家犯罪をすっきりと解決できなければ、日本の恥です。北朝鮮も拉致被害者全員を帰して初めて、明るく豊かで、幸福な国づくりを進めることができます。
 安倍首相の決意を信じ、すべての被害者が祖国の土を踏みしめる日が来ることを、切に願います。
 拉致事件をはじめ、日本は国内外のさまざまな課題と向き合っています。後を絶たない災害も、その一つではないでしょうか。今月11日で、数多くの命が奪われた東日本大震災から8年となりました。

被災者の方々は復興へ懸命な日々を歩まれてきたはずです。お一人お一人の悲しみが癒やされ、大きな希望の光が差しますよう、祈りを捧(ささ)げます。
 あまたの困難を乗り越えて、明るく、力強い日本が次の世代に引き継がれることを願っています。
 お母さんは先月、誕生日を迎え83歳になりました。また一つ、年を重ねてしまったのかと、悲しくさえなります。
 私たち家族は、どこにでもいる普通の日本人です。めぐみちゃん、弟の拓也、哲也と一緒に楽しく暮らした41年前を振り返ると、途方もない思いにかられます。拉致事件がなければ、お父さんもお母さんも、穏やかな余生を過ごしていたことでしょう。でも、あなたが姿を消した昭和52年11月15日から、修羅のような日々を過ごしてきました。

めぐみちゃんに元気な姿で再会するため、病院で療養しているお父さんも、同じ思いを抱いているはずです。リハビリや治療が功を奏し、最近は意識もはっきりして、みるみる元気になっています。明るい笑顔を見るたび、皆さまのお力添えに感謝するばかりです。
 でも、元気になった分、拉致事件の重すぎる現実が身に迫り、考え込むことも多いようです。新聞を読み聞かせると、しきりに詳しい話を問いかけてきます。
 最近、病院の許可を得てお父さんを自宅に連れて帰ったときのことです。わが家に戻れば、もっと元気が出るかも、と思ってのことでしたが、お父さんはいつになく厳しい表情で、部屋を見渡していました。

その姿に、お母さんは気付かされました。「めぐみちゃんが拉致されてから、私たちの家はくつろぎの場ではなく、厳しい『闘い』の場所だった」-と。
 平成9年、めぐみちゃんが北朝鮮にいることが分かり、拉致被害者の家族会が結成されると、めまぐるしい毎日が始まりました。
 家の電話は鳴り止まず、ファクスや手紙が山ほど届き、マスコミの方々がたくさん、取材に来られました。めぐみちゃんを救いたくて、無我夢中でした。
 そして、拉致事件にどう向き合うか、家族で幾度も話し合いました。「めぐみちゃんの命が危ない」-。めぐみちゃんの事件が初めて実名報道されるときにも、激しい議論になりました。恐怖を必死に振り払い、皆で前に進みました。

久しぶりにわが家に戻ったお父さんも昔を思い返し身の引き締まる思いに駆られたのかもしれません。
 拉致被害者はかつて、連れ去られた事実さえ知られずに闇の底に埋もれ、置き去りにされてきました。拉致事件が起きてから最初の20年間、私たちは、理由なく姿を消しためぐみちゃんの痕跡を追い、地獄の中でもがき苦しみ続けました。
 ようやく、めぐみちゃんたちが北朝鮮にいることが分かっても拉致は「疑惑」に過ぎないとされた時代が続き、私たち家族の訴えは容易に届きませんでした。

しかし平成14年、北朝鮮はついに拉致を認めて謝罪し、蓮池(はすいけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我ひとみさんたち5人が帰国を果たしました。重い扉が確かに開きましたが、北朝鮮はすべての拉致被害者を返さず、めぐみちゃんたち残された被害者を「死亡」や「未入境」としたまま、今日に至ります。
 救出運動は喜び、怒り、悲しみ、あらゆる感情が交錯する怒濤(どとう)の連続でした。そして、たくさんの奇跡がつながって、少しずつ、事が前に進んできました。
私たち家族とともに、懸命に声をあげてくださる国民の皆さまの力があれば、必ずや喜びの奇跡が再び訪れ、被害者全員が笑顔と、うれし涙を流し、祖国の土を踏む日が来るに違いありません。最後にそれを実現するのは、国家の力、政治の力に他なりません。
 闘いの場だったわが家に再び、めぐみを迎え、安らぎの団欒(だんらん)を過ごせる日が、必ず実現するはずです。その時まで、お父さんとお母さんは、めぐみちゃんをはじめすべての人の幸せを思い、祈り、待ち続けます。


2019.1.21-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news/190121/wor1901210021-s1.html
【めぐみへの手紙】若者から帰国を願う手紙、本当に勇気づけられる

(北朝鮮による拉致問題は進展が見えないまま平成31年を迎えた。拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(82)夫妻は今この瞬間も、全被害者の即時救出を切望している。家族たちの思いに応えるかのように、若い世代からめぐみさんらすべての被害者に贈る手紙が次々に寄せられている。「膠着(こうちゃく)した状況を動かす大きな力になる」。夫妻は思いも背に、解決に向けた国民の後押しを重ねて、呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは。本当にめまぐるしく、1年が過ぎ行き、また新しい年を迎えました。あなたを必ず助け出すと心に決めながら、さらに年月を重ねてしまったことが本当に辛く、それでも、決してあきらめず、再会を信じて、日々を生きています。
 このたび、めぐみたち拉致被害者への思いを込めたたくさんのお手紙を若い方々からいただきました。めぐみは13歳で拉致されました。今、当時のめぐみと同年代の皆様は、拉致事件が起きたとき、お生まれでさえありませんでした。

そんな方々が、めぐみちゃんたち被害者の生き方に触れ、帰国を願ってくださることは本当にありがたく、勇気づけられます。
 たくさんつづっていただいた手紙を通し、若々しい励ましと後押しの思いに心を打たれました。必ずや北朝鮮に届き、膠着した状況を動かす大きな力になるはずです。
 私たち家族は長い時間、救出運動に全力をかたむけてきました。最初は街頭で訴えても見向きもされず、拉致を「嘘」と断ぜられ、救出を訴える署名用紙を乗せたボードをたたき落とされたこともありました。

それでも、少しずつ思いが広がり、社会の声は高まり、ついには北朝鮮が拉致を認めました。ここに至ったのはやはり、拉致に心から怒り、涙し、救出を切望した国民の方々の声があったからこそだと思います。
 ただ、拉致事件が完全に解決しないまま、40年以上の時がたつ中、家族は「救いを待つ被害者が忘れ去られてしまう」という、底知れぬ恐怖感とも向き合ってきました。だからこそ、国民の皆様には、これまでと同様に関心を持ち続けていただきたいのです。

次代を担う若い世代の方々が拉致事件を知り、解決の道筋を考えていただくことは、とても大事なことだと強く感じます。
 今年、日本では天皇陛下が譲位されることになり、新しい時代を迎えようとしています。昭和の時代に起き、日本に深く突き刺さってきた拉致事件という国家犯罪が、平成のうちにすっかり解決され、明るい未来の幕開けにつながることを願ってやみません。
 昭和52年11月、めぐみちゃんが煙のように消え去ってから、心が安まる日は一日もありませんでした。

20年を経た平成9年、北朝鮮にいることが分かり、救出を訴える活動をお父さんと始めました。拉致被害者家族会も結成され、全国に被害者救出を支援する組織が広がり、情勢は少しずつ、確かに、前に進んでいきました。
 そして平成14年。北朝鮮は拉致を認め、謝罪しながらも、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。
 間もなく、飛行機で羽田空港に帰国し、祖国の土を踏んだ蓮(はす)池(いけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、そして、曽我ひとみさんの姿を見つめながら、かならず、めぐみちゃんたちも救い出すのだと誓ったことを、昨日のことのように思い出します。

お母さんは今日まで、めぐみが必ず生きていると信じ、それを疑ったことはありません。若い皆様がその思いを知って下さり、共感と励ましの言葉をつづっていただいたことを、とてもうれしく思います。 お父さんは86歳。お母さんももうすぐ、83歳になってしまいます。
 被害者、家族が高齢となり、残された時間は日に日に少なくなっていきます。他人事ではなく、どうか、自らの事として拉致事件を考えていただきたい。ふとしたとき、拉致を解決できないまま、日本が何事もなかったかのように進んで行くのではないか、という不安が頭をもたげます。

最近は、拉致問題の「風化」という言葉を耳にすることもよくあります。政府や政治家の皆様は、現状をどうごらんになっているのでしょう。非道な国家犯罪を解決できないばかりか忘れ去られる。そんな日本で本当に良いのでしょうか。
 一昨年と昨年、思いがけない形で拉致問題が国際社会に示されました。米国のトランプ大統領が、国連で北朝鮮を厳しく非難しました。史上初の米朝首脳会談でも、トランプ大統領は拉致問題の解決を提起したといいます。これを、北朝鮮の最高指導者はどう受け止めたのでしょうか。

道を歩けば、多くの励ましとともに「なぜ解決しないの」と問いかけをいただきます。難しい国際情勢を知るすべはなく、ただただ戸惑ってしまいます。
 私たちは政府が必ず、すべての被害者を救うと信じてきました。なかなか進まない成り行きに悔しさと悲しさが募ります。最後は、日本が自らの手で被害者を救わねばなりません。
 お父さんは今日も、元気な姿でめぐみちゃんに再会するため、リハビリに励んでいます。あなたのことを思いニコニコとほほえんだり、時にはなかなか進まない拉致問題に厳しい表情を見せたり-。皆さんの前に立つことはできなくても、救出にかける情熱は、寸分たりとも変わっていません。

お父さんとお母さんにとって一番の願いは、一刻も早く被害者全員が帰国し、普通の生活を取り戻すことです。そして明るく、希望に満ちあふれた日本を、次世代に引き継ぐことです。
 めぐみちゃんたち被害者に思いを寄せてくださる若い世代の皆さん。そして、親御さん、お孫さんを持つ皆様。すべての国民の方々があげる声、思いが力強い後押しになります。
 新年を迎え、今年こそ、祖国の土を踏んだめぐみちゃんたちとともに、皆様に感謝を伝えられる日が来ることを祈ってやみません。めぐみちゃん。歩みは遅くとも、必ず、喜びの日が来ます。どうか、待っていてね。


2018.11.13-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/affairs/news/181113/afr1811130020-s1.html
【めぐみへの手紙】あの日から41年 「ただいま」必ず聞ける

(昭和52年11月15日、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=が新潟市で北朝鮮工作員に拉致されてから41年となる。14日に誕生日を迎える父の滋さん(85)と、母の早紀江さん(82)が再会を誓い、今の思いを寄せた。)

めぐみちゃん、こんにちは。今年もあっという間に11月です。しんとした冷たい空気に冬の気配を感じます。寒い季節を迎えるたびに、日本より遙かに厳しいであろう北朝鮮の過酷な環境を思い、めぐみちゃんたち拉致被害者が全員、無事に過ごせるよう祈ります。
 もうすぐ、「あの日」から41年がたちます。めぐみちゃんが北朝鮮に連れ去られた昭和52年11月15日。忽然(こつぜん)と姿を消したあなたを捜し、泣きじゃくる弟の拓也と哲也の手を引きながら、新潟の暗闇の中で幾度も、「めぐみ」と叫びました。

同じころ、あなたは工作船に押し込まれ、めぐみちゃんを捜した私たちと同じように、船倉の暗闇の中で必死に叫び、お母さんたちに助けを求めていたと、後に知りました。例えようのない恐ろしさ、絶望は察するにあまりあります。
 北朝鮮は平成14年に拉致を認めながら、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。そして、拉致から間もなく撮影したとするあなたの写真を提出してきました。その姿は、私たちの前から姿を消しためぐみちゃんそのものでしたが、明るかった表情とかけ離れた、とても悲しい顔でした。
 何かを訴えるように、悲しいまなざしを向けるあなたに、涙が止まりませんでした。お母さんは今も、あの写真を直視できません。その一方で、「めぐみちゃんは、ここにいた」と確信し、一刻も早く救い出す決意を、より強く固めることができました。
 それでも、多くの国民の皆様の後押しを得て、家族会が21年間、全力を注いできたのに、残る被害者をいまだに救い出せません。お父さんもお母さんも年をとったせいか、過ぎ行く時がより一層、早く感じます。拉致問題の全面解決に希望を持ちながらも、進展が見えない現実に焦り、やきもきしています。

 被害者との再会を待ちきれず、天に召された家族も多くいます。未帰国被害者の親の世代は私たちと、有本恵子さんのご両親の明弘さん、嘉代子さんしか残されていません。皆、年をとり、病を抱えています。41年間という別離の空白の悲しみ、苦しみを言い表せる言葉は見つかりません。
 日本政府は今、被害者の帰国へ、北朝鮮との交渉を図っているはずです。家族は非道な国家犯罪でとらわれた肉親を必ず救うという一念で、懸命に、1日を生き抜いています。局面はまさに「最後の好機」です。
 政府、そして政治家の方々は、どうか、私たち家族に残された時間が長くないという現実をまっすぐ見据えてください。国会をはじめ政治の場で、本当に日本国にとって大事なことを話し合い、進めてください。国民の皆様も、政治が真剣に行われているか、厳しいまなざしを向け、改めて声をあげていただきたい。被害者全員を救出する「本気度」が問われています。
 くしくも、めぐみちゃんはお父さんが誕生日を迎えた翌日に拉致されました。あなたが拉致される前日、「これからはおしゃれに気を遣ってね」とプレゼントしてくれた櫛(くし)を、お父さんは今も大事にしていますよ。
 お父さんは間もなく、86歳になります。あなたと元気に再会するため、病院で静養し、リハビリにも一生懸命、励んでいます。入院前は体力が衰え心配でなりませんでしたが、見違えるように元気になりました。

 お父さんは最近、意識がはっきりして、いろいろな思いをめぐらせています。
 「拉致はどうなっているの」。つい先日もこう問われ、お母さんが新聞を読み聞かせると、静かに耳を傾け、「なかなか進まない。やっぱり難しいね」と険しい表情でつぶやきました。
 確かに、拉致はとても難しい問題です。でも、お母さんは本来、難しい問題ではないと思い続けてきました。「不条理に連れ去られた国民を、毅然(きぜん)とした態度ですぐさま奪還する」。この当たり前になされるべき国家の働きがなされず、長年、放置されていた現実は誠に恐るべきものです。
 かつて、めぐみちゃんたち多くの日本人が次々と拉致される大事件が国内で起きていたのに国民はその事実に気付けませんでした。
 そして日本国は早くに、その事実に気付いたのに、なぜすぐに、手をさしのべられなかったのでしょう。
 時をへて、拉致問題は、大国の思惑や、複雑な駆け引きが絡む、国際的な大問題になってしまいました。
 めぐみちゃんは、明るくて、元気な女の子でした。学校から帰るといつも、玄関から「お母さん、ただいま! それで、今日はね…」としゃべり始めましたね。「そんなに大きな声で言わなくても、聞こえていますよ」。お母さんが台所から答えても、お構いなしで話し続ける。思い出すたびに、クスリと笑ってしまう、楽しい思い出です。
 でも、41年前のあの日から、あなたの声も姿も見えなくなってしまいました。それから毎日、泣き叫び、あなたを捜し続けました。「なぜ、こんな目にあわねばならないのか」-。北朝鮮に拉致されたことなど知る由もなく、何年も嘆き悲しみ続けました。
 「いっそ、新潟の海に身を投げ出してしまいたい」
 それほど、思い詰めることもありました。拓也と哲也もいたのに、なんと浅はかなことを思う母親だったかと、情けなくなります。
 新潟ですべての涙を流し去り、あなたが北朝鮮にいると分かった後は、ただ前だけを見つめて、救出運動に駆け回ってきました。多くの人に支えられ、すべてを天に委ねて祈り、生きてくることができました。
 国家犯罪による拉致というとてつもない現実と直面しながら、お父さんも、お母さんも不思議な力に守られ命をつないでいます。めぐみも同じように、日本国や世界の皆様の思いに守られ、必ず、全ての被害者とともに祖国の土を踏みしめることができるはずです。
 「ただいま! ありがとう」。13歳のころと変わらない元気で、明るいめぐみちゃんと、間もなく、再会できる。お父さんもお母さんも、そう信じています。


2018..10.4-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news/181004/wor1810040019-s1.html
【めぐみへの手紙】5日で54歳の誕生日 あなたを必ず助け出します

 (北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=が5日、54歳の誕生日を迎える。父の滋さん(85)が療養する中、母の早紀江さん(82)が思いを寄せた。)

 めぐみちゃん、こんにちは。誕生日を迎え、あれほど小さくて、あどけなかったあなたが、54歳になります。一刻の重みを強く感じながら、途方もない思いに襲われます。 お父さんは今日も、写真の中でほほえむめぐみちゃんの姿に元気をもらいながら、一生懸命、リハビリに励んでいます。お母さんも元気な姿であなたを抱きしめるため、日々前を向いて救出を願い続けています。

あなたが北朝鮮に連れ去られ、姿を消してから、すでに41年も誕生日を重ねてしまいました。「おめでとう」と、素直に伝える気持ちにはなれません。これほど長く、助けてあげられなくて、本当にごめんね。 生まれたあなたを初めて抱き上げたときのことを、お母さんははっきりと覚えています。生命力に満ちあふれた「ズシリ」と重たい感触でした。黒い髪の毛が立派な、かわいらしい女の子を授かり、お父さんもうれしくて、うれしくて仕方がありませんでした。

あなたは花や自然が大好きで、元気に走り回っていました。そして芯が強く、頑張り屋でした。家族皆で正月やクリスマスを祝い、いろいろな場所に旅行に行きましたね。家族の輪の中心には、いつも明るいあなたの姿がありました。
 「私は自分のことをすべて、お母さんに話しているんだよ」。笑顔で寄り添い、そんな言葉をかけてくれてから間もなくあなたはいなくなりました。
 お父さんとお母さん。そして、あなたがかわいがっていた弟の拓也、哲也と一緒に楽しく誕生日を祝う。そんな普通の日常がどれほど尊く、ありがたいものか。身にしみて感じます。
 今、あなたはどんな姿になっているのでしょうか。私たちにとって、めぐみは13歳の女の子の姿で止まったままです。だから、どうしても、すてきな大人になっためぐみを思い描くことができないのです。
 けれども、家族は皆、明るく、強く、元気だったあなたを知っています。この瞬間も助けを待ちながら、懸命に生き抜いているめぐみちゃんを思い、拉致被害者全員の救出を訴え続けています。日本国のたくさんの国民の方々も、力を尽くしています。
 日本は、拉致という非道な国家犯罪を必ず解決し、未来への明るい道筋を切り開けるはずです。めぐみちゃん。あなたを必ず助け出します。長い闘いになりましたが、希望を強く持ってもう少し、待っていてね。


2018.9.17-産経新聞-https://www.sankei.com/smp/world/news/180917/wor1809170005-s1.html
【めぐみへの手紙】元気な姿で再会するため お父さん、頑張っています

めぐみちゃん、こんにちは。日本の夏は今年、とてつもない暑さに包まれました。経験したことのない記録的な猛暑が続いたうえ、各地が大地震や豪雨などの大変な災害に見舞われ、復興に向け、多くの方が懸命に取り組んでおられます。
 平成14年9月17日、日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認めてから、きょうで16年がたちます。あの日、北朝鮮はあなたを「死亡した」と偽りました。いまだにめぐみちゃんたちを救えない悔しさがこみ上げます。

85歳のお父さんと82歳のお母さんにとって今年の暑さは本当に厳しいものでしたが、あなたに再会するまで決して負けないよう、一生懸命、過ごしています。
 お父さんは今、めぐみちゃんと元気な姿で再会するために、病院で一生懸命、リハビリに励みながら、力を蓄えています。
 昨年から今年にかけて、体力が落ち、急遽、入院することになりました。入院前は、日ごとに、食べ物や飲み物がのどを通らなくなっていました。高齢で飲み込む力が弱まると出る症状で、誰しも起こりうる、やむを得ないことでした。
今は、多くの方々に助けられながら、しっかりと元気を取り戻しています。
  お父さんは当初、点滴で栄養を補っていましたが、限界があり、「胃瘻(いろう)」にすることになりました。胃瘻は管を通して胃に直接、栄養を入れる処置です。口から食べ物や飲み物を取ることができなくなるのは、あまりにもかわいそうで、家族としては胃瘻にさせたくはありませんでしたが、迷った末に決めました。
 それからは、病院の方々と共にリハビリを重ね、硬直していた手足がほぐれ、体が伸びるようになりました。入院前はうまく言葉が出ず、意識を保つのが難しかったのですが、最近は笑顔が増え、言葉が出るようになりました。私たちとの会話もしっかり、理解できるようになっています。
 お父さんのベッドの前の台には、めぐみちゃんの写真を飾っています。幼いころのめぐみ。北朝鮮が平成14年に拉致を認めた後に差し出してきた、大人になっためぐみ。写真の笑顔を励みに、頑張っています。
 お母さんはいつも、お父さんに語りかけます。

 「もうすぐ、めぐみと拉致された皆さんが帰ってくるよ。お父さんとめぐみが会って、お話をする日までは、がんばらなければね」
 すると、お父さんは力強いまなざしで「うん。がんばる」と答えます。その姿に、お母さんも勇気をもらいます。お父さんが今、休息できるのは、長年、救出運動に駆け回ってきた分、「一息ついて、休養をしなさい」という天のおぼしめしだと感じています。
 あなたたちを救うため、今日もたくさんの方が声をあげています。めぐみちゃんと北朝鮮で一緒だった曽我ひとみさんも街頭に立って、救出を訴えています。
 「早く帰りたい」。お月様を眺め、めぐみちゃんがつぶやいた姿を、ひとみさんは忘れていません。お母さんのミヨシさんとの再会を信じて、私たちと同じように必死に闘っています。
 今年6月、史上初の米朝首脳会談が開催され、米国のトランプ大統領が、金正恩氏に拉致問題を提起しました。本当に思いがけないことで、「重い扉」が開きつつあるように感じます。
 一方、日本のありようはどうでしょうか。いまだ被害者を救えない現実に「このままで本当に良いのですか」と、問いかけたくなります。先行きが見えない中で、政治家の方々が何を大事に思い、事を進めていかれるのか、しっかりと、見つめていくつもりです。官僚の方々も改めて、被害者全員の帰国に向け懸命な働きを見せていただきたい。
 何よりも、私たちが襲われた拉致という非道な出来事と、41年間の地獄の苦しみをもう二度と、誰にも味わってほしくないのです。

 北朝鮮は国家犯罪として多くの日本人を連れ去りましたが、長い年月、それを許した日本の国のありよう、国内で渦巻いていたであろうさまざまな悪い動き、そうしたものを次世代に残さず、すっかり解決し、未来を担う子供たちへ日本を引き継ぐべきではないでしょうか。
 拉致は、人の命を肉親と故郷から引き離し、閉じ込めるものです。北朝鮮は、被害者の命を政治や外交の取引材料に使う残酷な行為を今すぐやめるべきです。拉致の全面解決を北朝鮮の最高指導者が決意するとき、被害者だけでなく、飢餓や抑圧に苦しむ北朝鮮の国民にも、大きな幸福が訪れると固く信じています。
 めぐみちゃん。希望を強く持って、待っていてね。=随時掲載


2019.9.16-首相官邸HP-https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201909/16rachi.html
「全拉致被害者の即時一括帰国を実現せよ!国民大集会」等

令和元年9月16日、安倍総理は、都内で拉致被害者御家族との面会を行い、「全拉致被害者の即時一括帰国を実現せよ!国民大集会」に出席しました。
 総理は、拉致被害者御家族との面会の挨拶で次のように述べました。

「本日は、わざわざこうしてお集まりいただいたこと、御礼を申し上げたいと思います。
 明日で小泉総理が訪朝し、金正日(キム・ジョンイル)委員長と会談を行い、金正日委員長自身が拉致を認めて謝罪してから17年を迎えることとなるわけでございます。残念ながら、あれから17年、その後帰還を果たした方々以外の方々の1名の帰還も成し得ていないことは、日本政府として痛恨の極みでございます。
 そんな中、先般、フランスのビアリッツで行われましたサミットにおきましては、サミット全ての参加国において現在進めている米朝プロセスを支援し、朝鮮半島を非核化していくことで一致したところでございますが、何よりも大切な拉致問題について、私から改めて、この拉致問題の重要性、深刻さについて、また経緯についても説明させていただいたところでございますが、日本の姿勢に対して、全ての参加国から理解と支持を得たところでございます。特にトランプ大統領からは、日本と協力して、この問題全力で解決をしていこうという発言もあったわけでございます。今後も、日米で、そして国際社会と力を合わせてこの問題の解決のために全力を尽くしていきたいと、こう決意をしているところでございます。
 そして何よりもこの拉致問題を解決していく上においては、日本が主体的に取り組んでいく必要があるわけでございます。この問題を解決する上においては、私自身条件を付けずに、金正恩(キム・ジョンウン)委員長と向き合っていく。そして、冷静な分析の上に、あらゆるチャンスを逃さないとの姿勢で、この問題の早期解決に取り組んでいく決意でございます。
 17年前、金正日、当時の委員長が、この拉致問題について北朝鮮が行ったことを正式に認めたのでございますが、あれからの17年間の歳月と同時に、この拉致問題を金正日委員長が認める前の年月は、社会にとって、日本社会がまだまだ半信半疑であった時代もあったわけでございますし、政府自体もこの問題について、実際に北朝鮮が拉致を実行したかどうかということについて、皆様と認識を一にしていなかった時代もあり、正に皆様方はそういう中で、本当に肉親を取り戻すために大変な御苦労を重ねられてこられたんだろうと、こう思う次第でございます。しかしその後、北朝鮮自身が自分たちが実行したということを認めた後も、今日まで残念ながらこの問題が解決していない。
 オールジャパンで、安倍内閣一体となってこの問題を解決しなければいけない。改めて、今日その決意を新たにしているところでございます。皆様方も、あれから年を重ねられたわけでありまして、この問題解決に向けて、もう一刻の猶予もないわけでございますので、今日皆様方から色々とお話を伺いながら、皆様と共にこの問題、取り組んでいきたい。皆様方が、お嬢様を、そして息子さんを、肉親を、皆さんの手で抱き締める日がやってくるまで、私たちの使命は終わらないとの決意で臨んでまいる次第でございます。
 今日は、またこの後、皆様からそれぞれお話を伺いたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。」

 また、総理は、国民大集会の挨拶で次のように述べました。
「国民大集会の開催に当たり、総理大臣として一言、御挨拶を申し上げます。
 2002年9月17日に、平壌(ピョンヤン)で日朝首脳会談が行われ、当時の金正日国防委員長が公式に拉致を認めてから、明日で17年目となるわけでございます。当時私も、小泉総理と共に訪朝したわけでございまして、先方から5名が生存、そして8名が死亡、そう言い渡されたわけでございますが、あの時のことの衝撃は、今も胸に刻まれているわけでございます。しかしその後、彼らが出してきた資料は真実ではないということが明らかになり、我々はそれ以来、全員の奪還を目指して、今日に至っているわけでございます。
 拉致被害者御家族の皆様はもちろん、御本人も年を重ねてこられました。一刻の猶予も許されない。その思いを強くしているところでございます。いまだに残念ながら5人の皆様の御家族の帰国後は、一人の拉致被害者の奪還も成し得ていない。痛恨の極みでございます。
 こうした中で、本年5月末には、拉致被害者の御家族の皆様に、来日されたトランプ大統領と再び面会していただきました。拉致被害者の皆様との面会は2回目となるわけでございますが、今回も時間をとって一人一人の皆様から事情を聞いていただきました。その際、早紀江さんにもお話も頂きましたし、あるいは有本さんからもお話を頂いたんですが、有本さんのお話、大変情熱を込めて話をされましたので、ちょっと長めになったんですかね。事務局の方が、有本さんそろそろ、とこう促されたんですが、トランプ大統領は、今、正に有本さんにとって大変大切なことを話しているんですから、有本さんにはどうか最後まで話させてくださいと、トランプ大統領が促されまして、有本さんはその後、私の全部ここで話はできないので、私の思いは手紙に書いてそれをホワイトハウスのスタッフの方に渡したので、是非後で読んでもらいたいと、こう有本さんがおっしゃいました。それに対しまして、トランプ大統領は、誰に渡したんだい、スタッフに渡したって永久に私の手には来ないよ、と、誰か受け取った人は手を上げてくれ、と言ったら、ホワイトハウスの人がその手紙を、こう高く手に掲げました。トランプ大統領は、じゃあその手紙、俺のところへ持って来い、と言ってその手紙を受け取って、それをボルトン補佐官に渡しました。私のデスクの一番上に置いておいてもらいたい、必ず読むからね、とこう彼は言ってくれました。その後、その手紙を読んだ後の返信の手紙が、有本さんのところに来ました。そこには、有本さんに対して、私と安倍さんは必ず勝利する、ということを自筆で書いていただいたわけでございまして、正に日本とアメリカ、この問題を解決していく上において、完全に立場を同じくしているわけでございます。
 しかしもちろん、この問題を解決していく上においては、大統領とともに国際社会の理解が必要であります。先般のビアリッツ・サミットにおきましても、G7のメンバー、少し入れ替わりがございましたので、改めて拉致問題の重要性についてお話をさせていただきました。北朝鮮との問題は、もちろん核の問題、ミサイルの問題は大切ですし、朝鮮半島を非核化していくという米朝プロセスを支援していく。そのためには、一致をしなければいけないということでは、正に参加国全員が賛成したのでございますが、同時に東アジアの情勢の平和と安定を確保する上においては、拉致問題を解決しなければいけない。拉致問題を解決しなければ、日朝の国交正常化はないわけでありますから、日朝国交が正常化しない限り、この朝鮮半島の、あるいは北東アジアの平和と安定にはつながらないというお話、説明もさせていただきました。拉致問題を解決していくということについて、日本の立場に対する支持を、全ての参加国から、支持と理解を得たところでございます。
 しかしもちろん、この問題を解決していく上においては、日本が主体的にこの問題に取り組んでいかなければなりません。私自身、条件を付けずに金正恩委員長と直接向き合っていく。冷静な分析の上に、あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動していく考えでございます。
 北朝鮮には、勤勉な労働力とそして豊富な資源があります。しかし、それをいかしていく上においては、北朝鮮に大きな決断をしてもらう必要があるわけであります。それによって初めて北朝鮮には明るい未来が開かれてくるのであります。相互不信の殻を破り、そして何より重要な拉致問題を解決し、不幸な過去を清算して、北朝鮮との国交正常化を目指していく決意に変わりはありません。拉致問題は、安倍政権の最重要課題であります。本日、この集会に先立ち、拉致被害者の御家族の皆様と懇談する機会をいただきました。改めて皆様の痛切な思いをお伺いさせていただきました。御家族の皆様が、この日本の地で御家族を抱きしめる日がやってくるまで私の使命は終わらないとの決意で、この問題に取り組んでまいります。
 拉致問題の解決のためには、正に日本国民が一致団結して、全ての拉致被害者の一日も早い帰国への実現に強い意志を示していくことが大切であろうと思います。17年前の明日9月17日、あの17年前5名の方々が帰国することができたのも、それに向けて国民の皆様が声を大きくして、一つにして、被害者を日本に返せ、こう声を上げていただいた結果だろうと、こう思っています。その声こそが国際社会を動かし、そして北朝鮮を動かしていくことにつながっていきます。私もまた、皆様と心を一つにしながら、過去の経験をいかし、拉致問題解決に向けて全力を尽くしていくことをお誓い申し上げまして、本日の御挨拶とさせていただきたいと思います。皆様一緒に頑張っていきましょう。よろしくお願いします。ありがとうございました。」


2019年3月31日
拉致被害者向け周波数増枠
産経新聞

ラジオ「しおかぜ」北の妨害開始
北朝鮮による拉致被害者に向けて発信する民間ラジオ「しおかぜ」で、4月から短波周波数を5波に増枠し同じ時間に2波で番組を一斉放送する
     「多チャンネル化」を新たに始めることが決まり、政府が支援策を検討していることが30日、分かった。平成17年の放送開始直後から現在まで続く
     北朝鮮当局の電波妨害を攪乱(かくらん)し、情報を確実に北朝鮮内へ届けるのが狙いだ。

府、支援策を検討

しおかぜを運営する特定失踪者問題調査会によると、新たな放送免許の交付を受け、同じ時間帯に使用できる短波の周波数が計3波から計5波に増える。
     4月1日から、うち2波を無作為に選択し、同じ時間帯に番組の一斉放送を行う。
  しおかぜは、政府認定拉致被害者の家族や拉致の可能性が排除できない特定失踪者の家族のメッセージ、朝鮮半島情勢を伝えるニュースなどを日本語、
     朝鮮語、英語、中国語で放送。北朝鮮は国内では厳格な情報統制を敷き、深刻な電力不足とされる状況でも大量の電力が必要な妨害電波の
     発射を続けてきた。
  しおかぜは妨害を避けるため、これまでも3波のうち1波を無作為に選び放送してきたが、5波から2波を選んで一斉放送すれば、妨害が困難になる
     可能性がある。
  新たな取り組みの背景には、しおかぜの厳しい実情もある。北朝鮮内で中波を受信するラジオが増加しているとの情報を受け、28年に放送を開始し
     たが、資金不足で再三休止。さらに、放送委託した海外の民間ラジオ局が明確な理由を示さずに、昨年5月から放送休止の状態を続けている。
  今年も再開の見通しは立たず調査会は当面、短波の同時一斉放送に取り組む。政府もしおかぜの運営を支援し、中波でも放送実績に応じて業務委託費を
     支払う予算を計上してきた。政府関係者によると、中波の放送休止や短波の一斉放送開始を受けて、新たな支援策の検討を進めている。 
     調査会の村尾建兒(たつる)副代表は「金正恩(キム・ジョンウン)政権は対話姿勢をアピールしながら情報流入を極度に恐れている。拉致被害者に
     直接届く可能性があるラジオ放送を通して北朝鮮に解決を迫る圧力をかけられれば」と話す。












このTopに戻る