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2022.08.17-Yahoo!Jaoanニュース(産経新聞)-https://news.yahoo.co.jp/articles/168fb588c46a79a35c93cf6218b60fb56b31cb3a
高校ダンス部選手権 全出場校の演技 ビッグクラス、優勝は久米田

  高校のダンス部日本一を決める「第15回日本高校ダンス部選手権(スーパーカップダンススタジアム)」(産経新聞社、ストリートダンス協会など主催、エースコック特別協賛)全国大会のビッグクラス(13~40人)決勝が17日、東京都江東区で行われ、久米田(くめだ)(大阪)が初優勝に輝いた。

  過去最多の305校がエントリーし、51校が全国大会に進出。節目の大会にふさわしいハイレベルなパフォーマンスを競い合った。
  全国大会2年連続準優勝の久米田のテーマは大阪・岸和田の祭り「だんじり」青と茶色の法被を身にまとい、だんじりの屋根の上で踊る「大工方(だいくがた)」や全速力でだんじりを方向転換させる「やりまわし」の動きを迫力と躍動感あふれるダンスで表現し、会場を圧倒した。
  部長で3年の西脇彩音(あやね)さん(17)は「3度目の正直でつかんだ日本一は最高です」と喜びを爆発させた。

  準優勝は関西大倉(大阪)。3位は帝塚山(てづかやま)学院(同)、4位は千葉敬愛(千葉)、5位は京都聖母学院(京都)、6位は福岡大若葉(福岡)、7位は狛江(こまえ)(東京)、8位は泉陽(せんよう)(大阪)。


2022.08.17-サンスポ-https://www.sanspo.com/article/20220817-UW6HYLA3FFK4TKHZG6GWJXN27E/
山村国際、高校ダンス部選手権スモールクラス初優勝 東日本勢で初、17日「ビッグクラス」

  高校のダンス部日本一を決める「第15回日本高校ダンス部選手権(スーパーカップダンススタジアム)」(産経新聞社、ストリートダンス協会など主催、エースコック特別協賛)の全国大会が16日、2日間の日程で東京・有明の東京ガーデンシアターで開幕した。初日の「スモールクラス」(2~12人)では、49校がパフォーマンスを競い、山村国際(埼玉)が初優勝に輝いた

  東日本勢初の優勝をつかんだ山村国際は「マリオネット」をテーマに黒色ドレスと黒色のメーク、白い手袋姿で登場。夢の中で操られている様子をジャズダンスで表現し、観客を魅了した。メンバーで2年の山口楓彩さん(17)は「努力が実ってうれしい気持ちでいっぱい」と喜んだ。
  準優勝は豊田大谷(愛知)。優秀賞は常磐(福岡)、新潟清心女(新潟)、日体大桜華(東京)、箕面(大阪)、桐光学園(神奈川)、愛工大名電(愛知)の6校。

17日には「ビッグクラス」(13~40人)が行われる。


第14回 高校ダンス部選手権大会
第14回 日本高校ダンス部選手権

  拝啓
  貴校ますますご繁栄のこととお慶び申し上げます。
  「高校ダンス部の目標となる大会をつくろう!」という強い志のもと開幕した、日本高校ダンス部選手権【DANCE STADIUM(ダンススタジアム)】は多くの高校ダンス部にご理解とご協力を頂き、年を重ねる毎に大きく成長しております。
  昨年は新型コロナウイルスの影響により春の新人戦が中止され、夏の全国大会も開催の危機に陥りましたが、ビデオ審査による開催や無観客での開催、またこれまでと違う運営方法をとり、万全のコロナ対策を施して大会を実施致しました。結果、皆様のご協力のお陰で感染者を出すことなく大会を行うことができました。
  今後も当分はwithコロナの大会となりますが、高校生の皆様が安心して大会に臨めるよう尽力して参ります。
  ダンス部の確固たる目標となった【DANCE STADIUM】ですが、高校生の皆様の飽くなき向上心と同じように、私どもは大会の更なる成長を目指します!青春のすべての情熱をダンスに注ぐ皆さんの熱い想いと、ダンスから生まれる大いなる感動を日本全国ひとりでも多くの人へ届けるべく、大会事務局一同全力を
尽くして参ります。
  多くのご参加を心よりお待ちしております。
敬具
     DANCE STADIUM大会事務局


ブレイクダンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  ブレイクダンス(breakin')は、ストリートダンスの一つで、ヒップホップ三大要素、もしくは四大要素の一つ。

概要
  全盛期は1980年代前半。英語圏ではブレイキン(breakin')、B-ボーイング(b-boying)、B-ガーリング(b-girling)とも呼ばれ、ダンサーをB-ボーイ(b-boy)やB-ガール(b-girl)、ブレイカー(breaker)と呼ぶ。B-ボーイ、B-ガールの“B”はブラックの“B”と誤解されがちだが、これは誤りであり、Bボーイとはブレイク(突破)する者、もしくはブレイクビーツで踊る者の事である。「ブレイクダンス」「ブレイキン」という呼称は、1980年代前半に世界的に広く知られるようになった。

  ブレイクダンスは1970年代ニューヨークのサウスブロンクス地区のアフリカ系アメリカ人ラテンアメリカ人の若者達によって発展したストリートダンスのスタイルである。また、アフリカ・バンバータの提案でギャングが抗争をまとめる為に銃撃戦の代わりにブレイクダンスのバトルを用い、発展に繋がったと言われている。映画『ワイルドスタイル』(1982)はブレイクダンスを知らしめるに充分だった。
  後に、ニューヨークのロックステディークルー(Rock Steady Crew)などのクルー同士による大規模な抗争がメディアの関心を受け、これがダンスチームの急速な成長へと繋がった。ディスコクラブやテレビ番組、公のイベントなどにもブレイクダンサーは進出していった。人気は1980年代後半には下火となったが、アフリカの民族舞踊などの動きなどが取り入れられ地味ながら安定した人気もある。Battle of the YearやUK B-Boy Championships、Freestyle Session等の世界大会も行われるようになっている。
起源
  ブレイクダンスの多くの基礎は1970年代以前の他の文化で見られる。
  1867年に出版されたジョン・マクレガーの著書「バルト海の航海」には、「若い男が一人で、空中に不可解な跳躍を繰り返し練習していた…彼は身体を振り上げ上腿が大きな円を描いた時、手を軸にして回転していた」という、スウェーデンノーショーピング市近くで見たとされる描写がある。その外観は一見ブレイクダンスのように見え、「サーモン地区のダンス」などと呼ばれていたという。

  1894年、発明王のエジソンが開発に協力したキネトスコープの実演用として、「ブレイクダウン」を踊っている映画を撮影した。 その後、1898年に彼は曲芸的な「ヘッドスピン」を披露する若いストリート・ダンサーの映画を撮影した。
  1959年にナイジェリアカドゥナ州の民族の間でブレイクダンスが存在していたという証拠映像がある。
  しかし、米国では1970年代までに明確なダンススタイルとして発展することはなかった。
映画/音楽
  1983年4月15日アフリカ系アメリカ人ジェニファー・ビールス主演の映画フラッシュダンス(原題:Flashdance)』が公開された。劇中、主人公をはじめ様々なシーンでブレイクダンスを披露している。
  1984年2月17日ケヴィン・ベーコン主演の映画『フットルース(原題:Footloose)』が公開された。ケニー・ロギンスが歌う主題歌「フットルース」(ポップ・ロック)が、映画とともに世界的大ヒット。現代では珍しいが、白人俳優達がポップ・ロック曲の「フットルース」でブレイクダンスを披露している。
  同年5月4日映画ブレイクダンス(原題:Breakin')』が公開された。映画ブレイクダンスではオリー&ジェリーの「ブレイキン・・ゼアズ・ノー・ストッピン・アス」は全米ポップ・チャートでもヒットした。

日本への伝来
  1984年12月21日に、風見慎吾(現・風見しんご)が発売した曲『涙のtake a chance』でブレイクダンスを披露。これを機に日本中に広まったとの説もある。
詳細/特徴
音楽
  音楽はブレイクダンスにとって大切な要素である。ブレイクダンスの音楽であるブレイクビーツの元となった原曲は、1970年代から1980年代頃のファンクソウルジャズ・ファンク、ラテン、ディスコミュージック、R&Bなどの間奏に見られる。これらの異なった曲をDJが編集したものが用いられる。この手法はDJクール・ハークにより生み出された。さらにハークの友人であるグランドマスター・フラッシュや、アフリカ・バンバータらがこれを発展させた。やがてブレイクビーツのほかにスクラッチも、ブレイクダンスを盛り上げる要素として、加えられていった。
  ブレイクダンスに適した音楽であればジャンルは制限されず、異なった音楽のジャンルであるエレクトロ、ロックなども使用される。ブレイクダンスの課題曲としては、ジェームス・ブラウンの「ギブ・イット・アップ・オア・ターン・イット・ルーズ」やジミー・キャスター・バンチの「イッツ・ジャスト・ビガン」、インクレディブル・ボンゴ・バンドの「アパッチ」などがある。
世界のブレイクダンス
  アメリカでは、ロック・ステディ・クルーのメンバーも、ファブ・ファイブ・スレディ、ビッグ・ダディ・ケインもBボーイという用語を使用し、ブレイクダンスの普及に貢献した。またNYC.BREAKERSなどがメディアで活躍し、アメリカ国内でブームを巻き起こすも、ブレイクダンスのブームは80年代後半には下火になってしまった。だが、80年代にはブレイクダンスはヨーロッパや日本にも伝わり、人気を得ることになる。1990年にはドイツで世界大会Battle of the Yearが開催されるまでになり、アメリカでも人気を盛り返す。90年代、現在のブレイクダンスの基礎を築いたロック・ステディ・クルーRock Steady CrewのPrince Kenswiftの影響を色濃く受けたアメリカのSTYLE ELEMENTSはブレイクダンスを一つ上のレベルまで押し上げたと言われ、後のシーンにも多大な影響を与えている。

  2000年代に入り、斬新なダンスを見せるB-Boyがフランスなどのヨーロッパ諸国や、韓国から次々と登場した。韓国の代表チームは、著名な世界大会のタイトルを次々と獲得し、確固たる地位を築いている。韓国ではブレイクダンスのプロとして活躍しているダンサーも多く、政府までが支援に乗り出している。さらにイベント会場も、クラブのようなアンダーグラウンドな場所ではなく、一般のホールなどを借りて行われることも多い。
  その他の地域でもシーンの広がりはめざましく、北アメリカ、ヨーロッパ以外にも、東アジア、東南アジア、西アジア、アフリカ、オセアニア、南米(ブラジルなど)など、はてはロシアのチームが2008年の著名な世界大会で準優勝するなど、B-boy B-girlは世界中に存在するといっても過言ではない。現にBOTY参加国は年々増加している。
  2000年代は「Battle of the Year」と「UK Bboy Championships」、「Freestyle Session」が世界三大大会と称されていたが、「Red Bull BC One」や「R16 Korea」、「World Bboy Classic」、「IBE」等、世界規模の大会が開催され、メディアへの露出機会も増えた為、世界規模のシーン拡大に貢献している。
構成
  ブレイクダンスは主にトップロック(エントリー)、ダウンロック(フットワーク)、パワームーブ、フリーズの四つの要素から成る。一度に全ての要素を盛り込む必要はなく、どの動きに重点を置くかはそれぞれのダンサーにより異なる。これらをより高度なレベルでこなすには柔軟性や筋力、リズム感が必要不可欠であり、即興性も求められる。
  ・トップロック…立った状態での踊りのことで、代表的なものにエントリー、アップロック、ブロンクスステップなどがあるが、ブレイクダンスにおける立ち踊り全般をトップロックと呼ぶこともある。
  ・ダウンロック…屈んだ状態で素早く足を動かしたり挑発したりする動きのことで、代表的なものにフットワーク、シックスステップ、ツーステップ、などがあるがこれらは教える際に伝えやすい為に作られたものである。フットワークを中心に様々な動きをするものを総括してスタイル、リズムブレイキンなどと呼ぶ。
  ・パワームーブ…全身(主に上半身)を使い、回ったり跳ねたりするアクロバティックな動きのこと。代表的なものに、背中や肩で回転するウィンドミル、頭で回るヘッドスピンなどがある。基本的には脚を地面につけることのないムーブであるが、スワイプスなど脚を地面につける技もあり、うつ伏せで体を浮かし手のひらで回転するクリケットや開脚旋回のトーマスフレアなどもある。一般にブレイクダンスと言うと大抵このパワームーブを思い浮かべるであろう。ダンスバトルなど披露する際は一般的に、一つの技のみを披露するのではなく、いろいろなパワームーブをおりまぜた(コンビネーション繋ぎと呼ばれている)連続技を披露する。
  ・フリーズ…フットワークやパワームーブの一連の流れの中から音に合わせて体、動きを固めて止めること。代表的なものに、チェアーマックスアローバックなどがある。起承転結で言えば結の部分。
  フットワークを中心に踊る人をスタイラー、パワームーブを中心に踊る人をパワームーバーと呼ぶが、そういったものに分類されない多彩なダンススタイルもある。分類としては、他に「パワー」「アブストラクト」「ブロウアップ」「フレイバ」などがある。また、地域別の分類としては「トラディショナル・ニューヨーク・スタイル」「ユーロ・スタイル」「トロント・スタイル」(カナダ)などもある。
ダンスバトル
  ブレイクダンスにおいてはダンスバトルが主な表現の場である。もともとはいわゆるストリートの少年たちが喧嘩するかわりにダンスで勝負したり、練習場所を争うために自然に行われるものであった。
  現在ではバトルイベントとしてオーガナイズされたものが中心であり、音楽を流すDJ、その場をしきるMC、勝敗を決めるジャッジがおり、個々のダンサー、あるいはクルーがフロアの左右に分かれ、その間のフロアでお互いがダンスを披露する。それぞれのクルーが交互に踊らなければいけない、相手に触れてはいけないというのが暗黙の了解であり、基本的にそれ以外のルールは存在しない。
  またDJの選曲は、ダンサーのテンションやバトルの流れに大きな影響を及ぼすので、DJの実力が試される場でもある。勝敗は全てジャッジの裁量に委ねられるが、基準となるものはなく、どこに重点をおいて評価するかはそれぞれのジャッジにより異なる。そのためバトルイベントのジャッジはかならず複数いる。
  ・サークルバトル
   クラブのDJタイムなどに行われる、ジャッジやMCのいないサークルバトルというのも存在する。イベントバトルと違い自分の好きな相手に好きなだけバトルを挑むことができる場であり、またバトル経験の浅い、あるいは全くない人の実戦練習の場としても重宝されている。色々な人が各々のタイミングでただ単に技を披露するだけのサークルと呼ばれるものも存在する。
  ・ショーケース
  クルーが様々な楽曲(ブレイクビーツに限らず、クラシックなども使用される)を編集してある程度の長さの曲を創り、その曲に合わせてクルー全員でエントリーをしたり、ソロパートを設けたりして創る振り付けのことである。Battle of the Yearでは予選から、ShowSideとして各クルーがショーケースを披露することを義務付けられている。

日本のシーン
  1983年に映画「ワイルド・スタイル」で来日した『ロックステディクルー(w:Rock Steady Crew)』が日本にブレイクダンスを紹介した。それまではほとんどメディアに紹介される事はなかったが、西武デパートの記念イベントとしてテレビの11PMで放映した。その時の放映で『ファンキージャム』がエレクトリックブギを教えていることが紹介される。ファンキージャム・ブレーカーズが誕生し、日本各地でショーをしたことで広く知られる事となる。1984年11月には、風見慎吾が楽曲『涙のtake a chance』を発売し、テレビを通じて一般にも知られるようになった。ストリートで練習する若者が増え現在に至っている。

  しかし公共の場である駅やビル前で大音量で音楽を流したり、道を塞いだり、ゴミを捨てて帰るようなモラルを欠いたダンサーも現れ、そういったダンサーの為にダンス禁止の看板が掲げられる場所もある。日本のタレントではTRFのSAMや、DA PUMPナインティナイン岡村隆史らがブレイクダンスを得意としているが、黒人の模倣との見方もある。
  2005年以降はネット上で世界中から動画を集めて更新するサイトが登場し、若年層における新規参入者の増加に貢献した。代表的なサイトは激走ぶろぐBREAK DANCE JAPAN Breakin' Cypher がある。しかし、ネットでは饒舌であるがバトルにも行ったことがない、大したスキルを持っていない人をネットブレイカーと呼ばれた。2010年代から、ETVをはじめとしてテレビのダンス番組が増え、更に若い層の新規参入に貢献している。
  The Floorriorz、MORTAL COMBAT、ARIYAなどのチームがある。キッズブレイクダンサーの活躍も顕著で、Bガールのダンス・レベルも高い。日本のブレイクダンスシーンには年齢性別問わず、幅広い層が存在する。







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