拉致問題-1   映画「めぐみへの誓い」


2024.10.05-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20241005-GO6KILNHMRC3VAP4B7LIOZN3E4/
今度は私から抱きしめる めぐみさん同級生「ヨコ、体だけは大事に信じて待っていて」-60歳になっためぐみちゃんへ(下)

  「いつまでもなかよく」・・・「私、合唱部に入ろうと思うの。よろしくね」
  昭和51年9月。新潟小(新潟市)からの帰り道、合唱部員の真保(しんぼ)恵美子さん(59)に、広島からの転校生が声をかけてきた横田めぐみさん(60)=拉致当時(13)=だ。

  「私のことはヨコって呼んで」。明るさと積極性に、少しびっくりしたことを覚えている。
  6年生の2学期からだったが、めぐみさんはクラスにすぐ、とけ込んだ。自身はほどなく「ボンボさん」と呼ばれるようになった。
  合唱部ではソロパートを任される歌声。「ベルサイユのばら」で知られる漫画家の池田理代子さんのファンで、タッチの似たイラストを上手に描いた。字もきれい。背が高く、運動神経もよかった。自慢の親友だった。
  卒業を控えた52年3月、友達からのメッセージを集めたサイン帳の1ページ目は、めぐみさんに書いてもらった。
  《ボーンボさん、君とは4~5カ月のつき合いネ。中学はよりい(寄居)でしょ。もし同じ組になってもならなくてもいっしょにあそぼーね》
  結びの言葉が今、胸に迫ってくる。・・・《では、いつまでも、なかよくしましょ――。 M・Y》
いつも一緒だったのに
  「うちのめぐみがまだ帰ってないんだけど、そちらに行っていないかしら」・・・52年11月15日夜、めぐみさんの母、早紀江さん(88)から自宅に電話が入った。
  進学した寄居中では、ともにバドミントン部に入り、帰り道はいつも一緒。だがこの日、真保さんは突き指で練習を休み、先に帰っていた。
  「寄り道でもしているのかな」。母親に促され布団に入ったが、よく眠れなかった。翌朝、早紀江さんからの連絡を待っていたのだろうか。母親が居間のこたつに顔を伏せているのを見て、めぐみさんがまだ戻っていないことを悟った。
  担任から、めぐみさんの失踪を告げられた。クラスには泣き出す女子生徒もいたが、涙は出なかった。「ひょっこりいなくなった。だからひょっこり、帰ってくる」。そう思っていた。
  北朝鮮にいることが分かったのは、それから20年もあとのことだ。
「普通」を楽しみたい
  後悔がある。・・・めぐみさんが姿を消す2日前に開かれたバドミントンの新人戦で、ダブルスの選手に選ばれていためぐみさんの応援に行った。「ボンボコ~」。先に会場の体育館に到着していためぐみさんは、真保さんを見るなり、うれしそうに手を広げ、近づいてきた。けれど、「なんだか恥ずかしくて抱きつけなかった」。
  再会したら、「普通のこと」を満喫したい。夕日がきれいな場所を訪れたり、おいしいものを食べたり。もしバドミントンがしたいといえば、すぐに体育館を探す。
  10月5日のめぐみさんの60歳の誕生日当日、同級生たちが新潟で開催した再会を願うコンサートには、92歳になった母親の介護があって参加できなかった。母親と同世代の早紀江さんの体調をめぐみさんも案じているに違いない。お互い、父親は他界してしまった。・・・この日、還暦になった親友に伝えたい。
  「ヨコ、こんな年になるなんて、思ってもいなかったよね。あちこち痛いところも出てくるけど、とにかく体だけは大事に。信じて待っていてね」
  今度は絶対、私から抱きしめるから。


2024.10.04-Yahoo!Japanニュース(朝日新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/03f60394208093b831e606879c6a2fbc58db76cc
横田めぐみさん60歳に 早紀江さん「むなしさを47年間も」
(朝日新聞社)

  北朝鮮に拉致された横田めぐみさんが5日で60歳となるのを前に、母・早紀江さん(88)が3日、記者会見した。早紀江さんは、思い出の品を手に「めぐみちゃんが元気だと思うようにしなければ動けない。最後まで元気で生きていてください」と声を振り絞った。

  新潟市の中学1年生だっためぐみさんは1977年11月、学校から帰る途中で拉致された。それから今年で47年になるが、帰国を果たせないまま60歳となる。  早紀江さんは会見で「本当にむなしい。そういう思いを47年間も持ちつづけなきゃならなかった人生とはなんだったのだろう」と打ち明けた。ともにめぐみさんの帰国を訴えてきた夫の滋さんは2020年、87歳で亡くなった。北朝鮮が再調査を約束した「ストックホルム合意」から今年で10年になるが、日朝間の交渉も停滞したままだ。「現実とは思えないような思い」とも吐露した上で、「でも倒れちゃったら助けてあげられない」と言い聞かせるように語った。
朝日新聞社


2024.10.04-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20241004-U4OJONI7MNHZBI7MUB6UTJF4LM/
横田めぐみさんと北朝鮮で同居の〝姉〟 曽我ひとみさん「今も絶対に生きている」-60歳になっためぐみちゃんへ(中)

  「妹のようでもあり、とてもしっかりしていたので先生のようでもあり」・・・平成14年に帰国した拉致被害者の曽我ひとみさん(65)は、5歳下の横田めぐみさん(59)=拉致当時(13)=への思いを明かす「自分は一人じゃないんだと感じられる、心強い存在だった」・・・2人は北朝鮮で一時、共同生活を送っていた

かわいいえくぼで
  曽我さんは19歳だった昭和53年8月、生まれ育った新潟・佐渡で拉致されたのち、平壌近郊の万景台(マンギョンデ)招待所に収容された。そこには前年に拉致されためぐみさんがいた。
  「『こんにちは』って、かわいいえくぼを見せてあいさつをしてくれて」めぐみさんは、曽我さんの足のすり傷を気にかけた。母のミヨシさん(92)=同(46)=とともに工作員に襲われたときに負ったものだった。
  経緯を打ち明けると、「めぐみさんも『私も部活の帰りに捕まってここにいる』と。こんなに小さな子がなぜこんなところにいるのか不思議だったが、お互い同じ境遇だと理解した」。
  招待所では監視役の指導員が目を光らせていた。昼間はできるだけ朝鮮語を使い、夜にこっそり日本語で会話を重ねた。童謡の「紅葉」や「故郷」を声をひそめて合唱したこともある。
  対照的だったからよく覚えているのは、母親の「香り」の記憶。めぐみさんは「お母さんは、香水のいい匂いがするの」。ミヨシさんは工場勤めで機械油の臭いがしていた。「全然違うねって、笑いあった」という。「双子の弟たちがいることも教えてくれて、『とってもかわいいんだよ』と自慢していた。当たり前だが、家族を恋しがっていた」と振り返る。
  何度か別々の招待所に分かれながら、計8カ月ほど一緒に暮らした。1980年5月ごろに離れ離れになり、最後にめぐみさんを見かけたのは86年ごろ。平壌の外貨ショップで買い物をしていたときに偶然、出くわした。
  「走って抱きしめて再会を喜びたかった」が、指導員の監視下にありかなわなかった。「目は合った。元気そうだったから安心したけれど、つらい時間でもあった」
言わされている
  北朝鮮は2002年9月の日朝首脳会談で、めぐみさんは「死亡」と一方的に主張。その後、「1993年3月に病院で精神障害のため自殺」などと詳細に伝えてきた。だが、のちに死亡時期を94年4月と訂正したほか、物証として提出した「遺骨」が偽物だったことも判明。現在に至るまで死亡を裏付ける客観証拠は、何もない。
  安否を巡り、曽我さんも北朝鮮の謀略に触れた経験がある
  日本への帰国当日、平壌の空港にめぐみさんの娘のウンギョンさんが見送りに来ていると、北朝鮮側から伝えられた。「めぐみさんの面影があり、すぐに分かった」。抱擁の後で尋ねた。「お母さんは?」
  ウンギョンさんは「亡くなった」とつぶやいた。目を合わせず、自分の腕の中で泣いていた。直感した。「誰かに言わされている」
  北朝鮮はウンギョンさんの説明を帰国被害者経由で横田家などに伝えて「死亡」を既成事実化し、拉致問題全体の幕引きを図ろうとした狙いが透ける。曽我さんは「あのとき、『めぐみさんはどこか別の場所にいるのだろう』と強く思ったのを覚えている」と回顧。そして、「めぐみさんは今も絶対に生きている」と言い切る。
  北朝鮮はミヨシさんについては入境さえ認めていない。だが、自分と一緒に襲われた母だ。「北朝鮮にいないなら、どこにいるというのか」
  会いたい人は2人いる。諦めないで、元気でいて。思いはひとつだ。


2024.08.13-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240813-ZZATA7IG2BNG7JWRJNKPHTUEVI/
<独自>横田めぐみさん拉致映画を北朝鮮へ送り込み 韓国の脱北者団体通じ突破口開く狙い

  北朝鮮に13歳のとき拉致された横田めぐみさん5日に還暦(60歳)の誕生日を迎えることについて、新潟県新発田市の二階堂馨市長は2日の定例記者会見で「中学生の少女が北朝鮮に拉致され、異国の地で還暦を迎える。胸が張り裂けそうな思いだ」と語った。

  拉致問題は国家間の問題としつつも、「拉致問題を決してあきらめない、忘れないということを啓発し、早期解決につなげたい」と意気込む。
  同市では、政府拉致問題対策本部と共催で、めぐみさんの誕生日から2日後の今月7日、市内の全中学の3年生ら計約850人の前で、舞台劇「めぐみへの誓い-奪還-」を上演する。拉致問題について「めぐみさんの拉致当時と同じ年頃の子供たちに知ってもらうことは意義がある」(二階堂氏)という。
  二階堂氏は「拉致問題に関する県市町村長の会」の会長を務め、今年7月にも林芳正拉致問題担当相と面会し、拉致問題の早期解決を要望している。


2024.08.13-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240813-ZZATA7IG2BNG7JWRJNKPHTUEVI/
<独自>横田めぐみさん拉致映画を北朝鮮へ送り込み 韓国の脱北者団体通じ突破口開く狙い

  【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮による日本人拉致問題を調べている支援団体「特定失踪者問題調査会」が、横田めぐみさん(59)=拉致当時(13)=拉致事件を描いた映画の動画を北朝鮮内部へ送り込むプロジェクトを進めていることが13日、分かった。韓国ドラマなどの外部映像が近年、北朝鮮内に急速に拡散し、住民の意識変化に大きな影響を与えているとされることから、映像の浸透で拉致問題解決への突破口を開く狙いだ

  調査会では日本で制作された映画「めぐみへの誓い」のほか、拉致された可能性がある530人分の顔写真などを収めた動画データを準備ハングルによる字幕や身元情報の説明、情報提供者に報奨金を提供するとのメッセージを添えた
  この動画データを北朝鮮関係者に独自のネットワークを持つ韓国の脱北者団体に託した。脱北者団体によると、データは既に複数の北朝鮮関係者に渡っているという。
  北朝鮮では韓国ドラマなどの外部映像が流入すれば、住民らがUSBメモリーでコピーし合い、短期間で住民の間に広まることが脱北者の証言で裏付けられている。   韓国当局の調査では2016~20年に脱北した人の8割以上が外部映像を見た経験があると答えた。それに伴い、住民の間で韓国への憧れや金正恩(キム・ジョンウン)体制への否定的見方も高まっているという。
  金政権は20年に外部映像の流布に死刑も適用する法律を制定。公開処刑を頻繁に行う恐怖政治で映像の拡散を押さえ込もうと躍起になっている。
  調査会は05年から、北朝鮮に残された拉致被害者や北朝鮮住民に情報を届けるため「しおかぜ」という短波ラジオ放送を続けている。ただ、北朝鮮当局による妨害電波に終始悩まされ、運営費の安定的確保も課題となっている。映像の力を生かした新たな試みが北朝鮮国内への浸透に成功すれば、北朝鮮住民に直接訴える手段として、より大きな効果が期待できる。


2024.04.05-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240504-RDLKLSYBAZPQDC4T73RS3HWG2M/
親世代不在の訪米、伝わった「本音」 日本政府には改めて奮起要望 拉致被害者家族
(中村翔樹、外崎晃彦)

  北朝鮮による拉致被害者家族らが4日、米国から帰国した。このところ日朝情勢が「対話局面」にあるとの見方がある中で作成された新たな運動方針に関し、米側の理解を得ることに成功。一方、今回最も重視したのは、方針の背景にある「本音」の共有だった。

  「個人の感情としては、北朝鮮には怒りや憎しみしかない」。現地4月30日の記者会見。横田めぐみさん(59)=拉致当時(13)=の弟で、家族会代表の拓也さん(55)は、面会した米側関係者らにそう訴えたことを明かした。
「独自制裁の解除」に初めて言及
  今年の新たな運動方針では「独自制裁の解除」に初めて言及人道支援を認めるとした昨年分と併せ、日朝交渉進展に何らか寄与すれば、との思いを反映させた。
  米側には「融和的」と指摘される懸念もあった。だからこそ、背景にある感情を率直にぶつけ、局面打開に向けた「苦渋の内容」であることを丁寧に説明した。
  方針では全拉致被害者の即時一括帰国が実現しないまま親世代が死去した場合、「強い怒りを持って制裁強化を求める」とも併記。一方的に対話路線へ軸足を移したわけではないことも訴えた。
視覚的にも訴え
  全ての根底にある「親世代に残された時間の少なさ」については、視覚的にも訴えた
  拓也さんは、同行がかなわなかった母親の早紀江さん(88)の近影が写ったパネルを用意。田口八重子さん(68)=同(22)=の長男、飯塚耕一郎さん(47)も、八重子さんの兄で、再会を果たせないまま令和3年に亡くなった飯塚繁雄さんらのパネルを携え、米側に示した関係者からは「私にも子供がいる」、「同じ気持ちに立つ」などと賛意が続いた。
  日朝情勢を巡っては、北朝鮮が今年2月、日朝首脳会談の実現に前向きともとれる発信をした一方、3月以降は日本側との接触を拒否する意向を示すなど、再び強硬姿勢に転じている。拉致問題が「解決済み」との立場も崩していない
  この日の帰国会見で拓也さんは、今後の日本政府の奮起を改めて要望。家族会が大前提に据える「全被害者の即時一括帰国」を日朝交渉でも貫くよう求め、耕一郎さんも「私たちの方針に寄り添い、迷わず進んでほしい」と訴えた。(中村翔樹、外崎晃彦)







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