事件問題-未解決事件-1
2024.10.28-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20241028-SJYEWMC2D5PHZAEHQ7ZAOAAPRU/
福井中3殺害で検察が異議を断念、再審開始へ 前川さん無罪の公算大きく
福井市で昭和61年、中学3年の女子生徒=当時(15)=が殺害された事件で
懲役7年が確定し、服役した前川彰司さん(59)が裁判のやり直しを求めた第2次再審請求審で、検察側は28日、再審開始を認めた名古屋高裁金沢支部決定に対する異議を申し立てないと発表した。
再審開始が確定し、無罪となる公算が大きい。
2024.09.26-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240926-BDRE76XGJNLBZEXTQZ7OJWJTGQ/
袴田巌さん再審無罪、4人殺害事件は迷宮入りへ 捜査当局「反省点多い」
(桑波田仰太、久原昂也、星直人)
袴田巌さん(88)が再審無罪となった。
昭和41年6月にみそ製造会社の専務だった橋本藤雄さん(41)一家4人が殺害された事件はすでに時効を迎えており、無罪が確定すれば、事件は迷宮入りとなる。捜査当局側からは自戒の声が漏れる。
静岡県警は事件発生約1カ月半後の41年8月18日、みそ工場の住み込み従業員だった袴田さんを強盗殺人などの容疑で逮捕。公判などでは、県警が1日平均12時間も取り調べ、取調室で用を足させた上で「お前が犯人だ」などと迫って自白調書を作成していたことが発覚した。
公判で袴田さんは無罪主張に転じた。確定判決では、45通の自白調書のうち、検察官調書1通を除く44通が採用されない異例の事態となった。
法務・検察幹部は「当時は自供重視の捜査が主流だったが、袴田さんへの取調べは度が過ぎていた」と振り返る。
初動捜査の詰めの甘さを指摘する向きもある。・・・県警は、再審が始まるきっかけとなった「5点の衣類」が見つかったみそタンクを事件発生4日後にも捜索していたが、みそが残ったままだったため徹底できず、後に発見された衣類がいつからタンク内にあったかが曖昧になった。
再審開始を決めた東京高裁の審理での検察側の不備を指摘する声もある。検察側は衣類の血痕に赤みが残る可能性を主張したが、赤みが残る具体的な科学的根拠までは十分に示せなかったとの批判だ。
検察OBは「捜査側には油断といえる部分がある。徹底さを欠いており、反省すべき点は多い」と話している。
(桑波田仰太、久原昂也、星直人)
2024.09.24-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240924-SRIS33DZRNINDJTTZWLZHYTTSE/
「真の自由をお与えください」-変わらぬ姉弟の立場-変わった世界の見方死刑囚と呼ばれて-袴田巌さん再審判決へ㊦
(
橘川玲奈)
「そんなの噓だ」・・・
静岡県清水市(現静岡市清水区)で一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌(88)は
平成26年3月、自身の再審を静岡地裁が認めたと知り、ぼやいた。
地裁が1回目の再審請求を20年前に棄却していただけに無理もないが、噓ではなかった。
地裁は犯行着衣とされた衣類の血痕の色が、発見場所のみそタンクに漬かっていた割には赤すぎるとする弁護側の主張を認め、死刑を執行停止。巌を釈放した。
東京拘置所の応接室に姿を見せた巌の表情は長年の身柄拘束による拘禁症状で硬かったが、姉のひで子(91)は意に介さなかった。「お帰り」。逮捕以来、言えずにいた言葉を口にしてみた。
弁護団長の涙
釈放から8年を経ても再審は始まらなかった。・・・検察側の抗告を受けた東京高裁は30年6月、地裁の決定を取り消した。弁護側の特別抗告を受けた最高裁が令和2年12月、その高裁決定をさらに取り消し、審理は高裁に差し戻されていた。
高裁、最高裁、そして再び高裁へのたらい回しは、ひで子には不思議な光景に映ったに違いない。だが、弁護団長の西嶋勝彦=後に82歳で死去=には見覚えがあった。
西嶋は静岡県島田市で昭和29年、女児が殺害された「島田事件」で死刑が確定した男性の再審無罪を勝ち取った。島田事件も逮捕から無罪判決まで34年を要している。
巌の弁護に30年以上関わった西嶋は時に議論が割れる弁護団を束ね、無罪の論拠を積み上げた。西嶋から主任弁護人を継いだ小川秀世(72)は「不思議と弁護方針の結論に不満を述べる人はいなかった」と話す。そのかいあってか、高裁は令和5年3月、捜査機関が証拠を捏造(ねつぞう)した可能性にも触れた上で再審開始を認め、検察側は同20日、特別抗告を断念した。
その日、東京都内の会見場の机に顔を伏して涙を流す西嶋がいた。「お袋の葬儀でも泣かなかったのに」。西嶋の息子は笑ったという。肺炎を患い、会見場や10月に始まった再審公判で鼻に酸素チューブをつけていた西嶋。明くる年の1月、無罪判決を聞くことなく天に召された。
「袴田巌さん」
「巌に真の自由をお与えください」。令和5年10月27日の再審初公判、ひで子は半世紀以上前の弟と同じように無罪を訴えた。当時と違い、巌は意思疎通が困難で出廷を免除され、ひで子が代わりを務めた。
巌は今も死刑囚のままだ。ひで子も死刑囚を支える姉のまま。・変わったのは、2人を取り巻く世界だ。メディアは「袴田巌死刑囚」と呼ぶことを止めて「袴田巌さん」と呼び始めた。ひで子を廃人寸前に追い詰めた世間の厳しい目はもう、ない。変わらないのは再審公判でも死刑求刑を維持した検察か。では、56年前に死刑を言い渡した地裁はどうか。
再審は無罪とする明白な新証拠が見つかったときに開かれる。
判決は今月26日。司法に揺さぶられ続けた巌の人生に架された「死刑囚」の十字架。降ろせるのは、その十字架を架した者しかいない。=呼称、敬称略
この連載は、
橘川玲奈が担当しました。
2024.07.11-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240711-5NLP6DGY6NOGDLZAEG6ZBNTSK4/
「3億円事件」 捜査ファイルが明かす警視庁の「焦燥」
(『三億円強奪事件』)(内田優作)
昭和43年12月、東京都府中市で白バイ警察官姿の男が現金入りのジュラルミンケースを持ち去った「3億円事件」。
奇抜な手口と被害の大きさから戦後史に残る未解決事件だ。産経新聞警視庁記者クラブに眠っていた捜査資料から浮かぶのは、
史上空前の大捜査の内幕や、犯人の特定に至らない捜査当局の焦燥だった。
(内田優作)
《通達乙(刑.1.1)第27号 府中警察署管内発生「現金輸送車強奪事件」捜査について》
45年2月、警視庁は刑事部長名で各方面本部や警察署に文書を通達した。文書は、発生から1年余りが経過した事件の捜査概要と課題が35ページにわたりまとめられている。・・・「都民はもとより全国民が捜査の動向に深い注目と関心」「本件捜査の帰すうが全警察の威信にかかわる」。冒頭から捜査陣の危機感がにじむ。
事件は43年12月10日、府中市の路上で発生。午前9時20分ごろ、白バイ警察官姿の男が東芝府中工場へ向かう日本信託銀行(当時)の現金輸送車を「ダイナマイトが仕掛けてあるかもしれない」として停車させた。車の下からは発煙筒による煙が出た。ひるむ行員を尻目に男は車に乗り込み、東芝の賞与として積まれた2億9434万1500円を奪った。
文書によると、捜査本部は手口や事件前に犯人が出したとみられる脅迫状の筆跡などから、単独犯の可能性が濃厚と分析した。だが、対象者が多く捜査は難航。47年7月には捜査体制が最盛期の約10分の1にあたる20人まで縮小された。警視庁は捜査主任に「名刑事」として知られた平塚八兵衛を起用し、解決を期した。
48年12月、捜査本部は《三億円強奪事件捜査状況》という中間報告をまとめる。公訴時効まで残り2年。青焼きで13ページの文書には捜査上の課題が凝縮されている。
この時点で捜査を行った対象は9万5千人を超えていた。同文書は重点的な捜査課題に「東芝、銀行関係」「遺留品(トラメガ)関係」「情報関係」の3点を示した。トラメガとは、犯行に使われた偽の白バイのトランジスタメガホンを指す。捜査本部は同じ機種に的を絞ったが、捜査対象852台のうち1割以上の行方が特定できなかった。現金が入っていたジュラルミンケースには照合可能な指紋1点もあったが、犯人のものとの断定には至らなかった。
50年、強盗事件としての公訴時効が成立。平塚は著書で失敗の要因に、モンタージュ写真にこだわりすぎたことや初動対応の失敗などをあげた。
「細心の計画と大胆な犯行。この事件を初めて耳にしたときに私が感じた
<この事件は奥が深いぞ…>というカンは、みごとに適中したのである」
(『三億円強奪事件』)かくして、犯人は闇の中へ消えた。