新冷戦(英語:Second Cold War、Cold War II)とは、アメリカ合衆国一極体制に綻びが見え始めた21世紀に入り、世界の経済的・軍事的な緊張や地政学的な様相を示唆するためにしばしば使用される用語である。その定義や対立軸は使用者により様々であるが、ほとんどの場合には「米国と中露の対立」を中心とし、米中露以外のヨーロッパ諸国・日本・オーストラリア・インド等の国も取り捲き、国々の利害の絡み合うことにも語られている。
名称 20世紀後半に半世紀に渡って続いた米ソ冷戦をふまえ、すでに終わった米ソ冷戦を第一次冷戦と呼んだり、この記事で扱う冷戦は観点の相違によって第二次冷戦・米中冷戦・米中新冷戦[7]・米露新冷戦などと呼んだりすることもある。 概要 冷戦の終わりから米中新冷戦へ
Cold War II(新冷戦、第二次冷戦)は、もともとは1970年代後半に時の米国大統領リチャード・ニクソンによる中国訪問や米ソデタントなどで再編された世界の勢力図をあらわす言葉として生まれたが、ソ連は1980年代後半からペレストロイカやグラスノスチと呼ばれる国内の改革とともに対米融和の政策に転換し、東欧革命やベルリンの壁崩壊後、それまで冷戦と呼ばれていた米国及びソ連の対立構図は変化していった。また、共産主義国家内での民主化革命やソ連崩壊により構成国はそれぞれ独立後、ロシアと共に資本主義体制に移行した一方、改革開放で市場経済を取り入れていた中華人民共和国は六四天安門事件で民主化の動きを封じた。
米ソ冷戦が終結して、1992年にフランシス・フクヤマが『歴史の終わり』を著し、1993年には藤原帰一が「米中冷戦の終わりと東南アジア」という論文を著した。しかしその後も、米中両国の間にあって朝鮮半島や台湾海峡をめぐる緊張状態は収まってはいない。1996年に政治学者李鍾元が「東アジアでは冷戦は終わっていない」として「東アジア冷戦」について議論し、日本では1996年に中川昭一(自由民主党)らが「米中“新冷戦”」と議論した。日本では「米中新冷戦」「米中冷戦」という言葉が用いられるようになっていった。米ソ冷戦を米国の勝利に導いた立役者として長らく国防総省総合評価局長を務めたアンドリュー・マーシャルは米中冷戦の到来を冷戦終結後から予測していた。