社会問題-2023年1月~のニュースです(見なさんで考えてね!!)(一部wikipediaあり)


2025.10.14-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20251014-VQBXMRHJ5FLETBIQZMY3N7BRRE/
ウクライナの「内なる敵」 国民の思いを見誤ったゼレンスキー氏の慢心-一筆多論
(外信部長兼論説委員)

  「ウクライナは汚職のひどい国だから支援金はどう使われるか分からない。支援などしない方がいい」。この種の意見をときに耳にするが、筆者はロシアによる情報工作の影響を疑うことにしている。ウクライナの汚職は確かに問題だが、状況はロシアよりはるかに良いウクライナでは汚職が発覚して処罰されるが、ロシアでは全て闇の中だ

  ロシアの侵略を受けるウクライナの人々は汚職という「内なる敵」とも戦っている。このことを想起させる出来事が今年夏のウクライナであった。
  ゼレンスキー大統領が7月、高位公職者に対する汚職捜査機関である「国家反汚職局」(NABU)と「特別反汚職検察」(SAPO)の独立性を奪い、両機関を自身が任命する検事総長の配下に置く法律を成立させた。すると、侵略戦争が始まって以降で最大規模の反政権デモが起き、ゼレンスキー氏は1週間余りで措置の撤回に追い込まれた。ゼレンスキー氏は「人々の声を聞いた」と事実上の謝罪もした。
  民間団体「ウクライナ反汚職センター」のシェフチュクさん(35)は経緯をこう解説する。
  「ゼレンスキー氏はNABUとSAPOがロシアの影響下にあると主張して(独立性を奪う)口実としたが、人々は信用せず、権力が乱用されていると考えた。戦時中だからこそ汚職対策をきちんとし、金が適正に使われなくてはいけないと人々は考えている」
  ウクライナ人にとって汚職対策は特別な意味を持つ。それは自分たちのアイデンティティーに関わることであり、何のためにロシアに抗戦しているのかという問題でもある。
  今日の侵略戦争の淵源(えんげん)は2014年の「マイダン革命」にある。当時の親露派大統領が欧州連合(EU)との統合路線を放棄したことに端を発して大規模デモが起き、政権が崩壊した出来事だ。ウクライナ人の多くは親露派政権の腐敗に怒りを爆発させ、ウクライナはこの革命でEU加盟を目指す路線を明確にした。
  公正な競争を旨とするEUの単一市場に入るには、汚職対策や法の支配が絶対条件だ。15~16年に汚職対策の切り札としてNABUやSAPOが設けられ、これまでに現職と元職の国会議員約70人と裁判官40人以上が立件された。
  プーチン露大統領は過去に何度もNABUに言及しており、8月1日の記者会見でもNABUは「効率ゼロだ」と言ってのけた。プーチン氏が隣国ウクライナに自由民主主義が確立することを恐れ、NABUを意識している証左である。
  ゼレンスキー氏は7月、NABUによる捜査の手がチェルニショフ元副首相ら側近に及んだため、彼らを守る目的でNABUの骨抜きを図ったとみられている。首都キーウの抗議デモには多いときで約1万5千人が参加し、その中心は国の将来を担う若者だった。
  汚職との戦いをやめればEU加盟の道は絶たれ、プーチン氏の思うつぼだ。14年に崩壊した親露派政権がそうだったように、公職者はロシアからの賄賂にまみれ、国はプーチン氏にからめとられる。人々はこう認識しているからこそNABU問題で怒りの声を上げた。ゼレンスキー氏はすんでのところで致命的な過ちを回避したが、再び慢心すれば内政は流動化しかねない。
(外信部長兼論説委員)


2025.10.08-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20251008-YEVKTXM27ZM6BPSSOV6HRT7IIM/
終戦後、大混乱の中国大陸 対共産党で焦る蒋介石が選んだ仇敵・日本軍との「呉越同舟」
(池田祥子)

  昭和20年8月、日本の降伏を契機に、戦後に向けた各勢力の思惑が交錯した盧溝橋事件から8年もの日中戦争が終結した中国大陸では、国民党軍と中国共産党軍の対立が新たな局面を迎えつつあったソ連を後ろ盾に勢力拡大を図る共産党に対し、国民党を率いる蔣介石が狙ったのは日本側との「呉越同舟」日本軍民180万人の復員に大きな影響を与えた

  8月10日、日本政府はポツダム宣言の受諾を連合国に通知。12年から日中戦争が行われていた中国大陸では、国民党と共産党がそれぞれ動き出した。約10年の内戦から一転、日中戦争勃発後は「国共合作」で対日共闘したが、状況は再び180度転換し、互いに大陸統治の主導権を狙った。
  当時、中国大陸には、華北一帯と長江中下流の主要都市などを支配する日本軍▽重慶を拠点に西南部の奥地を支配する国民党軍▽延安を拠点に華北の日本軍支配地周辺に展開する共産党軍-が存在しており、主導権奪取のカギを握るのは兵力105万人を維持する日本の支那派遣軍だった。蔣介石は即座に日本側と降伏の折衝を始めるとともに、国民党軍に対し、共産党軍よりも早く日本軍の支配地域に進み、武装解除を迫るよう命じた。
  「共産党が勢力を強める中、戦後中国の統治の困難さを予想していた蔣にとって、降伏した日本軍を敵に回す選択肢はなかった」。防衛研究所の藤井元博主任研究官(39)が解説する。
  《貴国軍の占有しある拠点に我方軍隊の進駐する迄は貴国軍に於て引続き確保し、放棄せざる如くせられ度(たし)》(一部中略)
  20年8月21日の「芷江(しこう)会談」で、国民党軍幹部が日本の支那派遣軍幹部に依頼した内容が、日本側の文書で明らかになっている。国民党軍が入るまで、日本軍は現在の拠点を守ってほしい-。藤井氏によると、このやり取りはあくまで非公式のもので、国民党側は公式文書に載せていない。
  米軍から支援を得ていたとはいえ、国民党軍は広大な中国大陸で共産党軍に後れを取る可能性があった。9日、対日参戦したソ連軍が満州から越境し北京付近に迫っており、戦後を見据えて国民党軍を満州に進出させる必要もあった。
当時、中国大陸には、華北一帯と長江中下流の主要都市などを支配する日本軍▽重慶を拠点に西南部の奥地を支配する国民党軍▽延安を拠点に華北の日本軍支配地周辺に展開する共産党軍-が存在しており、主導権奪取のカギを握るのは兵力105万人を維持する日本の支那派遣軍だった。蔣介石は即座に日本側と降伏の折衝を始めるとともに、国民党軍に対し、共産党軍よりも早く日本軍の支配地域に進み、武装解除を迫るよう命じた。
  「共産党が勢力を強める中、戦後中国の統治の困難さを予想していた蔣にとって、降伏した日本軍を敵に回す選択肢はなかった」。防衛研究所の藤井元博主任研究官(39)が解説する。
  《貴国軍の占有しある拠点に我方軍隊の進駐する迄は貴国軍に於て引続き確保し、放棄せざる如くせられ度(たし)》(一部中略)

  20年8月21日の「芷江(しこう)会談」で、国民党軍幹部が日本の支那派遣軍幹部に依頼した内容が、日本側の文書で明らかになっている。国民党軍が入るまで、日本軍は現在の拠点を守ってほしい-。藤井氏によると、このやり取りはあくまで非公式のもので、国民党側は公式文書に載せていない。
  米軍から支援を得ていたとはいえ、国民党軍は広大な中国大陸で共産党軍に後れを取る可性があった。9日、対日参戦したソ連軍が満州から越境し北京付近に迫っており、戦後を見据えて国民党軍を満州に進出させる必要もあった。
  日本側の協力を得るため、国民党は当時中国にいた180万人もの日本人の早期引き揚げに取り組み、米国もその方針を支持した。藤井氏は「互いのメリットが一致した形だが、国民党が内戦の危機に直面するという厳しい情勢下だったことが、日本側に幸いした」と語る。
  一方、共産党は満州でソ連と協力しつつ勢力を拡大。21年6月、ソ連撤退後の満州で国共内戦が再燃すると、状況は一変した。内戦への関与を避けた米国は支援を停止。国民党軍は敗走を重ね、政権を失った。
諜報活動、国民党支援の知られざる事実
  「国民党は、戦時中に中国共産党軍と戦った日本軍のノウハウや情報を必要としていた」。防衛研究所の藤井元博主任研究官によると、戦後、日本軍の諜報組織が国民党のために活動した「知られざる事実」がある。
  《何(か)(應欽(おうきん))上将より岡村総司令官に対し「復員迄の間対共情報勤務に対し協力せられ度」旨要求あり中国側の鈕(ちゅう)(先銘(せんめい))少将特に熱心に懇請す諸般の事情上岡村大将右に同意す》(一部中略)

  昭和20年10月21日、国民党軍陸軍総司令の何と支那派遣軍の総司令官、岡村寧次(やすじ)のやり取り。9月25日付の史料には、華北に駐屯する対共産党戦の専門部隊の南京移転を求める何に対し、「今現地を守っているのはこの部隊だ」として岡村が断った旨も記される。
  支那派遣軍の諜報組織は「徴用」名目で戦後も国民党のための諜報活動に当たった。国民党軍は、日本軍支配地域の共産党だけにとどまらず、満州の情報も欲し、日本人諜報員には満州に関する資料の翻訳も課せられた。
  米軍の支援を受けて軍を強化した蔣介石は20年初頭、8月の対日反攻作戦を計画した。しかし、米軍がフィリピンから台湾を素通りして沖縄に進軍。米軍の大陸上陸による支援拡大の希望が潰(つい)えた蔣は、全国統一のために日本と協力せざるを得なかった。
  大陸からの日本軍民の引き揚げは、蔣介石の「以徳報怨」(怨みに対して徳をもってこたえる)の演説を引き合いに、混乱した満州と比べられる。降伏したものの支那派遣軍は105万人もの兵力を維持。藤井氏は「国民党側には日本との協力に強い不満もあったが、混乱と共産党の勢力伸長は避けたかった。支那派遣軍はその部分をよく見ていた。『以徳報怨』だけでは語れない事情があった」と話した。
浮かぶ歴史の複雑さ~取材後記
  「中国では勝ち戦」「負ける気がしなかった」。中国での従軍経験がある元日本軍兵士らは、取材に対し、対米戦との差を異口同音に語っていた。
  太平洋の戦況が悪化する一方、中国大陸の広大な領域を支配していた日本の支那派遣軍は昭和19年4月、北京-仏領インドシナ・ハノイの1500キロをつなぐ「一号作戦」を開始。国民党軍に打撃を与えた。
  戦後、元支那派遣軍参謀は「本店(日本軍)が商売に失敗したため、黒字の支店(われわれ)も閉店した」との例えで、やむを得ず降伏したと強調した。しかし実際には、対米戦の影響で支那派遣軍も戦力低下に苦しんでおり、日中双方が厳しい状態で終戦を迎えた。
  「蔣介石の誤算は、米国の支援拡大前に戦争が終わったことだ」。防衛研究所の藤井元博主任研究官が指摘する。蔣にとって、頼みの綱である米国の支援が早期に終わることへの焦りがあった。
  終戦後の中国の混乱は、米ソという大国の思惑にも左右された。藤井氏は「国民党が内戦に敗れたことで、日本が極東における米国の最大の同盟国になる展開につながった」とみる。
  戦後の日米同盟とその深化は、日本に長期の平和をもたらした。一方、蔣が逃れた台湾は今、中国共産党の脅威にさらされている。歴史の複雑さを感じさせる。
(池田祥子)

日中戦争 
  昭和12年7月7日、北京郊外での「盧溝橋事件」を発端に始まった日中両軍の全面戦争後の米国などとの開戦につながった内戦中だった国民党と中国共産党は「国共合作」で徹底抗戦し、戦闘は泥沼化する。南京から重慶に移した国民政府に対し、米軍がインド経由で爆撃機B29や武器などを支援19年7月のサイパン島陥落まで日本本土爆撃の拠点となった。厚生労働省によると、中国大陸(満州のぞく)の日本人戦没者は46万5700人


2025.10.08-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20251008-FC6WQBTAOJO3PKXZURN3XQQWWY/
「抑留正当化の歴史戦許されない」 旧ソ連抑留者の慰霊祭 抑留経験者ら約130人が出席

  全国強制抑留者協会8日、東京都内で「シベリア抑留関係者中央慰霊祭」(総務省後援)を行い、抑留経験者や遺族ら約130人が出席した。

  旧ソ連は1945(昭和20)年8月、日ソ中立条約を一方的に破って対日参戦民間人の虐殺、性的暴行、略奪や現在まで続く北方領土の不法占拠などを行った上、56(同31)年までシベリアやモンゴルなどで日本軍将兵らを抑留した。日本政府は約57万5千人が抑留されたと推計。うち、少なくとも6万人以上が死亡したとみられる。
  自身もモンゴルで抑留された経験を持つ山田秀三会長(108)は「帰国を夢見ながら異郷で亡くなった6万余の人の無念ははかりしれない」とした上で「ロシアは近年でもウクライナへ侵攻し、我が国へ歴史戦を挑んでいる。抑留の正当化は許されない」と訴えた。
  祖父の田口正人さん=当時(36)=がシベリア抑留中に亡くなった遺族の大城民江さんは、抑留地の一つであるモンゴルを訪問した際に聞き取った、日本人抑留者と同情した現地住民が交流を重ねたエピソードを紹介。「抑留を単なる史実の一つとさせず、風化しないように語り継いでいきたい」と述べた。


2025.10.04-日本経済新聞-https://www.nikkei.com/article/DGXZQODK038CC0T01C25A0000000/
[社説]高市氏は難局打開へ政治再生急げ-自民総裁選に問う

  自民党の新総裁に高市早苗前経済安全保障相が選ばれた。衆参両院で少数与党となるなか、厳しい国政のかじ取りを迫られる国内外で直面する難局を打開するため、政治の再生を急いでほしい

  自民党は再建の崖っぷちに立つ。党首を代えただけで国民の信頼を取り戻せるわけではない国民全体の利益を追求する責任政党に立て直せるかが問われる
女性リーダーの時代に
  総裁選は5人が立候補し、上位2人の決選投票の結果、高市氏が小泉進次郎農相を制した。保守層を基盤に支持を広げ、全国の党員票で他候補を大きく上回ったことが勝利の原動力となった。女性の総裁は1955年の結党以来、初めてになる。
  高市氏は15日にも召集される臨時国会で、日本で初めての女性首相に選ばれる見通しだ。男性が多い政界の「ガラスの天井」を破る意義は大きい。高市氏自身は選択的夫婦別姓に消極的であるなど保守的な主張も目立つが、多様性に配慮し、各界で女性の活躍が広がるよう努めてほしい。
  高市氏が取り組む内外の課題は山積している。
  最初の関門は党役員や閣僚の人事で、挙党態勢を築けるかだ。総裁選ではパーティー収入の不記載問題の震源地となった旧安倍派議員らから多くの支援を受けた。高市氏はこうした議員を要職に起用しても問題はないとするが、国民が納得する説明が必要だろう。
  参院選大敗の一因となった「政治とカネ」は議論が深まっていない。政治資金問題などで実効性のある改革を打ち出せなければ、参院選の総括で誓った「解党的出直し」は実現しない。
  経済政策では成長を重視するが、課題もある。高市氏は「責任ある積極財政」を掲げ、歳出拡大を志向する。当面は物価高対策に力を注ぐとし、ガソリン税の旧暫定税率廃止に賛成する。
  減税と給付を組み合わせて中低所得者を支援する「給付付き税額控除」の党内論議を指示する考えも示した。野党が求める消費税減税は「選択肢として放棄しない」と表明した。
  バラマキではなく、効果的に経済成長を促すワイズスペンディング(賢い支出)の視点が欠かせない。債務をむやみに膨らませると物価高や円安が進み、国債の信認を悪化させる懸念がある。旧暫定税率廃止などは安定的な財源を手当てすべきだ。
  少子高齢化が進むなかで、社会保障と財政の持続性向上など中長期の課題への対策も詰めなければならない。
  外交・安全保障政策を巡っては、これまでタカ派の言動が目立ったことから中国や韓国には警戒感が漂う。高市氏は靖国神社参拝を続けるかどうか明言を避けている。決選投票前の演説で「国益を第一にバランス感覚を持って国家運営にあたる」と述べた。対話を通じて信頼を築く姿勢で臨んでもらいたい。
  今月下旬に来日を予定するトランプ米大統領との首脳会談は外交面での真価が問われる。トランプ政権が内向き志向を強める中、日米同盟を基軸に同志国のネットワークをどう広げていくか。防衛力を強化していく具体的な戦略づくりも迫られる。
安定と協調に軸足を
  高市氏は総裁選の演説会で、奈良公園を訪れた外国人観光客の中にシカを「足で蹴り上げる人がいる」と語った。保守層を取り戻そうとする狙いがあったとみられるが、排外主義につながる動きがないか注視していきたい。
  高市氏は記者会見で、公明党との連立政権が基本としたうえで、政治を安定させるために連立の枠組み拡大に向けた野党との協議に意欲を示した。石破政権は政策ごとに野党と協力する部分連合で予算や法律を成立させてきた。連立政権を組む場合は主要政策の合意が必須となる。
  7月の参院選を経て、単独では政権を担えない政党が乱立する多党化の時代になった。多様化した民意をどう束ねるか。国民に開かれた議論を通じて幅広い政党間合意を見いだすためのルールや慣習づくりも課題になる。
  高市氏が保守層を意識する持論にこだわれば、野党の一部との協力も遠のきかねない安定と協調に軸足を置く政治姿勢に徹してもらいたい



2023.01.01-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230101-OBUNZRKGWFK7TDXO6Z6YSSEPMA/
「国民を守る日本」へ進もう 論説委員長・榊原智

  「日本が努力しなかったら、戦後初めて戦争を仕掛けられるかもしれない。戦争したくないから抑止力を高めようとしているんですよ」このように語ると、たいていの人が首肯してくれた。
  昨年は仕事柄、なぜ岸田文雄首相が防衛力の抜本的強化へ動いているのか―と問われる機会がしばしばあった。それへの説明である。
  ロシアがウクライナを侵略し、岸田首相は「東アジアは明日のウクライナかもしれない」と語った。日本の首相が戦争の危機を公然と憂えたのは、少なくともこの数十年間なかったことだ。安全保障環境はそれほど深刻である。
世論は防衛強化を支持
  岸田政権が決めた国家安全保障戦略など安保3文書は、反撃能力の保有や5年間の防衛費総額43兆円などを盛り込んだ。安保政策の大きな転換で岸田首相の業績といえる。
  安倍晋三政権は集団的自衛権の限定行使を容認する安保関連法を制定した。軍拡を進める中国や北朝鮮に比べ防衛力が十分でないという課題が残ったため、岸田政権は防衛体制の質と量を整える実践面の改革に着手した。それは平和を追求する日本外交の発言力も高める。ウクライナ人が祖国を守る姿を見た国民の多数は防衛力強化を支持している。
  もちろん、政策文書だけでは安全は手に入らない。今年は3文書の抑止力強化措置を講じる最初の年だ。令和5年度予算成立なしには防衛費増額も始まらない。関係者の努力や同盟国米国との協力が重要だ。
  台湾への中国軍の侵攻があれば、地理的に極めて近い南西諸島が戦火に見舞われる恐れはある。中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)を台湾の付属島嶼(とうしょ)とみなしている。「台湾統一」が中国の夢なら尖閣も含めようとするだろう。台湾有事と日本有事が否応(いやおう)なく連関する点から目を背けて、備えを怠れば本当に戦争がやってくるかもしれない。抑止力と対処力の向上が急がれるゆえんだ。

  北朝鮮の核・ミサイルも問題だ。ところが、反撃能力保有をめぐり一部野党や多くのメディアは「相手国が発射する前の反撃能力行使は先制攻撃になる恐れ」や「歯止め」を専ら論じている。核ミサイルも抑止しなければならないのに、バカも休み休み言ってもらいたい。
  日本が参考にすべきは同じ民主主義の欧米各国の防衛政策だが、ミサイル対処で日本のような見当違いの議論が横行する国はない。理由なく相手を叩(たた)く先制攻撃が国際法上不可なのは自衛隊も先刻承知だ。反撃能力の円滑な導入を論じてほしい。
  それでも反撃能力の運用は何年も先になる。既存の部隊や装備を十分活用するため弾薬、整備部品の確保を急ぎたい。特に弾薬庫増設は重要で地元自治体は理解すべきだ。
「シェルター」担当相を
  ロシアは国際法を無視してウクライナの民間人・施設をミサイル攻撃している。このような非人道的な戦術を中朝両国が有事に真似(まね)ない保証はない。台湾のように、日本でも地下シェルター整備は急務だが、内閣に整備促進の担当相がいないのは疑問だ。政府はウクライナや台湾、欧米、イスラエルへ調査団を派遣し、国民保護の手立てを学ぶべきだ。
  残された問題はまだある。
  中朝露が核戦力増強に走っているのに、安保3文書に国民を守る核抑止態勢強化の具体策がない。岸田首相には取り組む責務がある。
  何より、北朝鮮に拉致されたり、それに似た状況に置かれた国民を、自衛隊は海外で救出することが許されていない。憲法9条の解釈で海外での武力行使が禁じられているせいだ。現地政府の了解を得た警察権の代行なら余地があるというが、敵対的な国で日本国民が非道な目にあっている場所が分かっても、救出作戦の選択を端(はな)から放棄しているのが戦後日本だ。国民を守らない9条の呪縛である。
  1976年にイスラエル軍は、ウガンダのエンテベ空港で、テロリストがハイジャックした民航機を急襲し、人質だった自国民のほとんどを解放した。このとき、ウガンダ政府は反イスラエルの姿勢だった。
  日本が国民を守れる国になるには乗り越えるべき壁がまだある。


2023.01.01-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230101-ZKPYEBOLZVP3DMBNY4MV6DWRKI/
チャイナ監視台「民進党惨敗と次期台湾総統選」 産経新聞台北支局長 矢板明夫

  去る十一月二十六日に行われた台湾の統一地方選では、二十二ある県・市(うち一市は候補者死亡に伴い選挙延期)の首長選の中で与党・民進党は五人しか当選させられず惨敗しました。
  特に中枢都市・台北市では民進党はエース中のエースで、新型コロナ対策で陣頭指揮をとり二年半にわたり連日、記者会見を開くなど奮闘してきた陳時中・前衛生福利部長(厚生労働相に相当)を擁立しました。台湾では二〇二二年に入り、感染力が強いものの重症化率は低いオミクロン株が広まったのを受けてゼロコロナ政策をやめたのですが、そのために感染者数は急増し現在、一日一万人以上の感染者が出る状況になっています。その中で陳氏は衛生福利部長を辞めて市長選に出たため「職場放棄だ」などという批判にさらされ、結果的に陳氏は野党・国民党の若手で蔣介石元総統のひ孫にあたる蔣万安・元立法委員(国会議員に相当)に十万票以上の大差をつけられて敗れたのです。

  台北市では一九九四年に陳水扁氏(のちに総統)が市長に当選しましたが四年後には落選し、それ以後、民進党の候補は当選したことがありません。台北市は外省人(先の大戦後に大陸から台湾に渡ってきた人たちとその子孫)が多い地域で、国民党の牙城です。九四年の市長選は国民党側が分裂選挙になったため陳水扁氏が当選できましたが、次の選挙では国民党が候補を一本化したため陳氏は再選を果たせませんでした。

  今回、任期満了となる柯文哲市長は八年前の二〇一四年に無所属で初当選しました。このとき、民進党は勝ち目がないとみて候補を取り下げ、柯氏を支援したのです。その柯氏は二期目途中で自身の政党「台湾民衆党」を立ち上げ、野党勢力となりました。今回の台北市長選では柯氏の後継候補と国民党の蔣万安氏が出馬したため、久々の野党分裂選挙となり、そこに民進党はエース・陳時中氏を投入したわけですが、あえなく敗れてしまったのです。
国内政策の失敗と浸透工作
  二〇二〇年一月の台湾総統選では蔡英文氏が史上最多となる八百十七万票を獲得し、民進党の時代が当面続くかと思われていましたが、それから三年もたたずに民進党は惨敗し、蔡氏は党主席を辞任することになりました。
  民進党の敗因はいくつか考えられます。一つには、他国ほど深刻でないとはいえ世界情勢の影響を受けて、やはり台湾の経済状況もよくないということがあります。
  台湾の半導体産業は、いま絶好調です。実は二〇二二年の台湾の一人当たり国内総生産(GDP)は、初めて日本や韓国を抜いて東アジアでトップとなる見通しです。与党・民進党は政権の手柄として大々的にアピールしていますが、一方で若者の失業などは深刻で国民の実感とはかけ離れたところがあり、民進党への逆風となっているのです。


解説2022.03.28-TOKYOU MX-https://s.mxtv.jp/tokyomxplus/mx/article/202203280650/detail/
次世代エネルギーとして注目の「核融合発電」を専門家が解説

  TOKYO MX(地上波9ch)朝の報道・情報生番組「堀潤モーニングFLAG」(毎週月~金曜7:00~)。「フラトピ!」のコーナーでは、量子科学技術研究開発機構の栗原研一さんをゲストに迎え、研究開発が進んでいる“核融合発電”について深掘りしました。

◆世界の電気の未来を担う次世代エネルギー「核融合発電」
  現状、日本の発電方法は大きく4つあり、なかでも最も発電量が多いのは「火力」でその割合は76.3%。メリットは安定供給できることですが、温室効果ガスを排出してしまうデメリットがあります。次いで「太陽光」、「水力」と続き、前者は場所を選ばないものの天候に左右され、後者は変換効率が高いものの場所を選ぶという特徴があり、4つ目が「原子力」。これは発電量が多いという強みがある一方で、放射性物質の処理が必要となります。
  どれも一長一短あるなか、注目されているのが次世代エネルギー「核融合発電」。現在、その実現に向けた国際的なプロジェクト「ITER」が進行中で、そこには日本・ヨーロッパ・アメリカ・ロシア・韓国・中国・インドが参画。核融合実験炉「ITER」を共同製作しており、日本では茨城県の那珂研究所でITERより先端的な研究を行う実験装置「JT-60SA」を製作しています。
  核融合の研究は約40年前に世界中で本格化したといいますが、NPO法人「あなたのいばしょ」理事長の大空幸星さんは、40年も研究しているにも関わらず、あまり実用化に至っていないその原因を疑問視。これに栗原さんは「それがまさに核融合発電の難しさ」と回答。

  核融合は、装置の規模が小さいとエネルギーが取り出しにくく、大きくなればなるほど取り出しやすい傾向があるため、「小さな規模から徐々にスタートしていたので、なかなか性能が上がってこなかった」と栗原さん。対して大空さんは、これまで国が多くの投資をしてきているものの、欧米に比べれば足りなかった部分があると指摘し、「これは成長戦略・成長産業になると思うので、しっかり投資し、早い段階での実用化を目指してほしい。これは官民で研究していく問題」と期待します。
◆原子力に比べ格段に安全だが…核融合発電の大きな課題
  では「原子力発電」と「核融合発電」の違いは何か。それは原子力発電が“核分裂”を使用し、資源のウランに中性子をぶつけ、分裂するときのエネルギーを使うのに対し、核融合発電は、重水素と三重水素をぶつけて融合するときに出るエネルギーを使います。
  そしてメリットとしては、日本はウランを海外から輸入していますが、核融合発電の資源である重水素と三重水素は海水から抽出可能。また、放射性物質の処理も核分裂で使用すると約10万年かかる一方で、核融合だと約100年で済むといいます。さらに栗原さんは「ポイントは、ウランは主にブレーキを使って制御する“連鎖反応”が中心なのに対し、核融合はアクセルで制御する。制御の仕方に大きな違いがある」と解説します。
  また、「高レベル放射性廃棄物が出てくるウランに対し、核融合の燃料は無害なヘリウムなので、燃料廃棄物的にも無害」、さらには「核融合でも中性子が出てくるが、これが炉壁に当たると“コバルト60”という放射性物質を作り、このコバルト60は半減期が約5年100年ぐらい放置すると約100万分の1に下がるため、多くのものは一般物に戻る」と核融合の安全性を力説
  ここで臨床心理士のみたらし加奈さんからは新たな問題提起が。「核融合が広がった際、那珂研究所以外にどこに施設を作るのか。核融合と名前がつくと、いろいろと憶測を呼び、施設の近隣住民が嫌がるのではないか」と疑問を呈します。
  これに栗原さんは「核融合は非常に安全性が高いことがひとつの特徴」と明言しつつ、それでも「立地の問題は、まさにこれからのテーマ」と返答。「各国でどこに作るかという話が今後スタートしていくと思う。そういう意味では、場所についてもこれからみなさんの意見を伺いながら決めていくことになると思う」と展望を語ります。

  核融合発電の発電量は燃料1グラムで石油8トン分(原発は1.6トン分)。さらに安全性に関しては、核融合は単独反応ということで不測の事態が起きてもスイッチを切ればすぐに停止可能。しかし、デメリットとしては、設備のコストが高額になります

また、「イータージャパン」の公式Twitterで、人工知能(AI)開発のDeepMindが核融合炉の磁気制御に成功し、ほぼ思い通りのプラズマの制御が可能になったと発信しているように、今後はAIとの連携も想定されていますが、そのあたりのリスクはどうなのか。
  栗原さんに聞いてみると、核融合の制御にはさまざまな手段があり、それが複雑に絡むため、AIによって制御方法を最適化することは「将来的にも有望」と見解を示します。
◆核融合発電の今後…2050年には発電できる原型炉を建設予定
  現在、実験炉ITERの建設進捗度は2021年10月末で約75%。2035年にも本格的に運用する予定で、発電ができる原型炉も2050年頃に建設予定。一方、茨城県にあるJT-60SA実験装置は、今年の秋にも本格的に稼働予定だということです。
  ここで大空さんは「もし何か問題があったときに停止できるとはいえ、例えば電磁力やプラズマの熱で炉のなかの壁を壊すなど、それで炉が稼働できなくなるとことはあり得ると思う」と改めて核融合の安全性を危惧
  これに栗原さんは「炉が溶けてしまうという話があったが、炉のなかは1億度のプラズマで、密度は空気の30万分の1よりも小さいので、熱という意味では壁の金属を溶かすようなことは絶対にない」とその安全性を論理的に解説。さらには、「核融合の稼働については、一度確実にできれば止まることはほとんどない」とも。
  最後に、栗原さんは「2050年頃に原型炉という発電装置の運用を目指しているが、そこで社会の中心として活躍されるのがまさにZ世代。その方々にぜひ核融合発電というものがあることを知っていただけたら」と核融合発電時代の鍵となるZ世代に向けて、思いを語りました。

※この番組の記事一覧を見る
<番組概要>
番組名:堀潤モーニングFLAG
放送日時:毎週月~金曜 7:00~8:00 「エムキャス」でも同時配信
キャスター:堀潤(ジャーナリスト)、田中陽南(TOKYO MX)
番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/morning_flag/
番組Twitter:@morning_flag


2016.06.15-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20160615-ONNNDGREQBMHJLE7LN5NPWKSBU/
明美ちゃん基金設立50年 感謝、胸に刻み続け
(1)
  「明美ちゃん基金」が15日、設立から50年を迎えた。あのとき、重い心臓病に苦しみながらも、貧しいゆえに手術を受けられなかった少女は今、看護師として、かつての自分のように病に苦しむ子供たちを優しく包み込んでいる。読者に支えられながら、50年にわたって紡がれてきた善意の輪。基金と産経新聞は、国内外で心臓病と闘う子供たちを一人でも多く救うため、これからも活動を続けていく。
■原点は松本明美さん 現在は看護師として活躍
   「もう50年なんですね。基金には自分の名前がついていますが、それは私の順番が1番だっただけ。すごいのは、今も善意を寄せてくれる読者の方々です」
   基金の原点でもある松本(旧姓・伊瀬知(いせち))明美さんは現在55歳。病に打ち勝ち、看護師という幼い頃の夢を実現させた後に結婚。2人の子供を育て上げ、今は岡山市にある岡山ろうさい病院の小児科看護師として、忙しい日々を送っている。
   「院内でも多くの同僚は、私が小さいころ心臓病を患い、基金で手術をしていたなんて知らないんです」。昨年、基金のミャンマー医療支援の一環として医師団が渡航したことが院内で話題になったとき、「この明美ちゃんって私のことよ」と告げたら周囲に驚かれた。
(2)
  一方で昨年、何度も心臓の手術をしたという20代の女性が来院してきた際には、その母親から突然、「明美ちゃん基金の明美ちゃんですか」と尋ねられた。「『明美ちゃんもこんな大人になったんですね』と言われ、まだ覚えてくださっている方もいるんだ、と改めて思いました」
  「手術をしなければ、あと2、3年の命」と医師に宣告されたのは5歳の春のこと。それから手術を終え退院するまでの半年間で、人生は大きく変わった。
   もっとも、自分では当時のことはあまり覚えていない。「記憶にあるのは、入院中にできた友達と遊んだことや、手術後、親の名前を呼ぼうと思ったときに声がでなくて泣いたこと、麻酔で使うゴム製マスクのゴムの臭いとか」
   患っていた「心室中隔欠損症」「肺動脈圧亢進症(肺高血圧症)」は、今でこそ根治する病気だが、基金が設立した昭和41年当時は極めて難易度が高い治療が必要とされ、手術室に入った患者みんなが笑顔で戻ることはできない時代だった。
  入院先の東京女子医大付属心臓血圧研究所で手術が行われたのは同年9月21日。執刀は当時の心臓外科の権威、榊原仟(しげる)教授だった。術後は「いい結果のようです」と伝えられたが、実際はしばらく発熱や呼吸困難を繰り返し、厳しい状態が続いた。
(3)
  母の悦子さんは今も「普通に手術をしていたら助からなかったと思う。基金に助けてもらい、みんながお祈りしてくれて、病院の方々が頑張って…。思いを一つにして団結してくれたから助かったのよ」と当時を振り返ることがあるという。
   平成16年に亡くなった父、則雄さんを含め、親子で常に「感謝しなきゃね」「人助けをしなきゃね」と胸に刻み続けてきた50年。今思えば、入院時から憧れ、今では「天職だと思っている」という看護師という仕事に就いたのも、「そうなるべきだと母に諭され、自分でもそう思ってきたからだと思います」。今の姿は、親子の思いが紡いだ結晶でもある。
  自らの名前を冠した基金。今後を問うと、「これからも続いてもらいたい、って言う方がいいですかね」と笑いながら、こう続けた。
  「理想を言えば、心臓病の子供の誰もが安心して医療を受けて救われる、基金がなくても大丈夫な社会になってくれればいいなと思います」
  もっとも、世界の厳しい現実も理解している。「ミャンマーの医療支援の記事などを読むと、現地には昔の自分のような子がたくさんいるんですよね。読者の方々の善意が、これからも心臓病に苦しむ子供に届いてくれることを願っています」
■「明美ちゃん基金」振込先
  「明美ちゃん基金」への振り込みは、みずほ銀行東京中央支店(店番号110)普通口座567941「産経新聞社会部明美ちゃん基金」。郵送の場合は、現金書留で〒100-8077 産経新聞東京本社社会部「明美ちゃん基金」


産経新聞-https://www.sankei.jp/csr/akemi
明美ちゃん基金

  明美ちゃん基金は、先天性心臓病などに苦しみながら経済的な事情で手術を受けることができない子供たちを救うため、産経新聞社が提唱して設立された基金です。活動資金はすべて読者を中心とする一般の人たちからの寄託金でまかなわれ、50年以上にわたり、200人を超える幼い命を救ってきました。

「貧しいがゆえに死なねばならぬか」
  昭和41(1966)年6月7日。1通の投書がきっかけとなり、サンケイ新聞(現・産経新聞)社会面に闘病生活を送る幼い少女の記事が載りました。
  少女は、鹿児島県に住む伊瀬知(いせち)明美ちゃん(当時5歳)。生まれつき心臓の右心室と左心室の間に穴が開いている心室中隔欠損を患い、「手術をしなければあと2、3年の命」と宣告されました。
  手術費は50万円。現在の約500万円に相当しました。8人家族で農業を営む両親にとって、わずかな田んぼを売り払ってもとうてい手の届かない大金でした。
  「明美ちゃんを救おう」。記事は大きな反響を呼びました。その日のうちから社会部に電話や手紙が殺到し、翌日までに全国から66件、268万円余りの善意が寄せられました。1週間後には420件、425万円余りに達し、手術に必要な額をはるかに上回りました。
  「まだ第2、第3の明美ちゃんがいることと思います。そのような人たちに1日も早く明るい日を与えてください」(4000円を寄せた神奈川県の私立中3年生たち)
  善意を寄せた人の中には、こんな意見も多くありました。産経新聞社は、明美ちゃんの両親や、手術を引き受けた東京女子医大付属心臓血圧研究所の所長、榊原仟教授(故人)らと協議しました。
  41年6月15日、心臓病の子供を救う日本で初めての基金「明美ちゃん基金」が誕生しました。
外国人にも拡大
  明美ちゃんは、ただちに心臓血圧研究所へ入院しました。当時、心臓病の世界的権威といわれた榊原教授の執刀で手術に臨みました。手術は成功し、昭和40年代には明美ちゃんに続き、心臓病に苦しむ「第2、第3の明美ちゃん」たちが適用を受け、元気を取り戻していきました。
  基金の活動をきっかけに、先天性心臓病の子供に対する国の対策も前進しました。厚生省(当時)が42年から育成医療費を増額し、心臓病を支給対象に含めるなど、医療費は健康保険や公的扶助でほぼカバーされるようになりました。
  国内で対策が進むにつれ、基金には、発展途上国の子供たちを救うという新たな使命が加わりました。すでに47年、インドネシアのニューニューちゃん(当時7歳)が外国人の適用第1号として手術を受けていましたが、医療事情の悪いアジアの発展途上国を中心に、子供たちが次々と適用を受けて来日しました。
  これまでにネパール、韓国、カンボジア、マレーシアなどの子供たちが手術を受けました。昭和63年以降の適用者は、すべて外国籍となっています。
広がる「使命」
  昭和59年には、乳幼児に多発する原因不明の難病、川崎病の後遺症による心臓障害にも基金の適用を拡大しました。北海道の望月美奈子さん(当時10歳)が手術を受け元気になりました。
  61年には、移植によってしか延命の方法がない胆道閉鎖症の女児、金城結麻(ゆあさ)ちゃん(当時1歳)が基金の適用で渡米し、ボストン小児病院で肝臓移植手術を受けました。産経新聞も脳死臨調の発足に先立って、移植医療キャンペーン「甦(よみがえ)れ!いのち」を展開しました。
  子供たち1人ひとりの命を救う一方、小児の心臓病をめぐる学術研究にも基金を拠出。また、平成10(1998)年には発展途上国の医療活動にも適用を拡大し、ミャンマー中部で「ミャンマー子ども病院」の建設を支援しました。
  明美ちゃん基金はこれまで50年以上にわたり、“愛といのちのバトンタッチ”という大きな善意の橋渡し役として成長してきました。みなさまの支援により、この灯をいつまでもともし続けたいと願っています。

基金の適用基準
  (1)先天性心臓病や川崎病後遺症、その他の重い心臓疾患に苦しむ子供で、経済的な事情で入院や手術ができないと認められたもの
  (2)医療・衛生基盤が未整備な開発途上国で、心臓病など小児難病に苦しむ子供への医療活動のうち、特に支援の必要性が認められるもの
  (3)心臓病など小児難病の学術研究
  (4)上記の適用対象となる子供は原則16歳以下とする
お問い合わせ先
  ≪東京≫  〒100-8077 東京都千代田区大手町1-7-2  産経新聞厚生文化事業団「明美ちゃん基金」
  ≪大阪≫  〒556-8660 大阪市浪速区湊町2-1-57  産経新聞厚生文化事業団「明美ちゃん基金」  (06)6633-9240(大代表)
寄託金の振り込み先
  【口座名義】 産経新聞厚生文化事業団 明美ちゃん基金
  ≪東京≫  ゆうちょ銀行  振替口座 00960-1-313874  みずほ銀行東京中央支店  普通口座 567941
  ≪大阪≫  ゆうちょ銀行  振替口座 00920-4-333518  三菱UFJ銀行堂島支店  普通口座 4535010  りそな銀行堂島支店  普通口座 62025
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阿比留瑠比
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  阿比留 瑠比(あびる るい、1966年3月4日 - )は、日本の政治部記者。産経新聞社政治部編集委員。

  福岡県太宰府市出身。県立筑紫丘高校早稲田大学政治経済学部を卒業後、1990年4月産経新聞社に入社。 仙台総局、文化部(生活班)、社会部を経て政治部へ異動。政治部では内閣記者会首相官邸担当、キャップ)、外務省兼遊軍担当を務めたのちに再び首相官邸担当に異動。
主張
  改憲論者であり自衛隊の存在が憲法に明記されるべきであると、更に改憲は安倍晋三政権下でないと不可能であると主張している。ジャーナリストの役割は権力監視ではない、是々非々で行うべきだと主張している。これに対し小林よしのりは「安倍政権だから擁護しているだけ、民進党政権だったら批判だけを行う」と阿比留の姿勢をたしなめている。
慰安婦問題
  日本の慰安婦問題がこじれた原因は強硬な態度をとる韓国への配慮から慰安婦募集における日本軍関与の強制性を認めた政府のその場しのぎで迎合的な対応にあったとして「河野談話」が引き起こしたものと述べている。「河野談話」は韓国における元慰安婦女性16人からの聞き取り調査(内容は非公開)だけ、日本軍・官憲が強制的に女性を集めたことを示す行政文書などの資料は一切ない事から極めて恣意的でいいかげんなものであると述べている。また、河野談話という「根拠」がなければ韓国がここまで高飛車になることはなかったと予測し、政治家歴史家でもその道の専門家でもない為、歴史問題を扱う際にはもっと謙虚・慎重であるべきと主張している。
  2014年8月5日、朝日新聞が慰安婦問題に関する検証記事(16-17面)を掲載し、『「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断』とし、吉田清治に関する記事(少なくとも16本)を取り消した際には、橋下徹に「あの阿比留瑠比さん。もうあの方の力なんでしょうね。まぁ、あれだけしつこくしつこく、事実に基づいて報道してああいう風になれば、朝日新聞も、もう逃げられなくなったんじゃないですか。」と言われた。
沖縄戦における集団自決
  文部科学省が2007年3月、集団自決を強制とする記述について「軍が命令したかどうかは明らかといえない」との検定意見をつけた結果、「日本軍が配った手榴(しゅりゅう)弾で集団自害と殺しあいをさせ」との表記が「日本軍が配った手榴弾で集団自害と殺しあいがおこった」などと修正された(2007年10月4日産経新聞)ことについて、それによって軍の関与削除と他紙が伝える中、軍の関与自体はそのまま残されていると主張しているのは産経新聞一紙のみであり、2007年12月28日の産経抄においても修正された教科書内容を他紙が 「『軍の関与』復活」(朝日新聞)「『日本軍関与』が復活」(毎日新聞)「集団自決『軍の関与』記述」(読売新聞)「『軍の関与』認める」(日本経済新聞)「軍関与の記述復活」(東京新聞)と伝える中でも軍の関与は元々削除されていないと主張している。
  この一連の産経新聞のみの軍の関与報道について、2007年12月27日の自身のブログのコメント欄にて「「集団自決」にかかる主語の「日本軍」が削除されたので、日本軍の関与が無くなった」との指摘に対して「そういう部分もあるでしょうが、日本語では主語が明確でなくても、関与を否定・削除したということにはならないと思います」と反論している。
その他
  ・映画「南京の真実」の取材を行っている。
  ・「特定アジア」の呼称を広める運動を行うとしている。
  ・2006年7月20日に昭和天皇A級戦犯靖国神社へ合祀したことに反対していたとされる元宮内庁長官富田朝彦の日記(富田メモ)を日本経済新聞が掲載した際には、翌21日の産経新聞(東京版)で特集記事を掲載し、天皇の政治利用と首相(当時)の小泉純一郎による終戦の日の参拝に反対する動きを批判している。   ・2008年1月9日、日本文化チャンネル桜の番組「防人の道 今日の自衛隊」にゲスト出演。首相の福田が自衛隊による栄誉礼を拒否したことを批判した。また同年11月および12月にも同番組に出演している。
  ・2011年には、日本文化チャンネル桜の番組で菅直人内閣の危険性を主張し、東日本大震災後の出演では菅内閣が延命工作をしているとして批判した。
  ・選択的夫婦別姓制度導入に反対。
  ・2017年衆議院解散について「野党などは『今回の選挙が大義がない』と主張しているが、的外れ。いちいち大義が必要なのか。難癖だ」と指摘した。例として郵政解散を挙げ、「衆院で通った法案が参院で否決されたから解散というのはめちゃくちゃ」と話した。
  「野党不信任案」の導入を提言。中国、北朝鮮、ベトナムなどと同様のヘゲモニー政党制の導入を主張。
  ・2011年には、菅内閣の危険性を主張し、震災後の出演では菅内閣が延命工作をしているとして批判した。また、講演やブログで菅直人のことを「人もどき」と呼んでいた。
批判・訴訟
  阿比留に対しては、これまでに2件の訴訟で賠償命令が出されている。
辻元清美に対する虚偽情報
  2011年3月16日および同21日付産経新聞朝刊掲載の論評記事の中で、民主党衆議院議員辻元清美が1992年のカンボジア視察で復興活動をしていた自衛官に侮辱的な発言をし、阪神大震災の被災地では反政府ビラをまいたと、一部インターネット掲示板上でのみ流布している虚偽情報をあたかも事実であるかのように書いた。辻元はこれについて事実無根の記事を掲載され、名誉を毀損されたとして産經新聞社と阿比留に対し3300万円の損害賠償を求めて提訴した。 阿比留は産經新聞社と共に、「当時広く知られていた」「本を引用した」「論評記事だから辻元への取材は必要ない」と弁明したが、2013年3月22日に出された東京地裁の判決では、阿比留が書いたような事実が存在するとは認められず、記事の中で引用したと主張する本に阿比留が書いたような記述はない、また辻元らに対する取材もしておらず内容が事実であると信じるに足る理由もなく、政治論評欄の記事だとしても名誉毀損は成立するとして、社と阿比留に80万円の賠償を命じた(原告被告とも控訴せず確定)。
慰安婦問題に関する安倍晋三の発言
  2007年に行われた日米首脳会談において、慰安婦問題についての意見交換が行われ、首相(当時)の安倍が大統領(当時)のブッシュに対し慰安婦に対しての謝罪の意を伝え、それを受けてブッシュが共同記者会見でその謝罪を受け入れる旨を表明した、と各種メディアで報道された件について、自身のブログや署名記事で、独自の取材網から当該発言がブッシュの一方的なものであり、安倍側からはそのような発言はなかったという事実を掴んだとしてその事実関係を否定している。
  しかし、安倍が謝罪したとする発言の事実は後の第2次安倍内閣において、辻元が提出した質問主意書に対し、「元慰安婦の方々に、首相として心から同情し、申し訳ないという気持ちでいっぱいだ」と発言したとの答弁書だった。
Facebookで投稿した記事に関する訴訟
  2015年4月、阿比留がFacebookで、「某氏が官僚時代に1週間無断欠勤し、登庁後もしばらくは重役出勤であった」との内容を投稿した。投稿した記事では実名は書いていなかったが、その人物が民主党小西洋之を示唆しており(決め手はないものの)、小西の名誉を棄損したとして、刑事告訴ならびに民事訴訟を起こした。
  2016年7月26日、東京地方裁判所は、投稿内容から小西であると理解できるなどとし、その上でまた聞きした情報で真実に足りる証拠がないとし、阿比留に対し記事の削除と110万円の支払いを命じた。
  2016年12月5日、東京高等裁判所は、「1審の判断に誤りはない」とし、原告被告双方の控訴を棄却し、一審の判決が維持された。
  2017年4月5日、最高裁判所第3小法廷が4日付で上告を退ける決定。これにより、阿比留の敗訴が確定した。


明美ちゃん基金
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  明美ちゃん基金は、心臓病の子供を救うため設立された日本初の医療基金。経済的な事情で手術を受けられない5歳女児について報じた産経新聞記事が大きな反響を呼び、全国から届いた寄託金で1966年昭和41年)に設立された(: AKEMI CHAN FUND)。国内外の200人を超す幼い命を救っており、先天性心疾患以外の難病手術や国際医療活動にも基金が適用されている。
概要
  「貧しいがゆえに死なねばならぬか」1966年昭和41年)6月7日の産経新聞に掲載された鹿児島県在住の「明美ちゃん」。心室中隔欠損(右心室左心室の間に穴が開いている)という先天性心臓病のため「手術しなければ残り2~3年の命」と宣告されていたが、手術費50万円(現在の価値で約500万円)8人家族の農家にとって、田んぼを売っても払えぬ大金だった。
  一家の苦悩を知った読者から「明美ちゃんを救おう」と次々に善意が産経新聞に寄せられ、翌日までに268万円、1週間後に425万円と、手術費の10倍もの額に達した。
  そこで産経新聞社は、明美ちゃんの両親や、手術を執刀する心臓外科の世界的権威東京女子医科大学教授榊原仟(附属日本心臓血圧研究所所長)らと協議し、6月15日に基金を設立した。明美ちゃんの手術も成功し、その後、同様に心臓病で苦しむ「第2の明美ちゃん」たちも続々と基金の適用を受け、元気を取り戻した
  明美ちゃん基金の活動をきっかけに、先天性心臓病の子供への国の対策も前進。結果、厚生省1967年から育成医療費を増やし、支給対象に心臓病を含めることとなり、医療費は健康保険公的扶助で賄えるようになった。
川崎病の心臓障害、胆道閉鎖症、外国に
  その後、基金は先天性心臓病以外にも適用されるようになり、1984年には難病の川崎病の後遺症による心臓障害に苦しむ10歳女児が手術を受けたり、1986年には胆道閉鎖症で移植しか延命方法のない1歳女児が米国ボストン小児病院で肝臓移植手術を受けたりしている。
  1972年には、インドネシアの7歳男児が外国人として初めて基金を適用され手術を受けており、これを機に、医療事情の悪いアジアの発展途上国を中心に、ネパール韓国カンボジアマレーシアなどの子供たちが手術を受けられるようになっている。
  また、小児の心臓病をめぐる学術研究にも基金を拠出。1998年平成10年)から発展途上国の医療活動にも適用され、ミャンマー中部で「ミャンマー子ども病院」の建設を支援しており、産経新聞社は「“愛といのちのバトンタッチ”という大きな善意の橋渡し役として成長してきました」と伝えている。
  現在、基金は、国立循環器病センター名誉総長の川島康生が運営委員長を務め、公益事業や社会貢献活動を行う社会福祉法人産経新聞厚生文化事業団」により運営されている。
  また、2015年からミャンマーで、子供たちの心臓病の医療支援事業も展開。ミャンマーの小児心臓外科手術を育成するため、国立循環器病研究センター関係者が現地で11例の開心術も行っている。

基金の適用基準
  1 先天性心臓病や川崎病後遺症、その他の重い心臓疾患に苦しむ子供で、経済的な事情で入院や手術ができないと認められたもの
  2 医療・衛生基盤が未整備な開発途上国で、心臓病など小児難病に苦しむ子供への医療活動のうち、特に支援の必要性が認められるもの
  3 心臓病など小児難病の学術研究
  4 上記の適用対象となる子供は原則16歳以下とす







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