拉致問題-1
映画「めぐみへの誓い」
2023.06.03-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230603-BVUDR7W7PBO4FF2CMU4NQ2WKCA/
遺影に語る「どうしたら…」引き継ぎは異常
めぐみちゃん、こんにちは。日本は、木々の緑がみずみずしい命の息吹を発し、初夏の気配も感じるようになりました。新型コロナウイルス感染症という『未曽有の災厄』を乗り越え、人々の暮らしにも活気が戻りつつあります。
お父さんが天に召されてから、5日で3年となります。「拉致事件は前に進んでいないよ。どうしたら、いいんだろうね…」。柔らかい笑顔をたたえたお父さんの遺影に、いつもそう声をかけています。
どれだけ疲れ切っても心を奮い立たせ、全国を駆け回っていたお父さんの姿が蘇り、「まだ、頑張っていくからね」と意気込みを伝えます。
お父さんは、「解決のカギは国民の理解と世論の後押し」との信念で、非道な北朝鮮による拉致を一人でも多くの方々に伝えようと、懸命に闘いました。全国各地で重ねた1400回もの講演を思い返し、「夫ながら、よくぞ頑張った」という思いです。
多くの家族が身命を賭(と)して奪還を訴えながら、お父さんと同じように、肉親と再会を果たせず天に召されていきました。最近も、有本恵子さんの母、嘉代子さん、田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さんが逝去しました。長年、救出運動の最前線に立った家族は老い、病んでいます。
改めて、被害者帰国を阻む「壁」を最後に打ち破るのは、外交をつかさどる日本国の政治家、官僚の方々の責務です。日本の主権を侵害し、罪のない若者たちを工作船に押し込み、北朝鮮の深い闇の中に閉じ込める。この卑劣極まりない拉致を防げず、40年もの間、被害者を救い出せないのは「国家の恥」です。
事実を知らない世代が増え、事件が風化しても、拉致を招いた本質的な原因が一掃されなければ、再び同じ惨禍を招きかねません。
家族会は今、めぐみちゃんの弟の拓也と哲也や、田口さんの長男、耕一郎さんたちが中心となりました。若い世代の家族が辛く、厳しい運動を親世代から引き継がなければならないのは「異常事態」です。岸田文雄首相には改めて、この危機的状況をみつめ、解決の道筋をすぐに結実させることを、心から願います。
今年5月、めぐみちゃんの弟の拓也たちが、4年ぶりに米国へ渡りました。《親世代の家族が存命のうちに全拉致被害者の即時一括帰国が実現するなら、日本が北朝鮮に人道支援を行うことに反対しない
この新しい運動方針を米国要人の方々に伝え、理解を得たそうです。感謝の念に堪えませんが、これまでの歩みを振り返ると途方もない思いにかられます。とにかく時間がかかり過ぎているのです。
親世代の家族も、各国要人に協力を求めて回りました。最初の渡航は、平成13(2001)年。お父さんを団長に渡米しました。
翌14年、北朝鮮は日朝首脳会談で拉致を認めて謝罪し、5人が帰国しました。一方、北朝鮮は、めぐみちゃんたち他の被害者を「死亡」などと主張しました。
その後、説明にはなんら根拠がなく、めぐみちゃんたちの「遺骨」として提出された骨も偽物だったことが分かります。
お母さんは18年、再び米国に渡り、議会などでこうした〝事実〟を訴えました。当時のブッシュ米大統領にもお会いし、「めぐみは必ず生きています」と訴えました。
「指導者が拉致を奨励するのは、心がない」。拉致解決に共感し、こう応じたブッシュ大統領の言葉は広く発信され、機運の高まりを感じたものです。しかし以降も事態の膠着(こうちゃく)は続き、その感を深めています。
お母さんは一生懸命、日々を過ごしています。
今年3月には、強い動悸(どうき)に襲われ、視界が真っ白になりました。もうダメだと絶望に襲われつつ、神様に祈り、問いかけました。
「お父さんの分まで、今しばらく闘う時間をください」「めぐみと抱き合うため、頑張る力をください」
しばらくすると、視界が開け、体調が少し戻りました。そのまま病院に向かい、過労性狭心症と診断されました。お医者さまからは「もう87歳です。身体を大事にしてください」と強く忠告を頂きました。
何とか命をつなげたのは、神様の〝答え〟だと思います。かつて、めぐみちゃんと暮らした広島で先月、G7サミットが開かれました。
世界が紛争や混乱に直面するなか、各国首脳が平和記念資料館を訪れ、核の惨禍を共有しました。「大切なものをすべて、一瞬で奪う」という意味で、核兵器は拉致と通底する残酷さがあります。核やミサイルの開発にひた走る北朝鮮の最高指導者も、この本質を理解してほしいと願います。
岸田文雄首相は日朝首脳会談の実現へ、繰り返しメッセージを送っているといいます。サミットでのリーダーシップを、拉致解決にも発揮していただきたい。心からの叫びで、北朝鮮に拉致解決を呼びかけていただきたい。切に願います。
国会では、拉致問題はあまり議論されていないようです。「なぜ解決できないのか」「どのような手段があるのか」。具体的戦略を論じ合うことはできないものでしょうか。北朝鮮は政治家、官僚のありさまをつぶさに見ているはずです。
めぐみちゃん。お母さんの再会への決意は揺るぎません。お父さんも、きっと天国から見守ってくれています。抱き合える日まで、もう少しだけ待っていてください。
2023.04.01-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230401-KX3IZXT2BZI6LL2TPOMZB4ZYDE/
桜の季節、思い出す中学入学 救いたい、今年も母の願い
めぐみちゃん、こんにちは。日本では春が訪れ、桜の花が各地で満開を迎えました。この季節になると、46年前の4月、あなたが新潟の中学校へ入学したころを思い出します。
お父さんは、体調を崩して病み上がりだったあなたを連れ出し、咲き誇る校庭の桜を背景に記念撮影をしました。「髪形が整わない」と、少し、浮かない表情をするめぐみちゃんを写した大切な一枚です。
それからおよそ半年後、あなたは北朝鮮工作員に拉致されました。煙のように消えためぐみちゃんの行方はようとして知れず、この写真は警察の捜査や全国に向けた「尋ね人」のため、使われることになりました。
「早く助けて」-。写真のあなたがこう訴えているように感じ、お母さんは、直視することができません。今年2月の誕生日で、お母さんは、お父さんが天に召されたときと同じ87歳を迎えました。
毎日、一生懸命過ごしています。散歩や買い物を人任せにせず、体力づくりを心がけています。それでも年相応に、老いを感じることは増えました。疲れは取れにくく、歩くのも遅くなりました。
時の流れは、誰にでも平等に訪れます。あなたに再会したら、「すっかりおばあちゃんになって!」と驚かれるでしょうが、天に与えられた命を、まっすぐに生きたいと思っています。
私だけでなく、北朝鮮の奥深い闇の中で救いを待つ拉致被害者、そして日本で待つ被害者の家族も老い、病んでいます。残された時間は、本当にわずかなのです。いま、お母さんたちは、めぐみちゃんたちを救う手立てを必死に考えています。なぜ、救えないのか。どうすれば救えるのか。
この命を懸けた切望を、国政の方々は感じていらっしゃるのでしょうか。テレビで国会のありようを見ていると、拉致事件がほとんど取り上げられていないことに愕然(がくぜん)とします。
重ねて、すべての国民の皆さまにお願いします。拉致被害者を自分自身や家族と思ってください。救出への思いを声にあげてください。その後押しが扉をこじ開ける力になります。
岸田文雄首相は先ごろ、ロシアに侵攻されたウクライナを電撃訪問し、即時停戦を訴えました。危険を顧みず、国際社会に日本の矜持(きょうじ)を示されました。
拉致問題でも、同じように力強く行動し局面を打開していただきたい。異国に46年もの間、捕らわれたままでいる娘の母の、切なる願いを受け止めていただければと思います。
北朝鮮による拉致被害者家族会は親世代が高齢化し、いま、あなたの弟で、双子の拓也と哲也が代表、事務局次長を務めています。その家族会と、支援組織の「救う会」は今年2月、決断を下しました。
新たな運動方針で、私たち親世代の家族の命があるうちに、すべての被害者の即時一括帰国が実現すれば、日本が北朝鮮へ人道支援を行うことに反対しない立場を明らかにしたのです。
これは家族会にとって、とても重い決断です。
平成12年3月、日本が北朝鮮へのコメ支援を決定したとき、家族会と救う会は強く反対しました。拉致問題解決に危機感を抱き、お父さんやお母さんも街頭で抗議に立ちました。結局、北朝鮮は拉致解決を提起した日本に反発して、情勢は動きませんでした。
北朝鮮との交渉はベールに包まれ、私たちに情報は伝わらず、今も実情はまったく分かりません。人道支援を容認する今回の運動方針は、北朝鮮の最高指導者の決断を求めて、悩みぬいた末にくだされたメッセージです。日本政府が事態を進展させる一助になればという思いもこもっています。
めぐみちゃん。あなたは花々が大好きで、野山を自由に駆け回る女の子でした。命の力に満ちあふれた桜の季節。「一緒にこの美しい風景を眺めたい」という願いは募るばかりです。
最近、あなたのお洋服を久しぶりにひっぱりだして干すと、何とも言えない懐かしい匂いがしました。暗い気持ちに覆いつくされそうになるときもありますが、失われたときを取り戻すため、お母さんは最後の戦いに臨む覚悟です。
めぐみちゃん。どうか身体に気を付けて、元気でいて。お母さんも精いっぱい、日々を生き抜いていきます。
2022.11.15-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20221115-UMRX3PTUZBPEJIRLYNU6HCIKDQ/
拉致から45年…今の姿、想像できません 家族の窮地、政治は直視を
めぐみちゃん、こんにちは。昭和52年11月15日。あなたが北朝鮮に拉致されたあの日から、
45年の月日が流れてしまいました。
13歳だっためぐみは58歳。今、どんな姿なのか、もはや想像することもできません。
お母さんは最近、限られた時間を実感して、身のすくむ日々を送っています。
闇の奥底に捕らわれた被害者も、日本で待つ家族も、老い、体を病み、残された時間は本当にわずかです。決してあきらめない。あきらめたくない。お母さんたちは、人生のすべてをかけた最後の闘いに臨んでいます。
日本は木々の色づきが深まり、少しずつ、底冷えを感じる日が増えてきました。自然が大好きだったあなたに、祖国の美しい風景を一刻も早く見せてあげたい。同時に、過酷すぎる北朝鮮の冬を乗り越えることができるのか、心配でなりません。
いらだちは募ります。明確で非道な国家犯罪を、なぜ解決できないのか。日本に工作員を侵入させ、子供たちを縛り、船倉の暗闇に閉じ込め、北朝鮮へと連れ去る。国家主権の侵害そのもので、人権を踏みにじる悪行の極みにほかなりません。拉致事件が解決され、被害者が祖国の土を踏むのは「正義」です。それが実現されず、理不尽な状況がひたすら続く。だからこそ、解決できなければ、日本国の恥です。
そして、これを看過すれば禍根を残し、ふたたび同じような惨禍を招くのではないか。お母さんは、それが心配でなりません。
次世代に明るい未来をつなぐためには、
私たちの世代で拉致事件という「宿業(しゅくごう)」をすっきりと解決するしかありません。すべての政治家、官僚は同じ決意をもっていただきたい。そして、国民は被害者を思い、声に出し、後押しをしていただきたいのです。
私たち家族はどこにでもいる庶民です。自らの手で被害者を救い出すことは到底、かないません。だからこそ、日本国、世界中の皆さまの助けが必要です。
岸田文雄首相は、北朝鮮の最高指導者、金正恩氏と直接対面する決意を示されています。首脳会談を実現させ、毅然(きぜん)とした態度で、解決に向けた一歩を踏み出していただきたい。政治は、家族の窮地を直視してください。
「言葉ではなく、具体的な『成果』が欲しい」。これは、家族すべての共通した宿願です。切れそうな心の糸を必死につなぎながら、一日でも早く、その日が来ることを祈る毎日を送っています。
「どこにいるの」「返事をして」。昭和52年11月15日。新潟市で、忽然(こつぜん)と姿を消したあなたを捜して、必死に声をからしたことを鮮明に覚えています。
まだ小さかったあなたの双子の弟、拓也と哲也を連れ、海岸線を歩きました。あなたを呼ぶ声が鉛色の海に吸い込まれる絶望感を、今でも忘れません。
あなたに姿が似た女性を見かけると、追いかけて顔を確認しました。テレビの尋ね人のコーナーに出演して情報を求めたこともあります。平成9年、あなたが北朝鮮に拉致されたことが分かるまでの20年は、まさに「地獄」でした。
国民の声は少しずつ、でも着実に大きくなり、14年の日朝首脳会談で期待は高まりました。でも、北朝鮮はあなたが「死亡」したと主張し、偽の遺骨や、噓の経緯を伝え、その主張を変えていません。
首脳会談からさらに20年がたちましたが、事態は進みませんでした。その間に、
多くの家族が逝去し、お父さんも2年前、天に召されました。
「私たちの大切な娘を奪った悪には、徹底的に立ち向かう」
お母さんはいつも、この思いを訴えています。そして、同じ思いを政治にも持ってほしいのです。
北朝鮮は最近、弾道ミサイルを相次いで発射しています。核開発を加速させる可能性もあるようです。複雑に絡まった国際情勢は、理解を超えていますが、日本国の主体的行動がなければ、拉致事件の膠着(こうちゃく)を打開するのは難しいはずです。
お母さんは来年2月、誕生日を迎えると、お父さんが亡くなった87歳と同い年になります。
1人で暮らす中で、外に買い物に出かけ、ご飯を作り、風呂の掃除をする。健康のため、できるだけ体を使うようにしていますが、ふとしたときに転んだり、よろけたりして、衰えを実感してしまいます。
拓也、哲也に心配をかけることも多くなってきましたが、日常のささいな困りごとを伝えると、すぐに顔を出してくれます。
私たち親世代が、救出運動の一線に立てなくなり、子供たちの世代が先頭に立つことになってしまった現実が、ふがいなく、無念でなりません。だからこそ今一度、微力でも渾身(こんしん)の力で声をあげ、行動し、残された被害者すべてを祖国に取り戻したいのです。
家族、地域、信仰をともにする方々、拉致の解決に思いを寄せるすべての皆さまに感謝しています。
めぐみちゃん。きっとあなたのことだから、さまざまな苦難の中でも、必死に頑張っていることでしょう。お父さんは天から見守ってくれています。
お母さんは、残された時間の全てを、あなたとの再会のためにささげます。その思いが揺らぐことは決してありません。
生きて必ず、また会いましょう。その日まで、どうか、待っていてね。
2022.06.04-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20220604-DSTMA2RWCVKL7HNCDKDX2R5MJA/
お父さんの死去から2年 ウクライナ侵攻、米大統領との面会 「日本も毅然とした言動を」
めぐみちゃん、こんにちは。日本は日差しのまぶしい日が増え、初夏の力強い命の息吹を感じます。あなたとの再会を、誰よりも強く望んでいたお父さんが天に召されてから、5日で2年になります。
自宅に飾る写真に「お父さん、おはよう」と声をかけるのが、1日の始まりです。その日のちょっとした出来事を報告したり、折に触れてお花や酒を供えたりします。
先日、米国のバイデン大統領と面会しました。
お母さんは、山口へ家族旅行に行ったとき、お父さんが撮影した写真を携え、思いを伝えました。私やめぐみちゃん、弟の拓也、哲也が笑顔で並んで歩いているものです。
被害者の親世代で参加したのはお母さんと、有本明弘さんの2人だけ。椅子に座らせてもらいましたが、大統領は私の前で膝をつき、目をしっかり見つめ、「子供がいなくなった親の気持ちは、本当にわかる」とおっしゃいました。
バイデン大統領は、病気などでお子さんを亡くした経験をお持ちで、私たちへの共感を伝え、拉致解決への協力も約束してくださいました。お父さんと同じように、とても優しい思いを持った方でした。
世界ではきょうも、厳しく、冷酷な現実が繰り広げられています。
ロシアの侵略を受けたウクライナでは、ゼレンスキー大統領が祖国を守る戦いの先頭に立ち、国民は命懸けで戦いを続けています。
北朝鮮による拉致事件は、重大な主権侵害であるという点でウクライナ侵略と同じです。なぜ長年、解決の日を見ないのか。決然とした態度で、北朝鮮の胸にするどく刺さるような言動が、日本の政治家にも必要ではないでしょうか。
私たち家族に、もう後はありません。昨年12月、家族会代表として長く救出運動の先頭に立ってくださった飯塚繁雄さんが亡くなりました。妹の田口八重子さんとの再会を果たせず、どれほど無念だったか。
そして、家族会代表は拓也が引き継ぐことになりました。お父さん、飯塚さんに続く3代目の代表です。私たち親世代で決着するはずだった拉致問題は、ついに子供の代まで、その宿業を負わせることになってしまいました。
これがどれほど異常で、残酷なことか。政治家、官僚の方々には、現実を直視していただきたいのです。僅かでも局面に風穴を開け、拉致問題を進展させるきっかけとするため、一人でも多くの日本国民、世界中の皆さまに声をあげていただくことが今、必要です。
北朝鮮ではこのところ、新型コロナウイルスの拡大が伝えられています。めぐみちゃんや、被害者の健康が本当に気がかりです。
こうした北朝鮮の異変を機会ととらえ、日本政府、そして国際社会は果断に行動してもらいたいと思います。そして、最高指導者、金正恩氏を決断に導き、すべての被害者の帰国につなげていただきたい。
家族会は、親世代が存命なうちに被害者と再会がかなわなければ、本当の解決とはいえないと訴え続けています。
それでも時の流れは残酷で一人、また一人と、悲しい別れが続きます。
めぐみちゃんのおじさんにあたるお母さんの兄も先月、この世を去りました。長く地元・京都で療養し、見舞いに行くたび、あなたの写真を見ながら、「めぐみはどうしているかな」と気にかけていました。
命に限りがあることは分かりきったことですが、肉親との離別は本当に辛く寂しいものです。
お母さんは86歳になりました。来年で、お父さんが亡くなった87歳に並ぶ年齢です。声が出にくくなり、集会などで長い時間、お話をすることはもう、かないません。
お父さんが亡くなった2年前、その遺志を継ぎ、最後の最後まで精いっぱい戦い抜くと誓いました。その思いに寸分の揺らぎはありませんが、やはり体力の衰えは隠せません。
皆さまの温かい心遣いに支えられ、なんとか日々を生きています。
混迷を極める国際情勢の核心は、私たち庶民には分かりませんが、今、日本の国のありようが問われていると感じます。
侵食を許し、国民を理不尽に奪われたまま、取り返せないのは、国家の恥に他なりません。
拉致問題は、私たち横田家や、限られた一部の家族の問題では決してありません。拉致を許し、今も解決できない国のありようを思うとき、同じ惨禍が再び、日本を襲うことになりかねません。
お父さんの遺骨は壺に入ったまま、今も自宅に置いています。生きて抱きしめ合うことができなくなった以上、せめてめぐみにこの壺に触れてもらいたい。拓也、哲也とそう話し合い、決めたことです。
そのためには、あなたが元気で、一日も早く、祖国の土を踏むことが必要です。どうか心を強く持ち、健康に十分に気を付けて暮らしてください。お母さんは懸命に祈りをささげ、解決への思いを広げて、再会の時を信じ、待ち続けています。
2022.01.20-産経新聞-.https://www.sankei.com/article/20220120-UVRIQJFFWZKVTCAO6QYCJ25X4Y/
問題次世代に「悔しい」 「光射した」1月21日 年老いた私たちは毎日が節目
めぐみちゃん、きょうも元気に過ごしていますか。光の矢のように時は過ぎ、また新しい年を迎えました。めぐみたちに祖国の土を踏ませたい。心の底からそう願いながら、事態は進まず、無為に時が過ぎる悔しさ、怒り、むなしさが積み重なるのを感じます。
新型コロナウイルスの災厄は収まりません。食事や医療など北朝鮮の過酷な状況を思うとき、あなたの身が心配でなりません。
昨年は大切な方がまた1人、天に召されました。拉致被害者家族会の2代目代表を14年務めた飯塚繁雄さんが83歳で亡くなりました。お父さんが平成9年に初代代表に就きましたが、病や老いで体力が限界を迎え、19年、その責を引き継いでくださいました。
飯塚さんは凜(りん)として私たちの先頭に立ち、国民、世界中に向けて解決を訴え続けました。自らの病、老いに全身全霊で立ち向かい、妹の田口八重子さんの救出を願い続けました。田口さんの長男、飯塚耕一郎さんを引き取り、実の親子として支えあい、私たち家族会を気遣っていました。
家族会代表は、あなたが拉致されたとき9歳だった拓也が引き継ぎました。今は53歳です。双子の哲也、耕一郎さんが救出運動の中心になってしまいました。
私たち親世代の家族は自らの世代で拉致事件に決着をつける覚悟でした。それが果たされず、問題が次世代の禍根となりつつある現実が悔しくてなりません。
改めて日本国、そして北朝鮮に問います。私たちはあとどれだけ、この地獄の業火に耐えなければならないのでしょうか。非道な国家犯罪で連れ去った子供たちを故郷へ戻す。過ちをすぐに正し、人の道に立ち返っていただきたいのです。
私たちは庶民です。複雑に入り組んだ国際情勢は分かりません。ただ、同じ人間であるならば、肉親、子への尽きることのない愛情は理解できるはずです。
私たちは命懸けです。今一度、心の底から訴えます。日本国の政治家、官僚の皆さま。気が遠くなるほど長く異国の奥底に捕らわれた子供たちを、一刻も早く救ってください。北朝鮮の最高指導者は正しい心に立ち戻り、日朝に影を落とす問題を解決すべく一歩を踏み出していただきたい。
自宅のマンションからは美しい富士山がよく見えます。昨年、明け方の空に、今まで見たことのない巨大な虹が美しい半円を描いてかかりました。これほど荘厳な虹はもう二度と見ることはないと思い、感動でいっぱいでした。
天の神が、いよいよ門戸を開いてくださるのだと思えました。めぐみたち皆が誕生したときの、もとの生活を取り戻してほしいと祈るばかりです。
あなたが北朝鮮に捕らわれていることを初めて知ったのは1月でした。平成9年1月21日。国会議員秘書だった兵本達吉さんから自宅に電話があり、1人で家にいたお父さんにめぐみの消息が伝えられました。
お父さんは半信半疑でしたが、あなたとの再会をキリスト教の仲間と祈り帰宅したばかりのお母さんは、胸の高鳴りを感じました。
「せめてどこにいるのかだけでも教えてください」。煙のように消えたあなたを捜し続ける中で祈りが通じ、一筋の光が差し込んだようでした。
その後、北朝鮮工作員による拉致の輪郭が少しずつ浮き彫りになり、翌月には産経新聞などがめぐみの事件を実名で報じました。
そして9年3月、同じ境遇の全国の家族が一堂に会し、家族会が結成されました。目まぐるしい動きの中で、「めぐみちゃんと再会できる」という希望があふれていました。
初めて街頭に立ち、救出を呼びかけたのは、あなたが拉致された新潟でした。「父 横田滋」「母 横田早紀江」。たすきをかけ声をからしました。当時は拉致を噓と断じる声も根強く、政治や世論も「疑惑」にとどまっていました。
群衆の前で話す経験などなかったお父さんとお母さんは必死でしたが、すぐ数十万の署名が集まり、世論の高まりと奪還の機運が育まれる実感がありました。
あれから25年。平成14年の日朝首脳会談で北朝鮮は拉致を認め謝罪し、5人が帰国を果たしました。拉致は疑いようのない事件と証明されましたが、北朝鮮はめぐみたちを「死亡」などと主張し続けています。
共に闘った家族、支援者の方々は次々と天に召されていきます。年老いた私たちは毎日が「節目」です。
北朝鮮は今年もミサイルを発射し、軍備強化の道をひた走っているように見えます。でも、日本の国会では拉致、北朝鮮の問題が真剣に論じられているようには感じられません。国民の命、幸福を守れなければ「国家の恥」です。
解決をみない長い年月、私たちは12人の総理大臣と面会し、何度も同じことをお伝えしてきました。被害者も家族も残された時間が少ないことは明らかです。政府の、内閣の「最重要課題」であるならば、局面を打開する具体的な行動を切望します。
国民の皆さま。拉致被害者を自らと思い、声をあげてください。被害者に祖国の土を踏ませるのは政治の力ですが、政治家の「気概」を後押しするのは世論にほかなりません。
お母さんは、めぐみちゃんを13年しか育てられませんでした。止まった時間を取り戻したい。あなたを心から慈しみ、愛したお父さんは天国に召されましたが必ず、空から見守っています。同じ言葉を連ねるのが本当に申し訳なく、切ないですが、どうか生き抜いてほしい。抱き合えるその日が来ることを信じ、お母さんも命の炎を燃やします。
2021.10.02-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20211002-ZSZPLJDPORM33NKZT6PWQQDCII/
放置、不作為、無関心…「国家の恥」残せない
(1)
めぐみちゃん、こんにちは。厳しい夏を何とか生き抜き、涼やかに、高く澄み渡るようになった空を見上げると、秋の気配を感じます。世界を覆う新型コロナウイルスの災厄の中、人と人とのつながりの大切さを改めて思います。5日、あなたは57歳の誕生日を迎えますね。13歳だった女の子が、どんな姿になっているのか、もう想像さえできません。お母さんも85歳のおばあちゃんになってしまいました。時は刻々と過ぎ、それでも必ず生きて抱き合えると念じて、祈り、命の炎を燃やしています。
この季節になると頭をよぎるのは、北朝鮮から羽田空港に到着した飛行機のタラップを下り、祖国の土を踏みしめた拉致被害者5人の姿です。
平成14年10月15日。蓮池薫さん、祐木子さん夫妻。地村保志さん、富貴恵さん夫妻。そして曽我ひとみさん。めぐみちゃんと同じように北朝鮮に拉致された5人が、私たちのもとに帰ってきてくれました。
救出運動では、めぐみちゃんたちとともに、被害者の顔写真も掲げました。「助けてください」。街頭で叫び続けました。写真で幸せそうな笑みを浮かべていた若者たちは年を重ね、やせて、疲れ切っていました。それでも、帰ってきてくれて本当にうれしかった。
「5人が降りた機体から、あなたも笑って飛び出してくるのではないか」
お父さんとお母さん。そして、あなたが通った新潟小学校の馬場吉衛校長先生と一緒に、ずっと、タラップを見つめていました。でも、あなたは現れず、それから19年間、時は止まったままです。
拉致被害者も、その家族も老い、病を抱え、残された時間は本当に僅かです。
拉致事件が起きて40年以上が過ぎゆく中、非道で残酷な事実は風化し、解決が遠のいていく不安を常に感じていました。放置、無関心、不作為-。これほど大事な問題がなぜ、拾い上げられないのか。理由をさまざま考えましたが、最後は日本が国家として全身全霊をそそぎ、子供たちを取り戻すしかないのです。
このままでは、日本は「国家の恥」をそそげないまま、禍根を次の世代に残してしまいます。私たち親の世代は絶対に、この国家犯罪に決着をつけなければなりません。すべての子供たちが祖国の土を踏む姿を見届ける人生でありたいと、切望しています。
(2)
普通の庶民であるわれわれは、声を上げて訴えることはできても、直接、被害者を取り戻す力はありません。今こそ優れた政治家、官僚の皆さんに力を発揮していただきたい。何よりも困難な局面にある今、国民の皆さまの一層の後押しがなければ、事は前に進みません。ふとした日常に被害者を思い、思いを声にして伝えていただきたい。心の底からそう願っています。
平成14年9月17日、史上初めての日朝首脳会談で、北朝鮮は拉致を認めて謝罪しましたが、何の証拠もなく、めぐみちゃんたちは「死亡した」と伝えてきました。9年に家族会を結成し、手を携え闘ってきた私たちにとって残酷な、押しつぶされるような瞬間でした。
日本は今、国を牽引(けんいん)する新しい政治のリーダーが決まろうとしています。被害者と私たち家族が生きて、元気なうちに抱き合えるのか。リーダーは覚悟を持ち局面を切り開いていただけるのか。不安と焦りにさいなまれながら、「今度こそ」という期待をつなげます。
今こそ、拉致事件を振り返り、いかにすれば解決するかを考えてください。
北朝鮮は一筋縄ではいかない、手ごわい相手であることは重々、承知しています。でも最後は、最高指導者に被害者全員を返す決断を求め、それこそが世界の平和を導く術だと、心の底から理解してもらわなければなりません。
私たちはこれまで、日本の首相が代わるたび顔を合わせ、即時解決への訴えを重ねてきました。お父さんも家族会代表として救出運動の最前線に立ち、全国を飛び回りました。体を病み入院しても、あなたと抱き合うため、病床で必死に命の炎を燃やしました。再会の思いを果たせず、天に召されたお父さん、多くの被害者家族、そして支援者の皆さん。託された奪還の願いを実現するまで、お母さんたちは倒れるわけにはいきません。
日本では近く、大切な選挙が行われます。政治家の皆さま。遠く離れた異国の暗闇で、救いを待つ子供たちを思ってください。命の問題である拉致事件を、党派を問わず真心から議論してください。知恵を絞り、一日も早く、解決への歩みを進めてください。
新たなリーダーには、残された時間の少なさを直視し、具体的な動きにつなげていただくことを願ってやみません。拉致問題はまさに、「正念場」です。国民の皆さまもどうか拉致事件を己のこととして感じ、それに向き合う政治のありようを凝視し、解決を後押ししてください。
19年前の9月17日。無事を信じて、自宅に置いためぐみちゃんの写真に「早く帰っておいで」と声をかけました。思いはかなわず、想像を絶する長い闘いになってしまいましたが、タラップから下りてくるあなたと、笑顔で抱擁できる日が必ずやってきます。
めぐみちゃん、あともう少し、待っていてね。お母さんは最後の力をふり絞って、闘いを続けます。
=随時掲載
2021.02.04-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20210204-ZOFZVYTDZBJEPJ4XDGS7KTQADM/
85歳…一人の時間が増え 「なぜ救えない」自問の日々
(1)
めぐみちゃん、こんにちは。あなたを救い出せないまま、また一年が過ぎ、新しい年を迎えてしまいました。昨年、お父さんが天国に召されてから、飛ぶように時間がたちました。お母さんも4日で85歳を迎えました。新型コロナウイルスの災厄が世界に広がる中で、拉致事件解決への展望が見えず、焦りや怒りが募りますが、めぐみちゃんたち被害者全員が祖国の土を踏めることを信じて、祈り、訴え続けています。
クリスマス、そして大みそか。めぐみちゃんがいたころのわが家は、それはにぎやかでしたね。年の瀬を過ぎれば、すがすがしいお正月を迎えたものです。お母さんは今、一人の時間が長くなり、己の人生を振り返り、世の中の動きを見つめ、思いをめぐらせています。
「なぜ、めぐみたちは連れ去られてしまったのか」「なぜ、これほど長い間、救えないのか」
答えの出ない自問は尽きず、永遠のように続きます。年の瀬から皆さまへのご連絡は電話やメールにとどめました。お父さんが天に召され、年賀のごあいさつもできず、時間があっという間に過ぎました。
最近、日本は厳しい寒さです。北朝鮮にいるめぐみちゃんたちは、より過酷な生活を強いられていることでしょう。じっとそんなことを考えると、本当に胸が張り裂けそうになります。
被害者と家族、日本の国民、そして拉致解決を祈る世界中の皆さまの思いに支えられて救出運動は大きく前進しました。でも、すべての被害者が帰国しなければ、解決ではありません。
時の流れは等しく、人は老い、病んでいきます。再会を待ち望む私たちに、残された時間は本当に、本当にわずかです。
日本政府、政治家、官僚の皆さま。被害者を最後に救うのは、国家の力に他なりません。今、この瞬間も大切な時間が過ぎていきます。知恵を絞り、国会などの真剣な議論を通して、どうか、わがこととして、一命を賭して、拉致問題をすっきりと解決させ、世界に平和をもたらしてください。そう一心に祈りながら日々を過ごしています。
昨年は、これまでにも増して、むなしさと焦燥感が募る一年でした。2月に有本嘉代子さんが94歳で天に召され、7月には地村保さんも93歳で旅立たれました。
お母さんもどんどん年を取るだけで、誕生日はちっともうれしくありません。講演で全国を回るようなことは、とてもとても、できない状態です。体中に衰えを感じ、声が出にくくなり、ひとつづきに話そうとすると息が切れます。
(2)
お父さんの遺影には、毎朝、「おはよう。今日も頑張ろうね」と声をかけ、折に触れて、出来事を報告します。生前と同じ、ニコニコとした笑顔を眺めるたびに「単身赴任で天国に行ったのかな」と思うくらい、すぐそばにいる感覚です。
日本では、国会が始まりました。私たちには、難しい国際関係や、政治の事情は知る由もありませんが、「国を思い、拉致を必ず解決する政治を実現していただきたい」という願いはずっと、変わっていません。
拉致事件の解決。そして新型コロナの克服。命をいかに守り、育むのか、政治に課せられた期待と使命は限りなく、大きなものなのではないでしょうか。
私たち家族の思いはずっと変わりませんが、あまりに長い時間が過ぎました。非道な拉致が実行されてから40年以上がたちました。平成14年に北朝鮮が謝罪し、蓮池(はすいけ)薫さん、祐木子さん夫妻、地村保志さん、富貴恵さん夫妻、曽我ひとみさんの5人の被害者が帰国してからも、20年近くが過ぎました。当時はまだ生まれていなかった若者たちが多くいます。拉致事件の風化は、現実になりつつあります。
昨年、拉致解決を最重要課題に掲げた安倍晋三首相が退かれ、菅義偉(すが・よしひで)さんが首相に就かれました。米国でも、被害者と家族に思いを寄せてくださったトランプ大統領に代わり、バイデン氏が就任しました。引き続き、事態の進展にわずかな希望を抱いていますが、依然、兆しは見えません。
昨年11月、キリスト教の祈りの仲間が平成12年から開いてきてくださった祈り会が、200回となりました。こんなにも長い間、めぐみちゃんの姿が見えない現実を痛感しますが、もはや、細かいことを振り返る時期ではありません。
めぐみちゃんの帰国が実現するのならば、お母さんが身代わりになってあげたい。同じ思いを、被害者の家族は抱いています。拉致は、人の命を肉親と故郷から引き離し、閉じ込めるものです。解決できなければ「国家の恥」です。もっと根本的に、日本は今、何をすべきなのか。国民の皆さまにはぜひ、拉致を、わがこととしてとらえ、声を上げていただきたいのです。
そして、北朝鮮は、被害者の命を政治や外交の取引材料に使うことを、今すぐやめるべきです。最高指導者は、拉致解決への決断が世界の幸せに直結するということを、どうか理解してほしいのです。
尋常ではない人生を送りながらも、心が平安でいられるのは、奇跡的なことだと思います。これも、皆さまの支えと、救いがあってこそだと痛感します。先が見えず、むなしい気持ちもありますが、何とか、力をふり絞っていきます。
めぐみちゃん。お母さんはだいぶ弱ってきてしまったけれど、決してあきらめません。めぐみちゃんもあきらめず、再会の日まで、身体に気を付けて過ごしてね。弟の拓也、哲也、そしてお父さんとともに、帰りを待っています。
2021.06.05-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/article/20210605-VJLBQHM33BMHTIOWLILQ3I7IZA/
滋さん死去1年 非道の拉致 政府は胸に刻んで
(1)
めぐみちゃん、こんにちは。毎日どうしているのかと、考えない日はありません。日本は初夏を迎え、花や緑の息吹を強く感じる季節となりました。ただ、世界を覆う新型コロナウイルスの災厄は収まらず、不安や我慢に耐える日々が続いています。光陰矢の如(ごと)し、昨年6月5日、
お父さんが天に召されてから、1年が過ぎようとしています。
お父さんの分まで精いっぱい闘うと誓ったのに、拉致事件に進展は見えず、焦りは募るばかりです。
厳しい世相を見つめるとき、
お父さんは、本当に恵まれながら、旅立ったと痛感します。
めぐみちゃんたち、すべての拉致被害者を救うため、命を削りながら闘った分、安らぎの時を与えられたのでしょう。
きょうも祭壇の
お父さんの写真に声をかけ、笑顔に力をもらいます。
お父さんは老いや病に弱音を吐かず、たくさんの方々に支えられ、人生を全うしました。「天国に行けるんだからね。懐かしい方が待っているからね」。天に召される間際、耳元でこう叫ぶと、
お父さんは、うっすら涙を浮かべていました。今、日本国をどのような思いで見つめているのか。もう、天から
めぐみちゃんを見つけているかもしれませんね。
あれから1年、拉致事件は進展しません。
お母さんは年を取り、いよいよ衰えを感じます。うっかり転び周りの方に余計な心配をさせることもあります。新型コロナのため全国の皆様に思いを伝える機会は、すっかり減ってしまいました。
政府の方々からはいつも「痛恨の極み」という声が聞こえます。自分自身が元気なうちに、被害者を奪還できなかった私たち親世代の家族は悔しさにさいなまれながら、地獄の業火と向き合う日々を過ごしています。そして、被害者たちが過ごす日常の過酷さは、その比ではないでしょう。
最近は、
めぐみちゃんの弟の
拓也や
哲也たち若い世代の家族が救出運動の前線に立つようになりました。厳しすぎる闘いを、子供たちに引き継ぐことは、無念でなりません。世代をまたぎ、非道の極みである拉致と向き合わなければならない理不尽さを政治家、政府の方々は本当に、胸に刻んでいただきたいのです。
「もう、皆さんが頑張らなくても、私たち国家を担う者たちが必ず、取り戻します」。そう毅然(きぜん)と言い放ち、実現させる政治家はいらっしゃらないのですか。
複雑で奥深い政治や外交は、私たち庶民の知るところではありませんが、北朝鮮をめぐるさまざまな動きは滞り、拉致事件の当事者である日本でさえ、国会で長く論じられていない現実があります。なぜ、これほど重大な問題に、本気度が感じられないのでしょう。
(2)
年老いた家族にとって、自分自身が元気なうちに、すべての被害者に祖国の土を踏ませ、子供たちと抱き合うことが宿願でした。
お父さんもその願いを胸に、執念を燃やし続けました。
昭和52年11月、
めぐみちゃんがいなくなり、なんの手がかりもない地獄の20年を経て、平成9年、あなたが北朝鮮にいることが分かりました。被害者の家族会が発足すると、
お父さんは「口下手だから」と心配しながらも代表に就き、全国で1400回もの講演を夫婦で重ねました。
お父さんが頼みとしてきたのは、被害者に心を寄せ、全面解決を願う国民、世論の大きな力でした。
家族会は今、運動の方針に、親世代の家族が存命のうちに被害者と抱き合うことが、「解決の期限」であると記しています。家族や、被害者の帰国を願って全力で取り組んできた方々は、次々と天に召されていきます。命の炎が尽きる前に、拉致をすっきり解決していただきたいのです。
今年4月、菅義偉首相と面会し、家族会の運動方針をお渡しした機会に、
お母さんは「これが最後だと思います」と、お伝えしました。残された時間は本当に僅かです。家族はもとより、被害者本人もいよいよ年を取り、文字通り、最後の闘いに臨む心境です。
北朝鮮の最高指導者の心をいかに開き、行き詰まった現状を打ち破るか。すべての被害者を帰国させる決断に導き、日本と北朝鮮、世界中に平和をもたらす希望の道筋を描けるのは、政治家や政府に携わる皆さまの決意にかかっています。日本には、それを果たす力がきっと、あるはずです。
そして、国民の皆さま。大切な日本国家のためにも、どうか今一度、わがこととして拉致事件を受け止め、解決を後押ししてください。家族同士で、友人同士で論じ合い、解決への思いを、声にしてください。
そうした声がうねりとなり平成14年、
5人の日本人が帰国を果たしました。そして、
めぐみちゃんたち残る被害者の安否を偽った北朝鮮の噓を看破し、帰国への望みをつないできました。あと一息、手が届くようで届かない、あなたへの思いを胸に、
お母さんは力の続く限り、訴えを続けていくと心に決めています。
この夏、東京では2度目の五輪が開催される予定です。
めぐみちゃんは、昭和39年10月、最初の東京五輪の直前に生まれました。本当に長い時が過ぎてしまいましたが、運命めいた、めぐり合わせを感じます。
めぐみちゃん。どうか心を強く持ち、身体に気を付けて暮らしてくださいね。お母さんは静かな祈りの日々の中で、再会の時が訪れることを確信しています。=随時掲載
2020.09.20-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20200920-LR64F6S7RFL2RO3OAK5PQP2GIY/
菅首相は必ず行動してくれると期待します
(1)
めぐみちゃん、こんにちは。元気ですか。夏の酷暑がようやく和らぎ、少しずつ秋の気配を感じるようになりました。43年もの忍耐の日々が続き、今年も気付けば9月です。本当に、いつになれば、すべての拉致被害者が帰国できるのかという怒り、情けなさ、もどかしさと向き合いながら、一生懸命、拉致事件の解決を呼びかけています。
今、日本では大きな政治の動きがあります。拉致問題の解決を最優先、最重要課題に掲げてきた安倍晋三首相が辞任され、拉致問題を担当する菅義偉(すが・よしひで)官房長官が首相に就任されました。
たちはこれまで、十数代にわたるすべての政権を心の底から信頼し、被害者救出を託してきました。それは今後も変わりません。無慈悲な国家犯罪で連れ去られた子供たちに、祖国の土を踏ませる最後の決め手は、政治のゆるぎない決意と行動力に他なりません。
9月はお父さんやお母さんの記憶に刻まれた月です。平成14年9月17日の日朝首脳会談で、北朝鮮はやっと拉致を認め謝罪しました。蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんの5人の生存が明らかになりましたが、めぐみちゃんや多くの被害者が「死亡」と一方的に断じられました。
昭和52年、新潟でめぐみが姿を消してから20年を経て、平成9年に北朝鮮で生きていることが分かり、全国の被害者家族、支援者の皆さまと団結してようやく解決の頂に差し掛かったと思ったのもつかの間、地獄に突き落とされました。
その後、被害者死亡の証拠や説明は嘘だと分かりました。めぐみだとして送られてきた「遺骨」は、まったく別人の骨と鑑定されました。矛盾が暴かれるたび、生きたあなたの吐息を感じ、闘い続けることができました。
(2)
拉致の残酷さは、被害者の姿が見えず、声も聞こえず、無為な時が、じりじりと過ぎることです。まさに「生殺し」の日々です。でも、拉致被害者はもっと辛く厳しい時を北朝鮮で耐え忍び救いを待っています。
これほど非道なことがあるでしょうか。拉致事件はまさに「命」の問題です。
国民の皆さま。どうか今一度、捕らわれた子供たちの姿を思い描き、救出へ声をあげてください。そして政治家、官僚の皆さま。与野党の違い、さまざまな立場の違いを越えて、議論を交わし、知恵を絞り、被害者を帰国させるため、全身全霊を尽くしてください。
日本が一丸となり、拉致事件という「国家の恥」を一刻も早くすすいで、日本のみならず、世界にとって幸せな未来がもたらされることを願ってやみません。
今年も気が遠くなるような暑さが続き、84歳のおばあちゃんになってしまったお母さんは、いつ倒れてしまうか不安にかられつつ、あなたに会いたい一心で、日々を過ごしてきました。
年を重ねると、老いや病と直面します。食べることさえ、しんどく感じることがあります。これが「生」の実感なのでしょうか。
6月に天に召されたお父さんは、祭壇に飾った写真の中でニッコリとほほ笑んでいます。「お父さん、おはよう。がんばろうね」と毎朝呼びかけ、祈ります。立派に闘い抜いたお父さんを、明るく天に送りましたが、あなたと再会するため病室で必死に命の炎を燃やした心中を思うとき、体の真ん中をもぎ取られたような寂寥感(せきりょうかん)が漂ってきます。
新型コロナウイルスの災禍で、世界は大きな打撃をこうむっています。拉致問題をはじめ、さまざまな外交の動きがむなしく感じられ焦りが募ります。街頭での署名活動、人を集めた集会を開けず救出運動も厳しい現実に直面しています。
ただ、危機を迎えた今だからこそ、局面を切り開く好機でもあるはずです。
拉致事件について菅義偉首相は「解決に全力を傾ける」と誓われました。拉致問題担当大臣に再び就かれた加藤勝信官房長官も「あらゆるチャンスを逃さず、1日も早い帰国につなげていく」と約束なさいました。必ず行動に移していただけると強く期待します。
(3)
首相の職を辞された安倍晋三さんも、必ずお体を回復され、再び私たち家族とともに力強く取り組んで頂けることを祈っています。
拉致事件から長すぎる時間が過ぎ、被害者も家族も年老いて、残された時は本当にわずかです。だからこそ、私たちには「結果」がすべてなのです。
どうすれば、良き結果がもたらされるのか。国内外を訪ね、たくさんの人に訴えました。国会の議場で政治家の皆さまに尽力をお願いしたこともあります。
もがき苦しみ、命がけで行動し、たくさんの方の力添えがあってなお、事が進まない現実に、複雑な拉致問題の暗い闇を垣間見るような気がしています。まずは、日本国が一丸で立ち向かわないと、高い壁を突き破ることはできません。
だからこそ、すべての国民、拉致事件を知らない若い世代の方々にも事実を知り、解決を後押ししていただきたいのです。かつて日本に工作員が入り込み、大切な若者を次々と北朝鮮へ連れ去りました。国外でも日本人が同じように拉致されました。多くの人々が捕らわれたままなのです。
これほど重大で非道な事件がなぜ起きたのか。同じような惨劇が起こらないと言い切れるのでしょうか。問題の根源を見据え、すべてをすっきり解決しなければ日本の未来を安心して子供たちに引き継げません。
めぐみちゃん。頼りないお母さんですが、毎日、あなたを思い、何とか暮らしています。お父さんもニコニコほほ笑み、私たちを見守っているはずです。どうか、どうか、力強く生き抜いて、救いを待っていて。子供の時と同じように、弾ける笑顔で「ただいま!」と声をあげ、元気に帰ってくることを信じています。
2020.07.11-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20200711-ZX2HRG34LBLVPAE6AGNAR3GROA/
あなたを思い天国に召されたお父さん 決意を引き継ぎ全身全霊を注ぎます
(1)
めぐみちゃん、こんにちは。必ず再会するという決意を胸に、幾度となく、愛(いと)しいあなたの名前を呼びかけてきましたね。めぐみちゃんに、大切なことを伝えなければなりません。6月5日午後2時57分。あなたが大好きなお父さんが、天国に召されました。
病床にあって、いつも笑顔をたたえ、あなたを強く思いながら、最期まで静かで、穏やかな、お父さんらしい旅立ちでした。あなたの写真に囲まれ、たくさんの祈りにも支えられて、優しい光の中に包み込まれるように、スッと天に引き上げられていきました。
何から伝えればよいのか-。めぐみちゃん、伝えたいことがあまりに多く、うまく言葉につづれません。
お父さんが天に召されてから、皆さまの励まし、力強い慰めの声を次々と頂きながら、一つ一つにしっかりと、お応えするいとまもなく、結局、目まぐるしい日々が過ぎていきます。
静かに思いを巡らせる余裕はありませんが、めぐみちゃんと必ず再会し、抱き合えるという確信はますます強くなりました。支えてくださる皆さまの存在が、勇気となっています。
42年間、あなたの姿を追い、全身全霊で闘ったお父さんは、最期に力強い信仰も得て、世の本質をしっかりと見据えながら、お母さん、弟の拓也、哲也たちへ思いを託し旅立ちました。
お父さんは晩年、思うように言葉が出にくくなりました。でも、その胸中は優しく、毅然(きぜん)とした姿ににじみ出ていました。「めぐみたちを全員救い出す。最後に必ず、正義をかなえる」
誰にも等しく、誠実であろうとしたお父さんの思いを、引き継がなければなりません。めぐみたち残る被害者全員に祖国の土を踏ませる。お母さんは、先に天に召されていったお父さんたちが、人生の闘いの末、見届けられなかった正義の結実をかなえたいのです。
(2)
日本の国民の皆さま。政治家、官僚の皆さま。遠く離れた異国で救いを待つ子供たちの姿を、わがこととして思ってください。
世界が一つとなり、拉致という非道極まる国家犯罪の現実を改めて直視し、残酷さをかみしめ、すべての子供たちを救うための闘いを、後押ししてください。
解決への切望を言葉に発して行動に移し、北朝鮮の最高指導者が全面解決を決断するよう導いて、世界に平和をもたらしていただきたいのです。お母さんたちも、命の炎を燃やし、全身全霊を注ぐ決意でいます。
昭和52年11月15日、めぐみちゃんが姿を消し、何も見えない地獄の20年間を経て、北朝鮮に捕らわれていることが分かったのが平成9年。おりしも、全国の被害者の肉親が集い、家族会が結成され、代表に推されたお父さんは、救出運動の最前線に立ちました。
どこにでもいる庶民のお父さんは強烈な重圧に耐えていたはずです。救出の糸口になると信じ、危険を承知でめぐみの実名を明かすことを決断しました。家族の代表として北朝鮮、時には日本政府に解決を迫る意志と行動を示しました。講演や署名活動で全国を駆け回り、体力は限界を超え、気力だけが頼りでした。
平成30年4月、体調を崩したお父さんは、入院しました。病院での療養は天から与えられた休息であり、めぐみちゃんとの再会まで命をつなぐ、新たな闘いの日々でもありました。
お父さんが「苦しい」だとか「辛い」だとか、後ろ向きの言葉を発することはありませんでした。病院の方々に支えられいつもニコニコ、一刻を大切に生きていました。一生懸命、リハビリにも取り組みました。
今年に入り、お父さんの体力が徐々に衰える中で、新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)し、お母さんは心配で仕方ない日々を過ごしました。
(3)
「ウイルスの惨禍の下で私たちの命も、希望も、無残に消えてしまうのか」
見舞いに行き、身体をさすってあげることさえもできない。自宅のベランダに咲いたバラのスケッチや、手紙を病院に預けて、お父さんの耳元で読み上げていただきました。
旅立ちの日には拓也や哲也、その家族、お父さんの弟たちも駆けつけました。その時が近づくと、病院の方が、強く呼び掛けるようおっしゃいました。一瞬でも長く引き留めて、ということだったのでしょう。
でも、お母さんは、うっすら涙を浮かべたお父さんの安らかな顔を見つめながら、「最期まで頑張ったね。もう安心して。天国に行けるよ。また会えるよ、待っていてね」と、あらんかぎりの力で伝えました。
今年2月、神戸の有本恵子さんのお母さん、嘉代子さんが94歳で天に召されました。お父さんの明弘さんも既に92歳です。思うように動けなくなった私たち親にできることは世の中へ懸命に訴えることだけです。
生老(しょうろう)病死。すべての命は平等に、生きる苦しみと直面します。そして命には限りがあります。私たち家族に複雑な国際情勢は理解できませんが、コロナの災禍に見舞われ、先の見えない世界に、そこはかとない、不穏な気配も感じます。
重ねて、私たち年老いた家族に残された時間は本当に、本当に、わずかです。大きな喜び、正義がなされる光景が一刻も早く、実現されることを祈ります。
めぐみちゃん。これほど辛く、長い時間を待たせてしまって本当にごめんね。お父さんは今頃、空の上から、あなたの姿を見つけていることでしょう。必ず、あなたを抱きしめる日が来ることを確信しつつ、新たな一日を生きていきます。
2020.02.03-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20200203-SVVCRHOSPBOMLG3FBUHT7CDA7A/
お母さんは84歳になりました 残された時間 本当にわずか
(1)
めぐみちゃん、こんにちは。そう、のんきに呼びかけるのも戸惑う思いです。元気にしていますか。今年もあっという間に2月です。お母さんは4日で84歳になりました。どんどん年を取るだけで、誕生日はちっともうれしくありません。けれど、めぐみちゃんはきっと、明るく祝ってくれるはずです。「すごい、おばあちゃんになっちゃったね!」とおちゃめに笑い、抱きついてくる姿を、心に思い描いています。
お母さんは今、一生懸命に毎日を生きています。体中に衰えを感じ、日々しんどく感じます。そして、病院で必死にリハビリするお父さんの姿を見ると、「一刻も早く、めぐみと会わせてあげなければ」という焦りで全身がしびれます。
これが老いの現実です。お父さんと、お母さんだけではありません。すべての家族が老い、病み、疲れ果てながら、それでも、被害者に祖国の土を踏ませ、抱き合いたいと願い、命の炎を燃やしているのです。
私たちに、残された時間は本当にわずかです。全身全霊で闘ってきましたが、もう長く、待つことはかないません。その現実を、政治家や官僚の皆さまは、どう考えておられるのでしょうか。私たちはテレビで、のどかにさえ見える方々の姿を、見つめ続けています。皆さまには、拉致の残酷な現実をもっと、直視していただきたいのです。
(2)
次の誕生日こそ、あなたと一緒に祝いたい。それを実現させるのは、日本国であり、政府です。政治のありようを見ると、「本当に解決するのか。被害者帰国の道筋を考えているのか」と不安や、むなしささえ、感じることがあります。
「なんの罪なく拉致されたままの子供を、肉親を、返してください」-。この簡単な思いがかなわず、絶望的なほど長い時が過ぎてしまった現実に、拉致事件の闇の深さを感じます。そこに、光を差さなければなりません。令和という時代に初めて迎えた誕生日に、被害者全員の一刻も早い救出の願いを込め、日本の明るい未来を祈ります。
めぐみと一緒に過ごせたのは、あなたが13歳になるまでのわずかな時間でしたが、生まれたばかりのあなたを抱き上げた瞬間から、たくさんの幸せをもらいました。本当にかけがえのない、宝物だった。今、めぐみが拉致されるまでの明るい日常を思い出すたび、そう実感します。そんなあなただからこそ、必ず、天の大きな力と、多くの皆さまに守られ、教えられ、生き抜いているはずです。
お父さんも、お母さんも拉致事件をどうすれば解決できるのか、考えない日はありません。日本と北朝鮮の最高指導者が真剣に向き合い、平和と幸せな未来について話し合う。その日が、すぐにでも来るような気がしていましたが、事態は静まり返っています。
(3)
めぐみちゃんたちはこの瞬間も、日本が助け出してくれると信じて、厳寒の北朝鮮で耐えていることでしょう。それを思い浮かべ、日々の暮らしの中でも、新聞やテレビのニュースに目を奪われます。でも、国会などを見ていると、拉致事件が取り上げられることは、ほとんどありません。政治家の皆さまは国民の代表として、国の未来を、力の限り論じ合っていただきたいと願わずにはいられません。安倍晋三首相には決意を貫き、すべての拉致被害者を救い出して、祖国の土を踏ませていただきたいと思います。
拉致事件は、国家犯罪であるとともに、人の原罪そのものです。「他国より強くありたい」「奪い取ってやる」。そんな願望がいさかいを呼び、戦争を起こしているのではないでしょうか。めぐみたち拉致被害者も私たち家族も、拉致という非道極まりない北朝鮮の「罪」によって、人生の多くを奪われてきました。
北朝鮮は数多の国民が飢えに苦しみながらなお、軍備にお金を注ぎ続けています。そして、多くの拉致被害者が捕らわれたままなのです。それが果たして、幸福でしょうか。最高指導者には、どうか、このことに思いを致し、幸せな世界を思い描き、実現させてほしいと願います。決して、難しい決断ではないはずです。
(4)
拉致事件は想像を超えることが起こります。平成14年、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが帰国したときも、そうでした。「本当に生きていたんだ」。飛行機から降りる5人の姿を見たとき、本当に驚き、希望も湧きました。
北朝鮮は、めぐみたちを「死亡」や「未入境」と偽りました。めぐみの偽の遺骨まで送ってきました。でも、お父さんもお母さんも、被害者全員が、きっと生きていると信じています。かつては長い間、拉致事件の存在さえ否定する声がありました。しかし、非道な拉致は確かに存在し、長い沈黙を経て、若者たちが生還を果たしたのです。
たけり狂う暴風にさらされながら、今日まで何とか生きてくることができました。めぐみと同じように、大きな力に支えられ、生かされてきたことに、感謝するばかりです。私たちは一人ではありません。だからお母さんは、すべての皆さまのことを思い、今日も祈ります。
すべての被害者を日本に帰国させるためには、とてつもないエネルギーが必要です。日本自らが立ち上がるのはもちろんのこと、世界中の勇気、愛、正義の心が必要です。今一度、北朝鮮で捕らわれ救いを待つ拉致被害者のことを心に描いてください。そして、思いを、声にしていただきたいと願います。
めぐみちゃん。お父さん、弟の拓也、哲也と一緒に楽しく暮らした日々を取り戻すため、お母さんは全力を尽くします。84歳の誕生日を迎え、その思いはみじんも揺るぎません。どうか健康に気を付けて、強い望みをもって、元気でいてくださいね。
2019.07.28-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20190728-HWXGV7SMCRO6LADGT4LDLE3R7M/
被害者全員に祖国の土を踏ませる政治の力を信じ、待っています
(1)
めぐみちゃん、こんにちは。日本は夏の季節を迎えました。深さを増す緑、美しく咲く花々に四季がめぐる早さを実感し、長い年月、すべての拉致被害者を帰国させられない現実に、言いようのない、むなしさが募ります。新しい令和の早い時期に、拉致事件がすっかり解決されることを祈るばかりです。
世界はめまぐるしく動き、トランプ大統領が米国の指導者として初めて北朝鮮に入り、金正恩(キム・ジョンウン)氏と再び相まみえました。「拉致被害者はいつ帰国できますか?」。道を歩けば、多くの方々に問いかけをいただきます。でも、私たち家族は、複雑な国際情勢や外交交渉の核心は、本当に、知る由もありません。励ましに感謝しつつ、戸惑い、言葉に窮してしまうのです。
突然姿を消した肉親を40年以上追い、北朝鮮にいることも分かっているのに、どうすれば救えるのか答えがつかめない。苦しみの根本がここにあります。
私たち家族は、どこにでもいる普通の日本人です。最後に被害者を救うのは日本の政府、政治の力をおいて、ほかにありません。
国会を見ていると、日本にとって大切な外交、国際関係の課題は、あまり取り上げられていないように感じます。拉致事件も議題に上がることは少なく、嘆かわしい思いにかられます。
折しも、国の代表を決める選挙が行われました。「国家と国民のために働きます」。選挙のたびに手を上げ、頭を下げた多くの人たちと、この残酷な42年間が過ぎ行く有様を、どう考えればいいのでしょうか。
未来を見据え、子供たちに希望に満ちた日本を引き継ぐため、真剣な議論が行われることを願ってやみません。国民の皆様もそのありようを見極め声をあげていただければと思います。
昭和52年11月15日にめぐみが拉致された後の20年間はどこにいるのか、まったく分かりませんでした。
(2)
平成9年、真相を調べていた方々の尽力で初めて、めぐみが北朝鮮にいると分かりました。「やっと、めぐみと会える」。あの時の希望は忘れられません。でも、その後の日々は、何も見えなかった20年間と同じか、それ以上に苦しい道のりとなってしまいました。
同じように肉親が拉致された方々が集まり、家族会を結成し、必死に訴えましたが、最初は取り合ってもらえませんでした。拉致は「疑惑」「嘘」と断じられることさえあったのです。
実は、拉致事件は政治の中で早い時期に取り上げられていたことも、後から知りました。全国で相次いだ奇妙な失踪について、政府は昭和63年、国会で「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁しています。
しかし、足踏みするかのように問題は前に進まず、私たちの声も届いていないような雰囲気は一体、何なのでしょうか?
北朝鮮という国は、静かに、不気味に閉ざされていました。日本の政治に対しても、怒りや、悔しさを感じることは、たびたびありました。拉致問題の進展を遠ざけるような動きに対して、デモ行進や、座り込みまでしたこともあります。
それだけに平成14年、日本と北朝鮮の指導者が首脳会談を開くと初めて聞いたときは、重い扉が音をたてて開くように感じました。この年の9月に会談が開かれる直前、お父さんもお母さんも、政治にかつてない、前向きな力を感じていました。しかし北朝鮮は、めぐみが「死亡した」と主張しました。捏造(ねつぞう)した「死亡診断書」や偽の「遺骨」まで提出し、私たちは絶望のふちで、さらにもがき苦しみ、闘い続けました。
その一方で、北朝鮮は拉致を認め謝罪し、蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんたち5人の被害者が帰国を果たしました。
私たちが感じた政治の前向きな力を、今一度、見せていただきたい。あらん限りの知恵と志を注ぎ込み、再び、重い扉をこじ開け、5人に続くすべての被害者に祖国の土を踏ませていただきたいのです。
(3)
めぐみちゃん。お父さんは今日も、一生懸命、リハビリに励みながら、あなたの帰国を待っています。ベッドのそばに並べたあなたの写真が、力の源です。
お父さんもお母さんも年老いて病を抱え、救出運動の前線には立てなくなってしまいました。懸命に闘う家族や支援者の方達を思いもどかしさが募ります。
「死亡」「未入境」とされためぐみたち未帰国の被害者の足跡は、長く平和の中にあった日本に、目を背けてはならない、残酷な現実を示したのではないでしょうか。いまも続く非道な国家犯罪を、忘れないでください。北朝鮮で救いを待つ数多の人々を、決して忘れないでください。
政治の力が真に発揮されるとき、残る被害者全員がきっと、祖国の土を踏めるはずです。私たち家族は、日本がその瞬間を迎える日が来ることを信じます。めぐみちゃんもその日まで、どうかがんばっていてね。
2019.05.05-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20190505-FFYTA5RCTNL7XMFXIQRL2TDFXU/
平成に拉致が白日 令和で解決に歩み
(1)
めぐみちゃん、こんにちは。元気でしょうか。日本は、暖かな春の陽気が広がり、あなたの大好きな花々もきれいに咲き誇っていますよ。めぐみが小学5年生の時、バザーで買った小さなゴムの木は、4鉢に増えて大きい葉を茂らせ、あなたの帰国を待っています。
日本は、大きな時代の節目を迎えました。天皇陛下が譲位され、1日、皇太子さまが天皇に即位されました。元号は「平成」から改元され、「令和」の時代が幕を開けました。新たな日本が力強く、希望に満ちた歴史を刻むことを祈っています。
譲位した上皇さまと、上皇后さまは、日本全国を回り、国民に寄り添ってこられました。そして、上皇后さまは折に触れて、拉致事件の解決を願うお言葉も寄せてくださいました。
昨年10月の誕生日にあわせ公表されたお言葉では、拉致事件について、「平成の時代の終焉(しゅうえん)と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません」との思いを示されました。今年2月には、高齢化する私たち家族を気遣いつつ「希望を持ちましょう。何もできませんが解決を願っています」と、お言葉を寄せていただきました。
今、お父さんもお母さんも病を抱え、年を取り、思うように体が動かなくなりましたが、決してあきらめません。いつも「希望」を持ち、祈り、すべての被害者救出を信じて闘います。
国際情勢はますます難しく、拉致事件の行く末は混沌(こんとん)とし、私たち家族は何も分からず、戸惑うばかりです。めぐみが拉致されてから42年になります。どうすればすべての被害者を救えるのか、焦りが募ります。
平成の時代には、北朝鮮による拉致が白日の下にさらされ、めぐみがそちらで共同生活をしていた蓮池(はすいけ)さん夫妻、地村さん夫妻、曽我ひとみさんが日本へ帰国を果たしました。これは、大きな歩みだったのではないでしょうか。
(2)
新たな時代を迎える中でさらに歩みを進め、拉致事件をすっかり解決して、明るく、希望に満ちた日本を次世代に引き継ぎたい。政府、政治家の皆さまは全力を尽くして、すべての被害者に祖国の土を踏ませていただきたいと切望します。
めぐみちゃんは昭和52年11月15日、13歳のとき新潟市で連れ去られました。生死も分からず、お母さんは毎日、泣き叫び、海岸や街中をさまよい歩きました。
「何も分からない」のは言語に絶する苦しみです。理由もなく、肉親が煙のように消える。多くの家族が、地獄のような日々に長年、苦しんできました。拉致被害者もまた、恐怖のどん底で、長い時間を耐えてきました。これほど非道な仕打ちがあるでしょうか。
めぐみちゃんが拉致されて北朝鮮にいると分かったのは平成9年1月でした。本当に不思議なきっかけで情報がもたらされ、驚きとともに、「必ず助ける」と心に誓ったものの、どうすれば救えるのか、まったく見当もつきませんでした。
手を差し伸べてくださったのは、拉致事件解決を目指す各地の有志の方々でした。間もなく、新潟市で大通りに立ち、初めて救出を訴えることになりました。
≪父 横田滋≫≪母 横田早紀江≫
こう記されたタスキが準備されていて驚きました。「これをつけて街中に立つのかな」「選挙のようだけれど…」。最初は戸惑いましたが、とにかくやるしかないと、このタスキをかけ、各地の署名活動や集会の場に立ちました。それまで、人前で話すことなんてなかったけれど、一生懸命に声をあげました。
9年3月には全国の被害者の家族が集まり家族会が結成され、一致団結して救出運動を始めました。同じ境遇の家族が手を取り合い、前に進みました。
(3)
当時、北朝鮮は謎に包まれた縁遠い国でした。そんな国が、国家犯罪として日本の若者たちを次々と拉致するなど、想像を絶する出来事です。一人でも多くの国民に事実を伝え、政府に動いてもらうしかありませんでしたが、事態がどれだけ前へ進んだか、実感はなく、手探りの連続でした。
それでも少しずつ、着実に理解は広がり、何もなかった20年間から一転、日々がめまぐるしく動き出しました。デモ行進や座り込みをして、拉致解決を訴えたこともあります。
そして14年9月、北朝鮮は拉致を認めて謝罪しました。でも、めぐみたちは「死亡」「未入境」などと、偽られたままです。拉致事件のありようを、長い間、政府は、どう思ってきたのでしょうか。
お父さんは昨年4月に入院して1年が過ぎました。みるみる元気を取り戻し、最近、一緒に桜の花を見に行ったときも、目を輝かせながら、ほほえんでいました。ベッドの傍らに飾っためぐみちゃんの写真に元気をもらい、毎日、リハビリに励んでいます。
「めぐみちゃんが帰るまで元気でいないとね」。お母さんがこう話すと、お父さんは「うん、がんばる」と力強くうなずきます。いつも励まし合い、あなたの帰りを待っています。
拉致事件が起きてから、時代は昭和から平成、そして令和を迎えました。残る被害者と、私たち家族の闘いは、まだ続いています。
お父さんとお母さんは集会などに参加することは難しくなりましたが、双子の弟の拓也と哲也は国内外を駆け回っています。めぐみのことを、一瞬たりとも忘れたことはありません。
たくさんの国民が被害者全員の即時帰国を求め声をあげています。お父さんが撮影しためぐみの写真展を開いてくださるマンションの皆さま。地道に署名を集める支援者の方たち。寄居中学校のめぐみの級友も救出運動に力を注いでいます。
2019.03.16-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20190316-NWIYSSNO4BNVREKX5H65MQOOHI/
「指導者同士の真剣な話し合いを待っています」
(1)
北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(83)夫妻は今この瞬間も、めぐみさんたちすべての被害者の一刻も早い救出を祈り、待ち続けている。飛ぶように過ぎる日々に焦りが募る中、先月末に開催された米朝首脳会談では、トランプ米大統領がふたたび、金正恩朝鮮労働党委員長に拉致問題を提起した。横田夫妻は拉致問題解決に向け、日朝の指導者による真剣な話し合いに期待を寄せながら国民の後押しを呼びかけている。
めぐみちゃん、こんにちは。新しい年を迎え、めまぐるしい日々を過ごすうちに、あっという間に3月です。お父さんもお母さんも、めぐみたちすべての拉致被害者を救い出すことを心に誓いながら、一刻の過ぎ行く早さに、空恐ろしくなることもあります。
つい先日、米国のトランプ大統領と、北朝鮮の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)氏が首脳会談を行いました。会談後、安倍晋三首相はトランプ大統領から報告を受け、私たち家族とも面会して、今後の成り行きについて、お話しされました。
米朝首脳会談では、米国が北朝鮮に非核化の問題で厳しく臨み、トランプ大統領は拉致問題の解決を繰り返し投げかけたそうです。安倍首相は金正恩氏と直接向き合い、被害者の帰国を求めるという決意を、改めて私たちに伝えました。
「水面下」といわれるものも含め、日本と北朝鮮がどのような交渉をしているのか、私たちは知る由もありません。ただ、重かった扉が音を立て動き、日本と北朝鮮の指導者が互いの平和を実現するため真剣に話し合う機会が、現実味を帯びているように感じます。
(2)
北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(83)夫妻は今この瞬間も、めぐみさんたちすべての被害者の一刻も早い救出を祈り、待ち続けている。飛ぶように過ぎる日々に焦りが募る中、先月末に開催された米朝首脳会談では、トランプ米大統領がふたたび、金正恩朝鮮労働党委員長に拉致問題を提起した。横田夫妻は拉致問題解決に向け、日朝の指導者による真剣な話し合いに期待を寄せながら国民の後押しを呼びかけている。
めぐみちゃん、こんにちは。新しい年を迎え、めまぐるしい日々を過ごすうちに、あっという間に3月です。お父さんもお母さんも、めぐみたちすべての拉致被害者を救い出すことを心に誓いながら、一刻の過ぎ行く早さに、空恐ろしくなることもあります。
つい先日、米国のトランプ大統領と、北朝鮮の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)氏が首脳会談を行いました。会談後、安倍晋三首相はトランプ大統領から報告を受け、私たち家族とも面会して、今後の成り行きについて、お話しされました。
米朝首脳会談では、米国が北朝鮮に非核化の問題で厳しく臨み、トランプ大統領は拉致問題の解決を繰り返し投げかけたそうです。安倍首相は金正恩氏と直接向き合い、被害者の帰国を求めるという決意を、改めて私たちに伝えました。
「水面下」といわれるものも含め、日本と北朝鮮がどのような交渉をしているのか、私たちは知る由もありません。ただ、重かった扉が音を立て動き、日本と北朝鮮の指導者が互いの平和を実現するため真剣に話し合う機会が、現実味を帯びているように感じます。
(3)
最近、病院の許可を得てお父さんを自宅に連れて帰ったときのことです。わが家に戻れば、もっと元気が出るかも、と思ってのことでしたが、お父さんはいつになく厳しい表情で、部屋を見渡していました。
その姿に、お母さんは気付かされました。「めぐみちゃんが拉致されてから、私たちの家はくつろぎの場ではなく、厳しい『闘い』の場所だった」-と。
平成9年、めぐみちゃんが北朝鮮にいることが分かり、拉致被害者の家族会が結成されると、めまぐるしい毎日が始まりました。
家の電話は鳴り止まず、ファクスや手紙が山ほど届き、マスコミの方々がたくさん、取材に来られました。めぐみちゃんを救いたくて、無我夢中でした。
そして、拉致事件にどう向き合うか、家族で幾度も話し合いました。「めぐみちゃんの命が危ない」-。めぐみちゃんの事件が初めて実名報道されるときにも、激しい議論になりました。恐怖を必死に振り払い、皆で前に進みました。
久しぶりにわが家に戻ったお父さんも昔を思い返し身の引き締まる思いに駆られたのかもしれません。
拉致被害者はかつて、連れ去られた事実さえ知られずに闇の底に埋もれ、置き去りにされてきました。拉致事件が起きてから最初の20年間、私たちは、理由なく姿を消しためぐみちゃんの痕跡を追い、地獄の中でもがき苦しみ続けました。
ようやく、めぐみちゃんたちが北朝鮮にいることが分かっても拉致は「疑惑」に過ぎないとされた時代が続き、私たち家族の訴えは容易に届きませんでした。
しかし平成14年、北朝鮮はついに拉致を認めて謝罪し、蓮池(はすいけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我ひとみさんたち5人が帰国を果たしました。重い扉が確かに開きましたが、北朝鮮はすべての拉致被害者を返さず、めぐみちゃんたち残された被害者を「死亡」や「未入境」としたまま、今日に至ります。
(4)
救出運動は喜び、怒り、悲しみ、あらゆる感情が交錯する怒濤(どとう)の連続でした。そして、たくさんの奇跡がつながって、少しずつ、事が前に進んできました。
私たち家族とともに、懸命に声をあげてくださる国民の皆さまの力があれば、必ずや喜びの奇跡が再び訪れ、被害者全員が笑顔と、うれし涙を流し、祖国の土を踏む日が来るに違いありません。最後にそれを実現するのは、国家の力、政治の力に他なりません。
闘いの場だったわが家に再び、めぐみを迎え、安らぎの団欒(だんらん)を過ごせる日が、必ず実現するはずです。その時まで、お父さんとお母さんは、めぐみちゃんをはじめすべての人の幸せを思い、祈り、待ち続けます。
2019.01.21-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20190121-WTCX6KVLRNLYDHTBMPY5JJXDB4/
若者から帰国を願う手紙、本当に勇気づけられる
(1)
北朝鮮による拉致問題は進展が見えないまま平成31年を迎えた。拉致被害者、横田めぐみさん=拉致当時(13)=の両親、滋さん(86)、早紀江さん(82)夫妻は今この瞬間も、全被害者の即時救出を切望している。家族たちの思いに応えるかのように、若い世代からめぐみさんらすべての被害者に贈る手紙が次々に寄せられている。「膠着(こうちゃく)した状況を動かす大きな力になる」。夫妻は思いも背に、解決に向けた国民の後押しを重ねて、呼びかけている。
めぐみちゃん、こんにちは。本当にめまぐるしく、1年が過ぎ行き、また新しい年を迎えました。あなたを必ず助け出すと心に決めながら、さらに年月を重ねてしまったことが本当に辛く、それでも、決してあきらめず、再会を信じて、日々を生きています。
このたび、めぐみたち拉致被害者への思いを込めたたくさんのお手紙を若い方々からいただきました。めぐみは13歳で拉致されました。今、当時のめぐみと同年代の皆様は、拉致事件が起きたとき、お生まれでさえありませんでした。
そんな方々が、めぐみちゃんたち被害者の生き方に触れ、帰国を願ってくださることは本当にありがたく、勇気づけられます。
たくさんつづっていただいた手紙を通し、若々しい励ましと後押しの思いに心を打たれました。必ずや北朝鮮に届き、膠着した状況を動かす大きな力になるはずです。
(2)
私たち家族は長い時間、救出運動に全力をかたむけてきました。最初は街頭で訴えても見向きもされず、拉致を「嘘」と断ぜられ、救出を訴える署名用紙を乗せたボードをたたき落とされたこともありました。
それでも、少しずつ思いが広がり、社会の声は高まり、ついには北朝鮮が拉致を認めました。ここに至ったのはやはり、拉致に心から怒り、涙し、救出を切望した国民の方々の声があったからこそだと思います。
ただ、拉致事件が完全に解決しないまま、40年以上の時がたつ中、家族は「救いを待つ被害者が忘れ去られてしまう」という、底知れぬ恐怖感とも向き合ってきました。だからこそ、国民の皆様には、これまでと同様に関心を持ち続けていただきたいのです。
次代を担う若い世代の方々が拉致事件を知り、解決の道筋を考えていただくことは、とても大事なことだと強く感じます。
今年、日本では天皇陛下が譲位されることになり、新しい時代を迎えようとしています。昭和の時代に起き、日本に深く突き刺さってきた拉致事件という国家犯罪が、平成のうちにすっかり解決され、明るい未来の幕開けにつながることを願ってやみません。
昭和52年11月、めぐみちゃんが煙のように消え去ってから、心が安まる日は一日もありませんでした。
20年を経た平成9年、北朝鮮にいることが分かり、救出を訴える活動をお父さんと始めました。拉致被害者家族会も結成され、全国に被害者救出を支援する組織が広がり、情勢は少しずつ、確かに、前に進んでいきました。
(3)
そして平成14年。北朝鮮は拉致を認め、謝罪しながらも、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。
間もなく、飛行機で羽田空港に帰国し、祖国の土を踏んだ蓮(はす)池(いけ)さんご夫妻、地村さんご夫妻、そして、曽我ひとみさんの姿を見つめながら、かならず、めぐみちゃんたちも救い出すのだと誓ったことを、昨日のことのように思い出します。
お母さんは今日まで、めぐみが必ず生きていると信じ、それを疑ったことはありません。若い皆様がその思いを知って下さり、共感と励ましの言葉をつづっていただいたことを、とてもうれしく思います。お父さんは86歳。お母さんももうすぐ、83歳になってしまいます。
被害者、家族が高齢となり、残された時間は日に日に少なくなっていきます。他人事ではなく、どうか、自らの事として拉致事件を考えていただきたい。ふとしたとき、拉致を解決できないまま、日本が何事もなかったかのように進んで行くのではないか、という不安が頭をもたげます。
最近は、拉致問題の「風化」という言葉を耳にすることもよくあります。政府や政治家の皆様は、現状をどうごらんになっているのでしょう。非道な国家犯罪を解決できないばかりか忘れ去られる。そんな日本で本当に良いのでしょうか。
一昨年と昨年、思いがけない形で拉致問題が国際社会に示されました。米国のトランプ大統領が、国連で北朝鮮を厳しく非難しました。史上初の米朝首脳会談でも、トランプ大統領は拉致問題の解決を提起したといいます。これを、北朝鮮の最高指導者はどう受け止めたのでしょうか。
一昨年と昨年、思いがけない形で拉致問題が国際社会に示されました。米国のトランプ大統領が、国連で北朝鮮を厳しく非難しました。史上初の米朝首脳会談でも、トランプ大統領は拉致問題の解決を提起したといいます。これを、北朝鮮の最高指導者はどう受け止めたのでしょうか。
(4)
道を歩けば、多くの励ましとともに「なぜ解決しないの」と問いかけをいただきます。難しい国際情勢を知るすべはなく、ただただ戸惑ってしまいます。
私たちは政府が必ず、すべての被害者を救うと信じてきました。なかなか進まない成り行きに悔しさと悲しさが募ります。最後は、日本が自らの手で被害者を救わねばなりません。
お父さんは今日も、元気な姿でめぐみちゃんに再会するため、リハビリに励んでいます。あなたのことを思いニコニコとほほえんだり、時にはなかなか進まない拉致問題に厳しい表情を見せたり-。皆さんの前に立つことはできなくても、救出にかける情熱は、寸分たりとも変わっていません。
お父さんとお母さんにとって一番の願いは、一刻も早く被害者全員が帰国し、普通の生活を取り戻すことです。そして明るく、希望に満ちあふれた日本を、次世代に引き継ぐことです。
めぐみちゃんたち被害者に思いを寄せてくださる若い世代の皆さん。そして、親御さん、お孫さんを持つ皆様。すべての国民の方々があげる声、思いが力強い後押しになります。
新年を迎え、今年こそ、祖国の土を踏んだめぐみちゃんたちとともに、皆様に感謝を伝えられる日が来ることを祈ってやみません。めぐみちゃん。歩みは遅くとも、必ず、喜びの日が来ます。どうか、待っていてね。
道を歩けば、多くの励ましとともに「なぜ解決しないの」と問いかけをいただきます。難しい国際情勢を知るすべはなく、ただただ戸惑ってしまいます。
私たちは政府が必ず、すべての被害者を救うと信じてきました。なかなか進まない成り行きに悔しさと悲しさが募ります。最後は、日本が自らの手で被害者を救わねばなりません。
お父さんは今日も、元気な姿でめぐみちゃんに再会するため、リハビリに励んでいます。あなたのことを思いニコニコとほほえんだり、時にはなかなか進まない拉致問題に厳しい表情を見せたり-。皆さんの前に立つことはできなくても、救出にかける情熱は、寸分たりとも変わっていません。
お父さんとお母さんにとって一番の願いは、一刻も早く被害者全員が帰国し、普通の生活を取り戻すことです。そして明るく、希望に満ちあふれた日本を、次世代に引き継ぐことです。
めぐみちゃんたち被害者に思いを寄せてくださる若い世代の皆さん。そして、親御さん、お孫さんを持つ皆様。すべての国民の方々があげる声、思いが力強い後押しになります。
新年を迎え、今年こそ、祖国の土を踏んだめぐみちゃんたちとともに、皆様に感謝を伝えられる日が来ることを祈ってやみません。めぐみちゃん。歩みは遅くとも、必ず、喜びの日が来ます。どうか、待っていてね。
2018.11.13-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20181113-IXQA7FS2SZKPZEWPQMFY4YZP7A/
あの日から41年 「ただいま」必ず聞ける
(1)
昭和52年11月15日、横田めぐみさん(54)=拉致当時(13)=が新潟市で北朝鮮工作員に拉致されてから41年となる。14日に誕生日を迎える父の滋さん(85)と、母の早紀江さん(82)が再会を誓い、今の思いを寄せた。
めぐみちゃん、こんにちは。今年もあっという間に11月です。しんとした冷たい空気に冬の気配を感じます。寒い季節を迎えるたびに、日本より遙かに厳しいであろう北朝鮮の過酷な環境を思い、めぐみちゃんたち拉致被害者が全員、無事に過ごせるよう祈ります。
もうすぐ、「あの日」から41年がたちます。めぐみちゃんが北朝鮮に連れ去られた昭和52年11月15日。忽然(こつぜん)と姿を消したあなたを捜し、泣きじゃくる弟の拓也と哲也の手を引きながら、新潟の暗闇の中で幾度も、「めぐみ」と叫びました。
同じころ、あなたは工作船に押し込まれ、めぐみちゃんを捜した私たちと同じように、船倉の暗闇の中で必死に叫び、お母さんたちに助けを求めていたと、後に知りました。例えようのない恐ろしさ、絶望は察するにあまりあります。
北朝鮮は平成14年に拉致を認めながら、めぐみちゃんたちを「死亡」と偽りました。そして、拉致から間もなく撮影したとするあなたの写真を提出してきました。その姿は、私たちの前から姿を消しためぐみちゃんそのものでしたが、明るかった表情とかけ離れた、とても悲しい顔でした。
何かを訴えるように、悲しいまなざしを向けるあなたに、涙が止まりませんでした。お母さんは今も、あの写真を直視できません。その一方で、「めぐみちゃんは、ここにいた」と確信し、一刻も早く救い出す決意を、より強く固めることができました。
それでも、多くの国民の皆様の後押しを得て、家族会が21年間、全力を注いできたのに、残る被害者をいまだに救い出せません。お父さんもお母さんも年をとったせいか、過ぎ行く時がより一層、早く感じます。拉致問題の全面解決に希望を持ちながらも、進展が見えない現実に焦り、やきもきしています。
(2)
被害者との再会を待ちきれず、天に召された家族も多くいます。未帰国被害者の親の世代は私たちと、有本恵子さんのご両親の明弘さん、嘉代子さんしか残されていません。皆、年をとり、病を抱えています。41年間という別離の空白の悲しみ、苦しみを言い表せる言葉は見つかりません。
日本政府は今、被害者の帰国へ、北朝鮮との交渉を図っているはずです。家族は非道な国家犯罪でとらわれた肉親を必ず救うという一念で、懸命に、1日を生き抜いています。局面はまさに「最後の好機」です。
政府、そして政治家の方々は、どうか、私たち家族に残された時間が長くないという現実をまっすぐ見据えてください。国会をはじめ政治の場で、本当に日本国にとって大事なことを話し合い、進めてください。国民の皆様も、政治が真剣に行われているか、厳しいまなざしを向け、改めて声をあげていただきたい。被害者全員を救出する「本気度」が問われています。
くしくも、めぐみちゃんはお父さんが誕生日を迎えた翌日に拉致されました。あなたが拉致される前日、「これからはおしゃれに気を遣ってね」とプレゼントしてくれた櫛(くし)を、お父さんは今も大事にしていますよ。
お父さんは間もなく、86歳になります。あなたと元気に再会するため、病院で静養し、リハビリにも一生懸命、励んでいます。入院前は体力が衰え心配でなりませんでしたが、見違えるように元気になりました。
お父さんは最近、意識がはっきりして、いろいろな思いをめぐらせています。
「拉致はどうなっているの」。つい先日もこう問われ、お母さんが新聞を読み聞かせると、静かに耳を傾け、「なかなか進まない。やっぱり難しいね」と険しい表情でつぶやきました。
確かに、拉致はとても難しい問題です。でも、お母さんは本来、難しい問題ではないと思い続けてきました。「不条理に連れ去られた国民を、毅然(きぜん)とした態度ですぐさま奪還する」。この当たり前になされるべき国家の働きがなされず、長年、放置されていた現実は誠に恐るべきものです。
(3)
かつて、めぐみちゃんたち多くの日本人が次々と拉致される大事件が国内で起きていたのに国民はその事実に気付けませんでした。
そして日本国は早くに、その事実に気付いたのに、なぜすぐに、手をさしのべられなかったのでしょう。をへて、拉致問題は、大国の思惑や、複雑な駆け引きが絡む、国際的な大問題になってしまいました。
めぐみちゃんは、明るくて、元気な女の子でした。学校から帰るといつも、玄関から「お母さん、ただいま! それで、今日はね…」としゃべり始めましたね。「そんなに大きな声で言わなくても、聞こえていますよ」。お母さんが台所から答えても、お構いなしで話し続ける。思い出すたびに、クスリと笑ってしまう、楽しい思い出です。
でも、41年前のあの日から、あなたの声も姿も見えなくなってしまいました。それから毎日、泣き叫び、あなたを捜し続けました。「なぜ、こんな目にあわねばならないのか」-。北朝鮮に拉致されたことなど知る由もなく、何年も嘆き悲しみ続けました。
「いっそ、新潟の海に身を投げ出してしまいたい」それほど、思い詰めることもありました。拓也と哲也もいたのに、なんと浅はかなことを思う母親だったかと、情けなくなります。
新潟ですべての涙を流し去り、あなたが北朝鮮にいると分かった後は、ただ前だけを見つめて、救出運動に駆け回ってきました。多くの人に支えられ、すべてを天に委ねて祈り、生きてくることができました。
国家犯罪による拉致というとてつもない現実と直面しながら、お父さんも、お母さんも不思議な力に守られ命をつないでいます。めぐみも同じように、日本国や世界の皆様の思いに守られ、必ず、全ての被害者とともに祖国の土を踏みしめることができるはずです。
ただいま! ありがとう」。13歳のころと変わらない元気で、明るいめぐみちゃんと、間もなく、再会できる。お父さんもお母さんも、そう信じています。
2018.10.04-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20181004-CPPHBFQSGNLL7CD5SBYJYLCK4E/
5日で54歳の誕生日 あなたを必ず助け出します
(1)
北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=が5日、54歳の誕生日を迎える。父の滋さん(85)が療養する中、母の早紀江さん(82)が思いを寄せた。
めぐみちゃん、こんにちは。誕生日を迎え、あれほど小さくて、あどけなかったあなたが、54歳になります。一刻の重みを強く感じながら、途方もない思いに襲われます。
お父さんは今日も、写真の中でほほえむめぐみちゃんの姿に元気をもらいながら、一生懸命、リハビリに励んでいます。お母さんも元気な姿であなたを抱きしめるため、日々前を向いて救出を願い続けています。
あなたが北朝鮮に連れ去られ、姿を消してから、すでに41年も誕生日を重ねてしまいました。「おめでとう」と、素直に伝える気持ちにはなれません。これほど長く、助けてあげられなくて、本当にごめんね。
(2)
北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん=拉致当時(13)=が5日、54歳の誕生日を迎える。父の滋さん(85)が療養する中、母の早紀江さん(82)が思いを寄せた。
めぐみちゃん、こんにちは。誕生日を迎え、あれほど小さくて、あどけなかったあなたが、54歳になります。一刻の重みを強く感じながら、途方もない思いに襲われます。
お父さんは今日も、写真の中でほほえむめぐみちゃんの姿に元気をもらいながら、一生懸命、リハビリに励んでいます。お母さんも元気な姿であなたを抱きしめるため、日々前を向いて救出を願い続けています。
あなたが北朝鮮に連れ去られ、姿を消してから、すでに41年も誕生日を重ねてしまいました。「おめでとう」と、素直に伝える気持ちにはなれません。これほど長く、助けてあげられなくて、本当にごめんね。
お父さんとお母さん。そして、あなたがかわいがっていた弟の拓也、哲也と一緒に楽しく誕生日を祝う。そんな普通の日常がどれほど尊く、ありがたいものか。身にしみて感じます。
(3)
今、あなたはどんな姿になっているのでしょうか。私たちにとって、めぐみは13歳の女の子の姿で止まったままです。だから、どうしても、すてきな大人になっためぐみを思い描くことができないのです。
けれども、家族は皆、明るく、強く、元気だったあなたを知っています。この瞬間も助けを待ちながら、懸命に生き抜いているめぐみちゃんを思い、拉致被害者全員の救出を訴え続けています。日本国のたくさんの国民の方々も、力を尽くしています。
日本は、拉致という非道な国家犯罪を必ず解決し、未来への明るい道筋を切り開けるはずです。めぐみちゃん。あなたを必ず助け出します。長い闘いになりましたが、希望を強く持ってもう少し、待っていてね。
2018.09.17-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20180917-5RWWLEVFI5I7HG3D2KJ2NM7PMM/
元気な姿で再会するため お父さん、頑張っています
(1)
めぐみちゃん、こんにちは。日本の夏は今年、とてつもない暑さに包まれました。経験したことのない記録的な猛暑が続いたうえ、各地が大地震や豪雨などの大変な災害に見舞われ、復興に向け、多くの方が懸命に取り組んでおられます。
平成14年9月17日、日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認めてから、きょうで16年がたちます。あの日、北朝鮮はあなたを「死亡した」と偽りました。いまだにめぐみちゃんたちを救えない悔しさがこみ上げます。
85歳のお父さんと82歳のお母さんにとって今年の暑さは本当に厳しいものでしたが、あなたに再会するまで決して負けないよう、一生懸命、過ごしています。
お父さんは今、めぐみちゃんと元気な姿で再会するために、病院で一生懸命、リハビリに励みながら、力を蓄えています。
昨年から今年にかけて、体力が落ち、急遽、入院することになりました。入院前は、日ごとに、食べ物や飲み物がのどを通らなくなっていました。高齢で飲み込む力が弱まると出る症状で、誰しも起こりうる、やむを得ないことでした。今は、多くの方々に助けられながら、しっかりと元気を取り戻しています。
お父さんは当初、点滴で栄養を補っていましたが、限界があり、「胃瘻(いろう)」にすることになりました。胃瘻は管を通して胃に直接、栄養を入れる処置です。口から食べ物や飲み物を取ることができなくなるのは、あまりにもかわいそうで、家族としては胃瘻にさせたくはありませんでしたが、迷った末に決めました。
(2)
それからは、病院の方々と共にリハビリを重ね、硬直していた手足がほぐれ、体が伸びるようになりました。入院前はうまく言葉が出ず、意識を保つのが難しかったのですが、最近は笑顔が増え、言葉が出るようになりました。私たちとの会話もしっかり、理解できるようになっています。
お父さんのベッドの前の台には、めぐみちゃんの写真を飾っています。幼いころのめぐみ。北朝鮮が平成14年に拉致を認めた後に差し出してきた、大人になっためぐみ。写真の笑顔を励みに、頑張っています。
お母さんはいつも、お父さんに語りかけます。「もうすぐ、めぐみと拉致された皆さんが帰ってくるよ。お父さんとめぐみが会って、お話をする日までは、がんばらなければね」
すると、お父さんは力強いまなざしで「うん。がんばる」と答えます。その姿に、お母さんも勇気をもらいます。お父さんが今、休息できるのは、長年、救出運動に駆け回ってきた分、「一息ついて、休養をしなさい」という天のおぼしめしだと感じています。
あなたたちを救うため、今日もたくさんの方が声をあげています。めぐみちゃんと北朝鮮で一緒だった曽我ひとみさんも街頭に立って、救出を訴えています。
「早く帰りたい」。お月様を眺め、めぐみちゃんがつぶやいた姿を、ひとみさんは忘れていません。お母さんのミヨシさんとの再会を信じて、私たちと同じように必死に闘っています。
今年6月、史上初の米朝首脳会談が開催され、米国のトランプ大統領が、金正恩氏に拉致問題を提起しました。本当に思いがけないことで、「重い扉」が開きつつあるように感じます。
(3)
一方、日本のありようはどうでしょうか。いまだ被害者を救えない現実に「このままで本当に良いのですか」と、問いかけたくなります。先行きが見えない中で、政治家の方々が何を大事に思い、事を進めていかれるのか、しっかりと、見つめていくつもりです。官僚の方々も改めて、被害者全員の帰国に向け懸命な働きを見せていただきたい。
何よりも、私たちが襲われた拉致という非道な出来事と、41年間の地獄の苦しみをもう二度と、誰にも味わってほしくないのです。
北朝鮮は国家犯罪として多くの日本人を連れ去りましたが、長い年月、それを許した日本の国のありよう、国内で渦巻いていたであろうさまざまな悪い動き、そうしたものを次世代に残さず、すっかり解決し、未来を担う子供たちへ日本を引き継ぐべきではないでしょうか。
拉致は、人の命を肉親と故郷から引き離し、閉じ込めるものです。北朝鮮は、被害者の命を政治や外交の取引材料に使う残酷な行為を今すぐやめるべきです。拉致の全面解決を北朝鮮の最高指導者が決意するとき、被害者だけでなく、飢餓や抑圧に苦しむ北朝鮮の国民にも、大きな幸福が訪れると固く信じています。
めぐみちゃん。希望を強く持って、待っていてね。=随時掲載
2018.06.07-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20180607-OJSWPXJHABOGVAZSMOJOMLP6XQ/
期待と絶望を重ね迎えた「大切な時」 心静かに成り行き見つめたい
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めぐみちゃん、こんにちは。毎日が飛ぶように過ぎ去り、今年も一年の半ばを過ぎようとしています。季節の移ろいは早く、木々の緑は濃くなり、梅雨を迎え、そして暑い夏の気配が迫ってくるように感じます。
家の周りにはきょうも、あなたが大好きな色とりどりのきれいな花が咲き、心を明るくしてくれます。めぐみちゃんと一緒に、日本の美しい風景を何も考えず、ただ、静かに眺めたい。ずっと思い続けてきた願いは、募るばかりです。
お父さんもお母さんも、本当に年を取ってしまいました。拉致被害者の救出を呼びかける写真展などで、めぐみちゃんと一緒に家族みんなで撮った写真を見ると「ああ、こんなに若いころがあったんだ」と、気が遠くなってしまいます。
いつも明るく、楽しそうに笑い、元気いっぱいだったあなたの姿は、13歳の女の子のままで止まっています。それを取り戻せず、40年も時がたってしまった。怒り、悲しみ、悔しさ。途方もない感情がこみ上げますが、涙は枯れ果て、あなたの救出だけを心に決め、前へ前へと進んでいます。
厳しく、難しい状況が続いた拉致問題は今、大切な時を迎えています。各国の指導者が歩み寄り、平和について話し合っています。
ただ、私たち家族はいつも、複雑で理解しがたい政治や国際関係に翻弄されてきました。期待が裏切られて絶望のふちに追いやられたことは幾度もあります。
つい最近も、一度は決まった米国のトランプ大統領と、北朝鮮の金正恩氏の首脳会談が「中止」と発表されました。そうかと思えば瞬く間に、交渉の場を再び設ける動きが進み、当初の予定通り会談を開催することが表明されました。
各国の思惑、激しい揺さぶり、熾烈な駆け引き-。私たち庶民に激しい世界の実態が見えるはずもなく、とまどうばかりです。いろいろな方から拉致問題の展望や世界の動きについて問われますが、そのたびにただ、困惑してしまいます。
(2)
だから、お父さんとお母さんは心静かに、成り行きを見つめたいと思います。
41年前にめぐみちゃんが姿を消し、21年前に北朝鮮で生きていることが分かりました。平成14年、北朝鮮はあなたが「死亡した」と説明し、偽の遺骨を送ってきたことまでありました。
そしてきょう、ここに至るまで、拉致被害者の帰国に向けて明るい希望が出たかと思えば、夜露のごとく消え去ることが何度も繰り返されてきました。振り返ると、何も動きがなく、静まりかえった時間が続き、身も心も押しつぶされるように感じる日々が一番、長かったように思います。
「喜び勇むのではなく、嘆き悲しむのでもなく、常に『真ん中』の心でいる」期待しすぎるのは良くない。絶望からは何も生まれない。お母さんは毎日、平静な思いで、身と心を真ん中に置いて過ごせるよう祈りながら、あなたの帰国を待っています。
家族は皆、めぐみちゃんたちすべての拉致被害者を救おうと、国内外で一生懸命、声をあげています。
5月にも弟の拓也や、田口八重子さんのご長男の飯塚耕一郎さんが、加藤勝信大臣、超党派拉致議連、救う会の皆さんとともに米国に渡り、拉致問題の解決に向けて、米国政府や世論に協力をお願いしました。
拓也は、あなたが連れ去られる直前まで大切にしていた人形を胸に抱いて、心を込めて、一心に救出を訴えていました。
お父さんやお母さんたち親の世代の家族も長年、何度も海外に飛び、被害者救出を訴えてきましたが、皆本当に老いてしまい、自らの足で駆け回ることは難しくなってしまいました。
被害者と再会できぬまま命が尽き果て、大切な方々が次々と亡くなっていきました。残された家族は、必死の思いで日々を生き、命をつないでいます。お父さんも体調不良で入院しましたが、めぐみちゃんに元気な姿で会えるよう、毎日を一生懸命過ごしています。
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家族会は先日、安倍晋三首相にお会いしました。安倍首相は米朝首脳会談、さらに、すべての拉致被害者の帰国に向け、日本と北朝鮮が交渉する局面も見すえて、解決にかける思いを語っていらっしゃいました。
お母さんは「1人でも多くの拉致被害者が元気に、生きて帰ってくることだけが願いです」と申し上げました。気が遠くなるほど長い時がたちながら、いまだ帰国を果たせない数多くの被害者が、北朝鮮の地で救いを待っています。
拉致は複雑で奥が深く、えたいの知れぬ恐ろしい問題に見えます。でも、その本質は、国の意思で罪のない人々を無理矢理に連れ去った「国家犯罪」です。拉致は、人の幸せを根こそぎ奪い取る非道きわまりない人権侵害であり、そもそも、外交交渉の「道具」とすることなど決して、許されるものではありません。
だから、お母さんはいつも「北朝鮮の指導者はまっすぐな心を取り戻し、拉致被害者全員を帰国させ、平和の道を歩んでほしい」と願います。真心を持ち、世界の平和と、国民の幸せをかなえる決意があれば、拉致問題も、すべてを消し去ってしまうかもしれない核の問題も、必ず、前に進めることができるはずです。
「拉致問題を解決できなければ国家の恥です」。お母さんは常日頃、皆様に申し上げます。日本政府、そしてすべての政治家の皆さんは重大な時を迎えた今、知恵を集め、全身全霊をささげ、国民を救い、守るという責務を果たしていただきたいと願います。お父さんもお母さんも、その行く末を、しっかり見届けるつもりです。
すべての拉致被害者に必ず、祖国の土を踏ませていただきたい。毎日祈りながら、めぐみちゃんと抱き合う日を待ちわびています。=随時掲載