李登輝-秘録




李登輝 秘録 産経新聞
第1部 虚々実々の両岸関係(10)分断70年 中台に冷戦構造なお2019.4.14

1988年1月13日。台湾の中国国民党政権で副総統だった李登輝は、トップの蒋経国(しょう・けいこく)総統の死去に伴い、憲法の規定で総統に昇格した。
     台湾出身者として初めて総統になった李は、「静かにそろりと」台湾のあり方を変えようとしていた。
  第二次大戦終結後、中国で共産党との戦いに敗れた国民党の蒋介石(しょう・かいせき)(1887~1975年)が台湾を統治してから、長男の蒋経国による
     独裁支配まで、中国大陸すべてを国民党政権下の領土とみなす虚構がまかり通っていた。いずれ国民党が中国本土を共産党から奪還するとの政策が
     基本だったからだ。
  蒋親子が台湾を支配した時代に地元出身者は「台湾は、台湾であって中国じゃない」という本音を口に出せなかった。
  総統の座に就いた李は、蒋親子ら中国大陸出身者が主導権を握っていた国民党内の反発を抑えながら、その虚構を崩していったという。
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李登輝 秘録 産経新聞
第1部 虚々実々の両岸関係(9)  -  2019.4.13  「ミサイルは空砲」事前に知っていた
台湾で1988年から2000年まで総統を務めた李登輝は、対立する中国共産党と複数の階層で交渉ルートや情報収集チャンネルを構築してきた。
   公開情報から極秘の情報まで、李は情報部門と連携しながら、「あらゆる内容を総合判断して対中政策を練った」と話している。
   内々に共産党トップらと交渉を行った密使とは別に、スパイを使って極秘の情報収集も行っていた。
    一例は軍事スパイ容疑で中国側に逮捕され、20年近く服役した後、今年1月23日に台湾に戻った楊銘中(よう・めいちゅう)(1950年生まれ)だ。
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李登輝 秘録 産経新聞
第1部 虚々実々の両岸関係(8)台湾併呑の毒薬「92年合意などない」 - 2019.4.12
「台湾を併呑(へいどん)するための毒薬だ」。台湾で対中政策を管轄する大陸委員会は今年1月16日、踏み込んだ表現で、中国に反発した。毒薬とは、
     中国と台湾の窓口機関が1992年10月、香港で行った実務者レベルの協議で、中国本土と台湾を不可分とする「一つの中国」原則を確認したとされる
     「92年合意」を指す。
  中国側は、台湾総統の蔡英文(さい・えいぶん)(1956年生まれ)に「92年合意」の受け入れを踏み絵のように迫るが、蔡政権は合意の存在を否定している。
     中国国務院(内閣)は、蔡政権を「分裂主義だ」と批判している。
  「92年合意」はあったのか、なかったのか。当時、現役の総統だった李登輝は、「そもそも『92年合意』なんてないんだ」と語気を強めて否定する。
  香港での中台協議は、2001年に出版された「李登輝執政告白実録」(印刻出版)に詳細が描かれている。双方が政府代表ではない、民間の形を取る
  窓口機関どうしの協議だった。
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第1部 虚々実々の両岸関係(7)「国学」が結んだ中台の地下人脈 - 2019年4月10日
台湾で1988年から12年間続いた李登輝政権。李の指示で中国側と極秘に接触した密使のルートはいくつも存在していた。
  総統府の秘書室主任だった蘇志誠(そ・しせい)(1955年生まれ)もその一人だ。蘇は李の総統退任から2カ月後の2000年7月、台湾の新聞に密使としての
     動きが報じられ、一時は対中接触で違法性も疑われた。蘇は李の側近として権勢をふるった形跡があり、政権の内外で反発を買っていた可能性がある。
  国策顧問だった曽永賢(そう・えいけん)による密使の役割がほとんど知られなかったのとは対照的だ。
  蘇は大学時代の恩師で漢詩研究の大家、南懐瑾(なん・かいきん)(1918~2012年)の仲介で、中国の国家主席だった楊尚昆(よう・しょうこん)サイドの
     人物と1990年から香港で接触していたと報じられた。蘇は、共産党を反乱団体であると台湾の憲法で規定していた「動員(どういん)・反乱鎮圧
     時期条項」を廃止し、国共内戦の状態を終わらせようとした李政権の方針について91年、中国側に事前説明していた。
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李登輝 秘録 産経新聞
第1部 虚々実々の両岸関係(6)中台会談模索…回答は弾道ミサイル - 2019年4月9日・・・(6).
台湾総統、李登輝の指示で、中国と合弁で運輸会社を設立する計画が1994年初めから、シンガポールの仲介により中台の間でひそかに検討されていた。
  シンガポール首相、ゴー・チョクトンが同年10月、計画の具体案を携えて訪中し、北京で国家主席の江沢民と会談した。しかし、江はゴーの提案を拒んだ。
  江はゴーにその理由を語らなかった。ただ、ゴーの前任首相、リー・クアンユーは2000年出版の「李光耀回憶録」(世界書局)で、江が拒否した原因とみられる
  2つの出来事を指摘している。 まず、1994年5月の週刊朝日に掲載された記事だ。台北での司馬遼太郎(1923~1996年)との対談で、李は、
  「台湾人に生まれた悲哀」と切り出し、「家内と旧約聖書にある『出エジプト記』について話した」と述べている。 モーセが虐げられていたユダヤ人を率いて
  エジプトから脱出する物語だが、リーは、「李登輝は自らをモーセに例えた」と指摘した。台湾を不可分の領土と主張する中国には、李は台湾の住民を率いて
  中国から離れようとする“隠れ独立派”にみえる。対談は中国語で無断転載され、中国で反発を呼んでいた。
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第1部 虚々実々の両岸関係(5)「台湾海峡でトップ会談」提案一蹴 - 2019年4月7日
台湾総統、李登輝の指示で、中国と合弁で運輸会社を設立する計画が1994年初めから、シンガポールの仲介により中台の間でひそかに検討されていた。
   シンガポール首相、ゴー・チョクトンが同年10月、計画の具体案を携えて訪中し、北京で国家主席の江沢民と会談した。しかし、江はゴーの提案を拒んだ。
   江はゴーにその理由を語らなかった。ただ、ゴーの前任首相、リー・クアンユーは2000年出版の「李光耀回憶録」(世界書局)で、江が拒否した
   原因とみられる2つの出来事を指摘している。 まず、1994年5月の週刊朝日に掲載された記事だ。台北での司馬遼太郎(1923~1996年)との対談で、
   李は、「台湾人に生まれた悲哀」と切り出し、「家内と旧約聖書にある『出エジプト記』について話した」と述べている。 モーセが虐げられていたユダヤ人を
   率いてエジプトから脱出する物語だが、リーは、「李登輝は自らをモーセに例えた」と指摘した。台湾を不可分の領土と主張する中国には、李は台湾の住民を
   率いて中国から離れようとする“隠れ独立派”にみえる。対談は中国語で無断転載され、中国で反発を呼んでいた。
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第1部 「シンガポールと合弁」幻の航空会社(4) - 2019年4月6日・・・(4).

「中国と台湾とシンガポールで共同出資する航空会社を作る案を話していた」 中国側と水面下の交渉を続けていた台湾の元国策顧問、曽永賢(そう・えいけん)
     はこう明かした。 曽が媒介する形で台湾総統の李登輝と中国の国家主席、楊尚昆(よう・しょうこん)やその部下との間で1992年暮れに極秘ルートが
     作られた。共同出資の案はそこで検討されたものの、結果的に幻と消えることになった。
  曽は、中国側のカウンターパートだった人民解放軍の総政治部連絡部長、葉選寧(よう・せんねい)と94年の初め、共同出資による航空会社の設立の検討
     を重ねていた。
  出資比率で中台がそれぞれ45%ずつ、本社を置く方向だったシンガポールが10%という3者合弁計画で、李も了承していた。
  「中国と合弁で航空会社を設立し、対中関係を安定化させようと李総統は考えたのではないか」と曽はいう。中台以外にシンガポールという第三国も加える
     ことで安全弁を作り、中台間に信頼関係の糸口を作る試みだったと考えられる。
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李登輝 秘録 産経新聞
数奇な運命 極秘ルート作り手助け  - 2019年4月5日・・・(3)

楊からの「どうにもならない」という発言を、台湾に戻った曾から聞かされた李は顔を緩め、安堵の表情をみせた。
     台湾の総統、李登輝から対中情報ルート作りで任務を与えられた総統府の国策顧問、曽永賢(そう・えいけん)は1992年暮れ、いわば李の代理として、
     極秘裏に北京で国家主席、楊尚昆(よう・しょうこん)に会っていた。
  楊は緊張した面持ちの曽に「今後はこの男と連絡を取り合いなさい」と言って、横に座らせた軍総政治部連絡部長の葉選寧(よう・せんねい)
     (1938~2016年)を指した。
  楊はこのころ実権を失いつつあり、1993年3月には退任することになるが、なお国家主席の立場で葉に全権を委ねることで、自ら役割を果たそうと
     したのではないか。曽はその後、葉と部下らを通じ、中台トップ級の極秘ルートを作る。
  事前に楊との会談を知らされていなかった曽は、香港からマカオを経由して北京に到着した。その直後、北京北西部の風光明媚(めいび)な玉泉山にある
     中央軍事委員会の招待所で待ち受けていたのが葉だ。
  葉は、毛沢東(もう・たくとう)(1893~1976年)とともに日中戦争を戦った元帥の一人、葉剣英(けんえい)(1897~1986年)の次男。共産党幹部を親に
     持つ太子党と呼ばれるエリート2世だ。
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李登輝 秘録 産経新聞
台湾に武力行使せず主席から減失 - 2019年4月4日・・・(2)

1992年暮れ。台湾総統、李登輝の指示で中国共産党の幹部と極秘裏に接触していた国策顧問の曽永賢(そう・えいけん)が北京入りした後、曽の前に突如
     現れた中国国家主席の楊尚昆(よう・しょうこん)は、時に笑顔も浮かべながらこう話した。
  「中国は反米運動や台湾批判をやめるわけにはいかない。だが、君たちはカネを持っている。何をしようと干渉はできない。僕たちにはどうにもならない」楊と
     会った場所は、人民解放軍総政治部の連絡部事務所だったと曽は記憶している。李に「密使」として中国の真意を探るよう命じられた曽にとっても、
     国家主席の登場は想定外だった。中国側も、台湾とのトップ級の極秘ルート構築を模索していたことの証しだといえる。
  楊の発言の背景に、92年9月、ブッシュ(父)米大統領が台湾に主力戦闘機のF16戦闘機150機の売却を決定したことがある。台湾海峡を挟んだ中台の
     軍事バランスはF16戦闘機で台湾側に傾き、中国は米国と台湾を激しく非難した。
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日本李登輝友の会 愛知県支部 投稿日:  作成者: 愛知李登輝友の会
李登輝 秘録 - 産経新聞

産経新聞が神武天皇祭の佳日でもある本日(4月3日)から「李登輝秘録」の連載を始めた。本日の朝刊の1面、それもトップ記事として掲載した。
     新聞の連載物が1面に載ることはあるが、トップ記事として掲載されるのは異例だろう。 本年3月2日付の産経新聞は、蔡英文総統が安全保障問題で
     日本政府との対話意向を表明したインタビューを1面トップ記事で掲載したことは記憶に新しいが、日本と国交のない台湾のことを1面で報じることは珍しい。
     トップ記事はさらに珍しい。ましてや「李登輝秘録」は連載物だ。異例中の異例で、産経の力の入れようが伝わってくる
  3月21日付の社告で、「李登輝秘録」連載の意図について「一発の銃砲も撃たない『静かなる革命』を成し遂げた軌跡や、困難を極めた中国共産党との対峙、
     日本とも縁の深い李氏の人生を関係者の証言などから見つめ直し、台湾を舞台に戦後世界史を考えます」と記している。 
  本日の第1回では、改めて連載の意図について下記のように記す。いったいどのような場面から連載が始まるのかとわくわくしていた。
     1990年の野百合学生運動や1996年の総統直接選挙と中国からのミサイル威嚇された台湾海峡危機などを思い描いていた。半分は当たっていた。
     連載は「虚々実々の両岸関係(1) 中国共産党から極秘電話」と題し、「台湾海峡危機」の舞台裏から始まった。
証言する関係者として、当時、李登輝政権の国策顧問だった“李登輝の密使”曽永賢(そう・えいけん)氏が登場する。1924年12月生まれの満94歳になる曽氏は、
     いまも矍鑠(かくしゃく)としているという。日本ではほとんど知られていないようだが、共産主義者だった経験を活かし、台湾において中国共産党研究の
     第一人者となった政治大学教授で、李登輝政権では総統府国策顧問、次の陳水扁政権でも総統府資政をつとめるなど重用された方だ。

本会常務理事でもある浅野和生・平成国際大学教授の編著『日台関係を繋いだ台湾の人びと(1)』(2017年12月、展転社)で、浅野氏が「曽永賢の生涯と日台関係」
     として執筆している。この本は250ページあるが、曽氏について140ページを費やし、本の半分以上を占める力作だ。曽氏の回顧録『從左到右六十年 
     曽永賢先生訪談録』(2009年、台湾・国史館)を訳出して日本人向けにアレンジしたものだが、曽氏についてこれほど詳しく紹介した日本語文献は恐らく
     初めてだろう。

「李登輝秘録」は、この曽永賢氏へ中国共産党幹部から1995年7月初めに極秘の伝言がもたらされる場面から始まる。連載ものだからすでに書き上げている
     原稿かと思いきや、今年1月2日の習近平演説や中国の戦闘機2機が台湾海峡の中間線を越えて台湾本島側の空域に侵入した3月31日の事象まで
     書き込んでいる。李登輝時代と蔡英文時代がシンクロしていて起伏に富み、どのような「秘話」が飛び出してくるのか、この先が楽しみだ。
     12月くらいまで続くと仄聞する。

記念すべき第1回につき、祝意を表してその全文を下記にご紹介したい。 なお、辜振甫、江丙坤、許世楷、曾永賢、蔡焜燦の5氏を取り上げた
     浅野和生編著『日台関係を繋いだ台湾の人びと(1)』、林金莖、羅福全、謝長廷の3氏を取り上げた『日台関係を繋いだ台湾の人びと(2)』は本会の
     取扱い図書。戦後の日台関係は、これらの人々の軌跡をたどる本書でほぼ全容をつかむことができる。

第一部 虚々実々の両岸関係 2019年4月3日・・・(1)

戦後の台湾で、共産党の中国と対峙する一方、独裁的だった国民党政権を、内部から民主化した元総統の李登輝(り・とうき)。
     一滴の血も流すことのなかった「静かなる革命」と称された。日本統治時代の台湾に生まれ、京都帝国大学(現・京大)に学び、「22歳まで日本人だった」
     と話す。今年1月に満96歳となった李の人生を通し、日本や台湾、中国、米国などが複雑にからみあう東アジアの現代史を見つめ直す。

「ミサイル発射、慌てるな」

◆「2、3週間後、弾道ミサイルを台湾に向け発射するが、慌てなくていい」
  台湾はすでに真夏を迎えていた。1995年7月初めのこと。台北市内の曽永賢(そう・えいけん)(1924年生まれ)の自宅に1本の電話がかかってきた。 曽は、
     このとき現職総統だった李登輝(1923年生まれ)を総統府で補佐する「国策顧問」だった。通話はすぐ切れた。発信地は不明。だが曽は、
     中国共産党トップ層からの「極秘伝言」だと理解した。
  曽は90年代初めから李の指示で、敵対する共産党のトップや幹部と、2000年まで極秘裏に接触を続けた台湾側“密使”の一人だったと証言している。
     電話はその接触相手だった。
  電話の前月、6月7〜12日に李が、農業経済学で1968年に博士号を得た米ニューヨーク州のコーネル大学から招かれ、「台湾の民主化経験」について講演した
     ことに中国は強く反発した。武力行使も辞さない姿勢で、台湾海峡は緊張感に包まれていた。79年1月に米国は中国と国交を結んで、台湾と断交していた。
     電話を切った曽は急いで総統府に向かった。戦前の日本統治時代、ちょうど100年前の19年3月に落成し、現在も使われる重厚な建築物だ。噴き出す汗を
     ぬぐいながら3階の李の執務室に駆け込んだ。
  李と曽は、この電話の意味を「ミサイルを発射はするが、台湾の本土には撃ち込まないから、慌てて軍事報復などするな」との“事前通告”だと理解した。
     振り上げた拳で台湾を威嚇はしても、軍事衝突はギリギリで避けたいとのメッセージだったのだろう。 極秘裏に報告を聞いた李はホッとした表情を
     浮かべたと曽は記憶している。
  中国はその後、7月18日に国営新華社通信を通じて台湾攻撃を想定した「弾道ミサイル演習」を行うと公表した。実際に7月21日未明、内陸にある江西省の
     基地から弾道ミサイル「東風15」を発射した。台湾の北方およそ130キロの東シナ海に撃ち込んだ。尖閣諸島(沖縄県石垣市)にもほど近い海域だった。
  このときの「台湾海峡危機」は結局、「演習」を繰り返しながら翌年3月の台湾総統選まで続く。米クリントン政権が空母2隻を派遣するなど緊張が高まる事態
     だった。ただ台湾は、最後まで冷静に対応した。
  曽は、「(極秘裏の)情報ルートが最悪の軍事衝突を避ける役割」を果たしたことにいまも満足げだ。

台湾密使の前に国家主席が現れた

  李の命令で動いた曽による中国側との極秘接触が最初に急展開したのは、92年暮れ 李と同じく戦前の日本教育を受け、戦後は台湾の防諜機関、
      調査局で中国共産党研究の第一人者となった曽は台湾の政治大学で教鞭(きょうべん)もとっていた。李が台湾大学教授だった60年代から、
      2人は学者同士、ひざ詰めで中台関係などを話し合ったという。2人の会話はほとんど日本語だった。
  他方、李と曽の関係を調べ尽くしていた中国は、曽への“サプライズ”を用意していた。曽が北京に到着して数日後、このとき国家主席だった
     楊尚昆(よう・しょうこん)(1907〜1998年)が会談相手として、曽の前に現れたのである。
  92年暮れの曽と楊による極秘会談が3年後、ミサイル発射の事前通告に結びつくパイプを作った。密使としての曽の活動はほとんど知られていない。
  李は「密使なんていなかったんだ」と言葉を濁らせる。その背景を曽は「あっちにもこっちにも(中国にも台湾にも)関係者がまだ多く生きているでしょ」
     と説明した。中台関係は政治のみならず、人のつながりも複雑で曖昧だ。
  今年1月2日、習近平(しゅう・きんぺい)国家主席(1953年生まれ)は演説で、一つの国家に異なる制度の存在を認める「一国二制度」による台湾統一を改めて
     訴え、受け入れられない場合は武力行使も辞さない姿勢を強調した。台湾は4年に1度の総統選を来年1月に控える。
  3月31日には中国の戦闘機2機が台湾海峡の中間線を越えて台湾本島側の空域に侵入するという異例の事態が起きた。
  中国機は台湾側の警告を受けて引き返したが、中台トップ級の極秘情報ルートが現在も機能しているか疑わしい状況下で、軍事緊張は再び高まっている。しかも中国の軍事力は、24年間で様変わりしている。

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