ナシオナル ジオグラフイック-1(Nationalに関して)
ナショナル ジオグラフィック へ転送します。)


2022.10.01-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20221001-C47AQ6UQO5I57IBQRYWMOIYLWM/
ウクライナから淡路島へ 平和祈る22歳のバレリーナ
(清水更沙)

  バレエ大国のウクライナから戦禍をくぐり抜け、約4カ月前に兵庫県・淡路島へたどり着いた2人のバレエダンサーがいる言葉も文化も異なる日本でバレエに打ち込む日々。長期化する軍事侵攻に不安もあるが、「私たちのバレエを通して、ウクライナのことを知ってほしい」と前を向く。再び舞台に立てる喜びをかみしめながら、毎日の練習に励んでいる。

  「だんだん生活にも慣れてきて、最近は大阪に出かけることもあります」。こうはにかむのは、西部リビウの国立バレエ団に所属していたスベトラーナ・シュリヒテルさん(22)とネリア・イワノワさん(22)。5月に祖国を離れた2人は現在、パソナグループの支援のもと淡路島で生活している。
  2人が所属していたバレエ団では、多いときで月に20回近い公演があった。多忙ながら充実した時間を過ごしていたイワノワさんは、「ステージで踊っている瞬間や舞台を終えた後の達成感が大好き」と話す。
  しかし、そんな日常はロシア軍の侵攻で一変した。劇場公演は中止に追い込まれ、レッスンの最中も空襲警報が鳴ると、シェルターに逃げ込む日々。落ち着いてバレエと向き合える環境ではなくなっていった。
  そんな同国の苦境を知り、手を差し伸べたのが、淡路島を拠点に活動する針山愛美(えみ)さん(45)だった。ロシア国立ボリショイバレエ学校を首席で卒業した世界的バレエダンサーで、以前からウクライナ出身のダンサーとも交流があった。縁のある両国が戦争状態にあることに心を痛め、「自分にできることはないか」とウクライナのダンサーを淡路島に受け入れることを発案した。
  支援には本社機能の一部移転を淡路島に進めるパソナグループが関与。社員寮の提供などで、ダンサーの受け入れ準備を進めた。
  日本でサポートが受けられることを知った2人は来日を決意し、慣れ親しんだバレエ団を退団。来日前、母国で迎えた最後の公演は忘れられないといい、シュリヒテルさんは「悲しい気持ちでしたが、団員が集まってくれて『また戻ってきてね』と言ってくれた」。目を赤くしながら当時を振り返る。
広がる活動の場
  生まれ育った故郷とまったく異なる環境の淡路島で再出発した2人。針山さんは「若いころの自分と重なる。決心してやってきた2人に、できるかぎりのことをしたい」と語る。
  言葉や文化の壁はあるが、日本でなぜバレエを続けるのか、2人は新たな意義を見いだしている。「ダンサーという立場で(日本から)ウクライナをサポートしたいし、助けたい」

  ウクライナの独立記念日に当たる8月24日に行われた公演では、祖国のことを多くの人に知ってほしいと、クラシックバレエだけでなくウクライナの民族舞踊などを披露した。針山さんの演出で、日本の若手ダンサーらとともに舞台をつくりあげ、世界平和を訴えた。今後も日本でさまざまな舞台に挑戦したいという2人。9月末から淡路島で開催中のパフォーマンス公演「あわじアートサーカス2022」にも出演するなど、活躍の場を広げている。
  戦争が始まり7カ月が過ぎた。2人は「こんなに続くとは思っていなかった。一刻も早く平和が訪れてほしい」と祖国の行く末を案じる。悲しい戦争が終わることを信じ、遠く離れた異国の舞台で踊り続ける。
(清水更沙)


ナショナルジオグラフィック (雑誌)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ナショナル ジオグラフィック』(英語: National Geographic)は、ナショナル ジオグラフィックパートナーズ社の雑誌。創刊は1888年で、ナショナル ジオグラフィック協会創設後9カ月後に公式雑誌として刊行された。当初の誌名は National Geographic Magazine。しばらくして表紙黄色を特徴とするようになった。

  月刊誌として年間12冊発行されており、それに加えて付録地図を発行している。また、時に特別号も発行している。地理学人類学自然環境学ポピュラーサイエンス歴史文化、最新事象、写真などの記事を掲載している。現在の編集長はスーザン・ゴールドバーグ(Susan Goldberg)。
  世界中で36カ国語で発行されており、180か国以上で850万人が定期購読している。日本語版の発行部数は約8万4千部(日本ABC協会2009年公査部数)であり、読者は首都圏のみで42%を超える。また、読者の平均世帯年収(SA)が高く、日本における高級誌の一角を占めている。
  2007年、2008年、2010年の3回、American Society of Magazine Editors (ASME) の(発行部数200万部以上の部で) General Excellence Award を受賞。
  2010年には報道写真エッセイの部門で最高ASME賞も受賞している。
非営利団体「ナショナル ジオグラフィック協会」の公式雑誌として発行されていたが、2015年アメリカの21世紀フォックス(現・ウォルト・ディズニー・カンパニー)に売却され、新会社ナショナルジオグラフィックパートナーズの刊行物となった。
歴史
National Geographic Magazine の創刊号は、協会が創設されたわずか8カ月後の1888年9月22日に発行された[3]。ナショナル ジオグラフィックの特徴は学術誌でありながら絵や写真を多用した雑誌だという点で、1905年1月号に掲載されたロシア帝国の2人の探検家 Gombojab Tsybikov と Ovshe Norzunov によるチベット探検時の写真をページ全面の大きさで掲載したことにその特徴がよく現れている。
  1985年7月号の表紙には、アフガニスタンの13歳の少女 Sharbat Gula の写真が使われ、同誌の歴史上最も有名なイメージの1つとなっている。
  ナショナル ジオグラフィックは1997年、それまでの100年以上の同誌の内容をデジタル化してCD-ROMDVDに収めた The Complete National Geographicを発売したが、個々の写真や記事や絵の著作権者の許諾を得ていないとしていくつかの訴訟を起こされ、裁判が長く続いた。連邦裁判所でナショナル ジオグラフィックが紙の雑誌の電子的複製を作る権利を有することを認める2つの判決が下され、2008年12月に合衆国最高裁判所が上告を棄却した。これを受けてナショナル ジオグラフィックは1888年から2008年12月号までのバックナンバーを全て収めた新たな版のThe Complete National Geographic を2009年7月に発売した。
  翌年には2009年のぶんを追加した版をリリース。以前の版を購入した人向けに追加した部分だけを収めたディスクも発売している。今後も毎年電子版を発売する予定だという。
  2006年、ナショナル ジオグラフィックのライター Paul Salopek が取材のためスーダン査証なしで入国し、スパイなどの疑いで逮捕された。
  ナショナル ジオグラフィックと Salopek が記事を書いていたシカゴ・トリビューンがスーダン政府に働きかけ、最終的に Salopek は釈放された。
写真
  最高品質の記録写真を掲載してきたことでも知られている。写真の掲載基準はきわめて厳格で、カメラマンの撮影してきた大量の写真のうち、誌面に載るのは1万枚から1-2枚という。また技術革新への対応も意欲的で、三脚と写真乾板を使う大きなカメラから35mmリバーサルフィルムへ、白黒写真からカラーへ、銀塩フイルムからデジタル写真への移行も迅速に行った。2006年、ナショナル ジオグラフィックは国際的な写真コンテストを開催し、18カ国から写真が集まった。雑誌に掲載された写真は、写真集として出版されることもある。ナショナル ジオグラフィック発祥の写真のスタイルとして Red Shirt School of Photography と呼ばれるものがある。近年では雑誌に寄稿した写真家による写真のハウツー本なども発行している。特にシリーズ化された「プロの撮り方」は「風景」「野生動物」「旅行写真」などのシチュエーション別だけでなく、「露出」「構図」「画像編集」など専門的な内容も出版されている。
地図
  記事を補足するため、対応する地域の地図が雑誌に付属することがある。
  ナショナル ジオグラフィック協会は1915年に National Geographic Maps 部門(当初の名称は Cartographic Division)を創設。同誌初の付録地図は1918年5月号のもので、第一次世界大戦で海外に赴いた兵士とその家族のための The Western Theatre of War と題した地図だった。
  協会の地図アーカイブは、自前の地図製作予算が限られているアメリカ合衆国政府が利用することもあったアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトホワイトハウスの地図室にはナショナル ジオグラフィック製の地図が多数あった。ロンドンのチャーチル博物館は、ウィンストン・チャーチル自身がヤルタ会談で書き込みをしたナショナル ジオグラフィック製のヨーロッパ地図を展示している。
  2001年、1888年から2000年12月号までの全ての地図を収めたCD-ROM8枚セットが発売された。印刷した地図は NGMapcollection.com で入手できる。
批判
  Linda Steet は著書 Veils and Daggers: A Century of National Geographic's Representation of the Arab World でナショナル ジオグラフィックについて次のように批判している。男権主義的修辞技法、異文化の接触を一方的観点で見ること、世界を階層化された構造として見ていながら客観性を主張していること。
  Lutz と Collins は著書 Reading National Geographic で、ナショナル ジオグラフィックにはアメリカの既成の体制と密接な関係があり、政府高官や企業の利権と密接に関連していると主張した。Reading National Geographic では、掲載された写真が電子的に編集されている例を挙げている。上半身が裸のポリネシアの女性の写真は、肌の色を暗くしていた。肌の色が明るい女性をトップレスで撮影した写真が同誌に掲載されたことはない。
  同書ではまた、ナショナル ジオグラフィックのカメラマンが被写体の人物の衣装が暗すぎると感じると、もっと明るい色の衣装に着替えるよう勧めた方法を記している[12]。1950年から1986年までの同誌に掲載された写真を分析し、同書の著者は次のようなテーマがあると主張している。
  第三世界の人々は異国的なものとして描かれる。理想化され、1つの歴史観に沿った形にそぎ落とされ、性的特色を付与される。こういったテーマは戦後の一時期に隆盛を迎え、その後衰退したが、完全になくなったわけではない。
  Rothenberg はナショナル ジオグラフィックが主流大衆文化の一部であるとし、歴史的には古いヨーロッパや西洋以外の未開地とは異なるものとしてアメリカのアイデンティティを明確化することに貢献したとしている。それは、市民的でテクノロジー的に優越したものだが、同時に温和で友好的
     なアイデンティティである







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