2019.11.11-NHK NEWS WEB-
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191111/k10012172781000.html
護送中に逃走の被告 大阪市内で身柄確保
9日、大阪 東大阪市で大阪地方検察庁が車で護送していた男に逃走された事件で、11日午後、男の身柄が大阪市の淀川にかかる橋の上で確保されました。
身柄が確保されたのは9日の早朝に東大阪市内で大阪地検の護送車両から逃走していた大植良太郎被告(42)です。
大阪地検は覚醒剤の使用などの罪で起訴されている大植被告の保釈が取り消されたことを受け、事務官3人が大植被告を収容するため車で護送していました。
ところが「手錠がきつい」と言われた事務官が片方の手錠を外したところ、車内で暴れられたうえドアを開けて逃げられました。行方を捜していた検察と警察は10日、立ち寄り先として捜査していた大阪
住吉区で不審な車を発見しましたが、その場で逃げ去られました。
その後、夕方になって男が乗っていた車は大阪 北区で乗り捨てられているのが見つかったためその周辺で捜索を続けていました。そして11日午後2時ごろ警察が大阪市の淀川にかかる十三大橋のすぐ近くで大植被告を発見し、橋の上で身柄を確保しました。捜査関係者によりますと確保される際、捜査員に「大植か」と声をかけられると「そうです。もう疲れました」と話したということです。手首の手錠は外れていたということで検察は今後、逃走の詳しい状況を調べることにしています。
一方、警察は大植被告をかくまっていたとして知人で大阪 住吉区のアルバイト塗装工 荻野※コウ昇容疑者(37)を犯人蔵匿の疑いで逮捕し、いきさつについて調べています。
被告確保までの捜査は
捜査関係者によりますと、検察と警察は、大阪 住吉区に住む大植被告の知人宅の周辺を10日の朝から捜査していました。
そして昼前、同じ住吉区の駐車場から知人の車が出て行くのを発見しました。この際、知人が近くの路上にいたことから、大植被告が乗っているとみて追跡したところ、阪神高速の環状線や池田線を猛スピードで逃走し、見失ったということです。
午後2時半ごろに大阪 北区のコインパーキングに車が乗り捨てられているのが見つかり、検察と警察は周辺に潜伏しているとみて重点的に捜査してきました。
その結果、11日午後1時半すぎに大阪市の淀川にかかる十三大橋の近くで捜査員が不審な男を見つけ、大植被告と確認したあと橋の上で確保しました。この逃走事件で警察は、被告をかくまったとして住吉区の37歳の知人の男を逮捕しました。
捜査関係者によりますと、防犯カメラの解析などから大植被告は逃走してから2日間、この知人が借りている住吉区内の住宅や、西区のマンションなどに潜伏していた疑いがあるということです。警察は、ほかにも複数の少年が関わったとみて調べています。
橋の上で警察官に囲まれる
NHKは大阪市内で男が確保された際の様子を撮影しました。男は淀川にかかる十三大橋の上で複数の警察官に囲まれてパトカーに乗せられました。めがねをかけ灰色のニット帽をかぶり、白いマスクをかけているのが確認できました。
男は両側を警察官に挟まれる形でパトカーの後部座席に座り、警察官とことばを交わす様子も確認できました。
住民 検察の対応に疑問の声も
被告が逃走した大阪 東大阪市の現場近くに住む人たちからは、身柄確保の知らせに安どの声が聞かれた一方、検察の対応に対する疑問の声も聞かれました。
近くの幼稚園に子どもを通わせる母親は「事件のあとは心配で雨戸を閉めていましたが、身柄が確保され、安心しました」と話していました。また、小学生の子どもを持つ50代の母親は「確保されてほっとしましたが、土曜に事件が起きてからの男の足取りなど、わかっている情報は出してくれたほうが安心できたと思う。警察署の近くでなぜ手錠をはずしたのか疑問です」と話していました。
さらに、20代の女性は「逃走事案が2度起きているので、何かしらの対処をしてほしい」と話していました。
相次ぐ失態 問われる検察の姿勢
大阪地検は先月30日にも収容しようとした被告の逃走を許していました。その前回の逃走事件は地検の支部に呼んでいた被告の女に「車に荷物を取りにいきたい」と言われ、庁舎の外に連れ出し息子が運転する車に不用意に近づかせたことで起きました。
事務官をはねて逃げるという危険なものでしたが、検察が事件の発生を公表したのは5時間後でした。さらに、逃げたのが女性だとか、ひき逃げ事件の被告だといった理由で近隣住民には影響がないと判断し、地元の自治体にはいっさい連絡しなかったことで大きな批判を浴びました。そのわずか10日後にまた起きた今回の逃走事件のきっかけは、事務官が護送中に手錠を外したことでした。そして地域に不安が広がる中で10日、被告の関係先を捜索中に不審な車を発見しながら暴走されて再び逃げられるという危険な事態が起きたにもかかわらず公表していませんでした。
失態を重ねたうえに、重要な情報を迅速に発信しようとしない大阪地検の姿勢が問われています。
大阪地検 謝罪も具体的な説明は拒む
大植被告の身柄が確保されたことを受け、大阪地方検察庁は上野暁総務部長が午後5時から報道発表を行いました。
冒頭、上野部長は「被告を逃走させてしまったことは遺憾であるが、身柄が確保されたことを安どしている。東大阪市をはじめ近隣住民に不安を覚えさせる結果になった点について重く受け止めており、申し訳なく思っている。先日、岸和田市で発生した逃走事案と合わせ、今後の収容の在り方についてしっかり検討したい」と述べました。
しかし、その後は、記者から確保するまでの経緯や情報発信をしなかった理由を問われても「今後の業務に支障がでるおそれがるので回答は差し控える」と繰り返し具体的な説明を拒みました。
2019.11.11-NHK NEWS WEB-
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191111/k10012172541000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001
護送中の男逃走 大阪市内でいったん発見も逃げられる
9日、大阪 東大阪市で大阪地方検察庁が護送中の被告に逃走された事件で、10日、被告とみられる男が大阪市内でいったん見つかったものの、直後に車で逃げられていたことが捜査関係者への取材で分かりました。車はその後、乗り捨てられているのが見つかり、検察と警察が行方を捜査しています。
9日の早朝、覚醒剤事件での保釈が取り消された大植良太郎被告(42)を大阪地方検察庁が車で護送していた最中に、東大阪市内で逃走される事件が起きました。
検察は警察とともに大植被告の行方を捜査していたところ、10日、大阪市内の関係先で大植被告と見られる男がいったん見つかったものの、直後に車で逃げられていたことが捜査関係者への取材で分かりました。車は阪神高速環状線や池田線を猛スピードで走り続け、その後、行方が分からなくなりましたが、夕方になって大阪
北区の駐車場に車が乗り捨てられているのが見つかったということです。
検察によりますと大植被告は護送車から逃走した際、右手首に手錠、腰に縄がついたままの状態で、現金などの所持品は持っていませんでした。
検察と警察は、車の提供など何者かの手助けを受けた被告が逃走を続けている可能性があるとみて、行方を捜査しています。
吉村知事「非常にゆゆしき事態」
大阪府の吉村知事は府庁で記者団に対し、「今回で2度目だ。府民市民は不安に思っている。非常にゆゆしき事態で検察には重く受け止めてほしい」と述べました。そのうえで、「逃走犯がぼろぼろ出るのは大問題だ。検察はこの問題について真剣に考え、引き締めていただきたい」と述べ、大阪地検に対し、逃走した被告の男の身柄を早期に確保するとともに、抜本的な再発防止策を講じるよう近く文書で要請する考えを示しました。
2019.11.10-NHK NEWS WEB-
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191110/k10012171541000.html
護送中の男逃走 警察署まで数分の地点で手錠外す
9日に大阪 東大阪市で大阪地方検察庁が車で護送していた男に逃走された事件で、検察の事務官が「手錠がきつい」と言われて男の手錠を外したのは、警察署に到着するまで数分の地点だったことがわかりました。判断が妥当だったのか、疑問が残る形となっています。
9日早朝、大阪地方検察庁が、覚醒剤の使用などの罪で起訴されている大植良太郎被告(42)を車で護送していた最中に東大阪市内で逃走されました。
検察は警察とともに行方を捜していますが、丸1日たった今も身柄を確保できていません。
逃走されたきっかけは、検察の事務官が大植被告から「手錠がきつい」と言われ、走行中の車内で左手の手錠を外したことでした。
検察は手錠を外す行為自体は内部規則に違反しないとしていますが、逃走された場所は、護送先の警察署から600メートルほどの距離だったことがわかりました。
到着まで数分程度の地点で手錠を外した今回の判断が妥当だったのか、疑問が残る形となっています。
大阪地検は先月30日にも収容予定だった被告の女の要求を受け入れた結果、逃走される事態を招いていて、対応のまずさが際立っています。
2019.11.1-NHK NEWS WEB-
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191101/k10012160251000.html
逃走していた女の身柄確保 逃走車運転の息子を逮捕 大阪
先月30日、大阪 岸和田市にある検察庁の支部の前から、収容される予定だった49歳の女が車で逃走した事件で、大阪 和泉市内で女の身柄が確保されました。また、車を運転していた30歳の息子が傷害などの疑いで逮捕されました。30日午前11時前、岸和田市にある大阪地方検察庁の支部の前から、保釈が取り消され収容のため呼び出しを受けていた野口公栄被告(49)が、男の車に乗って逃走しました。
野口被告は「荷物を取りに戻りたい」などと言って事務官の立ち会いのもとで庁舎の外に出ましたが、待機していた男の車に乗り込んで急発進させ、立ちはだかった事務官を振り切って逃走していました。事務官は車にはねられ、軽いけがをしました。検察と警察が行方を捜査していましたが、1日午前11時すぎに大阪
和泉市内で一緒にいた2人を発見し、野口被告の身柄を確保しました。
また検察は、車を運転していた息子の野口仁容疑者(30)を傷害と公務執行妨害の疑いで逮捕しました。さらに、捜査関係者によりますと、野口被告親子の知人の竹田加代美容疑者(62)が2人をかくまった疑いで警察に逮捕されたということです。
竹田容疑者は「少しでも助けになればと思って、かくまった」と容疑を認めているということです。野口被告は無免許で車を運転して、8歳の女の子をはねて逃げる事件を起こし裁判中でしたが、保釈が取り消されたため、30日収容に向けた手続きの説明を受けていたということです。検察と警察は、逃走の詳しい状況を調べることにしています。
検察は、逃げた被告の名字について、これまで「岡崎」と公表していましたが、「野口」に改姓していたとして訂正しました。
地元の岸和田市に連絡せず 市に謝罪を検討
収容手続き中の被告に逃走された今回の事件。大阪地方検察庁は、2人の身柄が確保されてから7時間近くが経過した午後6時ごろになって、畝本毅次席検事が報道各社への説明を行いました。この中で畝本次席検事は、今回の事件について「被告を逃走させてしまったことは遺憾だが、身柄が確保され収容できたことに安どしている。岸和田市をはじめ近隣住民に不安を覚えさせたことを重く受け止めている」と述べました。
そして、地元の岸和田市に連絡しなかったことについて「組織として判断した」としたうえで、「振り返ってみると、本当によかったのかと考えなければいけない」と述べ、今後市に対して謝罪することを検討する考えを示しました。一方、逃走された経緯や身柄を確保するまでの詳しい状況については、質問に対してほとんど何も答えず、説明の場にテレビカメラを入れることも拒みました。
2019.10.30-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/west/news/191030/wst1910300029-n1.html
収容前の女が車で逃走、検察事務官負傷 大阪地検岸和田支部
30日午前10時50分ごろ、大阪府岸和田市上野町東の大阪地検岸和田支部で、収容予定の女が、男が運転する軽乗用車に乗り込み逃走した。制止しようとした男性検察事務官が車にはねられ軽傷を負ったが、命に別条はない。大阪府警などが公務執行妨害容疑で2人の行方を追っている。
地検によると、女は岡崎公栄(きみえ)被告(49)。自動車運転処罰法違反(無免許過失致傷)と道交法違反の罪で起訴され、地裁岸和田支部で公判中だった。3月に保釈され、5月15日の初公判に出頭。しかし、その後2度の公判に出頭せず、10月15日に保釈が取り消された。
岡崎被告はこの日収容予定で、地検岸和田支部に出頭後、検察官から収容手続きの説明を受けた際、「乗車してきた車に荷物を取りに行きたい」などと伝え、了解を得て庁舎外に出た。その後、路上で男が運転する車に乗り込み、逃走した。
大阪地検の上野暁(さとる)総務部長は同日午後、報道陣に「収容すべき被告人を立ち去らせてしまったことは遺憾」とコメント。被告への対応は「現時点では問題はなかったと考えている」と説明した。岡崎被告の逃走から地検が報道機関に資料提供するまで約5時間かかったが、上野総務部長は、事件罪名などから「近隣住民への危険は特別ないものと判断した」との認識も示した。
府警による住民向けの防犯メールによると、車はあずき色の軽乗用車。岡崎被告は身長約160センチで帽子を着用、男は黒のパーカーを着ていた。
2019.10.4-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/life/news/191004/lif1910040039-n1.html
「県警の自白強要あった」誤認逮捕の女子大生反論
タクシーから現金などを盗んだ疑いで7月に愛媛県警に誤認逮捕された女子大学生は4日、自白強要を否定した県警の調査結果に対し、代理人弁護士を通じて「自白の強要をされたという認識に変わりはない」と反論するコメントを発表した。
県警は、3日の記者会見で明らかにした調査結果で、裏付け捜査が不十分だったことや、尊厳を侵害するような取り調べをしたことを認めた。ただ「任意性を欠く違法な取り調べはなかった」として、自白の強要は否定した。
女子大学生はコメントで、釈放後に取り調べをした刑事と面会した際に「普段通りの取り調べだった」と言われたと主張。「いつも自白を強要するかのような取り調べを行っていることに危険性を感じた」とし、今後も同様の問題が起こる可能性を懸念した。
2019.10.3-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/west/news/191003/wst1910030036-n1.html
女子大生誤認逮捕 愛媛県警改めて謝罪、県議会で
松山市の女子大生がタクシー運転手の現金約5万4千円入りバッグを盗んだとして、愛媛県警松山東署に窃盗容疑で誤認逮捕された問題で、篠原英樹・県警本部長は3日、県議会の委員会で、女子大生に「心からおわびする」と改めて謝罪を表明した。
県警側は誤認逮捕の原因について、タクシーのドライブレコーダーの画像が女子大生に酷似し、捜査員が犯人と思い込んだと説明。レコーダー内の犯人の携帯電話と財布が女子大生の所持品と違っていたにもかかわらず、必要な捜査を怠ったほか、同署幹部も顔画像鑑定の結果を過大評価して逮捕方針を決めるなど、チェック機能が欠けていた。
篠原本部長は「事情聴取の過程で(女子大生の)尊厳を著しく侵害し、不安にさせ、困惑させる言葉があった」と捜査員の不適切な言動を認めた上で、「任意性を阻害したとはいえない」として自白を強要する行為はなかったと説明した。
事件は今年1月に発生。女子大生は5、6月に任意の事情聴取を2回受け、7月に逮捕された。その後に別の容疑者が浮上し誤認逮捕と判明した。
2019.1.24
ワシントン条約で
国際取引が規制されている「コツメカワウソ」を転売目的で輸入しょうとした容疑で男2人を
関税法違反で逮捕
(
警視庁生活環境課)(2018.10月にタイから羽田空港に同動物x5匹を
密輸しょうとした) (2019.1.24)
日本の警察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
概要
日本の近現代において
警察とは、
警察法2条1項の定めるところにより、
個人の
生命、
身体および
財産の保護に任じ、
犯罪の予防、鎮圧および
捜査、
被疑者の
逮捕、
交通の取締りその他
公共の
安全と
秩序の維持を責務とする
行政の作用をいう。日常の用語としては、この作用を行う
組織、または
公務員(
警察官)を指す。
警察の行う活動を警察活動という。
犯罪の予防や
治安の維持などの活動を
行政警察活動、既に起こった
犯罪についての
捜査や
犯人逮捕などの活動を
司法警察活動と呼び、
日本の警察活動では、この両者が区別されている。
騒乱・
内乱を未然に防ぎ、国内の安寧を保つことを目的とする
公安警察活動、また、発生した場合に鎮圧することを目的とする
警備警察活動は、広義には行政警察活動に含まれる
。
歴史
江戸時代には
警察に相当する役所として
町奉行所があった。
江戸には南北の町奉行が、諸国には地名を冠した
遠国奉行があり、その職員である
与力、
同心は現在の
警察官に相当した。ただし、与力、同心の人数は人口に対して非常に少なく、
江戸の人口100万人(うち町方の人口は半分の約50万人)に対して警察業務を執行する
廻り方同心は南北合わせて30人にも満たなかった。この人数で江戸の治安を維持することは困難であったため、同心は私的に
岡っ引と呼ばれる手先を雇い、警察業務の末端を担わせていた。江戸の岡っ引は約500人、その手下の下っ引を含めて3,000人ぐらいいたという。また、重罪であった
放火、
押し込み強盗などを取り締まる
火付盗賊改方も断続的に設置された。
明治維新によって
江戸幕府が崩壊すると、諸
藩の
兵(
藩兵)が治安維持に当たった。しかし、藩兵は純然たる
軍隊であり、警察ではなかった。
1871年、
東京府に
邏卒(らそつ)3,000人が設置されたことが近代国家警察の始まりとなった。同年、
司法省警保寮が創設されると、警察権は同省に一括され、東京府邏卒も同省へ移管された。
薩摩藩出身の
川路利良は新時代にふさわしい警察制度研究のため渡欧し、
フランスの警察に倣った制度改革を建議した。司法省警保寮は
内務省に移され、
1874年に
首都警察としての
東京警視庁が設立された。
以後の警察は、国家主導体制のもと、管轄する
中央省庁の権限委任も多く行われたが、最終的に
内務省に警察権が委任され、内務省方の国家警察・国家直属の首都警察としての
警視庁と、各
道府県知事が直接管理下に置く
地方警察の体制に落ち着いた
。
1933年に
大阪市の
天六交差点で起きた
ゴーストップ事件(天六事件)にて、
陸軍と警察の大規模な対立が起こり、その後、現役
軍人に対する行政措置は警察ではなく
憲兵が行うこととされるようになり、
軍部が
政軍関係を超えて次第に国家の主導権を持つきっかけのひとつとなった。
第二次世界大戦後は、
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により、それまでの
中央集権的な警察組織が廃止され、
1948年に
旧警察法が定められる。旧法では、
地方分権色の強い
国家地方警察と
自治体警察の二本立ての運営で行われるが
、
1954年には現・
警察法に改正され、国家行政組織の
警察庁と地方組織の
警視庁・
道府県警察に統一されて今日に至っている。
なお、この間、
1938年、
厚生省が
内務省から分立し、
衛生業務は
保健所に移管された
。
消防業務に関しては、
1948年、国家行政組織として
消防庁が設置され、消防は警察から独立し、
自治体消防制度が発足した。
宮内省皇宮警察部は
禁衛府皇宮警察部、
警視庁皇宮警察部、国家地方警察本部、皇宮警察府と変遷して警察庁の
附属機関の
皇宮警察本部に落ち着いた。
組織
日本の
警察組織は、国の機関としては
内閣府の
外局である
国家公安委員会の
特別の機関として
警察庁が置かれる
[5]。そしてその地方機関として
東北、
関東、
中部、
近畿、
中国四国、
九州の6
管区警察局などが設置されている。
警察庁は主に警察
政策の
企画立案を行う。片や
都道府県警察は、「現場」(実働部隊)を以って
捜査・取締りなどを担う。例外的に
皇室の
警衛を担当する
皇宮警察本部は、(「現場」組織ではあるが)国の管理下として、警視庁でなく警察庁の
附属機関として設置されている。
地方自治体の警察機関として、各都道府県
公安委員会の管理の下に
都道府県警察が設置されるのが日本の警察組織の基本構造である。警察庁の傘下ではない。ただし、次の点に注意する必要がある。
東京都だけが特別に「東京都警察本部」でなく「
警視庁」という名称であり、その長の呼称も「
本部長」でなく「
警視総監」とされている。また、総監の任免は、
国家公安委員会が行い、
都公安委員会の同意および
内閣総理大臣の承認が必要である
[6]。この点も他の道府県警察本部長と異なる。
警視庁と
北海道だけは国の機関である
管区警察局の管轄から除外される。これは、北海道が管区(ブロック)と同等の領域・規模であること、警視庁が
首都警察であるためである。
北海道公安委員会はその管轄を5つの方面に分けている。そのうち
札幌方面のみは直轄とし、
函館・
旭川・
北見・
釧路の4方面に方面公安委員会を設置している。それに伴い、北海道警察も方面公安委員会が置かれた方面を所管する組織として
方面本部を設置しているが、札幌方面は道警察本部が直轄しており、札幌方面本部は置かれていない。なお、
1953年(昭和28年)
4月1日の改正までは札幌方面にも方面公安委員会及び方面本部が置かれていた。
国際的な犯罪や
各国の警察との連絡調整は、182ヶ国警察が加盟する
国際刑事警察機構(ICPO)が管轄しており、日本は
1952年から加盟しており、その日本の窓口は警察庁である。
警察庁と都道府県警察の関係
日本の警察組織は
都道府県が主体となって設置され(警察法第36条)、都道府県が国の
法定受託事務(かつての
機関委任事務)として行う事務ではないため、一般的には
自治体警察とみなされることが多い。しかしながら、都道府県公安委員会ではなく警察庁が都道府県警察への指揮命令権を有することや、
警視正以上の
幹部は
国家公務員であることから、実態は国家警察と自治体警察の折衷型に近い。
アメリカ合衆国の警察の場合も同様に「警察委員会」が
市レベルから置かれるが、日本のそれよりも
権限が強い。性格としては
日本の消防が似ている。特に、
ニューヨークや
サンフランシスコなど大都市圏警察の本部長は
市長の直接指揮下に置かれ、
処分や勧告・罰則なども市長→警察長→市警察官といった手順で行われる。
日本の場合は
警視庁(東京都の警察)を例にとっても
都知事→
警視総監という序列にはなっておらず、
法令上、警視総監は都知事の直接的な指揮下には置かれていない。警視庁は東京都が設置した警察行政機関であるが、警視総監に処分を下せるのは
国家公安委員会(
警察庁)のみである。
階級
警察庁長官は階級外であるため
階級章がない(
行政官としての職位)が、警視総監の階級章より
日章が1個多い計5個の日章を配したものを「警察庁長官章」として規定し、
肩章として着用している。
警視監、警視長、警視正の階級にある者のうち警察庁(管区警察局を含む)に勤務している者は当然に
国家公務員であるが、都道府県警察に勤務する者(警視総監も含む)も国家公務員であり、この場合、特に
地方警務官と呼ぶ。警視以下の階級にある者のうち警察庁(管区警察局を含む)に勤務している者は国家公務員だが、それ以外の都道府県警察に勤務する者は地方警察職員と称される
地方公務員である。
巡査(昇任を望まずあえて試験を受けない者も含む)のうち一定の条件を満たすものを「巡査長」に任命する制度がある。職責や待遇は巡査より上がり巡査長としての階級章も付与されるが、国家公安委員会
規則で設けられた制度のため正式な階級ではなく、
法律上は巡査である(正確を期す際は「巡査長たる巡査」などという)。
警視以下の階級にある場合、国家公務員なら警察庁警視、警察庁警部など、地方公務員なら○●県警視、●○県警部など(東京都の場合は警視庁警視、警視庁警部など)と称するのが正式な官名である。
階級とは別に署長や課長等の
役職名もある。また、役職には関係なく、その階級に対する
愛称のようなものもあるが、これは各県において違いがある(例えば
班長は
警視庁では巡査長だが、
千葉県警察では警部補のことを指す)。
警察官以外の警察職員
警察官以外の一般職員については階級がなく、国家公務員においては、
身分種別である
事務官、
技官が官名である。地方公務員においては、従来、事務吏員、技術吏員が階級相当称として使われてきた。しかし、
地方自治法の改正に伴い警察法からも
吏員が削除されたため、各都道府県警察で新たに身分称号を制定し、
2007年4月から一般職員、職員、事務職員、技術職員などと各都道府県警察まちまちの身分称号となり階級相当称としても使われている。正式には警視庁および道府県警察を冠して○●県警察一般職員などと称する。
特に警視庁においては、東京都の知事部局等と同様に、階級的な呼称、官名に当たる「職層名」として、
参事(本部課長・理事官級)、
副参事(本部管理官級)、
主事(本部係長以下)が存在する。」
この他、地方公務員の場合には、警察組織内の役職名に加えて主事、
技師などの
行政職上の職位に補される。
来歴
警視庁では、
1945年から
1949年にかけて、旧海軍の
機動艇、自動艇、
和船型発動機船(チャカ)計21隻を購入し、戦後の混乱に備えていた。全国的に見ると、
昭和24年度の
国家地方警察の舟艇の保有状況は、機関搭載のもの40隻、
艪または
櫂によるもの4隻の計44隻であった。またほぼ同時期、全国の
自治体警察の合計として、機関搭載のもの169隻、艪または櫂によるもの45隻を保有していた。
その後、
1954年の
警察法の全部改正で国家地方警察と自治体警察が統合され、
警察庁と
都道府県警察本部に再編されるのにあわせて、警察用舟艇の購入・配分は、警察庁が直接国費で行うことになった。同年7月に警察用舟艇が警察庁の管理に統合された際、数的には計168隻が在籍していたものの、その2/3までが5トン未満の小型艇で、老朽船も多く、性能的にも劣弱で、極めて不十分な状況であった。
1956年の時点で、東京・
川崎・
横浜・
名古屋・
大阪・
神戸・
下関・
門司・
若松・
博多の10ヶ所に
水上警察署が設置されていたが、就役船は全部で18隻程度で、5ヶ所の水上警察署では使用可能な舟艇を1隻ももたないという状況であった。このことから、まず水上警察署を重点とした舟艇の整備が進められ、
1959年には、中型艇27隻を含めて計64隻の舟艇が配置されるに至った。このように水上警察署の体制が整ったことから、
昭和35年度からはその他の舟艇の整備へと軸足が移された。しかし老朽更新が主体となり、数的な増強は進まなかった。
昭和40年代後半には、
高度経済成長とともに
港湾の整備が進み、これに伴って、警察用舟艇も質量両面での充実が求められるようになった。
1972年の
沖縄返還に伴い、
琉球政府が所有していた16メートル型警備艇5隻が国有とされて
沖縄県警察に配置され、警察用舟艇の合計数は178隻となった。また
全日空羽田沖墜落事故や大規模船舶事故を踏まえて、
昭和48年度では、従来の水準を大きく上回る有力な警察用舟艇として2代目「ふじ」が建造され、
1974年、警視庁に配備された。これは54総トン、全長21メートルで、エンジン2基によって20.8ノットを発揮した。定員32名で冷暖房装置を備え、
レーダーも備えていた
装備
現在では、警察用船舶は、全長に応じて下記の5タイプに分類されている
8~23m野5段階を有している。これらのうち、23メートル型は、特に
密航・密入国、
密漁事犯等の海上犯罪対策、災害対策、
重要防護施設の警備・警戒、離島連絡等の水上警察活動に重点をおいている。また12メートル型と8メートル型は、落水者の救助や遺体揚収のためのトランサムリフトを装備している。なお、同様に海上犯罪の取締りにあたっている
海上保安庁との分担としては、一般的には
河川は警察、港区外は海上保安庁、港内は両者が協議して担当を決めるが、警察になることが多いとされる
航空機(詳細は「
都道府県警察航空隊」を参照)
警察庁では、
昭和35年度より各都道府県警察へのヘリコプターの導入を開始し、
昭和38年度までにピストンエンジンの小型ヘリコプター6機を配備して、
警視庁・
大阪・
福岡・
北海道を拠点として、おおむね
管区単位で広域運用を図った。その後、
昭和41年度で大阪府警察に
川崎/ベルKH-4 1機が導入されたものの、これは同年の
全日空松山沖墜落事故に伴う二重遭難事故で失われた機体の補充機であり、
1960年代を通じて、国有機6機の体制が維持された。
この間、ヘリコプターの改良発達はめざましく、また警察用航空機の需要も著しく増大していた。これに応じて、警視庁では、1968年に
富士-ベル204Bを追加導入していた
。また
昭和46年度からは国有機の増強も開始されたが、こちらもいずれも
ターボシャフトエンジン搭載の高性能機とされた。
警察通信
緊急警察通報電話(詳細は「
110番」を参照)
警察への事件の
緊急通報用電話番号として「
110」番が割り当てられている。「110番」に電話をかけると、各都道府県
警察本部や地域の通信司令室の110番受理台につながり、場所・事件内容を確認後、
管轄の
警察署から
警察官が出動する形を取っている
。場所が警察署の管轄地域の境界に近い場合、管轄の署をめぐって出動に手間取ることが多い。また、
ダイヤルの0と9の位置が隣り合っているため、緊急事態であることも加わって、
消防・救急(
119番)と間違える場合も多いと言われている(110番と119番との受付台で相互に連絡を取り合っている
)
警察への直通電話番号として「110」番が定着しており、警察への問い合わせにも「110」番が使われることが多くなったため、全国共通の
プッシュ回線(トーン回線)や
携帯電話専用の直通総合相談番号「#9110」も設定され、
ダイヤル回線(パルス回線)の場合には、更に別の番号が用意されている
[18]。あわせて、警察署の代表番号の下4桁を「110」番から連想しやすい「0110」、「9110」とする地区も多い。
この緊急通報電話システムの創設は、第2次世界大戦後の治安状況の悪化と当時の警察通信状況の悪さに由来する。犯罪被害を受けた市民が警察署や派出所に急報しても、これらの警察署・派出所間の通信が十分整備されておらず、手配・処理が遅延する例が多かったことから、連合国軍最高司令官総司令部は緊急通報専用の電話番号の整備を勧告した。これを受けて、国家地方警察本部と逓信省の折衝の結果、110番制度が整備されることとなった。1948年9月24日の国警本部の通達により、まず都市部を管轄する自治体警察において、同年10月1日より一斉に制度が発足することとなった
。東京は110番であったが、大阪・京都・神戸は1110番、名古屋は118番と全国統一はされておらず、
1954年(
昭和29年)
7月1日の新
警察法施行をもって110番に統一された
警察庁、警視庁、検察庁、の違い-
https://www.police-ch.jp/kensatsu_keishichou.html
日本国内には警察庁の他に警視庁と検察庁という、似たような名前の3つの組織が存在します。
今回は、警察庁と警視庁、そして検察庁の役割を簡単にご紹介し、3つの違いについて解説していきます。
「警察庁と警視庁の違いがわからない」「検察庁の役割ってなに?」など、基本的なことが知りたい方はぜひ参考にしてみてください。
警察庁とは?日本の行政機関のひとつ
まずは、警察庁とは何か、について解説して生きます。
警察庁とは、日本の行政機関のひとつで、内閣府の外局として内閣総理大臣の下におかれる国家公安委員会の特別の機関です。1954年に設置されたこの機関は、警察制度の企画立案、公安にかかわる事案についての警察運営、警察行政に関する調整などを行います。
警視庁とは?東京を管轄する日本最大の警察組織
次に、警視庁についてみていきましょう。
警視庁とは、日本の首都である東京都を管轄する警察組織のことです。日本最大の職員数をほこるこの警察組織の設立は古く、1868年にも遡ります。実に、薩摩藩が存在した時代から、警視庁の前身は存在していたことになります.
警視庁において、警視正より上の警察官の任命は、警察法にもとづき、国家公安委員会が東京と公安委員会の同意を得て行うこととされています。
警視以下の階級の人事についてはどうなるかというと、
警視総監が東京都公安委員会の意見を聞いて任免することになっています。
警視庁のトップは、警視総監と呼ばれ、日本の警察官の階級においては最高位で、常時1名しか選ばれないため、エリート中のエリートのみがこの役職につくことが許されているといっても過言ではないでしょう。
検察庁とは?検察官を統括する法務省の特別の機関
検察庁は、警察官ではなく、検察官を統括する、法務省の機関です。
検察庁には、最高検察庁、高等検察庁、地方検察庁、区検察庁の4種があります。検察官は、一人ひとりが、検察権を行使する権限を有しています。そういった意味で、独立した存在といえます。ただし、検察官の判断が個々人によってあまりにも違っていると、一般市民としては、何を判断基準にしていいか混乱してしまうでしょう。検察官は大きな権限を有した職ですから、一人ひとりを野放しにしていては、権力が暴走してしまう可能性があるのです。そこで、検察官の全体の意思を統率し、適切で平等な検察権行使を指導する機関が必要になってくるというわけです。同時に、大きな事件が行った場合、一人の検察官に負荷がかかりすぎて対応できないといった事態も予測されますから、検察官同士が連携し情報共有試合ながら大きな事件を解決するためにも、組織化は求められていたのです。
以上のことから、検察庁が必要になってくるというわけです。
検察庁法には、「警察庁は、検察官の行う事務を統括する」と記載されています。この検察官の行う事務とは、検察事務と検察行政事務のことです。検察事務とは、刑事事件に対して、犯罪を捜査して控訴を提起し、判決を求めるなど、一般的な検察官の事務のことです。
検察行政事務とは、検察事務以外の事務を指します。たとえば、広報活動などがこれにあたります。検察庁はこういった事務全体を統括する役割を持っているのです。
「警察庁」と「警視庁」と「検察庁」の違いとは?
これまでのご説明で、警察庁、警視庁、検察庁は全く違った役割を持った組織だということがある程度おわかりいただけたと思います。ここではさらに3つを比較して違いを確認していきましょう。簡単に言うと、警察庁は東京の警察をまとめている機関であり、警視庁は全国の警察をまとめている機関です。
「あーじゃあ、警視庁は警察庁の一部でちっちゃい機関なのか」と思われるかもしれません。ですが、実際には警視庁はとてつもなく大きな規模の組織であり、それゆえ、警視庁のトップの警視総監は、「警察官の階級の中で最上級の役職」だと認識されているのです。
警察庁と検察庁の違いとは?
警察庁は東京の警察をまとめている機関で、警察組織の司令塔的役割を担っています。一方、警察庁は、検察官の行う事務をとりまとめる行政官庁です。
検察官とは、犯罪の捜査や、起訴するか否かの判断を行う法律の専門家であり、警察官とはまったく職務内容が異なります。
警察と警視と検察の違い。トップは誰?
3つの組織は、トップの名称もことなります。警察庁のトップは警察庁長官、警視庁のトップは警視総監、検察庁のトップは検事総長となります。
最後に
今回は、間違えやすい警察庁と警視庁、それから検察庁の違いについて簡単に解説してきました。本記事が、3つの警察組織について違いを理解する一助となれば幸いです。