リビア問題




2019.7.9(YAHOO!!Japan ニュース)-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190709-00000551-san-m_est
リビアで戦闘泥沼化、死者1千人 中東・欧州の利害錯綜

【カイロ=佐藤貴生、大内清】リビア東部を拠点とする有力軍事組織「リビア国民軍」(LNA)と、西部の首都トリポリを統治するシラージュ暫定首相の政権側との戦闘が泥沼化の一途をたどっている。サウジアラビアやトルコなど中東の大国がそれぞれの陣営を支援しているのに加え、リビアに石油利権があるフランスとイタリアの利害も対立。分裂状態が続く産油国リビアは、代理戦争の舞台となっている。
 ハフタル司令官が率いるLNAは4月、トリポリへの進攻を開始し、世界保健機関(WHO)によると、戦闘での死者はこれまでに約1千人に達した。今月2日にはトリポリ近郊の移民・難民収容施設が空爆を受け、50人以上が死亡。国連安全保障理事会は5日、空爆を非難し、両陣営に停戦と紛争解決を呼び掛けた。

 だが、戦闘が終息に向かう兆しはみえない。

 LNAには、隣国エジプトやサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)などが兵器を供与。暫定政権側は今回の空爆にUAEの戦闘機が使われたと非難した。エジプトなどはハフタル氏主導でリビアを再統一し、同国で近年伸長したイスラム過激派勢力の封じ込めを図りたい考えだ。距離を置いてはいるが、ロシアも同様の立場とみられる。
 これに対し、イスラム色が濃い暫定政権側を支援するのがトルコやカタールだ。ロイター通信などが外交筋の話として伝えたところでは、トルコは最近、暫定政権側へのてこ入れのため、武器を輸送した。
 さらに、リビアをめぐる仏伊の対立関係が事態を複雑にしている。仏石油大手トタルが東部に利権を持つフランスはLNAを支持し、東部ベンガジに特殊部隊が駐留しているともいわれる。一方、リビアの旧宗主国イタリアは暫定政権側に肩入れしてきた。伊石油大手ENIなどはトタルを上回る規模の利権を持つ。
 リビアでは2011年、当時のカダフィ政権が内戦の末に崩壊。混乱に乗じて「イスラム国」(IS)などの過激派が乱立し、地中海経由で欧州を目指す不法移民の出航基地となった。イタリアは最近、移民が乗った船の入港を拒否しており、リビアの不安定化は、欧州における移民問題を再燃させる可能性がある。
 リビアをめぐり欧州すら足並みがそろわない中で、中東域内の大国が介入の度合いを強め、紛争の長期化を招いているのが現状だ。


リビア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

リビア国は、北アフリカに位置する共和制国家。東にエジプト、南東にスーダン、南にチャドニジェール、西にアルジェリア、北西にチュニジアと国境を接し、北は地中海に面し、海を隔てて旧宗主国イタリアが存在する。首都はトリポリである。
アフリカ世界地中海世界アラブ世界の一員であり、アフリカ連合アラブ連盟に加盟している。アラブ・マグレブ連合にも加盟しており、広義のマグリブ諸国に含まれる。主要な宗教はイスラム教スンナ派)でイスラム圏の一部である。

歴史
古代リビュアフェニキア人カルタゴ古代ローマ東ローマ帝国の支配を受けた。
7世紀アラブ人ウマイヤ朝に征服され、イスラム教が広がった。その後、16世紀オスマン帝国に併合された(オスマン・トリポリタニア英語版)。1711年に土着化したトリポリ総督のトルコ系軍人が自立し、カラマンリー朝が成立した。19世紀初頭にカラマンリー朝はアメリカ合衆国第一次バーバリ戦争を繰り広げた。その後、イギリスフランスによるこの地への干渉が始まったため、オスマン帝国はリビアを再征服し、1835年にカラマンリー朝は滅亡した。
20世紀初頭の伊土戦争により、1911年にはイタリア王国がリビアを植民地化した。植民地化後はイタリア人が入植したが、サヌーシー教団オマール・ムフタールベルベル人による激しい抵抗が繰り広げられた。1926年からイタリアロドルフォ・グラツィアーニによる厳しい弾圧が行われたが、特にフェザーンでの抵抗は激しく、リビアの完全平定は1932年にまでもつれこんだ。
第二次世界大戦中には連合国イギリス)と枢軸国イタリアナチス・ドイツ)の間で激戦が繰り広げられた(北アフリカ戦線)。イタリアの敗戦により、戦後は英仏の共同統治領とされた。

独立からカダフイー政権
1949年の国連決議により、1951年キレナイカ首長国英語版キレナイカ)、トリポリタニアフェッザーンの3州の連邦制によるリビア連合王国として独立した。キレナイカの首長であり、サヌーシー教団の指導者だったイドリース1世が国王に即位した。1963年連邦制は廃止され、リビア王国が成立した。 1969年9月1日、ナーセル主義者だった27歳のムアンマル・アル=カッザーフィーカダフィ)らによるクーデターにより、イドリース1世は亡命。カダフィを事実上の元首とする共和国が成立した。
カダフィはイスラーム主義社会主義ナーセル主義、カダフィが著した『緑の書』に基づく国家の建設を目指し、対外的にはソビエト連邦に接近して援助を受けた。1970年代から1990年代まで数々のテロを支援、アメリカイギリスなどの欧米諸国と敵対した。1985年の西ヨーロッパでの一連のテロ事件により経済制裁を受け、1986年にはアメリカ軍によって空爆(リビア爆撃)されたが、その報復として1988年にパンナム機を爆破(パンアメリカン航空103便爆破事件)した。またチャド内戦に介入し、敗退した(トヨタ戦争)。
2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降はアメリカと協調路線をとる一方、成果を出せない親アラブ外交から親アフリカ外交へとシフトし、アフリカ連合内で主導権を握ろうとしていた。カダフィ政権時代には革命時に外国資本を抑えることによって確保した豊富な石油収入を国民に分配し、教育や医療など国民の生活水準はアフリカ屈指となった。
2011年、カダフィ打倒を旗印にしたリビア国民評議会とカダフィ政権側の間で内戦が勃発した。一時期はカダフィ政権側が評議会側の拠点だったベンガジ進攻寸前まで至ったが、NATO(北大西洋条約機構)などから軍事的な支援を受けた評議会軍が同年8月23日に首都トリポリを制圧。10月20日にカダフィがスルトで殺害され、42年間続いた政権は崩壊した(2011年リビア内戦)。

カダフィ政権崩壊後
2014年リビア内戦」も参照
2012年7月7日に60年ぶりに行われた国民全体会議選挙(定数200)で、120議席が無所属に、80議席が政党に配分された。国民勢力連合が39議席、ムスリム同胞団系の公正建設党が17議席、残りの議席は各中小政党が獲得した。国民評議会は同年8月8日に権限を全体国民会議に移譲し解散した。以後、選挙によって選ばれた議員で構成された議会に承認された内閣行政権を継承し、そしてこの議会が制憲議会としてリビアの新憲法を制定し、1年以内の正式政府発足を目指して統治機構を調えることとなる。
9月11日、米領事館襲撃事件が発生し、J・クリストファー・スティーブンス大使はじめ関係者4人が死亡した。
9月12日、リビア全体国民会議は、ムスタファー・アブーシャーグールを首相に指名したが期限内に組閣を果たせず、首相不信任案を可決し解任した。リビア国民評議会時代の暫定首相であるアブドッラヒーム・アル=キーブが引き続き暫定政権を率いた10月14日、国民議会は元外交官のアリー・ゼイダーンを首相に選出した
内戦終了後、旧カダフィ政権を支持する緑のレジスタンス英語版が活動を開始。ミスラタ刑務所を襲撃して145人の守衛を殺害した。

2014年、各地でイスラム系武装勢力の攻勢が活発化し、政府の支配権が弱まった(2014年リビア内戦)。特に2014年6月25日に行われたリビア国民議会選挙英語版の結果で世俗派が圧勝して以降は、結果を不服とするイスラム勢力が攻勢をかけることとなった。同年7月14日にはそれまで民兵が掌握していたトリポリ国際空港がイスラム勢力に奪取され、その後も空港周辺において双方がロケット砲を打ち合う大がかりな戦闘が続いた。戦闘の結果、100人前後が死亡し400人以上の負傷者を出した。同月28日には、市街地と空港を結ぶ道路の途中にある大型石油貯蔵施設が被害を受け、大規模な火災が発生した。また7月31日にはベンガジ特殊部隊本部が陥落した。一連の戦闘の結果、世俗派政府・議会は首都トリポリにおける実効支配権を喪失し、東部の港湾都市トブルクに退去した。一方新たに首都を掌握したイスラム勢力は独自の政府・議会英語版を設立し、これ以降国内に二つの政府・議会が並立し正当性を争う事態となっている
また、この政治の空白をついて過激派組織が勢力を拡大させている。2014年10月上旬には、過激派組織ISILの旗をはためかせた20台近くの四輪駆動車が同国東部の市街地を行進し、勢力を誇示した。また2015年2月には、エジプトから出稼ぎに来ていたコプト教徒21人を斬首する映像を公開した

2015年時点、リビア国内はトリポリを拠点とするイスラム勢力系の新国民議会英語版トブルクを拠点とする世俗派のリビア国民代議院による二つの政府・議会が存在し、それぞれから元首、首相を選出している。国際社会からはトブルク政府が正当性を認められているのに対し、トリポリ政府はトルコやカタールの支援を受けていると指摘されている[21]。また東部のキレナイカ地方は独自の自治政府「キレナイカ暫定評議会」(CCL)により統治されており、中央政府の支配が行き届いていない。さらにはISILアルカイダ等のイスラーム過激派が勢力を伸張させたことから各地で内戦が激化しており、事実上の無政府状態となっている。2015年12月になって双方の政治家が交渉を行い、リビア統一政権の樹立が目指されることとなり、新首相としてファイズ・サラージ日本のマスメディアでは「シラージュ」表記が多い)が指名されたものの、両方の議会で批准を得られず、政権発足は足踏み状態となった。2016年3月31日になって新国民議会はサラージ率いる大統領評議会英語版に権限を移譲するとしたが、もう一方の国民代議院(トブルク政府)は統一政府を承認していない2016年10月14日ハリーファ・アル=グワイル英語版率いる国民議会派英語版クーデター未遂事件英語版を起こし、トリポリの国家評議会の建物を占拠した
サラージ(シラージュ)が率いる暫定政権が拠点とする西部のトリポリに向けて、2019年4月、東部のベンガジなどを支配するハフタル将軍(カダフィの元側近)傘下のリビア国民軍が進撃を開始。戦闘が行われ、アントニオ・グテーレス国際連合事務総長や、リビア国民軍を支援するエジプトも自制を求めた。こうした混乱は、リビアを経由した中東・アフリカ各地から欧州への難民流出の背景にもなっている

治安
カダフィ政権時では、アフリカ有数に治安が安定している国として知られていたが、2011年リビア内戦以降は各地から流入した武器などが大量に出回り、急速に悪化した。新リビア政府は武器の回収を図っているが、過激派組織などにも渡っており、回収作業は難航している。2013年5月武装勢力が外務省などを包囲して、カダフィ前政権高官がまだ政府内に留まっているとして、追放と内閣の交代などを求めている。国民議会はカダフィ前政権高官などを追放させる法案を可決したが、国防相が一時辞意を表明するなど国内は不安定化している。また、カダフィ政権時と比べて殺人事件発生率が約5倍になっており、治安対策が急務である。
2015年には一部でISILによる支配が強まり、過激派勢力が人質となっていたエジプトのコプト教徒21人を殺害。エジプト軍が報復のためにリビア領内の拠点を空爆した。このように治安は急速に悪化しており、内戦状態が継続している。

地理
アフリカ大陸の北部に位置し、地中海に面している。国土の大部分がサハラ砂漠の一部であり、面積の大半を砂漠が占める。サハラ砂漠のリビア部分を特にリビア砂漠と呼ぶ。砂漠には砂丘のみならず、岩石砂漠や礫砂漠も存在する。南部には山脈が走り、トリポリ南方にはナフサ山地が、ベンガジ東方にはアフダル山地が存在する。降水は北部の地中海沿岸にわずかにある。西のトリポリタニアから東のキレナイカにかけての地中海沿岸の屈曲した部分をスルト湾(シドラ湾)と呼ぶ。国土の70%は標高500m以下だが、地中海を北から南に行くほど標高は高くなり、チャドとの国境付近は標高1,000m~2,000mの高原となっている。
ケッペンの気候区分によれば、地中海沿岸の僅かな部分は地中海性気候ステップ気候に属し、気候は温暖である。しかし、沿岸部も乾燥しており、主要都市でも年間降水量は400mmを越えない。国土の大部分を占める砂漠地帯は砂漠気候であり、年間を通して乾燥している。サハラ砂漠から北に向かってギブリと呼ばれる熱風(シロッコ)が吹き出す。

経済
2010年GDPは779億ドルであり、アフリカ第7位日本岐阜県とほぼ同じ経済規模である
独立以前のリビアは農牧業を主産業とした農業国だったが、1955年から油田開発が進められ、1959年に産油国となった。王政時代はオクシデンタル・ペトロリウム社等の国際石油資本により石油開発が進められたが、1969年の革命後に石油は国有化された。カダフィ政権が起こしたパンナム機爆破事件により1992年から1999年まで国際連合の経済制裁が続き、リビア経済は疲弊した。その後は徐々に石油関連を筆頭とした外国資本が次々と流入した。
油田は陸上シルテ盆地・キレナイカに存在し、海上油田からも生産している。石油埋蔵量はアフリカ最大といわれている。輸出の大部分が石油で、貿易黒字を維持するために輸出量は調節している。リビアは石油が豊富でありながらも人口が少ないために、一人当たりのGDPはアフリカでは最上位レベルで12000ドルを超えており、先進国クラスである。2010年のリビアの一人当たりGDPは12,062ドル。なお、エジプトが2,771ドル、スーダンが1,642ドル、チャドが742ドル、ニジェールが383ドル、チュニジアが4,160ドル、アルジェリアが4,477ドルなどである。

独立以前から皮革繊維じゅうたん金属細工などの軽工業が行われていた。独立後、石油収入を基盤に重工業化が進められ、石油精製製鉄セメントアルミ精錬などを行う国営工場が建設されている。国土の1.2%が耕地となっており、現在でも農業牧畜に従事する国民も多い。地中海農業オアシス農業が主な農法であり、1969年革命後の社会主義政権は農業の産業化に力を入れ、深層地下水パイプラインで輸送して灌漑を進めている(リビア大人工河川)。

国民
国民の大多数がアラブ人、もしくはアラブ人とベルベル人の混血である。少数民族として先住民のベルベル人や、南部のスーダン系黒人が存在する。遊牧生活を送るベドウィンやベルベル系のトゥアレグ人も存在する。かつてはユダヤ人も存在していたが、イスラエル建国や第3次中東戦争による反ユダヤ主義的機運の高まりで、多くのユダヤ人が国外に脱出。最後まで留まっていたユダヤ人もカダフィ政権下で全員国外追放された。移民としてアラブ諸国サハラ以南のアフリカ諸国からの出稼ぎ労働者が存在する。特にエジプトとチュニジア出身者が多い。パレスチナ人難民も存在する。

宗教
宗教は国教イスラームが約97%であり、大半がスンナ派であるが、イバード派も少数派として5〜10%程度を占める。また、キリスト教も少数ながら存在し、コプト正教会が人口の1%以上を占める他、移民によってもたらされたアングリカン・チャーチローマ・カトリックも存在する。ユダヤ教シナゴーグも存在したが、現在は使われていないか、モスクに改装された。

教育
カダフィ政権時代は、6歳から15歳までの初等教育前期中等教育が無償の義務教育期間となり、その後3年間の後期中等教育を経て高等教育への道が開けていた。義務教育に限らず、国公立の学校学費は無償であったなど豊富な石油資源による福祉国家体制を築いていた。2003年の15歳以上の人口の識字率は82.6% である。主な高等教育機関としてはガル・ユーニス大学(1955年)やトリポリ大学(元アル・ファテフ大学)(1957年)などが挙げられる。







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