2019.12.8-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://special.sankei.com/a/international/article/20191208/0001.html
対馬「韓国化」なお 訪日客激減でも土地買収止まらず
国境の島・対馬(長崎県対馬市)で韓国資本による不動産買収が続いている。いわゆる徴用工訴訟に端を発した日韓対立は韓国人訪日客が大幅に落ち込むなど観光分野にまで飛び火。対馬も韓国人観光客が激減し、地元経済は打撃を受けているという。だが、対馬を歩くと、韓国資本が観光客とは別の動きをみせていた。(編集委員 宮本雅史)
■
観光バスが消えた
手元に1枚のチラシがある。《対馬の土地、住宅をお譲りください!! “対馬(厳原、峰、豊玉、比田勝等)で土地・住宅を探しています”…高く買い取ります》。氏名と連絡先も記されている。地元住民によると、上対馬でこの秋、韓国人らしい女性が不動産会社を設立。チラシを配り、営業を展開しているという。
2019.11.4-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/column/news/171104/clm1711040004-n1.html
異聞『対馬』「日本全体の問題として危機意識を高めて」「戦慄が走る現実」(10月25日~11月1日)
(1)
日本全国の
国境の島々や北海道などで、じわじわと進む韓国、中国資本の進出の実態を伝える“異聞シリーズ”。10月29日付「家も土地も…『もはや韓国領』」「有事の避難用か」、30日付「中国の影 不動産爆買い『時間の問題』」「止まらぬ過疎・高齢化 『日本守る国民守れ』」では、急変する対馬(長崎県)の現状を伝えました。
「大変な危機を感じました」(横浜市、74歳男性)▽「しっかりと読ませていただきました」(埼玉県、74歳女性)▽「かねて心配していたが、よく書いてくれた」(熊本県、70代男性)▽「背後に中韓の国家的意図があるのだろうか」(男性)▽「日本全体の問題として危機意識を高めてほしい」(東京都、75歳女性)▽「驚愕(きょうがく)しました。日本人の多くは実態を知りません。県や国は何をやっているのか。世界から対馬が韓国領と思われないようにしてほしい」(男性)▽「またしても戦慄が走る現実です。個人、市町村、都道府県のレベルはとっくに超えている。政府はすぐに腰をあげて国土を守るべく法改正しないと。超党派でやる事案だ」(埼玉県、60代男性)
「国会はまた森友・加計問題で騒ぐでしょうが、政治家はどう受け止めているのか。深刻に考えてもらわなければ困る」(山口県、82歳男性)
(2)
▽「提案だが、対馬は元寇の時代や日清、日露戦争などで歴史的に重要な場所だった。歴史教材として取り上げて国民的な関心を高めてはどうだろう」(東京都、70代男性)▽「中国のように外国人への不動産売却を禁止する国もあるが、異民族に侵略されたことがない日本はやすやすと売り渡してしまう。法改正すべき事態だ」(男性)▽「上・下の2回だったが、情報が詰め込まれ過ぎだ。地図なども使って丁寧に解説してくれてもよかった」(埼玉県、59歳男性)▽「中学まで対馬で過ごしました。大きく変化する故郷に心を痛めています。何かできることがないか模索しています。国境の島を思う気持ち、声が大きくなっていくことを切に願っております。このような記事を書いてくださり、ありがとうございます」(山梨県、男性)
一連の「異聞」には、初めて意見を寄せてきた読者が少なくありません。それだけ、声をあげずにはいられないと感じた読者が多くいたということを物語っているようです。(読者サービスグループ)
対馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
対馬は、日本の九州の北方の玄界灘にある、長崎県に属する島で、島全域が対馬市の1島1市体制である。面積は日本第10位である。島内人口は3万0470人である
(2019年9月現在)。
概説
主島は
対馬島(つしまじま、つしまとう)で、このほか属島として6つの有人島(
海栗島、泊島、赤島、沖ノ島、島山島)と102の無人島がある。この対馬島と属島をまとめて「対馬列島」「対馬諸島」とすることがある。古くは
対馬国(つしまのくに)や対州(たいしゅう)、また『
日本書紀』において、対馬島(つしま。3文字合わせてこう読むのが書紀古訓での伝統)と記述されていた。旧字体では對馬。
地理的に
朝鮮半島に近いため、古くから
ユーラシア大陸と
日本列島の文物が往来し、日本にとっては大陸との
文化的・
経済的交流の窓口の役割を果たしてきた。現在は
大韓民国からの観光客が増加しており、島内の至る所に
ハングルが併記された標識や案内を見ることができる。日本の海釣りの名所として知られている。
対
ロシア帝国、対
ソビエト連邦の防衛上の重要拠点であり、冷戦時代はソ連軍の軍用機や潜水艦が頻繁に出没していた。
地政学的には
チョークポイントにあたるところから、古代より国境の島として国防上重視され、
明治時代から、
大日本帝国陸軍は
対馬警備隊・
対馬要塞を置き、戦後は
1956年より
航空自衛隊の
海栗島分屯基地が設けられ、
1961年より
陸上自衛隊の
対馬駐屯地も置かれ、
対馬警備隊へと発展している。また、明治時代には
大日本帝国海軍の施設が置かれたこともあり、現在は
海上自衛隊の
対馬防備隊も所在している。
地理概況
日本海の西の入り口に位置する対馬島は、九州本土より玄界灘と対馬海峡東水道(狭義の対馬海峡)をはさんで約132キロメートル、朝鮮半島へは対馬海峡西水道(朝鮮海峡)をはさんで約49.5キロメートルの距離にある。形状は、南北に82キロメートル、東西に18キロメートルと細長く、面積は約700km2で、日本の島では第10位の広さである。
対馬全島の人口は、1960年の6万9556人をピークとして減少し、1980年には5万0810人、2016年には3万1963人まで減少した。世帯数は1万5166世帯で、1980年からあまり減少していない。島に若者が働ける仕事先が少なく核家族化と高齢化が進んでいる。
行政は長崎県に属しているが、人びとの日常生活のうえでは航空機やフェリーの直行便数が多い
福岡県との結びつきが深い。
対馬は、南北に細長い形状の対馬島と、100を超える小島から形成される。主島の面積は696.29km
2であり、すべての島を合わせた面積は、708.61km
2である。有人島は、主島、泊島、赤島、沖ノ島、島山島、
海栗島の6島である。このうち海栗島を除く5島は橋梁または埋め立てにより結ばれている。
地形・地勢
東海岸の一部と下島の西海岸の一部を除くほぼ全域で
リアス式海岸が発達し、海岸線の総延長は915キロメートルにもおよぶ。特に主島の中央には西から大きく切り込んだ
浅茅湾(あそうわん)があり、東からも
三浦湾、大漁湾(おろしかわん)などが切れ込んで、
多島海を形成している。また、浅茅湾の自然海岸線の延長は日本一の長さとして知られる。その他、各地に小さな湾があり、多くは
漁港として利用される。断崖絶壁もしばしば見られ、なかには、標高差が100メートルにおよぶものもある。
主島はかつて1つの島だったが、
地峡となっていた部分に
運河として、
1672年(
寛文12年)に
大船越瀬戸が、
1900年(
明治33年)に
万関瀬戸が開削され、細長い主島は南北3島に分離された。過去には南部を上島、北部を下島と呼んだこともあったが、現在は万関瀬戸より北部を上島(かみじま)、南部を下島(しもじま)と呼ぶ。
全体的に山がちで険しいが、下島の方が標高が高い。下島中央部には最高峰の
矢立山(標高648.40m
)があり、舞石ノ壇山(めいしのだんやま、標高536.32m
)・龍良山(標高558.38m)などの矢立山系が内山盆地を囲む。その北東に
有明山(標高558.09m
)があり、浅茅湾南岸に白嶽(しらたけ、標高518m)がある。上島の最高峰は北部にある
御嶽(みたけ、標高479m)である。
島内の
分水界は東に偏っていて、主要6河川のうち
佐護川・
仁田川・
三根川・
佐須川・
瀬川の5河川まで西向きに流れる。東へ流れる最大の川は島内流域面積5位の
舟志川である。
各河川の下流部には
谷底平野があるものの、
耕作に適した平地は少なく、陸上交通も概して不便である。このような地形は人々の生活や
歴史に大きな影響を与えてきた。
その他 続は wikipedia で・・・・・