オリンピック-1


2020.1.17-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200117/k10012249461000.html
厚底シューズ禁止「東京大会直前の変更は厳しい」橋本五輪相

好記録が相次いでいる「厚底シューズ」の競技大会での使用が禁止される可能性が伝えられていることについて、橋本オリンピック・パラリンピック担当大臣は「東京大会の直前の変更は厳しい」と指摘したうえで、選手に負担を強いる対応は避ける必要があるという認識を示しました。
  陸上長距離の多くのトップ選手が使用し、相次いで好記録をマークしている、スポーツ用品メーカー、ナイキの「厚底シューズ」について、国際競技団体の世界陸連が競技大会での使用を禁止するという見通しを、イギリスなどの複数のメディアが伝え注目されています。
  これについて、橋本オリンピック・パラリンピック担当大臣は、閣議のあとの記者会見で「かつて、スキーの板や水泳のユニフォームなど、いろいろな問題があった。私自身の経験からしても、4年に1度の大事なオリンピック・パラリンピックの直前に変更というのは、選手にとって厳しいのではないか」と指摘しました。
  そのうえで「好記録が見る人の関心を高め、競技力の向上やスポーツへの参画にもつながっていくと思う。選手の戸惑いが少ないような決定をしてほしい」と述べ、選手に負担を強いる対応は避ける必要があるという認識を示しました。


2020.1.6-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200106/k10012236501000.html
東京五輪 卓球日本代表が内定

卓球の東京オリンピック、日本代表に内定した選手が発表され、すでに代表入りを確実にしていた張本智和選手伊藤美誠選手などのほか、男子では水谷隼選手、女子では平野美宇選手が選ばれました。
  日本卓球協会は6日、東京 北区で記者会見を開いて、東京オリンピックに出場する男女それぞれ3人の選手を発表しました。
  シングルスは今月の世界ランキングの上位2人が選ばれることになっていて、男子は世界5位の張本選手と世界15位の丹羽孝希選手、女子は世界3位の伊藤選手と世界9位の石川佳純選手といずれも先月までに代表入りを確実にしていた選手たちが内定しました。
  またシングルスに出場する選手とともに団体を戦う男女1人ずつの選手は、世界ランキングやダブルスの相性などを総合的に判断して日本卓球協会が決めることになっていて、男子は世界16位の水谷選手、女子は世界11位の平野選手と、ともに世界ランキングが日本勢3番手の2人が団体の代表に内定しました。
水谷 4大会連続出場 団体の代表に内定
水谷隼選手は静岡県出身の30歳。4大会連続のオリンピック出場です。左利きで力強いフォアハンドや多彩なサーブを得意としています。
  前回のリオデジャネイロオリンピックでは男子団体で銀メダル、さらに男子シングルスでは日本卓球界の個人種目で初となる銅メダルを獲得しました。
  去年1月に行われた全日本選手権の男子シングルスではみずからが持つ最多優勝回数を更新する10回目の優勝を果たしました。
  東京オリンピック、男子シングルスの代表争いでは張本智和選手がいち早く代表入りを確実とする中、最後まで丹羽孝希選手と競いましたが、シングルスの代表は逃しました。
  それでも今月の世界ランキングは16位と張本選手と丹羽選手に次ぐ日本男子3番手に入るなど、団体での活躍が期待できるとして団体の代表に内定しました。競技人生の集大成として4回目のオリンピックに臨みます。
水谷「全勝して引退の花道飾る」
水谷隼選手は自身のツイッターに「自分を選んだこと後悔させません。ロンドン、リオと団体戦無敗なので、そのまま東京でも全勝してみずから引退の花道を飾ります。こんな自分ですが、もう少しだけお付き合い下さい」と投稿しました。
男子日本代表監督「団体戦で強さ チームの精神的支柱」
水谷隼選手について、男子日本代表の倉嶋洋介監督は「全日本選手権のダブルスで7回優勝し、世界選手権でも2回メダルを獲得するなどダブルスの名手だ。シングルスにおいても前回のリオデジャネイロオリンピック銅メダリストという実績を持ち、近年の団体戦の世界選手権でも日本のエースとして幾度となく、メダル獲得に貢献していて、団体戦で強さを発揮できる」と選考理由を説明しました。
  そのうえで「長年、世界と戦ってきた選手で、数多くの厳しい戦いを乗り越えてきた。チームの精神的支柱としてこれまでの経験を最大限に生かし、貢献してほしい」と期待を寄せていました。
平野「金メダル目指し精いっぱい頑張る」
卓球の東京オリンピック、女子団体の代表に内定した平野美宇選手は「代表候補に選んでもらい大変うれしく思う。金メダルを目指し、石川佳純選手、伊藤美誠選手とともに力を合わせて、チームに貢献できるように精いっぱい頑張ります」とコメントしています。
平野 団体の代表に内定
平野美宇選手は山梨県出身の19歳。初めてのオリンピック出場です。
  3歳の頃から母親が指導する教室で卓球を始め、「超高速」と呼ばれる速いテンポの攻撃が持ち味です。
  幼いころから注目を集め、13歳の時に同い年の伊藤美誠選手と組んだドイツオープンの女子ダブルスでは、ワールドツアー史上最年少で優勝しました。
  前回のリオデジャネイロオリンピックで日本代表に入ることができなかった悔しさをバネに攻撃力に磨きをかけ、2017年のアジア選手権では中国のトップ選手を次々と破って優勝し、国際卓球連盟が平野選手の活躍を「ハリケーン・ヒラノ」とホームページ上で紹介するなど、卓球界に大きな衝撃を与えました。
  その後は中国選手などから徹底的に研究されて思うような結果を残せない時期が続きましたが、持ち味の速さだけでなく、緩いボールも混ぜる緩急をつけた攻撃にも取り組みました。
  月カナダで行われた国際大会の決勝で代表を争う石川佳純選手に敗れて選考ポイントで3位に後退し、シングルスの代表は逃しました。
  それでも今月の世界ランキングは11位と伊藤選手と石川選手に次ぐ日本女子3番手に入るなど、団体での活躍が期待できるとして団体の代表に内定しました。
女子日本代表監督「ダブルスとシングルス 両方活躍できる」
平野美宇選手について女子日本代表の馬場美香監督は「石川佳純選手とペアを組んだ女子ダブルスで去年、アジア選手権銅メダル、ワールドツアーでも準優勝や3位など好成績を残している。さらにシングルスでも2017年のアジア選手権で中国選手を破って優勝、去年の世界選手権でもベスト8に入っている。目標とする『打倒・中国』に向けて、ダブルスとシングルスの両方で活躍できるという点から平野選手がいちばん最適だと考えた」と選考理由を話しました。
ミックスダブルスは水谷・伊藤ペア
このほか東京オリンピックからの新種目、ミックスダブルスの日本代表には水谷選手と伊藤選手のペアが内定しました。水谷選手と伊藤選手のペアは去年12月のワールドツアー、グランドファイナルで準優勝を果たすなど安定した成績を残しています。
男子日本代表監督「伊藤の変幻自在 水谷の安定性がマッチ」
水谷隼選手と伊藤美誠選手のペアについて、男子日本代表の倉嶋洋介監督は「伊藤選手の変幻自在のプレーと水谷選手の安定性がペアとしてマッチし、高い安定感と爆発力を生み出している。実力と実績などからも日本ペアでもっともメダルに近い」と選考理由を説明しました。
  当初はエントリー直前のことし5月ごろに選ぶことにしていましたが、倉嶋監督は「東京オリンピックに向けて、コンビネーションや戦術面などをできるだけ時間をかけて磨き上げていく必要がある。男女3人ずつの内定選手の中からペアを決めるにあたり、実力や実績などを考えても、このペアで今後も考えは変わらないと判断した」とこのタイミングで決定した理由を話しました。
張本「金メダルだけを目指して頑張る」
東京オリンピック、男子シングルスと男子団体の代表に内定した張本智和選手は「正式に発表されてまずは一安心した。いよいよ2020年がやってきたので、あとは自分がこれまでやってきたことを信じて、やるだけだ」と改めて決意を示しました。
  そして、開幕まで200日となった東京オリンピックに向けて「心をもっと強くして何があっても恐れないような気持ちを持って臨みたい。金メダルは自分が卓球を始めた頃からの夢なので金メダルだけを目指して頑張りたい。そのためには中国選手に勝つことが大事なので、誰よりも1日1日を大切にしたい」と話していました。
張本 世界ランキング5位の16歳 初出場
張本智和選手は仙台市出身の16歳。初めてのオリンピック出場です。
  得意のバックハンドを中心に、ボールが上がりきる前に瞬時に打ち返すスピードのある攻撃が持ち味です。
  中国出身で卓球選手だった両親のもと2歳から競技を始め、小学生以下の全日本選手権では男子で史上初となる1年生から6年生まで6連覇を達成して注目を集めました。
  2017年からシニアの大会に本格的に参戦し、世界選手権で史上最年少となる13歳でベスト8に進出したほか、ワールドツアーの男子シングルス、史上最年少優勝を果たすなど一気に頭角を現しました。
  2018年にはリオデジャネイロオリンピックの金メダリスト、馬龍選手など中国のトップ選手を続けて破り、ワールドツアー、グランドファイナルではシングルスで史上最年少優勝を果たすなど快進撃を見せました。
  去年はランキングが下の相手に受け身になって取りこぼすなど思うような結果を残せない時期がありましたが、11月の国際大会で中国の強豪選手に競り勝って3位に入ったり、先月の男子のワールドカップでは再び、金メダリストの馬選手を破って準優勝したりするなど調子を上げてきました。
  今月の世界ランキングは日本男子トップの5位となり、シングルスと団体の代表に内定しました。
丹羽「2大会連続メダル目指す」
東京オリンピック、男子シングルスと男子団体の代表に内定した丹羽孝希選手は「東京オリンピック代表を目指しプレーを続けてきた。うれしく思うのと同時に2大会連続メダル獲得を目指し、より一層努力し、よい結果が残せるよう頑張りたい」とコメントしています。
丹羽 3大会連続の出場
丹羽孝希選手は北海道出身の25歳。3大会連続のオリンピック出場です。
  身長1メートル62センチと小柄ですが、卓球台の近くに立って速いタイミングで打ち返すスピードを生かした攻撃と相手の意表を突く独創的なプレーが持ち味です。
  17歳の時にジュニアの世界選手権で優勝するなど早くから国際舞台で活躍し、前回のリオデジャネイロオリンピックでは、男子団体で銀メダルを獲得しました。
  東京オリンピック、男子シングルスの代表争いでは去年4月のアジアカップで3位、続く世界選手権でベスト8に入るなど順調な滑り出しを見せましたが、それ以降の国際大会では7大会連続で1回戦敗退と苦しい時期が続きました。
  それでも終盤は調子を戻し、11月のワールドツアー、オーストリアオープンでベスト8に入り、男子ワールドカップでも準々決勝に進んで選考ポイントで水谷隼選手を逆転しました。
  そして今月の世界ランキングは15位と張本智和選手に続く日本男子2番手に入り、シングルスと団体の代表に内定しました。
伊藤「3種目とも金メダル目指す」
東京オリンピック、女子シングルスと女子団体、そしてミックスダブルスの3種目で代表に内定した伊藤美誠選手は「ますます気が引き締まったし、もっと実力を上げたいと思うようになった。団体の経験はあるが、シングルスとミックスダブルスは初めてなので、どんな大会になるのかすごく楽しみだ」と話しました。
  また、ともに静岡県磐田市出身で同じ卓球クラブの出身でもある水谷隼選手とペアを組むミックスダブルスについて「小さい頃から性格などお互いに知っているので、年齢は離れているが、私も水谷選手に意見が言える。まだ何日間も一緒に練習ができていないので、ワールドツアーにたくさん出場しながら練習をしたい」と話しました。
  そして『打倒・中国』を掲げる東京オリンピックに向けて、「中国選手にライバルとして見てもらえるようにはなってきたが、もっともっと怖がってもらえる選手になりたい。目の前の試合に集中するのが自分らしいと思うので、1戦1戦を戦い抜いてオリンピックにつなげていきたい。出るからにはしっかり3種目とも金メダルを目指して頑張りたい」と力強く意気込みを話しました。
伊藤 石川や平野大きく引き離しシングルスで初内定
伊藤美誠選手は静岡県出身の19歳。オリンピックは2大会連続の出場ですが、シングルスでは初めての代表内定です。
  スマッシュを軸とした速攻が持ち味で、通常は高く浮いたチャンスボールに使うスマッシュをラリーの中の低いボールでも果敢に打ち込みます。
  さらにラケットを自在に操る独創的な技も得意としています。
  2歳で卓球を始め、10歳のときに出場した全日本選手権の女子シングルスで史上最年少勝利を挙げるなど幼い頃から注目されてきました。
  国際大会でも早くから活躍し、ワールドツアーでは2014年に同い年の平野美宇選手と組んだドイツオープンの女子ダブルスで、翌年の2015年にはドイツオープンの女子シングルスで、それぞれ史上最年少優勝を果たすなど次々と最年少記録を塗り替えてきました。
  15歳で出場したリオデジャネイロオリンピックでは女子団体の銅メダル獲得に貢献し、オリンピックの卓球で最年少のメダリストとなりました。
  東京オリンピック、女子シングルスの代表争いでは去年10月以降に出場した国際大会で中国のトップ選手を破るなど続けて好成績を残し、選考ポイントで石川佳純選手や平野選手を大きく引き離して独走しました。
  今月の世界ランキングは日本女子トップで自己最高となる3位となり、シングルスと団体の代表に内定しました。
石川「いちばん強い自分で戦えるようにしたい」
東京オリンピック、女子シングルスと女子団体の代表に内定した石川佳純選手は「女子チーム最年長で出場するオリンピックは今回が初めてなので、今までとは違う緊張感があると思うが、それをパワーに変えて、レベルアップして本番を迎えたい。強いチームにするためにはチームワークもすごく大事になるので、最年長としていいチームワークで本場のコートに立てるようにしたい。東京オリンピックでプレーできることをすごく幸せに思うし、最高のプレーをするために、今からしっかり準備していちばん強い自分で戦えるようにしたい。シングルスはメダル獲得、団体は金メダルを目指して頑張りたい」と話していました。
石川 土壇場で逆転しシングルスに内定
石川佳純選手は山口県出身の26歳。3大会連続のオリンピック出場です。
  左利きで強烈なフォアハンドのドライブが持ち味で、ラリーでの得点力の高さも強さを支えています。
  卓球選手だった両親の影響で7歳から卓球を始め、全日本選手権の女子シングルスでは高校3年の時に初優勝し、これまでに4回優勝しています。
  オリンピックでは初出場だった2012年のロンドン大会で日本卓球史上初のメダルとなる女子団体の銀メダル獲得に貢献し、2016年のリオデジャネイロ大会でも女子団体で銅メダルと、2大会連続でメダルを獲得しています。
  去年前半の国際大会では結果を残せず、東京オリンピック、女子シングルスの代表争いで遅れを取りました。
  しれつな競争が続く中、確実性を重視したミスの少ない戦い方からリスクを負ってでも果敢に攻める攻撃的なプレースタイルに変えることを決め、去年7月のワールドツアー、オーストラリアオープンで世界1位の中国選手を破りました。
  そして先月、カナダで行われた国際大会の決勝で、代表を争う平野美宇選手に勝って土壇場で平野選手を選考ポイントで逆転しました。
  そして今月の世界ランキングは9位と伊藤美誠選手に続く、日本女子2番手に入り、シングルスと団体の代表に内定しました。











TOKYO2020
https://tokyo2020.org/jp/games/sport/olympic/modern-pentathlon/

オリンピック競技
近代五種
(競技ごとに身体を切り替える。多彩な技術と高い戦略性が求められるスポーツ。)
競技概要
1人の選手が1日の間に、フェンシング、水泳、馬術、レーザーラン(射撃、ラン)というそれぞれに全く異質な5種類の競技に挑戦する、万能性を競う複合競技。「キング・オブ・スポーツ」とも呼ばれる。
古代オリンピックで行われたペンタスロン(五種競技)にならい、近代オリンピックを提唱したクーベルタン男爵が「近代オリンピックにふさわしい五種競技を」を考案したもので、自ら「スポーツの華」と称したと言われている。ヨーロッパでは王族・貴族のスポーツとも呼ばれて人気がある半面、さまざまな競技施設・競技用具を要することから競技人口が伸び悩んでいたが、国際近代五種連合の様々な取り組みにより、加盟国が近年では100か国を超えるなど地域的には広がりが見えてきた。
オリンピックの正式競技となったのはストックホルム1912大会からであり、ヘルシンキ1952大会からバルセロナ1992大会までは個人競技の他、団体競技も実施されていた。シドニー2000大会からは女子種目が加わっている。
当初は1日に1種目、計5日間にわたって競技が行われたが、アトランタ1996大会から1日ですべての種目を行うようになった。
種目
個人(男子/女子)
秀でた体力と強い精神力を持ち、自らをコントロールできた選手のみが栄冠に輝く
1日1種目、計5日間にわたって行われていたころは、「王族・貴族のスポーツ」とも言われるような優雅さもあったが、5種類を1日で行うようになると一転、心身ともに限界まで追い込まれる、まさに万能性が問われる競技となった。
1.フェンシングランキングラウンド(エペ)
相手の全身に対して突きを繰り出す「エペ」で戦う。1分間1本勝負で総当たり戦を行い、勝率によって得点が与えられる。静かな対峙から相手の意図を察知し、駆け引きの中での一瞬のスキをついて剣で攻撃するが、目にも止まらぬその攻撃は最新テクノロジーによってしか判定できないほどの速さをもつ。短時間に次々と試合を行うため、選手は1試合ごとの瞬発力の他、途切れない集中力と自己の迷いを断ち切る勇気が必要とされる。
2.水泳(200m自由形)
水中という体に大きな抵抗がかかる環境で、全身の骨格及び筋肉を効率よく動かし続けて200メートルを泳ぎ切る速さを競う。フェンシングで最も強く求められるのが瞬発力ならば、水泳で必要とされるのは水の抵抗を回避しつつ効率よく推進力を得る技術に裏付けされたパワーと持久力である。200メートルを泳ぐのに要したタイムによって得点が与えられる。
3.フェンシングボーナスラウンド(エペ)
フェンシングランキングラウンドの下位選手から順に30秒1本勝負でスピード感あふれる試合進行が行われる。ランキングラウンドとボーナスラウンドの合計点がフェンシングの得点となる。
4.馬術(障害飛越)
貸与された馬を操り、制限時間内に競技アリーナに設置された様々な色や形の障害物を飛越しながらコースを周る。単体競技としての馬術は、長年共に練習し息を合わせた自らの馬に乗って競技を行うが、近代五種においては初めて対面する馬と短時間で信頼関係を築きながら障害と対峙しなければならない。そのためこの種目では、馬との繊細なアプローチによるコミュニケーションを図り、確固たる信念と粘り強さや柔軟さ、焦りを表に出さず冷静さを保つ精神力なども必要とされる。この種目のみ、得点は減点方式で計算される。
5.レーザーラン(射撃5的+800m走を4回)
これまでの3種目の得点を1点=1秒にタイム換算し、時間差を設けて上位の選手からスタート。射撃とランニングを交互に4回行い、着順を競う。射撃はレーザーピストルを使い、10メートル離れた場所から直径約6センチメートルの標的にレーザーを5回命中させるのだが、5回命中するまでは50秒の制限時間の間、撃ち続けなければならない。ランニングは800mのコースを走行する。長い距離を走った直後、瞬時に全身の動きを静止させて息を整え、精密な射撃動作を行う難しさを想像してみよう。動から静、静から動への状態変化の激しさを思えば、この種目がいかに自身の身体的・精神的コントロール能力を要求されているかがわかる。静と動の切り替えの難しさと毎回の射撃での順位の入れ替わりが見どころだ。このレーザーランでフィニッシュした着順が競技全体の最終順位となる。
  それぞれに固有の技術と理論を必要とされる個々の種目をマスターするだけでなく、競技の全体像を常に頭で描き、自分の体力を計算しながら、種目が変わるごとに求められる状態に体を切り替えていく。体力に加えて強い精神力で自分の身体をコントロールできた選手のみが栄冠手にすることができる、まさに「キング・オブ・スポーツ」であり、全スポーツの頂点を目指す競技がこの近代五種といえる。
  長時間におよぶ競技だが、観客は最後までその順位を確信することはできない。なぜなら、挑戦する種目が多種にわたる上、ハイレベルな5種目の能力の中に、更に得意種目を持つ選手同士の戦いが繰り広げられ、順位が最後まで入れ替わり続けるからだ。

ヨーロッパを頂点にメダル獲得国の変遷が競技地域の拡大を示す
  オリンピックでの金メダル獲得上位には西欧・東欧諸国が名を連ねる。リオデジャネイロ2016大会までで最もメダルを獲得しているのはハンガリーで、それにスウェーデン、ロシア、ポーランド、イギリスなどが続く。この競技におけるヨーロッパ勢の強さは他の競技にも類を見ない。その中にあって、アレクサンドル・パリギン(カザフスタン)がアトランタ1996大会で初めてヨーロッパ勢以外初となる金メダルを獲得したことが話題となった。近年ではメダリストにオーストラリア、メキシコ、中国などの選手が名を連ねるようになり、少しずつ競技地域が広がってきていることが伺える。また、近年は新興国もメダルを狙える位置にきており、韓国などがこの競技の重点的強化に取り組み、世界ランキング上位に選手を送り込むようになっている。
  ヨーロッパ内の勢力図も時代によって変化をみせている。男子では、オリンピック正式競技となってからの数大会はスウェーデン勢がほぼ全てのメダルをさらったが、シドニー2000大会からの5大会でロシアの選手が金メダル4つ、チェコの選手が金メダル1つと東欧勢が金メダルを独占中だ。東京2020大会では、ロシアを筆頭とする東欧勢にライバル心を燃やすイギリス、フランス、イタリア等の西欧勢の巻き返しにも期待したい。
  女子では、イギリスが金メダル・銅メダルを獲得したシドニー2000大会を含め4大会で表彰台に立ち続けてきたが、リオデジャネイロ2016大会で初めて全てのメダルを他国に譲った。世界ランキング上位はヨーロッパ勢が中心だが、オリンピックのメダリストには近年ブラジルやオーストラリアの選手が顔を見せ、彩りを加えている。こうした新興勢力がヨーロッパ勢にどこまで迫ることができるかが注目だ。
<日本>
  日本はローマ1960大会からバルセロナ1992大会までは毎大会出場していたが、アトランタ1996大会以降選手を送り出すことができなくなっていた。しかし北京2008大会に日本選手として16年ぶりに村上佳宏選手が出場を果たすと、続くロンドン2012大会では男子1名、女子2名が、リオデジャネイロ2016大会でも男子2名、女子1名が出場し、近年では、2018ワールドカップファイナル大会の女子個人において山中詩乃選手が第6位に入賞するなど、東京2020大会でのメダル獲得を狙える位置に来ている。
  その背景には、最近までは競技の内容や用具の性質から自衛隊や警察出身の選手がほとんどであったが、一般の人々が使用のしやすい用具にルールが改正されるなど、一般の人々の間で競技人口が広がりつつあることが挙げられる。また、日本近代五種協会も、水泳・レーザーランからなる「近代3種」を積極的に推進するなど、一般の人々への普及に努めており、選手層の拡大によって今後オリンピックでの活躍が期待されている。


近代オリンピック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


近代オリンピック: Olympic Games)は、国際オリンピック委員会(英:IOC)が開催する世界的な総合スポーツ大会。1994年から夏季大会冬季大会の各大会が4年に1度、夏季大会は西暦で4の倍数の年、冬季大会は4の倍数でない偶数の年で2年ずらして開催されるので、2年に1度開催されることになる。
日本語ではオリンピック、またそのシンボルマークから五輪と呼ぶこともある。
概 要
  19世紀末のパリ大学ソルボンヌ大における会議でフランスピエール・ド・クーベルタン古代ギリシャオリンピアの祭典をもとにして世界的なスポーツ大会を開催する事を提唱し、決議された。
  夏季と冬季に大会があり、夏季オリンピック第1回は、1896年にアテネギリシャ)で開催され、2度の世界大戦による中断を挟みながら継続されている。冬季オリンピックの第1回は、1924年にシャモニー・モンブラン(フランス)で開催された。1994年以降は、西暦が4で割り切れる年に夏季オリンピックが、4で割って2が余る年に冬季オリンピックが開催される(FIFAワールドカップが開催される年と同じ)。1994年のリレハンメル大会より、夏季大会と冬季大会が2年おきに交互開催するようになった。
  冬季オリンピックが始まった当初は夏季オリンピックの開催国の都市に優先的に開催権が与えられてきたが、降雪量の少ない国での開催に無理が生じることから1940年代前半に規約が改正され、同一開催の原則が廃止された(1928年アムステルダム大会時の際、オランダでは降雪量不足で雪山が無く、会場の確保困難であったことからこの年の冬季大会はサンモリッツスイス)で開催された)。
  大会の公用語はフランス語英語であるが、フランス語版と英語版の規定に相違がある場合はフランス語を優先するとして、フランス語を第1公用語とする事を明らかにしている。現在は、フランス語、英語の他、開閉会式等では開催地の公用語も加える場合がある。
  1988年ソウル大会以降、パラリンピックとの連動が強化され、オリンピック終了後、同一国での開催がおこなわれている。
歴 史
アマチュアリズムを基本とし、古代の平和の祭典の復興を目指したオリンピックであるが、二度の世界大戦やミュンヘン大会におけるテロ事件、冷戦下でのアフガニスタン紛争に伴う東西のボイコット合戦など時々の国際政治の影響は大きい。特にヒトラー政権下による1936年のベルリン大会はオリンピックそのものが利用された色彩が強く、聖火リレーのルートを後日ドイツ国防軍がそのまま逆進したとされたり、ナチズムに対する批判をかわすために一時的にユダヤ人政策を緩和したりするなど、政治が大きく影を落としたものとなっている。なお、夏季大会において第1回大会から全て参加しているのは、ギリシャ・イギリス・フランス・スイスオーストラリアの5ヶ国のみである。
  ギリシャによる開催は、1896年と2004年が正規のものとされている。第1回大会の十年後、1906年アテネ中間大会が唯一、例外的に開催され、開催事実も記録も公式に認めてメダル授与も行っている。しかし、4年に1度のサイクルから外れた開催であったため、後にこれはキャンセルとされ現在では正規の開催数に計上されておらず優勝者もメダリスト名簿から外され登録されてはいない。
(各期毎の概略は、以下を参照。)
黎明期
クーベルタンの提唱により、第1回オリンピックを1896年ギリシャ王国アテネで開催することになった。資金集めに苦労し、会期も10日間と短かったが、バルカン半島の小国の一つという国際的地位をいっそう向上させたいというギリシャ王国の協力もあり大成功に終わった。しかし、1900年のパリ大会、1904年のセントルイス大会は同時期に開催された万国博覧会の附属大会に成り下がってしまい、賞金つきの競技(1900年)、キセルマラソンの発覚(1904年)など大会運営にも不手際が目立った。1908年のロンドン大会、1912年のストックホルム大会から本来のオリンピック大会としての体制が整いだした。1908年のロンドン大会ではマラソンの走行距離は42.195kmであったがこれが1924年パリ大会以降固定され採用されている。この時期には古代オリンピックに倣いスポーツ部門と芸術部門のふたつ競技会が開催されており、クーベルタンも1900年パリ大会で芸術部門で金メダルを獲得している。
発展期
第一次世界大戦で1916年のベルリン大会は開催中止となったが、1920年のアントワープ大会から再開され初めてオリンピック旗が会場で披露された。この時期は、選手村マイクロフォン(1924年)、冬季大会の開催(1924年)、16日前後の開催期間(1928年)、聖火リレー(1936年)など、現在の大会の基盤となる施策が採用された時期である。この時期からオリンピックは万博の添え物という扱いから国家の国力を比べる目安にとして国際社会から認知されるようになり「国を挙げてのメダル争い」が萌芽した。この様子は1924年のパリ大会を描いたイギリス映画『炎のランナー』に詳しい。開催国のほうもオリンピックを国際社会に国力を誇示する一大イベントだと認識するようになりオリンピックが盛大になり、それを国策に使おうとする指導者が現れ、1936年のベルリン大会では当時のナチス政権は巧みに国威発揚に利用した。聖火リレーやオリンピック記録映画の制作などの劇的な演出もこのとき始まった。しかしその後、第二次世界大戦でオリンピックは2度も流会してしまうこととなった。
女性の参加
近代オリンピックで初めて女性の参加が認められた競技は、1900年の第2回パリ大会でのテニスゴルフである。その後セントルイス大会ではアーチェリーロンドン大会ではアーチェリー・フィギュアスケート・テニス、ストックホルム大会ではダイビング水泳・テニス、アントワープ大会ではダイビング・フィギュアスケート・水泳・テニスと変わったが、これらはいずれも大会を運営する中産階級の男性が許容できる「女性らしい」競技であった。クーベルタンは「体力の劣る女性の参加はオリンピックの品位を下げることにつながる。」と女性の男性的競技の参加に否定的だった。アリス・ミリア1919年に女子の陸上競技の参加を国際オリンピック委員会に拒否されると、1921年国際女子スポーツ連盟を組織し、1928年アムステルダムオリンピックで5種目ではあったが陸上競技が採用された。
拡大期
第二次世界大戦が終結し、1948年ロンドンでオリンピックが再開されたが、敗戦国の日本とドイツは招待されなかった。また1948年のロンドン大会から芸術部門が廃止され、スポーツ部門のみとなった。これによりオリンピックは「古代ギリシャの権威を身にまとった世界屈指の国際的なスポーツ競技大会」としての性格を確立することになった。1952年のヘルシンキ大会よりソビエト連邦(以下ソ連)が初参加し、オリンピックは名実と共に「世界の大会」とよばれ、同時に東西冷戦を象徴する場となりアメリカとソ連のメダル争いは話題となった。だが、2つの中国問題(中国と台湾)、ドイツ問題(東西ドイツ)など新たな問題点も浮かび上がってきた。そして航空機の発達により欧米のみに限られていたオリンピック開催地を世界に広める結果となり、初めての南半球での開催となる1956年メルボルン大会(オーストラリア)、初めてのアジアでの開催となる1964年東京大会(日本)とヨーロッパと北米以外の新たな地域からの開催地が仲間入りした。
オリンピック冬の時代
オリンピックが世界的大イベントに成長するに従って政治に左右されるようになると、1968年のメキシコシティ大会では黒人差別を訴える場と化し、1972年のミュンヘン大会ではアラブのゲリラによるイスラエル選手に対するテロ事件まで起きた(ミュンヘンオリンピック事件)。1976年のモントリオール大会になると、ニュージーランドのラグビーチームの南アフリカ遠征に反対してアフリカの諸国22ヶ国がボイコットを行った。そして、1980年のモスクワ大会ではソ連のアフガニスタン侵攻に反発したアメリカ・西ドイツ・日本などの西側諸国が相次いでボイコットを行った。1984年ロサンゼルス大会ではソ連と東側諸国が報復ボイコットを行ない、参加したのはソ連と対立していた中国ルーマニアだけだった。中でも、イラン革命後のイラン・イスラム共和国はモスクワとロサンゼルス双方のオリンピックをボイコットしている。
オリンピックが巨大化するに従って財政負担の増大が大きな問題となり、1976年の夏季大会では大幅な赤字を出し、その後夏季・冬季とも立候補都市が1〜2都市だけという状態が続いた。
商業主義
1984年のロサンゼルス大会は画期的な大会で、大会組織委員長に就任したピーター・ユベロスの指揮のもとオリンピックをショービジネス化し、結果として2億1500万ドルの黒字を計上した。スポンサーを「一業種一社」に絞ることにより、スポンサー料を吊り上げ聖火リレー走者からも参加費を徴収することなどにより黒字化を達成したのである。その後「オリンピックは儲かる」との認識が広まり立候補都市が激増し、各国のオリンピック委員会とスポーツ業界の競技レベル・政治力・経済力などが問われる総力戦の様相を呈するようになり、誘致運動だけですら途方もない金銭が投入されるようになってゆく。
1989年12月のマルタ会談を以て冷戦が終結してからオリンピックへの冷戦の影響は減り、共産圏と旧共産圏のステート・アマも減ったがその反面ドーピングの問題や過度の招致合戦によるIOC委員に対する接待や賄賂など、オリンピックに内外で関与する人物・組織の倫理面にまつわる問題が度々表面化するようになった。招致活動や関連団体への政治家の参入も増えている。
北京大会(+約10億元)やロンドン大会(+約3000万ポンド)は、黒字となり商業的には成功した。
一方でIOC加盟、非加盟にかかわらず、ほとんどの国際競技連盟主催の大会で会場広告は許されておりパラリンピックでも許されるようになったが、オリンピックではかたくなに禁止されている。広告収入がないだけでなく、オリンピック開催時の会場常設広告費の補償や撤去費、復元費は開催都市の負担を増している。
アマチュアリズムの崩壊とプロ化
アマチュアリズムの根底には「スポーツは貴族のもの」という階級主義があると考える人も多くいて世界に反階級主義が広がる中、アマチュアリズムはだんだんと軽んじられてきた。アマチュアリズムを徹底するとオリンピックは働かないでもスポーツに専念できる資産家ほど活躍できる状況になってしまうのであった。
一方で共産圏、旧共産圏の国や日本がスポーツアスリートを公務員として雇ったり、日本ではスポーツに専念している実質のプロ選手を企業が雇うステートアマチュア、企業アマチュアが横行しアマチュアリズムを進めるにはステートアマチュア、企業アマチュアをやっていない国からの不満が抑えられない状況になっていた。
1974年ウィーンでのIOC総会においてオリンピック憲章からアマチュア条項が削除されプロ選手の参加は各競技の国際競技連盟に任されることになった。
IOC内での「オリンピックを最高の選手が集う場にしたい」という意志と商業主義の台頭もあり、プロ選手の参加は促され、1992年のバルセロナ大会ではバスケットボール競技でアメリカのNBA所属の選手による「ドリームチーム」が結成され、大きな話題となった。
アジェンダ2020
21世紀に入ってから、オリンピックの開催地は2008年が北京(中華人民共和国)、2016年が南米初のリオデジャネイロ(ブラジル)といったBRICs各国に広まる。一方で、開催国の負担する費用の高騰化が敬遠され、立候補都市数は1997年入札の2004年大会時の12都市をピークに漸減しており、2010年代からは2~3都市で推移している。2017年入札の2024年大会では立候補都市がパリとロサンゼルスのみに留まり、IOCはオリンピック憲章の規約(開催の7年前に開催都市を選定する)に反し、2017年に2024年大会の開催地をパリに、2028年大会の開催地をロサンゼルスに割り振る決定を下した。
オリンピックが再び1980年代以前の冬の時代に戻ることを回避するための改革として、トーマス・バッハ第9代会長を中心に40項目の改革案「オリンピック・アジェンダ2020」が発案され、2014年12月のIOC臨時総会で採択された。その一つに参加選手数を夏季大会では約1万500人に抑えるポリシーがある(競技数28の現行上限を撤廃して種目数は約310に)。1984年のロサンゼルスが6829人(221種目)だったが、2008年の北京では10942人(302種目)まで増大していた。他にも、開催候補地の負担を減らすことや、八百長防止と反ドーピング活動のための資金提供を行うことなどが、盛り込まれた。
開催都市(「オリンピックの開催地選考」も参照)
開催都市の多くが北半球の都市である。南半球では冬季大会の開催が皆無、夏季大会もオーストラリアメルボルンで開かれたメルボルンオリンピック(1956年)、同じくオーストラリアのシドニーで開催されたシドニーオリンピック(2000年)、ブラジルリオデジャネイロで開催されたリオデジャネイロオリンピック(2016年)の3大会のみである。また、これまでアフリカで開催されたことはない。
開催を行うに際しては、各国・地域でオリンピックの開催を希望する自治体からの審査・ヒヤリングを各国・地域オリンピック委員会が行い、まずその国・地域内でのオリンピック開催候補地1箇所を選ぶ。その候補地を国際オリンピック委員会に推薦し正式に立候補を行い、国際オリンピック委員会総会において、委員会理事による投票で過半数を得ることが必要である。ただし投票の過半数を満たしていない場合、その回の投票における最下位の候補地を次の投票から除外する仕組みで繰り返し過半数が出るまで投票を繰り返す(最終的に2箇所になったところで決選投票となる)。
シンボル
近代オリンピックの象徴でもあるオリンピックのマーク(オリンピックシンボル)は、クーベルタンが考案し世界5大陸を5つの重なり合う輪で表現したものである。色については、背景の白とこの5色の計6色で、参加国の国旗に使われている色が少なくとも一つは含まれているように選定された。5つの重なり合う輪はまた、平和への発展を願ったものである。
なお、このオリンピックマークは1914年にパリで開催されたIOCの創設20周年記念式典で披露され、1920年のアントワープ大会から使用されているが、木綿で作られたオリンピック旗は一度盗まれ1980年のモスクワ大会では閉会式でアメリカにオリンピック旗が伝達されず次の大会ではレプリカを使用された出来事があり、そして1988年のソウル大会閉会式から合成樹脂のオリンピック旗が使われている。
式典(詳細は「オリンピックの式典」を参照)
開会式(「オリンピックの式典」および「Category:オリンピック開会式」も参照)
  開会式では、オリンピック賛歌を演奏することやオリンピック旗掲揚、開催国の国歌斉唱または演奏、走者達のリレーによる聖火点火、そして平和の象徴のが解き放たれることがオリンピック憲章で規定されていた。しかし、聖火台で鳩を焼いてしまったソウル大会での一件や、外来生物への危惧や鳩の生息できる環境ではない場所(特に冬季オリンピック)でオリンピックが行われる事もあるなどの理由から動物愛護協会の反対もあり、1998年の長野大会からは風船やモニター映像、ダンスなどによる鳩飛ばし表現が恒例になった。2004年版以降のオリンピック憲章では、鳩の使用についての規定も削除された。ロンドン大会では、鳩のコスチュームをまとった人々が自転車に乗って登場し、そのうちの一人がワイヤーアクションで空中へ上昇した。
  開会式の入場行進はオリンピックの発祥地であるギリシャの選手団が先導し、その後参加国は開催国の言語順に入場し、最後に開催国の選手団が入場する。ギリシャのアテネが開催地となった2004年は、まずギリシャの旗手のみが先導して入場し、最後にギリシャの選手団が入場していた。
開会宣言はオリンピック憲章55条3項により以下のとおり。
夏季オリンピック
私は、第○回近代オリンピアードを祝し、オリンピック(開催都市名)大会の開会を宣言します。
冬季オリンピック
私は、第○回オリンピック冬季競技大会(開催都市名)大会の開会を宣言します。

使用される言語は開催国の任意であるが、内容の改変、アドリブは認められない。2002年ソルトレークシティオリンピックではジョージ・W・ブッシュ大統領が「(オリンピック開催国に選ばれたことを)栄誉とし、(その成功に)専心しつつ、かつ(その機会を得たことに対する)感謝の念に満ちたこの国を代表し(On behalf of a proud, determined and grateful nation...)」の一節を付け加えて開会宣言したが、これはオリンピック憲章違反である。
また、開催国国家元首による開会宣言の直後にその大会ごとのファンファーレが演奏されることが通例となっている。1984年のロサンゼルス大会のファンファーレ(ジョン・ウィリアムズ作曲)は世界的に有名となった。なお、あくまでその大会ごとのファンファーレであって、オリンピックの公式ファンファーレは存在しない。なお、夏季大会では試合日程の関係で開会式の前に競技を開催するもの(例えばサッカーなど)がある。
競技種目(詳細は「オリンピック競技」を参照)
大会の継続的運営と商業主義
大会の大規模化とともに開催に伴う開催都市と地元政府の経済的負担が問題となったが、ユベロスが組織委員長を務めた1984年のロサンゼルス大会では商業活動と民間の寄付を本格的に導入することによって、地元の財政的負担を軽減しオリンピック大会の開催を継続することが可能になった。それを契機とし、アディダス電通などを始めとした企業から一大ビジネスチャンスとして注目されるようになった。
元々、オリンピックは発足当初からアマ選手のみに参加資格を限って来たが、旧共産圏(ソ連やキューバなど)のステートアマ問題などもあり、1974年にオーストリア首都ウィーンで開催された第75回IOC総会で、オリンピック憲章からアマチュア条項を削除した。さらに観客や視聴者の期待にも応える形で、プロ選手の参加が段階的に解禁されるようになった(当初はテニスなど限られていたが、後にバスケットボールサッカー野球などに拡大)。
1984年ロサンゼルス大会の後、フアン・アントニオ・サマランチ主導で商業主義(利権の生成、放映権と提供料の高額化)が加速したと言われたことがあり、またかつて誘致活動としてIOC委員へ賄賂が提供された事などが問題になったことがある。さらには、年々巨大化する大会で開催費用負担が増額する傾向があったがジャック・ロゲ会長の代になり、これまで増え続けていた競技種目を減らし、大会規模を維持することで一定の理解を得るようになった。
なお、現在のIOCの収入構造は47%が世界各国での放送権料で、また45%がTOPスポンサーからの協賛金、5%が入場料収入、3%がオリンピックマークなどのライセンス収入となっており、このうち90%を大会組織委員会と各国オリンピック委員会、各競技団体に配布する形で大会の継続的運用を確保している
過熱化する招致合戦と賄賂問題
1988年大会は有利と言われていた名古屋を抑えてソウルが開催地に選ばれたが、その裏ではソウル関係者のIOC委員への過剰な接待がなされていたとされる[41]。1998年には、ソルトレークシティ大会の組織委員会が、カメルーンのIOC委員の子どもの奨学金を肩代わりしていた贈賄事件が発覚。翌1999年には、オーストラリア大会の招致責任者がウガンダとケニアのIOC委員に金銭を支払っていたことも発覚した。これを受け、複数のIOC委員が除名された。2017年には、ブラジルオリンピック委員会のカルロス・ヌズマン会長が、リオデジャネイロ大会招致にあたりIOC委員に金銭を支払っていたとして逮捕され、ブラジル検察によって起訴されている。またブラジル検察は、東京大会招致委員会からIOC関係者への送金についても明らかにし、買収目的だったと指摘している。ただし、開催費の高騰から、近年は立候補都市が減少している。
莫大な開催費
1976年のモントリオール大会では大幅な赤字を出し、2006年までの30年間にわたり特別税を徴収し返済を行った。また2004年のアテネ大会では施設建設費の多くを国債で賄った為、2010年のギリシャ危機の一因ともなった。前述のとおり、こうした莫大な開催費用が敬遠され、近年は立候補都市が減少している。
スポンサーやテレビ局への優遇
1984年のロサンゼルス大会からは商業主義を取り入れることとなった。この方式は成功したが、一方で、IOCが、競技者よりも、金銭を提供するテレビ局やスポンサーを優遇する問題が生じている。2008年の北京大会ではアメリカのテレビ局NBCの意向で、アメリカでの視聴率が取りやすいように(北京の午前はアメリカの夜のゴールデンタイムになるため)一部の競技の決勝が午前中に開催された。2018年の平昌大会ではその傾向が顕著になりスキージャンプ競技は深夜の風の強いコンディションで行われ、更に普通夕方~夜に行われるフィギュアスケートは午前から競技開始と異例の競技時間となった。2020年の東京大会でもNBAやNFLなどアメリカ国内の他プロスポーツとの兼ね合いから開催時期を7~8月に設定した結果、後に猛暑から選手の健康を守るという観点で開催9ヵ月前にも関わらず、男女マラソンや競歩の開催地を東京から札幌市に移す一因にもなった。後述のアンブッシュ・マーケティング規制は、スポンサーにのみオリンピックへの言及を許し、一般企業がオリンピックを応援することを規制しようとする試みである。
ボランティアという無料労働
大会の運営には、数万のボランティアが動員される。IOCも大会ボランティアの必要性を認めており、開会式あるいは閉会式にはボランティアへの謝意が示される。しかしボランティアは無報酬であり、さらに開催地への滞在費などは自己負担であり、長期にわたって拘束される。そのため2016年リオデジャネイロオリンピックでは5万人のボランティアのうち1万5000人が欠勤した。その理由は過酷な労働条件が「参加するに値しない」と判断されたためであった。
著述家の本間龍は、現在の商業五輪において、様々な労働条件を付帯した無償ボランティアを募集することは、自発性、非営利性、公共性が求められるボランティアの本来の趣旨に反していると指摘し、「善意で集まってくるボランティアを徹底的に使役しようとしている、「五輪という美名のもとにあらゆる資格の価値を無視し、すべて無償で調達しよう」としているとして批判している。また、2020年東京五輪組織委員会のボランティア募集の呼びかけに応じた教育機関や医療関係団体が、学生や加盟者にボランティア参加要請することについては、「思慮がない」「無責任」と評している。
政治利用の問題
最初にオリンピックを政治的に利用したとされるのは1936年のベルリン大会の際のヒトラーであるが、戦後オリンピックが世界的なイベントとして認知されると、国威発揚のために政治的に利用する国が多くなった。オリンピック憲章ではオリンピックの政治的利用は禁止とされているが身近な例では金メダルをとった選手の表彰式の際、国歌が流れ、国旗が掲揚される。この儀式に対して強く疑問に思ったのが、1936年のベルリン大会のマラソン競技で日本統治時代の朝鮮から「日本代表」として出場し優勝した孫基禎である。共産主義時代のソ連東欧諸国では国威発揚の為国家の元でオリンピック選手を育成し(いわゆる「ステート・アマ」)、メダルを量産してきた。共産主義が崩壊した今でもその傾向は続いており2016年のリオデジャネイロ大会の前にはロシアが国家主導で過去の大会においてドーピング行為を行ったことが判明した(ドーピング問題については後述)。アメリカ合衆国でも2002年の冬季ソルトレークシティ大会の開会式の際は前年の米国同時多発テロで崩壊したニューヨーク世界貿易センタービルの跡地から発見された星条旗が入場させている。日本の一部メディアは、2020年の東京オリンピックを「国威発揚」と位置づけるものもあった。
そして行き過ぎた政治利用は開催に反対する為のボイコットやテロを生んできた。冷戦期における先述のモスクワ大会、ロサンゼルス大会の大規模ボイコットやミュンヘン大会で発生したテロの他に1996年のアトランタ大会でもオリンピック公園を標的としたテロが発生している。また国際オリンピック委員会は世界平和の実現と、人権の尊重、差別の撲滅などを推進する「オリンピックムーヴメント」を推進することを標榜しているが、オリンピックムーヴメントの理念にそぐわない国が開催することに異議を唱える運動もしばしば起こり、2008年の北京大会では大会に反対するデモが相次いだ。また2014年ソチ冬季大会ではロシアの「ゲイ・プロパガンダ禁止法」に抗議してアメリカ、ドイツ、フランスなど欧米諸国の首脳が開会式を欠席した
ドーピング問題
1960年のローマ大会の自転車競技で競技後選手に死者がでたが、その選手は後に興奮剤のアンフェタミンを投与されていたことが判明した。これをきっかけにIOCはドーピング対策に本腰を上げる事になったが、ドーピング問題を世界に知らしめたのは1988年のソウル大会でベン・ジョンソンが100m走で世界新記録を出しながら、競技後のドーピング検査で禁止薬物のスタノゾロールが発見されて失格になってからである。その後1999年には世界アンチ・ドーピング機関(WADA)が設立されドーピングへの取り締まりが強化されたが、科学技術の進歩を背景にドーピング検査に引っかからない薬物等の開発とそれを取り締まる検査法の開発…といったイタチごっこの状態が続き、2016年のリオデジャネイロ大会の直前にはロシアが国家主導で過去の大会でドーピングを行ったとWADAより発表されてロシア選手団389人のうち118人が出場できないという事態となった。
アンブッシュマーケティング規制の問題
オリンピック委員会側が主張する問題
国際オリンピック委員会は、無関係の会社や店舗などの組織が「オリンピックを応援する」などと言うことは、実際は応援では無くオリンピックの知名度等を不正に利用する「アンブッシュマーケティング」であると称し、禁止をしている。その理由としてオリンピックの公式スポンサーのみが排他的な商業的利用権が与えられていると述べている。
他組織の見解主張
日本広告審査機構(JARO)は、「いかなる文言を使用しようとも、商業広告で2020年のオリンピック東京大会を想起させる表現をすることは、アンブッシュ・マーケティング(いわゆる便乗広告)として不正競争行為に該当するおそれがあり、JOC(日本オリンピック委員会)やIOC(国際オリンピック委員会)から使用の差し止め要請や損害賠償請求を受ける可能性がある」との見解を出しており、「東京オリンピック・パラリンピックを応援しています」という直接的な表現以外に「祝・夢の祭典」「2020円キャンペーン」など間接的に連想できる物もアンブッシュマーケティングである可能性であることを示唆している。
友利昴氏(1級知的財産管理技能士・著述家)はオリンピック委員会の規制には根拠がないことが明らかにしている。過去の裁判やトラブル事例から「キャンペーンや抗議行動の態度からうかがえる、非常に旺盛な権利保護方針の割には、実際にはなんでもかんでも訴えているわけではない」と指摘し、アンブッシュマーケティングをめぐり訴訟になった数少ない裁判では、IOC側が敗訴していることを挙げている(オーストラリア、カナダ)。また上記のJAROの見解はIOCやJOCへの忖度に過ぎないとして、(JAROが正しい法的検討をせずに)「逃げを打つのは、広告業界の指針となるべき団体として、適切な姿勢といえるだろうか」と批判している。
日本の商標権に関する規則では登録商標は同一又は類似した商品・役務の登録商標にのみ独占権があるとしており、オリンピックそのもの(大会や委員会)を示すために使うことは合法であるとしている。飲食店の屋号や表示として「オリンピックレストラン」などと表示するのは違法だが、「オリンピックを見ながら飲食しましょう」と宣伝するのは問題無いとしている(商標としての独占であり、言葉の独占では無い)。
設備の維持管理
開催に向けて土地を工面し巨額な建設費をかけて完成した競技会場及び関連施設が、大会終了後は維持管理先が決まらなかったり、再活用や運営が予定通りに進まず資金面などで維持管理が困難になる結果、レガシーとして残されずに撤去されたり廃墟化するケースがある。
TOP
TOPとは「ワールドワイドパートナー」(: The Olympic Programme)の事である。元々、オリンピックマークの商業使用権は各国のオリンピック委員会(NOC)が各々で管理をしていたが、サマランチ会長がIOCの一括管理にした事から1988年の冬季カルガリー大会と夏季ソウル大会から始まったプログラムで、オリンピックの中でも全世界的に設けられた最高位のスポンサーである。基本的には4年単位の契約で1業種1社に限定されており、毎回計9〜11社ほどが契約を結んでいる。なお、TOPにパナソニックゼネラル・エレクトリック(GE)、サムスンと同業種の企業が名を連ねているが、これはパナソニックが音響・映像機器、サムスンは無線通信機器と細分化されており、またGEはエネルギー関連、インフラ、照明、その他の電気製品などの上記と重ならないカテゴリーのスポンサーとなっているからである。
この他にも、各国のオリンピック委員会とオリンピック組織委員会が国内限定を対象とした「ゴールドスポンサー」(1社数十億円程度)、権利はゴールドスポンサーと同様だがTOPと競合しない事が条件の「オフィシャルサプライヤー/サポーター」(1社数億円程度)、グッズの商品化のみが可能な「オフィシャルライセンシー」がある。
TOPの権利
TOPは指定された製品カテゴリーの中で独占的な世界規模でのマーケティング権利と機会を受ける事ができる。また、IOCや各国オリンピック委員会、オリンピック組織委員会といった関係団体と共に商品開発などをする事も可能である。
なお、TOPはすべての大会の権利使用許可、大会放送での優先的な広告機会、大会への接待機会、便乗商法からの権利保護、大会会場周辺での商業活動、公式スポンサーとしての認知機会が与えられる。
日本との関わり
日本が初めて参加したのは、1912年に開催されたストックホルム大会である。これはオリンピックの普及に腐心したクーベルタン男爵の強い勧めによるものであるが、嘉納治五郎を初めとする日本側関係者の努力も大きかった。最初は男子陸上のみによる参加であったが、アムステルダム大会からは女子選手も参加した。アムステルダム大会から日本国の予算で選手渡航費が計上された。それまでは自費で渡航していた。
なお、ストックホルム夏季大会で嘉納治五郎は日本人初のIOC委員として参加し、また男子陸上の選手として参加したのは短距離の三島弥彦とマラソン選手の金栗四三で、この2名が日本人初のオリンピック選手として大会に参加した。
日本選手のメダル獲得、ベルリン大会から始まったラジオ実況中継、聖火ランナーなどにより、日本での関心が増し、1940年の夏の大会を東京に、1940年の冬の大会を札幌に招致する事に成功したが、これらの大会は日中戦争支那事変)の激化もあり自ら開催権を返上した。戦後のロンドン大会には戦争責任からドイツと共に日本は参加を許されず、ヘルシンキ大会より復帰している。
日本国内での開催は、夏季オリンピックを東京、冬季オリンピックを札幌(これらはそれぞれアジア地区で最初の開催でもある)および長野で行っている。さらに、2020年の夏季オリンピックの開催地に東京が選出され、2度目の開催が決定している。
オリンピックの開催年は、全国高等学校野球選手権大会の日程が調整されることがある。1992年の第74回全国高等学校野球選手権大会ではバルセロナオリンピックの終了を待って8月10日から開催され、逆に2008年の第90回全国高等学校野球選手権記念大会では北京オリンピックとの重複を可能な限り避けるために大会史上最も早い8月2日から開催された。
報奨金
日本オリンピック委員会は、1992年アルベールビルオリンピック以降のオリンピック金メダリストに300万円(2016年リオデジャネイロオリンピックからは500万円)、銀メダリストに200万円、銅メダリストに100万円の報奨金を贈っている。
五輪
五輪は、近代オリンピックのシンボルマークである5色で表現した5つの輪と宮本武蔵の『五輪書』の書名を由来として、読売新聞社記者の川本信正が1936年に考案した訳語である。本人は「以前から五大陸を示すオリンピックマークからイメージしていた言葉と、剣豪宮本武蔵の著「五輪書」を思い出し、とっさに「五輪」とメモして見せたら、早速翌日の新聞に使われた」と述べている。








このTopに戻る






monomousu   もの申す
最近のニュース
TOPにもどる