イギリス(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)



2019.9.12-RETUERS-https://jp.reuters.com/article/uk-brexit-worst-case-idJPKCN1VX05T
英の合意なき離脱「最悪シナリオ」、食品不足や社会混乱を警告

[ロンドン 11日 ロイター] - 英政府は11日、合意なき欧州連合(EU)離脱によって想定される最悪の事態を記した文書を正式に公表した。
この文書はジョンソン首相が就任してから9日が経過した8月2日付で策定され、同18日に英紙サンデー・タイムズが内容を報道。その後議会からの公表要請を、合意なき離脱の準備を担当するゴーブ国務相が受け入れた。
ゴーブ氏は同紙が伝えた時点では、古い内容で最新の準備状況は反映されていないと説明していた。11日も文書に盛り込まれた想定は現在見直されていると改めて強調したが、合意なき離脱後の完全な形の最悪シナリオとしてはこれが直近のものだと認めた。
文書では、合意なき離脱によって、英仏海峡の物流などが相当滞り、医薬品や生鮮食品の供給が不足するため、英国全土に買い占めや抗議活動などが発生して、社会的な混乱が広がりかねないと警告されている。
またEU離脱期限が迫っているのに政治的な不安定さが続いていることから、国民と企業の合意なき離脱に対する備えは進まない公算が大きいとの見通しが示された。
野党・労働党は、この文書で合意なき離脱の深刻なリスクが確認できると指摘。広報担当者は「政府がこれほどあからさまな警告を無視し、国民の目をそらそうとしているのは全く無責任だ。ジョンソン首相は合意なき離脱がもたらす結果について、国民に対する誠実さを欠いていると認めなければならない」と批判した。


2019.9.11-朝日新聞 Asahi Degital-https://www.asahi.com/articles/ASM997TM7M99UHBI04L.html
合意なき離脱に消極的容認も EU側「何がしたいのか」

欧州連合(EU)からの離脱期限を10月末に控えた英議会が、離脱の先送りに道を開く立法を超党派でした上で10日、閉会した。しかし、離脱強行派で知られるジョンソン首相が、離脱に伴う混乱を避ける手立てで本腰を入れてEU側と交渉する様子はうかがえず、EU側には「合意なき離脱」を容認する空気も広がっている。
「合意なき離脱は望まないが、あらゆる代償を払ってまで避けようとはしない」
 英国と地続きで、離脱の影響を最も受けるアイルランドのバラッカー首相は5日の講演で、合意なき離脱の受け入れに言及した。英議会とジョンソン政権の対立に触れ、「残念ながら、合意なき離脱のリスクが非常に高まっている」との見方を示した。
 混乱を抑える手立てで合意しないまま、英国が「人・モノ・資本・サービス」の移動が自由なEUを出ることになれば、英在住のEU市民や英国と取引があるEU圏内の企業に大きな影響が及ぶ。EUはこうした事態を回避することを最優先課題としてきた。
 しかし、英国に向ける目は次第に懐疑的になっている。離脱に伴う条件で合意したメイ前首相は、英議会の承認を得られず辞任。7月末に就任したジョンソン首相は合意なき離脱を辞さない言動を繰り返している。9日には、政府にEUへの離脱延期要請を義務づける議員提案の法律が成立したが、もろ手を挙げて歓迎する雰囲気はEUにはもはやない。
 離脱の先送りには、EU加盟国すべての了承が必要。フランスのルドリアン外相は離脱延期法の成立が確実となった8日、仏ラジオ番組で再延期を了承するか問われ、「このままでは、ノン(だめ)だ。英国はどんな選択肢にも過半数の支持がない。何がしたいのかわからない」と切り捨てた。マクロン大統領は、今年3月末に予定されていた当初の離脱期限の延長の際も否定的で、フランスが再延長をやすやすと認めるとは考えにくい。


2019.9.4-Yahoo!!Japan ニュース-https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20190904-00141295/
「合意なき離脱」は英国の始まりの終わり 北アは直接統治へ 国民1人当り収入成長は10年で4~9%減速

[ロンドン発]英国の欧州連合(EU)離脱を調査している大学研究者のネットワーク「変わっていく欧州の中の英国」が4日「合意なき離脱」の問題点と影響について報告書をまとめました。
「『合意なき離脱』は英国政治の中心課題としてのEU離脱の終わりを意味しない。終わりの始まりでさえもない。(第二次大戦を勝利に導いた)ウィンストン・チャーチルの言葉を借りれば始まりの終わりになるのかもしれない」と警鐘を鳴らしています。
報告書のポイントは次の通りです。
【問題点】
(1)「合意なき離脱」は不確実性の長期化を意味する
「合意なき離脱」の影響がいつ、どのように現れるのか、はっきりとは分からないだけでなく、長期的な英国とEUの関係についての交渉と合意が依然として求められる。
(2)英国の財(モノ)輸出の半分は混乱に直面する
EU向けの英国の財輸出は、現在は存在しない国境管理に直面する。新しい関税がかなりの割合の輸出品にかけられ、特に農産物の輸出と自動車に適用される。事前の計画と貿易量の削減により主要港での即時の混乱は緩和されるが、しかしある程度の混乱は避けられない。カナダ、トルコ、日本を含む国々との貿易の優遇措置も適用されなくなる。
(3)北アイルランドは特にひどい打撃を受ける
アイルランドに移動する財に対する国境管理が即座に再導入される。それは輸出の減少と、主要産業におけるサプライチェーンの縮小、闇市場の活動の増加を意味する。失業率が上昇する。(プロテスタント系とカトリック系の総意による自治を定めた)ベルファスト合意を損ない、中央政府による直接統治に戻る可能性が非常に高い現実味を帯びる。
(4)「合意なき離脱」は英国国民の安全を低下させる恐れがある
データが犯罪を解決する鍵となる現代、警察活動と安全に大きな影響が生じる。英国は、EUのデータベースと、欧州逮捕状、シェンゲン情報システム、欧州刑事警察機構(ユーロポール)を含む協力へのアクセスを失う。進行中のものを含むオペレーションへのEUからの援助が即時に停止される。
(5)英国の国際的な評価が下がる恐れがある
争いはあるものの、英国は離脱清算金390億ポンド(約5兆500億円)の残りを支払う法的責任を負わないで済むかもしれない。しかし残額を支払わないと、EUは新しい貿易協定の交渉だけでなく、単独で実施した緩和策の一部を撤回する恐れがある。
(6)「合意なき離脱」はEUとのいかなる合意もさらに難しくする
(離脱を希望するEU加盟国のための手続きを規定した)EU条約50条の枠組みの外で合意を得るのははるかに難しく、時間がかかる。EU加盟国の議会が関与するにつれて、EU側からより多くの譲歩を求められる可能性がある。

【影響】
(1)貿易への影響はすぐに現れる
新しい規制と通関手続きがすぐに適用される。国境は旅行者には開かれたままだが、追加の手続きが行われ、結果的に遅延が生じる恐れがある。ただし「合意なき離脱」の即座の影響は一部、備蓄、ビジネスへの期待、フランスを含むEU27カ国の祝日によって最小限に抑えられるだろう。
(2)英通貨スターリングはほぼ確実に下落
ただし11月1日までに「合意なき離脱」の影響はすでにポンド相場に織り込まれている可能性がある。金融システム全体は安定を保つだろう。
(3)アイルランドと北アイルランド間の貿易業者の負担が増大
貿易業者は税関で申告し、関税を支払い、商品の適切な認証と、通知がタイムリーに与えられ、オペレーターとして登録されていることを確認しなければならなくなる。
(4)サプライチェーンに混乱が生じる
ジャストインタイムの生産プロセスに依存する自動車産業などの分野の生産に影響を与える。
(5)居住権はほとんど変更されない
現在、英国に居住しているEU市民、およびEUに居住している英国民は居住権を失うことはなく、即時の変更はほとんどない。
(6)新規移住者の地位は明確ではない
おそらく移民の流入は急激に減少する。英国は離脱前後に到着したEU市民を区別する深刻な行政的複雑さに直面する。最近出された政府の声明は混乱を増し、ダメージを与える恐れがある。
(7)混乱が長引くと、2週間以内に一部の食料が不足する恐れがある
11月と12月は飲食業界にとって食料を備蓄するのが最も難しい時期だ。
(8)現状を鑑みると英国経済は不況に陥る恐れがある
その深刻さは不確実だ。全体として経済的影響は短・中期的には、貿易の直接的な混乱の程度、消費者とビジネスの見通しへの影響、政府とイングランド銀行(英中銀)の政策対応の有効性にかかっている。

【長期的な含意】
(1)「合意なき離脱」でEU 離脱のプロセスは終わらない
協議が終了することや、英国とEUの関係の最終形が示されることはほとんどない。
(2)長期的な影響はEUとの将来の関係の条件による
どれくらいの速さでどんな条件で英・EU双方が交渉のテーブルに戻るかにかかっている。将来の交渉は厳しいものになり、英国の交渉の立場は著しく弱くなる恐れがある。
英ケンブリッジ大学のキャサリン・バーナード教授(EU法)は「いずれにせよ英国がEUとの関係を再構築する場合、財の貿易についてはEU規制との整合性が求められ、完全なルール・テイカーになる。サービスだけでなく漁業、ジブラルタル問題、人の自由移動に関しても英国は大幅な譲歩を強いられる」と指摘。EUとの新しい関係が始まるのは早くても2025年でそれよりも遅くなる可能性の方が強いそうです。
(3)「WTO(世界貿易機関)の条件」では英国経済の成長はより遅くなる
将来のEUとの関係がWTOの条件に基づいていれば、英国経済の成長は続くだろう。しかしEUに残った場合に比べて1人当たりの収入は今後10年で4%から9%低くなる恐れがある。内閣府の首席エコノミストを務めた英大学キングス・カレッジ・ロンドンのジョナサン・ポルテス教授は「イングランド銀行はEU離脱で投資が減り、英国の生産性は2~5%下がると指摘している」と強調しました。
(4)海外の英国国民の医療や社会保障に関する長期的な取り決めを解決するのに何年も要する
(5)将来の安全の取り決めを特別にアレンジするのにかなりの時間がかかる
欧州刑事警察機構とノルウェーの合意に7年かかった。報告書は「『合意なき離脱』の影響はこれまでの報告書で示唆したほど緊急でも目に見えるものでもないものの、重大でダメージが大きく、長引く」と指摘した上で「『合意なき離脱』が政府とビジネス、一般家庭に確実性を与えるというのはナンセンスだ」と警告しています。


イギリスの欧州連合離脱
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イギリスの欧州連合離脱、通称ブレグジットとは、イギリスが欧州連合から離脱することを指す。Brexitは "British" と "exit" の混成語である2016年6月23日の国民投票の結果、投票者の51.9%がEUを離脱することを選択したことによる。離脱は左右両翼を跨ぐ欧州懐疑派によって支持されている一方、親欧州派は離脱を中止し、EU加盟継続を主張している。

概要
1973年、英国はエドワード・ヒース首相の保守党政権下において欧州共同体(EC)に加盟し、1975年の国民投票によって継続的な加盟が支持された。1970~80年代には欧州共同体からの離脱は左派によって唱えられ、 1983年の左派労働党の選挙においては「完全離脱」が主張されてきた。しかし1980年代後半、欧州の単一市場への重要な支持者であるにもかかわらずマーガレット・サッチャー首相がECに対するアンビバレンスな態度を見せるようになったため、離脱の意見は右派にも広がった。 1990年代以降になると、今度は離脱の主張が右派から起こるようになり、保守党内での分裂は1992年の欧州連合条約(マーストリヒト条約)に対する反対へとつながった。
2010年代はじめ、イギリス独立党(UKIP)の人気が高まり、2014年にはヨーロッパで最も成功した党となった。彼らはEU加盟継続の是非を国民に問う国民投票の支持者であり、イギリス議会に影響力を及ぼすようになった。これを受けて、保守党のデビッド・キャメロン首相は2015年の英国総選挙のキャンペーン中に国民投票を約束した。キャメロン首相は残留派だったが投票に敗北、辞任し、キャメロン政権下で内務長官を務めたテリーザ・メイが政権を引き継いだ。メイは1年も経たないうちに総選挙にうってでたものの過半数を失い、メイ政権は北アイルランド民主統一党によって支えられることになった。
2017年3月29日、イギリス政府はリスボン条約第50条を履行した。英国は2019年3月29日英国時間午後11時のEU離脱を予定した。メイ首相はEU離脱後、欧州単一市場またはEU関税同盟の恒久的な加盟を求めないという政府の意向を表明、欧州共同体法1972を廃止し、既存の英国国内法に組み込むことを約束した。EUとの離脱交渉は、2017年6月に正式に開始され、2018年10月までに離脱協定案を締結することを目指した。2018年6月、英国とEUは税関、VAT、欧州原子力共同体に関する合意の概要をまとめた共同進捗報告書を発表、2018年7月、内閣はチェッカーズプラン(後述参照)、英国政府による提案の概要に同意した。

2018年11月、英国政府とEUの間で合意された「離脱協定案」と「政治概要宣言」の概要が発表された。 2019年1月15日、下院(定数650)はこの協定案を反対432、賛成202の圧倒的大差で否決した。これは英国史上最大票差による大敗北となった。3月12日、メイ首相はEUとの再交渉の結果をまとめた協定の修正案を下院に提出するも、反対391、賛成242の大差で否決、3月29日に差し迫る離脱期限を前にしたこの否決により、ブレグジットの混迷はひときわ尚深まった。
3月13日、法的拘束力はもたないものの「合意なき離脱 No Deal Brexit」を拒否する動議を賛成321、反対278で可決し、14日にはリスボン条約第50条を延期させる動議を賛成412、反対202で可決した。3月18日、下院議長ジョン・バーコウは1604年の前例を引用しながら、3度目の協定案の採決は許可されないという見解を示した。3月20日、欧州理事会議長ドナルド・トゥスクはメイ首相からの60日の期限延長の申し出に対して、2度に渡って否決された協定案が議会で承認された場合のみ、短い延長に応じるという 英国にとって厳しい条件を突きつけた
3月21日、ドナルド・トゥスク議長は離脱協定が議会承認されれば5月22日、されなければ4月12日まで離脱期限を延長する旨でのEU側の合意があったと発表した。これにより、3月29日の英国EU離脱はなくなった。3月25日、下院は議会が離脱交渉の主導権を握る案を賛成329、反対302で可決した。首相の提示した離脱案とは別の案が模索されることになったが、メイ首相は反発し、議会と首相の歩み寄りが焦点とみられた。3月28日、議会によって提案された8案はいずれも過半数に及ばないまま否決され、メイ首相は自身の協定案が採決されれば、辞任する意向を伝えた。3月29日、「最後のチャンス」とされた3度目の離脱協定案の採択が行なわれ、反対344票、賛成286票の58票差で否決された。これにより、5月22日の離脱はなくなり、4月12日までに英国は代案をEU側に提出する必要性に迫られることとなった。4月に入りメイ首相はEUに対して離脱の再延期を要請し、4月10日、EU首脳会議で最長10月末までの離脱延期が承認された
経済学者はブレグジットが中長期的に英国の一人当たりの実質所得を減少させる可能性が高いとし、さらに国民投票自体が英国経済を損なったと見ている。国民投票以降の影響に関する研究では、平均的な英国世帯のインフレ率上昇による年間404ポンド(およそ6万円)、およびイギリスのGDPの2〜2.5パーセントの損失が示された。ブレグジットは欧州経済領域(EEA)諸国から英国への移民を減らすと予想され、英国の高等教育および学術研究にも課題を投げかけている。英国の「離脱清算金」、およびアイルランドや他のEU加盟国との関係はいまだに不透明な状態にある。
英国経済への実質的な影響は「ハードブレグジット」になるのか、「ソフトブレグジット」になるのかによって異なると見られている。 HM財務省よる分析では、英国の経済状態を改善すると予想されるブレグジットシナリオは存在しないことが判明している。2018年11月の財務省の出版物はEUに留まった場合と比較してGDPの3.9%悪化を見積もった
離脱日周辺の動向
差し迫った離脱期限にもかかわらず「合意なし離脱」の可能性も排除しきれない先の見通せない状況から、英国国内ではさまざまな動きがでている。
英国政府は「合意なし離脱」に備えて、予測される水、食糧、医療品といった一連の基本物資の不足や混乱を抑制させるための処置として、「黄色いハンマー作戦」を立案した。5,000人と30の部署が関与する 同作戦では、最悪のシナリオ下において影響を受ける可能性のある12の「リスク領域」を特定した。また作戦にはロンドンにある英国国防省地下の核シェルターに3,500人規模の軍隊を待機させ、不測の国家非常事態に対応させるという「レッドフォルード作戦」も含まれている。国防省は燃料、食料、スペアパーツ、弾薬の貯蔵に約2700万ユーロを費やしたと推定されている。 2019年1月からの離脱準備は国防省にとって「優先度が高い」と考えられており、「ノ―ディール」到来に備え、すでにいくつかの訓練を実行した
また、離脱反対派の運動も活発さを増し、英議会ウェブサイト上でのリスボン条約第50条の取り消しを求める署名が500万人(数字は直接確認できる)を超えた。過去、2016年6月に同じように2度目の国民投票を求める署名が400万人を超える署名が集まったものの、自動ボットの関与が明るみにでて何千もの署名が削除されており、今回もその可能性があるという
2019年3月23日、100万人を超える人々が「反=離脱」や2度目の国民投票を要求して、ロンドンの通りを行進した。ロンドン市長サディク・カーンはキャンペーン名でもある「Put it to the People」のバナーを掲げてデモに参加している自分自身のビデオをツイートした。スコットランド首相ニコラ・スタージョンも参加し、集会で演説し「絶望を感じるのは簡単だが、わたしのメッセージは希望だ」と述べた。
別のデモの参加者のひとりはツイッター上に「英国での人生のなかで最大の詐欺が犯されたので、わたしは家族、友達と行進している。経済、国際的な評判、子供たちの仕事と愛、旅行の権利、わたしがしたように27のEU諸国を越えて自由に生活することへの計り知れない損害」とつぶやいた

メイ首相のスピーチ
2019年3月20日、短期間の離脱期限延長の申し出の後、メイ首相は短いスピーチをおこなった。その中で交渉の遅延は「わたしにとって大きな後悔」とした上で、わたしは国民の側にいるが、ブレクジットの事しか話さない議員にうんざりしている、今こそ議員たちの決断の時だと国会議員を非難した。この発言に対して、議員たちのメイ首相に対する非難と反発が高まった。首相は何カ月も以前から「わたしの離脱案か、もしくはノ―ディールだ」という強硬姿勢で議会にのぞんでおり、離脱プロセス全体に渡り、党派間での穏健派の合意形成よりも強硬派からの圧力を強く受けてきた。そしてそれを通じて議会で離脱協定の推進を主張したため、議員にしてみれば牽強付会な議会運営であり、さらにはその責任を転嫁された格好となった。発言は、EU側から3度目の議会承認を突きつけられるなかで、自らの議会を敵にまわす要因になるとみられている。

脅迫
国会議員
首相のスピーチののち、英国議会の議員たちは激怒した国民からの死の脅迫や襲撃、暴力に晒されていると訴えた。とりわけ親離脱派から標的とされてきた女性議員アンナ・スーブリは緊張が高まり、身の危険を感じるため「週末、家には帰れない」と言う。労働党の議員ロイド・ラッセル・モイルは男からメガネを掴み上げられ、「裏切り者!」と呼ばれた。労働党のダイアナ・ジョンソンも「裏切り者」と糾弾され、「銃撃して、絞首刑にされろ」というメッセージを受け取った。これらの事態に対して、ポーラ・シェリフ議員は憎しみを静めるよう、メイ首相に促した。さらに下院議長ジョン・バーコウは「あなたがたはが裏切り者ではありません。みなさんはそれぞれ最善を尽くしています」と述べ、議員たちを擁護した。2017年の議員への脅迫、暴行などの攻撃は142件だったが、2018年には270件に増加していた。
取り消し署名立案者
また、ウェブサイト上での条約撤回を求める署名を立案した70代の一般人女性のマーガレット・アンは電話で3度死の脅迫を受け、フェイスブックのアカウントをハッキングされた。「わたしはひどいと感じました。わたしはそういったことにタフだと思っていたので、自分自身が腹立たしかった。それでも怖かった」と彼女は語った


テリーザ・メイ
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テリーザ・メアリー・メイ(Theresa Mary May、1956年10月1日 - )は、イギリス政治家イギリス首相(第76代)、保守党党首(第27代)。
   旧姓はブレイジャー(Brasier)。庶民院議員枢密顧問官内務大臣などを歴任した。マーガレット・サッチャーに続く、イギリスで2人目の女性
   の保守党党首かつ首相。
生い立ち
イーストボーンに生まれる[1]。公共活動派だったイングランド国教会司祭の父に影響され、12歳の時に政治家を志した[2] グラマースクール
     呼ばれる公立進学校を経て、オックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジ英語版地理学を学ぶ[3]
EU離脱の是非を問う国民投票
メイは基本的には欧州懐疑派の政治家とみなされてきたが[5] 2016年6月23日に実施された英国のEU離脱の是非を問う国民投票ではEU残留に
     投票することを表明した。しかし残留のキャンペーン展開には消極的であった[6]
イギリスの首相
2016年7月13日、キャメロンの首相辞任を受けてバッキンガム宮殿に参内し、エリザベス2世女王から首相就任の承認を受け、
     第76代イギリス首相に就任した[10]
  マーガレット・サッチャーに続く女性で2人目の首相、かつ、21世紀で初めての女性のイギリス首相となる。首相就任後に首相官邸前で所信表明
     を行う[10][11]。新政権成立にあたって、主にEU離脱問題を担当する閣僚ポストとして欧州連合離脱大臣が新設され、
     デイヴィッド・マイケル・デイヴィスをそのポストに起用し、キャメロン政権で外務大臣を務めたフィリップ・ハモンド財務大臣に充て、
     ハモンドの後任外務大臣にボリス・ジョンソンロンドン市長を起用するなどの主要閣僚を発表して、正式にメイ内閣(第1次)を発足させた[12]
  2017年4月18日に下院を早期解散し、総選挙を行うことを提案した。下院の任期は満了させるとしていた過去の発言を覆した理由について、
     EU離脱にあたり強い体制が必要なためとした[13]が、最大野党の労働党の支持率低迷を受けたものとする見方もあった[14]。提案を受けて下院
     で早期解散についての採決が行われ承認された[15]
  当初各種世論調査では、保守党が支持率で他の党に対して大幅に先行していたものの徐々に労働党に詰め寄られ[16]6月8日に実施された
     総選挙では、保守党は第一党の地位は維持したものの、議席を選挙前から13減らしたため単独過半数を維持できず、ハング・パーラメント状態
     となった。しかし民主統一党の閣外協力を取りつけ[17]第2次メイ内閣を発足させた。
  2017年8月30日から9月1日にかけて来日し、安倍晋三内閣総理大臣と日英首脳会談を行い、皇居に参内し明仁天皇へ謁見した。
  2019年1月15日、ブレグジット(EU離脱)に関してEUとまとめた協定案について下院で採決が行われ、賛成202、反対432の大差で否決された[18]
     EU離脱により、英領北アイルランドアイルランド通関が復活すると、北アイルランドの民族主義者(アイルランド帰属派)との紛争が激化する
     ことを恐れた。そこでEU部分残留を可能にすることで、通関を不要にしたものだが、保守党内の強硬な離脱派などが反発し造反者が出たことが、
     大差による否決の原因だった[19]
  一方、労働党が提出した内閣不信任案も、1月16日に賛成306、反対325の19票差で否決され、メイ政権は続投することになった[20]
  5月24日、欧州連合(EU)からの離脱が行き詰まっていることを受け、辞任を表明。6月7日に辞任する見通し。


イギリス
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グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、通称の一例としてイギリス、あるいは英国は、ヨーロッパ大陸の北西岸に位置するグレートブリテン島・
     アイルランド島北東部・その他多くの島々から成る同君連合型の主権国家である。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの
     4つの国で構成されている[1]
歴史
古代のグレートブリテン島はアルビオンと呼ばれた。ラテン語起源で、ドーバーの白い崖に由来するとされる。1066年にノルマンディー公であった
     ウィリアム征服王 (William the Conqueror) がイングランドを征服し、大陸の進んだ封建制を導入して、王国の体制を整えていった。
     人口と経済力に勝るイングランドがウェールズとスコットランドを圧倒していった。
  13世紀、第一次バロン戦争第二次バロン戦争フランスに政治を左右された。1282年にウェールズ地方にもイングランドの州制度がしかれた。
     14-15世紀にわたりフランスと百年戦争を展開したが、1373年に英葡永久同盟を結んだ。
  ばら戦争を勝ち抜いたランカスター朝閨閥にバイエルン公でホラント伯のヴィルヘルム1世を迎えた。1497年、ジョン・カボットが北米海岸を発見した。
  1514年、検閲できない外国商人飛脚が設立された。1534年、国王至上法が出た。1536年及び1543年の統一法の下、スコットランドを正式に
     併合した(ウェールズ法諸法英語版)。1559年、キリスト教がイングランド国教会統一された。1562年フランスでユグノー戦争が起こってユグノー
     が移ってきた。亡命者トレンチ家はイギリスでクランカートリー伯となった[34]。1588年、アルマダの海戦でカトリック勢力を破った。1598年、
     ハンザ同盟の在ロンドン基地を閉鎖した。
  1600年イギリス東インド会社ができた。1603年にイングランドとスコットランドが同君連合を形成した。そしてヘンリー・ハドソンやウィリアム・バフィンが
     北米探検に活躍した。1620年、ピルグリム・ファーザーズが北米に上陸し、またフランスでユグノーが反乱しだした。1628年に権利の請願がなされ、
     翌年にリシュリューがユグノーと和解した。1639-1640年、スコットランド王国に国教会を強制しようとイングランドは二度の司教戦争を挑むが
     共に敗れてしまった。そして矛先をアイルランド王国へ変えて、チャールズ1世、オリバー・クロムウェル、ウィリアム3世の3人が17世紀末まで苛め
     抜いた。ウィレム3世はルイ14世に1600年イギリス東インド会社ができた。1603年にイングランドとスコットランドが同君連合を形成した。
     そしてヘンリー・ハドソンやウィリアム・バフィンが北米探検に活躍した。1620年、ピルグリム・ファーザーズが北米に上陸し、またフランスで
     ユグノーが反乱しだした。
  1628年に権利の請願がなされ、翌年にリシュリューがユグノーと和解した。1639-1640年、スコットランド王国に国教会を強制しようとイングランドは
     二度の司教戦争を挑むが共に敗れてしまった。そして矛先をアイルランド王国へ変えて、チャールズ1世、オリバー・クロムウェル、
     ウィリアム3世の3人が17世紀末まで苛め抜いた。ウィレム3世はルイ14世に迫害されたユグノーに支えられ、1694年イングランド銀行を設立した。
  1702年、ユグノーだったマシュー・デッカーがロンドンへ来た。1704年にジブラルタルを占領し、カトリック勢力を地中海に封じた。1707年の合同法で、
     イングランドとスコットランドは合邦しグレートブリテン王国となった。ピューリタンとユグノーが商売敵のカトリックに対し統一戦線を組み上げた
     のである。イギリス帝国の手が届く世界各地で、宗教と経済が不可分にからみあった紛争が続いた。植民地の争奪戦だけでなく、ロシア帝国
     とアメリカ合衆国で利権を工作するときも彼らは常に優位であった。繊維業における産業革命は、綿花を輸出するアメリカ合衆国へ通貨を独占的
     に供給した。迫害されたユグノーに支えられ、1694年イングランド銀行を設立した。1702年、ユグノーだったマシュー・デッカーがロンドンへ来た。
  1704年にジブラルタルを占領し、カトリック勢力を地中海に封じた。1707年の合同法で、イングランドとスコットランドは合邦しグレートブリテン王国となった。
     ピューリタンとユグノーが商売敵のカトリックに対し統一戦線を組み上げたのである。イギリス帝国の手が届く世界各地で、宗教と経済が不可分
     にからみあった紛争が続いた。植民地の争奪戦だけでなく、ロシア帝国とアメリカ合衆国で利権を工作するときも彼らは常に優位であった。
     繊維業における産業革命は、綿花を輸出するアメリカ合衆国へ通貨を独占的に供給した。
  1801年の合同法でアイルランド王国と合邦し、グレートブリテン及びアイルランド連合王国となった[35]。しかしアイルランド共和軍は健在である。
     統一戦線としては、ジョージ4世の家柄・勲章、フリーメーソン加入、すべてが戦利品であった。フランス王が再びカトリックを強制することは
     ないだろうし、もはや神聖ローマ帝国もなくなっていた。ベルギーを独立させ、阿片戦争に勝利し、統一戦線は鉄道・通信の独占に注力した。
     しかし統一戦線は事をやりすぎる癖があった。ルイ16世には忌まわしきフォンテーヌブローの勅令を破棄させれば十分であったが、フランス革命
     がナポレオンを台頭させて神聖ローマだけでなく統一戦線まで脅かした。支援したプロイセン王国がロシアと組んでオスマン帝国を攻撃するのも
     都合がよかった。しかし普墺戦争でキール運河の利権をとられそうになったり、普仏戦争で南ドイツ連邦が水の泡となったり、オスマン債務管理局
     の利権をドイツ帝国に奪われたりして、ベルギーの統一戦線は飼い犬に手を噛まれた気持ちになった。
  「栄光ある孤立」と謳われた外交方針はエドワード7世のときに放棄された。1902年には日本とも日英同盟を締結した。彼らはドイツを第一次世界大戦
     で敵対国として敗戦後のヴァイマル共和政に対して多額の賠償金による債務奴隷にした。しかし、アメリカ合衆国に対する影響力でイギリスは
     ドイツにひけをとった。1926年にはバルフォア報告書が提出された。イギリスはラザードを支配したが、太平洋は支配できなかった。
  ウィンザー朝ジョージ5世による治世、デビッド・ロイド・ジョージ政権下の1922年英愛条約が発効され、北部6州(北アイルランド;アルスター9州
     の中の6州)を除く26州がアイルランド自由国(現アイルランド共和国)として独立し、1927年に現在の名称
     「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」へと改名した。なお、カントリーの一つであるスコットランドが独立すべきかどうかを問う住民投票
     が2014年9月に実施されたが独立は否決された[36]。1925年受託者法(Trustee Act 1925)の第61条は、裁判所に、公生かつ合理的に行動し、
     免責されるのが当然である受託者を、信託違反の責任から免除する権限を与えた[37][38]。この立法をなしたイギリス議会は、世界恐慌投資信託
     を通し大衆化した歴史にある程度の責任がある。イギリス投資信託全体の資産構成に占める下位証券の割合は、1933年で36.2%、1935年で
     42.0%、1938年で53.5%に上昇していった[39]
  1939年アドルフ・ヒトラー総統のナチ党率いるナチス・ドイツポーランドに侵攻し、フランスとともに宣戦布告を行い、バトル・オブ・ブリテンをはじめ
     ヨーロッパ戦線では対独伊戦争、太平洋戦線では対日戦争を経験し、アメリカ合衆国の民主党フランクリン・ルーズベルト大統領と大西洋憲章
     共同で提唱した保守党のウィンストン・チャーチル政権による挙国一致内閣の下に勝利を得た第二次世界大戦後、イギリス軍はドイツのハンブルク
     やハノーファーを占領し、旧西ドイツの形成の一役を担った。アメリカ合衆国は旧南ドイツ連邦とオーストリア西部を占領した。アメリカ合衆国の
     占領地域はオランダと歴史がつながっており、戦間期にまして欧州東西の資本が錯綜した。
  イギリスは、1945年冷戦開始以降にかけて政治経済その他多くの面でアメリカ合衆国に覇権を譲った。また、資本主義自由主義陣営の西側諸国
     の一国としてソビエト連邦とは敵対しながら、政治面では労働党クレメント・アトリー政権が「ゆりかごから墓場まで」をスローガンに福祉国家
     を作り上げた。経済面ではイングランド銀行がブレトンウッズ体制をめぐる駆け引きに競り負け、1960年代のポンド危機と1970年代の
     セカンダリー・バンキング危機に遭い、「英国病」とまで呼ばれる不景気に苦しんだ。産業面では戦前からゼネラル・エレクトリック産業革命
     威光を奪われていた。アトリー失脚後は、保守党へ政権交代となりチャーチルが首相に再任する。
  第二次大戦中イギリスは帝国内で最大規模の人口を誇るインドに対して、ヨーロッパ、太平洋で複数の戦線を維持し、又城内平和を維持するため戦後
     インドの地位に対して大幅な譲歩をせざるを得なかった。イギリス政府は1947年にインド独立法を承認し、インドとパキスタンの独立を、翌1948年
     にはセイロン(スリランカ)の独立を承認した。又大戦中に日本の支配下にあったビルマ、マレーでもイギリス支配下に復することに混乱が見られ、
     1948年ビルマ(ミャンマー)の1957年マレーシアの独立を承認した。
  1960年代に入るとフランス領西アフリカの独立要求を期にアフリカ諸国の独立運動が活発化し、1960年ナイジェリアが、1962年ウガンダが、
     1963年ケニアが、1964年マラウイザンビアがイギリスから独立を宣言した。又1961年南アフリカが、1966年ローデシアが 
     アパルトヘイト維持のためイギリスからの独立を宣言した。
  1956年にはエジプトスエズ運河の国有化を宣言し、同地帯を占領したためイギリス、フランス、イスラエルとの間で戦闘が勃発した。これが
     第二次中東戦争(スエズ危機)である。英仏は国際世論の支持を得られなかったためスエズから撤退し、地中海紅海を結ぶスエズ運河の利権
     を喪失した。またエジプトの行動に励まされて中東地域でも独立運動が刺激され、1971年バーレーンカタールアラブ首長国連邦がイギリス
     から独立した。
  残る最大のイギリス植民地は香港だけになったが、これも1984年にマーガレット・サッチャー首相と鄧小平中華人民共和国中央軍事委員会主席の間
     で行われた英中首脳会談で新界の租借期限が切れる1997年に割譲地も含めて一斉に中国に返還されることになった。香港を返還したことで、
     イギリスは主要な植民地のほぼ全てを喪失することになり、世界の7つの海を跨いだイギリス帝国は消滅していった。
  1964年にはハロルド・ウィルソンが首相に就任し、アトリー以来13年ぶりに労働党が政権に復帰する。1969年イングランドウェールズ
     スコットランド1973年北アイルランドで死刑制度が一部例外を除き廃止された。また、ウィルソン労働党政権下で、妊娠中絶の合法化、
     死刑制度の廃止及び同性愛の非刑罰化(ソドミー法の廃止)を含む社会的改革がなされ、通貨ポンドの平価切り下げや、日本の放送大学
     模倣ともなった通信制公立大学であるオープン大学の設置などの政策が実施された。
  1980年代に成立した保守党マーガレット・サッチャー政権は、新自由主義による構造改革ネオリベラリズムサッチャリズムに基づく
     民営化行政改革規制緩和)を急進させて(小さな政府志向・自由主義国家論)、多くの失業者を出した。地方経済は不振を極め、ロンドン
     を中心に金融産業などが成長した。
  1990年代、政権は保守党のジョン・メージャーから労働党のトニー・ブレアに交代し、イギリスは市場化一辺倒の政策を修正しつつかつての重厚な
     福祉国家にも逆戻りしない「第三の道」への路線に進むことになった。また、1998年人権法を制定し、死刑制度が完全に廃止された。この頃から
     イギリスは久しぶりの好況に沸き、「老大国」のイメージを払拭すべく「クール・ブリタニア」と呼ばれるイメージ戦略・文化政策に力が入れられる
     ようになった。
  2000年代〜2010年代、21世紀に突入し、労働党のゴードン・ブラウン、保守党のデーヴィッド・キャメロンと政権が続く。2014年からは、同性結婚
     合法化された。
  2016年6月23日イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票が実施されその結果、僅差をもって離脱賛成派が過半数を占めたため、
     イギリスの欧州連合離脱(通称:ブレグジット、Brexit)が決定された。これを受けて、キャメロン首相兼保守党党首が責任を取る形で辞任を表明し、
     テリーザ・メイが、サッチャーに続く2人目のイギリスの女性首相兼保守党党首として2016年7月13日に就任した。メイ政権は、新たに欧州連合離脱省
     を設置した。
  今後のイギリスは「ブレグジット(Brexit)」という「欧州連合(EU)からの離脱とその後の方針について」という主要課題に直面していくこととなっている。









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