インド問題-1


2024.11.04-産経新聞(KYODO)-https://www.sankei.com/article/20241104-PYM4YMHDHRLGZKFES25NMPVN2M/
インドでバスが崖下200メートル転落、36人死亡 走行中に制御できなくなる

  インド北部ウッタラカンド州アルモラで4日、乗客約40人が乗ったバスが崖から約200メートル転落し、36人が死亡した。地元メディアが報じた。警察は残りの乗客の救助を進めた。

  バスは走行中、何らかの理由で制御できなくなったとみられる。インド北部の山間地は道路状況が悪く、バスや車の転落事故が多発している。(共同)


2024.09.25-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240925-DIDYBGKUDVIB5C7IKNPV4DK5PA/
人食いオオカミの恐怖におびえる人々 洪水ですみかを追われたか、人間への復讐説も
(インド太平洋特派員 岩田智雄)

  童話「赤ずきん」に登場するオオカミは、悪辣(あくらつ)な人食いオオカミである。だが、実際にオオカミが人間を襲って食べるということは、ほとんどないそうだ
  それが最近、インドで人食いオオカミが出没し、村の人々が恐怖に包まれている事件が起きているという。以前、この連載でインド北部ウッタルプラデシュ州に現れた人食いトラの話を紹介したことがあるが、今回の脅威はオオカミだ。

  現場は、同州のネパール国境に近い地域にある。インディアン・エクスプレス紙によると、7月17日から9月2日にかけて、オオカミの群れが日没後、35の村で次々に住民を襲い、子供7人を含む8人が殺害された2歳の少女はドアのないレンガ造りの家の中で母親と一緒に寝ていたところを連れ去られ、近くのサトウキビ畑でバラバラになった遺体として発見された。
  地元森林局は大規模なオオカミ捕獲作戦に乗り出した熱感知カメラを備えた数機のドローン(無人機)を駆使して、付近に生息する複数のオオカミを発見。ネットやおり、オオカミをおびき寄せるための子供に似せた人形などを「戦略的に」設置した。数匹が捕獲され、動物園へ送られたり、捕獲によるストレスで死んだりしている。
  人々が首をかしげるのは、通常、人間を襲わないオオカミが、なぜ童話の世界のように人肉を食べるようになったのかだ。
  英BBC放送(電子版)によると、オオカミが人間を襲うケースのほとんどは狂犬病に感染した場合だ。ノルウェー自然研究所がまとめた2002年~22年のオオカミの襲撃に関する報告書によれば、インドを含む21カ国でオオカミによる襲撃例らしいものが479件あったが、このうち死亡例はわずか26件で、インドでの発生が4件だった

  インディアン・エクスプレス紙とBBCはいずれも、豪雨による洪水の影響でオオカミが本来の生息域を追われたのが原因とみる専門家の意見を伝えている。動物の獲物が得られなくなり、人間を襲ってその味をおぼえてしまったというのだ。そうであれば、地球温暖化がオオカミの行動に何らかの影響を与えてしまったのかもしれない
  一方、オオカミによる「復讐(ふくしゅう)説」を唱える専門家もいる。同州のドゥドワ国立公園元園長は、インドのニュースサイト、ニュース18に、「オオカミは最も知能が高い動物で、他の肉食動物とは異なり復讐する性癖がある」と話す。州内では1996年にオオカミが人間の子供たちを襲う事件があったが、農民が洞窟でオオカミの子供たちを見つけ、恐れるあまり火の中に投げ込んでオオカミを怒らせた後に起きた。2003年には、農民にすみかを破壊されたオオカミが、やはり人間の子供を標的にするようになった事案が報告されているという。
  この見方が正しければ、人間が野生動物にむやみに接触することは危険だということの証左となる。
(インド太平洋特派員 岩田智雄)


2024.06.05-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240605-3LVHFDOMLJPUXKKB7HCN4SNV7M/
インドのモディ首相「世界第3の経済大国に向けて尽力」 続投意欲も与党退潮、政局流動化の懸念

  【ニューデリー=森浩】4日開票のインド下院(定数545)総選挙を受け、モディ首相は現地時間同日夜、「世界第3の経済大国に向けて尽力する」と述べ、3期目入りに意欲を示した。モディ氏のインド人民党(BJP)を軸とする与党連合は過半数を維持したが、BJPは単独過半数に達しなかった。3期目のモディ政権は連立相手に配慮した不安定な政権運営を強いられる

  選挙管理委員会の5日の発表によると、与党連合は293議席、BJP単独では240議席を獲得した。BJPは前回2019年総選挙から約60議席減らした。高失業率と物価高に有権者が反発し、BJPの逆風につながった。野党連合は前回から130以上積み増す230超の議席を得た。
  モディ氏は4日夜の演説で「今日の勝利は世界最大の民主主義の勝利だ」と述べ、与党連合は国民から信任を得たと強調。「(BJPは)あらゆる政党と協力する。インドのために働くときだ」と述べ、各政党に連携を呼びかけた
  3期目のモディ政権のカギを握るのは与党連合に加盟する地域政党といえる。複数の政党はBJPとの間で連携と離反を繰り返した歴史があり、モディ氏はつなぎ止めに腐心することになりそうだ
  野党連合は、与党連合を切り崩し、政権樹立を模索する構えだ。野党連合の中心政党である国民会議派のラフル・ガンジー元総裁は4日夜、「国民はモディ氏に『あなたは必要ない』と突き付けた」と述べた。


2024.06.04-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240604-QWBMC6P45RLC5MVENCXTFYAHRU/
モディ政権、多難な3期目 高失業率やヒンズー教優遇に強い不満
(ニューデリー 森浩)

  4日開票のインド総選挙では、モディ首相の与党、インド人民党(BJP)を軸とする与党連合が過半数を維持する見通しとなった。モディ氏は信任を得たとして、グローバルサウス(GS)と呼ばれる新興・途上国の盟主、さらに〝次の超大国〟としてのインドの地歩を固めたい考えだ。だが、高い失業率など課題は山積。ヒンズー教徒優遇への不満も強く、3期目の歩みは平坦(へいたん)ではなさそうだ

「GSの盟主」の座
  「世界はインドの地位がわずか10年でどれほど高まったかを目撃している」。モディ氏は選挙戦で、国際社会でのインドの存在感が首相在任10年間で飛躍的に高まったと繰り返し強調した。
  モディ氏の自信を支えるのは経済成長だ。モディ政権が発足した2014年に世界10位前後だった経済規模は5位にまで上昇。23年度の実質国内総生産(GDP)の伸び率は前年度比8・2%で、世界屈指の高い経済成長を維持した。
  モディ政権は国際的存在感を背景に、インド伝統の「戦略的自律」の方針の下で独自外交を進めた。日米豪との協力枠組み「クアッド」を重視しつつも、ロシア産原油を買い支えることも忘れない。GSの盟主としての立場固めも進め、昨年は20カ国・地域(G20)の議長国として成果文書に物価高などGSの懸念を盛り込んだ。
  与党連合の支持を支えたのは、強いリーダーシップを発揮して「大国インド」を駆動するモディ氏の姿勢だといえる。3期目も「独自の価値観の下で実利に基づく外交」(ネール大のスワラン・シン教授)に変わりはなさそうだ。
経済成長も高失業率
  一方、国内で成長の実感は乏しい。地元誌が今年2月に実施した「インドが直面する課題」を問う調査では、「失業」と「物価高騰」が1位、2位を占めた。
  特に失業率の高さは深刻だ。地元政策研究機関は、22年度のインドの失業率は7・5%で、15~24歳の若者に限ると45%に達すると指摘した。22年にインド国鉄が3万5千人の募集を行ったところ、1250万人が応募する異常事態となった。
  モディ氏が選挙戦でイスラム教徒を「侵略者」と呼んで、8割を占めるヒンズー教徒の支持を固めようとしたのは、経済面の不満から目をそらすためでもあった。ただ、成長の果実を享受できない有権者の不満は確実に高まっており、与党連合の勢いをくじいた。
  ヒンズー教徒を優遇するモディ政権は、3月には隣国からの移民に市民権を与える「市民権改正法」を施行したが、イスラム教徒を対象外とした。国内で広がる宗教的分断もBJPへの反発につながっている。
  選挙に強いとされていたBJPが伸び悩んだことで、3期目のモディ政権は不安定な政権運営を迫られる可能性がある。野党連合の中心である国民会議派幹部は地元メディアに「(選挙の結果は)首相にとっては政治的敗北だ」と指摘した。
(ニューデリー 森浩)


2024.05.26-産経新聞(KYODO)-https://www.sankei.com/article/20240526-WHHRBTRLJFNUFFKIFUVCKIOMM4/
インド西部で火災、27人死亡 遊戯施設、子ども犠牲

  インド西部グジャラート州ラージコートの遊戯施設25日、火災が発生し、少なくとも27人が死亡した。子ども9人が含まれるという。火災で施設が倒壊し、犠牲者数はさらに増える恐れもある。地元メディアが伝えた。

  火災の原因は不明必要な防火対策を講じていなかった疑いがあり、警察は施設の所有者らを拘束した。同州出身のモディ首相は「非常に心を痛めている。被害者を最大限支援するため、地元政府が取り組んでいる」とX(旧ツイッター)に投稿した。(共同)


2024.03.22-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240322-LV4NP66JUNJEHGO6U7WEH6M34Y/
「民主主義に死をもたらす」 インド最大野党 モディ首相を批判 有力野党指導者逮捕に

  【シンガポール=森浩】インド捜査当局は21日、汚職事件に関与したとして、デリー首都圏政府のA首相を逮捕した。A氏は野党連合の一角である庶民党を率い、モディ首相や与党インド人民党(BJP)批判の急先鋒(せんぽう)となっていたインドでは4~6月に総選挙を控えており、野党からはモディ政権による弾圧との批判が上がっている

  地元メディアによると、A氏は酒類販売の規制緩和を巡って、何らかの汚職に関与したとされる。捜査当局は事前にA氏の聴取を試みたが、同氏は「政治的な動機に基づいている」などとして拒否していた。
  A氏は反汚職運動の活動家として知名度を高め、2013年にデリー首都圏政府の首相に就任し、現在3期目。モディ政権に批判的な政治家として知られている。庶民党は首都ニューデリーを中心に北部パンジャブ州などで支持を広げている。
  総選挙を巡っては、BJPの優勢が既に伝えられている。このタイミングでのA氏拘束は、与党勝利を盤石にしたいモディ政権の意向が反映されている可能性がある。最大野党、国民会議派の実質的リーダーであるラフル・ガンジー氏は「独裁者が民主主義に死をもたらそうとしている」とモディ氏を批判した
  インド総選挙は、4月19日から7回に分けて投票が実施され、6月4日に一斉開票される。有権者は約9億7千万人で「世界最大の選挙」とも呼ばれる。



2023.11.30-Yahoo!Japanニュース(JIJICOM)-https://news.yahoo.co.jp/articles/540c792400ce239c6f932c70a271bdf08bade2e1
インド、米でも暗殺計画 シーク教徒、当局が阻止

  【ワシントン時事】米連邦捜査局(FBI)は29日、カナダで6月に起きたシーク教指導者殺害事件に関連し、米ニューヨークでも同時期に別のシーク教徒の暗殺計画があったと発表した。

  インド政府機関の職員が暗殺を指示していたが、米当局によって阻止された。米印は覇権主義的な動きを強める中国への対抗で関係を強化しているが、この事件が2国間関係に影響する可能性もある。
   FBIによると、暗殺計画を指揮したのはインド在住のインド政府機関職員で、名前は明らかにしていない。安全管理と情報を担当する「上級現場担当官」だとしている。  この職員は5月から6月にかけ、インド人の仲介役を通じ、10万ドル(約1500万円)の報酬で「殺し屋」を雇った。職員は標的となる人物の自宅住所や日々の行動記録なども提供し、6月のカナダの事件後には早期の暗殺実行を催促していた。しかし、この殺し屋は実際には米国のおとり捜査官だった
   米捜査当局は仲介役のA被告(52)を暗殺計画に関与した容疑で訴追した。B被告は6月にチェコで身柄を拘束されている。


2023.10.30-産経新聞(KYODO)-https://www.sankei.com/article/20231030-Y2TUUBHWKJOPTNT4FY26DB7UAI/
インドで列車衝突8人死亡 南部、人為ミスが原因か

  インド南部アンドラプラデシュ州で29日夜、旅客列車が停車中の別の旅客列車に衝突する事故があり、インドメディアは少なくとも8人が死亡したと報じた。複数の車両が脱線し、けが人も出ている

  現場は同州北東部ビジャヤナガラム地区。地元当局が救助活動を続けているが作業は難航しているもようだ。インドメディアは、一方の列車が信号での停車を怠った人為的ミスが事故につながった可能性があるとの鉄道関係者の証言を伝えた。
  インドでは鉄道設備の老朽化や不十分な整備が原因とみられる事故が多発している。6月には東部オディシャ州で、世界的に見ても近年では最悪規模となる約290人が死亡する列車事故が発生した(共同)


2023.10.05-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20231005-HLSNY6Q4ZZJVJGQQ35GL2VQHEA/
インドで鉄砲水、10人死亡 80人不明、被害拡大も

  インド北東部シッキム州で4日、豪雨による鉄砲水が発生し、少なくとも10人が死亡、軍関係者を含む約80人が行方不明になった。PTI通信が伝えた。被害がさらに拡大する可能性もある。ダムの放水により川の水位が上昇し、事態が悪化したという。

  シッキム州当局者らによると、14の橋が流されるなど道路インフラに甚大な被害が出た。旅行者ら多くの人が足止めを余儀なくされ、目撃者は「大量の水が猛スピードで流れ、構造物を押し流した」と語った。
  モディ首相は「影響を受けた人たちの安全を祈る」とのコメントを発表。可能な限りの支援を約束すると強調した。


2023.08.23-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230823-EE3RRIUALZKSHM6ZV2GO6OBRWA/
インド探査機、月の南極に世界初着陸 モディ首相「歴史的偉業」

  【シンガポール=森浩】インド宇宙研究機構(ISRO)は23日、無人月面探査機「チャンドラヤーン3号」が月の南極付近に軟着陸したと発表した。南極付近への着陸成功は世界初。モディ政権は今回の成功をはずみに、宇宙大国としてインドの国際的な存在感を高めていく考えだ。

  チャンドラヤーン3号はインド時間23日午後6時(日本時間同9時半)ごろ、月の南極付近に降り立った。月の南極では水が氷の状態で存在するとされ、人類が月面で長期滞在する際の飲料水や酸素の供給源となる可能性がある。ISROによると、今後約2週間にわたって、探査車が土や岩石を調べる
  月面への軟着陸を成功させたのは、米国、旧ソ連、中国に次いで4カ国目。モディ首相は訪問先の南アフリカからのテレビ演説で、「歴史的偉業を成し遂げた科学者を心から祝福し、14億の国民に祝意を示す」と述べた。
  インドは2019年に月面探査を目指してチャンドラヤーン2号を打ち上げたが、降下時に月面に墜落して失敗。モディ政権は威信をかけて約7400万ドル(約107億円)を投じ、3号のプロジェクトを進めていた。
  月面探査を巡っては、ロシアも今月11日、無人探査機「ルナ25」を打ち上げたが、19日に通信が途絶えた。月面に墜落したとみられている。日本も26日に無人探査機「SLIM」を打ち上げる予定。


2023.07.14-Yahoo!Japanニュース(SORAE:宇宙へのポータルサイト))-https://news.yahoo.co.jp/articles/7ff50a4b443a6ac5503069a11bde859e421362a4
インド、月面探査ミッション「チャンドラヤーン3号」の打ち上げに成功

  インド宇宙研究機関(ISRO)は日本時間2023年7月14日に「LVM-3」ロケットの打ち上げを実施しました。搭載されていた同国の月探査ミッション「チャンドラヤーン3号」の探査機は無事に予定の軌道へ投入されたことが、ISROのSNSや公式サイトにて報告されています。

  打ち上げに関する情報は以下の通りです。
■打ち上げ情報:LVM3-M4(Chandrayaan-3 Mission)
  ロケット:LVM3-M4(Launch Vehicle Mark-3 Mission4)
  打ち上げ日時:日本時間2023年7月14日18時5分【成功】 発射場:サティシュ・ダワン宇宙センター(インド) ペイロード:チャンドラヤーン3号(Chandrayaan-3)
  チャンドラヤーン3号は、インドによる3回目の月探査ミッションで、月面に着陸するランダー(着陸船)と、月面を移動するローバー(探査車)で構成されています。
  ISROによると、ランダーには6つの観測装置が搭載されていて、着陸地点周辺の探査を実施するということです。 ISROは2008年にインド初の月探査ミッション「チャンドラヤーン1号」の探査機を打ち上げました。同探査機に搭載されていたアメリカ航空宇宙局(NASA)の観測装置によって、月の南極域に氷が存在していることを示す決定的な証拠が確認されたという報告がなされています。
  2019年にはオービター(月周回衛星)とローバーを搭載したランダーで構成された月探査ミッション「チャンドラヤーン2号」の探査機が打ち上げられましたが、オービターの月周回軌道への投入には成功したものの、ランダーの月着陸には失敗していました。
  なお、チャンドラヤーン3号のミッションで取得されたデータは、チャンドラヤーン2号のオービターを介して地球に送信される予定です。
Source Image Credit: ISRO ISRO - Chandrayaan-3


2023.06.23-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230623-SB74WNNP5JJZPAEQDX3LOR2CJM/
インドが米無人機を調達 防衛協力強化で合意 米印首脳会談

  【ワシントン=坂本一之】バイデン米大統領とインドのモディ首相は22日、ホワイトハウスで首脳会談を開き、防衛や宇宙、サプライチェーン(供給網)などの協力強化で合意し共同声明を発表した。インドが米国の攻撃能力を持つ無人機を調達し印軍の情報収集・警戒監視能力を強化することで一致。共同声明で東・南シナ海における「航行と飛行の自由の維持」を明記し、名指しを避けながらも中国の海洋進出を牽制(けんせい)した。

  両首脳は、米ゼネラル・エレクトリック(GE)が印企業と戦闘機向けF414エンジンをインドで共同生産することを確認。両政府で迅速に取り組むことで一致した。米国の攻撃能力を持つ無人機MQ9Bシーガーディアンをインドで組み立て、インドの長期的な防衛能力強化を支援する。
  前方展開する米海軍艦艇の修繕もインドで実施する。バイデン氏は記者会見で「共同演習を増やし、産業間協力を拡大する」と述べ連携強化を強調した。
  共同声明では、インドの兵器調達先で関係の深いロシアを名指しで非難することは避け、ウクライナ侵略への「深い懸念」を表明し「国際法や主権の尊重」を求めるとどめた。バイデン氏は会見で「ロシアの残虐な戦争による人道的悲劇の軽減」などへの取り組みを協議したと説明した。
  両首脳は「自由で開かれたインド太平洋」へのコミットメントを確認。中国による台湾への軍事圧力などを念頭に、「威圧的な行動」を批判し「力による現状変更」に反対した。日米豪印の協力枠組み「クアッド」を通しインド太平洋の安全や「世界の利益」に貢献していく方針を示した。
  また北朝鮮による弾道ミサイル発射を非難し、「朝鮮半島の完全な非核化」の必要性を再確認した。両首脳はこの他に半導体や重要鉱物資源の供給網、人工知能(AI)、量子・通信技術などで協力を推進していくことで合意した。
  バイデン氏は政権発足後3人目の国賓としてモディ氏を招待。モディ氏は首脳会談後に上下両院合同会議で演説し「米国は最も重要な防衛パートナーの一国となった」と強調した。


2023.06,03-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230603/k10014088191000.html
インド 列車脱線 隣の列車と衝突 233人死亡 けが人約900人か

  インド東部で2日、長距離列車が脱線したあと隣の線路を走っていた別の列車と衝突し、地元当局はこれまでに233人の死亡が確認されたほか、けが人はおよそ900人に上るとみられるとしています。
  インド東部のオディシャ州で2日、長距離列車が走行中に脱線したあと、隣の線路を走っていた別の列車と衝突する事故がありました。

  地元当局によりますと乗客など、これまでに233人の死亡が確認されたほか、けが人はおよそ900人に上るとみられるとしていて、インドの主要メディアなどは近年で最悪の事故とみられると伝えています。現地の映像では、複数の車両が線路の上に折り重なるように横倒しになり、救助活動が行われている様子を確認することができます。
  事故を受けてインドのモディ首相はツイッターに「列車事故に心を痛めている。深い悲しみの中、私の心は遺族とともにある」と投稿し、犠牲者に哀悼の意を示しました。当局は、救助活動を行ってけが人の搬送を急ぐとともに事故の状況や原因を調べています。
過去のインドの鉄道事故
  インドの鉄道では脱線や衝突など多くの死傷者が出る事故がたびたび起きています。
    1995年8月、北部ウッタルプラデシュ州で停車中の列車に後ろから来た列車が追突し、300人以上が死亡しました。
    1999年8月、東部の西ベンガル州で列車2本が正面衝突し、地元当局は285人が死亡したと発表しています。
    2016年11月には北部ウッタルプラデシュ州で14両編成の特急列車が脱線し、地元メディアによりますとおよそ150人が死亡しました。
    2017年8月には10日間で3件の脱線事故が起き、このうち北部ウッタルプラデシュ州では23両編成の特急列車が脱線して20人余りが死亡しました。
  インドは世界有数の鉄道大国ですが、線路などの施設の老朽化が指摘され、日本など各国が鉄道の近代化に向けて支援を行っています。
事故現場は
  ロイター通信が配信した事故現場の映像では、複数の車両が脱線し、車体の底が見えるほど大きく傾いたり、折れ曲がるように潰れたりして、激しく壊れている様子が確認できます。列車の周りでは、大勢の作業員が活動する様子も写っていて、ロイター通信は、救助や捜索の活動が続いていると伝えています。
インド モディ首相が事故現場へ
  列車の事故を受けてインドのモディ首相は3日、首都ニューデリーで緊急の会合を開き、救出活動などの状況について報告を受けました。モディ首相は現地時間の3日、東部オディシャ州の事故現場を訪れる予定です。
今のところ日本人の情報なし
  インド東部コルカタにある日本総領事館によりますと、今のところ、この事故の死者やけが人に日本人が含まれているという情報は入っていないということです。
岸田首相「哀悼の意を表す」
  岸田総理大臣はみずからのツイッターに「列車事故により多くの尊い命が失われ負傷者が発生しているとの報に接し大変心を痛めています。日本国政府および日本国民を代表し、犠牲者の方々とご遺族に対し心からの哀悼の意を表するとともに、負傷された方々の一日も早いご快復をお祈り致します」と投稿しました。


2023.04.19-TBS NEWS DIG.-https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/443931?display=1
インドの人口が初めて中国を抜き世界最多に 国連の報告書

  国連は2023年のインドの人口が中国を抜き、世界最多14億2860万人になるとの最新の推計を発表しました。

  国連人口基金が19日に公表した報告書によると、インドの人口は今年半ばの時点で14億2860万人と予想されています。
  これまで最も多かった中国の人口推計は14億2570万人で、インドは中国の人口を290万人上回り世界トップとなる見込みです。インドは人口のおよそ半分が30歳未満とされ、2050年までに16億6800万人に増えると予測される一方、中国は13億1700万人に減少するとみられています。
  国連の人口推計でインドが中国を抜いたのは初めてとみられますが、インドメディアは「10年以上国勢調査が実施されておらず、データは不確実」と指摘しています。
  一方、この発表について中国政府は…中国外務省 汪文斌 報道官-「一国の人口ボーナスは、量だけでなく質も見なくてはならず、人口だけでなく人材も見なくてはならない」
  中国外務省の汪文斌報道官は「量より質が大事だ」としたうえで、「中国は14億余りの人口を有しており、うち労働年齢人口は9億人近くもいる」と強調。また、3人目の子どもを認めるなど少子高齢化に積極的に対応していると強調し、「中国の発展は依然として強い」と話しています。


2023.01.26-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230126-AT2NK6FKLVJQZNKYKOFTBXO2X4/
中国抜き「人口世界一」のインドに難題 人口の半数が30歳以下…雇用に不安

  【シンガポール=森浩】中国の人口が減少に転じたことで、インドが世界で最多の人口を抱える国となったもようだ。モディ政権が国際社会でインドの存在感を高めようとする中、国内では「世界一」を歓迎する声が上がる一方、若年層の雇用対策など課題が山積している。医療インフラの整備も不十分な中、人口増には不安も漂う。

  中国が今月17日に発表した昨年末の同国の総人口は14億1175万人で、61年ぶりの減少となった。インドの国勢調査は2011年以来実施されていないが、国連によると、昨年の推計人口は14億1200万人であることから、既にインドが世界一になっている可能性がある。
  インドも長期的傾向として出生率は低下しているが、人口は50~60年代まで増加するもようだ印シンクタンク、人口調査センターは産経新聞の取材に「伝統的価値観として、大きな家族を持つこと、また子や孫が高齢者の世話をすることが重要と考えられている」と指摘している。
  モディ政権は人口世界一に対して正式な反応を示していないが、米外交誌ディプロマット(電子版)は、インドが「経済的、地政学的な主要プレーヤーとしての地位を確立しつつある」中、存在感向上につながるとの見方を示した。
  ただ、30歳以下が人口の約半数を占める中、国内では特に若年層の職不足が深刻化している。21年の15~24歳の失業率は約28%というデータもある。また、国内の貧困層は約2億2890万人とされ、路上生活者は300万人に上るとの推計もある。人口増は経済や医療を圧迫するとの懸念は強い。
  インドではこれまで人口抑制が話題となったことはある。ただ、特に近年はヒンズー至上主義を掲げる与党インド人民党(BJP)の一部が、出生率が高いとされたイスラム教徒の増加を抑えたいとの思惑があった。地元紙ヒンドゥー(電子版)は「人口抑制をめぐってはこれまで宗教的な面に焦点が当たってきた」と指摘。人口世界一となることで議論の本格化を求めた。


2023.01.03-東京新聞-https://www.tokyo-np.co.jp/article/223287#
インド、今年は人口世界一に 14億人超、中国抜く

  【ニューデリー共同】14億人超の人口を抱えるインドは今年、人口で中国を抜き、世界一になる見通しだ。国連のデータが残る1950年代以降続いた「中国が人口世界一」の時代は終わる。米国と中国の競争が激化する中、独自外交路線を堅持するインドは今年の20カ国・地域(G20)議長国。政治・経済両面でさらに存在感を増すことになるが、格差や女性の社会進出の遅れなど課題も多い。

  国連によると、2022年の人口は中国が14億2600万人、インドが14億1200万人で、23年中にインドが追い抜くと予測される。50年にはインドが16億人を超え、中国は13億人強に減る見込み。


2022.10.31-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221031/k10013875471000.html
インド西部 歩行者用つり橋崩落 これまでに132人死亡 地元当局

  インド西部のグジャラート州で30日、歩行者用のつり橋が崩落した事故で、地元当局は、これまでに132人の死亡が確認されたことを明らかにしました。

  インド西部のグジャラート州モルビで30日、川にかかる歩行者用のつり橋が崩落し、橋の上にいた大勢の人たちが川に転落しました。この事故について、グジャラート州政府の高官は31日、これまでに132人の死亡が確認されたことを明らかにしました。
  また、多くの人たちがけがをして病院に運ばれ手当てを受けているということです。この地域を担当するムンバイの日本総領事館によりますと、これまでのところ、日本人が巻き込まれたという情報は入っていないということです。
  現地からの映像では、川の中を泳いだり、橋の一部にしがみついたりしている人の姿が確認できます。複数の地元メディアは、崩落したつり橋は改修工事が数日前に完了したばかりで、事故当時、大勢の人たちが渡っていたことから犠牲者はさらに増えるおそれがあると伝えています
  事故を受けて、インドのモディ首相は自身のツイッターへの投稿で、救助活動に全力を挙げるとともに遺族やけが人の支援にあたる考えを示しました。


2022.07.12-産経新聞(KYODO)-https://www.sankei.com/article/20220712-BG3Y3N3CXRJAPPR5DBU33YIACM/
世界人口、年内に80億人 国連報告、印が中国超え コロナで平均寿命低下

  国連は11日、世界人口デーに合わせて発表した世界の人口に関する報告書で、今年11月半ばまでに世界人口が80億人に達し、2023年にはインドの人口が中国を超えて世界最多になるとの見通しを明らかにした新型コロナウイルス流行の影響で平均寿命は19年の72・8歳から昨年には71・0歳に落ち込んだという。

  国連によると、多くの国で出生率が低下し、20年には人口増加率が1950年以降で初めて1%を下回った。世界の人口は2080年代に約104億人となってピークを迎え、2100年まで横ばいに推移する。

  現在、中国の人口は14億2600万人インドは14億1200万人で、50年にはインドが16億6800万人、中国が13億1700万人と推計している。人口分布では東アジアと東南アジアの合計が23億人と全体の29%を占め、最も多かった。(共同)


2022.05.19-朝日新聞(ANNニュース)-https://www.asahi.co.jp/webnews/pages/ann_000255154.html
輸出拡大から一転“全面停止”に…インドの記録的な熱波が小麦不足に拍車

  記録的な熱波がインドを襲っていますこの熱波が、ウクライナ侵攻から続く、世界の小麦価格の高騰に拍車をかける事態となっています。

  “欧州のパン籠”と称されるウクライナ。小麦の輸出量は世界5位です。

ロシア軍の侵略が景色を一変。小麦の生産地域は、ウクライナ東部や南部に集中しています。つまり戦闘が恒常的に行われてきた地域です。加えて、ウクライナ最大の輸出拠点であるオデーサ港は、黒海艦隊による封鎖が続いています。ウクライナの小麦が出回らなくなった影響は、すぐ現れました。侵攻開始直後、世界の小麦の価格は跳ね上がりました。
  ウクライナ農業政策省・ビソツキー次官:「世界的な食糧危機が懸念される。ウクライナは数千トンの食糧を輸出していた。港湾の封鎖が続けば、多くの農家が倒産をすることになり、来年は農作業を続けることができなくなる。ウクライナの輸出が減って、世界中の在庫が少なくなれば、価格の上昇につながり、毎月、悪化していくことになる」
  現実味を帯びてきた世界食糧危機。そのカウントダウンをさらに加速させるかもしれないのが、インドで起きている記録的熱波です。デリーでは15日、49.2度を記録しました。この暑さ、今に始まったことではないそうです。
インド在住・中村ゆりさん:「3月末くらいから、日本の夏がインドにやってきた感じ。これから長い暑い夏が続く感じ。現地メディアで見たが、122年ぶりに3月が一番暑かったと。(3月から)ノースリーブで過ごしていた。家にいても停電が日常茶飯事で起きてしまうので、一日に何回もシャワーを浴びたり着替えたりという感じ」
  この断続的暑さが影響したのがインドの小麦です。世界2位の生産量を誇るインドは、ロシア侵攻後に生じた世界的小麦不足を埋めるため、先月、海外への輸出量を拡大したばかりでした。そこに、この熱波が襲来。小麦の生産量が危ぶまれると、インドは一転、“輸出の全面停止”に舵を切りました。
  方針転換から3日後の17日、インドの主要港にはトラックの列ができました。輸出用の小麦を乗せたトラック約4000台が行き場を失ったそうです。小麦の安定供給に寄与すると期待されていただけに、世界の落胆は価格高騰という形で現れました。
  そして、追い打ちをかけるように、世界4位の小麦輸出国・フランスでも記録的干ばつが起きています。こうした異常気象の影響が長期化すれば、世界中で小麦の奪い合いが起きる可能性は否定できません。


2022.04.21-日本経済新聞-https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA213JS0R20C22A4000000/
自衛隊機派遣、インド拒否で修正へ ウクライナ支援-経由地変更、計画遅れの可能性

  政府は21日、ウクライナを支援するため派遣する自衛隊機の行動計画を変更すると自民党に説明した避難民への物資の搭載拠点にしていたインドが自衛隊機の受け入れを拒否したためだ。ルートの変更が必要になり、月内を想定していた運航開始は遅れる可能性がある。
  国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の要請に基づき自衛隊機を派遣する。国連平和維持活動(PKO)協力法の「人道的な国際救援活動」が根拠だ

  UNHCRはインドとアラブ首長国連邦(UAE)に毛布などの人道救援物資を備蓄している。自衛隊機が2国に赴いて物資を積み込み、ウクライナの隣国であるポーランドやルーマニアに運ぶ計画だった。

  政府は21日中に自民党から計画の承認を取り付け、22日にも閣議決定する予定だった。自民党の高市早苗政調会長は21日「物資の積み込み地であるインドから自衛隊機の受け入れを拒否されたという事態が発生した」と話した。
  自衛隊機が他国領域に入るには受け入れ国の同意が前提になる。外務省によるとインド政府と事務レベルで合意を得ていたが20日夜に突然、拒否すると伝えてきたという。
  インドを経由せずUAEだけに寄るルートなどを再検討する。与党の承認手続きも必要になる。松野博一官房長官は21日の記者会見で「さまざまな支援の可能性を検討していく」と述べるにとどめた。
  政府内では外交・安全保障上の不安を指摘する声もある。外務省幹部は「ロシアに配慮するインドがウクライナ支援の枠組みに加わりたくないと判断したのではないか」と話す。
  ロシアのウクライナ侵攻をめぐって、インドは日米欧が主導する対ロシア制裁に加わらない姿勢を貫く。インドはロシアと軍事的なつながりが深く、武器の多くを調達している。
  インドは軍拡を続ける中国と国境紛争を抱える。中国と対峙するためにも、もう一つの大国・ロシアとの関係が重要になる。日米欧は対ロシア包囲網にインドを加えようと考えてきたが思うように進んでいない。インドは国連総会と安全保障理事会のロシア非難決議を棄権した。

  岸田文雄首相は3月にインドを訪問してモディ首相と会談した。ウクライナ侵攻後にもかかわらず共同声明にロシアを非難する文言を盛り込めなかった。5月下旬には日米豪印の枠組み「Quad(クアッド)」の首脳会議を東京で開く見通しだ。対ロシアで足並みの乱れを露呈すれば、自由や民主主義を掲げる陣営には打撃になる。
  対中国を念頭に日米が推進する「自由で開かれたインド太平洋」クアッドの主要議題になる。地政学的に重要な位置を占めるインドが対権威主義国であいまいな姿勢を示せば、中国にも結束して対処できなくなる懸念が生じる。
  ウクライナ侵攻後、日本は各国と「力による現状変更はアジアにも影響を及ぼす」との見方を共有してきた。インドは日本との協議でまだこうした考えを公式に表明していない。


2022.03.04-LiveNews(産経ニュース)-https://news.livedoor.com/article/detail/21777785/
インド、踏み込んだロシア批判なし

  【シンガポール=森浩】3日夜の日米豪印の協力枠組み「クアッド」首脳会議は、力による現状変更を許容しないとの認識で一致したものの、ウクライナに侵攻したロシアを名指ししての批判は避けた。
  伝統的にロシアと結びつきが強いインドの意向が尊重されたもようだ。インド・モディ政権の対露融和姿勢に対しては同国内からも異論が見え始めており、インド政府は今後、対応に苦慮しそうだ。

  クアッド構成国の中でも、オーストラリアは日米とともにロシアの侵攻を厳しく非難する。既にウクライナに7000万豪ドル(約60億円)分の武器提供を表明した。モリソン首相は4日、「世界各国は圧力をかけることを止めるべきではない」と述べ、さらなる制裁を辞さない構えを見せた。
  一方、インドは色彩を異にする。対露制裁を発動しておらず、国連での対露非難決議も棄権した。クアッド首脳会議でも踏み込んだロシア批判は慎重に避けたもようだ。

  インドは冷戦時代、「非同盟」を掲げ、東西両陣営から距離を置いた。だが、3度の印パ戦争を経て軍備の近代化を急ぐ中で、低価格、インドの通貨ルピーでの決済可能という有利な条件で兵器を提供したのは旧ソ連だ。その後、軍事面を通じた蜜月はロシアに引き継がれた。近年、インドにとって中国と国境をめぐる摩擦が続く中、ロシアは装備品の有力提供元として無視できない相手だ

  また、ウクライナには2月中旬時点で約2万人のインド人がおり、既に戦闘に巻き込まれて1人が死亡した。ロシアを過度に刺激すれば、自国民の安全確保に影響が出かねず、インドが踏み込んだ批判に出づらい原因の1つとなっている
  ただ、対露融和姿勢を続ければ、日米豪との連携に隙間風が吹く可能性がある。インドにとって中国と対峙(たいじ)する上でマイナスに働く。モディ政権の弱腰ともいえる姿勢に対し、野党国民会議派のチダンバラム元財務相は「勇敢に声を上げ、ロシアに攻撃を直ちに中止するよう要求しなければならない」と指摘。政府に厳しい対応を求めた。



2021.05.19-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/210519/wor2105190024-n1.html
インド、1日で4500人超死亡 新型コロナ

  【シンガポール=森浩】インド政府は19日、過去24時間の新型コロナウイルスによる死者は4529人になったと発表した。1日としての死者は2日連続で国内の過去最多を更新した。1日当たりの新規感染者が40万人を超えた今月上旬に感染した人が亡くなっているもようだ。

  地元メディアによると、国内では依然として病床や医療用の酸素が不足しており、日本を含む各国が支援に乗り出したものの、特に農村部で医療崩壊といえる状況が続いている。一方、19日発表の過去24時間の新規感染者は約26万7000人で、3日連続で30万人を下回った。首都ニューデリーなどで行われているロックダウン(都市封鎖)の効果が出ているとされている。
  インドは国内需要を優先させるために国産ワクチンの輸出を一時取りやめているが、ロイター通信によると、少なくとも10月までは再開できない見通しだという。ワクチンを共同購入して途上国に供給する枠組み「COVAX(コバックス)」はインド製ワクチンの大量購入を予定していただけに、インドの深刻な感染状況は世界の接種計画に影響を与えている。


2021.05.14-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/210514/wor2105140018-n1.html
コロナ拡大のインド、モディ政権に逆風 宗教行事、選挙活動規制せず

  【シンガポール=森浩】新型コロナウイルスの変異株が猛威を振るうインドで、モディ首相への批判が強まっている。宗教行事や選挙活動などで規制を怠ったとして、支持率は低下傾向にある。国産ワクチンの輸出で、国際社会での存在感向上を目指すモディ氏だが、国内の反発拡大が政権の基盤も揺るがしかねない事態になってきた。

  インドでは昨年9月ごろに感染「第1波」があり、いったん拡大を押さえ込んだかに見えたが、今年3月下旬から再び上昇に転じた。今月14日午前までの24時間に約34万人の新規感染を確認。死者数は26万人を超えた火葬用の薪が高騰し遺体遺棄も続出。東部ビハール州のガンジス川で10日、71の遺体が浮かんでいるのが見つかった。

  こうした状況は高い人気を誇ったモディ氏への逆風になった。米調査会社「モーニング・コンサルト」によると、11日時点のモディ氏の支持率は63%。4月上旬と比べ、10ポイント程度、下落した。野党陣営や医療専門家はモディ政権が適切な感染防止対策を取っていないと批判を強めている。
  とりわけ非難が集中しているのが、人が密状態になる集会が容認されていたこと。4月にはガンジス川で身を清めるヒンズー教の祭典「クンブ・メーラ」が実施され、数百万人が参加した結果、大規模なクラスター(感染集団)発生につながった。モディ氏率いるインド人民党(BJP)はヒンズー教信者が支持層なだけに、重要な宗教行事で厳しい規制は難しかった。
  また、3~4月には5州・地域で地方議会選が実施され、モディ氏らBJP幹部が現地入りし、各地で選挙集会も行われた。「(第1波の後)モディ政権は『インドは新型コロナを打ち負かした』と本気で信じていた」とシンガポール国立大学南アジア研究所のロノジョイ・セン氏は、その後の気の緩みを指摘した。

  批判の高まりに対し、モディ政権は会員制交流サイト(SNS)上での批判的なコメント削除を要請するなど“言論統制”に乗り出した。しかし、複数の批判投稿が削除された結果、さらに強い反発も招いた。
  BJPは2019年の総選挙で大勝し、全国的に支持層は厚い。ただ、地元紙ヒンドゥスタン・タイムズは、「国民の間に政策実行能力に不信感が生まれている。感染第2波は、モディ政権の負の遺産になるかもしれない」と分析した。


2021.05.08-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210508/k10013019051000.html
インド 1日の死者が4000人超える 医療体制は深刻な危機に

  新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大が続くインドでは、医療体制の危機的な状況が続き、1日当たりの死者が初めて4000人を超えました。現地には8日、日本からの緊急援助として医療物資が到着しました。

新規感染者は3日連続で40万人超
  インド政府は8日、新たに40万1078人が新型コロナウイルスに感染していることが確認されたと発表し、1日当たりの新規感染者は3日連続で40万人を超えました。また、新たに4187人が亡くなったことが確認されました。1日当たりの死者としてはこれまでで最も多く、4000人を超えるのは初めてです。

  感染拡大に伴って、インド各地で医療用酸素と病床の不足により適切な治療を受けられずに亡くなる人が相次ぎ、医療体制が深刻な危機に陥っています
  首都ニューデリーの地元政府は、海外から提供された酸素の生成装置が複数の病院に設置され始め、酸素の供給量が増えつつあると説明しています。
  しかし今月6日時点でも、ニューデリー全体で供給できる酸素の量は必要量のおよそ6割にとどまっていて、依然酸素不足が続いています
日本からの緊急援助の第1弾到着
  こうした中、日本からの緊急援助の第1弾として主に重症者の治療に使われる酸素濃縮器100台が現地時間8日午後に到着しました。
  インド政府は海外から続々と届く医療物資を各州に配布し、医療体制の整備を進めることにしています。


2021.01.29-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/210129/wor2101290035-n1.html
インド、露防空システム導入を準備 将兵団派遣…米は反発か

  【モスクワ=小野田雄一】ロシアのクダシェフ駐インド大使は、露最新鋭防空システム「S400」の導入を計画しているインドが、操作訓練のために100人規模の将兵団をロシアに派遣すると明らかにした。米国はインドのS400導入に反対しており、米印関係に一定の影響が出るのは確実だ。今後の推移次第では、中国を念頭に日米豪印が連携する「自由で開かれたインド太平洋」構想に冷や水が浴びせられる事態にもなりかねない。

  イタル・タス通信によると、クダシェフ氏は今月19日、印将兵団のロシア派遣に言及し、「契約段階から実践段階への重要な移行だ」と評価。印国防省筋も派遣を認めた。派遣時期は「近く」とされ、具体的には明らかにされていない。
  S400は対空ミサイルやレーダー、運搬車両などで構成。射程400キロで航空機やミサイルなどを撃ち落とせる。これまでに中国とトルコが導入している。
  露印のS400調達契約は2018年に締結。インドは約54億ドル(約5600億円)を支払い、5連隊分のS400を調達するとした。調達開始は今年秋以降の予定。インドは防空力を強化し、緊張関係にある中国やパキスタンを牽制(けんせい)したい考えだ。一方、ロシアにはS400輸出を通じ、米印を引き離したい思惑もにじむ。
  露印は伝統的に兵器調達で友好関係にあるが、両国のさらなる接近を警戒する米国はインドにS400導入の再考を求めてきた。米国はS400を導入した北大西洋条約機構(NATO)加盟国のトルコに昨年12月、制裁を発動した。
  
 インドは米国の制裁リスクを解消した上でS400調達を始める考えだが、ロイター通信は今月、「対露強硬派のバイデン米政権からインドが制裁を免除される可能性は低い」とする関係筋の観測を伝えた。


2021.01.25-産経新聞 THE SANKEI NEWS -https://www.sankei.com/world/news/210125/wor2101250029-n1.html
インド、「ワクチン外交」強化 相次ぎ無償提供 中国に対抗、影響力拡大狙う
(1)
  【シンガポール=森浩、北京=三塚聖平】途上国が新型コロナウイルスのワクチン確保に苦しむ中、インドが無償提供を通じてワクチン外交」に乗り出した。手始めに近隣諸国への無償提供を開始し、順次拡大していく方針モディ首相は「インドのワクチンは世界を救う」と強調しており、アジア各国で影響力を強める中国にワクチンで対抗していく構えだ。

  「世界の薬局として新型コロナを克服するため、(ワクチンを)供給する」
  インドのジャイシャンカル外相は19日、無償提供に先立って、こうツイートした。インドはジェネリック医薬品(後発薬)大国で、世界のワクチンの6割を製造した実績がある。「世界の薬局」という自信は、その製造能力によるものだ。
  インドは翌20日以降、ミャンマーに150万回分▽ネパールに100万回分▽バングラデシュに200万回分-をそれぞれ無償で提供。ブータンとモルディブにもそれぞれ15万回分、10万回分を空輸した。提供したのは、いずれも英製薬大手アストラゼネカが開発し、インド企業が製造したものだ。インド政府はこのワクチンの商業輸出も認め、22日にはブラジルとモロッコに向け出荷された。
  提供先の各国は近年、中国が巨大経済圏構想「一帯一路」による資本投下などを通じて存在感を高めている。インドが伝統的に影響力を保持してきた国も多く、ワクチン提供を通じて対抗する狙いがある。

  ネパールは、インドのワクチンについて「善意を示している」とのコメントを発表。同じ共産党政権である中国と関係が深まる中、インドに感謝を示した。バングラデシュは当初、中国の製薬大手、科興控股生物技術(シノバック・バイオテック)製ワクチンの国内臨床試験(治験)を開始する予定だったが、費用負担で同社と折り合いがつかず頓挫。インドのワクチンに飛びついた。
(2)
  インドと同じくワクチン外交を強化する中国は、王毅国務委員兼外相が今月に入ってアフリカと東南アジアを歴訪し、各国で医療面での協力を申し入れたばかりだ。ミャンマーでは王氏もワクチン30万回分の無償提供を約束しており、中印による“提供合戦”の様相を呈している。
  中国はインドに対抗するように、インドの隣国で宿敵であるパキスタンに50万回分のワクチンの無償提供を決めた。パキスタン側が21日明らかにした。
  中印はインド北部カシミール地方で両軍による対峙が継続しており、関係が冷え込んでいる。インド外務省関係者は「ワクチン提供を通じた対立も激化していく」とみている。中国外務省の趙立堅(ちょう・りつけん)報道官は25日の記者会見で、インドのワクチン外交について「質の悪い競争や対立をすべきでない」と発言。インドの動きを牽制(けんせい)した。


2021.01.20-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/210120/wor2101200008-n1.html
【マーライオンの目】多難、インド接種計画

  「接種を迷っている」。インドで16日から新型コロナウイルスのワクチン接種が始まったが、インドの友人からこんなメッセージが届いた。モディ首相は「世界最大のワクチン接種計画だ」と力を込めているものの、熱意とは裏腹に国民からは接種をためらう声が上がっている形だ。
   最大の理由は、政府が承認した地元製薬会社開発のワクチン「コバクシン」だ。昨年12月下旬に最終段階の臨床試験(治験)を開始したばかりで、政府や企業側は有効性を公表していない。政府は安全性を繰り返し強調するが、医師から承認に疑問を呈する声が上がっている。モディ政権が「インド企業が開発したワクチン」の導入を急いだ-と、ささやかれている。
   政府は英アストラゼネカが開発したワクチンも承認したが、国内生産はインド企業が請け負っている。モディ氏は「2つのインド製ワクチン」と繰り返し強調しており、防疫を国威発揚と結びつけている様子がうかがえる。ナショナリズムを刺激して求心力向上を狙うモディ氏得意の手法といえるだろう。
   人口13億を抱える国内全体への安定供給も課題だが、国民の間で、冒頭のように接種を躊躇(ちゅうちょ)する声が広がりを見せる可能性もある。「世界最大の接種計画」は多難といえそうだ。(森浩)



2020.8.8-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200808/k10012557881000.html
インドで旅客機事故 16人死亡100人以上けが

  インド南部ケララ州の空港で、7日夜、乗客乗員190人が乗った旅客機が着陸の際に滑走路を大きく外れて大破し、これまでに16人が死亡、100人以上がけがをしました。
  インド南部ケララ州コジコーデにある国際空港で、日本時間の7日午後11時すぎ、ボーイング737型旅客機が着陸の際に滑走路を大きく外れ、斜面を滑り落ちるようにおよそ10メートル下の崖下に転落しました。
  機体は、2つに折れ、前方が原形をとどめないほど激しく壊れていて、航空当局などによりますと乗客乗員合わせて190人のうち、これまでにパイロットを含む16人の死亡が確認され、100人以上がけがをしたということです。
  この旅客機は新型コロナウイルスの影響で帰国できなくなっている自国民を帰国させるためにインド政府がチャーターした、格安航空会社のエア・インディア・エクスプレスが運航する機体で、中東のアラブ首長国連邦のドバイを出発し、ケララ州のコジコーデに向かっていたということです。
  地元メディアによりますと事故当時、現場周辺は大雨で視界が悪い状態で、旅客機は事故の直前に着陸しようとしてやりなおしていたということで、航空当局が詳しい原因を調べています。
フライトレーダーでも高度上下し旋回
  旅客機が発信する情報をもとに飛行コースなどを公開している民間のホームページ、「フライトレーダー24」によりますと、事故を起こした旅客機は日本時間の7日午後10時53分ごろ、ケララ州コジコーデの国際空港の上空で高度をおよそ600メートルまで下げましたが着陸はせず、北西に進路を変えながらいったん高度を上げていました。
  その後、空港周辺の上空を旋回し、16分後の日本時間の7日午後11時9分ごろ、空港の上空で高度をおよそ280メートルまで下げたところで記録が途絶えていました。


2020.6.26-Yahoo!!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/de257a83c97d6ff462b9b80dd6a36cdcd1032b2a
対中国、コロナ拡大、バッタ…三重苦のインド・モディ政権

  【シンガポール=森浩】インドのモディ首相が“三重苦”ともいえる内憂外患に悩まされているインド軍20人が死亡した北部カシミール地方ラダックでの中国軍との衝突をめぐり、対話の姿勢を打ち出す政権に対し、反中の機運が盛り上がる国内で批判も集まる新型コロナウイルス感染拡大も収まらず、サバクトビバッタの襲来も頭痛の種だ。ヒンズー至上主義を掲げ、強い指導者像を打ち出してきたモディ氏だが、対応を間違えれば支持離れにつながりかねない状況だ。

中国がラダックで取った措置に、国全体が傷つき怒りを感じている
  モディ氏は19日、全政党の代表を交えた会議で中国との衝突についてこう発言した。一方で「インドは平和と友好を望んでいるとも付け加え、踏み込んだ中国批判は避けている。「モディ氏は外交的に解決できると考えているのだろう」と、中印関係に詳しい印ジンダル・グローバル大のスリパルナ・パサク准教授は分析する。
   インドは中印国境紛争(1962年)の敗北以降、中国との軍事面での対立を強く警戒する意向が働く。事実上の国境である実効支配線(LAC)付近では道路などのインフラ整備に差があり、軍の展開の速度や規模は中国に劣るという分析もある
   ただ、45年ぶりに中国との衝突で死者が出たことで、国内では中国への反発が広がる
  習近平国家主席の顔写真を燃やす抗議のほか、首都ニューデリー近郊にある中国スマートフォン大手「OPPO(オッポ)」の工場近くで不買を呼びかけるデモも起きた。ニューデリーの一部では中国人の宿泊拒否を宣言するホテルも登場している。モディ氏の姿勢は弱腰とも取られており、野党側は批判を強めている。
   内政面に目を向けると、国内の新型コロナの感染者は増加の一途で49万人を超え、米国、ブラジル、ロシアに次いで世界で4番目に多い。3月下旬にロックダウン(都市封鎖)を宣言した際の感染者は約600人で、爆発的な増加といえる。深刻なのが雇用への打撃で、民間調査によると5月のインド全体の失業率は23%に達している。モディ政権は経済活動の段階的な再開に乗り出しているが、衛生対策との両立に苦慮している。
   また、5月からは中東やアフリカで発生したサバクトビバッタが「過去26年で最悪の規模」(地元専門家)で襲来。農業が盛んな西部ラジャスタン州では広大な農地で作物に被害が出た。今後、雨期の作物の植え付けが本格化する時期で、影響が懸念されている。パサク氏は「コロナ以前からの経済低迷もあり、国内で不満は蓄積されている。中国に対しては『新型コロナを発生させた国』としての反発も強く、弱い姿勢を見せることは政権の強い逆風となって跳ね返ってくるだろう」と指摘している。


2020.5.12-Sankei Biz-https://www.sankeibiz.jp/macro/news/200512/mcb2005121829026-n1.htm
インド国鉄が一部で運行再開 モディ政権、感染者増でも経済再開目指す

  【シンガポール=森浩】新型コロナウイルスの拡大阻止のためのロックダウン(都市封鎖)が続くインドで12日、中止されていた国鉄の運行が一部路線で再開された。モディ首相は経済活動や企業活動を通常に戻したい考えだが、国内ではロックダウンでも感染拡大に歯止めがかかっておらず、慎重意見も根強い。
  運行が再開されたのは、首都ニューデリーと西部ムンバイなどの大都市を結ぶ1日15本の列車。再開する路線を拡大したい方針で、モディ氏は「経済活動を活性化させるために必要だ」と意義を強調した。

  3月25日から始まったロックダウンは、2回延長されており、現在の期限は今月17日までとなっている。だが、経済活動の停止が日雇い労働者ら都市貧困層の失業につながり、徒歩で故郷を目指す人の列が社会問題化した。4月の新車販売台数がゼロになるなど国内産業への影響も大きく、地元格付け機関はロックダウンがインド全体で1日当たり約46億ドル(約5千億円)の損失を生んでいると試算している。
  こうした負の影響に危機感を募らせた政府は今月1日、感染の実態に合わせて3つの区分を設定し、感染状況を見ながら、地域ごとに段階的に規制を緩和していく方針を明らかにした。モディ氏は11日の国内各州の知事とのテレビ会議で、「感染率を下げることと、市民活動を増やすことを同時に行う」と説明した。
  一方、国内の感染者数は増え続けており、ロックダウン開始時の約600人が12日には7万人を超えている早期の経済活動再開は感染拡大に拍車を掛けることにもなりかねず、印紙トリビューンは「経済活動の再開は、(感染者が)増加する曲線が平坦(へいたん)になることと並行して行われるべきだ」と指摘している。



2019.12.9-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191209/k10012207371000.html
性的暴行証言の女性 火をつけられ死亡 怒りの声広がる インド

インドで今月5日、23歳女性が性的暴行を受けたとして、裁判所へ証言に向かう途中、複数の男らに火をつけられ、死亡しました。この事件を受けて、インド各地では抗議デモが行われるなど、怒りの声が広がっています。
  インド北部のウッタルプラデシュ州で今月5日、23歳女性が性的暴行を受けたとして、裁判所へ証言に向かっていたところ、5人の男らに灯油をかけられたうえ、火をつけられて死亡しました。
  5人は逮捕され、このうち2人は、女性に性的暴行を加えた疑いのある容疑者だったことが分かり、警察が調べを進めています。
  事件を受けて7日、インド国内では首都ニューデリーなど各地で、性暴力の撲滅と加害者の処罰を求める抗議デモが行われ、参加した人たちは「被害者に正義を」などと書かれたプラカードを持って行進しました。
  インドでは先月にも、27歳女性が集団で性的暴行を受けて殺害されたあと、遺体を焼かれる事件が起きていて、女性への性的暴行が深刻な社会問題となる中、国民の間には怒りの声が広がっています。


2019.11.9-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/191109/wor1911090011-n1.html
インド最高裁、聖地にヒンズー寺院建設許可 イスラム教徒反発か

【シンガポール=森浩】インド最高裁は9日、ヒンズー教とイスラム教が帰属をめぐって対立していた北部ウッタルプラデシュ州アヨディヤの聖地について、ヒンズー教寺院の建設を認める判断を示した。国内のイスラム教徒の反発は必至で、抗議活動に発展する可能性もある。
 アヨディヤにはイスラム系王朝だったムガル帝国時代の1528年にモスク(イスラム教礼拝所)が建立されたが、ヒンズー教徒側は「以前はヒンズー教寺院があった」と主張。1992年に2万人以上のヒンズー教徒がモスクを破壊し、宗教対立に発展した。一連の衝突で約2千人が死亡したとされる。
 最高裁は9日の判決で、土地はヒンズー教グループに引き渡されるとし、政府の管理下で寺院を建設するよう求めた。イスラム教徒グループには「別の土地が提供される」とした。
 モディ首相は2014年の総選挙で、この土地でのヒンズー教寺院建設を公約にしていた。モディ氏は判決について「誰の勝利でも敗北でもない」として平静を呼び掛けたが、ヒンズー教至上主義を掲げる政権には一定の追い風になるとみられる。


2019年3月

インド問題 パキスタン
  領有権を争うカシミール地方で緊迫が高まっている。発端はインド北部ジャム・カシミール州で2月14日に起きたインド治安部隊40人が死亡するテロ。
     パキスタンに拠点を置くイスラム過激派が犯行声明を出し、事態はインド軍による空爆やパキスタン軍によるインド機撃墜などに発展した。ただカシミール
     地方での住民は、銃撃戦で住宅などを破壊され受難の毎日を迎えている。(2019.3.11)
インド問題 中国問題
  チベット仏教最高始動者ダライ・ラマ14世のインド亡命の契機となった「チベット動乱」(1959年3月10日発生)から60年経た10日、亡命チベット人が多く住む
     インドの首都ニューデリーで中国のチベット支配に抗議する大規模なデモがおこなわれた。(2019.3.11)
2019年2月
インド政府は26日、インド軍機がパキスタン領有権を争うカシミール地方の停戦ラインを超えて空爆を行ったと発表。テロリスト(300人以上)の拠点に絞って
     攻撃した。パキスタンは「テロ」との関与を否定し非難の応酬が続いている。(2019.2.27)
シャム・カシミール地方の領有権問題で、インドとパキスタン両国が非難の応酬をしている。(2019.2.16)
かって日本でも「士農工商」制度があったとされるが、今では皆無となった日本だが、現在でも残るインドの「カースト制度」、さらにその外部の下層組織である
     「ダリット(不可触民)」の現状の生活を考える。(2019.2.8)
2019年1月
インドの貧困地域での治療費が払えず死の危険を迎えている児童を救おうと千葉の「天徳寺」の住職・二神成尊さん、現地の学校経営の百瀬夕子
     さんらが中心となって寄付を募っている。(2019.1.23)
インド南部ケ-ララ女人禁制ヒンズー教寺院に女性参拝で旧信者らによるデモ警察隊と衝突1人死亡、174人負傷(2019.1.6)
インド国境沿いで大規模な道路計画-インド中国で領有権で争っている場所も計画の中に入っているため、中国の反発の可能性がある。(2019.1.15)
インド:海軍力増強:対中国のインド洋進出に対抗目的か?日米は後押ししてい(2019.1.15)

2018年12月
インド:5G通信運用試験でフアーウエイの参加認め排除しない


インド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


インド英語: Republic of India)、またはインド共和国(インドきょうわこく)は、南アジアに位置し、インド亜大陸の大半を領してインド洋に面する連邦共和制国家。首都はニューデリーまたはデリー、最大都市はムンバイ
西から時計回りにパキスタン中華人民共和国ネパールブータンミャンマーバングラデシュ国境を接する。海を挟んでインド本土がスリランカモルディブと、アンダマン諸島インドネシアに近接している。インド本土は、インド洋のうち西のアラビア海と東のベンガル湾という2つの海湾に挟まれて、北東部をガンジス川が流れている。
1947年イギリスから独立。インダス文明に遡る古い歴史、世界第二位の人口を持つ。国花、国樹は印度菩提樹国獣ベンガルトラ国鳥インドクジャク、国の遺産動物はインドゾウである。

概要
インドは南アジア随一の面積(世界では7位)と世界第2位の人口を持つ大国である。13億人を超える国民は、多様な民族言語宗教によって構成されている。総人口は2020年代に中華人民共和国を抜いて世界最大になると国際連合により予測されている。
  南にはインド洋があり、南西のアラビア海と南東のベンガル湾に挟まれている。西はパキスタン、北東は中国ネパールブータン、東はバングラディッシュミャンマーと地境になっている。インド洋ではスリランカモルディブが近くにあり、アンダマン・ニコバル諸島ではタイインドネシアとの間に海上の国境がある。
  インド亜大陸の歴史紀元前3千年紀インダス文明にさかのぼる。その時代において数々の最古の聖典はヒンドゥー教としてまとまっていった。紀元前1千年紀には、カーストに基づく身分制度が現れ、仏教ジャイナ教が起こった。初期の統一国家はマウリヤ朝グプタ朝において成立したが、その後は諸王朝が南アジアにおいて影響を持った。中世ではユダヤ教ゾロアスター教キリスト教イスラム教が伝わり、シク教が成立した。北の大部分はデリー・スルターン朝に、南の大部分はヴィジャヤナガル王国に支配された。17世紀ムガル帝国において経済は拡大していった。18世紀の半ば、インドはイギリス東インド会社の支配下に置かれ、19世紀半ばにはイギリス領インド帝国となった。19世紀末に独立運動が起こり、マハトマ・ガンディーの非暴力抵抗や第二次世界大戦などのあと、1947年に独立した。  2017年、インドの経済は名目GDPにおいて世界第7位であり、購買力平価では世界第3位である。1991年に市場を基盤とした経済改革を行って以降、急速な経済成長をしており、新興国と言われるようになった。しかし、貧困や汚職、栄養不足、不十分な医療といった問題に今もなお直面している。労働力人口の3分の2が農業に従事する一方、製造業とサービス業が急速に成長している。国民の識字率は74.04パーセントである。ヒンドゥー教徒がもっとも多く、イスラム教シーク教がこれに次ぐ。カースト制度による差別は憲法で禁止されているが、今でも農村部では影響は残っている。アジア開発銀行はインドの中間層が向こう15年間で人口の7割に達するとしている

  連邦公用語ヒンディー語だが、ほかにインド憲法で公認されている言語が21あり、おもな言語だけで15を超えるため、インド・ルピーの紙幣には17の言語が印刷されている。議会制民主主義国家であり、有権者数8億人と世界最大である。州政府が一定の独立性を持っているため、各州に中央政府とは別に政府があり大臣がいる。核保有国そして地域大国であり、世界で2番目に多い常備軍を保有し、軍事支出は世界で5番目である。

歴史
ヴェーダ時代からラージプート時代まで
紀元前2600年ごろから前1800年ごろまでの間にインダス川流域にインダス文明が栄えた。前1500年ごろにインド・アーリア人トリツ族バラタ族プール族など)がパンジャーブ地方に移住。のちにガンジス川流域の先住民ドラヴィダ人を支配して定住生活に入った。インド・アーリア人は、司祭階級(バラモン)を頂点とした身分制度社会(カースト制度)に基づく社会を形成し、それが今日に至るまでのインド社会を規定している。インド・アーリア人の中でも特にバラタ族の名称「バーラタ」は、インドの正式名称に使われており、インドは「バラタ族の国」を正統とする歴史観を表明している。
  前6世紀には十六大国が栄えたが、紀元前521年ごろに始まったアケメネス朝ダレイオス1世によるインド遠征で敗れ、パンジャブシンドガンダーラを失った。前5世紀に釈迦が仏教を説いた。紀元前330年ごろ、アレクサンドロス3世東方遠征では、インド北西部のパンジャーブで行われたヒュダスペス河畔の戦いポロス率いるパウラヴァ族が敗北したものの、アレクサンドロス軍の損害も大きく、マケドニア王国は撤退していった。撤退の際も当時の現地の住民であるマッロイ人の征服が行われた(マッロイ戦役)。紀元前317年チャンドラグプタによってパータリプトラを都とする最初の統一国家であるマウリヤ朝マガダ国が成立し、紀元前305年ごろにディアドコイ戦争中のセレウコス朝セレウコス1世からインダス川流域やバクトリア南部の領土を取り戻した。紀元前265年ごろ、カリンガ戦争カリンガ国(現・オリッサ州)を併合。このころ、初期仏教の根本分裂が起こった。紀元前232年ごろ、アショーカ王が死去すると、マウリヤ朝は分裂し、北インドは混乱期に入った。
  ギリシア系エジプト人商人が著した『エリュトゥラー海案内記』によれば、1世紀にはデカン高原サータヴァーハナ朝ローマ帝国との季節風交易で繁栄(海のシルクロード)。3世紀後半にタミル系のパッラヴァ朝、4世紀にデカン高原カダンバ朝が興り、インドネシアのクタイ王国タルマヌガラ王国に影響を及ぼした。
  これらの古代王朝のあと、5世紀に、グプタ朝北インドを統一した。サンスクリット文学が盛んになる一方、アジャンター石窟エローラ石窟群などの優れた仏教美術が生み出された。5世紀から始まったエフタルのインド北西部への侵入は、ミヒラクラの治世に最高潮に達した。仏教弾圧でグプタ朝は衰退し、550年ごろに滅亡した。7世紀前半ごろ、玄奘三蔵ヴァルダナ朝および前期チャールキヤ朝を訪れ、ナーランダ大学で学び、657部の仏教経典を中国()へ持ち帰った。7世紀後半にヴァルダナ朝が滅ぶと、8世紀後半からはデカンのラージプート王朝のラーシュトラクータ朝、北西インドのプラティーハーラ朝ベンガルビハール地方のパーラ朝が分立した。パーラ朝が仏教を保護してパハルプールの仏教寺院(現在はバングラデシュ領内)が建設され、近隣諸国のパガン仏教寺院アンコール仏教寺院ボロブドゥール仏教寺院の建設に影響を与えた。日本でも同時期に東大寺が建立された。10世紀からラージプート王朝のチャンデーラ朝カジュラーホーを建設した。

北インドのイスラム化と南インドのヒンドゥー王朝
11世紀初めより、ガズナ朝ゴール朝などのイスラムの諸王朝が北インドを支配するようになった。
一方、南インドでは、10世紀後半ごろからタミル系のチョーラ朝が貿易で繁栄した。11世紀には北宋との海洋貿易の制海権を確保する目的で東南アジアシュリーヴィジャヤ王国に2度の遠征を敢行し、衰退させた。
13世紀にゴール朝で内紛が続き、アイバクデリー・スルターン朝奴隷王朝)を興してデリーに都を置き、北インドを支配した。バルバンの治世からモンゴル帝国の圧力が始まった。14世紀初頭にデリー・スルターン朝ハルジー朝)がデカン、南インド遠征を行い、一時は全インドを統一するほどの勢いを誇った。アラー・ウッディーン・ハルジーの治世にはチャガタイ・ハン国がたびたび侵攻してきた。デリー・スルターン朝トゥグルク朝)は、内紛と1398年ティムールによるインド北部侵攻で衰退し、独立したヴィジャヤナガル王国バフマニー朝(その後ムスリム5王国に分裂した)へと覇権が移った。

ヴィジャヤナガル王国
14世紀前半から17世紀半にかけてデリー・スルターン朝から独立したヴィジャヤナガル王国が南インドで栄え、16世紀前半クリシュナ・デーヴァ・ラーヤ王の統治の下、王国は最盛期を迎えた。
  しかし、1565年ターリコータの戦いデカン・スルターン朝に負け、ヴィジャヤナガル朝は衰退していき、王国最後の名君ヴェンカタ2世(位1586 - 1614)の奮闘もむなしく、その没後王国は滅亡した。デカン・スルターン朝も、その後はお互いに争うようになり、ムガル帝国がムスリム5王国全域を支配した。

ムガル帝国
16世紀、ティムール帝国の末裔であったバーブル北インドへ南下し、1526年にデリー・スルターン朝ローディー朝)を倒して ムガル帝国を立てた。ムガルはモンゴルを意味する。ムガル帝国は、インドにおける最後にして最大のイスラム帝国であった。3代皇帝のアクバルは、インドの諸地方の統合と諸民族・諸宗教との融和を図るとともに統治機構の整備に努めた。
  しかし、6代皇帝のアウラングゼーブは、従来の宗教的寛容策を改めて厳格なイスラム教スンナ派のイスラム法(シャーリア)に基づく統治を行ったために各地で反乱が勃発した。彼は反乱を起こしたシーク教徒や、ヒンドゥー教ラージプート族(マールワール王国メーワール王国)や、シヴァージー率いる新興のマラーター王国(のちにマラーター同盟の中心となる)を討伐し、ムスリム5王国の残る2王国ビジャープル王国1686年滅亡)・ゴールコンダ王国1687年滅亡)を滅ぼして帝国の最大版図を築いた。このころ、ダイヤモンド生産がピークを迎えた。インド産は18世紀前半まで世界シェアを維持した。
  アウラングゼーブの死後、無理な膨張政策と異教・異文化に対する強硬策の反動で、諸勢力の分裂と帝国の急速な衰退を招くことになった。

インドの植民地化
1498年ヴァスコ・ダ・ガマがカリカット(コーリコード)へ来訪し、1509年ディーウ沖海戦オスマン帝国からディーウを奪取した。1511年マラッカ王国を占領してポルトガル領マラッカを要塞化することによって、ポルトガルはインド洋の制海権を得た。このことを契機に、ポルトガル海上帝国は沿岸部ゴアに拠点を置くポルトガル領インド1510年 - 1961年)を築いた。1620年デンマーク東インド会社トランケバルデンマーク領インド1620年 - 1869年)を獲得。1623年オランダ領東インド(現・インドネシア)で起きたアンボイナ事件でイギリスはオランダに敗れ、東南アジアでの貿易拠点と制海権を失い、アジアでほかの貿易先を探っていた。
  そのような状況で、ムガル帝国が没落しイギリス東インド会社フランス東インド会社が南インドの東海岸に進出することになり、貿易拠点ポンディシェリをめぐるカーナティック戦争が勃発した。1757年6月のプラッシーの戦いでムガル帝国とフランス東インド会社の連合軍が敗れた。同年8月にはマラーター同盟デリーを占領し、インド北西部侵攻1757年 - 1758年)でインド全域を占領する勢いを見せた。1760年ヴァンデヴァッシュの戦いでフランス東インド会社がイギリス東インド会社に敗れた。
  一方、翌1761年第三次パーニーパットの戦いマラーター同盟は、ドゥッラーニー朝アフガニスタンに敗北していた。1764年ブクサールの戦いでムガル帝国に勝利したイギリス東インド会社は、1765年アラーハーバード条約を締結し、ベンガル地方ディーワーニー(行政徴税権)を獲得したことを皮切りに、イギリス東インド会社主導の植民地化を推進した。イギリス東インド会社は一連のインドを蚕食する戦争(マイソール戦争マラーター戦争シク戦争)を開始し、実質的にインドはイギリス東インド会社の植民地となった。
  インドは1814年まで世界最大の綿製品供給国で、毎年120万ピースがイギリスへ輸出されていた。これに対して、1814年のイギリスからインドへの綿製品輸出は80万ピースであった。そこで産業革命中のイギリスは関税を吊り上げてインド産製品を駆逐する一方、イギリス製品を無税でインドへ送った。1828年には、イギリスへ輸出されたインド綿布が42万ピースに激減する一方、インドへ輸出されたイギリス製綿布は430万ピースに達した。こうしてインドの伝統的な綿織物産業は壊滅した
  1824年英蘭協約でイギリスがマラッカ海峡の制海権を確立した。

1833年ベンガル総督ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンクの下でインド総督に改称。1835年からウィリアム・ヘンリー・スリーマン英語版カーリーを崇拝する殺人教団「サギー教」の掃討戦(1835年 - 1853年)を開始した。インドで栽培されたアヘンを中国へ輸出するためのアヘン戦争1840年)が行われ、三角貿易体制が形成された。イギリスは近代的な地税制度を導入してインドの民衆を困窮させた。そしてこのころにタタ財閥バンク・オブ・ウェスタン・インディアが誕生した。インド大反乱(1857 - 1858)をきっかけにして、イギリス政府1858年インド統治法を成立させてインドの藩王国による間接統治体制に入り、バハードゥル・シャー2世ビルマに追放してムガル帝国を滅亡(1858年)させた。
その後、旱魃によるオリッサ飢饉ラージプーターナー飢饉ビハール飢饉英語版大飢饉英語版が続けて発生し、藩王国からイギリス直轄領に人々が移動したため支援に多額の費用を出費する事態になった。藩王国の統治能力を見限ったイギリス政府はインドの直接統治体制に切り替えることになり、1877年イギリス領インド帝国が成立した。

イギリス統治時代(「インド独立運動」も参照)
イギリスはインド人知識人層を懐柔するため、1885年12月には諮問機関としてインド国民会議を設けた。1896年にボンベイ(現・ムンバイ)でペスト感染爆発が発生した際に強硬な住民疎開を実施したイギリスの伝染病対策官が翌年に暗殺された。このとき、関与を疑われたロークマンニャ・ティラク逮捕され、出所後に「スワラージ」を唱えた。1899年、屈辱的な金為替本位制が採用され、15インド・ルピーと1スターリング・ポンドが等価とされた。
  イギリスはインド統治に際して民族の分割統治を狙って1905年ベンガル分割令を発令したが、分割への憤りなどから却って反英機運が一層強まった。イギリスはさらに独立運動の宗教的分断を図り1906年に親英的組織として全インド・ムスリム連盟を発足させたものの、1911年にはロークマンニャ・ティラクなどのインド国民会議の強硬な反対によってベンガル分割令の撤回を余儀なくされた。

  日露戦争における日本の勝利(非白人国家による白人国家に対する勝利)などの影響を受けたこと、民族自決の理念が高まったことに影響され、ビルラ財閥などの民族資本家の形成に伴いインドの財閥が台頭し民族運動家を支援したことから、インドではさらに民族運動が高揚した。第一次世界大戦ではインド帝国はイギリス帝国内の自治領のひとつとして参戦した。挙国一致内閣インド相は戦後のインド人による自治権を約束し、多くのインド人が戦った。1916年にはムハンマド・アリー・ジンナーら若手が主導権を握った全インド・ムスリム連盟がインド国民会議との間にラクナウ協定を締結し、「全インド自治同盟」が設立された。第一次世界大戦に連合国は勝利したものの、インド統治法によってインドに与えられた自治権はほとんど名ばかりのものであった。このためインド独立運動はより活発化した。
  1919年4月6日からマハトマ・ガンディーが主導していた非暴力独立運動(サティヤーグラハ)は、1919年4月13日のアムリットサル事件を契機に、それに抗議する形でそれまで知識人主導であったインドの民族運動を幅広く大衆運動にまで深化させた。1930年には塩の行進が行われ、ガンディーの登場はイギリスのインド支配を今まで以上に動揺させた。

  第二次世界大戦においてはインド帝国はイギリスの支配の元で再び連合国として参戦したが、国民会議派はこれに対して非協力的であった。太平洋戦争にといて、有色人種国家である日本軍が、マレー半島香港シンガポールなどアジアにおいてイギリス軍を瞬く間に破り(南方作戦)、さらにインド洋でイギリス海軍に大打撃を与えて(インド洋作戦)インドに迫る中、国民会議派から決裂したチャンドラ・ボースが日本の援助でインド国民軍を結成するなど、枢軸国に協力して独立を目指す動きも存在した。
  また、インドは戦間期シティの利害と関係して、巨額の在ロンドン・スターリング残高を累増させて債権「国」となりつつあった[14]。これに先立つ1935年にインド準備銀行が創立された。1937年にビルマが独立してインドは食料輸入国へ転落した。さらに1939年の防衛費協定によって、イギリスは第二次世界大戦におけるインド軍の海外派兵費用を負担した。これらの結果1946年までに負担は13億4,300万ポンドに累積した。それはインド準備銀行のロンドン残高に英国大蔵省証券として蓄積された。インドは元々イギリスに対して債務国であったが、1942年7月から債権国となっていた。

インド国民軍と独立
1945年7月5日にイギリスで総選挙が行われアトリー内閣が誕生。その後、8月15日にイギリスを含む連合国に対し日本が降伏した。それに先立って、インパール作戦に失敗した日本軍はビルマ戦線でイギリスに押し返されていた。この「インパール戦争」(インド国民軍メンバーによる呼称)にてイギリスの排除を試みたインド国民軍の将兵3人が1945年11月、「国王に対する反逆罪」でレッド・フォート裁判にかけられ、極刑にされることが決まった。インドの民衆に伝わると国民的反発を各地で呼び、大暴動が勃発。インド独立運動の本格化につながった。さらに1946年8月16日、ムハンマド・アリー・ジンナー直接行動の日を定めると、カルカッタの虐殺が起こった。
  この暴動を受けて、イギリス本国が独立を容認し統治権を返還した。戦後にインド国民軍将兵らを処刑することへの抗議から始まった大規模な暴動で1947年8月15日に独立を勝ち取ったため、日本軍約7万8,000人とインド国民軍約2万人の日印連合軍によるインパール作戦こそが、インドを独立させた対英インド独立戦争であると元インド国民軍将兵から感謝と評価をする声がある。インドの首都デリーの中心部にはインド国民軍を指揮して日本軍とともにインパール作戦を戦ったインド独立の英雄として、かつての英国植民地支配の象徴であったレッド・フォートの方角をインド国民軍兵士らを率いて指差しているスバス・チャンドラ・ボースの銅像が建っている
  初代首相(外相兼任)にはジャワハルラール・ネルーが、副首相兼内相にはヴァッラブバーイー・パテールが就任し、この新内閣が行政権を行使した。また、1946年12月から1950年まで憲法制定議会立法権を行使し、それはインド憲法の施行後、総選挙で成立したインド連邦議会に継承された。司法権は新設置のインド最高裁判所に移行した。さらに憲法制定議会議長のR.プラサードが大統領に、不可触賎民出身で憲法起草委員長のB.R.アンベードカルが法務大臣に就任した。
  独立当初はイギリス国王君主に戴く英連邦王国インド連邦)であったが、インド内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒(ムスリム)の争いは収拾されず、1947年8月15日、前日に成立したイスラム国家パキスタン分離独立した。
  それまでインドは灌漑地面積において世界一であったが、パキスタンにはインドの公共事業で開拓された灌漑地域の半分以上が存在し、分離により総面積の3分の1に相当する2,200万エーカーを失った。作物では麦の作付面積1,520万エーカーの半分と、綿花では770万エーカーの4分の3を分離された。
  1948年1月30日、マハトマ・ガンディーは、ムスリムに対するガンディーの「妥協的」な言動に敵意を抱いていた、かつてヒンドゥー教のマラータ同盟のあったマハーラーシュトラ州出身のヒンドゥー至上主義民族義勇団」(RSS)活動家のナトラム・ゴドセによって、同じヒンドゥー教のマールワール商人ビルラの邸で射殺された。

経済戦争
1948年夏からパキスタンを伴って、イギリスとスターリング残高の取り扱いをめぐり本格的に交渉を始めた。スターリング残高は、インドが9億6,000万ポンド、パキスタンが1億7,000万ポンドとなった。インドは同年9月13日、ポロ作戦ニザーム王国を併合した。1949年春に国際収支危機へ陥り、夏に残高をめぐる再交渉が持たれた。一昨年の妥決では年間6,000万ポンド引き出せることになっていたが、再交渉により5,000万ポンドに減額された。政教分離の世俗主義という柱で国の統一を図ることになり、1949年11月26日にインド憲法が成立し、1950年1月26日に共和制に移行した。憲法施行後、1951年10月から翌年2月にかけて連邦と州の両議会議員の第一回総選挙が行われた。結果は会議派が勝利し、首相にネルーが就任した。独立後、ほかの社会主義国ほど義務教育の完全普及や身分差別廃止の徹底はうまくいかず、英国資本によるプランテーションへの投資も続いた。近年においても小学校さえ行けない子も多く貧富の差も激しい。しかも、これは計画経済の結果であった。
  1951年、アメリカ合衆国、イギリス、ソ連西ドイツの支援を得てインド工科大学第1校が設立された。1952年2月に結んだ5年間の英印協定では、インド政府がロンドンに3億1,000万ポンドのスターリング残高を持つことが確認され、毎年3,500万ポンドの引き出しが認められた。同1952年、パキスタン分離で失われた生産力を底上げするため農業改革が行われ、小作地取上げを激化させた。改革は、綿花、さとうきび、ジュートなどへのモノカルチャー化と結合して進められたが、小農は経費を出せなかったため、収益性の高い作物栽培から疎外された。このとき綿花は世界で価格を暴落させていた。1954年フランス領インドが返還されてポンディシェリ連邦直轄領となった。翌年3月、ソ連との間にビライ製鉄所建設の援助協定が調印された。1955年5月の第13回キッサン・サバ大会では、同党が農業改革に抗議した結果、土地の取り上げを禁じる小作法が成立したものの、同法の実効性が不十分であることが報告された
  1956年1月19日、インドは国内の生命保険を国有化した。国有化の対象にプルデンシャルが含まれていた。6月19日にインド生命保険会社法が成立し、9月1日にはインド生命保険会社が創設された。1956年、インドは西ドイツの主要な輸出先であった(8億マルク超)。
  1957年、インドのスターリング残高がほとんど枯渇した。翌年から世界銀行などから多額の借款を得た。このときにコンソーシアム立ち上げを主導したのがネルーの甥であった。こうして米系銀行がインドの資金を出すようになり、B・K・ネルーは1961年に駐米大使となった。1961年12月、インドのゴア軍事侵攻が起き、1961年12月19日にポルトガル領インドがインドに併合された。1962年中印国境紛争が勃発、アクサイチンを失った。1955 - 63年のソ連圏から低開発諸国向けの経済援助において、全対象29か国においてインドが最大の被援助国であった(エジプトとインドネシアが順に続いた)。
  1964年、当時に発生した飢饉を教訓に、インド食料公社が設立された。生産者から米・小麦・砂糖・食用油などの作物を最低支持価格で買上げ、政府が定める中央卸売価格を基準に公正価格店に卸す体制が作られた。消費者が妥当な価格で食料を購入できる公平なシステムとされているが、市場原理との齟齬や政府・外資の癒着が問題となっていった。差し迫った次元では小麦と食用油の完全自給ができていない(2003年でも自給率はそれぞれ85パーセントと68パーセント)。

インド国民会議政権
1964年にはネルーが死去し、その後継のラール・バハードゥル・シャーストリー1966年に死去すると、同年から長期にわたってジャワハルラール・ネルーの娘、インディラ・ガンディー国民会議派政権を担った。東西冷戦時代は、非同盟運動に重要な役割を果した国であったが、カシミール問題と、3度の印パ戦争が勃発し、長く対立が続いた。特に第三次印パ戦争1971年12月3日 - 12月16日)にはソ連とインドがともに東パキスタンを支援して軍事介入し、パキスタンを支援する中華人民共和国と対立した。インドとソ連の関係が親密化したことは、中ソ対立ニクソン大統領の中国訪問1972年2月)へも大きな影響を与えた。1972年7月、シムラー協定バングラデシュ独立をパキスタンが承認した。
  1973年1月1日、生命保険以外の保険業を国有化し、(11月22日に)持株会社を創設した。持株会社は、国有化の対象となった総合保険大手4社の上に置かれた。なお、東京海上火災保険が日本勢として国有化の対象となった。国有化は、多国籍企業が国際世論に攻撃される中で、インド債券を国内資本で消化するために行われた。これで工業製品全般を国内生産することができるようになった。1974年5月18日、コードネーム「微笑むブッダ」が成功し、世界で6番目の核兵器保有国となった。
  オイルショックが自立しかけたインド経済を停滞させた。保護主義を採用しながら公営の重化学工業を発展させようとして財政を圧迫した。1975 - 77年に人口抑制策が苛烈となり、貧困層の多い北部の州を中心に精管切除を行った1976年11月2日、憲法前文に「われわれインド国民は、インドを社会主義・世俗主義的民主主義共和制の独立国家とし、すべての市民に保証することを厳かに決意する」と議会制民主主義国家であると同時に社会主義の理念が入った。
  インディラ・ガンディー政権は強権的な姿勢により支持を失い、1977年の選挙ではジャナタ党を中心とする野党連合に敗れて下野し、独立後初の政権交代が起こった。しかし成立したモラルジー・デーサーイー政権は内部分裂によって支持を失い、1980年の選挙では、インディラ・ガンディーと国民会議派が返り咲いた。インディラはその後も首相の座を維持したが、1984年6月に実施したシク教過激派に対するブルースター作戦への報復として、同年10月シク教徒のボディガードにより暗殺された。そこで息子のラジーヴ・ガンディーが首相を引き継いだ。1983年、隣国でスリランカ内戦が勃発したため平和維持軍を派遣した。1987年4月、ボフォール社からの兵器(野砲)購入をめぐる大規模な汚職事件が明るみに出た[28]。ラジーヴ首相も関わっているのではないかとの疑惑が広まった。これは1989年11月の解散総選挙につながった。1991年5月にタミル系武装組織タミル・イーラム解放のトラ自爆テロでラジーヴも暗殺された。
  後を継いだナラシンハ・ラーオ政権では、マンモハン・シン蔵相の元で1991年7月から始まった経済自由化によってIT分野で急成長を遂げた。インドはこの年に外貨保有が尽きて債務不履行となりかけていた。例によって国際的な援助を受けたため、外国企業の出資制限を緩和するなどの優遇措置をとった。それまで株式発行はいかなる企業も12か月に1度以上行うことができなかった。1992年、インド証券取引監視法(SEBI法)が制定され、その制限は撤廃されたのである。同年12月、アヨーディヤーのイスラム建築バーブリー・マスジドヒンドゥー原理主義者らに破壊される事件が発生、宗派対立となった。1993年、上場銘柄の株式売買が外国機関投資家に許可された。同年1月、インドはロシアと友好協力条約を結んだ。翌年9月、インド西部でペストが流行した。

インド人民党政権
1996年の総選挙でインド人民党が勢力を伸ばしアタル・ビハーリー・ヴァージペーイー政権が誕生した。ルック・イースト政策を掲げてアジア諸国との関係も重視。1997年2月、パンジャーブ州が農業に対する電力供給を州の負担で無料化した。6月25日、初の不可触賎民出身の大統領、コチェリル・ラーマン・ナラヤナンが就任した。
  1998年5月11日と13日、ヴァージペーイー政権がコードネーム「シャクティ」を突如実施。「核保有国」であることを世界に宣言した。5月28日と5月30日にはパキスタンによる初の核実験が成功し、日米がインド・パキスタン両国に経済制裁を課した。1999年5月、パキスタンとのカシミール領有権をめぐる国境紛争がカルギル紛争に発展し、核兵器の実戦使用が懸念された。
  2000年、保険分野への外資出資比率26パーセントを上限とする民間企業の参入が許可された。2000年以降、大半の産業分野においてインド企業の100パーセント外資所有が認められるようになった
  2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生し、アフガニスタンを当時支配していたターリバーンへの対テロ戦争が優先される形で、インド・パキスタン両国への経済制裁が解除される。以後はITサービス業を中心に経済成長を続け、ロシアブラジル・中国とともにBRICsの一角として注目を集める存在となり、IT分野においてはその技術力が欠かせない存在となっている。中立非同盟とはいえ、アメリカ合衆国、イギリスとも友好な関係をとっている。一方で、中国やパキスタンとは緊張関係にある。

インド国民会議政権
2004年の総選挙では国民会議派が勝利して政権を奪回し、マンモハン・シンが首相に就任した。2004年7月、マハーラーシュトラ州でも農民に対する電力料金が無料となった。同州では2001年6月にダボール電力が閉鎖となった。この合弁会社の出資は、州が3割、エンロンが5割、ゼネラル・エレクトリックベクテルがそれぞれ1割であった。インドの電力業は農民から得票したい政治家のためソブリンリスクをとらされている
  同年12月26日、スマトラ島沖地震が起こった。震源地に近いアンダマン・ニコバル諸島を中心とした地域の被害は甚大であった(死者1万2,407人、行方不明1万人以上)。
  インド経済は地震の被災者または社会的弱者の生活を救う余力を欠いていた。2000年 - 2005年にかけて、インド民間企業部門の資金動員総額に占める証券(株式・社債)の割合は4.2パーセントから26.5パーセントに急増した(広義の証券化。1999年 - 2004年にかけて、インドの経済成長は雇用の増加をともなわなかった
  2008年11月26日、デカン・ムジャーヒディーンによるムンバイ同時多発テロでは、死者172人、負傷者239人を出した。
  2008年、アメリカ合衆国がインドへ原子力発電所を輸出しようと原子力協定を締結していた。印パ・イスラエル核拡散防止条約に調印せず、同条約に基づく国際原子力機関との包括的保障措置協定も結んでいない。原子力供給国グループは上記3か国との原子力貿易を禁止していた。そしてアメリカは、上記3か国への原子力資機材や技術等の輸出を規制する国際規範の策定を主導していた。2008年の協定締結後、フランスロシア・日本なども相次いでインドと原子力協定を結ぼうとした
  連邦下院の総選挙2009年4月16日に始まり、5月13日まで5回に分けて実施された。有権者は約7億1,400万人。選挙結果は5月16日に一斉開票され、国民会議派は206議席を獲得して政権を維持した。一方最大野党インド人民党(BJP)は116議席にとどまった。
  2010年8月、インド北部ジャンムー・カシミール州で洪水が起きた。州東部のレー町の当局者は、死者が165人に達したと発表した。一方、軍当局者は9日洪水の行方不明者は外国人も含めて500人に達したと発表した。

インド人民党政権
2014年5月開票の総選挙インド人民党が大勝し、10年ぶりに政権交代が実現。5月26日、ナレンドラ・モディが第18代首相に就任し、人民党政権が発足した。首相は2015年4月にムドラバンクを立ち上げた。これは中小企業支援を目的とするノンバンクであった。政府は同年5月、新開発銀行の総裁にシュルンベルジェのカマスを指名。6月末、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に83億ドルの支援を約束した。
  2016年9月にゼネストが起こった。返済能力に乏しい企業の抱える債務がインド債務全体に占める割合は、2016年4月から2017年3月の統計で33.9パーセントにも達した。2017年6月、印パ両国が上海協力機構へ正式に加盟した。11月上旬、リライアンス・インダストリーズ携帯子会社が社債をデフォルト。リライアンスは財閥として堅牢といえず、トップクラスのミューチュアル・ファンドによって機関化されている。
  2018年8月以降、インフラストラクチャー・リーシング・アンド・ファイナンシャル・サービシズ( IL&FS)が社債などのデフォルトを連続させ、株式市場に大きな影響を与えた。10月1日、政府が(ベイルアウトにより)同社経営陣をすべて入れ替えると発表した。再建計画を受け入れた機関株主は、1956年9月発足のインド生命保険会社(25パーセント)、オリックス(23.54パーセント)、アブダビ投資庁(12.56パーセント)、インドステイト銀行(6.42パーセント)であった。このようなシャドー・バンキング・システムは困難に直面するとみられていた

地理
パキスタン中華人民共和国(中国)ネパールブータンバングラデシュミャンマーとは陸上で、スリランカモルディブインドネシアとは海上で国境を接する。パキスタンや中国とは領土問題を抱える。
  パキスタン中華人民共和国(中国)ネパールブータンバングラデシュミャンマーとは陸上で、スリランカモルディブインドネシアとは海上で国境を接する。パキスタンや中国とは領土問題を抱える。
  中国とブータンは、東北部とアルナーチャル・プラデーシュ州シッキム州北部に接していて、ネパールは東北東、バングラデシュはメーガーラヤ州トリプラ州西ベンガル州の3州、ミャンマーはアルナーチャル・プラデーシュ州とアソム州東部・マニプル州ミゾラム州ナガランド州東部と接している。
  インドの陸地はほとんどがインド洋に突き出した南アジア半島上にあり、南西をアラビア海に、南東をベンガル湾に区切られて7,000キロの海岸線を持つ。多くの地域では雨期が存在し、3つの季節、夏、雨期、冬に分けられ、雨期を除いてほとんど雨の降らない地域も多い。北インド・中央インドはほぼ全域に肥沃なヒンドスタン平野が広がり、南インドのほとんどはデカン高原が占める。国土の西部には岩と砂のタール砂漠があり、東部と北東部の国境地帯は峻険なヒマラヤ山脈が占める。インドが主張するインド最高点はパキスタン係争中カシミール地方にあるK2峰(標高8,611メートル)である。確定した領土の最高点はカンチェンジュンガ峰(同8,598メートル)である。気候は南端の赤道地帯からヒマラヤ高山地帯まで多様性に富む。
  インドがほかのほとんどすべての国よりも発展が遅れた主因は水不足であった。インド亜大陸の平均降水量は年間約1,000ミリであるが、地域差を反映しない。たとえばアッサム州西ガーツ山脈では1万ミリ以上であり、シンド州の一部では100ミリも降らない。加えて時期による降水量差が生活を直撃する。モンスーンのもたらす降水量は5年周期で平均よりも25 - 40パーセント減る。10年に1度はさらに僅少となって、旱魃による飢饉は灌漑がなければ百万人単位で餓死者を出す
  中国とブータンは、東北部とアルナーチャル・プラデーシュ州シッキム州北部に接していて、ネパールは東北東、バングラデシュはメーガーラヤ州トリプラ州西ベンガル州の3州、ミャンマーはアルナーチャル・プラデーシュ州とアソム州東部・マニプル州ミゾラム州ナガランド州東部と接している。
  インドの陸地はほとんどがインド洋に突き出した南アジア半島上にあり、南西をアラビア海に、南東をベンガル湾に区切られて7,000キロの海岸線を持つ。多くの地域では雨期が存在し、3つの季節、夏、雨期、冬に分けられ、雨期を除いてほとんど雨の降らない地域も多い。北インド・中央インドはほぼ全域に肥沃なヒンドスタン平野が広がり、南インドのほとんどはデカン高原が占める。国土の西部には岩と砂のタール砂漠があり、東部と北東部の国境地帯は峻険なヒマラヤ山脈が占める。インドが主張するインド最高点はパキスタン係争中カシミール地方にあるK2峰(標高8,611メートル)である。確定した領土の最高点はカンチェンジュンガ峰(同8,598メートル)である。気候は南端の赤道地帯からヒマラヤ高山地帯まで多様性に富む。
  インドがほかのほとんどすべての国よりも発展が遅れた主因は水不足であったインド亜大陸の平均降水量は年間約1,000ミリであるが、地域差を反映しない。たとえばアッサム州西ガーツ山脈では1万ミリ以上であり、シンド州の一部では100ミリも降らない。加えて時期による降水量差が生活を直撃する。モンスーンのもたらす降水量は5年周期で平均よりも25 - 40パーセント減る。10年に1度はさらに僅少となって、旱魃による飢饉は灌漑がなければ百万人単位で餓死者を出す

政治
インドの政治の大要は憲法に規定されている。インド憲法1949年に制定、1976年に改正され、以後修正を加えながら現在に至っている。
国家元首大統領。実権はなく、内閣の助言に従い国務を行う。議会の上下両院と州議会議員で構成される選挙会によって選出される。任期5年。(「インドの大統領」も参照)
  副大統領は議会で選出される。大統領が任期満了、死亡、解職で欠ける場合は、副大統領の地位のままその職務を行う。任期は大統領と同じ5年だが、就任時期をずらすことで地位の空白が生ずることを防止する。また、副大統領は上院の議長を兼任する。
  行政府の長は首相であり、下院議員の総選挙後に大統領が任命する。内閣は下院議員の過半数を獲得した政党が組閣を行う。閣僚は首相の指名に基づき大統領が任命する。内閣は下院に対して連帯して責任を負う(議院内閣制)。また、連邦議会の議事運営、重要問題の審議・立法化と国家予算の審議・決定を行う。(「インドの歴代首相」も参照)
  議会は、両院制で、州代表の上院(ラージヤ・サバー)と、国民代表の下院(ローク・サバー)の二院により構成される。(「インドの国会」も参照)
  上院250議席のうち12議席を大統領が有識者の中から指名する。任期は6年で、2年ごとに3分の1ずつ改選。大統領任命枠以外は、各州の議会によって選出される。下院は545議席で、543議席を18歳以上の国民による小選挙区制選挙で選出し、2議席を大統領がアングロ・インディアン(イギリス系インド人。植民地時代にイギリス人とインド人との間に生まれた混血のインド人、もしくはその子孫の人々)から指名する。任期は5年だが、任期途中で解散される場合がある。有権者の人口が多いため、選挙の投票は5回にわけて行われる。選挙は小選挙区制で、投票は用紙に印刷された政党マークに印を付ける方式であり、今日まで行われている。(「インドの政党」も参照)

軍事(詳細は「インド軍」を参照)
インド軍は、インド陸軍インド海軍インド空軍および、その他の準軍事組織を含むインドの軍隊である。インド軍の法律上の最高司令官は大統領だが、事実上の指揮権はインド政府のトップ(政府の長)である首相が有している。インド軍の管理・運営は国防省)・国防大臣が担当する。
  インド軍の正規兵力は陸海空軍と戦略核戦力部隊、インド沿岸警備隊の約132万5,000人と、予備役は合わせて約110万人である。世界で6番目の核保有国・原子力潜水艦保有国でもある。インドの準軍事部隊は、アッサム・ライフル部隊(5万人)、特別フロンティアフォース(1万人)である。以前は準軍事部隊とされた政府武装警察部隊と、国境警備部隊中央予備警察などを含む中央武装警察部隊(約77万人)や、民兵組織のホームガード(約135万人)は 2011年から準軍事部隊に含めないとのインド政府の公式見解である。
  グローバル・ファイヤーパワー社発表の世界の軍事力ランキング2014年版によると、インドは世界第4位の軍事力となっている。志願制を採用しており、徴兵制が行われたことは一度もない。
  近年は近代化を加速させており、軍事目的での宇宙開発、核の3本柱(Nuclear triad、ICBMSLBM戦略爆撃機(後述のように狭義のそれはインドは保有しない))の整備、ミサイル防衛システムの開発など多岐にわたり、国防費は2012年度で461億2,500万ドルで、年々増加傾向にある。

宇宙開発
チャンドラヤーン1号(サンスクリット語: चंद्रयान-१)はインド初の月探査機である。無人の月探査の任務には軌道周回機とムーン・インパクト・プローブと呼ばれる装置が含まれる。PSLVロケットの改良型のC11で2008年10月22日に打ち上げられた。打ち上げは成功、2008年11月8日に月周回軌道に投入された。可視光、近赤外線、蛍光X線による高分解能の遠隔探査機器が搭載されていた。2年以上に渡る運用が終了し、月面の化学組成の分布地図の作成と3次元の断面図の完成が目的だった。極域において氷の存在を示唆する結果が出た。月探査においてISROによる5台の観測機器とアメリカ航空宇宙局(NASA)や欧州宇宙機関(ESA)、ブルガリア宇宙局など、他国の宇宙機関による6台の観測機器が無料で搭載された。チャンドラヤーン1号はNASAのLROとともに月に氷が存在する有力な手がかりを発見した
  2013年11月5日、最初の火星探査機の打ち上げに成功した。正式名称は「マーズ・オービター・ミッション」で、通称として「マンガルヤーン」と呼ばれている。2014年9月24日に火星の周回軌道に投入され、アジアで初めて成功した火星探査機となった







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