スーダン共和国-1


2023.11.10-毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20231110/k00/00m/030/346000c
食料危機、スーダンで深刻 「日本の影響力を」WFP東アフリカ局長
【聞き手・松本紫帆】

  世界各地で深刻な食料不足に陥る人が急増し、国連世界食糧計画(WFP)の調査では、3億4500万人に上ると推定される。こうした中、東アフリカでは紛争や気候変動、インフレなど複数の危機が重なり合い人々に深刻な影響を与えている。来日した、スーダンやエチオピアなどを担当するマイケル・ダンフォードWFP東アフリカ地域局長に現状や求められる支援について聞いた。【聞き手・松本紫帆】

  私が担当する東アフリカの計10カ国では6500万人が深刻な食料不足に苦しんでいる。これは日本の人口の半分に相当する数だ。特に懸念しているのは戦闘のまっただ中にあるスーダンで、人口の40%の2000万人が深刻な食料危機に陥っている。多くの人が国内やチャドなど近隣諸国への避難を余儀なくされており、スーダンでの危機は地域全体の一層の危機に発展する可能性がある。
  気候変動の影響も深刻だ。近年、ソマリアなどを中心に過去40年間で最悪の干ばつに見舞われた。南スーダンでは記録的な洪水も発生し、こうした災害はより頻繁に発生している。人々は避難を強いられるだけでなく、生計を立てるための家畜や農場を失い、再建もままならない状況だ。
  WFPは現地での人道支援に加え、持続可能な暮らしを実現するために学校給食支援や教育、農業支援にも力を入れてきた。だが、世界全体でニーズは高まる一方、資金には限りがある。最も深刻な人たちにのみ食料を援助している状況で、長期の課題解決に向けた投資を行うのは難しくなっている
  日本は国際社会で非常に重要な役割を担っており、東アフリカの国々が直面する課題に対処するための外交的影響力を持っている。日本はこれまで、過去数十年にわたってタイやベトナムなどアジアの近隣諸国に開発援助などを行い、これらの国々とは今や貿易などで重要なパートナーとなっている。そうした意味で東アフリカへの支援も重要だ。長期的な観点からこの地域に関心を向けてもらいたいと考えている。


2023.06.05-産経新聞(KYODO)-https://www.sankei.com/article/20230605-YGJ5UYRE2RIH5PLIAUVZNXOAXM/
スーダン交戦、再燃懸念 米サウジ仲介の停戦失効

  アフリカ北東部スーダンで続く軍と準軍事組織「即応支援部隊」(RSF)の戦闘で、米国とサウジアラビアが仲介した停戦が3日夜に期限切れで失効し、首都ハルツームでは4日にも交戦があった。ロイター通信などが伝えた。停戦は5月22日に発効して一度延長されたが、再延長はされず、戦闘再燃が懸念されている。

  ロイターによると、ハルツームでは4日、黒煙が立ち上った。西部ダルフール地方でも戦闘があった。サウジの国営通信は、スーダン軍とRSFの代表者が停戦期限の後もサウジ西部ジッダにとどまっていると伝えた。米サウジは恒久的な停戦を目的とした交渉再開を促している。
RSFのダガロ司令官は4日、サウジのファイサル外相と電話会談したと明らかにし、サウジによる交渉仲介に謝意を示した。
(共同)


2023.05.08-東京新聞(KYODO)-https://www.tokyo-np.co.jp/article/248647
2邦人がスーダンから退避 家族含め計67人に

  戦闘が続くアフリカ北東部スーダンから新たに邦人2人が国外へ退避したことが分かった。3日に国連が準備した航空機でウガンダに逃れた。スーダンから退避した邦人とその家族は、これで計67人になった。外務省幹部が8日、明らかにした。

   外務省幹部によると、2人は当初、スーダンに残る意向を示していたが、判断を変更した。スーダンには退避を希望していない少数の邦人が残っている。ジブチに設置した在スーダン日本大使館の臨時事務所が連絡を取り、安全確保のための支援を行っているという。


2023.05.02-dmenuニュース-https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/world/mainichi-20230502k0000m030008000c
スーダン避難民80万人超の恐れ 国連が懸念、紛争収束めど立たず
【ヨハネスブルク平野光芳】

  正規軍と準軍事組織の戦闘が続くスーダンの紛争で、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は1日、安全を求めてスーダン国外に逃れる避難民が今後、80万人を超える恐れがあると明らかにした。ロイター通信によると、既にエジプトやチャドなどの周辺国に10万人以上が逃れているといい、長期化すれば増加は避けられない。

  紛争は4月15日に政府系の準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」が反乱を起こし、正規軍と衝突して起きた。首都ハルツームなどで現在も激しい戦闘が続いている。双方は米国などの仲介で度々「一時停戦」に合意したが、ほとんど守られておらず、収束のめどは立っていない
  日本など各国政府は自国民保護のために航空機や船を派遣した。一方、現地では水や食料、医療品が不足し、一般市民の生活は困窮を極めている。
【ヨハネスブルク平野光芳】


2023.04.30-dmenuニュース -https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/kyodo_nor/politics/kyodo_nor-2023043001000754
スーダン情勢安定へ連携 日エジプト首脳、秩序維持

  【カイロ共同】岸田文雄首相30日(日本時間同)、中東・アフリカの大国エジプトのシシ大統領とカイロで会談した。戦闘が続く隣国スーダン情勢の早期安定に向けた緊密連携を確認。岸田氏は先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)議長として積極的に貢献するとして避難民らへの緊急人道支援の用意があると伝えた。法の支配に基づく国際秩序を守る重要性と、力による一方的な現状変更は認められないとの認識を共有した。ロシアのウクライナ侵攻が念頭にある。

  両首脳は、スーダンで2021年に起きたクーデター後の民政移管プロセスの再開に向けた連携を申し合わせた。岸田氏はスーダン対応で、アフリカの角地域関連担当大使をエジプトや関係国に派遣すると伝達した。
  シシ氏は会談後の共同記者発表で、即時で恒久的な戦闘の停止が必要だとの見解を示した。スーダン危機に外部勢力が干渉しないことも重要だと指摘した。
  ウクライナ侵攻について、岸田氏は共同記者発表で「国際秩序の根幹を揺るがす暴挙」と非難した。


2023.04.28-TBS NEWS DIG.-https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/460184?display=1
スーダンから日本人の子どもら5人新たに退避 停戦期間“さらに延長”も衝突続く… 希望者は28日に日本へ出発予定

  アフリカ・スーダンの軍と準軍事組織は、停戦をさらに72時間延長することで合意しました。また、現地からは新たに、日本人とその家族合わせて5人が退避したということです。

  スーダンで衝突を続ける軍と準軍事組織「RSF」は現地時間の28日午前0時から新たに72時間、停戦することで合意しました。
  25日から続いていた停戦期限の直前に延長に合意した形ですが、これまで、停戦期間中も両者の衝突は収まっておらず緊張は続いています。
  こうした中、周辺国のジブチに滞在する武井外務副大臣は27日、スーダンから新たに日本人4人とその家族1人がカナダ軍の輸送機でジブチへ退避したと明らかにしました
武井外務副大臣
  「先ほどメディカルチェックをしたが、特に問題なかった」 日本人4人のうち2人は子どもで、健康状態は良いということです。
  外務省によりますと、スーダンから退避した日本人とその家族はあわせて65人となりました。 また、関係者によりますと、ジブチに滞在している日本人とその家族のうち、希望者についてはチャーター機で28日に日本に向け出発する予定で、日本時間のあす朝、到着する見通しです。


2023.04.26-Yahoo!Japanニュース(FNNプライムオンライン)-
スーダンの日本人 新たに1人が退避

  軍と準軍事組織による衝突が続いているアフリカのスーダンで、新たに日本人1人が待避したことがわかった。

  スーダンからの退避をめぐり、政府は、周辺国ジブチに待機していた自衛隊の輸送機をスーダン東部のポートスーダンに派遣し、日本人やその家族を退避させた。 政府関係者によると、自衛隊による退避を希望しなかった日本人1人が、新たにスーダンから退避したという。 政府は、ジブチの臨時事務所で支援を続ける方針。


2023.04.26-FNNプライムオンライン-https://www.fnn.jp/articles/-/519760
スーダンでバイオハザードの恐れも コレラ菌やポリオウイルス保管の研究所を武装集団が占拠
(「Live News days」4月26日放送より)

  軍と準軍事組織が新たに72時間の停戦で合意した後も、散発的な戦闘が続いているアフリカのスーダン。コレラ菌などを保管する研究所が、武装した集団に占拠された

  スーダン保健省によると、4月15日以降、軍と準軍事組織による戦闘での死者は、460人に上っている。
  こうした中、WHO=世界保健機関は、武装した集団が首都・ハルツームの国営公衆衛生研究所を占拠したことを明らかにした。研究所には、コレラ菌やポリオウイルスなどが保管されていて、バイオハザード(生物災害)の恐れがあるという。
  軍と準軍事組織のどちらが研究所を占拠したのかは、わかっていない
  (「Live News days」4月26日放送より)


2023.04.26-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230426-WDIPZIWCI5JB5KKJTSG33WMCCQ/
スーダン、バイオハザードの恐れ WHOが警鐘「衛生研究所を占拠」
(共同)

  世界保健機関(WHO)は25日、スーダンで戦闘を続ける軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」のどちらかに、首都ハルツームの国立公衆衛生研究所が占拠されたと明らかにした。研究所にはコレラ菌などが保管されており、病原体が外部に流出するバイオハザード(生物災害)の恐れがあると警鐘を鳴らした。AP通信などが伝えた。

  WHOの担当者は、研究所の技術者が追い出され、停電も起きていると指摘し「極めて危険だ」と語った。
  今月15日に衝突を始めた軍とRSFは、25日から3日間の停戦に新たに合意。だが、現地報道ではハルツーム周辺などで25日も衝突があった。外国人らの国外脱出の動きも続いている。
  ハルツームなどでは戦闘の影響で食料や燃料、医薬品の不足が深刻化。人道状況のさらなる悪化が懸念されている。WHOによるとこれまでに459人が死亡、4千人以上が負傷した。(共同)


2023.04.26-REUTERS(KYODO)-https://www.reuters.com/article/idJP2023042601000277
スーダン兵士が脱出の車列を警護

  【ジブチ共同】スーダンから自衛隊機で退避した北九州市の認定NPO法人「ロシナンテス」の川原尚行理事長が25日、ジブチで共同通信のインタビューに応じ、スーダン首都ハルツームから国外脱出拠点ポートスーダンに向かう車列をスーダン人兵士らが警護していたと証言した。敵対する正規軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」が、それぞれの支配地域で車列の警護役となり「交互に先導しているようだった」と語った。

  国連が計画した車列は23日午前4時ごろ、ハルツームの国連施設付近を出発した。川原さんは自分で用意したオフロード車で加わり、その時点では「ポートスーダンからどのように退避するのか判明していなかった」。
   陸路の移動は30時間超に及んだ。強い疲労と眠気が襲う中、車列から遅れれば「死が待っている」と自らに言い聞かせ、ハンドルを握り続けた。支配地域の境界とみられる地点に着くと、それまで警護していた兵士らが車列から離れ、別の兵士らが先導を始めた。川原さんは「合意が一定程度は守られている」
と感じた。
【共同通信】


2023.04.25-毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20230425/k00/00m/030/018000c
スーダンから退避希望の邦人58人「出国完了」 岸田首相 残り1人
【岡村崇】

  岸田文雄首相は25日午前、正規軍と準軍事組織の衝突が続くアフリカ・スーダンからの在留邦人の退避について、「本日未明にかけ大使館関係者を含む在留邦人とその家族、計8名が首都ハルツームの北に位置する空軍基地からフランスの協力を受けて出国した」と明らかにした。首相官邸で記者団の取材に応じた。外務省によると、24日に自衛隊機で国外退避した45人を含む、邦人とその配偶者ら計58人が退避したという

  首相は「これによりハルツーム市内において退避を24日までに希望していた大使館員を含む全ての在留邦人の退避が完了した」と説明。今後については「ジブチに開設した臨時事務所を通じ関係各国とも緊密に連絡しつつ、在留邦人の安全確保と必要な支援に全力を挙げて対応していく」と述べた。
  政府は24日、ジブチで待機していた空自のC2輸送機をスーダン北東部のポートスーダンに派遣。同国ハルツームからポートスーダンに陸路で移動した邦人ら計45人を現地の空港からジブチへ退避させた。外務省によると、これとは別に、邦人と配偶者計5人がフランスと国際赤十字の協力を受けてジブチやエチオピアに退避したという。
  松野博一官房長官は25日の記者会見で、スーダン国内に残っている退避希望の邦人は「比較的状況が安定しているスーダン南部の国境付近に滞在する1人のみとなった」と述べた。【岡村崇】


2023.04.25-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230425/k10014048051000.html
在留邦人ら45人 スーダンからジブチへ 残る数人の退避に全力

  情勢が悪化しているアフリカのスーダンから在留邦人を退避させるために派遣された自衛隊の輸送機は、スーダン国内の空港で在留邦人など45人を乗せ、周辺国ジブチに退避させました。
  スーダンには退避を希望する日本人が数人残っていて、政府は早期の退避に全力をあげる方針です。

  ジブチに派遣された航空自衛隊のC2輸送機は、日本時間の24日夕方、ジブチの空港を離陸し、スーダン東部の都市、ポートスーダンの空港で在留邦人41人と、その家族の外国人4人の合わせて45人を乗せました。そして、日本時間の25日午前1時すぎ、ジブチの空港に到着し、45人を退避させました。
  関係者によりますと、退避した人たちはスーダンの首都ハルツームから、複数のグループに分かれて陸路で空港に移動したということです。海外に滞在している日本人の自衛隊機による輸送は、今回で6回目です。
  ジブチに入った武井外務副大臣によりますと、退避した人たちは疲れた様子ではあるものの、健康状態に大きな問題はなく、それぞれの要望を聴き取ったうえで日本への帰国などに向けて調整を進めるということです。スーダンには退避を希望する日本人が数人残っていて、政府は関係国とも連絡をとりながら早期の退避に全力をあげる方針で自衛隊は備えを進めているものとみられます。
  スーダンからの在留邦人の退避について、岸田総理大臣は、24日午後11時50分ごろ総理大臣公邸で記者団に対し「危険かつ困難な状況の中、成功裏に邦人退避を遂行した大使館や自衛隊をはじめとする関係者の努力に敬意と感謝を申し上げたい。また協力してもらった韓国、UAEをはじめ、関係各国や国連などの関係機関に感謝を申し上げる」と述べました。
  退避した日本人らについては、希望に基づいて、日本への帰国などの調整に当たるとともに、必要な支援を行っていくとしています。
武井外務副大臣 ジブチに到着 日本人の退避に対応へ
  アフリカ・スーダンからの日本人の退避に対応するため、武井外務副大臣が25日午前0時半前、周辺国のジブチに到着しました。
  武井副大臣は記者団に対し「危険かつ大変困難な状況の中、成功裏に邦人退避を遂行することができた。退避した人たちは大変疲れた様子だが、健康状態には問題がないとのことだ。ほっとしている」と述べました。
  そのうえで「引き続き、スーダンに残る邦人の早期退避、安全確保および、必要な支援に全力をあげて対応していく」と述べました。
退避のNPO法人理事長「一日も早く平和が訪れること願う」
  2006年からスーダンで医療や教育などの支援に取り組むNPO法人「ロシナンテス」の川原尚行理事長が、退避先のジブチからNHKのオンラインインタビューに応じました。
  川原さんは「自衛隊の飛行機に乗ってジブチに到着した。45人の命が守られたということで、自衛隊や外務省、そしてJICAなどの皆さんには大変お世話になった。感謝を申し上げたい」と話し、速やかに日本に帰国したい考えを示しました。
  また、スーダン情勢について「私が20年以上関わってきた国で国民が悲しむ姿を見ると涙が出てくる。スーダンに一日も早く平和が訪れることを願っている」と話していました。


2023.04.25-河北新報-https://kahoku.news/articles/knp2023042401001368.html
スーダン邦人ら45人退避 自衛隊機、ジブチへ輸送

  岸田文雄首相は24日深夜、アフリカ北東部スーダンに在留する邦人とその家族計45人が自衛隊機で国外退避したと明らかにした。公邸で記者団に語った。周辺国ジブチに待機している自衛隊輸送機をスーダンに派遣し、北東部ポートスーダンで邦人を乗せてジブチに輸送した。これとは別に、フランスや国際赤十字の協力を受けて合計4人の邦人がジブチやエチオピアに移動。この結果、スーダンに在留し退避を希望している邦人は数人となった。

  首相は邦人退避に関し、韓国やアラブ首長国連邦(UAE)、国連の協力があったとして謝意を表明。「関係各国とも連絡を取り、早期の退避に全力を挙げて対応したい」と述べた。武井俊輔外務副大臣がジブチに到着して退避した邦人を出迎え、それぞれの希望に基づき帰国を調整する。
  関係者によると、首都ハルツームからポートスーダンに向け移動した国連職員らを乗せた退避車列に日本人も加わっていたとみられる。
  フランスの外務、国防両省は24日、自国民ら計388人をジブチへ退避させ、日本人も含まれると発表した。


2023.04.23-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230423/k10014046401000.html
スーダン 3日間の停戦合意発表も戦闘続く 外国人退避は不透明

  軍とその傘下にある準軍事組織との間で戦闘が続くアフリカのスーダンでは、双方が3日間の停戦合意を発表し、軍は一部の国が国外退避を進めているとしています。ただ戦闘は依然、続いていて、外国人の国外退避が安全に進められるかは、不透明な情勢です。

  スーダンでは、おととし、クーデターで実権を握った軍と軍の傘下にある準軍事組織のRSF=即応支援部隊との間で今月15日以降、激しい戦闘が続いていて、WHO=世界保健機関によりますと、21日の段階で413人が死亡し、3500人以上がけがをしているということです。
  双方はイスラム教徒が日中の飲食を断つ断食月のラマダンが明けた21日、3日間の停戦合意を発表しましたが、一夜明けた22日も首都ハルツームでは銃声や砲撃音が聞かれていて、停戦は守られていない模様です。
  一方で、軍は22日、各国の外交官などの国外退避について「国外退避を希望するすべての国の退避が数時間以内に始まるだろう。アメリカ、イギリス、フランス、中国はそれぞれの軍用機を使って、外交官や自国民をハルツームから退避させる予定だ」とSNSに投稿しました。
  さらに一部の国はすでにハルツームからの退避を進めているとしていて、サウジアラビア政府は22日、自国民や外国籍の人およそ150人を国外退避させたと発表しました。
  外国人の退避をめぐってはRSFも「外国人が安全に退避できるようすべての空港を部分的に開放する準備がある」と投稿していますが、戦闘が依然、続く中、外国人の国外退避が安全に進められるかは、不透明な情勢です。
サウジアラビア外務省 「自国民などを退避」
  サウジアラビア外務省は22日、SNSで「サウジアラビア海軍主導で自国民91人と、外国籍の66人をスーダンから退避させた」と投稿しました。
  国外退避させた外国籍は、クウェートやカタールなどのアラブ諸国に加え、カナダやフィリピンなど12か国にのぼるということです。
  アラブメディアによりますと、サウジアラビア政府は戦闘が続くスーダンの首都ハルツームから自国民などを陸路で、北東部におよそ700キロ離れたポートスーダンの港まで移動させた上、サウジアラビア海軍の艦船など5隻で、およそ150人をサウジアラビア西部のジッダに退避させたと伝えています。


2023.04.23-産経新聞(中東支局)-https://www.sankei.com/article/20230423-JBTNQCF4MFIFZC4G6F2ISPWJMA/
米軍が外交官をスーダンから退避 ロイター報道

  ロイター通信は23日、正規軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」が衝突するアフリカ北東部スーダンから、米軍が自国の外交官や家族を退避させたと報じた。RSF側が23日に明らかにした話として伝えた。作戦には6機の航空機が関わり、RSFとの調整に基づいて実施された。米大使館員の退避は成功したという。

  スーダンにいるその他の外国人も22日以降、紅海に面した港から退避を開始している。スーダンから紅海を挟んで対岸に当たるサウジアラビアは、船で他の湾岸諸国を含めた国民の退避を実施している。
  RSFは21日、外国人退避のためにスーダンの首都ハルツームなどの空港を一部開放する意向を表明していた。正規軍も22日、外国人の国外退避を支援するとの声明を発出した。(中東支局)


2023.04.21-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230421-VCRRYDQI7VIQVHSAFPR3PNWKNE/
軍事衝突のスーダン 米中露の利害錯綜

  正規軍と準軍事組織の軍事衝突が起きたアフリカ北東部スーダンは、地下資源が豊富な戦略上の要衝だ。周辺国のほか米中露3カ国も浸透を図ってきたが利害は錯綜(さくそう)しており、混迷が深まる一因になりかねない。

割れる中東の大国
  スーダンでは15日、ブルハン氏が主導する軍と、ダガロ司令官率いる準軍事組織「即応支援部隊」(RSF)戦闘が始まった。
  軍を支援するのはシーシー大統領が統治する北隣のエジプトだ。シーシー氏自身も軍出身で、エジプト、スーダン両軍はしばしば演習を行うなど関係が深い
  ロイター通信は20日、スーダンにいたエジプト軍兵士約180人が空路で本国に脱出し、RSFが拘束した兵士27人の身柄を在スーダンのエジプト大使館に引き渡したと報じた。エジプト軍が水面下で活動していた可能性をうかがわせる。
  これに対し、サウジアラビアとアラブ首長国連邦(UAE)はRSFに肩入れしているようだ。両国が介入したイエメン内戦にRSFは兵を送って支援し、関係を深めた。
  スーダンでは、バシル独裁政権が支配した約30年間でイスラム色が強まり、軍関係者に、その傾向が残っているとされる。一方のRSFは、イスラム過激派を敵視するサウジなどと立場が近いという側面がある。
  親米のサウジとエジプトはともに反米のイランと関係改善を図るなど、中東で広がる融和の機運を担ってきたが、スーダンでは利害が割れたとの見方が多い。
露の侵略の資金源か
  スーダンをめぐっては大国の思惑も絡み合い、過去に米露が火花を散らした経緯もある。
  米国は1993年、バシル政権が国際テロ組織アルカーイダのビンラーディン容疑者らをかくまったとして、テロ支援国家に指定した。この機に乗じて政権と蜜月関係を築いたのがロシアだった。しかし、軍とRSFによる2019年のクーデターでバシル政権が崩壊し、情勢が一変。米国は20年、スーダンに対するテロ支援国指定を解除し、関係改善を模索していた。


2023.04.20-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230420-MHWMFWF5CFNWDFQCNF6LWYSPSM/
自衛隊、初の陸上輸送も検討 スーダン邦人退避

  自衛隊制服組トップの吉田圭秀統合幕僚長は20日の記者会見で、アフリカ北東部スーダンの邦人退避に向けた準備について、初となる陸上輸送も視野に検討していることを明らかにした。同日中にも、先遣隊として連絡調整員5人をアフリカ東部ジブチへ派遣する。

  自衛隊はスーダンからの邦人輸送に向けて、約370人の統合任務部隊を編成。自衛隊が拠点を置くジブチへ輸送機などの派遣を検討しており、ソマリア沖・アデン湾で海賊対処活動に当たっている海上自衛隊のP3C哨戒機などを使用する可能性もある。


2023.04.19-Yahoo!Japanニュース(JIJI. COM.)-https://news.yahoo.co.jp/articles/713ae2c6c9b56a02f2009a87b2f982255800ec55
ドイツ、スーダン退避作戦中止 首都で戦闘激化

  ベルリン時事】スーダン情勢の悪化を受けてドイツ政府が19日に予定していた在留ドイツ人の退避計画が、見送られたことが分かった。
   独メディアが報じた。連邦軍の輸送機を派遣したものの、行き先だった首都ハルツームで戦闘が激化したため、作戦が困難になったもようだ。

   有力誌シュピーゲル(電子版)などによると、外交官や現地の開発事業に携わる民間人ら約150人を退避させるため、独空軍の輸送機3機が19日朝、北部の基地を出発。しかし、ハルツームで空襲など戦闘が報告され、燃料補給の経由地であるギリシャから引き返さざるを得なくなったという。同誌は関係筋の話として、他国の救出チームも活動を停止していると伝えた。 


2023.04.19-読売新聞-https://www.yomiuri.co.jp/politics/20230419-OYT1T50150/
スーダン首都で戦闘激化、防衛省が邦人輸送の準備開始…市街地で銃撃戦や砲撃

  松野官房長官は19日午後、首相官邸で緊急記者会見し、アフリカ北東部スーダンで15日から続く国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」の戦闘を受け、林外相から浜田防衛相に現地の邦人輸送の実施に必要となる準備行為を要請したと発表した。防衛省は邦人輸送に向けた準備を開始した。

  現地には、大使館員ら約60人の邦人が滞在しているが、現時点でけがなどの情報は確認されていない。政府は19日、官邸対策室を設置した。 同国では、首都ハルツームの市街地で激しい銃撃戦や砲撃が相次いでいる。


2023.04.17-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20230417-7JYLJERQDVJ6TN3T2P77MDAW7E/
スーダン、軍と民兵の戦闘拡大 民間人97人死亡

  【カイロ=佐藤貴生】アフリカ北東部スーダンで軍と民兵組織「即応支援部隊」(RSF)の軍事衝突が激化している。ロイター通信は17日までに、地元医師団体の情報として民間人97人が死亡、約370人が負傷したと伝えた。衝突は首都ハルツームのほか国内各地に拡大している。

  軍は2021年10月にクーデターで実権を握ったが、RSFの軍への統合をめぐって両者の緊張が高まり、15日に衝突が始まった。先進7カ国(G7)外相会合に出席するため訪日したブリンケン米国務長官は17日、「スーダン市民や国全域、さらには地域に対する脅威だ」と述べ、「深い懸念」を参加各国と共有しているとして即時停戦を訴えた
  軍はハルツームの軍本部周辺にRSFが狙撃手を配置したと主張し、首都近郊のRSFの拠点を空爆した。ハルツームの国際空港でも戦闘が起きたもよう。西部の北ダルフール州では、国連機関の世界食糧計画(WFP)のスーダン人職員3人が戦闘に巻き込まれて死亡し、WFPは活動の一時停止を発表した。国連は民間人避難のため、16日夕に3時間の停戦を呼びかけたが戦闘は続いた。グテレス事務総長は「人道支援の職員は標的ではない」と述べて非難した。
  RSFは2000年代のダルフール紛争で住民を虐殺した民兵組織が母体で、推計10万人の兵力を有し、国内各地に拠点があるとされる。
  スーダンでは19年にバシル独裁政権が反政府デモとクーデターで崩壊し、軍民共同統治が導入された。21年10月のクーデターで統治の枠組みは解体されたが、新たな民政移管に向けた動きも出ていた。
  中露のほかエジプトやサウジアラビアも停戦を求めており、ケニアや南スーダンの大統領らが調停のため現地入りするとの情報もある。


2021.10.27-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20211027-SNUSMYMLVNJBZODHSSVZ4URWAI/
スーダン最高実力者、クーデター否定 「内戦危機」と軍を正当化

  軍がクーデターを起こしたスーダンの最高実力者ブルハン元統治評議会議長は26日、首都ハルツームの軍施設で記者会見し「国が内戦に向かう恐れがあった」と強調、政情安定のために軍の行動が必要だったと改めて正当化した。国際社会からの非難に対しては「軍事クーデターは起こしていない。(民政)移管への道を正したかった」と主張した。

  スーダンでは2019年に約30年続いたバシル政権が崩壊後、民政移管に向け軍と文民の共同統治を行っていた。ブルハン氏は、政治対立が続いたことで「国全体が行き詰まっていた」と民主派勢力を批判した。
  軍部隊が25日に拘束したハムドク首相はブルハン氏の自宅にいるとし、健康状態に問題はないと説明。状況が落ち着き次第、解放されると述べた。一方、治安を脅かす存在は訴追されると警告した。
  スーダンの航空当局は、30日までハルツームの国際空港を離着陸する航空便を停止すると発表した。(共同)


2021.10.27-SankeiBiz-https://www.sankeibiz.jp/macro/news/211027/mcb2110270600003-n1.htm
スーダン政変、首相は「健康」とブルハン氏

  【カイロ=佐藤貴生】アフリカ北東部スーダンで起きた軍事クーデターをめぐり、首都ハルツームを含む国内各地では抗議する市民に軍部隊が発砲するなどして26日までに少なくとも7人が死亡、140人が負傷した軍と民主派が2023年までの民政移管を目指した共同統治は2年余で瓦解(がかい)し、軍の行動に国際社会の非難が高まっている。

  軍民共同の統治評議会の議長を務めてきた陸軍出身のブルハン氏は26日、ハルツームで記者会見し、民主派内部で意見対立があり、「内戦を避けるため暫定政権を排除する決断をした」と述べてクーデターとの見方を否定した。

  ブルハン氏は、軍に連行され所在不明だった暫定政権のハムドク首相は私の家で健康に過ごしている」と述べ、自ら解体を宣言した統治評議会と首相を含む暫定政権は人選を変えて再び発足させる意向を示したハルツームでは26日、道路や橋が軍に封鎖された中で、一部のデモ隊が軍への抗議活動を行った。

  軍は25日、ハムドク氏や閣僚数人を拘束してテレビ局を占拠、インターネットも遮断した。ブルハン氏は同日、「民政移管実現に向けた軍の関与の必要性を強調して軍の行動を正当化し、全土に非常事態を宣言した。暫定政権側は、現体制下で非常事態を宣言する権利は首相だけに与えられており、「軍の行動は犯罪だ」と非難して国民に決起を呼びかけていた。

  軍民共同統治は、約30年間続いたバシル独裁政権が19年4月に反政府デモなどで崩壊したのを受け、同年8月に始動した。しかし、軍は西部ダルフールの紛争をめぐり、戦争犯罪などで国際刑事裁判所(ICC)が逮捕状を出したバシル氏の身柄引き渡しを拒み、民主派と対立。軍は民主派が求めた組織改革にも抵抗し、民政移管プロセスは停滞していた


2021.10.25-日本経済新聞-https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR255Y20V21C21A0000000/
スーダンで政変、軍が首相ら拘束 非常事態を宣言

  【カイロ=久門武史】スーダンの統治評議会トップで軍出身のブルハン議長は25日、同評議会と暫定政権を解散し、全土に非常事態を宣言した。軍民で共同統治してきた体制の解体を意味する。これに先立ち軍部隊がハムドク首相や閣僚らを拘束し、首相府は「クーデター」だと批判した。

  スーダンでは2019年に約30年に及んだバシル長期独裁政権が崩壊後、軍民共同統治の下で民政移管を目指してきたブルハン氏は同日のテレビ演説で23年7月に選挙を実施するとし「民政移管に向けた作業を続ける」と強調したが、軍の全権掌握で民主化の取り組みが挫折する懸念が強まった。ブルハン氏は文民の政治勢力間の争いを理由に軍の介入を正当化した。

  情報省によると、軍部隊は抗議する市民に発砲し複数のけが人が出た。同省は「ハムドク首相がクーデターへの支持を拒んだ後、軍部隊が彼を拘束し連行した」とフェイスブックで公表した。統治評議会の一部メンバーも拘束された。軍部隊がテレビ局とラジオ局を襲撃したとも明らかにした。

  首相府は国民へのメッセージであらゆる平和的手段で抗議するよう求める」と訴えた。首都ハルツームの街頭には軍に反発する市民が繰り出し、タイヤを燃やすなどして抗議の意思を示した。AP通信が伝えた。現地ではインターネットが遮断され、軍が通行を規制しているという

  国際社会は懸念を強めている。在スーダン米大使館は同日民政移管を危うくする行動を非難する」との声明を出した。23日には米国のフェルトマン特使がスーダンを訪れて軍民双方のトップと会談し、民政移管を支援する姿勢を強調していた。欧州連合(EU)のボレル外交安全保障上級代表も25日「最大限の懸念」を表明した。
  スーダンでは高インフレなど経済危機が続き、不満を強めた市民による反政府デモが再燃し緊張が高まっていた。9月下旬にはバシル前政権とつながりのある軍将校がクーデターを企てたとして拘束された。


2019.6.4-産経新聞-https://www.sankei.com/world/news/190604/wor1906040018-n1.html
スーダンでデモ隊を強制排除、約150人が死傷 「アフリカの天安門事件」-国際中東・アフリカ

【カイロ=佐藤貴生】民主化要求デモが続くスーダンの首都ハルツームで3日、軍主導の暫定政権がデモ隊の排除に乗り出し、ロイター通信によると少なくとも35人が死亡、116人が負傷した。暫定政権トップのブルハン陸軍中将は4日、民政移管に向け3年の移行期間を設けるなどとした民主化勢力との協定を破棄し、9カ月以内に選挙を実施すると表明した。

 軍の民衆への攻撃はさらに激化する恐れもあり、民主化を求める多数の学生らが軍の介入で犠牲になった中国の「天安門事件」(1989年)になぞらえる欧米メディアもある。

 軍は3日、ハルツームの国防省前広場を占拠したデモ隊を強制排除。中東のメディアは周囲に銃声が響く中、負傷者が相次いで運ばれる映像を放映した。

 ブルハン氏は、選挙は「地域や海外の監視下」で実施されると正当性を強調したが、民主化勢力は軍が政治権力への影響力維持を図ることを警戒しており、対立が続く公算が大きい。

 スーダンでは昨年末から反政府デモが続き、4月には約30年にわたり最高権力者の座を維持してきたバシル大統領がクーデターで身柄を拘束され、軍が暫定政権を設けて統治してきた。


中東・アフリカ2019/6/4 -日本経済新聞https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45648690U9A600C1000000/
スーダン軍がデモ隊排除を強行、衝突で30人超死亡 

【ドバイ=岐部秀光】ロイター通信によると、4月の軍事クーデター後、市民が民主化を求めてデモを続けているスーダンの首都ハルツームで3日、軍がデモ隊の排除を強行して30人以上が死亡した。クーデターで長期支配を続けたバシル大統領が失脚後、最悪の暴力事件となった。デモを組織したグループは軍が発砲したと指摘、「虐殺行為」と非難した。

クーデター後に軍が主導してつくった暫定軍事評議会とデモ隊との間の民政移管をめぐる交渉は暗礁に乗り上げている。今回の衝突により、交渉の早期再開は一段と困難になったとみられる。

テレビ映像では、デモ隊のテントが炎上し煙が上がる様子が伝えられた。インターネットは接続が困難になっており、軍が市民のネット利用を制御しようとしている可能性が指摘されている。

国連報道官は「市民に対する過剰な暴力が用いられたのは明白だ」と述べ、軍を批判した。英国のシデク駐スーダン大使も「こうした攻撃について(軍は)なんの言い逃れもできない」と述べた。米大使館も「責任は暫定軍事評議会にある。彼らが責任ある形でスーダンの人々を導くのは不可能だ」と指摘した。

バシル氏が長期の強権政権を続けたスーダンでは、昨年12月から反政府デモが拡大。軍がデモに同調し、バシル氏は権力の座から転落した。


スーダン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


スーダン共和国、通称スーダンは、北東アフリカに位置する国家である。首都ハルツームである。エジプトリビアチャド中央アフリカ南スーダンエチオピアエリトリアと国境を接し、東は紅海に面している。

  アルジェリアコンゴ民主共和国に次いでアフリカ大陸で3位の面積を有する。2011年7月に南スーダン共和国が分離独立する前は、面積2,505,813km2アフリカ大陸最大の国土を有していた。
  「スーダーン」はアラビア語で「黒い人」を意味する言葉を原義とし、元来は北アフリカのアラブ人たちからみて南に住む黒人の居住地域、すなわち西アフリカから東アフリカに至るまでのサハラ砂漠以南の広い地域を指す地域名称で、国名としてのスーダンと区別するため「歴史的スーダン」ともいう。国家としてのスーダンは、地域名としての「スーダン」の東部を占め、歴史的には東スーダーンと呼ばれた地域に当たる。南スーダンの独立後、スーダン共和国を指して「北スーダン」と呼ばれることは稀だが、二国間関係を表す際に「南北スーダン」とする表現はよく見られる。
歴史
古代ヌビア諸王国
  かつてこのスーダンのナイル川流域北部はヌビアと呼ばれ、北に栄えた古代エジプトの影響を強く受けた地域である。古代エジプトの諸王朝は、勢力が強まるとナイル川沿いに南下して金や象牙の交易拠点を作り支配領域を広げ、国力が衰退すると撤退することを繰り返した。そうした中、紀元前2200年頃に、南部から移動してきた黒人の集団がこの地域にクシュ王国と呼ばれるはじめての王国を建国した。この王国は中王国時代のエジプトの影響を受けながら勢力を拡大していった。その後、エジプトが新王国時代に入るとトトメス1世がクシュを滅亡させた。
  紀元前900年ごろ、ナパタを都としてクシュは再興し、やがて衰退したエジプトに攻め入ってエジプト第25王朝を建国した。第25王朝はアッシリアに敗れヌビアへと撤退したが、ヌビアの支配権は保持し続けた。紀元前6世紀半ばにクシュは首都をさらに南のメロエへと遷都し、以後この王国はメロエ王国の名で知られることとなった。メロエは牧畜ソルガムの農耕を主産業とし、さらにの産地としても知られた。
キリスト教化
  4世紀ごろ、メロエはエチオピア高原のアクスム王国によって滅ぼされ、その故地は北からノバティア王国(英語版)、マクリア王国(英語版)、アルワ王国(英語版)の三王国に分かれた。三国ともに5世紀頃にキリスト教を受容し、以後1000年近くキリスト教を信仰し続けた
  イスラム化イスラム教勢力によって飲み込まれ、1505年にはイスラム教のフンジ・スルターン国が建国されてキリスト教勢力は消滅した。1596年には西のダルフールにおいてもイスラム教のダルフール・スルターン国が建国され、この地方は完全にイスラム化された。
ダルフール紛争
  西部のダルフール地方3州でも2003年以降、アラブ系と非アラブ系の定住民フール人や遊牧民ザガワ人などとの対立が激化し、ダルフール紛争が勃発した。双方が武装勢力を組織したが、特に政府の支援を受けたアラブ系の民兵組織ジャンジャウィードの勢力が強く、民族浄化がおこなわれたとして非難の対象となった。また、多くの難民がチャドに流れ込み、ザガワ人のイドリス・デビ大統領が実権を握るチャドとの関係も極度に悪化した。2004年アフリカ連合が監視要員の派遣を決定した。
バシール政権(SPLA連立政権)
  2005年7月9日、バシールを大統領、SPLAのジョン・ガラン最高司令官を第一副大統領とする暫定政府が発足した。暫定政府が6年間の統治を行なったうえで南部で住民投票を実施し、北部のイスラム教徒系政権と南部政府の連邦を形成するか、南部が独立するかを決めることになった。
  7月30日、副大統領となったばかりのガランが、ウガンダ訪問からの帰途に事故死。ヘリコプターが悪天候のため墜落したとされる。これを聞いた南部住民数千人がアラブ系住民を襲撃するなどの事件が発生。また、SPLAを束ねてきたガランの死は、SPLA内部の権力争いにつながる可能性を帯びている。さらに、SPLAは南部側の政府代表といってもそのうちの旧主流派はディンカ人中心だった。南部のヌアー族が政権の支援を受け、SPLAへの攻撃を開始するとの憶測も流れた。
  ウガンダとコンゴ民主共和国軍による神の抵抗軍掃討作戦ガランバ攻勢2008年12月14日 - 2009年3月15日)に南スーダン自治政府が協力する部隊を派遣した。2009年3月4日、ダルフールでの戦犯容疑(人道に対する罪などの容疑)でバシール大統領が国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状を出されている。同大統領は、逮捕状発行後、エリトリアエジプトを訪問している。
  2009年3月26日、バシール大統領はリビアを訪問し、アフリカ連合(AU)の議長でもあるカダフィ大佐と会談した。リビアが3国目。
  2010年7月11日、国連アフリカ連合合同ダルフール派遣団は、同地方での武力紛争により、6月の死者は221人に達したことを明らかにした。 2010年7月12日、国際刑事裁判所(ICC)は、バシール大統領にジェノサイド(大量殺害)犯罪容疑で2回目の逮捕状を発行した。7月15日、スーダンの2005年包括和平合意(CPA)の北部のスーダン国民会議(NC)と南部のSPLAは、南北境界画定合同委員会を補佐する小委員会の設置で合意したことを明らかにした。この南北境界画定合同委員会は3年前に発足した。7月21日バシール大統領はサヘル(サハラ南縁)諸国首脳会議のためチャドを訪れた。同大統領がICC 締結国を訪問するのははじめてである。
アビエイ問題
  南北和平協定における協定事項の1つであるアビエイの境界を巡り、北部側が提案を拒絶しディンカ系住民を攻撃し2007年末より戦闘が激化、2008年には正規軍同士が衝突するに至った。その後、調停により帰属未決定のアビエイ地域を除くアビエイ地区はスーダン側の支配下となったが、アビエイ地域以外のアビエイ地区に含まれていたヘグリグ油田は、南スーダンに帰属すると主張し、2012年3月に南スーダン軍が同油田に侵攻。南北スーダン国境紛争が発生した。
南スーダンの独立
  2011年1月9日、南部の自治政府による独立の是非を問う住民投票が行われ、南スーダン独立票が過半数に達した。この投票のために国連はスーダン派遣団をおくり、住民投票監視団には一員として元米大統領ジミー・カーター(Jimmy Carter)がスーダン入りしている。
  2011年7月9日に南スーダンは独立したが、南スーダンには石油など豊富な地下資源が眠っており、その境界の資源の帰属を巡って現スーダン政権との間に新たな混乱が生じる可能性もある。
  2011年11月10日、スーダン軍は、南スーダン北部ユニティ州イダ[7]上ナイル州難民キャンプを爆撃した。また、同軍は南コルドファン州青ナイル州でスーダン人民解放運動・北部(SPLM・N)民兵の掃討作戦を進めている。
  2012年には国境の油田を巡って武力衝突が発生している。
軍事暫定政権
  2018年末よりパンの値上げをきっかけとして反政府運動が全土で発生し、2019年4月11日に国防軍がバシールを大統領から解任し身柄を拘束。ここに30年にも及ぶバシール独裁政権は終焉を迎えた(2019年スーダンクーデター)。2年の軍事暫定政権ののちに選挙を実施するというロードマップが示されている。
政治
  2019年4月11日に軍部によりクーデターが実行され、憲法を停止し2年間限定で暫定軍事政権が実権を握っているため、議会は機能を停止している。クーデター前の議会は一院制の国民議会(360議席)で、全議席の60%を小選挙区制、15%を比例代表制で選出する。残り25%は女性議員枠である。
  バシール政権下では自身が結成した国民会議が与党であった。20年以上も軍事独裁政権が続いたが、2010年4月11日に24年ぶりの複数政党制選挙がおこなわれた。しかし、大統領選挙では政権側の不正を理由に、最大野党のスーダン人民解放運動(SPLM)が大統領選挙を、一部野党が各種選挙をボイコットしたため、バシールが得票率68.24%で再選を果たした。
  行政府の長たる首相職は1989年を最後に廃止されたが、2016年に議会が復活を決議。2017年3月1日にバシール大統領が側近のバクリー・ハサン・サーレハ第1副大統領を首相に指名し、翌2日に就任宣誓を行った。
国際関係
  バシール政権は、湾岸戦争時にはイラクサッダーム・フセインを支持してオサマ・ビンラディンの国際テロ組織アルカイダも支援したとされたことで、1993年にはアメリカ合衆国テロ支援国家の指定を受け、以後経済制裁が続いている。一時改善の兆しがあったものの、2003年のダルフール紛争勃発後はさらに欧米諸国と対立した。このため、バシール政権はヌメイリ政権時代から友好的でスーダンの豊富な資源を求めている中華人民共和国との関係を深めて中国企業はスーダンの産油企業2つの最大株主となっており、国際連合アフリカ連合ダルフール派遣団で中国からの国連平和維持部隊も受け入れ、中国の援助で自らの大統領府も建設するなど経済・軍事両面で両国は密接な関係を持っている。
  またロシア連邦プーチン大統領が、2017年11月に訪露したバシール大統領と会談するなど、スーダンとの関係を重視している。
  2016年1月2日にサウジアラビアイスラム教シーア派の有力指導者を処刑したことで、サウジアラビアとイランの関係は急速に悪化。イランの首都テヘランにあるサウジアラビア大使館が襲撃されたことをきっかけに、サウジアラビアはイランとの国交を断絶した。スーダンもこれに続いて、イランとの国交断絶を表明した。
  2017年12月、トルコエルドアン大統領がスーダンを訪問し、かつてオスマン帝国の影響下にあった紅海沿岸のスアキン島をトルコが開発する計画を発表。トルコと対立するサウジアラビアやエジプトが反発している。
  2020年、隣国のエチオピア北部ティグレ州でエチオピア政府軍とティグレ人民解放戦線の間でティグレ紛争が始まると、2万人を超す難民がガダーレフ州カッサラ州に流入、難民キャンプが設営された。スーダンは、1980年代にエチオピアで発生した飢饉の際にも難民キャンプの設営を許容している
日本との関係(詳細は「日本とスーダンの関係」を参照)
  在留日本人数 - 134名(2017年10月時点)・・・在日スーダン人数 - 230名(2017年12月時点)
領土問題
  スーダンは、北のエジプト、南の南スーダンとの間に領土問題を抱えている。
  対エジプトではエジプトが領有権を主張して実効支配しているハラーイブ・トライアングルワジハルファ突出部について、スーダンは領有権を主張している。
  対南スーダンでは、将来的に住民投票によってスーダン領になるか南スーダン領となるかを決定することになっているアビエイ地域と、南スーダンが領有権を主張しているカフィア・キンギ地域について、スーダンが実効支配している。なお、エジプトとの間にあるビル・タウィール地域は、スーダンもエジプトも、またその他の国のいずれもが領有権を主張しておらず、世界的にも珍しい無主地となっている。
軍事(詳細は「スーダン軍」を参照)
  イギリスとソビエト連邦、中国の軍事顧問団が政変の度に入れ替わりつつ指導し、育成が続けられてきた。スーダン内戦を通じての対ゲリラ戦の実績はあるが、他国との本格的な交戦実績はない。2000年代に入り、石油輸出で得られた外貨を武器購入に充て、紛争を行っていることから国際的な非難を浴びている。
陸軍
  主に中国製の武器が使用された。戦車は中国から96式戦車が輸出されている。ソ連と対立し始めたヌメイリ政権時代の1972年から購入された62式軽戦車70輌、59式戦車50輌なども保有している。また、85-IIM式戦車のライセンス生産版である「アル・バシール」を開発している。
  自動小銃も、中国から81式自動小銃56式自動小銃が輸出され、ライセンス生産も行われている。また、M16のコピー品であるノリンコ社のCQ 311を「テラブ」という名前でライセンス生産している。また、多連装ロケット砲「WS2」の輸出が行われた模様である。
  これら中国から輸出された武器により、ダルフールでの虐殺が行われており、スーダンならびに中国は国際的な非難を浴びている。
空軍
  保有機数や運用実態の詳細は不明であるが、スーダン空軍では固定翼機はMiG-21(主として中国生産型のJ-7)及びMiG-29を、回転翼機はMi-24/35Mi-8/17などを保有している。
  MiG-29については、ダルフール紛争に関する国際的な批判にも拘らず、2003年から2004年にかけてロシアより最新派生型の一つMiG-29ESh戦闘機10機とMiG-29UB練習機2機が輸出され、国際的な注目を集めた。ロシアは、MiG-29のこの派生型は対地攻撃には使用できない仕様であり紛争には関係しないと説明していたが、一方で対地攻撃ヘリコプターMi-35の新型を引渡している。
  空軍機材の主となっているのはこのような旧ソ連製や中国製の機材であるが、その他に補助的ながら西側諸国製の機材も運用している。
地理(詳細は「スーダンの地理」を参照)
  国土の大部分は広大な平原で、ほぼ中央をナイル川とその支流が縦貫する。北部はヌビア砂漠、南部はステップ気候であり、サヘル地帯が広がっている。北部は乾燥した砂漠気候であり年間降水量は100ミリメートル以下である。わずかにナイル川や紅海沿岸に少数の人々が住むに過ぎない。紅海沿岸は起伏が多く、平野はあまり発達していないが、湾入も少なく良港はほとんどない。
  中部は乾季には乾燥するが、雨季にはまとまった降水量があり、特に白ナイル川以東のゲジラ地区などは肥沃な農業地帯となっている。南部のコルドファンや西部のダルフールでも事情は同じで、雨季には農耕も行われ、さらに雨を受けて広大な草原となった土地を牧草地として、牧畜が盛んである。
  西部のダルフール地域にあるマッラ山地や中央部のヌバ山地など、いくつかの山地が孤立して存在している。最高地点はマッラ山地のデリバ・カルデラ(標高3042メートル)。南にいくに従って雨量が増え、ステップ気候となっていく。なお、北部の砂漠と紅海沿岸は一年中、日中の気温が40を超す炎熱の地である。
水系
  水系は、ほぼ全てがナイル川へと流入する。中央を縦貫する白ナイル川を基軸としている。ナイル川の流量は南スーダン最北部のスッドにて激減しているが、これが増大するのは、青ナイル川を合わせる首都ハルツーム以北である。
  青ナイルは乾季には雨量が減少するものの、雨季にはエチオピア高原に降った大量の雨を運んでくるため流量が極度に増大し、かつては下流のエジプトで定期的に洪水を引き起こしていた。その後、北のアトバラで、やはりエチオピア高原から流れてきたアトバラ川を合わせた後、エジプト領内へと流れ下っていく
主要都市(詳細は「スーダンの都市の一覧」を参照)
  主要都市は、首都ハルツームの他、オムドゥルマンアル・ハルツーム・バフリポートスーダンがある。ハルツーム、オムドゥルマン、アル・ハルツーム・バフリはナイル川を挟んで隣接しており、三つ子都市とも呼ばれ、スーダン最大の都市圏を形成している。
経済(詳細は「スーダンの経済」を参照)
  国際通貨基金(IMF)の推計によると、2013年のスーダンの国内総生産(GDP)は667億ドルであり、アフリカ全体では7位に位置する。一方、一人当たりのGDPは1941ドルと、世界平均の20 %を下回る水準にある。1990年代までは、長引く内戦や経済制裁などで、経済は完全に破綻状態であり、2019年現在スーダンは平和基金会が発表している「世界失敗国家ランキング」8位の国である。
  他方で、石油資源ではMelut Basin英語版(Adar/Yale油田)やMuglad Basin英語版ヘグリグHeglig〉油田、ユニティ〈Unity〉油田、Abu Gabra油田)やBlue Nile Riftが大きく世界の注目を浴び、アメリカの経済制裁が加えられた期間に石油メジャーの間隙を突く形で、1990年代後半から中国政府のバックアップを受けた中国系企業が進出した。数万人規模の中国人労働者がスーダンに派遣され、石油プラント、石油パイプライン(Greater Nile Oil Pipeline, PetroDar Pipeline)が建設された。
  Greater Nile Oil Pipelineは全長1600キロメートルで、ユニティ油田 - ヘグリグ油田 - ハルツーム (Khartoum Crude Oil refinery) - ポートスーダン(紅海に面する港)を繋いでいる。Muglad Basinから産出する石油は “Nile Blend” と呼ばれている。後に、Thar Jath油田からヘグリグまで172キロメートルパイプラインが延伸された。
  PetroDar Pipelineは全長1380キロメートルで、Palogue油田 - Adar/Yale油田 - Fula油田 - ポートスーダン(紅海に面する港、Port Sudan Crude Oil Refinery)を繋いでいる。Melud Basinから産出する石油は “Dar Blend” と呼ばれている。これら油田の大部分と南北合計の原油確認埋蔵量の約80 %が南スーダンに帰属するため、政府は南スーダンに対し高額の原油通過量を要求し、独立後の火種となっている。
  同様にレアメタル埋蔵量も注目を集めている。そのほか、メロウェダムに象徴される大規模な水力発電所及びダム、鉄道(老朽化したポートスーダンからハルツーム間)の建設も中国系企業が受注するなど、極めて濃厚な協力の下、徐々に経済が立ち直る兆しが見られる。以上の理由から、特に東部では経済が急成長しており、首都ハルツームでは総工費40億円を掛けて63塔もの高層ビルの建築が進行中[いつ?]である。しかし、石油資源などが豊富な地域は南部スーダン地域であり、スーダンの支援国である中国は南スーダンにも国連平和維持部隊を派兵して油田権益を確保している。
農業(詳細は「スーダンの農業」を参照)
  東部に限れば、「アフリカのパン篭」とも言われる肥沃なナイル川周辺の農地を使っての小麦トウモロコシ栽培が盛んである。とくに、ハルツームより南の白ナイル川と青ナイル川に挟まれた三角地帯では、1925年イギリス植民地政府によってゲジラ計画がおこなわれ、大規模灌漑によって小麦や綿花の大穀倉地帯となった。
  1993年の内戦時に大規模な飢饉が、1998年により大規模の飢饉が発生したことから一時期は低迷状態にあったが、最近はトルコやサウジアラビアなどの周辺諸国の企業による農業投資が盛んである。とりわけ湾岸アラブ諸国は、国土の大半が農業に不向きな砂漠のため食料供給地としてのスーダンに着目している。2008年の農業投資契約数は33件で07年度の3倍である。スーダン政府は、投資企業に土地を安く提供、関税免除などの特典で、投資国を引き付けようとしている。
交通
  国際通貨基金(IMF)の推計によると、2013年のスーダンの国内総生産(GDP)は667億ドルであり、アフリカ全体では7位に位置する。一方、一人当たりのGDPは1941ドルと、世界平均の20 %を下回る水準にある。1990年代までは、長引く内戦や経済制裁などで、経済は完全に破綻状態であり、2019年現在スーダンは平和基金会が発表している「世界失敗国家ランキング」8位の国である。
  他方で、石油資源ではMelut Basin(Adar/Yale油田)やMuglad BasinヘグリグHeglig〉油田、ユニティ〈Unity〉油田、Abu Gabra油田)やBlue Nile Riftが大きく世界の注目を浴び、アメリカの経済制裁が加えられた期間に石油メジャーの間隙を突く形で、1990年代後半から中国政府のバックアップを受けた中国系企業が進出した。数万人規模の中国人労働者がスーダンに派遣され、石油プラント、石油パイプライン(Greater Nile Oil Pipeline, PetroDar Pipeline)が建設された。
  Greater Nile Oil Pipelineは全長1600キロメートルで、ユニティ油田 - ヘグリグ油田 - ハルツーム (Khartoum Crude Oil refinery) - ポートスーダン(紅海に面する港)を繋いでいる。Muglad Basinから産出する石油は “Nile Blend” と呼ばれている。後に、Thar Jath油田からヘグリグまで172キロメートルパイプラインが延伸された。
  PetroDar Pipelineは全長1380キロメートルで、Palogue油田 - Adar/Yale油田 - Fula油田 - ポートスーダン(紅海に面する港、Port Sudan Crude Oil Refinery)を繋いでいる。Melud Basinから産出する石油は “Dar Blend” と呼ばれている。これら油田の大部分と南北合計の原油確認埋蔵量の約80 %が南スーダンに帰属するため、政府は南スーダンに対し高額の原油通過量を要求し、独立後の火種となっている。
  同様にレアメタル埋蔵量も注目を集めている。そのほか、メロウェダムに象徴される大規模な水力発電所及びダム、鉄道(老朽化したポートスーダンからハルツーム間)の建設も中国系企業が受注するなど、極めて濃厚な協力の下、徐々に経済が立ち直る兆しが見られる。以上の理由から、特に東部では経済が急成長しており、首都ハルツームでは総工費40億円を掛けて63塔もの高層ビルの建築が進行中である。しかし、石油資源などが豊富な地域は南部スーダン地域であり、スーダンの支援国である中国は南スーダンにも国連平和維持部隊を派兵して油田権益を確保している。
農業(詳細は「スーダンの農業」を参照)
  東部に限れば、「アフリカのパン篭」とも言われる肥沃なナイル川周辺の農地を使っての小麦トウモロコシ栽培が盛んである。とくに、ハルツームより南の白ナイル川と青ナイル川に挟まれた三角地帯では、1925年イギリス植民地政府によってゲジラ計画がおこなわれ、大規模灌漑によって小麦や綿花の大穀倉地帯となった。
  1993年の内戦時に大規模な飢饉が、1998年により大規模の飢饉が発生したことから一時期は低迷状態にあったが、最近はトルコやサウジアラビアなどの周辺諸国の企業による農業投資が盛んである。とりわけ湾岸アラブ諸国は、国土の大半が農業に不向きな砂漠のため食料供給地としてのスーダンに着目している。2008年の農業投資契約数は33件で07年度の3倍である。スーダン政府は、投資企業に土地を安く提供、関税免除などの特典で、投資国を引き付けようとしている。
交通(詳細は「スーダンの交通」を参照)
国民 (詳細は「スーダンの人口統計」を参照)
民族
  北部のナイル・サハラ語族ヌビア諸語を話すヌビア人、中部のヌバ山地ニジェール・コンゴ語族コルドファン語派を話すヌバ族や、南部のカドゥ諸語を話す民族など非アラブ黒人が52 %、北部を中心にアラブ化した黒人や黒人との混血を含む「アラブ系」が総人口の約39 %、東部のアフロ・アジア語族クシ語派ベジャ語を話すベジャ人 が6 %、外国人が2 %、その他1 %。 ・・・ダルフールの北部にザガワ族、中部にフール人、南部にバッガーラ族が居住している。
言語(詳細は「スーダンの言語」を参照 )
  アラビア語スーダン方言)と英語公用語ヌビア語など非アラブ民族語も広く話される。2005年の現行憲法は公用語について以下のように定めている。
     第八条 ・・・1-全てのスーダン固有の言語は国語であり、敬意をもって扱われ、開発され、普及される。・・・2-アラビア語はスーダンで広く話される国語である。・・・3-アラビア語は国家レベルで主要な言語であり、英語は国家政府の公用作業言語にして、高等教育における教授言語である。・・・3-英語とアラビア語にくわえ、地方議会においては、それ以外の国語が追加の公的作業言語として受け入れられなければならない。・・・3-政府と教育のいかなる段階にあっても、英語とアラビア語の使用に差別があってはならない。
宗教(詳細は「スーダンの宗教」を参照 )
  スンナ派を中心とするイスラム教が70 %。南部非アラブ人を中心にアニミズムなどの伝統宗教(18 %)とキリスト教(5 %)。北部に20万人程コプト教徒がいる。
  キリスト教徒の多い南スーダンの分離独立に伴い、相対的にスーダンにおける非イスラム教徒比率は下がり、現在はスーダンにおけるイスラム教徒比率は、周辺の北アフリカ諸国同様絶対多数派となっている。現在は北部のコプト教徒、コルドファン丘陵地域のいくつかの伝統宗教やキリスト教を信仰する民族グループを除き、国民の大多数がイスラム教徒である。
  南スーダンが独立したことで、キリスト教徒への迫害が強まっており、スーダン国内のキリスト教徒は市民権を失った状態にある。 (「スーダンにおける信教の自由」も参照 )
教育(詳細は「スーダンの教育」を参照 )
  教育制度は8・3・4制で構成されており、中等教育小学校8年、中学校3年、高等教育大学4年となっている。 スーダンの義務教育は小学校8年のみであり、加えて日本の高等学校やアメリカのハイスクールに該当する教育機関は存在していない。
  大学は約25〜30校が存在しており、代表的なものとしてはゴードン記念大学が挙げられる。
  バシール政権成立後、教育のイスラム化が重視され、1991年にはイスラム教育が導入された。これは非イスラム教圏にも適用されたため、国内の非イスラム教徒の反発を招いた。
  同国は歴史的背景などの諸事情により経済状況が不安定で未だに解消されていない為、その影響から40 %以上の子供が学校へ充分に通えていない問題点を抱えている。
対立
  大きく分けると、スーダンにイスラームを持ち込んだアラブ化されたエジプト人、彼らと現地先住黒人との混血児、そして彼らに帰順しイスラームのみならずアラビア語を受け入れた先住黒人達、この3者の子孫で構成され、現代口語アラビア語スーダン変種を話す「アラブ人」が北部を中心に勢力を張り、宗教的にはイスラム教を受容しつつもアラビア語は受け入れなかったイスラム系先住民が西部に勢力を張り、そしてイスラームすらも受け入れず先祖伝来のアニミズムを守るか、一部キリスト教に改宗した先住民が南部に勢力を張っている。この3者が現代スーダンの住民対立の大きなグループとして挙げられる。
  この中でも「アラブ人」と他の2者との対立が強く、支配者「アラブ」対周辺化された「非アラブ」という対立軸が現代のスーダンの紛争においてしばしば見られる。宗教の対立は近年のスーダンの紛争では、決定的な対立軸ではない。人種的には前述されているように、北部はホワイトアフリカに属するエジプトと隣接しているためにコーカソイド系との混血が進み、南部はニグロイドとコーカソイドの混血は余り起きなかった。なお北部住民のアラブ系住民は南部の住民を「黒人」と呼ぶが、人種的な分類というよりは、アラブ化を受けなかった先住民というニュアンスで用いている。
治安
  2019年に旧政権であるバシール政権が退陣してから同国内の治安状況は一定の落ち着きを見せているものの、暫定政府が当面の課題として掲げている経済政策が現時点では十分な成果を上げていると言いがたく、物資(主に燃料や小麦粉)の不足に加えて物価の高騰はいまだ解消されず終いとなっている侭である。これに対する散発的かつ小規模なデモが発生しているほか、首都ハルツームでは更なる改革を求めるデモも発生しており、負傷者も出る騒動へと発展している。
  この為、スーダン各地で今後、大規模な抗議活動が発生する可能性は完全に否定できない状態となっており、同国での滞在における危険度が高まっている。
  また、ハルツームや各州都では警察などの治安機関が比較的機能していると言われているが、現今のこうした経済情勢を背景に近年はひったくり車上狙いといった犯罪が増加傾向にある。一方で外国人は、一般的に裕福と捉えられていることから格好のターゲットになり易く、滞在中は細心の注意が求められる。







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