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羽生結弦
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  羽生 結弦(はにゅう ゆづる、英語: Yuzuru Hanyu1994年平成6年)12月7日- )は、宮城県仙台市泉区出身のフィギュアスケート選手(男子シングル)。全日本空輸 ANA所属。早稲田大学人間科学部(通信教育課程eスクール)卒業。卒業論文学術誌に掲載。

  2022年7月19日、今後は競技会への出場はせず、プロのアスリートとしてスケーターに転向し、フィギュアスケートを続けていくことを表明。
  主な表彰は2018年国民栄誉賞受賞(個人としては最年少受賞者)。2020年最優秀選手賞受賞。2014年・2018年紫綬褒章
  主な戦績は2014年ソチ五輪2018年平昌五輪2大会連続オリンピック金メダリスト。2020年主要国際大会6冠全制覇を果たしスーパースラムゴールデンスラム20142017年世界選手権各優勝。2013201420152016年グランプリファイナル4連覇。2012 - 2015年・2020年・2021年全日本選手権通算6回優勝。世界ランキング2013/14 - 2017/18年まで5シーズン連続1位
  主な記録は国際スケート連盟 公認大会2016年オータムクラシックショートプログラムにおいて、世界初の4回転ループジャンプ成功ISUジャッジングシステムのもとに開催された国際スケート連盟 公認大会において、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手。+3 / -3 GOEシステム時代におけるショートプログラムで112.72点、フリースケーティングで223.20点、トータルスコア330.43点の世界記録保持者
  2019-20シーズンの終了時までに世界記録を通算19回更新している。
来歴
ジュニア以前
  コナミスポーツクラブ泉のリンク(現アイスリンク仙台 地図)で1999年に佐野稔が開催した子供スケート教室に姉が通い始め、この姉の影響により羽生も4歳でスケートを始めた。同じダイエー系列の新松戸アイスアリーナが2002年1月に閉鎖になると、同アリーナを指導していた都築章一郎が仙台に移り、小学2年から小学6年まで指導を受けることとなる。都築に個人指導を受けるようになったのは小学3年からだが、友達と遊びたい時期に練習ばかりがハードになっていったため、このときはスケートが嫌になり野球をやりたいとも言い出した。しかし「好きで始めたことに屈したくない」と練習を続け、翌2004年10月に初出場した全日本ノービス(Bクラス)で優勝。9歳で初めて金メダルを獲得した。また12月、自身初めて国際大会に出場、フィンランドタンペレで開催された大会に出場しノービス(Aクラス)で優勝、10歳で国際大会の金メダルを初めて獲得している。
  優勝した直後の2004年12月にホームリンク(七北田小から徒歩10分程度)が経営難で閉鎖したため、勝山スケーティングクラブに練習拠点を移した。勝山は七北田小から道なりに約6キロ(渋滞がない早朝なら車で約15分だが、夕方ラッシュ時は30分程度)離れており、貸切時間もあまり取れず練習時間は一気に減った。リンクメイトの少年たちも何人も辞めていき、この時期に伸び悩むこととなり、2005年はノービスBで2位、2006年はノービスAで3位となる。
  都築は旧・東神奈川スケートリンク(横浜市)へ移籍となり、羽生とは離ればなれになった。2007年3月、閉鎖されたかつてのホームリンクがアイスリンク仙台として営業を再開すると、羽生も練習拠点を同リンクに戻した。
2007 - 2008シーズン
  2007 - 2008シーズン、全日本ノービス(Aクラス)で優勝。まだノービスの選手(中学1年)ながら全日本ジュニア選手権で3位となる。ノービスの選手が全日本ジュニア選手権の表彰台に上がるのは日本男子史上初。
2008 - 2009シーズン
  2008 - 2009シーズンからジュニアに上がり、ISUジュニアグランプリ (JGP)に参戦。全日本ジュニア選手権で初優勝を果たし、初出場となった全日本選手権では出場選手中最年少ながら8位に入る、全国中学校スケート大会で優勝、世界ジュニア選手権でも大会最年少(14歳3か月)ながら12位となった。
2009 - 2010シーズン
  2009 - 2010シーズン、初戦のJGP トルン杯でJGP初優勝。続くクロアチア杯でも優勝し、JGPファイナルでは史上最年少(14歳)で総合優勝を果たした。全日本ジュニア選手権では2連覇を達成し、全日本選手権ではショートプログラム13位から、フリースケーティングの演技後半に3回転アクセル - 3回転トウループ - 2回転トウループのコンビネーションジャンプを決めるなどして追い上げ、総合6位となった。世界ジュニア選手権ではフリースケーティングで大幅にパーソナルベストを更新して優勝。
  日本人男子としては初の中学生で、髙橋大輔2002年)、織田信成2005年)、小塚崇彦2006年)に続く4人目の世界ジュニアチャンピオンになった。2010年4月、私立東北高校に進学
2010 - 2011シーズン
  2010 - 2011シーズン、シニアデビュー戦となったISUグランプリシリーズNHK杯で、フリースケーティングで自身初となる4回転トウループを成功させ4位に入賞。出場3回目の全日本選手権では4位となり、四大陸選手権の代表に選出された。2011年2月に開催された四大陸選手権ではショート、フリーともに自己ベストを更新する演技で、初出場で銀メダルを獲得。男子選手としては四大陸選手権史上最年少のメダリストとなった。3月4日に宮城県知事を表敬訪問、同日仙台市役所を訪問し四大陸選手権の結果を報告した。3月7日には東北高校の壮行会にて四大陸選手権銀メダルの報告をした。
東日本大震災
  3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生。地震発生時は仙台市のアイスリンク仙台で、先輩スケーターと貸切状態で練習中であり、四つん這いでスケート靴を履いたまま外へ避難した。羽生本人や家族、阿部コーチやリンクメイトは無事であったが、同リンクは被災して営業休止になり、自宅も大きな被害を受けたため避難所で4日間過ごした。3月12日にはベガルタ仙台のホーム開幕戦のハーフタイムに四大陸選手権銀メダルの報告会と花束贈呈が行われる予定だったが、試合と共に全て中止となった。震災で多くの死者・行方不明者が発生し、大勢の避難者が避難所生活をしているさなか「もうスケートなんてやってる場合じゃない」と毎日考えていたが、自身が在学する東北高校野球部が避難所でボランティアをしながら第83回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に出場し、3月28日の初戦を全力で戦っている姿をテレビで観て、スケートへの意欲を取り戻した。
  羽生の練習場所を心配し、すぐに濱田美栄田村岳斗が阿部コーチに連絡してきたが、かつて師事した都築コーチがいる旧・東神奈川スケートリンク(現・横浜銀行アイスアリーナ)で、地震から10日後に練習を再開した。兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)の41日前に生まれた羽生は、4月9日に開催された兵庫県スケート連盟主催「東日本大震災チャリティー演技会 ~復興の街、神戸から~」に招待され、東北高校の先輩の田村・本田・荒川らと演技を披露した。震災を経て、Twitterですぐにメッセージを送ったジョニー・ウィアーらや、ファンからの手紙、羽生の現状を伝えるメディアなど、さまざまな支えにより生きていることを痛感し「目標を掲げて、上を目指していくしか、自分にできることはない。そのために精一杯、やれることは全部やっていこう」と決心。4月からは、テクノルアイスパーク新井田(青森県八戸市)を仮の拠点とし、復興支援目的のアイスショーへ多数出演して各地を転々としながら練習を続けた。7月24日、アイスリンク仙台が営業を再開したため、羽生も拠点を戻した。2011 - 2012シーズン  9月にはネーベルホルン杯に出場し、シニアクラスの国際大会では初の優勝を果たす。ISUグランプリシリーズでは中国杯で4位に終わるも、続くロステレコム杯でグランプリシリーズ初優勝を果たし、ISUグランプリファイナル進出を決める。初のISUグランプリファイナルでは、総合得点でパーソナルベストを更新するが、1.73点の僅差で表彰台に届かず4位となる。全日本選手権では、ショートプログラムで4位と出遅れたが、フリースケーティングで1位となり総合3位、これにより自身初となる世界選手権代表に選出された。
  世界選手権のショートでは7位発進と出遅れる。しかしフリーでは中盤繋ぎの部分で突然転倒するアクシデントを起こしながらも、エレメンツはパーフェクトにまとめて巻き返し、2位まで追い上げる。この結果、総合で3位に入り、初出場で銅メダルを獲得。特に技術要素点ではパトリック・チャンや髙橋大輔らを上回る同大会最高の点数を記録した。17歳3か月でワールドメダリストとなったが、これは日本男子史上における最年少記録となっている。
2012 - 2013シーズン
  2012年の4月にコーチをブライアン・オーサーに変更。夏からはオーサーの指導拠点となるクリケット・クラブがあるカナダトロントに渡り練習を開始した。
  羽生自身はオーサーの師事を決めた理由として、同じくオーサーの指導を受けることで4回転ジャンプの精度が上がったハビエル・フェルナンデスに着目し「自分の最大の武器である4回転が安定すれば、スケーティングや表現力など、ほかの部分も上達するチャンスが出てくると考えました」と語っている。
   フィンランディア杯ではフリーでトゥループとサルコウの2種類の4回転ジャンプを成功させ優勝。グランプリシリーズでは初戦のスケートアメリカ、地元・宮城県で開催された第2戦のNHK杯と、2戦続けてショートプログラムで歴代最高得点を更新、GPファイナルでは2位となる。全日本選手権では初優勝を果たした。
  四大陸選手権では、ショートプログラムでは1位だったものの、フリーでは4回転サルコウが2回転に、3回転ルッツが1回転になるミスがあり3位。総合得点では2位になった。しかし世界選手権では、2月からの体調不良と左膝の故障の影響からSPでは精彩を欠き、9位と出遅れた。さらにフリーの公式練習で右足首を故障したが、満身創痍で臨んだフリーでは3位となり、総合では日本男子最高の4位に入った(翌2014年2月開催のソチオリンピック男子シングル種目は、髙橋大輔の6位との成績で最大の3枠を確保)。左膝の故障のため、2013年世界フィギュアスケート国別対抗戦は辞退した。2013年4月に早稲田大学に進学した。
2013 - 2014シーズン
  2013 - 2014シーズンを前に、2013年7月1日全日本空輸(ANA)と所属契約した[56]。シーズンインするとフィンランディア杯で2年連続の優勝。
  スケートカナダエリック・ボンパール杯はともにパトリック・チャンに次ぐ2位。福岡市で開催された2013年GPファイナルではショートプログラムの歴代最高得点を更新、フリーでは自己ベストを大幅に更新し、総合1位でGPファイナル初優勝を果たす。続く全日本選手権では2連覇を達成し、オリンピック代表に初選出された。
ソチオリンピック金メダル(アジア男子初の金メダル)
  2014年2月、ロシアで開催のソチオリンピックでは、団体戦のショートプログラム1位となるが、日本は5位に終わった。
  男子シングル個人種目では、ショートプログラムの『パリの散歩道』で101.45点を記録、公式大会世界最高得点かつ、史上初の100点超えを達成し首位に立った。しかしフリースケーティングでは、冒頭の4回転サルコウで転倒、直後の4回転トウループは成功したものの、3回転フリップで再び着氷に失敗。演技後半の3回転アクセルからのコンビネーションは2回とも成功させたが、3回転ルッツ - 1回転ループの直後、3回転サルコウが認定されないなど不本意な演技となり、自己ベストには程遠い178.64点にとどまった。フリー演技終了直後のインタビューでは「(体が)全然動かなかった。(本番直前の)6分間練習から焦っていた。はっきりいって自分の演技に満足していない。終わったあとは、金メダルは駄目かなと思った」と語っていた。
  SPで2位につけていたパトリック・チャン(カナダ)は羽生の直後に滑走。冒頭4回転 - 3回転トウループのコンビネーションを成功させるも、その後は単独の4回転トウループと3回転アクセルで手を着き、さらに終盤の2回転アクセルでもバランスを崩すなどの着氷ミスが続き、羽生のフリーの得点を上回れず銀メダルに終わった。その後に滑走した2選手もメダル圏内にはおよばず、結果羽生はフィギュアスケート男子シングルの種目において、アジア人初となる冬季オリンピックでの金メダルを獲得した。
  2014年2月14日時点で羽生は19歳65日という年齢であり、フィギュアスケート男子シングルの金メダリストとしてはディック・バトンアメリカ合衆国)が1948年サンモリッツオリンピックで優勝した際の18歳202日に次ぐ史上2番目の年少記録となり、66年ぶり2人目の10代での金メダリストになった。さらにオリンピック初出場で金メダルを獲得したのは、ウルリッヒ・サルコウイリヤ・クーリックに次いで史上3人目。ソチオリンピックでは日本人唯一の優勝、また平成生まれの日本人として史上初の夏季・冬季を通して五輪の金メダル獲得となり、さらに日本選手で過去冬季五輪の金メダル獲得は記念すべき10個目となった。
  表彰後のインタビューではシカゴ・トリビューンの記者フィリップ・ハーシュから東日本大震災についての質問を受け、「金メダルをとったからといって、復興に直接つながるわけではない。自分には何もできていないんだという無力感がある。でも、金メダリストになれたからこそ、これをスタートとして、復興のためにできることがあるんじゃないかと今は思っています」と回答し、故郷への感謝を述べた。この質問をしたハーシュは「僕にとってソチ五輪でもっとも忘れられない瞬間は、誰かが成したことではなく日本の羽生結弦が言ったことだ」とツイートし、「19歳とは思えない成熟と謙虚さ、細やかな感受性をもって、この勝利について語った」と羽生を称える記事を書いた。また同席していたニューヨーク・タイムズ の記者ジェレ・ロングマンは「金メダルの獲得こそが、羽生が前進するための出発点となるだろう」と結ぶ記事で勝利を称えた。
世界選手権初優勝
  2014年3月、さいたま市で開催された世界選手権では、ショートの4回転トウループで転倒し3位と出遅れた。しかしフリーで、国際スケート連盟主催の大会で自身初の4回転サルコウジャンプを成功させる。その後の3回転フリップでエッジエラー判定を受けた以外は、ほぼパーフェクトな演技で総合首位に立つ。総合2位の町田樹を合計得点0.33点の僅差でかわし、逆転優勝を果たした。日本男子シングル種目では、2010年世界選手権の髙橋大輔以来、4年ぶり2人目の世界チャンピオンとなる。さらに「GPファイナル・冬季オリンピック・世界選手権」の3大会を制したのは、2001 - 2002年シーズンのアレクセイ・ヤグディン以来、男女シングルを通じて史上2人目の快挙となった。
2014 - 2015シーズン
グランプリファイナル2連覇
  オリンピックチャンピオンとして臨んだ2014 - 2015シーズンだが、度重なるアクシデントの影響により、当初挑戦する予定だったプログラムの難度の変更を余儀なくされた。 初戦となる予定だったフィンランディア杯は腰痛のために欠場。2014年11月、初戦となった上海開催の中国杯ではショートプログラムで2位スタート。フリースケーティング前の6分間練習で、中国の閻涵と衝突事故が起きた。日本スケート連盟は国際試合に医師を帯同させていなかったため、現場では米国の医師に応急処置を受け、頭部と顎にテーピングと包帯を施したままの状態で演技に臨んだ。流血事故を押しての出場は、当初脳震盪の可能性が疑われたため「危険だったのではないか」とメディアの賛否が分かれる事態に発展したが、脳震盪は起こしていないと現場の医師の診断を受けており、最後までプログラムを滑りきり銀メダルを獲得した。
  この演技終了後に顎を7針、頭を3針縫い、表彰式とエキシビションには出演せず翌日に帰国。精密検査の結果、頭部挫創・下顎挫創・腹部挫傷・左大腿挫傷・右足関節捻挫で全治2 - 3週間と診断を受けた。
  次戦のNHK杯は開催直前まで出場の可否が検討されていたが、最終的には出場し総合順位は4位となる。この結果、ISUグランプリシリーズポイントランキング6位となり、最下位でグランプリファイナルへと進出した。1番滑走で臨むことになったショートでシーズンベストを記録し首位に立ち、フリーでは2種類の4回転を成功させ自己ベストを更新。日本男子初となる大会2連覇を達成し、事故を乗り越えての勝利を「存分に体を使える幸せを感じた。今スケートができることが一番の幸せ」と語った。
世界選手権銀メダル
  続く2014年12月、全日本選手権では3連覇を達成したものの、グランプリシリーズ時から断続的に続いていた腹痛の精密検査のため、エキシビションを欠場して緊急入院。「尿膜管遺残症」との診断結果により、翌12月30日に手術を受けた。3連覇を達成した直後に、NHK杯で見えた壁を越えて見えたものはと問われ「壁です。壁の先には壁しかないのかな、と。人間というのはそういうものだと思うし、課題ができたら、人間は欲深いものだからそれを越えようとします。たぶん、僕は人一倍欲張りなんだと思うのと同時に、それを達成するためにサポートしてくれる環境がある。幸せ者だなと思います」と答えた。
  手術後は2週間の入院および1か月の安静治療が必要とされたが、退院後に練習を再開。しかし手術で腹部を4センチほど切り、腹筋の感覚に違和感が生じたことが一因で練習時に右足首を捻挫。再び2週間の休養を要し、3月開催の世界選手権への出場は直前まで危ぶまれた。しかし3月上旬から出場する意向での国内調整を進め、全日本選手権以来の復帰戦に挑むこととなった。
  2015年3月、上述の衝突事故が起きた上海の会場で開催された世界選手権では、ショートプログラムで4回転が乱れたものの今季自己ベストをマークして首位に立った。術後の回復をアピールしたかに見えたが、フリーの4回転をどちらも失敗。その後は落ち着いてジャンプを決め巻き返したものの、パーソナルベストには程遠いスコアに留まった。結果は、同門のハビエル・フェルナンデスに2.82点およばず銀メダルとなり、日本人選手初となる世界選手権連覇はならなかった。連覇を逃した心境を「悔しさが9割だが、また追いかけることができる立場になった。悔しさをバネに進んでいける」と語り、復帰戦を終えた。
  捻挫のほか、手術痕が炎症を起こすなどのコンディション不全から、続く4月開催の国別対抗戦への出場の可否は世界選手権後に協議されたが、自身初となる出場が決定。ショートプログラムで96.27点と今季自己ベストを更新して首位に立ち、翌フリープログラムも冒頭の4回転サルコウを決めたほか、ミスを最小限にとどめ首位に立った。フリーの演技後に氷上で「ありがとう」と感謝の言葉を述べ、今季最後の試合を終えた。日本は銅メダルを獲得。エキシビションでは『パリの散歩道』を同季唯一のノーミスで披露し、参考扱いながらも4回転ループ+3回転アクセルのシークエンスジャンプを成功させた。来季に向けては「また一つ一つ課題をクリアしていきたい」と展望を語り、シーズンを締めくくった。
2015 - 2016シーズン
世界記録更新とGPファイナル3連覇
  映画『陰陽師』のサウンドトラックを用いた新たなフリースケーティングを『SEIMEI』と自ら命名。「安倍晴明」の狩衣をイメージした衣装で、シェイ=リーン・ボーン振付によるの表現に挑んだ。
  初戦のオータムクラシックで優勝。続くスケートカナダのショートプログラムでは、演技後半のジャンプがルール上カウントされず0点となり73.25点の6位発進と出遅れたが、フリーで自身初となる4回転3本を着氷させて巻き返し2位となる。
  続くNHK杯では「挑戦という意味を込めた」として、ショートに4回転サルコウと4回転トウループ - 3回転コンビネーションの4回転2本を組み込む、自身最高難度の構成に急遽変更。ノーミスの演技で、ソチオリンピックで自身が記録した101.45点の世界最高得点を更新する106.33点を記録した。「絶対王者になると言い聞かせることで自分にプレッシャーをかけた」として臨んだ翌日のフリーでは、演技後半の4回転 - 3回転コンビネーションを含む計3本の4回転のほか、すべてのジャンプを成功。技術点は出来栄え評価で23.08点もの加点を獲得し、演技点の「音楽の解釈(Interpretation)」の項目は、ジャッジ9人中6人が10点満点をつける9.89点という圧倒的な演技で安倍晴明を演じきり、史上初の200点台となる216.07点を記録した。トータルスコアでも史上初の300点台となる322.40点を記録し、パトリック・チャンが保持していた295.27点の世界歴代最高得点を大幅に塗り替える前人未到のスコアで優勝を果たした。この大会で羽生はショート、フリー、トータルの全スコアで世界記録を更新。ISUジャッジングシステムにおいて、史上初めてショートプログラムで100点、フリースケーティングで200点、トータルスコアで300点超えを達成した男子選手となった。
  さらに2週間後のバルセロナで開催されたグランプリファイナルのショートプログラムにおいて、NHK杯を超える演技を披露。4回転サルコウと、4回転トウループ - 3回転トウループの連続ジャンプは、9人中8人のジャッジがGOE(出来栄え評価)加点で満点の3点をつけ、PCS(プログラム構成点)は満点の50点に肉薄する49.14点をマーク。110.95点を叩き出し、わずか2週間で再び世界記録を塗り替えた。

  一日置いたフリーでもノーミスの演技を披露。4回転サルコウ、4回転トウループともにGOE満点を獲得し、技術点は120.92点に到達。構成点では9名のジャッジが10点満点をつけた項目が23にもおよび、NHK杯を超える219.48点を記録。トータルで330.43点というスコアを叩き出し、再びすべての世界記録を更新した。プログラム構成上の上限の点数に対する得点がショートが2.70、フリーが6.31とごくわずかの演技で、男子選手としてISUグランプリファイナル史上初となる3連覇を成し遂げた。歴史的な記録更新に、会場のインタビューで自身の演技を見た子どもへのコメントを求められ「どうかスケートを、練習を、夢をあきらめないで」と語った。
  続く全日本選手権ではさらなる記録更新に期待がかけられたが、フリーの演技後半の2度のジャンプの転倒が響き183.73点、トータルは286.36点にとどまった。2位の宇野昌磨に20点近い大差をつけ、男子史上29年ぶりとなる大会4連覇を果たしたものの「ひどい演技。自分の中では勝ったとは思っていない」と悔しさをあらわに、2015年を締めくくる試合を終えた。
世界選手権銀メダル
  2016年3月にボストンで開催された世界選手権では、ショートでは自己ベストに肉薄する110.56点を記録。一日あけて臨んだフリーでは「さらに完成度を高めるため」として、後半の4回転トウループを4回転サルコウに変更(実際には左足の靱帯損傷の悪化により変更となった)、しかしここで転倒するなどジャンプの精彩を欠いた演技で、自己ベストには程遠い184.61点にとどまった。トータルスコアは295.17点という結果となり、ショートのリードで逃げ切ることはできず、前回大会と同じく同門のハビエル・フェルナンデスに逆転され、2年連続の銀メダルとなった。期待されながらも王者奪還を逃した敗因を「いい演技をしたい、と欲張った結果が裏目に出た空回りであり、自分の過ち」と分析。演技後は「ここで金メダルを取れないようでは自分はまだまだ」と述べ、去年と同様に悔いの残る世界選手権を終えた。
  大会終了後、左足靱帯損傷の治療のため、帰国はせず練習拠点のトロントに戻ると発表。後日正式に「左足リスフラン関節靭帯損傷」により全治2か月との診断を受け、アイスショーへの出演をすべて取りやめ、治療とリハビリに専念することとなった。
2016 - 2017シーズン
世界初の4回転ループ成功とGPファイナル4連覇
  怪我のリハビリを経て、新たなプログラムに「観客とのコネクト」をテーマにプリンスの『Let's Go Crazy』(ショート)と、『Hope & Legacy』と名付けた久石譲の楽曲(フリー)を選択。4回転ループを含む、6本の4回転ジャンプを組み込む高難度プログラムに挑む。
  初戦のオータムクラシックで、ISU公認大会史上初となる4回転ループを2度成功させる快挙で優勝。しかし「ぜんぜん体が動かなかった」と苦笑するほど全体的には精彩を欠いた演技で、自己ベストから70点近く低い260.57点にとどまった。不本意な結果に「次の試合ではノーミスで。そのくらい練習していきます。そうじゃないと、羽生結弦じゃないです」と雪辱を誓った。しかしグランプリシリーズ初戦となる、続くスケートカナダのショートで「慎重になりすぎた」と4回転を失敗し、4位発進と出遅れる。フリーは1位で追い上げるも、トータルスコアでパトリック・チャンにわずかに届かず、同大会2年連続で2位となった。ショートの出遅れが響き今回も263.06点というスコアにとどまったが、初戦の体力切れを改善し演技後半のジャンプを安定して決めることができたことから「悔しさ9割、達成感1割」と総括した。

  続くグランプリシリーズ2戦目のNHK杯では、ショート冒頭の4回転ループの着氷のみ乱れたが、演技後半のトリプルアクセルがGOE満点評価を受けるなど圧倒的な演技で103.89点をマークし首位に立つ。フリーでは4回転サルコウ - 3回転トウループのコンビネーションの4回転サルコウで転倒があったものの、4回転ループ、4回転サルコウ、4回転トウループと3本の4回転ジャンプを成功させる安定した演技で197.58点をマーク。今季世界最高得点となる総合301.47点で優勝し、グランプリファイナルへの進出を決めた。今回もノーミスの演技は達成できなかったことから、ショート・フリーともに演技後に「もうちょっと」と、指で自身の演技の完成度を悔しがる仕草を何度も見せていたが、フリーについては「冷静に考えたら全然もうちょっとじゃなかった。かなり頑張ってきます」とさらなる向上を誓い、「悔しさ4割、ホッとした4割、楽しかった2割」と大会を総括した。
  12月8日よりマルセイユで開催のグランプリファイナルに、史上初となる4連覇をかけて出場。ショート冒頭の4回転ループの着氷を何とか堪え、すべてのジャンプを成功。スピン、ステップのすべてで最高評価のレベル4を獲得した。ステップはジャッジ9人中8人がGOE満点のプラス3をつけ、上限となる2.1点の加点を得るという圧倒的な演技で、シーズンベストを更新する106.53点をマーク。首位発進で臨んだフリーだったが、冒頭の4回転ループと4回転サルコーは成功するも、演技後半の4回転サルコーで転倒するなどミスが相次ぎ失速。得点を伸ばすことができず、フリーは全体3位となる187.37点にとどまった。しかしながらショートでの大幅なリードに助けられ、2位まで追い上げたネイサン・チェンに10点以上差をつける合計293.90点で大会を制し、男女を通じてグランプリファイナル史上初となる4連覇を達成した。また大会4度の優勝は、男子では羽生が憧れるエフゲニー・プルシェンコと並ぶ記録となる。この結果を喜ぶ一方、ノーミスの演技を達成できなかった悔いの残るシーズン前半戦を「めちゃくちゃ悔しい。反省点だらけ」と総括。シーズン後半に向け、改めて4回転ジャンプ4本を組み込むフリー構成の完成を目指す。
  次戦は5連覇をかけた全日本選手権となる予定だったが、帰国後にインフルエンザを発症し咽頭炎を併発する。大会前日の段階でも発熱が続いており、さらに1週間の安静加療が必要と診断されたことから、正式に全日本選手権欠場を発表した。不在に終わった全日本だが、上述のグランプリファイナル優勝および、過去に出場した世界選手権における実績などから選考基準を満たしており、2017年にヘルシンキで開催される世界選手権の代表に選出された。
世界選手権2度目の優勝
  2017年2月、復帰戦となる四大陸選手権に出場。ショートは冒頭4回転ループをほぼ完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウが2回転となるミス。トリプルアクセルで満点の加点を得たものの、97.04点の3位発進と出遅れた。逆転をかけたフリーは演技後半の4回転サルコウ+3回転トウループが2回転+1回転になってしまったが、終盤のコンビネーションを急遽4回転トウループ+2回転トウループに変更するなど圧巻のリカバリーを見せ、自身初となる4本の4回転に成功。今季最高得点となる206.67点を叩き出しフリー1位となったが、合計303.71点はショート1位のネイサン・チェンにわずかに届かず2位に終わった。今回も四大陸選手権の優勝はならず、同大会で獲得した銀メダルは3個目となったが「優勝したかったが、今までで一番楽しかった銀メダル」とし、「自分の限界に挑戦している感覚が非常に好き。この時代に生まれてよかった」と、ライバルとハイレベルな戦いに挑む喜びを述べた。
  

3月にヘルシンキで開催された世界選手権に出場。ショートでは、冒頭の4回転ループを自身最高となる2.43点の加点を得る出来栄えで完璧に決めるも、続く連続ジャンプの4回転サルコウの着氷が乱れ、左膝をつくミス。その体勢から急遽両手を上げての2回転トウループをつけたが、これはコンビネーションとは認定されず大幅に得点を失う。さらに、名前を呼ばれてから30秒以内にスタート位置につけず「スタート遅れ」の規定違反により1点の減点を受け、98.39点という厳しい得点になる。109.05点で自己ベストを更新した首位のハビエル・フェルナンデスとは10.66点差の5位発進と大幅に出遅れる 。しかし最終グループ1番滑走で臨んだフリーでは、鬼門となっていた演技後半の4回転サルコウ+3回転トウループの連続ジャンプを今季初めて完璧に成功。4回転4本に加え、すべてのジャンプを加点つきで成功させるという圧巻のノーミス演技を成し遂げ、自身が持つ世界最高得点を更新する223.20点を叩き出した。トータルスコアはシーズンベストとなる321.59点で、4位までが300点を超える空前の激戦を制し、史上初となるショート5位からの逆転優勝を飾った。
  世界選手権の優勝は2度目となり、3年ぶりに世界王者の座を奪還した。世界記録を塗り替えての劇的な逆転優勝を、ニューヨークタイムズは「目もくらむような眩惑的なフリースケート」の見出しで称え、スペインエル・パイス紙は「キングが王座に帰還した」と報じた。フリーでの世界記録更新については「一番とらわれていたのは過去の自分の数字。0.1点でもいいから超えてくれと恐れながらやっていたが殻を破れた」と、限界を設けず練習を続けたことへの収穫を述べた

  シーズン最終戦として4月下旬に世界国別対抗戦に出場。ノーミスを目標に掲げていたショートで4回転が決まらず、83.51点の7位に沈んだ悔いから「こんなに悔しいならもう1回跳べばいい」と、4回転ジャンプを5本組み込む構成でフリーに臨んだ。5本のうち前半の4回転サルコーが1回転となるミスが出るも、演技後半で史上初となる3本の4回転ジャンプを成功をさせ(4回転サルコー - 3回転トウループ、4回転トウループ、4回転トウループ - 1ループ - 3サルコー)200.49点を記録し1位に躍り出る。日本はポイント合計で総合1位となり、3大会ぶりに優勝を飾った。 ハイレベルな試合が続いた五輪プレシーズンを「だからこそ練習が楽しいしモチベーションも高くなる。今スケートが楽しいです」と総括し「自分がしたいスケートをしっかりやって、また一歩ずつ進んでいければ」と来季への展望を述べた。
2017 - 2018シーズン
4回転ルッツ成功と右足関節外側靱帯損傷
  ショートに『バラード第1番ト短調』、フリーは2015 - 2016シーズン時点で「五輪シーズンで使うと決めていた」という『SEIMEI』と、自身が世界最高得点を更新したプログラムの再演を選択。フリーは4回転5本を組み込むなど構成の難度をさらに上げ、オリンピックシーズンに臨む。
  9月にモントリオールで開催されたオータム・クラシックに出場。右膝に痛みがあり4回転ループは回避したが、ショート冒頭の4回転サルコウおよび後半のトリプルアクセルでGOE満点の評価を獲得するなど、技術点合計が歴代最高の64.17点に到達するノーミスの完璧な演技を披露。自身が2015年より保持している最高得点を塗り替える112.72点の世界新を記録し、首位発進となった。しかし、翌フリーは得意のトリプルアクセルで転倒するなど精彩を欠いた演技で失速。自己ベストから実に67点ものマイナスとなる155.52点にとどまり、合計でハビエル・フェルナンデスに逆転され2位となった。この落差の激しさは「集中力の弱さ」にあり永遠の課題としつつも、初戦で2位に終わった悔しさを「大きな収穫」と受け止めた。

  10月にグランプリシリーズ初戦のロステレコム杯に出場。ショートはジャンプのミスが響き2位発進。フリーでは、自身初挑戦となる4回転ルッツを成功させ[186] 195.92点の1位まで追い上げるも、合計290.77点はネイサン・チェンに3点届かず2位と、6年連続でグランプリシリーズ初戦の優勝を逃した。 次戦は11月のNHK杯を予定していたが、9日の大阪市中央体育館での公式練習にて4回転ルッツで転倒した際に負傷。翌日午後に日本スケート連盟が「右足関節外側靱帯(じんたい)損傷」との診断結果を発表し、正式に欠場が決まった。この時点でグランプリファイナル出場を逃すこととなり、史上初となる5連覇の可能性は消滅した。
  トロントに戻り、12月の全日本選手権への出場を目指して治療に専念したが、骨と腱にも炎症があるなど回復が遅れ、練習を再開することができず断念。18日に日本スケート連盟が正式に欠場を発表した。引き続きリハビリを優先し、全日本選手権終了時点の段階で、ジャンプ抜きの氷上練習を再開した状態にあると発表。逆算して回復が間に合う見込みであること、現世界ランキング 1位であり、規定に沿って正式に平昌オリンピック代表に選出された。
平昌オリンピック金メダル(66年ぶりの五輪2連覇・アジア初)
  1月の四大陸選手権も回復優先のため回避し、2月9日に開幕した平昌オリンピック団体戦への出場も「完全回復にあと1週間必要」とのブライアン・オーサーの判断により回避。11日に現地入り後は慎重に調整。まだ日本勢が金メダルを獲得していない話を記者に向けられると「誰が(金メダルを)とろうが、僕もとります」と断言。約4か月ぶりとなる復帰戦として、男子シングル66年ぶりの五輪連覇がかかる個人戦に臨む。
  2018年2月16日、江陵アイスアリーナでショートプログラムに出場。4回転ループは回避するも、演技後半のトリプルアクセルは、審査員全員からGOE満点の評価を得るなどすべてのジャンプを完璧に決め、ブランクの不安を払拭する圧巻の演技を披露した。自己ベストに肉薄する111.68点をマークし首位発進となる。

  「痛み止めなしでは3回転ジャンプすら跳べなかった」という状態の悪さから、翌17日に行われたフリーのジャンプ構成は試合当日の朝に決断したという。冒頭の4回転サルコー、続く4回転トーループでGOE満点を獲得する完璧な滑り出しで序盤のジャンプはすべて成功。長いブランクからスタミナが懸念された演技後半も、4回転サルコー - 3回転トーループの連続ジャンプを成功。しかし続く4回転トーループでミスが出たため、その後のトリプルアクセルを2連続からトリプルアクセル - シングルループ - トリプルサルコーに切り替えリカバリーした。最後の3回転ルッツも、体勢を崩しながらも着氷でこらえた。
  大きなミスは1つにとどめ、フリーでは演技構成点トップ、技術点との合計206.17点は自己ベストにはおよばないものの、ショートプログラムとの合計317.85点と2位以下を10点以上離し、ソチオリンピックに続き2大会連続で金メダルを獲得。男子では1948年サンモリッツオリンピック1952年オスロオリンピックを制したアメリカのディック・バトン以来66年ぶりとなる連覇を達成した。これを受け、バトンは自身のツイッター上で「ブラボー」と賞賛し羽生を祝福した。
  冬季オリンピックの個人種目で日本人が連覇を果たしたのは史上初である。また冬季五輪ではチャールズ・ジュートローが1924年に第1号獲得者となって以降、通算1,000個目の金メダルとなった。25日のエキシビションでは「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」で大トリを務めた。男子シングルの金メダリストがオリンピックのエキシビションで大トリを飾るのは、2006年トリノオリンピック金メダルのプルシェンコ以来であり、日本人メダリストが最終演技者を努めたのは史上初となる。被災地の復興の願いを込めた演技で大役を果たし、平昌オリンピックを終えた。
  「この試合は勝たないと意味がないと思っていた」との覚悟に勝った偉業だが、連覇にいたるまでの4年間は怪我や病気に苦しんだ。しかし「もし何もなくうまくいっていたら、たぶん金メダルをとれていなかった」とし、さまざまなアクシデントから学んだ経験を生かせた結果と総括した。会見では痛み止めの服用なしではジャンプを跳べる状態にはなく、治療期間が必要と明かしたが、日本に帰国後の3月7日に「右足関節外側靱帯損傷、腓骨筋腱損傷」との診断結果を日本スケート連盟を通じて発表。約2週間の安静と3か月間のリハビリ治療を要する診断を受け、2連覇がかかっていた世界選手権の出場を断念し、シーズンを終えることとなった。3月2日菅義偉内閣官房長官国民栄誉賞授与の検討を安倍晋三内閣総理大臣から指示されたと発表。
国民栄誉賞(個人史上最年少受賞)
  今後は復帰を目指し治療に専念するとして、4月13日に開幕する自身初プロデュースの凱旋アイスショー『Continues ~with Wings~(コンティニューズ・ウィズ・ウィングス)』でも、トークのみで滑る予定はないと発表。しかし公演初日に、安静期間を無事に終えて3月下旬から氷上練習を再開した旨を報告。ジャンプは跳ばないものの、サプライズで45日ぶりに氷上での演技を披露した。4月22日に地元の宮城県仙台市でオリンピック連覇を祝う凱旋祝賀パレードが開催され、前回(2014年)を上回る、約10万8,000人(直近の仙台市の推計人口:108万3,148人(2018年4月1日時点)の約10分の1に相当)の観衆から祝福を受けた。今後は4回転アクセルへの挑戦を目標に掲げるも、次の北京五輪を目指すかとの質問への明言は避けた。来季はなるべく多くの試合に出たいとしている。なお欠場と棄権が続いたことから五輪以外の主要なポイントを獲得できず、2013年より保持し続けた世界ランキング1位の座から、約4年半ぶりに陥落することとなった。シーズン終了時点で3位となる。
  6月1日国民栄誉賞の授与が発表。仙台伝統の絹織物仙台平」のはかま人間国宝の甲田綏郎より贈られた)姿で授与式に臨み、7月2日首相官邸にて安倍晋三より表彰状と盾を授与された。歴代27例のうち、冬季五輪の金メダリスト(冬季競技アスリート)は史上初、また23歳6か月25日での受賞は個人最年少となる。受賞者に与えられる規定の記念品は「皆さまを代表しての受賞という気持ちが大きく、僕個人の気持ちはあまり出したくない」という羽生の意向で辞退となった。受賞後は「ここまで切り開いてくださった方々がたくさんいる中で、代表として僕が頂いた」と感謝を述べたのち「この賞と、皆さまの期待とともに、これからも進んでいきたい」と語った。
2018 - 2019シーズン
  五輪連覇を成し遂げたことで重圧から解放され、今後は自分のために滑りたいと、新たなショートプログラムにジョニー・ウィアーの『秋によせて』を、フリーはエフゲニー・プルシェンコの『ニジンスキーに捧ぐ』をアレンジした曲を用い、プログラム名を『Origin(オリジン)』と名付けた。自らの競技人生が終盤に差しかかっている実感があるとし、幼少期に憧れたプログラムの曲を採用することで「自分の起源を感じながら滑りたい」と原点回帰を新たな目標に挙げた。
  9月に平昌五輪以来の復帰戦となるオータムクラシックカナダ)に出場。ショートはジャンプをすべて決め首位発進するも、スピンが条件を満たせず0点になるミスがあり、翌フリーでも転倒と連続ジャンプにならないミスが重なり165.91点にとどまった。合計でリードを守り優勝したものの、悔しい結果で逆に「自分の心のともしびに薪が入れられた」状態とし、次戦までに「最短で強くなりたい」と悔しさをあらわにした。
  11月にグランプリシリーズ初戦となる フィンランド杯に出場。「やっぱり試合で勝たなきゃ意味がない」と、要素を後半に入れ難度を上げたプログラム構成に変更。4回転サルコーで4.30点の加点を獲得するなど、ルール改正後の世界最高得点となる106.69点を記録しショートを首位発進。エッジ系のジャンプが入らないリンクに苦戦するも「スピードを落とすことで慎重に跳んだ」と対応力を見せ、フリーでは世界初となる4回転トウループ - 3回転アクセルの連続ジャンプを着氷させ190.43点を記録。合計297.12点と、ショート・フリー・トータルスコアのすべてで今季世界最高得点を獲得し優勝。
  シニアデビュー以来の鬼門となっていたGPシリーズの初戦を初めて制した。11月16日よりモスクワで開催されたロシア杯に出場。ショートでは冒頭の4回転サルコーで4.30点の加点を得たほか、4回転 - 3回転トウループの着氷の詰まりを堪えるなど高い修正力を発揮。演技点は5項目すべて9点台なかば以上が並び「この構成では実質ほぼマックスの得点だと思う」と自己分析する圧巻のノーミス演技で、 フィンランド杯でマークした最高得点を更新する110.53点を叩き出し首位発進。しかしフリーが行われる17日午前の公式練習で、4回転ループの着氷に失敗し転倒。2017年11月の靭帯損傷以降、わずかな衝撃でも捻挫を起こすようになった右足首を再び負傷し、医師より3週間の安静が必要との診断を受けた。いま滑ると状態が悪化するため棄権を勧められたが、加療期間を計算すると年末の全日本選手権の出場も危ぶまれることから「何をしたくて、何を削るかを考えたうえで、今日しかないかなと思いました」と、自身のスケート人生のルーツと位置づけるロシアでの試合への出場を決断。

  右足に負担をかけない演技構成に急遽変更し、痛み止めを服用したうえで演技に臨んだ。4回転ジャンプ3本を確実に決めたが、後半の3回転アクセルで転倒するなど終盤のジャンプミスが響き167.89点にとどまった。しかし合計278.42点となり、自身初となるシリーズ2連勝でグランプリファイナル進出を決めた。ファイナルを含むISUグランプリシリーズ通算10勝は、日本人男子最多記録となる。
  試合後のミックスゾーンでタチアナ・タラソワに「よく頑張った」とねぎらわれたが「素晴らしかったと言ってもらえる演技をしなくてはいけなかった」と涙を拭い演技内容を悔いた。18日の表彰式には松葉杖をついて参加し、ファイナルに向け全力で治療すると意欲を示していたが、11月29日に日本スケート連盟が都内病院での検査結果を発表。「右足関節外側靱帯損傷、三角靱帯損傷、右腓骨筋腱部損傷」の診断により、3週間の安静と1か月のリハビリを要することから欠場が決まった。加療が続いており、12月13日に全日本選手権の欠場も発表された。全日本は3年連続の欠場となったが、新採点方式の+5/-5 GOEシステムにおいてもショート・フリー・トータルすべてで今季の最高得点記録を保持しており、現世界ランク3位であることから選考基準を満たしており、順当に世界選手権代表に選出された。

  4か月ぶりの復帰戦となった世界選手権では、「世界選手権に向けた今のコンディションとしては、100パーセントだと思っている」と3度目の優勝に向けて好調ぶりをアピールした。ショートでは冒頭の4回転サルコウが2回転になり0点。その後、トリプルアクセルは3.43点の加点を獲得。4回転トウループ - 3回転トウループも決め、ステップとスピンもレベル4を獲得したが、3位発進となる94.87点と、トップのネイサン・チェンと12.53点も離される厳しい結果となった。
  逆転を狙ったフリーでは、今季は2度目の成功となる4回転ループを決め、3.45点の加点を獲得。4回転トウループは加点3.8点を、4回転トウループ - トリプルアクセルも決め3.12点の加点を獲得。ステップはレベル3となり、合計206.10をマークした。新採点方式で初めてフリーで200点を越えた最初の選手となった。トータルでは最高得点記録となる300.97点を獲得し、新採点方式で300点を超えた最初の選手となりパーソナルベストを更新。しかし、その直後に滑走したネイサン・チェンが高難度ジャンプを組み込んだ圧巻の演技を披露し、合計323.42点と世界最高得点を更新し優勝した。日本代表選手で唯一のメダル獲得者となった羽生は銀メダルとなり、来季の世界選手権3枠獲得を自ら死守した。今後は右足首の怪我と付き合いながら4回転フリップ、4回転ルッツを取り戻し、新たに夢として掲げている4回転アクセルを練習する予定とのこと。試合後、痛み止めを2か月使用し練習と試合に臨んだことを明かした。国別対抗戦は、右足首の加療のため無念の欠場となった。3月29日日本スケート連盟は、羽生は2 - 3か月の加療が必要と診断名を発表した。
2019 - 2020シーズン
  9月今季初戦となるオータムクラシックオークビル)に出場。昨季と同様の楽曲を使用すると発表。SPでは冒頭の4回転サルコウを転倒したが、その後のトリプルアクセル、4回転-3回転の連続トーループを決め、SP 98.38点と首位発進となった。FSは、冒頭の4回転ループ、4回転サルコーは体制を崩しながら何とか堪え、ジャンプ以外のステップやスピンで得点を稼ぐ安定した滑りを見せ SP 1位の羽生が総合力の高さで FSでも180.67点で1位となり 合計279.05点で、今季初戦を制した。「今は、4回転アクセルの為にスケートをやり、その為に生きてるなと思います」と試合後に語り、北京オリンピック出場についても言及した。
  10月グランプリシリーズ初戦となる スケートカナダに出場。SPはトリプルアクセルで、GOE満点評価を得るなど、2位の選手を25点引き離し、自身の世界記録に迫る今季世界最高得点の 109.60 点で首位発進。FSは世界初の3連続ジャンプ4回転トーループ+1回転オイラー+3回転フリップを決め GOEで 4.07点の評価となるなど、4本の4回転ジャンプを決め、完成度の高いほぼパーフェクトの圧巻の演技を披露し 212.99点、2位の選手に59.82点の大差をつけて、トータルスコア 322.59点を記録、今季世界最高得点を獲得し初優勝を飾った。試合後、前人未到のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)投入にあらためて意欲を示し、より高いものを目指していきたいと、飽くなき探求心を語った。

  11月グランプリシリーズ 2戦目となるNHK杯に出場。SPはノーミスの圧巻の演技で自身が持つ 世界最高記録に迫る 109.34 点を叩き出し首位発進。FSは冒頭の4回転ループで着氷を堪えたが、前半の4回転ジャンプは全て成功。後半は連続ジャンプでのミスを、冷静に構成を組み替えるリカバリーを見せ、195.71点を記録、合計 305.05点 を獲得し、2位に 55.03点の大差をつけ3年ぶり、4度目の優勝を飾り、12月に開催されるグランプリファイナル進出も決めた。 試合後ファイナルへ向けて、やはり結果が本当に大切 記憶より記録、しっかり結果を取っていきたい気持ちが強くあると語った。
  12月グランプリファイナルトリノ)に出場。アクシデントで、帯同予定のコーチが不在となり、FS2回目の公式練習からコーチが寄り添う形になった。コーチ不在で臨んだSPは4回転トーループの着氷が乱れ連続ジャンプに出来ず、97.43点で2位発進。1位のネイサン・チェンに12.95点差を付けられ優勝は絶望的となった。FSは4回転ループに成功し、4回転ルッツでは3.94の加点に繋がり、4回転4種5本を全て着氷する意地を見せたが、最後に予定していた3回転アクセル-3回転アクセルのジャンプシークエンスが1回転アクセル単発になってしまう失敗が響き194.00点、合計291.43点で2位。一方チェンは5本の4回転ジャンプを全て着氷するなどノーミスの演技を見せ、世界最高得点となる合計335.30点を叩き出し3連覇となった。試合後、敗れたもののルッツ、ループを含む4回転4種5本を降りたこの構成に手応えを感じていると語り、「楽しむしかないですよね。こんな…自分の旧ジャッジのころの、旧採点まで抜かれてめちゃめちゃ悔しい。今に見とけと思って」と笑いながらリベンジへの強い思いを語った。尚、この大会のFS1回目の公式練習において、公の場で初めて4回転半ジャンプ(クワッドアクセル)に挑戦した。
  12月全日本選手権 に4年ぶりに出場。SPはトリプルアクセルと連続ジャンプの順番を替え、トーループの4回転-3回転を先に決める構成に変更、まとまった圧巻の演技を披露し、110.72点を獲得、非公認ながら自身が記録した世界最高の110.53点を超え首位発進。FSは、トリプルアクセルで転倒するなど、172.05点にとどまり、合計282.77点で2位となった。「調整がうまくいかなかった。体がどんどん、日に日に劣化していく感じだった」「正直言って、僕の実力と技術が足りなかった」と試合後に語り、「一緒にまた引っ張っていけたら。頑張ろうね、おめでとう」と優勝した宇野昌磨を称えた。今大会を含め5週で3試合という大変過酷な日程であった。今後は四大陸選手権への出場が発表され、来年3月にモントリオールで開催される2020年世界フィギュアスケート選手権の代表に選出された。
男子史上初のスーパースラム達成
  2月四大陸選手権に4年ぶりに出場。楽曲を変更し、SPは「バラード第1番」、FSは「SEIMEI」に戻すことを発表。FSの「SEIMEI」は平昌五輪後のルール改正により30秒短縮されて4分となり、凝縮4分版 NEW「SEIMEI」を演じる。変更理由については、プルシェンコとウィアーの背中という理想が高いゆえに自分の演技として完成できないと思い、より自分らしくいられる以前の楽曲を戻したと明かした。SPはトリプルアクセルと連続ジャンプの順番を替え、4回転トーループ-3回転トーループを先に決める構成に変更。4回転サルコウで4.43点の高い加点を得るなど演技をまとめ、111.82点と世界最高得点を更新。FSでは4回転トーループで転倒するなどミスがあり187.60点となるも、合計299.42点で初優勝となった。これにより、オリンピック世界選手権四大陸選手権(ヨーロッパ選手であれば欧州選手権)、グランプリファイナル世界ジュニア選手権ジュニアグランプリファイナルの主要国際大会6冠達成したことになり、男子シングル史上初のスーパースラムを達成した。
  なおジュニアグランプリファイナル開催前のアレクセイ・ヤグディンエフゲニー・プルシェンコが5冠。女子シングルではキム・ヨナアリーナ・ザギトワが達成している。
  3月開催予定の世界選手権は、《COVID-19》の感染拡大を受け、カナダ・ケベック州政府により11日(日本時間12日)、世界選手権(モントリオール、16~22日)を中止すると発表した。また、国際スケート連盟は、オンライン理事会で協議した結果(4月16日)大会開催を断念して中止とすることを決定した。
2020 - 2021シーズン
ISUスケーティングアワード 最優秀選手賞受賞
  7月国際スケート連盟は、新規創設によりISUスケーティングアワードを開催(2019/20シーズン3月の世界選手権にあわせて行われる予定が《COVID-19》による影響で延期されていた)。授賞式はオンラインで開催され、羽生は「最優秀選手賞」に輝いた。初代「MVS= Most Valuable Skater」受賞者となった、羽生は「皆さんのおかげで、こうやってスケートができていること、自分が追い求めるスケートができることが本当に幸せです。いつも応援ありがとうございます。これからも一生懸命、自分の理想のスケートを追い求めて頑張っていきます。どうか応援よろしくお願いします」と感謝の言葉を述べた。
  8月⽇本スケート連盟より、8月28日付けで、ISUグランプリシリーズ欠場が発表された。
  9月早稲田大学人間科学部)を卒業した。8月に3Dモーションキャプチャによるジャンプを研究テーマにした卒業論文完成を明かしていた。
  12月全日本選手権、葛藤の末出場を決意、《COVID-19》の流行による影響を受け拠点のカナダに渡れず、単独の国内での練習を余儀なくされた厳しい練習環境の中、SP・フリーともに新プログラムを作り上げ、帯同コーチ不在で挑む、約10か月ぶりの実戦復帰となった。SPは、全てのジャンプを成功、一つのスピンが無得点になるも103.53点で首位となった。FSは、「天と地と」を鮮やかに舞い圧巻のノーミスの演技を披露し、国際スケート連盟(非公認)ながら、自己ベスト212.99点を上回る215.83点をたたき出し、合計319.36点を記録。冒頭の4回転ループを含む、4回転ジャンプは全て加点3.60点以上を獲得し、演技構成点は、各項目で10点満点をつけるジャッジが続出し 5年ぶり通算5回目の優勝を飾った。今大会は、来年3月の世界選手権ストックホルム)代表選考会を兼ねており、優勝者の羽生は代表に決まった。

  3月ストックホルムで開催された世界選手権に出場、《COVID-19》の影響によリ、バブル方式が採用された。SPではミスのない圧巻の演技で106.98点をマークし、首位発進となった。FSは、冒頭の4回転ループで手をつき、4回転サルコーもバランスを崩した。後半には4回転トーループを含む3連続ジャンプを決めて意地を見せ FSは188.20点。合計289.18点で3位。上位2人の合計順位は「13」以内で22年北京オリンピックへの出場3枠は確保された。オンラインで取材に応じ、海外メディアが報じた体調不良に対して「喘息の発作自体はフリーの後に感じたかなと思う」と答えている。大目標は「早く4回転半の練習をして、誰よりも早く4回転半を公式できれいに決める人間になりたいです」とクワッドアクセルへの意欲を語った。
  4月世界国別対抗戦に出場。《COVID-19》の流行での出場について、「ここに演技を残したい。誰かの何かしらの希望だったり、何か心が動く瞬間だったり、誰かの光になれるように」と思いを語った。世界選手権から帰国後、2週間の隔離期間を終えて14日の公式練習に参加、翌日の15日から男子SPと大変な日程での出場となった。SPは冒頭のジャンプから会場の視線をくぎ付けにし、4回転サルコウは出来栄えで4.46点もの加点。続く4回転―3回転の連続トーループも美しい軌道を描いて得点を伸ばし、前半二つのジャンプだけで30点以上を記録。3回転アクセルはバランスは崩しながらも、今季自己最高の107.12点で2位発進。FSは戦国武将上杉謙信を演じ「天と地と」の演技で193.76点の2位となりチームに最大限に貢献した。日本はポイント合計で総合3位。フリー後に「4回転半が揃った完成された演技を目指して、頑張っていきたい」と来季への意気込みを口にした。翌日エキシビション用の練習で4回転半(クワッドアクセル)に果敢に挑んだ。成功には至らなかったが、周囲の注目を一身に集め、温かい拍手に包まれた。
2021 - 2022シーズン
  6月グランプリシリーズは、第4戦NHK杯と第6戦ロシア杯にエントリー。
  11月4日、出場予定のNHK杯の欠場が「本人コメント」と共に日本スケート連盟より発表された。診断名は「右足関節靭帯損傷」。
  11月17日、26日開幕のロシア杯を「右足関節靭帯損傷」の回復が遅れているため欠場することが、スケート連盟を通じて発表された

  12月、全日本選手権に出場。《COVID-19》の変異株感染拡大を受けた政府水際対策強化のため、オーサーコーチが不在、昨季の全日本選手権同様に、帯同コーチがいない戦いとなる。23日の公式練習で4回転アクセル(クワッドアクセル)に挑戦、着氷間近の好ジャンプを披露。24日のSPでは、新プログラムを252日ぶりの実践復帰となる今季初戦で演じ、冒頭の4回転サルコーを鮮やかに決め、4.57点の出来栄え点(GOE)を獲得、4回転 - 3回転トーループ、トリプルアクセルも決めた。また、演技構成点の「音楽の解釈」で自身初となる10点の満点を引き出し、圧巻の演技で111.31点を記録し首位発進となった。26日のフリーでも、首位となる211.05点を記録した。「予定構成表」に『4A』と明記され初めてプログラムに組み込まれ、冒頭で4回転アクセル(クワッドアクセル)に挑戦した。両足着氷で成功には至らないが転倒せずに降りた。4回転アクセルの挑戦を終えた後も、ほぼ完璧に演技をまとめ、特に4回転トーループを含む3連続ジャンプは出来栄え点(GOE)で4.48点を獲得し、合計322.36点で2年連続通算6度目の全日本選手権での優勝を遂げると共に、北京オリンピックの代表に決定した。
北京オリンピック4位・4回転アクセル初公認
  2月「3連覇は史上初になるのかな」と以前話していた2022年北京オリンピックに出場。《COVID-19》の影響によリ、バブル方式が採用された。今大会、羽生自身の意向によりブライアン・オーサーコーチはリンクサイドに立たないと発表された。SPは、リンクの穴にはまる不運があり、冒頭の4回転サルコウが1回転になった。その後は4回転-3回転の2連続トウループで出来栄え点4.07点(GOE)を獲得、トリプルアクセルも着氷し、95.15点の8位で終え、演技後には「はまった」と口にしフリー頑張りますと語った。フリーは、冒頭に挑んだ4回転アクセル(クワッドアクセル)は回転不足、転倒で大幅減点となり、続く4回転サルコウも4分の1回転不足で転倒したが、後半で4回転トウループ+3回転のコンビネーションジャンプと4回転トウループ+オイラー+3回転サルコウの3連続ジャンプを着実に成功させるなど、次第に立て直した。公言通り、4回転アクセルの挑戦を貫きプライドを示した。フリーは、188.06点を記録し3位と巻き返し、合計点283.21点の総合4位。94年ぶりのオリンピック三連覇及び表彰台を逃した且つ、7年ぶりに国際大会の表彰台を逃した。しかし、自身の幼い頃からのでもあった4回転アクセルは転倒はしたものの、4Aのアンダーローテーション(回転不足)として10点の基礎点を獲得し、国際スケート連盟の公認大会で史上初めて採点表に「4A<」と表記された。ISUの公式Twitterアカウントは「あともう少しで着氷していた」と速報した。
  13日、JOCは、メディア各社からの取材申請が多く、個別に対応することが困難なため、14日羽生の記者会見を行うと発表。国内外約300人以上の報道陣がメインメディアセンターに殺到し、各局緊急放送された。4回転アクセルの挑戦について、羽生は「僕の中では、ある意味納得しています。満足した4回転半だったと思っています」。ゴールはと聞かれ「羽生結弦の大好きなスケートを大切にしながら極めていきたい」と語った。20日に行われたエキシビション終了後取材に応じ、会見時最後の「スケートを極めていきたい」との発言の今後の活動について聞かれ「フィールドは問わない」と答えた。また、日本スケート連盟の竹内強化部長は「羽生結弦の4回転アクセルへの挑戦そして、世界初の認定は、金メダル同等価値があるような記録ととも記憶に残る結果となった」と評価した。
  3月「北京オリンピックで受傷した右足関節捻挫が完治していないため」世界選手権の欠場が日本スケート連盟より発表された。
人物
  1994年12月7日宮城県仙台市泉区に生まれる。名前は「弓のぶように凛とした生き方をしてほしい」と父が命名した。鷹乃杜幼稚園仙台市立七北田小学校七北田中学校東北高校早稲田大学人間科学部(通信教育課程eスクール)卒業、卒業論文学術誌に掲載されている、2020年早稲田大学「校友会稲魂賞」および、小野梓記念賞を受賞。血液型B型
  2歳のころから喘息ぜんそくの持病があり、スケートを始めた当初の目的のひとつは、喘息を克服することにあった。15歳のときに、喘息の持病がありながら五輪金メダリストになった清水宏保に会う機会があり、スケートを続けていくための助言を得た経験がある。
  肺を大きく開いて息を吸い込むことができないため、特に10代のころは体力や持久力の面で劣ると指摘されてきたが、投薬治療や吸入薬、鍼治療、気道を開く施術、移動時や練習時にマスクを着用することで心肺機能を上げるなどの対策を続け、体力面のハンデは大幅に改善された。しかし完治したわけではなく、特に練習拠点をカナダに移してからは、環境の変化により激しい発作に襲われることが増え、現在(2021年時点)も発作を起こす事が、2021年世界選手権後の翌日のオンライン取材で、ロシアメディアからの体調不良の報道を根拠に、記者からの質問に答え明らかになった。
  演技前に必ず行う胸の前で十字を切るような動作は、実際には「士」の形を描いており、「ジャンプの回転軸と両肩を平行に保つ意識を確認するためのおまじない」である。2015年11月以降から、両手で天を仰ぐような動作を最後に加えるようになった。
  影響を受けた選手として、エフゲニー・プルシェンコジョニー・ウィアーステファン・ランビエールハビエル・フェルナンデスディック・バトンを挙げている。
  特に2002年ソルトレイクシティ五輪でのプルシェンコの演技を見て心酔し、技の手本とするに留まらず、彼のマッシュルームカットまで真似した時期もある。彼の得意技であったビールマンスピンをプログラムに取り入れリスペクトを示してきたが、2018 - 2019シーズンには『ニジンスキーに捧ぐ』へのトリビュートとなるプログラム『Origin』に自ら挑んでいる。これに対し、プルシェンコも羽生を賞賛する言葉を多々述べている。2015年のNHK杯で3つの世界記録を更新した翌日のインタビューでも、理想とする王者像はプルシェンコであり「彼のような存在になれるように努力していきたい」と述べている。
趣味・好物
  ・プーさん
    「いつも変わらないあの表情をみるとリラックスできる」との理由でプーさんを好んでいる。ティッシュカバーにプーさんを愛用しており、試合の際には毎回必ずリンクに連れてきている(オリンピックなど商標権の問題で持ち込めない特殊なケースでは、選手村の自室で留守番とのこと)。このような経緯から、国際大会での演技後は各国のファンが客席からプーさんぬいぐるみを投げ入れる光景が定着していった。現在はあまりに大量のプーさんが贈られるためすべてを連れて帰ることはできず、現地で寄付をするとのこと。平昌オリンピックのフリー演技後に投げ込まれたプーさんたちは、地元のボランティアなどの現場スタッフにプレゼントされた。
  ・音楽     音楽鑑賞:好きなアーティストにポルノグラフィティ[400]Hi-Fi CAMP(羽生の地元である仙台出身)、BUMP OF CHICKEN[401]ONE OK ROCKなどを挙げている。特に試合前に聞く「勝負曲」はONE OK ROCKの「完全感覚Dreamer」「キミシダイ列車」とのこと。
イヤホン:音質にこだわるオーディオマニアで、イヤホンを収集している。普段から約50本のイヤホンを用途に応じて使い分けており、もっとも高いイヤホンは自身の耳の型を取った特注品で約22万円。音へのこだわりには並々ならぬものがあり、『SEIMEI』など自身のプログラム楽曲の編集を自ら行ったり、オルゴールの監修を手がけたりしている。
  ・スポーツ
    小学生当時は「野球をやりたい」と思った時期もあり、幼少期より広島東洋カープのファンである。憧れの選手は前田健太(現MLBロサンゼルス・ドジャース)。これに対し前田は「羽生選手に勇気をもらったから、今度は僕が勇気を与えたい」と語っている[411]プロ野球再編問題によって2004年(羽生が10歳のころ)に新規参入した地元の東北楽天ゴールデンイーグルスも応援している。サッカーは地元のベガルタ仙台と縁が深く、震災発生直後の2011年5月には、ベガルタのホームスタジアム・ユアテックスタジアム仙台での募金活動に参加している。
  ・将棋、城、けん玉
    将棋を好んでおり「自身の2015年を漢字1文字で表すと?」と問われた際には、将棋の駒の「歩兵」が「と金」になることに例えて「成」と回答している[414][415]。またも好きで、引退したら名古屋城などをじっくり観覧したいとしている[416]けん玉にはまった当時は『あさイチ』出演時などにも腕前を披露している[417]。愛用品は、日本けん玉協会認定品の「オールブラック」[418]。2019年1月、日本けん玉協会から「大空 Premium Gold」と名入れをした「大けん玉 太陽 Premium Gold」(共に、有限会社山形工房 製)が贈られた。
アニメ、ゲーム、特撮
  『ウルトラマンガイア』に憧れていた5歳当時、初めて滑ったプログラム曲はガイアのOPテーマであった。TVアニメ『デジモンアドベンチャー』シリーズが好きで「試合前に聴いたり、心の支えとなっていた曲」の1位に『デジモンテイマーズ』の挿入歌である和田光司の「風 〜re-fly ver.〜」を挙げている。また漫画『東京喰種トーキョーグール』のファンであり、自身もCM出演した『モンスターハンター』シリーズのヘビーユーザーである。
  北京五輪直後のインタビューでは、一番好きなゲームであり「僕の原点」として『平成 新・鬼ヶ島』と『エストポリス伝記II』の2本(いずれもスーパーファミコン)を挙げている。
好きな食べ物
  寿司餃子とんかつプリン、卵かけご飯など。
スケート技術と特徴
  ジャンプスピンステップの全方位に秀でたオールラウンダーである
  ジャンプは、準備動作が少なくてもただちに跳ぶことができるのが特徴で、踏み切りから着氷後の流れまで美しく跳び幅があり、GOE(出来栄え点)加点を得るための8つの評価要素をすべて満たしている質の高さが特長。 このためクリーンに跳ぶとGOE満点となる3点(現在は5点)、または満点に近い高い加点を獲得する。試合では4種類の4回転ジャンプ(トウループサルコウループルッツ)を跳ぶが、最大の武器は確実に加点のつくトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)である。 質の高さに加え、踏み切り直前に「カウンター」と呼ばれる難しいターンを行ったり、両足のつま先を外側に向けたスプレッドイーグルから踏み切り、着氷後にすぐイーグルに戻ったりなど、ジャンプへの入り方や出方の難度の高さなどからも常に3 - 4点のGOEがつき、トリプルアクセルだけで確実に11点以上を稼ぐ。特に基礎点が1.1倍となる演技後半に組み込んだトリプルアクセルからの連続ジャンプは、めったにミスをしないことからも4回転以上の強力な得点源となっている。
  このように、基礎点の高い高難度のジャンプ構成を成立させたうえで、各要素を確実に高い質で決めることから、高いGOE評価を獲得する。この完成度の高さが羽生の強さである。例として、世界記録を塗り替えた2015年グランプリファイナルでは20.18点の加点(当時の4回転トウループの基礎点は10.3点。つまり加点だけで4回転ジャンプ2本分の基礎点に匹敵する)を獲得している。
  スピンの技術も高く、完璧にレベルを満たせばこちらも高い加点を獲得する。もともとのスピンの速さとポジションの美しさに加え、回転しながら指先や腕などを動かすことでオリジナリティーを出し、プログラムの構成難易度を上げる工夫を行っている。特に、柔軟性の高さを生かしたビールマンスピンやドーナツスピンなどを積極的に演技に取り入れている。 ハイドロブレーディング、イナバウアー も得意で、多くのプログラムに入れている。
5種類の4回転ジャンプ
  試合では、5種類の4回転ジャンプトウループサルコウループルッツアクセル)をプログラムに組み込んでいる。
4回転ループ
  アイスショーやエキシビションのフィナーレなど(4回転ループ - 3回転アクセルを着氷している)で跳んでいたが、2016 - 2017シーズンより競技に取り入れている。 2016年9月30日にモントリオールで開催されたオータムクラシックのショートプログラムにおいて、国際スケート連盟(ISU)公式の国際大会史上初めてクリーンに成功させた(2016年10月2日、ローザンヌにて公式に認定)。
4回転ルッツ
  公式練習でも着氷していたが、2017年ロステレコム杯のフリーよりプログラムに組み込み、公式戦初挑戦で成功させた。公式練習では4回転フリップにも挑戦しているが、こちらは試合に組み込む意向を示したことはない。4回転アクセルについては、幼いころに従事していた都築章一郎コーチからも「アクセルは王様のジャンプ」と教わった経験や、自身がアクセルジャンプを得意としていることからも思い入れが深く「将来的には必ず4回転アクセルを跳びたい」と常に語っている。平昌五輪後の挑戦を示唆していたが、2018 - 2019シーズンより実戦への投入を目標に練習中である
4回転アクセル
  オリンピック2連覇後の翌日会見にて挑戦を公言している。2019年GPFのフリーの公式練習で初めて、4回転アクセルに挑戦した。2021年国別対抗戦のエキシビジョンの練習でも果敢に挑戦。そして、2021年全日本選手権のフリーで、予定構成表に表記され、冒頭で始めて挑んだ。両足着氷となり成功には至らなかったが、プログラムに組み込み実施できた事は大きな収穫と語った。2022年北京オリンピックでも、公言通りフリーの冒頭に、4回転アクセルの片足着氷に果敢に挑んだ。転倒したが史上初めて、4回転アクセルのアンダーローテーションとして、「10点の基礎点」を獲得しプロトコルに「4A<」と表記され世界で初めて公認大会で「4A」が記録された。
4回転の連続ジャンプ
  4回転の連続ジャンプにも挑戦しており、2017年国別対抗戦のフリーでは「4回転トウループ - 1回転ループ - 3回転サルコー」の3連続ジャンプを初めて成功させた。 2018年フィンランド杯のフリーでは、こちらも史上初となる「4回転トウループ - トリプルアクセル」のコンビネーションを成功させている。 さらに2019年スケートカナダフリープログラムで「4回転トーループ-オイラー-3回転フリップ」の3連続を世界で初めて成功させた。
  その他アイスショーや練習では、4T1Eu3F1Eu3S、2S1Eu4S、4T3A3T3Aなど試合では行わない奇抜で超人的な連続ジャンプも披露している。
コーチと振付師
  地元仙台市で長年阿部奈々美から指導を受ける。2012年よりブライアン・オーサーに師事。トロントトロント・クリケット・スケーティング&カーリング・クラブに所属し、オーサーをチームリーダーとする「チーム・オーサー」による指導を受けている。ジャンプ担当はジスラン・ブリアン。スケーティング担当はトレイシー・ウィルソン、スピン担当コーチはペイジ・アイストロップ、ショート振付師はジェフリー・バトル、フリー振付師はシェイ=リーン・ボーンエキシビション振付師はデヴィッド・ウィルソ。その他宮本賢二など。
  スケート靴の調整は、中学生のころから仙台市(現在はアイスリンク仙台隣接地)に工房を構える元コーチ阿部奈々美の夫の吉田年伸が担当している。カナダに練習拠点を移して以降も、小包で送るか帰国時に持ち込んで調整を依頼しており、工房でも羽生専用の研磨機を用意して対応している。
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