香港の問題



2019.7.18-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190618/wor1906180028-n1.html
香港長官が謝罪会見 辞任否定 条例改正案「撤回」明言せず

【香港=藤本欣也】中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正問題をめぐり混乱が続く香港で18日、政府トップの林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官が記者会見を開き、「心から市民に謝罪する」と陳謝した。しかし条例改正案を「撤回する」とは明言せず、自らの辞任についても「市民の信頼を取り戻す」と述べ、続投の意思を表明した。
 立法会(議会)の民主派議員は反発し、デモを継続する方針を表明。ネット上でも「失望した」「会見をした意味がない」など批判の声が広がっており、市民の反発は収まっていない。 主催者発表で100万人以上が参加した9日と16日のデモでは、市民らが条例改正案の撤回や、林鄭氏の辞任を要求していた。
 これに対し、林鄭氏は15日、改正案の立法会審議を無期限に延期すると発表。16日夜には、政府声明を出して、一連の混乱について謝罪した。しかし、声明ではなく会見を開いて頭を下げるべきだという批判の声が一部で上がり、林鄭氏はこの要求には応じた形だ。
 林鄭氏は会見で、市民の理解が得られない限り、「絶対に改正作業は再開しない」と表明したものの、「撤回」という言葉を使うことは最後まで避けた。
 香港では2003年にも、中国当局が成立を求めていた「国家安全条例」案が市民の反対デモで撤回に追い込まれている。このときは当時の董建華行政長官が05年に健康問題を理由に辞任した。事実上の引責辞任とみられている。


2019.6.13-日経-https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00002/061300443/?P=2
池田 信太朗-日経ビジネス 電子版開発長
香港デモは「最後の戦い」、2014年雨傘革命との違い


 香港の騒乱が続いている。

 1997年の返還以来、香港では何度か大規模なデモが起きている。特に記憶に新しいのは2014年に起きた「雨傘革命」と呼ばれる学生蜂起だろう。
     「またか」と思う向きもあるかもしれない。だが、今回のデモの性質は雨傘革命のそれと大きく異なる。
 雨傘革命は傍観していたが、今回のデモには参加した香港人男性は言う。「初めて政治デモに参加した。これが最後かもしれない」。

夢見て裏切られた雨傘革命

 雨傘革命のデモ隊が求めていたものは「普通選挙の実施」だった。
 返還後、香港政府のトップである香港行政長官は1200人の選挙委員だけが投票権を持つ選挙で選定される仕組みを取っていた。いわゆる「間接選挙」
     の体だが、選挙委員の選定は恣意的で、いわゆる親中派が8割以上を占める。民意が反映される選挙からは程遠い。
 香港の憲法に当たる香港基本法は、この制度について「必要であれば、2007年以降に」改正できると定めていた。行政長官の任期は5年。つまり、
     これまでに2回、選挙方法を改める機会があった。

 1度目は2007年。当時の行政長官(董建華氏)の辞任を求めるデモが激化する中で、民主派は普通選挙の実施を求めたが、中国当局は全人代で
     「2007年以降に変えるというのは、2007年に変えるという意味ではない」とする基本法の解釈を発表して時を稼いだ。
 2度目が2014年、つまり雨傘革命の年だ。「今度こそ」と期待が高まる中、8月に中国政府は新選挙制度を発表した。1人1票の投票権を市民に与える。
     ただし、政府が認定した「指名委員」の過半の支持を受けた者のみが候補者になれる、というものだった。中国政府の意に沿った候補者以外が立つ
     ことはなく、有権者にはほぼ選択権がない。つまり「形式だけの普通選挙」だったのだ。これに怒った学生が立ち上がり、大規模なデモに発展した。

 デモは徐々に力を失い、失敗に終わる(関連記事:不夜城の陥落、力を失いつつある香港デモ)。「形式だけの普通選挙」すら撤回され、1200人の委員
     による間接選挙が継続されることになった。いまの行政長官である林鄭月娥氏は1200人から選ばれたトップだ。
 香港は、返還時の取り決めによって高度な自治が認められていると言われる。だが、政府の代表が民意によって選ばれたことは英国統治時代から含めて
     1度もない。「法治主義」や「資本主義」はあっても「民主主義」はなかったのだ。中国の改革派(天安門事件に抗議して基本法完成前に辞任した)
     がその起草に参加したがゆえに基本法に書き込まれた文字によって「2007年以降、民主主義を手にすることができるかもしれない」という希望が生まれ、
     それが裏切られた。これが雨傘革命の実像だった。
 つまり「いまないものを求めた」のが雨傘革命だった。これに対して今回のデモは「いまあるものが失われようとしていることを食い止める」という闘争だ

「安全」な場ではなくなる恐れ

 既報の通り、今回のデモ隊の要求は、容疑者の身柄を中国本土などへ移送できるようにする「逃亡犯条例」の改正を食い止めることにある。
 香港人の脳裏をよぎるのは、2015年に発生した書店員失踪事件だろう(関連記事:香港銅鑼湾書店「失踪事件」の暗澹)。中国政府を批判する書籍を
     多数そろえていた香港の書店の関係者が突然、失踪したという事件だ。失踪者たちはやがて戻ったが、そのうちの1人が中国当局による拘束と
     捜査だったことを告発して注目を集めた(関連記事:銅鑼湾書店事件、「ノーと言える香港人」の告発)。
 言論の自由が守られている香港であれば、中国政府に対する批判も安全にできる――。「一国二制度」の壁を越えて、法的手続きを経ずに中国当局の力が
     及び、その「前提」がねじ伏せられたことに衝撃を受けた香港人は多かった。
 「逃亡犯条例」は政治犯を対象としていないと香港政府は言う。だが、上記失踪事件をはじめとする中国当局の強面(こわもて)を知る香港人は額面通りには
     受け取っていない。デモに参加した男性は「たとえ無罪でも、別件で逮捕され、取り調べのためにと移送されるだけで大きなダメージになる。香港が、
     それを恐れて口をつぐむような場所になってしまえば、国際都市としての地位は明らかに下がる」と懸念を示す。
 2003年にも、香港は「いまあるものが失われようとしていた」ことがある。香港基本法23条には「香港特別行政区は国家分裂や反逆、国家機密を盗み取る
     などの行為を禁じる法律を自ら作る」という一文がある。この条文に基づいた条例を、香港政府は2003年に成立させようとしたのだ。もし成立していれば、
     中国政府に対する批判が法的に禁じられる事態になっていた。
 今回の「逃亡犯条例」改正案は、この条例に近い効果を、香港社会に実質的に及ぼすものと言っていい。2003年条例は香港市民の猛反発に遭い、
     撤回を余儀なくされた。だが、2003年当時といまとでは、中国政府の力、香港の国際的な地位ともに大きく異なる。中国政府と、その意向を受けた
     香港政府が今回は強行するという可能性は小さくない。
 「ないもの」に手を伸ばそうとした雨傘革命と、「あるもの」を失うまいとする今回のデモ。後者は、勝っても新たに得るものはなく、負ければ引き返せない
     一線を越える。前者と比べて多くの世代や企業が声を上げたところに、香港社会の必死さが浮かぶ。


2019.6.13-zaqzaq by 夕刊フジ-
(https://www.zakzak.co.jp/soc/news/190613/for1906130003-n1.html?utm_source=coins&utm_medium=push&utm_campaign=COINs)
習近平氏“失脚”危機!? 香港流血デモ、負傷者

70人超…中国共産党は“内紛”状態 専門家「G20前にヤマ場」
香港で、学生らと警官隊が激しく衝突した。中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案の撤回を求め、立法会(議会)を包囲していた
  学生らに対し、警官隊が12日、多数の催涙弾やゴム弾などを撃ち込んだのだ。負傷者は79人に上ったという。30年前の「天安門事件」の悪夢
     は繰り返されるのか。香港は13日朝も緊迫している。「自由」と「法の支配」を守ろうとする学生らの抗議運動に対し、中国共産党幹部が香港入り
     したとの報道もある。米国務省は、学生らの行動に理解を示した。今後の展開次第では、習近平国家主席の政権基盤が揺らぐ可能性もありそうだ。
続きは「中国の問題」へ


中国・台湾-2019/6/12 -日本経済新聞-https://www.nikkei.com/article/DGXMZO46006080S9A610C1EA1000/
香港デモ隊、警官隊と衝突 70人以上が負傷 

【香港=木原雄士】香港で拘束した容疑者を中国本土に引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正案に反対する香港の市民や学生数万人が12日、
     立法会(議会)の建物を取り囲み、周辺の幹線道路を占拠した。警官隊が催涙弾やゴム弾を発射して強制排除に乗り出し、香港メディアによると
     70人以上の負傷者が出た。立法会は同日予定していた改正案の審議再開を見送ったが、混乱が続く可能性がある。
  デモ隊が早朝から占拠したのは、行政長官選挙の民主化を求めた2014年の「雨傘運動」と同じ道路だ。時間を追うごとに参加者が増え、数万人に達した。
     「(9日の)100万人デモを気にかけずに、まったく聞く耳を持たない行政長官に怒りを覚えた」。抗議に参加した会社員の唐さん(24)はこう話した。
  香港政府ナンバー2の張建宗政務官は衝突に先立って緊急ビデオメッセージを発表し、「早期に解散し、違法な行為に身を投じてはいけない」とデモ隊に
     占拠解除を求めた。午後に入って立法会の敷地内に突入した若者と警察の間で衝突が起き、警察は催涙弾や放水で強制排除を開始。学生らは
     傘を投げつけるなど激しい応酬になった。衝突後も若者らは周辺に残り、警官隊とにらみ合いを続けた。

  香港政府トップの林鄭月娥行政長官は12日夜に声明を発表し、デモ隊の道路占拠や警察への攻撃について「平和的な集会ではなく組織的な暴動である
     ことは明白だ」と強く非難した。「香港全体の利益のために、平和的な方法でいかなる問題も解決できる」とも指摘したが、条例改正手続きを
     予定通り進めるかどうかには言及しなかった。
  経済活動への影響も出始めている。香港株式市場は混乱を嫌気して全面安となり、ハンセン指数は前日比1・73%下げた。香港取引所や不動産会社など
     主力株が軒並み下落した。

■経済界・外資も条例反対
  香港で「逃亡犯条例」改正案への反対が広がったのは、民主派の若者だけでなく、中国政府に近い立場を取ってきた経済界も本音では拒否反応を示している
     ためだ。外資系企業も従業員が中国本土への引き渡し対象になりかねないと警戒を強めており、アジアの金融センターの地位が揺らぎかねない
     との懸念もある。
  在香港米国商工会議所のタラ・ジョセフ総裁は日本経済新聞に「(100万人デモは)条例への懸念がいかに深く、裾野が広いかを示す。改正の撤回や
     延期を求める」とコメントした。
  中国通信機器最大手、華為技術(ファーウェイ)の副会長がカナダの司法当局に逮捕されるなど、米中対立は激しさを増す。中国政府の報復措置で
     香港で従業員が拘束され、中国に引き渡されかねないとの懸念が外国企業には強い。
  香港政府は引き渡しの対象から経済犯罪を除いたが、「共産党の支配下にある中国の公安当局が容疑をでっち上げる恐れがある」との見方は消えない。
     米国務省は「米国市民が中国の予測できない司法制度にさらされる可能性がある」(オルタガス報道官)と警告する。

  香港は2018年の新規株式公開(IPO)調達額で世界1位になるなどアジア有数の金融センターだ。香港政府が条例改正を強行すれば、米投資銀行などが
     アジアの統括拠点の移転を検討し、金融センターが空洞化する恐れがある。
  普段は実利を重視する香港市民にも「司法の独立が失われれば、自らの身に危険が及ぶ」との危機感が募る。12日は地元の銀行や小売店、旅行会社
     などが臨時休業や、従業員に自宅勤務を認める措置を取った。デモへの参加を容認する動きと受け止められている。
  条例改正案を採決する立法会は定数70のうち、親中派が43議席を握る。経済界を支持基盤とする一部の親中派議員は慎重姿勢を示していたが、
     中国政府の香港出先機関は議員を呼び出すなど引き締めを図る。
  米国との貿易戦争が激しくなるなか、香港の民主派の要求に屈する弱腰を見せられないと判断した習近平(シー・ジンピン)指導部が「事態収拾に乗り出した」
     (外交筋)との見方も出ている。


2019.6.10-FNN PRIME-https://www.fnn.jp/posts/00419043CX/201906101839_CX_CX
「103万人」香港で大規模デモ 「逃亡犯条例」で言論の危機

香港返還以降、最大規模の抗議デモが行われた。容疑者の中国本土への引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案をめぐり、香港で9日、大規模な抗議デモが行われ、主催者側の発表によると、103万人が参加した。

香港市民は、「中国政府に都合よく利用される」と警戒し、20万人が参加した2014年の大規模デモ「雨傘運動」の主要メンバー・周庭さんも反発した。周さんは、「香港が返還されてから、最も危険な法案だと思います」と話した。周さんは、「改正案が通れば、香港は言論の自由のない危険な場所になる」と訴えている。

改正案の審議は、香港の議会で12日に行われる予定。


2019.6.9-日本経済新聞-(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45881850Z00C19A6000000/)
香港で103万人デモ 本土への容疑者移送案に反発 
中国・台湾

【香港=木原雄士】香港の民主派団体は9日、中国本土に刑事事件の容疑者を引き渡せるようにする「逃亡犯条例」の改正案に反対する大規模なデモを実施した。参加者は主催者発表で103万人(警察発表では24万人)にのぼり、1日のデモとしては1997年の中国への返還以来、最大規模に膨らんだ。改正案について、香港政府は6月中にも立法会(議会)で成立させる方針で、対立が激しくなりそうだ。

参加者は改正案への反対を意味する「反送中」などのプラカードを掲げ、香港島のビクトリア公園から立法会まで行進した。若者の参加も目立った。デモ終了後に一部が暴徒化した。警察官が催涙ガスで鎮圧し、多数を連行した。

改正案は中国当局の求めに応じ、香港で拘束した容疑者を引き渡せるようにする内容だ。台湾で殺人を犯した男が香港に逃げ帰った事件を踏まえ、香港政府は「法律の抜け穴を防ぐ必要がある」と主張する。

だが、中国の司法制度は著しく透明性に欠けるとの批判が強い。人権団体などは政治犯が無実の罪で投獄されていると批判している。香港でも条例改正をきっかけに、中国に批判的な活動家や中国の事業でトラブルに巻き込まれた企業関係者なども移送の対象になりかねないとの見方がある。

香港は高度な自治を認められた一国二制度のもと中国本土と異なる司法制度を維持してきた。司法の独立は欧米企業が香港に拠点を置く理由の一つだ。企業立地などに影響する可能性がある。

香港は高度な自治を認められた一国二制度のもと中国本土と異なる司法制度を維持してきた。司法の独立は欧米企業が香港に拠点を置く理由の一つだ。企業立地などに影響する可能性がある。

デモに参加した投資アナリストの李さん(24)は「条例改正が通れば、香港は中国本土の下に置かれた単なる一都市になってしまう」と危機感をあらわにした。グラフィックデザイナーの王映晴さん(24)は「中国は香港の政策に干渉し自由を奪ってきた。改正案が通れば、国際都市としての香港が終わる」と話した。メディア業界も中国に批判的な報道が難しくなる事態を懸念している。

民主派だけでなく経済界や法曹界、欧米諸国から懸念の声が相次ぎ、香港政府は引き渡しの対象となる犯罪を絞り込んだ。立法会で12日に審議を再開し、6月中にも可決させる方針だ。

デモに参加した投資アナリストの李さん(24)は「条例改正が通れば、香港は中国本土の下に置かれた単なる一都市になってしまう」と危機感をあらわにした。グラフィックデザイナーの王映晴さん(24)は「中国は香港の政策に干渉し自由を奪ってきた。改正案が通れば、国際都市としての香港が終わる」と話した。メディア業界も中国に批判的な報道が難しくなる事態を懸念している。

民主派だけでなく経済界や法曹界、欧米諸国から懸念の声が相次ぎ、香港政府は引き渡しの対象となる犯罪を絞り込んだ。立法会で12日に審議を再開し、6月中にも可決させる方針だ。


香港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


中華人民共和国香港特別行政区、通称香港は、中華人民共和国の南部にある特別行政区一国二制度)である。同じ特別行政区の澳門は南西に70km離れている[3]東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、150年以上の植民地の歴史で世界に知られる。
広大なスカイライン及び深い天然の港湾を抱える自由貿易地域であり、1,104 km2 (426 sq mi)の面積に700万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域である

概要
香港の人口は、93.6%が華人、6.4%はその他の民族である[5]。香港の広東語話者の大多数は主に隣接する広東省が起源であり[6]、1930年代から1960年代に中国での戦争や共産主義体制からイギリス植民地であった香港に逃れて来た人々である[7][8][9][10]。1839年から1842年のアヘン戦争後、香港は大英帝国の植民地として設立された。香港島が最初にイギリスに永久割譲され、1860年に九龍半島割譲、1898年には新界租借された。

太平天国の乱(1851年 - 1864年)、義和団事件 (1900年 - 1901年)、辛亥革命 (1911年-1912年)、日中戦争などが原因で、香港には難民が続々となだれこんだ。植民地人口の約半分が香港島に住み、残りが九龍半島または舟に居住した。島の方は岩肌に水が浸透しないため、設備なしには真水の供給が難しかった。1885年、香港で利用可能な水は1人1日あたり18リットルであった。1918年になると設置できる土地は貯水池とそこまでの水路でほぼ埋まり、島表面積の1/3にもなったが、それでも人口増加による水需要の増加には追いつかなかった。新界も状況は似て、1936年に大規模なジュビリー・ダムを完工したにもかかわらず、1939年の時点で24時間給水は雨季にしかできなくなっていた。このとき香港全体で1人1日あたりの水消費量は75リットルと推定されている[11]。この水不足問題が、後に英国が、租借していた新界及び割譲されていた香港島も含め、現在の香港全領域を返還せざるを得ない状況を作った。

第二次世界大戦 (1941年–1945年) の間、イギリス軍が瞬く間に放逐されて日本に軍事占領され、1945年8月までそれは続いた。この戦前から現在まで、香港は慢性的に水不足である[12]。戦後は中華民国に返還されずにイギリス統治が再開され、1997年まで続いた。一方、植民地時代の積極的不介入方針は現在の香港の文化および教育制度の形成に大きく影響した。なお、香港の教育制度はおおむね英国式であったが、その後2009年に制度改革が実施された。

イギリスは中華民国ではなく中華人民共和国をその返還交渉相手に選び、中華人民共和国間との交渉及び中英共同声明の結果として、香港はイギリスから中華人民共和国に返還され、一国二制度の原理の下、1997年7月1日に最初の特別行政区になった。その影響で、共産主義の一党独裁政府である中華人民共和国の支配を受けることを喜ばない香港住民を不安に陥れ、イギリス連邦内のカナダやオーストラリアへの移民ブームが起こった。1989年に北京で六四天安門事件が発生すると、香港では再び移民ブームが巻き起こった、大部分の香港移民はイギリス連邦の構成国であるカナダのトロントやバンクーバー、シドニーやシンガポールに向かった。1999年12月にポルトガルから移譲されたマカオも特別行政区である。現在も香港は中国大陸とは異なる政治制度を有する。香港の独立した司法機関コモン・ローの枠組みに従って機能する[13][14]共同声明において正式に記された条項に基づいた返還以前に、中華人民共和国側により起草された定款である香港特別行政区基本法において香港の政治は行われ[15]、国際関係及び軍事防御以外の全ての事柄において高度な自治権を有することを規定している[16]。なおこの自治権は中国中央指導部の委任・承認に基づき地方を運営する権限であり、完全な自治権、地方分権的なものではないとされる(2014年6月10日中国国務院白書)。

香港は複数政党制であるが、立法会の70議席のうち30議席を少数の有権者が支配し、先進経済諸国の中では政治的権利において最下点欠陥民主主義に分類される[17][18][19]

香港は世界都市であり、アルファ +の都市の1つである。ロンドン及びニューヨークシンガポール東京と並び、世界的に重要な国際金融センターに格付けされ、低税率及び自由貿易を特徴とする重要な資本サービス経済を有し、通貨香港ドル世界第8位の取引高を有する[20]

香港は世界有数の一人当たりの所得を有するが、先進経済諸国有数の所得格差もまた存在する[21]。スペースの不足により高密度な建造物の需要が生じ、現代建築及び世界で最も垂直な都市の中心へと都市は開発された[21]。高密度な空間は高度に発達した交通網ももたらし、公共交通機関の利用率は90%を超え、世界第1位である。香港はさまざまな側面、例えば、経済的自由並びに金融及び経済的競争力において多数の高い国際ランキングを有する[22]人間開発指数は全面的に高く順位付けされ、知能指数は世界で最も高い地域にもなっている[23]。隣接する中国本土からのPM2.5による大気汚染及びスモッグは香港市民の健康面への影響は懸念されるが[24][25]、香港市民は男女ともに平均寿命で世界一[26][27] になるなど非常に長寿である。

人口
2011年の人口調査の結果によると、香港の人口は707万1576人で、前回2006年の調査に比べて0.6%の増加であった[32]。香港は世界で最も人口密度が高い地域の一つであり、1平方キロメートル当たりの人口密度は6540人(2010年)である[33]。2018年には745万5245人となっている。18ののうち最も人口密度が高い観塘区では5万4530人に上る[33]。香港の出生率は1000人あたり12.5人(2010年)で[33]、世界でも低水準にある。
香港島北部の住宅地と九龍半島に人口が集中している。両者を合わせて127.75平方キロメートルと香港全体の面積の12%弱の地域に、香港総人口の約48%に当たる約338万人が居住している。九龍地区の1平方キロメートル当たりの人口密度は4万4917人、同じく香港島北部は1万5726人である(いずれも2010年)。
また、同地域は『海外からの移住者が仕事探しを行なえる環境』として比較的恵まれていることが特徴ともなっており、労働移住者の割合は24%(世界7位)という高めなものとなっている[34]。香港の人口で最も多いのは「華人」と呼ばれる中国系で、全体の93%を占める。華人以外で多いのはメイドなどの出稼ぎ労働者として多くが働いているフィリピン人やインドネシア人で、かつての宗主国のイギリス人が次ぐ。日本人は約1万4000人居住している。
香港返還以降の人口増加の大半は本土からの移民による。香港大学アジア太平洋研究センターの鄭宏泰助理教授は「中国本土からの移民人口を総合すると、2001年時点の香港総人口の約1割に当たる」と指摘する[35]。2015年の調査によると、1997年の香港返還以来、中国本土から香港に移り住んだ人の数が87万9000人に達していることが明らかになった。香港の人口(730万人)の8人に1人が本土出身者という計算になる。

政治

香港の政治の特徴は香港返還(主権移譲)後に施行された一国二制度にある。イギリス時代の行政・官僚主導の政治から、一定の制限の下での民主化および政党政治への移行期に当たり、社会主義国である中華人民共和国の中で2047年まで資本主義システムが継続して採用されることになっている。

1997年に香港は香港特別行政区として改編され特別行政区政府が即日成立した。香港特別行政区は中華人民共和国において直轄市と同等(省級)の地方行政区とされる。しかし中華人民共和国憲法第31条および香港特別行政区基本法に依拠し、返還後50年間は一定の自治権の付与と本土(中国大陸)と異なる行政・法律・経済制度の維持が認められている。そのため、香港は「中国香港」、中華人民共和国とは別枠で経済社会分野における国際組織や会議に参加することができる。(詳細は香港の対外関係を参照のこと。)

しかし、香港は「港人治港」として「高度な自治権」を享受しているが、「完全な自治権」が認められているわけではない。首長である行政長官は職能代表制として職域組織や業界団体の代表による間接制限選挙で選出されることになっており、その任命は中華人民共和国国務院が行う。また、香港の立法機関である立法会の議員(定員70人)は、半数(35人)が直接普通選挙によって選出されるが、残り半数(35人)は各種職能団体を通じた選挙によって選出される。

行政長官と立法会議員全員の直接普通選挙化をどの時期から開始するか、香港返還直後から議論になっている。2007年12月29日全国人民代表大会常務委員会が、行政長官の普通選挙の2017年実施を容認する方針を明らかにしたものの、立法会議員全員の直接選挙については今なお時期について言及していない。
司長や局長(英語ではいずれもSecretary、閣僚に相当する)は行政長官の指名により中華人民共和国政府が任命する。行政長官と司長局長クラスに限っては中国籍の人物でなければ就任できないが、それ以外の高級官僚(部長クラスなど)にはイギリス人イギリス連邦諸国出身者も少なくなく、新規採用も可能である。

香港基本法の改正には全国人民代表大会の批准が必要であり、香港特区内では手続きを完了できない。同法の解釈権も全国人民代表大会常務委員会が有している。香港の司法府である終審法院の裁判権は香港特区内の事案に限定され、香港が独立という選択肢がない従属領域であり、中国当局がそれを防ぐため香港に完全な自治権を与えないとの方針に由来する[36]

現在、基本法によって香港では集会の自由結社の自由が認められているため、中国本土とは異なり自由な政党結成が可能であり、一定程度の政党政治が実現している。香港の政党は民主派(泛民主派英語版)と親中派(建制派英語版)に大別され、立法会議員全員の普通選挙化について、民主派は2016年からの実施を、親中派は2024年からの実施をそれぞれ主張している。

司法

中華人民共和国本土とは異なり、「香港特別行政区基本法」に基づき、英米法(コモン・ロー)体系が施行されている。基本法の規定により、中華人民共和国本土の法律は「別段の定め」がない限り香港では施行されない。(広深港高速鉄道開業に関しては後述)基本法の解釈問題以外の法体系はイギリス領時代と全く同一である。従って死刑制度も存在しない。

返還によりイギリス領ではなくなったためにロンドンに枢密院を求めることはできなくなった。そのために1997年7月の返還と同時に裁判も原則として、香港特区内で完結する必要性が生じた。そのため、返還後、最高裁判所に相当する終審法院が設置された。この時点で新たに設置の終審法院判事のために5人以上のベテラン裁判官がイギリスから招聘された。返還後の司法体制のために旧宗主国から高官に当たるイギリス人の人材を新たに招くという「珍事」は中華人民共和国が英米法を厳格に適用するための人材について不足していることを率直に認めたことを表しており、意外な「柔軟性」あるいは「現実適応性」を確認する事象であったといえる。

終審法院の下には高等法院(高裁)、区域法院(地裁)、裁判法院(刑事裁判所)などがある。裁判は三審制である。ただし、基本法の「中央に関する規定」および「中央と香港の関係にかかわる規定」につき、条文の解釈が判決に影響を及ぼす場合、終審法院が判決を下す前に全国人民代表大会常務委員会に該当条文の解釈を求めることとされる。

2018年9月23日に香港と中華人民共和国を結ぶ広深港高速鉄道(香港西九龍駅広州南駅)が全線開通したことに伴い、唯一香港内である香港内九龍駅では、出入国管理のため(香港特別行政区と中華人民共和国間を行き来するには出国(現地では出境)し入国(同、入境)する必要がある)構内に引かれている黄色い線より片方は香港内でありながら中華人民共和国の法律が適用され、中華人民共和国の公安(警察)がいる。その先に中華人民共和国の入国審査場と税関がある。香港内で出入国(現地では出入境)手続きを済ます「一地両検」について両国政府は『乗客の利便性を考えた』としている。

対外関係

香港の外交権は中華人民共和国中央政府に帰属するが、基本法の規定により香港特別行政区は経済社会分野の条約の締結、国際会議や国際機構への参加が認められている。外交実務に関しては外交部駐香港特派員公署が管轄している。
経済分野では香港政府による独自の在外駐在機関を設けている。国外の香港経済貿易弁事処は商務及経済発展局が管轄し、中華人民共和国本土にある駐北京弁事処と駐経済貿易弁事処は政制及内地事務局が管轄している。
香港域内でも香港政府に外交権限がないことの不利益が次第に認識されている。駐北京弁事処も以前は政務司長(政務長官)の管轄であったが、2005年の行政長官施政方針において対中央(中華人民共和国本土)政策を政制事務局(後の政制及内地事務局)に集中させる方針が出され現在の形態となった。
中華人民共和国と対立している中華民国の航空機や船舶の香港乗り入れや、同国民の香港への渡航条件は返還前と変わらないが、航空機や船舶に同国の国旗である「青天白日満地紅旗」を塗装・掲揚することは事実上禁止されている。香港返還を控えた1995年に、チャイナエアラインの保有する航空機が塗り替えられ、青天白日満地紅旗に代わり新しいコーポレートシンボルの梅の花が垂直尾翼に描かれるようになった。
香港人が中国本土へ入境する際には、パスポートや香港身分証の代わりに「港澳居民来往内地通行証(回郷証)」が必要とされる。
返還以来、中国本土の大幅な経済成長により民間交流は活発化している。例えば中国から香港大学へ入学した中国人が香港の大学に入学しその4割が香港で就職、香港から中国本土の大学に入学し就職する香港人が6割という現象が起きている[38][39][40]。広東省の曁南大学で学ぶ香港人学生はこれまで80%の卒業生が香港での就職を希望したが、2009年になると50%が本土での就職を希望している。香港男性と大陸女性の婚姻件数は1996年の2215件から2006年の1万8000件となり、香港女性と大陸男性の婚姻件数も1996年の269件から2006年の3400件と大幅に増加している。2006年には香港の婚姻件数5万件のうち4割が香港人と大陸人の婚姻となっている。男女の人口比率は2007年には912:1000であったが、30年後には大陸女性が香港男性と婚姻し定住する案件が増加するため709:1000となる推測も出されている[41]
購買力が高い香港ではメイドを雇用する家庭が多く、その働き手として15万人のフィリピン人が香港に在住している。しかし1990年代にも香港のコンドミニアムで“フィリピン人メイドと犬の使用禁止”の貼り紙が出され、2009年に香港の著名コラムニストが南シナ海南沙諸島領有権問題に絡んでフィリピンを「召使いの国」と揶揄するなど、香港人の差別意識が問題となっている。
一方大陸から香港への観光客は飛躍的に増加し最大の観光客となっている。特に香港との経済格差が小さい深圳では非戸籍者へのビザ取得規制が大幅に緩和され、リピーターが増加している。
出入国管理は大陸とは別個に実施されており、査証も異なる。ただし、先述の通り経済分野以外の在外駐在機関がないため、申請は各地にある中国大使館が窓口となっている。

軍事
第一及び第二次世界大戦の戦死者を追悼する和平記念碑。石造りで、ロンドンホワイトホール慰霊碑のほぼ原寸大の複製物である (エドウィン・ラッチェンス作、1920年発表)[42]
返還前はイギリス軍が昂船洲(ストーンカッタース)や赤柱(スタンレー)などの基地に正規兵のほかにグルカ兵などの傭兵を含む海軍、陸軍部隊(駐香港イギリス軍)を駐留させていた。同司令官は香港総督の下に位置した。
返還後にはイギリス軍に代わり人民解放軍駐香港部隊が駐留している。人民解放軍駐香港部隊の司令部は、返還まではイギリス軍の司令部が置かれていたセントラルのプリンス・オブ・ウェールズ・ビル(現在は「中国人民解放軍駐香港部隊大廈」)にある。人民解放軍駐香港部隊司令官は、中央軍事委員会および中華人民共和国国防部の下にあり、香港行政長官には部隊への指揮権がない。
基本法の規定により、イギリスやイギリスの同盟国であるオーストラリアアメリカを含む外国艦艇の休暇上陸(レスト&レクリエーション)を含む寄港は返還後も中央政府の同意を経て可能とされている。ただし、中央政府の意向により寄港が許可されないケースもある。

経済

国際通貨基金の統計によると、2015年GDPは3092億米ドルである[43]。2015年の一人当たりのGDPは4万2294米ドルであり、世界的にも上位に位置する。2016年の一人当たり国民総所得(GNI)は4万3240ドルでドイツに次ぐ世界第16位となっている[44]

アメリカのシンクタンク2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界6位の都市と評価された[45]。アジアの都市ではシンガポール東京に次ぐ3位である。また、日本の民間研究所2017年に発表した「世界の都市総合力ランキング」では、世界9位の都市と評価された[46]。世界屈指のビジネス拠点であり、2012年5月、スイスシンクタンクによって、2年連続で「世界で最も競争力の高い国・地域」に選ばれた[47]

富裕人口も非常に多く、金融資産100万ドル以上を持つ富裕世帯は約21万世帯であり、フランスインドを凌いでいる。およそ11世帯に1世帯が金融資産100万ドル以上を保有しており、世界有数の密度を誇る[48]。個人資産10億ドル以上を保有する大富豪2016年時点で68人であり、ニューヨークに次ぎ、世界で2番目に多い都市である[49]

25年連続で「世界で最も自由な経済体」に選出されているように[50]、経済形態は規制が少なく低税率な自由経済を特徴とする。食料や日用品などの対外依存度が高い。もともとイギリスの対中国貿易の拠点であったことから中継貿易が発達していた。1949年に中華人民共和国が成立すると、大陸から多くの移民が香港に流入、それを安価な労働力として活用することで労働集約型の繊維産業やプラスチック加工などの製造業が発達した。

1970年代からは、香港政庁が新界における住宅団地開発や交通インフラ整備などに着手(詳細は積極的不介入を参照)、香港経済は急速な発展を遂げる。しかし1970年代後半になると労働コストの上昇や工業用地不足などの問題が顕在化してきた。そして中華人民共和国の改革開放政策により1980年代からは従来の製造業は広東省の深圳市東莞市をはじめとする珠江デルタへと移転、香港は中華人民共和国を後背地とする金融センター・物流基地へ転換した。

1997年の返還後は中国本土への経済的依存は強まり、2003年には中国本土・香港経済連携緊密化取決め (CEPA I) が中国本土と香港の間で調印され、その後も補充協議が実施・締結されている。広東省のイニシアティブによる汎珠江デルタ協力(9+2協力)にも参加している。香港は、世界最大級の都市圏(グレーターベイエリア)を目指す粤港澳大湾区構想の一部でもある[51][52]

イギリス時代から完備された法体系や税制上の優遇措置、高い教育水準を有し英語が普及していることから、賃貸物件賃料が世界最高水準であるにもかかわらず、アジア市場の本社機能を香港に設置する欧米企業が多く存在する。

香港のGDPの80%をサービス産業が占める。観光産業がGDPの約5%を占めるほか、古くから映画産業が盛んである。香港経済界の代表的人物として長江集団を率いる李嘉誠が挙げられる。地価が高いこともあり、香港はシンガポールと同じく物価高の傾向があり、商品や為替変動によっては東京の消費者物価を上回ることがある。




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