自然界の問題



2019.11.20-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/life/news/191120/lif1911200042-n1.html
最後の生物大量絶滅、隕石衝突が原因か 1160万年前 南鳥島沖に痕跡

1160万年前に地球の生物が大量に絶滅したのは、巨大隕石(いんせき)が海に衝突したのが原因だった可能性があることを海洋研究開発機構などの研究チームが突き止め、20日付の英科学誌で発表した。
 生物の大量絶滅は、恐竜が絶滅した中生代白亜紀の6600万年前など3億年前以降に計11回起きたが、最も時期が新しく、人類の祖先である類人猿が繁栄していた1160万年前だけは原因が不明だった。
 チームは小笠原諸島・南鳥島沖の水深約5600メートルの海底を掘削し、地層の試料を採取。分析の結果、オスミウムという元素が極めて高い濃度で存在することを見いだした。
 隕石や地下のマグマの活動が作るかんらん岩に多く含まれる元素だが、地層にかんらん岩は見つからなかった。また、中性子の数が異なるオスミウムの同位体の比率に宇宙で生じた特徴があり、地層の粒子に衝突の痕跡もあったことから、隕石の衝突に由来すると判断した。
 オスミウム濃度の高さなどは、中生代三畳紀の2億1500万年前に地球に衝突し、直径100キロのクレーターが生じた直径3・3~7・8キロの隕石の痕跡に匹敵。そのため今回の隕石も直径数キロとみている。
 衝突時期は、オスミウムの年代測定で新生代中新世の1100万年前だった。大量絶滅が起きた時期とほぼ一致することから、隕石衝突が原因だった可能性があると結論付けた。
 中新世の隕石衝突を示す陸上の大きなクレーターは2個見つかっているが、いずれも1500万年前ごろで今回と年代が合わないため、場所は不明だが海洋に落下したと推定。高温で海水が蒸発し、隕石に含まれる硫黄と反応して酸性雨が降り、地球環境の悪化をもたらしたとみられる。

 隕石が海に落下した痕跡の発見は難しく、これまで1件しか報告されていない。研究チームは「知られていなかった隕石の痕跡を発見した。今後は調査範囲を拡大し、詳しい落下地点や地球環境への影響を調べていきたい」としている。


2019.10,3-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191003/k10012111361000.html
マゾン森林火災 先月は35%減少

大規模な森林火災が世界的な問題になっている南米のアマゾンで、ブラジル国内で先月発生した火災の件数が、前の月に比べて35%減ったことが現地の国立宇宙研究所の調査でわかりました。世界最大の熱帯雨林、南米のアマゾンでは大規模な森林火災が問題になっていて、アマゾンの3分の2以上が広がるブラジル国内で起きた火災の発生件数はことし1月から8月までの8か月間で、去年の同じ時期の2倍近くの9万件に上っています。
  毎年9月は乾期のピークとなるため森林火災のさらなる増加が懸念されていましたが、ブラジルの国立宇宙研究所によりますと、先月の発生件数は1万9900件余りと、前の月に比べておよそ35%減少したということです。
  この件数は前年の同じ月に比べても20%減っているということで、アメリカのメディアはブラジル政府が軍を派遣して消火活動にあたらせるなど対策に乗り出した結果、一定の効果をもたらした可能性があるという専門家の見方を伝えています。ただ、専門家の間には森林火災の拡大を食い止められるかどうかはまだ見極めが必要だという意見もあり、引き続き火災の拡大を防ぐ対策が求められています。


2019.9.25-NHK NEWS WEB-https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2019/09/0925.html
広がる森林火災 アマゾンで何が!!

南米のアマゾンで続く記録的な森林火災。今年は、去年の同じ時期の1.5倍にあたる約10万件も発生している。アマゾンの熱帯雨林は、大量の二酸化炭素を吸収して地球の酸素の約20%を生み出していて「地球の肺」とも呼ばれている。それだけに、焼失が進むと地球温暖化も加速すると懸念されている。アマゾンの森林火災、その背景と影響とは。

ブラジル内陸部の都市、ポルトべ―リョ。ブラジル政府が、森林火災の消火拠点を置いている。アマゾンの保護を担う軍の施設では、13機の衛星を使い、ブラジル全土の森林火災の情報を一手に管理。刻々と変わる火災の状況を分析している。地図上に、気温の高い地区が示され、火がどこまで広がっているかを予測している。
  その現場のひとつ、街の中心部から2時間ほど離れた、かつては森林だった場所。至る所に焼けた跡があり、まだ燃えている所もある。こうした森林火災は、畜産農家による違法な野焼きが増えていることが原因だといわれている。ブラジルでは、これまで牛の放牧地を開墾したり、農地を開拓する目的の野焼きは、ある程度までは黙認されていたのだ。しかし、ここにきて急激にその規模が広がったことで、影響が深刻化している。

拍車をかけたブラジル大統領の経済重視発言
被害が拡大しているにもかかわらず、止まらない違法な野焼き。拍車をかけたと指摘されているのが、ブラジルのボルソナロ大統領の発言だ。
ボルソナロ大統領-「国土の半分以上を保護区域にしているなんて耐えられない。経済発展の妨げになる。」
ボルソナロ大統領は、アマゾンを重要な経済資源と位置づけ、積極的な開発を国民に呼びかけてきたのだ。そうした大統領の言葉に触発され、畜産農家らが開墾地を広げようとした結果、野焼きが増えたとみられている。野焼きを目撃した農民は「ボルソナ政権への交代が火災発生の大きな要因だと思う。たくさんの仲間が今、野焼きで土地を広げるチャンスだと言っている」と語った。

森林保護か開発か 国際社会から厳しい目も
畜産農家はなぜ野焼きを続けてきたのか、一件の農家が取材に応じた。・・・畜産業を営むマウリシオ・バルボアさん。牧草地を含む75ヘクタールの森林を所有している。収入は、月に8万円ほどで、一家4人で生活できるぎりぎりの額だという。収入を増やすためには、野焼きをして牧草地を広げるしかないと考えている。「アマゾンを守ろうって、森林はお金にならないんだ。子供に1リットルのミルクも買ってやれない。ボルソナロ大統領を尊敬する。彼にまた投票すると思う」(マウリシオ・バルボアさん)。
   畜産農家に支持される形で開発を優先する態度を示してきたブラジル政府。しかし、国際社会の批判にさらされ、8月から、大がかりな消火活動に乗り出している。ボルソナロ大統領は、軍の7000人を動員し、違法な焼き畑農業の摘発も行っている。しかし、依然として野焼きが横行し、消火が追いつかない状況だという。
地元の人々の生活を成り立たせながらアマゾンの森をどう守るのか。地球規模の課題となっている。


2019.8.26-https://jp.reuters.com/article/brazil-environment-amazon-idJPKCN1VG0MT
アングル:アマゾン火災、なぜブラジルと世界の「危機」なのか

[ブラジリア 25日 ロイター] - 地球環境にとって重要な存在であるアマゾン川流域の熱帯雨林で発生した記録的な件数の火災が、国際的な怒りを呼んでいる。ブラジルのボルソナロ大統領も、消火支援のため軍の派遣に踏みきった。

この災害について、知っておくべき情報をまとめた。
<なぜアマゾン川流域が重要なのか>

流域の60%がブラジル国内にあるアマゾン川の一帯には、世界最大の熱帯雨林が広がる。この熱帯雨林には、固有の植物種・動物種が多数育まれており、生物多様性の宝庫と考えられている。密度の高い原生林は、気候変動の最大の要因と考えられている温室効果ガスの二酸化炭素を膨大に吸収しており、科学者らは、アマゾン熱帯雨林の保全が地球温暖化対策に必須であると話している。
<火災はどれほど深刻なのか>
ブラジル国立宇宙研究所(INPE)によれば、ブラジル国内全域の森林火災の件数は、少なくとも2013年以降で最悪の水準であり、年初から8月23日までに前年同期比で84%増加している。今年これまでに7万8383件の森林火災が発生しており、その約半分が8月に入ってからだ。
アマゾン川流域にある9つの州のうち8州で森林火災が増加しており、最大のアマゾナス州では146%の増加となっている。ロンドニア州・アマゾナス州の現地住民によれば、森林火災は毎年発生しているものの、これほどひどい年は記憶になく、煙が雲のように同地域を覆っているという。
<火災の原因は何か>
アマゾン川流域では、土地の開拓のために意図的な放火が行われることが多い。製材業者が樹木を伐採した後、投機筋が残った植生に放火して更地にし、農家・牧畜業者に販売しようと目論んでいるのだ。アマゾン川流域では乾期に入って数ヶ月たっており、火災は広がりやすくなっている。
環境保護団体によれば、ボルソナロ大統領がアマゾン川流域の開発拡大を主張していることで、こうした慣習がいっそう大胆になり、それによって処罰を受けることはないと思われている、という。
2019年1月から7月までに、森林伐採面積は前年同期比で67%増加し、7月だけを見れば3倍になっている。環境保護団体は、伐採と放火は同じ人々によって行われていると見ている。


アマゾン熱帯雨林
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


アマゾン熱帯雨林とは、南アメリカ大陸アマゾン川流域に大きく広がる、世界最大面積を誇る熱帯雨林である。2019年の大火事で10%の面積を焼失したとされる。森林破壊が原因と見られる、木が大量に枯死する等の現象が多発しており、焼き畑と合わせて二酸化炭素大量放出の原因になっており問題になっている

概説
面積は約550万平方kmとアマゾン盆地(約700万平方km)の大部分を占め、地球上の熱帯雨林の半分に相当する。省略してアマゾンとも呼ばれる。7カ国が含まれ、60%はブラジルにある。生物多様性に富み、ブラジル政府は専門の研究機関である国立アマゾン研究所(INPA)を設置している植物はエネルギーを得るために二酸化炭素を利用して光合成を行い、炭素を固定するとともに酸素を放出、あるいは呼吸によって酸素を消費しているが、アマゾンは二酸化炭素を吸い込んでいる(炭素固定している)量がとても多いため「地球の肺(lungs of the Earth)」とも呼ばれる。「地球の酸素の1/3を供給する」とする説もあるが、これは間違いであり、実際にはアマゾンの熱帯雨林は極相状態にあり、若い樹木と比べて効率の悪い葉と酸素を大量に消費する巨大に育った幹の存在、有機物を分解する過程で酸素を消費する土壌の微生物によって、酸素や二酸化炭素の消費と放出が均衡しているため、開発によって樹木や土壌に固定された炭素を大気中に放出しない限りは、大気成分に影響を与えない。この説は、アマゾン研究の第一人者にインタビューを行ったジャーナリストの勝手な誤解が広まったと言われる。オックスフォード大学環境変動研究所のヤドビンダー・マルヒ教授の試算では、アマゾン熱帯雨林は陸上で生産される酸素の16%を生産し、同じ量の酸素を消費している
生物
アマゾン熱帯雨林はまっすぐに伸びた豊富な樹種が林立しているにもかかわらず、林床部が貧弱である特異な特色を持つ。 哺乳類としてはオポッサムナマケモノアルマジロホエザルクモザルマーモセットタマリンカピバラパカアグーチキノボリネズミキンカジューオリンゴチスイコウモリシロコウモリマナティーカワイルカジャガーオセロットバクペッカリーマザマジカなど変化に富んだ多数の種類が生息している。ただし、他地域に比べると大型哺乳類の種類も個体数も少ないという特色がある
鳥類はさらに多く、オウムハチドリオオハシホウカンチョウなどを代表として鮮やかな色彩の羽毛を持つ種が多数見られる。爬虫類カイマンアナコンダが一般に知られているが、個体数としてはカワガメが最も多い魚類ピラニアデンキウナギピラルクなどが良く知られているほか、500種を超えるナマズ目が生息している昆虫は現在でも新種が次々と発見される状況にあるほど豊富である
環境破壊
熱帯雨林は1967年頃に比べて20%消失した。 2006年の国際連合食糧農業機関(FAO)の報告では、伐採された森林の70%が放牧地へと転換されている。また中国での中流階級の台頭と、ヨーロッパで発生した狂牛病への対策として畜産飼料大豆餌に切り替えられたことによる需要の増大によって、大豆畑も増加している。このため、2006年には環境保護団体のグリーンピース (NGO)マクドナルドなどの食品業者が、カーギル社などの穀物の主要取引会社に対し、アマゾンの転換畑で生産された大豆を2年間買わないようにとの交渉を行い、合意された
世界自然保護基金(WWF)は、2030年までに、最大でアマゾン熱帯雨林の60%が破壊され、この影響で二酸化炭素の排出量が555億トンから969億トンに増える可能性があることを報告した。
森林破壊によって木が枯れる現象が多発
森林破壊によって引き起こされたと見られる、木々の枯死が多発しており問題になっている。また、焼き畑や枯死が増えると二酸化炭素排出量が一気に増える為、二酸化炭素の排出量の方が多くなり問題である。
アマゾンの森林伐採
1996年に、1992年時と比較して森林伐採が34%増加していることが報告された。2000年から2005年にかけての5年間(毎年22,392 km²)でそれまでの5年間(毎年19,018 km²)と比較して18%以上伐採量が増えた。ブラジルではInstituto Nacional de Pesquisas Espaciais (INPE, or National Institute of Space Research)によって伐採が調査された。伐採された土地は乾季に撮影されたランドサットの100〜200枚の画像から調べられた。自然の平原やサバンナ雨季の森の損失には含まれない。 INPEによると、元々、ブラジルに於けるアマゾンの熱帯雨林は4,100,000 km²だったが2005年には3,403,000 km²まで減少した。17.1%が失われた。
気候変動に対する反応
最終氷期最寒冷期(LGM)以降の21000年間の気候変動による証拠がある。LGMでは現在よりも降雨量が少なかった事がわかっている。それにより森林も少なかった。この事には議論の余地がある。降雨量の減少は少なかった森と草原に分かれていたと主張している科学者も存在する。他の科学者はもっと北よりにあり、今日の様に南と東には広がっていなかったと主張する。この議論に決着をつけることは困難である。]
森林破壊・枯死による二酸化炭素放出源の可能性
2010年2月3日、イギリスリーズ大学シェフィールド大学、ブラジル国立アマゾン環境研究所は、共同研究を通じて、ブラジル一帯に及んだ旱魃がアマゾン一帯の熱帯雨林を二酸化炭素排出源に変えている可能性に言及した。これは2005年に発生した100年に一度とされた旱魃の結果、約190万平方kmの森林がダメージを受け、膨大な量の枯死木が二酸化炭素の吸収量を相殺してしまう量を排出するという内容である。旱魃は2010年にも2005年を上回る規模で発生しており、今後の気候変動により旱魃が増加すれば更なる影響が生じることを示唆している


アマゾン川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アマゾン川は南米のブラジルとその周辺国の熱帯雨林(アマゾン熱帯雨林)を流れ、大西洋に注ぐ世界最大の河川である。数多くの巨大な支流を持ち、アマゾン川という名称はそれらの総称として用いられている。
概要
アマゾン川は世界最大で最長(諸説あり)の河川である。特に流域面積では2位以下のコンゴ川ナイル川ミシシッピ川のそれぞれ2倍程度、オーストラリア大陸の面積に匹敵する705万km2(平方キロメートル)にわたる。1973年から1990年の平均流量は毎秒209,000t(トン)と推定される。水深も深く、河口から4,000km(キロメートル) 上流まで遠洋航海用の船が航行できる。平均水深は雨季で40m(メートル)である。
名称としてのアマゾン川は、ペルーではアンデス山脈のミスミ山を源流とするウカヤリ川と、ラウリクチャ湖から流れ出たラウリクチャ川/マラニョン川イキトス付近で合流する所からの川を指す。ただしブラジルに入るとこの川はソリモンエス川と呼び名が変わる。ブラジル国内を約2000 km 下ったネグロ川との合流地点から、ふたたびアマゾン川と呼ばれるようになる。このアマゾン川には、支流では最大の流量・流域面積を持つマデイラ川と、次いでタパジョース川シングー川トカンティンス川などの大きな河川が南側から合流しながら河口まで続
アマゾン川の標高河口から1,600 km 遡っても32 m 、3,800 km 遡っても80 m しかない。アマゾニアと呼ばれる広い大湿原の低地が広がっている。新生代以降にアンデス山脈が隆起するまでは太平洋側に流れていた。アマゾン川の流域面積は世界最大である

形成
アマゾン川が流れるアマゾン平野は約4億年前に形成されていた。その頃南アメリカ大陸ゴンドワナ大陸の一部であり、現在のアフリカ大陸と一体となった大陸を東西に貫く地溝帯が走っていた。ここには東西からが流れ込み、海水起源の堆積物が徐々に積もりつつあった。やがて3億年前頃には大陸東側が干上がり、海の侵入は西側からのみとなった。そして中生代白亜紀には大西洋中央海嶺からのマントル上昇によってゴンドワナ大陸は分裂を始めた。西へ移動を始めた南アメリカ大陸の中心部では、東から西に流れ太平洋に注ぐ河川が形成された。ところが大陸がマントルの沈み込みが起こる現在のペルー・チリ海溝に到達すると、新生代新第三紀頃に大陸西端には造山活動によって6000m級のアンデス山脈が形成され、行き場を失った水は平野部に停滞して巨大な淡水湖を作り上げた。段々と水位を高めた湖はギアナ高地とブラジル高原の間に流出先をつくり、大西洋に河口を設けた
その頃、地球氷河期にあり、海面は低かった。流れる水は高低差を勢いをもって流れ、湖底の堆積物を深く削った。この際に残された丘がテラフェルメと呼ばれる増水時にも冠水しない台地となった。やがて氷河期が終わって海面が上昇すると、海水が内陸まで入り込んで堆積物がバァルゼアを形成した。このような形成過程から、アマゾン川の水深は深くなった
歴史
アマゾン川にはじめてヨーロッパ人が到達したのは1500年のことである。南アメリカ大陸の海岸線沿いに航行していたビセンテ・ヤーニェス・ピンソンがアマゾン河口近くにたどり着いた時、この付近の水が淡水であることに気づき、マーレ・ドゥルセ(ポルトガル語で「甘い海」を意味する)と名付けた。アマゾン川のほぼ全域を航行した初の人間はスペインのコンキスタドールであるフランシスコ・デ・オレリャーナである。インカ帝国の征服に参加していた彼は、1541年ゴンサロ・ピサロによるエル・ドラード探索行にも参加し、アマゾン最上流域のナポ川から出発し、全区間を航行して1542年8月に河口に到達した。この時にオレリャーナは地元住民と激しい戦闘を繰り広げたが、その際女性戦士に攻撃されたことを記しており、これがギリシア神話の女人族アマゾネスを連想させたことから、この川にアマゾン川という名がつけられたとされる。

アマゾン川は河口部分のごく一部を除いて全域がトルデシリャス条約の境界線の西側に位置し、ほぼ全域がスペイン領となる区域であった。しかしスペインはアンデス方面に重点を置いてアマゾンへの進出を全く行わない一方、河口近くにいたポルトガル人は1616年にベレンの町を建設し、ここからアマゾン川沿いに内陸へと進出していった。1669年にはマナウスの町が開かれ、さらに南のサンパウロから進出したバンデイランテスたちが1730年代にマット・グロッソにて鉱を発見し、この金の輸出の河川ルートがアマゾン川へとつながったためにより一層アマゾン流域はポルトガルの勢力が強くなっていった。1750年にはマドリード条約が結ばれ、アマゾン川流域の中央部分はほぼポルトガルの領域となった。

また、この間も広大なアマゾン川流域の各支流については探検が進んでおらず、流域にはヨーロッパ人と全く接触を持たないインディオ達も数多かった。各支流の探検はこの時代にも続けられており、1799年から1800年にはアレクサンダー・フォン・フンボルトが探検を行い、流域北部においてアマゾン川流域とオリノコ川流域とを結ぶカシキアレ水路の存在を明らかにした。

ブラジル帝国独立後もアマゾンの開発は進まなかったが、1852年マウアー子爵がアマゾン川汽船会社を設立してアマゾン川に蒸気船を就航させるようになり、さらに1866年にブラジル政府はアマゾン川の外国船の航行を認めた。これにより、アマゾン川上流のペルー領イキトスも貿易港としての機能を持つようになった。19世紀末から20世紀初頭にかけては天然ゴムのブームによってアマゾン川は一躍脚光を浴びるようになり、マナウスやイキトスなどは繁栄期を迎えた。とくにゴムの集散地となったマナウスは熱帯のパリと呼ばれるほどの繁栄期を迎えた。またこの時代、天然ゴムを採集するセリンゲイロと呼ばれる採集人たちが各支流の奥深くまで入り込むようになり、ほとんどの支流にヨーロッパ人たちの足跡がしるされるようになった。しかし、マレー半島などの農園で生産されるアジア産のゴムが急速にシェアを伸ばし、1915年ごろまでにほぼ天然ゴム市場を席巻し、最終的には合成ゴムの開発によってこの繁栄は終わりを迎えた

ゴム景気終息後、旧共和政期(カフェ・コン・レイテ期)には新たな開発計画は見られなかった。この時期まで、アマゾン経済は基本的に熱帯雨林からのゴムやブラジルナッツなどの採集経済が中心であり、農園は川沿いのわずかな地域にしか開かれておらず、開拓も進んでいなかった。しかし、1930年に政権を握ったジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス1940年にブラジル大統領としてはじめてアマゾン入りし、アマゾン開発の必要性を強調。1953年にはアマゾン経済開発庁を設立した。1967年にはマナウスフリーゾーンが設立され、本格的な工業開発が始まった。しかし、本格的なアマゾン開拓は、1970年に発表された「国家開発計画」によってはじまった。この計画によりアマゾンは初めて本格的に開発の手が入るようになり、各地に道路が建設され、アマゾンのいくつかの支流に大規模なダムが計画されるようになった。

流域の町と産業(詳細は「セルバ」を参照)
アマゾン川流域には河口都市ベレン、1,600 km 上流の町マナウス、3,900 km 上流の都市イキトスがあるがその他にも小さな町や村は多くある。ベレン、マナウス、イキトスは人口も多く遠洋航海用の船が接岸できる港があるが、小さな町や村には港がなくて大型船から小型船に乗り換えて品物などの取引をしている。
アマゾン川は雨季と乾季の水位の差が大きい。乾季と雨季ではアマゾン川の水位は 20 m 以上も違うところがあり、数十万平方キロメートルの熱帯雨林が雨季には水没する。アマゾン川の近くで暮らす人々は、雨季になれば水没してしまう地域「バァルゼア」と雨季でも水没しない「テラフィルメ」と呼ばれる地域を知っており、乾季や雨季に適した暮らしを行なっている。アマゾン地方の交通手段は船が重要である。ジャングルには道路も通っているが、アマゾン川には橋が一つもかかっていないので、船を主な交通に利用している。
アマゾン川の流れは絶えず変化しており、大きく蛇行して蛇行部分が切り離された三日月湖(河跡湖)になる。そしてその肥沃な土壌と豊富な水分、強い日光によって樹木は瞬く間に生長し、三日月湖はやがて埋まって元の熱帯雨林に戻り、再びアマゾン川が蛇行して三日月湖になるという変化を絶えず繰り返している。
あまりにも巨大な川であるため、本流にはダムが一つも作られておらず開発から取り残されているので、アマゾン川は世界一健康な川(世界一汚染の少ない河川)でもある。アマゾンの熱帯雨林は世界の二酸化炭素の 1/4 を酸素に変えているといわれているが、最近では木材を切り出したり工業用の木炭の生産やを作るために森林破壊が続いており、自然環境破壊の問題も起きている。また沿岸に住む人たちは生ゴミ汚物をアマゾン川に垂れ流しているが、世界の他の河川のような公害問題が起きていないのはアマゾン川の規模が桁違いに大きいからに過ぎない。アマゾン川は地球の最後の水資源の宝庫とも言われている。
アマゾン川の川幅は広く、海洋から中流域まで船舶が乗り入れることが可能である。かつてはゴム栽培が盛んであり、中流域のマナウスは天然ゴムの集散地として栄えた。
このゴム産業には日本人からの移民も多数参加した。1900年代前後にペルーやブラジルに移住した日本人の一部が、ゴム採集やゴム工場の肉体労働者として働いていた。このため、マナウス付近やボリビアリベラルタなどには現在も日本人の子孫が多く暮らしている。
生物
アマゾン川は長年生態的条件や気象的条件が比較的安定していたため、セルバと呼ばれる熱帯雨林や水中の世界でも、豊かで多様性に富んだ動植物が数多く見られる。アマゾン川流域には、約 250 種類の哺乳類、約 1,800 種類の鳥類が生息している。特に昆虫全体に至っては、100 万種以上が生息していると推測されている。
水生生物では、約2,000から3,000といわれる種類の魚類が豊富に存在し、川が増水している期間は浸水林の中で棲息し、乾季になると川に集まって産卵活動に入る。種類の約半分はナマズ目である点はアマゾン川の特徴のひとつである。ピラルクーは約1億年も姿を変えることのない古代魚で、世界最大の肉食淡水魚である。産卵期にはを守って川底でじっとしているためよく漁撈の標的にされ、淡白な味から「アマゾンのタラ(バカリョ)」と呼ばれる。獰猛で有名なピラニアは24種ほどが発見されているが、動物を襲うのは10種程度である。他にもトゥクナレタンバキなど食用で知られた魚も知られる。また、本来は海に棲息していた魚類が入り込み淡水化したものも多く、サメノコギリザメメカジキヒラメエイカマスイシモチなどが生息している
水生爬虫類ではカメが豊富で、大きな種類は1m程になりタルタルーガと呼ばれて珍重された。哺乳類ではマナティーが知られ、カメ同様に乱獲の影響で数を減らしたため現在では捕獲が禁止されている。イルカ類(アマゾンカワイルカコビトイルカ)も代表的な水生哺乳類だが、インディオはこれを「ボート」と呼んで魔術的・超自然的な力を持つ生き物と考えたため乱獲されなかった。逆に美男子に変化して人間の女性を惑わすとか、魔力を宿した左の眼球を通して意中の人を見れば想いが叶うといった迷信がつくられた
ポロロッカ(詳細は「ポロロッカ」を参照)
大潮の時に海水と川の流れがぶつかり合い、大きな波となって川を遡る現象が発生する。この現象をポロロッカという。一般的な海の波が 20 - 30 秒で消えるのに対し、ポロロッカによる波は 30 分以上持続する







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