monomousu   もの申す
最近のニュース
私は物申す




2019.10.7-産経新聞 THE SANKI NEWS-https://www.sankei.com/life/news/191007/lif1910070004-n1.html
【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】原発、規制委は猛省せよ
(1)
菓子箱の底に多額の現金が入っていた。金貨や米ドル札も手渡された。関西電力首脳陣が高浜原発の立地する福井県高浜町元助役から億円規模の金品を受領した際の様子である。いまどきこんなことが行われていたとは驚きだった。
 信用失墜の金品授受の背景から、当事案の複雑怪奇さが浮き彫りになる。金品の返却は、元助役から厳しく叱責されできなかったと関電側は説明する。そこに恫喝(どうかつ)と不条理が横行する社会の深い闇がのぞく。それでも責任ある企業として、金品を社で一括管理し、供託する道もあったであろう。それを成し得なかった関電の責任は厳しく問われなければならない。
 関電の不祥事を受けて、すでに大幅に遅れている原発再稼働がさらに遅れると懸念する声がある。だが、関電の金品受領問題と、日本のエネルギー政策の混同は国益を損ねるだけだ。
 原発政策に関して日本はいま、世界に類例のない異常で特殊な状況に陥っている。その主な原因は、更田豊志(ふけた・とよし)氏以下、5人で構成する原子力規制委員会(規制委)が専門家集団として世界水準に達しておらず、従って有効に機能していないことだ。
 専門家集団として体をなしていないことの具体例は後述するが、原子力に関する国際社会の権威、国際原子力機関(IAEA)の規制委に対する評価は実に厳しい。彼らは平成28年1月に、上級専門家19人から成るチームを12日間にわたって日本に派遣し、規制委および原子力規制庁の評価を実施した。約130ページに上る報告書には、規制委のお寒い現状に鑑(かんが)みて大いなる改善の必要があることなどが率直に記述されている。
 規制委は三条委員会として政府も介入できない強い独立性を担保されている。強い権限にはそれに見合う重い責任がある。重大な責任を遂行するには優れた人材が必要だ。IAEAは、しかし、「規制委の人的資源、管理体制、特にその組織文化は初期段階にある」と酷評し、「課された任務を遂行するのに能力ある職員を抱えていない」と斬り込んだ。
(2)
日本の規制には予見性がない、行き当たりバッタリだとの批判こそピッタリ的を射ている。この点を更田氏らは深く心に刻むべきだ。原発の高度な安全文化を促進するために規制委は「意識啓発研修又は意識調査などの具体策導入を検討」せよとまでIAEAに勧告された。
 わが国の原子力発電の現場を支配するのは国際社会の第一線では通用しない人々だ。だが、誰も口をはさめない。来年、IAEAは先に指摘した問題を規制委がどこまで克服し、改善したかを調査に来る。規制委はこの間ほとんど改善も解決もしていないために、結果は大変厳しいものにならざるを得ないだろう。
 規制委の使命は原発の安全性を、科学的、合理的、迅速に審査し、稼働させ、電力供給の安定化をはかり、豊かな国民生活の実現に寄与することだ。しかし、現在、審査が長引いている原発のどのケースを見ても科学的に合理的に迅速に、審査がなされている事例はない。代表例がわが国最新の加圧水型軽水炉、北海道電力泊3号機である。
 地質・地盤調査で3年前に「おおむね了」とされたにもかかわらず、敷地内の断層が将来動く可能性を否定する証拠となる火山灰の量が少ないとされ、審査は振り出しに戻った。
この泊3号機が稼働していれば、昨年9月の北海道胆振(いぶり)東部地震の際も大停電は発生せず、多大な経済的損害も回避できていたはずだ。
 東京電力柏崎刈羽原発も同様だ。刈羽原発6、7号機は平成29年12月末に適合審査に合格したが、いわゆる「後出しじゃんけん」で、敷地内液状化の可能性を指摘された。その対策は膨大で現段階で目途は立っていない。原子力基本法第2条2項は、安全の確保は「確立された国際的な基準を踏まえて行う」と明記している。ところが、活断層の判断やその合理的な対策、液状化に対する「確立された国際的な基準」はまだ存在していない。
(3)
そうした中、日本地質学会元会長の石渡明規制委員が主導する審査では、最悪40万年前に遡(さかのぼ)って断層が動かないことを証明することが求められる。活断層審査は石渡氏が主導するために多くの事案がここで滞っている。
 現在運転中の原発9基のうち、九州電力の川内(せんだい)1、2号機、関西電力の高浜3、4号機と大飯3、4号機、四国電力の伊方3号機などが「特定重大事故等対処施設(特重施設)」の工事遅延で停止させられるのも、安全審査が4年近くもかかる中で、要求事項が次々に追加されるからだ。
 これらすべての原発で、地下に原子炉建屋の強度を上回る大型施設と巨大水源を設置せよと規制委が指示し、その工事が規制委が主張する5年以内の期限に間に合わなくなった。
 わが国の行政手続法には審査条件を明示すること、途中で変えないこと、速やかに審査することが明記されている。規制委の所業は明らかにそれに抵触する。
 更田氏は、今年4月24日、原子力規制委員会で「締め切りがきたからといってリスクが増大するわけではない」「プラントの状態は私たちが求める安全レベルに達している」と述べながら、工事の遅れで期限をすぎれば原発は停止させることを決定した。
 電力会社と十分な意思疎通もはからず、安全な原発を止めるのである。まさに三条委員会の権力を使った恫喝ではないか。冒頭の助役とどこが違うのか。更田氏以下規制委に猛省を促すものだ。


2019年9月23日-産経BIZ-https://www.sankeibiz.jp/macro/news/190925/mca1909250500004-n1.htm
グレタ・トゥンベリさん演説要旨 気候行動サミット
グレタ・トゥンベリさんの23日の演説要旨は次の通り。

私はここに立っているべきではない。私は海の反対側で学校に戻るべきだ。それなのにあなたたちは、私たち若者の所に希望を求めてやってくる。あなたたちは空っぽの言葉で、私の夢と子供時代を奪い去った。私たちは絶滅に差し掛かっているのに、話すことといえばカネのことと、永遠の経済成長というおとぎ話だけ。あなたたちは私たちの声を聞き、緊急性を理解したと言う。もし本当に状況を理解し、それでも座視し続けているなら、あなたたちは悪だ。
 10年間で(温室効果ガスの)排出量を半減するという考え方では(気温上昇を)1.5度に抑えられる可能性は50%しかない。確率を67%にするには、2018年1月1日時点で世界に残されたCO2排出許容量は4200億トンだ。現在では3500億トンを下回った。現状の排出レベルでは、残された排出許容量は8年半もたたずに消えうせてしまう。
 若者たちはあなたたちの裏切り行為に気付き始めている。あなたたちが私たちを失望させる選択をすれば、私たちは決して許さない。まさに今、ここに私たちは一線を引く。世界は目を覚ましつつある。変化が訪れようとしている。あなたたちが好むと好まざるとにかかわらず。(ニューヨーク 共同)


2019年3月22日
第51回産経「高校生文化大賞」  最優秀賞  黄蘭帆(こうらんほ)  「自分自身と向き合って」

私の両親は中国人です。なので中国人から生まれた私は私ももちろん中国人です。幼い頃は中国人だと言うと驚いて、「すごいね、中国語話せるの。」と聞い
   てくれたり関心してくれたりする周りの反応がうれしくて、自分から自慢のように言いふらしていました。
  しかし、物心ついた時から自分が、そして自分の親が中国人であることに対して嫌悪感を抱くようになっていました。日々テレビからは反日中国人観光客
   マナー違反などよくないイメージが多く流れています。そのイメージに飲み込まれて、私は中国という国を気づけば嫌いになっていました。自分が生まれた
   国を嫌ってしまう自分はもっと嫌でしたが、小学校の時に同級生から名前や人種をからかわれてできてしまった中国人=嫌われる、という固定観念をうまく
   くつがえすことができなかったものです。
  もう辛い気持ちをしたくない。その一心で転校を機に自分の国籍を偽ることにしました。日本人だよ、と周りの人に嘘をつき両親には学校に来ないでと強く
   言いました。親のカタコトな日本語を聞かれて中国人だたバレるのを恐れたからです。誰にもバレたくありませんでした。知られたら友達がいなくなるとさえ
   思っていました。当然両親には自分の気持ちをくみ取ってもらえず、ずっとうまく向き合えることができませんでした。
  そして私は喉にひっかかった骨のようにつっかえている何か分からない気持ちとずっと対立していきます。とにかく目立たないように静かに生活していこう、
   そうして心がけるようになってからは、人前で発言することもなく意見も他人にまかせっきりでした。ズルズルと十五年間このまま生きて気づけば高校生に
   なっていました。そして進路希望調査用紙を手渡された高一の夏、ふと自分には何もないということに気づかされました。自分の主張をしなくなってから自分
   というものが分からなくなっていたからです。趣味もないし特別な特技もない。みんなと違うところと言えば中国人であるというコンプレックスだけでした。
  いつのまにかできていた夢もどこかで諦めて本当につくづく空っぽな自分に愛想がつきました。親にも相談することができず、きらきらと光る眼で夢を語る友人
   はとても羨ましっかったし、きっと眩しく見つめていたと思います。どんより沈んで何もやる気が起きず、親への罪悪感や将来の不安から私を救ってくれたのは
   中学校の時に出合った担任の先生でした。
  突然の訪問にも不満を見せず優しく頷いて最後まで私の告白を聞いてくれた先生。今でもこの日のことは忘れずにしっかりおぼえています。あなたは
   あなただよ、この一言を聞いた瞬間、涙が止まらなくなりました。自分らしく、それに憧れてた私でしたがその自分らしさを自分自身で拒絶していたのに
   気づかされたのです。
  そして高校二年生に上がる前の春休み、私は逃げてきたもの一つ一つ向き合うことを決意しました。そこから自分の進路を明確にする大きな転機が
   訪れます。
  それは、今年の春に中国へ渡ったことです。自分の目で中国という国を見てみたい。この気持ち一つで一週間中国へと足を運びました。着いたばかりの頃は
   土地の広さと人口の多さに圧倒されていましたが、環境になれてくると余裕をもって周りを見れるようになりました。教科書でしか見たことのなっかた歴史
   建造物を目の前にして迫力の大きさに驚き食べ物のおいしさと町のにぎやかさを肌で感じました。そして現地で多くの人々の輝く笑顔を間近で見ました。
   国境は違うけれど共通するものがないわけではない。私が中国を訪れて実感した一番のことです。
  今後世界は人種、種族を超えて多くの文化を交流する機会が増えていくはずです。その時に相手国の文化を尊重し広い視野でその国について知っていくべき
   だと思います。私はこの経験を通じて多くの人と言語で積極的に友好を築く架け橋になりたいという夢ができました。今では私のふるさとは二つです。夢に
   向かって何をしなければならないのか、まだ明確にはきまっていないけれど、知っていくことから始めてみようと思います。挑戦することを恐れずに。







このTopに戻る




TOPにもどる