事件問題-未解決事件-1


2025.03.30-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20250330-MACC3UDDOVOA7OH7H2PQPIR25U/
2人が犯行を〝自白〟も未解決で時効 警察庁長官銃撃事件から30年、いまも残る謎
(大渡美咲)

  平成7年3月、当時の警察庁長官、国松孝次氏(87)が銃撃され重傷を負った事件30日で発生から30年を迎えた。警察トップを狙った未曽有のテロ事件の捜査には延べ約48万人の捜査員が投入された。これまでに2人が〝自白〟したものの未解決のまま公訴時効が成立し、警察内部では「呪われた事件」ともささやかれる。なぜ未解決に終わったのか

「元信者」
  事件が起きたのはオウム真理教による地下鉄サリン事件発生の10日後。公安部が主導した警視庁南千住署捜査本部は当初から信者による組織的犯行とみて捜査を進めた。8年にオウム真理教信者だった元警視庁巡査長(懲戒免職)が「自分が撃った」と供述。情報は警視総監ら警視庁首脳部と捜査本部の一部の捜査員にしか知らされず、極秘捜査が行われた。情報が漏れることを懸念した上層部からは裏付け捜査が禁じられた。
  8年秋、報道機関への情報提供などからこの事実が明らかに。警視庁が警察庁に報告していなかったことなどから捜査を指揮していた公安部長が更迭され、警視総監も引責辞任に追い込まれた。
  長官銃撃事件の捜査に13年間携わり、公訴時効時に公安1課長だった栢木国広氏(74)は「当初、公安部と刑事部の捜査はうまくいっていたが、元巡査長の情報を共有していなかったことが捜査員同士の不信感を招いた」と明かす
  元巡査長の供述は別の信者から聞いた話を自分の体験のように語った可能性を排除できず、実行犯として逮捕することは難しかった。それでも捜査本部は、実行犯ではなく「支援役」だったとみて捜査。元巡査長のコートからは拳銃を発射した際にできる「溶融穴」があったことなどから、捜査本部は16年、殺人未遂などの疑いで元巡査長と元信者ら4人の逮捕に踏み切った。だが元巡査長の供述は二転三転し、嫌疑不十分で不起訴処分となった。
  栢木氏は「上層部に反してでもすぐに裏付け捜査をやるべきだった。結果的に身内をかばってしまったようになったことがいろいろな面で悪い方向に働いてしまった」と振り返る。
もう一人の男
  事件が再び動き出したのは19年秋。別の強盗殺人未遂事件で実刑判決を受け上告中だった中村泰元受刑者が、警視庁捜査1課に犯行を示唆する供述をする。中村元受刑者は犯行に使った自転車を現場の南西約600メートルにある喫茶店前に乗り捨てた、などと状況を詳細に供述。中村元受刑者が借り、複数の拳銃が見つかった新宿の貸金庫では事件当日の午前9時26分に開扉された記録が残っていた。
  事件では38口径回転式で米コルト社製「パイソン」と殺傷力が高く国内で使用例がない特殊なホローポイント型のマグナム弾が使用された。拳銃と銃弾の入手ルートについて中村元受刑者は1980年代後半、偽名を使って米カリフォルニア州のガンショップで購入したと供述。捜査員を米国に派遣して調べた結果、中村元受刑者の供述を裏付ける記録が見つかった。
  当時、捜査1課長だった佐久間正法氏(74)は「犯人ではないという『シロ』になる捜査を行えば行うほど中村元受刑者の犯行が裏付けられていった」と明かす。
拳銃見つからず
  接点がなく共犯関係ではない2人の「撃った」という供述を得ながら真犯人にはたどり着けなかった。理由は、犯行に使われた拳銃を発見できなかったことが大きい。
  元巡査長は当初、「川に銃を捨てた」と供述。捜査本部は東京都内の神田川で捜索を行ったが発見できなかった。一方の中村元受刑者は犯行の翌月、伊豆大島へ向かうフェリーから拳銃を海に投げ捨てたとし、警視庁はこのときの乗船記録も入手した。ただ深海で捜索はできなかった。中村元受刑者は共犯者について供述することを拒み、捜査は打ち切られた。
  昨年、中村元受刑者は医療刑務所で94歳で死亡した。佐久間氏は、上層部などが捜査方針を転換できなかったとし、「真実は一つしかない」と語った。真相はいまだ闇に包まれている
(大渡美咲)

警察庁長官銃撃事件 
  平成7年3月30日午前8時半ごろ、東京都荒川区南千住の自宅マンションで当時の警察庁長官、国松孝次氏が後方から4発銃撃され3発が命中。一時重体に陥ったが一命を取り留めた。警視庁は延べ約48万人の捜査員を動員したが、22年3月30日、事件は未解決のまま公訴時効を迎えた。警視庁は「オウム真理教による組織的テロ」と結論づける捜査結果の概要を公表。教団主流派「アレフ」から名誉毀損(きそん)で訴えを起こされ、東京都側の敗訴が確定した。


2025.01.29-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20250129-U2OWZ7IQINJ5FDIONQ6GGG3BRA/
袴田巌さんが2億1千万円の刑事補償請求 47年以上の身体拘束、再審無罪判決

  1966年の静岡県一家4人殺害事件で再審無罪が確定した袴田巌さん(88)の成年後見人の弁護士が29日、刑事補償法に基づき、逮捕から釈放まで47年以上にわたる身体拘束への補償金約2億1千万円を国に求め、静岡地裁に請求書を提出した。関係者への取材で分かった。弁護士費用など裁判費用の支払いも併せて求めた。

  刑事補償法は、無罪が確定した場合、国が1日当たり最大1万2500円を交付すると規定。地裁は、拘束期間や得られるはずだった利益などを考慮して金額を決める


2024.12.26-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20241226-CXQGSTMGPZOWJIKDYJBGNHHLEU/
検証名目で判決を批判「明らかな事実誤認」 袴田さん再審無罪検証で最高検と静岡県警

  最高検と静岡県警が26日、再審無罪が確定した袴田巌さん(88)の捜査や公判対応の検証結果を公表した。最高検は初動捜査や証拠保全について問題を認める一方、再審手続きの長期化に関しては大半の検察側の対応を「問題はない」と主張。判決が認定した証拠捏造(ねつぞう)も事実上否定するなど、検証の名の下に裁判所への不満を強くにじませた

反論のオンパレード
  「無罪の結論を否定するものではない」・・・最高検の報告書は冒頭にそう記したが、その後の主張は、捜査機関の証拠捏造を認定して無罪を言い渡した9月の静岡地裁判決への反論のオンパレードだった。
  再審判決は発生から1年以上後に現場近くのみそタンクから見つかり、確定判決で犯行着衣とされた衣類を捏造と認定。根拠の1つとして、発見から次回公判まで約3カ月あったのに、発見後2週間足らずで検察側が証拠請求したのは「不自然」とした。
  最高検は、実際は3カ月後ではなく、3週間後に次の公判が迫っており、「明らかな事実誤認がある」と指摘した。
  さらに、判決で捏造が実行されたとした時期には県警が別のパジャマを犯行着衣とする前提で取り調べしていたことから、「明らかに矛盾している」と主張した。
  捏造を明確に示す証拠も、捏造を明確に否定する証拠もなかったとした県警の報告書に比べ、判決への批判が際立った
被害者への謝罪なし
  再審手続きの長期化についても検察側の責任を繰り返し否定している。
  最高裁で結論が出るまでに約27年がかかった第1次請求審では、審理の頻度が少なく、「積極的に審理を促進する方策が十分でなかった」と指摘。一義的な責任が裁判所にあったとの認識を示唆した。


2024.12.07-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20241207-DALBBIHTSBNTDHNEPN5RDS5MYY/
女児刺殺は発生17年で検挙 未解決事件なぜ急展開 各地の警察が注力でも「初動が重要」
(木下倫太朗、堀口明里)

  17年間未解決だった兵庫県加古川市の小2女児刺殺事件で、兵庫県警が先月、殺人容疑でA容疑者(45)を逮捕した。殺人など重大事件の公訴時効が撤廃され、警察当局は近年、体感治安に悪影響を及ぼす長期未解決事件に力を注ぐ。だが、証拠が乏しく、犯行の立証が困難なケースも少なくない防犯カメラや科学捜査の発展で未解決の重大事件は減少傾向にあるが、捜査幹部は長期化する場合も見据え、「初動捜査が重要になる」と話す。

  殺人や強盗致死罪の時効が撤廃されたのは平成22年。これに合わせ、長期未解決事件を担う専従捜査班を設置する動きが各地で広がった
  21年11月に警視庁が全国の都道府県警で初めて設置。23年春には大阪府警や京都府警が、殺人などを取り扱う捜査1課内に専従捜査班を設けた
  大阪府警によると、捜査班では事件記録を改めて精査し、最新の科学技術を用いた資料の再鑑定や関係者への再聴取などを実施。主要駅などで情報提供を呼び掛ける広報活動も行っている。
  「科学捜査の技術は1年単位で向上する。昔では分からなかった微物が検出できるようになり、長年経過して解決につながることもある」。捜査幹部は、継続捜査の重要性をこう説明する。
  DNA型鑑定の個人識別の精度は、平成31年に「565京人に1人」まで向上。防犯カメラなどの古い画像の解析技術も進化しており、科学捜査によって停滞していた捜査が急展開するケースもある。
  しかし、こうした証拠類は、犯行を裏付けていく際の資料となることが多く、その場合は容疑者確保が前提となる。警察庁は19年に捜査特別報奨金(公的懸賞金)制度を開始。解決に結びつく情報の提供者に、最高で300万円の懸賞金を出している。

  平成22年に神戸市北区で高校2年の男子生徒が殺害された事件では、当時17歳の元少年が周囲に関与を示唆する発言をしていたとの情報が兵庫県警に寄せられた。生徒の衣服から検出されたDNA型が元少年と一致し、県警は令和3年に殺人容疑で元少年を逮捕。情報提供者に300万円が支払われた
  ただ、長期未解決事件は有力な証拠に乏しいことが多い。近畿大の辻本典央教授(刑事訴訟法)は「発生から時間がたっており、新たな物証を見つけるのは難しい。自白偏重にならないように、それまでに収集した証拠と供述を突き合わせ、整合性を評価していくことが大切だ」と指摘する。
  一方、ある警察幹部は鑑定技術の向上や防犯カメラが普及している現状を踏まえ、初動捜査の重要性を説く。「客観証拠が多ければ多いほど、自白に頼らない立証が可能になる。発生当初にいかに多くの証拠を収集できるかが勝負だ」
(木下倫太朗、堀口明里)


2024.11.30-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20241130-ML26NPNR45KGTNAVWIPUNRRMHI/
平成の重大誘拐事件 渋谷で女子大学生連れ去られ3億円要求
(内田優作)

  平成18年6月26日午後0時半ごろ、東京都渋谷区の路上で大学4年の女性=当時(21)=が連れ去られた女性の母は著名な美容整形外科医。犯人グループは身代金3億円を要求した
  女性を連れ去った車のナンバーを宅配ドライバーが目撃。夕方、警視庁の捜査1課特殊班やバイクで追尾する捜査班「トカゲ」が追跡を始めた犯人は電話口に女性を出したが、携帯電話の位置情報が指したのは追跡中の車両。車内には2台の電話機の受話口と送話口を重ねる男2人しかいなかった
  捜査員らは確保を求めたが捜査本部は「人質の居場所が分からない。手を出すな」と指示。確保のタイミングを巡り激しいやり合いになった。27日未明、捜査1課は川崎市内で男2人を確保。市内のアジトが判明し、捜査員らが踏み込んだ
  扉を開けた瞬間、捜査員の目の前にいた男は銃の引き金を引いたが弾は出ず、捜査員にけがはなかった
  女性は無事に保護され、実行役2人に無期懲役、1人に懲役10年の判決が言い渡された
誘拐事件などでは、警察と報道各社が事件の発生や経過を報道しない「報道協定」を結ぶ。交流サイト(SNS)全盛のいま、人命優先のため捜査に協力する報道協定は可能なのか、今後の課題となっている。
(内田優作)


2024.10.28-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20241028-SJYEWMC2D5PHZAEHQ7ZAOAAPRU/
福井中3殺害で検察が異議を断念、再審開始へ 前川さん無罪の公算大きく

  福井市で昭和61年、中学3年の女子生徒=当時(15)=が殺害された事件懲役7年が確定し、服役した前川彰司さん(59)が裁判のやり直しを求めた第2次再審請求審で、検察側は28日、再審開始を認めた名古屋高裁金沢支部決定に対する異議を申し立てないと発表した。再審開始が確定し、無罪となる公算が大きい


2024.09.26-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240926-BDRE76XGJNLBZEXTQZ7OJWJTGQ/
袴田巌さん再審無罪、4人殺害事件は迷宮入りへ 捜査当局「反省点多い」
(桑波田仰太、久原昂也、星直人)

  袴田巌さん(88)が再審無罪となった。昭和41年6月にみそ製造会社の専務だった橋本藤雄さん(41)一家4人が殺害された事件はすでに時効を迎えており、無罪が確定すれば、事件は迷宮入りとなる。捜査当局側からは自戒の声が漏れる。

  静岡県警は事件発生約1カ月半後の41年8月18日、みそ工場の住み込み従業員だった袴田さんを強盗殺人などの容疑で逮捕。公判などでは、県警が1日平均12時間も取り調べ、取調室で用を足させた上で「お前が犯人だ」などと迫って自白調書を作成していたことが発覚した。
  公判で袴田さんは無罪主張に転じた。確定判決では、45通の自白調書のうち、検察官調書1通を除く44通が採用されない異例の事態となった。
  法務・検察幹部は「当時は自供重視の捜査が主流だったが、袴田さんへの取調べは度が過ぎていた」と振り返る。
  初動捜査の詰めの甘さを指摘する向きもある。・・・県警は、再審が始まるきっかけとなった「5点の衣類」が見つかったみそタンクを事件発生4日後にも捜索していたが、みそが残ったままだったため徹底できず、後に発見された衣類がいつからタンク内にあったかが曖昧になった。
  再審開始を決めた東京高裁の審理での検察側の不備を指摘する声もある。検察側は衣類の血痕に赤みが残る可能性を主張したが、赤みが残る具体的な科学的根拠までは十分に示せなかったとの批判だ。
  検察OBは「捜査側には油断といえる部分がある。徹底さを欠いており、反省すべき点は多い」と話している。
(桑波田仰太、久原昂也、星直人)


2024.09.24-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240924-SRIS33DZRNINDJTTZWLZHYTTSE/
「真の自由をお与えください」-変わらぬ姉弟の立場-変わった世界の見方死刑囚と呼ばれて-袴田巌さん再審判決へ㊦
橘川玲奈)

  「そんなの噓だ」・・・静岡県清水市(現静岡市清水区)で一家4人を殺害したとして死刑が確定した袴田巌(88)平成26年3月、自身の再審を静岡地裁が認めたと知り、ぼやいた

  地裁が1回目の再審請求を20年前に棄却していただけに無理もないが、噓ではなかった地裁は犯行着衣とされた衣類の血痕の色が、発見場所のみそタンクに漬かっていた割には赤すぎるとする弁護側の主張を認め、死刑を執行停止。巌を釈放した
  東京拘置所の応接室に姿を見せた巌の表情は長年の身柄拘束による拘禁症状で硬かったが、姉のひで子(91)は意に介さなかった。「お帰り」。逮捕以来、言えずにいた言葉を口にしてみた。
弁護団長の涙
  釈放から8年を経ても再審は始まらなかった。・・・検察側の抗告を受けた東京高裁は30年6月、地裁の決定を取り消した。弁護側の特別抗告を受けた最高裁が令和2年12月、その高裁決定をさらに取り消し、審理は高裁に差し戻されていた。

  高裁、最高裁、そして再び高裁へのたらい回しは、ひで子には不思議な光景に映ったに違いない。だが、弁護団長の西嶋勝彦=後に82歳で死去=には見覚えがあった。
  西嶋は静岡県島田市で昭和29年、女児が殺害された「島田事件」で死刑が確定した男性の再審無罪を勝ち取った。島田事件も逮捕から無罪判決まで34年を要している。
  巌の弁護に30年以上関わった西嶋は時に議論が割れる弁護団を束ね、無罪の論拠を積み上げた。西嶋から主任弁護人を継いだ小川秀世(72)は「不思議と弁護方針の結論に不満を述べる人はいなかった」と話す。そのかいあってか、高裁は令和5年3月、捜査機関が証拠を捏造(ねつぞう)した可能性にも触れた上で再審開始を認め、検察側は同20日、特別抗告を断念した。
  その日、東京都内の会見場の机に顔を伏して涙を流す西嶋がいた。「お袋の葬儀でも泣かなかったのに」。西嶋の息子は笑ったという。肺炎を患い、会見場や10月に始まった再審公判で鼻に酸素チューブをつけていた西嶋。明くる年の1月、無罪判決を聞くことなく天に召された。
「袴田巌さん」
  「巌に真の自由をお与えください」。令和5年10月27日の再審初公判、ひで子は半世紀以上前の弟と同じように無罪を訴えた。当時と違い、巌は意思疎通が困難で出廷を免除され、ひで子が代わりを務めた。
  巌は今も死刑囚のままだ。ひで子も死刑囚を支える姉のまま。・変わったのは、2人を取り巻く世界だ。メディアは「袴田巌死刑囚」と呼ぶことを止めて「袴田巌さん」と呼び始めた。ひで子を廃人寸前に追い詰めた世間の厳しい目はもう、ない。変わらないのは再審公判でも死刑求刑を維持した検察か。では、56年前に死刑を言い渡した地裁はどうか。
  再審は無罪とする明白な新証拠が見つかったときに開かれる。
  判決は今月26日。司法に揺さぶられ続けた巌の人生に架された「死刑囚」の十字架。降ろせるのは、その十字架を架した者しかいない。=呼称、敬称略
  この連載は、橘川玲奈が担当しました。


2024.07.11-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20240711-5NLP6DGY6NOGDLZAEG6ZBNTSK4/
「3億円事件」 捜査ファイルが明かす警視庁の「焦燥」
(『三億円強奪事件』)(内田優作)

  昭和43年12月、東京都府中市で白バイ警察官姿の男が現金入りのジュラルミンケースを持ち去った「3億円事件」奇抜な手口と被害の大きさから戦後史に残る未解決事件だ。産経新聞警視庁記者クラブに眠っていた捜査資料から浮かぶのは、史上空前の大捜査の内幕や、犯人の特定に至らない捜査当局の焦燥だった。(内田優作)

  《通達乙(刑.1.1)第27号 府中警察署管内発生「現金輸送車強奪事件」捜査について》
  45年2月、警視庁は刑事部長名で各方面本部や警察署に文書を通達した。文書は、発生から1年余りが経過した事件の捜査概要と課題が35ページにわたりまとめられている。・・・「都民はもとより全国民が捜査の動向に深い注目と関心」「本件捜査の帰すうが全警察の威信にかかわる」。冒頭から捜査陣の危機感がにじむ。
  事件は43年12月10日、府中市の路上で発生。午前9時20分ごろ、白バイ警察官姿の男が東芝府中工場へ向かう日本信託銀行(当時)の現金輸送車を「ダイナマイトが仕掛けてあるかもしれない」として停車させた。車の下からは発煙筒による煙が出た。ひるむ行員を尻目に男は車に乗り込み、東芝の賞与として積まれた2億9434万1500円を奪った。
  文書によると、捜査本部は手口や事件前に犯人が出したとみられる脅迫状の筆跡などから、単独犯の可能性が濃厚と分析した。だが、対象者が多く捜査は難航。47年7月には捜査体制が最盛期の約10分の1にあたる20人まで縮小された。警視庁は捜査主任に「名刑事」として知られた平塚八兵衛を起用し、解決を期した。
  48年12月、捜査本部は《三億円強奪事件捜査状況》という中間報告をまとめる。公訴時効まで残り2年。青焼きで13ページの文書には捜査上の課題が凝縮されている。
  この時点で捜査を行った対象は9万5千人を超えていた。同文書は重点的な捜査課題に「東芝、銀行関係」「遺留品(トラメガ)関係」「情報関係」の3点を示した。トラメガとは、犯行に使われた偽の白バイのトランジスタメガホンを指す。捜査本部は同じ機種に的を絞ったが、捜査対象852台のうち1割以上の行方が特定できなかった。現金が入っていたジュラルミンケースには照合可能な指紋1点もあったが、犯人のものとの断定には至らなかった。
  50年、強盗事件としての公訴時効が成立。平塚は著書で失敗の要因に、モンタージュ写真にこだわりすぎたことや初動対応の失敗などをあげた。
  「細心の計画と大胆な犯行。この事件を初めて耳にしたときに私が感じた<この事件は奥が深いぞ…>というカンは、みごとに適中したのである」
(『三億円強奪事件』)かくして、犯人は闇の中へ消えた。







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