シリア問題



2019.7.29-AFPBB News-https://news.line.me/issue/oa-afpbb/ad0dbb264617?utm_source=Twitter&utm_medium=share&utm_campaign=none
5歳の少女、懸命の救出に反響

【AFP】シリアで撮影された1枚の写真が、ソーシャルメディア上で話題を呼んでいる。そこには、粉じんをかぶり、がれきに埋もれて身動きがとれなくなった少女2人が、空爆を受け崩壊した建物からぶら下がる生後7か月の妹の服をつかむ様子が写されている。背後の男性は額に手を当て、恐怖の表情で口を開けて姉妹を見つめている。

 空爆が襲った直後のシリア北西部イドリブ(Idlib)県アリハ(Ariha)をとらえたもので、同国のニュースサイト「SY24」のカメラマン、バッシャール・シェイク(Bashar al-Sheikh)氏が撮影した。イスラム過激派が支配するイドリブ地域は、4月下旬から頻繁にシリア政府とその同盟国ロシアによる攻撃を受けている。

 近くの病院で少女らを治療したイスマイル(Ismail)医師(本人の希望により名字は非公開)によると、一家の自宅は政府軍の空爆を受け、写真に写っている姉妹3人のうち1人が死亡し、残る2人は生死の境をさまよっている。

 イスマイル医師によれば、写真で幼い妹の緑色のシャツをつかんでいるリハム・アブドラ(Riham al-Abdulla)ちゃん(5)は、空爆の直後に死亡。がれきからぶら下がっていた妹のトゥカ(Touka al-Abdulla)ちゃん(7か月)は頭部を負傷し、集中治療を受けている。同じ病院の別の医師が明らかにしたところによると、写真に写った3人目の少女ダリア(Dalia al-Abdulla)さんは胸部の手術を受け、現在は容体が安定している。

 一家は両親と姉妹6人からなる8人家族だった。イスマイル医師は、リハムちゃんに加え、写真には写っていない母親と別の娘が24日の空爆後に死亡したと説明。胸部と腹部を負傷した別の娘ロワン(Rowane al-Abdulla)ちゃんも26日に死亡した。【翻訳編集】AFPBB News


シリア内戦
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シリア内戦、シリアで2011年3月15日に起きた一連の騒乱から続く、シリア政府軍とシリアの反体制派及びそれらの同盟組織などによる内戦である。
概要
シリアにおける内戦は、2011年にチュニジアで起きたジャスミン革命の影響によってアラブ諸国に波及したアラブの春のうちの一つであり、シリアの歴史上「未曾有」のものといわれている。チュニジアのジャスミン革命とエジプト民主化革命のように、初期はデモ行進ハンガーストライキを含む様々なタイプの抗議の形態をとった市民抵抗の持続的運動とも言われた。初期の戦闘はバッシャール・アル=アサド政権派のシリア軍と反政権派勢力の民兵との衝突が主たるものであったが、サラフィー・ジハード主義勢力のアル=ヌスラ戦線とシリア北部のクルド人勢力の間での衝突も生じている。その後は反政権派勢力間での戦闘、さらに混乱に乗じて過激派組織ISILやアル=ヌスラ戦線、またクルド民主統一党(PYD/Partiya Yekitiya Demokrat)をはじめとしたシリア北部のクルド人勢力ロジャヴァが参戦したほか、アサド政権の打倒およびISIL掃討のためにアメリカフランスをはじめとした多国籍軍、逆にアサド政権を支援するロシアイランもシリア領内に空爆などの軍事介入を行っており、内戦は泥沼化している。また、トルコサウジアラビアカタールもアサド政権打倒や自国の安全・権益確保のために反政府武装勢力への資金援助、武器付与等の軍事支援を行った。

アサド政権の支配地域は一時、国土の3割程度に縮小したが、ロシアやイランの支援を得たことと、反政権諸勢力のうちISILが外国や他の非政権軍の攻撃対象になって壊滅したことで勢力を回復。2019年春時点でシリア領土の7割前後を奪還した。
反体制派からの情報を収集する英国拠点の反体制派組織シリア人権監視団は2013年8月末の時点で死者が11万人を超えたと発表している。国際連合により、2012年5月下旬の時点でもはや死者数の推計は不可能と判断されている国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の推計によると、2017年までに元の居住地を離れて約630万人が国内で避難生活を送り、500万人以上が国外に逃れた。こうした難民の主な行き先としてはトルコ(320万人)、レバノン(100万人)、ヨルダン(65万人)、イラク(24万人)、エジプト(12万人)で、トルコなどを経由してヨーロッパなどに渡った人々も多い日本には2014年6月20日時点で52人が難民申請しているが、日本政府は一人も認めていない

反政府武装組織の一つ自由シリア軍により教会が破壊されたとされる事例をはじめ、反政府主義者によるキリスト教徒(その大半は正教非カルケドン派東方典礼カトリック教会といった東方教会の信者)への排撃が問題となる局面も出てきている
2014年に入り、ISILと、シリア反政府勢力との間で戦闘が激化した。当初、ISILは、シリア反政府勢力から歓迎されていたが、ISILが他の反体制派組織を支配下に置こうとして内紛が起きた。さらには、ISILが一般市民も巻き込んで暴力を振るうようになり、関係が悪化した。反体制派の主要組織である「国民連合」は、ISILとの戦闘を全面的に支持している[15]。急速に勢力を拡大させたISILに対し、反体制派が依然として内紛を繰り返す状況で、シリア国内では唯一ISILに対抗できる存在であるアサド政権の国際的価値が高まり、欧州各国や国連、シリア国内の反体制派ですら、当初の要求であったアサド大統領の退陣を要求しなくなっている。しかしアサド政権が4月4日に行ったカーン・シェイクン化学兵器攻撃を受けてアメリカ軍はアサド政権のシャイラト空軍基地攻撃を行った[17]。また、実態として西側諸国が穏健派とする反政府武装勢力やアルカイダ系組織・ISILの間に明確な線引きをするのは難しく、各勢力が強固な組織を基盤としているわけではない。さらに、いずれも反アサド政権・反世俗主義・反シーア派・反少数派イスラム教(アラウィー派ドゥルーズ派等)、反キリスト教スンニ派イスラム主義組織であるという共通点があることから、資金力の増減や戦況の良し悪しによって戦闘員の寝返りや武器交換も相互に行われている。そのため、あくまでもISILも反政府武装勢力のうちの一つととらえた方が実態に近く、イスラム国の残虐性だけが突出しているわけではない。さらに、シリア政府側に立つ組織もシリア軍の他にシーア派民兵やヒズボラやイランのイスラム革命防衛隊なども参戦しており、これもまた統率が取れているわけではない。実際に、アルカイダは自由シリア軍などの反政府勢力と協力している。さらに、アルカイダ系武装集団は、2013年9月に協力体制にあったはずの自由シリア軍に攻撃を仕掛けるなど、アサド政権・反政府勢力の双方と敵対し、シリア国内は三つ巴の戦いになりつつある。更にアルカーイダと協力関係にあった武装集団ISIL(イラク・レバントのイスラム国)が、2013年5月に出されたアルカイダの指導者アイマン・ザワーヒリーの解散命令を無視してシリアでの活動を続けているなど、アルカイダやアル=ヌスラ戦線との不和も表面化している。他にも、クルド人などのシリア国内の少数民族も武装化して、政府軍やアルカイダ系の武装集団を襲撃して事実上の自治を行っており、さらにイラククルド人自治区のような正式な自治区を作ろうとしている。

シリアで内戦が激化している理由として、主に4つがあげられる。まずは、アラブイスラム世界の中で敵対関係にあるイスラエルなどと国境を接するという地政学的事情。次にシリアバース党政権が一貫した親露、親イランである一方、親欧米・親NATO諸国であるサウジアラビアを中心としたスンニ派の湾岸諸国とは激しく対立している点。3つ目としては、トルコ政府と対立するクルド人の問題。さらに4つ目はアサド大統領がシーア派の分派でありキリスト教の影響も強いアラウィー派で、イスラム色の薄いスンニ派も含めた世俗派主体に支持者が多いのに対し、反政府勢力はスンニ派イスラム主義勢力が多く、世俗主義とイスラム主義の対立や宗派対立の様相も呈していることにある。
レバノンの3月14日勢力en:March 14 alliance)は、反政府抗議者たちに財政支援をしたとして非難されているが、自らはこれを否定しており非難の応酬となっている。シリアによるレバノンへの武器輸送を阻むためとして、イスラエルがシリア国内の軍事基地を何度も空爆している。レバノンに敵対しているイスラエルは、これを自衛のためとしている。また、戦闘による流れ弾がトルコの街に着弾し、トルコ軍が反撃を行うなど、隣国との戦闘も発生している

性質
国際的なシリア国内の状況の認識としては、2011年12月にUNHCRが事実上の内戦(Civil war)状態であるとしたほか、2012年6月12日にはエルベ・ラドゥース国連事務次長が高官としてはじめてシリアが内戦状態にあるとの見解を示している。同年7月15日には赤十字国際委員会が事実上の内戦状態であるとしている。一方でシリア政府側は騒乱開始以来、これはあくまで対テロ戦争であり、内戦ではないとの認識を示している。2012年6月になって大統領アサドが公の場で「真の戦争状態にある」と発言している。アサド大統領は、2013年9月には「現在シリアで起きているのは、内戦ではなく戦争であり、新しい種類の戦争だ」としており、シリアは「テロの犠牲者」と語っている。また、反体制派の8割から9割はアルカイダとも主張している

外国勢力を巻き込んだ複雑な対立と利害関係
シリア内戦は各国・各勢力の思惑が露骨に衝突した戦争となっており、それがこの紛争の解決をより一層難しくしている。アラブの春に影響を受けた、当初の目的である平和的な反政府デモを発端とするものの、その後は反体制派が周辺国からも入り乱れて過激派にとって代わられることで双方の対立が激化。その反体制派からはISILまで生んだ。
つまり、欧米諸国とその同盟国が描く巨悪・アサド政権に対する自由を求める民衆の蜂起という構図は、その後のシリア内戦で変質した。多国籍の軍隊がそれぞれ別の思惑でシリアを舞台にして、自らの権益を拡大・死守する代理戦争と化し、欧米が支援する反体制派では、民主化とは正反対であるイスラム原理主義の過激派勢力が台頭した。同時にこの対立構造ではSNSを駆使した情報戦が行われており、アサド政権とその支援を行うロシアイラン、さらに反体制派を支援するサウジアラビア・トルコ・カタールのアルジャジーラ、さらにBBCCNN等の西側メディアも含めて悲惨な難民の姿や女性、子供の被害者・犠牲者をメディアを通じてセンセーショナルに報道する場面が目立ち、プロパガンダの応酬となっている。特に欧米諸国が資金援助を行っているホワイト・ヘルメットの扱い[36][37]や、化学兵器の使用に関する報道で顕著となっている。
シリア紛争に関しては双方の利害の主張が著しく、中立的な視点を持つ報道が過小または中立的な視点を持つジャーナリズムは主流メディアから殆ど追いやられているといってよい。そこには、かつての各地で起こった民族間や旧宗主国とその権益から来る利害関係から起きた内戦とは大きく異なっており、より複雑でグローバル戦争ともいえる。人道主義を掲げて樽爆弾や無差別爆撃、化学兵器の使用等からアサド政権の残虐性を厳しく指摘する欧米諸国も反体制武装勢力によるキリスト教徒への迫害を批判したバチカン市国ローマ教皇庁等の一部を除き、反体制派の残虐性やサウジアラビアが関与するイエメンの惨状(2015年イエメン内戦)には余り言及されていない。


シリア
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シリア・アラブ共和国、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。「シリア」という言葉は、国境を持つ国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともある。

政治
シリアは共和制大統領制をとる国家である。1963年3月8日革命クーデター)以降、一貫してバアス党(アラブ社会主義復興党)が政権を担っている(バアス党政権)。現行憲法の「シリア・アラブ共和国憲法英語版」は1973年の制定当初、国家を社会主義人民民主主義国家とし、バアス党を「国家を指導する政党」と定めていた。だが、2011年シリア騒乱勃発を受けて行われた2012年の憲法改正で、これらを定めた条文はいずれも削除されている。
シリア騒乱勃発後、バアス党政権の正統性を認めない反体制派の諸団体が現行政府の打倒を目指し国内外で活動している。欧米中東の一部の国々は反体制派を「穏健な反体制派」とイスラム過激派とに区分し、「穏健な反体制派」のシリア国民連合を「シリアの正統な代表組織」として政府承認している。だが、シリア政府の関係者は反体制派全体をテロリストと認識しており、反体制派を敢えて二つに区分するのを無意味な事とみている

元首
国家元首である大統領は、バアス党の提案を受け人民議会が1名を大統領候補とし、国民投票で承認するという選任方法を採っていた。大統領の任期は7年で、ムスリムでなければならない。再選の制限は特に無かったが、2011年以来のシリア内戦の初期に政権側から示された妥協案の一つである憲法改正により、2任期の制限が設けられた(但し、憲法改正以前に遡っての適用ではない為、現職のバッシャール・アル=アサドは実質3任期目である)。また、バアス党の専権であった大統領候補者提案権も削除され、人民議会議員35名以上の文書による支持が新たな候補者要件となった。

軍事
 シリアはアラブ世界ではエジプトに次ぐ軍事大国として知られる。シリアは徴兵制が敷かれており、男子の兵役義務がある。また敵国であるイスラエルの侵攻を防ぐために、旧東側諸国の武器を重装備しており、主に友好国であるロシアから武器を調達している。
シリア軍の総兵力は現役約32万人、予備役は50万人である。陸軍の総兵力は約21万5000人、海軍総兵力約5000人+予備役約4000人、空軍総兵力約7万人、防空軍総兵力約4万人である。 また、これらの正規軍の他にイスラエルの侵攻に備えて、ゲリラ戦を行う為に複数の民兵が組織されている。
 シリアの軍事予算は国家予算の一割を占め、膨大な軍事費の為にシリアの財政を非常に圧迫している。またハマースヒズブッラーPFLPなどのテロ組織ゲリラ組織への資金援助、武器援助などを加えると軍事費は更に膨大なものとなっている。また、タルトゥース港とフメイミム空軍基地ラタキア)にロシア連邦軍が駐留し、同軍の地中海における拠点となっている。

国際関係
国家の安全保障アラブ諸国の間での影響力の増大、及びイスラエルからのゴラン高原返還を確実にすることが、バッシャール・アル=アサド大統領の外交政策の主要目的である。対外関係において、アサド政権はバアス党の伝統として「アラブの大義」「パレスチナを含むイスラエルによる全アラブ占領地の解放」を前面に押し出した主張をすることが多い。
シリアは、歴史上の多くの局面においてトルコイスラエルイラクレバノン等の地理的・文化的隣国との間で激しい緊張関係を経験してきた。また、サウジアラビアカタールを中心とした湾岸地域スンニ派アラブ諸国とは敵対関係にあり、これらの諸国は一貫してイスラム過激派を含むシリアの反政府勢力への支援を行ってきた。21世紀に入り、アサド政権は中東地域で対立関係にあった複数の国家との関係改善に成功した。だが、「アラブの春」とそれに続くシリア内戦の影響から多数の国との外交関係が断絶、或いは疎遠化しており、国際社会における交流の幅が狭まっている。

シリア内戦が国際関係に与えた影響シリア・バアス党政権は、2011年シリア内戦勃発を理由にアラブ連盟(2011年)、及びイスラム協力機構2012年)への加盟資格を停止させられている。また、トルコカナダフランスイタリアドイツアメリカ合衆国イギリスベルギースペイン、及び湾岸協力会議加盟諸国は反体制派団体の一つであるシリア国民連合を「シリアの正統な代表組織」として政府承認しており、バアス党政権との外交関係が断絶している。(シリア国民連合を政府承認している国の一覧については該当ページを参照のこと。)
一方、バアス党政権は伝統的な同盟国であるイラン、及びロシアと良好な関係を維持し続けており、シリア騒乱に対する軍事的援助を両国から受けている。また、内戦勃発後も友好的な関係を維持している国々として、中国北朝鮮アンゴラキューバベネズエラニカラグアブラジルガイアナインド南アフリカタンザニアパキスタンアルメニア,、アルゼンチンベラルーシタジキスタンインドネシアフィリピン ウガンダジンバブエ[21] キプロス、及びその他諸国があり、アラブ連盟加盟国であるイラクエジプト2013年のクーデター以降)、アルジェリア[24]クウェートスーダンレバノンオマーンパレスチナ自治政府、及びイエメンとも友好関係を維持している。
その他、バアス党政権と反体制派のいずれも積極的に支援せず、日本のように在シリア大使館を一時的に閉鎖して両国関係を疎遠にさせている国もある。(各国のシリアにおける在外公館の設置・閉鎖状況については、駐シリア外国公館の一覧英語版を参照のこと。)

イスラエルとの関係
 シリアとイスラエルは1948年5月14日のイスラエル建国とその直後に起きた第一次中東戦争以来、ゴラン高原の領有権、ハマースヒズボッラー等の反イスラエル武装組織への支援、イスラエルが敵国と見做すイランへの協力、シリア自体の核兵器開発疑惑などの理由から、2018年現在に至るまで敵対的な関係が続いている。
 両国の最大の対立要因は1967年の第三次中東戦争においてイスラエルがシリアから奪取したゴラン高原の帰属問題で、1967年以来イスラエルはゴラン高原を実効支配し、その主権を主張しているが、シリアはゴラン高原をシリア固有の領土であると主張し、同領土の返還を要求し続けている。イスラエルを除く当事国、および国連のどちらもイスラエルの主張を認めていない。国連安全保障理事会が決議497「イスラエルの(ゴラン高原)併合は国際法に対して無効である」旨を採択し、同地がイスラエルによって不当に併合されたシリア領であるという見解が固定化した。しかし、イスラエル政府は「併合」であると認めていない。 シリアとイスラエルは現在もゴラン高原の領有権を争っているが、第四次中東戦争停戦後の1974年以来、武力行使を行っていない。
シリアはイスラエルを牽制するため、1976年以降レバノンに軍を進め以後駐留を続けたが、レバノン国内からの反対(杉の革命)と国際的圧力により、2005年3月に軍と情報機関の完全撤退を表明した。軍は4月12日までに完全撤退した。情報機関の撤退については不明である。レバノンの反シリア派は、同国で頻発する政治テロの犯人はシリアであると非難している。
また、シリアはハマースヒズボッラーイスラーム・ジハード等の欧米諸国やイスラエルが「テロ組織」と呼ぶ組織を支援しており、アメリカからは「テロ支援国家」に指定されている。首都ダマスカスにハマースやその他のパレスチナ・ゲリラの拠点があり、武器援助や軍事訓練拠点を提供しているとされる。
2007年9月にはイスラエル軍がシリアの核施設と思しき建造物を越境爆撃した。限定的な空爆はそれ以前から散発的に実施されており、以後もシリア内戦勃発以降も含め複数回実施されたが、2018年2月にはシリア軍がイスラエル軍機を撃墜している。
2011年3月以降のシリア内戦では、イスラエルはシリア軍の化学兵器関連の疑いのある施設やアサド政権支援の為シリア国内で活動するヒズボラやイスラム革命防衛隊に対する限定的な空爆を行っている一方、アサド政権崩壊後の混乱を警戒してか同政権の崩壊を企図した反体制武装勢力への支援については極めて慎重な姿勢を取っており、2018年7月のアサド政権軍によるゴラン高原隣接地域を含むシリア南西部の平定について「シリアの状況は内戦前に戻りつつある」として、内戦でのアサド政権の勝利がイスラエルにとっても好ましいとの見方を示した。

イラクとの関係
  隣国イラクを巡っては、シリア・バアス党とイラク・バアス党の政治対立によって、イラン・イラク戦争ではイラン支持に廻り、湾岸戦争ではシリア軍が多国籍軍の一員としてイラクに侵攻するなど、対立の時代が長く続いた。しかし、イラク戦争後アメリカ軍により指名手配された旧イラク・バアス党幹部やイラク国内の混乱から逃れた人々が数多くシリアへ亡命し、受け入れた数は推定120万人を上るとされた。 シリア政府が政治亡命したイラク・バアス党員の引き渡しを拒否したことや、イラクで米軍と戦うアル=カーイダなどのテロリストがシリアを経由してイラク国内に流入したことは、米国政府からの強い非難を引き起こした。イラク治安筋によるとダマスカスラタキアには、外国人テロリストのイラクへの密入国を仲介する者達がおり、そのほとんどがイラク・シリア国境付近における密貿易で生計を立てていた者であったという。
  米陸軍士官学校ウェストポイントはイラク北部のシンジャールで見つかったアル=カーイダの文書を元に報告書を作成した。それによると、現在までにシリアからイラクに入ったテロリストは590人で、約100人のシリア人仲介者がテロリストの密入国を手助けしているという。動機は金銭目的、イスラーム原理主義を支持しているなどの理由であるという。テロリストの出身国は遠くはモロッコ、リビア、アルジェリア、イエメン、近くはサウジアラビアで、彼らは密入国の手数料として2,500ドルを支払い、国境付近に到着すると偽造パスポートを受け取り、地元民の協力とガイドでイラクへと越境している。また、外国人テロリストのほとんどがアラブ諸国出身者であり、アラブ民族主義、あるいは侵略された同胞ムスリムを助けるジハードの遂行のためにイラクへ入国したイスラム過激思想信奉者であるとされる。特に、デリゾール県などのイラク国境地域の住民はイラク北西部に住むスンナ派部族とは親戚関係にあり、ジャズィーラ方言のアラビア語(メソポタミア方言のうち、イラク北西部やシリア東部で話されるもの)を喋るなど、イラクとの関係は深く、「外国人の占領下に置かれている同胞」への同情からテロリストを支援しているとされている。

  イラクでの戦闘に参加するために、同国へ潜入したイスラム過激思想信奉者のうち著名な人物は、シリア東部デリゾール県出身のアブー・ムハンマド・アル=ジャウラーニーである(ジャウラーニー氏についてはダラア県出身との説もある[31]。)当該人物は、シリア内戦における反政府武装勢力の主力たるアル=ヌスラ戦線の指導者となっている[32]。ヌスラ戦線の要員には、米軍占領期のイラクにおいて反米・反シーア派闘争に参加した者たちが多く含まれる。
シリア政府は、2003年対イラク開戦時には越境する「アラブ人義勇兵」を放置していたが、同年4月以降までに密輸業者を取り締まるなどの対策を講じた。しかし、部族民や地元政府、治安当局者まで業者に賄賂で買収されてしまっており、効果があがっていないとされる。もっとも外国人テロリストの越境数が多かったのは、2004年のファッルージャの戦闘時で、大半がサウジ人であったという。[33]。イラク戦争後、シリア国内で統制が強化されたのは、これらの義勇兵にイスラーム過激派が含まれており、シリア・バアス党の政治思想と厳しく対立していたためでもあり、シリア国内の治安への悪影響を減ずるという意図もあった。しかし、シリアは旧イラク・バアス党政権の残党には庇護を加え、米軍を始めとする占領軍やイラク暫定政権に対する破壊活動を支援したとされる。
また、イラクでは、元大統領サッダーム・フセインの出身部族がスンニ派であることに加え、サッダーム旧政権時代の与党であったイラク・バアス党の中核支持層もスンニ派に属し、これがイラク国内で多数派の十二イマーム派を押さえる形になっていた。しかし、シリアでは対照的に、アサド大統領の出身部族はイスラームの少数宗派であるアラウィー派に属し、シリア・バアス党の中核支持層はアラウィー派のほか、キリスト教徒ドゥルーズ派イスマーイール派などの少数宗派であり、これらが多数派であるスンナ派を抑える形になっている(但し、スンニ派であっても世俗主義勢力の一部はバアス党と協力関係にある)。
このためシリア内戦が勃発した後、イラク国内で反米・反シーア派闘争を継続していた聖戦と解放の最高司令部および ナクシュバンディー軍を率いる旧イラク・バアス党序列第二位のイッザト・イブラーヒーム(サッダーム・フセインの死刑執行後、イラク・バアス党の地域指導部書記長に就任)はアサド大統領の打倒を目指してシリア国内で活動するスンニ派の反体制勢力との連帯を表明した。また、イラク西部のスンニ派多数派地域における自由シリア軍支持者によって自由イラク軍というスンニ派武装集団も結成されている。これらの組織は過激派組織ISILとも協調しており、イラク政府軍と戦闘状態にある。逆に、イラク・バアス党政権の崩壊後、十二イマーム派が主体となったイラク政府は、ISILや同組織と同盟関係あるスンニ派武装集団の戦闘においてシリア政府と協力関係にある。
  シリアは旧イラク・バアス党政権の残党に庇護を与えていたが、一様な支援ではなく、イラク・バアス党側においてもイッザト・イブラーヒームは、イランと同盟関係にあるシリアに対し深い不信感を抱いており、提携にも消極的であったとされる。また、イラク・バアス党はサッダーム・フセインの死によって路線対立に歯止めが利かなくなり、一部の党幹部が非主流派グループを形成し、イブラーヒームの下を離脱。シリア東部のハサカにて会議を行い元党軍事局員のムハンマド・ユーニス・アル=アフマドを新指導者に選出した。この後、ユーニスはイブラーヒームを党より追放すると宣言、これに対抗してイブラーヒームがユーニスとそれに連なる党員の追放を行い、イラク・バアス党は主流のイブラーヒーム派と傍流のユーニス派に分裂した。ユーニス派による内訌と党分裂の事態に際して、イブラーヒームは声明を発し、イラク・バアス党に対するアメリカの陰謀を支援しているとして、シリア政府を非難している。イブラーヒームはシリア政府との協働に懐疑的姿勢を崩さず、敵視しており、シリア内戦勃発後には最終的にシリア政府と決別した。しかし、対照的に、ユーニスはシリア政府と良好な関係を構築した。
  現イラク政府の暴力的転覆によるイラク・バアス党の政権奪取を重視している聖戦と解放の最高司令部やナクシュバンディー軍を始めとするイブラーヒーム派に対し、アル・アウダのようなユーニス派は恩赦や国外へ逃れたバアス党員の本国帰還によるイラク・バアス党の政治的再建を重視している(アル・アウダの結成は2003年であり、当初は積極的武力闘争路線であったがのちに方針を転換した)。また、イブラーヒーム派は闘争の過程でスーフィズムの紐帯を利用した他、ジハード主義者と共闘するなど宗派主義的傾向を強めた(ただし、これは軍事的手段の1つとして用いた便宜的なものであり、政治的には、世俗主義を維持していた。)が、ユーニス派は前者に比して更に世俗主義的傾向が色濃く汎アラブ主義への回帰はより強固であった。これによってユーニス派は十二イマーム派が多数を占めるイラク南部における支持獲得に成功し、上位の指導層はスンニ派が占めているとはいえ、組織の中間層にはシーア派が多く存在するなど、旧来の支持基盤であるスンニ派多数地域での構成員獲得を目指すイブラーヒーム派とは対照的である。シリア政府はユーニス派を通じてイラクへの影響力拡大を図っていたのだった。また、恩赦を呼びかけるユーニスらに対してヌーリー・マーリキーは拒否する姿勢を崩さなかったが、マーリキーの退陣後、イラク首相に就任したハイダル・アル=アバーディは、穏健派であるユーニスとの和解に対して妥協的である。
  また、当初は十二イマーム派が主導する現イラク政府との戦いにおいてISILと共闘していたイブラーヒーム派だったが、支持基盤の一部はスーフィー信者であり、ISILの急速な勢力拡大に対して警戒感を強め、同盟関係は2014年末には決裂したとされる。しかし、イッザト・イブラーヒームの率いる武装組織は、イラク政府との闘争も依然継続し、翌2015年4月中旬、領袖のイッザト・イブラーヒームがイラク政府軍およびシーア派武装組織との戦闘で死亡した。イブラーヒーム派がISILとの協力を停止し(スーフィーに属さない党関係者にはISILとの協働を継続している者やISILの構成員となっている者もおり、これらの元党関係者はISILとの同盟関係が決裂した際、反対にイブラーヒーム派の攻撃に加担した)、イブラーヒーム本人が戦死するなか、イラク政府はISILとの戦いを続けるうえで、イラク・バアス党との政治的和解を模索しているとされる。だが、当事者であるイラク・バアス党は両派に分裂したまま派閥対立がまったく収束していない。イブラーヒーム派はムハンマド・ユーニス・アル=アフマドをイラク政府との交渉から排除することを望み、ユーニス派はイラク国内の破壊および占領に関するイブラーヒーム派の責任を非難し、イブラーヒーム派の政治的復権を拒否している。

イラン・イスラーム共和国との関係
イラク・バアス党政権との対立関係やシリアは他のアラブ諸国と異なり非スンナ派政権である事から、イラン・イラク戦争ではイラクと戦争状態にあり、かつシーア派が国民の大多数を占めるイランを支持した背景があり、イランとは現在でも事実上の盟邦関係を継続中で、反米・反イスラエル、国際的孤立化にあるなど利害が一致する点が多い。 シリア内戦ではイランは一貫してアサド政権を支持しており、資金や物資に留まらず革命防衛隊を援軍として送るなど直接・間接にアサド政権を支援している為、内戦勃発以降は政治面の他、経済・軍事面でも一体化を強めつつある。
近年では、イランの他、ベネズエラスーダンキューバなどの反米路線の国との関係を強化している。

トルコ共和国との関係
  シリアは隣国トルコ共和国のハタイ県を固有の領土であると主張している。2000年のバッシャール・アル=アサドの大統領就任後は両国の関係は改善していたが、2011年にシリア内戦が勃発すると、エルドアン政権はアサド政権打倒目的で自由シリア軍を始め反体制武装勢力を積極的に支援するなど対立関係にある。トルコの反体制派支援に対しアサド政権はシリア北部のクルド人勢力(クルド人民防衛隊/YPG)と協調し、同国北東部の自治を事実上黙認する方針を取ったため、国内にクルド人問題を抱えるトルコは2016年及び2018年にシリアのクルド人地域(ロジャヴァ)に対する越境攻撃を実施。特に2018年の越境攻撃時にはアサド政権が反体制派への勝利をほぼ確定的にし、余裕が出た戦力をYPGへの援軍として送ったためトルコ軍との直接戦闘に至り、両国の対立は激化の一途を辿っている。

ソビエト連邦及びロシアとの関係
ロシアは、ソ連時代の1980年にシリアとの間にソビエト・シリア友好協力条約を締結しており、ハーフィズ・アル=アサド政権時代から軍事的には同盟国である。この同盟関係はソ連崩壊後もロシア連邦が引き継ぎ、ロシアは新鋭の防空兵器や弾道ミサイル等さまざまな武器・兵器を販売するなどシリアにとって最大の武器援助国となっている。また独立国家共同体(CIS)諸国以外で唯一のロシアの軍事施設があるタルトゥースの海軍補給処、ラタキア近郊のフメイミム空軍基地など)。
シリア危機に際し、2013年9月9日にプーチン政権は米国によるシリア侵攻を回避すべくロシアセルゲイ・ラブロフ外相を通してシリアの化学兵器を国際管理下に置き、シリアの化学兵器禁止条約批准を提案した。そして、9月12日にシリアのアサド大統領はさらに批准後の一ヶ月後に化学兵器情報を提供することにも同意した。2015年9月30日にはロシア連邦軍がアサド政権を支援する軍事介入を開始(ロシア連邦航空宇宙軍によるシリア空爆)。これ以降、膠着状態だった戦況はアサド政権側に大きく傾き、アレッポデリゾールといった主要都市を巡る攻防を政府軍が制し、内戦の帰趨を決する決定的な影響を与えた。

朝鮮民主主義人民共和国との関係
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とはハーフィズの時代からの伝統的友好国であり、軍事交流や弾道ミサイルなどの北朝鮮製兵器の買い手でもある。共同の核開発計画も行っているとされ、2007年にはイスラエル空軍が核開発施設と見られる建物を爆撃した。
シリアは北朝鮮との友好関係を考慮し、大韓民国と国交を有していない。

中華人民共和国との関係
中華人民共和国(中国)とはハーフィズの時代からの伝統的友好国であり、軍事交流や弾道ミサイルなどの中国製兵器の買い手でもある。1990年代にシリアに小型の原子炉を売却した際はイスラエルやアメリカから懸念された。経済的にはシリア最大の貿易相手国ともされ[43]、2つのシリア最大の産油企業の大株主であり、2011年から国連のシリア非難決議でもロシアとともに拒否権を行使することも多い
アサド大統領も2004年6月に訪中して中国の胡錦濤国家主席と会談を行うなど、中国との関係を重視している。シリアは中露主導の上海協力機構への加盟も申請している

アメリカ合衆国との関係
アメリカ合衆国はシリアが1990年湾岸戦争多国籍軍に参加し、1991年にアメリカ合衆国政府が主催した中東和平 マドリード会議以後、アメリカ合衆国政府が提案する中東和平プロセスを支持し、アメリカ合衆国政府が主導した国連安保理決議に基づいて2005年にレバノンから軍を撤退させたが、アメリカ合衆国政府はシリアがレバノンに軍を進駐させた1976年当時からシリアを「テロ支援国家」と認定し、2004年以後は経済制裁を実施し、2005年以後は在シリア大使を帰国させている
2013年9月5日アメリカ合衆国上院外交委員会はシリアの化学兵器使用を理由に軍事行動を承認したが、議会承認なきままアメリカ軍はシリア侵攻の攻撃態勢に入っていた。

日本国との関係シリア戦争の危機に際し、安倍晋三政権は日本の同盟国である米国のシリア侵攻に対しては反対を表明はしてはいない。菅官房長官は8月29日の記者会見で、シリア政府による化学兵器を使用の根拠を問われ「様々な具体的情報があるが、関係国とのやり取りなので控える」としている

2012年5月、日本政府はモハンマド・ガッサーン・アルハバシュ駐日シリア大使国外退去勧告を行う一方、シリア政府も翌6月、鈴木敏郎駐シリア大使にペルソナ・ノン・グラータを通告するなど、相互に大使の追放処分を行った







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