拉致問題-2020
映画「めぐみへの誓い」


2020.12.23-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/201223/wor2012230012-n1.html
【めぐみさんへの手紙】拉致解決、思いは一つ 栃木・乙女中学校の生徒から
(1)
  栃木県小山市立乙女(おとめ)中学校(手束衣代子校長)の全校生徒約250人から、横田めぐみさん(56)=拉致当時(13)=らすべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」が産経新聞に寄せられた。同校では、今月2日に本紙の中村将(かつし)社会部長が北朝鮮による拉致問題をテーマにした「出前授業」を実施。その後、生徒全員が手紙を書いた。「一刻も早く被害者を救いたい」「家族の気持ちを考えると、悔しい」「私たちにできることを考えていきたい」…。連れ去られた当時のめぐみさんと同世代の生徒らは真剣に問題と向き合った。その思いの一端を紹介する。
政府が何をしているか学びたい
五十嵐真愛(まいな)(12) 1年
  私は同じくらいの年の女の子が北朝鮮に拉致されたということ、他にも被害者がいることなどをこの学習を通して初めて知りました。横田めぐみさんは、ご両親に40年以上も会っていないことを知り、悲しくなりました。私だったらたえきれずに、毎晩泣いてしまうと思います。
  いきなり襲われて、連れていかれる恐ろしさ、めぐみさんがどんな気持ちだったのか、見当もつきません。家族と会えない苦しさはアニメ「めぐみ」や今回の学習でよくわかりました。めぐみさんが、家族と早く会えるように、私ももっと北朝鮮拉致問題を知り、今日本政府がどのような行いをしているのかを学びたいと感じました。
  これから先のことは誰にもわからないので、もっと家族を大切にしたいと思います。また、毎日の一秒一秒をむだのないようにすごし、周りの家族、友だちにも拉致問題を知らせていければな、と思いました。めぐみさんが早く家族と会えますよう願っています。
(2)
拉致の恐ろしさを思い知らされた
曽我美咲(みさき)(14) 2年
  
私はこの事件を絶対に忘れはしません。今の世の中は新型コロナウイルスで騒然としていますが、本当に怖いのはこの北朝鮮による拉致だと思います。何の罪もない、一般人をさらっていったことは考えられません。突然のできごとが、横田めぐみさんや家族にとって一生に残るできごとになってしまったと思います。
  この事件があったことで、拉致の恐ろしさを思い知らされました。まだ、めぐみさんがどこにいるかわかりませんが、見つかったときは早く、母の早紀江さんに会ってほしいです。早紀江さんも、弟さんもずっとめぐみさんを待っています。
  また、この事件が日本から忘れ去られないように私たちがたくさんの人にこの話をしたいと思います。北朝鮮の工作員は日本にいるらしく、まだまだ安心ではありません。そうしたことを忘れずに、今の環境に感謝しながら生きていきます。たくさんのことを今回知りましたが、これからも忘れません。
家族と会えない人いてはいけない
秋山知紘(ちひろ)(14) 2年
  ぼくは横田めぐみさんの話を聞いて、涙が出ました。大切な家族と突然会えなくなってしまって、とても悲しいし、寂しいと思っているめぐみさんのことを考えると、自分もとても悲しい気持ちになります。
  ぼくにも大切な家族がいます。もしその家族が突然、いなくなったら、ぼくはとてもつらいです。もっとたくさん家族と話せばよかった、もっとお手伝いをすればよかった、そう思って自分を責めてしまうと思います。
  逆に、ぼくが拉致されてしまっても、自分を責めると思います。ぼくは家族がいなくなったらなんて、考えもしませんでした。家族と会えなくなる人は、一人でもいてはいけないと思います。
(3)
みなさんの努力無駄にしたくない
古明地(こめいじ)優那(ゆうな)(15) 3年
  横田めぐみさん、あなたがどんな思いで今、過ごしているのか想像もつきません。私よりも小さい時から家族に会えず、どれだけつらい思いをしているのだろうか…。お母さんの早紀江さんの話を聞いて、拉致問題について学んで、私は本当に涙が出そうになりました。そして後悔もしています。もっと早くあなたのことを知りたかった。
  だからこそ、私は何があっても忘れません。あなただけではありません。すべての被害者の方と家族の方々のこと、そしてその気持ちを…。私たちが必ずあなたたちを助けます。時間がかかっても助けたい。
  ですが、一番の願いはあなたと、あなたの家族を会わせてあげたい。6月に他界したお父さんの滋さん。あなたのことを愛していた滋さんにも会わせてあげたかった。
  家族のみなさんの努力だけは無駄にしたくありません。だから、あなたも待っていてください。少しでもあなたが今幸せでいることと、私たちが助けるまで待っていてくれることを願っています。
耳を素通りした言葉の重みを痛感
若林瑞生(みずき)(15) 3年
  「拉致」という言葉は今まで何度か耳にすることはありました。しかし、どこかその言葉はニュースの中か、ネットでの情報の中にあるもので自分からは遠いものなのではないか、と思って、あまり気に留めてもいませんでした。
  でも、拉致問題の話を聞いて、その考えを改めました。同時に今まで耳を素通りしていた言葉の重み、そして、そのような重大なことについて考えてこなかった自分のおろかさを痛感しました。
  もし、自分の周りの人が急にいなくなったら、恐怖や不安感、そして悲しみや自分の無力さをにくんだと思います。それが、自分の家族だったら、なおのことであったと思いますし、今日までにもさまざまな葛藤があったと思います。
  人を連れ去るということは、その人だけでなく、周りの人の日常も奪う行為だと思います。拉致被害者の方々やそのご家族、ご友人の方々が心穏やかに過ごせる日常をいち早く取りもどせることを、心から願っています。
(4)
何十年も悲しい気持ちの人がいる
川俣風輝(ふうき)(15) 3年
  私は小学生の時、横田めぐみさんについて知りました。テレビで拉致問題についての番組をみたのがきっかけでした。当時の話は内容が難しく、詳しいことまでは理解できませんでしたが、悲しい思いをしている人がいるということはわかりました。
  今回の拉致問題の「出前授業」が行われると知った時、私は昔の番組のことを思いだし、気になって自分で調べてみました。
  そこでわかったのは、拉致被害者の家族や友人が今でも探していること、拉致問題のために多くの人が協力していること、そして横田めぐみさんらの拉致問題はいまだに解決されていないことです。
  そのことを知ったとき、悲しい気持ちのまま、何十年も過ごしている人がいるとわかり、つらくなりました。
  私は大人になったら、拉致問題解決のために少しでも協力したいと思います。
「出前授業」感染防止に配慮
  学校教育がコロナ禍の影響を受けた今年は、北朝鮮による拉致問題をテーマにした「出前授業」も感染防止に配慮しながらの実施となりました。
  感染拡大の「第2波」が収まり始めた8月下旬には、全国の小中高生約20人を対象にオンライン授業を初めて実施しました。
  参加者は拉致事件の経緯や背景の説明を受けた後、横田めぐみさんの母、早紀江さん(84)のビデオメッセージを視聴。6月に87歳で他界しためぐみさんの父、滋さんと早紀江さん夫妻が本紙で連載してきた「めぐみへの手紙」の記事を画面で共有しながら、拉致事件の残酷さを考えました。
(5)
  オンライン授業は感染防止のみならず、地域を選ばないため、「出前授業」の新たな選択肢に加わりました。来年もすでに予約が入っています。
  今月2日の乙女中学での「出前授業」は体育館で実施しました。生徒らは十分に距離を確保しながら、マスクを着用。換気対策も万全にし、講師もマスクを着けた上でマイクを使用しました。
  今後もそれぞれの状況に応じて感染防止対策を講じていきます。
  産経新聞では、横田めぐみさんらすべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」を、全国の小中学生や高校生、大学生から募集しています。学校のクラス単位での応募も歓迎します。

  字数は問いませんが、原稿用紙1~5枚(400~2000字)ぐらい。郵送の場合は〒100-8078(住所不要)産経新聞社編集局社会部「めぐみさんへの手紙」係へ。メールはnews@sankei.co.jpまで。住所、氏名、年齢、学年、電話番号(小中学生の場合は保護者の連絡先)を明記してください。


2020.11.15-NHK NEWS WEBhttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20201115/k10012712691000.html?utm_int=news_contents_news-main_001-
横田めぐみさん拉致から43年 早紀江さん “一刻も早い帰国を”

  横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから15日で43年になります。これを前に母親の早紀江さん(84)が報道陣の取材に応じ「どうしてこれほど長い時間がたっても助け出せないのかとすごくむなしい」と話したうえで、政府に対し、日朝の首脳どうしの対話を通じて一刻も早い帰国を実現するよう求めました。

  横田めぐみさんは中学1年生だった43年前の昭和52年11月15日、下校中に北朝鮮に拉致されました。そして先月、56歳の誕生日を迎えました。
  母親の早紀江さんは43年前を振り返り、「いくら探しても何も見つからず、半狂乱になることもありました。この時期、夕方になると背筋が寒くなるぐらい、嫌な記憶です」と話したうえで「本当に許せないし、こんなに大変なことが起きているのにどうしてこれほど長い時間がたっても助け出せないのかと、すごくむなしい気持ちです」と述べました。
  そして、早紀江さんはことし6月に亡くなった夫の滋さんがいつも持ち歩いていた「くし」を取り出しました。この「くし」は、めぐみさんが拉致される前日、その日が誕生日だった滋さんにプレゼントしたものです。
  その滋さんについて早紀江さんは「あれだけ一生懸命頑張って、40年以上待ち続けても一目会うこともできなかった。存命な親が、私を含めて2人しかいないというのは異常なことで、こんなことがあっては本当にいけないと思う」と話しました。
  そして、最後に「拉致被害者の帰国のために政府は真剣に動いてほしい。トップどうしの話し合いがいちばん大事だと思うので、まずは話し合いをしてほしい」と話し、政府に対し、日朝の首脳どうしの対話を通じてすべての拉致被害者の一刻も早い帰国を実現するよう求めました。
新潟県警元幹部 当時の捜査状況明かす
  めぐみさんの行方が分からなくなった直後から捜査に携わった新潟県警の元幹部がNHKの取材に応じ、北朝鮮による拉致事件だと突き止められなかった当時の捜査状況を明かしました。
  新潟県警の元刑事部長で、外国のスパイなどを捜査する外事課長も務めた小幡政行さん(67)は警察署に勤務していた時から、失踪しためぐみさんの捜査に関わってきました。
  日本海沿岸では、それ以前から北朝鮮の工作員が検挙される事件が起き、警察当局が警戒を強めていましたが、めぐみさんの失踪は長い間、一般の誘拐事件として捜査が続けられました。

  これについて小幡さんは「中学1年生というめぐみさんの年齢に加え、消息が途絶えた場所が海岸から数百メートル離れていて、繁華街も近かった」と振り返り、「年齢」や「発生場所」から当時は北朝鮮による拉致だとは疑わなかったことを明かしました。
  また「午後6時半すぎ」という事件が起きた時間帯についても、「工作員の日本への潜入や脱出は当時、深夜だと考えられていて、めぐみさんの失踪と工作員の活動を結び付けることができなかった」と話しました。
  そのうえで、北朝鮮による拉致事件と認定するまで20年を要したことについて、小幡さんは「北朝鮮の工作員に対する警戒は今と比べ甘かったと言わざるをえない。北朝鮮の犯行だと気付けなかったことに警察官として責任を感じるし、めぐみさんの両親にも本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ」と心境を語りました。


2020.10.5-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/201005/wor2010050005-n1.html
横田早紀江さん「必ず助ける」 めぐみさん56歳の誕生日に心境

  北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時(13)=が5日、56歳の誕生日を迎えた。一刻も早い帰国を切望する母の早紀江さん(84)は「真っ暗闇の中だが、首相も代わったので少し期待をしたい。必ず助けてあげるといつも思っている」と語った。一方で6月には、めぐみさん救出へ全身全霊をささげてきた父、滋さんが87歳で死去。「今年はより寂しい誕生日になる」とも吐露した。
  めぐみさんは中学1年だった昭和52年11月15日、新潟市内で下校途中に失踪した。平成9年、被害者家族が集い家族会が発足。滋さんが代表に就き、夫妻は署名活動や講演で全国を回り、二人三脚で地道に救出運動を続けてきた
  5日は、その滋さんの月命日とも重なる。早紀江さんは「夫は天国にいる。めぐみも頑張って元気に生きている。そう信じるしかない」と言葉を絞り出す。
  14年、北朝鮮は拉致を認めて謝罪したが、めぐみさんらは「死亡した」などとする主張を変えていない。
  早紀江さんは「当たり前のように嘘をつく国であり、日本政府は知恵を働かせ、裏をかくぐらいの気持ちで進展させてほしい」と訴えた。



2020.8.28-朝日新聞-https://mainichi.jp/articles/20200828/k00/00m/010/231000c
拉致被害者家族「また投げ出すのか」 突然の辞任表明に怒りと戸惑い

  安倍晋三首相の辞任表明に、北朝鮮による拉致被害者の家族から驚きと不安の声が漏れた。
   「突然のことで、どう言ったらいいか判断がつかない」。被害者の田口八重子さん(行方不明時22歳)の兄で、拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さん(82)は戸惑いをあらわにした。
   安倍首相は首相就任以降、すべての被害者の帰国に全力を尽くすと強調し続けてきたが、解決のめどは立っていない。一方で家族の高齢化は進み、今年2月には有本恵子さん(同23歳)の母嘉代子さんが94歳で、6月には横田めぐみさん(同13歳)の父滋さんが87歳で亡くなった。飯塚さん自身も体調が優れない日が続く。「焦りはある。このままではどんどん時が過ぎるだけだ」と語気を強め、安倍首相には「(後継に)しっかりした人を指名し、きちんと取り組んでほしい」と求めた。
   横田めぐみさんの母早紀江さん(84)は辞任について「非常に残念。でも、お体が悪いというのは仕方がない」と気遣いつつ、「次の方が引き続いて、私たちが訴えてきたことと同じ思いでやっていただきたい」と注文した。増元るみ子さん(同24歳)の弟照明さん(64)は「安倍首相は拉致問題を重要課題に挙げていた分、失望は大きい。何もかも中途半端のまま、また投げ出すのか」と批判し、「安倍首相で結果が出なかったので、政治にはもう期待できない気がしている」と苦しい胸の内を語った。
   被害者で福井県小浜市在住の地村保志さん(65)と妻富貴恵さん(65)は連名で、「突然の辞任表明に大変、驚いております。安倍首相には拉致問題を政権の最重要課題として、全力で取り組んでいただいた。政権が変わっても、政府・国民が一丸となり、必ずや我々の世代で解決されるよう私たちも取り組んでまいります」とするコメントを発表した。
   有本恵子さんの父明弘さん(92)=神戸市長田区=は自宅のテレビで辞任表明の記者会見を見守り「びっくりした。解決するまでやってほしかったが、病気には勝てん」と話した。次の首相に対しては「解決に向けた働きを求めたい。安倍さんもトランプ大統領との関係も含めて、よくよく引き継いでほしい」と求めた。
   被害者家族を支援してきた「救う会」はホームページに西岡力会長のコメントを発表。経済制裁や米国との協調などにより「解決への最後の段階まで来ていた」と評価し、「安倍政権がつくった枠組みを生かし、必ず解決してほしい」と次期政権に期待した。
   熊本市出身の拉致被害者、松木薫さん(行方不明時26歳)の姉の斉藤文代さん(75)=熊本県菊陽町=は「病気では仕方ないが『これから先の拉致問題はどうなるんだろう』という不安はある」と心境を語った。
   松木さんは1980年に留学先のスペインで行方不明になり、安倍首相が官房副長官だった2002年の日朝首脳会談で北朝鮮側は拉致を認めたものの、「96年に死亡した」と説明。だが、提示された「遺骨」は別人と判明した。
   6月には拉致被害者の横田めぐみさんの父親で、救出運動の先頭に立ってきた滋さん(享年87)の訃報にも接しただけに、斉藤さんは「頼ってきた人がどんどん欠けていく。次の首相がどれほど拉致問題に関心があるか分からず、『また最初からやり直しか』と思うとがっかりする」と肩を落とした。【斎藤文太郎、大島秀利、春増翔太、清水晃平】


2020.7.22-TBS NEWS-https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4034600.html
拉致被害者家族、ビデオメッセージで国際社会に訴え

  新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、国連など国際社会で拉致問題の解決を訴えることが難しい中、横田めぐみさんの弟ら拉致被害者家族の訴えを英語の字幕つきでまとめたビデオメッセージが公開されました。
   「拉致されてから43年間、姉は絶望の地である北朝鮮に拘束され続けているのです。この人権侵害での拉致問題は、遠い過去の物語ではなく、今もなお解決していない重大な問題であり、いかなる手を使ってでも、北朝鮮がその人権侵害行為を即時停止するよう対処していく必要があります」(横田めぐみさんの弟 拓也さん
   「私の母である田口八重子は、42年前に北朝鮮工作員により拉致されました。当時1才だった私と3才の姉を残したまま、彼女は北朝鮮に連れ去られました。それ以降、一度も彼女は日本に戻れない状態になっています。それ以降、私は彼女と会えないままの状態になっています。北朝鮮から拉致被害者が帰ってこない今、拉致事件は現在進行形で続いているのです」(田口八重子さんの長男 飯塚耕一郎さん)
   「私は、1980年にスペイン・マドリードで、よど号ハイジャック犯の妻達によって北朝鮮・平壌(ピョンヤン)へだまされて連れて行かれた男性2人組の1人、松木薫の弟です。兄たちが、欧州からどうやって北朝鮮に入国することができたのでしょうか?欧州の各地を利用して拉致を行っている事実に是非目を向けて頂きたいと思います」(松木薫さんの弟 信宏さん)
   ビデオメッセージは、政府拉致対策本部のホームページと政府インターネットテレビなどで公開されています。
   拉致被害者家族は、例年5月の連休の機会などを利用してニューヨークの国連本部などで北朝鮮による拉致という人権侵害の解決を訴えていますが、新型コロナウイルスの感染拡大で国内外ともに大規模な集会での訴えができなくなっています。
   政府拉致対策本部事務局は、在京の各国の大使館や海外メディアにもビデオメッセージの告知を行っていて、拉致被害者家族の思いを知ってほしいとしています。


2020.7.12-福井新聞Online-https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1122161
地村保さん死去、救出「親の執念」・・・拉致被害者全員帰国へ声上げ続け

  署名用紙を払いのけられても頭を下げて頼み込み、街頭に人がいなければ近くの民家の呼び鈴を押して署名をお願いした。拉致被害者、地村保志さん(65)の父、保さん=享年(93)=は息子の救出に半生をささげた。共に活動してきた関係者は「息子が帰るまではと大好きな酒を断ち、全国を歩いた。親の執念だった」と、その死を悼んだ。

  保志さんと富貴恵さんが拉致されたのは1978年7月。ともに23歳だった。翌月には富山県高岡市で、若い男女の連れ去り未遂事件が発生。現場には手錠や猿ぐつわが残されており、保さんは富山に行って関係者に話を聞いた。世間は若者の失踪という捉え方だったが、保さんは当初から北朝鮮による拉致を疑っていた。「保志は絶対に生きている」が口癖だった。
  97年に結成された拉致被害者家族連絡会には当初から名を連ね、国に対しても救出を求め続けた。98年には救う会福井を設立した。
  明るい性格で分け隔てなく記者とも接したが、当時の新聞は拉致について「疑惑」と表記しており「疑惑やない。事件や」と異を唱えた。「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」という国名の表記にも「民主主義やない」と反論した。
  署名活動の傍ら、寝たきりになった妻のと志子さんを献身的に介護した。息子に会えず涙する妻を「必ず保志は戻ってくる。頑張れ」と励まし続けた。
  保志さんが帰国を果たす半年前、と志子さんは75歳で亡くなった。その時、保さんは拉致の解決を求め訪れていた韓国からの帰路の途中で死に目には会えなかった。当時の小浜市長で葬儀に参列した村上利夫さん(88)は「保さんの落胆は見るに忍びなかったが、息子を取り戻すという気持ちは揺らぐことはなかった」と振り返る。
  2002年に保志さんと24年ぶりの再会を果たしたが、帰国できたのは保志さん、富貴恵さん夫妻を含め5人だけだった。04年には3人の孫も帰国したが、その後も署名活動を続けた。保さんの半生をつづった著書「絆なお強く」の共著者、岩切裕さん(74)は「私はハッピーエンドの本にしたかったが、保さんから話を聞くほどに、いまだ解決していないという苦しみ、悲しみが伝わってきた」と話す。

著書の最後に保さんは「国をあげての世論の力で政府は動きました。そして、さらにその波が国際世論をも動かし、拉致問題解決へと向かうことを願っています」と記した。古里で家族がそろっても「被害者全員が帰ってこなければ、解決やない」と声を上げ続けた人生だった。


【めぐみさんへの手紙】

2020.9.20-産経」新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/200920/wor2009200016-n1.html
【めぐみさんへの手紙】菅首相は必ず行動してくれると期待します
(1)
  めぐみちゃん、こんにちは元気ですか。夏の酷暑がようやく和らぎ、少しずつ秋の気配を感じるようになりました。43年もの忍耐の日々が続き、今年も気付けば9月です。本当に、いつになれば、すべての拉致被害者が帰国できるのかという怒り、情けなさ、もどかしさと向き合いながら、一生懸命、拉致事件の解決を呼びかけています。
   今、日本では大きな政治の動きがあります。拉致問題の解決を最優先、最重要課題に掲げてきた安倍晋三首相が辞任され、拉致問題を担当する菅義偉(すが・よしひで)官房長官が首相に就任されました。
   私たちはこれまで、十数代にわたるすべての政権を心の底から信頼し、被害者救出を託してきました。それは今後も変わりません。無慈悲な国家犯罪で連れ去られた子供たちに、祖国の土を踏ませる最後の決め手は、政治のゆるぎない決意と行動力に他なりません。
   9月はお父さんやお母さんの記憶に刻まれた月です。平成14年9月17日の日朝首脳会談で、北朝鮮はやっと拉致を認め謝罪しました。蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんの5人の生存が明らかになりましたが、めぐみちゃんや多くの被害者が「死亡」と一方的に断じられました。
   昭和52年、新潟でめぐみが姿を消してから20年を経て、平成9年に北朝鮮で生きていることが分かり、全国の被害者家族、支援者の皆さまと団結してようやく解決の頂に差し掛かったと思ったのもつかの間、地獄に突き落とされました。
   その後、被害者死亡の証拠や説明は嘘だと分かりました。めぐみだとして送られてきた「遺骨」は、まったく別人の骨と鑑定されました。矛盾が暴かれるたび、生きたあなたの吐息を感じ、闘い続けることができました。
(2)
   拉致の残酷さは、被害者の姿が見えず、声も聞こえず、無為な時が、じりじりと過ぎることです。まさに「生殺し」の日々です。でも、拉致被害者はもっと辛く厳しい時を北朝鮮で耐え忍び救いを待っています。
   これほど非道なことがあるでしょうか。拉致事件はまさに「命」の問題です。
   国民の皆さま。どうか今一度、捕らわれた子供たちの姿を思い描き、救出へ声をあげてください。そして政治家、官僚の皆さま。与野党の違い、さまざまな立場の違いを越えて、議論を交わし、知恵を絞り、被害者を帰国させるため、全身全霊を尽くしてください。
   日本が一丸となり、拉致事件という「国家の恥」を一刻も早くすすいで、日本のみならず、世界にとって幸せな未来がもたらされることを願ってやみません。
   今年も気が遠くなるような暑さが続き、84歳のおばあちゃんになってしまったお母さんは、いつ倒れてしまうか不安にかられつつ、あなたに会いたい一心で、日々を過ごしてきました。
   年を重ねると、老いや病と直面します。食べることさえ、しんどく感じることがあります。これが「生」の実感なのでしょうか。
   6月に天に召されたお父さんは、祭壇に飾った写真の中でニッコリとほほ笑んでいます。「お父さん、おはよう。がんばろうね」と毎朝呼びかけ、祈ります。立派に闘い抜いたお父さんを、明るく天に送りましたが、あなたと再会するため病室で必死に命の炎を燃やした心中を思うとき、体の真ん中をもぎ取られたような寂寥感(せきりょうかん)が漂ってきます。
   新型コロナウイルスの災禍で、世界は大きな打撃をこうむっています。拉致問題をはじめ、さまざまな外交の動きがむなしく感じられ焦りが募ります。街頭での署名活動、人を集めた集会を開けず救出運動も厳しい現実に直面しています。
   ただ、危機を迎えた今だからこそ、局面を切り開く好機でもあるはずです。
   拉致事件について菅義偉首相は「解決に全力を傾ける」と誓われました。拉致問題担当大臣に再び就かれた加藤勝信官房長官も「あらゆるチャンスを逃さず、1日も早い帰国につなげていく」と約束なさいました。必ず行動に移していただけると強く期待します。
(3)
  首相の職を辞された安倍晋三さんも、必ずお体を回復され、再び私たち家族とともに力強く取り組んで頂けることを祈っています。
  拉致事件から長すぎる時間が過ぎ、被害者も家族も年老いて、残された時は本当にわずかです。だからこそ、私たちには「結果」がすべてなのです。
  どうすれば、良き結果がもたらされるのか。国内外を訪ね、たくさんの人に訴えました。国会の議場で政治家の皆さまに尽力をお願いしたこともあります。
  もがき苦しみ、命がけで行動し、たくさんの方の力添えがあってなお、事が進まない現実に、複雑な拉致問題の暗い闇を垣間見るような気がしています。まずは、日本国が一丸で立ち向かわないと、高い壁を突き破ることはできません。
  だからこそ、すべての国民、拉致事件を知らない若い世代の方々にも事実を知り、解決を後押ししていただきたいのです。かつて日本に工作員が入り込み、大切な若者を次々と北朝鮮へ連れ去りました。国外でも日本人が同じように拉致されました。多くの人々が捕らわれたままなのです。
  これほど重大で非道な事件がなぜ起きたのか。同じような惨劇が起こらないと言い切れるのでしょうか。問題の根源を見据え、すべてをすっきり解決しなければ日本の未来を安心して子供たちに引き継げません。
  めぐみちゃん。頼りないお母さんですが、毎日、あなたを思い、何とか暮らしています。お父さんもニコニコほほ笑み、私たちを見守っているはずです。どうか、どうか、力強く生き抜いて、救いを待っていて。子供の時と同じように、弾ける笑顔で「ただいま!」と声をあげ、元気に帰ってくることを信じています。


2020.7.11-産経新聞 SANKE NEWS WEB-https://www.sankei.com/world/news/200711/wor2007110019-n1.html
【めぐみへの手紙】あなたを思い天国に召されたお父さん 決意を引き継ぎ全身全霊を注ぎます
(1)
めぐみちゃんこんにちは。必ず再会するという決意を胸に、幾度となく、愛(いと)しいあなたの名前を呼びかけてきましたね。めぐみちゃんに、大切なことを伝えなければなりません。6月5日午後2時57分。あなたが大好きなお父さんが、天国に召されました。
  病床にあって、いつも笑顔をたたえ、あなたを強く思いながら、最期まで静かで、穏やかな、お父さんらしい旅立ちでした。あなたの写真に囲まれ、たくさんの祈りにも支えられて、優しい光の中に包み込まれるように、スッと天に引き上げられていきました。
  何から伝えればよいのか-。めぐみちゃん、伝えたいことがあまりに多く、うまく言葉につづれません。
  お父さんが天に召されてから、皆さまの励まし、力強い慰めの声を次々と頂きながら、一つ一つにしっかりと、お応えするいとまもなく、結局、目まぐるしい日々が過ぎていきます。
  静かに思いを巡らせる余裕はありませんが、めぐみちゃんと必ず再会し、抱き合えるという確信はますます強くなりました。支えてくださる皆さまの存在が、勇気となっています。
  42年間、あなたの姿を追い、全身全霊で闘ったお父さんは、最期に力強い信仰も得て、世の本質をしっかりと見据えながら、お母さん、弟の拓也、哲也たちへ思いを託し旅立ちました。
  お父さんは晩年、思うように言葉が出にくくなりました。でも、その胸中は優しく、毅然(きぜん)とした姿ににじみ出ていました。「めぐみたちを全員救い出す。最後に必ず、正義をかなえる」
  誰にも等しく、誠実であろうとしたお父さんの思いを、引き継がなければなりません。めぐみたち残る被害者全員に祖国の土を踏ませる。お母さんは、先に天に召されていったお父さんたちが、人生の闘いの末、見届けられなかった正義の結実をかなえたいのです。
(2)
日本の国民の皆さま。政治家、官僚の皆さま。遠く離れた異国で救いを待つ子供たちの姿を、わがこととして思ってください
  世界が一つとなり、拉致という非道極まる国家犯罪の現実を改めて直視し、残酷さをかみしめ、すべての子供たちを救うための闘いを、後押ししてください。
  解決への切望を言葉に発して行動に移し、北朝鮮の最高指導者が全面解決を決断するよう導いて、世界に平和をもたらしていただきたいのです。お母さんたちも、命の炎を燃やし、全身全霊を注ぐ決意でいます。
  昭和52年11月15日、めぐみちゃんが姿を消し、何も見えない地獄の20年間を経て、北朝鮮に捕らわれていることが分かったのが平成9年。おりしも、全国の被害者の肉親が集い、家族会が結成され、代表に推されたお父さんは、救出運動の最前線に立ちました。
  どこにでもいる庶民のお父さんは強烈な重圧に耐えていたはずです。救出の糸口になると信じ、危険を承知でめぐみの実名を明かすことを決断しました家族の代表として北朝鮮、時には日本政府に解決を迫る意志と行動を示しました。講演や署名活動で全国を駆け回り、体力は限界を超え、気力だけが頼りでした。
  平成30年4月、体調を崩したお父さんは、入院しました。病院での療養は天から与えられた休息であり、めぐみちゃんとの再会まで命をつなぐ、新たな闘いの日々でもありました。
  お父さんが「苦しい」だとか「辛い」だとか、後ろ向きの言葉を発することはありませんでした。病院の方々に支えられいつもニコニコ、一刻を大切に生きていました。一生懸命、リハビリにも取り組みました。
  今年に入り、お父さんの体力が徐々に衰える中で、新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)し、お母さんは心配で仕方ない日々を過ごしました。
(3)
「ウイルスの惨禍の下で私たちの命も、希望も、無残に消えてしまうのか」
  見舞いに行き、身体をさすってあげることさえもできない。自宅のベランダに咲いたバラのスケッチや、手紙を病院に預けて、お父さんの耳元で読み上げていただきました。
  旅立ちの日には拓也や哲也、その家族、お父さんの弟たちも駆けつけました。その時が近づくと、病院の方が、強く呼び掛けるようおっしゃいました。一瞬でも長く引き留めて、ということだったのでしょう。
  でも、お母さんは、うっすら涙を浮かべたお父さんの安らかな顔を見つめながら、「最期まで頑張ったね。もう安心して。天国に行けるよ。また会えるよ、待っていてね」と、あらんかぎりの力で伝えました。
  今年2月、神戸の有本恵子さんのお母さん、嘉代子さんが94歳で天に召されましたお父さんの明弘さんも既に92歳です。思うように動けなくなった私たち親にできることは世の中へ懸命に訴えることだけです。
  生老(しょうろう)病死。すべての命は平等に、生きる苦しみと直面します。そして命には限りがあります。私たち家族に複雑な国際情勢は理解できませんが、コロナの災禍に見舞われ、先の見えない世界に、そこはかとない、不穏な気配も感じます。
  重ねて、私たち年老いた家族に残された時間は本当に、本当に、わずかです。大きな喜び、正義がなされる光景が一刻も早く、実現されることを祈ります。
  めぐみちゃんこれほど辛く、長い時間を待たせてしまって本当にごめんね。お父さんは今頃、空の上から、あなたの姿を見つけていることでしょう。必ず、あなたを抱きしめる日が来ることを確信しつつ、新たな一日を生きていきます。


2020.7.4-産経新聞 SANKE NEWS WEB-https://www.sankei.com/world/news/200704/wor2007040021-n1.html
めぐみさん写真展、川崎で始まる 父・滋さんの死去受け開催

  北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の写真展が4日、川崎市で始まった。市内に住む父の滋さんが6月に87歳で亡くなったことを受け、拉致問題の解決に向けた機運を高めようと市が主催。
  4日はJR川崎駅の北口自由通路に、滋さんが撮影しためぐみさんら家族の写真など約40点や、母の早紀江さん(84)のメッセージボードを展示。横田さん一家へのメッセージを書き込むカードも用意し、来場者がそれぞれの思いをつづった。東京都大田区の教員、小野たえこさん(52)は「幸せそうな写真を見ると、涙がこみ上げてきた。早紀江さんには元気でいてもらいたい」と話した。
  写真展は8月12日まで、市内10カ所で順次開催する。入場無料


2020.6.23-産経新聞 SANKE NEWS WEB-https://special.sankei.com/a/politics/article/20200623/0002.html
北に消えた拉致被害者9万5千人 家族が正恩氏を初提訴へ

【ソウル=桜井紀雄】朝鮮戦争は南北離散家族など数多くの悲劇を生んだが、韓国内でもほとんど注目されてこなかった北朝鮮の蛮行がある韓国側から9万5千人以上が連れ去られたという戦時拉致問題だ。被害者家族が産経新聞の取材に応じた。現在の文在寅(ムン・ジェイン)政権に解決に向けた意思は見られず、被害者家族は25日、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長を相手取った初の損害賠償訴訟に踏み出す。
 当時、ソウルの小学校に通っていた金在朝(ジェジョ)さん(79)は戦争勃発直後、近くのミアリ峠から北方に向かう韓国軍兵士らを拍手で送りだしたのを鮮明に覚えている。韓国軍はすぐに北朝鮮軍に押され、街中に銃声が響いた。ソウルは北朝鮮軍に占拠された。
 父、金箕貞(ギジョン)さん=当時(54)=は、日本に留学経験があり、故郷の中部、忠清南道(チュンチョンナムド)で鉱山を経営。日本統治からの解放後は自治体の責任者を務めた名士だった。北朝鮮が敵視する資本家として付け狙われるのは明らかで、夜中以外は自宅に立ち寄らないなど、身を隠していた。だが、自宅に入る姿を見た隣組の班長が北朝鮮側に密告した。


2021.06.10-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/article/20200610-7BES2O43HBK25MRS4HWIXRK4VM/
「めぐみへの手紙」で質問 首相、拉致問題解決に決意新た 衆院予算委

  10日の衆院予算委員会で、日本維新の会の森夏枝氏が、北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父、滋さんの死去を受け、産経新聞で連載している「めぐみへの手紙」に触れながら安倍晋三首相に質問した。
  「めぐみへの手紙」は滋さんと妻の早紀江さんがめぐみさんに宛てた手紙で、産経新聞で連載されている。森氏は2月4日付の一部を紹介し「必ず取り戻すという早紀江さんの思いに対して改めて首相の決意を」と答弁を求めた。
  これに対し、首相は「残念ながら(拉致問題の解決を)まだ実現できていないことは本当に痛恨の極みで大変申し訳ない。有本恵子さんのお母さまも逝去された。一日も早く被害者の皆さんの帰国を実現するために全力を傾けていきたい」と答えた。

  同時に首相は「(北朝鮮に対し)今までの中で最も高い圧力をかけている。制裁を行っているところだ。トランプ米大統領あるいは(中国の)習近平国家主席、(韓国の)文在寅(ムン・ジェイン)大統領から直接、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長に拉致問題に対する私の考え方を伝えていただいている。あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動していきたい」と述べた。


2020.6.9-Yahoo!!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/34124415c73c74b38094844497a4f2de656f0263
「全身全霊で打ち込んだ」 横田滋さん死去 早紀江さんらが会見

  昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、5日に87歳で亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんの遺族による記者会見が9日午後4時、東京・永田町の議員会館で始まり、妻の早紀江さん(84)は「何も思い残すことはないほど、拉致解決に全身全霊を打ち込み、頑張った」と思いを語った。

  滋さんは、高齢や病気により約2年2カ月間、入院したが、早紀江さんは「長い闘病生活でも『痛い』『苦しい』と言わず、いつも笑顔で、元気に生きてきました」と振り返った。
  家族らは普段、療養する滋さんを常に励ましたが、早紀江さんは臨終の際、「今まで励ましてきたが、天国に行けるんだからね、と言った。懐かしい方が皆、待っているよ。気持ちよく、眠ってください」と耳元で叫んだという。滋さんは薄く開けた右目の内側に涙をため、静かに息を引き取った。
   被害者家族が高齢化し、病気も抱えた現状も踏まえ早紀江さんは「すでに多くの被害者の親御さんがいなくなり、衰弱していく方もいるであろうことが本当に心配」と語り、「どこまでがんばれるか分からないが日本の国は拉致被害者を放置しない。必ず取り返す、ということを最後まで皆さまに訴えていきたい」と力を込めた。
   会見には、滋さんの双子の息子、拓也さん(51)と哲也さん(51)も参加し、支援者や病院への謝意を表明。拓也さんは「悔しくて、悔しくて、仕方がない。国会においては与野党の壁なく、拉致問題に時間をさき、解決のため行動し、すべての皆さまにわがこととして受け止めていただきたい」と呼びかけ、哲也さんも「被害者家族には高齢者もおり、健康も芳しくない。これ以上、同じことがおきないよう。具体的成果をもたらしてほしい」と政府への切望を語った。


2020.6.6-AERA dot(メルマガ)-https://dot.asahi.com/aera/2020060600014.html?page=1
横田めぐみさんの父・滋さん死去 「めぐみは生きている」と信じ続けた43年
(1)
  「めぐみちゃんに一目会いたい」。そう強く信じ続けた父の思いは届かなかった。
  拉致被害者・横田めぐみさんの父、滋さんが5日、87歳で亡くなった。1977年、めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから43年。妻の早紀江さん(84)とともに拉致問題解決を訴える家族の会の初代代表を務めるなど中心的な存在だった。
  2002年9月17日に開かれた日朝首脳会談では、北朝鮮が拉致被害者のうち、めぐみさんを含む8人が国内で死亡したと発表。週刊誌「AERA」は、約1年後の03年7月28日号で、横田滋さん・早紀江さん夫妻を2時間にわたってインタビューしていた。進展しない拉致問題、誠意を示そうとしない北朝鮮――。ここでは、当時の夫妻の言葉を再掲する。

<早紀江さん> この1年、小説でもこう書けるだろうかと不思議に思うことばかりですね。
<滋さん> あれから1年といっても、めぐみはそれまでに(拉致されてからの)25年という歳月があるわけですから……。

――横田夫妻について、いまさら説明する必要はあるまい。13歳で北朝鮮工作員の手で拉致され、去年9月17日の日朝首脳会談で、「死亡」と北朝鮮側が発表した横田めぐみさんの両親である。
  「いずれ人は、みな、死んでいきます。(めぐみは)本当に濃厚な足跡を残していったのではないかということで、(中略)皆さまとともに闘ってまいります。まだ生きていることを信じて闘ってまいります。めぐみを愛してくださった皆さまに心から感謝します」
   その日、記者会見で早紀江さんが口にした言葉は、聞く者の心を突き刺した。
 <早紀江さん> 私自身は、特別なことを言う意識などなくて。ただものすごく腹が立っていたんです。こっちが何か言うと、向こう(北朝鮮)はそれを見てると聞いてますから。こっちがやられた姿を見せれば、向こうは「しめた」と思うに違いない。どことなくそんな思いがあって、何か言わないと駄目だという不思議なものが勝手にあふれてきたんです。
  <滋さん> あれは、めぐみが死んだと認めたような発言でもあったんですけど。
  <早紀江さん> 認めてはいません。絶対に生きていると思ったけど。だから支離滅裂。何を言ったかわからないんだから。
  <滋さん> それまで、拉致されたのは間違いないと思っていても、1%ぐらいは……。証拠がなかったですから。でも北朝鮮が認めただけでなく、(孫の)キム・ヘギョンさんまで現れたわけで、確信をもって語ることができるようになりました。
  ――(97年にめぐみさん目撃を証言した)北朝鮮元工作員の安明進(アンミョンジン)氏が、めぐみさんは金正日(キムジョンイル)総書記の息子の日本語の家庭教師をしていると語りましたが。
(2)
<早紀江さん> それは直接聞きました。大変な所に入れられたと思いました。これじゃもう、一番出にくいなと。本当かどうかわからないのですが。
<滋さん> 安さんが、めぐみを金正日政治軍事大学で見たというのは直接、経験したこと。家庭教師の話は、他の人から聞いた話なんです。比較的新しい時期だということでしたが。
<早紀江さん> 安さんは9月17日の時点で、めぐみが亡くなったというのは絶対に違う、死んでいないと言いたかったと。あまりいろいろな話が出ていて、もう訳がわからないですよ。いつまでも闇の中で、いつまでも生殺しで。いろんなことが出てくるのに、本当の核心はわからない。だからいまはその核心が出てくる過程だと思っています。本当のことが出るのを待っています。何か起きるたびに驚いていては、生きていけない。だから、あまり動揺しないようにしてるんです。
――けれど、めぐみさんは絶対に生きていると。
<早紀江さん> ずっと思っていますよ。そう思ってあげないと可哀想ですよ。せっかくここまで我慢して……。
<滋さん> 死んだとの明確な証拠がない限り、生きていると信じます。
――ご夫妻の訪朝問題が論議を呼びました
<滋さん> 私は、9月17日以後は、同じ被害者の家族といっても、生きている人と死んだといわれる人がいて、かなり状況が変わってきたんだから、やはり、個々の状況に応じて考えるべきだと思うんです。
<早紀江さん> でも北朝鮮はこちらの動きを見てますよ。行くとなると、それを利用して何かやってくるに違いないと思う。そういう所には行かない方がいいというのが私の考えです。孫に会いたいかと言われれば、誰だって会いたいです。抱きしめてあげたいと思いますよ。
――この件は、おふたりで話をなさるんですか
<早紀江さん> 話しても、意見が合いません。主人は「行きたいんだ。親の気持ちも大事だ」と言いますから。でも、拉致事件はものすごく大きな問題ですし、行ったらどうなるか、よく考えないといけない。5人の方たちの帰国後、こう聞きました。横田夫婦が北朝鮮に来るように、これだけのことを言いなさい、と言われて来たと。やっぱりそうかと。
<滋さん> (去年10月初めに)政府調査団が北朝鮮から、めぐみの夫というキム・チョルジュさんの手紙を持ってきて、めぐみと結婚して幸せだったとか、こんな形で手紙を出さなきゃならないのは悲しいとか、両親がこっちに来てくれればいろんな話ができますと書いてありました。めぐみの墓があって、遺骨が出れば、もうあきらめざるを得ない。違っていれば、北朝鮮の主張全体がウソということになる。行って確かめられるならということなんです。
 家族会としては、現時点では行かないことに決めました。でも事情が許せば、1カ月後に行く可能性もあるし、半年後も行かないこともある。今の時点では、行かないということなんです。
<早紀江さん> 私は、いくらこちらの思いを伝えても絶対、違うようにされると思う。それなら行かない方がいい。指導者次第で何でもできる国ですから。
――ヘギョンさんのことをどうお思いですか
(3)

<早紀江さん> (めぐみと)すごく似てますから。会いたいですよ。こっちに来てくれればね。
<滋さん> (北朝鮮での会見で)テレビが事前にうちに来て、我々の写真とかマンションを撮影して持って行き、本人に見せたようなんです。テレビの人が、ぬいぐるみとかを渡したとき、(ヘギョンさんが)おじいちゃん、おばあちゃんは今度は来てくれるかと思ったけど、また会えなかったと言ったそうです。
――ヘギョンさんはエリートの子どもという印象でした
<滋さん> (6月に会った)韓国の金泳三(キムヨンサム)元大統領も、そんなことを言ってました。私たちは朝鮮語がわからないけど、あの方はわかるから。泣いたり笑ったり、まるで俳優さんみたいだったと。
<早紀江さん> あの子にしたら、どうしようもないことですからね。そういう所で育ったんだから。言う内容を教えられたんだと思いますよ、きっと。
  そういうことも含め、本当のことはまだ出てこない。だけど隠れたものは必ず、全部、暴き出されると信じていますから。その過程で苦しまなきゃならないけど、私たちが生きている間に、願わくば、そうなってほしいと思っています。
 ですから、勝手には動けません。私は行きません。どんなことがあっても。
<滋さん> 行ったらなかなか帰って来られないとか、そんなことはないでしょう。
<早紀江さん> お父さんはいつも軽く言うけど。そんな国じゃない。人が良すぎるんです。
――北朝鮮について、息子さんおふたりの考えは、早紀江さんに近いんですか
<早紀江さん> 同じです。3人はいつもよく似てます。
――お父さんは……
<早紀江さん> 大変だと思いますよ(笑い)。柔らかいから。
――滋さんは、行ってみなきゃ、わからないじゃないかというお気持ちなのですか
<滋さん> そうなんです。行っても成果がなかったら、それはゼロなわけで。ゼロかプラスかじゃないかと思うんです。
<早紀江さん> どの国も、いま北朝鮮にどう対処するか考えながら動いているわけでしょう。向こうも困れば、何か起こしてくるか、言ってくるし。こっちは、その時に対処すればいいんだから。
――早紀江さんは、めぐみさんが拉致されて7年後に、洗礼を受けられたそうですね
(4)
<早紀江さん> あの苦しみの中で、聖書に巡りあったんです。なんでこんな目に遭わなきゃいけないのかと、悲しくて、死にたい思いでした。そんな時にクリスチャンの友達が、読んでみてと言って持ってきて下さったんです。読むと、ああそうかと。人間というのは、どんなに立派に見えても、心の中って見えない。何を考えているのかとか。そこを掘り下げていくんです。祈りというのは、形には見えないけれど、すごく深い。自分というものがどんなものか、掘り下げると、わかってくるんです。自分がどれほど小さな存在なのかも。心の平安も得られます。神様は何もかもご存じですから。
 週に一度の礼拝は休みませんでしたが、日曜日が集会などで忙しくなって、この1年は行けなくなって。いまは行ける時に近くの教会でお祈りしています。
――滋さんは?
<早紀江さん> 全然。神様を迫害してばかりです(笑い)。信じられないといって。
<滋さん> 子どもの教育なんかでも、私は、あまりしかりませんでした。でも家内は、しかった方がいいと言ってましたし、そこは違いますね。
<早紀江さん> 甘やかす一方。めちゃめちゃに可愛がる方で。
――めぐみさんは、大変なお父さん子だったそうですね
 <早紀江さん> そうですね。大事に大事にしてましたから。
――めぐみさんからプレゼントされた櫛を、滋さんはいまもお持ちなんですか
<滋さん> 携帯用の鞄に入れてあるんです。
<早紀江さん> ボロボロになりましたけど、出かけるときは必ず鞄の中に入れてますね。
――めぐみさんが生きていたら、北朝鮮の影響を相当受けているのではないでしょうか
<滋さん> そうでないと生きていけないわけですから。帰国した方の言葉だったか、日本は我々を見捨てたと思っていたのが、帰国の専用機の窓から下を見ると、たくさんの人がいて、これは我々をだますためのサクラではないかと思ったけれども、地元でも大歓迎してくれた。
 それでも北朝鮮を出るときは不安だったと言いますから。でもめぐみは、年も若いし……。
<早紀江さん> それは、いくら想像しても、どうにもなりません。何よりまず、めぐみを捜しているわけですから。駄目なら駄目で、その時は本当に、仕方がない。DNA鑑定などで調べて、間違いなければ、これはもう現実だから……。わからない先のことを、いくら考えたって、仕方がないわけですから。


2020.2.6-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200206/k10012274771000.html
拉致被害者 有本恵子さんの母 嘉代子さんが死去

留学先のヨーロッパから北朝鮮に拉致された神戸市出身の有本恵子さんの母親の嘉代子さんが今月3日、兵庫県内の病院で亡くなりました。94歳でした。
  有本嘉代子さんは、昭和58年、イギリス留学を終えてヨーロッパを旅行中に北朝鮮に拉致された有本恵子さんの母親です。
  昭和63年に、恵子さんが北朝鮮にいることが分かって以降、30年以上にわたって、夫の明弘さんとともに救出活動を続けてきました。
  平成9年に拉致被害者の家族会が結成されてからは、全国を回って署名活動や講演を行うようになり、被害者の一刻も早い帰国を訴えてきました。また、横田めぐみさんの母親の早紀江さんと親交が深く、定期的に連絡を取り合っては互いの健康を気遣う仲でした。
  毎朝、神戸市内にある自宅の神棚に手を合わせて被害者の無事を祈り、夜は食卓に娘の分の食事を用意して恵子さんとの再会を誓っていました。また毎年1月12日の恵子さんの誕生日にはケーキや赤飯などを用意して祝い救出への覚悟を新たにしていました。
  94歳と拉致被害者の家族の中で最高齢だった嘉代子さんは、数年前から持病の心臓病が悪化し、平成28年4月に手術を受けて以降は活動に参加することがほとんどできなくなりました。
  その後は入退院を繰り返し、去年9月に一時退院した際には自宅でNHKの取材に応じ「恵子を取り返してほしい。それ以外は何も思い残すことはありません」と話し、肉親の早期帰国に結び付く政府の取り組みを求めていました。
  嘉代子さんはその後再び入院し療養を続けていましたが、家族などによりますと、今月3日の午後、心不全のため兵庫県内の病院で亡くなりました。
  平成14年の日朝首脳会談以降政府が認定している拉致被害者の親で、子どもとの再会を果たせないまま亡くなったのは嘉代子さんで7人目となります。
  夫の明弘さんは「北朝鮮に拉致された恵子を取り戻すために、嘉代子と二人三脚で頑張ってきましたが、妻は力尽きてしまい、今は全く気持ちの整理もつかない状態です」というコメントを出しました。

去年9月「とにかく恵子を取り返してほしい」
有本嘉代子さんは去年9月に一時退院した際、NHKの取材に応じていました。
  嘉代子さんは当時体調が安定したため一時退院し、神戸市長田区の自宅で夫の明弘さん(91)に付き添われながらベットに横になった状態で短時間インタビューに応じました。
  嘉代子さんは恵子さんについて「あの子たちも大変な目にあってきたんですから日本に帰ってきてもう一度、生活してほしい」と語りました。
  そのうえで「とにかくこの問題だけは今の時代に片づけていただきたい。とにかく恵子を取り返してほしい。私は一生懸命生きて、一生懸命子どもを育てて、まあ、一生まともなことができたから、何も思い残すことはないんです。だから恵子のことだけです」と述べ、娘との再会への強い思いを語っていました。
  また夫の明弘さんは当時、嘉代子さんを元気づけようと、20代のころの嘉代子さんの写真の、破れたり折れて痛んだりした部分をきれいに修復して、額に入れて見せるなどしていました。
  明弘さんは「それはもういままで見たことのない、顔を見ることができた。恵子というのが1番気になってるわけ。それのためにこの何十年間ずっと晩も寝られんだよなぁ、そんなことばっか考えて生きてきてんやからなぁ。できるだけ長いこと生きてもらわなあかんさかい、いろいろなことをしようねんけれどな、今」と話しました。
  そして「国と国が安心してつきあえるように持って行くのが政治の仕事やねん。恵子は生きているはずやねん。早いところよい話しを聞かせてやりたい」と訴えていました。

曽我ひとみさん「残念のひと言では足りない」
拉致被害者の有本恵子さんの母、嘉代子さんが亡くなったことについて、拉致被害者で18年前に帰国した新潟県佐渡市の曽我ひとみさんがコメントを出しました。
  曽我さんは「一刻も早く拉致問題を解決し、家族が抱き合う日が来ることを、家族会はじめ関係者一同願って今まで活動してきたのです。志半ばでどれだけ悔やんでいるだろうかと思うと、残念のひと言では足りないくらいです。私なりに家族会と協力し拉致問題が解決するその日まで、有本さんの気持ちとともにできる範囲で活動を続けていきます」としています。

地村富貴恵さん「解決には一刻の猶予もない」
拉致被害者、有本恵子さんの母親の嘉代子さんが亡くなったことについて、北朝鮮に拉致されたあと帰国を果たした地村保志さんと妻の富貴恵さんは「拉致被害者の家族は高齢化し、解決には一刻の猶予もありません。拉致問題が早期に解決され、娘の恵子さんが父である明弘さんと再会できることを心より願っています」とコメントしています。

蓮池薫さん「取り返しのつかない事態が積み上がっている」
北朝鮮に拉致され18年前に帰国した蓮池薫さんがNHKのインタビューに応じ有本嘉代子さんが亡くなったことについて「どんなに悔しい思いで逝かれたのかと思います。被害者の親が亡くなることは取り返しのつかない事態が積み上がっているということです。政府には『遅れました、早くしましょう』ではすまない話になっていると、改めて感じてもらいたい」と話しました。
  蓮池さんは、被害者家族の高齢化が進んでいる状況について「こう着状態が続く中では解決に向け努力をする一方で、肉親が希望を持ち、1日でも長く待ち続けられる状況を作ることも政府の責任です。帰国に向けた努力がどう展開されるか、希望を持てる情報を、家族に伝えるべきだ」と話しました。
  そして、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長に対しては「家族の皆さんが元気なときに返してこそ、解決の意味があるわけで、いなくなったところで被害者を返しても、『なんでいまさら?』ということになりかねない。北朝鮮にとって、いまが拉致問題を動かす最後のチャンスだと思います」と話し、被害者を帰国させる決断を求めました。

飯塚繁雄さん「政府には全力で取り組んでほしい」
有本嘉代子さんが亡くなったことについて、田口八重子さんの兄で拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんは、NHKの取材に対し、「被害者の帰国を待つ家族が亡くなられたのはとても悲しく、残念なことだ。しかし、長く時間がたてばこうしたことが起きるのは当然のことで、この事態をいちばん深刻に受け止めなければならないのは日本政府だ。毎回『一刻も早い帰国を』と伝えているが、被害者の帰国に向けて全力で取り組んでもらいたい」と話しています。
  田口八重子さんの長男で、母親が拉致された時1歳だった飯塚耕一郎さんは「訃報に接し悲痛な思いです。こうなる前に被害者の帰国が実現できなかったのか、悔やんでも悔やみきれません。40年にわたって家族が会えないまま永遠の別れを迎えるようなことは、もう最後にしなければなりません。北朝鮮の最高指導者は、これ以上、むだに時間を使わず、すべての拉致被害者を帰す決断を今すぐにすべきだ」と話しました。
  また、横田めぐみさんの弟で家族会事務局長の横田拓也さんは「残念でなりません。恵子さんに一目でもよいから会わせてあげたかったです。家族としては、政府にぶれずに強力な交渉を求めるしかなく、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)委員長には、残酷なことはすみやかにやめ、お互いが明るい未来を築けるよう被害者を帰国させる決断を求めたい」と話しました。
  鳥取県米子市の拉致被害者、松本京子さんの兄、孟さんは「先頭に立って被害者の帰国を訴えている嘉代子さんの背中を見ながら運動してきたので残念としか言いようがなく、仲間を失うのは悔しい」と話しました。
  そのうえで「帰りを待つ家族が元気なうちに問題が解決するように頑張っていくしかない。ずるずる月日がすぎないよう政府の力で解決してほしい」と話しました。

増元照明さん「ついにこの日が来てしまった」
拉致被害者の増元るみ子さんの弟の、増元照明さんはNHKのインタビューに応じ「嘉代子さんは数年前から体調を崩していたと聞いていましたが、ついにこの日が来てしまったのかと感じています。一緒に署名活動をしたことがありますが、足を止めてくれた人たちに、にこやかにお礼をしていた嘉代子さんの姿が思い起こされます」と話しました。
  また、増元さんの母親の信子さんも3年前に亡くなっていて、被害者の家族が高齢化していることについて増元さんは「どうしても娘にもう一度会いたいという強い思いを持ち体を酷使しながらも、長生きしようと頑張っていたのだと思います。政府は、被害者を取り返すためにもっとやれることや、言えることがあるはずです」と話し、被害者を取り戻すための戦略的な取り組みを強く求めました。

市川健一さん「一刻も早く取り戻して」
鹿児島県の拉致被害者、市川修一さんの兄、健一さんは「拉致被害者の親もきょうだいも高齢化しているので政府は一刻も早く取り戻してほしい」と訴えました。
  有本嘉代子さんは、30年以上にわたって恵子さんの救出活動を続けてきましたが今月3日の午後、心不全のため兵庫県内の病院で亡くなりました。
  市川健一さんは亡くなった有本さんについて「本当に一生懸命、講演や集会で訴えていらっしゃった。20数年間ともに闘ってきた人が亡くなられるのは悲しくてはがゆく、悔しい気持ちです」と話していました。
  また、市川さんの両親もすでに亡くなっていることを念頭に「拉致被害者の親も、私たちきょうだいも、みんな高齢化しているので政府は一刻も早く取り戻していただきたい。もっとオール日本で闘ってほしい」と述べ被害者全員の帰国に向けた協力を訴えました。

有本恵子さん拉致の経緯
  神戸市出身の有本恵子さんはロンドンに留学中の1983年(昭和58年)、行方が分からなくなりました。  当時23歳。 旅行先のデンマークのコペンハーゲンから家族に手紙が届いたのが最後でした。
  その5年後の1988年(昭和63年)、突然、消息が明らかになりました。同じ拉致被害者で、ヨーロッパを旅行中に行方不明になっていた石岡亨さんから札幌市の実家に手紙が届いたのがきっかけでした。手紙には、有本恵子さんと赤ちゃんの写真が同封され「事情があって北朝鮮に長期滞在するようになりました。有本恵子くんともども、助け合ってピョンヤンで暮らしております」などとつづられていました。
  有本さんの家族は娘の帰国に力を貸してほしいと政府や国会議員に働きかけましたが、当時は拉致事件とは判断されず、事態が動かないまま10年以上がすぎました。

  新たな情報が寄せられたのは2002年3月(平成14年)。北朝鮮に渡った、よど号ハイジャック事件の実行犯の元妻が、有本さんの拉致に関与したと法廷で証言しました。
  その年の9月に行われた日朝首脳会談で北朝鮮は、初めて有本さんの拉致を認めましたが、よど号グループの関与を否定したうえで、「石岡さんと結婚し子どもも産まれたが1988年11月、一家でピョンヤンの北にある招待所に移った翌日に、暖房用の石炭ガス中毒で家族全員が死亡した」と説明しました。
  しかし、それを裏付ける具体的な証拠は示されず、政府は幼い子どもを連れて突然、不便な場所にある招待所に移動し、その翌日に死亡したとする北朝鮮側の説明は極めて不自然で、信ぴょう性が疑われると判断しました。
  有本さんの両親の明弘さんと嘉代子さんは1997年に(平成9年)被害者の家族会が結成されるとこれに加わり、救出を求める署名活動や講演を行ってきました。
  毎晩、神戸市内の自宅の食卓に娘の分の食事を用意し、誕生日にはケーキを買って娘の救出を誓ってきました。
  有本恵子さんは先月(1月)60歳の還暦を迎えました。

拉致問題の解決は時間との闘いに
政府が認定している拉致被害者のうち安否が分かっていない12人の親で、子どもとの再会を果たせずに亡くなった人は、平成14年の日朝首脳会談以降だけでも、有本嘉代子さんで7人になります。
  最近では平成29年12月に拉致被害者、増元るみ子さんの母親の信子さんが90歳で亡くなりました。
  致問題は、ことし、最初の事件の発生から43年、被害者の家族会が結成されてから23年となり、解決にあまりにも長い時間がかかる中「生きているうちに再会を果たしたい」という家族の思いはこれまで以上に強くなっています。
  嘉代子さんの死去で、今も健在な親は、有本恵子さんの父親と横田めぐみさんの両親の3人になりました。めぐみさんの父親で、活動の先頭に立ってきた滋さん(87)も入院生活が続くなど、全員が老いという現実に直面していて、拉致問題の解決は時間との闘いになっています。


2020.02.03-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/article/20200203-SVVCRHOSPBOMLG3FBUHT7CDA7A/
「めぐみちゃんへの手紙」お母さんは84歳になりました 残された時間 本当にわずか
(1)
  めぐみちゃん、こんにちは。そう、のんきに呼びかけるのも戸惑う思いです。元気にしていますか。今年もあっという間に2月です。お母さんは4日で84歳になりました。どんどん年を取るだけで、誕生日はちっともうれしくありません。けれど、めぐみちゃんはきっと、明るく祝ってくれるはずです。「すごい、おばあちゃんになっちゃったね!」とおちゃめに笑い、抱きついてくる姿を、心に思い描いています。
  お母さんは今、一生懸命に毎日を生きています。体中に衰えを感じ、日々しんどく感じます。そして、病院で必死にリハビリするお父さんの姿を見ると、「一刻も早く、めぐみと会わせてあげなければ」という焦りで全身がしびれます。
  これが老いの現実です。お父さんと、お母さんだけではありません。すべての家族が老い、病み、疲れ果てながら、それでも、被害者に祖国の土を踏ませ、抱き合いたいと願い、命の炎を燃やしているのです。

  私たちに、残された時間は本当にわずかです。全身全霊で闘ってきましたが、もう長く、待つことはかないません。その現実を、政治家や官僚の皆さまは、どう考えておられるのでしょうか。私たちはテレビで、のどかにさえ見える方々の姿を、見つめ続けています。皆さまには、拉致の残酷な現実をもっと、直視していただきたいのです。
(2)
  次の誕生日こそ、あなたと一緒に祝いたい。それを実現させるのは、日本国であり、政府です。政治のありようを見ると、「本当に解決するのか。被害者帰国の道筋を考えているのか」と不安や、むなしささえ、感じることがあります。
  「なんの罪なく拉致されたままの子供を、肉親を、返してください」-。この簡単な思いがかなわず、絶望的なほど長い時が過ぎてしまった現実に、拉致事件の闇の深さを感じます。そこに、光を差さなければなりません。令和という時代に初めて迎えた誕生日に、被害者全員の一刻も早い救出の願いを込め、日本の明るい未来を祈ります。
  めぐみと一緒に過ごせたのは、あなたが13歳になるまでのわずかな時間でしたが、生まれたばかりのあなたを抱き上げた瞬間から、たくさんの幸せをもらいました。本当にかけがえのない、宝物だった。今、めぐみが拉致されるまでの明るい日常を思い出すたび、そう実感します。そんなあなただからこそ、必ず、天の大きな力と、多くの皆さまに守られ、教えられ、生き抜いているはずです。

  お父さんも、お母さんも拉致事件をどうすれば解決できるのか、考えない日はありません。日本と北朝鮮の最高指導者が真剣に向き合い、平和と幸せな未来について話し合う。その日が、すぐにでも来るような気がしていましたが、事態は静まり返っています。
(3)
  めぐみちゃんたちはこの瞬間も、日本が助け出してくれると信じて、厳寒の北朝鮮で耐えていることでしょう。それを思い浮かべ、日々の暮らしの中でも、新聞やテレビのニュースに目を奪われます。でも、国会などを見ていると、拉致事件が取り上げられることは、ほとんどありません。政治家の皆さまは国民の代表として、国の未来を、力の限り論じ合っていただきたいと願わずにはいられません。安倍晋三首相には決意を貫き、すべての拉致被害者を救い出して、祖国の土を踏ませていただきたいと思います。
  拉致事件は、国家犯罪であるとともに、人の原罪そのものです。「他国より強くありたい」「奪い取ってやる」。そんな願望がいさかいを呼び、戦争を起こしているのではないでしょうか。めぐみたち拉致被害者も私たち家族も、拉致という非道極まりない北朝鮮の「罪」によって、人生の多くを奪われてきました。

  北朝鮮は数多の国民が飢えに苦しみながらなお、軍備にお金を注ぎ続けています。そして、多くの拉致被害者が捕らわれたままなのです。それが果たして、幸福でしょうか。最高指導者には、どうか、このことに思いを致し、幸せな世界を思い描き、実現させてほしいと願います。決して、難しい決断ではないはずです。
(4)
  拉致事件は想像を超えることが起こります。平成14年、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが帰国したときも、そうでした。「本当に生きていたんだ」。飛行機から降りる5人の姿を見たとき、本当に驚き、希望も湧きました。
  北朝鮮は、めぐみたちを「死亡」や「未入境」と偽りました。めぐみの偽の遺骨まで送ってきました。でも、お父さんもお母さんも、被害者全員が、きっと生きていると信じています。かつては長い間、拉致事件の存在さえ否定する声がありました。しかし、非道な拉致は確かに存在し、長い沈黙を経て、若者たちが生還を果たしたのです。
  たけり狂う暴風にさらされながら、今日まで何とか生きてくることができました。めぐみと同じように、大きな力に支えられ、生かされてきたことに、感謝するばかりです。私たちは一人ではありません。だからお母さんは、すべての皆さまのことを思い、今日も祈ります。
  すべての被害者を日本に帰国させるためには、とてつもないエネルギーが必要です。日本自らが立ち上がるのはもちろんのこと、世界中の勇気、愛、正義の心が必要です。今一度、北朝鮮で捕らわれ救いを待つ拉致被害者のことを心に描いてください。そして、思いを、声にしていただきたいと願います。
  めぐみちゃん。お父さん、弟の拓也、哲也と一緒に楽しく暮らした日々を取り戻すため、お母さんは全力を尽くします。84歳の誕生日を迎え、その思いはみじんも揺るぎません。どうか健康に気を付けて、強い望みをもって、元気でいてくださいね。=随時掲載


2020.1.1-産経新聞-
めぐみさんへの手紙 ・・・ 拉致解決へ本気の願い 千葉・八街市立朝陽小5年生の作文

(一昨年から始めた横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=らすべての拉致被害者に思いをつづる「めぐみさんへの手紙」に多くの応募が寄せられる中、千葉県八街(やちまた)市立朝陽(ちょうよう)小学校の5年生が産経新聞東京本社(東京都千代田区)を訪れ、「横田めぐみさんへ」と題した75人分の作文を届けてくれた。小学生には難解な拉致問題を真剣に考え、被害者の帰国を強く願う思いが伝わってくる。)

できる限りの支援をしたい
加美陽子(かみ・ようこ)さん
 私は、横田めぐみさんのことを、最初は、ニュースとかでやっていることを知りませんでしたが、学校の授業でめぐみさんのことを聞いて、実際の映像を見たら、北朝鮮が許せないと思いました。
 理由は、めぐみさんのことを思い、今でも、病気になっていてもさがし続けている家族を見て、泣きそうになったからです。
 自分は何かできることがないかと、考えたとき、まだ先だけど、成人したとき、めぐみさんを探せる範囲で探したいと考えました。めぐみさんの家族はとってもいい家族だと思います。弟さんもめぐみさんに会いたいと思いながら活動を続けています。私もできるかぎり支援をして、めぐみさんと家族が会える日がくることを願っています。
 私が家族とくらせているように、めぐみさんにも、家族とくらしてほしい気持ちがたくさんあります。自分が拉致されたら、恐怖のどん底でどうしたらいいのかわからなくなります。それなのに、めぐみさんは、こわい思いをしながら生きていると思うので、どうか、家族のもとに帰って、だき合った姿を私に見せてください。そして、家族が笑顔でくらせる日を私は願います。

あなたを助けたい一心
佐々木小夏(ささき・こなつ)さん
 いつ帰ってくるんでしょう。拉致されたあなたは…。あの苦しみは、他の人には、わからない。そんな苦しみからあなたを救ってあげたい。あれから42年、いまだに帰ってこないあなたはどう思っているんでしょう。あなたのお父さんは、病気になって、後遺症で、うまく思いを伝えられません。そこまでの年になっています。
 このことを知ったのは、学校の学年道徳のときです。そのことを知らずに生きていた自分がにくいです。
 今は、あなたを助けたい一心です。早くもどってきてくださいね。めぐみさん。 私が20歳になったら拉致された人々を救うための団体にはいりたいです。絶対、絶対、絶対あなたを救ってみせます。信じて待っていてください、約束です。

愛情のつまった深い名前
石垣海人(いしがき・かいと)くん
 めぐみさんお元気ですか。最近は夏とちがって寒くなってきましたね。ぼくはあなたをとある動画のようなもので知りました。
 ほくはあなたの「めぐみ」という名前にはすごく意味が深い、つまりお父さん、お母さんの愛情がつまっているような名前で、「すごい」と思いました。
 それなのにお父さん、お母さんとはなればなれでさぞ悲しかったでしょう。ぼくも自分がさらわれたらどうなる、何を聞かれる、何をされる、か心配でこわいです。死んじゃうかもしれない所につれていかれるのは誰でも同じ思いです。苦しい思いに一緒に闘いましょう。
 もしぼくの手紙に返事が書けるならください。お願いします。

みな無事を祈っています
眞榮城千宏(まえしろ・ちひろ)さん
 めぐみさん、初めまして。私は11年生きて、めぐみさんが拉致されているのを、初めて知りました。
 あなたのお父さん、お母さん、そして弟さんの思いを映像で見て、めぐみさんのことをすごく心配していることが分かりました。
きっとあなたの家族、いや、それ以外の人も、めぐみさんが帰ってきたら「おかえりなさい」「苦しかったよね」と笑顔でむかえ、ささやいてくれると思います。それまでがんばってください。
 日本国民はあなたや、他の拉致被害者が帰ってくるのを願っています。もし、それが今年なら「42年間、おつかれさまです」と言ってくれると思います。
 私はいっこくも早く見つかってほしいと思います。あなたの両親も、そう思っています。そして何よりもめぐみさんや他の拉致被害者の無事を祈っています。

正月、着物姿のめぐみさんを見て
東京社会部長 中村将

 正月になると、家族はこたつに集まった。テレビを見ながら、ミカンをほおばったりしたものだ。
昭和52(1977)年の正月。新潟は静かだった。外は雪。横田めぐみさんは母、早紀江さん(83)とこたつで語らった。
 「ママの時代のお正月ってどうだった?」
 「着物を着て、ぽっくりはいて、はねつきしたよ」
 「うわー、いいなー」
 京都生まれの早紀江さんの子供時代の話を聞いためぐみさんは目を輝かせた。
 「めぐみちゃん、着物、着てみる?」
 早紀江さんの着物を着せてもらうことになっためぐみさんは大はしゃぎだった。着付けだけじゃない。後ろ髪を上げて結い、唇に紅も塗った。「こんなにお姉さんになったんだ」。早紀江さんは、そう感じた。
 めぐみさんを玄関前に立たせてシャッターを切ったのは父、滋さん(87)。着物や口紅の色と雪が積もる背景のコントラストがめぐみさんを際立たせる。春に中学入学をひかえためぐみさんの着物姿の写真だ。

あの年の11月、めぐみさんは北朝鮮に拉致された。この写真は今や悲しい思い出だ。早紀江さんは昨年末、めぐみさんの着物姿の写真のエピソードに触れた上で、「お正月の感慨もありませんが、いろいろなことを思いだしながら過ごすのでしょう」と語った。
 えくぼの娘、セーラー服姿の娘、北朝鮮提供のコート姿の大人の娘…。病床の滋さんの枕元には3枚のめぐみさんの写真があるが、「着物姿」が含まれていないのは、やはり悲しい思い出だからだろうか。
 昨年1月1日の本紙社会面で「めぐみさんへの手紙」を初めて紹介した紙面でもこの写真を使った。正月の写真だったからだ。
 1年間で小中高生や大学生から数多くの手紙が寄せられ、機会がある度に早紀江さんに手紙の内容を伝えてきた。実際に読んでもらったものも相当数ある。早紀江さんを通じて、滋さんにも伝わっている。
 「頑張って、頑張って、頑張ってきて。それでも42年なんて。言葉に出すだけで腹が立ちます」。動かぬ現実。政府は何か手を施してくれているのか、否か。滋さんの体調…。もう精いっぱいな早紀江さんだが、「めぐみさんへの手紙」を読むと、「本当に勇気づけられる」のだという。
 「拉致被害者を忘れない」「拉致事件について一人でも多くの人に話す」。子供や若者の決意は広がり始めている。家族と正月を過ごした、ごく普通の少女が北朝鮮に連れ去られたままでいることを、わがこととして人々が考えられる社会になればいい。そんな思いをめぐらせながら、今年も着物姿のめぐみさんの写真を掲載した。



北朝鮮による日本人拉致問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


北朝鮮による日本人拉致問題とは、1970年代から1980年代にかけて、北朝鮮の工作員や土台人よど号グループなどにより、17人(北朝鮮側によれば13人)の日本人が、日本、欧州から北朝鮮に拉致された問題である。

概要
  日本政府が認定した拉致事案は12件、拉致被害者は17人北朝鮮政府側は、このうち13人(男性6人、女性7人)について、日本人拉致を公式に認めており、5人が日本に帰国しているが、残り12人については「8人死亡、4人は入境せず」と主張している。日本政府は「全員が生存しているとの前提で対処する」との立場をとっている。
  北朝鮮は、長年拉致事件への関与を否定してきたが、2002年(平成14年)、平壌で行われた日朝首脳会談で、金正日が日本人の拉致を認め謝罪し、再発の防止を約束した。しかし、日本人を拉致したことに対する賠償などは、未だに行われていない。
  2003年(平成15年)6月5日の衆議院本会議において、当時の首相である小泉純一郎は、拉致問題に関して日本の主権の侵害と国民の生命と安全に対して、大きな脅威をもたらすことから、普通はテロと言えると思うと答えている。
  2018年(平成30年)現在、日本政府は首相官邸公式ウェブサイトにおいて、「対話と圧力」という姿勢を継続し、「拉致問題の解決なしに国交正常化はありえない」としている。
  また、日本政府認定の拉致被害者の他に、北朝鮮に拉致された疑いが拭えない「特定失踪者」の解決も、日本政府は取り組むと明言している。
北朝鮮の活動概要
  北朝鮮は、国家樹立当初から武力行使を辞さぬ形で、朝鮮半島統一することを標榜してきた。この点においては、大韓民国(韓国)も同じ態度のまま(李承晩北進統一論)であったが、1950年(昭和25年)、北朝鮮が韓国に侵攻し朝鮮戦争に突入した。だが北朝鮮側の事前の予期に反して国連軍が韓国防衛のために派兵し、中国人民解放軍が北朝鮮を支援(介入)したことで、国土の荒廃と南北分断の固定化を招いた。
  その後の北朝鮮は、朝鮮戦争からの復興事業を一段落させた後、1960年代に入ると、韓国に対する諜報活動を活発化させた。時には、直接の破壊工作も行ったと言われている。その工作活動は、少なくとも1980年代まで続けられていたことが確認されている。これらについては北朝鮮側からの反論もなされている。
  1970年代から1980年代にかけ、日本国内において、不自然な形で行方不明となる者が出ていた。警察による捜査や、亡命北朝鮮工作員逮捕された土台人の証言などから、北朝鮮工作員による、日本人拉致の疑いが濃厚であることが明らかになった

  それまで主として、韓国国内で活動してきた北朝鮮の工作員らが、この時期以降、韓国当局の手によって数多く摘発されるなど、韓国当局による北朝鮮工作員への警戒が非常に厳しくなった。そこで在日韓国・朝鮮人らを抱き込んで、韓国に入国させての対韓国工作活動の遂行が困難になってきた。そのため、北朝鮮当局は日本人に成り済まして、工作員を韓国に入国させる手口が有効であると考え、韓国のみならず、世界各国の出入国に便利な日本人のパスポート(旅券)を奪取するため、また同時に、工作員を日本人にしたてるための教育係としての利用、あるいは日本国内での工作活動の利便性を向上させる目的で、複数の日本人を拉致したとの指摘がある
  一方で、特定失踪者問題調査会の調査結果によると、拉致されたもしくは拉致された疑いが濃厚な者(俗に言う1000番台リスト)が失踪前に従事していた職業を詳細に調べた結果「印刷工」「医師」「看護師」「機械技術者」といった、北朝鮮が国際的に立ち遅れている分野を担う職業に集中していることが判明している。また、これらの特殊技能を持った拉致被害者に、日本人の配偶者を与え、家族を人質とすることにより、脱北させないようにするために、日本人を拉致した例も、多数あるのではないかとの指摘もある。北朝鮮には、1970年代にはよど号ハイジャック事件で北朝鮮に「亡命」した日本人男性が少なからずおり、「国家の賓客」として扱われていた。
拉致の手口
  拉致の実行については、以下のような手口が報じられている。
   ・福井県新潟県など日本海沿岸鹿児島県など東シナ海沿岸に工作員を密かに上陸させ、付近を偶然通りがかった若者を暴力も辞さない方法を用いて拉致する。
  ・日本国内に潜入している工作員や土台人が目ぼしいターゲットを決めて接近し、言葉巧みに誘い出し、誘拐する。
  ・日本国外に在留、居留する日本人に「仕事の紹介をする」として、北朝鮮に誘拐する。ただし入国までは本人の同意を取り付けていると考えられる。
  ・工作員が日本沿岸での工作活動中に目撃されたと思い、目撃者を強引に拉致する。
  ・工作員の侵入地点と拉致現場が離れているケースもあり、輸送手段としての自動車の調達、潜伏先や監禁場所の手配などの共犯行為には、現地に土地勘のある在日朝鮮人の土台人が関わった可能性を指摘する声もある。
拉致実行の指令
  ・平壌放送(AM657kHz)内の乱数放送で指令があったとの説が有力(音声による乱数放送(A-3放送)は2000年に廃止)。
  ・また、平壌放送以外でも北朝鮮の国営放送朝鮮中央放送内で、選曲の順番などで工作員に指令を送ったりもしていたと考えられる。
(参考として、日本側への重要な工作指令は万景峰号船内にて直接、口頭にて指令が伝達される)

拉致被害者の境遇
  一部の拉致被害者は、金委員長の別荘でもあり、外国人賓客の宿泊するホテルとしても使われる「招待所」において、特殊工作機関の常時監視のもと、上述の特殊技能を活かした任務や日本語文献の翻訳などに従事させられていたとの指摘がある。脱北者によれば、日本人を含む拉致被害者は、別世界のエリートとして扱われており、彼らとすれ違う際は目を伏せ顔を見ないようにするよう厳しく言われていたという。

  餓死する子供が多発している北朝鮮の一般庶民の現状に比べると拉致被害者たちは優遇された生活を送っていたと言われている。招待所ではすしや酢豚などの料理を食べ、外国映画を見る機会もあり、一般住民の生活よりはるかに好待遇であったが、自由な外出は許されなかったという。2002年に帰国した拉致被害者、蓮池薫の「招待所にいた時は賄い付きだった」「招待所にいる間は、名所観光をしたり娯楽映画などを見たりした」、曽我ひとみ「一般の朝鮮人との接触はない」等の証言がある。
  北朝鮮一般市民との接触は、継続的に特殊工作機関による厳重な監視下に置かれ、この時期に限らず常に遮断された状態であった。北朝鮮側は、2004年(平成16年)11月の日朝実務者協議で「死亡」とされた8人の死亡診断書等の資料が捏造であったことを認めた。また、横田めぐみのものとして提供された「遺骨」を鑑定した結果、日本政府は別人のものと判断し、未帰還の多くの拉致被害者は生存していると見ている。拉致被害者はこの他にも多数おり、特定失踪者問題調査会では数百人に及ぶ日本人が拉致されていることを示唆している。
  その一方で、生存情報の多くを頼っていた安明進・元北朝鮮工作員が韓国で麻薬密輸・使用で有罪判決を受け、その後姿を見せていないことから、推測や憶測が混じったこれまでの情報の再検証が真相解明の為に不可欠となっている。
北朝鮮側の対応
  この一連の拉致事件は長い間謎とされて来た。冷戦末期の1987年に発生した大韓航空機爆破事件の際の工作員金賢姫の証言から疑惑が浮上したが、国会においては1997年までは国交正常化等の議題になった際に懸案として出る程度であった。
  1991年(平成3年)以来、日本政府は北朝鮮に対し拉致事件を提起していたが、北朝鮮側は否定し続けた。
  日本では1977年に拉致された中学生横田めぐみ等に関する実名報道があってから、国会で取り上げられるなど、報道の頻度が爆発的に増えた。1997年には拉致被害者の救出を求める議員連盟が発足し、政府が7件10人の拉致被害者を認めた。北朝鮮側は「拉致は捏造」と主張し、北朝鮮系の在日朝鮮人の団体である朝鮮総連なども同様の主張をしていた。

  2002年平成14年)9月17日内閣総理大臣小泉純一郎(当時)らが訪朝し、日朝首脳会談を行った際に、当時の北朝鮮の最高指導者(国防委員長であり、朝鮮労働党中央委員会総書記)である金正日は、北朝鮮の一部の特殊機関の者たちが、「現地請負業者」(土台人とみられる)と共謀して、日本人を拉致した事実を認め、口頭で謝罪した。これにより、5人の拉致被害者が日本に一時帰国し、間もなく本人たちの意思で日本に残ることとなった。
  2004年(平成16年)5月22日、小泉純一郎の2度目の平壌訪問により、先に帰国していた拉致被害者の夫や、子供が日本への帰国を果たした。
  しかし、2002年9月17日、小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮を訪問して実現した日朝首脳会談の席で、金正日国防委員会委員長は「部下が勝手にやったことだ」と北朝鮮が日本人13人を拉致したことを初めて認め謝罪したものの、すでに拉致実行組織を解体、拉致を指揮した者を処分したと伝えたが、拉致の実行犯が現在でも英雄扱いされているなど、実際に処分等は行われていない。北朝鮮は2002年9月17日の日朝首脳会談において、日本人拉致事件は解決していると主張している。

  北朝鮮は「日本が解決済みの拉致問題を意図的に歪曲し誇張するのは、日本軍過去に朝鮮人民に働いた犯罪を覆い隠す為の政略的目的に悪用する為だ」と主張している。一方で「日本が誠意を示せば、何人かは帰す」とも主張している。
  北朝鮮は、日本政府が認定した拉致被害者17人のうち、残り12人について「死亡」あるいは「入境せず」として、「拉致問題は解決済み」と説明し、その後の協力を拒んでいるが、日本政府は「拉致問題の解決なしに国交正常化はありえない」との方針により、解決を目指して交渉を続けている。
  「北朝鮮による日本人拉致事件」については、マスメディア・更に日本政府内でも、すべて「拉致」と総称しているが、刑法学上はすべて「拐取(海外移送目的拐取)」である。北朝鮮による日本人拉致においては、刑法上の「略取」に当たる事案(加害者による暴力行為を手段として、強制力により被害者の身体を拘束の上で移送した事案)と、「誘拐」に当たる事案(偽計を手段として被害者を騙す等によりその同意を得つつ、身柄を加害者の実力的支配内に置いた上で移送した事案)、国外移送時の状況が不明な事案に分けられる。少女拉致事案・アベック拉致事案・母娘拉致事案・鳥取女性拉致容疑事案は「略取」であり、欧州における日本人男女拉致容疑事案は「誘拐」である。宇出津事件・李恩恵拉致事案・辛光洙事件・元飲食店店員拉致容疑事案など土台人を介したものと見られる拉致事案については「誘拐」の可能性が高いが、国外移送から北朝鮮入国に至る状況の詳細は不明である。
政府認定拉致被害者
  日本政府が認定した拉致被害者は久米裕横田めぐみ田口八重子濱本富貴惠地村保志蓮池薫奥土祐木子市川修一増元るみ子曽我ひとみ曽我ミヨシ松木薫石岡亨有本恵子原敕晁田中実松本京子(肩書・年齢は当時、敬称略、被害者家族の決断により実名報道されている)の17人 。この内濱本、地村、蓮池、奥土、曽我ひとみの5名は日本に帰国。
  2007年(平成19年)4月12日、警察庁はこれに加え北朝鮮工作員と結婚した日本人女性の子供2人(当時長女が6歳と長男が3歳)が1974年(昭和49年)6月中旬に行方不明になった事案について、複数の工作員関係者からの証言などから「北朝鮮による拉致被害者と断定した」と正式発表した(2児拉致事件)。よって同事案は政府認定拉致被害者にかかる拉致事件と同様に政府認定の拉致事件であるが、被害者たる子供2人が朝鮮籍であり、日本国民であることを要件とする拉致被害者支援法の認定基準には該当しないため、子供2人は拉致被害者としては認定されていない(2007年10月30日現在)。



宇出津(うしつ)事件
少女拉致事案
李恩恵(リ・ウネ)拉致事案
  李恩恵 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アベック拉致事案(福井県)
アベック拉致事案(新潟県)
アベック拉致事案(鹿児島県)
母娘拉致事案(新潟県)(娘)
母娘拉致事案(新潟県)(母)
欧州における日本人男性拉致容疑事案1980年
欧州における日本人女性拉致容疑事案1983年
辛光洙(シン・グァンス)事件
元飲食店店員拉致容疑事案
女性拉致容疑事案(鳥取県)
政府が未認定の拉致事件
  2児拉致事件
その他の失踪者
  この他、数百人の失踪者について、「特定失踪者問題調査会」が「特定失踪者」として情報収集をおこない、北朝鮮による拉致が疑われる程度に応じ0番台リスト - 1000番台リストなどと分類し発表している。なお、特定失踪者問題調査会とは別に「救う会」は日本国政府認定の17人に加えて、7人を拉致被害者と認定している。また、寺越武志も北朝鮮による拉致被害者であると各団体から主張されている。
(1977年頃~1983年頃)








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拉致問題対策本部HP-https://www.rachi.go.jp/
北朝鮮による日本人拉致問題-Abductions of Japanese Citizens by North Korea
北朝鮮による日本人拉致問題-wikipedia

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