台湾問題 2019年
2019.12.31-毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20191231/k00/00m/030/098000c
中国からの選挙介入防止狙う、 台湾で「反浸透法案」可決 国民党は採決拒否し退席
台湾立法院(国会)は会期末の12月31日、選挙介入や政治への干渉などに対抗する「反浸透法案」を、中国と対立する与党・民進党の賛成多数で可決した。11日に投開票される総統選と立法委員選を前に、中国からの選挙介入を阻止することが主な狙いだ。対中融和路線の最大野党・国民党は激しく反発して採決を拒否し、退席した。
反浸透法は「敵対勢力」からの指示や資金援助を受けて、台湾で選挙運動や政治献金などに関与した場合、5年以下の懲役や1000万台湾ドル(約3600万円)以下の罰金などを科す内容。「敵対勢力」は中国を想定している。
国民党は「あらゆる個人・団体が『敵対勢力』とみなされて立件される恐れがある」などと批判。中国政府で台湾政策を所管する国務院台湾事務弁公室も「民進党は私利私欲のために民主主義を後退させ、台湾民衆の福祉と利益をまるで顧みていない」と強く反発していた。
国民党の立法委員らは議場内で「悪法」「新たな戒厳令だ」などと記した横断幕を掲げ、座り込みをするなどして抵抗した。また立法院周辺では親中派政党の党員らが抗議活動を展開し、大勢の警察官が警戒に当たった。
中国からの選挙介入疑惑は台湾メディアなどで相次いで報じられてきた。2019年11月には、豪州に亡命申請した中国人男性が豪メディアに「台湾の統一地方選に介入するため、サイバー攻撃を指揮した」などと語った。【台北・福岡静哉】
2019.12.24-NHK NEWS WEB-
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/417994.html
「台湾総統選挙の行方」(時論公論)
(加藤 青延 専門解説委員)
台湾では来月11日、4年に1度の総統選挙が行われます。中台関係や日本も含む東アジア情勢にもさまざまな影響をもたらすこの総統選挙は、去年までは分が悪いとみられていた現職の蔡英文総統が、急速に勢いを取り戻し、リードする展開になってきました。そこで、およそ20日後に迫った台湾の総統選挙はどうなるのか。その行方について考えてみたいと思います。
台湾の総統選挙は、今月13日に告示され、これまでに現職で与党民進党の蔡英文氏と、高雄市長で野党国民党の韓国瑜氏、それに野党親民党の宋楚瑜氏の3人が立候補しました。
一時立候補が有力視された台北市長や財界の大物ら第三の勢力といわれた人たちは、結局立候補しませんでした。このため選挙は、事実上、蔡英文氏と韓国瑜氏、つまり台湾の2大政党である与党民進党と野党国民党の候補同士の一騎打ちの形になっています。
このうち独立色が強いといわれる民進党の蔡英文氏は、中国とは一定の距離を置き、現状維持を政策の中心に据えています。中国が打ち出している「一国二制度」による統一に対しては、これを受け入れないという姿勢を明確に示してきました。
一方、中国との関係を重視するといわれてきた国民党の韓国瑜氏は、「一国二制度」については当初、態度を明確にしていませんでした。しかし、それが批判されたことから、今は、やはり「一国二制度」に反対する姿勢に転じ、追い上げを図っています。
現地からの報道では、目下のところ、現職の蔡英文氏がややリードする展開になっていると伝えられています。ただ、そのような展開は、1年余り前には、ほとんど予想できなかったことでした。中国との関係がギクシャクしたことで台湾の経済が低迷し、民進党に対する世論の風当たりが強かったからです。去年11月に行われた台湾の統一地方選挙で、与党民進党は惨敗。蔡英文総統は二期目に挑戦すらできないのではないかという見方さえ出たほどでした。
こちらはその統一地方選挙で、当選した県知事や市長の数を、所属別に分けた表です。
去年と前回2014年を比べると、前回は、民進党からの当選者が13人。国民党は6人と2倍以上も民進党が差をつけていました。ところが去年の選挙では一転して、民進党が6人、国民党は15人と完全に逆転されました。
それぞれの政党に対する得票率にも、その変化ははっきりと表れました。
2014年には民進党が48%、国民党が41%だったのに対して、去年は民進党が39%、国民党が49%とこちらも完全にひっくり返された形でした。
このような状況で、蔡英文氏が総統選挙に立候補しても、とても勝ち目がないのではないか、と当時は見られていたのです。それをがらりと変えたのが、今年に入って吹きあれた3つの「突風」です。最初の突風は今年初め、中国大陸のほうから吹いてきました。
中国の習近平国家主席は今年1月2日、台湾に向けて統一を呼びかける演説を行いました。
この中で習主席は、まず「祖国は統一されなければならず、統一することが必然なのだ」と強気の姿勢を示しました。習主席は、平和統一が基本であるとしながらも、「
外国の干渉や、台湾のごく少数の『台湾独立』勢力に対して武力行使をすることは放棄しない」と言い切ったのです。
この「ごく少数」を攻撃するためには武力行使もいとわないという物言いこそが、台湾の人たちを余計に震え上がらせたのです。それは、30年前の天安門事件の時に、中国共産党は「ごく少数の人」が起こした動乱を収拾するという名目で、実際に何十万人もの兵力を動員して大規模な武力鎮圧をやってのけたという動かしがたい歴史があるからです。中国共産党が「ごく少数の人」と言い出したらかえって危ない。習近平演説は、台湾の人たちの「反中国感情」に火をつけた形になりました。
台湾の政治の流れを変えた2つ目の突風は、アメリカから吹いてきました。アメリカが台湾に対して強い支援の手を差し伸べ始めたことです。
アメリカは去年3月、アメリカの高官が台湾を訪問し台湾と交流することなどを決めた台湾旅行法を成立させ、それまで以上に、台湾との関係を緊密化させてきました。そして、今年に入ってからは、トランプ政権が台湾への武器売却を進め、これまでに戦車108両や地対空ミサイル、さらに高性能戦闘機F16、66機を売りこみました。近年にない大量売却です。
これは、武力行使も辞さないと中国に脅かされる台湾の人たちにとっては、まことに心強い支援になったと思います。台湾の人たちが、蔡英文政権ならアメリカは助けてくれるという気持ちになっても不思議ではありません。
そして、台湾の政治の流れを変えた3つ目の「突風」は、一国二制度の原則に基づき高度な自治が保証されているはずだった香港から吹いてきました。
香港では、今年6月以来、容疑者の身柄を中国に引き渡しできるようにする逃亡犯条例の改定案を香港当局が無理やり成立させようとしたことを発端に大規模な抗議デモが半年も続いてきました。これに対して香港当局は、しだいに態度を硬化させ、警察力を総動員して力でねじ伏せる姿勢を鮮明にしてきたのです。警察官が使う道具も、最初のうちは催涙スプレーやガス弾でしたが、やがて実弾を発砲するケースも相次ぎ、死傷者や逮捕者の数がどんどん膨れ上がりました。当局に逆らえば、力でねじ伏せられ、牢屋にぶち込まれる。こうした香港の現実が、台湾の人たちに大きな衝撃を与えたのです。
中国は、これまで台湾を統一するにあたって、香港に導入された「一国二制度」を持ち出し、台湾の人たちにはさらなる言論の自由や民主主義を保証すると繰り返し主張してきました。今年初めの習近平演説でも、「一国二制度」が強調されています。
しかし台湾の人たちはそれを真に受けることができるでしょうか。
統一しても「今とあまり変わらない」といわれて、「はいそうですか」とおめおめ受け入れてしまえば、どんな弾圧を受けることになるかわかったものではない。香港の混乱は、そんな猜疑心を、台湾の人たちの間に植えつけることになったのです。
以上ごらんいただきましたように、今年台湾に吹いた3つの突風は、台湾総統選挙の流れにも、きわめて大きな変化をもたらしたといえます。
こちらは、蔡英文氏の支持率の変化を大まかに示した図です。様々な世論調査がありますが、大体のところは以下のように推移してきました。
去年の11月の統一地方選挙で与党民進党が大敗したころには30%を切るほどの厳しい状態でしたが、習近平演説があった1月に反転。香港のデモが始まった6月には40%台にまで回復しています。さらにアメリカの武器売却や香港のデモが警察官によって厳しく抑え込まれるようになった夏から秋にかけて支持率はまたまた上昇、先月の段階で50%前後かそれ以上の支持を得る形になったのです。
一方、台湾メディアの報道によりますと、野党国民党の韓国瑜氏の支持率は、ちょうど蔡英文氏の動きとは逆の形で低下してきたといえます。
もちろん、まだ、20日近くありますから、この後どんな突風が吹くのかはまだわかりません。香港では最近、大規模デモの申請が許可されるなど、当局側の柔軟な姿勢が感じられるようになりました。牙を見せることが、結果的に蔡英文氏の追い風になることは避けたいという中国の思惑が働いているように思います。ただ、総統選挙が終わったら再び強硬な姿勢に立ち返るのか、それとも香港や台湾をつなぎとめようと柔軟路線を維持するのかはなお不透明です。東アジア情勢の今後をも左右する台湾の総統選挙。果たして最終結果はどうなるのか、年明け早々の選挙に注目したいと思います。
(加藤 青延 専門解説委員)
2019.12.20-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/191220/wor19122020240020-n1.html
台湾・陳水扁元総統インタビュー「中国が総統選介入」
【高雄=矢板明夫】台湾の陳水扁(ちん・すいへん)元総統は20日、高雄市内で産経新聞の単独インタビューに応じ、来年1月11日に実施される台湾の総統選挙について「中国がさまざまな手口で介入しており、軍事的圧力も高まっている」とし「台湾の歴史の中で、今ほど危機的な状況はない」との認識を示した。その上で「日台米が連携して中国の覇権に対抗すべきだ」と強調した。
陳氏は現在の選挙情勢について、現職、民主進歩党の蔡英文氏が優勢だが、投票日までに野党の中国国民党も中国も「さまざまな仕掛けをしてくるので、油断できない」と分析した。蔡氏リードの理由について「国民党候補の韓国瑜(かん・こくゆ)氏は中国の代理人のイメージが強すぎる」と指摘した。
近年の米中対立と台湾の関係については「蔡氏はラッキーだ」と言及し「米中対立により、トランプ米政権はほぼ全面的に台湾を支持し、日本の安倍晋三政権も台湾を重視している」と発言。台湾の民進党政権も合わせて「民主主義と自由を守る黄金の三角形がしっかりと連携すれば、中国の覇権を必ず食い止められる」と強調し、蔡政権には「もっと積極的に動いてほしい」と注文を付けた。
中国による選挙介入について、「武力による脅しのほか、金銭による買収もあった。サイバーテロやフェイクニュースを流すなど、近年は手口が増えている」と指摘した。自身が現役時代、中国政府関係者が水面下で「面会に応じるだけで個人口座に5千万台湾元(約1億8千万円)を振り込む」と言われたことがあると明らかにし、「台湾の総統を公然と買収してきたことに驚いた」と語った。
中国の習近平国家主席について、香港や新疆(しんきょう)ウイグルへの弾圧に触れた上で「性格が陰険で手口もあくどい」と断じ「今年1月に台湾への武力行使を示唆する演説をしたことが、蔡氏の支持率上昇につながった」として「習氏は政治的知恵がある方ではない」と酷評した。「台湾を理解していないから安易に暴走する可能性もある」と指摘し、警戒を強める必要があるとの認識を示した。
■陳水扁氏 1951年、台南生まれ。台湾大学法学部在学中、司法試験に合格。弁護士として民主化運動指導者らの弁護団に参加した。台北市長などを経て、2000年、民進党から総統に当選。半世紀にわたる国民党支配からの政権交代を成し遂げた。04年に再選を果たすも、08年の総統退任後に収賄罪などで逮捕・起訴され服役。現在、病気療養のため仮釈放中。
2019.11.6-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/191106/wor1911060029-n1.html
台湾、李登輝政権が準中距離弾道ミサイル開発 裏付ける公式文書入手
(1)
【台北=田中靖人】台湾の李登輝政権が1995~96年の台湾海峡危機の後、中国への「抑止力」として準中距離弾道ミサイル(MRBM)の開発を進めていたことが6日、産経新聞が入手した当時の機密資料で分かった。「中距離ミサイル」の開発はこれまで関係者の話として報道されてきたが、公式な文書で弾道ミサイル開発への政権中枢の関与が明らかになるのは初めて。
入手したのは、97年12月17日に開かれた安全保障・外交政策に関する総統の諮問機関「国家安全会議」幹部会議の議事録要旨などのコピー。蒋仲苓(しょう・ちゅうれい)国防部長(国防相に相当)が席上、「国防政策」における「威嚇阻止力(抑止力)」の重要性を強調し、「中距離弾道ミサイルの研究開発が将来、成功すれば、中共(中国)に対し有効な抑止力を持つことができる」と述べたと記されている。
これまでの報道では、李政権期にミサイルの開発計画があったことは報じられてきたが、開発の時期や政権のどのレベルで行われていたかは分かっていなかった。今回の資料で、台湾海峡危機を受けて弾道ミサイルの開発計画が重視され、末端の研究機関ではなく政権全体で推進していたことが判明した。
李政権後の陳水扁政権(2000~08年)で最後の国防部長を務めた蔡明憲氏は11年に出版した回顧録で、08年2月から5月の間に陳氏出席の下でミサイル実験を行い、「中距離ミサイルの射程を越えた」時点で、エンジンを停止させたと記している。この実験に参加した関係者は、産経新聞の取材に「射程は1000キロを超え、実験成功を受け量産に入った」と述べた。また、台湾ではミサイルの射程は(1)短距離は600キロ以内(2)中距離は600~2千キロ(3)長距離は2千キロ以上を指す、と話した。この分類によれば、李政権で開発を目指したミサイルは、米国の基準で呼ぶ「中距離弾道ミサイル」(IRBM、3千~5500キロ)ではなく、「準中距離弾道ミサイル」(MRBM、1千~3千キロ)に当たる。陳政権末期の発射実験が弾道ミサイルだったかは明らかになっていない。
(2)
台湾の国防部(国防省)関係者は、李政権で開発を進めた弾道ミサイルのエンジンの技術は現在、一般的に巡航ミサイルとされる「雄風(ゆうふう)2E」の一部に応用されて実戦配備され、中国大陸の上海以北まで攻撃可能だと明らかにした。
■
台湾海峡危機
1996年3月に台湾で行われた初めての総統直接選を前に、中国が95年夏から投票直前まで大規模な軍事演習と弾道ミサイル実験を行い緊張が高まった。96年3月には中国の短距離弾道ミサイル「東風(DF)15」が北部・基隆と南部・高雄の沖合に着弾。米国は2個の空母戦闘群を台湾近海に派遣し、中国を牽制(けんせい)した。
2019.9.24-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190924/wor1909240027-n1.html
台湾が自主開発した空軍の高等練習機、公開
【台中=田中靖人】台湾が自主開発した空軍の高等練習機「勇鷹(ゆうよう)」の初号機が24日、中部・台中市の漢翔航空工業で公開された。
高等練習機は、将来の戦闘機の操縦士が基本的な戦闘訓練を行う機体で、戦闘機に近い性能が求められる。漢翔は空軍の一部門だった1988年、米国企業の協力で戦闘機「経国」を開発した経験がある。その後の戦闘機は米国製F16などの輸入になり、漢翔は整備や能力向上改修を担当するだけとなっていた。
蔡英文政権は高等練習機の自主開発を決め、2017年2月に開発を開始。総額686億台湾元(約2400億円)をかけ、来年6月の初飛行を経て26年までに66機を調達する。将来の戦闘機開発にもつなげたい考えだ。
勇鷹は経国と同じエンジンで外観も経国に近いが、再設計と軽量化で性能は向上しているという。蔡総統は式典で「再び『国防自主』の大きな扉を開いた」と評価した。
2019.9.23-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190923/wor1909230005-n1.html
【環球異見】
ソロモン台湾断交 台湾紙「米中覇権争い犠牲者」の証し、中国紙「米国の圧力の限界」
(1)
南太平洋の小国、ソロモン諸島が16日、長年外交関係があった台湾と断交した。経済支援を背景とする中国の外交工作の結果といわれる。台湾紙は「日米などとの関係を強化する蔡英文政権にとって影響はない」と冷静に論旨を展開するが、中国紙は「(断交は)民進党政権に分離独立政策を放棄せよという警告だ」と強調している。
□
台湾 蘋果日報
■
「米中覇権争い犠牲者」の証し
台湾では2016年5月の蔡英文政権発足後、6カ国目となるソロモンとの外交関係の断絶を、冷静に受け止めている。呉●燮(ご・しょうしょう)外交部長(外相に相当)が16日夜、昨年2月の就任以降、断交が4カ国目になるとして「政治責任を取る」と辞任を示唆したものの、総統府が直ちに否定したのも、その表れといえる。 冷静な理由は、ソロモンのソガバレ首相が今年4月の就任以降、台湾との外交関係の再検討を表明し、数々の報道で断交の可能性が事前に伝えられてきたからだけではない。台湾の大衆紙、蘋果日報の18日付社説によれば、米国が再三、ソロモンに台湾との関係維持を働きかけたにもかかわらずソロモンが中国との国交樹立を選んだのは、「台湾が米国と中国の覇権争いの犠牲者」であることの証しであり、「断交はやむを得なかった」という諦念があるからだろう。
(2)
社説は、ソロモンが南太平洋の戦略的な要衝であり、同国に手を伸ばす中国の「地域での覇権を争う野心は言わずとしれたことだ」と指摘。近接するオーストラリアとその背後にいる米国が脅威に感じて中国との国交樹立を阻止しようとしたとし、断交に至るまでの台湾とソロモンの関係を「米国と中国が覇権を争う国際構造の中で風雨にもまれた」と表現した。
世界第2位の経済大国である中国が人口約60万人のソロモンに巨額の資金を約束して台湾との断交を促し、超大国の米国がそれに対抗するという構図の中で、財政規模の小さな台湾ができることは多くない。台湾は36年間の外交関係の中で、ソロモンにはそれなりの援助をしてきており、2019年3月には国際大会の会場となる運動施設の建設にも応じている。
こうした認識は、断交決定翌日の17日付の主要4紙に共通しており、政権与党、民主進歩党寄りの自由時報も解説記事で「大国のけんかに、われわれの出る幕はない」と記した。
(3)
だが、この解説記事は「申し訳ないが、笑ってしまう」という挑発的な見出しで、中国の思惑は外れると断じた。記事は、中国がソロモンとの断交を仕掛けたのは、来年1月の総統選への「介入」が目的で、「民進党に打撃を与え、(親中派野党の)中国国民党を助けるためだ」と指摘。だが、台湾とソロモンとの関係は長年、台湾からの「援助の一方通行」であり、中国が今後、台湾の「金銭外交の重荷」を肩代わりをすることは「多くの台湾人にとり悪いことではない」とした。
記事は、中国が「断交」で政権に打撃を与えられると考えるのは国共内戦時代の「迷信」であり、世論の反発で逆に国民党の支持を下げると指摘。外交関係のない米国や日本、欧州諸国と関係を強化している蔡政権にとっては影響がないという論旨を展開した。(台北 田中靖人)
□
中国 環球時報 ■
米国の圧力の限界示す
中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は17日付の社説で、ソロモンによる台湾との断交は「大局を反映」したものだと主張した。台湾側の“金銭外交”との非難に対しては、自分が受けた批判をそのまま相手国に投げ返す中国の常套(じょうとう)手段で反撃した。
社説は、ソロモンが台湾との断交を発表した直後に蔡英文政権が中国による「金銭外交」だと批判したことについて「盗っ人が他人を盗っ人呼ばわりするようなものだ」と反論。金銭に頼って不当な“国交関係”を維持していたのは台湾にほかならないと訴えた。
また台湾がいまだに「天下の大勢」を理解せず、あらゆることがカネで解決できると思っている「井の中の蛙(かわず)」だと攻撃した。
さらに米議会や当局が昨年、台湾と断交した国は米政府からの援助を失うと警告していたことに触れ、ソロモンの今回の決定は「米国の圧力の限界性を示した」と指摘している。
(4)
社説は、台湾が外交関係を持つ国は今後も減り続け「いずれはゼロになるだろう」と恫喝(どうかつ)。中国が世界経済や政治の分野において重要な地位を築く中、「正常な国ならば中国と対立する理由はない」と自信を隠さず、米国の「最も反中的な議員や当局者」であっても「小国の政策決定者」の立場なら台湾ではなく中国を選ぶだろうと主張した。
また、大多数の小国が台湾を捨てたのは、もはや中国と天秤(てんびん)にかける「援助の最大化」が目的ではなく、中国との国交樹立が長期的な戦略的選択になっていると強調した。
社説は、南太平洋のソロモンが中国と国交を樹立することは、米国だけではなくオーストラリアの一部の政治勢力を刺激するだろうと言及。そうした勢力は中国の「勢力拡大」という視点からこの出来事をみていると分析した。
一方、中国政府系機関紙、チャイナ・デーリーは18日付の社説で、ソロモンの台湾との断交は「『一つの中国』原則の勝利」であり「民進党政権に分離独立政策を放棄せよという警告」だと論じた。
社説は、蔡政権がソロモンとの断交を受けても「風向きの変化」を感じとらず、「分離政策に固執」していると批判。蔡総統が来年1月の総統選に向けて「自由と民主主義を守る戦い」を掲げていることに触れ、「(昨年11月の)統一地方選で大敗した教訓を学んでいない」と指摘した。(北京 西見由章)
2019.9.20-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190920/wor1909200013-n1.html
台湾「断交」影響は? 当局間対話停止、資産差し押さえも
【台北=田中靖人】キリバスとの「断交」で、台湾を「国家」として承認する国は過去最少の15カ国になった。台湾当局が「台湾は中国の一部だ」との中国の主張に対抗する上で、他国との外交関係の維持は重要で、断交は打撃となる。ただ、蔡英文政権は米国や日本など外交関係のない国との「堅実外交」を進めており、小国との「断交」による外交実務への影響は、現状では限定的だ。
台湾との断交の実態は、政府承認の切り替えとなる。「中国」を代表する政府が、台湾当局が公称する「中華民国政府」ではなく「中華人民共和国政府」であることを承認するもので、1972(昭和47)年の日中国交正常化も同様だった。
断交が決まると、台湾側は大使館の撤収に入る。台湾にある相手国の大使館も閉鎖され、当局間の対話はなくなる。台湾と外交関係のある国は小国が中心で、台湾から農業や医療など民生分野の援助が行われていることが多いが、この人員も撤収する。台湾当局からの奨学金で台湾に留学している相手国の学生への奨学金支払いも停止される。
台湾は国際連合や関連の国際機関に加盟しておらず、「国交国」の減少により、こうした場での情報や台湾の加盟に向けた支援を得にくくなる。ただ、最近は欧米諸国や日本が台湾の立場を代弁する機会が増えている。「国交国」が何カ国まで減少すれば「ボトムライン」かについて、呉(ご)●(=刊の干を金に)(しょう)燮(しょう)外交部長(外相に相当)は19日、「(政権内で)議論したことはない」と述べた。 断交すると、それまで台湾当局が保有していた大使館などの資産の差し押さえを中国政府が要求する可能性がある。
2019.9.17-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190920/wor1909200010-n1.html
キリバスが台湾と断交 蔡総統「中国の悪辣な圧力」
【台北=田中靖人】台湾の外交部(外務省に相当)は20日、中部太平洋のキリバスと外交関係を解消したと発表した。キリバスから同日、「断交」の通告があった。キリバスは中国と国交を樹立するとみられる。蔡英文総統は、来年1月の総統選への影響を狙った「悪辣な圧力」だと中国を批判した。
2016年5月に中国が掲げる「一つの中国」原則を認めない民主進歩党の蔡英文政権が発足して以降、断交は7カ国目で、台湾と外交関係のある国は15カ国となった。16日には南太平洋のソロモン諸島が台湾との断交を決めたばかりで、1週間以内に2カ国と断交するのは異例。キリバスは03年11月に中国と断交し、台湾と外交関係を樹立していた。
記者会見した台湾の呉●(=刊の干を金に)燮(ご・しょうしょう)外交部長(外相)によると、マーマウ大統領が16年に就任して以降、中国は漁業会社などの民間投資を通じてキリバス政界に影響力を拡大。キリバスは最近、台湾に民用機の購入費用の贈与を要求し、台湾側が提案した商業ローン方式を拒否した。中国は複数の航空機や船舶の贈与を約束しているという。
また、台湾の中央通信社は19日、南太平洋のツバルで国会議員選挙があり、親台派のソポアンガ氏が首相の座を降りたと報じた。呉氏は同日の会見で、新たに当選した国会議員や新首相は「非常に友好的だ」と強調。太平洋諸国で残る4カ国との関係は「小さな兆候はあるものの、心配することはない」と述べた。
2019.9.17-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190917/wor1909170030-n1.html
台湾・総統選 「無所属」有力2氏が出馬見送り
(1)
【香港=田中靖人】台湾の来年1月の総統選で、無所属での立候補が有力視されていた鴻海(ホンハイ)精密工業の創業者、郭台銘(かく・たいめい)氏(68)と柯文哲(か・ぶんてつ)台北市長(60)の2人が17日の届け出期限を前に、相次いで出馬見送りを表明した。両氏は今後に含みを残したものの、再選を目指す民主進歩党の蔡英文総統(63)と野党、中国国民党の韓国瑜(かん・こくゆ)高雄市長(62)の対決を軸とする構図に逆戻りした形だ。
郭氏は16日深夜に声明を出し、無所属での出馬断念を表明。「社会に理性的な政策論争に戻ってほしい」と理由を説明し、支持者に「失望させて申し訳ない」と謝罪した。郭氏は7月中旬に国民党の予備選で敗退して以降も出馬を模索し、今月12日には離党を表明していた。世論調査の支持率が伸びないことや有力な副総統候補を見つけられなかったことが原因との見方が出ている。
一方、郭氏が連携を模索し、郭氏が不出馬なら出馬するとみられていた柯氏も17日、記者団に「市政と総統選を同時に面倒をみることはできない。出馬の意欲は最初から大きくなかった」と見送りを表明。総統選と同日の立法委員(国会議員に相当)選で、8月に結成した「台湾民衆党」から候補を当選させ「キャスチングボート」を握る目標を強調した。
郭氏は声明で「政治への関与をあきらめたわけではない」とし、柯氏も政党候補としての出馬は「別の話だ」と述べた。政党からの立候補は11月下旬が届け出期限で、候補者擁立資格がある小政党、親民党などからの出馬の選択肢を残したと受け取れる。ただ、自力での出馬を見送った両氏が求心力を維持できるかは不透明だ。
(2)
郭氏の出馬見送りで国民党は陣営の分裂を避けられた形で、韓氏の事務所は、郭氏とは「同じ目標を持っている」と歓迎。今後、郭氏に協力を求めたい意向をにじませた。
一方、民進党の陳水扁政権(2000~08年)で副総統を務めた呂秀蓮(ろ・しゅうれん)氏(75)が17日、無所属での出馬を表明し、選管当局に署名集めの開始を届け出た。呂氏は民進党員だが蔡氏に批判的で、「台湾独立」の住民投票の実施を目指す政治団体「喜楽島連盟」などの支援を受けるという。直近の世論調査では蔡氏と韓氏の一騎打ちの場合、蔡氏優勢の結果が多いものの、呂氏の出馬表明が蔡氏の支持にどの程度、影響するかが注目される。
2019.9.17-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190916/wor1909160030-n1.html
ソロモン諸島が台湾と「断交」 中国と国交
【香港=田中靖人】台湾の呉●(=刊の干を金に)燮(ご・しょうしょう)外交部長(外相に相当)は16日、南太平洋の
ソロモン諸島と外交関係を断絶すると発表した。中国が掲げる「一つの中国」原則を認めない民主進歩党の蔡英文政権が2016年5月に発足して以降、中国の圧力による「断交」は6カ国目で、台湾と外交関係のある国は16カ国となった。
ソロモン諸島の内閣はこれに先立つ閣議で、中国との国交樹立を決めた。ソロモンは1983年から台湾と外交関係があったが、ソガバレ首相は4月の就任後、「国益に基づく対外関係の全面見直し」を表明。超党派の調査グループが中国との国交樹立を提言していた。中国からインフラ整備で5億ドル(約535億円)の資金提供の提案があったとの情報もある。
呉氏は16日、中国が「金銭外交」で、蔡氏が再選を目指す来年1月の総統選に影響を及ぼそうとしていると指摘。蔡氏も「中国の約束は空手形だ」と述べた。
ソロモンには、この地域での中国の影響力拡大を嫌う米国やオーストラリアも台湾との関係維持を働きかけていた。呉氏は14日、産経新聞の取材に、中国がソロモンと国交を樹立すれば、日米豪などのインド太平洋戦略は「大きな衝撃を受ける」と訴えていた。
2019.9.14-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190914/wor1909140024-n1.html
台湾、ソロモン「断交」を警戒 呉外交部長が中国の軍港計画指摘
【香港=田中靖人】台湾の呉●(=刊の干を金に)燮(ごしょうしょう)外交部長(外相に相当)は14日、産経新聞の電話インタビューに応じ、南太平洋のソロモン諸島が台湾との外交関係の解消を検討していることに強い警戒感を示した。呉氏は中国がソロモンで軍港の建設を目指していると指摘し、同国が台湾と「断交」し中国と国交を結べば、日米豪のインド太平洋戦略は「大きな衝撃を受ける」と警鐘を鳴らした。
■
「完全に役立たず」
人口約60万人のソロモンは、台湾がアジア太平洋で外交関係を持つ6カ国のうち最大で、台湾では「断交ドミノ」を生む懸念も強い。台湾の報道によると、同国の内閣は13日、中国との国交樹立を促す超党派グループの報告書について議論したが結論が出ず、17日に再検討するという。ソガバレ首相はこれを含む4件の報告書を参考に最終的な結論を出す方針で、議会外交委員会の報告書は10月末に提出される。
呉氏は、超党派グループが報告書で訪台調査の結果、台湾にはソロモンを援助する意思も能力もないと記述したことに対し「訪台の事実はなく虚偽で、結論ありき」と反論。世論調査によるとソロモン市民の多数は台湾との関係維持を望んでおり、中国との国交を主張するのは「個人的な利益を重視する政界の一部」だと述べた。
一方、豪州紙オーストラリアン(電子版)は11日、ソガバレ氏が豪州の研究者に「台湾は完全に役立たずだ」と述べたと報道。同氏が中国の建国記念日(10月1日)前に台湾と「断交」する方針に傾いているとの見方がある。同氏が親中派議員に、今月下旬の国連総会前の中国との国交樹立を伝えたとの情報もある。
(2)
呉氏は、中国がソロモンの西部州ノロ港の拡張に関心を示しており、「完成後は海軍基地として利用できる」と指摘。中国の狙いは、インド太平洋や中南米で進める戦略拠点の確保だと分析した。その上で、独裁国家である中国の勢力拡張は、台湾や日米豪などが目指す「自由で開かれた太平洋のビジョンに大きな挫折をもたらす」と述べた。
■
5億ドル提供の情報
台湾はソロモンのマネレ外相を8~12日に台湾に招き関係継続を模索している。ただ、台湾の今年の援助額が850万ドル(約9億2000万円)なのに対し、中国は断交の見返りに、期間は不明だが5億ドル(約540億円)の提供を申し出たとの情報もある。
呉氏はこの情報について、「中国は過去にも台湾の国交国を奪うため同様の約束をしたが、実行には大きな差がある」と主張。サントメ・プリンシペに6億ドルの港湾、ブルキナファソに10億ドルの高速道路・鉄道建設を約束した例を挙げ「着工すらされていない」と断じた。また、中国の援助国が「債務のわな」に陥っている実態も列挙した。
台湾との「断交」は、地域での中国の影響力拡大を阻止したい米国やオーストラリアも警戒している。豪州は6月にモリソン首相が10年間で2億5000万豪ドル(約185億円)の支援を表明。米国は今月8日、パプアニューギニアに駐在するソロモン大使がソガバレ氏の元に出向いて「現状維持」を働きかけた。ペンス副大統領も国連総会に合わせて同氏と会談するという。呉氏は米国や日本など各国の支援に謝意を示すと同時に、「理念を共有する国々と協力して最悪の事態を避けたい」と述べた。
2019.8.17-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190817/wor1908170002-n1.html
トランプ政権、台湾へのF16戦闘機の売却を承認 議会に非公式通知
【ワシントン=黒瀬悦成】トランプ米政権は16日までに、台湾にF16V戦闘機の売却を承認し、議会に非公式に通知した。売却総額は総額約80億ドル(約8500億円)としている。中国が台湾に対して「武力統一」をちらつかせて軍事的圧力をかけているのに対抗する措置。米政権は台湾防衛強化の支援を通じて米台の連携を緊密化させ、中国の覇権的行動の押さえ込みを図る立場を鮮明にした。
米国は父ブッシュ政権当時の1992年にF16戦闘機150機の売却を発表したが、その後は台湾に高性能戦闘機を供与せず、台湾の防空能力の低下が懸念されてきた。
台湾の蔡英文総統はトランプ政権にF16V戦闘機66機の供与を要請しており、米政権は要望通りの機数を売却する見通しだ。 米議会は国務省からの通知を受け、最長で30日間をかけて売却の是非について判断する。
上院外交委員会のリッシュ委員長(共和党)は「F16は台湾が自らの空域を防衛する能力を向上させるのに死活的に重要だ」と指摘し、トランプ政権の決定を称賛した。
下院外交委員会のエンゲル委員長(民主党)とマッコール筆頭理事(共和党)も、「中国がインド太平洋地域で攻勢を強める中、米国は世界各地の友邦に可能な限りの支援を行う必要がある」と指摘。F16の売却は「米国の戦略的パートナーである台湾と、台湾の民主的体制に対する中国の脅威を抑止するのに役立つ」として歓迎する声明を連名で発表した。 F16の売却は、トランプ大統領とポンペオ国務長官の主導で承認が決まったとされる。議会でも超党派の幅広い支持を得ており、9月にも売却が正式決定する見通しだ。
トランプ政権は7月、M1A2Tエイブラムス戦車108両や、携帯型地対空ミサイル「スティンガー」250発を台湾に売却することを決定。F16の売却もあまり間を置かずに発表されるとみられていたが、米メディアによると米中の貿易交渉への影響を配慮して承認が数週間先延ばしされたという。
2019.7.9-朝日新聞 DITIGAL-https://www.asahi.com/articles/ASM792S8TM79UHBI00J.html
米、台湾に武器売却承認2400億円分 中国の反発必至
(ワシントン=園田耕司)
トランプ米政権は8日、台湾に対し、M1A2エイブラムス戦車108両など22億ドル(約2400億円)相当の武器を売却することを承認し、
米議会に通知した。中国側が激しく反発するのは必至だ。米中間の貿易紛争は米中首脳会談を機に一時的に休戦状態となったが、武器売却に踏み切ったことで、米中間の緊張が再び高まる恐れがある。
台湾の要請に基づき売却されたのは、戦車のほかにスティンガー
ミサイルや弾薬など。米
国防総省は声明で、戦車の売却について「台湾の主要戦車隊の近代化に寄与し、台湾本土防衛を強化する」と指摘。ただし、「地域の基本的な軍事バランスを変えるものではない」とも強調した。
トランプ政権の台湾への武器売却をめぐっては、昨年9月にF16戦闘機などの部品を3億3千万ドル、4月にはF16戦闘機のパイロットの訓練プログラムや機材支援を約5億ドルで売却することを決めている。台湾側は新型のF16V戦闘機の購入にも関心を寄せている。(ワシントン=園田耕司)
2019.6.21-産経新聞-THE SANKEI NEWS-
https://www.sankei.com/world/news/190621/wor1906210030-n1.html
鴻海の郭会長が退任 台湾総統選に集中
【台北=田中靖人】台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業は21日の株主総会と取締役会で、来年1月の総統選に立候補を表明している創業者の郭台銘(かく・たいめい)会長(68)が会長を退任する人事を決めた。郭氏は取締役にとどまるものの、経営の第一線からは退き当面、総統選に向け野党、中国国民党の予備選に集中する。
後任の会長には、鴻海の子会社シャープの取締役も務める劉揚偉(りゅう・ようい)氏が7月に就任する。今後の鴻海の経営は、郭氏の側近を含む取締役ら9人で構成する経営委員会が担う。郭氏は当初、取締役も退任するとみられていたが、一定の影響力を残した。新経営陣は米中貿易摩擦の中で、難しい舵取りを迫られる。
郭氏は株主総会の冒頭、「鴻海からフェードアウトすることを決めた」と述べて会場を退席。新会長が決まった後、再び登壇し、「今日の台湾経済の問題は政治にある。過去の40年間に培った資源を今後4年間、台湾のためにささげる」と総統選への意欲を改めて示した。
国民党は7月中旬に世論調査に基づく予備選を行なう。郭氏は各種世論調査で、韓国瑜(かん・こくゆ)高雄市長(62)を追う展開。韓氏は香港のデモに関する失言などで支持率を下げており、郭氏との差が縮まっている。
一つの中国の原則と台湾問題-
http://japanese.china.org.cn/ja-book/taiwan/taiwan5.htm
四. 両岸関係の中で一つの中国の原則とかかわりのあるいくつかの問題
中国の領土と主権は分裂しておらず、海峡両岸は二つの国ではない。李登輝のうち出した「二国論」を含め、台湾当局は「二つの中国」をつくり出す主張を押し通しているが、そのいわゆる理由とは、1949年以後の海峡両岸はすでに分裂、分治し、しかも互いに隷属しておらず、中華人民共和国政府はこれまで台湾を統治したことがなく、1991年以後、台湾にも中国大陸と関係のない政権体制がすでにできているというものにほかならない。こうした理由は全く成り立たず、台湾が「中華民国」の名義で自立して一つの国となることができ、海峡両岸がすでに二つの国に分裂しているという結論を引き出すことも絶対にできない。第一に、国の主権は分割できないものである。領土は、国が主権を行使する空間である。一つの国の領土範囲において、国を代表して主権を行使する中央政府は一つしかない。前述のように、台湾は中国の領土の不可分の一部であり、中華人民共和国政府は1949年に中華民国政府にとって代わって全中国の唯一の合法政府となり、すでに台湾をふくむ全中国の主権を享有し、かつ行使している。海峡両岸はなお統一されていないが、台湾が中国領土の一部であるという地位はずっと変わっていない。したがって、中国が台湾に対し主権を享有していることも変わっていない。第二に、国際社会は、一つの中国しかなく、台湾は中国の一部であり、中華人民共和国政府は中国の唯一の合法政府であるということを認めている。第三に、台湾問題は長い間解決されていないが、それは主として、外国勢力が干渉し、台湾の分裂勢力が妨害した結果である。海峡両岸の未統一という不正常な状態が長期にわたって存在しているが、これは台湾に国際法で言う地位と権利を与えておらず、台湾が中国の一部であるという法的地位を変えることもできない。当面の問題は台湾の分裂勢力および一部の外国の反中国勢力がこのような状態を変えようとしていることであり、これはほかでもなく中国政府と人民が断固反対していることである。
中国の一部であるという台湾の地位を公民投票の方式で変えることに断固反対する。台湾の分裂勢力は「主権は民にあり」を口実に、公民投票の方式で中国の一部であるという台湾の地位を変えようとしているが、それはむだ骨折りである。まず、台湾が中国領土の一部であるという法的地位は、国内法にせよ、国際法にせよ、いずれもはっきりしたものであり、公民投票の方式で自ら決定すべきであるか否かというような前提が存在しない。次に、「主権は民にあり」とは、主権はある一部またはある地域の人民に属するのではなく、一つの国の人民全体に属するものであることを指す。台湾にとって、その主権は台湾の一部の者に属しているのではなく、台湾同胞をふくむ全中国人民に属しているのである。第三に、台湾はこれまで一度も一つの国となったことがない。1945年以後の台湾は外国の植民地でもなければ、外国の占領下にあるのでもないため、民族自決権を行使する問題が存在しない。要するに、1945年に中国が台湾を取り戻してから、中国の一部であるという台湾の地位を変えるために公民投票をおこなうという問題は全く存在していないのである。台湾の前途は一つしかなく、それはつまり、決して分裂に向かってはならず、祖国大陸との統一に向かうことである。いかなる者も、いわゆる公民投票の方式で台湾を中国から分離させようとするなら、その結果は必ず台湾人民に災難をもたらすことになる。
「二つのドイツのモデル」は台湾問題の解決に用いることができない。台湾の一部の者は、第二次世界大戦後のドイツが二つの国に分裂してから再び統一されるといういわゆる「二つのドイツのモデル」で両岸関係を処理することを主張しているが、これは歴史と現実に対する誤解である。戦後のドイツの分裂と両岸の一時的な分離は、性質の異なる二つの問題である。主として次のような三つの違いがある。一は、両者の成因と性質が異なっている。1945年、ドイツは第二次大戦で敗戦し、「ドイツ国の失敗に鑑み、最高政府権力を接収することについての声明」、およびその後のポツダム協定に基づいて、米英仏ソの戦勝四カ国に分割占領された。冷戦開始後、ドイツ統一問題はヨーロッパにおける米ソ両国の対決の焦点となり、米英仏占領区とソ連占領区でドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国がそれぞれ相次いで成立したため、ドイツは二つの国に分裂させられた。ドイツ問題が完全に外的要因によってつくり出されたのは明らかである。しかし台湾問題は、中国の内戦によって残された問題であり、内政問題である。二は、両者の国際法上の地位が異なっている。ドイツの分裂は第二次大戦中と戦後の一連の国際条約によって規定されたものである。しかし台湾問題は、日本が中国から盗取した台湾を中国に返還しなければならないことについての「カイロ宣言」、「ポツダム宣言」などの国際条約の規定がある。三は、両者の存在する実状が異なっている。米ソ両国の対抗という背景のもとで、二つのドイツには外国の軍隊がそれぞれ進駐しており、相互承認と国際社会での併存をよぎなくされた。これにひきかえ、中国政府はあくまで一つの中国の原則を堅持し、李登輝が登場する前の台湾当局、および登場後の初期の李登輝も一つの中国を認め、「二つの中国」に反対した。また、一つの中国の原則も国際社会に普遍的に受け入れられている。したがって、ドイツ問題と台湾問題は同列に論ずることができず、台湾問題の解決に「二つのドイツのモデル」を機械的に用いるのはなおさらできない。
一つの中国という原則のもとで、どんな問題も話し合うことができる。中国政府は、両岸交渉の最終的目的は平和統一を実現することであると主張し、一つの中国の原則を交渉の基礎とするのは交渉の成功を保証するためであると主張している。しかし、「台湾独立」、「二つの中国」、「二国論」は一つの中国の原則に背き、統一ではなく分裂について語るものであり、中国政府に受け入れられないのは当然である。一つの中国の枠内でさえあれば、台湾側が関心を寄せているさまざまな問題をふくめて、どのような問題についても話し合うことができる。台湾の国際社会における身分相応の経済的、文化的、社会的な対外活動空間、台湾当局の政治的地位などは、すべてこの枠内において、政治交渉を通じて平和統一の過程のなかで最終的に解決できるものと、中国政府は信じている。
いわゆる「民主と制度との争い」は、中国の統一を妨げるための口実である。近年、台湾当局は一再ならず、「大陸の民主化は中国再統一のカギである」、「両岸問題の真の本質は制度の競争である」と公言している。これは、統一を遅らせ、拒むための口実であり、台湾同胞および国際世論を欺く手口である。中国共産党と中国政府は社会主義民主の理想を実現するためにたえまなく奮闘している。「一国二制度」の方式で平和統一を実現し、海峡両岸の二種類の社会制度の併存を許し、互いに相手に押しつけないのは、両岸同胞の願いを最も体現できるものであり、それ自体民主的なものである。両岸の社会制度の相違は平和統一の障害となるべきではない。そのうえ、中国政府は台湾が香港、澳門と異なる特徴を持っていることに気を配り、両岸の平和統一実現後、台湾で実行される「一国二制度」の内容が、香港、澳門よりゆるいものでもよいとしている。台湾当局は「民主と制度との争い」をもって統一を妨げ、中国大陸部に住む十二億余りの人に台湾の政治・経済制度を実行させようとみだりに考えているが、これは全く道理のないものであり、民主的でないものでもある。「民主は要る」は、「統一は要らない」理由になるべきではない。両岸の双方のこの問題をめぐる食い違いの実質は、決して民主は要るか要らないかの争い、どのような制度を実行するかの争いではなく、統一するか、それとも分裂するかの争いである。
台湾問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
台湾問題とは、
中華民国が
実効支配している
台湾地区(
台湾を中心とした
広義の地域概念)の
主権帰属または政治的地位に関する
中華人民共和国と中華民国の政治問題を指す。なお、
中国大陸と台湾では、
両岸問題の呼称も用いられている。台湾を巡っては、両国の
政党や論者により、さまざまな見解がある。主な論点を挙げると、中華民国による
台湾・澎湖接収の是非(
台湾地位未定論)や、
国共内戦終結後
の中華民国と中華人民共和国の関係(
分断国家・
中国を
統一する為の
正統性)、更に現代における
台湾人の基本的ルーツが
原住民に有るのか、
漢民族に有るのかなど、
台湾の歴史・
文化・
政治の各方面に及んでいる。
先史時代と台湾原住民、中国側の記録
先住民であるマレーポリネシア系の
台湾原住民は部族ごとに別れて国家を建設することはなく、また文字がないため歴史記録を残さなかった。
元朝が13世紀後半に、
澎湖諸島に行政機関を設置したという史料があるが、台湾本島にまで領有範囲が及ぶことはなかった。その後、
漢族の
明朝が澎湖諸島を領有したが、やはり台湾本島にまでは領有が及ばなかった。
外来政権(スペイン人・オランダ人)と漢民族の流入
台湾内部の歴史が記録されるのは、最初の外来政権であるヨーロッパ人の到来以降である。17世紀になると
スペイン人が台湾島北部を一時領有し、更にはオランダの
東インド会社が現在の
台南市を中心として台湾島南部を制圧した。
東インド会社は
福建省、
広東省沿岸部からの移住民を大量に募集して開墾を進めた。そのため、労働力として漢民族の男性が移入し、原住民(特に平埔族)の女性と
混血していった。
鄭成功政権
その後、「抗清復明」の旗印を掲げた
鄭成功が、
1661年から台湾のオランダ人勢力を攻撃した。翌
1662年には最後の本拠地であるゼーランディア城も陥落させ、オランダ人は全て駆逐されていった。鄭成功は台湾を東都と改名して「抗清復明」の拠点とした。1662年に彼が死去した後も、息子である
鄭経が「抗清復明」の基地化を進めていった。
清朝の統治と漢民族への同化政策
鄭氏による台湾支配はその後の
清朝の攻撃によって短期間で終わり、台湾は清朝の支配下に入ることとなった。しかし、当初清朝は、抗清勢力を壊滅させる為に台湾島を攻撃したので台湾島の領有には消極的であった。
だが、最終的には海賊の蔓延を防ぐという軍事上の観点から領有することを決定し、台湾に1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設置した上で
福建省の統治下に編入した。ただし、それ故に、台湾本島における清朝の統治範囲は島内全域に及ぶことはなく、半ば
見捨てられた島状態となって行った。以上の経緯が台湾独立派の主張する「歴史的に中華人民共和国の台湾領有権は不当」の根拠の一つになっている。
原住民に対する漢化
この間、福建省、広東省からは生活に窮した多くの人々が台湾島に移住し、今日の台湾における
本省人の礎となった。また、清朝は本来満州族による政権であったが、自らも漢民族化していった。そして、組織的に、台湾住民に苗字や家系図などを与え、漢民族化を押し進めたのである。その結果、平野部にいた平埔族は激減していく。
日本への割譲と台湾民主国
先史時代と台湾原住民、中国側の記録
先住民であるマレーポリネシア系の
台湾原住民は部族ごとに別れて国家を建設することはなく、また文字がないため歴史記録を残さなかった。
元朝が13世紀後半に、
澎湖諸島に行政機関を設置したという史料があるが、台湾本島にまで領有範囲が及ぶことはなかった。その後、
漢族の
明朝が澎湖諸島を領有したが、やはり台湾本島にまでは領有が及ばなかった。
外来政権(スペイン人・オランダ人)と漢民族の流入
台湾内部の歴史が記録されるのは、最初の外来政権であるヨーロッパ人の到来以降である。17世紀になると
スペイン人が台湾島北部を一時領有し、更にはオランダの
東インド会社が現在の
台南市を中心として台湾島南部を制圧した。
東インド会社は
福建省、
広東省沿岸部からの移住民を大量に募集して開墾を進めた。そのため、労働力として漢民族の男性が移入し、原住民(特に平埔族)の女性と
混血していった。
鄭成功政権
その後、「抗清復明」の旗印を掲げた
鄭成功が、
1661年から台湾のオランダ人勢力を攻撃した。翌
1662年には最後の本拠地であるゼーランディア城も陥落させ、オランダ人は全て駆逐されていった。鄭成功は台湾を東都と改名して「抗清復明」の拠点とした。1662年に彼が死去した後も、息子である
鄭経が「抗清復明」の基地化を進めていった。
清朝の統治と漢民族への同化政策
鄭氏による台湾支配はその後の
清朝の攻撃によって短期間で終わり、台湾は清朝の支配下に入ることとなった。しかし、当初清朝は、抗清勢力を壊滅させる為に台湾島を攻撃したので台湾島の領有には消極的であった。
だが、最終的には海賊の蔓延を防ぐという軍事上の観点から領有することを決定し、台湾に1府(台湾)3県(台南、高雄、嘉義)を設置した上で
福建省の統治下に編入した。ただし、それ故に、台湾本島における清朝の統治範囲は島内全域に及ぶことはなく、半ば
見捨てられた島状態となって行った。以上の経緯が台湾独立派の主張する「歴史的に中華人民共和国の台湾領有権は不当」の根拠の一つになっている。
原住民に対する漢化
この間、福建省、広東省からは生活に窮した多くの人々が台湾島に移住し、今日の台湾における
本省人の礎となった。また、清朝は本来満州族による政権であったが、自らも漢民族化していった。そして、組織的に、台湾住民に苗字や家系図などを与え、漢民族化を押し進めたのである。その結果、平野部にいた平埔族は激減していく。
19世紀後半になると、清朝は
日本や欧米列強の対外進出に対する国防上の観点から台湾の重要性を認識するようになり、
1885年に台湾を福建省から分離して台湾省を新設した。
1894年に日本との間で勃発した
日清戦争に敗北した為、翌
1895年に締結された
下関条約(馬關條約)に基づいて台湾を日本に割譲し、台湾省を廃止した。日本に割譲が決まった台湾であったが、一部の清朝の役人が
台湾民主国を建国して日本の台湾上陸に抵抗したが
日本軍によって鎮圧され暫時平定した。その後、日本政府は
台湾総督府による統治を
1945年まで実施し続けた。
中国国民党政府による台湾接収
第二次世界大戦において、日本は
枢軸国として参戦した。しかし、戦況は
連合国が有利な立場となり、1943年に
米国、
英国、
中華民国、
ソ連の首脳が集まって
カイロ会談が開かれ、台湾の主権を中華民国に返還することが首脳間で取り決められた。中華民国政府は1945年の日本敗戦後、連合軍の委託を受けて台湾に軍を進駐させた。そして、カイロ会談での取り決めを根拠として台湾を自国領に編入した。さらに
1947年には
二・二八事件を契機に
台湾省を設置することで、台湾の統治体制をより強固なものとしていった。
但し、
1951年に
日本が連合国側諸国と締結した平和条約(
サンフランシスコ平和条約)では日本の「台湾・澎湖諸島における権利、権利名義と要求の放棄」(第2条第2項)しか取り決められておらず、更には
日華平和条約においても「台湾における日本の領土権の放棄」(第2条)しか明記されていない。その為、現在に至るまで国際法的には台湾の主権移転対象(帰属先)については不明確な状態にあり、これを根拠に台湾の国際的地位はまだ決まっていないとする「
台湾地位未定論」も唱えられている。
国共内戦から現在
中華民国政府は台湾の領有・統治を強化する一方で、中国大陸においては厳しい立場に追い込まれていた。
1946年から激化し始めた
国共内戦は、当初は中華民国政府が優勢であったものの、年を経るごとに
中国人民解放軍が優位な立場を占めるようになり、中華民国政府は少しずつ、しかし確実に支配地域を
中国共産党に奪われていく状況にあった。このような状況は
1949年になると急速に進展し、中華民国政府は4月に首都の
南京を人民軍に制圧され、10月には中国大陸の大部分を制圧した
中国共産党が
中華人民共和国の建国を宣言するまでになった。
その為、人民解放軍に対してまともに対抗できないほど弱体化した中華民国政府は台湾への撤退を決定し、国家の存亡をかけて残存する
中華民国軍の兵力や国家・個人の財産などを続々と台湾に運び出し、最終的には12月に中央政府機構も台湾に移転して台北市を臨時首都とした。このような中華民国政府の動きに対し、中華人民共和国政府は当初台湾への軍事的侵攻も検討していたが、
1950年に勃発した
朝鮮戦争に兵力を割かざるを得なくなった為、人民解放軍による軍事行動は一時的に停止したが、1954年、1955年、1958年に台湾へ攻撃を再開し(
台湾海峡危機)、1965年にいたるまで軍事干渉を続けた。以降、大規模な衝突にはいたっていないが、緊張関係は続いている。
他方、蒋介石は、
二・二八事件における数々の虐殺行為や、戒厳令を敷き、
白色テロによる支配を行ったため、(特に本省人の間には)根強い拒否反応を持つ者が多い。また、蒋介石が本省人知識階級を大量虐殺し、日本語の使用を完全に禁止したために、台湾経済の発展は大きく後退したとの説もある
[2]。また、蒋介石が「反攻大陸」のことを第一に考えたためアメリカや日本などの説得を無視して、国際連合を脱退したため、台湾は現在の様な国際的に国家としては承認されない状況に陥ってしまったとする見方もある。
現在でも、台湾社会では世代によって民族的アイデンティティーや使用言語が異なるケースも少なくない。また、原住民を祖先とする独自の台湾人なのか、中国人の支流としての台湾人、あるいは中国人そのものなのか、という帰属意識の分岐も存在している。
日本への割譲と台湾民主国
19世紀後半になると、清朝は
日本や欧米列強の対外進出に対する国防上の観点から台湾の重要性を認識するようになり、
1885年に台湾を福建省から分離して台湾省を新設した。
1894年に日本との間で勃発した
日清戦争に敗北した為、翌
1895年に締結された
下関条約(馬關條約)に基づいて台湾を日本に割譲し、台湾省を廃止した。日本に割譲が決まった台湾であったが、一部の清朝の役人が
台湾民主国を建国して日本の台湾上陸に抵抗したが
日本軍によって鎮圧され暫時平定した。その後、日本政府は
台湾総督府による統治を
1945年まで実施し続けた。
中国国民党政府による台湾接収
第二次世界大戦において、日本は
枢軸国として参戦した。しかし、戦況は
連合国が有利な立場となり、1943年に
米国、
英国、
中華民国、
ソ連の首脳が集まって
カイロ会談が開かれ、台湾の主権を中華民国に返還することが首脳間で取り決められた。中華民国政府は1945年の日本敗戦後、連合軍の委託を受けて台湾に軍を進駐させた。そして、カイロ会談での取り決めを根拠として台湾を自国領に編入した。さらに
1947年には
二・二八事件を契機に
台湾省を設置することで、台湾の統治体制をより強固なものとしていった。
但し、
1951年に
日本が連合国側諸国と締結した平和条約(
サンフランシスコ平和条約)では日本の「台湾・澎湖諸島における権利、権利名義と要求の放棄」(第2条第2項)しか取り決められておらず、更には
日華平和条約においても「台湾における日本の領土権の放棄」(第2条)しか明記されていない。その為、現在に至るまで国際法的には台湾の主権移転対象(帰属先)については不明確な状態にあり、これを根拠に台湾の国際的地位はまだ決まっていないとする「
台湾地位未定論」も唱えられている。
国共内戦から現在
中華民国政府は台湾の領有・統治を強化する一方で、中国大陸においては厳しい立場に追い込まれていた。
1946年から激化し始めた
国共内戦は、当初は中華民国政府が優勢であったものの、年を経るごとに
中国人民解放軍が優位な立場を占めるようになり、中華民国政府は少しずつ、しかし確実に支配地域を
中国共産党に奪われていく状況にあった。このような状況は
1949年になると急速に進展し、中華民国政府は4月に首都の
南京を人民軍に制圧され、10月には中国大陸の大部分を制圧した
中国共産党が
中華人民共和国の建国を宣言するまでになった。
その為、人民解放軍に対してまともに対抗できないほど弱体化した中華民国政府は台湾への撤退を決定し、国家の存亡をかけて残存する
中華民国軍の兵力や国家・個人の財産などを続々と台湾に運び出し、最終的には12月に中央政府機構も台湾に移転して台北市を臨時首都とした。このような中華民国政府の動きに対し、中華人民共和国政府は当初台湾への軍事的侵攻も検討していたが、
1950年に勃発した
朝鮮戦争に兵力を割かざるを得なくなった為、人民解放軍による軍事行動は一時的に停止したが、1954年、1955年、1958年に台湾へ攻撃を再開し(
台湾海峡危機)、1965年にいたるまで軍事干渉を続けた。以降、大規模な衝突にはいたっていないが、緊張関係は続いている。
他方、
蒋介石は、
二・二八事件における数々の虐殺行為や、戒厳令を敷き、
白色テロによる支配を行ったため、(特に本省人の間には)根強い拒否反応を持つ者が多い。また、
蒋介石が本省人知識階級を大量虐殺し、日本語の使用を完全に禁止したために、台湾経済の発展は大きく後退したとの説もある
[2]。また、
蒋介石が「反攻大陸」のことを第一に考えたためアメリカや日本などの説得を無視して、国際連合を脱退したため、台湾は現在の様な国際的に国家としては承認されない状況に陥ってしまったとする見方もある。
現在でも、台湾社会では世代によって民族的アイデンティティーや使用言語が異なるケースも少なくない。また、原住民を祖先とする独自の台湾人なのか、中国人の支流としての台湾人、あるいは中国人そのものなのか、という帰属意識の分岐も存在している。
二重承認問題
中華人民共和国政府は「
一つの中国」原則を主張し、二重承認を絶対に認めない立場を取っている。
台湾当局は
李登輝が総統に就任した後、中華人民共和国とは別個の国家としての「中華民国」の地位を明確化しようとし、二重承認を容認する動きも見られた。1989年に
グレナダと国交樹立した際、同国に中華人民共和国との断交を求めなかった。一方、中華人民共和国は同国と断交し、二重承認とはならなかった。
今日、二重承認が実現せず、また台湾を承認する国は年々減少している。中華人民共和国政府が態度を軟化させない以外に、その理由として、以下が挙げられる。
・1997年7月、香港返還に伴う在香港総領事館の存続問題である。
マンデラ政権下の
南アフリカ共和国は二重承認に踏み切ろうとしたが、
総領事館を設置していた香港が英国
属領から中華人民共和国の
特別行政区に切り替わったことで、総領事館の設置に際して中華人民共和国政府から同国の承認と「中華民国」の国家承認取り消しを求められた。そうしない場合、
領事特権のない代表部に格下げすると迫られた。航空便も乗り入れ、台湾・香港系移民も多い南アフリカ共和国が香港との関係維持のためには中華人民共和国との関係が避けられず、中華人民共和国との長期的な経済関係拡大も見越して1997年限りで台湾の承認を終了、1998年中華人民共和国を承認し外交関係を開設した。
[3]。
中華人民共和国が
国際連合安全保障理事会の
常任理事国であり、
拒否権を有していることである。ただし、中華人民共和国が現実に拒否権を行使した例は過去4回しか存在しない。中華人民共和国を承認していない国が安保理で扱う議題の当事国となった場合、有利な案件は否決され、不利な案件は可決されるリスクを負う。具体例は
マケドニア共和国である。同国は一度「中華民国」を承認したものの、国連
PKOの派遣に関する決議を中華人民共和国に妨害されることを恐れて撤回した。
「中華民国」を承認する国は台湾の潤沢な
経済力を背景に、
経済援助を目当てにしている国が多い(またこれは中華人民共和国を承認する国も同様である)。こうした国々は、
アフリカや
中央アメリカ・
南太平洋の島々を中心に存在する。いずれも小国であり、国連などの国際機関などで「中華民国」の参加や加盟に協力はするが、それを実現させるほどの政治力を持っていない。少数でも承認してくれる国家があることは、主権国家としての存続に必要不可欠だと歴代台湾の「中華民国」政権は認識している。
台湾において
民進党出身の
陳水扁政権も同様である。陳水扁は総統就任直後、「
四不一没有」(4つの拒否と1つのない)を表明し、独立路線の棚上げと対中関係の改善を目指した。ところが、2002年8月に陳が民進党主席に就任した日、中華人民共和国政府は
ナウルに承認切換を行わせた。これに反発した陳は「一辺一国」発言をした。中華人民共和国も経済援助を用い、「中華民国」を承認する国々を切り崩し続けた。そのため、陳政権にとっては「中華民国」を承認する国を確保することが緊急の課題となり、「一辺一国」発言に沿うはずの二重承認の実現まで手が回らなくなった。そのため、台湾側も政府承認の切替のみに注力する結果となった。
台湾の国際参加と名称問題
中華民国が国際機構や主要国に認められなくなったため、台湾の国際参加には様々な障害が伴っている。そのため、実際には領域としての参加を余儀なくされている。その場合、台湾の呼称が政治問題化する場合も多い。国際社会に於ける主な台湾の名称には、以下が有る。
チャイニーズタイペイ(Chinese Taipei 中華台北):
世界貿易機関 (WTO)、
アジア太平洋経済協力 (APEC)、
世界保健機関(WHO)
タイペイ・チャイナ(Taipei,China 中国台北):
アジア開発銀行 (Hong Kong, Chinaとスペース表記なしで区別する)
IOCやFIFAなどスポーツの国際機構には、国家承認問題を棚上げしたまま、
チャイニーズタイペイという地域として参加している。
また中華人民共和国を承認しない場合では
北京当局、中華民国を承認しない場合は
台湾当局という呼称を使用する場合がある。
台湾問題に関する各勢力の意見・法的扱い
中華民国(台湾)台湾移転後も国民政府(戒厳令下の国民党政権)は、「中国を代表する正統な国家」としての立場を継承する立場にあることを主張した。国民政府が台湾地域のみを統治することを内戦中の一時的な措置とした上で、台湾を含めた全
中国(
中華民国#国土参照)の領有権を主張してきた。また、自由地区(台湾を指す)のみによる選挙の実施は全中国の代表性を損なうと主張し、
民主化運動を
法理独立と見做し、弾圧した。
蒋経国政権は
戒厳令を解除し、中華民国が中国大陸を
実効支配していない事や中華人民共和国政府への対応を始めた。
国家統一委員会の設置、それによる
国家統一綱領の制定、さらに
中華民国憲法の改正
[4]により、「自由地区」(台湾)における国政選挙の実施を行った。ただし、改憲は憲法本文を形式上を残し、
追加修正条項を設けた。これは
一つの中国原則を主張する保守派への配慮であった。また、中国大陸を「
大陸地区」と呼称し、外国として認めたわけではない。
また、中華民国政府は、今日まで中華人民共和国を正式に承認していない。国民政府の一つの中国原則では、外モンゴルの領有も主張しており、現在の
モンゴル国とも正式な外交関係がなく、実務関係と代表部の設置に留まっている。
台湾での国政選挙の実施により、中華民国は事実上の台湾国家となり、戒厳令前の国民政府のいう「法理独立」は達成された。残る問題は、中国大陸の中華人民共和国政府との関係や、台湾・中国大陸を包摂する全中国に関する定義づけであった。これに関して、政府、
一国二政府また
二国論(一中二国、特殊な国と国の関係。
両国論)が提起された。
李登輝総統の両国論について、
民進党は支持し、また心理的に抵抗を覚えた連戦も余儀なくされ、
宋楚瑜もあからさまに反対できなかった。そのため、両国論は一定程度、台湾の各政党に引き継がれた。選挙終了後、しばらくは李登輝が国民党党首として民進党の陳水扁政権に協力し、宋楚瑜が
親民党を結成したため彼と国民党の対立が増した。その間は、各党の見解に大きな変化はなかった。
だが、2001年に李登輝が台湾団結連盟を結成し、国民党から除名されると、与野党の対立が顕在化した。民進党と台湾団結連盟からなる
泛緑連盟と、国民党と親民党からなる
泛藍連盟に色分けされるようになる。
泛緑連盟は台湾アイデンティティを強調した選挙戦を行い、一方、
泛藍連盟は支持基盤である外省人や本省人保守派を固めるため、中国アイデンティティを誇示し、中国との融和を主張するようになる。
民進党・陳水扁政権
民進党は、党綱領(
台独党綱)で「
台湾共和国」の設立を目標と掲げていた。しかし、2000年総統選挙での政権獲得を目指すため、中華民国の存在を承認し、
台湾独立を放棄もしくは棚上げすることで主要派閥が合意した。しかし、党内には急進派の「
台湾独立建国連盟」に属する者や党外の協力者や支持者にも配慮する必要があった。そのため党綱領と並ぶ基本文書として、
台湾前途決議文を1999年5月8日に高雄で開催された全国党員大会において採択し、党綱領の台湾独立を棚上げすることが規定された。
四不一没有
成立当初の
陳水扁政権は、李登輝総統よりも保守的な方針を「四不一没有」で示した。そのため李登輝総統からは、自らの進めてきた中華民国の台湾化に逆行すると批判された。陳水扁は、1990年代から旧東西ドイツをモデルとした中間協定の締結を主張し、1999年には当時の
林義雄民進党主席と共に中国とのFTA締結を主張していた。2000年大晦日(2001年元旦未明)には統合論を提示し、まず
FTAなど
経済統合から始め、長期的には政治統合や文化の統合に至ると述べた。これは、「特殊な国と国の関係」論において、李登輝前総統が無視した「特殊な関係」の実現を目指したものであった。背景には、米国が中華人民共和国との交渉を仲介するとの期待や、積極的に中華人民共和国と交渉し、条約を締結することで、中華民国の国家としての地位を確定させるという目論見(「
強本西進」論)があった。
しかし、中華人民共和国は「
四不一没有」に対して「行動を見守る」と述べるにとどまった。FTA締結に対して一部官僚が反応したものの、「強本西進」の目的に気づき、その後反応を見せなくなった(2003年に香港と
CEPAを締結後、台湾にもCEPAを提案した)。その一方で、中華民国を承認する国に、
承認切り替えを迫り続けた。
一辺一国
中華人民共和国の態度が軟化しないため、2002年、陳水扁政権は「強本西進」から転換を始める。また、2001年立法院選挙で過半数を逃し、政権運営上、李登輝総統を精神的首領とする台湾団結連盟の協力が必要であったことも原因の一つに数えられる。
陳水扁総統は2002年8月の民進党全国党員大会で党主席に就任した。しかし、その当日、中華人民共和国は中華民国を承認していた
ナウルとの国交樹立を発表した。台湾では中国の「引き出物」=嫌がらせと受け止められ、面子を潰された陳水扁総統は、同月、世界台湾同郷会への挨拶で「中国と台湾は、一辺一国(別々の国)である」と述べた。中国はこれに反発。しかし、実際には陳水扁政権による関係改善に向けた提案をあしらった結果であった。こうして台湾政府が中国との関係改善に積極的で、具体的な提案を行った時期は終了した。ただし、その後も陳水扁総統は、中国に善意があれば、いつでも関係改善が可能との立場を崩していない。中間協定や統合についても、中国が中華民国を承認すれば協議に応じる、と機会がある毎に述べている。
中国国民党
国家連合構想
連戦は2000年総統選挙期間中、李登輝の後継者であったため、二国論を支持していた。しかし、選挙後、自ら党主席に就任し、その後、連戦は李登輝路線の修正を始めた。2001年1月4日に、連戦は新著『新藍圖、新動力』の発表会で、著書の内容と関連して中国との
国家連合を提唱した
[5]。同年8月に開かれる第16回全国党大会において、党政策綱領に盛り込もうとした。しかし、党内の台湾本土派の反対により大会開催前に断念せざるを得なかった
[6]。また、中国側も同年3月に
全人代報道官が反対を表明している
[7]。その後、しばらくの間は連戦は国家連合を唱え続けたが、後には自らの提案の存在自体を否認する発言を行っている。
3つの選択肢(馬英九)
2006年2月14日、中国国民党は台湾本土派の日刊紙「自由時報」に意見公告を掲載した。そこで
馬英九同党主席は、統一、独立、現状維持の3つの選択肢を上げ、統一が最終的目標であるが、現在は現状維持が最も現実的な選択肢だと述べた。これは、陳水扁総統が国家統一綱領と国家統一委員会の廃止に言及した事を牽制するものであった。ただし、この意見公告に対しては、最終的な統一が馬英九の理想である事を強調する見方と、中国国民党が台湾独立も台湾有権者の選択肢の一つとして明言したことを重視する見方がある。なお、2004年に、中国国民党籍の
王金平立法院院長も、「台湾独立も選択肢の一つ」と述べたことがある。
中国共産党・中華人民共和国政府
中国共産党の台湾問題に対する見解は、その時代の政治情勢によって、大きく変化している。
中華人民共和国建国以前
1949年の建国以前の中国共産党は、台湾を中国の固有領土と認識しておらず、その独立を支持していた。
毛沢東の発言によれば、
ソヴィエト連邦をモデルとした
連邦国家を目指し、主要な
少数民族には
自治権を付与し、自治共和国を設置する。一方、以前の
清の
朝貢国である
朝鮮と領土だった台湾については、独立を望むなら援助を与える方針であった
。
中華人民共和国建国から1970年代末まで
中華人民共和国政府は、自国が
1949年に崩壊・消滅した中華民国の継承国家であり、「中国を代表する正統な国家」としての立場を中華民国から引き継いだ立場にあるとしており、そこから
1945年に中華民国の領土に編入された台湾の最終帰属も、中華民国の立場を継承した中華人民共和国に継承されると主張してきた。その為、中華人民共和国は、名目的に
台湾省を設置する事で自己の主張の正当化を図り、併せて
蒋介石によって台湾へ移転された現在の中華民国政府のことを、「崩壊した中華民国政府(
国民政府)の一部勢力が台湾を不法占領して樹立した非正統的な政府」として、その存在の正統性を否定してきた。
「台湾同胞に告げる書」の発表および改革開放期以降
1979年1月1日、中国全国人民代表大会常務委員会が「
台湾同胞に告げる書」を発表。台湾政策の原則を武力解放から平和統一へ転換した。
1995年1月30日、
江沢民中国共産党総書記が、台湾問題の解決方式について8項目の提案を発表した(江八点)。
2008年12月31日、「台湾同胞に告げる書」発表30周年座談会で、
胡錦涛中国共産党総書記が談話を発表。以下の6項目を提案した
。
(1)一つの中国という原則を守り、政治的相互信頼を強化する
(2)経済協力の推進、共同発展の促進
(3)中華文化を発揚し、精神的な絆を強化する
(4)人的往来を強め、各界の交流の拡大
(5)国家主権を維持し、対外関係での協調
(6)敵視をなくし、和平協定に調印すること
余元洲の建議案
2004年、中国が統一法を制定するとの噂が流れた。後に、2004年12月から翌2005年3月にかけ、中国の
全国人民代表大会は
反国家分裂法として
立法作業に入る。この反国家分裂法に先んじて、2002年に余元洲・江漢大学政法学院副教授が「中華人民共和国国家統一促進法(学者建議案)を発表していた。
反国家分裂法との関連は定かではないが、全人代や
国務院台湾事務弁公室にも送付し、また何人かの全人代の代表や政府関係者が彼の意見を聴取したとも言われる
。
余の統一促進法では、中華民国の実効支配地域を「中華人民共和国台湾特別政治地域」とし、中華人民共和国の実効支配地域を「中華民国大陸特別政治地域」とすることを提案している。二つの国が互いの全領土に対する主権を共有する点では、国際法上荒唐無稽である。しかし、中華民国の存在を公的に認め、当事者間においては双方を外国と看做さない点において、
分断国家理論やそれに基づく本来の「特殊な国と国の関係」(旧東西モデル)に近い発想と言い得る。
イギリス
ウィンストン・チャーチル首相は1955年のイギリス議会での答弁で、「『カイロ宣言』に基づいて中国が台湾に対する主権を有するということには同意できない」と述べている
。
カイロ宣言と国連第2758号決議文問題
2004年に中国の
温家宝総理が「中国が台湾の主権を有していることは『
カイロ宣言』できわめて明確に示されている」と発言した。
これに対して
陳水扁は、2008年に英国Financial Timesのインタビューに対して次のように答えた
。
「1943年に蒋介石、チャーチル、ルーズベルトの3ヶ国の首脳が中国は台湾の主権を確かに有していると決定したと、多くの人々が信じて」きたが、1943年12月1日の『カイロ宣言』は日付も署名もなく、事後による追認もなく、授権もないとし、「これはそもそもコミュニケではなく、プレスリリース、声明書に過ぎない」と指摘したうえで、「1955年2月1日、チャーチル首相は国会質問で、『カイロ宣言』に基づいて中国が台湾に対する主権を有するということには同意できないと答えたように、当時3人にはそもそもコンセンサスなどなく、そのため署名もなかった」と述べ、中国がカイロ宣言を根拠に領土権原を主張するのは成立しないとした
。
また、「台湾の国家主権は台湾国民に属している」と強調し、さらに、多くの人が「『カイロ宣言』にはそもそも中国が台湾の主権を有することが書かれたわけではないというこの事実を知らないのは、過去の教育が杜撰であり、歴史が改竄されていたからだ。だからこそ、中国は自己に有利なためこれを引用し、国民党は台湾を統治する際の法的統一の基礎としたのだ」とした
。
また、陳水扁は1971年の
国際連合総会2758号決議文にはそもそも『台湾』が触れられておらず、『中国』代表権問題のみが解決しただけであり、中華人民共和国が台湾2300万の人々を代表してよいとは言っていないのであり、
パン・ギムン国連事務総長や中国はこれを拡大解釈しているとして批判した
。
2019年3月
中国の第13期
全国人民代表大会第2回会議で、
李克強首相は台湾独立の動きを断固阻止する。その上で「
一国二制度」による台湾統一を
あくまでも模索し、これを実現する。これは、
習近平国家主席の方針でもあると表明。これに対して、
台湾は「
台湾独立をもくろむ分裂の
画策や」行動に断固として反対し、それらを食い止める」とその決意を表明。(2019.3.6)
台湾の
蔡英文総統は2日、
産経新聞との会見内容をツイッターに日本語で投稿しました。
1)国際社会は台湾のぞんざいをもっと重視すべき
2)
中国を念頭に「特定の国」からの世論操作や偽情報攻撃を問題視-日本とこの問題について話合えるように願っています。」と記し、
サイバー攻撃に関する日台当局間の直接対話
3)中国が狙う「台湾統一」をめぐり、習近平国家主席が1月2日の演説で台湾に受け入れを迫った「一国二制度」について「両岸(中台)
問題を解決する処方箋にはならない
4)民主的な生活を守ることは私たちにとって譲れない一線です。(2019.3.3)
2019年1月
中国は「
一国二制度」で祖国統一を
台湾に呼びかけた
「
台湾問題」で
台湾蔡総統は日本との安全協力に期待(2019.1.6)
「
台湾問題」は
中国の内政で、いかなる外部の干渉も許さない
「
台湾問題」で
中国は「武器の使用は放棄せず、あらゆる必要な措置をとる選択肢を残している(2019.1.3)
2018年12月
台湾有事の際、最も影響力-米国、最も影響を受ける-日本(日米台関係研究所)
2018年11月
台湾、与党民主が」惨敗、中国国民党躍進-今後どうなる台湾? 国民投票の結果は-
台湾独立問題は現状維持、
台湾中国名義五輪は拒否
蔡総統、辞任表明か?