拉致問題-1


2020.2.6-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200206/k10012274771000.html
拉致被害者 有本恵子さんの母 嘉代子さんが死去

留学先のヨーロッパから北朝鮮に拉致された神戸市出身の有本恵子さんの母親の嘉代子さんが今月3日、兵庫県内の病院で亡くなりました。94歳でした。
  有本嘉代子さんは、昭和58年、イギリス留学を終えてヨーロッパを旅行中に北朝鮮に拉致された有本恵子さんの母親です。
  昭和63年に、恵子さんが北朝鮮にいることが分かって以降、30年以上にわたって、夫の明弘さんとともに救出活動を続けてきました。
  平成9年に拉致被害者の家族会が結成されてからは、全国を回って署名活動や講演を行うようになり、被害者の一刻も早い帰国を訴えてきました。また、横田めぐみさんの母親の早紀江さんと親交が深く、定期的に連絡を取り合っては互いの健康を気遣う仲でした。
  毎朝、神戸市内にある自宅の神棚に手を合わせて被害者の無事を祈り、夜は食卓に娘の分の食事を用意して恵子さんとの再会を誓っていました。また毎年1月12日の恵子さんの誕生日にはケーキや赤飯などを用意して祝い救出への覚悟を新たにしていました。
  94歳と拉致被害者の家族の中で最高齢だった嘉代子さんは、数年前から持病の心臓病が悪化し、平成28年4月に手術を受けて以降は活動に参加することがほとんどできなくなりました。
  その後は入退院を繰り返し、去年9月に一時退院した際には自宅でNHKの取材に応じ「恵子を取り返してほしい。それ以外は何も思い残すことはありません」と話し、肉親の早期帰国に結び付く政府の取り組みを求めていました。
  嘉代子さんはその後再び入院し療養を続けていましたが、家族などによりますと、今月3日の午後、心不全のため兵庫県内の病院で亡くなりました。
  平成14年の日朝首脳会談以降政府が認定している拉致被害者の親で、子どもとの再会を果たせないまま亡くなったのは嘉代子さんで7人目となります。
  夫の明弘さんは「北朝鮮に拉致された恵子を取り戻すために、嘉代子と二人三脚で頑張ってきましたが、妻は力尽きてしまい、今は全く気持ちの整理もつかない状態です」というコメントを出しました。

去年9月「とにかく恵子を取り返してほしい」
有本嘉代子さんは去年9月に一時退院した際、NHKの取材に応じていました。
  嘉代子さんは当時体調が安定したため一時退院し、神戸市長田区の自宅で夫の明弘さん(91)に付き添われながらベットに横になった状態で短時間インタビューに応じました。
  嘉代子さんは恵子さんについて「あの子たちも大変な目にあってきたんですから日本に帰ってきてもう一度、生活してほしい」と語りました。
  そのうえで「とにかくこの問題だけは今の時代に片づけていただきたい。とにかく恵子を取り返してほしい。私は一生懸命生きて、一生懸命子どもを育てて、まあ、一生まともなことができたから、何も思い残すことはないんです。だから恵子のことだけです」と述べ、娘との再会への強い思いを語っていました。
  また夫の明弘さんは当時、嘉代子さんを元気づけようと、20代のころの嘉代子さんの写真の、破れたり折れて痛んだりした部分をきれいに修復して、額に入れて見せるなどしていました。
  明弘さんは「それはもういままで見たことのない、顔を見ることができた。恵子というのが1番気になってるわけ。それのためにこの何十年間ずっと晩も寝られんだよなぁ、そんなことばっか考えて生きてきてんやからなぁ。できるだけ長いこと生きてもらわなあかんさかい、いろいろなことをしようねんけれどな、今」と話しました。
  そして「国と国が安心してつきあえるように持って行くのが政治の仕事やねん。恵子は生きているはずやねん。早いところよい話しを聞かせてやりたい」と訴えていました。

曽我ひとみさん「残念のひと言では足りない」
拉致被害者の有本恵子さんの母、嘉代子さんが亡くなったことについて、拉致被害者で18年前に帰国した新潟県佐渡市の曽我ひとみさんがコメントを出しました。
  曽我さんは「一刻も早く拉致問題を解決し、家族が抱き合う日が来ることを、家族会はじめ関係者一同願って今まで活動してきたのです。志半ばでどれだけ悔やんでいるだろうかと思うと、残念のひと言では足りないくらいです。私なりに家族会と協力し拉致問題が解決するその日まで、有本さんの気持ちとともにできる範囲で活動を続けていきます」としています。

地村富貴恵さん「解決には一刻の猶予もない」
拉致被害者、有本恵子さんの母親の嘉代子さんが亡くなったことについて、北朝鮮に拉致されたあと帰国を果たした地村保志さんと妻の富貴恵さんは「拉致被害者の家族は高齢化し、解決には一刻の猶予もありません。拉致問題が早期に解決され、娘の恵子さんが父である明弘さんと再会できることを心より願っています」とコメントしています。

蓮池薫さん「取り返しのつかない事態が積み上がっている」
北朝鮮に拉致され18年前に帰国した蓮池薫さんがNHKのインタビューに応じ有本嘉代子さんが亡くなったことについて「どんなに悔しい思いで逝かれたのかと思います。被害者の親が亡くなることは取り返しのつかない事態が積み上がっているということです。政府には『遅れました、早くしましょう』ではすまない話になっていると、改めて感じてもらいたい」と話しました。
  蓮池さんは、被害者家族の高齢化が進んでいる状況について「こう着状態が続く中では解決に向け努力をする一方で、肉親が希望を持ち、1日でも長く待ち続けられる状況を作ることも政府の責任です。帰国に向けた努力がどう展開されるか、希望を持てる情報を、家族に伝えるべきだ」と話しました。
  そして、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)朝鮮労働党委員長に対しては「家族の皆さんが元気なときに返してこそ、解決の意味があるわけで、いなくなったところで被害者を返しても、『なんでいまさら?』ということになりかねない。北朝鮮にとって、いまが拉致問題を動かす最後のチャンスだと思います」と話し、被害者を帰国させる決断を求めました。

飯塚繁雄さん「政府には全力で取り組んでほしい」
有本嘉代子さんが亡くなったことについて、田口八重子さんの兄で拉致被害者家族会代表の飯塚繁雄さんは、NHKの取材に対し、「被害者の帰国を待つ家族が亡くなられたのはとても悲しく、残念なことだ。しかし、長く時間がたてばこうしたことが起きるのは当然のことで、この事態をいちばん深刻に受け止めなければならないのは日本政府だ。毎回『一刻も早い帰国を』と伝えているが、被害者の帰国に向けて全力で取り組んでもらいたい」と話しています。
  田口八重子さんの長男で、母親が拉致された時1歳だった飯塚耕一郎さんは「訃報に接し悲痛な思いです。こうなる前に被害者の帰国が実現できなかったのか、悔やんでも悔やみきれません。40年にわたって家族が会えないまま永遠の別れを迎えるようなことは、もう最後にしなければなりません。北朝鮮の最高指導者は、これ以上、むだに時間を使わず、すべての拉致被害者を帰す決断を今すぐにすべきだ」と話しました。
  また、横田めぐみさんの弟で家族会事務局長の横田拓也さんは「残念でなりません。恵子さんに一目でもよいから会わせてあげたかったです。家族としては、政府にぶれずに強力な交渉を求めるしかなく、北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)委員長には、残酷なことはすみやかにやめ、お互いが明るい未来を築けるよう被害者を帰国させる決断を求めたい」と話しました。
  鳥取県米子市の拉致被害者、松本京子さんの兄、孟さんは「先頭に立って被害者の帰国を訴えている嘉代子さんの背中を見ながら運動してきたので残念としか言いようがなく、仲間を失うのは悔しい」と話しました。
  そのうえで「帰りを待つ家族が元気なうちに問題が解決するように頑張っていくしかない。ずるずる月日がすぎないよう政府の力で解決してほしい」と話しました。

増元照明さん「ついにこの日が来てしまった」
拉致被害者の増元るみ子さんの弟の、増元照明さんはNHKのインタビューに応じ「嘉代子さんは数年前から体調を崩していたと聞いていましたが、ついにこの日が来てしまったのかと感じています。一緒に署名活動をしたことがありますが、足を止めてくれた人たちに、にこやかにお礼をしていた嘉代子さんの姿が思い起こされます」と話しました。
  また、増元さんの母親の信子さんも3年前に亡くなっていて、被害者の家族が高齢化していることについて増元さんは「どうしても娘にもう一度会いたいという強い思いを持ち体を酷使しながらも、長生きしようと頑張っていたのだと思います。政府は、被害者を取り返すためにもっとやれることや、言えることがあるはずです」と話し、被害者を取り戻すための戦略的な取り組みを強く求めました。

市川健一さん「一刻も早く取り戻して」
鹿児島県の拉致被害者、市川修一さんの兄、健一さんは「拉致被害者の親もきょうだいも高齢化しているので政府は一刻も早く取り戻してほしい」と訴えました。
  有本嘉代子さんは、30年以上にわたって恵子さんの救出活動を続けてきましたが今月3日の午後、心不全のため兵庫県内の病院で亡くなりました。
  市川健一さんは亡くなった有本さんについて「本当に一生懸命、講演や集会で訴えていらっしゃった。20数年間ともに闘ってきた人が亡くなられるのは悲しくてはがゆく、悔しい気持ちです」と話していました。
  また、市川さんの両親もすでに亡くなっていることを念頭に「拉致被害者の親も、私たちきょうだいも、みんな高齢化しているので政府は一刻も早く取り戻していただきたい。もっとオール日本で闘ってほしい」と述べ被害者全員の帰国に向けた協力を訴えました。

有本恵子さん拉致の経緯
  神戸市出身の有本恵子さんはロンドンに留学中の1983年(昭和58年)、行方が分からなくなりました。  当時23歳。 旅行先のデンマークのコペンハーゲンから家族に手紙が届いたのが最後でした。
  その5年後の1988年(昭和63年)、突然、消息が明らかになりました。同じ拉致被害者で、ヨーロッパを旅行中に行方不明になっていた石岡亨さんから札幌市の実家に手紙が届いたのがきっかけでした。手紙には、有本恵子さんと赤ちゃんの写真が同封され「事情があって北朝鮮に長期滞在するようになりました。有本恵子くんともども、助け合ってピョンヤンで暮らしております」などとつづられていました。
  有本さんの家族は娘の帰国に力を貸してほしいと政府や国会議員に働きかけましたが、当時は拉致事件とは判断されず、事態が動かないまま10年以上がすぎました。

  新たな情報が寄せられたのは2002年3月(平成14年)。北朝鮮に渡った、よど号ハイジャック事件の実行犯の元妻が、有本さんの拉致に関与したと法廷で証言しました。
  その年の9月に行われた日朝首脳会談で北朝鮮は、初めて有本さんの拉致を認めましたが、よど号グループの関与を否定したうえで、「石岡さんと結婚し子どもも産まれたが1988年11月、一家でピョンヤンの北にある招待所に移った翌日に、暖房用の石炭ガス中毒で家族全員が死亡した」と説明しました。
  しかし、それを裏付ける具体的な証拠は示されず、政府は幼い子どもを連れて突然、不便な場所にある招待所に移動し、その翌日に死亡したとする北朝鮮側の説明は極めて不自然で、信ぴょう性が疑われると判断しました。
  有本さんの両親の明弘さんと嘉代子さんは1997年に(平成9年)被害者の家族会が結成されるとこれに加わり、救出を求める署名活動や講演を行ってきました。
  毎晩、神戸市内の自宅の食卓に娘の分の食事を用意し、誕生日にはケーキを買って娘の救出を誓ってきました。
  有本恵子さんは先月(1月)60歳の還暦を迎えました。

拉致問題の解決は時間との闘いに
政府が認定している拉致被害者のうち安否が分かっていない12人の親で、子どもとの再会を果たせずに亡くなった人は、平成14年の日朝首脳会談以降だけでも、有本嘉代子さんで7人になります。
  最近では平成29年12月に拉致被害者、増元るみ子さんの母親の信子さんが90歳で亡くなりました。
  致問題は、ことし、最初の事件の発生から43年、被害者の家族会が結成されてから23年となり、解決にあまりにも長い時間がかかる中「生きているうちに再会を果たしたい」という家族の思いはこれまで以上に強くなっています。
  嘉代子さんの死去で、今も健在な親は、有本恵子さんの父親と横田めぐみさんの両親の3人になりました。めぐみさんの父親で、活動の先頭に立ってきた滋さん(87)も入院生活が続くなど、全員が老いという現実に直面していて、拉致問題の解決は時間との闘いになっています。


2020.1.1-産経新聞-
めぐみさんへの手紙 ・・・ 拉致解決へ本気の願い 千葉・八街市立朝陽小5年生の作文

(一昨年から始めた横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=らすべての拉致被害者に思いをつづる「めぐみさんへの手紙」に多くの応募が寄せられる中、千葉県八街(やちまた)市立朝陽(ちょうよう)小学校の5年生が産経新聞東京本社(東京都千代田区)を訪れ、「横田めぐみさんへ」と題した75人分の作文を届けてくれた。小学生には難解な拉致問題を真剣に考え、被害者の帰国を強く願う思いが伝わってくる。)

できる限りの支援をしたい
加美陽子(かみ・ようこ)さん
 私は、横田めぐみさんのことを、最初は、ニュースとかでやっていることを知りませんでしたが、学校の授業でめぐみさんのことを聞いて、実際の映像を見たら、北朝鮮が許せないと思いました。
 理由は、めぐみさんのことを思い、今でも、病気になっていてもさがし続けている家族を見て、泣きそうになったからです。
 自分は何かできることがないかと、考えたとき、まだ先だけど、成人したとき、めぐみさんを探せる範囲で探したいと考えました。めぐみさんの家族はとってもいい家族だと思います。弟さんもめぐみさんに会いたいと思いながら活動を続けています。私もできるかぎり支援をして、めぐみさんと家族が会える日がくることを願っています。
 私が家族とくらせているように、めぐみさんにも、家族とくらしてほしい気持ちがたくさんあります。自分が拉致されたら、恐怖のどん底でどうしたらいいのかわからなくなります。それなのに、めぐみさんは、こわい思いをしながら生きていると思うので、どうか、家族のもとに帰って、だき合った姿を私に見せてください。そして、家族が笑顔でくらせる日を私は願います。

あなたを助けたい一心
佐々木小夏(ささき・こなつ)さん
 いつ帰ってくるんでしょう。拉致されたあなたは…。あの苦しみは、他の人には、わからない。そんな苦しみからあなたを救ってあげたい。あれから42年、いまだに帰ってこないあなたはどう思っているんでしょう。あなたのお父さんは、病気になって、後遺症で、うまく思いを伝えられません。そこまでの年になっています。
 このことを知ったのは、学校の学年道徳のときです。そのことを知らずに生きていた自分がにくいです。
 今は、あなたを助けたい一心です。早くもどってきてくださいね。めぐみさん。 私が20歳になったら拉致された人々を救うための団体にはいりたいです。絶対、絶対、絶対あなたを救ってみせます。信じて待っていてください、約束です。

愛情のつまった深い名前
石垣海人(いしがき・かいと)くん
 めぐみさんお元気ですか。最近は夏とちがって寒くなってきましたね。ぼくはあなたをとある動画のようなもので知りました。
 ほくはあなたの「めぐみ」という名前にはすごく意味が深い、つまりお父さん、お母さんの愛情がつまっているような名前で、「すごい」と思いました。
 それなのにお父さん、お母さんとはなればなれでさぞ悲しかったでしょう。ぼくも自分がさらわれたらどうなる、何を聞かれる、何をされる、か心配でこわいです。死んじゃうかもしれない所につれていかれるのは誰でも同じ思いです。苦しい思いに一緒に闘いましょう。
 もしぼくの手紙に返事が書けるならください。お願いします。

みな無事を祈っています
眞榮城千宏(まえしろ・ちひろ)さん
 めぐみさん、初めまして。私は11年生きて、めぐみさんが拉致されているのを、初めて知りました。
 あなたのお父さん、お母さん、そして弟さんの思いを映像で見て、めぐみさんのことをすごく心配していることが分かりました。
きっとあなたの家族、いや、それ以外の人も、めぐみさんが帰ってきたら「おかえりなさい」「苦しかったよね」と笑顔でむかえ、ささやいてくれると思います。それまでがんばってください。
 日本国民はあなたや、他の拉致被害者が帰ってくるのを願っています。もし、それが今年なら「42年間、おつかれさまです」と言ってくれると思います。
 私はいっこくも早く見つかってほしいと思います。あなたの両親も、そう思っています。そして何よりもめぐみさんや他の拉致被害者の無事を祈っています。

正月、着物姿のめぐみさんを見て
東京社会部長 中村将

 正月になると、家族はこたつに集まった。テレビを見ながら、ミカンをほおばったりしたものだ。
昭和52(1977)年の正月。新潟は静かだった。外は雪。横田めぐみさんは母、早紀江さん(83)とこたつで語らった。
 「ママの時代のお正月ってどうだった?」
 「着物を着て、ぽっくりはいて、はねつきしたよ」
 「うわー、いいなー」
 京都生まれの早紀江さんの子供時代の話を聞いためぐみさんは目を輝かせた。
 「めぐみちゃん、着物、着てみる?」
 早紀江さんの着物を着せてもらうことになっためぐみさんは大はしゃぎだった。着付けだけじゃない。後ろ髪を上げて結い、唇に紅も塗った。「こんなにお姉さんになったんだ」。早紀江さんは、そう感じた。
 めぐみさんを玄関前に立たせてシャッターを切ったのは父、滋さん(87)。着物や口紅の色と雪が積もる背景のコントラストがめぐみさんを際立たせる。春に中学入学をひかえためぐみさんの着物姿の写真だ。

あの年の11月、めぐみさんは北朝鮮に拉致された。この写真は今や悲しい思い出だ。早紀江さんは昨年末、めぐみさんの着物姿の写真のエピソードに触れた上で、「お正月の感慨もありませんが、いろいろなことを思いだしながら過ごすのでしょう」と語った。
 えくぼの娘、セーラー服姿の娘、北朝鮮提供のコート姿の大人の娘…。病床の滋さんの枕元には3枚のめぐみさんの写真があるが、「着物姿」が含まれていないのは、やはり悲しい思い出だからだろうか。
 昨年1月1日の本紙社会面で「めぐみさんへの手紙」を初めて紹介した紙面でもこの写真を使った。正月の写真だったからだ。
 1年間で小中高生や大学生から数多くの手紙が寄せられ、機会がある度に早紀江さんに手紙の内容を伝えてきた。実際に読んでもらったものも相当数ある。早紀江さんを通じて、滋さんにも伝わっている。
 「頑張って、頑張って、頑張ってきて。それでも42年なんて。言葉に出すだけで腹が立ちます」。動かぬ現実。政府は何か手を施してくれているのか、否か。滋さんの体調…。もう精いっぱいな早紀江さんだが、「めぐみさんへの手紙」を読むと、「本当に勇気づけられる」のだという。
 「拉致被害者を忘れない」「拉致事件について一人でも多くの人に話す」。子供や若者の決意は広がり始めている。家族と正月を過ごした、ごく普通の少女が北朝鮮に連れ去られたままでいることを、わがこととして人々が考えられる社会になればいい。そんな思いをめぐらせながら、今年も着物姿のめぐみさんの写真を掲載した。


2019.11.4-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・悲しみの11月から42年 東京都立川市立立川第七中

(横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の両親の滋さん(86)と早紀江さん(83)ら家族は11月になると、悲しみが深まる。14日の滋さんの誕生日を家族で祝った翌15日、めぐみさんが拉致されたからだ。拉致事件を通して長年、「命の大切さ」を学んできた東京都立川市立立川第七中学校の生徒たちからめぐみさんへの手紙が新たに寄せられた。一部を紹介する。)

中1 原田ほのかさん(12)「拉致問題知って 継続が力になる」
 私は内閣府の霞ケ関見学デーに行き、たくさんの人々が拉致問題を知ってもらおうと努力していることが分かりました。平和な毎日に感謝しなくてはならないという気持ち、少しでも早く、拉致被害者の方々を帰国させてあげたいという気持ちが強くなりました。
 横田めぐみさんの拉致を描いたアニメ「めぐみ」を見て、たくさん感じるものがありました。一番は、なぜ、こんなひどいことがおこったのに、多くの人が拉致問題を知らないのかということです。それは、ニュースで取り上げる機会が少なくなっているからだと思います。また、少しでも被害者の方々の力になるには、小さなことからだと思います。まだ知らない身近な人たちに伝え、署名活動などをすることです。ニュースで取り上げられなくても、ずっと、続けていくことが大事だと思います。
 普段の生活のありがたみや感謝についても伝えなくてはならないと思います。あたり前のように思っているかもしれませんが、とても幸せなことなのです。拉致被害者はその幸せを一瞬にして奪われてしまったのです。普通に食事できること。家族といられること。拉致被害者にとっては、あたり前ではないのです。
 私は拉致被害者の方々に伝えたいことがあります。絶対、あきらめないでください。私たちも被害者の帰国をあきらめず活動していきます。また、その思いを聞いた人がすこしでも拉致問題に関心をもってもらえればいいな、と思います。

中2 仲尚登(なおと)さん(14)「被害をVR体験 救出へ思い強く」
 つい気がゆるむような平和な日本にも、ただ過ごしているだけでは感じられない問題がある。拉致は、小さい子供から大人まで無理やり遠くへ連れだし、夢や自由をある日突然一瞬で奪い去ってしまう人権侵害だ。多くの人に知ってもらわなければならない、日本と北朝鮮で起きている現実だ。
 私は国際シンポジウムに参加した。拉致被害者のご両親らも参加され、どうすれば一日でも早く被害者を取り戻せるか話し合い、一緒に「ふるさと」を歌い、音源を北朝鮮向けラジオで生で流すなど普段できない体験をさせていただいた。
 拉致被害見学イベントで印象に残ったのは仮想現実(VR)の体験だ。横田めぐみさんがどのように拉致されたかを体験した。自分が拉致され光が見えない状況だったらと考えると、こわかった。子供たちにこんなものを見せていいのかという反対意見も多くあったそうだ。それでも、私は体験してよかった。心にささるような体験をして、このようなことがあってはならないという気持ちを持つ人が増えなければ拉致問題解決は先のばしになるかもしれない。目をそむけるのではなく、正面からぶつかっていかなくてはならない。

 自分が協力しても何も変わらないと思うのではなく、協力したい気持ちを自信を持って世の中に発信できれば、それが大きなものへと変わっていく。助けたいという気持ちを強く持ち、願って、願って、願えば、拉致被害者の夢や笑顔を取り戻せると思う。

中2 根本奏奈(かな)さん(13)「人々の未来 これ以上奪わないで」
 横田めぐみさん、はじめまして。私は13歳です。めぐみさんが拉致されてしまった年齢です。アニメ「めぐみ」を見て改めて事の大きさを感じました。正直な感想はみんなが想像しているよりつらい思いをしているだろうな、でも、これからも希望を捨てず生きてほしい、という思いでした。
 北朝鮮のみなさん。どんな理由があったにせよ、めぐみさんを連れて行ったことは許さないし、許されることではないです。13歳の少女の未来を奪ってまでしたかったことは何ですか。これ以上、いろんな人の未来を奪わないでください。たった1人と思っているかもしれないけれど、めぐみさんの両親や周りの人のように傷つく人を増やさないためにも、二度とこんなことをしないでください。
 滋さんと早紀江さんは42年間、署名活動や講演を行ってきました。めぐみさんの元気な声や笑顔をまた見られるように、その日がきっと来ると信じているからです。辛くなったら空を見上げてください。空はどこまでもつながっているから、たとえ離れていても、心はつながっているんだと思ってくれたらうれしいです。
 めぐみさんは十分すぎるくらいつらい思いをしてきたと思います。滋さんも望んだ「人並みの幸せ」は一瞬にして崩れてしまったけれど、待ち続ける人に「ただいま」と言えるよう、必ず元気な姿で帰ってきてください。そして、人並み以上の幸せを手にしてください。そんな日がくると信じて、待ち続けます。


2019.11.4-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・「なぜ救えないのか」募る思い 横田滋さん、早紀江さん

 めぐみちゃん、こんにちは。日本はとても厳しい夏の暑さが過ぎ行き、秋の気配を感じます。11月15日であなたが北朝鮮に拉致されてから42年となります。冷え込みが強まり、冬が近づくこの季節は、豪雪に埋もれた厳冬の北朝鮮が心に浮かび「なぜ救えないのか」と、悔しさが募ります。拉致事件は進展への希望があるように見えながら、なかなか局面が開かず、胃がきりきりと痛む毎日です。めぐみたちすべての拉致被害者が懸命に望みをつなぎ、日々生きていることを思い、必ず全員が祖国の土を踏む日が来ることを信じて祈り続けています。

父親にくしをプレゼントした翌日に姿消す
 先月、あなたは誕生日を迎え、55歳になりましたね。明るい少女だっためぐみちゃんが今、どのような姿なのか。もはや、想像もつきません。42年前、あなたの13歳の誕生日を、お父さん、双子のきょうだいの拓也、哲也と祝ったときは、これほど壮絶な人生が待ち受けているとは、思いもよりませんでした。
 同じ年の11月14日、今度は、めぐみちゃんがお父さんの45歳の誕生日を祝い、茶色のくしをプレゼントしてくれましたね。その翌日、あなたは姿を消しました。台所で楽しく、たわいのない会話を交わした「普通の日々」が、いかに幸せだったか、身にしみます。
 「なぜ、めぐみが拉致されなければならなかったのか」「なぜ、守ってあげられなかったのか」と、ひたすら苦しみました。その答えは今も見つかりません。
 北朝鮮の無慈悲な国家犯罪により連れ去られた拉致被害者、そして家族は今、この瞬間も、苦しみの煉獄(れんごく)の奥底で、祈り、救いを待っているのです。
 拉致事件は、北朝鮮が一方的に連れ去った被害者を親きょうだいの元へ帰す、という人として当たり前のことをすれば、解決するのです。決断するのは、北朝鮮の最高指導者です。

 心をまっすぐに自らのありようを見つめ、決断すれば日本、北朝鮮、世界に平和と幸福が訪れるのです。その道筋を導き出すべく日本の政府、政治家、官僚の皆様も全身全霊をささげていただきたいと願います。
 日本は最近、災害が相次ぎました。多くの方が亡くなり、家を失い、深く傷ついています。新しい令和という時代の中で、一日も早く皆様の傷が癒やされ、希望に満ちあふれた日々が切り開かれますよう、祈ります。高い壁を乗り越え、日本がきっと前に進むと、希望を持っています。

「強いめぐみちゃんが、死ぬわけがない」
 拉致事件の解決はあと一歩、絞り出すところまできていると思います。ここですべてを出し切るか。固まってしまうのか。すべての拉致被害者を救い、祖国の土を踏ませるため、日本は正念場を迎えています。
 平成14年9月17日、日朝首脳会談が行われ、北朝鮮の最高指導者は拉致を認めて謝罪しました。その一方で、めぐみたちを「死亡」「未入境」と偽りました。

 9年に家族会を結成し、一心不乱に救出運動に取り組んできた私たちは、北朝鮮の一方的主張で肉親の安否を宣告されました。
 「死亡」を突きつけられた家族、そして「生存」を伝えられた家族にとっても、その現実は過酷すぎるものでした。「明暗が分かれた」。そう表現されたこともありますが、拉致で切り裂かれたかけがえのない人生、幸せは容易に取り戻すことはできないのです。
 「めぐみが亡くなった」と偽られたあの日、家族は一堂に会し、記者会見に臨みました。お父さんは涙で言葉が続きませんでした。
 「強いめぐみちゃんが、死ぬわけがない」。お母さんは無我夢中で力の限り叫んだことを覚えています。
 「日本の国のため犠牲になって苦しみ、亡くなったかもしれない若者たちの心の内を思ってください」
その時の自分自身の姿は報道などで後から知ったのですが、お母さんは「まだ生きていることを信じ続けて、闘ってまいります」とも申し上げました。その思いは寸分も変わりません。
 1カ月後の10月15日、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが飛行機で羽田空港に帰国を果たしました。「よく耐えて無事に帰ってきてくれた」と、感慨があふれました。
 同時に、お父さんもお母さんも、「5人に続いて、めぐみが飛行機から降りてくるのでは」という思いがぬぐえず、時を忘れて、飛行機を見つめていました。あの日から、17年が過ぎました。長い時がたち、拉致を知らない子供たちも、少なくないようです。

残された時間はわずか
 拉致被害者、そして家族にとって、拉致事件は毎日が節目で闘いです。私たちが突きつけられてきた過酷な現実の一瞬一瞬が心に突き刺さり、いまだ被害者が帰らない重い現実とともに、のしかかるのです。
 国民の力強い後押しによって、事は大きく進みました。ただ、完全な解決はまだ見えません。被害者と再会を果たせず、無念を募らせながら多くの家族が天に召されていきました。懐かしく、大切な方々が旅立たれ、ただただ悲しい思いでいっぱいになります。
 お父さんは11月14日で87歳になります。お母さんも83歳。被害者の親世代だけでなく、きょうだい、子の世代も年を重ねました。小さな双子の男の子だった拓也と哲也も、51歳です。被害者も老い、病に苦しんでいるはずです。残された時間は、もう、わずかです。
 病院で懸命にリハビリに励むお父さんも、めぐみと同じように、果敢に闘っています。目に宿る力は衰えず、励ましに「頑張る」と応じる力の源は、あなたと元気な姿で再会するという希望にほかなりません。
 もうすぐ、冬を迎えますね。北朝鮮の厳しい寒さの中に幾とせも、めぐみたちをさらしてしまいました。冬が近づくたび、暗鬱(あんうつ)とした気持ちは募り、必ず、一刻も早く助けたい、という切望を新たにします。
 めぐみちゃん、お父さんも、お母さんも、力を振り絞ってがんばるから、あと少し、待っていてね。日本すべてが、あなたたちの帰国を待ちわびています。


2019.7.23-産経新聞-
【めぐみへの手紙】・・・被害者全員に祖国の土を踏ませる政治の力を信じ、待っています

めぐみちゃん、こんにちは。日本は夏の季節を迎えました。深さを増す緑、美しく咲く花々に四季がめぐる早さを実感し、長い年月、すべての拉致被害者を帰国させられない現実に、言いようのない、むなしさが募ります。新しい令和の早い時期に、拉致事件がすっかり解決されることを祈るばかりです。
 世界はめまぐるしく動き、トランプ大統領が米国の指導者として初めて北朝鮮に入り、金正恩(キム・ジョンウン)氏と再び相まみえました。「拉致被害者はいつ帰国できますか?」。道を歩けば、多くの方々に問いかけをいただきます。でも、私たち家族は、複雑な国際情勢や外交交渉の核心は、本当に、知る由もありません。励ましに感謝しつつ、戸惑い、言葉に窮してしまうのです。
 突然姿を消した肉親を40年以上追い、北朝鮮にいることも分かっているのに、どうすれば救えるのか答えがつかめない。苦しみの根本がここにあります。
 私たち家族は、どこにでもいる普通の日本人です。最後に被害者を救うのは日本の政府、政治の力をおいて、ほかにありません。
 国会を見ていると、日本にとって大切な外交、国際関係の課題は、あまり取り上げられていないように感じます。拉致事件も議題に上がることは少なく、嘆かわしい思いにかられます。
 折しも、国の代表を決める選挙が行われました。「国家と国民のために働きます」。選挙のたびに手を上げ、頭を下げた多くの人たちと、この残酷な42年間が過ぎ行く有様を、どう考えればいいのでしょうか。
 未来を見据え、子供たちに希望に満ちた日本を引き継ぐため、真剣な議論が行われることを願ってやみません。国民の皆様もそのありようを見極め声をあげていただければと思います。
 昭和52年11月15日にめぐみが拉致された後の20年間はどこにいるのか、まったく分かりませんでした。
 平成9年、真相を調べていた方々の尽力で初めて、めぐみが北朝鮮にいると分かりました。「やっと、めぐみと会える」。あの時の希望は忘れられません。でも、その後の日々は、何も見えなかった20年間と同じか、それ以上に苦しい道のりとなってしまいました。
 同じように肉親が拉致された方々が集まり、家族会を結成し、必死に訴えましたが、最初は取り合ってもらえませんでした。拉致は「疑惑」「嘘」と断じられることさえあったのです。
 実は、拉致事件は政治の中で早い時期に取り上げられていたことも、後から知りました。全国で相次いだ奇妙な失踪について、政府は昭和63年、国会で「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁しています。
 しかし、足踏みするかのように問題は前に進まず、私たちの声も届いていないような雰囲気は一体、何なのでしょうか?
 北朝鮮という国は、静かに、不気味に閉ざされていました。日本の政治に対しても、怒りや、悔しさを感じることは、たびたびありました。拉致問題の進展を遠ざけるような動きに対して、デモ行進や、座り込みまでしたこともあります。
 それだけに平成14年、日本と北朝鮮の指導者が首脳会談を開くと初めて聞いたときは、重い扉が音をたてて開くように感じました。
 この年の9月に会談が開かれる直前、お父さんもお母さんも、政治にかつてない、前向きな力を感じていました。しかし北朝鮮は、めぐみが「死亡した」と主張しました。捏造(ねつぞう)した「死亡診断書」や偽の「遺骨」まで提出し、私たちは絶望のふちで、さらにもがき苦しみ、闘い続けました。
 その一方で、北朝鮮は拉致を認め謝罪し、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんたち5人の被害者が帰国を果たしました。
 私たちが感じた政治の前向きな力を、今一度、見せていただきたい。あらん限りの知恵と志を注ぎ込み、再び、重い扉をこじ開け、5人に続くすべての被害者に祖国の土を踏ませていただきたいのです。
 めぐみちゃん。お父さんは今日も、一生懸命、リハビリに励みながら、あなたの帰国を待っています。ベッドのそばに並べたあなたの写真が、力の源です。
 お父さんもお母さんも年老いて病を抱え、救出運動の前線には立てなくなってしまいました。懸命に闘う家族や支援者の方達を思いもどかしさが募ります。

 「死亡」「未入境」とされためぐみたち未帰国の被害者の足跡は、長く平和の中にあった日本に、目を背けてはならない、残酷な現実を示したのではないでしょうか。いまも続く非道な国家犯罪を、忘れないでください。北朝鮮で救いを待つ数多の人々を、決して忘れないでください。
 政治の力が真に発揮されるとき、残る被害者全員がきっと、祖国の土を踏めるはずです。私たち家族は、日本がその瞬間を迎える日が来ることを信じます。めぐみちゃんもその日まで、どうかがんばっていてね。


2019.7.13-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】 ・・・笑顔で「ただいま」言える日を 高木柚実凪さん 15歳

(横田めぐみさんら、すべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」。若者らは学校の授業などを通して非道な現実を知り、拉致問題解決の道筋に思いをめぐらせる。寄せられた手紙の一部を新たに紹介する。)

「ただいま」という声を何度夢見ただろう。「おかえり」を言える日を何度望んだだろう。当たり前だった日々のありがたみにめぐみさんが姿を消してから気付きました。大切なものは失ってから気付くものでした。めぐみさんの笑顔。めぐみさんの明るさはなくてはならない大切な存在だったと。一番めぐみさんを必要としているのは早紀江さんと滋さんです。
 お二人は四十二年間ずっと帰国だけを願って署名活動や講演会を行ってきました。出版された本もあります。必ず帰って来る。そう信じて毎日を過ごされています。家族の方に愛されて幸せそうな顔でうつるたくさんの写真。笑顔でいっぱいだったはずなのに北朝鮮から送られたのは悲しいまなざしのめぐみさんでした。この写真を見て私は涙が止まりませんでした。早紀江さんは今も直視できないそうです。
 一刻でも早くめぐみさんに笑顔を取り戻してもらいたい。その一心で活動を続けています。どうか元気でいてください。あと少し待っていて下さい。必ず助けます。どうしてもつらくなったら空を見上げて下さい。どんなに離れていても空は一つです。空の下で一つにつながっています。めぐみさん。皆が信じています。めぐみさんの「ただいま」を。笑顔で「おかえり」を言える日を。だからどうか生きていて下さい。元気に笑顔でいられるように。

 (たかぎ・ゆみなさん 中学3年)
四十二年前で止まったままでいる時間。私が味わったことのない悲しさ寂しさが流れた時間。その時間以上の幸せ、早紀江さんと滋さんがめぐみさんを待っています。願っています。
 当たり前の日々と何もないという幸せを。大丈夫。もう二度とめぐみさんを手放さないように、寂しさを忘れるくらいの温かい家族がめぐみさんを待っています。もう少し待っていてください。


2019.7.13-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・めぐみさん帰国へ全力尽くす 鈴木海翔さん 14歳

(横田めぐみさんら、すべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」。若者らは学校の授業などを通して非道な現実を知り、拉致問題解決の道筋に思いをめぐらせる。寄せられた手紙の一部を新たに紹介する。)

横田めぐみさん元気でしょうか。
 自分が初めて拉致事件を知ったのは去年、中学1年生の時でした。横田めぐみさんは、42年前の11月15日、同じ中学1年生の時に拉致されて、今の自分には考えられません。まだ夢や希望があったのがこの一日ですべてうばわれてしまいました。今の自分だったら、死にたいと思うくらいの絶望だと思います。
 でも、横田めぐみさんは、日本に帰国できることを信じて、北朝鮮で苦しみながらも、人一倍努力していると思います。

(すずき・かいとさん 中学2年)
 僕は横田めぐみさんのおかげで気付けた事がいっぱいあります。
 家に帰って「ただいま」と言えることのありがたさを僕に教えてくださいました。
 家に帰って家族がいること、家族と一緒に笑い合えることのありがたさを教えてくださいました。
 僕は横田めぐみさんの悲しい事、苦しい事は分かりません。だから役立つ事は少ないかもしれませんが、その少しの役立ちを全力で取り組んでいきたいです。
 僕達、日本人は横田めぐみさんが一瞬でも早く日本に帰国出来ることを心から祈っています。愛する家族に「ただいま」と言える日が来るのを待っています。


2019.7.3-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・空を見上げたら心がつながる 山門梨沙子さん 14歳

(横田めぐみさんら、すべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」。若者らは学校の授業などを通して非道な現実を知り、拉致問題解決の道筋に思いをめぐらせる。寄せられた手紙の一部を新たに紹介する。)

 めぐみさん、こんにちは。はじめまして。私は中学3年生で今卓球部に所属しています。私がめぐみさんだったら、もう拉致されてしまっている年齢です。もし、自分が拉致されていたら…と考えると、想像がつかないような恐怖、辛(つら)さ、苦しみがあるのだと思います。さらに家族に会えない、友達と楽しくおしゃべりができないなどさみしさに胸が引きさかれるような思いがあるでしょう。そんな中で乗り越えて前を向き続けられているめぐみさんは本当にすごいと思います。
 生きている意味って何だろう、私はなぜいかされているのだろう。そう思うことがあると思います。そんなときに思いだしてみてください。母の早紀江さん、父の滋さんの笑っている姿を。滋さんは病気を持ち、入院している状況です。苦しいリハビリや生活が続いても、めぐみさんと再会できる日を待ち望み、一生懸命生きていらっしゃいます。そんな素敵なご両親のためにも毎日、精一杯生きてください。
 日本国民はめぐみさんのご両親をはじめ、たくさんの人がめぐみさんの帰国を待ち、祈念しています。
 
(やまかど・りさこさん 中学3年)
北朝鮮と日本には島をはさんで国境があります。でも、同じ空の下で生きていることは同じです。空はどこまでもつながっています。同じように心もつながっています。だから、空を見上げてみてください。日本でも誰かがきっと空を見上げ、通じ合っているのです。
 いつか必ず私たちの思いがつながり、北朝鮮と日本に虹がかかる日がきます。それまで必死に、大切な人のために生き続けてください。
 一刻も早いめぐみさんの帰国を心より信じ、待ち続けています。


2019.7.13-産経新聞-
めぐみさんへの手紙】・・・拉致解決 カギは子供たち 立川市立立川第七中教諭・佐藤佐知典さん 59歳

(若い世代に拉致問題の残酷さを伝え続ける中学教師がいる。東京都立川市立立川第七中学校の佐藤佐知典(さちのり)さん(59)。これまで同校に拉致被害者、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=の両親らをたびたび招き、家族の絆を教えてきた。佐藤さんの授業に密着すると、問題解決の道筋や命の意味を真剣に話し合う生徒らの姿があった。生徒らが思いをつづった手紙も紹介する。)

救出の悲願 授業で訴え続け
 「帰国した横田めぐみさんと一緒に、(両親の)滋さんと早紀江さんが笑顔で生徒に会いに来てくれる」。佐藤さんは悲願を語る。拉致被害者全員の救出を心に誓い長年、教育現場で啓発に取り組んできた。来年、定年を迎える。
 昭和52年11月15日、新潟市でめぐみさんが拉致された際、自宅は横田家のすぐそばにあった。父と滋さん(86)は日本銀行の同僚で、妹はめぐみさんの同級生。当時、拉致など思いもよらなかったが、20年後の平成9年、めぐみさんが北朝鮮に連れ去られていたことが明らかになった。

同年、拉致被害者の家族会が結成され、支援者も加わって救出運動が本格化すると、教師になっていた佐藤さんも仕事の合間をぬって、全国各地の署名活動に参加した。「地獄の日々を送っためぐみさんと、家族の苦しみに気づけなかった」ことが無念でならなかった。解決のために何ができるのか、自問を続けた。
 11年に赴任した立川七中で初めて授業で拉致問題を取り上げた。これまでに計4回、滋さん、早紀江さん(83)夫妻を招き、全校生徒を集めて講演会を開いた。生徒らには解決のためできることを議論させ、思いをまとめた作文を新聞などに送る課題にも取り組ませてきた。
 佐藤さんは最近、若い世代に問題を語り継ぐ重要性を強く感じている。膠着(こうちゃく)する情勢への憤りとともに、「助けを待つ被害者が忘れ去られる」という焦燥感にもかられる。そういう時は、「拉致解決のカギは若い世代への啓発」という初心に立ち返るのだという。「子供たちが拉致問題を知れば親、兄弟、友人、そして社会に広がる。必ず世論にも繋(つな)がるはずです」

 生徒が中学生の間にめぐみさんの両親の声を聞けるよう、3年に1度のペースで開かれてきた講演会は、両親の高齢化で参加が難しくなったが、一昨年には帰国した被害者の蓮池(はすいけ)薫さん(61)が講演を行い、授業にも参加した。
 拉致という過酷な体験に聞き入る生徒らを見つめ、佐藤さんは蓮池さんら被害者5人が帰国した14年当時のわが国を思いだしたという。「蓮池さんらが帰国するまで、拉致への関心は薄く、疑う声さえあった。北朝鮮が拉致を認める数カ月前の署名活動の帰り道、日韓が共催したサッカーワールドカップに沸く世間を横目に、悔しくて、悲しくて、『命の意味』を何度も自分に問いかけた」
 早紀江さんは初めて講演した際、生徒に「めぐみを必ず連れてくるね」と約束した。佐藤さんは「親子の尊い愛に、私も、生徒も育てられた。諦めることは絶対ない」と言い切った。

早紀江さん「力強い思いに励まされ」
 立川第七中学の皆さん、お元気ですか。夫の滋は療養中で私も体調が優れず、学校にうかがうことは難しいですが、被害者全員の帰国を願う力強い思いに、いつも励まされています。
 めぐみは中学1年、13歳の時に拉致されました。皆さんと同じ年頃の女の子が自由を奪われ、普通の生活を送ることさえ許されず、暗闇に閉ざされたまま42年が経過してしまいました。
 私たち被害者の親は、拉致されたすべての子供たちに日本の土を踏ませてあげることだけが願いです。拉致解決は日本、北朝鮮、そして世界を幸せにすることに繋がるはずです。
 若い皆さまが人ごとではなく、誰の身にも起こりえた拉致の現実を知り、解決を考え、後押ししてくださることは、とても大きな力になります。たくさん学び、明るい毎日を過ごし、立派に成長されることをお祈りしています。
真剣討論「人生考えるきっかけに」
 「SNSで発信したり、有名人に訴えてもらったりするのはどうか」「北朝鮮のことを学び、互いに知り合う必要もある」-。討論が始まると生徒は真剣な表情で思いをぶつけあった。
 6月の昼下がり。立川七中の体育館に約150人の3年生全員が集まり、拉致問題をテーマに討論する授業を行った。グループに分かれた生徒らは中学生にできるアイデアを提案しあった。「教科書やポスターで私たちが同世代に伝える」「国際問題として世界中に広める努力が足りない」。さまざまな意見が出て、生徒らが熱心にメモ書きをしていた。
 同校は人権問題の重要課題として拉致を取り上げてきた。大神田(おおかんだ)佳明校長は「さまざまな人権問題や命の大切さを深く学ぶきっかけになれば」と期待する。
 生徒らは、政府作成の資料や横田めぐみさんの拉致事件を描いたアニメ「めぐみ」で拉致問題を学んだ上で、めぐみさんの両親の滋さんと早紀江さんらの講演を聞き、作文や討論を実施。拉致解決の重要性から、家族や仲間の大切さにも考えを広げてきた。
 土橋快成(つちはし・かいせい)君(14)は「人生の意味を考えるきっかけになった。被害者帰国へ、考えたことを少しでも行動に移していきたい」と語った。


2019.5.5-産経新聞-
【めぐみへの手紙】・・・平成に拉致が白日 令和で解決に歩み

めぐみちゃん、こんにちは。元気でしょうか。日本は、暖かな春の陽気が広がり、あなたの大好きな花々もきれいに咲き誇っていますよ。めぐみが小学5年生の時、バザーで買った小さなゴムの木は、4鉢に増えて大きい葉を茂らせ、あなたの帰国を待っています。
 日本は、大きな時代の節目を迎えました。天皇陛下が譲位され、1日、皇太子さまが天皇に即位されました。元号は「平成」から改元され、「令和」の時代が幕を開けました。新たな日本が力強く、希望に満ちた歴史を刻むことを祈っています。

 譲位した上皇さまと、上皇后さまは、日本全国を回り、国民に寄り添ってこられました。そして、上皇后さまは折に触れて、拉致事件の解決を願うお言葉も寄せてくださいました。
 昨年10月の誕生日にあわせ公表されたお言葉では、拉致事件について、「平成の時代の終焉(しゅうえん)と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません」との思いを示されました。今年2月には、高齢化する私たち家族を気遣いつつ「希望を持ちましょう。何もできませんが解決を願っています」と、お言葉を寄せていただきました。

今、お父さんもお母さんも病を抱え、年を取り、思うように体が動かなくなりましたが、決してあきらめません。いつも「希望」を持ち、祈り、すべての被害者救出を信じて闘います。
 国際情勢はますます難しく、拉致事件の行く末は混沌(こんとん)とし、私たち家族は何も分からず、戸惑うばかりです。めぐみが拉致されてから42年になります。どうすればすべての被害者を救えるのか、焦りが募ります。
 平成の時代には、北朝鮮による拉致が白日の下にさらされ、めぐみがそちらで共同生活をしていた蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが日本へ帰国を果たしました。これは、大きな歩みだったのではないでしょうか。
 新たな時代を迎える中でさらに歩みを進め、拉致事件をすっかり解決して、明るく、希望に満ちた日本を次世代に引き継ぎたい。政府、政治家の皆さまは全力を尽くして、すべての被害者に祖国の土を踏ませていただきたいと切望します。
 めぐみちゃんは昭和52年11月15日、13歳のとき新潟市で連れ去られました。生死も分からず、お母さんは毎日、泣き叫び、海岸や街中をさまよい歩きました。 「何も分からない」のは言語に絶する苦しみです。理由もなく、肉親が煙のように消える。多くの家族が、地獄のような日々に長年、苦しんできました。拉致被害者もまた、恐怖のどん底で、長い時間を耐えてきました。これほど非道な仕打ちがあるでしょうか。
 めぐみちゃんが拉致されて北朝鮮にいると分かったのは平成9年1月でした。本当に不思議なきっかけで情報がもたらされ、驚きとともに、「必ず助ける」と心に誓ったものの、どうすれば救えるのか、まったく見当もつきませんでした。
 手を差し伸べてくださったのは、拉致事件解決を目指す各地の有志の方々でした。間もなく、新潟市で大通りに立ち、初めて救出を訴えることになりました。
 ≪父 横田滋≫≪母 横田早紀江≫

( こう記されたタスキが準備されていて驚きました。「これをつけて街中に立つのかな」「選挙のようだけれど…」。最初は戸惑いましたが、とにかくやるしかないと、このタスキをかけ、各地の署名活動や集会の場に立ちました。それまで、人前で話すことなんてなかったけれど、一生懸命に声をあげました。)

9年3月には全国の被害者の家族が集まり家族会が結成され、一致団結して救出運動を始めました。同じ境遇の家族が手を取り合い、前に進みました。
 当時、北朝鮮は謎に包まれた縁遠い国でした。そんな国が、国家犯罪として日本の若者たちを次々と拉致するなど、想像を絶する出来事です。一人でも多くの国民に事実を伝え、政府に動いてもらうしかありませんでしたが、事態がどれだけ前へ進んだか、実感はなく、手探りの連続でした。

 それでも少しずつ、着実に理解は広がり、何もなかった20年間から一転、日々がめまぐるしく動き出しました。デモ行進や座り込みをして、拉致解決を訴えたこともあります。 そして14年9月、北朝鮮は拉致を認めて謝罪しました。でも、めぐみたちは「死亡」「未入境」などと、偽られたままです。拉致事件のありようを、長い間、政府は、どう思ってきたのでしょうか。
 お父さんは昨年4月に入院して1年が過ぎました。みるみる元気を取り戻し、最近、一緒に桜の花を見に行ったときも、目を輝かせながら、ほほえんでいました。ベッドの傍らに飾っためぐみちゃんの写真に元気をもらい、毎日、リハビリに励んでいます。

「めぐみちゃんが帰るまで元気でいないとね」。お母さんがこう話すと、お父さんは「うん、がんばる」と力強くうなずきます。いつも励まし合い、あなたの帰りを待っています。
 拉致事件が起きてから、時代は昭和から平成、そして令和を迎えました。残る被害者と、私たち家族の闘いは、まだ続いています。
 お父さんとお母さんは集会などに参加することは難しくなりましたが、双子の弟の拓也と哲也は国内外を駆け回っています。めぐみのことを、一瞬たりとも忘れたことはありません。
 たくさんの国民が被害者全員の即時帰国を求め声をあげています。お父さんが撮影しためぐみの写真展を開いてくださるマンションの皆さま。地道に署名を集める支援者の方たち。寄居中学校のめぐみの級友も救出運動に力を注いでいます。
 めぐみちゃんたちが耐え忍んできた苦しみは、決して無駄ではありません。いつの日か必ず、日本、そして世界に大きな喜びと、実りを与えるはずです。だから絶対に、元気な姿で帰国しなければなりません。必ず帰れると信じて、もう少し、頑張っていてね-。


2019.3.16-産経新聞-
【めぐみへの手紙】・・・「指導者同士の真剣な話し合いを待っています」

(北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(83)夫妻は今この瞬間も、めぐみさんたちすべての被害者の一刻も早い救出を祈り、待ち続けている。飛ぶように過ぎる日々に焦りが募る中、先月末に開催された米朝首脳会談では、トランプ米大統領がふたたび、金正恩朝鮮労働党委員長に拉致問題を提起した。横田夫妻は拉致問題解決に向け、日朝の指導者による真剣な話し合いに期待を寄せながら国民の後押しを呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは。新しい年を迎え、めまぐるしい日々を過ごすうちに、あっという間に3月です。お父さんもお母さんも、めぐみたちすべての拉致被害者を救い出すことを心に誓いながら、一刻の過ぎ行く早さに、空恐ろしくなることもあります。
 つい先日、米国のトランプ大統領と、北朝鮮の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)氏が首脳会談を行いました。会談後、安倍晋三首相はトランプ大統領から報告を受け、私たち家族とも面会して、今後の成り行きについて、お話しされました。
 米朝首脳会談では、米国が北朝鮮に非核化の問題で厳しく臨み、トランプ大統領は拉致問題の解決を繰り返し投げかけたそうです。安倍首相は金正恩氏と直接向き合い、被害者の帰国を求めるという決意を、改めて私たちに伝えました。
 「水面下」といわれるものも含め、日本と北朝鮮がどのような交渉をしているのか、私たちは知る由もありません。ただ、重かった扉が音を立て動き、日本と北朝鮮の指導者が互いの平和を実現するため真剣に話し合う機会が、現実味を帯びているように感じます。
 拉致は単なる「問題」ではなく、前代未聞の「大事件」です。非道極まりない国家犯罪をすっきりと解決できなければ、日本の恥です。北朝鮮も拉致被害者全員を帰して初めて、明るく豊かで、幸福な国づくりを進めることができます。 安倍首相の決意を信じ、すべての被害者が祖国の土を踏みしめる日が来ることを、切に願います。
 拉致事件をはじめ、日本は国内外のさまざまな課題と向き合っています。後を絶たない災害も、その一つではないでしょうか。今月11日で、数多くの命が奪われた東日本大震災から8年となりました。
 被災者の方々は復興へ懸命な日々を歩まれてきたはずです。お一人お一人の悲しみが癒やされ、大きな希望の光が差しますよう、祈りを捧(ささ)げます。
 あまたの困難を乗り越えて、明るく、力強い日本が次の世代に引き継がれることを願っています。
 お母さんは先月、誕生日を迎え83歳になりました。また一つ、年を重ねてしまったのかと、悲しくさえなります。
 私たち家族は、どこにでもいる普通の日本人です。めぐみちゃん、弟の拓也、哲也と一緒に楽しく暮らした41年前を振り返ると、途方もない思いにかられます。拉致事件がなければ、お父さんもお母さんも、穏やかな余生を過ごしていたことでしょう。でも、あなたが姿を消した昭和52年11月15日から、修羅のような日々を過ごしてきました。
 めぐみちゃんに元気な姿で再会するため、病院で療養しているお父さんも、同じ思いを抱いているはずです。リハビリや治療が功を奏し、最近は意識もはっきりして、みるみる元気になっています。明るい笑顔を見るたび、皆さまのお力添えに感謝するばかりです。
 でも、元気になった分、拉致事件の重すぎる現実が身に迫り、考え込むことも多いようです。新聞を読み聞かせると、しきりに詳しい話を問いかけてきます。
 最近、病院の許可を得てお父さんを自宅に連れて帰ったときのことです。わが家に戻れば、もっと元気が出るかも、と思ってのことでしたが、お父さんはいつになく厳しい表情で、部屋を見渡していました。
 その姿に、お母さんは気付かされました。「めぐみちゃんが拉致されてから、私たちの家はくつろぎの場ではなく、厳しい『闘い』の場所だった」-と。
 平成9年、めぐみちゃんが北朝鮮にいることが分かり、拉致被害者の家族会が結成されると、めまぐるしい毎日が始まりました。
 家の電話は鳴り止まず、ファクスや手紙が山ほど届き、マスコミの方々がたくさん、取材に来られました。めぐみちゃんを救いたくて、無我夢中でした。
 そして、拉致事件にどう向き合うか、家族で幾度も話し合いました。「めぐみちゃんの命が危ない」-。めぐみちゃんの事件が初めて実名報道されるときにも、激しい議論になりました。恐怖を必死に振り払い、皆で前に進みました。

 久しぶりにわが家に戻ったお父さんも昔を思い返し身の引き締まる思いに駆られたのかもしれません。
 拉致被害者はかつて、連れ去られた事実さえ知られずに闇の底に埋もれ、置き去りにされてきました。拉致事件が起きてから最初の20年間、私たちは、理由なく姿を消しためぐみちゃんの痕跡を追い、地獄の中でもがき苦しみ続けました。
 ようやく、めぐみちゃんたちが北朝鮮にいることが分かっても拉致は「疑惑」に過ぎないとされた時代が続き、私たち家族の訴えは容易に届きませんでした。

 しかし平成14年、北朝鮮はついに拉致を認めて謝罪し、蓮池(はすいけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我ひとみさんたち5人が帰国を果たしました。重い扉が確かに開きましたが、北朝鮮はすべての拉致被害者を返さず、めぐみちゃんたち残された被害者を「死亡」や「未入境」としたまま、今日に至ります。
 救出運動は喜び、怒り、悲しみ、あらゆる感情が交錯する怒濤(どとう)の連続でした。そして、たくさんの奇跡がつながって、少しずつ、事が前に進んできました。
 私たち家族とともに、懸命に声をあげてくださる国民の皆さまの力があれば、必ずや喜びの奇跡が再び訪れ、被害者全員が笑顔と、うれし涙を流し、祖国の土を踏む日が来るに違いありません。最後にそれを実現するのは、国家の力、政治の力に他なりません。
 闘いの場だったわが家に再び、めぐみを迎え、安らぎの団欒(だんらん)を過ごせる日が、必ず実現するはずです。その時まで、お父さんとお母さんは、めぐみちゃんをはじめすべての人の幸せを思い、祈り、待ち続けます。


2019.3.1-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・救援の手、あなたのすぐ近くに 広島市 岩瀬姫佳さん 19歳

 「私だったらどうしただろうか」、また「私の家族だったら何をしただろうか」-当時まだ13歳だったあなたを襲った恐ろしい事件を知ったとき、私がまず考えたのはこれでした。
 私だけでなく、日本に住む多くの中学生や高校生、大学生も同じように考えたと思います。めぐみさん、今は私の母よりも年上になってしまったあなたを、こう呼ぶのをお許し下さい。じつは私の母の名も「めぐみ」というのです。母の話ではあのころとても人気の名前だったとのことです。それだけにあなたの身の上に起こったことを、私も私の家族も、とても他人事とは思えません。
 私は今大学1年生で、経営についてやマネジメントの勉強をしています。将来はこれらを生かして金融関係のお仕事に携わっていきたいと考えています。めぐみさん、あなたはとても明るく活発な女の子だった半面、幼い双子の弟さんたちの面倒をすすんでみる、優しい少女だったそうですね。そのことはあなたのお母さんが話してくれたので、日本中の人が知っています。あの事件さえなかったら、きっとあなたも自分の将来のために多くのことを学んでおられたに違いない、ふとそんな気持ちになることがあります。
 将来を夢見ながら、たとえつつましくても真面目に努力している日本人を、ある日突然人さらいのように連れ去るなんて、とても現代の出来事とは思えません。北朝鮮の工作員が実行したとされるこの事件を、私たちは決して忘れません。この犯罪を実行した人も、日本国内にいると言われるその共犯者も、私たちは絶対に許しません。
 めぐみさんは北朝鮮の独裁者やその家族に関わる秘密を知ってしまったために、日本に返せないという趣旨の報道を見ました。何という手前勝手な理屈でしょう。自分たちが無理やり拉致し利用しておいて、今度は返さないための口実を作り出す。こんな屁理屈に私たちは騙(だま)されません。
 めぐみさん、今日本の安倍晋三首相や政府は、「拉致解決」を最も重要な課題として、北朝鮮と交渉してきています。北朝鮮の経済の破綻を救うことの出来る国は日本だと私は思っています。私たちは北朝鮮の一般の人々にも様々な方法で働きかけ、日本が北朝鮮を支援する代りに、不法に拉致した日本人の全員を直ちに返すことを要求しています。もう少しの辛抱です。決して諦めることなく、日本の救いの手が届くのを待っていて下さい。

【めぐみさんへの手紙】・・・(いわせ・ひめかさん 大学1年)
めぐみさん、私は何の力も持たない、ただの学生に過ぎません。でも、あなた方を救い出すためなら、どんな協力も惜しまない決心です。私の友人たちも同じ考えです。ラジオ放送が聞けたら聞いて下さい。新聞を読めるならぜひ読んで下さい。日本政府の救援の手は、あなたのすぐ近くまで伸びています。絶対に諦めることなく、あなたのご両親や日本政府、日本国民を信じて下さい。
 緯度は日本の東北地方と同じでも、大陸の冬はどんなに底冷えがすることでしょう。風邪をひかないように気をつけて、お元気でお過ごし下さい。さようなら。母があなたと同じ名を持つ娘より。


2019.3.1-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】・・・ぼくたちも、やれることを 兵庫県姫路市 井上大輝さん 13歳

 今回、めぐみさんの人生を見させていただきました。今の日本は、昔とだいぶん変わっています。政府の人たちは、アメリカに協力を求め、北朝鮮の人たちと話をしています。めぐみさんのお父さん、お母さん、弟たちもけんめいにがんばっています。なのであきらめずにがんばってください。政府の人たちは昔と少し変わってはいますが、まだまだ解決していないことがたくさんあります。ぼくたちには、こういう風に、日本の現状、世界の現状を手紙で伝えることしかできません。やれるだけのことは、ぼくたちもしていこうと思います。北朝鮮も、今変わりつつあります。世界の人たちは、みんな同じ人間なので、きっと分かってくれるはずです。めぐみさんのお父さん、お母さん、弟たちもめぐみさんが帰ってくるのを、ずっと待ち続けています。ぼくたちも、ずっと待っています。頑張って。


2019.1.21-産経新聞-
【めぐみへの手紙】若者から帰国を願う手紙、本当に勇気づけられる

(北朝鮮による拉致問題は進展が見えないまま平成31年を迎えた。拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(82)夫妻は今この瞬間も、全被害者の即時救出を切望している。家族たちの思いに応えるかのように、若い世代からめぐみさんらすべての被害者に贈る手紙が次々に寄せられている。「膠着(こうちゃく)した状況を動かす大きな力になる」。夫妻は思いも背に、解決に向けた国民の後押しを重ねて、呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは。本当にめまぐるしく、1年が過ぎ行き、また新しい年を迎えました。あなたを必ず助け出すと心に決めながら、さらに年月を重ねてしまったことが本当に辛く、それでも、決してあきらめず、再会を信じて、日々を生きています。
 このたび、めぐみたち拉致被害者への思いを込めたたくさんのお手紙を若い方々からいただきました。めぐみは13歳で拉致されました。今、当時のめぐみと同年代の皆様は、拉致事件が起きたとき、お生まれでさえありませんでした。
そんな方々が、めぐみちゃんたち被害者の生き方に触れ、帰国を願ってくださることは本当にありがたく、勇気づけられます。
 たくさんつづっていただいた手紙を通し、若々しい励ましと後押しの思いに心を打たれました。必ずや北朝鮮に届き、膠着した状況を動かす大きな力になるはずです。

 私たち家族は長い時間、救出運動に全力をかたむけてきました。最初は街頭で訴えても見向きもされず、拉致を「嘘」と断ぜられ、救出を訴える署名用紙を乗せたボードをたたき落とされたこともありました。
 それでも、少しずつ思いが広がり、社会の声は高まり、ついには北朝鮮が拉致を認めました。ここに至ったのはやはり、拉致に心から怒り、涙し、救出を切望した国民の方々の声があったからこそだと思います。
 ただ、拉致事件が完全に解決しないまま、40年以上の時がたつ中、家族は「救いを待つ被害者が忘れ去られてしまう」という、底知れぬ恐怖感とも向き合ってきました。だからこそ、国民の皆様には、これまでと同様に関心を持ち続けていただきたいのです。
  次代を担う若い世代の方々が拉致事件を知り、解決の道筋を考えていただくことは、とても大事なことだと強く感じます。
 今年、日本では天皇陛下が譲位されることになり、新しい時代を迎えようとしています。昭和の時代に起き、日本に深く突き刺さってきた拉致事件という国家犯罪が、平成のうちにすっかり解決され、明るい未来の幕開けにつながることを願ってやみません。
 昭和52年11月、めぐみちゃんが煙のように消え去ってから、心が安まる日は一日もありませんでした。

 20年を経た平成9年、北朝鮮にいることが分かり、救出を訴える活動をお父さんと始めました。拉致被害者家族会も結成され、全国に被害者救出を支援する組織が広がり、情勢は少しずつ、確かに、前に進んでいきました。
 そして平成14年。北朝鮮は拉致を認め、謝罪しながらも、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。
 間もなく、飛行機で羽田空港に帰国し、祖国の土を踏んだ蓮(はす)池(いけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、そして、曽我ひとみさんの姿を見つめながら、かならず、めぐみちゃんたちも救い出すのだと誓ったことを、昨日のことのように思い出します。
 お母さんは今日まで、めぐみが必ず生きていると信じ、それを疑ったことはありません。若い皆様がその思いを知って下さり、共感と励ましの言葉をつづっていただいたことを、とてもうれしく思います。
 お父さんは86歳。お母さんももうすぐ、83歳になってしまいます。
 被害者、家族が高齢となり、残された時間は日に日に少なくなっていきます。他人事ではなく、どうか、自らの事として拉致事件を考えていただきたい。ふとしたとき、拉致を解決できないまま、日本が何事もなかったかのように進んで行くのではないか、という不安が頭をもたげます。

 最近は、拉致問題の「風化」という言葉を耳にすることもよくあります。政府や政治家の皆様は、現状をどうごらんになっているのでしょう。非道な国家犯罪を解決できないばかりか忘れ去られる。そんな日本で本当に良いのでしょうか。

 一昨年と昨年、思いがけない形で拉致問題が国際社会に示されました。米国のトランプ大統領が、国連で北朝鮮を厳しく非難しました。史上初の米朝首脳会談でも、トランプ大統領は拉致問題の解決を提起したといいます。これを、北朝鮮の最高指導者はどう受け止めたのでしょうか。


道を歩けば、多くの励ましとともに「なぜ解決しないの」と問いかけをいただきます。難しい国際情勢を知るすべはなく、ただただ戸惑ってしまいます。
 私たちは政府が必ず、すべての被害者を救うと信じてきました。なかなか進まない成り行きに悔しさと悲しさが募ります。最後は、日本が自らの手で被害者を救わねばなりません。
 お父さんは今日も、元気な姿でめぐみちゃんに再会するため、リハビリに励んでいます。あなたのことを思いニコニコとほほえんだり、時にはなかなか進まない拉致問題に厳しい表情を見せたり-。皆さんの前に立つことはできなくても、救出にかける情熱は、寸分たりとも変わっていません。
 お父さんとお母さんにとって一番の願いは、一刻も早く被害者全員が帰国し、普通の生活を取り戻すことです。そして明るく、希望に満ちあふれた日本を、次世代に引き継ぐことです。
 めぐみちゃんたち被害者に思いを寄せてくださる若い世代の皆さん。そして、親御さん、お孫さんを持つ皆様。すべての国民の方々があげる声、思いが力強い後押しになります。
 新年を迎え、今年こそ、祖国の土を踏んだめぐみちゃんたちとともに、皆様に感謝を伝えられる日が来ることを祈ってやみません。めぐみちゃん。歩みは遅くとも、必ず、喜びの日が来ます。どうか、待っていてね。


2019.1.21-産経新聞-
【めぐみさんへの手紙】(下)400人以上が思い寄せ 救出願う輪

 拉致被害者、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての被害者に贈る「めぐみさんの手紙」にはこれまで、小学2年生から大学生までの400人以上が思いを寄せている。自分にできることは何か。救出の道筋は-。次代を担う若者、子供たちの気持ちはつながり、救出を願う輪は広がりをみせる。「勇気づけられる」。めぐみさんの母、早紀江さん(82)は、そう語る。

家族の訴え 1000万人が応えた・・・東京都町田市 小田島璃乃(おだじま・りの)さん 中学1年 12歳
めぐみさん、こんにちは。私は今、中学1年生です。めぐみさんが、北朝鮮に拉致された時も、中学1年生だったと聞きました。
 私には、今めぐみさんが何を考えて、どこでどのように過ごしているのか分かりません。しかし私だったら、さみしすぎて、何も考えられなかったと思います。日本に、一日でも早く帰りたくて、たまらなかったと思います。
 めぐみさんが拉致されてから40年の月日がたちました。その間に日本は、内閣総理大臣が代わったり、色々な事が変化してきました。2020年には東京オリンピックも行われます。もう少ししたら、平成も終わります。めぐみさんの知らないところで、日本は少しずつ前に進んでいます。拉致問題も本当に少しずつだけど、解決してきています。めぐみさんも、いつか日本に帰れる日を信じて、前を向いてあきらめずに、がんばって下さい。

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お母さんの早紀江さんと、お父さんの滋さんは、めぐみさんが姿を消してから、拉致問題について数多くの方に必死に訴えました。その結果、1千万人以上の方々から署名をいただきました。しかし、早紀江さんも、滋さんも、歳を重ねていきます。今では、双子の拓也さんと哲也さんが、様々な活動を行っています。このように、家族全員が、めぐみさんの帰りを待っています。いや、日本国民全員が、めぐみさん達の帰りを待っているのです。
 日本は、この拉致の問題を、いつか必ず解決するはずです。その時は、日本全体が笑顔で、めぐみさん達を受け入れるはずです。その時が来るまで、あともう少しだけ、待っていて下さい。

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あの日から、四十数年経ったのに・・・岡山市 長谷川真央(はせがわ・まお)さん 高校3年 17歳
 私は今日まで、「北朝鮮拉致問題」という言葉を何度か聞いたことはありましたが、詳細は知りませんでした。私は17年生きてきましたが、この問題について考えたことがありません。今思うと、大変情けなく恥ずかしいです。
 考えるきっかけになったのは、国語の授業で観(み)たアニメでした。めぐみさんが拉致される前後の日々やめぐみさんの御家族も含め、拉致被害者家族の皆さんが力を合わせて共に闘っている姿が描かれていました。そのアニメを観て、めぐみさんが体験された言葉では表しきれない恐ろしさや絶望、苦しみを同じように実感したなら、私はどうなっていたか分かりません。
 さらに、今の私より若い中学生の女の子が拉致された時の心細さがどれだけ辛(つら)いものなのかと想像しても計り知れないことを人として、また同じ日本人として悔しいです。「あの日」から四十数年の月日が経(た)った今でも、拉致問題はなかなか解決されないどころか、進展させることさえも難しくなってきていると考えます。日本が国として日本国民であるめぐみさんをはじめ被害者の皆さんを助けられないことに私は憤りをおぼえてなりません。
 めぐみさんはこの四十数年間、様々な思いをめぐらせながら北朝鮮で必死に暮らされていると思います。その日々の中でも小さな幸せがめぐみさんに訪れることを願います。そして今日をきっかけに政治や社会、国際問題などにより関心を持ち、思考し、積極的に選挙に参加することが日本人としての役目であり、少なからず出来る事だと私は考えます。
 めぐみさんが生きておられること、めぐみさんが無事に日本に帰国し、御家族と再会されること、この問題が少しでも早く解決されることを心から祈り続けます。

授業で見たビデオに涙・・・東京都大田区 藤野花(ふじの・はな)さん 小学5年 11歳
 私は、道徳で拉致問題について考えました。 ビデオを見たとき、目がうるうるしてくるぐらい悲しくなってとても恐しいなと感じました。見ているだけでもこわいのに、自分がめぐみさんだったら、めぐみさんの家族だったらと考えると、よけいこわくなってしまいました。拉致ということや拉致という悪いことをする人がいるということを改めて感じました。拉致という悪いことをしてなにが役にたつんだ、どんな良いことになるんだと反発したくてうずうずしています。めぐみさんが北朝鮮で、どんなことをさせられているのかなと思うと、キュッとむねがいたみます。
 めぐみさんがなるべく早く日本、そしてめぐみさんの家族の元に帰って、幸せにくらせるようになることを願いながら、日々あゆんでいきたいと思います。そして、めぐみさんが無事に帰ってくることに少しでも力になれるように、努力していきます。

SNSで世界に訴える・・・三重県松阪市 前出琴音(まえで・ことね)さん  3年 15歳
 私は社会の授業でめぐみさんの事を初めて知りました。めぐみさんの他にも16人の人が拉致されている事も知りました。そこで私は今の状況をより多くの人に知ってもらいたいと思いました。どうしたら世界の人が今の状況を知ってくれるのか考えました。それはSNSで世界中に発信するという考えです。今の情報化社会ではほとんどの人がインターネットやスマートフォンを利用しています。それらはとても拡散力が大きいのでより多くの人が今の状況を知る事ができると思います。またテレビで流したり、人の目にとまる様なポスターなどを作る事も大切だと考えます。そして国民一人一人が参加する事も重要だと思います。
  私は今回の授業で他人事にしないという所が一番大切だと考えました。めぐみさんは当時13歳で私たちと差はほとんどありません。だからこそ「自分には関係ない」ではなく自分たちができる事をしていきたいです。


2019.1.21-産経新聞-
めぐみさんへの手紙】(上)拉致被害者救出へ 私ができることは

(拉致被害者、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての被害者に贈る「めぐみさんの手紙」にはこれまで、小学2年生から大学生までの400人以上が思いを寄せている。自分にできることは何か。救出の道筋は-。次代を担う若者、子供たちの気持ちはつながり、救出を願う輪は広がりをみせる。「勇気づけられる」。めぐみさんの母、早紀江さん(82)は、そう語る。)

めぐみさんも、あきらめないで・・・東京都渋谷区 小泉愛菜(こいずみ・まな)さん 小学3年 9歳
横田めぐみさんへ めぐみさんおげんきですか。
 わたしは、東京に住んでいる小学校三年生の小泉愛菜です。お母さんが「めぐみさんが中学一年生の時に、北朝せんにつれさられた」と、わたしに教えてくれました。もう41年も、帰ってきていないと聞いて、かなしかったです。私だったら、41年も家族に会えないなんて、考えられません。北朝せんに、つれさられた時どんな気持ちでしたか? 私だったら、大泣きしているどころじゃなく、ずっとさけんでいると思います。
 北朝せんは、めぐみさんが死んでしまったと、いっているけれど、私はめぐみさんが生きていると、しんじています。だから、日本の人たちが、めぐみさんが、帰ってきてくれることを信じています。だから、めぐみさんも、あきらめないで、いてください。
 私は、まだ子どもだからできることがあまりないけれど、学校の、友だちに、めぐみさんのことを話したいです。めぐみさんのことを、しらない人にも、教えてあげることで、みんあが、めぐみさんのことを、おうえんしてくれると思います。そしたら、めぐみさんが帰ってこられると思います。日本に帰ってきたら、めぐみさんと、ぜひお話したいです。わたしのとくいな、おり紙をおしえてあげます!だからめぐみさんも元気でいてください。
(小泉愛菜より)

戦争と一緒 世界で考える問題・・・東京都町田市 松岡優太(まつおか・ゆうた)さん 中学1年 12歳
 めぐみさんは、今本当につらいと思います。自分といっしょの中学1年生で、ある日、ふつうに学校へ行きいつも通りに勉強して、いつも通りに部活に行った帰り道に拉致されてしまったということ、いつもの日常から、がらりと変わってしまったということ、家族や友達と会えなくなってしまったことは本当につらいし、くるしいと思います。
 でも、いつか日本にもどってこられると思います。絶対にあきらめないで下さい。今の環境は本当に大変だと思います。だけど絶対にあきらめないで下さい。家族にも友達にもまた会えて、昔の生活にもどれるという希望を捨てないで下さい。
拉致というものは、世界中の問題だと自分は思っています。拉致は絶対に起こってはいけません。そして、この先拉致が起こっては絶対にいけないと思います。そして拉致は命に関わる問題です。国と国で命に関わる問題というものは、戦争と一緒です。戦争を起こさないようにするには、拉致問題を解決することが大事だと思います。そしていずれ、国どうしの仲が良くなり平和になってほしいです。
 いつか、絶対にめぐみさんは日本に帰ってくることができると思います。日本で生活できると思います。そして拉致は、世界中の問題なので一秒でも早くこの問題が解決してほしいと思いました。

「たかが数十人」ではない・・・岡山市 草場琴羽(くさば・ことは)さん 高校2年 17歳
初めまして、こんにちは。この拉致問題を知って貴女(あなた)が帰ってくることを沢山(たくさん)の人が望んでいることを知ってもらうためにお手紙を書かせていただきました。 この問題で一番印象に残っているのは、こんな意見でした。
 「たかが、数十人のために日本と北朝鮮との国際的な交友を崩していいのか」 という言葉に驚愕(きょうがく)しかありませんでした。たかが数十人なわけがありません。親族の方、友達、知り合いの方にとってはかけがえのない数十人、いえ、かけがえのない一人です。国家国民全体が動くべき問題だと思います。
 めぐみさんとご両親が一刻もはやく会うことができ、「あの時」から止まってしまった家族との時間が再び動き出すことを願っています。そしていつまでも元気に過ごせるように、政府には大きく動いてほしいと願っています。
当時のことを思うと、心細くてしようがないことでしょう。めぐみさんが北朝鮮で今日まで頑張ってこられたことに、拉致問題解決に向けて勇気と希望が見えることを祈っています。きっと帰ってこられることを私は信じています。

署名集め国際司法裁へ・・・三重県松阪市 小濱雅楽(こはま・うた)さん 中学3年 15歳
 めぐみさん、こんにちは。
 私は、社会の授業でめぐみさんの体験を基に、北朝鮮拉致問題について学びました。めぐみさんは、当時13歳でクラブ活動を終えて帰ってくる時に拉致されたことを知って、私はいつもの日常を失われるのはどれだけ辛(つら)いことか、想像するだけで怖さを感じました。そして、その恐ろしい怖さを知っていながらも解決できない私たち日本があることに、申し訳なさを感じました。少しでもめぐみさんの力になれるよう解決策を考えた結果、まずはこの事件を知らない人が多い若い世代に伝えるべきだと思いました。そして、国民の力を合わせて署名を集め、国際司法裁判所へ訴えたらいいと思いました。
 私は、北朝鮮拉致問題について考えてみて、恵まれた毎日があることに感謝を抱いて生きようと思いました。私たちが拉致問題に対してあまりできることはないと思いますが、拉致被害者が無事に帰れることを願っています。

他の国の人と 今を変えていく・・・三重県松阪市 中井飛路(なかい・ひろ)さん 中学3年 15歳
 めぐみさん、こんにちは。私は中学生です。私は、学校の授業で拉致問題について学びました。めぐみさんが私と同じ中学生の頃に拉致されたということ、他の国の人でも、日本人でも、同じ被害にあった方がたくさんいること、拉致問題は重大な人権問題だということなどを授業で知りました。今まで詳しく知る機会が無かったのですが、大きな衝撃を受けると共に、私はこう思いました。
  拉致問題は、他人事でも過去のことでもなく、日本や拉致被害者の問題を抱える他の国の国民全員で考えなければならない今の問題だ、と。そしてこの意識を多くの人が持ち、今を変えていかなければならないと強く思いました。このことを今より多くの人に知ってもらい、また、私がこうして願っていることがめぐみさんに届いてほしいです。まだ中学生の私にはお手紙を書いたり、祈ったり、募金をしたりと、できることが少ないですが、今を変えたいです。めぐみさんの帰りを待っています。


2019.1.17.-産経新聞-
【めぐみへの手紙】若者から帰国を願う手紙、本当に勇気づけられる
(1)
(北朝鮮による拉致問題は進展が見えないまま平成31年を迎えた。拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(82)夫妻は今この瞬間も、全被害者の即時救出を切望している。家族たちの思いに応えるかのように、若い世代からめぐみさんらすべての被害者に贈る手紙が次々に寄せられている。「膠着(こうちゃく)した状況を動かす大きな力になる」。夫妻は思いも背に、解決に向けた国民の後押しを重ねて、呼びかけている。)

めぐみちゃん、こんにちは。本当にめまぐるしく、1年が過ぎ行き、また新しい年を迎えました。あなたを必ず助け出すと心に決めながら、さらに年月を重ねてしまったことが本当に辛く、それでも、決してあきらめず、再会を信じて、日々を生きています。
  このたび、めぐみたち拉致被害者への思いを込めたたくさんのお手紙を若い方々からいただきました。めぐみは13歳で拉致されました。今、当時のめぐみと同年代の皆様は、拉致事件が起きたとき、お生まれでさえありませんでした。
  そんな方々が、めぐみちゃんたち被害者の生き方に触れ、帰国を願ってくださることは本当にありがたく、勇気づけられます。
  たくさんつづっていただいた手紙を通し、若々しい励ましと後押しの思いに心を打たれました。必ずや北朝鮮に届き、膠着した状況を動かす大きな力になるはずです。
(2)
  私たち家族は長い時間、救出運動に全力をかたむけてきました。最初は街頭で訴えても見向きもされず、拉致を「嘘」と断ぜられ、救出を訴える署名用紙を乗せたボードをたたき落とされたこともありました。
  それでも、少しずつ思いが広がり、社会の声は高まり、ついには北朝鮮が拉致を認めました。ここに至ったのはやはり、拉致に心から怒り、涙し、救出を切望した国民の方々の声があったからこそだと思います。
  ただ、拉致事件が完全に解決しないまま、40年以上の時がたつ中、家族は「救いを待つ被害者が忘れ去られてしまう」という、底知れぬ恐怖感とも向き合ってきました。だからこそ、国民の皆様には、これまでと同様に関心を持ち続けていただきたいのです。
  次代を担う若い世代の方々が拉致事件を知り、解決の道筋を考えていただくことは、とても大事なことだと強く感じます。
  今年、日本では天皇陛下が譲位されることになり、新しい時代を迎えようとしています。昭和の時代に起き、日本に深く突き刺さってきた拉致事件という国家犯罪が、平成のうちにすっかり解決され、明るい未来の幕開けにつながることを願ってやみません。
  昭和52年11月、めぐみちゃんが煙のように消え去ってから、心が安まる日は一日もありませんでした。
  20年を経た平成9年、北朝鮮にいることが分かり、救出を訴える活動をお父さんと始めました。拉致被害者家族会も結成され、全国に被害者救出を支援する組織が広がり、情勢は少しずつ、確かに、前に進んでいきました。
(3)
そして平成14年。北朝鮮は拉致を認め、謝罪しながらも、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。
  間もなく、飛行機で羽田空港に帰国し、祖国の土を踏んだ蓮(はす)池(いけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、そして、曽我ひとみさんの姿を見つめながら、かならず、めぐみちゃんたちも救い出すのだと誓ったことを、昨日のことのように思い出します。
  お母さんは今日まで、めぐみが必ず生きていると信じ、それを疑ったことはありません。若い皆様がその思いを知って下さり、共感と励ましの言葉をつづっていただいたことを、とてもうれしく思います。
  お父さんは86歳。お母さんももうすぐ、83歳になってしまいます。
  被害者、家族が高齢となり、残された時間は日に日に少なくなっていきます。他人事ではなく、どうか、自らの事として拉致事件を考えていただきたい。ふとしたとき、拉致を解決できないまま、日本が何事もなかったかのように進んで行くのではないか、という不安が頭をもたげます。
  最近は、拉致問題の「風化」という言葉を耳にすることもよくあります。政府や政治家の皆様は、現状をどうごらんになっているのでしょう。非道な国家犯罪を解決できないばかりか忘れ去られる。そんな日本で本当に良いのでしょうか。
  一昨年と昨年、思いがけない形で拉致問題が国際社会に示されました。米国のトランプ大統領が、国連で北朝鮮を厳しく非難しました。史上初の米朝首脳会談でも、トランプ大統領は拉致問題の解決を提起したといいます。これを、北朝鮮の最高指導者はどう受け止めたのでしょうか。
(4)
道を歩けば、多くの励ましとともに「なぜ解決しないの」と問いかけをいただきます。難しい国際情勢を知るすべはなく、ただただ戸惑ってしまいます。
  私たちは政府が必ず、すべての被害者を救うと信じてきました。なかなか進まない成り行きに悔しさと悲しさが募ります。最後は、日本が自らの手で被害者を救わねばなりません。
  お父さんは今日も、元気な姿でめぐみちゃんに再会するため、リハビリに励んでいます。あなたのことを思いニコニコとほほえんだり、時にはなかなか進まない拉致問題に厳しい表情を見せたり-。皆さんの前に立つことはできなくても、救出にかける情熱は、寸分たりとも変わっていません。
 お父さんとお母さんにとって一番の願いは、一刻も早く被害者全員が帰国し、普通の生活を取り戻すことです。そして明るく、希望に満ちあふれた日本を、次世代に引き継ぐことです。
  めぐみちゃんたち被害者に思いを寄せてくださる若い世代の皆さん。そして、親御さん、お孫さんを持つ皆様。すべての国民の方々があげる声、思いが力強い後押しになります。
  新年を迎え、今年こそ、祖国の土を踏んだめぐみちゃんたちとともに、皆様に感謝を伝えられる日が来ることを祈ってやみません。めぐみちゃん。歩みは遅くとも、必ず、喜びの日が来ます。どうか、待っていてね。


2019.1.1-産経新聞-
【横田めぐみさんへの手紙】英語で… 堺市 亀川乃晶さん 高校2年

(横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての拉致被害者への思いをつづる「めぐみさんへの手紙」にはこれまで、小中高生ら約250通の応募があった。文面から伝わるのは「忘れない」「一日も早く取り戻したい」という強い思い。一部を紹介し、改めて北朝鮮による拉致を考えるきっかけとしたい。)

母の子を思い愛強く・・・堺市 亀川乃晶さん 高校2年
 10月5日のめぐみさんの誕生日に産経新聞に載った横田滋さん、早紀江さん夫妻の「めぐみへの手紙」(昨年10月5日付)を読み、学校の英語の暗唱大会のテーマに拉致のことを書きました。

《和訳》・・・「めぐみさんのお母さん」・・・・・横田めぐみさんについて新聞で読みました。彼女は1977年11月15日、新潟県で13歳の時に、学校に登校したきり、帰ってきませんでした。彼女のお母さん、早紀江さんとお父さんの滋さんは41年間ずっと、彼女を捜し続けています。彼女は北朝鮮に連れ去られました。めぐみさんは今、54歳になっています。
 2002年9月、小泉純一郎首相は平壌で開かれた日朝首脳会談で、金正日総書記に会いました。北朝鮮は1970年代から80年代に13人の日本人を拉致したことを認め、それから5人の拉致被害者が日本に帰ることができました。しかし、横田めぐみさんは帰ってきませんでした。北朝鮮は、めぐみさんが亡くなったといい、彼女の遺骨が日本に届きました。日本政府が調べましたが、その遺骨は偽物で、彼女の遺骨ではありませんでした。
  私の母と私は、拉致問題について話し、母が私にある話を教えてくれました。ウサギの母親は、とても遠い場所に子ウサギが離れていたとしても、その生死を感じとることができるという説がある。…皆さんはこれをどう考えますか。
 私の母は私に言いました。「少なくともめぐみさんのお母さんと私は、この母ウサギと一緒だと思っている。だから、めぐみさんのお母さんが、めぐみさんはちゃんと今も生きている!と信じているのなら、めぐみさんは必ず生きているはず」
 私はこの話を聞いて思いました。ウサギでも人間でも母親が子を思う愛は限りなく強く、激しくて、深いものだと。お母さんってすごい!
 2017年11月、早紀江さんは米国のトランプ大統領に会い、拉致問題の解決を要請しました。安倍晋三首相はトランプ大統領とともに強くこの問題解決に取り組んでいます
めぐみさんとめぐみさんのお母さん、そのご家族がもう一度、一緒に笑って幸せになってもらいたいと、私は心から願っています。


2019.1.1-産経新聞-
【横田めぐみさんへの手紙】「たくさんなみだが」埼玉県松伏町 重中慶子さん 小学2年

(横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=らすべての拉致被害者への思いをつづる「めぐみさんへの手紙」にはこれまで、小中高生ら約250通の応募があった。文面から伝わるのは「忘れない」「一日も早く取り戻したい」という強い思い。一部を紹介し、改めて北朝鮮による拉致を考えるきっかけとしたい。)

ぜったい帰って来て・・・埼玉県松伏町 重中慶子さん 小学2年
 めぐみさんの話は新聞をお母さんといっしょに読んではじめて知りました。
中学一年生の女の子が、学校の帰りにとつぜん外国の人にゆうかいされて、41年間帰ってこれていないということ、「らちひがいしゃ」ということ、知らない言葉でした。 お母さんと話をしてめぐみちゃんの気もちめぐみちゃんの家ぞくの気もちを考えました。
 めぐみちゃんがどれだけこわくてしかたがなかったか考えました。41年間という時間は、わたしにはそうぞうがつきません。でも、お母さんと話をしていて、「親にとって、子どもがいなくなった日のことは41年なんてきのうのことのようにぜったいにわすれられないことなんだよ。」と言う話を聞いた時に、わたしはなぜか分からないのだけれどたくさんなみだが出ました。
わたしもぜったいめぐみちゃんのことをわすれません。 ぜったい日本に帰って来て下さい。 めぐみちゃんが一日も早くお父さんお母さんに会えますように。

(原文ママ)

横田早紀江さん・・・・・「胸に響き、力づけられます」

 拉致被害者の一刻も早い救出を願う全国の若者から寄せられた手紙に目を通した横田早紀江さんは感謝の思いを語りつつ、「拉致問題に関心を持ち続けていただきたい」と呼びかけた。

めぐみたちすべての拉致被害者の救出を願う手紙につづられた、ひとつひとつの言葉が強く胸に響き、力づけられました。本当にありがとうございます。
拉致問題は未解決のまま長い時間がたち、その事実を知らない方も増えています。そうした今、若い皆さんが問題を知ることには、大きな意味があります。
  皆さん1人1人の思いは決して小さくありません。拉致事件という残酷な人権侵害の事実を学び、解決の道筋を考えていただくことは必ず、国を動かし、全被害者を帰国させる動きにもつながるはずです。
  年老いた家族は、拉致をすっかり解決し、希望にあふれた日本を次世代に引き継ぐことが最大の願いです。若い皆様もどうか、関心を持ち続け、声をあげていただけるよう、お願いします。
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めぐみさんに手紙を書きませんか
 北朝鮮に拉致され、いまだに帰国が実現しない横田めぐみさんらすべての拉致被害者にささげる「めぐみさんへの手紙」を、全国の小中学生や高校生、大学生から募集しています。学校のクラス単位での応募も歓迎します。
 字数はおおむね原稿用紙1~5枚(400字~2000字)ぐらい。郵送の場合は〒100-8078(住所不要)産経新聞社編集局社会部「めぐみさんへの手紙」係へ。eメールはnews@sankei.co.jpまで。住所、氏名、年齢、電話番号(小中学生の場合は保護者の方の連絡先)を明記してください。
 産経新聞社は募集した手紙を、拉致問題解決のための世論喚起などに生かさせていただくとともに、優れた手紙は紙面で紹介していきます。
 産経新聞社はこの手紙の募集に合わせて、拉致問題に関するテーマについて現役記者らが分かりやすく講義する“出前授業”を実施しています。
 問い合わせは、編集ソリューション室(nie-tokyo@sankei.co.jp)まで。








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