マカオ問題



2019.8.7-BBC ニュース-https://www.bbc.com/japanese/49259964
中国、香港デモ隊に「火遊びするな」 中央政府を過小評価しないよう警告

中国は6日、香港で9週間にわたり続いている、反政府や民主化を求めるデモの参加者に対し、「火遊び」しようとすれば「火によって滅びるだろう」とし、「中央政府の確固たる姿勢を過小評価」しないよう強く警告した。

国務院香港マカオ事務弁公室(HKMAO)はこの日、2週間で2度目となる記者会見を行なった。HKMAOが香港に関する会見を開くのは異例。
HKMAOの楊光報道官は、「過激なデモ」が、香港を「非常に危険な状況の瀬戸際に」 陥れていると述べ、デモ隊に対し、「自制を弱さだと誤解」しないよう忠告した。
さらに、林鄭氏に辞任を迫ろうとしても「何にもならないだろう」とした上で、一連の抗議行動は香港経済に「深刻な影響」をもたらしたと述べた。
中国政府はこれまで、香港のデモについてたびたびけん制してきたが、今回の発言はその中でも最も厳しい警告の1つとなった。

楊光報道官は、デモの最前線には「過激で暴力的な」者たちが、デモの中心には、「誤った方向へと導かれ、良くない意図を持った」市民がいたと述べた。
また、舞台裏で香港問題に干渉し、不安を煽ったとして、西側諸国の「反中国勢力」を非難した。
その例として報道官は、香港での抗議行動を「美しい光景」だと発言したアメリカの野党・民主党幹部ナンシー・ペロシ下院議長や、香港警察による武力行使について捜査を呼びかけたイギリスのジェレミー・ハント前外相を挙げた。
一方、民主化を求める林卓廷(ラム・チュクテン)議員は、BBCに対し、抗議行動の背後に「外部からの圧力」はないと述べた。
「これは、国外の政権が企てたものではなく、香港の人々が自発的に行なっている活動だ」
専門家は、抗議行動には先導者がおらず、予測不能なかたちが多く、「フラッシュ・モブ」のような市民的不服従や、ソーシャル・メディア・アプリを介した呼びかけなどが含まれると指摘している。

中国軍の介入は
中国人民解放軍(PLA)が香港に兵士を駐留させている一方で、地域問題に干渉することは想定されていない。法律上、香港政府がPLAに対し、治安維持や災害援助などへの協力を要請することは認められてはいるが。
PLAの介入の可能性について問われた楊光報道官は、中国政府は、香港警察が秩序を回復できると確信していると述べるに留まった。
先週、香港に駐留するPLAは、中国のソーシャルメディア「微博(ウェイボ)」に、暴動防止訓練を行なう兵士の動画を投稿し、不安を引き起こした。


マカオ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中華人民共和国マカオ特別行政区、通称マカオは、中華人民共和国の特別行政区の一つ。中国大陸南岸の珠江河口(珠江デルタ)に位置する旧ポルトガル海外領土で、現在はカジノや世界遺産を中心とした世界的観光地としても知られる。

概要
マカオは珠江の最下流域、西の河口に位置し、中華人民共和国広東省広州からは南西に145km、香港からは南西に70km離れている。広東省の珠海市に接し、中国大陸本土南海岸に突き出たマカオ半島と、沖合いの島から構成される。この島は、もともとタイパ島コロアネ島という二つの島であったが、島の間は埋め立てられてコタイと呼ぶ地域となり、全体がひとつの島のようになっている。現在、半島部と旧タイパ島の間は3つの橋でつながれ、コタイから西に珠海市と結ぶ橋もできている。
1999年までポルトガルの海外領土であったマカオは、中国大陸のヨーロッパ諸国の植民地の中ではもっとも古く、域内に植民地時代の遺構が数多く点在する。このため、2005年7月15日に、マカオの8つの広場と22の歴史的建造物がマカオ歴史地区という名前でユネスコ世界遺産文化遺産)に登録された。
域内には多くのカジノが運営されていることから、「東洋ラスベガス」ともいわれている。歴史的建造物とカジノが、香港や中華人民共和国本土のほか、東南アジア東アジア域内から多くの観光客をひきつけ、それに隣接しているホテルを含む観光産業が盛んである。毎年11月に市街地を使って行われるマカオグランプリは世界的に著名で、この時期に多くの観光客をひきつけている。
マカオと香港間は24時間高速船が約1時間で結んでおり、ほかにもヘリコプターによる定期便が頻繁に運航される。日帰りで訪れる香港人や旅行客も多い。2018年10月23日に香港とマカオを結ぶ港珠澳大橋が完成した

第二次世界大戦
1939年9月に起きた第二次世界大戦においてポルトガルは中立国となり、その後1941年12月に勃発した太平洋戦争を通じて日本とも中華民国ともイギリスとも交戦状態に入らず、ポルトガルの海外県政庁のもとで中立港として機能した。このため、戦禍を逃れようとした大量の難民が中国大陸から流れ込んだ。
イギリスなど各国領事館が在したマカオは、大戦中は諜報活動の場となった。日本も1941年1月に在マカオ日本領事館を設置、蒋介石の直属機関(藍衣社)等による抗日活動と標的テロも勃発し、ドイツの敗戦が濃厚となる1944年末には対日テロが激化した。
1945年には福井保光駐マカオ領事が中国人の襲撃に会い、拳銃で射殺されるという事件が起きている。なおマカオ人の少数が香港防衛義勇軍(Hong Kong Volunteer Defense Corps)のメンバーであり、香港の戦いで日本軍の捕虜となった。また、ポルトガル人警察官による澳門特務機関員への発砲事件などが発生するなど、緊迫した事件が相次いだ。

戦後
1945年8月に第二次世界大戦が終結し、日本軍が中国大陸から撤退した後に、中華民国総統である蒋介石率いる中国国民党と、毛沢東率いる中国共産党の間に国共内戦が勃発した。
その後1949年には、毛沢東率いる中国共産党が、北京首都とした中華人民共和国を設立し、中華民国に代わって中国大陸の大部分を統治するようになったものの、その後もイギリスが統治を続けた香港同様、マカオも依然としてポルトガルの統治が続いた。
なお、ポルトガルは中国共産党政府を西側陣営で早くも1950年承認したイギリスとは異なり、第二次世界大戦後もファシズム的なエスタド・ノヴォと呼ばれる長期独裁体制が存続していたアントニオ・サラザール政権下にあったこともあり、中華人民共和国との国交は持たないままであった。

返還
その後、1984年に行われたイギリスと中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987年4月13日にポルトガルと中華人民共和国がマカオ返還の共同声明に調印し、マカオの行政管理権は1999年12月20日に中華人民共和国へ返還され、マカオを特別行政区にすることになった。初代行政長官には何賢の息子である何厚カが就任した。

返還後のマカオの行政長官は、選挙委員会が選んだ者を中華人民共和国の中央政府が任命する形となっている。中華人民共和国の領土の一部であり、政治的にもその下に入ることとなったが、返還後50年間は現状の保全が取り決められている。このため、現在もポルトガル語が公用語として使用されるほか、ポルトガル統治時の法律の多くがそのまま適用される。住民は、中華人民共和国本土より大幅な自由が保障されている。
返還以来、マカオには中国人民解放軍が駐屯している。出動したのは2017年8月、台風被害の対応が初めてである
ポルトガル語中国語広東語)と並ぶ公用語とされ、政府の公文書におけるポルトガル語表記や、道路表示や看板などの全ての表示にはポルトガル語と中国語の表記が義務付けられている他、一部のカトリック系学校においてポルトガル語の授業が設けられているものの、少数のポルトガル系住人を除くほとんどのマカオ住民が日常的に使用する言語は広東語である。尚、上述の通り、以前より中華人民共和国との結び付きが強かったため、香港に比べ若い世代を中心に普通話の理解度が高い(広州とほぼ同程度)。
2002年には、カジノ経営権の国際入札を実施し、その結果これまでスタンレー・ホー経営の「Sociedade de Turismo e Diversões de Macau,S.A.(STDM/澳門旅遊娯楽股份有限公司)」が独占してきたギャンブルを含むカジノ産業を、香港系の銀河娯楽アメリカの「ウィン・リゾーツ(永利渡暇村)」社にも開放し、その結果ラスベガス・サンズなど多くの外国からの投資を呼び込むことに成功し、2004年から2014年まで2桁の経済成長を続けて世界で最も1人当たりの国内総生産(GDP)が高い地域の1つとなり先進国水準の公共サービスや社会福祉制度も充実するようになった。2008年からはインフレ対策や富の再分配を名目にマカオ市民への9000パタカ(約12万円)の定額給付金も2019年時点で毎年実施されてきた。また、カジノに偏らない統合型リゾート(IR)も整備され、ラスベガスも上回る顔認証システムを搭載した監視カメラの設置などICTを活用したスマートシティ化も進められた

地理
南シナ海に面するマカオは、中心地となる半島部と、タイパ島とコロアネ島の間を埋め立ててつなげた島からなる。半島部は、東には珠江(パールリバー)、西には西江があり、中華人民共和国の本土の珠海経済特区と隣接している。
1970年代以降に大規模な埋立が行われたため、マカオの地形は概ね平坦であるが、多数ある険しい丘が、元の地形の名残をとどめている。マカオ半島は元々島だったが、徐々に砂州が伸びてゆき、狭い地峡になり、その後の埋め立てにより狭い水路を残して大陸と一体化した(陸繋島)。
マカオは高度に構造物が密集した都市であり、耕地、放牧地はなく、実質的に農業はほとんど行われていない。このために、マカオの人々は伝統的に海に目を向けて生計を立ててきた。 

政治
マカオの行政長官は、各業界団体から選出された委員からなる選挙委員会が選んだ者を、中華人民共和国の中央政府が任命する。行政長官は7〜11人からなる行政会と呼ばれる内閣を組織する。マカオの中国系住民の名望家であり、銀行家でもあったエドモンド・ホー何厚鏵)が1999年12月20日にポルトガル統治下で任命されたロシャ・ヴィエラ(Rocha Viera)総督に代わるマカオ特別行政区初代行政長官に中華人民共和国から任命された。
立法機関はマカオ特別行政区立法会であり、マカオ住民の直接選挙で選ばれた12人の議員と各種職能団体(職能代表制)を通じて間接的に選出される10人の議員、及び行政長官が指名する7人の任命議員で成り立っている。立法会はあらゆる分野での法規定立の責任を負っている。現在のマカオには政党を名乗る政治集団が存在せず、住民は政治目的ごとに社団を組織して議員選挙に参加している。(社団の一覧についてはマカオの政党を参照のこと。)

司法
マカオでは長年、大陸法系ポルトガル法に基いた司法制度が運用されてきたが、中国返還後も継続している。返還に際して制定されたマカオ基本法は、中国中央人民政府が澳門特別行政府に対して自治権および一部の対外事務につき、これらを授権する旨規定された。これによりマカオは将来も「中國澳門」名義により外交的行為を行い、広汎な裁量権に基づいた地方自治は継続する。
三審制であり、第一審は初級法院と行政法院がマカオ域内のほぼ全域を管轄している。中級法院(控訴裁判所)は五名の裁判官、終審法院(CFA)は三名の裁判官により構成される。陪審制が規定されているが、実例はない。裁判官は選出委員会が選出し、行政長官が指名する。なお、マカオには死刑制度は存在しない。
1991年以前、マカオはポルトガルの司法管轄区分によるものとして、リスボン地方裁判所管区の支部として運用されていた。







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