原発の問題 wikipedia-1



柏崎刈羽原子力発電所
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  柏崎刈羽原子力発電所(かしわざきかりわげんしりょくはつでんしょ)は、新潟県柏崎市及び刈羽郡刈羽村にまたがる東京電力ホールディングス原子力発電所。世界最大の原発であり、略称はKK(ケーケー)。1号機から7号機までの7基の原子炉を有し、合計出力は821万2千kWである。
  1997年7月2日に7号機が営業運転を開始したことで、それまで最大だったカナダブルース原子力発電所の出力を抜き、世界最大の原子力発電所となった。発電された電気は、新新潟幹線及び南新潟幹線の2系統の各々50万V送電により、一旦群馬県吾妻郡中之条町の西群馬開閉所に収容され、そこから首都圏に送電される。
  東京電力ホールディングスはその事業地域内に原子力発電所を有しない電力会社であり、この発電所が所在する新潟県は東北電力の事業地域である。両者の協定に基づき、この電力の一部は東北電力に供給される。
沿革  ・1969年3月:柏崎市議会発電所誘致決議  ・1969年6月:刈羽村議会発電所誘致決議  ・1969年11月:柏崎刈羽地点原子力準備事務所設置  ・974年4月:柏崎・出雲崎漁協 漁協補償協定に調印  ・1974年田中角栄内閣、電源三法制定。後の角栄曰く「東京に造れないものを造る。造ってどんどん電気を送る。そして、どんどん東京から金を送らせる」  ・1975年3月:1号機原子炉設置許可を申請  ・1978年8月:建設工事に関し安全協定締結  ・1978年12月:1号機着工  ・1980年12月:2,5号機一次公開ヒアリング  ・1983年1月:2,5号機二次公開ヒアリング  ・1983年10月:2,5号機着工  ・1984年10月:3,4号機一次公開ヒアリング  ・1984年11月:1号機燃料装荷開始  ・1985年9月:1号機営業運転開始  ・1987年1月:3,4号機二次公開ヒアリング  ・1987年7月:3号機着工  ・1987年11月:6,7号機一次公開ヒアリング  ・1988年2月:4号機着工  ・1990年4月:5号機営業運転開始  ・1990年6月:6,7号機二次公開ヒアリング  ・1990年9月:2号機営業運転開始  ・1991年9月:6号機着工  ・1992年2月:7号機着工  ・1993年8月:3号機営業運転開始  ・1994年8月:4号機営業運転開始  ・1996年11月:6号機営業運転開始  ・1997年7月:7号機営業運転開始カナダブルース原子力発電所の出力を抜いて世界最大の原発となる。  ・2003年4月:福島第一原発他でのトラブル記録改竄・隠蔽発覚により東京電力の原子力発電所全17基停止。  ・2003年5月:6号機運転再開  ・2006年4月:日本の原子力発電所で初めて、品質管理の国際規格であるISO9001の認証を受ける。  ・2007年7月:新潟県中越沖地震により、稼働する全ての原子炉は自動停止した。また発電所構内の変圧器に火災が発生し2時間後鎮火した。  ・2007年8月:国際原子力機関(IAEA)が地震影響の調査  ・2009年12月:7号機営業運転再開  ・2010年1月:6号機営業運転再開  ・2010年8月:1号機営業運転再開  ・2011年2月:5号機営業運転再開  ・2017年12月:原子力規制委員会より6、7号機が安全審査に合格。  ・2021年4月14日原子力規制委員会が、テロリズム対策の不備を理由に、核燃料の移動や装塡を禁じる是正措置命令を決定。再び再稼働が見込めなくなった
送電設備・送電技術(100万V送電)
  柏崎刈羽原子力発電所から群馬県の西群馬開閉所までの2系統の送電線のうち、1993年に竣工した南新潟幹線は技術的に100万Vでの交流送電が可能な構造となっており、当初の計画では既に100万Vでの交流送電が開始されていたはずであった。しかし、電磁波の影響を懸念する沿線地域が計画に反対しているため、日本初の100万V送電計画は未だ実現しておらず、その目処も立っていない。同じ電力(単位時間当たりのエネルギー)を送電するのに電圧を上げるとそれに反比例して電流は小さくなるので、現在は50万Vで送電しているが、100万Vで送電すれば送電損失が1/4になる(送電損失)。但し、この損失は送電電力の1%ほどであり、多くの損失が変圧時に生ずることや昇圧によるコストアップなどを考えると、この程度の送電距離であればあまり必然性がないという判断がなされたともいえる。
  需要の増大に比例して電圧は上昇しており、20年で2倍程度に昇圧する傾向があるといわれている。同じ送電線で昇圧によりより多くの電力を送ることができるため、エネルギーソースの電気化が進む中、次第に100万V級送電は一般化するとも考えられる。
新潟県中越沖地震
  2007年の新潟県中越沖地震発生時、稼働する全ての原子炉は自動停止した。3号機のすぐ横の変圧器からの火災は地震発生から2時間後に鎮火した。この詳細とその後の状況を記す。
地震発生時の状況と現場の対応
 地震直後
  2007年7月16日10時13分頃に新潟県中越沖を震源とする新潟県中越沖地震が起こった。最大で993ガルを観測し、柏崎刈羽原子力発電所内の運転中の全ての原子炉は緊急停止した。
  ただし運転を管理する中央制御室では数十秒間にわたり続く揺れのために計器の確認が出来ない状況であった。第一運転管理部長は構内を自動車で移動中に地震発生、3号機建屋からの発煙を発見、運転中の全機がスクラム(緊急停止)したと構内PHSで確認、3号機すぐ横の変圧器から出火を確認、延焼の可能性はないと判断して初期消火を他の職員に任せ、スクラム後の対応に全力を傾けるべきとして緊急時対策室のある事務所建物へ移動。
  ところが緊急時対策室入口ドアの枠が歪んでドアが開かなくなったために室内に入れず、駐車場にホワイトボード4~5枚を引き出して構内PHSで連絡を取り続けた。
 3号機近くの変圧器火災の鎮火の過程
  全ての運転中の炉の中央制御室では、多くのアラームが鳴り続け、職員が対応に追われていた。3号機中央制御室でも100近くの異常を示すアラームに対応するために当直長ら5人の運転職員らは、変圧器火災の情報が知らされ、地元消防に通報を試みるが中央制御室に優先接続電話は無く、電話は繋がらなかった。3号機変圧器の火災現場では4人が消火を試みたが、消火栓の水は地震の影響でほとんど出ず、さらに緊急用の軽トラック搭載消火ポンプは失念していたという。自衛消防隊の招集も忘れていた。この時点で駐車場の第一運転管理部長は、「消火は出来ない」という連絡が入ったため、「地元の消防を待て」と指示した。周辺住民は外部からの携帯電話等の情報で発電所火災を知った。発電所から地元刈羽村への連絡は地震発生から1時間以上経っても無かった。新潟県庁にも詳しい情報は伝えられなかった。各自治体へ伝えられていた環境放射線の測定データも地震直後から途絶えていた。新潟県知事は最悪の場合を考え、地元自治体と住民避難の相談をはじめていた。地震発生から約2時間後の12時10分、非番からの呼集で原発へ駆けつけた5人の地元消防の手で3号機変圧器の火災は消し止められた。
 炉心の冷却
  第一運転管理部長は、3号機と4号機の炉心をスクラム後に冷やす2つの装置の内の片方が停止していて、1つの装置で2つを冷やす事の判断を迫られた。3号機当直長は午後4時、内外気圧の差圧異常の原因が判明、3号機建屋壁面のブローアウトパネルが脱落していた事、すぐには建屋の気密を戻せない事、などを知らされ仮緊急対策本部の第一運転管理部長へ報告。同部長は炉心冷却を3号機優先と決定した。この時、6号機建屋内で微量の放射性の水の漏洩が発見された。本来、放射性物質を扱わないフロアでの発見に3回にわたる試験と調査が繰り返され、漏洩発見から6時間後に同部長へやはり放射性の水の漏洩であることが報告された。これは、後に上の階のプールの水が地震の揺れでこぼれたものが配線の隙間穴から階下へ流れたものであることが判明し、その一部は外部へ排水されたと判った。
  翌日の朝6時54分にすべての炉心の冷却を終えて、安全な状態になった。
地震の影響
  この地震では、柏崎市で震度6強を観測したため、運転を行っていた2、3、4、7号機は自動で緊急停止した。原子炉冷却用冷媒等の重要な機構からの外部への放射性物質の流出は確認されていない。また、3号機建屋外部にあるの所内変圧器から出火したが、地震から1時間57分後の12時10分に鎮火が確認されている。その他、低レベル放射性廃棄物の入ったドラム缶400本が倒れた。うち39本のドラム缶は蓋が開いており、床の1カ所で微量の放射性物質汚染が確認された。6号機の原子炉建物内において鉄製クレーンの駆動部が損傷していた事も分かった。
 以下に確認された放射性物質漏洩を記載する。
  ・6号機の非管理区域で、微量の放射性物質を含む水が漏れ出し、一部が放水口を通じて海に放出されていたことが確認された。東京電力は、これが、使用済み核燃料プールの放射性物質を含む水が原子炉建屋内の電線を通す管を通り下の階に流れ出たためであると報告した。
  ・7号機の排気筒からは18日夜までの間、放射性ヨウ素の放出が検出された。大気へ放出された放射能量はヨウ素が約3.12億ベクレル、粒子状放射性物質が約200万ベクレルで、これによる線量は1000万分の2ミリシーベルト(0.0002マイクロシーベルト)と算定されている。操作手順のミスのため、タービンの軸を封じる部分から、復水器内の放射性物質が排気筒に流れ出たことが原因と報告された。なお、排気によって、主排気塔放射線モニタおよびモニタリングポストに有意な指示は確認されていない。
  ・10月21日、点検中の7号機の原子炉建屋2階で、コンクリート壁にひびが入り、放射能を帯びた水約6.5リットルがしみ出しているのを、20日午後5時20分頃パトロール中の作業員が発見したと発表。水は幅約0.1ミリ、長さ約3.5メートルのひびから漏れていた。この時点で採取した水からは放射能は検出されなかった。しかし、21日午前6時段階で再採取し検査したところ、250ベクレルの放射能(放射能泉の約30立方cmに相当)が検出された。東京電力は、使用済み燃料プールが損傷している可能性の他、地震時にプールから溢れた水がひびを伝わって出てきた可能性なども含め原因を調査するとしている。
  施設内部は地震発生から5日後の7月21日には報道機関などに立ち入りが許可され、公開された。
 IAEAによる調査
  国際原子力機関(IAEA)のモハメド・エルバラダイ事務局長は、地震発生後に調査協力の用意があると表明。日本政府はIAEAに調査団の受け入れを当面見送る意向を伝えたが、泉田裕彦新潟県知事7月21日、「IAEAの調査が必要だ」との考えを表明。原子力安全・保安院はIAEAの調査を受け入れると7月22日に発表した。8月14日にIAEAは予想より被害は少ないとの報告を行っており、同機関による事故評価レベル0から7までの8段階のうち「0(尺度以下)」である。
 設計時の予想を超えた加速度
  東京電力から発電所本館に設置されている地震計の記録が発表されており、それによると観測された記録は、耐震設計時の基準加速度を上回っていた。
  その後、3号機タービン建屋1階で2058ガル(想定834gal)、地下3階で581ガル(想定239gal)、3号機原子炉建屋基礎で384ガル(想定193gal)を観測したとの発表もなされた。
 柏崎市の緊急使用停止命令
  こうした地震の影響を受け、会田洋・柏崎市長は、東京電力に対し1-7号機のすべての貯蔵タンクなどを対象として、消防法に基づく緊急使用停止命令を出した[24]。また、経済産業省も同社に対して、耐震安全性が確認できるまで、原子炉の運転を再開しないよう指示を出した。
 風評被害の発生
  今回の地震では放射性物質の漏れは健康に問題があるとされる量を遙かに下回っているとされるが、たび重なる報道により、観光・漁業・農業などで「買い控え」がおきると言った二次的な風評被害が発生している。さらには2007年7月26日から8月まで秋田、静岡、千葉の3試合を日本で行う予定だった、セリエAカターニアは、放射性物質の流出を理由に日本遠征を中止した。泉田裕彦新潟県知事は「日本全土が放射能に包まれているような報道が海外でなされ、サッカークラブの来日中止どころじゃない甚大な風評被害が生じている」と語っている。地震後の優先順位は電源確保が最優先され変電機の火災(煙)に対する消火は地震発生時全体に比べ危険度は微々たるものであったが、メディアなどで煙をあげる変電機の映像を繰り返し、正確さよりも事故の危険性を煽ることを中心とした報道がなされた。
 その後の経過
  ・10月17日、炉内点検中の7号機で、燃料集合体の取り出し作業を行っているが、制御棒1本が引き出せないことが判明した。
  ・11月27日、6号機において引き抜けなかった制御棒2本を緊急時の手順により引き抜くことができた。
  ・12月24日、読売新聞は東京電力が震度7の揺れを観測したにもかかわらず国や自治体に報告していなかったと報道した。これに対して東京電力は、「「震度7」というのは気象庁が算出した正式なものでなく参考値であるため報告しなかった。地震観測データはすでに公表済みであり、個々の問い合わせにも応じており、隠していたわけではない」としている。
  ・2008年1月に行われた2度目のIAEAによる調査では、「安全上重要な機器などに地震による有意な損傷は認められなかった。」「今回の地震は、想定された地震動のレベルをはるかに上回っていたが、安全上重要な機器は予想以上にいい挙動を示していた。こうした内容を国際的な安全基準に反映させたい」「原発には安全余裕度が設けられていて、今回の地震による原発の揺れも許容できる範囲内だった」とのコメントが発表された。
  ・2009年3月27日、新潟県消防本部は1-7号機全てを対象にした火気作業や危険物の取り扱いを全面的に禁止した命令を3週間ぶりに解除した。
  ・2009年5月11日新潟県中越地震で被災し、1年10ヶ月ぶりに試験運転を開始した7号機で、緊急時に炉内に冷却水を送る原子炉隔離時冷却系などに一時不具合が発生した。9日にも類似の不具合があった。試験運転は継続している。
  ・2009年5月14日、11日に試験運転開始したばかりの7号機で、漏電警報が鳴っていたことが分かった。試験運転3件目の不具合である。
2009年12月28日、7号機が地震から2年5カ月ぶりに営業運転を再開した。
  ・2010年1月19日、運転再開に向けて試験運転を行っていた6号機は、地震後2年半ぶりに営業運転を再開した。この日、午前中に1号機と2号機で作業員が右手薬指の骨折や右手にかすり傷を負う事故が発生している。
  ・2010年8月4日、1号機の営業運転を再開した。
  ・2011年2月18日、5号機の営業運転を再開した。
(東京電力が保有する他の原子力発電所への影響および電力供給への影響については新潟県中越沖地震に対する東京電力の対応も参照のこと。)
福島第一原子力発電所事故後の措置
  2011年3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)で高さ14~15mの津波をかぶり浸水、原子炉冷却機能が失われた福島第一原子力発電所事故の発生を受け、東京電力は本原発において海抜高さ15mの防潮堤2013年6月までに設置すると発表。1~4号機の防潮堤延長は800m以上、5~7号機は500m以上となる。併せて海抜45mの高台に貯水容量2万トンの貯水池を建設した。
  2014年3月現在、同原発は1~7号機全てが定期検査および新規制基準適合性審査中を理由に停止している状況であり、東京電力は対策工事などを施したのち2013年度中の運転再開を目標にしていたが事実上不可能となった。東京電力は福島原発事故の賠償のため、原子力損害賠償支援機構と策定した特別事業計画の中に、2013年度中の再稼働を見込んでいることを明記した。この特別事業計画は2012年4月27日に枝野幸男経済産業大臣に申請され、2014年1月15日に経済産業省の認定を受けて正式発表された。
  市民団体「みんなで決める会」は、再稼働の是非について新潟県での住民投票条例の制定を求める署名運動を行うため、2012年4月から活動を開始した。
  2013年7月に地元新潟県の泉田裕彦知事と、東京電力の広瀬直己社長の会談が開かれた。ここで、泉田知事は「なぜ再稼働を急いだのか。道路混雑などで物理的に県民が早急に避難を完了するのは不可能で、数日に及ぶ車中泊により被曝量は増大する」などと具体例を列挙しながら東京電力の姿勢を批判し、再稼働を容認しない姿勢を示した。会談後の記者会見では広瀬社長も「難しい。」と答えた。これに対し甘利明経済再生担当相は、知事側が原子力規制委員会に安全性の判断させないと主張している点は誤解があると指摘し、原子力規制委員会の田中俊一委員長も、「申請が出されれば粛々と審査していく。」とし、「地元自治体との調整については規制委員会では関与しない。」と述べた。その後、知事側も再度の会談に向け調整を行なっていく考えを示した。
  2017年12月に、原子力規制委員会は6、7号機に対して新基準に対して適合性を示すと発表した。地元合意などを経て、東日本大震災後の再稼働へ進む見込みである。東日本大震災大震災後の新規制への適合性について、沸騰水型(BWR)として合格したのは本件が初めてである。
柏崎原発沖の活断層
  新潟県中越沖地震後の2007年12月5日東京電力1981年の当発電所の設置許可申請の時点で長さ8kmと短く評価していた活断層の長さを新たに23kmと確認されたと発表した。活断層の長さは、原子力発電所から海岸線に沿って約11.5km東北に北上した地点と、発電所から海岸線に沿って約11.5km南西に南下した地点の両地点間、延長約23kmの海岸線をそのまま18.5km沖に平行移動した長さと位置に相当する。従来のあると考えられていた、長さ8kmの活断層は柏崎市椎谷のほぼ観音岬沖であり、その発表は従来の位置と同じだが、長さ23kmに延長されたものであったとした。
  2号機以後の設計時に、東京電力では活断層の調査を行なったが、その時には新潟沖に4本の断層を見つけたとしている。この時には断層が古く短いとされて大地震を起こす可能性はないと判断された。鈴木康弘は東京電力が集めた79~85年の音波探査データを再分析して今回動いたとされる断層では、東京電力の約7kmに対して約36kmと判定した。2006年6月、島根原子力発電所に関して中国電力が「断層はない」としてきた地点で、中田高が活断層を実際に掘り起こすなどの成果によって、新しい断層の予想技術が認識されつつある。「活褶曲」(かつしゅうきょく)という地形の下に断層が潜んでいるというものである。渡辺満久は2007年9月に地球観測衛星「だいち」の合成開口レーダーのデータを分析した結果として「柏崎刈羽原発は活褶曲の真上にあるようだ」と発表した。


GREENPIECE
ゼロから学ぶ原力問題

  2011年3月11日に起きた、東京電力福島第一原発事故この事故は、原子力が一度暴走すれば人の手には負えないこと、人間も自然環境も傷つけ、その被害は広範囲・長期にわたることを、私たちに日々示し続けています。被害者の方たちが抱える困難、失われた自然や生物多様性、すべての原発立地地域で起きている分断は、原発の電気を使い続けてきた私たちみんなに責任のある問題です。いつ次の事故が起きるかわからない、使い終わった放射性廃棄物をどう処理すればよいのかもわからない原発は、未来を生きる子どもたちにとって負担にしかなりません。
  すべての原発を止め、持続可能な自然エネルギー100%の社会へ。問題を知り、変えるための行動が、100年先も残したい地球へとつながります。

このページで分かること
01私たちの暮らしと原子力発電
02原子力発電のしくみ
03原子力発電の問題点
04世界における原発事故の実態
05東電福島第一原発事故
06日本の原発の状況と建設計画
07脱原発へ舵を切った国々
08原発ゼロ、自然エネルギー100%の社会へ
09私たちに今すぐできること

01   原子力発電は危険を伴うものーー東京電力福島第一原子力発電所事故(以下東電福島原発事故)を経て、多くの人がそのように認識しているのではないでしょうか。地震国・火山国である日本では、いつ次の事故が起きてもおかしくありません。にも関わらず、原子力発電所(以下原発)の稼働は続けられ、新たな建設すら進められています。日本政府は原発について、依存度をできるだけ低減するという方針を出す一方で、温暖化対策と位置付けて重要視しています。
  東電福島原発事故発生以降、全国の原発は順次停止し、2014年には日本の電力における原子力の割合は0%になりました。しかし今は、事故の後に作られた新規制基準のもと徐々に再稼働しています。
  日本の電力消費量は、1970年代からずっと増え続けています。今も昔も電力を消費する最大の部門は産業部門です。電気の消費の約7割を産業、業務、運輸が使っています。わたしたちが仕事で使っている電気を自然エネルギーに変えること、わたしたちが家庭で使っている電気を自然エネルギーに変えることが、とても重要です。
02  そもそも、原子力発電とはどのような発電方法なのでしょうか。
  原子力発電は、燃料となるウランを核分裂させることで熱エネルギーを得て水を沸かし、その蒸気の力で蒸気タービンを回転させて電気を起こします。火力発電と電気を起こすしくみは同じです。タービンを回し終えた蒸気は海水で冷やされて水になり、原子炉に戻されます。
  ウラン燃料は、天然ウランを採掘・核分裂しやすいウランだけを取り出し濃縮する加工をして作られています。使った後は、使用済み核燃料になります。
03
問題点1原発事故の危険性
  原子力発電は、ウランの核分裂反応を利用します。その原理は原子力爆弾と同じです。爆弾は核分裂を短時間に大きく引き起こし、原子力発電は核分裂をコントロールして扱おうとします。ウランが核分裂する時には、熱とともにさまざまな放射性物質が作られます(=核分裂生成物)。東電福島原発事故の例でもわかるように、大きな事故が起きれば、閉じ込められているはずの放射性物質が外へ漏れ出します。
  放射線や放射性物質には、これ以下であれば安全という明確な値はありません。放射線はDNAを傷つけます。長期的な影響として、がんや白血病になるリスクが高まります。
  原発は通常運転でもこのような放射性物質を少しずつ外に出していますが、大規模な事故で大量に出してしまう危険性も常にあります。日本は活断層を多く持つ島国で、地震と津波のリスクが高いにも関わらず、原発は海水を多く使うことから海岸沿いに建設されています。地震や津波、加えて人為的なミスも含め、いつ次の大事故が起こるかわかりません
  ウラン燃料をつくるためのウラン鉱石を掘り出す施設や、ウランを濃縮する施設、燃料棒を作る施設、原発、原発の使用済み核燃料を再処理する施設、放射性廃棄物を処理する施設……これら原発のライフサイクルのすべてで、放射性廃棄物を生み、放射線事故の危険性があります。
問題点2処分場所がない核のごみ「放射性廃棄物」
  日本では、1960年代から原発が利用されてきました。運転を始めた以上、逃れることができないのが、放射性廃棄物の問題です。原発の燃料は、使用後には使用済み核燃料となります。日本は、この使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し再利用する計画を進めてきました。再処理した後の廃液をガラスで固めたものが「ガラス固化体」と呼ばれる「高レベル放射性廃棄物」です。
  現在、数千本もの「ガラス固化体」が青森県六ヶ所村と茨城県東海村の施設で一時保管されています。高レベル放射性廃棄物が安全なレベルになるには、数万年かかります。日本にはまだ最終処分場がありません。
  また、使用済み核燃料は、全国の各原発施設内の貯蔵プールなどに保管されています。全国の原発で、今後数年で燃料プールが満杯になる見込みです。その後使用済み核燃料をどうするのか、計画の目処はたっていません。
  ほかにも、ライフサイクルを通して、燃料の制御棒やポンプ、施設のコンクリート、金属、手袋など消耗品、廃液などさまざまな低レベル放射性廃棄物が出ます。膨大な放射性廃棄物を今後どう管理しどう処理していくのか。数万年単位で放射線を出し続ける放射性廃棄物を含み、これ以上増やさないためにも、まず、原発を止める必要があります。
問題点3通常時も放射性物質を放出、労働者の被ばくが前提
  原子力で発電するために、驚くほどたくさんの関連施設が存在しています。原発の燃料となるウランを掘り出す鉱山から、使用済み核燃料を保管する施設まで、すべての場所で労働する多くの人たちが、放射線を浴びながら働いています。原発での被ばく労働により、白血病が労災認定された例もあります。
問題点4海の生態系に悪影響
  日本ではすべての原発が海岸沿いに建てられています。これは、海水を冷却に使っているためです。この冷却水による海洋生態系への弊害について、これまで多くの海洋学者や学会が指摘し、政府や電力会社宛てに、複数回にわたって要望書を提出してきました。
  まず直接の被害として、海水が原発に取り込まれる時、プランクトンや魚介類の卵などが死滅しています。冷却水はもとの海水温よりも7度程度高くなって海に戻されるため、周辺海域に温暖化をもたらします。さらに、原発内を清掃した水など、放射性物質を含む排水も海に流されており、海の生き物に影響することが懸念されています。
  また新たな原発建設工事は、海底のボーリング調査や海岸の埋め立てなどにより生態系を破壊します。中国電力が建設を計画する上関原発建設予定地、山口県上関町の田ノ浦海岸は、生物多様性が極めて豊かな希少動物の宝庫です。原発の建設工事を止めるよう、周辺の住民や市民団体が反対運動を続けています。
問題点5核にアクセスしやすくなり「核拡散」の危険性が高まる
  原発の燃料のウランは、原爆の材料でもあります。原爆には「高濃縮ウラン」が使われますが、原発の燃料のウランからも作れます。また、日本では、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出していますが、「プルトニウム」も原爆の材料になります。核兵器を作ろうとする国やテロリストが、ウランやプルトニウムを奪取しようとする可能性があります。
  2019年末時点で、日本の保有するプルトニウム量は45.5トン。国内では青森県六ヶ所村再処理工場などに8.9トンを、再処理を委託したイギリスとフランスに合わせて36.6トンを保有しています。プルトニウムは6キロもあれば、核爆弾を1個作ることができます。つまり、45.5トンは核爆弾7,000発以上に匹敵します。そのため、アメリカなどを中心に国際社会から懸念が表明されています。日本は、プルトニウムを原発で燃料として使用し減らしていくとしていますが、計画は進んでいません。使用済み核燃料からプルトニウムを取り出す六ヶ所村再処理工場は、事故や故障が相次ぎ、稼働は延期され続けています。その危険性から、市民の反対運動も続いています。
問題点6もっともコストの高い電源
  原発は、建設費用に数千億円がかかりますが、立地自治体への補助金、反対世論を抑えるための広報費などにも莫大なコストがかかります。また、東電福島原発事故以降に追加された安全対策の費用は、原発1カ所で数千億円にのぼるケースもあることがわかっています。さらに、東電福島第一原発事故の被害総額は81兆円という試算もあります(日本経済研究センター)。
  従来の日本政府による発電コスト計算は、こうした建設費用や事故被害額、安全対策費用が低く見積もられています。稼働率も現実に即していません。
  また、原子力発電は、発電時の熱効率の悪い発電方法です。熱効率とは発生した熱のうちどれくらいが電気になるかという数値ですが、火力発電で約40%、原発は33~34%です。さらに発生した熱の多くが温排水として捨てられています。
問題点7原発は温暖化対策にはならない
  日本政府、経産省は、CO2削減のために原発の再稼働を進めています。核分裂の熱を利用する原発は、発電時にCO2を排出しません。しかし原発は温暖化対策になりません。
  原発は、燃料を作るにも使用後も工程が多く、そのすべての段階で、エネルギーが使われてCO2が発生します。各工程間の輸送でもCO2を排出します。
  危険を伴う原子力は、立地から、管理、運営、核のごみの後始末まで、お金や人、政治的リソースをたくさん使います。その分、地球温暖化の抜本的解決策である自然エネルギー導入や省エネ推進が遅れてしまいます。
  原発は、トラブル、不祥事、裁判、自然災害などで計画通りの運転ができないことがよくあります。そのたびに、不足分を補うために火力発電を動かすことになります。また、トラブルがなくても、約1年ごとに、定期点検を行うために、3カ月程度運転を停止します。その間のバックアップのために、原発が増えるとともに火力発電も増えてしまいました。
  何よりも、通常運転でも放射能を放出し、被ばく労働者を生み、使用済み核燃料の処分方法も場所も決まっていない原発に、持続可能性はありません。

(実態)
1979年 アメリカ・スリーマイル島原発事故:国際評価レベル5
  1979年3月28日、アメリカ北東部ペンシルべニア州スリーマイル島の原発で起きた世界初のメルトダウン事故。トラブルとミスが重なり核燃料の冷却ができなくなり、燃料が溶け落ちました。放射能が放出され、周辺自治体の住民が避難しました。溶け落ちた燃料に金属などがまざった「燃料デブリ」の一部は、いまだ取り出されていません。
  原発事故・トラブルの深刻度を示す国際的な指標「国際原子力・放射線事象評価尺度(INES)」では、レベル5の事故となっています。
1986年 旧ソ連・チェルノブイリ原発事故:国際評価レベル7
  1986年4月26日、旧ソ連のチェルノブイリ原発で起きた原子力史上最悪の事故。国連は「人類の歴史上もっとも深刻な環境破壊」と称しています。原子炉が暴走して爆発、大量の放射能が放出され、北半球全体を汚染しました。ソ連が開発した原子炉の安全設計上の問題と、運転員の規則違反や、運転管理上の問題などが重なって起きた大事故でした。原発から半径30キロ圏は今でも立ち入り禁止です。汚染も続いており、今でも500万人もの人々が、汚染された土地での生活を余儀なくされています。
  INES評価では、もっとも深刻な事故・レベル7とされています。
1999年 茨城県東海村・JCOウラン加工工場臨界事故:国際評価レベル4
  東電福島第一原発事故以前におきた日本の重大事故として、JCO臨界事故があります。核燃料加工会社JCOで、大量の放射能を浴びて作業員2名が死亡、約31万人が屋内退避しました。
  核燃料をつくる過程でウラン溶液が臨界に達し、核分裂連鎖反応が起きて中性子線、ガンマー線が放射されました。
国際評価でもっとも深刻なレベル7の大事故
  2011年3月11日、東日本大震災が発生しました。東電福島第一原発は、地震によって外部電源が失われ、その後津波により全電源が喪失。原子炉3基で冷却機能が失われ、炉心が溶け出し(メルトダウン)、1号機、3号機、4号機が爆発して大量の放射性物質が放出されました。
  原子力施設の事故の深刻度を示す国際評価は、チェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」。推定で4〜90京ベクレルの放射性物質が放出され、7〜8割が海へ、残りが陸へ拡散しました。深刻な放射性物質の拡散状況であったにも関わらず、事故発生当初、周辺住民への避難指示は限定的なものでした。3月11日時点で3km圏内、12日に10km圏内、15日に30km圏内に屋内退避指示が出されました。大量の放射性物質が流れ込んだ飯館村に避難指示がだされたのは4月22日でした。福島市、郡山市なども深刻に汚染されましたが、避難指示がでることはありませんでした。

終わらない汚染。除染費用20兆円超という試算も
  除染廃棄物や除染土は、1,600万~2,200万m3と推計されており、東京ドーム約13~18杯分に相当します。除染費用だけで総額で20兆円かかるという試算もあります。
  しかし、福島県の7割を占める森は、道路から20mまでしか除染されません。除染されていない森には事故発生直後に降り注いだ放射性物質が溜まっていて、いわば貯蔵庫の役割を果たしています。森林に降り注いだ放射能は、雨や台風によって低地へと移動します。一度除染された場所でも、ひとたび大雨が降れば再汚染がおこります。セシウム134が半分になるまでに約30年、1000分の1になるまでに300年かかります。汚染には終わりはありません。
  グリーンピースでは、事故発生直後の2011年3月に放射線調査をする国際チームを結成し、以降現在まで継続的に放射能汚染の実態調査をおこなっています。
高すぎる被ばく限度、奪われる避難の権利
  東電福島第一原発事故が起きるまで、一般人の被ばく限度は年間1ミリシーベルト(以下mSv)でした。しかし政府は、避難指示解除の基準を一般人の被ばく限度を20倍の20mSvとし、年間1mSvを「長期目標」としました。
  政府は除染対象地域の除染が完了した地域から避難指示を解除し住民の帰還を進めていますが、グリーンピースの調査では、避難指示が解除された地点でも、年間1mSvを上回る結果が出ています。除染が完了した地域も、大雨のあとには流れてきた土によって再汚染されたり、空間放射線量が著しく高いホットスポットが生まれたり、放射線量が変化することがわかりました。
  グリーンピースの調査結果が示すのは、避難指示が解除された地域でも、日常生活を安全に過ごせるとはいえない放射線状況が継続している場所があるという事実です。
  避難指示が解除された地域の住民には賠償金は支払われなくなり、帰還しないことを選んだ住民は自費で避難生活や移住をしなければいけません。住民が避難をする権利が侵害されています。
  グリーンピースでは、被災者12人の10年間の歩みと思いを綴ったサイト『写真と証言で綴る12人の10年 福島の記録』を作成し、事故を経た福島での暮らしについてインタビューしているほか、原発事故を踏まえた反省や未来への思いを6名の専門家の方に伺いました。
廃炉最大の課題「放射能汚染水」
  東電福島第一原発における大きな課題となっているのが「汚染水問題」です。燃料を冷やす水や地下水が放射能汚染水となって増え続けており、2021年時点で敷地内に125万トン以上貯蔵されています。
  この放射能汚染水は、放射性核種除去装置(ALPS)などを使って処理されていますが、処理後もALPSでは除去できないトリチウムや、除去しきれなかったストロンチウムなどが大量に含まれています。除去できない放射性核種には、炭素14という半減期が5730年という長寿命のものも含まれています。
  放射能汚染水の処分方法について、漁業関係者や多くの市民が反対するなか、2021年4月、日本政府は海洋放出を閣議決定しました。これは、現在も事故の影響で苦しむ福島の人々に追い打ちをかけるものです。政府は放射線のリスクを軽視し、「原発敷地内や周辺地域に十分な貯蔵能力がある」という国の小委員会での議論を無視しています。グリーンピースは今後も放射性廃棄物の太平洋への放出をさせないよう取り組んでいきます。
東電が放射能汚染水を流してはいけない理由はこちら
  
日本の原発の状況と原発計画
  東電福島原発事故後、全国の原発は徐々に稼働を停止し、2014年にはすべてが停止しました。再稼働には、事故後に作られた原発の「新規制基準」への適合を認められる必要があります。2015年以降、複数の原発が新規制基準の審査を受け、稼働を再開しています。現在日本には30基以上の原発があり、さらに新たに3基が建設中で、6基が建設準備中の段階にあります。
  全国の原発は、それぞれに問題を抱えています。関西電力は福井県の地元会社から金品を受け取っていたことがわかり、新潟県の柏崎刈羽原発は、中央制御室への不正入室を始めとする不祥事が明らかになっています。宮城県の女川原発は東日本大震災で被災し、原子炉建屋の1130カ所でひびが見つかりました。静岡県の浜岡原発は、予想される東海大地震の震源域の真上に位置しています。ほかにも、活断層の有無や火山灰の届く範囲かどうかなど、調査中の原発も多くあります。
  うした状況を受け、ほとんどの原発に対して、住民らによる運転の差止めなどの訴えが起こされています。2014年に福井地裁が大飯原発3、4号機の運転差し止めを、2015年に福井地裁、2016年に大津地裁が高浜原発3、4号機の運転差し止めを、2017年には広島高裁が伊方原発3号機の運転差し止めを決定しています。上級審で覆される例が多くあるものの、こうした司法判断は世論に大きな影響を与えてきました。2020年12月には、大飯原発3、4号機について設定許可の取り消しの判断も出ています。
脱原発へ舵を切った国々
  東電福島第一原発事故を受けて、あらためて、スイス、ドイツ、台湾、韓国が脱原発に舵を切りました。ドイツは2022年までに全廃を予定しています。イタリア、オーストリア、オーストラリアは東電福島原発事故以前から脱原発を決定、現在まったく原発は利用されていません。また、国として脱原発を掲げたわけではありませんが、ベトナムでは2016年に南部での原発建設計画が撤回されているほか、アメリカでは寿命を待たずに閉鎖される原発も出てきています。欧州や北アメリカでは原発の設備容量はほとんど伸びていません。
原発0% 自然エンレルギー100%の社会へ
  危険を伴い持続可能性のない原子力の利用をやめ、自然エネルギー100%の未来へ向けて舵をきることが、東電福島原発事故を経た日本が取るべき唯一の姿です。日本は現在、「原発依存度をできるだけ低減させる」としながらも、原発は「重要なベースロード電源」と位置づけています。「自然エネルギーはコストが高く、不安定で、扱うことが難しい」という従来の考えから脱却し、「自然エネルギー100%」を実現するにはどうすればよいかを考えるべき時が来ています。
  2020年、EU27カ国全体で総発電量に占める自然エネルギーの割合は38%に増加し、37%に減少した化石燃料を初めて上回り、最大電源となりました。一方、原子力はシェア25%に減少しました。これはすでにEUが、自然エネルギー中心のエネルギー構成にシフトしたことを意味します。自然エネルギー導入先進国のオーストリアは、2030年までに自然エネルギー100%を掲げ、2020年に既に欧州で最も高い自然エネ比率79%を達成しています。そして同国は国際原子力機関(IAEA)本部を首都ウィーンに擁しながらも、前述の通り原発廃止国でもあります。送電線のシステムの違いなど日本独自の課題もありますが、EUによるこのニュースは、日本の進むべき道を明るく照らしています。
私くしたちに今すぐできる事
 Action1
  自然エネルギーに切り替える
    原発に依存する大手電力会社から、自然エネルギーを供給する電力会社へと切り替えることは、誰にでも始められる重要な行動です。自宅や事務所で自然エネルギー100%の電力会社に切り替えれば、毎月の電気代が、そのまま自然エネルギーへの投資に繋がります。
    未来をつくる電気の選び方として、自然エネルギーの電力会社をまとめているプロジェクトもあります。
    グリーンピースも参加する、クリーンな電力会社がわかる「パワーシフト」HPはこちら
 Action2
  周りの人に情報とビジョンを伝える
    東電福島原発事故から10年以上が経ちました。記憶を風化させず、原発事故を知らない若い世代にも東日本大震災の記憶や経験を伝えていく必要があります。原発の再稼働についての世論調査では、反対が賛成を上回っているものの、反対・慎重な意見は年々減りつつあります。原発の危険性や本当のコストを伝えていかなければ、原発政策についての世論を変えることはできません。
    脱原発へと舵を切ったドイツやオーストリアの事例が示すのは、草の根の市民活動なくして改革はありえなかったという事実です。国や企業、組合など、力を持った組織を動かすことは容易なことではありません。しかし、中長期的な視点でみれば、時間を要しても、個人から個人へと「原発のない、安心して暮らせる社会」「少しでも良い状態で次世代に手渡せる未来」というビジョンを繋いでいくことは大きな意味を持っています。
 Aaction3
  グリーンピースの活動に参加する
    グリーンピースは、東電福島原発事故直後から放射能濃度測定をはじめとする放射線影響調査を行っており、現在も調査を継続しています。そして、調査によって得られたデータをもとに、科学的な根拠に基づいて、事故被害の状況を明らかにしてきました。国連の人権保障システム等を通じて原発事故被害者の人権保護を訴え、原発事故被害者はもとより、日本全国の原発立地地域の住民の活動を紹介する取り組みも行っています。
    グリーンピースがめざすのは、「原発ゼロ・自然エネルギー100%」。すべての原発を止め、持続可能なエネルギー社会の実現です。
    ぜひ、グリーンピースの活動にご参加ください。







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