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プ-チン氏の問題-1



2022.07.08-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20220816-36OILFAVPJP7RARR55P7UI3EOY/
プーチン氏、欧米に「ロシアを敗北させてみろ」

  ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領は7日、露下院の各党代表らとの会合で、ウクライナを支援する米欧諸国に対し「ロシアを敗北させられるなら試してもらおう」と述べ、強気の姿勢を崩さなかった。また、ウクライナのゼレンスキー政権を念頭に「停戦交渉を拒否するほど、私たちとの合意は困難になると理解すべきだ」とし、降伏を勧告した。

  ただ、一連の戦闘ではロシア軍にも相当な損害が出ているほか、露国内では制裁による生産力の低下や経済の縮小が進みつつある。プーチン氏に発言には、ウクライナを早期に降伏させて「勝利」し、状況を打開したいとの思惑がにじんでいる可能性もある。
  プーチン氏は、米欧は軍事支援によってウクライナ人が最後の一人になるまで戦うよう仕向けていると主張。「これは悲劇だが、全てがそこに向かっている。ロシアはまだ本気になっていない」とし、米欧が支援を続ける限り攻撃を強化すると警告した。
  また、「制裁は露経済に困難をもたらしたが、米欧側が望むような結果は出ていない」とし、米欧企業の露撤退は国内産業の発展を促したとも主張した。

  さらに「ロシアが戦争を始めたといわれるが、米欧が戦争を解き放ったのだ」と強調。侵攻の責任は、ロシアの影響力を弱めるためにウクライナの親欧米派勢力と結びついて反露政策を推し進めた米欧側にあるとする持論を繰り返した。


2022.05.28-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/6b0f591bcaaadcd422241bec4db322fb6d546799
プーチン露政権の「身内」から侵攻への批判続々 統制に綻びか

  ウクライナに侵攻したロシアで最近、エリート外交官やプーチン政権に近い軍事評論家、親政権派メディアから侵攻への批判が相次いでいる
  侵攻の長期化と露軍の損害拡大が背景にあるとみられ、欧米メディアなどからはプーチン政権の統制に綻(ほころ)びが出ている可能性も指摘される。ただ今後、侵攻に批判的な意見が露社会全体に広がり、プーチン体制を動揺させうるかはなお不透明だ。 在ジュネーブの国連の露代表部に勤務してきた露外交官、ボリス・ボンダレフ参事官は23日、侵攻に抗議するため辞職すると表明。

  交流サイト(SNS)上で「侵略戦争はウクライナ国民だけでなくロシア国民に対しても犯罪だ」とプーチン政権を痛烈に批判した。 これに対し、ペスコフ露大統領報道官は24日、ボンダレフ氏の見解について「少数意見に過ぎない」と切って捨ててみせた。
  しかし、公の場での侵攻批判は最近、ボンダレフ氏以外からもなされている。 5月16日、退役大佐の露著名軍事評論家、コダリョノク氏は国営テレビ番組で「露軍は苦戦しており、今後も状況は悪化する」「作戦はロシアを孤立させた」などと発言。
  親政権派オンライン新聞「レンタ・ルー」も今月9日、プーチン大統領を「哀れな独裁者」「血みどろの戦争を勃発させた」などと断罪する一連の批判記事を掲載した。

   コダリョノク氏は国営テレビでの発言を数日後に事実上、撤回。レンタ・ルーも「記事掲載はごく一部の編集者が無断で行った」とし、記事を削除したが、欧米メディアは一連の動きについて「露政権周辺で侵攻に否定的な声が強まっている」との見方を示した。
  強固な統治基盤を築いてきたプーチン政権にとり、周辺から侵攻への批判が出るのは異例の事態だ。ただ、批判が個人レベルの域を出て、社会的な反戦運動や反政権デモにつながるかは現時点では不透明だ

   露世論調査によると、プーチン氏の現在の支持率は約8割で、侵攻への支持率も7割超に上る。政権側の言論圧力や情報統制が行われている中での調査で、実態とかけ離れているとの指摘もあるが、一方で反戦デモなども起きていない。
  ただ今後、仮に経済状況の悪化や大規模な徴兵などで侵攻の不利益を多くの国民が実感した場合、反発がプーチン政権に向かい、政権の意思決定に影響を与える可能性も排除されない


2022.05.23-JIJI COM.-https://www.jiji.com/jc/v4?id=202204sensouhanzai-team0001
プーチン大統領は法廷に立つのか◆どう裁く戦争犯罪、国際刑事法の今【時事ドットコム取材班】
時事ドットコム編集部 太田宇律
(1)
  ロシアによる侵攻が続くウクライナ。首都キーウ近郊で民間人とみられる遺体が多数見つかるなどし、ロシア軍による「ジェノサイド(集団殺害)だ」と追及する声が高まっている。こうした戦地での非人道的行為はどのようにして裁かれるのだろうか。そもそもプーチン大統領の刑事責任を問うことは可能なのか。戦争犯罪の研究者で、日本の大学で初めて国際刑事法のゼミを開設したフィリップ・オステン慶応大教授に詳しく解説してもらった。(時事ドットコム編集部 太田宇律

―まず「戦争犯罪」の定義について教えてください
  国際法上、最も重大な犯罪として「戦争犯罪」「ジェノサイド犯罪」「人道に対する犯罪」「侵略犯罪」の四つがあります。マスメディアなどではこれらを総称して戦争犯罪と呼ぶことが多いようですが、厳密には「戦争犯罪」と他の三つの罪は区別されています。これらの犯罪は個々の被害者や被害国だけでなく、国際社会全体の共通の利益を侵害している点に特徴があります。さまざまな条約で禁じられていますし、もしそうした条約がなかったとしても、国際慣習法に基づいて処罰できる重大犯罪だと考えられています。
―四つの犯罪のうち「戦争犯罪」はどのような行為を指すのでしょう。
  戦争でしてはならないとされる「重大なルール違反」です。例えば、民間人や捕虜、負傷兵といった非戦闘員を殺害・拷問したり、虐待を加えたりする行為、財産の略奪、毒ガスや化学兵器など国際法で禁じられた武器の使用、病院や文化財の破壊などがこれに当たります
―「人道に対する犯罪」や「ジェノサイド犯罪」とはどう違うのでしょうか。
  ナチス・ドイツによる非人道的行為を処罰するために提唱されたのが「人道に対する犯罪」です。敵味方を問わず、自国民も含めた民間人に対する虐殺、奴隷化、追放といった行為がこれに当たります。「ジェノサイド犯罪」は「人道に対する犯罪」のうち、特定の国民や人種、宗教、民族などの集団それ自体を破壊してしまおうとする行為を別の重大犯罪として独立させたものです。殺害行為だけでなく、子どもが生まれないようにする行為なども含まれます。
―四つ目の「侵略犯罪」とは何でしょうか。
  かつて東京裁判では「平和に対する罪」と呼ばれていましたが、侵略戦争を引き起こす行為そのものを犯罪ととらえる考え方です。ほかの三つの犯罪とは異なり、この罪に問われるのは国家の指導者級の人物だけです。
―ウクライナ侵攻では、どのような行為が「四つの犯罪」に当たると考えられますか。
  民間人の殺害や虐待、拷問、性的暴行や略奪といった行為はいずれもジュネーブ諸条約などで禁じられており、「戦争犯罪」に当たるでしょう。南東部マリウポリの産科・小児科病院や劇場に対する攻撃も同様です。こうした行為が複数の地域で確認されれば、ある一定の計画や政策に基づいて広範囲かつ反復して行われていた疑いが強まり、「人道に対する犯罪」に当たる可能性も出てきます。
  また、ロシア軍がウクライナ市民を強制的に移住させているとの報道もあり、こうした行為は「戦争犯罪」と同時に「人道に対する犯罪」に当たる可能性があります。
  さらに、そもそもウクライナ侵攻自体を国際法上違法な侵略戦争を始めたととらえることができ、指導者であるプーチン氏に「侵略犯罪」が成立すると考えられます。
―各国首脳から民間人殺害を「ジェノサイド」と非難する声が相次いでいます。
  バイデン米大統領はロシアの作戦について、「ウクライナ人でいることを不可能にしようとする試み」と表現したそうですね。もしロシア側にウクライナ人の民族としての存在自体を破壊しようという計画があって、それがこの戦争の目的の一つだったとすれば、「ジェノサイド犯罪」が成立し得る余地があるでしょう。ただ、この犯罪の要件である「特定集団の全部または一部を破壊する意図」があったことを証明するのは、かなり難しい。「ジェノサイド犯罪」で有罪となったケースは、ルワンダや旧ユーゴスラビアで起きた虐殺など、非常に少ないのです。
―誰がこうした罪の「容疑者」に当たるのでしょうか。
  まずはその行為を行った実行犯、直接命令・指揮した人物は「正犯」や「共犯」と考えられます。例えば民間人を殺害した末端の兵士、虐殺の命令を出した指揮官らがこれに当たるでしょう。全体の作戦を考案した参謀級の人物、さらに上の国家元首といった自ら手を下していない人物も「間接正犯」として処罰の対象になり得ます。日本で言えば、末端の暴力団組員の犯罪についてトップの刑事責任を問うケースに似ていますね。
  ほかにも「上官責任」といって、部下によるジェノサイドなどを防止しなかったり、処罰しなかったりした上官を訴追できる仕組みがあります。
―こうした犯罪は誰がどうやって捜査し、処罰するのですか。
  大きく分けて二つの方法があります。一つは、オランダのハーグにある国際刑事裁判所(ICC)をはじめとした国際刑事法廷が裁判を行う方法。もう一つは、各国の捜査機関や裁判所が自国の法律に基づいて裁く方法です。
  よく誤解されるのですが、ICCは、強力な権限や独自の警察部隊を持った世界の「スーパー裁判所」のような存在ではありません。証拠収集や容疑者の身柄確保といった捜査はICC設立条約の締約国の協力に頼るしかないのです。訴追・処罰はあくまで締約国が主役で、それが難しい場合にICCが管轄権を行使できるという構造になっています。
―締約国である日本の捜査機関や裁判所も捜査や裁判を受け持つことができる。
  その通りです。日本の法律では通常、外国で外国人が外国人に対して行った犯罪を裁くことがほとんどできませんが、日本が加入しているジュネーブ諸条約などにより、「戦争犯罪」に該当する一部の行為については国内刑法を適用することができます。ウクライナで証拠を収集し、実行犯の身柄を確保して日本で刑事裁判を始める。非常に高いハードルがありますが、理論上は可能なのです。ただ、日本は「戦争犯罪」を国内法で規定していませんので、通常の殺人罪や傷害罪を適用して起訴するしかありません。戦争犯罪以外の三つの犯罪については、日本人が被害者でない限り、日本の刑法を適用することはできません。
  ウクライナ侵攻をめぐっては、国内法に「戦争犯罪」や「ジェノサイド犯罪」などの規定があるドイツ、フランスカナダといった国の捜査当局が先行して情報収集を始めています。ICCの後方支援という意味でも、必要に応じてICCの代わりに裁判を行えるよう備えておくという意味でも、非常に有意義な取り組みと言えます。
(2)
―有罪になると、どのような刑罰が科されるのでしょう。
  各国が国内法に基づいて処罰する場合は、通常の刑事裁判と同様、それぞれの法定刑が適用されることになります。一方、ICCには「何年以上何年以下の懲役」といった細かい規定はなく、最長30年以下の拘禁刑、特に理由があれば終身刑とだけ定められています。死刑はありません
―プーチン氏はどのような罪に問われる可能性がありますか。
  指揮命令系統をどこまで解明できるかにもよりますが、違法な侵略戦争を始めた「侵略犯罪」、そしてロシア兵による「戦争犯罪」などについての間接正犯や上官責任で訴追されることが考えられます。なお、ウクライナへの「侵略犯罪」についてICCが管轄権を行使するには、国連安全保障理事会がICCに捜査を付託する必要がありますが、ロシアが拒否権を持つ常任理事国であることから、現状での訴追はほぼ不可能です。
  ただ、「戦争犯罪」にしても、国際法には、現職の国家元首や外務大臣など、一定の公的地位を持った人に他国は刑罰権を行使できないという「免除」の取り決めがあります。これは各国の主権や外交手段を保護する上でどうしても欠かせないルールで、たとえウクライナ当局であってもプーチン氏を在任中に訴追するのは事実上困難と言わざるを得ないのです。
―そうした免除が認められてしまったら「戦争犯罪」や「ジェノサイド」について国家元首を追及することはほとんど不可能になってしまいます。
  確かに、免除を広く認めてしまうと、「国際法上最も重大な犯罪を処罰する」という国際刑事法の理念が正面から否定されてしまうことになります。そこでICCは「公的地位による免除は認めないという立場を取っており、身柄さえ確保できれば国家元首であっても訴追することができるとしています。
―国家元首をどうやって逮捕するのかという問題もありそうです。
  その通りです。プーチン氏がICC締約国を訪問すれば、ICCが逮捕状を出して身柄を引き渡してもらうことができます。しかし、ロシア国内にとどまっている場合、他国の当局が逮捕するのはほぼ不可能です。そこで、国際社会による経済制裁や外交上の圧力などを駆使し、国内にも逃げ場をなくすことが非常に大事になってきます
  将来、ロシアで政権交代やクーデターなどが起これば、経済制裁の解除と引き換えに「プーチン元大統領」の身柄引き渡しを受けることができるかもしれません。実際、旧ユーゴスラビア紛争では、長年にわたる国際社会からの圧力などを背景に、元セルビア人武装勢力の指導者が国際刑事法廷に引き渡されています。
―ウクライナ侵攻での非人道的行為を処罰できなければ、今後も戦争が起きるたびに同様の惨劇が繰り返されてしまうのではないでしょうか。
  これまでの長い歴史を振り返ると、「戦争犯罪」は不処罰のまま放置されたケースの方が圧倒的に多かったと言えます。20世紀になってようやく国際刑事法が発展し、「不処罰の文化」は一定程度終わりを迎えました。ただ、裁判官が十数人しかいないICCで、全ての犯罪を裁くのは到底不可能です。そのため、ICCに全て任せるのではなく、各国が主役になって自ら訴追、処罰することが非常に大切になってきます。
―日本は国際社会の一員として何をすべきなのでしょうか。
  日本によるICCへの検察官派遣は非常に歓迎すべきことです。さらに今後、日本の警察組織などの優れた捜査技術を駆使して現場の証拠保全に協力すれば、大いに歓迎されるでしょう。被害国ではないからといって、傍観者のままでいては、惨劇は今後も繰り返されることになってしまいます。
  もっとも、日本では「戦争犯罪」に関する国内法が十分に整備されていないため、現状ではICCの後方支援が限界です。より積極的に役割を果たすには、それを支える法制度の整備が喫緊の課題と言えるかもしれません。国民の理解も得やすいでしょう。
―今回、国連やICC、国際法といった枠組みでは、ウクライナ侵攻や「戦争犯罪」を未然に防ぐことはできませんでした。
  国際的な法秩序が十分機能せず、抑止効果を発揮できなかったのではないか、との指摘はその通りだと思います。ただ、大多数の国家は今回の侵攻を否定的にとらえ、「一部の行為は『戦争犯罪』に当たる」というのが、ほぼ共通認識となっています。これは国際法上の規範が確かに存在し、ロシアによってそれが侵害されたという各国共通の法意識の表れなのではないでしょうか。
  「戦争犯罪」や「侵略犯罪」に時効はありません。こうした罪を犯せば、国際刑事法に基づいて確実に訴追され、処罰される。国際社会が団結してそうしたメッセージを発信し続けることが、第二、第三のウクライナを生まないために非常に重要なことなのです。

フィリップ・オステン(Philipp Osten) 慶応大法学部教授(国際刑事法) 1973年生まれ、ドイツ・ボン出身。父が外交官で、中学時代から多くの時期を日本で過ごす。ベルリン・フンボルト大法学部卒、慶応大大学院法学研究科博士課程修了。法学博士(フンボルト大)。2003年慶応大法学部専任講師。04年、日本の大学で初めて国際刑事法を扱うゼミを開設し、12年から現職。国際刑事裁判所や東京裁判などに関する著作多数。(2022年4月23日掲載


2022.05.18-Yahoo!Japanニュース(PRESIDET Online)-https://news.yahoo.co.jp/articles/5d0b008f296ad766010f5bdf948123606026cfb2
兵力不足なのに北方領土で軍事演習…ウクライナ戦争で苦しむプーチンがやせ我慢を続けるしかない理由
-ジャーナリスト 池上 彰、ジャーナリスト 増田 ユリヤ 構成=石井謙一郎

(1)
  ロシアとウクライナの戦争はいつ終わるのか。ジャーナリストの池上彰さんは「年内の終結どころか、数年単位で考えなければ終わらないように思える。これにはプーチン大統領の見通しの甘さなど3つの理由がある」という。ジャーナリストの増田ユリヤさんが聞く――。(連載第2回)

■戦闘がやんでも、ロシア軍は占領地域に駐留し続けるほかない
  【池上】5月9日の対独ソ戦勝利記念日、ロシアのプーチン大統領はウクライナに対する「特別軍事作戦」の継続を明言しました。
  この戦争は、さらに長引くことが確実になったわけです。
   実際にロシアは、ウクライナ東部のドンバス地方のうちルハンスク州はほぼ手にしましたが、ドネツク州は半分ほどしか占領できていません。マリウポリについても勝利宣言はしたものの、ウクライナは認めていませんから、これからも攻防が続きます。ドンバス地方では過去8年間、親ロ派分離独立武装勢力とウクライナ軍の戦闘が続いてきました。それと同じことが、ウクライナ各地に広がって続くことになるでしょう。

   この戦争は年内の終結どころか、数年単位で考えなければ終わらないように思えます。その先を考えると、ドンバス地方とマリウポリを含む黒海沿岸のすべてを占領すれば、ロシアは軍隊を引き揚げるでしょうか。そんなはずはありません。撤退すれば即座に、ウクライナ軍に取り返されてしまうからです。
   つまり戦闘がやんだとしても、ロシア軍はこの先もずっと占領地域に駐留し続けるほかないのです。何万人もの軍隊にかかる軍事費たるや、膨大な金額になることは間違いありません
   ただしプーチン大統領は、ウクライナの首都キーウの占領は諦めたようです。キーウや西部のリビウへ散発的にミサイル攻撃を行っているのは、これらの場所を守るウクライナ軍がドンバス地方の増援に回るのを牽制するためです。
   仮にウクライナが、ドネツクとルハンスクの両「人民共和国」を独立国家として承認すれば、戦争は終わるでしょう。しかし、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領が承認するはずはありません。自国の国土を守れなければ、その瞬間に失脚してしまうからです。
(2)
■兵力不足も深刻…ロシア軍がこんなにも苦戦する3つの理由
  【増田】ロシア軍がこれほど苦戦して、今後も戦争が長引いてしまう理由は、何でしょうか。
  【池上】いくつか要素があります。1つ目は、アメリカが開戦前に機密情報を公開したのが役立ったこと。ロシア軍の侵攻を警告したのに対して、プーチン大統領は軍事演習だと反論しました。そう語ってしまった以上、緻密な侵攻計画を現場に徹底させることができなくなりました。ウクライナで捕虜になった若いロシア兵が、「ベラルーシで軍事演習をすると言われたら、ウクライナへ連れて来られた」とぼやいていたのは、そのせいです。
   2つ目は、プーチン大統領の見通しの甘さです。戦前の情勢分析では、ウクライナへ攻め込めば、電撃作戦でキーウを占領でき、ゼレンスキー大統領はあっという間に降伏するだろうと考えていたんです。そのため補給がおろそかになり、食料も水も燃料も数日で切れてしまいました。
   特に、キーウの北部にあるホストメリ空港を空挺(くうてい)部隊で制圧して、そのままキーウを襲撃する予定だったのが、ヘリコプターから降り立った空挺部隊はその日のうちにウクライナの守備隊に撃破されてしまいました
   プーチン大統領は4月上旬になって、アレクサンドル・ドボルニコフ南部軍管区司令官(60)を、ウクライナの全戦域を統括する司令官に任命しました。シリア内戦で作戦指揮を執ったこの人は、空爆によって多くの民間人に犠牲を出したと言われます。
   2月24日の侵攻開始からこの時点まで、全体を指揮する総司令官を置かなかったのも、それぞれの部隊に勝手にやらせておけば数日で終わると見込んでいたことの表れです。しかし総司令官が不在では、各部隊間の調整は取れません。
   プーチン大統領としては、北京オリンピック開会中に侵攻を始めれば習近平主席の顔に泥を塗るので、閉幕の2月20日を待ち、パラリンピックが開幕する3月4日までに終える心づもりでいたんでしょう。2月末ならウクライナはまだ路面が凍結していますから、戦車や装甲車を動かしやすい。ところが3月に入ると氷が溶けて地面がぬかるみ、進軍の妨げになります。短期決戦のもくろみは、すべて裏目に出たんです。
   3つ目に、兵力不足が挙げられます。ロシア陸軍の実働部隊は25万人しかいませんが、19万人をウクライナへ投入しています。4月下旬にイギリス国防省が発表したように1万5000人が戦死したとすれば、負傷者は3倍いるはずです。戦力としては、4万人から6万人をすでに失っているわけです。いまモスクワの地下鉄には、兵士を募集する広告が出ているそうです。経験や専門知識がなくてもできる軍務なら、砲弾を運んだりする後方支援でしょう。
   対するウクライナ軍は、実働20万人。予備役を含めれば90万人です。2014年にクリミア半島を一方的に併合された当時ウクライナ軍は5万人しかいませんでした。その現実に危機感を抱き、NATOの指導を受けながら増強に努めてきたんです。
(3)
■「自衛隊が攻めてくるかもしれない」とロシアは真剣に恐れている
  【増田】ロシア軍は兵力不足と言われながら、北方領土を含む地域で3月末から軍事演習を繰り返しています。
  【池上】3月25日には3000人が参加したという発表は、この地域には3000人の兵士しか駐留していないことを意味するのかもしれません。だから「いまこそ、北方領土を取り戻すのに絶好のチャンスだ」というブラックジョークがあります。自衛隊の精鋭を1万人送り込めば、あっという間に制圧できるでしょう。
   もちろん現実的ではありませんが、自衛隊は日本の国土を守る必要最小限の実力組織です。加えて北方領土は、わが国固有の領土です。わが国固有の領土を守る必要最小限の実力行使をするという理屈が、成り立たないわけではありません。もちろんそんなことはしませんが、ロシアとしてはそれを真剣に恐れているので、示威のために軍事演習を行っていると考えられます。
■フィンラドだけじゃない!立ち上がり始めた国々
   【増田】5月15日、ロシアの隣国フィンランドは、NATO(北大西洋条約機構)に加盟申請を行うと正式に決めました。翌日、スウェーデンも加盟申請すると正式に表明しました。
   【池上】フィンランドの戦時兵力は約28万人で、予備役も含めると90万人になります。今のロシアにはフィンランドやスウェーデンを脅すだけの兵力はなく、加盟を阻止するのは難しいでしょう。NATO拡大を阻止するためにウクライナに侵攻したのに、裏目に出てしまいました

  これを見て、ロシアの隣国ジョージアは南オセチアへ攻め込みたい誘惑に駆られているはずです。ジョージアにも、親ロ派が2008年に一方的な独立を宣言した地域があるからです。「南オセチア共和国」と「アブハジア共和国」です。国際的には承認されていませんから、ドネツク、ルハンスクの両人民共和国と同様の存在です。
   南オセチアに駐留していたロシア軍が急きょウクライナ戦線へ投入されているので、取り戻す好機となります。しかし軍事的には取り戻せても、住民には親ロシアの人たちが多いので、その先は見通せません。
   もうひとつ注目しているのは、ウクライナの西に位置するモルドバ共和国です。ここにもまた、ロシア系の住民が1990年に独立を宣言した「沿ドニエストル共和国」があります。やはりロシア軍が駐留していますが、活発な動きがあるという程度の情報しか入って来ませんから、ウクライナへ投入されている可能性があります。

   【増田】モルドバは、ウクライナと同じく旧ソ連から独立した国で、2020年に女性のマイア・サンドゥ大統領が誕生しました。
   【池上】前大統領は親ロ派でしたが、サンドゥ大統領は親欧米で、ロシアに依存する経済からの脱却を目指しています。今年3月には、EUへの加盟も申請しました。この動きは、プーチン大統領にとって認めがたいものです。できれば、モルドバへ取材に行きたいと思っているんです。

----------池上 彰(いけがみ・あきら) ジャーナリスト 1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。
  2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』など著書多数。
--------- 増田 ユリヤ(ますだ・ゆりや) ジャーナリスト 神奈川県生まれ。國學院大學卒業。27年にわたり、高校で世界史・日本史・現代社会を教えながら、NHKラジオ・テレビのリポーターを務めた。日本テレビ「世界一受けたい授業」に歴史や地理の先生として出演のほか、現在コメンテーターとしてテレビ朝日系列「大下容子ワイド!スクランブル」などで活躍。日本と世界のさまざまな問題の現場を幅広く取材・執筆している。著書に『新しい「教育格差」』(講談社現代新書)、『教育立国フィンランド流 教師の育て方』(岩波書店)、『揺れる移民大国フランス』(ポプラ新書)など。
---------ジャーナリスト 池上 彰、ジャーナリスト 増田 ユリヤ 構成=石井謙一郎


2022.05.09-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220509/k10013616831000.html
プーチン大統領 演説【詳細】「戦勝記念日」式典

  ロシアでは9日、第2次世界大戦で旧ソビエトがナチス・ドイツに勝利した戦勝記念日を迎えました。
  ロシアのプーチン大統領は戦勝記念日の式典の演説で「ロシアにとって受け入れられない脅威が国境付近にある」と述べ、ウクライナへの軍事侵攻を改めて正当化しました。

演説内容の詳細です
プーチン大統領「さまざまな提案 むだだった」
  ロシアのプーチン大統領は日本時間の午後4時から戦勝記念日の式典で演説を行い、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻について「去年12月、われわれは安全保障に関するさまざまな提案を行ったが、すべてむだだった」と述べました。そのうえで「ドンバスでの作戦が行われ、キエフでは核兵器使用の可能性も口にされた。ロシアにとって受け入れられない脅威が国境付近にある」と述べ、軍事侵攻を正当化しました。
  また「ドンバスの民兵、ロシア軍の兵士に呼びかける。祖国の未来のために戦っているのだ。ナチス・ドイツが復活しないよう、皆さん力を尽くしている。亡くなったすべての皆さんに頭をたれる」と述べました。
「ウクライナではNATO加盟国から最新兵器が提供された」
  プーチン大統領は「ウクライナでは外国の軍事アドバイザーが活動を始め、NATOの加盟国から最新兵器が提供された。唯一、避けられない、正しい決定だった」として、ウクライナへの軍事侵攻を正当化しました。
“欧米の脅威背景に軍事侵攻”と正当化
  「アメリカとその仲間が賭けた、ネオナチとの衝突は避けられないことをあらゆることが示唆していた。軍事インフラが配備され、何百人もの外国人顧問が働き始め、NATO諸国から最新鋭の兵器が定期的に届けられる様子を目の当たりにしていた。危険は日に日に増していた」と述べ、プーチン大統領は、ウクライナを軍事支援する欧米の脅威を背景に軍事侵攻に踏み切ったと正当化しました。
  そして「ロシアは侵略に対して先制的な対応をした。タイムリーで、正しい判断だった。強く、自立した国の決定だ」としたうえで「アメリカは、特にソビエトが崩壊したあと、自分たちは特別だと語り始め、ほかの国々にも屈辱を与えた」と述べソビエトの崩壊後、唯一の勝者だとふるまってきたとアメリカを批判しました。
「敵が内部から弱体化させようとしたが、うまくいかなかった」
  プーチン大統領は「ロシアの敵が国際テロ組織を利用して、民族や宗教どうしの敵意を植え付けて、われわれを内部から弱体化させ分裂させようとしたと記憶しているが、うまくいかなかった。きょう、われわれの兵士は、異なる民族どうしが、兄弟のように互いに銃弾や破片から身を守りながら戦っている。そしてそれこそがロシアの力であり、団結した多民族の国民の偉大で不滅の力なのだ」と述べました。また「クリミアを含むわれわれの歴史的な土地に侵攻する準備が公然と進められていた」と主張し、NATO側からの脅威を防ぐためだったとしてウクライナへの軍事侵攻を正当化しました。
戦争状態」の宣言 言及せず
  一方、プーチン大統領は、一部で指摘されていたウクライナでの戦闘による具体的な成果や、「戦争状態」の宣言については言及しませんでした。

  ロシアの首都モスクワでは日本時間の午後4時に中心部の赤の広場で式典が始まりました。これに先立ってロシア大統領府は8日、プーチン大統領からウクライナの市民や退役軍人に向けたとするメッセージを発表しました。
  このなかでプーチン大統領は「私たちの共通のすばらしい休日である勝利の日を心から祝福する」とする一方で「残念ながら、いま再びナチズムが頭をもたげ、野蛮で非人道的な統治を行おうとしている。私たちの神聖な義務は、『大祖国戦争』の敗北者の思想を受け継いだ者たちによる復しゅうを阻止することだ」と述べ、軍事侵攻の目的がウクライナのネオナチ集団との戦いだと主張しています。
“戦闘機などの上空飛行は中止”
  ロシア国営の通信社は、ロシア大統領府のペスコフ報道官が、モスクワの赤の広場で行われる軍事パレードのうち戦闘機などによる上空の飛行については天候のため中止されると明らかにしました。
首都モスクワでの軍事パレード 日本時間の午後4時から開始予定
  ロシアはウクライナへの軍事侵攻を続ける中、9日、第2次世界大戦で旧ソビエトがナチス・ドイツに勝利してから77年となる戦勝記念日を迎え、極東地域から順次、記念式典や軍事パレードが行われています。
極東サハリン州では
  極東サハリン州の中心都市ユジノサハリンスクでは日本時間の午前8時から中心部にある広場で陸軍の兵士など800人以上が参加して軍事パレードが行われ、弱い雨が降る中、多くの市民が集まりました。
  ことしは最新鋭の地対空ミサイルシステム「S400」のほか、サハリン州が事実上管轄する北方領土の択捉島にもロシア軍が2016年から配備している地対艦ミサイルシステム「バスチオン」が初めて披露されました。
  またウラジオストクで行われた軍事パレードではウクライナへの軍事侵攻を支持するシンボルとなっている「Z」のマークの旗を振る市民の姿もみられました。


2022.04.30-東京新聞-
「欧米は悪」というプーチン氏 娘2人や恋人は欧米で優雅な生活 資産隠し利用か? 外相ら高官数十人も

  ロシアのプーチン大統領(69)と政府高官が、恋人や子女を欧米諸国に住まわせたり、留学させたりしている実態が、ウクライナ侵攻後を受けた対ロ制裁強化で明るみに出ている欧米をロシアの存立を脅かす敵と宣伝するプーチン政権だが、高官らは欧州諸国を資産隠しに利用してきた疑いが持たれており、ロシアの民主派野党指導者ナバリヌイ氏は「彼らの欧米敵視は偽りの愛国主義だ」と批判している。

  日米欧は4月上旬、プーチン氏の娘2人の資産を凍結した。長女マリヤ・ボロンツォワ氏(37)はオランダ生活、次女カテリーナ・チホノワ氏(35)は大学で日本語を学習した経験がある。プーチン氏が外国に保有する資産を2人やその夫名義にして隠しているとみられ、日米欧は家族を通じたプーチン氏の制裁逃れを許さない構えを示した。
  一方、米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は24日、米政府がプーチン氏の恋人とされる元新体操選手アリーナ・カバエワ氏(38)の経済制裁を準備しながら、発表直前に見送ったと報じた。カバエワ氏はプーチン氏との間に設けた子どもたちとスイスで暮らしているとされる。
  プーチン氏は前妻との離婚後、私生活が明かされるのを極度に嫌っており、WSJによると米政府はカバエワ氏を制裁対象にした場合のプーチン氏の強い反発を懸念したという。
  ロシアメディア「新イズベスチヤ」によると、ラブロフ外相の娘は米名門コロンビア大を卒業、ロンドンで修士号を取得。同様に子女を欧米に留学させたり、国籍を取らせたりした政府高官や下院議長の経験者らは数十人に上るという。

  ウクライナメディア「TSN」によると、ペスコフ大統領報道官も娘がパリで少女時代や大学時代を過ごす一方、30代とされる息子は無職にもかかわらず英国に複数のアパートを所有している。TSNは、ロシアの高官が汚職で得た資金を欧州の家族に振り向けている可能性があり、政権の他の高官の家族も追加制裁の対象になる可能性があると伝えている。


2022.04.26-NEWS WEEK(Visegrad 24)-https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/04/post-98578.php
プーチン病気説の決定打?どう見ても怪しい-(翻訳:ガリレオ)
(1)
<病気の疑いは以前からあったが、これほどはっきり普通でない動きは初めてかもしれない。プーチンは大丈夫なんじゃなかったのか?>
  ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が病気にかかっている、あるいは何らかの慢性疾患を抱えているとの噂が飛び交う中、ホワイトハウスは4月25日、同大統領の健康状態に関して臆測することを拒絶した。
  この日の会見で、プーチン大統領の健康問題について質問を受けたホワイトハウスのジェン・サキ報道官は、「お話しできるような判断はなく、特にコメントもない」と返答した。

尋常ではない
  最近また、プーチンの尋常でない様子を捉えた複数の動画が出回っていることから、同大統領の健康状態に関する疑問が再燃している。ロシアがウクライナに軍事侵攻しているときだけに、これは特に重要な問題だ。
  動画の1つは、ツイッターユーザーの「Visegrad 24」が投稿したもので、100万回以上再生された。ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領との会見に臨む直前のプーチンだ。
  動画の中で、プーチンは当初、1人で立っている。片方の手を挙げるが、その手は震えて見え、その震えは、手を自身の胸に押しつけるまで止まらなかった。その後プーチンは、ぎこちない足取りでルカシェンコの方へ向かい、抱擁を交わした。

  Visegrad 24はコメントで、プーチンの手の震えや、硬直したような足の動きに触れ、プーチンの健康状態を判断してくれる医師はいないか呼びかけている。またプーチンがパーキンソン病を患っている可能性にも言及している。
  メイヨー・クリニックの解説によると、パーキンソン病は進行性の神経系疾患で、人の体の動きに影響を与えることがある。
  「症状は徐々に進行する。片方の手が、よく目をこらさないとわからないほど細かく震えるといった症状が、最初に起きることもある。震えはよくある症状だが、体がこわばったり、動きが緩慢になるといった症状もよくみられる」と、メイヨー・クリニックの公式ウェブサイトにはある。
  また同説明では、パーキンソン病にかかると、初期の段階では顔の表情がほとんど、あるいはまったくなくなることがあり、その結果、声が小さくなったり、発話が不明瞭になったりするという。「パーキンソン病の症状は、時間の経過と共に進行する」と、メイヨー・クリニックは説明している。
(2)
  最近ネットに広まったもうひとつの動画は、ウクライナの港町マリウポリにおけるロシア軍の戦闘に関して、ロシアのセルゲイ・ショイグ国防相からプーチンが報告を受ける際に撮影されたものだ。英フィナンシャル・タイムズ(FT)紙のマックス・セドン記者がツイッターに投稿した。
  プーチンはテーブルを挟み、ショイグと対面して座っているが、話をする間、右手はテーブルをつかみ、片方の足を何度も床に打ちつけている。一部のユーザーからは、プーチンが椅子の背もたれに寄りかかり、前に滑り落ちそうになっているとの指摘もあった。
  CNNに寄稿するコラムニスト、フリーダ・ギティスはこの動画に、以下のようなコメントをした。「プーチンは、椅子に身を沈め、テーブルをつかんでいる。大統領に問題はないという話だったはずだが? 本当に健康なのだろうか?

  プーチンは現在69歳で、足かけ20年近くにわたってロシアの大統領を務めてきた。1999年に、当時のロシア大統領だったボリス・エリツィンの辞任を受けて大統領代行に就任。さらに翌2000年、NPRの報道によれば、選挙を経て正式に大統領に就任した。
  プーチンの健康状態に疑問の声が上がったのは、これが初めてではない。
  2020年にも、英国のタブロイド紙ザ・サンが、ロシア政界に詳しい筋の発言を引用する形で、プーチンが勇退を検討しているとの記事を掲載した。当時ロシア政府はこの記事の内容を否定し、プーチンは「非常に良好な健康状態にある」と本誌に答えていた。
(翻訳:ガリレオ)


2022.03.09-スポニチ-https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/03/09/kiji/20220309s00041000445000c.html
プーチンは今どこ? ロシア政治専門家が推測「地下都市にいるのでは」「全長500キロにも及ぶ地下道」

  ロシア政治を専門とする筑波大・中村逸郎教授が9日、TBS系情報番組「ゴゴスマ~GOGO!Smile!~」(月~金曜後1・55)に出演。ロシアのプーチン大統領の居場所について「地下都市のような施設」にいるのではと推測した。

  プーチン大統領は暗殺とクーデターを恐れており「身の危険を感じ、もうモスクワにはいないのでは?モスクワ郊外の大統領公邸にもいないはず。山の斜面に穴を掘って作った地下都市のような施設にいるのでは」と中村氏は分析した。
  「プーチン大統領はみんなが知ってるような場所にいないんじゃないかとロシア国内で話題になってます。その一つとして浮上してるのは、ウラル山脈の南の方にある地下都市に逃げ込んでるんじゃないかと。これはソ連時代に作られた地下壕のようなとこで、プーチン政権が発足してからかなり改良されてて、おそらくここに逃げ込んで、どんなミサイル攻撃からも耐えられるような地下都市に変えている」と説明。
  「いろんなところからここに逃げ込むトンネルが作られているという話も出てます。全長500キロにも及ぶ地下道が作られてて、この地下都市に色々な方向から逃げ込むことができるという話も出てきてます」と話した。


ウラジーミル・プーチン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン英語: Vladimir Vladimirovich Putin1952年10月7日 - )は、ロシア政治家、元KGB諜報員。ロシア連邦第2・4代大統領(2000年 - 2008年、2012年 - 現在)である。また、1999年から2000年まで、2008年から2012年まで首相を務めた。欧州ではベラルーシアレクサンドル・ルカシェンコに次いで2番目に長く現職の大統領を務めている。

  プーチンはレニングラード(現サンクトペテルブルク)に生まれ、レニングラード国立大学で法律を学び、1975年に卒業した。KGBの対外情報部員として16年間勤務し、中佐まで昇進したが、1991年に辞職し、サンクトペテルブルクで政治活動を開始した。その後、1996年にモスクワに移り、エリツィン大統領の政権に参加した。
  連邦保安庁長官、連邦安全保障会議事務局長を経て、1999年8月に首相に就任した。エリツィン辞任後、プーチンは大統領代行に就任し、4カ月足らずで大統領に初当選、2004年に再選を果たした。その後、憲法上、連続2期の大統領就任が制限されていたため、2008年から2012年までドミトリー・メドベージェフの下で再び首相を務め、2012年の大統領選挙では不正疑惑と抗議行動により大統領に復帰し、2018年に再選された。
  2021年4月、国民投票を経て、あと2回再選に立候補できるようにすることを含む憲法改正案に署名し、大統領の任期を2036年まで延長する可能性がある。
  最初の大統領在任中、ロシア経済は8年連続で成長し、購買力平価で測定したGDPは72%増加、実質所得は2.5倍、実質賃金は3倍以上、失業と貧困は半減以上、ロシア人が自己評価する生活満足度は大幅に上昇した。
   ロシアの輸出の大部分を占める原油価格・ガス価格が5倍になったこと、共産主義後の恐慌金融危機からの回復、海外投資の増加、慎重な経済・財政政策の結果である。 また、プーチンは第二次チェチェン戦争でロシアを勝利に導いた。メドベージェフ政権下で首相を務め、大規模な軍事改革や警察改革、南オセチア紛争でのロシアの勝利を指揮した。3期目の大統領時代には、2014年初頭のウクライナへの軍事介入クリミア併合に伴う国際制裁と相まって原油価格が下落し、2015年のGDPは3.7%縮小したが、2016年には0.3%のGDP成長率と回復した。
  その他、プーチン政権下では、パイプラインの建設、衛星測位システムGLONASSの復旧、2014年ソチ冬季オリンピック2018年FIFAワールドカップなどの国際イベントのためのインフラ整備などが進められた。2022年2月、プーチンはウクライナへの全面的な侵略を命じ、国際的な非難と制裁の拡大をもたらし、ロシアに金融危機を引き起こし、世界的な孤立を強めた。
  プーチンの指導の下、ロシアは権威主義にシフトしている。専門家は、政敵の投獄と弾圧、自由な報道機関の脅迫と弾圧、自由で公正な選挙の欠如を挙げ、一般的にロシアを民主主義とはみなさない。ロシアでは、トランスペアレンシー・インターナショルの腐敗認識、エコノミスト・インテリジェンス・ユニット民主主義指数およびフリーダム・ハウスの世界の自由度指数のスコアが低い。
来歴
生立ち
  1952年10月7日、ソビエト連邦の一部であるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)にて父ウラジーミル・スピリドノヴィチ・プーチン(1911年2月 - 1999年8月)と母マリア・イワーノヴナ・シェロモーワ(1911年10月 - 1998年7月)との間に誕生する。
  両親が41歳の時に第三子として生まれた。2人の兄はいずれもプーチンが生まれる前の1930年代に死亡(1人目は幼くして、2人目はレニングラード包囲戦の間にジフテリアで死亡)していたため、プーチンは一人っ子として育つ。
  父は活動に熱心な共産党員無神論者で、母は工場などで働く信仰心が深いロシア正教徒だった。父はソビエト連邦海軍に徴兵され、1930年代には潜水艦隊に配属となり、第二次世界大戦では内務人民委員部(NKVD)の破壊工作部隊に所属し、独ソ戦(大祖国戦争)で傷痍軍人となった。戦後は機械技師としてレニングラードの鉄道車両工場で働いた。プーチンの父方の祖父であるスピリドン・イワノヴィチ・プーチン1879年12月 – 1965年3月)はプロの料理人であり、ヨシフ・スターリンダーチャ(別荘)の1つにて給仕しており、それ以前はウラジーミル・レーニンに仕えていた。
 プーチンは自伝で少年時代を振り返り、家庭環境はあまり裕福で無く、少年時代はレニングラードの共同アパートで過ごしたと語っている。1960年9月1日に共同アパートと同じ通りにある第193小学校に通い始める。小学生だったプーチンにドイツ語を教えていた教師によると、プーチンは母親似であるが、頑固で勤勉な性格は父親から受け継いでいたという。
  また、記憶力は抜群で頭の回転も速かったが、問題児で悪ふざけを繰り返していたと証言している。プーチン自身も後に幼少時代は相当な悪童であったと告白している。しかし6年生になると変化し、成績も上がり、ピオネール入団も許可された。この頃にはサンボと柔道も始めている。小学校卒業後、プーチンは化学の中等専門学校に入学した。
KGB時代
  やがてプーチンは小説や映画で、特にフランスが製作したリヒャルト・ゾルゲの映画を見てからスパイに憧れを抱いたとされる。ソ連国家保安委員会(KGB)への就職を考え、14歳の9年生(日本の中学3年生に相当する)の時に彼はKGB支部を訪問し、応対した職員にどうすればKGBに就職できるのか質問した。職員は少年の質問にきわめて真率に対応し、KGBは自ら志願してきた者を絶対に採用しないため、今後は自分からKGBにコンタクトしてはならないこと、大学の専攻は法学部が有利であること、言動や思想的な問題点があってはならないこと、スポーツの実績は対象者の選考で有利に働くことなどの現実的な助言を与えた。プーチン少年は以後そのアドバイスを忠実に守り、柔道に打ち込み、レニングラード大学では法学部を選択し、在学中も自分からはKGBに接触しなかった。そして大学4年次にKGBからのリクルートを受け、プーチンは1975年に同大学を卒業後、KGBへ就職する。KGB職員であるためにはソビエト連邦共産党への入党が条件だったため、プーチンは共産党員になっている。
  KGBでは最初にレニングラード支部事務局、その後訓練を経て対諜報活動局に配属される。さらなる研修を受けた後、第1総局(対外諜報部)レニングラード支部に勤務する。そして外国で諜報活動を行うためにKGB赤旗大学で学び、1985年東ドイツドレスデンへと派遣される。東ドイツには1990年まで滞在し、NATOをはじめとした政治関係の情報を集める諜報活動に従事したとプーチン自身は語っている。その際にはKGBと協力関係にあった東ドイツの情報機関秘密警察である国家保安省(シュタージ)職員の身分証明書も持っていたことが2018年に明らかになっている。 しかし東西ドイツ統一によりレニングラードに戻り、母校のレニングラード大学に学長補佐官として勤務した。この頃に大学生の頃に教わっていたアナトリー・サプチャークと懇意になる。
政界へ
  1990年、プーチンはKGBに辞表を提出し、同年5月にレニングラード市ソビエト議長だったサプチャークの国際関係担当顧問となった。1991年8月の共産党解体までは共産党を離党せず、本人曰く党員証は今も持っているという。
  1991年6月、サプチャークがレニングラード(同年11月にサンクトペテルブルクに名称を変更)市長に当選すると、対外関係委員会議長に就任する。その後、1992年5月にサプチャークによりサンクトペテルブルク市副市長、1994年3月にサンクトペテルブルク市第一副市長に任命された。
  サンクトペテルブルク市の職員としてプーチンは外国企業誘致を行い外国からの投資の促進に努めた。またサプチャークの下で陰の実力者として活躍したため、「灰色の枢機卿」と呼ばれた(ロシアでは、ゲンナジー・ブルブリスなど陰の実力者に対し、このようなあだ名が付けられることがある)。
  1996年8月、サプチャークがサンクトペテルブルク市長選挙でウラジーミル・ヤコブレフに敗北して退陣すると、プーチンはそれに伴い第一副市長を辞職する。ヤコブレフによる慰留もあったが、結局はそれを拒否した。その後、ロシア大統領府の総務局長パーヴェル・ボロジンによる抜擢で(アナトリー・チュバイス説もある)ロシア大統領府総務局次長としてモスクワに異動した。プーチンはこの職に就任して法務と旧共産党の資産移転と管理を担当した。1997年3月にはロシア大統領府副長官兼監督総局長に就任した。
  1997年6月、プーチンはサンクトペテルブルク国立鉱山大学に「市場経済移行期における地域資源の戦略的計画」という論文を提出し、経済科学準博士の学位を得る。この論文の内容は、「豊富な資源を国家管理下におき、ロシアの内外政策に利用する」というものだった(この論文に関しては、2007年アメリカの学者が盗作説を主張するも、その後立ち消えとなる)。
  1998年5月、プーチンはロシア大統領府第一副長官に就任した。ここでは地方行政を担当し、地方の知事との連絡役を務めたが、後にプーチンはこの職務を「一番面白い仕事だった」と振り返っている。
  同年7月にはKGBの後身であるロシア連邦保安庁(FSB)の長官に就任。この時、当時の大統領ボリス・エリツィンのマネーロンダリング疑惑を捜査していたユーリ・スクラトフ検事総長を女性スキャンダルで失脚させ、首相だったエフゲニー・プリマコフのエリツィン追い落としクーデターを未然に防いだ。この功績によりプーチンはエリツィンの信頼を得るようになる。
首相職(1999年)
  プーチンはエリツィンによって1999年8月9日に第一副首相に任命された(同日首相であったセルゲイ・ステパーシンが解任されたためそのまま首相代行に任命)。この時、エリツィンはプーチンを自身の後継者とすることを表明していた。さらに1週間後の8月16日には正式に首相に任命される。首相に就任するとロシア高層アパート連続爆破事件をきっかけにして勃発した第二次チェチェン紛争の制圧に辣腕を振るい、「強いリーダー」というイメージを高め国民の支持を獲得した。

  記者会見で言い放った「テロリストはどこまでも追跡する便所にいてもぶち殺す」という発言の容赦なさや下品さが話題になったのもこのころである。当時、次期大統領選のプーチンの有力な対抗馬として元首相のプリマコフがいたが、同年12月19日に行われたロシア下院選挙で、プーチンを支持する与党・「統一」の獲得議席数がプリマコフらによって結党された「祖国・全ロシア」の議席数を超えてロシア連邦共産党に次ぐ第2党となったことにより、プーチンは次期大統領の座にさらに近づいた(後にプリマコフは次期大統領選挙への出馬を断念した)。そして同年12月31日に健康上の理由で引退を宣言したボリス・エリツィンによって大統領代行に指名される。
大統領職
1期目(2000年~2004年)
  大統領代行となったプーチンが最初に行ったのは、大統領経験者とその一族の生活を保障するという大統領令に署名することだった。これは、エリツィンに不逮捕・不起訴特権を与え、エリツィン一族による汚職やマネーロンダリングの追及をさせず、引退後のエリツィンの安全を確保するものであるとともに、 プーチン自身が大統領職を退いた後の、政敵からの「保身」を見据えたものと思われる。
  プーチンは2000年ロシア連邦大統領選挙で過半数の得票を受けて決選投票無しで当選した。正式に第2代ロシア連邦大統領に就任したプーチンは「強いロシア」の再建を目標とした。まず地方政府が中央政府の法体系と矛盾した法律を乱発するなど地方政府への制御が利かなくなっていたため、プーチンは中央政府の権限を強化する政策を打ち出す。2000年5月にロシア全土の85地域を7つに分けた連邦管区を設置し、各地域の知事を大統領全権代表に監督させた。他には知事の上院議員兼務禁止・大統領への知事解任権付与などの政策を実行した。プーチンはこれらの政策により中央集権化を推進し、「垂直統治機構」と呼ばれるシステムを確立した。さらに、同年12月にソビエト連邦の国歌の歌詞を変えて新国歌に制定した。これはロシア国民に「強かった時代のロシア(ソ連)」を呼び起こすためだとする意見がある。このような強い指導力は反対派からは「強硬である」と批判されたが、ロシア国民の支持を受けた。
  1998年8月のロシア金融危機で打撃を受けた経済が回復し成長を続けたことも、多くのロシア国民がプーチンを支持する一因となった。経済成長は原油価格の上昇によるところが大きいが、プーチン政権下でさまざまな経済改革が行われたことも理由として挙げられる。所得税率を3段階による課税から一律13パーセントのフラット・タックス制に改革したり、法人税付加価値税(消費税)を引き下げたりするなどの税制改革は税負担の軽減により横行していた脱税を減少させ、国家財政再建に寄与した。また、これらの税制改革や土地売買の自由化など法制度の整備によって外国からの投資を呼び込み、ロシア経済が活性化した。
財閥との対決
  エリツィン時代はエリツィンと側近および支持基盤の新興財閥「オリガルヒ」の時代であった。エゴール・ガイダル、アナトリー・チュバイスの急進的資本主義化は、混乱を招いていた。このような状況の中で台頭したのは国有財産であった企業を資本主義化の過程において、国有企業経営陣が、タダ同然で私物化して発生したのが、新興財閥オリガルヒである。オリガルヒはエリツィン政権と癒着して、出身企業以外の国有財産も買収またはタダ同然で払い下げを受けて私物化するようになり、エリツィン政権との癒着と、マスコミ支配によって政治的影響力を強めていった。こうした癒着は腐敗を生み、オリガルヒの納税回避により国家財政は危機に陥りの崩壊や金融危機の原因となった国債乱発を引き起こした。ガイダルの「中央銀行引き受け国債」乱発と急激な価格自由化はハイパーインフレを招き、年金生活者を中心に民衆が大打撃を受けたり、金融危機を招くなどロシア経済の混乱と国民の経済格差拡大を招いた。また中央が地方政府への補助を打ち切ったことと、ロシア連邦軍の崩壊のために中央集権の箍が緩んで、ロシアの各共和国は中央政府の威令を軽んじ 独立傾向を強めてロシアは第二次国家分解寸前の状況になった。
  しかしエリツィンに首相として引き立てられたKGB出身のプーチンが大統領になると、プーチンは警察・軍出身者のシロヴィキを登用し、財政再建のため新興財閥オリガルヒの脱税を取り締まり始め、財閥と対決した。オリガルヒは所有するメディアでプーチンを攻撃したが、プーチンは脱税・横領などの捜査でウラジーミル・グシンスキーミハイル・ホドルコフスキーといったオリガルヒを逮捕して制圧。恭順を誓った企業と和解し、恭順企業にメディアを支配させた。プーチンは企業の政治介入を排除し、恭順を誓ったオリガルヒに納税させ国家財政と崩壊寸前だったロシア軍を再建した。そして右派連合等オリガルヒ系政党を少数派に追いやり、与党・統一ロシア(前述の「統一」と「祖国・全ロシア」が合併して結成)に支持され権力を確立した。プーチン政権当初に首相を務めたミハイル・カシヤノフなど、プーチン政権内のオリガルヒと密接な関係にあるとされた政治家も遠ざけ、代わってシロヴィキやプーチンと同郷のサンクトペテルブルク出身者(サンクト派)を重用した。しかし、アルカディ・ローテンベルクボリス・ローテンベルクのローテンベルク兄弟に代表されるようなプーチンと個人的に親しいオリガルヒは救済措置(ローテンベルク法)がとられるなど優遇された。
2期目(2004年~2008年)
  プーチンは2期目となる2004年ロシア連邦大統領選挙に70パーセント以上の圧倒的な得票率で再選した。再選後の同年9月にベスラン学校占拠事件が発生したことからロシアの国家統一の必要性を理由として、地方の知事を直接選挙から大統領による任命制に改め、より一層の中央集権化を進め、大統領権限を強化した。
  ロシア経済は原油価格の高騰に伴い2期目も実質GDP成長率で年6~8パーセント台の成長(2004年 – 2007年)を続けた。ただしその多くがエネルギー資源に依存していたため、その経済構造を是正し、より一層の経済発展を達成することを目的として、プーチンは2005年7月に製造業とハイテク産業の拠点とするための経済特区を設置する連邦法に署名した。それによって同年12月に6箇所の経済特区が設けられた。8年間のプーチン政権でロシア経済は危機を脱して大きく成長し、ロシア社会から高い支持と評価を受けている。国内総生産(GDP)は6倍に増大(購買力平価説では72パーセント)し、貧困は半分以下に減り、平均月給が80ドルから640ドルに増加し、実質GDPが150パーセントになった。
  また、ロシア政府は2005年に国際通貨基金(IMF)からの債務、2006年パリクラブからの債務を完済し、ロシア経済は安定して国際的な信用を取り戻した。この対外債務返済に大きく貢献したのが2004年に創設した政府系ファンドの「安定化基金」である。この基金は原油価格下落のリスクに備えるのを目的とし、原油の輸出関税と採掘税の税収を原油価格の高いときに基金に繰り入れ、資金を積み立てる構造になっていたが、この基金を利用することにより対外債務が返済された。その後2008年に安定化基金は原資となる税収に天然ガスと石油製品の輸出関税と天然ガスの採掘税を追加した上で「準備基金」と「国民福祉基金」に分割された。前者は従来のように原油価格下落時の対応を目的とし、後者は年金支払いの補充など国民福祉向上のために使われることを目的としている。

  それでも依然として多くのロシア国民(2009年の時点で6人にひとりとも)が最低生活水準を下回る生活をしていることや、死亡率の高さにより人口が減少傾向にあることを憂慮し、2005年10月に「優先的国家プロジェクト」を大統領令によって立ち上げた。これは保健・教育・住宅建設・農業の4分野で改革を行って社会基盤を整備し、生活水準向上を目指す計画である。具体的には、このプロジェクトに沿って、保健分野では子育て支援や医師と看護師の給料増額など、教育分野では新大学の設立や奨学金制度の確立など、住宅分野では住宅ローンの規模拡大や住宅建設への融資など、農業分野では若い農業専門家に対する住宅の保障などが計画された。このプロジェクトを推進するため、大統領府長官のドミートリー・メドヴェージェフを同年11月に第一副首相に任命した。
  しかしプーチン政権の2期目は経済成長の達成の裏で、その政治手法が強権的・独裁的だとして欧米諸国から強い非難を浴びることになる。オリガルヒが逮捕・投獄された後にオリガルヒが所有していた天然資源会社を政府の強い影響下に置いたことは大きな波紋を呼んだ。前述のように、2003年ユコス社の社長ミハイル・ホドルコフスキーが逮捕された後、ユコス社は脱税による追徴課税が祟って2006年8月1日に破産に追い込まれ、2007年5月3日に資産が競売により国営企業のロスネフチに落札された。だがこのような手法は、オリガルヒに膨大な富が集中したことに対して不満を持っていたロシア国民から支持を受けている。また、経済についてはロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入に反発する米国からの経済制裁により近年経済成長率が低下しつつあり、年金制度改革を巡り国民から強い反発を受けている。

  第二次チェチェン紛争での人権侵害などにより、ロシア国外の政府や人権団体からロシアの人権自由について追及されている。また、非民主的(反民主的)で、非合法な(謀略的な)手法で支配力を行使し政治を行っていることも様々な調査で明らかになっている。また統計上は良くなったともされるロシア経済についても、その実態としてはウラジーミル・ヤクーニンのような一部のプーチンと親密な関係にある人物たちによって統制が行われてしまっていることがマスメディアの取材で明らかになっている。こうした統制は、ボリス・ネムツォフらプーチン政権の反対派によって厳しく批判されている。また、プーチン政権を批判していた人物が次々と不審な死を遂げ、ロシア政府による暗殺説が浮上したことも、欧米諸国にマイナスイメージを持たれる一因になった。2006年10月、反プーチンのロシア人女性ジャーナリストアンナ・ポリトコフスカヤが、自宅アパート内にてルスタム・マフムドフによって射殺された。この事件にはロシア政府による何らかの関与があったとする見方がある。一方、プーチンはこの事件を「恐ろしく残酷な犯罪」としたうえで、「犯人が罰せられないことがあってはならない」と述べた。なお、この事件は2008年6月に容疑者4人が起訴され、捜査の終了が発表された。この事件のほか、プーチンを批判してイギリスに亡命し写真が公開されたKGB・FSBの元職員アレクサンドル・リトビネンコが2006年11月に死亡している。死亡原因として、「多量の放射能物質ポロニウムを食事などに混合されて摂取したため」とイギリス警察が発表し、当時の首相トニー・ブレアがロシア政府に対し協議したいと要望した。FSBによる暗殺だとする説も浮上した。イギリス政府内では、ロシア政府による暗殺との見方が強い。イギリス警察当局は、この事件で主犯とされる旧KGB元職員アンドレイ・ルゴボイ容疑者と実業家のドミトリー・コフトゥン容疑者の身柄引き渡しをロシア政府に求めた。ロシア側はこれに対し身柄引き渡しを拒否した。さらに、2007年6月21日にはイギリスに亡命したオリガルヒであるボリス・ベレゾフスキーへの暗殺計画が発覚し、その容疑者がロシアに強制送還される事件が起こっている。
  ロシア連邦大統領は連続3選が憲法により禁止されているため、大統領退任後の去就が注目されていたが、2007年10月に開かれた与党・統一ロシアの第8回党大会で、大統領退任後は首相に就任して政界にとどまることに意欲を示した。 同年12月2日に行われたロシア下院選挙では統一ロシアの比例代表名簿第1位に記載され、同党の選挙大勝につながった。12月10日には後継として第一副首相のメドヴェージェフを指名し、2008年ロシア連邦大統領選挙で支持することを表明。2008年2月8日には「2020年までの発展戦略」を発表し、大統領退任後も政界にとどまる姿勢を見せた。この中でプーチンはエネルギー資源依存型経済からイノベーション主導型経済への移行と、そのための人的資本蓄積を教育改革と福祉の充実によって達成する必要性を説いている[47]。同年3月に大統領選挙でプーチンが支持したメドヴェージェフが70パーセント以上の得票を集め大勝した。同年4月15日の第9回統一ロシア党大会でプーチンは同党の党首に就任することを受諾した。
首相職(2008年~2012年)
  2008年5月7日に大統領を退任したが、新しく大統領となったメドヴェージェフによって首相に指名され、翌日連邦議会下院で承認された。承認の前に下院で行った演説では、年金・最低賃金の引き上げや免税、インフレ率の抑制に努め、ロシアが世界有数の国際金融センターになることを目標にすると発言し、近い将来にロシアがイギリスを凌ぐ経済大国になると予測した。
  首相就任によりメドヴェージェフとのタンデム体制となったが、プーチンは大統領を退いた後も事実上最高権力者として影響力を行使していると見なされることとなった。5月15日には、首相が議長となる「政府幹部会」を設置。この会は副首相だけでなく大統領が管轄する外相や国防相も参加する、事実上の最高意思決定機関である。また2000年に制定していた連邦管区大統領全権代表は代表権を失って首相のコンサルタント的な地位になり、さらに大統領による任命制に改められていた地方の知事を国家公務員にして首相の管轄下に置いた。

  2008年11月5日に大統領のメドヴェージェフが年次報告演説を行い、その中で大統領の任期を4年から6年に延長することを提案したため、プーチンの大統領復帰説が流れ始めた。同年11月20日の第10回統一ロシア党大会では世界金融危機の対応に積極的な姿勢を見せ、外貨準備や前述の「準備基金」と「国民福祉基金」を利用して景気対策を行うことを提言した。また、「準備基金」からIMFに10億ドル(約950億円)を拠出する意向を示した。このような積極的な姿勢も、プーチンの大統領復帰説を強くする一因となった。プーチンは自身の大統領復帰説に対し、同年12月4日に行われた市民とのタウンミーティングにおいて、「2012年になれば分かる」として明言はしなかった。翌2009年には2012年ロシア連邦大統領選挙について出馬を最も強く示唆する発言を行い、経済危機にも関わらず、有権者の間ではプーチンの人気は絶大で政界に君臨し続けた。
  2010年1月30日、カリーニングラードにて、9,000人から12,000人に及ぶ人々が抗議集会を行った。 彼らは、「プーチンと彼の政府は違法行為と虚偽で出来ている」と主張した。この抗議には様々な団体が参加しており(多くの団体の旗が掲げられた)、「連帯」、「ヤブロコ」、「ロシア連邦共産党」、「ロシア自由民主党」などが抗議に参加した。
  2010年12月17日、プーチンは2015年までにロシア政府が使用するコンピュータのソフトウェア(OSを含む)を、Linuxをはじめとするフリーソフトウェアに置換するよう命じた。コンピュータのソフトウェアをアメリカの企業であるマイクロソフトに依存している現状からの脱却を目指すものであるとされている。
  2011年9月24日、モスクワで開催された統一ロシアの党大会で2012年ロシア連邦大統領選挙に立候補を表明した。
  2011年12月4日投開票の下院選挙において、プーチン率いる統一ロシアの不正を示す動画がユーチューブに投稿された。また、下院選挙に国際監視団を派遣した欧州安全保障協力機構は「水増しなどの不正操作が行われた」、欧州会議は「多くの不正が行われ、政府による監視活動妨害があった」と発表した。ロシアの民間団体「選挙監視団」も統一ロシアの得票率が中央選管発表の49.3パーセントを大幅に下回る30パーセント以下だったとする調査結果を発表した。政府高官も「選挙違反はあったが、大規模で無い」と一部で不正があったことを認めた。このため選挙直後から不正疑惑をめぐって政権を批判するデモが開かれた。12月24日のデモにおいては、主催者側は12万人(警察発表3万人)が参加したと発表した。またこの頃に「全ロシア人民戦線」を結成し、党首を務める統一ロシアより距離をおき始めた。
  2012年3月4日に実施された2012年ロシア連邦大統領選挙で約63パーセントの得票率で当選した。4月には大統領就任後に統一ロシア党首を辞任する意向を示した。
大統領職再登板(2012年5月7日~現在)
3期目(2012年~2018年)
  2012年5月7日にクレムリンで行われた就任式典を経て、正式に第4代ロシア連邦大統領に就任した。2008年の憲法改正により、今任期からロシア連邦大統領の任期が6年となったため、任期満了は2018年となる。
  2017年7月21日にロシア南部ソチで開かれた青少年との対話集会で、今後について「(大統領選挙再出馬を決めるまでの)時間はまだある」「大統領職から去るかどうかはまだ決めていない」「大統領退任後も政治活動は可能だ。回顧録を書くだけにはならない」「希少生物の保護など環境保護に興味がある」などと語った。
  2017年12月6日に翌年実施予定の2018年ロシア連邦大統領選挙に出馬することを表明した。
  2018年3月18日の2018年ロシア連邦大統領選挙では得票率76パーセントで圧勝し、任期満了は2024年となった。
4期目(2018年~)
  2020年1月15日に行った年次教書演説で大統領権限の一部を議会に移管すると共に、国家評議会の権限を強化する方針を表明し、大統領を退任する2024年以降も権力を保持するための布石とも推測された。またこの権限強化により事実上終身大統領となる事が可能になるため、国内では野党から懸念が示されている。
  2020年12月、大統領経験者に従来の在職中のみから生涯にわたって訴追されない不逮捕特権の免責権利の保障を改正法案に署名し、2021年7月から発効。
  2022年2月24日、ロシア軍にウクライナの非軍事化を目的とした特別軍事活動を承認し、軍は全面侵攻を開始した。(詳細は「2022年ロシアのウクライナ侵攻」を参照)
選挙(詳細は「ウラジーミル・プーチンの選挙戦歴」を参照)
人物・政治姿勢
内政
  プーチンはソビエト連邦時代の「強いロシア」の再建を標榜しており、ロシアの伝統的政治手法として、ソ連国歌のメロディ復活やレーニン廟の埋葬に反対などに代表されるように国民の愛国心に訴え、政府に対する求心力を強化しようとする政治家として知られる。
  他方で宗教を徹底的に弾圧したソ連時代とは一線を画し、ロシア正教会を保護してもいる。2007年のロシア正教会と在外ロシア正教会の和解を斡旋し、和解の聖体礼儀に出席もしてスピーチを行った。イスラームに対してはロシア正教会ほどに結び付きはなく、ロシア国内でのイスラーム主義勢力の監視・活動制限、コーカサス地方では武装イスラーム主義勢力との対決姿勢を鮮明にしてもいるが、タタールスタンカザン・クレムリンにおいて巨大なモスクも再建したシャイミーエフのような穏健的な存在とは協力関係を築くなど、硬軟織り交ぜた対応がみられる。また、ユダヤ教も庇護しており、ベレル・ラザル首席ラビとは友好関係を築いている。
  プーチン政権は独裁色が強いとロシア国外のメディアで報じられることがある。ロシア情報公開擁護財団によると、ロシアでは1999年から2006年までに128人のジャーナリストが死亡・もしくは行方不明となっており、プーチン政権がこれらの事件に関わっているのではないかとの疑惑が浮上している(この点に関してゴルバチョフは、ロシアではジャーナリストが不審な死を遂げる事件がエリツィン政権時代から頻発しており、いずれも真相が明らかにされていないため、政権の関与が疑われてしまうと発言している)。この件に関しては、国際社会でもチェチェン勢力への人権侵害と相まって非難されている。また、その圧倒的な支持を背景に自身の強いリーダーシップをもって中央集権化を推進するプーチンの姿勢は権威主義的であると言われ、「ツァーリ」と呼ばれることもある。しかし、TIME誌に「自由より先に秩序を選択した」とあるように、エリツィン政権で治安が悪化し経済も崩壊したロシア社会に強力な指導力で秩序と安定をもたらしたという見方もできる。プーチン自身は「法の独裁」という言葉を用いて、自らの立場をよく説明する。
アメリカ合衆国・ヨーロッパ
  2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件以来プーチンはテロとの戦いにおいてアメリカとの協調姿勢を見せた。同時多発テロ後にアメリカ軍アフガニスタン侵攻を行う際には、ロシア国内の保守派からの反発があったにもかかわらず、同年9月24日のテレビ演説でかつてソビエト連邦を構成していた中央アジア諸国にアメリカ軍の駐留を認めることやその他の具体的協力を掲げる「対米協力五項目」を謳ってアメリカへの支援を行った。アメリカとの協調路線を選んだのは、ロシアもチェチェン勢力によるテロに悩ませられていたため、アメリカと協調して国際的なテロ包囲網を構築することでチェチェン勢力のテロ攻撃を封じ込もうとしたからであった。
  しかし次第にプーチンはアメリカの一極支配に抵抗する構えを見せるようになる。2003年に勃発したイラク戦争においてロシアは戦争に反対してアメリカと距離をおき、同じく戦争慎重派のフランスドイツ中国との連携を強化した。2007年2月にドイツのミュンヘンで行われた「ミュンヘン国防政策国際会議」では、アメリカの一極支配体制は受け入れられないだけで無く、その行動は紛争の解決手段にならず、むしろ人道的な悲劇や新たな緊張が生じる原因となっているとして、アメリカの一極支配体制を批判した。
  アメリカが東ヨーロッパ諸国と接近して影響力を高めようとする行動には警戒感を示し、「アメリカにとっても東ヨーロッパ諸国にとっても良いことでは無い」と発言している。特に、アメリカが「イラン北朝鮮への対抗」としてチェコポーランドミサイル防衛(MD)システム配備を計画していることに対しては、このシステムが対ロシア用だという疑念を持ち、強い反発を示した。プーチンはこの代替案としてアゼルバイジャンにあるロシアのレーダー施設の共同使用や、トルコイラクへの配備を促したが、結局アメリカはチェコと2008年7月に、ポーランドと同年8月にMDシステム配備協定に調印した。
  北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大(東ヨーロッパ諸国と旧ソ連諸国に加盟国を拡大)については強く反発している。そのためプーチンは2007年4月の年次教書演説で、ヨーロッパ各国による通常兵器の配備の上限を定めたヨーロッパ通常戦力条約をNATO諸国が批准していないことを理由に、同条約の履行を停止することを表明した。そしてプーチンは同年7月に履行停止の大統領令に署名し、上下両院で採択された履行停止法案に同年11月署名した。2008年4月のNATO首脳との会談では欧米諸国が妥協した場合は再び同条約を履行する意思を示したが、NATOの東方拡大に対しては「ロシアにとっての直接的な脅威」だとして反対の姿勢を崩さなかった。
  ロシアにとって欧州連合(EU)諸国は最大級の貿易相手である。その中でプーチンはドイツの首相シュレーダーとの個人的な友好関係からドイツと緊密な関係を築いた。その後首相がメルケルと交代しても、ドイツとは「戦略的パートナーシップ」を維持している。しかしEU諸国とはコソボ地位問題などで意見の相違も見られる。アメリカと共にEU諸国が支持したコソボ独立には、セルビアに同調して独立に反対し、「コソボはセルビアの一部」だという立場を取っている。プーチンは、EU諸国やアメリカによるコソボ独立の承認について、長期間にわたって構築されてきた国際関係を崩壊に追い込む「恐ろしい前例」になると発言した。
旧ソ連諸国
  旧ソビエト連邦の構成国だったグルジアで2003年にバラ革命、同じく構成国だったウクライナで2004年にオレンジ革命が発生し、以降両国がロシアよりもアメリカとの関係を重視するようになると、両国に対してプーチンは強硬な手段で臨むこともあった。ウクライナには、2006年1月に天然ガス価格を引上げを表明し、これを拒否したウクライナへの流量を減らすなどの強硬手段をとってロシア・ウクライナガス紛争を引き起こした。グルジアには、プーチンが北京オリンピックの開会式に出席してる最中に起きた2008年8月7日にグルジアが同国自治州の南オセチアに侵攻したことに対し、南オセチアの独立を支持する立場から「報復」を宣言し、翌8月8日、ロシア連邦軍を派遣して南オセチアに軍事介入を行った。グルジアの侵攻の原因については、同年8月28日にアメリカのテレビ局CNNとのインタビューで、「2008年アメリカ合衆国大統領選挙で共和党候補者のジョン・マケインを優位にするためにブッシュ政権がわざと起こしたものだ」として、アメリカのブッシュ政権を厳しく非難して新冷戦と呼ばれる様相を呈した。2011年10月にはベラルーシ・カザフスタンとロシアがEU型の地域統合をおこなうユーラシア連合を構想する寄稿を行っている。
アジア太平洋
日本
  大統領就任当初から戦略的に投資の誘致や天然資源の輸出先として日本市場を重視し、2005年11月の来日時には100人以上の財界人を引き連れて日本側に投資の促進を訴えた。自衛隊ロシア連邦軍の救難訓練も毎年行われるようになり、日本と平和条約を締結することに意欲的な姿勢を示しているものの、基本的に日ソ共同宣言を根拠にした2島返還論を推奨しており、未だ解決には至っていない。来日時には日ソ共同宣言に基づき、2島を「譲渡」することで日本側を説得しようとした。
  その後も北方領土問題の解決と平和条約締結に意欲を見せるものの、問題が解決に至らないのは日ソ共同宣言を履行しない日本側の責任であるとしている。
  2001年の日露首脳会談には、当時の日本の首相森喜朗とともに「イルクーツク声明」を発表し、同宣言が平和条約締結の交渉の出発点であることを確認した。ただし、同宣言にある2島返還論は主権返還ではないとしている。
  北方領土はソ連が領土回復させたとする歴史認識を述べており、プーチンが監督するロシア地理協会は北方領土の島に対日戦を指揮したソビエト連邦軍将校の名前を名づけた。2005年の来日時前、ロシア国内向けテレビ番組に出演した際には「北方領土主権が現在ロシアにあることは国際法で確立され、第二次世界大戦の結果であるので、この点については交渉するつもりはない」と発言し、2016年5月20日には会見で「北方領土は1つとして売らない」とも発言しており、北方領土で軍事演習や対日戦勝記念パレードを行い、北方領土の基地化も進めて日本政府の抗議を受けており、北方領土を経済特区に指定し、北方領土に新型ミサイルも配備し、北方領土の土地無償分与を始めるなど、日本の領土返還要求を牽制する態度も示している。
  なお、2022年3月1日、ウクライナ侵攻に伴う制裁の一環で日本国政府より資産凍結の対象者に指定されている。
中国
  アメリカへの対抗上同じ国際連合安全保障理事会常任理事国であり、ヨーロッパ連合に代わってロシア最大の貿易相手国にもなった同じ中華人民共和国との提携をより重視しており、プーチンは度々「中国とは戦略的パートナー以上の関係にあり日本とはその域に達していないと述べており、日本との領土問題で取引はしないとする一方で「中国と同じ程度の高度な信頼関係」を築ければ妥協できる可能性も示唆している。

  中露国境問題も実効支配地域を割譲することで中華人民共和国に譲歩する形で解決し、平和条約である中露善隣友好協力条約を結んでいる。中国の協力でロシア国内のネット検閲を推し進め、サハリンと北方領土を結ぶ通信網を中国企業のファーウェイに敷設させた際は中国とロシアは日本政府からともに抗議されており、2019年2月に開通させアメリカへの対抗上同じ国際連合安全保アメリカへの対抗上同じ国際連合安全保障理事会常任理事国であり、ヨーロッパ連合に代わってロシア最大の貿易相手国にもなった同じ中華人民共和国との提携をより重視しており、プーチンは度々「中国とは戦略的パートナー以上の関係にあり、日本とはその域に達していない」と述べており、日本との領土問題で取引はしないとする一方で「中国と同じ程度の高度な信頼関係」を築ければ妥協できる可能性も示唆している。

  中露国境問題も実効支配地域を割譲することで中華人民共和国に譲歩する形で解決し、平和条約である中露善隣友好協力条約を結んでいる。中国の協力でロシア国内のネット検閲を推し進め、サハリンと北方領土を結ぶ通信網を中国企業のファーウェイに敷設させた際は中国とロシアは日本政府からともに抗議されており、2019年2月に開通させた。2019年6月にはロシア初の5G通信網の開発でファーウェイと合意し、プーチンはファーウェイ問題でのアメリカの動きを「デジタル世代で初のテクノロジー戦争」と批判した。
  地続きの中国とは同江鉄路大橋黒河・ブラゴヴェシチェンスク大橋を結び、東シベリア・太平洋石油パイプラインやパワー・オブ・シベリア(シベリアの力とも呼ばれる)を建設して天然資源を積極的に輸出し、ロスネフチやヤマルLNGに中国企業は出資した。日米が推進している環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)やインド太平洋戦略に否定的で、中国の習近平国家主席の唱える一帯一路を支持し、「大ユーラシア・パートナーシップ」構想を提唱して第一段階として中国と連携する方針を2016年6月のサンクトペテルブルク国際経済フォーラム(SPIEF)で発表し、2017年5月、北京での一帯一路国際協力サミットフォーラム(BRF)でプーチンは同構想を演説し、2018年5月にユーラシア経済連合(EEU)と中国の貿易経済協力協定が締結され、翌2019年のBRFとSPIEFに出席したプーチン大統領と習国家主席は一帯一路と同構想への協力で一致して中露共同声明で一帯一路と同構想の共同構築を掲げた。
  軍事的にもS-400Su-35などのようなロシアの最新鋭兵器も供与し、NATOの対抗軸ともされる上海協力機構(SCO)を結成して中国人民解放軍とは日本海の海域と空域で長距離戦略爆撃機による初の共同警戒監視活動や海上合同軍事演習で上陸訓練も行い、ミサイル防衛でも共同演習を実施し、米露のみが有していた弾道ミサイル早期警戒システム(BMEWS)の中国での構築を秘密裏に支援していることも明かしている。

  2015年のモスクワの対独戦勝70周年記念パレードと北京中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典の何れも中国の習国家主席の隣に座って歴史上初めて赤の広場天安門広場にロシア連邦軍と中国人民解放軍の兵士が行進した。
  2018年9月にロシア極東で行ったロシア史上最大の演習「ボストーク2018」は中国とSCOのオブザーバーであるモンゴルが初参加してソ連史上最大の演習である「ザーパド81」を超える規模となり、その際にロシアのセルゲイ・ショイグ国防相がモンゴルと中国を「同盟国」と呼んで注目され、視察に訪れたプーチンも「我々は必要であれば同盟国を支援する」と演説して中国人民解放軍兵士4名とモンゴル国軍兵士2名に褒章のメダルを与えた。
  プーチンは緊密な中露関係を理由に中国との軍事同盟は2020年時点で必要無いとしつつ「理論的には十分想像でき、原則として排除するつもりは無い」とも発言している。また、プーチンはロシア最高位勲章の聖アンドレイ勲章を初の旧ソビエト連邦構成共和国では無い外国要人である習近平国家主席に授与し、中国の最高位勲章の友誼勲章の初の授章者にもなっている障理事会常任理事国であり、ヨーロッパ連合に代わってロシア最大の貿易相手国にもなった同じ中華人民共和国との提携をより重視しており、プーチンは度々「中国とは戦略的パートナー以上の関係にあり、日本とはその域に達していない」と述べており、日本との領土問題で取引はしないとする一方で「中国と同じ程度の高度な信頼関係」を築ければ妥協できる可能性も示唆している中露国境問題も実効支配地域を割譲することで中華人民共和国に譲歩する形で解決し、平和条約である中露善隣友好協力条約を結んでいる。中国の協力でロシア国内のネット検閲を推し進め、サハリンと北方領土を結ぶ通信網を中国企業のファーウェイに敷設させた際は中国とロシアは日本政府からともに抗議されており、2019年2月に開通させた。

  2019年6月にはロシア初の5G通信網の開発でファーウェイと合意し、プーチンはファーウェイ問題でのアメリカの動きを「デジタル世代で初のテクノロジー戦争」と批判した。地続きの中国とは同江鉄路大橋黒河・ブラゴヴェシチェンスク大橋を結び、東シベリア・太平洋石油パイプラインやパワー・オブ・シベリア(シベリアの力とも呼ばれる)を建設して天然資源を積極的に輸出し、ロスネフチやヤマルLNGに中国企業は出資した。日米が推進している環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)やインド太平洋戦略に否定的で、中国の習近平国家主席の唱える一帯一路を支持し、「大ユーラシア・パートナーシップ」構想を提唱して第一段階として中国と連携する方針を2016年6月のサンクトペテルブルク国際経済フォーラム(SPIEF)で発表し、2017年5月、北京での一帯一路国際協力サミットフォーラム(BRF)でプーチンは同構想を演説し、2018年5月にユーラシア経済連合(EEU)と中国の貿易経済協力協定が締結され、翌2019年のBRFとSPIEFに出席したプーチン大統領と習国家主席は一帯一路と同構想への協力で一致して中露共同声明で一帯一路と同構想の共同構築を掲げた

  軍事的にもS-400やSu-35などのようなロシアの最新鋭兵器も供与し、NATOの対抗軸ともされる上海協力機構(SCO)を結成して中国人民解放軍とは日本海の海域と空域で長距離戦略爆撃機による初の共同警戒監視活動や海上合同軍事演習で上陸訓練も行い、ミサイル防衛でも共同演習を実施し、米露のみが有していた弾道ミサイル早期警戒システム(BMEWS)の中国での構築を秘密裏に支援していることも明かしている。
  2015年のモスクワの対独戦勝70周年記念パレードと北京の中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典の何れも中国の習国家主席の隣に座って歴史上初めて赤の広場と天安門広場にロシア連邦軍と中国人民解放軍の兵士が行進した。
  2018年9月にロシア極東で行ったロシア史上最大の演習「ボストーク2018」は中国とSCOのオブザーバーであるモンゴルが初参加してソ連史上最大の演習である「ザーパド81」を超える規模となり、その際にロシアのセルゲイ・ショイグ国防相がモンゴルと中国を「同盟国」と呼んで注目され、視察に訪れたプーチンも「我々は必要であれば同盟国を支援する」と演説して中国人民解放軍兵士4名とモンゴル国軍兵士2名に褒章のメダルを与えた。

  プーチンは緊密な中露関係を理由に中国との軍事同盟は2020年時点で必要無いとしつつ「理論的には十分想像でき、原則として排除するつもりは無い」とも発言している。また、プーチンはロシア最高位勲章の聖アンドレイ勲章を初の旧ソビエト連邦構成共和国では無い外国要人である習近平国家主席に授与し、中国の最高位勲章の友誼勲章の初の授章者にもなっているた。2019年6月にはロシア初の5G通信網の開発でファーウェイと合意し、プーチンはファーウェイ問題でのアメリカの動きを「デジタル世代で初のテクノロジー戦争」と批判した。
  地続きの中国とは同江鉄路大橋黒河・ブラゴヴェシチェンスク大橋を結び、東シベリア・太平洋石油パイプラインやパワー・オブ・シベリア(シベリアの力とも呼ばれる)を建設して天然資源を積極的に輸出し、ロスネフチやヤマルLNGに中国企業は出資した。
  日米が推進している環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)やインド太平洋戦略に否定的で、中国の習近平国家主席の唱える一帯一路を支持し、「大ユーラシア・パートナーシップ」構想を提唱して第一段階として中国と連携する方針を2016年6月のサンクトペテルブルク国際経済フォーラム(SPIEF)で発表し、2017年5月、北京での一帯一路国際協力サミットフォーラム(BRF)でプーチンは同構想を演説し、2018年5月にユーラシア経済連合(EEU)と中国の貿易経済協力協定が締結され、翌2019年のBRFとSPIEFに出席したプーチン大統領と習国家主席は一帯一路と同構想への協力で一致して中露共同声明で一帯一路と同構想の共同構築を掲げた。
安全保障
  就任直後からチェチェン人の武装集団によってロシアの主要都市へテロが頻発すると、これを口実にチェチェンへの武力侵攻を強化した。ロシア軍はチェチェン各地で殺戮・強姦などの人権侵害を行い、これが更なるテロを誘発する原因となった。
  2002年モスクワ劇場占拠事件では、立て籠もるテロリストを鎮圧するために有毒ガスの使用を許可した。その結果テロは鎮圧されたが、人質の市民も巻き添えとなり、100名を超える市民が死亡する惨事となってしまった。2006年に首謀者であるシャミル・バサエフをロシア特務機関が殺害してからチェチェン情勢は一応の安定を見せているものの、今でもチェチェン独立派の犯行と見られる小規模なテロが頻発している。
  このように独立派に対しては武力を以って制する一方、第二次チェチェン紛争時にはイスラム原理主義の浸透に反感を抱くアフマド・カディロフ等の帰順に成功し、彼らの非正規部隊をロシア連邦軍や内務省の指揮下にあるロシア国内軍などの正規軍に編入している。2007年1月まで投降者には刑事訴追の免除等の恩赦が約束されていた。また有力者には行政府の地位やロスネフチの子会社であるグロズネフチを通して利権が振舞われており、「アメとムチ」を使い分けていると言える。
  2007年8月に1992年以来中断してきた長距離戦略爆撃機によるロシア国外への常時警戒飛行をロシアが再開していたことを初めてプーチン自身が公式に上海協力機構の軍事演習会場チェリャビンスク(Chelyabinsk)で発言することにより明らかになった。これは、同年8月17日イギリス空軍所属のユーロファイター タイフーンがロシアの長距離爆撃機を北大西洋上で捕捉したことと符合する。
  その経歴から「冷酷な性格」や「粗野」という批評を受けることが多いが、ロシア国内ではメディアを通じて非常に紳士的な姿勢をアピールしており、ロシア国民からの人気もきわめて高い。日本では「冷酷な紳士」で、なおかつ「有能な元工作員」と言う、スパイ映画などにおける定番のKGB職員のイメージで見られることが多い。
  2018年3月には極超音速ミサイル「アバンガルド」を開発し、同年11月よりロシア軍に配備した。
人物像
  元KGBエージェントであり、現在のロシア連邦の政治家の中でも特に大きな影響力を持っている政治家である。最終学歴レニングラード大学(現在のサンクトペテルブルク大学)法学部卒業。学位法学士サンクトペテルブルク大学)、経済学博士候補(1997年)。階級は予備役大佐。ソ連崩壊後しばらくの間は生活苦から無認可タクシーの運転手のアルバイトを行って糊口をしのいでいた。
  サンクトペテルブルク市の職員時代に共に働いていたサプチャークやコザクによれば、プーチンは礼儀正しく、遠慮深く、落ち着いた人物であったという。また権力欲が無く、地位よりも仕事を重視し、仕事一筋に生きるタイプであると見られていた。
  カメラの前では無表情で振舞っているが、実は取り留めないほどの冗談好きである。諜報員時代の上司から「お前は冷静すぎる」と言われたことがあるのだが、この逸話もプーチン自身にかかると「本当は『お前のようなおしゃべりはシュピオン(スパイ)には向かない』と言われたんです」になってしまう。

  KGB時代に東ドイツに派遣されたためドイツ語に堪能であることはよく知られているが、大統領任期期間中に英語の勉強を本格的に始めており、現在では各国首脳とも英語で会話している光景が見られる。2007年の国際オリンピック委員会の総会でも、ソチオリンピック誘致のために英語でスピーチを披露した。
  エリツィンに抜擢されたのでエリツィン派だったと思われているが、むしろ政治家としてはゴルバチョフに敬意を表している。しかし、ゴルバチョフに師事したことは無く、サプチャークからの間接的な影響だと思われる。サンクトペテルブルク時代に仕えた市長(当時)のサプチャークは、プーチンが学生時代に指導をうけた恩師でもあり、生涯の尊敬と忠誠を捧げている。
  歴史上の人物で尊敬するのはピョートル1世エカテリーナ2世[139]。また、外国の政治家で興味があるのはナポレオン・ボナパルトシャルル・ド・ゴールルートヴィヒ・エアハルトであるという。
  2007年、アメリカのニュース雑誌『タイム (雑誌)』が年に1回、その年の出来事に最も影響を与えた人物(最も活躍した人物)として世界でただ一人を選出する、パーソン・オブ・ザ・イヤー今年の人)に選出された。
  2013年アメリカ合衆国の世界的に有名な経済誌『フォーブス』が毎年年末に発表する「世界で最も影響力のある人物」ランキングにおいて世界ナンバーワンとなった。この記録は 2016年まで続き、4年連続で世界で最も影響力がある人物に選ばれた。
  2017年2018年には日本も含めて、プーチン大統領のカレンダーである通称「プーチンカレンダー」が、有名人のカレンダーの売上として世界ナンバーワンとなった。
  幾度と無く大切な会談に遅刻をする人物として知られる。2013年・2015年・2018年と3度に渡りローマ法王を1時間近く待たせた他、2014年にドイツの首相メルケルを4時間15分待たせた。また、シリア問題の話し合いでアメリカのジョン・フォーブズ・ケリー国務長官を3時間待たせた例が出された。一方2013年11月に韓国を訪問したプーチンは朴槿恵(パク・クネ)大統領との首脳会談に向かう途中で既に時間に遅れているにも関わらず武術愛好者と語らい30分遅刻したという例や、2012年のウクライナ訪問の際にバイクライダー団体との交流を優先してヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領との会談に4時間遅れるという例など、故意に遅刻をする場合もある。プーチンの遅刻癖は「国際政治の場面で皇帝になりたい」という野心の表れだと専門家は指摘する。
  大統領就任後は暗殺(後述)を回避するために影武者を利用することも検討されたが、本人は影武者の利用を断ったとしている。ただし影武者の存在の臆測は幾度と無くささやかれている。
アスペルガー症候群説
  2015年2月5日、プーチンにはアスペルガー症候群高機能自閉症)があると結論付けたアメリカ国防総省の2008年の研究報告書が公表された。国防総省はこの研究を重視しない姿勢を明らかにしているが、報告書の著者であるアメリカ海軍大学のブレンダ・コナーズ(Brenda Connors)は、プーチンの体の動きや表情などの写された映像を分析した結果、彼は幼児期の神経発達障害によって体の不安定感や対人不安を抱えていると判断でき、これが原因で、危機的状況に直面した場合に「極端な統制」を行使する必要に迫られると主張している。この中で、社会からの刺激を閉ざしてしまった実例として、2000年バレンツ海でロシア原子力潜水艦クルスクが沈没した事例を挙げ、社会からの刺激を閉ざしてしまう症状の一つとして起こり得るとしている。コナーズは、各国首脳の体の動きを分析し、こうした体の動かし方などの特徴が、行動や決断を予測できる可能性が高く、それを考えることは、「兵器システムの開発と同じくらいの効果を持ち得る」戦略だと主張している。
  この研究報告書について、オックスフォード大学の発達神経心理学科教授であるドロシー・ビショップは、体の動きの分析に基づいて自閉症の診断を下すことの誤りを指摘した上で、コナーズによる主張は「本当にアスペルガー症候群と自閉症を持つ人々に怒りを抱かせる」ものであると批判した。
健康不安説
  ウクライナ侵攻以降、プーチンの健康不安説が急速に広まった。パーキンソン病説、行き過ぎた権力によって性格全般が歪んでしまい、認知能力の減退、判断力の低下など症状を示すヒューブリス(傲慢)症候群(hubris syndrome)説などがある。パーキンソン病の場合、経過中に幻覚妄想が出現することがある[147]。また、新型コロナウイルス感染症には非常に神経質になっており、非公開でスプートニクワクチンを接種。プーチンに面会をする者は誰であろうとホテルで2週間の自宅隔離を命じられ、消毒剤が噴射されるトンネルを通過してようやく事務室に入ることが許される。英国テレグラフは2022年3月1日、プーチンの健康不安を裏付ける5つの根拠を示し、説得力を与えた。また、メディアはプーチンの容貌に顔と首がひどくむくんでいる点に注目し、プーチンがステロイド治療を受けている可能性に言及し、ウクライナ侵攻には多量のステロイド剤服用(せきや、風邪などの感染リスクを高めたり、性格や行動を変えてしまう場合がある)や、その他のプーチンの個人的な問題にも関連した緊急の状況があるとみている。テレグラフは、プーチンが首脳会談の際に取る長いテーブルも健康不安説の根拠としているほか、インターネット上ではテーブルをカーリング会場に風刺するミームが拡散したが、これについて英紙ガーディアンは「権力を誇示して緊張感を高めようとする戦略的手段」であり「相手に侮辱感を与える物理的道具」と分析した。電子版ワシントン・ポストは、情報機関がプーチンは「妄想に陥り、追い詰められると暴発する危険性のある指導者」と解析していると伝えている
  プーチンは2021年7月、自身のウクライナウクライナ人についての見解を説明する論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」を発表した。現在の国際情勢からして到底無理である帝政ロシアあるいは旧ソ連の時代の強大なロシアへの回帰を目指しているとされるが、精神科医片田珠美はプーチンはスターリン同様にパラノイアである可能性やヒトラー同様に誇大妄想にとりつかれている可能性、また、前頭側頭型認知症(ピック病)を罹患している可能性も指摘している。
  2022年1月には、ベラルーシルカシェンコ大統領とモスクワでの対面の会談の席上、プーチンは足をバタつかせたが、筑波大学中村逸郎教授によると、これは2016年頃から噂されるパーキンソン病の影響で足が痺れて、感覚がなくなっていることが原因で、かなり進行していると見られている。さらに中村は2020年にプーチンに20年間仕えた警備隊員の一人が大統領府内で銃殺されたが、その理由について、パーキンソン病の症状を見られたことによるのではないかと推測されているとしている。
  2022年4月1日、ロシアの独立系メディア「プロエクト」は独自入手したプーチンの医療機関受診歴と宿泊先契約書とを基に、プーチン露大統領が甲状腺に何らかの病気を抱えている可能性を指摘した。2016~2020年にかけ、甲状腺がんの専門家がソチにあるプーチン氏の別荘を35回訪れ、計166日間にわたってプーチン氏とともに過ごしていることを根拠として示している。また、2016年には5人であった、プーチンに同行する医療スタッフの人員数も2019年には9人に増加しているという。同様に、デイリー・テレグラフはプーチンのウクライナ侵攻の決断を巡り、甲状腺治療の副作用との関連を指摘している
家族
  1983年7月28日に元客室乗務員でレニングラード大学で文献学専攻の学生だったリュドミラ・シュクレブネワと結婚した。1985年4月に長女のマリーヤ、1986年8月にはドレスデンで次女のカテリーナが誕生している。ロシア大衆紙『モスコフスキー・コムソモーレツ』(電子版2005年8月4日)によると、2人は父母の母校であるサンクトペテルブルク大学(旧レニングラード大学)に合格し、マリーヤは生物土壌学、カテリーナは日本史を専攻すると報じた。また、マリーヤは2005年3月にギリシャで結婚式を挙げた。結婚相手は不明である。2013年6月6日にはリュドミラと離婚したことを国営放送で明らかにした。
私生活
  釣りを趣味とし、競馬のファンでもある。煙草は吸わず、もほとんど飲まない。また犬好きで、自身もラブラドール・レトリーバーを飼っている。その愛犬は「コニー」という名前であり、徹夜でお産の世話をしたこともある。愛犬家だということもあってか、2003年5月の日露首脳会談では当時の首相小泉純一郎から犬語翻訳機「バウリンガル」を贈られている。2008年10月には副首相のセルゲイ・イワノフからコニー用にロシアの衛星測位システムであるGLONASS(グロナス)の受信機がついた首輪を贈られ、コニーにその首輪が装着された。2012年7月には秋田県より雌の秋田犬1頭が贈られ、自ら「ゆめ(夢)」と名付けている。
  2021年1月には野党指導者のアレクセイ・ナワリヌイが主宰する団体「汚職との戦い基金」がYouTube上で、プーチンがクラスノダール地方に1000億ルーブル相当の費用を投じた豪邸を所有していると告発した(プーチン宮殿)。同団体によれば、宮殿はプーチンと密接な関係がある複数の実業家が管理しているが、陸海空に治安当局による警備が行われており、プーチンのためのものであることは明らかであるとしている。政権側は「無根拠でナンセンスだ」と否定。プーチンの盟友で知られるロシアのユダヤ人実業家であるアルカディ・ローテンベルクが宮殿の所有者を名乗り出ている。
  愛車は母親が抽選で当てたZAZ・968やラーダ・ニーヴァなどのロシア及び旧ソ連圏の自動車である。2005年にはGAZ-21ヴォルガを購入し、アメリカのブッシュ大統領を乗せて運転している。
格闘技
  少年時代から故郷サンクトペテルブルク道場に通い、柔道の達人となった。KGBに入るためにもスポーツ格闘技)を身につけるのは有利であり、ソビエト連邦時代にはソビエト連邦で3位となった。段位は柔道八段である。称号は、サンボと柔道のロシア連邦スポーツマスター2005年12月よりヨーロッパ柔道連盟名誉会長を務め、また国際柔道連盟(IJF)の名誉会長でもあったが、後述の2022年のウクライナ侵攻により解任されている。
  特に山下泰裕東海大学教授、1988年ソウルオリンピック柔道金メダリスト、日本オリンピック委員会(JOC)会長、国民栄誉賞受賞者)を可愛がっている。

  11歳の頃より柔道とサンボをたしなみ、大学在学中にサンボの全ソビエト連邦大学選手権で優勝1976年には柔道のレニングラード市大会でも優勝した。政治家には珍しい逞しい肉体や戦闘技術を保有していることから、インターネット上では一部でカルト的な人気を博しており、自国ロシアのメディアも2008年8月31日に「研究者らによる野生のトラの監視方法を視察するため国立公園を訪問していた際、カメラマンに向かって走ってきたトラにプーチンが麻酔銃を撃ってカメラマンを救出した」などと報じるほど、超人的なイメージが前面に打ち出されている。なお、プーチンの身長は168cmとの事。
  柔道について「柔道は単なるスポーツでは無い。柔道は哲学だ」と語っている。また、少年時代は喧嘩ばかりしている不良少年だったが、柔道と出会ってその生活態度が改まったと述懐している。大統領になってからも、大統領以前に書いた『(プーチンと学ぶ柔道)』という本を出版しており、その中で嘉納治五郎山下泰裕姿三四郎を柔道家として尊敬していると記している。柔道の師は、2013年に逝去したロシア柔道連盟副会長のアナトリー・ラフリン
  2000年7月の九州・沖縄サミットでは沖縄県具志川市(現在のうるま市)を訪問し、柔道の練習にスーツの上着を脱いだYシャツ姿で飛び入り参加した。掛かり稽古(お互いが交互に投げる練習形式)を行い、相手の中学生を投げた後に今度は同じ相手に投げられるというパフォーマンスを披露した。中学生は大統領相手にためらったが、プーチンに促されて投げた。投げられるプーチンの姿は印象的で、その写真や映像は世界中に報道された。警備員やSPは稽古とはいえ大統領が投げられるとは考えられなかったようで、非常に驚いたという。
  2000年9月の来日時には、講道館で技の型を当時の首相森喜朗の前で演武した。当日、講道館より柔道六段の名誉段位贈呈を提示されたが「私は柔道家ですから、六段の帯がもつ重みをよく知っています。ロシアに帰って研鑽を積み、1日も早くこの帯が締められるよう励みたいと思います」と述べて丁重に辞退した。
  2012年8月2日、ロンドン五輪男子柔道をイギリスの首相キャメロンと共にサプライズ観戦。ロシアのタギル・ハイブラエフが決勝戦を一本勝ちで金メダルを確定させた瞬間には飛び上がって大歓喜。ハイブラエフ退場時に駆け寄り祝福した。
  2022年ロシアのウクライナ侵攻により、国際柔道連盟(IJF)名誉会長及び欧州柔道連盟(EJU)の名誉会長の地位の取り消し、ワールドテコンドーから授与された名誉9段黒帯の剥奪の処分を受けた。
憶測精神衛生
  CIAから米国の諜報心理学者Jerrold Postを評価した後、Vladimir Putinは「ナルシシスト」です。
名前
  プーチンは元KGB情報部員であり、その過去についても不明な点が多く、首相就任時には影の薄かった彼が大統領に就任した時は、その謎に包まれた経歴から帝政ロシア末期の怪僧「ラスプーチン」に引っかけられ、「ラス・プーチン」と揶揄されたことがある。ただし、プーチンという姓はロシア語でを意味するプーチを思わせ、ラスプーチンのラスは(さまざまな意味があるがその1つとして)「逆」という意味があるため、ロシア人の間では、プーチンは「道」、ラスプーチンは「道が無い」という逆の意味だと好意的に捉える者もいる。
  また、OPECに対抗して天然ガス輸出国の国際機構GECFの設立をイランなどと主導するなど資源外交を行うことから、同じくラスプーチンと引っ掛けて「ガスプーチン」と揶揄されたこともある。その他にもアメリカ外交公電ウィキリークス流出事件ではアメリカの駐ロシア大使がプーチンをバットマンと発言したこともある
暗殺未遂事件
  プーチンに対しては明らかになっているだけで過去5度暗殺が試みられたが、いずれも未然に阻止されている。
   1・.2000年2月24日 - サンクトペテルブルクでのアナトリー・サプチャークの葬式時。ロシア連邦警護庁(FSO)によれば、チェチェン独立派が背後に立つ某組織が計画した。「標準より際立った保安措置」により計画は阻止された。
   2・2000年8月18日~19日 - ヤルタでの非公式のCISサミット時。国外より情報がもたらされ、チェチェン人4人とアラブ人数人が拘束された。
   3・2002年1月9日~10日 - アゼルバイジャン、バクーの公式訪問時。アゼルバイジャン国家保安省により阻止。アフガニスタンで訓練を受け、チェチェン独立派と関係を有するイラク人、キャナン・ロスタムが逮捕され、懲役10年を言い渡された。
   4・2008年3月2日 - モスクワでのロシア大統領選当日。ロシア連邦保安庁(FSB)が察知し、直前に阻止した。現場からはライフル銃カラシニコフ銃などが発見され、タジク人1名が逮捕された。
   5・2012年2月27日 - チェチェン共和国などの出身の男2人がイスラム過激派の武装勢力の指導者の指示を受けてウクライナで爆弾の製造など暗殺計画を進めていたところ、ロシアとウクライナの捜査当局による別の爆発事件に関連した調査から発覚。(ただし2012年ロシア大統領選挙に先駆けた時期であることから政府による意図的なリークではないかという見方もある。)





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