イスラエル(Israel)-1



2021.06.14-NHK NEWS WEB-https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210614/k10013083361000.html?utm_int=all_side_ranking-social_006
イスラエル 連立政権が発足 12年間続いたネタニヤフ政権交代

  中東のイスラエルでは、およそ2か月にわたる交渉の末に合意した中道派や右派の野党などで作る連立政権が13日発足し、2009年からの12年にわたったネタニヤフ政権が交代しました。

  イスラエルでは与野党の勢力がきっ抗するなか、ことし3月にはこの2年間で4度目となる総選挙が行われる異例の事態となっていました。
  およそ2か月にわたる連立協議の結果、第2党の中道派「イェシュアティド」や強硬右派の「ヤミナ」などは今月、ヤミナのベネット党首を首相とする連立政権を発足させることで合意しました。

  13日、イスラエル議会で連立政権に対する信任投票が行われ、60対59の賛成多数で承認され、新たな連立政権が発足しました。これにより2009年から12年間続いたネタニヤフ首相が率いる政権は交代しました。
  ただ、新たな連立政権には中道派、右派、左派、アラブ系の合わせて8つの政党が参加していて、中でもパレスチナ問題をめぐって各党それぞれの立場の隔たりは大きく、政権として一致した政策を取ることができるかどうかは未知数です。
  また、右派の強硬派からは連立政権に対する反発がすでに起きていて、今後、新しい連立政権がどれだけ安定した政権運営を行うことができるかが焦点です。
連立政権 中道派・右派・左派・アラブ系の8つの政党で
  新たに発足したのは、政治的な立場が異なる8つの政党による連立政権です。中道派からはラピド党首が率いる第2党の「イェシュアティド」と、ガンツ国防相が率いる「青と白」が参加しました。右派からは強硬派の「ヤミナ」や、ネタニヤフ首相と対立してリクードを離脱したサール元内相が立ち上げた政党「新たな希望」、それに、ロシア系のユダヤ人を支持基盤に持つ「わが家イスラエル」が入りました。
  一方、左派からはかつて政権を担っていた「労働党」や、和平推進派の「メレツ」が参加しました。そして、アラブ系政党「ラアム」が、アラブ系としては初めて連立政権に入りました。
  連立政権の発足にあたって新しい首相は、強硬右派「ヤミナ」のナフタリ・ベネット党首が最初の2年間務め、2023年からの後半の2年間は中道派「イェシュアティド」のヤイール・ラピド党首が務めることになりました。
  また、閣僚ポストについては、各政党が均等に分け合う形になるとみられます。政権としての政策は、最も意見が対立するとみられるパレスチナ問題で一貫した立場は示されておらず、難しい調整が行われるものとみられます
米大統領「強固な関係 揺るぎない」新首相と電話会談
  アメリカのバイデン大統領はベネット新首相と就任初日に電話会談を行いました。ホワイトハウスの声明によりますと、この中でバイデン大統領は新政権発足を祝福したうえで、「両国の強固な関係とイスラエルの安全保障への揺るぎない支持を強調した」ということです。
  そのうえで、両首脳はイランの核問題を含む地域の安全保障について十分な協議を行っていくことで一致するとともに「イスラエル人とパレスチナ人の平和と安全保障、繁栄を促進するためにバイデン政権はイスラエル政府と連携していく」として12年にわたったネタニヤフ政権が交代しても両国の緊密な関係に影響はないとの立場を強調しました。
連立政権「史上最も複雑な“万華鏡政権”」との指摘も
  新たな連立政権で首相となるベネット氏の外交アドバイザーを務めたこともある、イスラエルの保守系メディア「エルサレム・ポスト」の編集長ヤーコブ・カッツ氏は、イスラエルの政治史上最も複雑な政府になると指摘しています。
  カッツ氏は8つの政党がネタニヤフ首相の退陣という一つの目的のために合意することができたとしたうえで、「右派、左派、中道、アラブ系とさまざまな政党が入っているため『万華鏡政権』と呼べるだろう。イスラエルの政治史上、最も複雑で入り組んだ政府だ」と分析しました。
  とりわけ意見の隔たりが大きいパレスチナ問題については「当面は連立政権内でこの問題を避けようとするだろうが、いずれ問題となる。バイデン政権や、EU=ヨーロッパ連合、それにパレスチナ側などから圧力をかけられるのを待つのではなく、自分たちから動いていくべきだ」と述べました。
  そのうえで、パレスチナ国家の樹立に反対する立場をとるベネット新首相については「立場が180度、転換することはないだろうが、より穏健になることはあるだろう」と述べ、和平に向けて連立政権の中で協力できることはあると強調しました。

  一方、後ろ盾となっているアメリカとの関係については「ベネット新首相としては、自分もネタニヤフ氏と同じように、外交ができると見せつけたいはずだ」と指摘し、バイデン政権との良好な関係作りに努めるだろうと分析しました。
  またアメリカが今回の政権交代をどう見ているかについては「バイデン大統領としては、ネタニヤフ氏に、『ベネット新首相とはうまくやれる。おまえが問題だったんだ』と見せつけたいはずだ」と述べ、トランプ前政権との間で蜜月の関係を築きながら、バイデン政権との間では距離があると指摘されてきたネタニヤフ政権の交代について好感を持って受け止められていると分析しました。
  一方、敵対関係にある対イランの政策については、連立政権内で大きな立場の違いはないとし、強硬姿勢が大きく変化することはないと分析しました。
  また、連立政権が今後安定するかについては「ネタニヤフ氏が野党のリーダーとして、再び首相に返り咲こうとするならば、その存在が連立の接着剤となるだろう。逆にネタニヤフ氏が政界を去れば、連立を組むインセンティブは少なくなる」として、連立政権を組む求心力となったネタニヤフ氏の動向が鍵になると指摘しました。
最長のネタニヤフ政権 最後は自身の汚職疑惑で退陣
  ネタニヤフ首相は、イスラエルの政治史上、最も長い延べ15年にわたって長期政権を率いました。
  パレスチナ問題で強硬な立場をとり、イスラエル寄りの政策をとったアメリカのトランプ前大統領との間では蜜月の関係を築いて国内の右派から支持を集めましたが、最後は自身の汚職疑惑が批判を集める中、退陣を余儀なくされました。
  ネタニヤフ首相はアメリカの名門マサチューセッツ工科大学で経営学などを学び、外交官として国連大使などを務めたあと1988年の総選挙で初当選し、右派のリーダーとして頭角を現すようになりました。

  1993年にアメリカなどの仲介の下、パレスチナの暫定自治を認めるいわゆる「オスロ合意」が結ばれると、国内では右派勢力を中心に和平に対する批判が強まり、ネタニヤフ首相はこうした批判を取り込む形で1996年の総選挙で勝利し、首相の座に就きました。
  46歳での就任は、イスラエル史上最年少でした。1999年の総選挙で和平推進派に破れ、一度、政権を失いますが、2009年の総選挙で再び返り咲きました。当時のアメリカのオバマ政権がパレスチナとの間で和平交渉を進めようとしたのに対し妥協はせず、和平交渉は2014年を最後に行われなくなりました。
  その一方で、オバマ政権がイスラエルにとっての最大の敵対国であるイランとの間で核合意を進めたことには激しく反発。アメリカ議会で演説し、オバマ政権の姿勢を強くけん制するなど、最大の後ろ盾であるアメリカとの関係は冷え込みました。

  しかし、2017年にトランプ大統領が就任するとその関係は一転。エルサレムをイスラエルの首都と宣言し大使館を移設するなど、イスラエル寄りの政策を推進したトランプ政権との間で蜜月の関係を築きました。
  2020年にはトランプ政権の仲介で、UAE=アラブ首長国連邦やバーレーンなど対立関係にあったアラブ諸国と国交正常化で合意し、外交上の成果を得ました。
  流ちょうな英語とパフォーマンスを駆使し、国連総会などで敵対するイランを激しく非難する姿が注目を集めたほか、選挙では強さを発揮し、支持者の間では「ビビ」というニックネームと合わせて「キング・ビビ」や「マジシャン」と呼ばれてきました。

  その一方で地元の通信業者に便宜を図ったとして、収賄や背任の罪で起訴されるなど汚職疑惑が取り沙汰され、長期政権に対する批判も高まっていました。2年間で4度目となった2021年3月の総選挙では、右派政党リクードを率いて第1党を獲得しましたが連立交渉では支持を集められず、逆に「反ネタニヤフ」の連立政権発足を許す形となりついに退陣を余儀なくされました。



イスラエル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  イスラエル国(英語: State of Israel)、通称イスラエルは、西アジアに位置する共和制国家。北はレバノン、北東はシリア、東はヨルダン、東と西はパレスチナ自治区ヨルダン川西岸ガザ地区、南西はエジプトと国境を接している。テルアビブは経済と技術の中心地であり、政府所在地であるエルサレムを首都と宣言しているが、エルサレムに対する国家の主権は国際的には限定的にしか認められていない。

  イスラエルには、アフリカから類人猿が最も早く移動してきた証拠がある。カナン族の存在は青銅器時代中期から考古学的に証明されており、イスラエル王国とユダ王国鉄器時代に誕生した。紀元前720年頃、新アッシリア帝国イスラエル王国を滅ぼした。ユダ王国はその後、バビロニア帝国、ペルシャ帝国、ヘレニズムの帝国に征服され、ユダヤ人の自治州として存在していた。マカバイ戦争が成功し、紀元前110年にはハスモン朝の独立国となったが、紀元前63年にはローマ共和国の従属国となり、紀元前37年にはヘロデ朝が置かれ、紀元後6年にはローマ帝国ユダヤ属州が誕生したのである。ユダヤ人の反乱により、ユダヤ属州は壊滅的な打撃を受け、ユダヤ人は追放され、シリア・パレスティナに改称されるまで、ユダヤはローマの属州として存続した。この地域におけるユダヤ人の存在は、何世紀にもわたってある程度継続している。7世紀にビザンチン帝国からアラブ人に奪われたレバント地方は、1099年の第1回十字軍、1187年のアイユーブ朝による征服までイスラム教徒の支配下にあった。13世紀にはエジプトのマムルーク朝レバントに支配を広げ、1517年にオスマン帝国敗れるまで支配した。19世紀には、ユダヤ人の民族意識の高まりからシオニスト運動が起こり、パレスチナへの移住が始まった。

  パレスチナは、第一次世界大戦後にオスマン帝国から割譲され、1920年から1948年まで大英帝国の委任統治領となった。第二次世界大戦が始まると、委任統治領は大規模な爆撃を受け、イシューブのユダヤ人は連合国側に従軍した。1944年、イギリスは武器の供給とユダヤ人旅団の結成に同意した。緊張が高まる中、イギリスはアラブ人とユダヤ人の両派をなだめるために、1947年に国際連合パレスチナ分割決議を採択し、アラブ人とユダヤ人の独立国家と国際化されたエルサレムの設立を勧告した。翌年、ユダヤ機関はイスラエルの独立を宣言し、1948年のアラブ・イスラエル戦争では、イギリス委任統治領の大部分をイスラエルが占領したが、ヨルダン川西岸とガザは近隣のアラブ諸国が占領していた。その後、イスラエルはアラブ諸国といくつかの戦争を経験し、1967年6月の第三次中東戦争以降は、ヨルダン川西岸地区、ゴラン高原、ガザ地区などの占領地を保有している(2005年の分離独立後も占領地とみなされているが、法律の専門家の中にはこの主張に異論がある)。その後の立法措置により、ゴラン高原東エルサレムではイスラエル法が全面的に適用され、ヨルダン川西岸ではイスラエルの入植地への「パイプライニング」により部分的に適用されている。イスラエルによるパレスチナ自治区の占領は、現代における世界最長の軍事占領であると国際的に考えられている。イスラエルとパレスチナの紛争を解決するための努力は、最終的な和平合意には至っていないが、イスラエルはエジプトヨルダンの両国と和平条約を締結している。

  イスラエルは基本法の中で、自らをユダヤ人と民主主義の国家であり、ユダヤ人の国民国家であると定義している。国は、議会制比例代表制、普通選挙を採用した自由民主主義国家である。首相は政府の長であり、クネセト立法府である。2019年現在の人口は約900万人で、イスラエルは先進国であり、OECD加盟国である。名目GDPでは世界第31位の経済規模を持ち、現在紛争中の国の中では最も先進的な国である。中東で最も生活水準が高く、軍事訓練を受けた国民の割合、高等教育の学位を持つ国民の割合、GDP比の研究開発費、女性の安全性、平均寿命、革新性、幸福度などで世界の上位にランクインしている。

国名
  イスラエルはヘブライ語で「神の支配」を意味する言葉である。ヤコブ古代イスラエルの王の祖先であり、伝統的にはユダヤ人の祖先と考えられている。この地域はイスラエルの地(エレツ・イスラエル)と呼ばれた。独立直前にはユダ(Judea)、エレツ・イスラエル、シオン(Zion)、新ユダ(New Judea)なども国名候補として存在した。国名を「ユダ」とすると、宗教・民族上の「ユダヤ人」と国籍上の「ユダヤ人」の区別が難しくなること。「シオン」とすると、非ユダヤ人国民も「シオニスト」と呼ばれるようになることから、二つは候補から外されたという説がある。漢字表記は、以色列。
歴史(詳細は「イスラエルの歴史」を参照)
古代イスラエル(詳細は「古代イスラエル」を参照)
  古代にはこの地は肥沃な三日月地帯であり、カナンの地と呼ばれ、カナン人をはじめ様々な民族が住んでいた。ユダヤ人の祖先となるヘブライ人も移住してきたが、子孫たちはエジプトに移住しエジプト人の奴隷となっていった。長い期間を経てエジプトを脱出したヘブライ人(イスラエル人)はこの地を征服し、紀元前11世紀頃にイスラエル王国が成立した。しかし紀元前930年頃、内乱のためイスラエル王国は南北に分裂した。北のイスラエル王国紀元前722年アッシリアに滅ぼされ、南のユダ王国紀元前586年新バビロニアに滅ぼされた。新バビロニアもペルシア帝国に滅ぼされ、その後、パレスチナの地はアレクサンダー大王の東方遠征により征服される。アレクサンダー大王の死後、マケドニアは分裂し、パレスチナはセレウコス朝(シリア王国)の支配下に入るが、マカバイ戦争を経てユダヤ人の王朝であるハスモン朝が成立する。紀元前1世紀にハスモン朝はローマ帝国の保護国となり、のちにローマ帝国の属州ユダヤ属州)となる[58]西暦66年には独立を目指してユダヤ戦争(第1次ユダヤ戦争)が勃発するが、70年にローマ帝国により鎮圧された。132年バル・コクバに率いられたバル・コクバの乱(第2次ユダヤ戦争)が起き、一時はユダヤ人による支配権を取り戻したが、135年に再びローマ帝国に鎮圧され、名称もシリア・パレスティナ属州に変わった。離散ユダヤ人(ディアスポラ)は早い時期から存在したが、この時に数多くのユダヤ人がディアスポラとなっていった。
中世
  636年東ローマ帝国正統カリフに敗北し、以後、第一次世界大戦におけるオスマン帝国の敗退までのほとんどをイスラム教国家の支配下に置かれることになる。1099年第1回十字軍によりエルサレムが占領されキリスト教国であるエルサレム王国が成立した。しかし1187年ヒッティーンの戦いアイユーブ朝に破れエルサレムを再占領されると、1200年頃にはエルサレム王国の支配地域は地中海沿いのみとなっていた。わずかな支配地域を維持していたエルサレム王国は、1291年マムルーク朝により完全に滅亡した。1517年にはオスマン帝国がマムルーク朝を滅ぼしこの地方を支配した。
シオニズムの興隆(「シオニズム」も参照)
  1834年にセルビアに住むセファルディム系の宗教的指導者イェフダー・アルカライが小冊子を発行し、聖地での贖罪を前提とした帰還を唱えた。こうした宗教的意味合いの強い宗教的シオニズムとは別にモーゼス・ヘスは1862年、反ユダヤ主義への解決策としてユダヤ人の民族主義を復興し、ユダヤ人の国家を築くべきだと訴えた。これは世俗的(政治的)シオニズムと呼ばれる。

  1882年に第一次アリヤー(ヘブライ語で「上がる」こと、シオンエルサレム)への帰還の意)が始まる。東ヨーロッパから2万5000人から3万5000人のユダヤ人がオスマン帝国支配下のパレスチナに移住した。のちにシオニズム運動を主導していくテオドール・ヘルツル同化主義者であったが、ユダヤ人が冤罪で逮捕されたドレフュス事件を新聞記者として取材し、ユダヤ人に対する差別に衝撃を受け民族主義者へと転じた。このころからシオニズムという言葉が現れるようになる。ヘルツルはオスマン帝国のスルタンアブデュルハミト2世を含む、各国の要人たちにユダヤ人国家設立を請願した。このころ、東欧やロシア帝国ではユダヤ人が虐殺されるポグロムが繰り返し発生していた。
  1897年にはスイスバーゼルで第1回シオニスト会議が開催され、世界シオニスト機構が設立された。1904年から始まった第二次アリヤーでは4万人ほどが移住し、1909年にはルーマニアからの移民がテルアビブを建設した。ヘルツルは「ユダヤ人国家」の候補地としては必ずしもパレスチナにこだわってはおらず、初期にはアルゼンチンウガンダも挙がっていたが、「シオンなきシオニズム」はあり得ないとされ、パレスチナ以外の選択肢は存在しなくなった。
イギリス委任統治領パレスチナ(詳細は「イギリス委任統治領パレスチナ」を参照)
  1914年第一次世界大戦が勃発し、オスマン帝国はドイツオーストリア=ハンガリー帝国三国同盟側で参戦する。イギリスは戦争を有利に進めるため、「三枚舌外交」と呼ばれる数々の密約を結んだ。フランスやロシアとはサイクス・ピコ協定を結び、アラブ人とはフサイン=マクマホン協定を結んだ。そしてユダヤ人に対してはバルフォア宣言を行った。これは1917年11月2日、英国外相バルフォアがユダヤ人の民族郷土建設について支持を表明したもので、ロスチャイルド卿に宛てた書簡に記されていたものである。

  1918年10月30日、オスマン帝国は降伏し、イギリスの占領統治が始まった。1922年には国際連盟で定められた委任統治制度により、この地はイギリス委任統治領パレスチナとして運営されることとなった。施政を担当する初代高等弁務官にはユダヤ人のハーバート・サミュエルが就いた。この委任統治決議の文書には、バルフォア宣言を再確認する文言が含まれていた。アラブ人はバルフォア宣言の撤回を要求し続け、イギリスの提案する立法評議会への協力やアラブ機関の設立などを頑なに拒否した。その間にもユダヤ人は移民を進め、ユダヤ機関の設立、自警組織ハガナーの結成、ヘブライ大学の開校など、ユダヤ人国家建設に向けてパレスチナにおけるユダヤ人コミュニティー(イシューブ)を着実に大きくしていった。
  1929年、嘆きの壁事件が発生した。アラブ人によるユダヤ人襲撃が行われ、133名のユダヤ人が殺害され339名が負傷した。アラブ人にも110名の死者が出たが、そのほとんどはイギリスの警察や軍によるものだった。この事件を受けイギリスは2つの調査委員会を派遣した。調査委員会はどちらも、事件の要因はユダヤ人移民のコミュニティーが大きくなり、アラブ人がそれに脅威を感じたこととし、ユダヤ人の移民と土地購入について再検討を勧告した。一時は勧告に従った白書が出るものの、ユダヤ側の反発に遭って撤回され、方針が変わることはなかった。
  1936年、アラブ人によるユダヤ人襲撃とその報復が引き金となり、アラブ反乱が発生する。イギリスはピール調査委員会を派遣し、パレスチナの分割を提案した。ユダヤ側は国家創設の足がかりとしてこれを受け入れたが、アラブ側はこれを拒否した。調査委員会の活動が終わると、再びパレスチナ全土で反乱が起こり、1939年に収束するまでに、アラブ人に多数の死傷者と逮捕者を出した。

  1939年5月に、イギリス政府の方針を大きく変えるマクドナルド白書が出される。この白書は移民および土地売買に関して制限を設けるものであった。アラブの主張に沿った方針であったが、アラブ人はイギリスをもはや信用せず拒絶し、当然ユダヤ人も拒否しイギリス政府に対する不信を強めることになった。ユダヤ人はアラブ反乱からさらなる防衛力の必要性を感じ、またイギリス政府の方針変更に武力で抵抗するため、ハガナーイルグンレヒといった武装組織を強化していった。
  第二次世界大戦が始まり、ナチスホロコーストがイシューブに伝わり、多くのユダヤ人を震撼させた。ユダヤ人にとってパレスチナへの避難は急を要したが、イギリスは移民制限を変えることはなかった。しかしながら、戦時中はユダヤ人の反英闘争は鳴りを潜め、義勇兵としてイギリス軍とともに戦った。戦争が終わるとイギリス政府はアメリカに共同調査委員会の設立を提案し、英米調査委員会が設立された。委員会は強制収容所にいる10万人のユダヤ人をパレスチナに移住させるようイギリス政府に勧告したが、イギリス政府はこの勧告を受け入れず移民制限を変更しなかった。これを受け、キング・デイヴィッド・ホテル爆破事件などユダヤ人過激派の反英闘争が激化することとなった。
イスラエル建国と第一次中東戦争(詳細は「パレスチナ分割決議」、「第一次中東戦争」、および「イスラエル銀行」を参照)
  ついにイギリスは委任統治を諦め、パレスチナ問題について国際連合の勧告に委ねることにした。国連の調査委員会では、ユダヤ人の国家とアラブ人の国家を創設する分割案と連邦制国家とする案が出たが、最終的に分割案が国連総会で採択された。イギリスは「1948年5月15日をもって委任統治を終了する」とした。イギリスは紛争への介入を止め、両陣営の相手に対する攻撃は活発となった。ベン・イェフダ通り爆破事件(死者ユダヤ人55名)とその報復で起こったレホヴォトの列車爆破事件(死者イギリス人28名)やデイル・ヤシーン事件(死者アラブ人100名以上)、ハダサー医療従事者虐殺事件(死者ユダヤ人70名以上)など、ユダヤ人・アラブ人双方による襲撃事件が多発した。
  緊迫した状況であったが、ユダヤ人は1948年5月14日イスラエル独立宣言を行った

  これに対しアラブ諸国は、パレスチナ人を支援するため軍隊を動員し、5月15日、パレスチナに侵攻、第一次中東戦争が勃発した。装備が整っていなかったイスラエル軍は苦戦を強いられるもののアラブ諸国の軍を食い止め、両陣営は5月29日の国連の停戦呼びかけに応じて6月11日から4週間の停戦に至った。イスラエルはこの期にハガナーを中心とした軍の再編成を行い、イスラエル国防軍を創設した。国連特使のフォルケ・ベルナドッテがパレスチナの問題解決のため新たな連邦案を提案したが、イスラエル・パレスチナ双方ともに受け入れることはなかった。彼は9月17日にイスラエルの過激派レヒによって暗殺された。イスラエルには非難が集まり、レヒとイルグンの解体につながった。1949年2月24日、イスラエルはエジプト休戦協定を締結した。続いて、レバノンと3月23日、トランス・ヨルダンと4月3日、シリアとは7月20日にそれぞれ休戦協定を結び、第一次中東戦争は終結した。イスラエルの兵力は開戦当初3万人ほどであったが、終戦時には11万人近くになっていた。また、戦争前の内戦状態から戦時中にかけ数十万人ものパレスチナ難民が発生することとなった。こうした難民が放棄していった財産は、1950年の不在者財産没収法により、イスラエルに没収された。エジプトはガザ地区に軍隊を駐留させ、ヨルダンは1950年にヨルダン川西岸地区を領土に編入した。イスラエルは1949年5月11日に国際連合の加盟を承認された
第二、第三次中東戦争
  1956年10月29日、エジプトのナセル大統領スエズ運河国有化宣言に対応して、英・・イスラエル連合軍がスエズ運河に侵攻し、第二次中東戦争が勃発した。エジプトの敗北は目前と思われたが、この侵攻はアメリカとソビエト連邦という超大国たちの猛烈な反発を招き、結局11月8日に停戦した。
  1960年5月11日、イスラエル諜報特務庁(モサド)はナチスのホロコーストに関与したアドルフ・アイヒマンの身柄を確保した。裁判はメディアによって大々的に報道された。1961年12月15日、アイヒマンに死刑が宣告され、翌年5月31日に刑が執行された

  1967年5月、エジプトはティラン海峡を封鎖した。これに対しイスラエルは6月5日に奇襲攻撃を仕掛け、エジプト軍航空機のほとんどを離陸前に破壊した。エジプトからシナイ半島とガザ地区を、同戦争に参戦したシリアからゴラン高原を、ヨルダンからエルサレム旧市街を含む東エルサレムとヨルダン川西岸を奪い取り、その領土は戦前の3.5倍にもなった。6月10日、この第三次中東戦争はわずか6日間でイスラエルの圧倒的勝利に終わった。1967年11月22日、国際連合安全保障理事会は、イスラエルが占領した領地からの撤退を求める内容を含んだ国連安保理決議242号を全会一致で採択した。この決議は中東和平の基本的枠組みとなっていくが、条文が曖昧といった問題をはらんでいた。イスラエルはこの決議に対し、「すべての」占領地域から撤退するとは書かれていないと主張した。
  1950年代の終わり頃、パレスチナ側ではヤーセル・アラファート率いるファタハが結成された。またアラブ諸国主導でパレスチナ解放機構(PLO)が設立された。当初PLOは過激な武装闘争グループではなかったが、アラファートがトップに立つと、その性格を過激なものに変えていった。PLOはヨルダンを活動拠点としていたが、次第に関係が悪化し1970年9月17日ヨルダン軍はPLOを攻撃、内戦状態となった。これは「黒い九月事件」と呼ばれ、過激派組織「黒い九月」はここから名称をとっている。黒い九月は1972年9月5日に、ミュンヘンオリンピック事件を引き起こしている。
  ミュンヘンオリンピック事件後の1972年9月16日、イスラエル軍は空・陸からレバノン領に侵攻。レバノン南部にあるアラブ・ゲリラの基地、拠点群を攻撃後、短期間でイスラエル領内へ引き揚げている。
第四次中東戦争からインティファーダ
  1973年10月6日、エジプトとシリアはイスラエルを奇襲し、第四次中東戦争が始まった。開戦当初、エジプトとシリアは不意を突き、イスラエルに大きな損害を与えたが、その後の反攻でイスラエルは前線を押し戻した。10月22日には停戦を要求する国連安保理決議338号が採択され、戦争は終結に向かった。イスラエル国内では先制されたことに対し軍と政府に批判が集まり、首相ゴルダ・メイアが辞任することになった

  エジプトのサダト大統領は、アラブの大統領として初めてイスラエルを訪問し、11月20日、イスラエルの国会であるクネセトで演説を行った。
  1978年9月5日から、米国メリーランド州キャンプ・デービッドにおいて、カーター米国大統領、エジプトのサダト大統領、イスラエルのベギン首相の三者会談が開かれ、キャンプ・デービッド合意が成立した。イスラエルの占領地からの撤退とパレスチナ人の自決権についての合意であり、サダトとベギンは平和貢献を認められ1978年のノーベル平和賞を共同受賞している。1979年3月にエジプト・イスラエル平和条約が締結された。当事者であるパレスチナ人は「合意内容はイスラエルの主張寄りであり、パレスチナ人のためのものではなく、エジプトとイスラエルのための合意である」と合意に反対した。1981年10月6日、サダトはイスラム過激派により暗殺された。
  1981年6月、イスラエルはイラク核兵器開発を阻止すべく、イラクの原子炉を攻撃した(イラク原子炉爆撃事件)。

  1978年3月と1982年6月の2度にかけて、レバノンの首都ベイルートに本部を移したPLOを駆逐し、内戦中であったレバノンの少数派キリスト教徒保護と親イスラエル政権の樹立を目指し、レバノン侵攻を開始した。シャロン国防相に率いられたイスラエル軍とレバノンの同盟勢力ファランヘ党は、PLOをベイルートから追放し、ファランヘ党のバシール・ジュマイエルがレバノンの大統領に選出された。しかしジュマイエルは就任直前に暗殺され、ファランヘ党員は報復のためサブラ・シャティーラ難民キャンプに侵入し、数百人とも3,000人ともいわれる非武装の難民を虐殺した(サブラー・シャティーラ事件)。アリエル・シャロン国防相は「殺害を傍観した不作為の罪」を問われ、国防相を辞任した。
  1987年12月、イスラエル軍の車両が、アラブ人の労働者を乗せた2台の車と衝突して4人が死亡したことをきっかけに、民衆蜂起(インティファーダ)が起こった。民衆はバリケードを築き、投石を行い、火炎瓶を投げた。イスラエル当局はこれを鎮圧し、死傷者も出たが、インティファーダは全占領地に広がった。インティファーダには大人だけでなく子どもも参加した。武装した兵士に立ち向かう少年の映像が報道され、国際的な非難がイスラエルに集まった。国連安保理は1987年12月22日、イスラエルを非難する決議を採択した。1988年7月、ヨルダンはヨルダン川西岸地区の主権を放棄し、それに伴い1988年11月、PLOはエルサエムを首都とするパレスチナ国の樹立を宣言した。
  1991年、湾岸戦争が勃発し、イラクによるスカッドミサイルの攻撃を受けたが、イスラエルの報復攻撃は行われなかった。
オスロ合意から現在
  1992年、米ソ共催によるマドリード中東和平国際会議が開かれた。同年、パレスチナとの和平交渉に前向きな姿勢を見せるイツハク・ラビンが首相に選出された。また、ノルウェーの仲介によりパレスチナとの交渉が進められ、1993年9月13日にオスロ合意が成された。PLOはイスラエルを国家として承認し、イスラエルもまたPLOをパレスチナ人の代表として認め、パレスチナ人の暫定的な自治を認めるものだった。この功績からヤーセル・アラファート、イツハク・ラビンと外務大臣のシモン・ペレスはノーベル平和賞を共同受賞している。しかし、イスラエル・アラブ双方の過激派はこれを認めなかった。イスラエル人のバールーフ・ゴールドシュテインヘブロン事件を起こし29人を殺害すると、報復にハマース自爆テロを何度となく繰り返し起こした。このような状況下であったが、ラビンはさらなる和平に向けてオスロIIに向けて邁進し、1995年9月、調印を行った。オスロIIはイスラエル国内の批判も大きく、野党からはラビンを売国奴と罵る者もいた。1995年11月4日、平和集会に参加していたラビンはユダヤ人学生に射殺された。

  その後も、自爆テロを含むテロ行為が、ハマースなどによって絶え間なく引き起こされた。2000年9月にはアリエル・シャロンのエルサレム、アル=アクサー・モスク神殿の丘)訪問をきっかけにアル・アクサ・インティファーダ(第2次インティファーダ)が起こった。
  2002年に、テロリストの侵入を阻むため、分離壁の建設を開始した。
  2006年7月12日、ヒズボラの攻撃に対し、報復として拠点を破壊すべくレバノンに侵攻した。2008年12月27日、ハマース掃討のためガザ地区に大規模な空爆を実行、翌年1月には地上からの侵攻も開始した。この攻撃で民間人にも犠牲者が出た。

  2016年12月23日、国連安保理でイスラエルのパレスチナ占領地への入植活動を「法的な正当性がなく国際法に違反する」とし「東エルサレムを含む占領地でのすべての入植活動を迅速かつ完全に中止するよう求める」決議が採択され、賛成14票、反対1票で可決された。同様の決議に対ししばしば拒否権を行使していたバラク・オバマ政権下のアメリカは今回は棄権した。この決議の後にネタニヤフ首相は、賛成した10か国の大使を呼び出して直接注意し、外務省に対して、(賛成した14か国のうちイスラエルと外交関係にある)12か国(日本、イギリス、フランス、ロシア連邦中国ウクライナアンゴラ、エジプト、ウルグアイスペインセネガルニュージーランド)との外交関係を制限するように命じた。
  イスラエル建国70周年を迎えた2018年5月14日、ドナルド・トランプ政権下のアメリカは在イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移転した。これを受け、パレスチナとイスラエルとの軍事衝突が一時的に拡大した。アメリカ大使館の移転に続いて、グアテマラパラグアイも大使館をエルサレムに移転した。
  2018年7月19日、クネセトは、イスラエルを「ユダヤ人の国家」と定義する法案の採決を行い、これを採択した[139]。この「ユダヤ国民国家法」はエルサレムを「統一された首都」と位置づけ、公用語ヘブライ語のみとしてアラビア語を除外した。このためアラブ系議員らは抗議し、賛成62人、反対55人だった。
政治
  イスラエルの政治は行政、司法、立法と国家元首である大統領からなる。議会制民主主義を採用し、行政府政府)は、立法府クネセト)の信任を受け、司法府裁判所)はにより完全なる独立を保証されている。イスラエルは非成典憲法であり、国家の政治制度を規定した各基本法は通常の法律と同等に改正することができる。選挙権は18歳以上に与えられ、被選挙権は21歳以上に与えられる。選挙投票日は休日となり、入院中の人間や受刑者にも投票権が与えられる。投票率は通常8割から9割程度である。
  イスラエルは建国宣言で「ユダヤ人の国家(Jewish State)」と規定されており、ユダヤ人の定義は、『帰還法』(1970年改正)により、「ユダヤ教徒もしくはユダヤ人の母親から生まれたもの」と定義している。同時にアラブ人の市民権なども認めており、ユダヤ人「のみ」の国家というわけではない。ユダヤ教の教義に基づく安息日の労働を禁ずる法が存在し、教育に関する法ではユダヤ教文化を重視することが盛り込まれている。1990年代に『基本法:人間の尊厳と自由』と『基本法:職業の自由』が制定された。また、1995年に最高裁が基本法は一般の法に優越するとの判断を下し、この時期を「憲法革命」と呼ぶ。
大統領
  イスラエルの大統領の任務は象徴的・儀礼的な性格が強く、新国会の開会式の開会宣言、外国大使の信任状受理、クネセトの採択した法ないしは批准した条約の署名、当該機関の推薦するイスラエルの大使、裁判官、イスラエル銀行総裁の任命などである。大統領はクネセトの投票で決定され、任期は当初5年であったが、1999年の法改正により、7年に延長された代わりに再選は禁止されるようになった。
立法(詳細は「クネセト」および「イスラエルの政党」を参照)
  イスラエルの国会であるクネセト一院制。議員定数は120名で、政党名簿比例代表(拘束名簿式)により選出される。その名称と定数は紀元前5世紀エズラネヘミヤによってエルサレムに招集されたユダヤの代表機関、クネセット・ハグドラ(大議会)に由来する。
  イスラエルの政府は、伝統的に複数の政党による連立政権により運営されてきた。これは完全な比例代表制をとり、最低得票率も低いため、多数の政党が存在するためである。
  左派である労働党は1973年の選挙までは第一党であり、120議席のうち50議席程度を占めていた。1977年の選挙で右派リクードが第一党となり、その後も労働党とリクードによる二大政党時代が続いた。しかし少数政党が乱立するようになり、2006年には中道のカディマが29議席という議席数ながらも第一党となり、労働党などと左派中道連立政権が発足した。2009年、2013年の選挙ではリクードを中心とした政権が発足している。
行政(「イスラエルの首相」も参照)
  国家の最高行政機関である政府は、国家の安全保障を含む内外の諸問題を担当し、クネセトに対して責任を有し、その信任を受けねばならない。政府の政策決定権には極めて幅がある。法により他の機関に委任されていない問題について、行動をとる権利を認められている。首相は日本と同様、議会で選出されているが、1996年から2001年までは首相公選制を採用し首相選挙を行っていた。
  現在のイスラエルがある地域には代から人類が居住し多数の遺跡が残されておいるため保全や調査を統括する省庁として「考古学庁」が設置されている
司法
  司法の独立は法により完全に保証されている。最高裁判事3名、弁護士協会メンバー、政官界者(閣僚、国会議員など)で構成される指名委員会があり、判事はこの委員会の推薦により大統領が任命する。判事の任期は無期(70歳定年)。最高裁判所、地方裁判所、治安判事裁判所、そして宗教裁判所が存在し、結婚および離婚に関する裁判は各宗教の宗教裁判所が扱っている。
  死刑は戦時の反逆罪および敵性行為に対する法律と、ナチスおよびその協力者を処罰する法律においてのみ存在する。なお、死刑判決は軍法会議においても下すことが可能である。アドルフ・アイヒマンジョン・デミャニュクに死刑判決が下されたが、後者は後に無罪となっている。

  た、テロ対策のために、裁判も起訴状も、時には説明すらなく、国家にとって危険だと見なされた人物を逮捕・拘束できる行政拘束(予防拘禁)という制度を持ち、治安立法も数多く制定されている。
  占領地のヨルダン川西岸地区(イスラエル側の呼称は「ユダヤ・サマリア地区」)では、パレスチナ自治政府が実効支配する地域を除き、非ユダヤ人はイスラエル国防軍の占領統治下にある。占領地の非ユダヤ人はイスラエル国防軍軍律で統制されており、軍事裁判所は占領地の非ユダヤ人のみを対象としている。一方、占領地のユダヤ人は通常の民事裁判所の対象となるため、占領民と被占領民に対して、異なる司法が適用されていることになる。
  軍事裁判所では、未成年でも12歳から起訴できると定めている。国連児童基金によれば、世界でもこうした例は他にないという。2016年現在、イスラエルは約450人の未成年パレスチナ人の身柄を拘束しており、うち100人ほどが16歳未満とされる。また、パレスチナ側の報告によると、5歳の子どもが拘束された例もあり、セーブ・ザ・チルドレンは、拘束された子どもの81%が肉体的暴力を振るわれ、47%が弁護士接見を拒否されるなど、国際法に反した虐待が日常的に行われていると報告した。

国際関係(詳細は「イスラエルの国際関係」を参照)
  自民族の国家を持たなかったことにより、600万人のユダヤ人が殺されたホロコーストの教訓から、イスラエルは「全世界に同情されながら滅亡するよりも、全世界を敵に回して戦ってでも生き残る」ということを国是にしているとされる。その一方で、同情を利用した外交や事業といったものも行われており、それはノーマン・フィンケルスタインによって「ホロコースト産業」と呼ばれた。
  
イスラエルは建国直後の1949年に国際連合へ加盟している。2011年時点で、イスラエルは157の国連加盟国外交関係を有している。残りの国連加盟35か国のうち、サウジアラビアシリアなどのイスラム圏を中心とする24か国[164]パレスチナ問題を理由として建国以来一度もイスラエルを国家承認していない。また、イランキューバなどの9か国は一時期イスラエルと外交関係を有していたが、2011年までに関係が断絶している。イスラエルと国交のない33か国はいずれもパレスチナ国を国家承認している。
  欧米諸国とは欧州連合の研究機関への参加など、良好な関係を保っている。フランスは第三次中東戦争までは最大の兵器供給国であり、核開発の協力もなされていた。ドイツとはホロコーストの記憶もあり外交関係は冷え切っていたが、ドイツの補償金と軍事支援を受け入れ、当時の西ドイツと1965年に国交を樹立している。ただし、補償金の受け取りについては反対派がデモを起こし、国会を襲撃するなど受け取りの是非について激しい論争を呼んだ。

  1995年には北大西洋条約機構(NATO)のパートナー諸国である「地中海対話(Mediterranean Dialogue)」の加盟国となっている。また2010年には経済協力開発機構(OECD)にも加盟している。欧州連合の研究・技術開発フレームワーク・プログラムにも参加しており、欧州原子核研究機構(CERN)には1991年からオブザーバー国として参加していたが、2014年に正式にメンバー国となった。欧州分子生物学機構(EMBO)および欧州分子生物学研究所(EMBL)のメンバー国でもある。
  イスラエルは元来、アメリカ合衆国との関係を最重要視してきたが、イラク戦争後から「世界の警察官」としてのアメリカ合衆国の国際的影響力に陰りが出てきたと判断して、日本、中華人民共和国、インド、フランスなど多方面の外交に乗り出し、中華人民共和国の主導する上海協力機構(SCO)にも参加を申請している。
中東外交(詳細は「アラブ連盟と中東戦争」を参照)
  近隣諸国とは建国直後から何度か戦争状態となり敵対関係だったが、1979年にエジプトと、1994年にヨルダンと平和条約を結んでいる。一方で、近年では反イラン国家も多いアラブ諸国との関係改善を図る動きが急速に進んでおり、2018年10月26日にはオマーンを首相が公式訪問。また2020年8月13日にはアラブ首長国連邦と、9月11日にはバーレーンと、10月23日にはスーダンが国交正常化に合意している。(アブラハム合意)また、12月10日にはモロッコと国交正常化で合意したイスラエルとモロッコの国交正常化)。またイスラエル機でのアラブ首長国連邦との往復にサウジアラビアの上空通過を許すなど、サウジアラビアとの関係改善も急激に進んでいる。
  イスラエルが「脅威」としてあげる中東諸国ではイランがある。イランとは核兵器開発問題、ヒズボラおよびハマースを支援している国家として強い警戒を示し、国連事務総長にイランの国連除名を要求したこともある。また、イラン大統領のマフムード・アフマディーネジャードは、ホロコーストを認めない発言をするなどイスラエルに強硬な姿勢を示していた。ただし、2009年には外相のアヴィグドール・リーベルマンは、パキスタンおよびアフガニスタンをイランよりも戦略的脅威と見ているとの発言を行った。アフガニスタンではガザ侵攻の際、「イスラエルに死を」という声を上げ、イスラエルとの戦闘を望む多くの若者が集まった。
  シリアとレバノンも紛争当事国であり、関係修復には至っていない。2006年、レバノン首相のフアード・シニオラはレバノン侵攻を受けて「イスラエルとの国交樹立はありえない」と発言した。またシリア内戦時にはヒズボラへの武器輸送や、シリアにおけるイランの伸長を阻むためイスラエルはシリアに空爆を行っている一方で、イスラム過激派の影響力拡大や混乱の波及を警戒し、アサド政権崩壊を企図した本格的な介入は行っていない。
米以関係(詳細は「米以関係」を参照)
  アメリカ合衆国は建国当初から最大の「盟友」であり、「特別な関係」とも言われる。アメリカはイスラエルを「中東における最も信頼できるパートナー」と評し、国家承認も建国と同日に行っている。エジプト・イスラエル平和条約をはじめ和平仲介も行っている。毎年30億ドル以上の対外軍事援助を行い、合同軍事演習も実施している。またイスラエルの最大の貿易相手国でもある。
  イスラエルの経済発展においてアメリカの経済支援が果たした役目は大きく、2008年以降経済援助は行われておらず軍事援助のみとなっているが、それでもなおアメリカの2012年の国別対外援助費では2番目に大きい。軍事援助は対エジプト平和条約締結後の1981年以降全額無償援助となり、1985年以降は毎年経済援助12億ドル、軍事援助18億ドルであった。1999年より経済援助は毎年1.2億ドルずつ減額され10年間でゼロにすることとされたが、その半額は軍事援助の増額分として振り分けられた。
  国連でイスラエルへの非難決議が提出されると拒否権を発動させることもあり、またイスラエルから中華人民共和国への軍事技術提供問題やヴェラ・インシデントなどのイスラエルの核兵器開発問題に対しては、見てみぬふりをしていると言われることもある。
  このようなアメリカの親イスラエル政策の背景には在米ユダヤ人のロビー活動がある。在米ユダヤ人は540万人ほどでアメリカの総人口の2%以下であるが投票率が高く、結束力も強いため選挙に無視できない影響を与えている。またニューヨーク州などの都市部や政治中枢に近い地域ではユダヤ人比率が高く、アメリカ合衆国大統領選挙においては重要な意味を持つ。このように在米ユダヤ人は政治に対し強い影響を持ち、さらにクリスチャン・シオニストたちがそれを後押ししている。在米ユダヤ人は政治に対し強い影響力を持つことが、日本では書籍として販売されているようなユダヤ陰謀論と結びつけられてしまい、それが反ユダヤ主義につながっていくことに対し、強い警戒を持っている。
  また、アメリカ大統領のドナルド・トランプは2017年12月に「エルサレムをイスラエルの首都と公式に認める時がきた」と発言したり、ゴラン高原のイスラエルの主権を認める宣言に署名したりするなど、さらにイスラエルとの友好関係を築く姿勢を見せている。
南アフリカ共和国との関係 (詳細は「イスラエルと南アフリカ共和国との関係」を参照 )

  初代大統領ハイム・ヴァイツマンと南ア首相ヤン・スマッツのときから緊密な同盟関係にある。アパルトヘイト体制の基礎を築いたダニエル・フランソワ・マランは、英連邦諸国からイスラエルを表敬訪問した最初の首相だった。第三次中東戦争の直前に、エジプトがチラン海峡を封鎖していたのを破る目的で、南アはイスラエルに海軍艦艇を提供した。この頃から双方向の貿易関係が急速に進展した。イスラエルは化学製品や電気機器などを輸出、南アは鉱産資源を輸出したが、特筆に値するものは石炭ダイヤモンドの3つである。イスラエルは加工貿易で成り立っている。
  研磨ダイヤモンドの輸出額は、イスラエルの総輸出額のうち約4分の1を占めている。イスラエルは、ダイヤモンド産業を政府主導で基幹産業へと発展させてきた。産業の確立にはユダヤ系資本のデビアスが貢献したが、デビアスとは後に対立を引き起こしてもいる。インドのダイヤモンド企業ヴィジェディモンと結んで原石の買い付けから輸出までを掌握したことに対して、1978年にデビアスがイスラエルに原石割当量の2割削減を通告したのである。イスラエル企業は負けじと原石を買い漁って保有量がデビアスにほぼ追いつき、ダイヤ価格の暴落を招いた。デビアスは様々な圧力をかけ(米国ロナルド・レーガン政権の高金利政策もその一つと疑われる)、イスラエルは輸出を激減させた。1980年には14億900万ドルであったのが、3年後に6億2500万ドルに落ち込んだ。この時期が1982年のレバノン侵攻と重なるのは興味深い事実である。イスラエルのパズ・ダイヤモンド社などは要職をデビアス出身者へ明け渡すようになった。もっとも、1986年時点で業容自体はかつての規模に戻りつつあった。
  資本の交流も盛んである。イスラエルは1978年に南アへの直接投資限度額を引き上げ、2年後には投資額が本当に増えた。この頃に特別の協定が結ばれ、南アの市民はドル建てでイスラエル債権を買えるという金融史上初の特権を得た。イスラエルは南アのシオニストから長年にわたる援助を受けている。1962 - 1967年を除いて、この援助は資本流出を防ぐ措置としての規制を免れている。
兵器の輸出
  第一の輸出先は南アフリカ共和国である。かつての第二は軍事政権下のアルゼンチンであった。同国首都ブエノス・アイレスのイスラエル大使館が、ラテンアメリカで兵器を販売する企業を20社超にわたりマネジメントした。イスラエルは、ブラジル、キューバ、ニカラグアを除くラテンアメリカ諸国のほとんどに兵器を供給した。
  トルコも主要な輸出先であり、近隣のイスラム諸国の中では珍しく友好な関係を築いてきた。しかしガザ侵攻においてトルコのパレスチナ支援団体と武力衝突が発生し、トルコ人活動家が9名死亡、外交関係は冷え切っていた。しかし2013年にはイスラエルからの謝罪が行われ、両者の関係は修復したと見られている。
  インドおよび中華人民共和国にもイスラエルは兵器輸出または軍事技術の提供を行っている。国際世論調査でもインドはアメリカよりもイスラエルに好意的であり、中華人民共和国では国際的な非難のあったガザ侵攻について理解を示す報道がなされている。
人口過密になるほどの移民
  建国以前、嘆きの壁事件などが起こる一方、ドイツ系ユダヤ人富裕層がパレスチナへ渡ってきた。これには次のような手段が用いられた。1933年5月、興って1年も経たないナチ政権下のドイツは、パレスチナのユダヤ系オレンジ企業「ハノテア」との間に移送協定を結び、夏にはシオニスト上層部との間に正式なハヴァラー協定を成立させた。

  ハノテアはドイツで必要なドイツ製品資材などを買いつけ、その代金をパレスチナに移住しようとするユダヤ人の銀行預金でひとまず支払い、その代わりパレスチナに移住したそのユダヤ人は、パレスチナで同額のポンドないし不動産の形で受け取った。協定が正式なものとなるころには、ユダヤ人の富裕層がパレスチナ移住と引き換えに自分の金を持ち出す一般方式となった。移住した彼らは、自分の金をまずドイツ商品に替えてパレスチナに送っておき、パレスチナ到着後、その商品をポンドに替えることになった。この方法でパレスチナに持ち込まれた金は800万ポンドに達したという。アメリカのユダヤ人がドイツ商品に対するボイコットを演じる間、パレスチナではドイツ製品の洪水が起きていた。「移送費」は1000ポンドを下らなかったため、それを払うことのできた富裕層が興国の原動力だったわけである。
  そもそも、バルフォア宣言がロスチャイルドにあてられていたり、ドイツがチェコスロバキア中央銀行から略奪した金塊を売却するのにロスチャイルドが深く関わったイングランド銀行が協力していたりするところから、地獄の沙汰も金次第であった。帰還法によりユダヤ人の多様性が生まれるが、経済格差の由来に着目した研究が少なく、充実が望まれる。格差は深刻である。

  ユダヤ系南ア人のデニス・ゴールドベルグは、アパルトヘイトに反対した国家転覆行為の終身刑で獄中にあったが、娘の求めでイスラエル政府の仲介が実現、釈放された。その拾った命でありながら、イスラエルがパレスチナを抑圧する行為は多くの点でアパルトヘイトに性質が共通すると指摘した。
  ソビエト連邦はアメリカに次いで2番目(建国から2日後)にイスラエルを国家承認した国である。1967年の第三次中東戦争でソ連とイスラエルは国交を断絶となったが、1991年に国交を回復した。ソビエト連邦が崩壊すると、1990年代の10年間ほどで80万人以上が旧ソ連からイスラエルに移住している。ロシア系移民は独自のコミュニティーを形成し、クネセトに議員も送り込んでいる。街ではロシア語表記が見かけられるだけでなく、ロシア語が通用することさえある。こうした現象のルーツには、そもそもロシア帝国の人口にユダヤ人が1割を占めた過去と、彼らが富裕なユダヤ人の支援で北米に移住したり革命に動いたりした歴史がある。
  エチオピアにはベタ・イスラエルと呼ばれるユダヤ人が住んでおり、ソマリア内戦中の1991年にはソロモン作戦と呼ばれるイスラエルへの移民も行われている。
日本とイスラエルの関係 (詳細は「日本とイスラエルの関係」を参照)
  第二次世界大戦で敗戦国となった日本は、1952年4月28日の日本国との平和条約(サンフランシスコ条約)発効により、外交権を含む主権を回復した。その直後の同年5月15日に、日本はイスラエルを承認した。
  2006年、持続的な経済発展を通じてイスラエル・ヨルダン・パレスチナ自治政府間の協力・信頼関係を築き、ひいてはパレスチナの平和を形成するという「平和と繁栄の回廊」構想を提案している。2008年には4者協議が東京で開催されている。2008年以降4者協議は開催されていなかったが、2013年に再開した。2014年5月には、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が日本を訪問、天皇皇后安倍晋三首相と会談を行った。安倍とネタニヤフの会談では、安全保障分野での協力や、中東和平交渉に関して意見が交わされた。
軍事
イスラエル国防軍 (詳細は「イスラエル国防軍」を参照 )
  1948年の建国とともに創設されたイスラエル国防軍(IDF)は、国の防衛の任にあたる。建国以来の度重なる周辺アラブ諸国との実戦経験を持つ。
  文字通りの国民皆兵国家であり、満18歳で男子は3年、女子は2年の兵役に服さねばならないが、優秀な学生は徴兵が延期されることもある。なお、その後も予備役がある。女性は結婚している者は兵役が免除される。また信仰上の理由により兵役免除も可能であるが、これも女性のみである。少数派のドゥルーズ派の信徒とチェルケス人は兵役に服すが、ユダヤ人でないその他のマイノリティは男子でも兵役が免除されている。また、かつては超正統派も兵役を免除されていたが、これには批判も多く1998年に最高裁は兵役免除は違法との判断を下しており、2014年3月に超正統派の男性を対象とした兵役を課す法案が国会で可決され、2017年から兵役の対象となった。様々な理由から兵役を拒否する人間も増えてきており問題となっている。
  イスラエルは国土が縦深性に欠け、一部でも占領されれば国土や産業、国民にとって致命的なダメージを受ける。そのため、戦時には戦域を敵の領土に限定し早急に決着をつけることを戦略計画としている。先制攻撃を仕掛け、敵の攻撃力を早期に無力化することを主眼に置いている。この姿勢は、イスラエルには国家の安寧を守るという前提があるにもかかわらず、イスラエルを好戦的な国家とみなす論者が多い一因となっている。なお、イスラエル国防軍の現在の任務には、パレスチナ自治機関と協調しつつヨルダン川西岸およびガザの治安を保持すること、国内および国境周辺で生じるテロ対策も含まれている。
  兵器の多くは、建国初期は西側諸国からの供給や中古兵器の再利用に頼っていたが、その後は主力戦車メルカバや戦闘機クフィルなど特別のニーズに応じた兵器を国内で開発・生産しており、輸出も積極的に行っている。海外との軍事技術交流(下記の科学研究参照)も多い。なお、国産兵器は、メルカバに代表されるように人的資源の重要性から防御力・生存性に重点を置いた設計となっている。
  国連児童基金(ユニセフ)はパレスチナ人の子供達がイスラエル軍から軍事裁判にかけられ、拘留下において「広範囲にわたる計画的で制度化された」暴行・虐待を受けているとする報告書を発表した。
核兵器保有の有無について(「イスラエルの大量破壊兵器」も参照)
  イスラエル政府は核兵器の保有に関して肯定も否定もしていないが、核拡散防止条約(NPT)にも加盟していない。「イスラエルは最初に核を使用する国にはならないが、2番目に甘んじることもない」という談話もあり、「曖昧政策」とも称されている。しかし、核技術者モルデハイ・ヴァヌヌの内部告発による状況証拠などから核保有は確実視されており、一種の「公然の秘密」となっている。イスラエルは1969年にフランスの協力で核兵器を開発したとされており、アメリカ科学者連盟は、2000年代後半時点で80 - 100発程度の核弾頭を保有していると推測している。
  この曖昧な態度は核兵器の有無を疑わせ、抑止効果を高めようとする狙いと、最大の同盟国アメリカに対する配慮からである。NPT非加盟のイスラエルが核武装を公表すれば、アメリカとの友好関係が崩れるか、これまで印・パの核保有やイランの核開発計画を非難してきたアメリカがダブルスタンダードの謗りを受けることは免れず、また周辺国のNPT脱退と核武装を招き、ただでさえ不安定な中東のバランスを崩壊させかねないからである。
  2006年12月5日、アメリカ上院軍事委員会公聴会で、次期国防長官に内定していたロバート・ゲーツが「(イランが核兵器開発を進めるのは)核保有国に囲まれているからだ。東にパキスタン、北にロシア、西にイスラエル、ペルシャ湾には我々(アメリカ)がいる」と発言。アメリカが初めてイスラエルの核保有について公言したことになるため、注目された。イスラエルのシモン・ペレス特別副首相はこれについて「イスラエルは核保有をこれまで確認したことはない」と従来の見解を繰り返した。しかし、12月11日、ドイツの衛星放送テレビ局「SAT1」のインタビューで、エフード・オルメルト首相は「イスラエルは、他国を脅かしたりしない。しかし、イランはイスラエルを地図上から消滅させると公言している。そのイランが核兵器を保有しようとしていて、フランス、アメリカ、ロシア、イスラエルと同じレベルで話し合えるはずがない」と、核保有を暗に認めたとも取れる発言を行った。オルメルトは、翌日のドイツのアンゲラ・メルケル首相との合同記者会見で核保有を否定したが、イランは非難声明を出した。
地理(詳細は「イスラエルの地理」を参照
地理上の特徴
  北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南にエジプトと接する。ガザ地区とヨルダン川西岸地区を支配するパレスチナ自治政府(パレスチナ国)とは南西および東で接する。西に地中海があり、南は紅海につながっている。ヨルダンとの国境付近に、世界的にも高濃度の塩湖である死海がある。
  イスラエルの支配地域は2万2,072km²である。国土は狭く、南北に細長い。南北には470キロメートルあるが、東西は一番離れた地点間でも135キロメートルである。車での走行時間は、北のメトゥーラから最南端の町エイラットまでは約9時間かかるが、西の地中海から東の死海までならば90分ほどしかかからない[241]ジュディアの丘陵にあるエルサレムから海岸沿いのテルアビブまで、また、標高835メートルにあるエルサレムから海抜下398メートルの死海までならば、1時間とかからない。
  地中海沿岸の平野部は肥沃な農地地帯となっている。また、平野部に国民の大半が住んでおり、工業施設の大半も平野部に存在する。地中海側のハイファからエルサレムにかけては人工知能(AI)などの新興企業4000社が集積し、アメリカ合衆国のシリコンバレーにちなんで「シリコン・ワディ」(ワディは谷を意味するヘブライ語)と呼ばれる。
  北部のガリラヤおよびゴラン高原は比較的豊富な雨量で、常に緑が保たれている。南部のネゲブ砂漠は国土のかなりの割合を占めており、乾燥し切り立った山々が存在する。
行政区画(詳細は「イスラエルの行政区画」を参照)
  イスラエルは7つの地区に分かれ、その下にが存在する(エルサレム地区とテルアビブ地区には存在しない)。郡には地方政府が設置されている。
イスラエルの地
  「イスラエルの地」を意味するエレツ・イスラエルは神がアブラハム、子のイサク、孫のヤコブと与えることを約束した「約束の地」を意味する。その範囲は創世記出エジプト記民数記エゼキエル書に記されている。現在のイスラエル国の領土よりも広い範囲であるが、大イスラエル主義者においては、これらの地域をイスラエルが支配すべき領域とみなす。第三次中東戦争において膨大な地域を占領すると大イスラエル主義は大いに広まった。イツハク・ラビン暗殺の理由も、オスロ合意は約束の地を売り渡す裏切り行為であると見られたからである。
経済
  IMFの統計によると、2019年のイスラエルのGDPは3,877億ドル(約42.5兆円)で、愛知県大阪府よりやや大きい経済規模である。1人あたりの名目GDPは42,823米ドル(2019年)で、40,847米ドルの日本より高い。イスラエルはOECD加盟国であり、いわゆる先進国である。貿易収支は慢性的な赤字となっているまた、イスラエルは中東のシリコンバレーとも呼ばれ、インテルマイクロソフトなどの世界的に有名な企業の研究所が軒を連ねる。大企業は少ないがベンチャー企業は多いことでも知られ、失敗を恐れない起業家精神に富んだイスラエルの国民性が影響していると考えられている。
  イスラエルは人口900万人程度の小さな国ではあるが、農業灌漑、そして様々なハイテクおよび電子ベンチャー産業において最先端の技術力を持つ。建国からしばらくは、キブツモシャブでの共同生活と、主導的立場にあった労働シオニズムの影響から社会主義的な経済体制であった。建国当時は産業基盤もないうえに周辺アラブ諸国との戦争状態にあるという悪条件であったが、ドイツの補償金やアメリカのユダヤ人社会から送られる寄付金など海外からの多額の資金援助を受けて経済を発展させていった。これが1980年代後半に入り、ヨーロッパ諸国およびアメリカと自由貿易協定を結ぶなど自由主義経済へと転換していき、1990年代の加速度的な経済成長をもたらした。2001年から2002年にかけて、ITバブルの崩壊とパレスチナ情勢の悪化により経済成長率がマイナスに転じるも、2003年以降は堅実な成長を続け、2008年のリーマン・ショック以降もプラス成長を維持している。2010年にはOECDに加盟した。またイスラエル経済の発展にはアメリカ政府からの累計で300億ドル以上という多大な経済援助が大きく寄与している。

  1990年、イスラエルへの直接投資は1.51億ドル、証券投資はマイナス1.71億ドルという慎ましいものだった。それが直接・証券ともに漸増していき、特に1998年から飛躍した。2000年には直接投資が52.7億ドル、証券投資がプラス46.13億ドルに達した。こうした外資の集中投下がイスラエルの経済成長率を回復させた。2011 - 2013年の間にはAppleAlphabetマイクロソフトフェイスブックAmazon.comTwitterAOLYahoo!テスラNetflixスペースXブルーオリジンオラクルがイスラエルのベンチャーキャピタルを買収した。2012年でイスラエルのベンチャーキャピタル投資額は、総額でこそ8.67億ドル、英仏独とおよそ等しく、日本やカナダの5分の3程度である。アメリカの266.52億ドルには遠く及ばない。しかし、国内総生産比では合衆国の0.17%を引き離してイスラエルは0.36%である。
  イスラエルの農業技術は先進的で、国土のほとんどが砂漠または半砂漠で降雨量も少ないといった農業には厳しい環境ながら食糧のほとんどを自給でき、農産物の輸出も行う農業大国である。少ない水資源を有効に活用するため、水のリサイクルに力を入れ、リサイクル率は70%を超えているという。また水の利用効率が高い点滴灌漑を行っている。設備の制御は携帯電話などのモバイル機器からも可能であるという[263]。取水も効率的であり、ヨルダン川の流域は3%しかイスラエルを通っていないにもかかわらず60%を国内需要に充てている。

  海水淡水化にも優れた技術を持つ。2005年以降、地中海沿いに相次ぎ淡水化プラントを設置し、2017年時点ではイスラエルで消費される飲料水の8割が海水から作られている。車載型の海水淡水化装置も実用化している。イスラエルのウオータージェン社は大気中の水分から飲料水を作る技術を持ち、水道の漏水防止や運営管理などを海外で請け負う企業もある。こうした水関連技術の輸出額は2016年で約22億ドルと推定され、10年で3倍に増えた。2017年7月にはイスラエルを訪問したインドのナレンドラ・モディ首相と、水・農業分野の協力覚書を結んだ。
  ダイヤモンド産業はイスラエル経済を語るうえで重要な位置を占める。イスラエルはダイヤモンドの 流通拠点として世界的に有名であり、研磨ダイヤモンドの輸出額はイスラエルの総輸出額のうち約4分の1を占めている。イスラエルはダイヤモンド産業を政府主導で基幹産業へと発展させてきた。産業の確立にはユダヤ系資本のデビアスが貢献したが、デビアスとは後に対立を引き起こしてもいる。
  また兵器産業も経済に大きな影響を与えている。高度な技術の民間転用がハイテク産業を急成長させ、また兵器の輸出によって直接的な収入源ともなっている。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によればイスラエルは2008年から2012年のデータにおいて兵器の輸出元として世界10位となっている。またエルサレム・ポストは、2010年度の武器輸出額が72億ドルに上り、世界4位になったと報じた。2010年の時点では兵器製造企業は約200社ほど存在する。
  イスラエルの鉱業を支えているのは、カリ塩リン鉱石である。2003年の時点で、それぞれの世界シェアは5位(193万トン)、9位(102万トン)である。金属鉱物は採掘されていない。有機鉱物では亜炭原油天然ガスを産出するものの、国内消費量の1%未満にとどまる。天然ガスについては、イスラエル沖の東地中海に大規模ガス田が発見されており、ギリシャ企業のエネルジーン・オイル・アンド・ガス社が2019年にも採掘を始める計画である。
科学研究(詳細は「イスラエルの科学技術」を参照)
  イスラエルは、科学研究の水準が非常に高い。イスラエルは専門資格を持った人材資源が豊富であり、科学技術の研究開発に注がれる資金の額は、2007年度のデータではGDPとの比率でみると世界1位である。また国際的な研究協力も重視し、欧米諸国のみならず各国と積極的に連携を行っている。
  学とその周辺分野、ならびに生物工学の分野では極めて進んだ研究開発基盤を持ち、広範囲な研究に取り組んでいる。研究は大学医学部・各種国立研究機関をはじめ、医薬、生物工学、食品加工、医療機器、軍需産業の各メーカーの研究開発部門でも活発に行われている。イスラエルの研究水準の高さは世界によく知られており、海外の医学、科学分野、軍事技術の研究諸機関との相互交流も盛んである。臨床医学では、熱傷の治療について、高い水準を誇った他、幹細胞研究など、イスラエルが高いレベルを誇る領域は、枚挙にいとまが無い。こうした高い医学水準を背景にイスラエルでは医学上の様々な議題の国際会議が頻繁に開催されている。さらに軍需製品の性能・品質は世界に見ても非常に高く、このような科学技術の発展にはソ連崩壊による100万人近くの移民に多くの研究者・技術者が含まれていたことも大きく影響している。
  暗号理論の水準が高いとされ、インターネットのセキュリティーで重要な役割を演じるファイアウォール公開鍵の開発において、イスラエルは重要な役割を果たしてきた。また宇宙開発技術も高く、独自に人工衛星も打ち上げている。通常の人工衛星では地球の自転を利用して東向きに打ち上げられるが、イスラエルの衛星は西方以外に他国が存在するため、全て非効率的な西向きに打ち上げられている。また、2003年、イスラエル初の宇宙飛行士として空軍パイロットのイラン・ラモーン大佐がアメリカのスペースシャトルコロンビア」で宇宙に飛び立ったが、大気圏再突入時の空中分解事故により亡くなった。
貧困問題
  先進国とされているイスラエルだが、深刻な貧困問題を抱えている。イスラエルには1954年に制定された『国民健康法』に基づき、収入が最低基準以下の世帯と個人に対しては国民保険機構から補助金が支給されている。また、児童手当も支給されており、特に4人以上の子どもがいる家庭には手厚い福祉が施されている。しかしイスラエルは、かねてから所得格差が大きいことや貧困に苦しむ国民が多いことが指摘されていた。2010年12月22日の『ハアレツ』紙によると、イスラエルの全人口のうち、およそ177万人が貧困状態にあり、うち85万人は子どもであるという。貧困状態にある世帯の約75%は日々の食料にも事欠いているとされ、きわめて深刻な実態が浮き彫りとなった。貧困状態にある子供たちの中には物乞いをしたり、親に盗みを働くよう強制されたりする事例もあるという。イスラエルの中央統計局と福祉省の調査によると、2011年に福祉省に助成を求めた世帯の割合は28%で、これは1998年と比べて75%の増加にあたるという。
  貧しい子どもたちのために無料給食や補講などを実施している学校エル・ハ=マーヤン」の運営母体である超正統派政党「シャス」のエリ・イシャイ党首は「国民保険制度研究所さえ、政府の俸給を増やすことのみが貧困を解消する唯一の方法と断定した。このようなほかの政府機関からかけ離れた見通しが長きに渡ってなされているのは恥である」と述べた。また、中道左派政党「労働党」の議員であるシェリー・ヤシモビッチはイスラエル国内でのワーキングプアの増大を指摘している。また、左派政党「メレツ」のハイム・オロン党首は「政府は(資本主義における)結果的格差を肯定しているが、貧困の根本原因を取り除かなければならない」と指摘している。

  2011年7月30日には、イスラエル国内で住宅価格や生活費の高騰、貧富の格差に対して抗議する15万人規模のデモが起きている。左派系のみでなく、保守系の人々も多数参加した極めて大規模なものである。8月6日には、最低賃金引上げなどを求め30万人規模のイスラエル建国至上最大の抗議運動が起きた。
  経済協力開発機構(OECD)が2013年にまとめた報告書では、イスラエルが全てのOECD加盟国の中で最も貧困率が高いことが記されている。また、同年10月に発表されたイスラエル中央統計局の報告書では、イスラエルの全人口のうち31%が貧困線以下の生活をしているという。また、同報告書ではイスラエルの子供の40%が貧困に直面しているとしている。また、2013年に入ってから多くのイスラエル人がアメリカ合衆国ドイツなどへ経済的理由から移住しているという。ヘブライ大学のモミー・ダハン教授は、この問題の背景として、イスラエル政府が社会保障や児童予算を削減し続けていることを指摘している。
国民(詳細は「イスラエルの人口統計」を参照)
民族と言語と宗教
  2013年のイスラエル中央統計局のデータでは、総人口は802万人である。そのうちユダヤ人が604万人(75.3%)、アラブ人が166万人(20.7%)、その他32万人(4.0%)となっている。アラブ人の大半はムスリムで、2009年のデータではアラブ人の78%がムスリムである。なお、イスラエルでは1970年に改正された『帰還法』により、ユダヤ人の定義を「ユダヤ教を信仰しているか、母親がユダヤ人のもの」としている。イスラエルは移民国家であり、出身地ごとに欧米系をアシュケナジム、アジア・アフリカ系をセファルディム、オリエント系をミズラヒムと呼び、同じユダヤ人でも異なる人種の場合もある(「ユダヤ人」も参照)。
  1990年から2009年までの統計によればユダヤ人の人口は減少傾向にあり、対してアラブ人は増加傾向にあるという。これはユダヤ人移民の減少によるものとイスラエル中央統計局は推測している。
  2割前後存在するアラブ人とユダヤ人との人種間では宗教上の理由もあり、交流は限定的なものとなっている。2015年の婚姻の統計例でみれば、結婚した58,000組のうちユダヤ系とアラブ系のカップルは23組にとどまっている。
  公用語はヘブライ語。ほかイディッシュ語アラビア語が使われる。アラビア語は法律に定められた公用語の一つであったが、2018年7月19日に除外された。
宗教(詳細は「イスラエルの宗教」および「イスラエルのイスラム教」を参照)
  イスラエルは宗教の自由を認めている。2004年のデータではユダヤ教徒が523.8万人(76.2%)、ムスリムが110.7万人(16.1%)、キリスト教徒が14.4万人(2.1%)、ドゥルーズ派が11.3万人(1.6%)、その他26.5万人(3.9%)となっている。信仰のあり方についても多様で、戒律を厳しく守ろうとするユダヤ教徒は20%、ある程度個人の自由で守るものが多数派で60%、全く守ろうとしないものも20%いる。
  キリスト教徒の多くは東方正教会エルサレム総主教庁ないしはローマ・カトリックの信者が多いがコプト正教会アルメニア正教会などの信者もいる。一部のユダヤ人の中にはイエス・キリストメシアとする「メシアニック・ジュダイズム」の人々もいる。
言語(詳細は「イスラエルの言語」を参照 「ウルパン」および「イスラエルにおけるロシア語」も参照)
  現代イスラエルの公用語であるヘブライ語は、古代ヘブライ語を元に20世紀になって復元されたものである。全くの文章語となっていた言語が復元されて公用語にまでなったのは、これが唯一のケースである。
  上記の理由から、現代ヘブライ語の方言はないとされる。あるとすれば、他国からの移住者のネイティブ言語の影響による「なまり」や、各コミュニティーでの伝統的な(聖書ラビ文学の朗読、礼拝などに用いる音声言語化された文語としての)ヘブライ語の発音などがそれにあたる。
  イスラエル中北部やヨルダン川西岸地区に多く住むアラブ人はアラビア語の「ヨルダン定住方言」(アラビア語方言学の名称と思われるが、多分に反シオニズム的表現であると思われる。「パレスチナ方言」「イスラエル方言」という表現も可能である)を、イスラエル南部に多いアラブ人は「ネゲヴ・ベドウィン方言」を、エルサレムのアラブ人は「エルサレム方言」を、ゴラン高原の住民は「ハウラン方言」を話し、全てシリアからシナイ半島にかけて話される「シリア・パレスチナ方言」の一部であるとされる。また、西岸地区ではサマリア語の新聞も出されている。テルアビブ市内にはヘブライ語に並んでロシア語の看板なども多く見られる。
「ユダヤ人」の多様性
  ユダヤ人は、主に出身地ごとに大まかなグループに分類される。
アシュケナジム
  おもにドイツ語イディッシュ語を母語とするドイツ・東欧からの移民で、エリート層を占める。イスラエル独立以前からの移民はアシュケナジームが多く、都市は西洋風である。無神論者も多い(アシュケナジム・セファルディムとは、シナゴーグや生活面での宗教的伝統、言語的な違いなどによる呼称であって、そういう民族がいるわけではない)。独立以降は旧ソ連・ロシアからの移民が大半を占め、全ユダヤ人の2割を占めている。
セファルディム(イベリア系、イタリアオランダ南米、かつてのオスマン帝国領域)
  東アフリカ北アフリカなどのイスラム教圏、地中海や北海バルト海などのヨーロッパ沿海部からの移民(および欧州から中南米への移民を経てパレスチナ地域に再移住した移民)が多い。失業率も高く、多くは辺境の砂漠地帯での居住・生活を甘受している。イスラエル国家の独立後に移住してきた場合が多い。ユダヤ教の戒律を重視する人が比較的多いが、イスラム教徒はおおむねユダヤ教徒やキリスト教徒を同じ「啓典の民」として敬意を示すため、迫害されることは少なく、ユダヤ教徒としての伝統に則した暮らしを続けてきたからである。
ミズラヒム(山岳ユダヤ人ジョージア(グルジア)、インド、ブハラ、イラン、アラブ世界イエメンエチオピアなどのオリエント系移民の総称)
  イスラエルには現在主席ラビが2つしかないため、アシュケナジム・セファルディムで総称されることが多いが、セファルディムとミズラヒムは本来は別のものである。ただ、セファルディムの故郷も一時はミズラヒムと同じイスラム圏に属したこともあり、居住地から、身体的形質や使用言語・宗教的慣習などでも類似性・共通性はある。セファルディム・ミズラヒムは国民の40%弱を占め、ミズラヒムのうち最大グループはモロッコ出身のユダヤ人である。
サマリア人 現在ではユダヤ教徒の一派として認められている。
カライムクリムチャク人 ハザールとの関連も唱えられるテュルク系言語の話者。
  その他、ユダヤ教に改宗した人々(ブラック・ジューミゾ)などもユダヤ教徒として住んでいる。
非ユダヤ人への反応
  21世紀に入って以降、アフリカのエリトリアスーダン南スーダンなどからシナイ半島を経由してイスラエルに不法入国する人々が後を絶たない。2012年時点、アフリカ系移民の人口は約6万人と推測されている。これは、母国での深刻な貧困や紛争などから逃れるためという側面があるが、イスラエル国内ではこの不法移民の扱いについて大きな議論を呼んでいる。「ユダヤ人国家」を穢されると懸念する右派勢力は移民排斥を訴え、特に過激なグループ(カハネ主義者)たちは不法移民の滞在するアパートに放火したり、移民に暴力を振るったりしている。しかし、一方でホロコーストの記憶を有する国として、移民には寛容であるべきという意見もある。
  一部のユダヤ人による、アラブ系イスラエル人への襲撃事件が相次いでいる。アラブ系イスラエル人への敵視は政府内でも目立ってきており、2015年3月17日アヴィグドール・リーベルマン外相が、イスラエル国家に忠誠を誓わないアラブ系イスラエル人は「斬首の刑」に処すべきだと発言し問題となったが、イスラエルの右派はこの演説を聞いて熱狂した。
  イスラエルには13万5,000人のエチオピア系市民がいるが、彼らは日常的に暴力を受けている。エチオピア系兵士が警察官2人から暴行される様子が撮影されたビデオが公開されたことをきっかけに、2015年5月3日、テルアビブで大規模なデモが発生、参加者の一部は暴徒化した。ネタニヤフ首相はエチオピア系市民の指導者と会談し、差別の撤廃を約束した。
  2015年5月20日、イスラエルは一部のバス路線でパレスチナ人イスラエル人と同じバスに乗ることを禁止する措置を取った。これについて、人権団体などは南アフリカの人種隔離政策アパルトヘイトと同じだと強く批判。この措置は、運用の数時間後に撤回された。
  2018年7月19日クネセトで可決したユダヤ国民国家基本法(国籍法では、民族自決権を持つのはユダヤ人のみと明確に限定した。公用語もヘブライ語のみとして、パレスチナ・アラビア系住民が主な話者のアラビア語は「特別な地位」を持つとしたが、公用語からは外された。
社会
社会福祉
  健康保険は1995年に、国民新保健医療法(NHCL)が成立し18歳以上の全国民に加入を義務づける国民皆保険となっている。社会福祉支出はOECDの2012年のデータによると、2007年と比べ21.2%増加しているものの、GDP比15.8%でOECD諸国平均21.9%より低い値となっている。相対的貧困率は2012年のデータで20.9%とOECD諸国でもっとも貧困率が高い。しかし、2012年の人間開発指数は0.900の「非常に高い」となっており世界16位である。
  聖書には「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」という言葉もあり、子どもに対しては特別の配慮が払われている。出産に関しては不妊治療が45歳まで健康保険の対象項目となっており、大きな病院には大抵の場合体外受精科が存在する。実際に体外受精は広く行われており、ヨーロッパ生殖医学学会(ESHRE)が刊行する Human Reproduction Update の2002年号では、イスラエルの体外受精実施件数は100万人あたり1,657件と報告している。2位のアイスランドの899件を大きく引き離している。女性1人あたりの平均出産数(合計特殊出生率)はOECDの調査によれば2011年のデータでは3.0となり、OECD諸国平均の1.7を大きく上回っている。一般家庭には児童手当も支払われている。また児童虐待について、NICHDプロトコルを用いた司法面接を1998年に国家で採用している。
  出生時平均余命はOECDの2013年に公表されたデータによれば、2011年度は81.8歳となっており、先進国の中でも9位となっている。また、国連開発計画の2012年のデータによれば81.9歳で、世界で7位となっている。
  長寿国であるため高齢者問題も大きな課題となってきている。特に旧ソ連からはソ連崩壊に伴い、100万人近くが移民してきたが、そのうち12%以上が65歳以上の高齢者であったという。高齢者は公共交通の割引や減税を受けられ、また高齢者介護を理由に有給休暇を認める法律も制定されている。終末期医療については2006年に法律が制定され、尊厳死が認められている。2008年の時点では65歳以上の高齢者の割合は10.0%となっている。しかしこれはOECD諸国平均の14.4%よりは低い数値である。
教育(詳細は「イスラエルの教育」を参照)
  イスラエルは「ジューイッシュ・マザー(ユダヤ人の母)」という言葉が教育ママを意味するように、教育が重視されている。これにはユダヤ人が歴史的に教育熱心であったという背景もある。イスラエルの教育は小学校6年、中学校3年、高等学校3年の6-3-3制である。義務教育は5歳から始まり、義務教育期間は5歳から18歳までである。1949年に義務教育に関する法が施行された時点では5歳から15歳までであったが、法改正により18歳までとなっている。この期間延長は徐々に移行が進んでおり、イスラエル政府は2014年か2015年には全国に適用させる予定としている。義務教育期間と高等学校までの学費は無料である。18歳になると通常は兵役に就き、その後進学する者は大学に入学することになる。入学にはアメリカのSATに類似した試験が年に4回ある。兵役後も海外旅行などで見聞を広めてから大学に進学するものも多い。そのため、大学生の平均年齢は高くなっている。大学(ウニバルシタ)はすべて公立であり、比較的安価で高等教育を受けることができる。ほとんどの大学生はダブルメジャー(2つの専攻)で、平均3年で学位を取得する。また、専門学校(ミクララ)が各地に存在する。教育水準は高いが、欧米との結びつきが強いためか、優秀な研究者がイスラエルを離れ海外移住することも多く、この頭脳流出は大きな問題となっている。
結婚
  イスラエルは宗教婚のみ認めており、民事婚は認めていない。ユダヤ教はもちろんイスラム教など各宗教ごとに宗教裁判所が存在し、婚姻などを管轄している。ユダヤ教においては超正統派が婚姻を司っており、宗教法により異教徒間の結婚は認められない。そのためユダヤ教徒以外のものと結婚する場合やその他の事情がある場合は、海外で結婚し、帰国後に結婚証明書を役所に提出するという国外結婚の形をとる。国外結婚はキプロスで行うものが最も多く、毎年1000組ほどが結婚を行うという。
  結婚の際、伝統的には女性は婚姻に際して夫の姓を称する(夫婦同姓)が、いつでも自己の未婚時の姓または従前の夫の姓を夫の姓に付加(結合姓)することができ、また、未婚時の姓または従前の姓のみを称する(夫婦別姓)こともできる。
スポーツ(詳細は「イスラエルのスポーツ」を参照)
  イスラエルでもスポーツは盛んであるが、サッカーが最もメジャーなスポーツである(国内リーグはイスラエル・プレミアリーグである)。また、1954年よりプロバスケットボール「イスラエル・バスケットボール・スーパーリーグ」が開かれており、加盟クラブの一つマッカビ・テルアビブBCユーロリーグで唯一連覇を果たしている屈指の強豪である。イスラエルにはプロレスリングプロボクシングがない(イスラエル人のキックボクサー総合格闘家はいる)。かつては競馬もなかったが、2006年10月に初めて開催された。ただし、金銭を賭けることは禁止されているため入場者は馬が走る姿や馬術競技を観戦するだけの純粋なスポーツとして今のところ行われている。また、最近では柔道も盛んである。
  野球は国内で約3,000人が行っている。2007年6月24日に同国初のプロ野球「イスラエルベースボールリーグ」の開幕戦が行われたが、1年ともたず中止になった。なお中止から5年後、「ベースボールプレミアリーグ」として野球リーグが再開された。2016年9月22日より4日間にわたり開催された2017 ワールド・ベースボール・クラシック予選4組において優勝し、本選への初出場を果たした。このときのイスラエル代表は主に米国出身のユダヤ系の野球選手からなり、メジャーリーグベースボール(MLB)での所属経験のある選手も少なくなく、2017年3月の本選では1次ラウンドA組を3連勝で1位通過し2次ラウンドまで進出した。

  イスラエルサッカー協会は、現在は欧州サッカー連盟(UEFA)に加盟している。イスラエルは地勢的にはアジアの国であり、1954年5月8日にほかの12か国とともにアジアサッカー連盟(AFC)を設立したが、すぐには加盟せず、2年後の1956年にAFCに加盟した(AFCは政治的配慮により現在もなお、イスラエルサッカー協会をAFC創立メンバーとしては認めていない)。だが、イスラエル=アラブ紛争(パレスチナ問題および中東戦争など)により周辺アラブ諸国との関係が悪化し、アラブ諸国(ほかにインドネシア北朝鮮中国)を中心としたボイコット(対戦拒否、大会参加拒否)が激化した。1973年10月に第四次中東戦争が起こると、もはや対戦不可能な状態に陥った。そして、1974年9月14日、イランアジア大会の開催期間中にイランの首都テヘランで開催されたAFC総会でAFCから除名された。AFC除名以降は、地域連盟未所属のまま活動し、FIFAワールドカップアジア・オセアニア予選へ組み込まれたり、オセアニアサッカー連盟(OFC)の暫定メンバーとなるなどの紆余曲折を経て、1992年にUEFAに加盟した。これはイスラエルオリンピック委員会についても同様で、かつてはアジア競技連盟(のちのアジアオリンピック評議会)に所属していたものの、その後ヨーロッパオリンピック委員会に加入した。





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