アグネス・チャン


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ニックネーム:アグネス・チャン
自己紹介:
歌手・エッセイスト・教育学博士[ Ph.D.] 香港生まれ。1972年「ひなげしの花」で日本デビュ


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アグネス・チャン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


アグネス・チャン(本名:陳美齡、英語:Agnes Meiling Kaneko Chan、広東語:チャン・メイリン、北京語:チェン・メイリン、日本名:金子 陳 美齢(かねこ チャンメイリン)、1955年8月20日 - )は、香港の日本の歌手、エッセイスト。カトリック教徒で、「アグネス」は洗礼名である。中学・高校は、香港島の高級住宅街Blue Pool Roadに立つカトリック系ミッションスクール、メリーマウント中學(中国語:瑪利曼中學)卒業、トロント大学卒業。1992年6月スタンフォード大学大学院教育学博士課程を修了。1994年には博士号が授与された。初代日本ユニセフ協会大使(UNICEF国内大使)を経て、2016年より国際連合 (UN) の機関である国際連合児童基金 (UNICEF) の東アジア太平洋地域親善大使(UNICEF地域大使)。血液型AB型。初代「ほほえみ大使」も務める。2018年春の叙勲で旭日小綬章を受章。

概 要
1972年、代表曲の一つである「ひなげしの花」で、日本での歌手デビューを果たす。高く澄んだ歌声と愛くるしいルックス、たどたどしいが一生懸命日本語で歌う姿が受けて、一躍人気アイドルとなった。日本ではその後も「草原の輝き」、「小さな恋の物語」、「星に願いを」、「ポケットいっぱいの秘密」、「愛の迷い子」、「恋人たちの午後」「白いくつ下は似合わない」、香港における「The Circle Game」「香港香港」、「雨中のカーネション」などヒット曲は多く、台湾やアメリカ合衆国などでも音楽活動を行っている。歌手としての活躍のほか、1998年には初代日本ユニセフ協会大使に就任。2016年には、ユニセフ・アジア親善大使にするなど、ボランティアやチャリティーなどを通じた社会奉仕や貧困や平和についての発言でも知られている。近年ではピンクリボン運動への参加や、香港浸会大学の客員教授としての教育活動も行っている。2017年著書「スタンフォード大学に三人の息子を合格させた50の教育法」が大ヒット。作家としての地位もアジアで高めている。
歴 史
 ・1971年に『Second Folk Album』と題するオムニバスアルバムでジョニ・ミッチェルの「サークル・ゲーム」を姉のアイリーン・チャンとカバー。シングル化されてヒットした。
 ・1972年には姉と張徹監督の映画『年輕人』『反叛』に出演、映画が配給されたマレーシアタイなどの東南アジアでも人気がでるようになった。
香港のテレビ番組『Agnes Chan Show』のゲストとして知り合った平尾昌晃によって日本に紹介され、1972年11月25日ワーナーパイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)より「ひなげしの花」でデビュー。当初の衣裳はロングであったが、翌年ミニスカートに変えて人気が急上昇した。
 ・1973年7月発売の「草原の輝き」が大ヒット、同年12月に第15回日本レコード大賞新人賞を受賞。
 ・1973年10月発売の「小さな恋の物語」が自身最大のヒット曲となり、初のオリコンチャート1位を獲得した。
 ・1973年大晦日、『第24回NHK紅白歌合戦』に「ひなげしの花」で初出場。その後も1974年第25回1975年第26回まで、『NHK紅白歌合戦』へは3年連続3回出場した。
 ・1974年3月、「草原の輝き」が春の選抜高等学校野球大会入場行進曲に選ばれる。また、ブロマイドの売上成績第1位を獲得。この頃のコンサートではバックバンドに鈴木慶一ムーンライダーズ、司会は植田芳暁を起用していた。1976年には「恋のシーソーゲーム」でホットケーキがバックをつとめ、さよならコンサートなどのコンサートに参加した。
 ・1974年、上智大学国際学部に入学。父の勧めもあって、1976年に芸能活動を休んでカナダトロント大学へ留学(編入学)。社会児童心理学を専攻。
 ・1978年、トロント大学を卒業。同年8月に日本に戻り、吉田拓郎作曲の歌「アゲイン」で芸能活動を再開する。復帰コンサートツアーのひとつとして、中国人歌手としては初となる日本武道館でのコンサートも行った。レコード会社は次の「やさしさ知らず」からSMSに移籍。
 ・1979年香港で、初の広東語アルバム『雨中康乃馨』を発売。日本ではゴダイゴとのコラボレーションアルバム『AGNES IN WONDERLAND 不思議の国のアグネス』と『ABC Agnes』を発売。
 ・1984年国際青年年記念平和論文に応募し、特別賞を受賞。フジテレビなるほど!ザ・ワールド』の主題曲「愛のハーモニー」から徳間ジャパンにレコード会社を移籍。
 ・1985年、芸能活動のみでなく、ボランティア活動を再開するようになった。4月、北京首都体育館で5万4千人を動員して宋慶齢基金会チャリティーコンサートを開催、中国で記念のベスト盤カセットテープが販売された。
同年、日本テレビの『24時間テレビ』のために、旱魃による食料不足状態にあったエチオピアを取材。単に悲惨な情況を伝えるだけでなく、「ロンドン橋落ちた」の替え歌アムハラ語で歌って現地の子供と交流する様子も伝えられた
 ・1986年、元マネージャーの金子力(現所属事務所トマス・アンド・アグネス社長)と結婚し、カナダで長男を出産した。
同年、1985年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞。
1987年、テレビ局などへ生後まもない長男を連れて行ったことを林真理子が批判した。これを端初にアグネス論争が起こる。「アグネス」が新語・流行語大賞大衆賞を受賞するほどの社会的論争となり、男女雇用機会均等法成立の時期ともあいまって、日本の働く母親、女性の立場を再考させるきっかけとなった。
 ・1988年飛鳥涼(現ASKA)作詞・作曲の歌「LIFE」でポニーキャニオンに移籍。
 ・1989年には、米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学、現地で次男を出産。
 ・1990年、留学の合間をぬって帰国、親子のペアファッション・ブランド、DEAR AGNESを発表。
 ・1991年、「幸せなのになぜ涙がでるのは」は7万部を越えるヒットとなった。
 ・1992年10月には、東京カザルスホールにて、20周年記念コンサートを行う。
 ・1994年東京大学とスタンフォード大学の卒業生の10年後の姿を調査し、日米両国の男女間格差の実態をまとめ、教育学博士号(Ph.D.)を取得した。この時の論文は『この道は丘へと続く』と題して2003年に日本でも翻訳出版されている。
 ・1994年目白大学の助教授に就任(2008年現在は客員教授)。国際コミュニケーション学を担当する。
 ・1996年、香港にて三男を出産。その後もエッセイスト、共栄大学客員教授として日本全国で講演を続けた。
 ・1998年、初代日本ユニセフ協会大使に就任。同年、タイの児童買春の現状を視察。帰国後、様々なマスコミを通してその現状を訴え、翌年の『児童買春・ポルノ禁止法』成立の原動力となった。
 ・1999年日本ユニセフ協会大使として、スーダンを視察。帰国後は、子供兵士の実態を報告。2000年には、東西ティモール、2001年には、フィリピンを視察し、紛争の犠牲になった子供たちの実態や児童労働問題を広くマスコミに訴えた。
 ・2000年には日本クラウンに移籍し、ロングヘアをやめてイメージチェンジして、「この身がちぎれるほどに」を歌うなど、ムード歌謡の分野で歌手活動に力を入れるようになった。
 ・2002年、小説『パーフェクト・カップル』、『銃弾の指輪』を出版し、作家活動も開始した。翌年には月刊『すばる』に短編小説の連載もしている。
 ・2003年終戦後のイラク2005年スーダンダルフール地方を訪問し、平和への思いを強くする。
 ・2005年
にリリースした、初のセルフカバー曲『草原の輝き2005』はアサヒ飲料十六茶のコマーシャルに使われた。9月に発売された『しあわせの花』は、手話を取り入れた振り付けで歌った。10月には広島大学の主宰する「ペスタロッチー教育賞」の14回目を受賞。
 ・2006年2月、ジャッキー・チェンとのデュエット曲を含む英語盤CD『Forget Yourself』をアメリカで発売した。12月には日本デビュー35周年を記念するコンサートの第1弾が行われた。年末に香港で唾液腺腫瘍の摘出手術を受けるも、その後早くも年明けから芸能活動を行う。
 ・2007年「そこには幸せがもう生まれているから」など、平和をテーマに山本伸一作詞、自から作曲した3作のシングル(うち1作は2008年発売)とアルバム、それに2作の著作を出した。また、日本各地で日本デビュー35周年のコンサートツアーが行われており、2008年までに「世界へ届け、平和への歌声」のコンサートを112回開催した。
10月31日、北京人民大会堂で同会場初のポップス系の楽曲でチャリティーコンサートを行った。この前に初期の乳ガンが発見され、摘出手術を受けた。
11月、民主音楽協会にコンサートツアーの実績が認められ、「民音文化賞」を受賞。2008年9月、(財)日本対がん協会「ほほえみ大使」に就任。自分の乳がん体験から、日本全国で催されている「リレー・フォー・ライフ」、「ピンクリボン運動」にも参加。
12月、それまで続けて来た「歌で平和を」の活動が認められ、第50回日本レコード大賞特別賞を受賞。 ・2009年 9月、ブログ「アグネスちゃんこ鍋」を開設。・: ・2010年2月、日本ユニセフ協会大使としてソマリアの現状を視察するため、ソマリア北部ハルゲイサを訪問。危険に遭遇した場合に備え、それまでで3度目となる遺書を記した。ソマリアの北部はソマリランドとして事実上独立しており、外務省ではソマリア内戦が続く中にあって比較的安定している地域としながらも、ソマリア全土に最高の危険度を指定している
3月、日本武道館に民主音楽協会主催によるコンサートを32年ぶりに行い、ヒット曲のメドレーなど懐かしい曲を披露し、2月に視察を行ったソマリアの子どもたちへの思いを込めて作詞作曲した「小さな祈り」 も披露した。
4月、AICニュージーランド校AICJ中学校・高等学校姉妹校)の学園長に就任。
10月、初のプロデュース活動として、ローラ・チャンを「ひなげしの花」でデビューさせる旨を発表。
10月27日「ユニセフ新戦略=僻地の子を最優先に」(読売ホール)にてソマリアの視察報告を行い、今後の人道支援のあり方をテーマにシンポジウムを行う。
11月、デビュー曲のアンサーソング「あの丘で」をリリース。2011年3月11日東日本大震災で被災した子どもたちを支援するため1000万円の寄付を行った。また、日本ユニセフ協会への寄付をよびかけ、4月1日には、ジャッキー・チェンの呼びかけで香港で行われた『愛心無國界311燭光晚會』に参加、香港の救世軍を通じて被災者へ支援物資を送るための募金を呼びかけた。2012年日本対がん協会主催、リレー・フォー・ライフ横浜in山下公園実行委員長に就任
4月にユニセフミッションでブータン王国を訪ね、「幸せの国」の子供達の現状を視察、テレビ、新聞、雑誌で現状を報告した。
11月にパレスチナをユニセフミッションで訪問。パレスチナとイスラエル問題で揺れる子供達の生活を視察し、広く国内で報告を行った。
日本デビュー40周年の記念曲「午後の通り雨」、CDボックス『Always Agnes 〜アグネス・チャン・ワーナー・イヤーズ・コレクション 1972-1978〜』が発売された。・ ・2013年4月にユニセフミッションでナイジェリアを視察し、貧富の差で苦しむ子供達の現状をマスコミに広く報告した。2014年4月にユニセフミッションで中央アフリカ共和国を視察し、宗教間での争いで被害に遭っている子どもたちの現状をマスコミに広く報告した。
5月に香港浸会大学客員教授として、集中講義を実施。
7月にロングセラーシリーズの第4弾「わたしもぼくも地球人〜みんな地球に生きるひとpart4〜」が岩波ジュニア新書から発売。
9月に新書「女性にやさしい日本になれたのか〜終わらないアグネス子育て論争〜」が潮出版社から発売。
9・11月に香港浸会大学客員教授として、講義を行う。2015年3月に香港浸会大学にてアグネス・チャン写真展開催。
4月にユニセフミッションで南スーダンを海外視察。内戦による少年兵の解放・復学の支援状況を報告。
6月、自身のブログで右目の硝子体剥離を告白。
同月、新曲「プロポーズ」を発売。また、「リ・プロポーズ推進大使」にも就任し、大使としてこれ以降幾多のブライダル・イベントに参加。
8月1日、香港體育館にて催された「華仁書院チャリティーコンサート」に出演。 
20日には還暦誕生日イベントをデビュー時の思い出深い場所である銀座ケネディハウスで開催。自身がプロデュースした赤いミニ丈ウェディングドレスを身に纏い「還暦アイドル」宣言をした。
12月にパブラボから新刊「ひなげしの終活」を発売。2016年1月に香港浸会大学にて特別授業。
3月7日、ユニセフ協会大使を退任し、同日にユニセフよりアジア親善大使を任命される
3月18~23日、ユニセフ・東アジア太平洋地域親善大使として初のミッションでフィジーを視察し、タイフーン被害の状況を報告。
3月30日新刊「スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法」を朝日新聞出版から発売。
4月にネットニュースで自身初の連載「ニュース・ソクラ」が開始。
6月にユニセフミッションで20回目の海外視察としてグアテマラ訪問。児童の発育阻害状況を報告。
7月に香港で「スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法」の翻訳本「50個教育法 - 我把三個兒子送入了 -」が香港三聯書店から発売。
11月25日、本デビュー 45周年を迎える。
11月30日 「朗らかに」45周年コンサートツアーが名古屋・日本特殊陶業市民会館からスタート。2017年2月に香港浸会大学にて授業。
3月に「朗らかに」45周年コンサートツアーで函館・室蘭・苫小牧・小樽・札幌・帯広・釧路の北海道7都市を渡って公演した。
4月にユニセフミッションでシリアを海外視察。内戦に由って難民となった子供たちの窮状を報告。
4月26日、香港で中国語と英語で書かれた教育関係者向けの学術本「40個教育改革提案」が香港三聯書店から発売。上海、北京での発売記念イベントを開催。
5月に「朗らかに」45周年コンサートツアーで東京・中野サンプラザ公演を催した。
6月に中国語で書いた自伝本「人生的38個啓示 ~陳美齢自傅」が香港三聯書店から発売。香港、台湾などで発売記念イベントを開催。
9月に自伝本「人生的38個啓示 ~陳美齢自傅」が香港の文学賞「金閲奨」を受賞。
11月に台湾の女性誌「女人迷」のシンポジウム講演を台北で行った。
 ・2018年2月、台湾の書展「鰧飛創意ーー香港2018」に文化大使として出席。日本での新刊「子育てで絶対やってはいけない35のこと」が三笠書房から発売。また、香港では新冠番組「美齢的幸福弁当」のロケが始まる。
3月に長男の結婚披露宴が25日に台北、28日に東京、31日に香港にて催された。
4月に子連れ論争を契機に国内でのライフスタイル改革の起因をもたらし、児童教育学博士の見地から書かれた幾多の著書で子育ての大切さを説き、多年に渡るUnicefでの海外視察などでは世界の子供たちの窮状を広く内外に知らしめることに寄りより多くの支援を求めるなど、「我が国の国際的地位及び児童福祉の向上に寄与」したことが認められ春の叙勲で旭日小綬章を受章。

活 動
UNICEF東アジア太平洋地域親善大使
1998年、アグネスは日本ユニセフ協会の大使に就任した。日本ユニセフ協会は、現在先進国を中心に36の国と地域に設置されているユニセフ協会(国内委員会)の一つ。各国内委員会は、ユニセフ本部との協力協定に基づき、募金活動、広報活動、アドボカシー活動(政策提言)に取り組んでいる。
  就任後、これまでにタイ南スーダン、東西ティモール、フィリピンカンボジアイラクスーダンレソトモルドバインド中国ブルキナファソソマリアブータンイスラエルナイジェリア中央アフリカ共和国を公式訪問し、現地の子どもたちの窮状を伝えるほか、『わたしが愛する日本』などの著作で、日本の平和を目指す提言を行っている。
  その功績が「国際連合児童基金」(UNICEF)本部に認められ、2016年3月に、UNICEFの東アジアおよび太平洋地域の地域大使である東アジア太平洋地域親善大使(UNICEF Regional Ambassador for East Asia and the Pacific Region)に任命された。
  なお、アグネスがかつて務めた「日本ユニセフ協会大使」(国内大使)は、「財団法人日本ユニセフ協会」という日本の公益財団法人民間団体)が任命する称号であった。それに対して、現在アグネスが務める「ユニセフ地域親善大使」は、UNICEF(国連機関)が任命する称号である。
児童ポルノ批判
  アグネスは、児童ポルノの被害者を実際にタイ、カンボジア、フィリピンの現状を見て、児童ポルノに関して厳しい立場をとっている。2008年3月11日には自民党森山眞弓元法務大臣と共に、「児童ポルノの単純所持禁止」という声明を発表。政府、国会に意見を求めている。
エピソード
 6人兄弟の3女。
 アメリカンスクールに通っていた頃、英語が堪能だった先輩の南沙織とは仲が良く、彼女の引退直前にはインタビューもされている。
 彼女の父の口癖は「迷ったら、一番険しい道を選びなさい」「裏切られたひとの幸せを祈りなさい」だった。
 デビュー曲「ひなげしの花」の歌い出し(♪丘の上ひなげしの花で~)は「オッカノウエ~」と歌っているが、「オーカノウエ~」と歌うようレコーディングの際にディレクターに指示されるも、何度か歌っても結局「オッカノウエ~」となるので、このままレコード化され、結果歌い方にパンチがあると評価された。
 1976年に芸能活動を休止し、トロント大学に留学したのは父の勧めであったという。しかし父は翌1977年に死去し、大学を卒業する姿を見せることはできなかった。
 2007年10月の北京でのチャリティコンサートは、9月開催の予定が延期となり、その時に空いたスケジュールで受けた検査で乳ガンが発見された。10月に摘出手術を受けて無事成功し、わずか1週間で芸能活動を再開している。
 2007年に発表した平和をテーマにした曲の第1弾は、自らピアノを弾きながら詞にメロディーをつけた「そこには幸せがもう生まれているから」。続く「ピースフルワールド」、「朗らかに」をリリース。いずれもアグネスが作詞しており、「みんな地球に生きるひと」など、平和をテーマにしたこの3曲のカップリング曲はすべて彼女の詞である。
 1985年には広尾に自宅を購入。リビング・ルームは事務所の会議室も兼ねるため、人が集まる「運命の場所」だという考えから、風水を取り入れて広めに設計した。
 家庭では子供たちが納得するまで最長8時間説教したことが学びの場.comで公表されている。
 乳がんの薬の副作用で増えた体重を抑えるために、「エア縄跳び」を始めている
 日本中央競馬会 (JRA) の馬主渡辺孝男は、自身の娘2人がアグネス・チャンのファンだったことに由来し、所有馬の冠名に「アグネス」と付けるようになった




















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