イスラエルとパレスチナ問題-1


2022.12.13-産経新聞(KYODO)-https://www.sankei.com/article/20221213-LJ4RWAP56FOVRP2ECVKBK46DE4/
16歳パレスチナ少女を射殺 イスラエル軍、武力衝突中

  イスラエル軍が占領するヨルダン川西岸北部ジェニンで11日夜、イスラエル軍がパレスチナ人武装勢力を拘束しようと急襲作戦を実施武力衝突が発生し、パレスチナ保健省によると、少女(16)がイスラエル軍兵士に射殺された。軍は12日、「少女への発砲は意図的ではなかった」とする声明を発表、兵士が少女を射殺したと認めた。

  イスラエル軍によると、武装したパレスチナ人が兵士に爆発物を投げつけるなど攻撃を始めたため兵士は実弾で反撃。少女は住宅の屋根におり、住宅の周辺には武装した男がいたという。
  地元メディアは父親の話として、少女が屋根にいた飼い猫を家に入れようと屋根に上った可能性があると伝えている。
  イスラエル軍は今年春以降、パレスチナ人武装勢力を拘束する大規模な急襲作戦を西岸で展開、武力衝突が頻繁に発生しており、民間人も多数死亡している。(共同)


2022.04.15-産経新聞-https://www.sankei.com/article/20220415-V72BS4FHYRITHJ5HDLUB2PKSPU/
エルサレムのモスクで衝突 150人以上負傷
(カイロ 佐藤貴生)

  エルサレム旧市街のイスラム教礼拝所「アルアクサ・モスク」の周辺で15日、多数のパレスチナ人がイスラエルの治安部隊と衝突し、ロイター通信によると少なくともパレスチナ人152人が負傷した。4月初旬にはイスラム教徒の信仰心が高まるラマダン(断食月)に入っており、報復の応酬が懸念される。

  15日はイスラム教の金曜礼拝に当たり、モスク周辺で投石などを行ったパレスチナ人にイスラエルの治安部隊が催涙弾やゴム弾を発射して応戦し、イスラエル警察は数百人を拘束した。3月以降、パレスチナ人などアラブ系によるユダヤ人襲撃事件が頻発していた。

  イスラエルのベネット首相は「あらゆるシナリオを想定している」とし警戒を強化する方針を示した。パレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスは、イスラエルには「(今後起きる)結果に責任がある」と述べた。
  アルアクサ・モスクでは昨年4月のラマダン期間中も双方のもみ合いが相次ぎ、5月にはハマスがイスラエル領にロケット弾を撃ち込んで同国軍との大規模衝突に発展し、停戦までの11日間でパレスチナ人250人以上が死亡した。
  モスクはイスラム教とユダヤ教双方の聖地である「神殿の丘」にある。東エルサレムを「将来の独立国家の首都」と位置付けるパレスチナ側に対し、イスラエルは東西エルサレムは「不可分の永遠の首都」だとしている。(カイロ 佐藤貴生)



2021.06.16-日経経済新聞-https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB160HU0W1A610C2000000/
イスラエル、再びガザ空爆 停戦後初めて

  イスラエル軍は16日、イスラム原理主義組織ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザを空爆したと発表した。ガザから発火装置付きの風船がイスラエル領内に飛ばされ、火災が相次いだことへの報復としている。イスラエルでは強硬派の新政権が発足したばかりで、双方の緊張が高まる恐れがある。

  イスラエルによる攻撃は5月21日に発効した停戦後初めて。イスラエル軍は16日未明にハマスの軍事施設を標的に空爆を実施した。同軍は「テロ行為が続くなかでは、戦闘を含めたあらゆるシナリオを用意している」と声明を発表し、ガザへのさらなる攻撃の可能性を示唆した。
  イスラエルとハマスは11日間に及んだ軍事衝突の末、双方が停戦に合意。ただ、交戦のきっかけとなった聖地エルサレムをめぐる対立などが未解決なうえ、13日にはイスラエルでナフタリ・ベネット首相が率いる新政権が発足。パレスチナでのユダヤ人入植活動を推進し、ネタニヤフ前首相よりも強硬な右派とされる。


2021.05.21-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/210521/wor2105210021-n1.html
バイデン政権、パレスチナ問題深入り避けた「ステルス外交」 中東の影響力減衰も背景
(1)
  【ワシントン=大内清】イスラエルとパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスの衝突をめぐる停戦調停で、バイデン米政権は表立った圧力を避け、慎重な関与に徹した“ステルス外交”の背景には、政権が目指すイラン核合意への復帰という外交目標と、パレスチナ問題への深入りを避ける思惑、そして中東での米国の影響力の減退という3つの事情が絡まり合っている。

  バイデン政権高官は、ガザ情勢をめぐる米国の動きを「静かで集中的な外交」と形容してきた。強い口調で停戦を求めたり、要人による「シャトル外交」を展開したりするのではなく、舞台裏での調停に徹している-という意味だ。

  ホワイトハウスの発表では、バイデン大統領はイスラエルのネタニヤフ首相との17日の電話で、一般論として「停戦を支持」するにとどめた。19日の電話でも緊張緩和への「期待」を表明しただけだ。控えめともいえる態度の背景には、今後の中東外交をにらみ、ネタニヤフ氏との軋轢(あつれき)は避けたいとの判断がある。
  バイデン政権にとり当面の最優先課題は、トランプ前政権が一方的に離脱したイラン核合意への復帰だ。欧州や中露も参加する多国間の枠組みである核合意を修復することがイランの核開発抑止と中東安定化につながるとの認識がある。バイデン氏が掲げる「多国間外交」にも合致する。
  ガザでの戦闘の間、米・イランは核合意をめぐる間接協議を継続。仲介役である欧州連合(EU)欧州対外活動庁のモラ事務局次長は19日、「最終合意できると確信している」と、協議の前進を示唆している。

  その中で米国にとって重要なのは、核合意に反対し、時にはイラン攻撃も辞さない姿勢をみせてきたネタニヤフ政権の説得だ。
  ネタニヤフ政権にとってガザ攻撃は、イランの支援を受けるハマスへの正当な「自衛権の行使」だ。米国がイスラエルへの停戦圧力を強め、ネタニヤフ氏がバイデン氏への不信を強めれば、核合意をめぐる協議がこじれる可能性もある。
(2)
  一方で、かつては中東での最重要課題だったパレスチナとイスラエルの和平は解決の糸口さえ見えない状態だ。イスラエルの圧倒的優位は揺るがず、パレスチナ自治政府は極度の機能不全に陥って久しい。

  バイデン政権は、交渉による「2国家共存」を支持している。が、ガザの戦闘収束後に和平協議を再活性化させることには、「まずは両者の機運が高まらなくてはならない」(サキ大統領報道官)と及び腰だ。
  バイデン氏が副大統領を務めたオバマ政権は、和平協議進展に向けてイスラエルに占領地への入植活動凍結などを求めた結果、同国との関係が極度に冷え込んだ。バイデン政権はその轍(てつ)を踏まぬよう、当面は和平問題と距離をとる考えとみられる。

  米国はオバマ政権以降、「世界の警察官」の立場を否定し、中東関与を後退させた。2011年に中東で政権崩壊や内戦が相次いだ「アラブの春」後はパワーバランスが大きく変化し、ロシアやイラン、トルコなどが伸長。米国の影響力は相対的に低下した。
  バイデン政権は今回、各国への働きかけを主に「電話外交」で行った。要人派遣などの大々的な形をとらないのは、影響力の減退で成果が見通しにくくなっていたためともいえそうだ。


2021.05.19-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/210519/wor2105190010-n1.html
ハマス、停戦に同意か 「20日から」と報道 衝突はヨルダン川西岸へも拡大

  【カイロ=佐藤貴生】イスラエルとパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスの軍事衝突で、イスラエルのメディアは18日、調停を試みていたエジプト政府がハマスに20日午前6時からの停戦を提案し、ハマスが同意したと伝えた。しかし、イスラエルはまずハマスによる無条件の攻撃停止を要求しており、調停が奏功するかは見通せない。

  一方、衝突は18日、ヨルダン川西岸地区に拡大し、治安部隊との衝突でパレスチナ人3人が死亡、60人以上が負傷した。
  西岸のパレスチナ自治区やアラブ系住民の町では18日、イスラエル軍のガザ攻撃を受けて「怒りの日」と題する抗議のゼネストが行われ、自治区ラマラやベツレヘムなどのほか、イスラム教とユダヤ教の聖地があるエルサレム旧市街の周辺でもパレスチナ人とイスラエルの治安部隊が衝突した。双方の対立は近年では例がない規模に拡大しており、国内の分断が深まることは必至だ。

  国連によると、18日までにガザでは約130の建物が倒壊、300軒以上が損傷し、5万2千人以上が避難民になった。病院など医療関連施設の15カ所が打撃を受け、医療品や飲料用水などの必需品が欠乏したため、イスラエルは18日、ガザとの境界の一部を人道支援物資搬入のため短時間、開放した。
  ガザでは少なくとも213人が死亡し、国際人権団体がイスラエルへの批判を強めている。一方、イスラエルでは18日、ハマスなどが南部に撃ち込んだロケット弾で新たに2人が死亡し、死者は12人となった。


2021.05.15-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/210518/wor2105180007-n1.html
ガザの死者200人超 イスラエル軍、過激組織の司令官殺害

  【カイロ=佐藤貴生】イスラエルとパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスの軍事衝突で、ガザでは17日までの死者が計204人となった。ロイター通信が伝えた。ヨルダン川西岸の自治区と合わせ、パレスチナ側の死者は少なくとも225人に上る。イスラエル側の死者は計10人という。

  イスラエル軍は17日、ハマスが設けた地下トンネル網の一部に当たる約15キロ分を攻撃した。この地下トンネルは戦闘員らの移動や潜伏、物資隠匿などに使われているとされ、主な攻撃目標になっている。イスラエル軍はまた、ガザを拠点とする過激組織イスラム聖戦の戦闘司令官を空爆で殺害したと17日に発表した。
 同組織はハマスと同じくイスラエルと敵対するイランの支援を受けているとされる。司令官の死後、イスラエルの地中海岸地域アシュドッドにロケット弾を発射し、7人が負傷した。
  10日に衝突が始まってから、ハマスなどがイスラエル側に発射したロケット弾は計3150発に上る。
  この問題をめぐり、バイデン米大統領は17日、イスラエルのネタニヤフ首相と電話会談し、パレスチナ側との「停戦を支持する」との立場を伝えた。国連やエジプト、カタールなども停戦に向けた調停作業を進めているが、18日は西岸やアラブ系住民が多く住む地域で反イスラエルのゼネストが予定されており、混乱が拡大する可能性もある。


2021.05.17-産経新聞 THE SANKEI WEB-https://www.sankei.com/world/news/210517/wor2105170016-n1.html
アラブとの歴史的和解に水 イスラエル攻撃 イスラム諸国「組織的犯罪」と非難

  【カイロ=佐藤貴生】イスラム圏の56カ国とパレスチナで構成する「イスラム協力機構」(OIC)は16日、オンライン形式で会合を開き、パレスチナ自治区ガザへのイスラエルによる軍事攻撃はパレスチナ人に対する「組織的犯罪」だと非難した。イスラエルは昨年、一部のアラブ諸国と歴史的な和解に達し、中東の勢力図が一変するとの見方もあったが、イスラム原理主義組織ハマスとの軍事衝突の激化が関係改善の流れに水を差した格好だ。

  ロイター通信が伝えた。OICの会合では、イスラエルとの国交正常化で昨年合意したアラブ首長国連邦(UAE)の高官が「新たな段階の地域不安定化」を避けるため、「最高度の抑制」を要求した。
  UAEは、エルサレムのイスラム教聖地にあるモスク(礼拝所)周辺で10日にパレスチナ人とイスラエル治安部隊が衝突し、攻撃の発端となった事件についてもイスラエルに「深い懸念」を示していた。
  OIC会合後の声明では、サウジアラビアも聖地の尊厳を冒したとしてイスラエルを非難。サウジは近年、核開発を進めるイランに対抗するため、国交がないイスラエルと異例の接触を重ねていたとされる。バーレーンとイスラエルが昨年、国交正常化で合意した際には陰で和解を後押ししたともささやかれた。
  トルコのチャブシオール外相は会合で、イスラエルの戦争犯罪の責任を明確にすべきだとして国際刑事裁判所(ICC)が役割を果たすよう求めた。イスラエルは未加盟だが、ICCのベンスダ主任検察官は同国の協力なしでも捜査を進める意向を示している。

  トルコのエルドアン政権はイスラム世界の盟主を目指しており、パレスチナ人の権利保護を主張。イスラム教の聖地メッカがあるサウジとは2018年の反体制サウジ人記者殺害事件などで関係が冷え込んでいたが、チャブシオール氏が11日にサウジを訪問してファイサル外相と会談するなど関係改善に動いている。今回の軍事衝突を契機にアラブ諸国との融和を図る狙いもうかがえる。


2021.05.17-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/210517/wor2105170009-n1.html
イスラエルとハマスの軍事衝突1週間 パレスチナの死者218人に

  【カイロ=佐藤貴生】イスラエルとパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスによる軍事衝突が起きてから17日で1週間になったが、戦闘は激化の一途をたどっており、イスラエル軍によるガザへの地上侵攻の懸念も出ている。

  イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザへの空爆で16日、子供10人を含むパレスチナ人42人が死亡した。ロイター通信が伝えた。一方、ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスがイスラエルに発射したロケット弾は2800発超に達した。
  多数の犠牲者が出たことを受け、イスラエル軍は空爆はハマスが築いた地下トンネルを破壊するのが目的で、民間人への被害を避けるよう努めていると弁明。「軍事施設を民間の居住区域に意図的に設置し、民間人を危機にさらしている」とし、ハマスに責任があると主張した。ネタニヤフ首相はイスラエルの治安回復に必要なだけ「全力で」攻撃するとし、さらに戦闘を継続する姿勢を示した。

  一方、ハマスの報道官は「犯罪を正当化して責任逃れを図っている」とイスラエルを批判した。イスラエル軍は交戦開始以降、ハマスが発射したロケット弾の数は2014年の大規模交戦の約50日の間に撃ち込んだ数の半分以上に達したとしており、発射能力が大幅に向上した可能性がある。
  ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区でもパレスチナ人とイスラエル治安部隊に衝突が拡大し、16日までに少なくともパレスチナ人21人が死亡。10日以降のガザへの空爆による197人と合わせて死者は218人となった。イスラエル側でも10人が死亡した。


2021.05.15-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/210515/wor2105150020-n1.html
イスラエル首相、求心力回復の兆し

  【カイロ=佐藤貴生】イスラエルとパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスの軍事衝突を受け、イスラエルの政治状況がネタニヤフ首相に有利な情勢に傾いてきた。同氏を首相職から追い落とすために中道・左派勢力との連携を模索していたユダヤ人極右政党の党首が、国内のユダヤ人とアラブ系住民の衝突が深刻化したことで方針を転換し、挙国一致政権の樹立を求め始めたからだ。

  3月23日の国会(定数120)選挙ではネタニヤフ氏率いる右派政党リクードが第1党となり、まず同氏が連立協議を行ったが過半数の賛同が得られず失敗。続いて第2党の中道「イェシュアティド」のラピド党首が連立協議を進めている最中に、戦闘が始まった。
  ハマスの越境攻撃を引き金に息を吹き返したのが、治安維持に定評があるネタニヤフ氏だった。
  選挙で7議席を獲得した極右政党「イエミナ」のベネット党首は、ネタニヤフ氏と同じく対パレスチナ強硬派の代表格だが、収賄疑惑が浮上したネタニヤフ氏には協力しないとして今回の連立入りを拒んでいた。
  しかし、ベネット氏は13日、ユダヤ人とアラブ系の住民同士の衝突激化を受けて、右派だけでなく、中道・左派勢力との連立協議も中断すると表明した。
  イスラエル有力紙ハーレツによると、同氏は、国内の治安回復のためには軍部隊の投入などが欠かせないとして、挙国一致政権の樹立を主張し始めた。
  左右両派ともにイエミナの協力抜きには連立政権は発足できず、ベネット氏が事実上のキングメーカーだ。しかし左右両派の政策には大きな差があり、ベネット氏が主張する挙国一致政権発足の実現は難しいとの見方が大勢を占める。


2021.05.15-BBC New Japan-https://www.bbc.com/japanese/57112584
イスラエル衝突、ヨルダン川西岸に拡大 パレスチナ人10人が死亡

ル軍とパレスチナ人が衝突し、少なくともパレスチナ人10人が死亡、数百人が負傷
した。イスラエルとパレスチナのイスラム組織ハマスの交戦が激化する中、ユダヤ人とアラブ系市民の対立も広がっている。

  ヨルダン川西岸の多くの市や町では14日、イスラエルに抗議するパレスチナ人とイスラエル側が衝突。イスラエル軍は催涙ガスやゴム弾、実弾を使用し、パレスチナ人は火炎瓶を投げて応戦した。
  この衝突で少なくともパレスチナ人10人が死亡し、数百人が負傷したと報告されている。
  ヨルダンとレバノンのイスラエル国境では、パレスチナ人を支持する抗議活動が行われた。抗議活動中にイスラエルの砲撃を受けた男性1人が死亡したと、レバノン国営メディアは伝えた。

  東エルサレムの緊張悪化を機に10日から続く交戦は激しさを増し、2014年以降で最悪となっている。これまでにガザ地区では少なくとも126人、イスラエルで8人が死亡している。
  イスラエル軍は14日、「メトロ」と呼ばれるハマスの地下トンネル網を破壊する作戦を13日夜から実施したが、ガザ地区に踏み込んではいないと説明した。
  一方のハマスは13日夜から14日朝にかけ、ガザ地区からイスラエルに向けて約220発のロケット弾を立て続けに発射した。イスラエル南部アシュドッドでは、シェルターに向かっていた女性(87)が死亡した。アシュケロン、ベエルシェバ、ヤヴネの各市もロケット弾の標的にされた。

  ガザ地区の保健省は地区内の死者について、子ども31人を含む多数の一般市民が含まれているとしている。また、これまでに950人が負傷したという。
  一方、イスラエルは、ガザ地区で死亡した多数は戦闘員だと主張。ハマスによるロケット弾の誤射が原因の死者もいるとしている。
  国連の14日の発表によると、交戦が始まった10日以降にガザ地区から避難したパレスチナ人は推定1万人に上る。
「恐ろしい映画のよう」
  イスラエルではユダヤ人とアラブ系市民の対立も激化しており、ルーベン・リブリン大統領が内戦の危険性を警告する事態となっている。ベニー・ガンツ国防相は治安部隊による取り締まりを強化し、400人以上が拘束されている。
  イスラエルの警察は、多くの衝突でアラブ系市民が原因になっていると説明。ユダヤ人の若者グループがアラブ系市民の住居を次々と攻撃するのを警察が黙認しているという批判は、当たらないと主張している。

  ガザ地区のイスラエルとの境界付近では、イスラエル部隊の侵攻を恐れるパレスチナ人住民らが避難を進めている。ガザ地区のシュジャイヤから逃れた住民は、自宅に砲弾が落ちてきたと証言した。
  「恐ろしい映画のようだった」と、家族とともに砲撃を逃れた地元住民のサワル・アル・アッタル氏は述べた。「航空機が上空を飛び交い、地上では戦車の砲撃があり、私たちは動けなかった。子どもも女性も、男性もみんな悲鳴をあげていた」。
  イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は14日朝の声明で、ガザ地区への軍事行動を「必要な限り」続けると表明。ハマスについて、ほかの「テロリスト集団」と同様に大きな代償を払うことになると付け加えた。
  イスラエルは13日、ガザ地区との境界付近に、歩兵部隊2隊と機甲部隊1隊を追加配備。また、陸軍の予備兵7000人以上を招集した。また、地上部隊をガザ地区内に進めることを検討しているとした。
  一方、ハマスの広報担当は、イスラエル軍の地上部隊がガザ地区に侵攻してきた場合は、同軍に対して「厳しい指導」を実施する準備があると述べた。
国際社会は自制求めるが
  国連のアントニオ・グテーレス事務総長は14日、「ガザ地区とイスラエルにおける敵対行動の即時沈静化と停止」を求めた。
  こうした声は、イスラエルの同盟国アメリカを含めた各国からも出ている。しかし、交戦が鎮まる気配はない。
  ハマス幹部は、国際社会がイスラエルに対し、エルサレムのアルアクサ・モスクでの「軍事行動をやめるよう」圧力をかければ、それに応じて停戦する用意があると表明した。
  しかし、イスラエルのマーク・レゲヴ首相府報道官はBBCに対し、国際社会がイスラエルに自制を求めるのは見当違いだと述べた。
  「我々はこんな争いは望んでいなかったが、争いが始まった以上、持続的な静寂の中でそれを終わらせなければならない」とレゲヴ氏は述べた。「そのためには、イスラエルがハマスの軍事組織と指揮系統を取り除くしかない」。
交戦の経緯
  今回の攻撃の応酬は、東エルサレムで数週間にわたり、イスラエルとパレスチナの人々の間で緊張が高まっていたことが背景にある。イスラム教ユダヤ教の両方にとって聖地とされている場所で、衝突が起きていた。
  イスラエルは1967年の第3次中東戦争以来、東エルサレムを占領し、エルサレム全体を国の首都としている。しかし、国際社会の大半はこれを認めていない
  一方のパレスチナ自治政府は、東エルサレムが、将来建設する国家の首都になるとしている。
  近年では、イスラエルとパレスチナが領有権を争う東エルサレムのシェイク・ジャラー地区で、イスラエル人入植者がパレスチナ人の住人に立ち退きを迫っていることから、双方の緊張が高まっている


2021.05.13-毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20210512/k00/00m/030/359000c
ガザ空爆でアラブ諸国がイスラエル非難 「人権法に反する犯罪行為」

  10日に始まったイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区への空爆に対し、アラブ諸国から非難の声が上がっている。エジプトなどは、ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスとイスラエルの一時停戦の仲介を模索するが奏功していない。

   ロイター通信などによると、パレスチナを含む約20カ国・地域で構成するアラブ連盟」は11日、パレスチナの要請に基づいて緊急外相会合をテレビ会議形式で開いた。エジプトのシュクリ外相は会合で、イスラエルに事態沈静化の手助けを提案したものの前向きな反応が無いと報告し、今後も努力を続けるとした。カタールも仲介に当たっているという。

  連盟が会合後に発表した声明は「国際法や人権法規に反する犯罪行為の結果責任は全てイスラエルにある」と非難し、国連安全保障理事会などに対してイスラエルの攻撃を直ちにやめさせるよう求めた。
  アラブ諸国の間では、アラブ首長国連邦(UAE)やバーレーンなどがトランプ前米政権の後押しで昨年、イスラエルと国交正常化で合意し、サウジアラビアも水面下でイスラエルと接触していたとみられる。しかし、今回は、空爆に先立ってエルサレムにあるイスラム教とユダヤ教双方の聖地神殿の丘」(イスラム名ハラム・アッシャリーフ)を巡る衝突が発生したこともあり、アラブ側はイスラエル非難で足並みをそろえた。

  非アラブの地域大国トルコも外務省声明で「パレスチナ市民の正当な権利と要求を力で抑圧することはできないとイスラエル政府は理解すべきだ」と強調した。
【カイロ真野森作】


2021.05.11-産経新聞 THE SANKEI NEWS -https://www.sankei.com/world/news/210511/wor2105110023-n1.html
エルサレム衝突 「脱トランプ」のバイデン米政権、鎮静化の道筋みえず

  エルサレム旧市街でのパレスチナ人とイスラエル治安部隊の大規模衝突を受け、バイデン米政権は10日、イスラエルと将来のパレスチナ国家による2国家共存」を目指す考えを改めて強調し、イスラエル寄りだったトランプ前政権からの転換を印象付けた。一方でバイデン政権はイラン問題などを念頭にイスラエルとの関係維持に腐心しており、同国との立場の違いを際立たせかねないパレスチナ問題では、和平仲介などの具体的な関与策を打ち出せていない。

  米国務省のプライス報道官は10日の記者会見で、イスラエルとパレスチナの双方に緊張緩和を呼び掛けた上で、イスラエルには、衝突があった旧市街を含む東エルサレムの住民に哀れみと思いやりを持って接するべきだ」と求め、強制立ち退きや入植活動に反対の考えを示した。入植を推進する右派ネタニヤフ政権にくぎを刺した格好だ。
  プライス氏は、東エルサレムの最終的な地位は「当事者(による協議)で解決されるべき問題」だとし、東エルサレムの大部分をイスラエルの首都と認定した前政権と一線を画した。

  ただ、政権発足から3カ月余りがたった現在も、バイデン政権が2国家共存に向けた協議の仲介に乗り出す兆しは見えていない。背景には、優先課題として取り組むイラン核合意の修復へ向け、同国と敵対するイスラエルから一定の理解を得る必要に迫られていることから、優先度の低いパレスチナ問題で同国との関係をぎくしゃくさせたくないとの思惑がある。
  また、イスラエルでは過去2年で4回の総選挙が行われる政治空転が続く中でも、対パレスチナ強硬派のネタニヤフ首相が底堅い支持で政権を維持してきた。これに対してパレスチナ側では自治政府に対する住民の不満が強く、アッバス議長ら指導部の求心力が低下。バイデン政権には、こうした政治情勢で和平協議を主導するのは難しいとの判断もあるとみられる。

  歴代米政権は、イスラム原理主義組織ハマスなどのロケット弾攻撃に対してイスラエルが空爆などで報復することは「正当な自衛の範囲内」だとしており、バイデン政権もこれを踏襲。東エルサレムでの衝突やハマスによる挑発的な攻撃が長期化した場合、事態沈静化のためにバイデン政権がとれる措置は極めて限定的だ。(ワシントン 大内清)


2021.05.11-日本経済新聞-https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR10DTT0Q1A510C2000000/
エルサレム衝突が交戦に発展 ガザに報復26人死亡

  【カイロ=久門武史】エルサレムで相次ぐパレスチナ人とイスラエル警察の衝突は10日、パレスチナ自治区ガザからイスラエルへのロケット弾攻撃に発展したイスラエル軍が11日にかけてガザを空爆して報復し、ガザの保健当局によると26人が死亡した。緊張が一段と強まり、交戦が続く可能性がある。

  ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスは10日、エルサレムなどに向けてロケット弾を発射したと主張した。ガザから200発以上が発射され、イスラエル軍が迎撃したが一部はエルサレム郊外に着弾した。死者はいないもようだ。
  「攻撃を仕掛けた者は重い代償を払う」。イスラエルのネタニヤフ首相は同日こう警告した。双方とも一段と攻撃を強める構えを示し、戦闘が拡大する恐れがある。

  エルサレム旧市街のイスラム教礼拝所「アルアクサ・モスク」周辺で7日夜に起きたパレスチナ人とイスラエル警察の大規模な衝突はその後も連日続く。10日だけでパレスチナ人300人以上が負傷したと伝えられ、ハマスがイスラエルへのロケット弾発射に踏み切る事態につながった。
  最近の暴力的な衝突の直接の引き金になったのは、イスラエルが東エルサレムに暮らすパレスチナ人の立ち退きを求めている問題だ。ユダヤ教やイスラム教などの聖地であるエルサレムを巡る対立は根深い。双方の帰属意識が高まる時期に重なることで、互いに容易に譲歩できなくなっている事情もある。

  10日はイスラエルが1967年の第3次中東戦争で東エルサレムを占領したのを記念する「エルサレムの日」で、祝うユダヤ人がイスラエル国旗を掲げてエルサレムで行進した。警察は直前に行進ルートを変更させたが、衝突が続くなかでパレスチナ人を刺激するのは不可避だった。
  一方、イスラム教徒のパレスチナ人にとって今は重要なラマダン(断食月)の最終盤に当たる。信仰心が特に高まり、モスクに訪れる信徒が増える時期だ。イスラエル警察がデモ隊鎮圧のためモスク内に踏み込むといった介入にはとりわけ敏感にならざるを得ない。ハマスは10日のロケット弾攻撃を前に、イスラエル当局がアルアクサ・モスクの周辺から撤退するよう期限を切って警告していた。

  今週末には1948年のイスラエル建国で約70万人のパレスチナ人が難民となった「ナクバ(大惨事)」の記念日が控える。故郷を追われたパレスチナ難民らが帰還を求める抗議を強めるのは確実で、イスラエルとの衝突激化の恐れがある。
  国際社会からは早期の事態収拾を求める声が相次いでいる。米国務省はハマスによるロケット弾攻撃を非難する声明を出した。


2021.04.22-Yahoo!Japanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/b3fe1549f869e8712e8955c1375ca08dd6279804
核施設周辺にミサイル イラン、核施設への破壊工作に報復か

  【カイロ=佐藤貴生】イスラエル南部ディモナ近郊で22日未明、シリアから発射された地対空ミサイルが爆発した。イスラエルは事実上の核保有国でディモナには核開発の拠点施設がある。ミサイルは施設から約30キロの地点に落下し、負傷者や施設の被害はなかったもよう。爆発音は現場から約100キロ離れた場所でも聞こえ、周辺では警報のサイレンが鳴った。

   イラン中部ナタンズの核施設では11日に電気系統の異常が起き、同国政府はイスラエルによる破壊工作が原因だと断定。イラン側がシリアの軍事拠点からミサイルを発射して報復した可能性がある。
   イスラエル軍報道官は、ミサイルは飛行中の同国の航空機を狙って発射されたが外れたとの見方を示し、防空システムがミサイル撃墜に失敗したとしている。イラン政府はコメントしていない。
   イスラエル軍はミサイル発射地点を含むシリアの首都ダマスカス近郊の軍事拠点を空爆、兵士4人が負傷したもよう。現地にはイランが支援するイスラム教シーア派の民兵組織が駐留しているとされる。

   イスラエル軍はイラン側の長距離ミサイルや無人機による攻撃に備え、ディモナのほか南部の港湾都市エイラートなどの警戒を強化している。イスラエルのメディアによるとイランの識者は同国の保守系紙で先週、ナタンズの破壊工作に見合う報復を行うなら「ディモナの核施設の攻撃以外にない」と述べていた。



2020.12.23-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201223/k10012779281000.html
イスラエル 政権内の対立で議会が解散へ 総選挙は2年間で4度目

  中東のイスラエルでは、連立政権内での対立から、議会が予算案を期限までに承認できず解散することになり、来年3月に総選挙が行われることになりました。
政治の混乱が続くなか次の総選挙は2年間で4度目となる異例の事態となっています。
  イスラエルではことし5月、ネタニヤフ首相の呼びかけで大連立政権が発足しましたが、予算案の承認をめぐって政権内での対立が続き、現地時間の23日午前0時の期限までに議会の承認を得ることができませんでした。
  このため議会は解散し、来年3月に総選挙が行われることになりました。
  イスラエルでは、去年4月の選挙以降、与野党の勢力がきっ抗し連立政権を発足できずに選挙が繰り返される政治の混乱が続いていて次の総選挙は2年間で4度目となる異例の事態となっています。
  現地メディアの世論調査では、ネタニヤフ首相が率いる第1党の右派政党リクードが最も支持を集めていますが、リクードを離党した政治家が結成した右派の新政党もこれに迫る人気となっています。
  2009年から首相を務めてきたネタニヤフ首相は、アメリカのトランプ大統領の仲介で、ことし夏以降、対立関係にあったアラブ諸国との関係改善を進めるなどした一方、裁判で収賄や詐欺などの罪に問われ批判も浴びていて、引き続き政権を維持するかどうかが焦点です。


2020.11.20-SankeiBiz(KYODOU)-https://www.sankeibiz.jp/macro/news/201120/mcb2011201415023-n1.htm
米国務長官、イスラエル占領地のゴラン高原を初訪問

  イスラエル訪問中のポンペオ米国務長官は19日、いずれもイスラエルが占領するゴラン高原とヨルダン川西岸のユダヤ人入植地を訪れた。米国務長官の訪問は初めて。トランプ米政権は歴代米政権の政策を転換しイスラエルの主権を承認、大統領選で敗北が確実になったトランプ大統領は自らの外交実績をレガシー(政治的遺産)として定着させる狙いだ。

  イスラエルのアシュケナジ外相と共にゴラン高原を訪れたポンペオ氏は「ここはイスラエルの一部だ。(シリアの)アサド政権が支配すれば、西側諸国とイスラエルにとって危険だ」と語った。
  シリア国営通信によると、同国外務省は「ポンペオ氏の占領地訪問を最も強い言葉で非難する」とし「トランプ政権末期の挑発的な一歩だ」と非難した。
  イスラエルは1967年の第3次中東戦争でシリアからゴラン高原の大部分を奪い、81年に併合を宣言。国際社会は認めていないが、親イスラエルのトランプ政権は昨年3月、イスラエルの主権を承認した。(共同)


2020.7.26-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200726/k10012533721000.html
イスラエル コロナ感染再拡大で首相の辞任求めるデモ続く

  新型コロナウイルスの感染が再び拡大しているイスラエルでは、政権の対応に不満を募らせる市民がネタニヤフ首相の辞任を求めて連日、デモを続けていて、警察が放水車を出動させるなどして抑え込みをはかる事態となっています。
  イスラエルでは新型コロナウイルスの新たな感染者が5月には1日10人を下回る日もあるなど感染の抑え込みに成功したと見られていましたが、その後、学校や経済活動の再開に伴って感染が再び拡大し、今月21日には初めて2000人を超えました。
  こうした中、ネタニヤフ政権が効果的な感染対策を打ち出していないとして市民の不満が募っていて、首相自身の汚職疑惑もあり、首相の辞任を求めるデモが各地で続いています。
  25日には、エルサレムにあるネタニヤフ首相の公邸の前に数千人の市民が集まって抗議の声を上げたのに対し、警察が放水車を出動させて強制排除をはかる事態となりました。
  イスラエルでは、新型コロナウイルスの感染拡大の一方で、失業率がおよそ20%に上っていて、ネタニヤフ首相は感染対策と経済活動の再開との間で難しいかじ取りを迫られています。


2020.6.29-産経新聞 SANKEI NEWS WEB-https://www.sankei.com/world/news/200629/wor2006290017-n1.html
イスラエル、西岸併合協議を本格化 パレスチナやアラブが批判
(1)
  【カイロ=佐藤貴生】イスラエルのネタニヤフ政権は、7月からヨルダン川西岸地区にあるユダヤ人入植地などの併合に関する協議を本格化させる方針だ。第3次中東戦争(1967年)でイスラエルが占領した西岸はパレスチナ側が「将来建設する独立国家の領土」と位置付けており、併合を強行すれば国際的に批判が高まるのは必至だ。
  5月にネタニヤフ首相の右派「リクード」と野党の中道政党連合「青と白」の二大勢力の連立によって成立した政権は、併合に向けた議論を7月から始めることで合意していたイスラエル寄りのトランプ米政権が1月に発表した中東和平案に基づくもので、ネタニヤフ政権は閣議などで方針を話し合う見通しだ
  西岸には推定約300万人のパレスチナ人に加え、点在する130以上の入植地に約40万人のユダヤ人が住む。議論の対象になるのは入植地やヨルダンとの境界をなすヨルダン渓谷で、西岸の約3割に当たる。
  入植地にはユダヤ人しかいないが、ヨルダン渓谷にはユダヤ人約1万人のほかにパレスチナ人が6万5千人住んでいるとされる併合すればパレスチナ人の政治参加など複雑な問題が噴出することは確実だ。
  西岸を統治するパレスチナ自治政府のアッバス議長は、過去に結んだ協定を含め、イスラエル側とのすべての関係を断絶すると述べ、併合の動きを強く批判してきた。
  ヨルダンは1994年締結のイスラエルとの平和条約の破棄も示唆。アブドラ国王は今月中旬、米議会議員とのテレビ会議で地域の平和や安定を害する」と訴えた。中東のアラブ諸国でイスラエルと平和条約を結んでいるのはヨルダンとエジプトだけで、併合を強行すれば周辺国との外交にも影響を及ぼしかねない
  国連のグテレス事務総長も今月下旬、「併合は最も重大な国際法違反だ」と併合計画の撤回を求めた。
(2)
  こうした情勢の下、ネタニヤフ政権は当面、ごく一部の入植地の併合にとどめるとの観測が出ている。イスラエル有力紙ハーレツ(電子版)は23日、併合に反対を表明した米野党、民主党のバイデン前副大統領が11月の大統領選でトランプ大統領に勝つことも想定しているとの見方を示した。
  ネタニヤフ政権は当時野党だった「青と白」を率いるガンツ元軍参謀総長(現副首相兼国防相)が新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政治の停滞を回避すべく譲歩して発足した“寄り合い所帯”だ。ガンツ氏はかつて汚職疑惑を抱えるネタニヤフ氏に下野するよう求めてきた最大の政敵だっただけに、併合の詳細まで合意しているわけではないとみられる。今後も政権内部でさまざまな曲折が予想される。


杉原千畝
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杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年明治33年〉1月1日 - 1986年昭和61年〉7月31日)は、日本外交官早稲田大学高等師範部英語(教育学部英語英文学科)科本科中退。
第二次世界大戦中、リトアニアカウナス領事館に赴任していた杉原は、ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して大量のビザ(通過査証)を発給し、避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くがユダヤ人系であった。「東洋のシンドラー」などとも呼ばれる。

命のビザ
ポーランドとリトアニアには、ミルやテルズなどユダヤ人社会に知られたユダヤ教の神学校があり、ヨーロッパ中から留学生が集まっていた。そのなかに祖国がドイツに降伏したため無国籍になった、オランダ出身のナタン・グットヴィルトとレオ・ステルンハイムがいた。グットヴィルトは、オランダ領事ヤン・ズヴァルテンディクに出国の協力を求めた。ズヴァルテンディクは、今日でも有名なオランダ企業フィリップス社のリトアニア支社長だったが、1940年(昭和15年)5月、バルト諸国担当のオランダ大使 L・P・デ・デッケルの要請を受けて、ナチス共鳴者のティルマンス博士に代わりカウナス領事に就任していた。祖国を蹂躙したナチスを強く憎んでいたズヴァルテンディクは、グットヴィルトらの国外脱出に協力を約束。6月末にグットヴィルトは、ワルシャワ大学出身の弁護士でユダヤ難民たちのリーダー格だった、ゾラフ・バルハフティクにこの件のことを相談した。ズヴァルテンディク領事は、「在カウナス・オランダ領事は、本状によって、南米スリナム、キュラソーを初めとするオランダ領への入国はビザを必要とせずと認む」とフランス語で書き込んでくれた。

ズヴァルテンディクによる手書きのビザは途中でタイプに替わり、難民全員の数を調達できないと考えたバルハフティクらはオランダ領事印と領事のサインのついたタイプ文書のスタンプを作り、その「偽キュラソー・ビザ」を日本公使館に持ち込んだのである[55]。ドイツ軍が追撃してくる西方に退路を探すのは問題外だった。そして、今度はトルコ政府がビザ発給を拒否するようになった。こうして、トルコ領から直接パレスチナに向かうルートも閉ざされた。もはや逃げ道は、シベリア鉄道を経て極東に向かうルートしか難民たちには残されていなかった。難民たちがカウナスの日本領事館に殺到したのには、こうした背景があった。

1940年(昭和15年)7月、ドイツ占領下のポーランドからリトアニアに逃亡してきた多くのユダヤ系難民などが、各国の領事館・大使館からビザを取得しようとしていた。当時リトアニアはソ連軍に占領されており、ソ連が各国に在リトアニア領事館・大使館の閉鎖を求めたため、ユダヤ難民たちは、まだ業務を続けていた日本領事館に名目上の行き先(オランダ領アンティルなど)への通過ビザを求めて殺到した。「忘れもしない1940年7月18日の早朝の事であった」と回想する千畝は、その手記のなかで、あの運命の日の光景をこう描いている。「6時少し前。表通りに面した領事公邸の寝室の窓際が、突然人だかりの喧しい話し声で騒がしくなり、意味の分からぬわめき声は人だかりの人数が増えるためか、次第に高く激しくなってゆく。で、私は急ぎカーテンの端の隙間から外をうかがうに、なんと、これはヨレヨレの服装をした老若男女で、いろいろの人相の人々が、ザッと100人も公邸の鉄柵に寄り掛かって、こちらに向かって何かを訴えている光景が眼に映った」。

ロシア語で書かれた先の報告書にあるように、カウナスに領事館が設置された目的は、東欧の情報収集と独ソ戦争の時期の特定にあったため、難民の殺到は想定外の出来事であった。千畝は情報収集の必要上、亡命ポーランド政府の諜報機関を活用しており、「地下活動にたずさわるポーランド軍将校4名、海外の親類の援助を得て来た数家族、合計約15名」などへのビザ発給は予定していたが、それ以外のビザ発給は外務省や参謀本部の了解を得ていなかった。本省と千畝との間のビザ発給をめぐる齟齬は、間近に日独伊三国軍事同盟の締結を控えて、カウナスからの電信を重要視していない本省と、生命の危機が迫る難民たちの切迫した状況を把握していた出先の千畝による理解との温度差に由来している。

ユダヤ人迫害の惨状を熟知する千畝は、「発給対象としてはパスポート以外であっても形式に拘泥せず、彼らが提示するもののうち、領事が最適当と認めたもの」を代替案とし、さらに「ソ連横断の日数を二〇日、日本滞在三〇日、計五〇日」を算出し、「何が何でも第三国行きのビザも間に合う」だろう[59]と情状酌量を求める請訓電報を打った。しかし本省からは、行先国の入国許可手続を完了し、旅費および本邦滞在費などの携帯金を有する者にのみに査証を発給せよとの発給条件厳守の指示が繰り返し回電されてきた。
杉原夫人が、難民たちの中にいた憔悴する子供の姿に目を留めたとき、「町のかどで、飢えて、息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ」という旧約聖書の預言者エレミアの『哀歌』が突然心に浮かんだ。そして、「領事の権限でビザを出すことにする。いいだろう?」という千畝の問いかけに、「あとで、私たちはどうなるか分かりませんけど、そうして上げて下さい」と同意。そこで千畝は、苦悩の末、本省の訓命に反し、「人道上、どうしても拒否できない」という理由で、受給要件を満たしていない者に対しても独断で通過査証を発給した。
日本では神戸などの市当局が困っているためこれ以上ビザを発給しないように本省が求めてきたが、「外務省から罷免されるのは避けられないと予期していましたが、自分の人道的感情と人間への愛から、1940年8月31日に列車がカウナスを出発するまでビザを書き続けました」とし、避難民たちの写真を同封したこの報告書のなかで、千畝はビザ発給の理由を説明している。

千畝によるビザ発給に対する本省の注意は、以下のようなものであった
  「最近貴館査證ノ本邦經由米加行『リスアニア』人中携帶金僅少ノ爲又行先國手續未濟ノ爲本邦上陸ヲ許可スルヲ得ス之カ處置ニ困リ居ル事例アルニ附避難民ト看傲サレ得ベキ者ニ對シテハ行先國ノ入國手續ヲ完了シ居リ且旅費及本邦滯在費等ノ相當ノ携帶金ヲ有スルニアラサレハ通過査證ヲ與ヘサル樣御取計アリタシ」
【現代語訳=最近カウナスの領事館から日本を経由してアメリカ・カナダに行こうとするリトアニア人のなかには、必要なお金を持っていなかったり行先国の手続きが済んでいなかったりなどの理由で、わが国への上陸を許可できずその処置に困ることがあります。避難民と見なしうる者に関しては、行先国の入国手続きを完了し、旅費・滞在費等に相当する携帯金を持っている者でなければビザを与えないよう取りはからって下さい】

 — 1940年8月16日付の本省から条件を満たしていない者が居ると注意を受けた電信1995年(平成7年)7月12日、日本外交とユダヤ関連の著者パメラ・サカモト松岡洋右外相の秘書官だった加瀬俊一に千畝のカウナスからの電信について問い合わせてみても、「ユダヤ問題に関する電信を覚えていなかった。『基本的に、当時は他の切迫した問題がたくさんありましたから』」[64]と加瀬は答えており、東京の本省は条件不備の難民やユダヤ人の問題などまるで眼中になかった。それどころか、日独伊三国軍事同盟を締結も間近な時期に、条件不備の大量難民を日本に送り込んできたことに関して、「貴殿ノ如キ取扱ヲ爲シタル避難民ノ後始末ニ窮シオル實情ナルニ付」(昭和15年9月3日付)と本省は怒りも露わにし、さらに翌年も「『カウナス』本邦領事ノ査證」(2月25日付)と、千畝は名指しで厳しく叱責された。
窮状にある避難民たちを救済するために、千畝は外務省を相手に芝居を打った。もし本省からの譴責に真っ向から反論する返電を送れば、本省からの指示を無視したとして、通行査証が無効になるおそれがある。そこで千畝は、本省からビザ発給に関しての条件厳守を指示する返信などまるでなかったかのように、「当國避難中波蘭出身猶太系工業家『レオン、ポラク』五十四歳」(昭和15年8月24日後發)に対するビザ発給の可否を問い合わせる。つまり、米国への入国許可が確実で、十分な携帯金も所持しており、従って本省から受け入られやすい「猶太系工業家」をあえて採り上げるためである。

  そして千畝は、わざと返信を遅らせてビザ発給条件に関する本省との論争を避け、公使館を閉鎖したあとになって電信第67号(8月1日後發)を本省に送り、行先国の許可や必要な携帯金のない多くの避難民に関しては、必要な手続きは納得させたうえで当方はビザを発給しているとして強弁して、表面上は遵法を装いながら、「外國人入國令」(昭和14年内務省令第6号)の拡大解釈を既成事実化した。
一時に多量のビザを手書きして万年筆が折れ、ペンにインクをつけては査証を認める日々が続くと、一日が終わりぐったり疲れて、そのままベッドに倒れ込む状態になり、さらに痛くなって動かなくなった腕を夫人がマッサージしなくてはならない事態にまで陥った[66]。手を痛めた千畝を気遣い、千畝がソ連情報を入手していた、亡命ポーランド政府の情報将校「ペシュ」ことダシュキェヴィチ大尉は、「ゴム印を作って、一部だけを手で書くようにしたらどうです」と提案。オランダ領事館用よりは、やや簡略化された形のゴム印が作られた

ソ連政府や本国から再三の退去命令を受けながら、一か月あまり寝る間も惜しんでビザを書き続けた千畝は、本省からのベルリンへの異動命令が無視できなくなると、領事館内すべての重要書類を焼却し、家族とともに今日まで残る老舗ホテル「メトロポリス」に移った。杉原は領事印を荷物に梱包してしまったため、ホテル内で仮通行書を発行した。そして9月5日、ベルリンへ旅立つ車上の人になっても、杉原は車窓から手渡しされたビザを書き続けた。その間発行されたビザの枚数は、番号が付され記録されているものだけでも2,139枚にのぼった。汽車が走り出し、もうビザを書くことができなくなって、「許して下さい、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています」と千畝が頭を下げると、「スギハァラ。私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますよ」という叫び声があがった。そして列車と並んで泣きながら走っている人が、千畝たちの姿が見えなくなるまで何度も叫び続けていた。
ソ連は1940年7月29日付の共産党中央委員会政治局によるスターリン署名入り決定で、難民の領内通過を認めた。これにはリトアニア併合を円滑化するとともに、難民が利用するシベリア鉄道ホテルの代金で外貨を獲得し、さらに世界に散っていく難民からスパイをリクルートする目的があったと推測されている
なお、千畝同様に上司や本国の命令を無視して「命のビザ」を発行した外交官として、在オーストリア・中華民国領事の何鳳山や、在ボルドー・ポルトガル領事のアリスティデス・デ・ソウザ・メンデスがおり、ともに諸国民の中の正義の人に認定されている。


2019年5月6日(https://www.jiji.com/jc/article?k=2019050500373&g=int)
ガザ情勢悪化で19人死亡=イスラエル、武装組織の応酬続く

【エルサレム時事】イスラエル軍は5日、パレスチナ自治区ガザへの攻撃を続行し、ガザの保健省などによると、反イスラエル抗議デモが行われた3日以降の事態悪化で少なくとも16人の死亡と数十人の負傷が確認された。一方、ガザの武装組織がイスラエルに向けて発射したロケット弾や砲弾はこの2日間で約600発に達し、イスラエル警察や病院関係者によると3人が死亡、負傷者も相次いだ。
  イスラエルのネタニヤフ首相は5日の閣議で「軍に対し、ガザのテロ分子への大規模攻撃を続けるよう指示した」と表明した。軍は260カ所以上を空爆。ガザを実効支配するイスラム組織ハマスや、別の武装組織イスラム聖戦の軍事関連施設などが標的となり、車で移動中のハマス司令官1人が殺害された。しかし、ガザでの犠牲者には幼児や妊婦が含まれているとされ、一般市民が巻き添えになっている。トルコのアナトリア通信の支局事務所が入居するビルも被弾し、同国のチャブシオール外相は「抑制のない攻撃だ」と非難した。


2019年4月8日-産経新聞
【環球異見】ゴラン高原主権認定 「次の一手」おびえるパレスチナ

  トランプ米大統領は3月下旬、シリア南部イスラエル占領地ゴラン高原に対するイスラエルの主権を認定した。国連はイスラエルの主権を否定しており、多くの国が批判。また「力による現状変更」を米国が認める形となったことも、他の係争地に波及する懸念を呼ぶ。トランプ政権はこれまでもエルサレムをイスラエルの首都と認定するなど親イスラエル色を強めており、アラブ諸国では警戒感が広がっている。
両国益へ理にかなった判断
  トランプ米大統領によるゴラン高原へのイスラエルの主権認定をめぐり、米紙ウォールストリート・ジャーナルは3月22日付の社説で、米国と同盟国イスラエルの国益のため「理にかなった」判断だと歓迎した。
  トランプ政権は、シリア駐留のイラン部隊や(イスラム教シーア派民兵組織)ヒズボラなどのテロ組織がゴラン高原をイスラエル攻撃の軍事拠点としていると懸念し、主権認定はイスラエルの安全保障上、欠かせない施策だと主張する。
  同紙も、中東情勢の現状に鑑み、イスラエルの安全保障を重視すべきだとの立場を鮮明にした。イスラエルが第3次中東戦争で占領したゴラン高原について、米国側は長年、和平調停の一環としてシリアに返還する土地だとみなしてきたと指摘。ただ、長引くシリア内戦により「シナリオが実現する可能性は一段と低くなった」と言及した。
  アサド政権下のシリアはイスラム教過激組織やイラン部隊によって無秩序状態にあるとし、「イスラエルがゴラン高原をコントロールしていなければ、今ごろはヒズボラや(イスラム教スンニ派過激組織)イスラム国に支配されていたかもしれない」と主張したまた、トランプ氏が掲げる米国第一の「道義的現実主義」に関連し、ゴラン高原の主権認定こそ、同盟国を支援する「道義的」で中東の現状を認める「現実的」な判断だと評価した。
  ゴラン高原をめぐりイスラエルとイランとの軍事的緊張が高まっているのは事実だ。ただ今回、「力による現状変更」を米国が認める形となり、ゴラン高原の帰属に限らず、世界各地の係争地に波及することへの議論は欠かせないだろう。
  米シンクタンク「ウィルソン・センター」副所長のアーロン・ミラー氏は米公共ラジオNPR(電子版)への寄稿で、トランプ政権による主権認定は「新たな問題を作り上げただけだ」と批判。「中東やその他の地域であしき前例を作った」とし「世界の独裁主義的指導者に対し、彼らの行動は何らかの形で認められ、まかり通るだろうとの強いメッセージを送った」と危惧した。
  国際社会から「力による現状変更」と批判されるロシアのクリミア併合と、シリアの攻撃を受けイスラエルが占領したゴラン高原とは「明確な違い」があるとも指摘。イスラエルは1981年の併合宣言以降もゴラン高原からの完全撤退に対応できるよう準備してきたとした。だが、シリア内戦やイランの脅威、トランプ氏の主権認定により「イスラエルが再び検討するとは疑わしい」と事態が後退したことを嘆いた。
  ミラー氏は「完全にトランプ流のやり方に沿った決断だ」とし「国益ではなく、彼の政治とエゴに大いに関係がある」と強調。総選挙を控えるイスラエルのネタニヤフ首相と次期米大統領選に向けた自身の支持拡大という政治的事情、「史上初」をアピールしたいエゴが交錯した決断だと批判した。(ニューヨーク 上塚真由)
「次の一手」おびえるパレスチナ
トランプ米政権がゴラン高原へのイスラエルの主権を認定した際、国連のほかサウジアラビアやエジプトなどアラブ諸国からも批判が出た。
  イスラエルは1967年にゴラン高原をシリアから占領、81年に併合を宣言した。国連は同年、安全保障理事会決議497号で「武力による領土獲得」は許容できないとし、併合宣言の撤回を求めた。これが国際的な批判の根拠だ。当事国シリアのワタン紙(電子版)も3月27日付の論評で、「トランプ氏の決定は法的に無効だ。彼は違法であっても、何でも可能であるかのように振る舞っている」と批判した。
  とはいえ、シリアのアサド政権にはゴラン高原の奪還に挑む余力はない。まる8年が過ぎた内戦では各地の反政府勢力に兵力を割り振り、高原周辺の防衛態勢は手薄になった。イスラエルはこの間、内戦への過度の介入を避けつつ高原の実効支配を固めてきた。
  米政権はそうした現状を追認した形で、主権認定後もゴラン高原周辺では大規模な軍事衝突などは起きていないようだ。一方、中東のメディアでは、トランプ政権が次の一手を用意しているのでは-との観測が絶えない。パレスチナ自治区ヨルダン川西岸のアイヤム紙(同)は3月30日付で、トランプ氏の主権認定の判断は「ヨルダン川西岸も併合するための一歩と考えられる」と警戒感をあらわにした。
  ヨルダン川西岸には反イスラエル感情が強いパレスチナ人ら約290万人が居住している上、120以上の入植地には約40万人のユダヤ人が住んでいる。一部分でも米政権がイスラエルの併合を承認すれば住民同士の衝突が激化することは必至で、影響の大きさはゴラン高原の比ではない。アラブ連盟(22カ国・地域)は4月1日の首脳会議で、米政権によるゴラン高原へのイスラエルの主権認定を拒否するとともにパレスチナ和平の実現を訴えた。しかし、団結を欠くアラブ諸国は具体案も示せず、お決まりのメッセージには無力感さえ漂っている。
(カイロ 佐藤貴生)

エルサレムをイスラエルの首都とするアメリカ合衆国の承認
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エルサレムをイスラエルの首都とするアメリカ合衆国の承認は、アメリカ合衆国ドナルド・トランプ大統領2017年12月6日イスラエル首都エルサレムとして認識・承認した出来事である。これはアメリカの約70年にわたる外交政策の転換で、アメリカ大使館もテルアビブからエルサレムに移転する計画を命じている。認識を示した後、エルサレム大使館法のもと大使館放棄に署名、テルアビブからエルサレムへの大使館の移転する計画を少なくとも6ヶ月遅らせた。ベンヤミン・ネタニヤフ首相はこの決定を歓迎、称賛した。2018年2月23日、国務省は新たな大使館が5月に開設されると発表した
  この決定は欧州連合(EU)共通外交・安全保障政策をはじめとする多くの国際機関・国の首相・大統領によって批判された。
  国際連合安全保障理事会でもアメリカ合衆国連邦政府の決定を非難するよう提案されたが、14対1の票決後にアメリカ政府は常任理事国として拒否権を行使した。国連総会は後にトランプ大統領を非難する国際連合総会決議ES-10/L.22には128対9で、35カ国が棄権している。
  この決定はヨルダン川西岸地区ガザ地区パレスチナ人の憤怒、パレスチナ人によるデモ活動をもたらした。
  2017年12月25日サラフィー主義団体はイスラエルに向けて約30発のロケット弾を発射、その約半数がガザ地区に着弾した。アシュケロンスデロット付近で2人が財産面で軽微な被害を受け、ハマースは攻撃の責任のあるサラフィー主義者を処理した。
  イスラエル独立宣言70周年にあたる2018年5月14日在エルサレムアメリカ合衆国総領事館の旧所在地にあたるエルサレムアルノナにアメリカ大使館を開館した。


2019年4月10日-産経新聞
対イラン・パレスチナ、一層強硬に イスラエル首相続投公算

【エルサレム=佐藤貴生】イスラエル総選挙の結果、ネタニヤフ首相が続投する公算が大きくなった。検察当局はネタニヤフ氏を汚職罪で起訴すると示唆してきたが、有権者は疑惑段階の汚職より、治安確保に力を発揮した同氏や右派勢力を評価した形だ。
  ネタニヤフ氏の主導で連立与党」が成立した場合、イスラエルは、対イランやパレスチナ問題で今後さらに強硬姿勢に傾きそうだ。
  トランプ米政権は選挙直前の3月下旬、イスラエルがシリアから占領したゴラン高原へのイスラエルの主権を認定。トランプ大統領の文書への署名を見届けたネタニヤフ氏は、「歴代の米大統領で最良の友人だ」と最大級の賛辞を贈った。 双方の共通の敵イランは、対イスラエル攻撃の最前線としてシリアに軍事拠点を建設しているとされる。米政権のお墨付きを得たイスラエルがゴラン高原周辺で“自国領”の防衛強化に乗り出せば、イランとの軍事的緊張が高まる局面も予想される。
  一方、ネタニヤフ氏は投票直前の6日、パレスチナ人が多く住むヨルダン川西岸に点在するユダヤ人入植地の併合を進める意向を示した。「集票狙いの発言」との見方が多いが、右派優勢の開票結果にパレスチナ自治政府幹部は「イスラエル国民は和平にノーと回答した」と述べ、失望を隠さなかった。
  パレスチナ自治区ガザでは、この1年のイスラエルへの抗議デモで250人以上が死亡したとされるが、イスラエルは今後も「自衛権」を盾にデモを力で封じ込め続ける見通しが強い。 トランプ政権と友好関係にあるサウジアラビアやエジプトなどアラブの大国は、ネタニヤフ政権とも対話のパイプを持っているとの見方が絶えず、パレスチナの孤立に拍車をかけている。


イスラエル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

イスラエル国
通称イスラエルは、中東のパレスチナに位置する国家。北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南にエジプトと接する。ガザ地区とヨルダン川西岸地区を支配するパレスチナ自治政府(パレスチナ国)とは南西および東で接する。地中海および紅海にも面している。
  首都はエルサレムであると主張しているが、国際連合などはテルアビブをイスラエルの首都とみなしている(エルサレム#首都問題を参照)。
  イスラエルは、シオニズム運動を経て1948年5月14日に建国された。建国の経緯に根ざす問題は多い。版図に関するものではパレスチナ問題がよく報道される。
国名
  アブラハムの孫にあたるヤコブの別名イスラエルに由来するものであり、ヤコブが神と組み合った際に与えられた「神に勝つ者」を意味する名前である。ヤコブは古代イスラエルの王の祖先であり、伝統的にはユダヤ人の祖先と考えられている。この地域はイスラエルの地(エレツ・イスラエル)と呼ばれた。
  独立直前にはユダ(Judea)、エレツ・イスラエル、シオン(Zion)、新ユダ(New Judea)なども国名候補として存在した。
古代イスラエル-中世-シオニズムの興隆-イギリス委任統治領パレスチナ-イスラエル建国と第一次中東戦争-などwikipediaで・・・以降は「イスラエル」で・・・


パレスチナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  パレスチナは、西アジアの地理的地域であり、通常はイスラエルヨルダン西部の一部、西岸地区ガザ地区を含むと考えられている。パレスチナという名前は古代ギリシャの作家が使っていたもので、後にローマ帝国のシリア・パラエスティナ州、ビザンチン帝国のパラエスティナ・プリマ州、イスラム帝国のジュンド・フィラスティン州にも使われた。この地域は、聖書に登場する「イスラエルの地」、「聖地」、「約束の地」として知られる地域の大部分を占めており、カナンシリアアッシュ・シャムレバントなどの広い地域名の南側に位置している。
  エジプトシリアアラビアの分かれ目に位置し、ユダヤ教キリスト教の発祥の地でもあるこの地域は、宗教、文化、商業、政治の交差点として波乱に満ちた歴史を持っている。古代エジプト人カナン人、イスラエル人ユダヤ人アッシリア人、バビロニア人、アケメネス朝古代ギリシャ人、ユダヤ人のハスモン朝王国ローマ人パルティア人、ビザンチン人、サーサーン朝、アラブのラシドゥン、ウマイヤ朝アッバース朝ファーティマ朝イスラム帝国、十字軍アイユーブ朝マムルーク朝モンゴル帝国オスマン帝国イギリス帝国、そして現代のイスラエル人、ヨルダン人、エジプト人パレスチナ人など、多くの民族に支配されてきた。
  この地域の境界は、歴史の中で変化してきた。今日、政治的に定義されたこの地域は、イスラエルパレスチナの州(=パレスチナ自治区)で構成されている。
範囲
  歴史的には、現代の国家でおおよそイスラエルパレスチナ国パレスチナ自治区)、東部の砂漠地域を除くヨルダンレバノンシリアの一部(おおむねシリア地域南部)を指す。特に、旧国際連盟イギリス委任統治領パレスチナにあたる、現在のイスラエル、パレスチナ自治区、ヨルダンを指すこともある。
  第二次世界大戦後は、より狭く、ヨルダン川より西の、現在のイスラエルとパレスチナ自治区(古代のカナン地域を含む)を指すことが多い。パレスチナ人とはこれらの地域の人々だが、後述するようにパレスチナ人と呼ばれるには地理的な条件以外も必要である。
  最も狭義では、国際司法裁判所 (ICJ)が「占領されたパレスチナ領域」と呼称し、パレスチナ国が自国の領土であると主張している地域を指す。これは地理的には一つながりではなく、イスラエルを挟んでヨルダン川西岸地区ガザ地区に分かれている。
歴史
  古称は「フル」、「カナン」という。パレスチナ辺りはペリシテ人が住んでおり、パレスチナという言葉はペリシテという言葉がなまったものと考えられている。紀元前15世紀古代エジプトファラオトトメス3世が、メギドの戦いで勝利、パレスチナはエジプトの支配下に置かれた。
  紀元前13世紀頃には、ペリシテ人によるペリシテ文明が栄えていたが、ペリシテ人は民族集団としてはその後滅亡し、その後紀元前10世紀頃にイスラエル民族によるイスラエル王国エルサレムを中心都市として繁栄した。
  紀元前930年頃に、イスラエルは北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂した。イスラエル王国は紀元前722年アッシリアサルゴン2世に滅ぼされた。もう一つの南のユダ王国は、紀元前609年メギドの戦いヨシアが、エジプトのファラオ・ネコ2世に敗死させられ、エジプトの支配下に置かれることになる。さらに紀元前597年には東より攻めてきたバビロニアの支配下に置かれ、紀元前587年にはそのバビロニアに滅ぼされた。
  やがて三大陸の結節点に位置するその軍事上、地政学上の重要性から相次いで周辺大国の支配を受け、135年バル・コクバの乱を鎮圧したローマ皇帝ハドリアヌスは、それまでのユダヤ属州名を廃し、属州シリア・パレスチナ (en:Syria Palaestina) と改名した。ローマ帝国としては、幾度も反乱を繰り返すユダヤ民族からアイデンティティを奪うため、それより千年も昔にユダヤ民族に敵対して滅亡したペリシテ民族(人)の名を引用したのである。この地がパレスチナと呼ばれるようになったのはこれ以降である。

  7世紀にはイスラム帝国が侵入し、シリアを支配する勢力とエジプトを支配する勢力の戦争の舞台となった。11世紀にはヨーロッパから十字軍が派遣され、エルサレム王国が建国されるが、12世紀末にはアイユーブ朝サラーフッディーンに奪還され、パレスチナの大半はエジプトを支配する王朝が治めた。16世紀になると、エジプトのマムルーク朝を滅ぼしたオスマン帝国がパレスチナの支配者となる。オスマン帝国ではパレスチナはシリアと呼ばれた。
  19世紀以降、ヨーロッパで次々に国民国家が成立し、各地で民族の自己認識が促されると、ユダヤ人もオスマン帝国領のパレスチナに入植し始めた。第一次世界大戦でオスマン帝国は崩壊し、シオニズムに押された大英帝国と列強は国際連盟で「ユダヤ人のナショナル・ホームをパレスチナに確立する」としてイギリス委任統治領パレスチナの創設を決議した。イギリス委任統治領メソポタミアのようにパレスチナという古い呼称を復活させたのはマーク・サイクス英語版の方針であった[1]。パレスチナの初代高等弁務官はユダヤ人のハーバート・サミュエルが選ばれた。第二次世界大戦後、ホロコーストで同情を集めたシオニズムに押されてアメリカ合衆国などの国は国際連合パレスチナ分割決議を採択した。それに伴いイスラエル建国され、反発したアラブ諸国とイスラエルとの間で第一次中東戦争が勃発、イスラエルが勝利しパレスチナの8割を占領するに至る。この時期に多くのパレスチナ人が難民化してパレスチナ問題が発生。
  1967年に起こった第三次中東戦争では、イスラエルがさらにガザ地区ヨルダン川西岸地区を占領。
  1987年には第一次インティファーダが勃発。
  イスラエル政府とパレスチナ解放機構 (PLO) は長い闘争の末、1993年になってオスロ合意を結び、1994年からパレスチナの一部でPLOのヤーセル・アラファート大統領が主導する自治が開始された。しかし、オスロ合意で定められたパレスチナ問題の包括的解決に向けた話し合いは頓挫し、さらにイスラエルとの和平に合意しない非PLO系の組織によるテロや軍事行動が続いた。2000年以降、再びイスラエルとパレスチナ自治政府との間でゲリラ戦が再燃し、和平交渉が事実上の停止状態にある。
  一方、パレスチナ自治政府側は、停戦に応じても、イスラエルが一方的に攻撃を続けていると指摘。実情は、「停戦とはパレスチナ側だけに課せられたもの」となっていると主張している。たとえば、2001年、イスラエルのアリエル・シャロン首相はパレスチナ自治政府との交渉停止を通告し、アラファート大統領を軟禁。再開に「7日間の平穏」とさらに「6週間の冷却期間」を要求した。しかし、平穏が達成されたかどうかは、イスラエル側が判断するとした。パレスチナ自治政府側の停戦は37日間続き、ハマースが反撃したため、なし崩し的に停戦は消えてしまった。
  アラファートの死後、マフムード・アッバースが後継者となった。2005年2月8日、2000年10月以来4年4ヶ月ぶりにシャロン首相は首脳会談に応じた。両者の暴力停止(停戦)が合意されたが、交渉再開は停戦継続を条件としている。現在でも双方の攻撃が完全に収まったわけではなく、困難が予想される。

パレスチナ自治区(詳細は「パレスチナ自治政府」および「パレスチナ問題」を参照)
  パレスチナ自治区は、パレスチナ地域のうちヨルダンに接するヨルダン川西岸地区(ウェストバンク)とエジプトに接するガザ地区、及び東エルサレム[注 3]パレスチナ領域)からなるパレスチナ人の自治地区である。その行政は、パレスチナ解放機構 (PLO) が母体となって設立されたパレスチナ自治政府が行う。ただし、最終的な地位は将来イスラエルとパレスチナとの間で結ばれる包括的和平によって定められることになっており、目下の正式な地位は暫定自治区・暫定自治政府となっている。
  パレスチナ自治区の人口は約330万人で、西岸地区が3分の2、ガザ地区が3分の1を占めるとされる。これは、900万人強いるとされるパレスチナ人の全人口の3分の1にあたる。自治政府は1995年の暫定自治拡大合意に基づき、1996年に行われた立法評議会選挙によって正式に発足した。
設立の経緯
  パレスチナ自治区は、イスラエル建国直前の1947年に行われた国際連合総会決議181号パレスチナ分割決議)が定めた、パレスチナユダヤ人アラブ人、国連統括地の3つに分割する決定を基礎としている。この決議は、これに反対する周辺のヨルダンとエジプトが第一次中東戦争でヨルダン川西岸地区とガザ地区を占領したためにパレスチナのアラブ人には寸土の領域も残されず、ユダヤ人によるイスラエル国家しか建設されなかった。
  その後、西岸地区とガザ地区はイスラエルによって占領されるが、1964年にエジプトのナーセル大統領の後押しによって西岸地区とガザ地区のアラブ系住民とパレスチナ難民の統合抵抗組織としてパレスチナ解放機構 (PLO) が設立され、事実上のパレスチナ亡命政府となった。
  当初、パレスチナ解放機構はイスラエル国家を打倒し、パレスチナの地にムスリム・キリスト教徒・ユダヤ教徒の全てが共存する非宗派的な民主国家を樹立することを目標としていた。しかし、1980年代後半に繰り広げられたイスラエルに対する大規模な抵抗運動(インティファーダ)の中で現実主義路線に転じ、ヨルダンに西岸地区の放棄を宣言させて、西岸地区とガザ地区を中心にパレスチナ人の独立国家を樹立してイスラエルと平和共存する道を模索するようになった。
  こうしてイスラエルと解放機構の直接交渉の末、1993年オスロ合意1994年のカイロ協定(ガザ・エリコ暫定自治合意)に基づいてパレスチナ暫定自治区が設立された。しかし、オスロ合意へのパレスチナ解放機構 (PLO) 側の不満は強く、また、ヨルダン川西岸地区では、現在でもパレスチナ自治政府の支配権が及んでいる地域は半ばに満たず、残りはイスラエルの占領下にある(◆パレスチナの歴史的変遷図- 白抜きがイスラエル領土および占領地)。
機構
  暫定自治政府は、憲法にあたる基本法に基づいて運営される。最高議決機関は民選によって選出されたパレスチナ立法評議会(PLC)で、立法府に相当する。立法評議会の当初の定数は88であった。2005年6月の法改正で定数は132に増やされた。
  行政事項を執行するのはパレスチナ行政機関で、自治政府の長である自治政府大統領(ライース、マスコミでは議長、外務省はかつては長官といっていたが現在はこの訳をあてている)がその長を務める。また、行政機関の各庁長官(外務省はこの訳をあてているが、マスコミでは省、大臣、相ということが多い)が閣僚となり、内閣を構成する。2003年からは内閣の長として首相が置かれるようになったが、大統領であるアラファートPLO議長が安全保障関係の権限を内閣に委譲することを拒否し、翌年のアラファート死去まで大統領のワンマン支配が続いた。
  治安維持を担当するのはパレスチナ警察隊で、パレスチナ解放機構の軍事部門であるパレスチナ解放軍を基礎として設立された。しかし、アラファート議長が独占する自治政府の治安維持部門について、イスラエル政府やアメリカは対イスラエルテロの抑制に十分働いていないと認識し、不信の目を向けている。イスラエルは、しばしばテロへの報復であるとしてパレスチナ警察を攻撃した。イスラエル側はテロリストを支援、黙認していると見なしているため、パレスチナ側のテロ事件があるたびに、パレスチナ警察を報復の対象とした。アラファートPLO議長は、2001年12月より、死の直前までイスラエル軍に軟禁された。
ハマース政権から挙国一致政権へ
  アラファート死後、2005年1月9日に後任を選ぶ自治政府大統領選でPLOのマフムード・アッバースが当選するも、翌2006年総選挙では初めて選挙に参加したハマースが過半数を獲得する勝利を収めた。
  ハマースをテロ組織と認識するイスラエルは直ちに「イスラエル破壊を訴える武装テロ組織が参画する自治政府とは交渉しない」との声明を発表。さらに、軍高官の発言としてハマースの議員のヨルダン川西側地区とガザ地区の自由な移動を認めないと報じられ、政治活動の妨害を宣言した。実際に、パレスチナ人の通行はその後完全封鎖された。そのため、選挙後2月18日より開会された立法評議会は、ガザとラマッラーでの分裂開会を余儀なくされ、ビデオカメラで両会議場を中継して行われた。
  米国・欧州連合も同様の認識から、パレスチナ自治政府への経済支援打ち切りを示唆した。米国は直接の援助ではなく、非政府組織や国際開発局(USAID)を通しての援助だが、米国のブッシュ大統領はハマースがイスラエルの「生存権」を認めなければ支援をすべきではないと主張した。さらに、米国防総省は2005年にガザ復興費として援助した5000万ドルの返還を要求した。イスラエルは、自らが代理徴収している関税などを差し押さえ、ハマースへの兵糧攻めに出た。
  2006年3月29日、正式にハマース政権が発足したが、職員給与すら払えない極度の財政難に苦しんだ。4月10日、欧州連合もパレスチナ自治政府への援助を停止。6月4日、ようやく給与の一部を支払った。しかし、その後もイスラエルによる差し押さえのため、給与を支払えない状態が続いている。アラブ諸国などからパレスチナ自治政府への献金運動も行われたが、米欧とイスラエル政府が送金はテロ支援であると金融機関に圧力を掛けているため、パレスチナ自治政府には届いていない。
  米国、欧州連合は、制裁解除の条件として、(1)イスラエルの承認(2)武装解除(3)過去の自治政府とイスラエルの合意事項の尊重などを要求している。また、イスラエルのエフード・オルメルト首相は5月23日にブッシュ大統領と会談し、ハマース政権を相手にせず、アッバス自治政府議長ら穏健派と和平交渉を進めることで合意。また、オルメルトは、パレスチナ自治政府との合意が無くても、3~4年でユダヤ人入植地を自国領に取り込む形で国境を決めたいと表明した。
  6月には、イスラエル軍の兵士2名がハマース系と見られる組織に拉致されたとされる事件を理由に、イスラエルはガザ侵攻を強めた。さらに、評議員を含むハマース系の政治家・活動家約80人を拉致し、評議会を機能停止に追い込んだ。
  これに先立つ6月27日、アッバース大統領とハマースのハニーヤ首相が1967年の国連停戦決議に基づく国境線の合意(事実上のイスラエル承認)で合意した。しかしイスラエルは、完全に無視した形である。
  米国、欧州連合、日本などは、より穏健なファタハ(パレスチナ自治政府主流派)のアッバース議長を交渉相手と見ており、ハニーヤ首相などハマースは事実上相手にしていない。米国はパレスチナへの経済制裁を続ける一方で、ファタハに対しては独自の支援を行っている。
  2007年3月17日、ハマースとファタハの連立交渉が合意に達し、挙国一致内閣が発足した。閣僚25人の内訳は、ハマースから首相を含む12人、ファタハから6人、その他の党派からは7人。首相はハニーヤが続投。ハニーヤ首相はイスラエル承認を含めた過去の合意を「尊重する」と表明した。ただし、イスラエル承認を公にはしなかった。一方、イスラエルのオルメルト首相は3月18日、「テロを正当化するような内閣とは接触しない」と演説。ハニーヤ連立内閣の不承認を表明すると共に、他国にも引き続きハニーヤ政権を相手にしないよう主張した。イスラエルがヨルダン川西岸とガザ地区の間の閣僚の通行を認めていないため、閣議はテレビ電話を介して行われた。
挙国一致政権崩壊とパレスチナ自治区
  その後、西岸地区とガザ地区はイスラエルによって占領されるが、1964年にエジプトのナーセル大統領の後押しによって西岸地区とガザ地区のアラブ系住民とパレスチナ難民の統合抵抗組織としてパレスチナ解放機構 (PLO) が設立され、事実上のパレスチナ亡命政府となった。
  当初、パレスチナ解放機構はイスラエル国家を打倒し、パレスチナの地にムスリム・キリスト教徒・ユダヤ教徒の全てが共存する非宗派的な民主国家を樹立することを目標としていた。しかし、1980年代後半に繰り広げられたイスラエルに対する大規模な抵抗運動(インティファーダ)の中で現実主義路線に転じ、ヨルダンに西岸地区の放棄を宣言させて、西岸地区とガザ地区を中心にパレスチナ人の独立国家を樹立してイスラエルと平和共存する道を模索するようになった。
  こうしてイスラエルと解放機構の直接交渉の末、1993年オスロ合意1994年のカイロ協定(ガザ・エリコ暫定自治合意)に基づいてパレスチナ暫定自治区が設立された。しかし、オスロ合意へのパレスチナ解放機構 (PLO) 側の不満は強く、また、ヨルダン川西岸地区では、現在でもパレスチナ自治政府の支配権が及んでいる地域は半ばに満たず、残りはイスラエルの占領下にある(◆パレスチナの歴史的変遷図- 白抜きがイスラエル領土および占領地)。
機構
  暫定自治政府は、憲法にあたる基本法に基づいて運営される。最高議決機関は民選によって選出されたパレスチナ立法評議会(PLC)で、立法府に相当する。立法評議会の当初の定数は88であった。2005年6月の法改正で定数は132に増やされた。
  行政事項を執行するのはパレスチナ行政機関で、自治政府の長である自治政府大統領(ライース、マスコミでは議長、外務省はかつては長官といっていたが現在はこの訳をあてている)がその長を務める。また、行政機関の各庁長官(外務省はこの訳をあてているが、マスコミでは省、大臣、相ということが多い)が閣僚となり、内閣を構成する。2003年からは内閣の長として首相が置かれるようになったが、大統領であるアラファートPLO議長が安全保障関係の権限を内閣に委譲することを拒否し、翌年のアラファート死去まで大統領のワンマン支配が続いた。
  治安維持を担当するのはパレスチナ警察隊で、パレスチナ解放機構の軍事部門であるパレスチナ解放軍を基礎として設立された。しかし、アラファート議長が独占する自治政府の治安維持部門について、イスラエル政府やアメリカは対イスラエルテロの抑制に十分働いていないと認識し、不信の目を向けている。イスラエルは、しばしばテロへの報復であるとしてパレスチナ警察を攻撃した。イスラエル側はテロリストを支援、黙認していると見なしているため、パレスチナ側のテロ事件があるたびに、パレスチナ警察を報復の対象とした。アラファートPLO議長は、2001年12月より、死の直前までイスラエル軍に軟禁された。
ハマース政権から挙国一致政権へ
  アラファート死後、2005年1月9日に後任を選ぶ自治政府大統領選でPLOのマフムード・アッバースが当選するも、翌2006年総選挙では初めて選挙に参加したハマースが過半数を獲得する勝利を収めた。ハマースをテロ組織と認識するイスラエルは直ちに「イスラエル破壊を訴える武装テロ組織が参画する自治政府とは交渉しない」との声明を発表。さらに、軍高官の発言としてハマースの議員のヨルダン川西側地区とガザ地区の自由な移動を認めないと報じられ、政治活動の妨害を宣言した。実際に、パレスチナ人の通行はその後完全封鎖された。そのため、選挙後2月18日より開会された立法評議会は、ガザとラマッラーでの分裂開会を余儀なくされ、ビデオカメラで両会議場を中継して行われた。
  米国・欧州連合も同様の認識から、パレスチナ自治政府への経済支援打ち切りを示唆した。米国は直接の援助ではなく、非政府組織や国際開発局(USAID)を通しての援助だが、米国のブッシュ大統領はハマースがイスラエルの「生存権」を認めなければ支援をすべきではないと主張した。さらに、米国防総省は2005年にガザ復興費として援助した5000万ドルの返還を要求した。イスラエルは、自らが代理徴収している関税などを差し押さえ、ハマースへの兵糧攻めに出た。
  2006年3月29日、正式にハマース政権が発足したが、職員給与すら払えない極度の財政難に苦しんだ。4月10日、欧州連合もパレスチナ自治政府への援助を停止。6月4日、ようやく給与の一部を支払った。しかし、その後もイスラエルによる差し押さえのため、給与を支払えない状態が続いている。アラブ諸国などからパレスチナ自治政府への献金運動も行われたが、米欧とイスラエル政府が送金はテロ支援であると金融機関に圧力を掛けているため、パレスチナ自治政府には届いていない。
  米国、欧州連合は、制裁解除の条件として、(1)イスラエルの承認(2)武装解除(3)過去の自治政府とイスラエルの合意事項の尊重などを要求している。
  また、イスラエルのエフード・オルメルト首相は5月23日にブッシュ大統領と会談し、ハマース政権を相手にせず、アッバス自治政府議長ら穏健派と和平交渉を進めることで合意。また、オルメルトは、パレスチナ自治政府との合意が無くても、3~4年でユダヤ人入植地を自国領に取り込む形で国境を決めたいと表明した。6月には、イスラエル軍の兵士2名がハマース系と見られる組織に拉致されたとされる事件を理由に、イスラエルはガザ侵攻を強めた。さらに、評議員を含むハマース系の政治家・活動家約80人を拉致し、評議会を機能停止に追い込んだ。これに先立つ6月27日、アッバース大統領とハマースのハニーヤ首相が1967年の国連停戦決議に基づく国境線の合意(事実上のイスラエル承認)で合意した。しかしイスラエルは、完全に無視した形である。
  米国、欧州連合、日本などは、より穏健なファタハ(パレスチナ自治政府主流派)のアッバース議長を交渉相手と見ており、ハニーヤ首相などハマースは事実上相手にしていない。米国はパレスチナへの経済制裁を続ける一方で、ファタハに対しては独自の支援を行っている。

  2007年3月17日、ハマースとファタハの連立交渉が合意に達し、挙国一致内閣が発足した。閣僚25人の内訳は、ハマースから首相を含む12人、ファタハから6人、その他の党派からは7人。首相はハニーヤが続投。ハニーヤ首相はイスラエル承認を含めた過去の合意を「尊重する」と表明した。ただし、イスラエル承認を公にはしなかった。一方、イスラエルのオルメルト首相は3月18日、「テロを正当化するような内閣とは接触しない」と演説。ハニーヤ連立内閣の不承認を表明すると共に、他国にも引き続きハニーヤ政権を相手にしないよう主張した。イスラエルがヨルダン川西岸とガザ地区の間の閣僚の通行を認めていないため、閣議はテレビ電話を介して行われた。
挙国一致政権崩壊とパレスチナ自治政府分裂
  ハマースとファタハの内部抗争は、連立政権の発足後も続いた。また、イスラエルによって立法評議会(国会)員が多数逮捕されており、立法評議会は事実上機能停止に追い込まれている。両者の内部抗争では、イスラエル・アメリカは一貫してファタハを援助しており、両者が内戦を煽っているとする批判もある。イギリスの『ガーディアン』紙によると、中東和平の実務者会議の中で、米国の特使は二度も「この武装衝突はいいね」と放言したという。 2007年6月11日からの抗争は、本格的な内戦に突入。ハマースはガザ地区を武力で占拠し、ファタハはこれを「クーデター」と批判。背景には、パレスチナ自治政府治安維持相で、ハマースと敵対し、また親米派と目されていたムハンマド・ダハラーンとの抗争があり、またダハラン側が先に手を出していたとする主張もある
  結果、ファタハは内閣からの閣僚引き上げを宣言した。6月14日、ファタハのアッバース議長は非常事態宣言を出し、内閣の解散を宣言。6月15日、親米派のサラーム・ファイヤードをハニーヤの後任の首相に指名したが、ハニーヤは解散を無効として無視した。ハマースは立法評議会の多数を握っているため、基本法(憲法)上後任の首相もハマースから任命しなければならず、アッバースの行為は違憲とする批判がある。ファイヤードは6月17日に「非常事態内閣」として30日間の限定で組閣したが、ハニーヤは組閣は「非合法」と反発。逆にアッバース議長は、ハマースの軍事部門を非合法化する議長令を発表し、「メンバーは処罰する」方針を示した。こうしてパレスチナ自治政府は、分裂した。イスラエルや米国は、ハマースを排除したファイヤード政権を正式な交渉相手と認めた。また、イスラエルは、差し押さえを続けていた代理徴収した税のファイヤード政権への返還を表明した。6月20日、アッバース議長は「人殺しのテロリストたちとは対話はしない」と、ハマースを相手にしないことを表明した。また、1ヶ月前、ハマースによる暗殺未遂事件があったと主張した。
  現在、ガザ地区をハマースが実効支配し、ヨルダン川西岸のみファイヤード政権の支配下にある。もちろん、イスラエルの入植者に占拠されている地域は、いずれの支配も及んでいない。7月2日、イスラエルが差し押さえていた税収の一部引き渡しを受け、ファイヤード政権は17ヶ月ぶりにハマース党員を除く公務員給与の満額支払いを発表。ガザ地区では、ファイヤード政権に従うことを条件に給与を支払うと発表した。
  従来、欧米諸国は、経済制裁解除の条件として、早期の総選挙を要求して来た。経済制裁による財政難は引き続き続いており、総選挙になれば自国に都合の悪い存在であるハマースの勝利はあり得ない(裏返せば、ハマースを敗北させなければ制裁を止めないと、パレスチナの有権者を脅したと言える)との読みといわれている。結果として、総選挙を経ることなくハマースの排除が実現した形となった。しかし、経済制裁を武器に、選挙により成立した政権を否定する行為に対し、民主主義の否定とする強い批判がある。
  パレスチナ囚人保護団体のナファ協会によると、イスラエルは拉致したハマースなどの評議員に対し、釈放の条件として議員辞職するよう脅した。評議員らのほとんどは、「(辞職するくらいなら)喜んでイスラエルの拘置所に留まることを選ぶ」と声明を出した。 また、日本は2007年6月12日に、いったんはODA再開の意向をパレスチナ自治政府側に伝えたが、挙国一致内閣の崩壊で、再び棚上げになった。
2007年のレバノン難民キャンプの武力衝突
  2007年5月20日より、レバノンナハル・アル=バーリドパレスチナ難民キャンプでイスラム教スンナ派武装組織「ファタハ・イスラム」とレバノン政府軍の武力衝突が起きた。ファタハ・イスラムはファタハとは無関係で、パレスチナ人による組織でもないが、パレスチナ人の支援を名目に、合法的にレバノン入国を果たしたといわれる。レバノン政府側は、ファタハ・イスラムが軍組織を攻撃しようとしたことを攻撃の理由に挙げている。ファタハ・イスラム側は「いわれのない攻撃」と反論している。レバノンの国会は、全会一致で難民キャンプへの攻撃を承認した。
  アルジャジーラによると、5月23日現在で武装メンバー20人、政府軍兵士32人、民間人27人が殺されたとしている。また、『毎日新聞』によると、5月27日現在で、キャンプにいた難民約4万のうち3分の2は避難したが、銃撃戦の巻き添えや、レバノン人によるパレスチナ人狩りの噂などが立ち、避難に踏み切れない者もいるという。
国家承認
 治政府分裂
  ハマースとファタハの内部抗争は、連立政権の発足後も続いた。また、イスラエルによって立法評議会(国会)員が多数逮捕されており、立法評議会は事実上機能停止に追い込まれている。両者の内部抗争では、イスラエル・アメリカは一貫してファタハを援助しており、両者が内戦を煽っているとする批判もある。
  イギリスの『ガーディアン』紙によると、中東和平の実務者会議の中で、米国の特使は二度も「この武装衝突はいいね」と放言したという
  2007年6月11日からの抗争は、本格的な内戦に突入。ハマースはガザ地区を武力で占拠し、ファタハはこれを「クーデター」と批判。背景には、パレスチナ自治政府治安維持相で、ハマースと敵対し、また親米派と目されていたムハンマド・ダハラーンとの抗争があり、またダハラン側が先に手を出していたとする主張もある。結果、ファタハは内閣からの閣僚引き上げを宣言した。6月14日、ファタハのアッバース議長は非常事態宣言を出し、内閣の解散を宣言。6月15日、親米派のサラーム・ファイヤードをハニーヤの後任の首相に指名したが、ハニーヤは解散を無効として無視した。ハマースは立法評議会の多数を握っているため、基本法(憲法)上後任の首相もハマースから任命しなければならず、アッバースの行為は違憲とする批判がある。
  ファイヤードは6月17日に「非常事態内閣」として30日間の限定で組閣したが、ハニーヤは組閣は「非合法」と反発。逆にアッバース議長は、ハマースの軍事部門を非合法化する議長令を発表し、「メンバーは処罰する」方針を示した。こうしてパレスチナ自治政府は、分裂した。イスラエルや米国は、ハマースを排除したファイヤード政権を正式な交渉相手と認めた。また、イスラエルは、差し押さえを続けていた代理徴収した税のファイヤード政権への返還を表明した。
  6月20日、アッバース議長は「人殺しのテロリストたちとは対話はしない」と、ハマースを相手にしないことを表明した。また、1ヶ月前、ハマースによる暗殺未遂事件があったと主張した。

  現在、ガザ地区をハマースが実効支配し、ヨルダン川西岸のみファイヤード政権の支配下にある。もちろん、イスラエルの入植者に占拠されている地域は、いずれの支配も及んでいない。
  7月2日イスラエルが差し押さえていた税収の一部引き渡しを受け、ファイヤード政権は17ヶ月ぶりにハマース党員を除く公務員給与の満額支払いを発表。ガザ地区では、ファイヤード政権に従うことを条件に給与を支払うと発表した。
  従来、欧米諸国は、経済制裁解除の条件として、早期の総選挙を要求して来た。経済制裁による財政難は引き続き続いており、総選挙になれば自国に都合の悪い存在であるハマースの勝利はあり得ない(裏返せば、ハマースを敗北させなければ制裁を止めないと、パレスチナの有権者を脅したと言える)との読みといわれている。結果として、総選挙を経ることなくハマースの排除が実現した形となった。しかし、経済制裁を武器に、選挙により成立した政権を否定する行為に対し、民主主義の否定とする強い批判がある。  パレスチナ囚人保護団体のナファ協会によると、イスラエルは拉致したハマースなどの評議員に対し、釈放の条件として議員辞職するよう脅した。評議員らのほとんどは、「(辞職するくらいなら)喜んでイスラエルの拘置所に留まることを選ぶ」と声明を出した。 また、日本は2007年6月12日に、いったんはODA再開の意向をパレスチナ自治政府側に伝えたが、挙国一致内閣の崩壊で、再び棚上げになった。
2007年のレバノン難民キャンプの武力衝突
  2007年5月20日より、レバノンナハル・アル=バーリドパレスチナ難民キャンプでイスラム教スンナ派武装組織「ファタハ・イスラム」とレバノン政府軍の武力衝突が起きた。ファタハ・イスラムはファタハとは無関係で、パレスチナ人による組織でもないが、パレスチナ人の支援を名目に、合法的にレバノン入国を果たしたといわれる。レバノン政府側は、ファタハ・イスラムが軍組織を攻撃しようとしたことを攻撃の理由に挙げている。ファタハ・イスラム側は「いわれのない攻撃」と反論している。レバノンの国会は、全会一致で難民キャンプへの攻撃を承認した。
  アルジャジーラによると、5月23日現在で武装メンバー20人、政府軍兵士32人、民間人27人が殺されたとしている。また、『毎日新聞』によると、5月27日現在で、キャンプにいた難民約4万のうち3分の2は避難したが、銃撃戦の巻き添えや、レバノン人によるパレスチナ人狩りの噂などが立ち、避難に踏み切れない者もいるという。
国家承認
  1988年パレスチナの独立宣言以降、国家としてのパレスチナ国の承認国が増えている。2010年12月、ブラジルアルゼンチンウルグアイが相次いで国家としてのパレスチナを承認することを表明した。また国際機関へ国家として加盟する方針を打ち出しており、2011年9月23日には史上初めて国際連合への加盟申請を行ったほか、同年10月31日には国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の加盟国として承認された。
   2012年11月29日には国連総会においてパレスチナを「オブザーバー組織」から「オブザーバー国家」に格上げする決議案が採択され、国連では「国家」の扱いを受けることとなった。
米国の対パレスチナ政策
  アメリカ合衆国政府は1947年11月のパレスチナ分割決議、1948年5月のイスラエル建国と国連への加盟を支援し、1948年の第一次中東戦争、1956年の第二次中東戦争、1967年の第三次中東戦争の結果、イスラエルがヨルダン川西岸地区エルサレムガザ地区シナイ半島ゴラン高原を占領し、占領地として統治することを正当化してきた。
  その後の歴代のアメリカ合衆国政府は、1956年にシナイ半島のエジプトへの返還とイスラエル軍の撤退、1978年9月のキャンプ・デービッド合意と1979年3月のエジプト・イスラエル平和条約、1982年にシナイ半島のエジプトへの返還、1992年に中東和平マドリッド会議を開催し、1994年10月のイスラエル・ヨルダン平和条約を仲介したが、1947年のパレスチナ分割、1948年のイスラエル建国以来、歴代のアメリカ合衆国議会・政府は、イスラエルの存続を優先する立場に基づいてパレスチナ問題を解決する政策を遂行している。
立法評議会選挙
  選挙中選挙区比例代表並立制。選挙区、比例区共に66議席ずつ。重複立候補制度はない。日本参議院に近いが、選挙区は完全連記制。また、選挙区は少数派のキリスト教徒枠として6議席があらかじめ割り当てられている。18歳以上の普通選挙
  1996年1月20日に初めて行われ、ファタハが第一党となった。しかし、多くの党派は選挙をボイコットした。
  2006年1月15日、二度目の総選挙が行われた。アメリカはハマース躍進を恐れ、ファタハに肩入れする選挙干渉を行ったとも言われた。また、事前にハマースの立候補予定者など300人が、イスラエルに逮捕された
  ファタハは45議席と惨敗し、ハマースは74議席と過半数を獲得する地滑り的勝利を収めた。ファタハの腐敗や、イスラエルによる白色テロを阻止できないことへの不満があり、一方でハマースが社会福祉に力を入れたことなどが勝因と言われる。とはいえ、比例区では28議席ずつと互角で、ファタハは選挙区での候補者乱立による共倒れが多かったとも指摘されている。
地方行政区分
 地域区分-・ガザ地区  ・ヨルダン川西岸地区  ・東エルサレム(イスラエルが実質支配している)
 地方政府
   ガザ地区-・北ガザ県  ・ガザ県  ・ディール・バラフ県(ダイル・アル=バラフ)  ・ハーン・ユーニス県  ・ラファフ県
   ヨルダン川西岸地区-・エルサレム県(アル=クドゥス)  ・エリコ(アリーハー)  ・カルキーリーヤ県  ・サルフィート  ・ジェニーン県  ・トゥールカリム県  ・トゥーバース  ・ナーブルス県  ・ベツレヘム県(ベート・ラハム)  ・ヘブロン県(アル=ハリール)  ・ラマッラー・アル=ビーレ県
 
   ガザ地区-・ガザ市  ・ハーン・ユーニス  ・ジャバリア  ・ラファフ  ・デイル・アル・バラフ
   ヨルダン川西岸地区-・ヘブロン(アル=ハリール)  ・ナーブルス  ・トゥールカリム  ・ジェニーン  ・カルキーリヤ  ・ベツレヘム(ベート・ラハム)  ・ラマッラー  ・エリコ(アリーハー)
交通機関   ・ヤーセル・アラファト国際空港(閉鎖中)







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