拉致問題-1   映画「めぐみへの誓い」


2025.03.16-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20250316-5AJNWDK46FOPBK55X32YIZNWU4/
拉致問題解決へ「リミット迫るが、チャンス到来も」 「救う会」会長・西岡力氏講演要旨
(入沢亮輔)

  国立京都国際会館(京都市左京区)5日に開かれた京都「正論」懇話会の第77回講演会。拉致被害者の支援組織「救う会」会長で麗澤大特任教授の西岡力氏が「激動する南北朝鮮と拉致問題最新情勢」と題して講演した。主な内容は次の通り。

  日本政府が認定する北朝鮮による拉致被害は、12件17人。その1件目が昭和52年9月で、9件目が53年8月だった。世界12カ国で拉致があったとされるが、大部分がこの時期だ。
  日本政府は日本人が拉致されていることをいつ認識したのか。63年3月、参院予算委員会で、当時の国家公安委員長、梶山静六氏(故人)が「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」という歴史的答弁をしている。拉致が集中して起きてから10年後ということになる。
「世論が動けば政府が動く」
  なぜ拉致問題はこれほど解決に時間を要しているのか。私の答えは、立ち上がりが遅かったということだ。物事は、事件が起きた直後が一番解決しやすい。
  梶山答弁のとき、政府が本気で取り組めばこんなに時間はかからなかった。その2年後には、自民党と社会党(当時)が訪朝団(金丸訪朝団)を出した。そして有本恵子さん(65)=拉致当時(23)=らから手紙が来て、北朝鮮にいるのが分かったのも梶山答弁と同じ年だった。
  さらに家族会が発足したのは平成9年3月で、横田めぐみさん(60)=拉致当時(13)=が拉致されてから20年、梶山答弁から10年がたっていた。そのとき、亡くなった父の滋さん、母の早紀江さん(89)はものすごく悩んだ。実名、写真を出して訴えるかどうか。早紀江さんは実名公表に反対した。親の行動で娘を危険にさらす可能性があったからだ。
  日本は戦後、軍隊を奪われ、今も憲法9条を維持させられている情けない国という面もあるが、世論が動けば政府が動く。まさに世論を動かしたのは、家族会の決断。滋さんの決断だ。
  恵子さんの父、明弘さん(2月に96歳で死去)は、手紙があったので、家族会の発足前から活動していた。その先駆者が亡くなり、恵子さんとの再会が果たせなかったのは、本当に悔しいし悲しい。
「中朝関係ものすごく悪い」
  家族会、救う会では、ずっと「先圧力、後交渉」と言ってきた。第1次トランプ政権のとき、米朝は軍事的に緊張し、戦争直前というところまで来ていた。強い圧力がかかった結果、金正恩朝鮮労働党総書記はトランプ大統領と会談した。このときが、小泉純一郎元首相の訪朝後で、一番拉致問題解決に近づいたと評価している。
  今年1月にそのトランプ大統領が再び就任した。彼の頭の中に拉致問題があり、前回同様に日本のお金を取引に使えるとインプットできるかが勝負だ。
  中朝関係は今ものすごく悪い。中国政府の統計を見ると、昨年の中国の北朝鮮への輸出は一昨年と比べコメやトウモロコシ、窒素肥料、複合肥料が9割も減っている。米国を通じた日本からの支援を切望しており、そのときに拉致被害者を助け出せるかトランプ・金会談が、最後の勝負になる。
  拉致問題解決にはタイムリミットがある。親の世代の家族会メンバーはついに早紀江さん1人になり、悠長なことは言っていられない。本当に時間がない中、チャンスが来ているのも事実だ
(入沢亮輔)


2025.02.17-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20250217-BWH5SGOFQRPFLI2CQO2TR67CTE/
有本明弘さん支えたトランプ米大統領との絆 「あなたは必ず勝利する」異例の直筆手紙に涙
(中村翔樹)

  15日に亡くなった北朝鮮による拉致被害者の有本恵子さん(65)=拉致当時(23)=父、有本明弘さんは、膠着(こうちゃく)した事態打開に向け、ドナルド・トランプ米大統領の突破力に期待を寄せていたトランプ氏も明弘さんの意をくみ、「あなたはきっと勝利するでしょう」などと激励する異例の手紙を送っていた。・・・トランプ氏は第1次政権時代の平成29年11月と令和元年5月に来日し、拉致被害者家族と都度、顔を合わせた。

  元年5月の面会時、明弘さんは、問題解決への後押しを求めてトランプ氏宛ての手紙を米関係者に託す。すると翌月、トランプ氏直筆の返信が明弘さんのもとに届いた。・・・手紙には「明弘、あなたのために全力を尽くしています。安倍(晋三)首相も同じです。あなたはきっと勝利するでしょう。お会いできてよかったです!」としたためられていた
  明弘さんは当時、「米国の大統領が手紙をくれるなんて」と驚いた様子で語り、「恵子がいなくなってから苦しい時期もあったが、手紙をいただいて解決が近づいているように感じた」と涙を拭った。
  トランプ氏は当時、安倍首相と拉致問題を巡って強固に連携し、金正恩朝鮮労働党総書記との米朝首脳会談で拉致問題を再三提起。金氏から「安倍と会う用意がある」との発言を引き出すなど事態進展に貢献しており、第2次政権でも同様の手腕が期待されている
  今年1月12日の恵子さんの65回目の誕生日、明弘さんは文書でコメントを発表し、「今まで拉致問題の解決を訴えてきたが、日本一国の力では解決できないとはっきり分かった」と強調。その上で、問題解決には「トランプ次期大統領の力と協力が必要だ」と訴えるなど、変わらぬ信頼感を示していた。
(中村翔樹)



2025.02.17-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20250217-VWXS6OREP5PZZH35N4E5YHTDBU/
北朝鮮拉致被害者家族、有本明弘さんが96歳で死去 娘の恵子さん拉致から42年

  北朝鮮による拉致被害者の有本恵子さん(65)=拉致当時(23)=の父、明弘さんが死去したことが16日、分かった。96歳だった。

  1983(昭和58)年の夏、英国に留学中だった三女の恵子さんが行方不明になった。88年9月、スペインで80年に消息を絶っていた拉致被害者、石岡亨さん(67)=同(22)=から、同じく拉致被害者の松木薫さん(71)=同(26)=を含めた3人で、「平壌で暮らしている」とする手紙が札幌市内の石岡さんの実家に届き、恵子さんが北朝鮮にいることが判明した。
  平成14年(2002年)3月には、日航機「よど号」乗っ取り犯の元妻が、恵子さんの拉致に関与したことを、東京地裁での裁判で証言。仕事を斡旋する名目で恵子さんを誘い、デンマーク・コペンハーゲンで、よど号犯メンバーの男らに引き合わせたことを明らかにした
  北朝鮮の金正日総書記(当時)が日本人拉致を認めた02年9月の日朝首脳会談で、北朝鮮は恵子さんについて、ガス中毒で死亡したなどと説明。裏付ける客観証拠は一切なく、明弘さんは妻の嘉代子さんと二人三脚で娘の救出を訴え続けてきた
  嘉代子さんは令和2年2月、心不全のため94歳で死去。明弘さんも心臓などに持病を抱え、このところは移動に車いすが必要になるなど体力が落ちていた


2025.02.01-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20250201-RWHVYNGVYZMEVKFCQICQBAHDHY/
横田拓也さん「判断間違っている」 石破首相の答弁「連絡事務所設置を検証」に危機感

  北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の代表で、拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の弟の拓也さん(56)が1日、長野市内で講演し、石破茂首相が1月31日の衆院予算委員会で日朝間連絡事務所の設置を「よく検証していかねばならない」と答弁したことについて、「判断を間違っている」と述べ、改めて設置に反対であることを訴えた。
  拓也さんはこの日、政府拉致問題対策本部と長野県が主催した「拉致問題を考える国民の集い」で講演。北朝鮮で撮影されためぐみさんの写真を示しながら「みなさんの家族が写真の向こうにいると思ってほしい。拉致問題は私たちひとりひとりに課せられた人権問題」と訴えた。
  前日の石破首相の衆院予算委員会での答弁についても「北朝鮮は厳重な監視下にあり行動を制限される。連絡事務所は、時間稼ぎ、拉致問題の幕引きにつながる。北朝鮮の術中にはまるだけ。北朝鮮の手口に乗ってはいけない」と危機感を示した。


2024.10.05-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20241005-GO6KILNHMRC3VAP4B7LIOZN3E4/
今度は私から抱きしめる めぐみさん同級生「ヨコ、体だけは大事に信じて待っていて」-60歳になっためぐみちゃんへ(下)

  「いつまでもなかよく」・・・「私、合唱部に入ろうと思うの。よろしくね」
  昭和51年9月。新潟小(新潟市)からの帰り道、合唱部員の真保(しんぼ)恵美子さん(59)に、広島からの転校生が声をかけてきた横田めぐみさん(60)=拉致当時(13)=だ。

  「私のことはヨコって呼んで」。明るさと積極性に、少しびっくりしたことを覚えている。
  6年生の2学期からだったが、めぐみさんはクラスにすぐ、とけ込んだ。自身はほどなく「ボンボさん」と呼ばれるようになった。
  合唱部ではソロパートを任される歌声。「ベルサイユのばら」で知られる漫画家の池田理代子さんのファンで、タッチの似たイラストを上手に描いた。字もきれい。背が高く、運動神経もよかった。自慢の親友だった。
  卒業を控えた52年3月、友達からのメッセージを集めたサイン帳の1ページ目は、めぐみさんに書いてもらった。
  《ボーンボさん、君とは4~5カ月のつき合いネ。中学はよりい(寄居)でしょ。もし同じ組になってもならなくてもいっしょにあそぼーね》
  結びの言葉が今、胸に迫ってくる。・・・《では、いつまでも、なかよくしましょ――。 M・Y》
いつも一緒だったのに
  「うちのめぐみがまだ帰ってないんだけど、そちらに行っていないかしら」・・・52年11月15日夜、めぐみさんの母、早紀江さん(88)から自宅に電話が入った。
  進学した寄居中では、ともにバドミントン部に入り、帰り道はいつも一緒。だがこの日、真保さんは突き指で練習を休み、先に帰っていた。
  「寄り道でもしているのかな」。母親に促され布団に入ったが、よく眠れなかった。翌朝、早紀江さんからの連絡を待っていたのだろうか。母親が居間のこたつに顔を伏せているのを見て、めぐみさんがまだ戻っていないことを悟った。
  担任から、めぐみさんの失踪を告げられた。クラスには泣き出す女子生徒もいたが、涙は出なかった。「ひょっこりいなくなった。だからひょっこり、帰ってくる」。そう思っていた。
  北朝鮮にいることが分かったのは、それから20年もあとのことだ。
「普通」を楽しみたい
  後悔がある。・・・めぐみさんが姿を消す2日前に開かれたバドミントンの新人戦で、ダブルスの選手に選ばれていためぐみさんの応援に行った。「ボンボコ~」。先に会場の体育館に到着していためぐみさんは、真保さんを見るなり、うれしそうに手を広げ、近づいてきた。けれど、「なんだか恥ずかしくて抱きつけなかった」。
  再会したら、「普通のこと」を満喫したい。夕日がきれいな場所を訪れたり、おいしいものを食べたり。もしバドミントンがしたいといえば、すぐに体育館を探す。
  10月5日のめぐみさんの60歳の誕生日当日、同級生たちが新潟で開催した再会を願うコンサートには、92歳になった母親の介護があって参加できなかった。母親と同世代の早紀江さんの体調をめぐみさんも案じているに違いない。お互い、父親は他界してしまった。・・・この日、還暦になった親友に伝えたい。
  「ヨコ、こんな年になるなんて、思ってもいなかったよね。あちこち痛いところも出てくるけど、とにかく体だけは大事に。信じて待っていてね」
  今度は絶対、私から抱きしめるから。


2024.10.04-Yahoo!Japanニュース(朝日新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/03f60394208093b831e606879c6a2fbc58db76cc
横田めぐみさん60歳に 早紀江さん「むなしさを47年間も」
(朝日新聞社)

  北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが5日で60歳となるのを前に、母・早紀江さん(88)が3日、記者会見した。早紀江さんは、思い出の品を手に「めぐみちゃんが元気だと思うようにしなければ動けない。最後まで元気で生きていてください」と声を振り絞った。

  新潟市の中学1年生だっためぐみさんは1977年11月、学校から帰る途中で拉致された。それから今年で47年になるが、帰国を果たせないまま60歳となる。  早紀江さんは会見で「本当にむなしい。そういう思いを47年間も持ちつづけなきゃならなかった人生とはなんだったのだろう」と打ち明けた。ともにめぐみさんの帰国を訴えてきた夫の滋さんは2020年、87歳で亡くなった。北朝鮮が再調査を約束した「ストックホルム合意」から今年で10年になるが、日朝間の交渉も停滞したままだ。「現実とは思えないような思い」とも吐露した上で、「でも倒れちゃったら助けてあげられない」と言い聞かせるように語った。
朝日新聞社


2024.10.04-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20241004-U4OJONI7MNHZBI7MUB6UTJF4LM/
横田めぐみさんと北朝鮮で同居の〝姉〟 曽我ひとみさん「今も絶対に生きている」-60歳になっためぐみちゃんへ(中)

  「妹のようでもあり、とてもしっかりしていたので先生のようでもあり」・・・平成14年に帰国した拉致被害者の曽我ひとみさん(65)は、5歳下の横田めぐみさん(59)=拉致当時(13)=への思いを明かす「自分は一人じゃないんだと感じられる、心強い存在だった」・・・2人は北朝鮮で一時、共同生活を送っていた

かわいいえくぼで
  曽我さんは19歳だった昭和53年8月、生まれ育った新潟・佐渡で拉致されたのち、平壌近郊の万景台(マンギョンデ)招待所に収容された。そこには前年に拉致されためぐみさんがいた。
  「『こんにちは』って、かわいいえくぼを見せてあいさつをしてくれて」めぐみさんは、曽我さんの足のすり傷を気にかけた。母のミヨシさん(92)=同(46)=とともに工作員に襲われたときに負ったものだった。
  経緯を打ち明けると、「めぐみさんも『私も部活の帰りに捕まってここにいる』と。こんなに小さな子がなぜこんなところにいるのか不思議だったが、お互い同じ境遇だと理解した」。
  招待所では監視役の指導員が目を光らせていた。昼間はできるだけ朝鮮語を使い、夜にこっそり日本語で会話を重ねた。童謡の「紅葉」や「故郷」を声をひそめて合唱したこともある。
  対照的だったからよく覚えているのは、母親の「香り」の記憶。めぐみさんは「お母さんは、香水のいい匂いがするの」。ミヨシさんは工場勤めで機械油の臭いがしていた。「全然違うねって、笑いあった」という。「双子の弟たちがいることも教えてくれて、『とってもかわいいんだよ』と自慢していた。当たり前だが、家族を恋しがっていた」と振り返る。
  何度か別々の招待所に分かれながら、計8カ月ほど一緒に暮らした。1980年5月ごろに離れ離れになり、最後にめぐみさんを見かけたのは86年ごろ。平壌の外貨ショップで買い物をしていたときに偶然、出くわした。
  「走って抱きしめて再会を喜びたかった」が、指導員の監視下にありかなわなかった。「目は合った。元気そうだったから安心したけれど、つらい時間でもあった」
言わされている
  北朝鮮は2002年9月の日朝首脳会談で、めぐみさんは「死亡」と一方的に主張。その後、「1993年3月に病院で精神障害のため自殺」などと詳細に伝えてきた。だが、のちに死亡時期を94年4月と訂正したほか、物証として提出した「遺骨」が偽物だったことも判明。現在に至るまで死亡を裏付ける客観証拠は、何もない。
  安否を巡り、曽我さんも北朝鮮の謀略に触れた経験がある
  日本への帰国当日、平壌の空港にめぐみさんの娘のウンギョンさんが見送りに来ていると、北朝鮮側から伝えられた。「めぐみさんの面影があり、すぐに分かった」。抱擁の後で尋ねた。「お母さんは?」
  ウンギョンさんは「亡くなった」とつぶやいた。目を合わせず、自分の腕の中で泣いていた。直感した。「誰かに言わされている」
  北朝鮮はウンギョンさんの説明を帰国被害者経由で横田家などに伝えて「死亡」を既成事実化し、拉致問題全体の幕引きを図ろうとした狙いが透ける。曽我さんは「あのとき、『めぐみさんはどこか別の場所にいるのだろう』と強く思ったのを覚えている」と回顧。そして、「めぐみさんは今も絶対に生きている」と言い切る。
  北朝鮮はミヨシさんについては入境さえ認めていない。だが、自分と一緒に襲われた母だ。「北朝鮮にいないなら、どこにいるというのか」
  会いたい人は2人いる。諦めないで、元気でいて。思いはひとつだ。


2024.08.13-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240813-ZZATA7IG2BNG7JWRJNKPHTUEVI/
<独自>横田めぐみさん拉致映画を北朝鮮へ送り込み 韓国の脱北者団体通じ突破口開く狙い

  北朝鮮に13歳のとき拉致された横田めぐみさん5日に還暦(60歳)の誕生日を迎えることについて、新潟県新発田市の二階堂馨市長は2日の定例記者会見で「中学生の少女が北朝鮮に拉致され、異国の地で還暦を迎える。胸が張り裂けそうな思いだ」と語った。

  拉致問題は国家間の問題としつつも、「拉致問題を決してあきらめない、忘れないということを啓発し、早期解決につなげたい」と意気込む。
  同市では、政府拉致問題対策本部と共催で、めぐみさんの誕生日から2日後の今月7日、市内の全中学の3年生ら計約850人の前で、舞台劇「めぐみへの誓い-奪還-」を上演する。拉致問題について「めぐみさんの拉致当時と同じ年頃の子供たちに知ってもらうことは意義がある」(二階堂氏)という。
  二階堂氏は「拉致問題に関する県市町村長の会」の会長を務め、今年7月にも林芳正拉致問題担当相と面会し、拉致問題の早期解決を要望している。


2024.08.13-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240813-ZZATA7IG2BNG7JWRJNKPHTUEVI/
<独自>横田めぐみさん拉致映画を北朝鮮へ送り込み 韓国の脱北者団体通じ突破口開く狙い

  【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮による日本人拉致問題を調べている支援団体「特定失踪者問題調査会」が、横田めぐみさん(59)=拉致当時(13)=拉致事件を描いた映画の動画を北朝鮮内部へ送り込むプロジェクトを進めていることが13日、分かった。韓国ドラマなどの外部映像が近年、北朝鮮内に急速に拡散し、住民の意識変化に大きな影響を与えているとされることから、映像の浸透で拉致問題解決への突破口を開く狙いだ

  調査会では日本で制作された映画「めぐみへの誓い」のほか、拉致された可能性がある530人分の顔写真などを収めた動画データを準備ハングルによる字幕や身元情報の説明、情報提供者に報奨金を提供するとのメッセージを添えた
  この動画データを北朝鮮関係者に独自のネットワークを持つ韓国の脱北者団体に託した。脱北者団体によると、データは既に複数の北朝鮮関係者に渡っているという。
  北朝鮮では韓国ドラマなどの外部映像が流入すれば、住民らがUSBメモリーでコピーし合い、短期間で住民の間に広まることが脱北者の証言で裏付けられている。   韓国当局の調査では2016~20年に脱北した人の8割以上が外部映像を見た経験があると答えた。それに伴い、住民の間で韓国への憧れや金正恩(キム・ジョンウン)体制への否定的見方も高まっているという。
  金政権は20年に外部映像の流布に死刑も適用する法律を制定。公開処刑を頻繁に行う恐怖政治で映像の拡散を押さえ込もうと躍起になっている。
  調査会は05年から、北朝鮮に残された拉致被害者や北朝鮮住民に情報を届けるため「しおかぜ」という短波ラジオ放送を続けている。ただ、北朝鮮当局による妨害電波に終始悩まされ、運営費の安定的確保も課題となっている。映像の力を生かした新たな試みが北朝鮮国内への浸透に成功すれば、北朝鮮住民に直接訴える手段として、より大きな効果が期待できる。


2024.04.05-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240504-RDLKLSYBAZPQDC4T73RS3HWG2M/
親世代不在の訪米、伝わった「本音」 日本政府には改めて奮起要望 拉致被害者家族
(中村翔樹、外崎晃彦)

  北朝鮮による拉致被害者家族らが4日、米国から帰国した。このところ日朝情勢が「対話局面」にあるとの見方がある中で作成された新たな運動方針に関し、米側の理解を得ることに成功。一方、今回最も重視したのは、方針の背景にある「本音」の共有だった。

  「個人の感情としては、北朝鮮には怒りや憎しみしかない」。現地4月30日の記者会見。横田めぐみさん(59)=拉致当時(13)=の弟で、家族会代表の拓也さん(55)は、面会した米側関係者らにそう訴えたことを明かした。
「独自制裁の解除」に初めて言及
  今年の新たな運動方針では「独自制裁の解除」に初めて言及人道支援を認めるとした昨年分と併せ、日朝交渉進展に何らか寄与すれば、との思いを反映させた。
  米側には「融和的」と指摘される懸念もあった。だからこそ、背景にある感情を率直にぶつけ、局面打開に向けた「苦渋の内容」であることを丁寧に説明した。
  方針では全拉致被害者の即時一括帰国が実現しないまま親世代が死去した場合、「強い怒りを持って制裁強化を求める」とも併記。一方的に対話路線へ軸足を移したわけではないことも訴えた。
視覚的にも訴え
  全ての根底にある「親世代に残された時間の少なさ」については、視覚的にも訴えた
  拓也さんは、同行がかなわなかった母親の早紀江さん(88)の近影が写ったパネルを用意。田口八重子さん(68)=同(22)=の長男、飯塚耕一郎さん(47)も、八重子さんの兄で、再会を果たせないまま令和3年に亡くなった飯塚繁雄さんらのパネルを携え、米側に示した関係者からは「私にも子供がいる」、「同じ気持ちに立つ」などと賛意が続いた。
  日朝情勢を巡っては、北朝鮮が今年2月、日朝首脳会談の実現に前向きともとれる発信をした一方、3月以降は日本側との接触を拒否する意向を示すなど、再び強硬姿勢に転じている。拉致問題が「解決済み」との立場も崩していない
  この日の帰国会見で拓也さんは、今後の日本政府の奮起を改めて要望。家族会が大前提に据える「全被害者の即時一括帰国」を日朝交渉でも貫くよう求め、耕一郎さんも「私たちの方針に寄り添い、迷わず進んでほしい」と訴えた。(中村翔樹、外崎晃彦)







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