BRICS-1(ブリックス)
2023.08.26-読売新聞-https://www.yomiuri.co.jp/world/20230826-OYT1T50088/
中国主導のBRICS6か国拡大、人民元の国際化図る思惑か…エジプトやイランなど新加盟
【ヨハネスブルク=笹子美奈子、リオデジャネイロ=大月美佳】ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカで構成する新興5か国(BRICS)首脳会議は24日、
加盟国の6か国拡大を盛り込んだ
「ヨハネスブルク宣言」を採択し、閉幕した。新規加盟国の選定理由は不明だが、米国に対抗する国際秩序の構築を目指す中国の思惑が反映されたようだ。
2023.07.15-産経新聞(KYODO)-https://www.sankei.com/article/20230715-ROR26JRY4NPV7KEKKSY4C7KCPA/
プーチン氏のBRICS欠席提案拒否、ロシアなど 南ア「ジレンマ」
南アフリカのマシャティル副大統領は14日、地元メディアのインタビューで、
中国やロシア、南アなど新興5カ国(BRICS)の8月の首脳会議を巡り、
プーチン露大統領の欠席を提案したものの、ロシアなどが拒否したと明らかにした。
南アには、ウクライナ侵略に関して国際刑事裁判所(ICC)の逮捕状が出ているプーチン氏が入国した場合、拘束する義務がある。マシャティル氏は「われわれにとって大きなジレンマで、逮捕するわけにはいかない。友人を家に招待して逮捕するようなもので、欠席が最良の解決策になる」と語り、引き続き欠席を求める考えを示した。
首脳会議は8月下旬に南アの最大都市ヨハネスブルクで開催。南アはBRICS加盟国に
①プーチン氏の代理としてラブロフ外相の出席
②ICC未加盟国の中国への会場変更
③オンラインでの開催―の
3案を示したものの、いずれも受け入れられなかったという。
(共同)
2023.07.10-産経新聞(KYODO)-https://www.sankei.com/article/20230710-LXEVUFTEUBMN7OOFNCYSVQEGGU/
BRICS首脳会議、対面で開催へ 南ア プーチン氏入国なら拘束義務
南アフリカのラマポーザ大統領は9日、
中国やロシア、南アなど新興5カ国(BRICS)の8月の首脳会議を対面で開催すると地元メディアに述べた。ウクライナ侵攻に関連して
ロシアのプーチン大統領には国際刑事裁判所(ICC)の逮捕状が出ており、
南アにはプーチン氏が入国した場合、拘束する義務があることから出欠が注目される。
南アはウクライナ侵攻で中立の立場を維持し、ロシアを表立って批判していないが、ICCの逮捕状を踏まえ、オンライン開催を模索しているとの見方が出ていた。一方、南アがICC未加盟の中国に開催地の移譲を働きかけているとの臆測もくすぶっている。
ラマポーザ氏はBRICS首脳会議の対面開催が新型コロナウイルス禍などによって「ほぼ3年実施できていない」と指摘。加盟各国も会場に集まることを望んでいると強調した。
(共同)
BRICs
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
BRICs(
ブリックス、
英語 Brazil,
Russia,
India,
China から)は、2000年代以降に著しい経済発展を遂げた4か国(
ブラジル、
ロシア、
インド、
中国)の総称で、これに
南アフリカ共和国 (
South Africa)を加えた5か国は、
BRICS と総称される。
近年はBRICSの表記が一般的であるが、かつては
BRIC(ブリック)とも呼ばれた。
投資銀行ゴールドマン・サックスの
経済学者である
ジム・オニールによって書かれた
2001年11月30日の
投資家向け
レポート『
Building Better Global Economic BRICs』で初めて用いられ、世界中に広まった。
概要
BRICsは経済的な括りであり、同盟や連合ではない。2009年以降首脳会談が行われているが、非干渉、平等、相互利益を基本としている
。
BRICs4か国は、2009年6月16日にロシアの
エカテリンブルクで初めての首脳会議を開催した。2011年4月13日に中国の
三亜で行われた首脳会議には南アフリカ共和国が初めて参加し、首脳会議の正式名称を
BRICS首脳会議に変更した。
2022年には
イラン、
アルジェリア及び
アルゼンチンがBRICSへの加盟を申請した。
BRICsの潜在能力
国ごとに大きな差がありBRICSの名前が登場してから20年経過した2020年時点で目覚ましい発展が出来ているのは中国とインドであり他の国は経済成長が失速した
規模の大きさ・・・BRICsが世界に占める割合をみると、2006年の時点で国土面積で29.2%、人口では42.7%となっており、世界の中で圧倒的な比重を占めている。
世界経済に占める地位・・・GDPの割合を
購買力平価で換算すると2014年の時点で30.2%と大きく上昇し、EU (16.6%)
、アメリカ (15.9%)を既に上回っている。
共通点
・インドが7位、南アフリカが24位。面積でいえば5か国合計で世界の約32%を占めている。また、それに伴い
天然資源にも富んでいる。中国やインドは1人あたりの資源量は決して多くはないものの、5か国とも資源大国である。資源としては
石炭・
鉄鉱石・
天然ガスが4か国に共通しており、
原油・
ボーキサイトなどもほとんどの国で産出されている。
・人口大国である。2000年代初頭の人口は、中国が約13億人(世界1位)、インドが約11億人(世界2位)、ブラジルが約1億7,000万人(世界5位)、ロシアが約1億4,000万人(世界7位)、南アフリカが約4,900万人(世界25位)となっており、5か国合計で27億人以上、世界の人口の約45%を占めている。今後もロシアを除く4か国では人口が増加し、2050年には32億6,000万人にまで膨れ上がるとされている。ただし、ブラジルとインドおよび南アフリカでは将来的にも人口が増え続ける一方で、ロシアは特に21世紀に入って以降、人口が急激に減少する傾向にあり、人口が多いため
一人っ子政策を廃止した中国でも人口は伸び悩んでおり、将来的には人口が減少すると予測されている。
・政治・軍事において、地域における覇権を握っている。
・ロシア・中国・インドの3か国は
衛星測位システム・
航空母艦・
核兵器・
ICBM・
SLBM・
SSBN・
ASAT保有国である。
・ロシア・中国・インドは
火星探査機を火星周回軌道への投入に成功させた。
・ロシア・中国は
ミサイル巡洋艦・
戦略爆撃機・
第5世代ジェット戦闘機の保有国である。また
有人宇宙飛行・
火星着陸・
月面着陸・
月面でのサンプル採取を成功させた。
・ロシア・中国は国連安保理
常任理事国で、ブラジルとインドも新たに常任理事国入りする可能性がある。
・2005年2月に
ロンドンで開かれた
G7財務相・中央銀行総裁会議では従来のG8(G7+ロシア)に加えて、他のBRICs3か国も初めて参加した。
・経済改革を行っている。
1970年代後半の中国やブラジル・ロシア・インド・南アフリカの
1990年代初頭の経済政策の転換はいずれも、対外開放による海外からの
投資・
市場経済化を推進するものであった。
・現時点での貧富の格差が大きい。ブラジルとインドおよび南アフリカでは元来大きかった格差が解消されておらず、ロシアと中国では、
市場経済導入による経済の自由化に伴って格差が拡大した。また、これらの国々では経済の地域格差も大きい。
・
多民族国家で多
人種社会であり、
共通語的役割がある
言語または
公用語とされる言語以外にも、多くの言語が国内で使用される。
相違点
・ブラジルは
ラテンアメリカ文化圏、ロシアは
正教会文化圏、インドは
ヒンドゥー教文化圏、中国は
儒教文化圏、南アフリカは
ブラックアフリカ文化圏に属する。
・歴史的に中国やロシアは統一国家として存在してきた。インドが1つの国家として纏まったことはイギリスの統治による部分が大きい。ブラジルは
ポルトガルの
植民地、南アフリカはイギリスの
植民地として形作られた。
・ブラジルは
ポルトガル語圏、ロシアは
ロシア語圏、インドは
ヒンディー語圏、中国は
中国語圏、南アフリカは
英語圏に属する。
・ブラジルは
南アメリカ、ロシアは
ヨーロッパ、インドは
南アジア、中国は
東アジア、南アフリカは
アフリカに属する。
その他
・ロシアと中国、中国とインドは
国境を接している。領土問題は解決しているが中国の勢いが増しており極東の一部に対し中国の領土だという声もある。
・中国からロシアの
シベリアへの
移民が増えつつある(特に
沿海地方を含む
東シベリア)。シベリアは人口が希薄なので、将来的に中国人がシベリアの一部で住人の多数を占める可能性がある。そうなった場合、中国からロシアに割譲された
沿海地方で領土問題が再燃する可能性もある(ただし、
2004年に両国間の国境問題は解決し、国境線は画定されている)。また経済の面でもロシアと中国の逆転現象が起こることが考えられる。
・ロシアを除く4か国は、
首都と
最大の都市が異なる。
インドは
ニューデリーより
ムンバイ(旧
ボンベイ)が、中国は
北京より
上海が、ブラジルは
ブラジリアより
サンパウロが、南アフリカは
プレトリアより
ヨハネスブルグの方が大きい。
・ブラジルとインドおよび南アフリカは、
植民地以前から、
資本主義を導入していた。中国とロシアは、旧
共産主義で、市場経済制導入後、資本主義となった。
・中国以外は、
大統領制を導入している。
・
冷戦時代、ロシア・中国は東側陣営にあったが
対立していた。
・ブラジルと南アフリカは、
南半球に属する。
・インドと南アフリカは、
非同盟運動の参加国である(中国とブラジルもオブザーバー)。
ブラジル
ブラジルでは、2050年にはGDPが6兆740億ドルで世界でも5位という高い経済水準にあると予測されている。地域大国として
南アメリカ大陸に強い影響力を持ち、ブラジルの
フォルタレザでBRICS首脳会議が開かれた際も
南米諸国連合が共同主催した。
政治的変遷
2000年代のブラジルの経済成長の基礎は、
1990年に就任した
フェルナンド・コロール・デ・メロ大統領によって築かれたと言える。
1970年代に急速な
工業化を遂げた後、
1980年代から
1990年代前半は累積債務や高い
インフレ率に悩まされ、その成長は鈍化していた。そのためコロール政権は、戦前の大恐慌後から続いた
輸入代替政策を転換し、輸入制限の撤廃や国営企業の民営化、周辺国と
メルコスールの創設の準備など、
市場メカニズム導入と対外経済開放による発展に道を開いた。
また
1992年に就任した
イタマル・フランコ政権は、年に数千パーセントというハイパー・インフレへの対応として、
1994年に旧
通貨クロゼイロ・レアルから
米ドルに緩やかにペッグ(連動)させた新通貨
レアルへの切り替えを行った。
1995年から8年間に及ぶ
カルドーゾ政権は、
財政責任法と
財政罰則法の制定によって、
プライマリーバランスを黒字化させた。財政の健全化が進むと同時にブラジルの国際的信用は高まり、途上国では中国に次ぐ直接投資の受け入れ国家となるまでになった。
2002年の大統領選挙では
左翼の
ルーラ候補が支持を集めていたことから、経済政策転換への懸念により通貨急落と株価低迷を招いた。しかし、
2003年1月に就任したルーラ新大統領は前政権の政策を踏襲し、金融市場に安心感を与えた。
経済の現状
ブラジル経済はラテンアメリカ最大の経済であり、貿易が成長の鍵を握っていると指摘される。
貿易依存度については、
1994年が15%未満であったのに対し2003年には約25%へと、わずか10年で急激に高まった。特に
輸出の拡大が顕著であり、これはブラジル政府が輸出の拡大に加え多様化や高付加価値化などを推し進め、同時に
外資系企業の参入、
穀物や
鉱物資源といった
一次産品の価格の高騰がそれを後押しする形となった。
2004年にはブラジルの
貿易収支は336億9,600万ドルと、これまでで最高となる貿易黒字を計上した。
ブラジルの貿易を根幹から支えるものは、
南米大陸の約半分を占める広大な大地からの恵みであり、鉱物資源や農畜産物、
熱帯雨林に生息する多種多様な生物資源などが挙げられる。2004年の貿易収支に関して言えば、その要因として、輸出量の減少にもかかわらず
需要増加に伴う
国際取引価格の急騰により金額ベースでは輸出増加という結果になった
大豆や、
鋼板・
建材の生産活動が活発でかつ国内供給能力が不足するなど
鉄鉱石の世界最大輸入国となっている中国において、その輸入額が前年比162%増と急伸したことにより過去最高水準となった鉄鉱石の伸びが大きく貢献する形となった。特に鉄鉱石は、中国が鉄鉱石の輸入の約30%をブラジルへ依存しており、世界2位の鉄鉱石輸入国である
日本もその20%以上をブラジルに依存するなど、ブラジルは世界的な鉄鉱石輸出国となっている。
また伝統的に
重工業、中でも
航空機産業が盛んで、
1969年に設立された国策会社の
エンブラエルは小型
ジェット機市場の半分近いシェアを誇るなど、欧米諸国をはじめとする世界各国へ輸出されており、その他にも
自動車や
金属製品が主な輸出製品となっている。
これら外需の増加に追い風となるとされているのが、メルコスール圏および
自由貿易協定 (FTA) による自由貿易圏の拡大である。メルコスール圏の拡大により約1.3倍の輸出金額押し上げ効果のあったブラジルでは、メルコスールと他の地域協定との間で関税が撤廃されれば更なる恩恵を受けるものと予想されている。
アフリカ関税同盟やインドと
特恵貿易協定を締結したのを皮切りに、今後も
EU・
中米統合機構・
カリブ共同体ともFTA実現に向けた交渉を継続しており、実現すれば今後の経済成長に大きな影響を与えるものと考えられている。
課題
今後の経済成長に関し、とりわけ問題視されているのが財政赤字と通貨膨張(インフレ)である。
債務問題については、プライマリーバランスが黒字化したとはいえ、2003年末時点の公的債務残高はGDPの約59%に達しており、中長期的な経済成長の達成を阻む要因となりかねない。2005年2月時点での債務残高は3,505億ドルに上るなど南米最大の債務国になっており、また過去の債務に対する利払い負担もGDP比で7%を超えている。今後はプライマリーバランスの更なる改善が必要で、公的債務の削減と利払い負担の軽減が急務となっている。
また、通貨膨張抑制に関する
為替レート変動も懸念されている。これまでは対外債務削減策に対する信頼を背景として対ドル為替レートがレアル高傾向で推移してきたため、国際商品市況の高騰によるインフレ圧力は抑制されていた。しかし今後、
連邦準備銀制度理事会が通貨膨張への懸念により政策金利を急ピッチで引き上げるような事態になればレアルが下落傾向に転じ輸入物価が急騰するといった事態が予想されており、そうなれば、金融政策による通貨膨張制御は困難を極めることになると指摘されている。高齢化も始まっており経済の失速により年金制度の不安が出ている
。
ロシア
地域大国として旧ソ連圏に強い影響力を持ち、ユーラシア経済連合によって巨大な経済圏の創出を目指しており、ロシアのウファで開かれたBRICS首脳会議もユーラシア経済連合が共同主催した。クリミアの不法占拠によって経済制裁を受けており経済成長は失速した
[16]。さらに2022年には同国によるウクライナ侵攻が勃発したことで、これを受けて欧米諸国によるロシアへの経済制裁が拡大した影響でロシア経済に大きく波及し、さらにロシア以外の世界経済にもその影響が波及するなど危機を招来している(
2022年ロシアのウクライナ侵攻による経済的影響も参照)。
政治的変遷
1990年代、
ソビエト連邦崩壊後のロシアでは
ハイパーインフレが襲い、
鉱工業生産が落ち込むなど、
経済・
政治・
社会などの面で大きな混乱が続いた。そうした中で、市場経済化に向けて急進的な経済改革を推し進めたのがロシア連邦の初代
大統領ボリス・エリツィンである。エリツィン政権が抜本的な構造改革を断行し、市場経済に基づく民主的な新生ロシアの礎を築いたことにより、今日まで続くロシアの経済発展があったとされる。
ウラジーミル・プーチンは
1999年12月、エリツィンの突然の辞任を受けて
首相から大統領代行に就任し、翌
2000年3月の大統領選挙に勝利、ロシア連邦の2代目大統領に就任した。
2005年3月の大統領選挙では得票率71%で再選を果たしたのち、
2008年5月に大統領の座を
ドミートリー・メドヴェージェフに譲り、首相に就任した以降も国民からの人気が高く、政治的な影響力を保持した。
2012年5月にはプーチンが第4代大統領に就任した。プーチンの経済政策の特徴は、エリツィン同様に
市場経済重視の
自由主義政策を推進する一方で、エリツィン時代に政治力を強めた
新興財閥(オリガルヒ)を弾圧するといった、強権的な側面も併せ持っている。
経済の現状
資源依存型の経済であり2018年時点でGDPの38.9%が石油・天然ガスによるものである。経済制裁もあり経済は停滞している。
課題
ロシアの経済成長を妨げている要因として、大きく4つの問題が指摘される。
エネルギー資源依存型の経済構造
2004年の
輸出に占めるエネルギー資源の割合は約55%に上るなど、ロシア経済はエネルギー部門への依存度が高い
モノカルチャー的性格を帯びており、その反面、旧国有企業を中心とした電機、自動車などの製造業は生産性や技術水準が低く、欧米企業と比較すると国際競争力が低い。このように、ロシアではエネルギー部門以外に景気を牽引しうる有力な産業が育っていないため、原油市況が低下に転じれば景気後退に陥るという
リスクが大きい。
大都市周辺と内陸部などの地方における所得格差の拡大
好調な経済の恩恵を受ける大都市周辺では中産階級が着実に増加している反面、経済的に立ち遅れている内陸部や極東地域との格差が年々広がりつつある(
国の所得格差順リストを参照)。こうした所得格差の拡大は、政治体制に対する不満の高まりなどから社会的混乱を招く可能性があり、安定的な成長を揺るがす要因となりかねない。
税制や官僚機構など
旧くからロシアでは複雑で分かりにくい税制や裁量色が強く公正さに乏しい行政など、法令運用の不透明性が外国企業の自由な経済活動を阻害する要因として指摘されてきた。それらが他国からロシアでの事業活動を進める上での問題点として認識されれば、外国企業による対ロシア直接投資の減少にもつながりかねないという危険を孕んでいる。2020年になってもこの問題は残っている
。
少子高齢化と人口減少
減少する人口を補うため、モスクワなどの大都市圏および、シベリアや極東地域において移民や出稼ぎ労働者の受入れが積極的に行われているが、それが災いして外国人排斥運動やアジア系への人種差別事件も引き起こされている。移民の呼び寄せ、出産の奨励、クリミアの併合もあり一時的に人口は増加したが2018年から再度減少に転じた。
インド[編集]
2021年時点でインドは世界で5番目の経済大国であり[20]、PwCによると購買力平価GDPで2050年までにアメリカを抜き、中国に次ぐ世界で2番目の経済大国となり[21]、世界経済の16%を占めると予測されている[22]。
政治的変遷[編集]
1991年に誕生した国民会議派のナラシマ・ラオ政権は、1947年の建国以来続いていた混合経済体制と呼ばれるインド独自の社会主義的な経済運営の結果として現れた外貨準備高の減少や経済低迷といった現象を受けて180度の政策転換を行い、資本の自由化・各種の規制緩和・貿易と為替の自由化・公営企業の民営化・金融制度の改革等を取り入れた。また1996年以降も、政権政党の交代にもかかわらずラオ政権が推進してきた経済の自由化政策は継承されていった。
2005年の4-5月に行われた総選挙では、政権交代によって経済改革路線の継続が危ぶまれたことから一時的に株価が急落したが、ラオ政権で経済改革を主導したマンモハン・シン元財務相が新しい首相に選出されたことから、新政権に対する金融市場の警戒は薄らいだ。
経済の現状[編集]
1991年以降、経済改革に取り組み、特に2003年以降は概ね年間7-9%の経済成長を達成し、2010年度も8.5%の高い経済成長率を達成するなど、成長著しいBRICsの一員として注目を浴びている。
農業をはじめとする第一次産業は、世界第2位の規模を誇り、植物育種や灌漑設備の整備、農薬の普及といった「緑の革命」を実施し、独立後60年あまりで人口が12億人にまで増えたにもかかわらず、自給自足達成国となった[23]。世界で最も成功した米生産国の一つである。2006年には450万トンを輸出する主要な米輸出国である。インドの農地面積は1億7990万ヘクタールあり、農業は労働人口の52%が従事し、GDPの16%を占めるインド経済の中心である。また農業部門がGDP成長率に及ぼす影響では、一部の例外を除き農業部門が不振であった年は成長率が4%台に押し下げられている。こうした背景には、インド国内の灌漑施設がまだ不十分であり、農作物の生産高がモンスーンによる降水量に大きく依存していることなどが挙げられる。
インドは世界第14位の工業生産国であり、2007年において工業でGDPの27.6%、労働力の17%を占める。経済改革は外国との競争をもたらし、公的部門を民営化しこれまでの公的部門に代わる産業を拡大させ、消費財の生産の急速な拡大を引きおこした[24]。
経済改革後、これまで寡占状態で家族経営が常態化し、政府との結びつきが続いていたインドの民間部門は外国との競争、とりわけ、中国製の安価な輸入品との競争に曝されることとなった。コストの削減・経営体制の刷新・新製品の開発・低コストの労働力と技術に依拠することにより、民間部門は変化を乗りきろうとしている[25]。
近年の高成長は主に情報通信技術部門の成長がもたらしている。インドは先進国企業の情報技術導入が進むなかで、コンピューターソフトウェアの開発及び販売・欧米企業の情報技術関連業務のアウトソーシングの受注を拡大させている。ITソフトウェア産業は1990年代を通じて年率50%近い成長を遂げ、IT不況を迎えた21世紀に入っても 20%台の順調な成長を続けており、2003年時点では国内GDPの2.6%を占めるまでに至っている。工科系の大学を中心として毎年30万人を超える情報技術者を輩出していることや、労働コストが低廉であること、「0」の発見に象徴されるように伝統的に理数的思考を得意とする民族であること、準公用語に英語が含まれていることなどがそれらの要因となっている。さらに、インド工科大学やインド科学大学大学院といった優れた教育機関を卒業後、待遇面の良さなどを背景にアメリカのシリコンバレーなどに移住するインド人技術者は増加傾向にあり、その結果ソフトウェアの輸出と在外居住者からの本国向け送金は、インドの国際収支を支える重要な外貨獲得源となっている。事実、2001年以降はこれにより経常収支は黒字で推移した。
IT産業以外の分野でも、自動車部品・電機・輸送機器といった分野が伸びており、加えて産業規模は小さいもののバイオテクノロジー・医薬品といった産業の発展にインド政府は力を注いでいる。
また、インド経済の成長を支える原動力として、労働力も挙げられる。一国の経済成長を左右する大きな要素の一つである労働力人口に関して言えば、インドの労働力人口は2050年にかけて毎年約1%ずつ増加していくと見込まれており、その豊富な労働力が成長の礎となることが予想されている。また、それらの人口は将来的に実質的な購買力を備えた消費者層(=中間層)となり、有望な消費市場をもたらすものと考えられている。
インドは、対GDP比で10%近くに達しているにもかかわらず縮小する兆しが見られない財政赤字など、取り組むべき課題が多数指摘されている。
まず、成長の基盤となるインフラ水準が著しく低い点もが挙げられる。電力の供給能力が経済成長に追いついておらず日常的に停電が発生する事や、インドの経済成長の主軸とされるIT産業にとって不可欠な通信設備の普及が立ち遅れている事などがその例である。
農業をはじめとする第1次産業は、2020年代の現在もインド経済の中心を担っている。農業部門の就業人口は全体の約50%を占めているという事実に象徴される。インド農業は他の産業よりも収入が低いことや成長率が低いことはインド国内の灌漑施設の整備が進んでおらず、農作物の生産高がモンスーンによる降水量に大きく依存していること、小規模農家中心などが挙げられる[26]。
直接投資の少なさに起因する工業化の遅れが課題とされる。1947年の建国以来、民間企業の活動や外国企業による投資などを規制し、公的部門を温存する政策を維持してきた結果、工業化の進展が中国などと比べても大幅に遅れている。よって製造業によるGDPの押し上げ効果が進展しておらず、また対内直接投資額も少ない。また、インドは建国以来敷いてきた各種産業への外資規制が原因となり外資導入の点でもかなり遅れている。
また、インドの衛生管理は極めて劣悪な状態にある。インドでは上水道と下水道が併走していることが多く、そのどちらもが破損しており、下水が水道水に混入し、感染症にかかる事例がしばしば報告され、感染症の宝庫などとされている。日本の外務省もインド渡航者に対して、厳重な衛生面での注意と渡航前のさまざまな予防接種を推奨している[27]。
2000年以降ではニューデリーなどの都市部に加え地方における大気汚染も激しさを増している。2013年以降の調査ではインドの大気汚染レベルは世界最悪となっている[28]
その他、教育も大きな課題である。中等教育への進学率が半分以下で識字率が7割程度にとどまるなど[29]、他のBRICs諸国と比較しても際立って低い水準にある。教育が人材開発にとって最も重要な手段であり、また学校教育がその後の応用的なあらゆる教育の基礎となる点を考慮し、教育水準の低さが今後の経済成長にとって足枷になると警笛を鳴らす学者も少なくない。
NPT未加盟の核開発[編集]
インドと南アフリカは核拡散防止条約 (NPT) に加盟せずに核開発を行った国である。南アフリカは1993年に核を全廃した。原子力供給国グループ (NSG) はインドの核燃料、核技術の輸出入を無条件で例外扱いとして認める採択を行っている。
これに対し、NSG加盟国である日本やヨーロッパ諸国は、インドが核実験を行った場合は例外扱いを取り消すべきだという立場をとっている。
2010年に日本を抜いた世界で2番目の経済大国であり[30]、2028年には世界最大のアメリカを抜き[31]、2050年には世界の購買力平価GDPの20%を占めると予想されている[32]。
国際通貨基金・世界銀行・CIAワールド・ファクトブックによれば、2014年に購買力平価で世界最大の経済大国となった[33][34][35]。
政治的変遷[編集]
1978年に始まった中国の改革開放政策は、1989年の天安門事件によって頓挫したかのように考えられた。そうした状況が一変したのは1992年1-2月に当時の最高実力者であった鄧小平が、深圳や上海などを視察した際の南巡講話からである。南巡講話によって沈滞ムードは消え去り、改革開放路線は再び勢いを得ることとなった。
天安門事件直後、鄧小平が中国共産党総書記に抜擢した江沢民は党内基盤が弱く、当初は短命政権と見られていた。しかし、江沢民は徐々に権力基盤を拡大し、2002年まで13年間に亘る長期安定政権を築いた。この間中国は、香港の返還や北京オリンピック・上海万博の招致、WTOへの加盟など数々の実績を挙げ、結果として経済の高度成長に結びついた。
江沢民から2002年に中国共産党総書記の地位を継承した胡錦涛政権は、前政権の政策を踏襲し着実な政策運営を行っている。結果として2003年の実質GDPは1978年に対して約9.4倍にまで拡大しており、今後も、日本が1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博を経て経済大国入りしたのと同様に、2008年の北京五輪と2010年の上海万博による経済効果が期待された。
経済の現状[編集]
中国は世界第1位の工業生産国。貿易の急速な伸びと外国からの直接投資の増加によって支えられている。2002年の貿易総額は6,208億ドルで前年に比べ約22% 伸び、貿易黒字は304億ドルを計上、外国からの投資合計額も550億ドルに上っている。そのうち華人地域からの投資が半分を超え、中国経済を支えている。対世界の発展途上国向け直接投資の3割、日本を除いた対アジア向け直接投資の5割を占めている。また、2003年には契約金額ベースで535億ドルと、初めてアメリカを抜き、ルクセンブルクに次ぐ投資受け入れ国となった。結果として中国の外貨準備高は、1992年の194億ドルから2004年末には6,099億ドルまで膨れ上がっており、日本を超え世界最大の外貨保有国となっている。
また、2002年以降、中国経済は新たな高度経済成長期に入り、居住や交通条件の改善といった消費構造が高度化し、住宅・通信・自動車などの成長産業が新たな高度経済成長を引っ張る主導産業となった。この高度成長は産業構造の高度化や体制刷新、2001年のWTO加盟を含め一層の広がりを見せる対外開放などを背景に比較的長期間続くものと見られている。国家統計局は、経済構造調整の結果として珠江デルタ、長江デルタ、環渤海地区、東北の旧工業地帯が多極的に発展する枠組が形成されつつあり、中国経済の発展に大きな余地がもたらされ、さらに農業の産業化、伝統工業の改造、ハイテクノロジー産業とサービス産業の発展が中国経済に新たな活力を注入すると同時に経済成長に対して新たな原動力を提供しており、2020年までの約7%の経済成長を続けている[36]。
中国では貧富の格差が拡大している。この格差は都市住民と農村住民の所得格差、地域の所得格差、業種の所得格差など様々な面における格差拡大によって引き起こされたものである。都市と農村での所得格差は、1978年 - 1985年には農村改革が重点であったことから、平均所得の比率は2.57:1から1.85:1に縮小した。しかし、改革の重点が都市に移るとこの比率は年々拡大を始め1994年には2.86:1にまで広がった。1995年から1998年までは一旦減少するものの、それ以降は再び拡大を始め、2001年には改革開放以来最高となる2.92:1となり、ジニ係数も一般的に警戒ラインとされる0.4を超えた。また、地域間においても格差は顕著に広がっている。東部と中部、東部と西部での GNP の差は1990年時点ではそれぞれ898元と1,079元であったのに対し、1995年には3,539元と4,203元に、2000年には5,352元と6,674元にまで拡大した。西部地域のGDPは東部地域のGDPのわずか40%の水準となっており、とりわけ貴州省と上海市との差は12倍を超えている。今後は西部大開発や東北新興などの対策に格差改善の期待が寄せられている。また、業種の所得格差も拡大した。不動産・金融・保険といった最高所得の部類と、飲食サービス業・製造業・採掘業などの最低所得部類とを比較すると、その所得の比は1990年の1.72:1から1999年の2.63:1に拡大した。
また、電力において近年は毎年15%近く使用量が伸び続けており、電力不足が深刻化しつつある。エネルギー多消費産業の素材業種で投資・生産活動が拡大したこと、経済発展に伴う家電製品普及率の上昇によるもので、今後もこの増加傾向は変わらないものと見られている。
高齢化・環境破壊[編集]
2020年時点で高齢者は2.6億人であり今後、高齢者の医療・介護が深刻な問題として浮上している[37]。また、急激な経済成長がもたらす、光化学スモッグ、CO2の増大など温暖化に伴う砂漠化の広がり(北京の40kmまで砂漠が接近している)、周辺国やアメリカ西海岸まで飛来する黄砂や大気汚染[38]、などの緊急な課題が山積している。
南アフリカ[編集]
政治的変遷[編集]
1994年にアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃され、それまで土地を持つことができなかった黒人が経済発展により住宅を購入するようになり、2010年にはFIFAワールドカップ開催のため、国内のインフラが急速に整備された(経済効果4,700億円)。また、地域大国としてアフリカ大陸に強い影響力を持ち、南アフリカのダーバンでBRICS首脳会議が開かれた際はアフリカ連合が招待された[39]。
経済の現状[編集]
南アフリカの経済はアフリカ最大規模の経済であり、金や白金等の貴金属・レアメタルが産出され、白金は世界シェア75%を誇る。
アパルトヘイトが撤廃されたが、地域・階層による貧富の格差は未だ著しく、エイズの流行に歯止めがかからない状況である。隣接国からの経済難民の流入により、治安が著しく悪い。
世界経済への負の影響[編集]
5か国の世界経済への影響力がますます強まる中で、その発展の副作用としての世界経済へのマイナス影響も無視できなくなるとされている。
- 需要の大幅な増加によるエネルギー不足
- 中国国内での需要増加による2005年頃からの原油高に象徴されるように、今後さらに他の4か国の成長につれてエネルギーはますます不足していくもの考えられている。そのような事態になれば必然的に世界各国は資源獲得に動き出すことになり、それゆえの新たな国際摩擦を生み出す可能性がある。
- 環境の悪化
- アメリカの政府機関であるエネルギー情報管理局によれば、2025年の二酸化炭素排出量は、2001年から2025年の間の増加率は、ブラジルが3.7%、ロシアが2.3%、インドが3.6%、中国が4.0%で、2025年の時点ではそれぞれ833万トン、2,784万トン、2,152万トン、7,821万トンにまでのぼり、世界の総排出量の約32%を占めるとされている。
- 金融の混乱
- BRICs諸国のうちブラジル、南アフリカ以外の国は管理変動相場制を採用し、外国為替市場管理を行っている。経済規模が拡大し投資や世界貿易における比重が高まる中で、柔軟性を欠いた為替相場は国内金融市場の不安定化や対外不均衡の拡大を招くことになる。また、BRICs諸国の拡大は海外からのポートフォリオ投資をさらに増大させることにつながり、硬直的な為替制度や脆弱な国内金融システムの下で投機の膨張と縮小を引き起こす可能性が高くなる。結果として世界のマネーフローが大きく変わり、世界規模で金融システムが安定性を失い、経済の混乱を招くと指摘されている。
2050年のGDP予測
ゴールドマン・サックス
アメリカの投資銀行であるゴールドマン・サックス(以下GS)では、2050年における世界各国のGDPを次のように予測している。
2003年発表
BRICsは人口の増加、資本の増加、労働生産性の増加などを起因として経済成長を成し遂げ、2004年にはいずれも5 - 9%台の成長を果たすなど、近年では世界平均を上回る高水準の成長を記録している。今後はさらに資本蓄積・技術革新による生産性上昇なども見込まれており、IMFの予測によると2005 - 2006年にかけても、中国の8%台を筆頭に、軒並み高い成長を維持する見込みとされている。
結果として、2006年5月の時点で世界のGDPの約8%を占めるに過ぎないその経済規模は、2039年に経済大国G6(米国、日本、ドイツ、英国、フランス、イタリア)にスペインを加えた合計を上回り、2050年時点でのGDPは下表のように順位が入れ替わると予想した。これにより米国一極支配が崩れるとされている。