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北朝鮮核問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


  北朝鮮核問題は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による核兵器の開発および核拡散に関する問題。北朝鮮は核保有国であることを、金正恩は2016年時点において認めている。北朝鮮は1993年と2003年にNPT脱退を表明し、2006年、2009年、2013年、2016年1月、2016年9月2017年に核実験を実施した。また1998年のパキスタン核実験への関与疑惑、1993年以降の核弾頭運搬手段ともなりうるミサイル発射実験、第三国やテロリストへの核兵器技術移転の疑惑あるいは懸念も持たれている。北朝鮮は機関誌の労働新聞にて2018年2月23日に「私たちの共和国が核を放棄することを望むのは海の水が乾くのを待っているよりも愚かなこと」として核放棄を条件にするいかなる交渉の拒否を表明している。北朝鮮は世界の求める「北朝鮮の非核化」を相手にせず、アメリカによる韓国への核の傘撤回、最終的に在韓米軍の撤退を朝鮮半島の非核化と呼んで狙っている

背景
  北朝鮮は建国以来、核兵器に関して関心をもっていたとされる。当時の東側諸国の中で核開発能力を持っていたのはソ連、のちに中国が加わることになるが、共に原子力の平和利用を行う分には協力的だが、核武装の協力に関しては消極的であった。北朝鮮が本格的に核開発に取り組んだのは朝鮮戦争休戦後とされる。具体的には1956年3月と9月、旧ソ連との間に原子力開発に関する基本合意を行い、数人の科学者を旧ソ連のドゥブナ核研究所に派遣した。また、小規模の実験用原子炉であるIRT-2000研究用原子炉の供与を受け、寧辺に建設された。旧ソ連は、原子力の協力は平和利用に限定されるべきとの立場を崩さなかった。しかし北朝鮮はあくまで核兵器を持つことに執着し、1964年に原子爆弾を保有した中国に支援を要請したが、拒否されたとされる。

  この後も核開発計画は放棄されることはなく、東側諸国の政府関係者の証言および、1982年以降、アメリカの偵察衛星が撮影し続けた写真の分析から、寧辺に新たな原子炉が建設されていることが判明した。アメリカは当時のソビエト連邦に対して北朝鮮が核拡散防止条約に加盟するように働きかけた。結果として北朝鮮はNPTに加盟することになり国際原子力機関 (IAEA) の監視下に置かれたが、その後も核開発計画を進行させている疑惑がくすぶり続けた。そして1986年3月、寧辺を撮影した衛星写真が、幾つかの円筒状のクレーターを撮影するに至り、これは高性能爆発実験の痕跡と判明し、原爆開発の計画を進めているとされる証拠となった。その後、寧辺や泰川に大型黒鉛減速炉が建設されていく様子が偵察衛星から判明し、徐々に国際問題化していくことになった。

  北朝鮮は2003年1月にNPTから脱退を通告した。このため2014年時点では、核拡散防止条約 (NPT) から脱退したままとなっている。核拡散防止条約第十条に脱退条項が存在し、国際法上は通告から3ヶ月後に有効になると解されているため、国際法上は当条約上の拘束を受けない形となっているが、アメリカ合衆国は北朝鮮のNPT上の義務について判断しない立場をとっており、NPTの運用機関においても、議長が北朝鮮のネームプレートを「預かる」ことで北朝鮮の立場を曖昧にしておく異例の政治判断が採られている。
  このような国際社会の苦悩にもかかわらず、北朝鮮が核開発を継続する理由には、冷戦崩壊後も朝鮮戦争が「休戦」状態で継続している一方で中華人民共和国との軍事同盟は残るものの、旧ソ連の庇護は受けられなくなることを背景に、アメリカ合衆国から核抑止力を以って「体制保証」を得ること、いわゆる瀬戸際外交による外交上の交渉カード、海外への技術移転による外貨獲得、国際的および国内的な国威発揚、先軍政治による軍の威光や成果の優先、などが指摘されている。
概略
  北朝鮮は2003年1月10日、アメリカ合衆国の軍事的脅威を理由に挙げ、核拡散防止条約第十条を根拠にNPTからの脱退を通告した。そして2005年2月10日、公式に核兵器の保有宣言を行い、2006年10月9日に地下核実験を行ったことから当条約上で定義された「核兵器国」以外の事実上の核保有国となった。
  リトルボーイ広島に投下)やファットマン長崎に投下)など開発初期の原子爆弾は、北朝鮮のような発展途上国では設備を備えることすら不可能なほど巨大であった。しかし、米シンクタンク、憂慮する科学者同盟(UCS)のミサイル問題の専門家は第二次世界大戦当時の原子爆弾は技術的不安が多く、計算よりもかなり大量の爆薬を使って構造も頑丈にしているため重量があるのにすぎず、現在では核兵器に関して既知となっている研究も多く、当時とは技術的背景も異なるため、現在の北朝鮮の原子爆弾と単純に比較することは不適切としている。
  また米シンクタンク、科学国際安全保障研究所(ISIS)の研究者らは原子爆弾のサイズを小さくすること自体は原子爆弾の設計が初歩的であったとしても可能としている。
  事実として、2013年までに3回の核実験を行い、また中国が1960年代に開発した弾道ミサイルに搭載可能なウラン爆縮型原子爆弾の設計図が核の闇市場かパキスタンから直接北朝鮮に入っている可能性が高く、700kg~1000kgまでの小型化に成功しているのではないかといわれている
  北朝鮮で配備中の核兵器は2013年においては原子爆弾だと考えられている。しかし水爆開発の基礎実験を行った疑惑もあり、水素爆弾や強化原爆も開発中だと考えられている。特に強化原爆については2013年2月12日に行った3回目の核実験にて、最大40ktという解析も出ており、保有に至った可能性も否定できない状況となっている。
  保有数についてはファットマンのような初期型原爆の技術水準で20ktの出力を狙った場合、最大6個と考えられていたが、核の闇市場からの技術流入や核実験の成果を想定した場合、インド・パキスタンのような中級技術と同程度と考えられ、その場合、20ktの出力を狙うと最大17個保有していると考えられている。これはプルトニウムだけの想定であり、濃縮ウランを加えると、最大23個保有していると考えられている

核開発の現状
ミサイル能力
  2013年の時点では、寧辺の5万kW、泰川の20万kWの大型黒鉛減速炉の建設は中断しており、新規のプルトニウムによる核開発は中断し、代わって高濃縮ウランによる核開発に軸足を移していると推測されたこれはプルトニウムによる核兵器は品質劣化に伴う維持管理が煩雑な一方、高濃縮ウランによる核兵器は劣化がほとんどなく、維持管理がやりやすく、隠蔽もしやすい。また北朝鮮のウラン埋蔵量は莫大であり、核兵器を作る上で制限がないからだと推測されている。しかし、北朝鮮は寧辺に30MWの実験用軽水炉を建設中であり、この軽水炉からプルトニウムを生産する可能性もあるとされている。通常、軽水炉では原爆用のプルトニウムを生産するのに適してはいないとされるが、運転期間を短いものにして、プルトニウム239プルトニウム240に大きく変化する前に使用済み核燃料を取り出して再処理すれば、原爆製造可能なレベルのプルトニウムが得ることが可能であり、懸念材料となっている

  また、科学国際安全保障研究所の専門家らは北朝鮮の核開発がこのまま続くと、2016年までに最大48個の核兵器を製造可能だとする報告書を出している。それによると、2013年時点で確認されているウラン濃縮施設での製造で年間2個、寧辺の軽水炉を稼動したとすると年間1~4個、ウラン濃縮施設の存在が疑われている施設での生産で年間2~3個となり、3つの施設を稼動させた場合、年間5個~9個の原子爆弾を製造することが可能で、これまで製造してきた原爆を合算すると48個程度になると推定している
  2015年1月6日に発表された韓国の国防白書では、北朝鮮核兵器製造能力が相当水準に至っており、核兵器の小型化が可視化段階に入ったと評価、アメリカ本土も脅かすことができるミサイル能力を得ていると推定している
プルトニウム
  現在まで北朝鮮が保有しているプルトニウム原子爆弾の原料を生成した寧辺の5MWの実験用黒鉛減速炉は無力化対象となり、冷却塔の解体により使用できる状態ではない。寧辺の50MW黒鉛減速炉と泰川の200MW黒鉛減速炉は年間55個、4-5年で220個のペースで核兵器を量産できるとされるが、建設途中で工事が中断した状態と考えられている。
  寧辺に30MWの実験用軽水炉を建設中であり、これが稼動すると年間で最大4個の原子爆弾を製造可能である。
  2015年9月、黒鉛減速炉の再稼働を表明した。2016年、米国のジェームズ・クラッパー長官は「我々は北朝鮮が寧辺のウラン濃縮施設を拡張し、プルトニウム生産炉を再稼働することで、宣言を実行したとみている」と指摘し、米政府としても黒鉛減速炉の稼働を正式に確認したことを明らかにした。
高濃縮ウラン
  韓国国防研究院は2013年の時点で最大で原子爆弾6個分の高濃縮ウランを保有しているとしている。
  北朝鮮は2010年11月に元ロスアラモス国立研究所長にウラン濃縮施設を公開した。所長は2000台の遠心分離機があると報告しているが、寧辺のウラン濃縮施設以外にも複数のウラン濃縮施設があるとされている
強化原子爆弾
  ドイツの政府系研究所である連邦地質資源研究所は包括的核実験禁止条約を元に設置されているドイツ国内の核実験監視施設のデータを元に、北朝鮮で試験された核爆弾の出力は40ktに達すると発表した。このデータは日本の気象庁が感知したデータと同じで、この地震規模から解析すると、今回の核実験で用いられた核爆弾の威力はリトルボーイの3倍程度となり、核実験直前に懸念されていた強化原爆の可能性がある。強化原爆の製造技術は、核爆弾の小型化はおろか、軽水炉の通常運用を行って得たプルトニウム240を相当含む粗悪なプルトニウムをも有効な原爆に仕立てることが可能になってしまう(軽水炉を小刻み運用して、核燃料棒のプルトニウム240が大きく増加する前に取り出して再処理する、という煩雑な工程も不要になる)ため、大きな懸念材料となる。

北朝鮮の核兵器運搬手段
  北朝鮮の核兵器重量は核の闇市場からの技術流入と3度の核実験により小型化が進んでいると考えられているが、米国務省で核問題を担当していたイギリスの国際戦略研究所 (ISS) のメンバーによると、原子爆弾そのものの重量は450kg程度としている。また、弾道ミサイルとして使うなら付属品を入れると弾頭重量は700kgになると推定している北朝鮮は弾道ミサイルの他、爆撃機としてIl-28かその中国製のH-5(轟五)を保有しており、この重量なら高性能のSu-25などの攻撃機やMiG-29などの戦闘攻撃機にも搭載可能と考えられている。あるいはムスダンなどの比較的長距離かつ小型の弾道ミサイルを偽装コンテナ船にて運用するのではないか、といった指摘もある。なお、北朝鮮で配備中または開発中の弾道ミサイルと、搭載可能と考えられる運用中の軍用航空機は以下の通りである。
  (軍用航空機軍用航空機-短距離弾道ミサイル-準中距離弾道ミサイル-中距離弾道ミサイル-大陸間弾道ミサイル-潜水艦発射弾道ミサイル-短距離弾道ミサイル-準中距離弾道ミサイル-中距離弾道ミサイル-大陸間弾道ミサイル-潜水艦発射弾道ミサイル)

周辺国への核の脅威
  北朝鮮は外貨獲得のため、ミサイル関連技術を他国へ輸出しており、特にテロリストに原爆が流出すると深刻な事態となるため、大量破壊兵器の拡散に繋がらないかと各国から懸念されている。北朝鮮の軍備については、射程距離100km~13000kmほどある数種類の弾道ミサイルを保有しており、日本全土だけでなく、アメリカ合衆国の大半も射程内に入るとされる。さらに移動式の大陸間弾道ミサイルKN-08も開発中とされる。もしこれらのミサイルに核弾頭を搭載すれば周辺諸国はもとより北アメリカ大陸のアメリカの州までミサイルでの核攻撃が可能となる。また、核を小型化する技術は時間が経てば経つほど進歩していると考えられ、2013年までに公式的にも3度の核実験を行い、信頼性のある原子爆弾を弾道ミサイルに搭載することが可能になったのではないかと考えられている。以下に2006年の初の公式核実験から2013年までに出された専門家の論調を記す。
楽観論
  核ミサイルをブラフと見なし、北朝鮮にはミサイルに実装できる小型核弾頭はないとする意見。日本右派は脅しに乗ることが援助を毟られる原因になると主張しており、韓国左派は同胞に核ミサイルを向けるはずはなく援助が欲しいからやっているので援助を与えれば止めさせることができると主張しており、米国左派や日本左派はブッシュ政権の強硬路線の結果態度を硬化させ不完全な核爆弾を持っただけであると主張している。
慎重論
  楽観論は北朝鮮が工業的な後進国であるというイメージが一人歩きした上での主張に過ぎず、技術的な根拠はなく、危険性を軽視すべきではないとする意見。いかなる工業レベルであろうと資金を投入している以上、時が経つほど危険性が増すことは自明であるので、冷静に技術的レベルを分析して対策を練ろうとする考えである。
  楽観論の根拠に対する反論
1)中国がかつて発展途上国で原始的な原爆の開発すら不可能といわれていたのに、実際にはミサイル搭載可能な小型核弾頭開発まで成功し、発展途上国に高度な兵器の開発は不可能という予測は一度外れていること。
2)北朝鮮のGDPは1.2-2兆円に過ぎないが、朝銀事件・日本のパチンコ業者からの送金・朝韓合弁事業収益・ミサイル輸出収益・麻薬偽札収益で国家税収を上回る収益を主として日韓から合法・不法に吸い上げており、その大部分を核ミサイル開発につぎ込んでいると推定されること。
3)1994年CIA報告時点で原始的な原爆を持っており、1998年5月30日に事実上の核実験を行ったと考えられているが、それから15年以上も経過しており、小型化が進んでいるのを疑う合理的な根拠が見当たらない
4)北朝鮮は1994年に原始的核兵器を持っていた可能性が高く、1998年5月30日にパキスタンに委託して作動保証実験を行った可能性がある。この時の出力は15kt程度とされている。2006年10月9日のNHKにて軍事評論家の江畑謙介が「(北朝鮮は)核弾頭を持ったと看なさざるをえない」との発言をした。
  海外でも、科学国際安全保障研究所の研究員らは2007年に北朝鮮は3個の小型核弾頭を持っている可能性があると報告しておりGlobalSecurityの専門家などは、北朝鮮が実用的な核弾頭を持ったとする分析をしている。
  2008年に「核の闇市場」関係者のスイス人が逮捕されたが、そのPCから1960年代に中国で設計された弾道ミサイルに搭載可能な核弾頭設計図が発見され、小型核弾頭の設計図が闇市場で流通していたことが明らかになり、IAEAにおいては北朝鮮にその設計図が流れていると報告された。
5)示威目的で20ktの出力を目指すという指摘には根拠がない。実際、2006年の豊渓里核実験場での北朝鮮初の公式核実験において、中国に対し、計画出力は4ktであるといった事前通告が行われている。(長崎型ファットマンは22kt)
  難度の高い小型でかつ低出力の核実験に挑んだ可能性があることは科学者等に指摘されていたが、実際北朝鮮が申告した核実験のプルトニウム使用量は核分裂下限といわれる2kgで懸念が裏書された。
  1990年にIAEAは北朝鮮の黒鉛減速炉で生成されたプルトニウムを解析しているが、通常のプルトニウム臨界量を確保さえすれば過早爆発を起こす可能性は極めて低い高品質のものだと判断しており、過早爆発という根拠は疑わしいものとなっている。
  この時の核実験は0.8~2ktの出力だったとされるが、これはプルトニウムを限界以上に節約したため、設計された爆縮レンズの性能限界を超えるものとなり、計画出力に及ばなかったのだといわれている。
  しかし、4ktの低出力を出すには高度な技術が必要とされ、全くの不発ではなく0.8~2ktなら、及第点だとされ、これに関しては1998年5月30日にプルトニウム原爆の試験を行っていたため行えたことであろう、とされる。
  2009年に豊渓里核実験場にて4ktの核実験に成功している。2006年の核実験の再テストだといわれている。
  2013年に豊渓里核実験場にて7~40ktの核実験に成功している。強化原爆のテストではないかとされている。
  以上のことから、慎重論の専門家らは1998年のパキスタンにおける代理核実験で基本的なプルトニウム原爆の爆縮レンズの作動確認を行い、2000年代までの核の闇市場からの技術移転で小型化への大いなる助けとなり、2006年の公式核実験では一定の成果は上げたが、少ない核物質でより強力な原爆を作ろうと模索し、2009年からは威力を増すための実験を繰り返した、と認識されている。

  しかし、これらの専門家の認識は必ずしも政府の公式見解と一致するとは限らず、注意が必要である。アメリカや韓国、日本は特に強い利害関係があり、北朝鮮の核による圧力の効果を減少するため、矮小化する傾向があることはEU系の公的機関から指摘されている。
  それを実証するかのような出来事も起きている。2013年4月11日、米国防総省傘下の国防情報局 (DIA) は、「北朝鮮の核開発は進展しており、一定の信頼性ではあるものの、弾道ミサイルに核弾頭を搭載することが可能とみられる」と報告書を出していたことが判明した。
  しかし、これはアメリカの政府幹部にまでは情報が届いていない時点で明らかになったため、政府関係者がコメントを控える等の火消しに奔走する事態に発展しており、オバマ大統領自らが否定する結果を招いた。
  事実、これらの国々は北朝鮮を核保有国として認めることはあり得ないとしており、核実験が行われたという技術的な事実があっても核保有国としては扱っておらず、今後も技術的な事実の判断はともかく、外部へのプロパガンダの側面が強い公式見解においては矮小化を続ける政治判断が採られるだろう、と考えられている。
放射線強化核
  北朝鮮は北朝鮮当局が運営に関わる組織である「わが民族同士」が「われわれには、世界が見たことも聞いたこともない現代的武器があり、それは単なる見せかけではない」などと主張する動画をインターネット上に公開したことがあるが、これは放射線強化型の原爆ではないか、といった指摘がある。
  北朝鮮の核ドクトリンは明らかになっていないが、戦略核兵器を用いる時点で自国の滅亡を意味するため、相互確証破壊を高めるために核兵器の質を高める努力を続けているとされる。水爆を開発することが核五大国が採った道であるが、現在の北朝鮮では強化原爆を手に入れた可能性はあるものの、水爆には至っていないと考えられている。そこで戦略核としての用途に限り、コバルト爆弾や窒素爆弾の保有の選択肢を選ぶのではないか、と考えられている。コバルト爆弾や窒素爆弾は攻撃後に占領することもできないほど強烈な残留放射能を残すといわれているため、従来の核保有国ではアイデアだけのものになっているが、北朝鮮においては米国や日本を占領するプランがあるとは考えにくいため開発を断念する理由にはならないとされる。技術的にも原爆や水爆のダンパーにコバルトや窒素化合物を用いるのみであるため、原爆を保有する北朝鮮にも可能ではないかとされている。

北朝鮮核問題への各国の反応
  かつて北朝鮮核問題についての日米韓の利害は微妙にズレがあり、三国の足並みの乱れの主因となっていた。アメリカにとって日本、韓国を狙う弾道ミサイルは射程上、遠いアジアのことであり、北朝鮮製の核兵器がテロリストの手に渡るのが脅威であったが、加えてムスダンや2012年12月に発射実験に成功し、実用に目処が出てきた大陸間弾道ミサイルテポドン2によって自国が直接攻撃される恐れがでてきたので、利害関係が変化してくる可能性がある。日本にとっては朝鮮半島での戦争は自国にとって関係のない「対岸の火事」で、あくまで弾道ミサイルが脅威としている。韓国は首都ソウルが長距離砲の射程内であり、弾道ミサイルよりも通常戦力の脅威が主である。
  アメリカと韓国は、1970年代から北朝鮮の核実験を警戒していたが日本は警戒が遅れた。
  アメリカ - 6か国協議参加国。主たる懸念は大陸間弾道ミサイルやテロリストによるアメリカ本土大都市攻撃。
  「9.11」を経験したアメリカ人は核がテロリストの手に渡るのを恐れている。
  核施設限定空爆については、核攻撃を含む全面戦争など不慮の事態を招く懸念から、日本・韓国から頼まれなければやる方向にない。地上軍の派遣はさらに論外との論調が多い。限定空爆については1994年に検討されているが当時と異なり、北朝鮮がある程度の核武装を完了していることが疑われ、核開発の主たる主体をプルトニウムから高濃縮ウランに変更したと考えられる2013年時点では効果は極めて薄く、核戦争に発展する可能性が高いだけの状況になっている。
  日本 - 6か国協議参加国。主たる懸念はスカッドER、ノドン、ムスダンによる核、生物、化学攻撃
  日本を狙う準中距離弾道ミサイル中距離弾道ミサイルの解体と、それらを数年で核搭載可能にできる能力のある建設中の黒鉛減速炉(50MW/200MW)の解体およびウラン濃縮施設の解体が国民保護上の優先課題であるが、アメリカによる核施設限定空爆が引き金で戦争が始まりかねない韓国と異なり、このような懸念はやや「対岸の火事」視しているところがある。自国の安全保障のことなのにアメリカが何とかしてくれるという他力本願的な意見が依然として多い。
  韓国 - 6か国協議参加国。主たる懸念は戦争(核戦争の可能性を含む)
  北朝鮮にあまりにも近いため、核兵器の技術水準よりもその激増の阻止、保有済みの原爆の解体に関心がある。ただし、北朝鮮の核施設への攻撃は戦争やソウルへの報復砲撃を招きかねないために日本より慎重姿勢。目先の通常戦争やソウル砲撃を恐れるあまり、北朝鮮の核武装を許してしまっている傾向がある。また、一部の韓国の左派は「北朝鮮が核を持っていれば、統一後に南の経済力と北の核を結び付けて周辺国を牽制できる」と考えている

  中国・ロシア - 6か国協議参加国。北朝鮮の核武装を歓迎してはいないが、取り組む優先順位度は低い。
  北朝鮮へ対する核武装阻止の意欲は高いとはいえない。防衛省防衛研究所統括研究官の武貞秀士らによれば、中国・ロシアにとってもNPTが崩壊し日本・韓国・台湾ベトナムバングラデシュ中東欧州諸国がインド・パキスタン・北朝鮮に続いて核武装するような事態になれば、不安定な小国が保有する核に取り囲まれることになるため、中国・ロシアも北朝鮮の核武装を歓迎してはいない
  しかし中国にとっての第一優先はアメリカ・韓国の軍が北上してくる不安と、それにより北朝鮮を占拠し金正日から続く世襲政権がイラクのフセイン政権やリビアのカダフィ政権同様に転覆され、同盟国である北朝鮮がアメリカの支配下に入ることを阻止することであり、第二優先は北朝鮮が中国から離反してアメリカ陣営にとりこまれるのを阻止すること、第三優先は国連安全保障理事会で北朝鮮の武力制裁決議に反対して、アメリカの北朝鮮の武力制裁を阻止しつつアメリカと中国との関係は良好に保ち、アメリカから円滑に東アジアの警察国家の地位を継承すること、第四優先はアメリカが北朝鮮へ制裁しようとする態度に協力することで、日本がNPTを脱退して核武装に向かった場合、中国主導の対日本制裁にアメリカも協力させる布石とすること、であって「北朝鮮の核武装阻止・非核化」自体は中国にとっては上記4つの目的より遥かに優先度が低いといわれる。つまり、アメリカ軍の北朝鮮への侵攻を阻止し、アメリカへ中国の好感を維持するため見かけ上協力はするが、実際に協力してしまうと北朝鮮の現政権が中国から離反しても困るし北朝鮮をまとめきれる勢力が現政権以外にはないため、中国は同盟国である北朝鮮を本気で締め上げるつもりはないとの観測が日本では多い
  またロシアにおいても、北朝鮮の核武装(2010年12月時点では核濃縮施設の存在)に対しては深刻な懸念を表明」している。
核実験の影響
  北朝鮮の地下核実験場となっている豊渓里の万塔山一帯には地下空洞が存在し、2017年9月の地下核実験の直後には一部が山崩れを起こし小規模な地震も複数発生している。
  2017年10月31日、テレビ朝日は豊渓里の地下坑道で9月10日頃に崩落事故が起き約200人が死亡したと報じたが、朝鮮中央通信はこの報道を否定した。
  韓国の気象庁は豊渓里の万塔山での追加核実験や地震による陥没での放射能物質の外部漏出のおそれを指摘しており、ソウル大学教授の徐鈞烈も万塔山での追加核実験は困難であり山が崩壊した場合には偏西風北海道からアラスカに放射性物質が飛散するおそれがあると指摘している
非核化合意と不履行の連続
  北朝鮮は対話を時間稼ぎと対外支援獲得に利用してきた。北朝鮮は2005年の合意もテポドンミサイル発射と2006年の初の核実験で不履行している。金正恩がトップになった直後である2012年2月29日に北朝鮮が核長距離ミサイル発射を中止する代わりに、アメリカはは24万トン規模の食糧を支援することを骨子とした米朝合意が行われたが、北朝鮮は直後に弾道ミサイル技術を利用した長距離ロケットである銀河3号を発射して、米朝合意を守らなかった
  そのため、2018年3月の繰り返されてきた北朝鮮による非核化宣言」にもコーリー・ガードナー上院議員は、「北朝鮮の言葉にだまされてはならない、一時的に北朝鮮が核やミサイル実験をしていなくても技術開発は継続している」と述べている。朝鮮半島問題の専門のビクター・チャ教授も「北朝鮮の姿勢は、経済的利益を得るための戦術変更であるだけだ」と述べている。国連安全保障理事会・北朝鮮制裁委員会(1718委員会)専門家パネル元委員の古川勝久は北朝鮮が体制への「脅威」のために核開発していると主張しているために、話すべき、制裁を緩めるべき、核を容認すべきだという人たちについて「対話と合意の裏で各国で違法な資金集めや部品の隠蔽輸入して核・ミサイル開発してきた北朝鮮である。日本で護憲や平和を主張している人ほど対話を絶対視しているが、北朝鮮の核を容認することは核兵器の売買による拡散・北朝鮮を見て核保有国になる国の激増を望むのと同義なのを理解していない、大局的視点の欠けた井の中の蛙。」と批判している。
  過去に北朝鮮が対話に応じてきた時は苦難の行軍末期、核・ミサイル開発への国際社会の制裁に耐えられない時など上位層や軍部からも不満がでて武力でも抑えきれなくなった時のみ会談や対話をテコにして制裁を突破してきたと北朝鮮への制裁やその強化の必要性を説明している。北朝鮮が「体制の安全」を条件に「非核化」を諸外国に示している本当の目的は、まず最初に在韓米軍が撤収するよう誘導し、それに成功した後に日本や東南アジア・グアムなど太平洋にある米軍基地を言い訳にして、「まだ体制への安全が確保出来ていない」としてどんどん要求して時間稼ぎしている内に開発を更に進めていくことだと述べている。「北朝鮮との対話」とは、北朝鮮にとって要求が拒否されて在韓米軍撤収されなくても、それを口実にして金一族専制体制の持続と核開発の既成事実化という一石二鳥の行為だと説明している。
  SLBMなどはまだ完成していない北朝鮮にとって、北朝鮮への爆撃など先制攻撃が行われると核ミサイル一辺倒にしてきたためにその他が時代遅れである軍備、比較的上位の兵士にさえ体内に寄生虫がいる状態のため降伏を推奨したならば戦いにもならず、独裁下で不満が溜まっている北朝鮮の人々が蜂起して支持に回る恐れが高い軍事行動を阻止するために「非核化」の嘘を繰り返していると解説している。
  ロイター通信は2018年に北朝鮮が文在寅大統領との首脳会談に合意したことやトランプ大統領との対話を希望してきた背景を制裁による外貨準備高の急減・貿易収支の大幅な赤字・「譲歩ちらつかせて支援を確保後、合意反故」のパターンを狙っているためと解説している


ベラルーシー共和国
ベラルーシ
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ベラルーシ共和国、通称ベラルーシは、東ヨーロッパに位置する共和制国家。日本語では白ロシア(はくロシア)とも呼ばれる。東にロシア連邦、南にウクライナ、西にポーランド、北西にリトアニアラトビアと国境を接する、世界最北の内陸国である。首都はミンスク。ソビエト連邦から独立した。ソ連崩壊で独立前のソ連時代、国際連合にはウクライナと共に、ソ連とは別枠で加盟していた。
地理
  ベラルーシは内陸国で、国土の大部分が低地であり、最高点のジャルジンスカヤ丘陵でも海抜345mである。最低点はネマン川の海抜90mである。国土の20%を占めるなど湿原が豊富で、南部に最大の湿原であるポレーシエ湿地がある。約1万1000もの湖があり、それを突き通すように、北部を通るダウガバ川、西部を通るネマン川、東部を通るドニエプル川とその支流であるプリピャチ川ベレジナ川ソジ川などの主要河川がある。気候はおおむね温暖で湿度が高いが、東部は冷涼で、大陸性気候の特徴が見られる。
  ベラルーシの主な天然資源は森林で、国土の45.3%もの面積を占めている。その他に泥炭花崗岩泥灰岩チョークが採れる。少量の石油天然ガスも産出されるが、国内需要を満たす規模ではなく、エネルギー資源の大半をロシアからの輸入に依存している。
民族
  住民はベラルーシ人が83.7%、ロシア人が8.3%、ポーランド人が3.1%、ウクライナ人が1.7%、ユダヤ人が0.1%である(2009年)。かつては首都ミンスクの人口のうち、ユダヤ人やポーランド人が多数を占めていた時期もあるなど、多民族が共存してきた歴史がある。
  隣国ウクライナではウクライナ人民族主義が非常に強く、国内に民族対立を抱え、結果的に2014年には深刻な内戦に陥った。これと比較して、ベラルーシでは民族主義的な意識は低く、ベラルーシ人とロシア人などとの民族間対立等は起きていない。いまなおミンスクには巨大なレーニン像が残るなどソビエト時代を肯定的にとらえる国民性もある。
宗教
  宗教は東方正教会ロシア正教会総主教代理が代表するベラルーシ正教会)が80%である。その他ローマ・カトリックプロテスタントなどが信仰されている(1997年推計)。ロシア正教古儀式派ポモールツィベロクリニツキー派ベグロポポーフツィなどの信徒も存在する。
歴史
ルーシの公国とモンゴル侵攻
  6-8世紀にスラヴ民族が移住開始したと一般に言われていたが、近年では古代から既にスラヴ民族はこの地に定住し続けていたという説が有力である。
  9世紀のキエフ・ルーシの一部だったポロツク公国がベラルーシの始まりとされる。バルト海黒海を結ぶ通商路として繁栄した。
  10-11世紀にポロツク公国は版図を拡大し、 キエフ・ルーシやノヴゴロド公国と争った。南部には10世紀末にトゥーロフ公国が成立。一時、モンゴルに征服される
  12世紀から13世紀前半には10前後の公国が存在し、ベラルーシ人の民族意識が高まり、団結してドイツ騎士団モンゴル帝国と戦った。13世紀までにベラルーシの地域(ルーシと呼ばれる地域の北半)の公国はすべてリトアニア大公国に併合される。リトアニア大公国における貴族の大多数は実はリトアニア人リトアニア語母語とする人々)ではなくベラルーシ人(当時はルーシ人、のちリトヴィン人と呼ばれた)で、リトアニア大公国の公用言語リトアニア語ではなくベラルーシ語(当時は通常はルーシ語と呼ばれ、さらに、リトアニア大公国の官庁で使用された公式言語であることから官庁スラヴ語とも呼ばれた)が使われる。
ポーランド・リトアニア共和国
  1385年、クレヴォの合同によりポーランド・リトアニア合同が成立すると、ベラルーシを含むリトアニア大公国全域の貴族の間で文化や母語の自発的な「ポーランド化」が始まる。クレヴォの合同後最初のリトアニア大公であるヴィータウタスが1430年に没すると、リトアニア大公国貴族によるポーランドの文化と言語の受容が加速した。1569年にルブリンの合同により物的同君連合としての単一国家である「ポーランド・リトアニア共和国」が成立するとこの地域の文化のポーランド化がさらに進み、リトアニア人とベラルーシ人を含むリトアニア大公国のほぼすべての貴族がポーランド化した。この「ポーランドへの同化」現象は1795年までの三度にわたるポーランド分割によりベラルーシ地域がロシア帝国に併合されるまで続いた。この間、貴族層の家系の大半とその他ルーシ人の多くはこの時代までにローマ・カトリックに改宗を済ませ、母語もポーランド語を使用するようになっていたが、相変わらずルーシ語を母語とし東方正教会を信仰していた者も農民層を中心に多数いた。
ロシア帝国支配下
  その後、ロシア帝国に支配されていた時代は、地方自治レベルでは旧ポーランド・リトアニア共和国の貴族(ほとんどがローマ・カトリック教徒)たちに一定の権限が許されていた。その間貴族たちはポーランド・リトアニア共和国の独立を目指す蜂起を2度起こした。1830年11月に行われた大蜂起(十一月蜂起)が失敗に終わると、貴族たちを中心にポーランド系の多くの人々がロシア帝国を脱出し、西ヨーロッパやアメリカ大陸の各国へ亡命した(これは「大亡命」と呼ばれる)。それでも民主ポーランドを復活させようとする人々は1863年に2度目の大蜂起(一月蜂起)を起こす。これがロシア帝国によって再び鎮圧されると、ポーランド貴族や商工民やインテリはキリスト教徒であるかユダヤ教徒であるかを問わず徹底的な迫害に遭った。その結果、この地域の中産階級以上の人々(ほぼすべてがポーランド人 - ポーランド化した家系の人々 - であった)は亡命するか、あるいは財産を没収されてほとんど無産者となり、中産階級そのものが滅亡した。その結果、ベラルーシに残った人々の大半は農民となり、ロシア帝国による直接支配が進んだ。ベラルーシの農民の大半はポーランド語を話すローマ・カトリック教会信者か、ルーシ語を話す東方正教会信者かのどちらかであった。前者(すなわちルーシ人からポーランド人となった者)はポーランドに近い西部に多く、後者(ルーシ人でい続けた者)はロシアに近い東部に多かった。

  一月蜂起以後はロシア帝国によるポーランド人(キリスト教徒とユダヤ教徒の間)分断政策が開始され、ロシア帝国から俗に「リトアニアのユダヤ人(リトヴァク)」と呼ばれるロシア系(東欧系)ユダヤ人たちが大量に送り込まれた。リトヴァクたちは14世紀の昔からずっとポーランドにいた西欧系ユダヤ人(ユダヤ教徒のポーランド人)とは文化も習慣も言語もかなり異なる人々で、ポーランドのキリスト教徒とユダヤ教徒の両方から嫌われる存在だったが、あまりに大量に移住してきたのでこの地域の人口動態を大きく変えてしまう事態になった。(この段落部分は、通常の理解とは異なる。通説的には次の通り。ベラルーシのユダヤ人は、ポーランドが呼び寄せた西欧ユダヤが、リトアニアとの合同により(リトアニア領内だった)ベラルーシに拡散したものが中心である(Lithuanian Jews)。その頃ロシアはユダヤ人の移住を認めていなかったので、領内にはほとんどいなかった。その後、ロシアがポーランド分割によりベラルーシを含む旧ポーランド・リトアニアの一部を領有した結果、ロシアは国内にユダヤ人を抱え込むことになったが、その後も分割領有前のロシア領内にはユダヤ人の立ち入りを認めなかった。)このルーシ農民階層、リトヴァク、そして後にロシアから大量に移住してくるロシア人の3者が、後のソヴィエト連邦(ソ連)ベラルーシ共和国の主要民族となり、特に最初の2者はソ連の無宗教政策によって完全に融合してしまうのである。
ソビエト連邦
  1917年ロシア革命が起こり、そして第一次世界大戦の間占領していたドイツ軍の占領が終わった後、1918年には史上初の独立国となるベラルーシ人民共和国が樹立される。しかしこの政権は短命に終わり、1919年には白ロシア・ソビエト社会主義共和国が成立し、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦に加盟する。この頃に起こったポーランド・ソビエト戦争の結果成立したリガ条約により西半分がポーランドに割譲された。
  1939年9月の第二次世界大戦の勃発により、ソ連軍ナチス・ドイツに続いてポーランドに侵攻。ポーランド東半分の占領と共に、リガ条約により割譲されていた領土を白ロシアに編入した。1941年からの独ソ戦(大祖国戦争)では激戦地となり、ブレスト要塞ミンスクの戦いを経てドイツ国防軍に占領された後、1944年バグラチオン作戦により奪回された。ハティニ虐殺など、ドイツは苛酷な統治を行った。対独反攻作戦において、ソ連軍は白ロシア戦線と呼ばれる方面軍を組織した。
  1945年に第二次世界大戦が終わると、ポツダム会談での取り決めによってソ連とポーランドの国境が西へ移動され、ベラルーシ全域がソ連領ベラルーシ共和国となり、この地域に住むポーランド系住民は西方へ追放された。この追放をソ連や現在のロシア共和国では「移住」と呼ぶ。これにより、ベラルーシ共和国は家系がポーランド化せずにルーシ人(ベラルーシ人)だった者か、あるいは19世紀にロシアから大量に移住してきた東欧ユダヤ系の家系の者、あるいはその混血ばかりの国家となったが、さらにロシア共和国などから多数のロシア人が移住してきた。
  1986年4月26日、ベラルーシ共和国の南のウクライナ最北部にあるチェルノブイリ原子力発電所事故が発生し、おりからの南風に乗って放射性物質が国境を越え、南東部のホミェリ(ゴメリ)州を中心とする地域に大きな被害が及び、同州に限定すると、1991年以降は世界的平均の100倍以上にも達している。一方、非常に軽度の汚染州であるビテプスク州では1993年以降0件のままであることから、原発事故による汚染と甲状腺がんの相関性が認められる[8]。(チェルノブイリ原子力発電所を参照)。
ソビエト連邦崩壊に伴う独立
  1990年7月27日に独立宣言(主権宣言)を行い、1991年8月25日に独立が承認された。同年の12月8日にはベラルーシ最西部のベロヴェーシの森で、ロシアのボリス・エリツィン、ウクライナのレオニード・クラフチュク、ベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチの三者の間でソビエト連邦の解体を宣言、独立国家共同体 (CIS) 創設に関する協定が締結された。9月15日には国名が白ロシアから正式にベラルーシ共和国となった。
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政治
  ベラルーシは三権分立共和制の国であるが、1996年ベラルーシ共和国憲法が改正され、行政の中心である大統領(任期5年)に非常に強い権限が与えられている。2004年に行われた国民投票により、憲法の大統領職の三選禁止規定が削除された。
  ベラルーシの議会二院制で、上院に相当する共和国院(定員64名)と、下院に相当する代表者院(定員110名)からなる。議員は、共和国院は国内の6つの州とミンスク市の議会から8名ずつ選出、残り8名を大統領が指名する。代表者院は小選挙区制により選出され、任期は4年である。
  1994年以降、ルカシェンコが大統領の座に就いており、ヨーロッパ最後の独裁国家との批判を欧米諸国から受けている。アメリカなどの自由主義諸国との関係は良好ではなく(アメリカがベラルーシに経済制裁を科したため、2008年5月に国交を事実上断絶した、ジョージ・W・ブッシュ米大統領が定義した「悪の枢軸」の中の一国である(当初はイラクイラン北朝鮮だったが、その後拡大している)。また、コンドリーザ・ライス国務長官が定義した「専制の前線基地」の中の一国でもある)。
  2012年9月には、代表者院選挙が行われたが野党ボイコット。全議席が親ルカシェンコ政党に配分され、自身の強固な独裁体制の維持に成功した。
  ベラルーシは現在、ヨーロッパで唯一死刑制度が存在する国家である。
人権
  非常に抑圧された国家の一つである。高齢者、未成年、障害者以外が職に就かず半年以上未納税の場合、平均月収程の罰金が課せられる、また失業者は社会奉仕が義務付けられている。公の場でのデモ、集会は厳しく規制されており、政治的な意見の表明や政権批判、大統領批判をすれば、逮捕・拘束される。
  厳しい規制を逃れるために、ただ拍手をするだけのデモ活動を「拍手によって政治的な意見を表明した」と弾圧し、片手の参加者も拍手をしたと逮捕された。過去には聾唖者が「政治スローガンを叫んだ」として逮捕される事態が起きている。この片手による拍手逮捕は、2013年にルカシェンコ大統領とベラルーシ警察に対し、イグノーベル賞平和賞を受賞する事になった。

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