幼児虐待・惨殺・事件etc.問題



2019.8.22-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/affairs/news/190822/afr1908220004-n1.html
政府、京アニ寄付者の税軽減へ 災害義援金と同じ扱い 「地方公共団体への寄付金」位置づけ
(1)
アニメ制作会社「京都アニメーション」(本社・京都府宇治市)の放火殺人事件をめぐり、政府が被害者らへの寄付金を「地方公共団体に対する寄付金」と位置付け、税額控除制度を活用して寄付者の税負担を軽減する方向で調整していることが21日、分かった。犯罪被害に関する寄付金を災害義援金と同じように扱うことは異例。特に企業が寄付しやすい環境をつくる狙いがあり、支出金の全額を決算時に損金として算入できる制度を活用する。
 7月18日に発生した事件では35人が犠牲になった。貴重な人材や制作拠点を失った京アニには、アニメファンなど個人だけでなく、国内外の企業からも支援の申し出が相次いでいる。
 京アニが開設した専用口座には、業界団体などの見舞金や募金を含めるとすでに20億円以上が集まり、今後さらに増える見通しだ。
 ただ、企業の寄付は法人税法上、原則として資本金などに応じて算出する一定の限度額しか所得から差し引くことができない。企業による寄付が無制限に行われ、所得額を低く抑えられれば法人税収の減少につながるためだ。寄付を検討する企業は少なくないが、税制上の優遇措置がないため、これまで判断が慎重になるケースがあった。
 さらに、京アニの口座にある支援金は収益とみなされ、京アニ側の課税対象となる。遺族や負傷者への補償に加え、会社の再建を急ぐ京アニにとって、想定外の税負担が今後の復旧の足かせになるおそれもある。
(2)
政府は、世界に誇るコンテンツ産業を担う京アニの事件が放火による不慮の出来事である上、京アニへの寄付は不特定多数の被害者を対象としていることから、災害義援金と同じ優遇制度を適用する方向だ。
 寄付金の全額を損金算入できるようにすることで、京アニ支援に前向きな企業の社会貢献を後押しする。同時に寄付金の受け入れ先を自治体などとして京アニ本体から離し、同社の課税額も軽減する。今後、京都府や国税庁などと調整した上で寄付の枠組みを最終決定し、支援金の募集要項や配分方法などをつめる。


2019.8.2-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/affairs/news/190802/afr1908020022-n1.html
京都府警が京アニ犠牲者10人の身元を公表

京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」(京アニ、本社・京都府宇治市)の第1スタジオで起きた放火殺人事件で、京都府警は2日、亡くなった35人のうち、遺族側の了承が得られたとして10人の身元を公表した。事件発生から16日目の公表。府警は「遺族と会社の意向を聞きながら慎重に進めてきた」と説明した。府警は残る25人についても遺族らに理解を求めた上で公表する方針。
 府警が公表したのは、テレビアニメ「らき☆すた」の監督を務めた京アニ取締役、武本康弘さん(47)▽京アニ初のオリジナル作品「MUNTO(ムント)」で監督を務めるなどしたベテランアニメーター、木(き)上(がみ)益(よし)治(じ)さん(61)▽人気アニメ「Free!」の総作画監督、西屋太(ふと)志(し)さん(37)-ら22~61歳の男性6人と女性4人。

 府警は7月18日の事件発生後、DNA型鑑定などで犠牲者の身元の確認を進め、1週間後の25日にはその時点で亡くなっていた34人の身元を全て特定した。府警は並行し、犠牲者の家族や被害者のケアを行う約100人態勢の「被害者支援班」を立ち上げ、遺族へのサポートに当たるとともに、被害者家族や京アニと公表方法についても協議。その結果、遺族の了承を得たとしてこの日、10人の身元公表に至った。一方、府警は公表後、1人の遺族から匿名での報道を希望するとの連絡があったと明らかにした。
 事件は18日午前10時半ごろ発生。府警が殺人などの容疑で逮捕状を取得した青葉真司容疑者(41)が侵入してガソリンをまいた後に爆発が起こり、鉄筋コンクリート3階建てが全焼し、35人が死亡し、33人が負傷。青葉容疑者も全身やけどで治療中で事情が聴けていない。


2019.7.20-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/west/news/190720/wst1907200023-n1.html
京アニ放火の青葉容疑者に逮捕状、京都府警

京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」(本社・京都府宇治市)のスタジオの放火事件で、京都府警が20日、殺人や現住建造物等放火などの疑いで、青葉真司容疑者(41)の逮捕状を取ったことがわかった。青葉容疑者は全身に重いやけどを負って、同日、京都市内の病院から大阪府内の病院に転院しており、府警は青葉容疑者が回復次第、逮捕する方針。


2019.7.20-産経新聞-https://www.sankei.com/west/news/190720/wst1907200010-n1.html
京アニ放火 容疑者と直接トラブル確認できず 一方的な恨み募らせたか

京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」(本社・京都府宇治市)のスタジオで18日発生した放火事件で、火をつけたとして京都府警が身柄を確保した青葉真司容疑者(41)と同社の間に直接的なトラブルが確認されていないことが20日、分かった。就業歴や作品の応募などもなく、京都府警は青葉容疑者が一方的な恨みを募らせていた可能性もあるとみて調べを進めている。
 取材に応じた同社の八田(はった)英明社長は20日午前、「われわれも混乱している状況だ」としたうえで、青葉容疑者について「過去にトラブルもなかったし、作品の応募なども受け付けていない。名前も知らず、一切の関わりがない」と説明した。
 青葉容疑者は身柄を確保された際、「小説を盗んだから放火した」という内容の供述をしていたが、現在は全身やけどで入院しており、発言の真意は判然としていない。京都府警によると、確保時には警察官に対し「おれをパクるんか」とも供述していたという。

青葉容疑者はやけどの症状が重く、高度な治療が必要なため、京都府内の病院から大阪府内の病院にヘリで移送された。 一方、現場検証の結果、建物の1階から3階までをつなぐらせん階段の1階付近の燃え方が特に激しいことが判明した。らせん階段をつたって炎が燃え広がったとみられ、府警は出火当時の状況を詳しく調べている。
 捜査関係者によると、男はスタジオに侵入してすぐに液体をまき、直後に爆発が起きたとみられる。京都市消防局によると、スタジオは1階から3階までつなぐらせん階段があり、吹き抜け構造となっていた。
 火災は18日午前10時半ごろ発生。男が侵入して「死ね」と叫んで液体をまいた後に爆発が起こり、鉄骨コンクリート3階建て建物がほぼ全焼し、34人が死亡、34人が負傷している。


2019.7.19-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/affairs/news/190718/afr1907180058-n1.html
京アニ火災 死者33人に 確保の男は一時埼玉在住

18日午前10時半ごろ、アニメ制作会社「京都アニメーション」(本社・京都府宇治市)の京都市伏見区桃山町因幡にあるスタジオから出火、3階建ての建物が燃えた。京都市消防局はこの火事で33人の死亡を確認したと発表した。ほかに35人が負傷し、京都市内の病院に搬送された。うち10人が重傷という。京都府警は、スタジオでガソリンのような液体をまき火を付けた男(41)の身柄を確保。男は放火を認める趣旨の発言をしており、放火殺人事件として調べている。
 警察庁によると、放火事件の犠牲者数としては平成以降最悪。男は顔や胸の付近にやけどを負っており、市内の病院に搬送された。府警は男を逮捕しておらず、男の身元について明らかにしていないが、京都アニメーションの関係者ではないと説明している。捜査関係者によると、男は一時埼玉県に住んでいたことがあるという。府警は男の回復を待って詳しい事情や動機を聴く方針。
 府警によると、男は液体をまき、火を付けた後に逃走。スタジオから約100メートル離れた路上で座り込んでいたところを、京都アニメーションの従業員が確保し、警察官に引き渡した。「死ね」と叫びながら放火したとの目撃情報もある。
 現場付近からは数本の包丁やハンマー、カバン、ガソリンの携行缶、台車などが見つかったという。台車で携行缶などを運んだ可能性がある。現場近くのガソリンスタンドでは18日午前、携行缶を持ってガソリンを買いに来た男がいたとの情報もあり、関連を捜査している。
 府警によると、出火時、スタジオには従業員ら75人がいた。府警は死亡が確認された33人について、12人が男性、20人が女性、1人は性別不明だったと明らかにした。発見場所は、2人が1階、11人が2階、1人が2階から3階に上がる階段、19人が3階から屋上に上がる階段だった。

 総務省消防庁は18日、職員ら5人を現地に派遣した。市消防局と連携し、建物の構造や多数の死傷者が出た経緯を調査する。 平成以降の放火事件としてはこれまで、20年10月に大阪市浪速区の個室ビデオ店で客16人が死亡した事件が最悪の犠牲者数だった。 燃えた建物はアニメ制作の現場の第1スタジオで、京阪宇治線六地蔵駅のすぐ北の住宅街。火事は午後3時20分ごろに鎮圧された。


京都アニメーション放火事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

京都アニメーション放火事件は、2019年令和元年)7月18日京都府京都市伏見区で発生した放火殺人事件。京都アニメーション第1スタジオに男が侵入し、ガソリンを撒いて放火したことにより、京都アニメーションの関係者に多数の死傷者が発生した。同日22時時点で死者は33名に上り警視庁によると、放火と断定された事件としては平成期以降最多の死者数となった。

事件発生までの状況
京都アニメーションには数年前から作品への批判やスタッフへの殺害予告が相次いでおり、その都度警察弁護士へ相談し、対処していたという。ただし、「ネタをパクった」という内容のメールは届いていなかったという。また、第1スタジオは通常、専用カードを使って出入りするセキュリティが採られていたが、事件当日は訪問客のため朝からセキュリティを解除していた

事件概要
2019年7月18日の午前10時半(日本時間[8])ごろ、京都アニメーション第1スタジオ(地上3階建て、延べ面積691.02 m2)に男が侵入し、ガソリンを建物1階や従業員などにかけライターで着火、爆発を伴う火災が発生した。ガソリンは事件直前に付近のガソリンスタンドから20リットルサイズの携行缶2個へ給油する形で購入し、付近で携行缶からバケツに移し替えて台車で運び込んだと見られる。また、現場からは包丁数本やハンマーの入ったリュックサックが発見された

目撃情報によると、男は建物に入った直後に火をつけながら「死ね」と叫んだという。男は現場から逃走したが、スタジオから100メートル離れた京阪電鉄六地蔵駅付近で京都府警察により身柄を確保された。このとき、警察の問いかけに対し「ガソリンを撒いてライターで火をつけた」と供述している。また、怒った様子で「パクりやがって」と大声で叫ぶ姿が地域住民に目撃されており、捜査関係者によると「(京都アニメーションが)小説を盗んだから火を付けた」という旨の供述だったとされる。男は足や胸、顔などに火傷を負うなどの負傷をしていたため病院に搬送された

被害状況
18日22時00分の総務省消防庁発表によると、当時京都アニメーション第1スタジオ内にいた76名の内、人的被害は69名、うち33名の死亡が確認された。死者の発見場所は、1階2人、2階11人、2階から3階への階段に1人、3階から屋上への階段に19人であった。事件発生当時、建物には70人を超える従業員らがいた。死因は一酸化炭素中毒がほとんどという
身柄を確保された男についても、搬送後に容体が急変。意識不明の重篤な状態となり、麻酔管理下にあると報道された。また、第1スタジオは全焼し、保管されていた過去の作画や資料などはすべて焼失したとみられる

行政機関等の対応
10時35分に京都市消防局が火災を覚知。応急救護拠点開設のための高度救急救護車等を含む消防車・救急車49台を出動させ、約20時間にわたる消火・救急活動を行った
総務省消防庁は事態を受け、同日12時30分に本庁第1次応急態勢に移行し、災害対策室を設置した。17時に火災原因の究明を目的として消防庁職員3名・消防研究センター職員2名の現場への派遣を決定した
消火・救助にあたっていた京都市消防局は、15時19分、火災の鎮圧を宣言した。翌19日6時20分頃、約20時間に及んだ火災の鎮火を発表した

捜査
2019年7月19日京都府警察刑事部捜査第一課と伏見警察署は事件を放火殺人と断定し、京都府警察学校に100人体勢の捜査本部を設置
同日、京都府警察本部が身柄を確保された男の氏名を容疑者として公表。男が火傷の治療を受けているため、警察による氏名公表時点で男は逮捕されていないが、警察は「事案の重大性に鑑み容疑者の名前を公表した」と説明している
影響

・京都アニメーション制作による『Free!』の製作委員会は、2020年夏に公開予定の新作劇場版に関する続報公開を中止した
京阪電気鉄道は、『響け!ユーフォニアム』とのコラボ企画の延期を発表した]
毎日放送制作・TBS系列で放送中だった『炎炎ノ消防隊』は、本事件を彷彿とさせる内容となっていることを受け、7月20日に放送予定だった第3話の放送見送りを発表した

反応
・京都アニメーション社長の八田英明は、事件現場となった第1スタジオを「会社の核となる場所」としたうえで、「こんなことになり残念で断腸の思いだ」と述べ、「・・暴力行為に訴えてどうするのか。作品に批判があるならちゃんと主張すべきだ」と怒りをあらわにした
・アニメーション作家の新海誠や、京都アニメーション制作のアニメ『たまこまーけっと』において主人公の声を担当した洲崎綾、同じく京都アニメーション制作の・『映画 聲の形』に出演した小野賢章も火災について心配するコメントを寄せた
松竹の大角正映像本部長は「ジブリや東映アニメとは異なる独自スタイルでファンが手堅くいた。アニメは人力で作るだけに、これだけ有望なスタッフが多く亡くなると影響が見通せない」京都文化博物館の森脇清隆映像情報室長は「全ての原画を鉛筆で手書きして、CGとは異なる魂を込めていた。日本中のアニメーターの憧れの場なのに…」とコメントしている
・観光学を専門とする、近畿大学准教授の岡本健は「関西を舞台に具体的な場所の背景を忠実に描くことで、2000年代後半以降にファンがゆかりの地を訪ね歩く“聖地巡礼”ブームの礎を築いた。新たな文化を生んでおり、この惨事による経済的な影響も計りしれない」と述べている
アメリカでアニメ配給などを手がけているセンタイ・フィルムワークスは、クラウドファンディングサイト「GoFundMe」にて京都アニメーションへの支援を呼びかけた。目標金額は当初50万ドル(日本円で5400万円相当)としていたが開始からおよそ5時間で7200人余りから24万ドルの寄付が集まり、同日23時ごろには当初の目標を達成した
・アニメ・コミック関連商品の販売チェーン店アニメイトでは、事件翌日より全国のアニメイト各店の店頭で京都アニメーションへの支援のための募金を開始することを発表した。終了時期は未定
・京都アニメーション制作のアニメ『Free!』のロケ参考地が鳥取県岩美町であることから、鳥取県観光連盟(まんが王国とっとり)が事件翌日より鳥取県庁及び
・各総合事務所の計4ヶ所に京都アニメーションへの支援のための募金箱を設置した。また、岩美町観光協会も県の取り組みとは別に同日より岩美町観光会館など町内6ヶ所に募金箱を設置した。
日本アニメーション協会は報道機関などに「慎重かつ冷静な報道」をするよう公式Twitterアカウントで要請した。インターネットニュースサイトのねとらぼは、アニメファンを犯罪者予備軍のように扱う、といった報道がなされることを不安視する声がSNS上にあると報じた。
カナダジャスティン・トルドー首相台湾中華民国総統蔡英文といった海外の要人や、駐日フランス大使ローラン・ピック駐日中華人民共和国大使館駐日スペイン大使館駐日アメリカ合衆国大使ウィリアム・F・ハガティといった駐日外国公館・外交官から、多くの弔意が寄せられた
ほか著名人では、米アップル社のCEOであるティム・クックフィギュアスケート選手のジョニー・ウィアーが哀悼の意を表した。


2019.6.27-朝日新聞DIGITAL-https://www.asahi.com/articles/ASM6S3TCCM6SUDCB006.html
心愛さん虐待死、傷害幇助罪の母親に猶予判決 千葉地裁
(松本江里加)

  千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死したとされる事件で、傷害幇助(ほうじょ)罪に問われた母親のなぎさ被告(32)の判決が26日、千葉地裁であった。小池健治裁判長は懲役2年6カ月保護観察付き執行猶予5年(求刑懲役2年)を言い渡した。

 判決によると、父親の勇一郎被告(41)=傷害致死罪などで起訴=は1月22~24日、心愛さんを長時間立たせたり冷水を浴びせたりしたほか、背中に座って体を反らせるなどの虐待を加え、飢餓と強いストレスによる病的状態に陥らせた。なぎさ被告はこうした虐待を制止せず、食事を与えないなどで手助けした。心愛さんは24日深夜、自宅の浴室で死亡した状態で発見された。
 判決で、小池裁判長は「父から虐待を受け、母からも助けてもらえず、心愛さんが感じた絶望感は計り知れない」と指摘した。DV(家庭内暴力)の影響については「精神的に脆弱(ぜいじゃく)で、夫の支配的な言動に強い影響を受け、一概に非難できない」と述べた。
 公判で検察側は、なぎさ被告が夫の指示で「お父さんにたたかれたというのは、うそです」という虚偽の内容の書面を心愛さんに書かせたり、「勝手にお茶を飲もうとしている。むかつくね」と心愛さんの行動を夫にLINE(ライン)で報告したりしたと指摘。「守るべき立場であったのに心身両面で苦しませた。DVの事情を踏まえても虐待を容認することは許されない」として実刑を求刑していた。
 弁護側は、事実関係に争いはないとした上で「被告はDVの影響が大きく、逆らうことは困難だった」と主張し、執行猶予付きの判決を求めていた。なぎさ被告は法廷で「(夫の指示は)絶対にやらなくてはいけない気持ちになる。怒られると思ったから」などと語っていた。
 勇一郎被告は裁判員裁判が予定され、21日に第1回公判前整理手続きがあった。次回は7月24日に予定されている。


2019.6.27-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/affairs/news/190627/afr1906270005-n1.html
「新証拠」揺れる司法 逮捕から40年、鑑定に限界 大崎事件の再審棄却

逮捕から40年。昭和54年に鹿児島県大崎町で男性の遺体が見つかった大崎事件で、原口アヤ子さん(92)らの再審開始を認めなかった最高裁決定は、鑑定結果を厳格に判断し、再審の決め手となる「新証拠」にあたらないと判断した。かつて「開かずの扉」と言われた再審請求も近年は相次いで認められてきたが、今回の決定は、証拠の乏しい事件でのハードルの高さを浮き彫りにした。
 刑事訴訟法は、無罪にすべき明らかな証拠を新たに発見した場合、裁判のやり直しを認めている。かつては誤審だと確実に判断できるレベルの証拠を求められたが、昭和50年に最高裁が出した白鳥決定は、新旧証拠を総合的に判断した結果、「判決に合理的な疑問が生じれば足りる」と、緩やかな新基準を示した。近年は科学鑑定などを決め手に、再審開始が認められるケースが相次いでいた。
 原口さんを有罪とした確定判決の柱となるのは、共犯とされた元夫、元義弟、元おい(いずれも有罪確定)の自白▽「死因は窒息死」という解剖医の鑑定▽元義妹の目撃証言。弁護団は第3次再審請求審で(1)法医学鑑定(2)心理学鑑定を新証拠として提出した。
 (1)は、被害者が自転車ごと溝に転落した事故などによる出血性ショックで死亡した可能性が高い、とするもの。(2)は事件当日に共犯者の元義弟が「殺してきた」などというのを聞いたという元義妹の目撃証言は「体験に基づかない情報が含まれている可能性が高い」という内容だ。鹿児島地裁は(1)、(2)のいずれも確定判決に影響を与えると判断し、再審開始を決定した。福岡高裁宮崎支部は(2)を新証拠と認めなかったが、(1)を重視。死因が窒息死でなければ、これと矛盾する共犯者の自白や元義妹の証言の信用性には疑義が生じるとし、再審開始を支持した。
 一方、最高裁は、(1)の影響力に疑問を呈した。
 被害者の遺体は解剖の時点で腐敗が進み、「不鮮明」「不明」という所見が多数あった。さらに、(1)の鑑定人は遺体写真12枚のみで鑑定しており、鑑定の証明力には「限界があるといわざるをえない」と指摘。高裁支部は(1)を「決定的な意味を持つ証拠だと過大評価した」とした。高裁支部決定の屋台骨である(1)の証明力が否定された形だ。
 元東京高裁部総括判事の門野博弁護士は「再審請求審の法医学鑑定は、証拠が乏しい中で相応の判断を示している。共犯者の供述には変遷など不自然な点もあり(最高裁が)『相応に強固な信用性がある』としたのは疑問だ」と指摘。「総合的に検討すれば再審開始を支持すべきだった。最高裁は新証拠に要求するハードルを高く設定しているように見える」と話した。


大崎事件-wikipedia
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大崎事件は、1979年10月、鹿児島県曽於郡大崎町で起こった事件。1981年までに殺人事件として有罪が確定したが、死亡原因は殺人ではなく、転落による事故であり殺人罪は冤罪であるとの主張があり、再審請求が続けられている。第3次請求審においては、2019年6月に最高裁判所で初めてとなる再審取り消しの決定が5人の裁判官全員一致により下された

詳細
1979年10月15日、大崎町の自宅併設の牛小屋堆肥置き場で家主(農業、当時42歳)の遺体発見。その3日後の10月18日、被害者の隣に住む被害者の長兄(農業、当時52歳)と次兄(農業、当時50歳)が、殺人・死体遺棄容疑で逮捕。さらに10月27日に甥(次兄の息子)(当時25歳)を死体遺棄容疑、10月30日に長兄の妻(被害者の兄嫁(義理の姉)、農業、当時52歳)を殺人・死体遺棄容疑で逮捕。長兄の妻を主犯とし、長兄・次兄・甥とともに酒乱の被害者を保険金目的で殺害しようとしたとして起訴した。

1980年3月31日、鹿児島地裁は長兄の妻を主犯として被害者を西洋タオルで絞め殺して牛小屋堆肥置き場に死体を遺棄した殺人・死体遺棄罪で懲役10年、長兄に懲役8年、次兄に懲役7年、甥に懲役1年の判決。長兄の妻のみ即日控訴するも、同年10月14日、福岡高裁宮崎支部棄却。さらに即日上告するも、

  ・1981年1月30日、最高裁が棄却して、長兄の妻の懲役10年確定。
  ・1987年4月25日、次兄死亡。
  ・1990年7月17日、長兄の妻が刑期満了で出所。
  ・1993年10月2日、長兄死亡。
  ・1995年4月19日、長兄の妻が鹿児島地裁に再審請求。
  ・1997年9月19日には甥も同地裁に再審請求するも、2001年5月17日、自殺。
  ・2001年8月24日、甥の母親(次兄の元妻)が甥の請求を引き継ぎ再審請求するも、2004年、母親も死亡。

冤罪が疑われる事件で、知的障害精神障害の傾向がある共犯者らの自白の信用性が問題とされる。長兄の妻は捜査段階から公判ないし受刑中を含め一貫して現在まで事件への関与を否定し続けている。共犯者で実行犯とされる長兄・次兄・甥は、捜査段階において自白を獲得され、自らの公判でも否認することがなく、有罪を宣告した地裁判決に対し控訴することなく有罪判決を確定させた。しかし、彼らは自らの公判手続では罪を争わなかったものの、否認したため分離され、同じ裁判官によって同時進行していた再審請求人の公判審理において、証人として出廷した際、自ら訴追事件には一切関与していない旨を証言した。しかし、弁護人を含む立会い法曹には、自らの訴追事件に対する否認であると理解されることはなく、証言としても受け入れられなかった。甥は受刑後、事件への関与をすべて否定し、再審への道を探していたが、その道を得ることなく、将来に悲観して、自死するに至った。この共犯者とされる者らいずれも知的・精神的障害があるとされる。

第1次再審請求
再審請求を受けて鹿児島地裁は長兄の妻と甥の2人に対し2002年3月26日、再審開始を決定したが、2004年、甥の再審請求を引き継いでいた母親が死亡。甥については請求の引継ぎ者がなく、再審請求は長兄の妻のみとなる。即時抗告において福岡高裁宮崎支部は2004年12月19日、再審開始決定を取り消し。特別抗告において最高裁は2006年1月30日、即時抗告審の取り消し決定を支持した。
第2次再審請求
2010年8月に長兄の妻によって第2次再審請求が行われた。甥の母親の死後、再審請求は長兄の妻のみという状況が続いていたが、2011年8月には死亡した元夫の遺族も再審を請求した。第2次再審請求では共犯者の自白調書の疑問をつくための供述心理分析意見書を新証拠として提出している。また、弁護側は2012年12月、検察側が作成した未開示の証拠リストの開示を求める意見書などを鹿児島地裁に提出した2013年3月6日、鹿児島地裁は長兄の妻及び死亡した元夫の遺族の再審請求を棄却した。弁護側は即時抗告したが、2014年7月15日、福岡高裁宮崎支部は長兄の妻及び死亡した元夫の遺族の請求を棄却した。弁護側は決定を不服として特別抗告したが、2015年2月、最高裁判所はこれを退け、長兄の妻及び死亡した元夫の再審を認めない判断が確定した 
第3次再審請求
長兄の妻によって第3次再審請求が行われた。弁護側は遺体の解剖写真に基づく法医学者の鑑定書を新証拠として提出し、「窒息死の所見が見られず共犯者の『タオルで首を絞めて殺した』という供述と矛盾する」と指摘。また、「長兄の妻が親族に犯行を持ちかけるのを見た」とする別の親族の証言を否定する内容の心理学鑑定書も提出した。2017年6月28日、鹿児島地裁は共犯者らの自白について「捜査機関の誘導で変遷した疑いがあり、信用性は高くない」と判断し、長兄とその妻の再審開始を認めた[6]。福岡高裁宮崎支部でも再審が認められたが、最高裁判所は弁護側が新たに証拠として提出した鑑定結果の評価が誤っていたとして、2019年6月25日付で再審開始決定を取り消した。一、二審で認められた再審の開始を最高裁が覆した初のケースとされる


白鳥事件-wikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


白鳥事件は、1952年(昭和27年)1月21日北海道札幌市で発生した警察官射殺事件である。「逆コース」の最中に発生した事件であり、日本共産党による謀殺を主張する検察に対し、冤罪を主張する同党や自由法曹団が鋭く対立した。1963年(昭和38年)10月17日に日本共産党札幌軍事委員会[1]委員長への懲役刑が確定したものの[2][3]警察捜査の過程での証拠の捏造や自作自演が指摘されており、受刑者無罪を訴えて1965年(昭和40年)に再審請求し、更に最高裁判所特別抗告したが、新たな証拠が提出されたことなどにより、最終的に1975年(昭和50年)に最高裁判所に棄却されている。

  なお、再審制度においても『疑わしきは被告人の利益に』という刑事裁判の鉄則が適用されるとする判断をこのとき最高裁判所が下したことから、以後確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じれば再審を開始できるようになった。この判断は事件の名をとって「白鳥決定」と呼ばれる。
日本共産党による冤罪キャンペーンや松本清張の『日本の黒い霧』での推論、当局による証拠捏造疑惑などにより一般の間でも冤罪の声が強まったが、後年日本共産党の組織的犯行を示唆する資料や内部証言が報道されている

概要
  1952年(昭和27年)当時、「51年綱領」の採択を経て武装闘争路線を採っていた日本共産党による警察官襲撃事件が全国で相次いでいた。党札幌委員会では委員長の村上国治や副委員長のSが軍事方針を立て、「時間があり、頭も悪くない」北海道大学の学生らを中心に中核自衛隊を組織していた(ただし、鉄砲玉のような役割は労働者にやらせていた)。これに対し札幌市警察本部警備課課長であった白鳥一雄警部は市内の丸井百貨店で開催されていた丸木位里・赤松俊子の原爆の図の展示会を「占領軍の指示」として中断させたほか、ビラまきや座り込みデモを行う共産党員を多数検挙していた

  同年1月21日午後7時30分頃、札幌市[7]南6条西16丁目の路上で、自転車に乗る男が、同じく自転車で帰宅途上の白鳥に向けて後ろから拳銃を発砲し、心臓に銃弾を受けた白鳥は絶命した。犯人はそのまま自転車で逃走した。白鳥の体内から摘出された銃弾と現場に残された薬莢から、暗殺に使われたのは32口径ブローニング拳銃(国家地方警察本部科学捜査研究所の鑑定では「1912年型ブローニング拳銃」とされたが、実際にそのような型式は確認できないため、世界的に流通していた1910年型の誤りでないかといわれる)とされた
  自転車上で片手で拳銃を発射し急所に命中させるという、極めて難易度の高い犯行であったが、白鳥には事件前から「昨年はきさまのおかげでおれたちの仲間が監獄につながれた。この恨はきっとはらす。おれたちは極めて組織的にきさまをバラしてやる。」などと書かれた脅迫状が相次いで届いていたことから、捜査当局は日本共産党による犯行とみて捜査を開始した
事件発生後、共産党員が市内で「見よ、天誅遂に下る!」と書かれたビラを配布した。これに対し、事件の翌々日に党北海道地方委員の村上由が「『天誅を下す』なんて言葉はわれわれの辞書にはない」「われわれ地方委員会では二、三日中にデッチ上げということをはっきりさせたい」と関与を否定する声明を出したが、その翌日には「誰が白鳥事件の犯人であるかは知らない。党と事件の関係については何とも言えない。白鳥氏殺害は官憲の弾圧に抵抗して起きた愛国者の英雄的行為で個人的なテロではない。かく闘うことは愛国的行動である。白鳥を殺害した犯人は白鳥自身である」と、党の関与を曖昧にしながら一転して犯行を称賛する声明を出した
  事件直後の党指導部では、態度を決めかねたのか「共産党のやったことではないという日和見的な意見を克服して、党の意思の革命的統一を図る必要がある」「共産党のやったことではないということに、合法的宣伝は統一する」と指示が錯綜し、事件後に気勢を上げて過激なビラを撒いたり職安事務官を襲撃して川に投げ込むなどの「暴走」を始める党末端との違いが浮き彫りとなった
政権与党の対応は素早いもので、事件翌日の吉田茂首相は「現下の国際情勢を反映いたしまして、共産分子の国内の破壊活動は熾烈なるものがあると考えられるのであります。まことに治安上注意を要する次第であります。かかる事態に対処して、本国会に所要の法律案を提出する所存であります」と施政方針演説を行い、同年4月には破壊活動防止法を制定させた。当時共産党員による事件が連日報道され、日本共産党への国民の支持が失われていったが、それらの事件群の中には冤罪事件である菅生事件も含まれる
  某信用金庫元従業員の共産党員は「白鳥に不正を察知されたと考えたヒロポン中毒の信金理事長が殺し屋を差し向けた」と主張し(当該理事長はその後自殺している)、「軍用拳銃の闇市への横流しを知りすぎた白鳥が消された。証拠の弾丸をすり替えて事件を共産党のせいにした」などと怪情報が流された

  事件発生から4か月後、静岡県で警察の保護を受けていた行き倒れの青年が保釈中に逃走した共産党員と判明し、彼が検事らの情に絆されて情報提供したことにより事態が急展開する。白鳥殺害に関与しているとの情報が得られて党札幌地区委員らが逮捕され、更に共犯として逮捕されたTが「1月3日から1月4日頃に村上(国治)ら中核自衛隊でる北海道大学生7人が集まり、白鳥警部殺害の謀議を為した」と供述した。その過程において、面子にかけても犯人を逮捕しなければならなかった警察は、容疑者の誤認逮捕容疑者と別人の共産党員)をおかしたり、期限切れで釈放すると見せかけて迎えに来た父親の目の前で別件で再逮捕するなど手段を選ばずに容疑者を長期拘留捜査するなど、強引な捜査を行いながら調書を作成していったという。逮捕者の中には生涯精神を病む者も出た一方で、日本共産党も組織防衛に奔り、釈放された党員らを「査問」し、命の危機を感じた党員が逃亡して警察の庇護を受けるということも起きた
  しかし、村上らの逮捕後も犯行に用いられたとされるブローニング拳銃は発見されず、事件発生の2年前に幌見峠で射撃訓練した際の銃弾のみが唯一の物証として裁判に提出された。直接の実行犯とされた党員らは日本共産党の密航船群「人民艦隊」で不法出国し、当時日本と国交が無かった中華人民共和国へ逃亡している


市川一家4人殺人事件
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市川一家4人殺人事件1992年平成4年)3月5日夕方から翌3月6日朝にかけて千葉県市川市二丁目(行徳地区)にあるマンションで発生した強盗殺人殺人強盗強姦などの事件
加害者少年S(犯行当時19歳)は暴力団と女性関係を巡るトラブルを起こし、暴力団から要求された現金200万円を工面する目的で事件1か月前に強姦した少女(事件当時15歳)宅のマンションに侵入して一晩で少女の両親・祖母・妹の一家4人を殺害1人残された被害者遺族の少女を凄惨な殺害現場で強姦した
平成の少年犯罪では初の死刑確定執行事件(少年死刑囚)となった本事件は「10代の少年による底知れぬ残忍な犯行」として日本社会を震撼させ衝撃を与えるとともに]、その重大性から「少年法の在り方」などに論議を呼んだ

加害者・被害者
元死刑囚S(犯行当時19歳少年)
1973年昭和48年)1月30日生まれ。一連の事件で逮捕された当時、千葉県船橋市本中山のアパートに在住していた
刑事裁判で死刑が確定し、2017年(平成29年)12月19日に法務大臣上川陽子の死刑執行命令(2017年12月15日付)により収監先・東京拘置所死刑を執行された(44歳没)
ウナギの加工・販売業を営む母方の祖父Xの長女・母親Yと、結婚してXの店で働き市川市内に在住していた元サラリーマンの父親Zの間に長男として千葉県千葉市内で生まれた。出生当時は市川市内に居住していたが、後に両親が同県松戸市内に転居したことから同市内で幼少期を過ごした。1979年(昭和54年)4月、転居先の松戸市内の松戸市立和名ヶ谷小学校に入学し1980年(昭和55年)9月当時小学2年生の際に東京都江東区越中島に転居したことから、同区内の区立越中島小学校に転校した
しかし父Zが莫大な借金を抱えて義父Xの営む店に多大な損失を与えた上に暴力団員などによる厳しい借金の取り立てに遭ったことに加え、妻子に対しドメスティックバイオレンス(DV)・児童虐待を繰り返した。そのため母Y・5歳年下の弟とともに夜逃げ同然に家を出て葛飾区立石のアパートに移住し、母Yは1983年3月に父Zと調停離婚した。当時小学5年生だったSは、翌1983年(昭和58年)1月から葛飾区立清和小学校に通学したが、両親の離婚・生活環境の劣化・転校などから学校でいじめを受けるなど「不遇な生育環境」で不遇感を抱いて育った。
1985年(昭和60年)4月葛飾区立立石中学校に入学した。中学卒業後の1988年(昭和63年)4月堀越高等学校普通科大学進学コースに入学したが、わずか一年後の1989年(平成元年)5月31日付で中退した。
高校中退後は祖父Xの経営する鰻屋を手伝っていたが、母や弟への家庭内暴力不良仲間らとの徘徊行為・未成年者にも拘らず飲酒喫煙を行うなど生活は荒れていった。事件直前には本事件の被害者一家宅を知るきっかけとなった強姦事件を含め、多数の傷害・強姦・強姦致傷・恐喝・窃盗などの事件を起こしたほか、このころには鰻屋も無断欠勤して辞めていたためほぼ無職の身だった。逮捕当時は身長178cm・体重80kgと大柄の体格で、後の獄中生活により体重は120kgを超えており、弁護人・安田好弘は死刑囚Sの体格を「自分の体の横幅を2つぐらい並べたほどの大きな体格」と表現した。その上で安田は「あれだけ体が大きければ死刑執行の際にも刑務官はSの体を死刑台の上に持ち上げられないだろうし、それ以前に絞首刑執行用の絞縄もその体重に耐えられないだろう」と考えたため、死刑囚Sに対し「死刑執行回避のために体を大きくしろ」と提案していた。しかし実際に死刑が執行されたことを受け、安田は2018年1月25日に衆議院第二議員会館で開かれた死刑執行抗議集会にてこの死刑執行を「体重に耐えられるほどの絞縄を用意した上で予行練習を周到に行って死刑執行に臨んだのだろう」と推測した上で「国家による周到な用意の元に実行された計画的な殺人だ」と表現した
中学生時代から女性経験があり、アパートで独居を開始してからは3人の女性と同棲生活を試みたがいずれも短期間で相手に去られたため長続きしていなかった[判決文 1]。しかし鰻屋で働いていたころ、店の先輩から市川市内のフィリピンパブに連れて行かれたことがきっかけで複数のフィリピンパブに足しげく通うようになり、1991年7月ごろにはそのうちの1件で働いていたフィリピン国籍の女性(当時21歳、1970年10月29日生まれ)と知り合い、その女性とともにフィリピンまで赴いては1991年10月31日に正式に結婚し、日本に連れ帰って自宅アパートで同居していた。しかし妻は姉の病気を心配して事件直前1992年1月22日ごろにフィリピンに帰国して二度と日本に戻らなかった
#関連書籍で後述するように、本項目の出典となっている書籍・雑誌記事に死刑囚の実名が掲載されているが、本記事中では、死刑囚が初記述からイニシャル表記されている日本における収監中の死刑囚の一覧との表記矛盾の解消を兼ねて、それらの文献で記載されている実名の姓に基づくイニシャル「S」で表記する。なお、実名・イニシャルを掲載している一部文献で、実名の漢字が誤読され、読みが「S・M」となっている文献があるが正しくは「S・T」である

被害者一家
被害者一家は市川市幸二丁目の新興住宅街に建つ9階建てのマンションに住んでおり、「慎ましくも平穏な暮らしを営んでおり、本来ならば娘2人の成長を温かく見守りつつ会社の経営を盛り立てて平穏に生活できたはず」の家庭だった。現場マンションは営団地下鉄(現:東京メトロ東西線行徳駅から南東約2kmの東京湾に面した首都高速湾岸線千鳥町出入口付近に位置する
被害者男性Aは事件2年前の1990年ごろ、寄稿していた料理雑誌『月刊食堂』(柴田書店)の元編集長・玉谷純作に「ベルギーのペンションを買いたい。ベルギーならドイツにもフランスにもすぐに行ける。(事件の発生した)1992年にEC(欧州諸共同体)統合があるのであちらに拠点を持って活動したい」と話していたが、その夢はSの凶行によって無惨にも断ち切られた
一家4人の葬儀を仕切った住職は『東京新聞』の取材に対し「被害者4人の遺骨はA・Dそれぞれの親族に引き取られた」と証言した

男性A(死亡)
 1950年(昭和24年)8月10日生まれ、41歳没。事件7年前の1985年、写真週刊誌『Emma』(文藝春秋)記事に掲載された「当時ロス疑惑で注目を浴びていた三浦和義スワッピング・パーティーに参加した際のプライベート写真」を撮影したフリーランスのカメラマンであった
 1986年ごろから後述の女性Dと同居を開始し、その女性の子だった少女Bも我が子同然に可愛がっていた。1987年(昭和62年)3月に女性Dと結婚し、継子の少女Bを養子とした。同年8月には妻Dとともに行徳駅前のマンションを事務所として雑誌の出版・編集などの業務を行う株式会社を設立して取締役を務めており、社員を数人抱えるなど順調な経営ぶりだった。
 結婚後は「年ごろの娘を持つようになった」ためにそれまでの風俗関連から離れ、事件直前まで妻Dと共に料理雑誌・旅行雑誌の仕事を中心にしてレストラン・温泉地などの写真を撮影するフリーランスのカメラマンだった
 周囲の友人たちは生前の男性A・女性D夫妻の仲睦まじさを微笑ましく見ており、近隣住民は『読売新聞』の取材に対し、夫妻の人物像に関して「夫婦揃ってカメラボックスを抱えて事務所に出入りする姿を見ていた」と証言した
 Dが第一子を妊娠した際には「子供は何人いてもいい。立派な子供を産んでほしい」と喜んでいたが、後にDが流産してしまった際には「珍しく厳しい口調」で「仕事は二の次でいいから自分の体を大切にしてくれ」とDを諭していた
 その後長女(幼女E・後述)をもうけている。1992年3月5日午後9時40分ごろに帰宅した直後、背後からSに左肩を刺されて致命傷を負い、翌6日午前0時30分ごろにはSに包丁で背中を再び刺され、出血多量で死亡した。

少女B(負傷)
 1976年(昭和51年)3月19日生まれ、事件当時15歳
 女性Dの長女で事件当時は船橋市内の県立高校1年生だった。男性Aとは血縁関係はなく、母Dが離婚した前夫との間にもうけた子で、DがAと再婚した際にAと養子縁組した養女だった。
 「共働きの両親に代わって10歳以上離れた妹Eを朝夕と保育園に送迎する」など優しい性格で、通学していた県立高校では演劇部・美術部などに所属してクラスの副委員長も務め、将来は美術関係の大学進学を希望していた「ごく普通の女子高生」だった
 一連の事件では一家殺害事件前の1992年2月12日、加害者Sのアパートに拉致されて2回強姦された。1992年3月5日夕方、帰宅直後からSが逮捕されるまでの約14時間にわたってSに監禁され、既に殺されていた祖母Cを除く家族3人(母D・父A・妹E)を、目の前で惨殺された
 これに加え、母Dを目の前で殺害された直後に1回・父Aを殺害されSにラブホテルに連れ込まれた際に2回計5回にわたってSに強姦される被害を受けた。事件後は両親の知人の下へ身を寄せた後、事件1年後の1993年に熊本県の母方の実家に引き取られた
 高校卒業後は故郷の熊本を離れ、事件前から夢見ていた美術系大学に進学し、2000年春に卒業した。永瀬の取材に対しては「もう事件のことは忘れないと前に進めないから忘れた。(当時死刑判決を受けて最高裁に上告中だった加害者Sが)どういう刑を受けようとまったく関心はないが、極刑は当然だと思っている」と気丈に語っており、知人に対しては「バリバリ働いて私を育ててくれた母のようなキャリアウーマンになりたい」と将来の希望を語っていた。
 2001年12月、事件現場近所の主婦は『東京新聞』の取材に対し、一人遺された被害者遺族Bについて「心に受けた深い傷は想像を絶する。幸せを願いそっとしておいてあげたい」と気遣った。また、事件現場に駆けつけた当時の捜査幹部は「とにかく酷かった。母親に息子夫婦、幼い子まで殺された。『被害者のために間違いのないように起訴まで持っていこう』と全力を尽くした」と振り返った
 永瀬は女性Bのその後に関して著書『19歳』(角川文庫)にて「Sの死刑確定後の2004年(平成16年)春にはかねてから交際していた男性と結婚して日本を離れ、生前の両親の夢であったヨーロッパで暮らしている」と記述している。

女性C(死亡)
 1908年(明治41年)7月4日生まれ、83歳没。男性Aの実母、B・E姉妹の祖母で、息子夫婦・孫2人と同居していた。高齢のため、散歩に出るとき以外は玄関北側の自室で過ごしていたことが多かった。
 1992年3月5日午後4時30分ごろ、自宅に侵入してきたSに首を絞められて窒息死し、一連の事件で最初の犠牲者となった。

女性D(死亡)
 1955年(昭和30年)6月19日・熊本県八代市生まれ、36歳没。地元の高校を卒業後に隣町に在住していた百科事典のセールスマンと恋愛結婚したが、前夫は仕事に身が入らず遊び惚けていたため、長女Bが誕生した直後に離婚した。しかし「勝気な性格のために前夫には慰謝料・養育費とも要求せずに「自分1人で立派に育てる」と乳飲み子の長女Bを連れて20歳で上京し、証券会社事務職・建設会社経理職・ダンプカー運転手・水商売などと職を転々とした後、フリーカメラマンの男性Aと知り合った。
 永瀬隼介は著書『19歳』(角川文庫)にて生前の女性Dを「女優・根岸季衣に似た美人で、男勝りで気前のいい性格」と表現している。当時30歳で長女Bが小学5年生だった1987年ごろに男性A(当時37歳)と知り合い、1年間の同居生活を経て1987年(昭和62年)3月に幼女Eを出産、男性Aと結婚(再婚)した。同居を開始したころからは東京都千代田区九段下で編集プロダクション会社を経営し、男性Aとの第一子を妊娠するが流産してしまったため、後の幼女Eを妊娠した際には「仕事は二の次でいいから体を大切にしろ」と注意を受けていた。『読売新聞』報道によれば「前夫との間に生まれたBと一緒に出身地の八代市から市川市に転居して、行徳駅前のマンションに部屋を借りて写真の勉強をしていた」。その後、フリーカメラマンだったAと知り合って結婚、Eを出産して1988年8月には現場マンションに引っ越した。
 1987年8月、夫Aとともに雑誌の出版・編集などの業務を行う株式会社を設立、代表取締役として経営にあたり、家庭ではB・E姉妹を養育していた。雑誌会社では「中村小夜子」というペンネームでフリーランスのライターとして料理雑誌などのコラム欄などを担当しており、幼いEを連れて取材に飛び回ったこともあった。
 長女Bとともに帰宅した直後の1992年3月5日午後7時ごろ、室内に隠れていたSに襲撃されてBの目の前で包丁で刺され、出血多量で死亡した。

幼女E(死亡)
 1987年(昭和62年)3月17日生まれ、4歳没。A・Dの長女だが、既に養子Bがいたため報道では「次女」とされることが多い。姉Bの異父妹で、事件当時は市川市内の保育園に通う「いたいけな保育園児」だった。1992年3月6日午前6時30分ごろ、姉Bの目の前でSに包丁で刺され、出血多量で死亡した。保育園の職員は事件直後、同じ保育園に通っていた園児たちに対し、事件のことは伏せて「Eちゃんは遠くに引っ越した」と伝えた。

事件前の暴力的犯罪
(1991年10月19日、東京都江戸川区内における傷害事件)
 Sは一家殺害事件前年の1991年(平成3年)10月19日午後4時50分ごろ、愛車のトヨタ・クラウンロイヤルサルーンを運転して東京都江戸川区上篠崎の道路(祖父Xの経営するウナギ料理チェーン店の支店付近)を走行していた。その際、Sの前を当時34歳の男性が運転していた車両が先行して走っていたが、Sは「男性の車の速度が遅い」と立腹した。
 男性の車が赤信号に従って停車すると、Sはその車の運転席側に駆け寄って「とろとろ走りやがって、邪魔じゃないか」などと怒鳴りつけ、開いていた窓から手を差し入れエンジンキーを回してエンジンを停止させた。
 男性が車を降りると、Sはいきなりその顔面を拳で複数回殴りつけ、男性を支店の建物内に連れ込んで、店の厨房内に置かれていた長さ約112cmの鰻焼台用鉄筋で男性の背中・左肘を1回ずつ殴りつけ、男性に全治3週間の頭部・胸部・左肘への打撲、挫創の怪我を負わせた(罪状その1・傷害罪)。

1992年2月、暴力団員とのトラブル
 祖父Xは1992年1月ごろ、「Sから危害を加えられることを避けるため」に店舗内で寝泊まりしていたが、Sはその店舗に窓ガラスを割って侵入して就寝中のXを起こし現金110万円などを奪い取った。『週刊文春』1992年3月26日号(文藝春秋社)は「被害を受けた祖父Xは弁護士を帯同して千葉県警市川警察署に『Sが犯人だ』と刑事告訴したが取り合ってもらえなかった」と報道している。
 1992年2月6日、Sは市川市内のスナックバーに勤めるフィリピン人のホステスを連れ出して店に無断で自宅アパートに泊め、このホステスと性的関係を持ち、ホステスをマンション自室に閉じ込めて負傷させた。
1992年2月8日、店に帰ったホステスがこのことを店の関係者に泣きながら訴えると、激怒した店の関係者が暴力団に「落とし前」を依頼したため、それ以降Sは暴力団に追われる身となった
 なおSは後述のように暴力団組員から200万円を要求されていた一方で、一連の犯罪に使ったのは高級セダンの自家用車(時価400万円のクラウンロイヤルサルーン)だった。写真週刊誌FOCUS』(新潮社)1992年3月20日号の特集記事はこの点に関して「『自分の車を売ればそれなりの金は工面できる』とは思わなかったのだろうか。彼の考えは盗み…動機は単純かつ不可解で、その結末が残忍極まりない一家4人惨殺に繋がってしまった」と報道した。
 1992年2月11日未明、東京都中野区内における傷害・強姦事件1992年2月11日午前4時30分ごろ、Sは東京都杉並区高円寺に住んでいたバンド仲間のアパートからクラウンに乗って帰宅しようとしていた時東京都中野区新井の路上でアルバイト先から帰宅途中の当時24歳女性が1人で左側歩道上を歩いているのを見つけた。Sは「鬱屈した気分を晴らそう」という目的で「女性を殴ろう」と思い、道を尋ねるふりをして女性に近づいた。
 その直後、Sはいきなり女性の顔を拳で思い切り数回殴りつけるなど暴行を加え、女性に全治3か月半の傷害(鼻骨骨折・顔への擦り傷)を負わせた(罪状その2・傷害罪)。Sは座り込んだ女性の顔を見たところ「意外に若かった」ことから「この女性を強姦しよう」と考え、女性の髪の毛を鷲掴みにして引っ立てると「車に乗れ」と脅して女性を抱きかかえるようにして無理矢理クラウンの後部座席に押し込み車を発進させた。Sは女性に対し「病院に連れて行く」などと言いつつ車を走行させた上で船橋市本中山の自宅アパートに連れ込み、午前6時30分ごろ自室アパートで女性の衣服をはぎ取り、女性を全裸にして強姦した(罪状その3・強姦罪)。作家・永瀬隼介はこの時のSの心境を以下のように表現した。

 Sは「強姦は性欲の解消以上に(自分に)優越感・自信を与えてくれる」と思った
同時にそれまでの鬱屈した気分が嘘のようにスカッとし、「セックスと暴力は繋がっている」とも確信した。またS自身は「暴力の持つ達成感・陶酔感」について、面会人・永瀬に対し以下のように答えた。
 「傷害にしろ強姦にしろ、『他人の血を見る』ことは興奮するものだ。暴力をふるううちに次第に相手が弱ってきて自分に従うようになり『どうにでも好きなように動かせる』となった時に見る弱さは自分の中では『勝利の象徴』として溜飲を下げるのに大いに役立った。
「一度強姦・強烈な傷害事件を成功させたことで、変な自信を持ち『もう一度やってみよう。出来るはずだ』とエスカレートした
 またSは一家殺害事件で逮捕された後、監獄生活を送るとともにこの強姦事件について取り調べを受けてもしばらくはまったく反省していなかったどころか「どうせ捕まるのなら『学生のころ昔から好きだった女の子』を強姦しておけばよかった。同じ罪(強姦罪)になるならいっそのこと『かねてから憧れだった女性』を狙っておけば本望なので納得もできただろう」などと考えていた。
 永瀬はSのこの心境を「自己中心的な意味の筋違いな後悔しかしておらず、被害者の心情に思いを馳せるようなことなどしていなかった」と非難した。
しかし同日夜、前述のホステスの件でSの自宅アパートに暴力団組員7人が押し掛けたため、Sはクラウンに乗って逃げたが、店から依頼されていた外国人ホステス斡旋業者らがSを車から引きずり降ろそうとクラウンの後部窓ガラスを叩き割った。刑事裁判における事実認定
 検察官は公判において同事件に関して「被告人Sは当初から女性に対する強姦の犯意を抱いていた」ことを前提に「女性に対する一連の犯行は全体として強姦致傷罪の一罪に該当する」と主張したが、千葉地裁は判決で以下のような理由から「被告人が強姦の犯意を生ずる以前の傷害罪・その後行われた強姦罪の2罪がそれぞれ別々に成立する」と事実認定した。
 被告人Sは捜査段階・後半を通じて「女性に暴行を加えてその顔面に傷害を負わせた後、相手の顔を見て『意外に若い』と気付いたことで俄かに欲情を催して強姦の犯意を抱いた」と供述した。その供述に反する証拠は他に見当たらなかった上、客観的な状況もその供述と必ずしも矛盾するものではなかった。

1992年2月12日未明、被害者一家宅を知るきっかけとなった被害者少女Bへの強姦致傷事件
 通りすがりの女性を強姦してから約22時間後の1992年2月12日午前2時ごろ、当時15歳で県立高校1年生の少女Bは夜遅くまで勉強していた途中でシャープペンシルの替え芯が切れたため、替え芯を買いに自転車で自宅マンション付近のコンビニエンスストアに行き、買い物を終えて帰宅しようとしていた。
 クラウンを運転していたSは、帰宅途中だったBを見つけるとマンション前の狭い路地でBの背後から近づき、自転車の後輪にクラウンの左前部を衝突させた。Bは自転車ごと路上に転倒して路上に投げ出され、右膝に擦り傷を負った。
 車から降りたSはBに「病院に連れて行く」と優しく声を掛けた上で、「ひき逃げと訴えられないように」Bを車に乗せて浦安市内の救急病院で治療を受けさせた。Bは当初こそSを警戒してはいたが、治療をさせてもらった後で「自宅まで送り届けてもらう」と約束されたことで安心した。
 しかし、SはBを自宅に送るために市川市・船橋市方面に向けて車を走行させていた途中で「このまま帰すのはもったいない、強姦してやろう」とにわかに劣情を持ち、人気のない路肩に突然車を停めた。

 車内で「本性を現した」Sは刃渡り約6.7cmの折り畳み式ナイフ(平成5年押収第52号の2)をBに突き付け、ナイフの刃をBの手の指の間にこじ入れてこね回しつつ「黙って俺の言うことを聞け」と脅した。Bが抵抗するとSはBの左頬・左手を切り付けて全治約2週間の顔面挫創・左手挫創の傷害を負わせ、恐怖するBをそのまま自分のアパートまで拉致した。
 同日午前3時ごろから午前6時ごろまでの間、Sは自室アパート内で2度にわたりBを強姦した(罪状その4・強姦致傷罪。Sはその後、Bの手足を縛って抵抗を抑圧した上で、Bの所持品を検めて現金を奪ったが、その時にBが通っていた高校の生徒手帳から住所・氏名を控えていったん外に出た。その後、Sが部屋に戻るとBは既に自力で逃げ出していたが、Sはそれを特に気に留めなかった。

 永瀬隼介は『19歳』にて「このようにBには『まったくの偶然が招いたあまりにも悲惨な形』でSとの接点があった」と表現した。
Bは翌日の1992年2月13日、(バレンタインデーの前日だったため)「明日誰かにあげるのなら」とチョコレートを贈りに来た同級生の少女と立ち話をした際に「顔のちょうど耳の下から顎までカッターナイフで切りつけたような浅い傷のかさぶた」があることを確認されており、その同級生から「何があった」と聞かれると「ローソンからの帰り道で男に襲われた」と言っていたが、特に深刻そうな様子ではなく「身分証明書を見られた」などとは言っていなかった
 またBは顔の傷に関して別の友人に対し「高校で先輩にやられた」と話しており、友人たちからは「そんなの負けずに仕返ししてしまえ」とけしかけられていたが、前述の同級生らが警察に被害届を出すように説得し、1992年2月末ごろに千葉県警察葛南警察署へ被害届を提出させた。しかし顔見知りの犯行ではなかったことなどからSは捜査線上に上がってこず、Sに切り付けられたBの頬の傷跡は第一審判決時点でも完治していなかった。

1992年2月12日夜、暴力団組長らからの脅迫、200万円要求
 Sは二晩続けて見ず知らずの女性を強姦したことで「自分の力に自信を持った」が、一方で暴力団に対しては「情けないほど無抵抗」だった。
同日夜、大手暴力団住吉会系列の暴力団組長から東京都港区赤坂の東京全日空ホテル(現・ANAインターコンチネンタルホテル東京)に呼び出されたSは、ホテルで組長とその手下(ホステスと関係のある暴力団組員)から「お前のやったことは誘拐だ。彼女が在留期限を待たずに帰国したら店の損害は200万円になる」などと遠回しに金員の支払いを要求され、このトラブルに関して「それなりのことをするつもりだ」と答えてその場を辞去した。
 しかし当時のSは今更「暴力団員に支払う金員」を祖父X・母親Yから出してもらうわけにはいかず、だからと言ってほかに金策する当てもなかったため、「暴力団の取り立てを恐れて自宅アパートにも戻れず車の中で寝泊まりする日々」が続いた
 この日から一家4人を惨殺するまでの約20日間、Sは「このままだといずれ半殺しにされるか、運が悪ければ殺されて遺体をコンクリート詰めにされ東京湾に沈められるかもしれない」と恐れていた中、車絡みで2度の暴力・恐喝沙汰を起こした
 暴力団組員から脅された直後の1992年2月下旬、Sは親類の家に出かけ合い鍵で侵入して従兄弟に当たる高校3年生の大学進学準備金110万円を盗んだ。この事件に関しては「Sの犯行だ」とする確たる証拠こそなかったが合い鍵で侵入されたことから、親戚たちは「あいつ(S)に間違いない」と疑いの目を向けており、所轄の警察署に被害届を出した。この親戚は事件後、『週刊文春』の取材に対し「この事件の時点でSを社会から隔離し拘束していればこんな凶悪犯罪は起きなかったかもしれない」と証言した。

1992年2月25日未明、市川市内における傷害・恐喝事件
 1992年2月25日(火曜日)午前5時ごろ、Sはクラウンを運転して市川市河原6番18号先の千葉県道6号市川浦安線旧道を走行していた途中、後ろを走っていた当時22歳の男性が運転する乗用車から車間距離を詰められて煽られたために激昂し、クラウンを急停車させ進路を絶つと、後続車は接触寸前で急停車した。
後続車が停車した直後、クラウンを降車してトランクから鉄筋を取り出して右手に握り、その鉄筋を威嚇するように1,2回振り回してから後続車のドアを開け、相手車の運転席に近づいて男性に対し「煽ってんじゃねえよ」などと恫喝した。
 これに対し、相手の運転手がSをにらみつけ「お前、やる気か」などと怒鳴ったが、Sはこれに構わずいていた運転席側の窓から手を差し入れて男性の車のエンジンキーを抜き取り、相手の退路を絶った上で自車に戻った。 
 これに激昂した男性はエンジンキーを取り戻そうとSに追いすがったが、Sはクラウンの後部トランクから取り出した全長112cmの鰻焼台用鉄筋で男性の左側頭部を1回殴りつけた。男性は血まみれになり、両腕で頭を抱えてうずくまったが、Sはなお男性からにらみつけたことに逆上して「お前のせいでブレーキパッドがすり減った」などと怒鳴りつけつつ男性の左半身を多数回殴打した
 一連の暴行により男性は「安静加療約10日間を要する頭部挫創」の傷害を負った(罪状その5・傷害罪)。さらにSは男性から金品を恐喝しようと男性の車両の運転席に乗り込み、同日午前5時過ぎごろから6時ごろまでの間、トラブルの現場から市川市塩浜二丁目31番地先の路上を経由して再びトラブル現場(市川市河原6番18号先)まで戻るまで車を運転しつつ、暴力団組員を装って「俺たちの相場ではこういう場合は7,8万円だ。金曜日(2月28日)までに用意しておけ。免許証はその時まで預かっておく」などと男性を脅迫して金品・運転免許証を出すように脅した上で、「要求に応じなければさらにその身に危害を加える」ような態度を示して金員を要求し、男性名義の自動車運転免許証1通を脅し取った(罪状その6・恐喝罪)た

1992年2月27日未明、埼玉県岩槻市内における傷害・窃盗事件
 その2日後となる1992年2月27日午前0時30分ごろ、Sはクラウンを運転して埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)東町一丁目7番26号路上を走行していたが、当時21歳の男子大学生が運転していた乗用車に追い越されたことに立腹し、付近で男子大学生の車が赤信号のために停車したところ、その前方にクラウンを停車させて行く手を阻んだ
 大学生が降車してきたところ、Sは「ヤクザ者をなめるな」などと脅迫しながら、ズボンのポケットから前述の強姦事件で使った折り畳みナイフ(平成5年押収第52号の2)を取り出して「これで刺してもいいんだぜ」と言って大学生の左太腿を突き刺した。
 その上でSは、大学生の車の運転席に乗り込んだ上で大学生を助手席に座らせ「お前が滅茶苦茶な運転をするから俺の車のタイヤが擦り減った」などと恫喝したが、「脅迫の手ごたえがなかった」ことに激昂して「お前の親父のところに連れて行け」と脅迫しつつ、自ら大学生の車を運転して岩槻市大字加倉1943番地路上まで移動した。
 その間、Sは車内で大学生に左右の大腿部・右肩・腕・背中など20数か所をナイフで突き刺す・切りつけるなど暴行を加え、大学生に「全身刺創・全身切創、右手第三指(中指)および第四指(薬指)伸筋腱断裂など」全治約6週間を要する傷害を負わせたが(罪状その7・傷害罪)、大学生は血まみれになりながらも命からがら車から逃げ出した。
 Sは大学生の車で大学生を追いかけようとしたが「轢き殺すとまずい」と思ったために断念した。大学生が逃げ出した後の同日午前1時20分ごろ、Sは岩槻市東町一丁目7番24号先路上に大学生から奪った車を移動させた上で「大学生から後日、金を巻き上げよう」と「住所・氏名を確認する目的」で車内にあった大学生名義の運転免許証1通・大学生の父親名義の自動車検査証を窃取し(罪状その8・窃盗罪、大学生の車を運転して前述の現場に残した自車に戻った

現場マンションの下見
 しかし上記のように暴力的な恐喝を繰り返しても暴力団から要求された200万円は得られず、金の工面に困り「日増しに膨らむ恐怖・焦燥感」を抱えていたSは「パチンコ店を襲おうか、強盗しようか」などと思案した挙句に、1992年2月の強姦致傷事件の際に住所・氏名などを知っていた少女B宅に侵入して金品を盗むことを思いついた。
 Bを強姦した事件以降、Sは「B宅の在宅状況を探る」目的で時間を変えてB宅の電話番号に何度か電話をかけた結果「午後は留守か老女(殺害されたBの父方の祖母C)が1人でいる」と確認していた。また、Sは2月下旬・3月1日の2度にわたり現場マンションに赴き、マンションのエレベーターを使用して8階まで上がり、「B宅は806号室にあること」「マンション1階のエレベーターホールには防犯カメラが設置されていること」などを確認した

事件当日
(1992年3月5日、現場マンションに向かうまでの行動)
 Sは暴力団から多額の金銭を要求されたことで追い詰められ「自宅アパートにも近づけず所持金も底を尽きたために車中泊を続ける惨めな生活」を送りながら事件当日の1992年3月5日を迎えたが、同日は朝からパチンコ・ゲームセンターで時間を潰したり、午後遅くに中華そば屋でラーメン1杯を食べたりした。
 Sはその後「B宅に侵入して現金・預金通帳などを窃取する」意思を最終的に固めた上で市川市幸のB宅に向かった。そればかりか、この時には「ついでにBを再び強姦すれば暴力団の追い込みで鬱屈した気持ちも晴れるだろう」とも考えていた。事件現場の行徳一帯はSの母方の祖父母の家(母親Yの実家)の付近で、Sは「幼少期によく祖父母宅に泊まりに来ては、マンションが建つ以前のまだ空き地だった現場一帯で凧揚げをしたり自転車を乗り回して遊んだ」記憶があったため、その後の開発により「典型的な東京のベッドタウン」に姿を変えてはいたが、Sは現場一帯に土地勘があった。現場付近には「さらに新しい高級マンション」もあったが、Sはこのマンションで金を得ようと考えた。

午後4時30分ごろ、現場一室に侵入
 午後4時ごろ、クラウンを運転してマンション付近に赴いたSは、マンション近くのタバコ屋の前にクラウンを駐車した上で、付近にあった公衆電話を使用してBの自宅に電話を入れた。実際には後述のようにBの祖母Cが在宅してはいたが、Sは「電話に誰も出なかったから留守だ」と思い、クラウンを児童公園の横に移動させてBの自宅マンションに入った。
 Sは防犯カメラが設置されていた1階エントランスを避けて外階段を使い2階まで上ったが、2階からB一家が在住していた806号室があった8階まではエレベーターを使用した。当時の時間帯は「平日の夕方近く」だったが、同日の市川市内は雨が降っていたためか、Sはそれまで誰ともすれ違わなかった。
 806号室の玄関前に来たSはインターホンを鳴らしたが、前述の電話に誰も出なかった上にインターホンにも応答がなかったため「留守だ」と思い、806号室の玄関口ドアを「試しに開けてみよう」とドアノブを回したところ、意外にも施錠されておらずドアが開いた。Sは「誰かがいる」と焦ってすぐにその場を離れたが、エレベーター横の階段に座って20分ほど様子を見たところ、ドアは施錠されていなかったが家人の気配はなく室内の照明も消灯していたため、改めて「留守だ」と確信し「仮に誰かがいたとしてもB以外なら、彼女の知人のふりでもしておけばいい」と考えながら午後4時30分ごろに玄関口から再びドアを開けて806号室に忍び入った。
 Sは後に当時の心境を永瀬隼介宛の手紙で「どう考えても『預金通帳ならまだしも、普通のマンションからほんのわずかな現金を奪う』目的で被害者一家に執拗にこだわり、自分の一生を捨ててまで犯行を成し遂げる価値があったとは思えない」と送っている。実際、当時のSは「普通のマンションに200万円もの現金が置いてある」とは考えていなかったため「貴金属類・預金通帳を見つけたら家人に気付かれないうちに早めに現場から逃走しよう」と考えていた。

午後4時30分ごろ、祖母Cを絞殺(強盗殺人罪)
 Sが当初、空き巣目的で806号室に忍び入った直後、玄関脇の北側洋間からテレビの音が聞こえたため部屋の扉を開けて洋間の室内を覗くと、1人で留守番をしていた高齢女性C(男性Aの実母、少女Bの父方の祖母)が室内でテレビをつけたまま寝ていた。
 Sは自分の靴をベランダに隠し、玄関の突き当りにある居間に入って現金・預金通帳・貴金属類などを物色したが、目的とする金目の物はなかなか見つからなかったため、「Cを脅迫して現金などを強奪することにしくはない」と決意し、この時点で強盗の意図を持った
 洋間に踏み込んだSは、「『年寄り1人ぐらいならどんなことがあっても力で負けることなどない』という『過信・短絡的思考』」から就寝中だったCを脚を蹴り上げて起こした。目を覚ましたCは「見ず知らずの男が目の前にいる」ことに驚いた。
居直り強盗に転じたSは「寝込んでいたところを突然起こされた上に高齢のため抵抗もままならなかった」Cに危害を加える気勢を示しながら、預金通帳・現金を出すようすごんだ。しかしCは同室出入り口付近にある棚に置かれた財布内から現金8万円を取り出すと「ここにあるだけならくれてやる」と8万円をSに渡し、Sに「特におびえず毅然とした態度で」帰るように諭した上で部屋から逃れようとした。
 これに対し、「バカにされた」と逆上したSは、Cの後襟首につかみかかってCを引き戻し、再び通帳を出すよう要求して危害を加える気勢を示したが、Cは頑なに応じなかった

 しかしSは緊張して尿意を覚えたため、Cに「通帳を探しておけ」と言い置いた上でトイレに行って用を足したが、トイレから戻ったところ、Sがトイレに行っている間にCは隙を見て居間に出て電話の受話器を取り上げ、警察に110番通報しようとしていた。
 Sは「少し痛い目に遭わせて力関係を分からせてやろう」と考えてとっさにCに体当たりしてCを仰向けに突き倒し、右尺骨および右脛骨を離開骨折させる重傷を負わせた
 SはそのままCに「何をするつもりだったんだ」と問い詰めて殴り掛かろうとしたが、Cから顔面に唾を吐きかけられたために激昂し、Cを頭ごと激しく床に叩きつけたが、CはなおSに果敢に抵抗して爪を立ててひっかいた。
 逆上したSは殺意を持ってCに馬乗りになると、近くにあった電気コードを抜き取り電気コードをCの頸部に一周させて前頸部で交差させた上で、電気コードの両端を両手で持って引っ張ることでCの首を絞めつけた。一度力を緩めるとCが起き上がる気配を示したため、Sは再度力を込めてCの首を数分間絞めたことで被害者Cを窒息死させて殺害した(罪状その9・強盗殺人罪)。

 脈拍を調べてCが死亡したことを確認すると、SはCの遺体の首に巻かれていた電気コードを抜き取った上でCの遺体を引きずって北側洋間に敷かれていた布団に寝かせ、家人が帰宅した際に就寝中だと思わせるように偽装工作した。またSは「他人と一緒に箸を使う鍋料理を口にできないほど」の重度の潔癖症だったため「老女の唾液を汚らしく思い」洗面所で頭・顔・首・手を何度も洗った。当時のSには「生まれて初めて人を殺めてしまった」という実感は乏しく、むしろ唾液を吐きつけたCに対する怒りや「こんな汚いところにいられるか」という嫌悪感の方が強かった。
 SはCを殺害した直後、いったん外に出て付近の自動販売機でタバコ・ジュースを購入してから現場806号室に戻り、さらに家人から金員を強取する目的で帰宅を待ち受けた。予備のジュースを購入したのは「長期戦を覚悟して」のもので、この時Sは室外で30分ほど過ごしていた。
  室内に戻ったSはさらに室内を物色し、Cの遺体を放置していた北側洋間内の出入り口付近にある棚に置かれていたバッグ内にあったCの財布から現金約10万円を強取し、その後も引き続き居間の中で金品を物色していた。少女Bはこの時、学校帰りに父親Aの会社に寄り、母親Dと買い物をして家路に向かっていた被害者Cの遺体司法解剖初見
 被害者Cの遺体の頸部には「首の周りを一周する索溝」が形成され、舌骨が左大角の中央部・右大角の中央部において骨折していたほか、右大角付着部においては広く出血を伴い、さらに甲状軟骨の左上角も骨折し、広く周辺に出血を伴っていた。
  また被害者Cの首を絞めた際の状況に関して、被告人Sは捜査段階・公判を通じて一貫して「Cが動かなくなるまで強く首を絞めつけた後、脈を調べて死亡を確認し、布団に遺体を運んで寝かせた」という趣旨の供述をした。
 なお弁護人らは「被告人Sには被害者Cに対する確定的殺意は認められず、唾を吐きつけられたことに激怒して冷静さを失いとっさに首を絞めた。この時『Cが死亡するかどうか』について考える余裕は全くなく、せいぜい『死ぬかもしれない』という未必的殺意があったにすぎない」と主張して確定的殺意の存在を否認した
 しかし千葉地裁は「被害者Cへの殺害行為は『Cが被告人Sの顔面に唾液を吐きつけたことによって誘発された偶発的犯行』であることは認められるが、Cはこの時Sに突き飛ばされたことで重傷を負っていたため、せめてもの抵抗として顔面に唾を吐きかけたことも理解できなくはなく、これだけの理由で『Cが危難を自ら招いた』とのみ評価することはできない。以上のような動機・程度・態様並びに首を絞めている時の被告人の認識内容を総合すれば『確定的殺意があった』と優に認められる」と事実認定した

午後7時過ぎ、母親Dを刺殺(強盗殺人罪)
 Sが引き続き室内を物色していた午後7時過ぎごろ、少女B・母親Dが買い物から帰宅した。Sはこの時までに家人の帰宅に備え、予め台所流し台の下から数本の包丁を冷蔵庫の上に移して隠していた
 2人が帰宅したため、Sは冷蔵庫の上に隠していた包丁のうちの1本であった刃渡り22.5cmの柳刃包丁1本(平成5年押収第52号の1)を手に取り、台所のカウンター付き食器棚の陰に隠れた。包丁はその長さに加えて先端が鋭く尖っていたことから「十分な殺傷能力を有する物」だった
 そして、Sは何も気付かずにそのまま居間に向かおうとしたB・D両名を待ち伏せて台所から飛び出し、2人に退路を断つようにして立ち塞がって包丁を突き付け「静かにしろ。あまり騒ぐと殺すぞ。ポケットのものを全部出せ」などと申し向けて脅した。
 しかしDは怯えることもなく、逆にSを「どうしてここにいるの」と厳しく問い詰めてきたため、SはDの「頭の切れそうな態度」に半ば恐れを感じて「騒ぐと殺す」と怒鳴りつけた。この時、Dの態度は「包丁を手にしていたSに対してでさえかなり勝ち気で攻撃的」なもので、Sはこの時のDを「何も持っていなかったら噛み付かれそうなぐらいの勢いだった」と振り返った。
 Sは「女とはいえ2人を一度に相手にするのは無理だ。別々の方向に走って逃げられたらどちらか1人は確実に逃げる。2人が走って逃げ出し大声でも上げられたら終わりだ」と考えたため、2人を「伏せになれ」と脅して居間の床に並んでうつ伏せにさせ、既に殺害した祖母Cについて「睡眠薬で眠っているだけだ」と嘘を述べた上て、両名に対しポケットの中に入っていた所持品をすべて出させた。

 母子2人を無抵抗にしたSは、Dを「頭が切れそうな感じなので、策を練って自分を警察に突き出そうとしている」と危惧したためDの動きを封じようとし、「数回背中を突き刺せばDが死亡する危険性が高い」ことを認識・予見しながら敢えて包丁を逆手に持ち、うつぶせになっているDを左腰部から背中を立て続けに計5回包丁で突き刺し、被害者Dを背部刺創により失血死させて殺害した(罪状その10・強盗殺人罪)
 精神鑑定の際、Sは「Dのみを刺した理由」に関して「Dは『頭が働くずる賢そうな人』のようなタイプだったので『伊達に年を取っていないから知恵が働くだろう』と思ったから」と述べた。また、Sは永瀬への手紙で以下のように(後述の公判における主張と同じく)「殺意はなく、Dの動きを封じることが目的だった」旨を主張した。「すぐにDの腰の辺りを3回ほど刺したが、『しっかり握り込んだ包丁を刺す』というよりは『持っていた包丁を上から垂直に落とす』ように刺した。これは自分なりの手加減のつもりで『首筋や心臓でもなければ頭でもないのだから、背中を刺されても平気なはずだ』と思っていた」
 「計算通り、Dの傷口から大量の血が出たり、Dが口から吐瀉物・血液などを吐くこともなく、服に血がにじむのが見て取れただけで『まあこんなもんだろう』という感じだった。『これでDは走り回ったりしないだろう』と考えたから『そこでおとなしく見てろよ』ということを口にした覚えがある」
「Dに対しては全く怒りも憎しみもなく、そこまで力を入れて刺したわけでもないから『放っておいてもしばらくは平気だろう』と思った」
仰向けに倒れたDは致命傷を負い、激痛・苦痛でうめき声を上げて身をよじって仰向けになったが、脚で床を蹴りながら約1メートルずり動いて床に置いてあったSのジャンパーに近づいた。しかしSは自分が脱ぎ捨てたジャンパーにしがみつく瀕死のDを「血が付いちまうだろう」と言いつつ、瀕死のDに容赦することもなくその脇腹を足で蹴ってダウンジャケットから遠ざけた
 そしてSは「(刺されたDを)帰ってくる家人に見られてはまずい」と考えたことから]母親が目の前で刺され恐怖におののく」少女Bに瀕死の母親Dの足を持たせ、絶命寸前のDの体を居間から南側洋間に運び入れた上でBにタオルで「床に残ったDの大量の血・失禁の跡」を拭わせ,、自らもそれらを拭き取って証拠隠滅を図った

被害者Dの遺体司法解剖初見
 被害者DはSに5回包丁で刺されたことでうめき声をあげるともに以下のように致命傷を負い脚で床を蹴りながら約1メートルずり動きやがて失禁するに至ったが、Sはこのような状況を目の当たりにしながら何ら救命措置を講じなかった

「左肩甲部外側の刺創」は肩甲骨及び第五肋骨を損傷して左肺上葉実質内に達し、創洞の長さは約8.9センチメートルに達していた。
「左肩甲部内側の刺創」は肩甲骨及び第四・第五肋骨を刺切して左肺上葉を貫通し左肺上葉前面に刺出しており、創洞の長さは約10.5センチメートルに達していた
「左肩甲下部の刺創」は第九肋骨および第九肋間筋を損傷して左肺下葉を貫通し、横隔膜を損傷して後腹膜下の軟部組織に終わる創洞の長さ約11.3センチメートルに及ぶものだった。
「その他2個の刺創」はいずれも肩甲間部に存在し、ともに身体の中心部に向かい、創洞の長さがそれぞれ約4.6センチメートルないし約4.8センチメートルに達していた
 司法解剖時の初見によれば、Dの遺体の左胸腔内には凝血を含む血液約1200ccが入っていた。また公判で被告人Sは「被害者Dが警察に通報するなどすることを防ぐために刺した。当時は殺意までは持っておらず、突き刺すことによってDが死亡することも予見していなかった」と主張したほか、弁護人は「Dを柳刃包丁で刺したのはDの動きを封じることが目的であって殺意は有していなかったため、強盗殺人罪ではなく強盗致死罪が成立するに過ぎない」と主張したが、千葉地裁判決は以下のような証拠から「被害者Dの死を意欲していた(=確定的殺意があった)とまでは認められないが、死に至る危険性は十分に認識・予見していたために未必の殺意が認められる」と事実認定した。
 Dを鋭利な包丁で数回背中から突き刺して致命傷を負わせながら何ら救命措置を講じなかった上、絶命寸前のDを移動させた後はB・E姉妹とともに食事をしたりBを強姦したりするなど「Dの存在を意識せず『Dは既にいないもの』という前提で行動していた」ことが認められる。
 被告人Sは捜査段階にて「『Dが死亡するに至るかもしれない』と認識しながら『激情の赴くままに』敢えて意に介さず突き刺した」と「殺意を認める供述」をした。
 被告人Sは公判にて「Dを突き刺した後で南側洋間に運び入れた後、『もうDは部屋から自力では出てこないだろう』という気持ちだった」と述べたことから「Dの死を予見・認識していた」と受け取れる内容の供述をした。
 被害者Dは女性であり、被告人Sに命じられるまま所持品をすべて差し出した状態で床にうつぶせになって抵抗の気配すら示していなかった。そのDの胸部を立て続けに5回も包丁で深々と突き刺したのは明らかに「動きを封じる」目的にしては過剰すぎる。また弁護人は「被害者Dへの刺突行為は金品強奪のための手段ではない」とも主張したが、千葉地裁は以下のような事実から「一連の犯行の経緯・推移を考えれば『単に犯行の通報などを阻止するだけにとどまらず、進んで金品を強取する目的で被害者Dを刺突した』と認められる」と事実認定した

午後9時20分ごろ、Bを強姦(強盗強姦罪)
 SはDを殺害した直後から警察が突入してくる翌朝まで現場室内にBを監禁した。Dを殺害してから15分後、保育園児の妹Eが保母に連れられて帰宅したが、Bがドアを開けてEを部屋に入れた。
 SはBに命じて夕食の準備をさせB・Eとともに3人で食事を摂り、食後にEを絞殺された祖母Cの部屋に追いやってテレビを観せた。その後寝付いたEは結果的に「絞殺された祖母の遺体の横で1人最後の夜を過ごす」こととなってしまった。
 一方で少女Bから「父親は午後11時過ぎに帰って来る」と聞かされたために「金品を強取するためにその帰宅を待とう」と決意するとともに「気分転換のためにBを強姦して気を紛らわそう」と考えた。
 Sは午後9時20分ごろ、「母親Dが目の前で刺されたのを見て極度に畏怖し、抵抗不能な状態に陥っていた」少女Bを、先ほどDを刺した包丁で脅して寝室に連れ込み、その上でBに対し「服を脱げ」などと迫ったが、Bは目の前で母親を惨殺されて恐怖に震えていたためにうまく手が動かず逡巡していた。
 これに腹を立てたSはBをベッドに突き倒してBの着ていたワイシャツの襟を引っ張ってボタンを引きちぎるなどの暴行を加えてその犯行を抑圧し、Bを全裸にさせると自らも衣服を抜いて全裸となってBにのしかかり、2月の事件から数えて3回目となる強姦を行った(罪状その11・強盗強姦罪)。

 Sは精神鑑定時、「家族の死体が横たわる傍らでBを強姦する」という「想像を絶する凄惨な場面」の心境を「時間潰しというか気分転換というか」と語った。その言葉の意味について、Sは「盗みに入ってすぐに出ていくつもりが、金品を物色している中で2人が帰ってきて『まだ慌てている割には目的は達成されていない。自分は何をやっているのか?』という気持ちになった。その間にBから家族構成・『父親が何時ごろに帰って来る』という話も聞いていたので『じゃあ(父親の帰宅を)待とう』ということもあった」と語った。

3月6日午前0時30分ごろ、父親Aを刺殺(強盗殺人罪)
 しかしSの予想より早く、強姦行為の最中だった午後9時40分ごろに父親Aが帰宅したため、Sは慌ててBの身体から離れて服を着るとともにカウンター付き食器棚の上にいったん隠した「Dを刺殺した柳刃包丁」を手に取った状態で食器棚の陰に隠れた
 その状況に気付かずに居間に入ってきた男性Aが、ベッドで横になっている娘Bを見て「寝てたのか」と声を掛けたところ、Sは金品を強奪する意図でAの背後から左肩を包丁で一突きして犯行を抑圧した
 当時のSの心境は「一度刺しておけば力関係もはっきりするだろう。『歩いている道の上に石が転がっていたら邪魔だから蹴飛ばす』ようなもの」程度の感覚であった。
 また、Sは永瀬への手紙で当時の感触を「『人間の体なんて思ったより簡単に力が入っていくものだな』と考えたりしたものだ。『骨・筋肉などは刃応えを感じることがあるから刺すには手に力が必要なのだろう』と思っていたらまったくそうではなくむしろ『ウナギを捌く時の方がよっぽど力がいるんじゃないか』と思うほどで『ケーキに包丁を入れるような感じ』しか手に残らなかった」と記述した。
 Sは所持していた暴力団組員の名刺を「俺はこういう者だ」と負傷して動けなくなったAに突き付けて脅すとともに、組員を装い「お前が取材して書いた記事で(自分の)組が迷惑している」と架空の事実を突きつけて因縁を付け、「通帳でも現金でもなんでもいいから200万円くらい出せ」と脅迫した。
 Aはまだ「妻D・母Cが目の前の男に殺された」事実を知らず「家族を守ろう」と必死だったため、Sに母親の通帳のありかを教えてしまい、致命傷を負った身で動けなくなりうめくように「横にならせてくれ」と言いながら床に横たわった
 Aの指示で娘Bが宅内から探し集めてきた現金16万円・預金通帳2冊[祖母C名義の郵便貯金総合通帳1冊(額面257万6055円)および銀行総合口座通帳1冊(額面103万1737円)]を強取したSは、さらに男性Aから「勤務先の会社に行けば別の預金通帳・印鑑がある」と聞き出すと、それをも強取しようと考えた。
 なおこの時点でSが暴力団組員から要求されていた200万円は手に入ったが、Sはまだ満足しなかった。SはBに命じて事務所に電話を入れさせ、職場に残っていた社員に「これから通帳を取りに行く」と伝えさせた上で「従わないと父親まで殺される」と恐怖したBを連れて、日付が変わった1992年3月6日午前0時30分ごろに806号室を出た。
 捜査段階におけるBの供述によれば、この時点でAは「床上に横たわり、起き上がろうとしても起き上がれない状態で苦しそうな様子」だった。SはエレベーターでBとともにいったん1階まで下りたが、「Aをこのまま生かしておけば警察に通報される恐れがある」と考えてAを殺害することを決意し、Bを1階に残して806号室まで引き返した
 1992年3月6日午前0時30分ごろ、AはSに刺されてから約3時間悶え苦しんだ末に瀕死状態となっていたが、妻D・母親Cの身を案じつつ台所のテーブルにつかまって立ち上がっていた。Sは包丁を手に取り、「既に預金通帳などの所在場所を聞き出して無用の存在となっていた」Aを「後顧の憂いを断つため、即ちとどめを刺して口封じをする目的」で殺害するために背中を1回強く突き刺し、被害者Aを背部刺創により失血死させて殺害した(罪状その12・強盗殺人罪)。
 SはAにとどめを刺した後、反抗を抑圧されたBをクラウンに乗せて道案内させて行徳駅前の事務所に向かった。

被害者Aの遺体司法解剖初見
 被害者Aは帰宅直後、いきなり背後からSに包丁で左肩甲下部を1回刺されたことにより「左第七肋骨及び第七肋間筋を損傷して胸腔内に入り、左肺下葉を貫通し左肺上葉を損傷した上、さらに左第五肋骨および大吾肋間を刺切して左脇窩部に刺出する創洞の長さ約15.8センチメートルの刺創」、即ち「これだけでも十分致命傷になる刺創」を形成された。
 これによりAは「床上に横たわり、起き上がろうとしても起き上がれない状態で苦しそうな様子」で現場に倒れ伏せており、司法解剖を担当した鑑定人・木内政寛は「Aは2回目にSから刺突された時点でほとんど運動能力はなく瀕死状態で、立ち上がることはおろか会話することもできない状態だった」と推定した
 その後、再びSに包丁で肩甲間部右側を刺されたことで「創洞の長さ約12.7センチメートルで第六肋骨並びに第六肋間筋を損傷して胸腔内に入り、右肺下葉を貫通した上右肺上葉を損傷し、さらに心嚢および大動脈後面をも刺切する」刺創を負った。これは「1回目の刺創よりさらに重篤な損傷を身体の最枢要部分に生じさせる」もので、Aは再び致命傷を負ったことでやがて死に至った
 被告人Sの弁護人は被害者男性Aの殺害行為に関して「殺意はないため強盗殺人罪ではなく強盗致死罪が成立するにすぎない」と主張した上、被告人S自身も「柳刃包丁で突き刺した時は「Aが死ぬかもしれない」とまでは考えなかった」と主張したが、千葉地裁は以下の証拠から「被害者Aへの確定的な殺意が認められる」と事実認定した。

凶器の柳刃包丁は十分な殺傷能力を有している。
 瀕死状態のAに対し敢えて刺突行為に及んだ上、その後に806号室を出てBとともに会社事務所に向かい、ラブホテルで再びBを強姦して約4時間眠り込んだ際にはBに会社へ電話をかけさせて「社員が警察に通報していないか」様子を探らせていたが、Aの安否については心配していなかった
被告人S自身は捜査段階で「『死亡するかもしれない』と認識しながら激情の赴くままに敢えて意に介することなくAを突き刺した」と「殺意を認める内容の供述」をしていた。

3月6日午前1時ごろ、事務所から通帳を奪う(強盗罪)
 会社事務所があった千葉県市川市行徳駅前所在のビル前に赴いたSは1992年3月6日午前0時40分ごろ、Bに「人がいるとヤバい。俺はここで待っているから、お前が行って来い」と命じて事務所に向かわせた。
 この時点でまだ「父親まで殺された」事実を知らないBはSに命じられるがままに、ビル2階204号室にあった事務所に向かい、事務所内で寝泊まりしていた同社従業員の男性に「ヤクザが来ていて『お父さんの記事が悪い』とお金を取りに来ている」と告げ、事務所内から会社名義及びA・D夫妻名義になっていた預金通帳計7冊(額面合計63万5620円)・印鑑計7個を持ってSが待っていた自動車内まで戻った。Bはこの時、従業員に助けを求めることは特になかった。
 これら通帳・印鑑をBから受け取ることで強取した(罪状その13・強盗罪)Sは、Bが事務所に行っていた間に空腹を覚えたため、近くのコンビニエンスストア(ファミリーマートで菓子パンを買って食べていた。SはBが事務所に現れてから約20分後になって事務所に現れたが「他人の目を欺こう」としたためか、Bに「おい、行くぞ」と親しげに声を掛け、2人で印鑑・通帳を持って行った
 この時、留守番をしていた知人従業員は「SがBの名前を呼ぶ声から『2人は友人だ』と思い込み、その時点では疑いを持たなかった」と証言した。 この行動を不審に思った従業員は派出所に連絡し、午前1時30分ごろに葛南署員とともに806号室に出向いた上で部屋のドアを叩いたり、室内に電話をかけたりしたが、この時は部屋の照明が消えており応答もなかったため、署員は「不在だ」と思い引き揚げた。なおこの時点ではいずれも前述したようにBの両親(A・D夫妻)および祖母Cの3人は既に殺害されていたが、寝かしつけられていた妹Eはまだ生存していた。
 平井富雄東京家政大学精神医学教授は『千葉日報』1992年3月13日朝刊の記事で「Bが事件当時『外部の人間と1人で接触する機会』が2度あったにも拘らず助けを求められなかった理由」に関して「極端な異常事態に置かれて自律神経が『喪失』し、相手の言いなりになってしまうことがあり得る」と解説した。

Bをラブホテルに連れ込み、再び強姦
 通帳・印鑑7組を奪ったSはそのままBをクラウンに乗車させて市川市塩浜三丁目にあった東京湾沿いのラブホテルにBを連れ込み、このホテルの5階501号室で一夜を過ごした
 Sはこの間、ラブホテル室内で30分ほどかけて通帳の額面を調べたり、印鑑・通帳の印影を確認したりしていた上、ここでもBを強姦した(4度目)。Sは4時間近く熟睡した後、目覚めるとBに5度目の強姦を行った。
3月6日午前6時30分ごろ、妹Eを刺殺(殺人罪)
SはBとともに3月6日午前6時30分ごろになってマンション806号室に戻り、しばらくは「既に一家3人が死亡していた部屋」で時を過ごしておりごろ、Eを刺殺する前後には一家4人が惨殺された凄惨な現場から友人に電話を入れ「取り留めもない話」に興じていたが、寝室で寝かせていたBの妹Eが目を覚まして泣き始めていた。
 Sは後に捜査段階でEを刺殺した動機を「前夜テレビの前に座らせたらおとなしくじっと見ていたため、そのままにしておいたら眠った。しかし自分がBとともに明け方に戻ってきたら泣きわめいていたので殺した」と供述した。
 Sは「Eが両親・祖母の死を知って泣き叫べば、近隣住民にその声が聞こえて犯行が発覚する」と恐れたため、その発覚を免れる目的でEを殺害することを決意し、午前6時45分ごろになって食器棚のカウンター上においてあった前述の柳刃包丁(A・D夫妻を殺害した際の凶器)を右手に持って寝室に入った。
 SはEがいた寝室に入ると、自分に背を向けて布団の上に上半身を起こして座っていたEに近づき、その背後から左手でEの顎のあたりを押さえつけながら、殺意を持ってその背部を包丁で1回突き刺した。この刺突行為は包丁がEの幼い体を貫通し、刃先が胸まで突き抜けるほどのもので、Eは「痛い、痛い」と弱々しく声を出してもがき苦しんだ
 そのEを前にして、SはBに「妹を楽にさせてやれよ。首を絞めるとか方法があるだろう」と平然と言い放ったが、Bが動けなかったためにSは激痛で泣き叫ぶEの首を絞め上げ、背部刺創による失血死で絶命させた(罪状その14・殺人罪)。
 Bはこの時までに「目の前で家族を皆殺しにされた挙句に5度にわたって凌辱される」という「想像を絶する恐怖・絶望」で心身ともに打ちのめされていた中、高校で同じクラブに入っていた近所に住む同級生の少女宅に「今日は休む。部室の鍵を持っていけなくてごめんね」と電話していた
 妹Eが殺された直後の午前6時50分ごろ、Bはその惨劇を目の当たりにして「どうして妹まで刺したの!」とSに食って掛かったが、Sは「突然のBの反抗」に逆上して包丁を振りかざし、Bの左上腕・背中を切り付け全治2週間の怪我(左上腕切創、背部切創)を負わせた。
 一晩で一家4人の尊い命が奪われたこの事件でSに強奪された被害総額は現金合計約34万円・預金通帳計9冊(額面合計424万円3412円)、印鑑7個に上った。後に被告人Sと文通した『東京新聞』(中日新聞社)社会部記者・瀬口晴義は「検察官による冒頭陳述書を読んだ感想」として一連の犯行を「『凶悪・凄惨という形容詞が陳腐に思えるほど残酷な場面』の連続で吐き気を催したほどだ」と表現した。

被害者Eに対する強盗殺人罪成立の可否
 この殺害行為については、C・D・Aの各3人に対する殺害行為と同様に強盗殺人罪で起訴されたが、刑事裁判では「確定的な殺意は認められるが、既に強盗行為はこの時までに終わっていた」として「単純殺人罪」と事実認定された
 検察官は強盗殺人罪を主張する理由を以下のように挙げた。806号室でC・D・Aの3人を順次殺害して金品を強取し、その後でAの会社に預金通帳などを取りに行くためにいったん現場を離れたが、それは現場に再び戻ることを想定した行動である。実際、それ以前に発見・収集してビニール袋に入れておいた小銭類は現場に残したままである。故に「一時的に現場を離れたことで強盗の現場を離脱した」と解釈することはできず、むしろ強盗の犯行を完遂するために現場に戻ったものに他ならないというべきである上、被告人Sが被害者Eを殺害した動機は「Eが騒いで自己の一連の強盗殺人などの犯行が周囲に発覚することを防止するため」であったことなどを考えれば、Eの殺害は「強盗の機会になされたもの」であることが明らかであるため、強盗殺人罪が成立する。一方で弁護人は以下のように強盗殺人罪の成立を否認し、単純殺人罪の成立を主張した。

 被告人Sは被害者Eを包丁で刺した時点で既に強盗の身分を有していなかった。また殺害動機は「Eに声を出されて狼狽したこと」だった上、『Eが死ぬかもしれない」という未必的殺意はあったが確定的な殺意ではなかったため、未必的殺意に基づく単純殺人罪が成立するにすぎない。
 これに対し、千葉地裁は以下の事実から「被害者Eの泣き声で一連の強盗殺人などの犯行が露呈することを防ぐための犯行」として殺意に関しては検察側の「確定的殺意の成立」を認めた。
  被告人Sは被害者Eの顎のあたりを抑えた上で背後から「刃先が胸部に突き抜けるほどの強さ」で「十分な殺傷能力を有する包丁」を突き刺した。 遺体の傷は「右肩甲下部に刺乳創を形成し、右第六肋間・第七肋骨上縁を損傷して右肺の下葉・中葉・上葉を貫通し、更に胸郭前面で右第三肋骨・第三肋間を損傷して右胸部の刺出口に至る貫通刺創を形成し、創洞の長さは約12.3センチメートルで、胸腔内には凝血を含む血液約200ccを貯留していた」ほどの重篤な傷害だったことから、被告人Sが力いっぱい被害者Eの背部を突き刺したことが認められる。
 被害者Eを突き刺した直後、被告人Sは被害者Bに「妹を楽にしてやれば。首を絞めるとか方法があるだろう」などと申し向けていた
 被告人Sは公判で「被害者Eを刺突した動機」に関して「静かにさせないと近所に声が漏れて人が来ると思った」と供述したほか、捜査段階でも「小さい子供は声が高いので『両親が死んだ』とわかれば騒ぐだろう。そうすれば隣近所に子供の泣き声が聞こえてしまうと思った」と供述した。
被害者Eを刺突した際の気持ちに関して、被告人Sは公判にて「刺した時には『もう死んでしまっても仕方がない』とは思った」と述べている。
 その一方で罪状に関しては検察側の主張した「強盗殺人罪」ではなく、弁護人の「単純殺人罪」主張を採用した。
 被害者Bが両親の会社から通帳・印鑑を持ってくると被告人Sはそれを奪っているが、被告人はそれ以上(現場806号室に戻って以降を含め)金品を物色する行為に出ることなく被害者Bをラブホテルに連れ込み、806号室に戻ったのは会社に向かってから5時間近くが経過した午前6時30分ごろだった
 検察官は「前夜に収集してビニール袋に入れておいた小銭類を取りに戻った」と主張するが、被告人Sは現場に戻った後その袋を持ち出そうとしていなかった上、そもそもその小銭塁に対する所持は「被告人が室内を部色して小銭類を収集し、いつでも持ち去ることができるように袋に入れた時点」、即ち「被告人Sが会社に赴く以前」に既に被告人に移転していると考えるべきである。

 そのため、被告人の強盗殺人行為は遅くとも(小銭類の強取を含め)「会社の通帳・印鑑を奪った時点」ですべて終了したものとみるべきである。したがって被告人Sは被害者C/B・A革命に対する各強盗殺人の行為が終了した後、それとは別の機会に「一連の犯行の発覚を阻止する」という動機から、新たな犯意に基づいて被害者Eを殺害したことが認められる。
 よって「いったん強盗殺人の行為を終了した後、新たな決意に基づいて別の機会に他人を殺害した」場合は、その殺人行為は「仮に時間的に先の強盗殺人に接近しその犯跡を隠蔽する意図の下に行われた場合」であっても「別個独立の殺人罪を構成」し、これを「先の強盗殺人の行為とともに包括的に観察して1個の強盗殺人罪とみる」ことは許されないものと解するのが相当である


2019.6.26-産経ニュース-Livedoor News-https://news.livedoor.com/article/detail/16679573/
虐待の子供、18人が安否確認できず 野田市事件検証、児相の対応「形骸化」

厚生労働省は26日、虐待を受けている子供の緊急安全確認で、4月時点で継続対応が必要とされた438人のうち、18人の安否が確認できていないことを明らかにした。 420人は児童相談所による面会などで状況が確認できた。同様の調査は8月末まで実施され、その後も継続的に行う。
 現在の調査は、千葉県野田市の小学4年、栗原心愛(みあ)さん=当時(10)=が死亡した事件を受け、2月から実施。安否が確認できない18人には、乳幼児健診を受けたり、幼稚園や学校などに通ったりしている形跡がない子供が6人含まれている。一方、これまで確認が取れた子供のうち6人は一時保護するなど親と引き離す措置を取った。
 昨年から実施中の健診未受診や未就園・不就学の子供の安全確認では、自治体が状況を把握できなかった子供が4月の61人から17人に減少。文部科学省などが行う2週間以上欠席が続いた児童・生徒の追跡調査では、65人に虐待を受けている恐れがあるとして児相や警察に情報提供した。

野田市の事件をめぐっては、厚労省と文科省の合同プロジェクトチームが26日、検証結果をまとめ、心愛さんの一時保護を解除した児相の対応を「アセスメントツールが有効に活用されておらず、形骸化していた」などと指摘した。
 夫婦間のドメスティックバイオレンス(DV)の影響を評価できず、父親の勇一郎被告(41)の支配的な関係に巻き込まれていたと問題視。野田市教育委員会も秘匿情報を漏らしてはならないという認識が不十分で、虐待被害を訴える心愛さんのアンケートのコピーを勇一郎被告に渡す事態につながったとした。


2019.6.19-YAHOO!!JAPAN-https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190619-00000146-kyodonews-soci
拳銃強奪事件容疑者の父が退任

拳銃強奪事件で、飯森裕次郎容疑者の父親の関西テレビ常務が、一身上の都合で19日に役職を退任したことが分かった。
成人している息子と言えども、親の社会的立場を考えれば道義的に責任をとらざるを得ない部分はあると思うけど、どこぞの大臣のように、部下が自ら命を絶っても、改ざんしても、隠蔽しても、なんら責任をとろうとせず、気に入らない報告書を閣議決定で平気で無かった事にしているのと比べると、潔いと思う。


2019.6.17-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/affairs/news/190617/afr1906170024-n2.html
「私がやったことではない」抵抗せず身柄確保の飯森容疑者、容疑は否認

 周辺住民によると、発見から約1時間後、飯森容疑者は数人の警察官に囲まれて山道の入り口へ。盾などを持った数十人の警察官が集まる中、抵抗することなく、ワゴン車に乗り込んだ。 逮捕された現場は、幅2メートルほどのなだらかな坂が続く山道。左右に松の木が立ち並び、途中から足場の悪い砂利道になる。道の先には観光名所でもある勝尾寺があり、高齢の登山者が利用するほか、子供たちの遊び場になることもある。 ただ、近所の男性(43)は「人通りは多くなく、普段は地元の人が10分に1人会うかどうか。一度でも訪れたことがあるなら分かるが、初めて来て分かる場所ではないと思う」と話す。

 飯森容疑者は16日早朝の犯行後、吹田市の北隣にある箕面市方面に向かい、山中近くの住宅街などをうろついていたとみられる。防犯カメラの映像などから足取りをつかんだ府警は17日、日の出とともに30人以上の捜査員を山中に投入、捜索活動にあたっていた。
 近くに住む男子高校生(17)は「吹田市は隣なので、こちらに来ている可能性はあると思ったが、こんなに近所だとは思わなかった」と驚いた様子。別の男子高校生(17)は「午前6時半ごろに犬の散歩にきたら、警察官から山道に立ち入らないでくださいといわれた。大勢の警察官が特殊な格好をしており、怖くなって家に帰った。まさか吹田の容疑者とは…」と絶句した。
 近所の主婦(45)は「昨夜から周辺に警察官がたくさんいるのを見かけた。昨晩は不気味だと思いながら近くを散歩したが、容疑者に気付かず、今朝も発見された場所辺りを散歩しようとしていたので、もし遭遇していたらと思うとぞっとする」と話した。


2019.6.16-産経新聞-THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/west/news/190618/wst1906180038-n1.html
被害の巡査、命に別条なし 拳銃強奪事件

大阪府吹田市の大阪府警吹田署千里山交番前で16日早朝、警察官が襲われ拳銃が奪われた事件で、刺された古瀬鈴之佑巡査(26)は手術を受け、回復傾向にあることが18日、府警への取材で分かった。意識不明の状態は続いているものの、命に別条がないところまで回復しているという。 古瀬巡査は左胸に包丁が刺さった状態でみつかり、意識不明の重体に。左胸の刺し傷は深さ11センチで、肺を貫通して心臓まで達していた。この傷を含めて太ももや腕などに7カ所以上の刺し傷や切り傷があった。 古瀬巡査は学生時代、ラグビーの強豪校で活躍しており、五郎丸歩選手らラグビー関係者が回復を祈るメッセージをSNSで投稿していた。

発生から1日あまり。拳銃を手に逃走した容疑者が逮捕されたのは、現場から約8キロ離れた山中だった。大阪府吹田市の交番前で男性巡査(26)を刺し、拳銃を奪ったとして17日朝に強盗殺人未遂容疑で逮捕された飯森裕次郎容疑者(33)。目立った抵抗もなく身柄を確保されたが、「私がやったことではない」と容疑を否認しており、事件の全容解明はこれからだ。
 17日午前6時半ごろ、大阪府箕面市の山道沿いに置かれたベンチ。リュックを枕代わりにして横たわっている男を、大阪府警の捜査員が発見した。 男は紺の上着にえんじのズボン、水色の帽子姿。目は開けており、捜査員に気付くと、わずかに手を動かした。すかさず制止する捜査員。男は素直に応じ、名前を尋ねられると「飯森裕次郎」と名乗った。
 ベンチの下にはポリ袋があり、中には奪われた拳銃が入っていた。リュックの中には現金約10万円が入った財布、小銭入れ、黒のズボンなどがあったが、食料は持っていなかった。


2019.6.3-The Sankei News-https://www.sankei.com/affairs/news/190603/afr1906030013-n1.html
元農水次官「川崎の事件が頭に浮かんだ」と供述 長男刺殺

東京都練馬区早宮の自宅で長男の胸などを包丁で刺したとして、警視庁練馬署に殺人未遂容疑で現行犯逮捕された元農林水産省事務次官の
     無職、熊沢英昭容疑者(76)が「川崎市の20人殺傷事件が頭に浮かび、息子が周囲に危害を加えないようにしようと思った」という趣旨の
     供述をしていることが3日、捜査関係者への取材で分かった。
   同署は同日、熊沢容疑者を送検。先月28日に川崎市多摩区で起きた殺傷事件を機に、熊沢容疑者が長男、英一郎さん(44)に対する殺意を
     強めたとみて、詳しい経緯を調べている。
   死亡した長男の英一郎さん(44)の傷が十数カ所に上ることが判明。胸や腹など上半身に集中していたほか、自宅で殺意をほのめかすメモも
     見つかっており、強い殺意があったことがうかがえる。
   捜査関係者によると、英一郎さんは10年以上前から都内の別の場所に住んでいたが、本人の希望で5月下旬から実家に戻っていた。
     別居中にはごみ出しをめぐり近隣住民ともめることもあったという。
   熊沢容疑者は「(英一郎さんは)ひきこもりがちで、家庭内では暴力や暴言があった」と説明。「身の危険を感じた」とも供述し、練馬署は家族間
     にトラブルがあったとみている。
   事件の数時間前には、近所の小学校であった運動会の音がうるさいと腹を立てた英一郎さんと熊沢容疑者が口論になったという。
   事件は1日午後3時半ごろに発生。熊沢容疑者が「息子を刺し殺した」と自ら110番した。英一郎さんは、1階和室の布団の上に倒れた状態で
     見つかり、搬送先の病院で死亡が確認された。


2019年5月28日毎日新聞https://mainichi.jp/articles/20190528/k00/00m/040/023000c
川崎・登戸殺傷 児童ら18人襲われ小6女児と男性死亡 確保の男も死亡 【池田直、国本愛】

28日午前7時45分ごろ、川崎市多摩区登戸(のぼりと)新町の路上でスクールバスを待っていた小学生らに男が近づき、刃物で次々と刺した。
     小学生16人と近くにいた成人2人の計18人が襲われ、小学6年生の女児と別の小学生の保護者とみられる30代男性の計2人が死亡。
     40代女性1人、小学生女児2人の計3人が重傷を負った。110番で駆けつけた神奈川県警の警察官が、刺したとみられる男を確保。
     男は自分の首を刺しており、搬送先の病院で死亡が確認された。現場の状況から通り魔事件の可能性があり、
     県警は殺人の疑いで捜査している。
  県警によると、警察官が現場東側の植え込みの横で体から血を流して倒れている男を発見。近くに血が付着するなどした包丁2本が落ちており、
     県警は事件に関与したとみている。川崎市麻生区に住む51歳の男とみられ、他にも2本の包丁を所持していた。県警が身元や動機の
     解明を急いでいる。
  現場は小田急線登戸駅の近くで、県警によると同駅から北西に約1・5キロにある私立「カリタス小学校」(川崎市多摩区中野島)のスクールバス
     を待っていた小学生らが襲われたとみられる。小学生らを迎えに来たバスの運転手は「両手に包丁を持った男が西からバスに向かってきて、
     いきなり並んでいる子どもを刺した」と話しており、運転手が男に「何をしている」と言うと、男はその場で自分の首を切ったという。
  バス停の西側にあるコンビニエンスストア周辺に血痕があり、死亡した30代男性と重傷の40代女性はこの辺りで襲われた可能性がある。
     川崎市消防局によると、負傷者らは聖マリアンナ医科大病院や川崎市立多摩病院、新百合ケ丘総合病院、日本医科大武蔵小杉病院に
     搬送されて治療を受けた。死亡した女児と30代男性が搬送された武蔵小杉病院によると、2人とも首を深く切られていた。
  目撃情報によると、現場付近の歩道には少なくとも約50メートルにわたって複数の被害者が倒れていた。バス停の近くに止まっていたスクールバス
     のそばに小学生とみられる女児が倒れ、その西側に大人2人が倒れていた。心臓マッサージを受けている被害者もおり、腹部周辺に血が
     にじんでいたという。
  神奈川県私学振興課によると、カリタス小学校(内藤貞子校長)は、学校法人カリタス学園が1963年に設立した。カトリック教育を重視し、
     系列の幼稚園や中学校、高校がある。昨年度の児童数は647人(男子63人、女子584人)。小田急線・JR線の登戸駅から学園まで、
     スクールバスを運行している。


2019年3.23
滋賀県近江八幡市や堺市の民家で男性2人を監禁し、そのうち堺市の無職、渡部彰宏さん」(当時31)を死亡させるなどしたとして、殺人と監禁などの罪で、
     大津地裁は求刑どうり懲役30年を言い渡した。判決で伊藤寛樹裁判長は「監禁の実態はあまりにもむごい。おぞましく非人道的な犯行」と断罪。
     刑を受けたのは、飲食店経営「井坪政被告(30)であり、共犯者の4人はすでに大津地裁で懲役11~20年の判決を』受けているが、控訴している。
     (2019.3.23)
 教え子の中学一年生の男子生徒(13)のくびを締めるなどして軽傷を負わせたとして、大阪府警この華所は18日、大阪市立の
     中学校教諭-尾松大義容疑者(33)を逮捕した。(2019.3.19)
秋田県警秋田東署は17日、秋田市雄和種沢前田の70代の男性宅の敷地内で乳児3人の遺体が見つかったと発表した。ほぼ白骨化しており、死亡解剖
     したが死因や性別などは分からなっかた。同署は死体遺棄事件として調べている。(2019.3.18)
滋賀県長浜市琵琶湖岸で平成27年7月、同市の通信制高校生「金沢泰良さん=当時16歳=が湖に突き落とされ溺死した事件で、遺族が元少年3人
     =いずれも当時18歳=と保護者に大津地裁は計約7830万円の支払いを命じた。(2019.3.15)
愛知県豊田氏陣中町の集合住宅の敷地内「で「女の子2人がちをながして倒れている」と、付近に住む女性から119番があった。2人は同じ小学校に通う
     6年生と言う。現場には遺書と見られる文書があり、2人が飛び降り自殺をした可能性もあるとして、愛知県警豊田署が調べている。(2019.3.13)
香川県警高松南署は、同居する母親の首を絞めて殺したとして、12披、小西千保容疑者を逮捕した。(2019.3.12)
幼稚園に通う次男(6)の体を自宅で何度も蹴ったとして、福岡県警春日署は暴行の疑いで、同県春日市の無職の母(39)を逮捕した。暴行の動画が
     インターネットに流れ発覚した。母親は「次男がウソをつくのでいらいらしてやった」と容疑を認めている。同署によると、次男は中学生の兄(13)と
     両親の4人暮らし。母が暴行を加えている間、父親は不在だったと見られる。ネット上の動画では、母親が室内で横たわっている次男を怒鳴り
     ながら何度も蹴り、次男が泣き叫ぶ様子が写しだされている。7日、動画を見た人から県警に通報があった。(2019.3.9)
前橋市の県立高校2年の女子生徒(17)が2月、市内の踏み切りで電車に跳ねられて死亡し、「ツイッターに悪口を書かれ、うざいと言われたり、無視された
     りした」と「いじめ」があったと訴えるメモを残していたことが、母親への取材でわっかた。群馬県警はなどは、「いじめ」を苦に自殺した可能性がある
     とみて、経緯を調べている。(2019.3.9)
京都市伏見区のマンションで住人の交際相手の男性を刺殺したとして、京都市伏見署は、殺人容疑で同市左京区岩倉長屋町のアルバイト、江藤翼容疑者
     (36)を逮捕した。彼女は「一緒に死のうと思って包丁でさした。と容疑を認めている。(2019.3.9)

重機死傷事故問題:大阪市生野区で2018年2月、聴覚支援学校の児童ら5人が重機(自動車)にはねられて死傷舌事件で、
     自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)道路交通法違反(質問票虚偽記載)罪で大阪地裁は懲役7年(求刑懲役10年)を言い渡した。(019.3.6)
千葉県野田市立小4年の栗原心愛さん(10)が1月24日自宅浴室で死亡した事件で、父、栗原」勇一郎容疑者(41)が最初に逮捕された死亡当日の傷害容疑に
    ついて、千葉地検が傷害致死罪で起訴する最異臭の詰めをしていることがわかった。また、勇一郎容疑者地震のスマートフオンの動画や写真の解析を
    進めるとともに、栗原なぎさ容疑者に対するドメステックバイオレンスについても慎重に裏づけをしている。(2019.3.5)
神奈川県警鶴見署は5日、やけどで重傷の3歳女児を保護責任者遺棄の疑いで、母親の橋本佳歩容疑者(22)と同居の田中聡容疑者を逮捕した。(2019.3.5)
京都、大阪、兵庫3府県で起きた「連続青酸死事件」で、夫や内縁男性ら4人に青酸化合物を飲ませて殺害したなどとして「殺人罪と強盗殺人未遂罪に
    問われ、1審で「死刑判決」を受けた「筧千左子被告(72)」の控訴審初公判が1日、大阪高裁で開かれた。樋口裁判長は、弁護側の主張を
    一切認めず、即日結審、判決を5月24日にすると決定。(2019.3.2)
「緊縛女性殺害事件」で警視庁捜査1課が「強盗殺人事件」として深川署捜査本部を設置した。この事件は2019.2.28日午前11時半頃、東京都江東区の
     マンション1室で緊縛された無職・加藤邦子さん(80)の遺体が見つかった事件。その時間帯に3人組が軽乗用車で走り去った3人の行方を追っている。
     この事件の中旬頃、アポ電で資産状況を確認している。また渋谷で息子を装ったアポ電後に3人組が高齢者夫婦宅に押し入る2件の緊縛強盗事件
     が発生しており、手口が似ていることから同一犯と見て調査している。(2019.3.2)
「緊縛女性殺害事件」で警視庁捜査1課が「強盗殺人事件」として深川署捜査本部を設置した。この事件では逃走した3人が神奈川県方面に逃げたと
     思われる。また犯行現場ではインターフオン(カメラ付)、電話線が切られていた。(2019.3.2)
2019年2月
児童擁護施設「若草寮」の養護施設長:大森信也(46)が元入所者である「田原仁容疑者」にめった刺しにされて死亡。警視庁代々木署の発表によると、
     田原容疑者は18歳がら数年間同所に入所していた。(2019.2.26)
「富田林署逃走事件」で逃走した「樋田淳也被告」=加重逃走罪などで起訴=について、大阪府警は25日闘争中大阪府内で「ひったり」を繰り返したとして
     窃盗容疑で追送検したと発表した。ただし、「樋田淳也被告」は、再逮捕されてから黙秘を続けている。(2019.2.26)
交番射殺事件」-滋賀県彦根市の交番で昨年4月、井本光巡査部長(当時41)を拳銃で射殺したとして大津地裁判決が懲役22年を言い渡した判決に
     ついて弁護側が控訴をしない方針を示し刑が確定した。(2019.2.24)
潤看護士殺害事件・平成26年に大阪市西成区で準看護士:岡田里香さん(当時29歳)が殺害された事件の裁判員裁判の初公判が22日に開かれた。
     同級生の日系ブラジル人、オーイシ・ケティ・ユリ被告(34)が出廷し、弁護側は起訴内容を認めたが、犯行当時被告は「精神疾患」であったことを
     全面に出して闘う予定である。ただ、同被告は海外に逃亡中であったが、県警の催促により、約2年8ヶ月後に日本へ引き渡された。(2019.2.22)
松橋事件(昭和60年、熊本市松橋町で男性=当時59歳=が刺殺された事件で、殺人罪などで懲役13年が確定し服役した)宮田浩喜さん(85)の裁判のやり直し
     再審で、検察側は有罪立証をしない方針で、宮田さんの無罪が確実となっている。(2019.2.8
岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」で平成29年夏、入所者5人が死傷した事件で、逮捕された元職員が事件前に夜勤シフトの負担が
     重いと施設や家族に訴えていたことが5日わかった。(2019.2.6)
奈良県上牧の介護老人保健施設「こころ上牧」で平成5月、入居者の「森本ミツエ(97)」さんが殺害された事件で、殺害容疑で元職員を逮捕したが、元職員は
     容疑を否定している。(2019.2.6)
平成29年5月、広島県警広島中央署で特殊詐欺事件として金庫で保管されていた現金8,572万円の盗難が発覚した事件で、県警は互助会や退職者
     で作る組織からも現金を拠出して全額を穴埋めする方針。理由は内部犯行の可能性が高い中で、税金での穴埋めは県民の理解を得られない
     として、県警内で補填することにした。ただし現在までに犯人は特定されていない、また、現金も見つかっていない。(2019.2.5)
スマホの解除捜査によるスマホ情報を得るには裁判所の令状か、本人の了解を得ない解除は、議論を呼ぶことである。日本の捜査に利用したのは、
     平成29年、福岡県小郡市住宅街で女性2人と子供の遺体が見つかり、殺人罪で夫の元警察官が起訴された事件で被害女性の
     アイホーンを分析した結果、女性ではないとの核心を得ている。そして男のアイフオーン韓国サムスン電子の「ギャラクシー」を解除して情報
     を得ていた。また多数の女性と性行為をしたどうがデーターも確認している。(2019.2.3)
茨城・女子大生殺害遺棄事件」昨年11月から行方不明となっていた東京都葛飾区の日本薬科大1年・菊池捺未(当時18)が殺害遺棄された事件で、
     菊池さんに目隠しをしてアパートに連れ込んだことが2月1日にわかった(2019.2.1)
2019年1月
昨年11月より行方不明となっていた東京都葛飾区に住む女子大学生(19)=失踪当時18歳=で茨城県神栖市内の畑で発見した。この事件で
     警視庁捜査1課は35歳の男を逮捕した。茨城県神栖市深芝南、広瀬晃一容疑者を逮捕。「掲示板で知り合った女性に騒がれたのでくるまの
     中で殺した」と自白している。(2019.1.31)
虐待や経済的事情で実親が育てることがができない子供に家庭的な環境を与える「特別養子縁組」制度で法制審議会は促進を促すため、対象年齢
     を小中学生が含まれる15歳未満までにする用にと「民法改正要綱を提言した。同時に家庭裁判所、実親は縁組同意から一定期間経過後は
     撤回ができないようにする。(2019.1.30)
和歌山県紀の川市で平成27年、小学5年の森田都史君(当時11歳)を刺殺したとして、殺人罪などに問われ、1審で懲役16年(求刑25年)の判決
     を受けた中村桜洲被告(26)の控訴審で中村被告は事件当時「発達障害」であったと「鑑定医」が証言した。(2019.1.30)

滋賀県彦根市の交番で=当時41、警部に特進=を拳銃で射殺したとして、殺人罪などに問われた元巡査の男(20)=懲戒免職、事件当時少年=の
     初公判で、弁護士は事件当時「心神耗弱状態」であったと主張した。(2019.1.30)
さいたま市大宮区で会社員「金井貴美香(22)さんが殺害された事件で、元交際相手の前橋市職員:鳥山裕哉容疑者を殺人未遂容疑で逮捕。
     (2019.1.26)この暴力事件で警察は何度も警察に相談していたことが明らかになっている。こうした交際相手から暴力は
     「デートDV」(ドメステイックバイオレンス)と呼ばれ被害者は追い詰められて自分を責めることもあり、被害が表面化しにくいことが多い。
     (2019.1.26)
埼玉の女性殺害事件:被害者の金井貴美香さんが昨年9月よりたびたび、埼玉県警に「暴力」を受けていたことで相談していた。交際相手だった
     前橋市道路管理課の技師「鳥山裕哉容疑者(25)は、県警に逮捕されている。(2019.1.25)
茨城大農学部女子大学生殺害(平成16年の事件)(当時21歳)事件で茨城県警は24日「殺人と強姦致死」容疑で国際手配している当時18歳の
     フイリッピン国籍の元少年(33)を逮捕した。この事件には主犯格の「ランパノ・ジェリコ・モリ容疑者=逮捕ご裁判で無期懲役」、当時19歳の
     共犯者に対しても国際手配している。(2019.1.25)
東京都葛飾区に住む女子大学生(19)が昨年11月から行方不明:現在、女子大学生に最後に接触していた30代の男性から事情聴取を始めている。 
     (2019.1.25)
富山市池多の富山県警富山西署池多駐在所で山本宏樹巡査部長が軽傷を負った事件で富山大生:「前田将輝容疑者」を負傷しながら
     逮捕 富山中央署奥田交番で男性警部補=警視に昇格=が刺殺され、拳銃を奪われ、直後に近くの市立小の警備員の男性も射殺された事件
     で強盗殺人容疑で元自衛官の男(22)を逮捕した。(2019.1.25)
2018年2月-女性会社員(27)切断遺体でさらに京都、大阪の竹林、山中などに遺棄・・・米国籍のバイラクタル・エフゲニーバシリエビチ被告に検察側は
     「懲役13年」を求刑 (裁判員裁判-神戸地裁)

2018年12月
中一男女殺害事件」死刑判決・平成28年8月:平田奈津美、星野凌斗殺害事件
わんずまざー保育園」元園長に神戸地裁姫路支部徳岡裁判長が賠償命令
ブランコに釘21本刺さっていた。悪質いたずら-兵庫県加古川市平岡町の大溝公園
寝屋川中一殺害事件(平田奈津美・13歳、星野凌斗・12歳-殺害事件・・・「中一男女殺害事件」死刑判決・平成28年8月(2018.12.20)
  大阪寝屋川中一男女殺害事件(H28年8月)検察側 - 状況証拠で立証?
  平成27年8月-大阪寝屋川中一男女殺害事件
2018年11月
兵庫県住宅火災「小2,6年生死亡-19日深夜
平成16年小学1年生-有山楓(当時7歳)拉致、殺害事件に黙祷
歩道橋に「糸」張り、男児転倒軽症-兵庫.垂水署が捜査
宮崎で女児など6人遺体で発見、父親、川で遺体見つかる、女児は窒息死?(2018.12.2)
宮崎-6人刺殺事件-次男の女性関係?「なた」で次々襲撃の模様!!川の遺体は42歳次男と確認
2018年10月
孫娘、祖父母殺害認める-宮崎県警古川署
津山女児殺害(H16年9月)起訴





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