トルコ共和国



2019.7.19-NEWSWEEK-https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/07/f35-2.php
ロシア製最先端兵器を買ったトルコから崩れはじめたNATOの結束
(翻訳:森美歩)

<アメリカがトルコへのF35売却を中止すると、すかさずロシアがSu35をトルコに売り込み、トルコと対立するギリシャは代わりにF35の購入を検討し始めるという入り組みよう>

ロシア製ミサイル防衛システムS400の搬入を開始したトルコに米政府が最新鋭ステルス戦闘機F35の売却中止を決めたことを受けて、ロシア政府がトルコに代わりの戦闘機の売却を持ちかけた。
国営ロシア通信の報道によれば、ロシアの国営防衛企業「ロステック」のセルゲイ・チェメゾフCEOは7月18日、「もしトルコに関心があるなら、ロシアは最新鋭戦闘機Su35を供給する用意がある」と語った。Su35はSu27戦闘機の発展型で、第4世代の戦闘機と、トルコが当初アメリカから買う予定だったF35のような第5世代戦闘機の間を埋める「過渡期の戦闘機」だ。
ドナルド・トランプ米大統領は、「トルコがロシアのミサイルを買ったからといって、アメリカが何十億ドルもの航空機を売れなくなるのは不公平だ」と、こぼす。それでも売却中止を決めたのは、S400とF35が一緒に運用されれば、F35の機密情報がロシアに漏れかねないという懸念があったからだ。

米への反発から急接近のロシアとトルコ

トルコ外務省は同日、トランプ自身の言葉を使って「不公平だ」と反発し、アメリカの主張には「根拠がなく」、北大西洋条約機構(NATO)加盟国としての両国の「同盟の精神」に反すると主張。「我々はアメリカに対し、両国の戦略的関係に取り返しのつかないダメージを与えかねないこの決定を撤回するよう求める」と述べた。
Su35の製造元のスホーイによれば、「Su35は多目的できわめて機動性が高い第4++世代戦闘機」であり、シリア内戦で「実戦の洗礼」を受けたと説明している。8年に及ぶシリア内戦で、ロシアはシリアのバシャル・アサド大統領側を支援し、トルコはアサド政権の転覆を狙う反体制派を支援してきたが、それでも両国は接近しつつある。
同時に、いずれの国もアメリカとはこれまで以上に距離を置いている。アメリカは当初、シリアの反体制派を支援していたが、その後は主にクルド人からなる民兵組織を支援。この中には、トルコがテロ組織と見なす分離独立派のクルド人民兵も含まれていた。またアサド政権に反対の立場のアメリカは、ロシアに経済制裁を科した。

対ロシア制裁でアメリカが標的にしたのが、ロシア国防省。その狙いはS400に関心がある諸外国をけん制すること。S400については既にベラルーシ、中国とインドが購入済みだ。イラク、カタール、サウジアラビアなども関心を示していたが、代わりに米国製のTHAAD(高高度防衛ミサイル)システムを購入することにしたようだ。S400はミサイルのみならず航空機の迎撃も可能だが、THAADはミサイルの迎撃のみに特化している。
アメリカは既に、S400とSu35の購入を理由に中国に対して制裁を科している(それでも中国政府は今後もS400とSu35を買い足す意向と報じられている)。同盟国のトルコにも制裁を科すのかどうか、注目だ。
アメリカのF35は、既にオーストラリア、カナダ、デンマーク、イスラエル、イタリア、日本、オランダ、ノルウェー、韓国やイギリスなど多くの国が購入を決定している。7月はじめまで米国防総省のF35プログラム事務局長を務めていた米海軍のマティアス・ウィンター中将は4月、米下院軍事委員会で、将来的には「シンガポールやギリシャ、ルーマニア、スペインやポーランドなどの国も」F35を導入する可能性があると証言した。

トルコと対立のギリシャはF35購入検討

ギリシャの日刊紙カティメリニは6月、情報筋の発言を引用し、ギリシャ政府がF35の購入を真剣に検討していると報じた。地中海東部の天然ガス田をめぐってトルコとの緊張が高まるなか、ギリシャ政府はアメリカと防衛関係を強化したい考えだ。
いずれもNATO加盟国であるギリシャとトルコは長年、対立関係にあるが、トルコ政府が北キプロス沖で石油・天然ガスの掘削を行うと決めたことから、再び対立が激化しつつある。キプロス島は1974年のクーデターによって南北に分断され、北キプロスはトルコが支配、南キプロスはギリシャと密接な関係にある。
EUは、キプロス沖でのガス採掘を理由にトルコに制裁を科しているが、トルコはこれを無視している。この問題は、訪米中のギリシャのニコス・デンディアス外相とマイク・ポンペオ米国務長官の会談でも話題にのぼった。デンディアスは、ポンペオと「キプロス共和国(南キプロス)の主権、およびエーゲ海と東地中海のギリシャの主権に対するトルコの侵略行為」についても話し合った、と語った。(翻訳:森美歩)


2019.7.18-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190718/wor1907180017-n1.html
トルコの露製S400導入 米への反発背景に
(カイロ 佐藤貴生)

トルコがロシア製防空システム「S400」の導入を決め、関連機器のトルコへの輸送が始まった。北大西洋条約機構(NATO)加盟国のトルコがロシアからの兵器購入を決めた経緯を、Q&Aで解説する。
 Q トルコはなぜ米国の兵器を導入しないのか
 A 米側の意向も影響している。2003年に首相に就任したエルドアン大統領はトルコが自前の防空システムを持っていないことを懸念し、米側に地対空ミサイル「パトリオット」の供与を求めた。しかし、オバマ前米政権はミサイル技術の移転に難色を示し、供与を拒んできたとされる。トランプ大統領は「公平でなかった」と前政権に批判的な半面、「非常に困難な状況」とも述べ、対応に苦慮してきた。

 Q トルコはどんな国と交渉してきたのか
 A 11年に隣国シリアで内戦が始まり、危機感を強めたトルコは防空システム導入を目指し、パトリオットを製造する米防衛大手レイセオンや欧州企業などと協議した。その結果、13年には価格面の優位性などから中国企業と交渉すると発表したが、NATO加盟諸国から批判を浴びるなどして交渉は15年に中断。中国側は技術移転に応じなかったともいわれる。

 Q ロシアからの導入にも批判が出ている
 A トルコは15年、ロシアの戦闘機が領空侵犯したとして撃墜し、関係は過去最低レベルに落ち込んだ。だが、16年のクーデター未遂事件で大量拘束に乗り出したエルドアン政権を欧米諸国は一斉に批判。トルコはロシア接近にかじを切り、両国は劇的に関係を修復した。トルコはシリア内戦でも独自に和平協議の場を設けて対露関係を強化する一方、米国とは内戦での少数民族クルド人の扱いをめぐり対立を深めた。同じNATO加盟国として、トルコの国益に関わる問題で要請に応じない米国への強い反発がS400導入の底流にある。


2019.7.18-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/world/news/190718/wor1907180007-n1.html
トルコへのF35供与「不可能」 米ホワイトハウスが声明

【ワシントン=住井亨介】米ホワイトハウスのグリシャム報道官は17日、トルコがロシア製防空システム「S400」の導入を開始したことにより、米国の最新鋭ステルス戦闘機F35の供与など国際共同開発プログラムへのトルコの関与は「不可能だ」とする声明を発表した。トルコは部品製造などで共同開発を担っている。
 ロイター通信によると、ロード国防次官は「米国とF35の共同開発国はトルコの計画への参加停止で一致しており、正式な排除手続きに入る」とした。
 声明は、トルコへの供与でF35の先進技術がロシア側に流出する可能性があることに懸念を示すとともに「S400の導入は、ロシア製の兵器を遠ざけてきた北大西洋条約機構(NATO)の同盟国の取り組みを損なうもので、トルコと(その他の)同盟国との相互運用性に悪影響を与える」と非難した。
 NATOに加盟する米国とトルコは導入問題で確執を深めていたが、声明は「米国は今でもトルコとの戦略的関係を重視している。NATO加盟国として両国の関係は重層的で、軍同士の関係は強固だ」とも強調した。
 トルコはF35を116機購入する予定で、トルコ人パイロットが米国で訓練を受けてきた。米国はトルコにS400の導入見合わせを求めてきた。今回の米国の判断に関し、トルコ外務省は声明で同国と米国の「戦略的関係を傷つける」と反発した。


トルコ共和国
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トルコ共和国、通称トルコは、西アジアアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパバルカン半島東端の東トラキア地方を領有する、アジアヨーロッパの2つの大州にまたがる共和国。首都はアナトリア中央部のアンカラ。北は黒海、南は地中海に面し、西でブルガリアギリシャと、東でジョージア(グルジア)、アルメニアアゼルバイジャンイランイラクシリアと接する。

歴史
アナトリアには旧石器時代(1万1000年から60万年前)からの遺跡が存在する。紀元前2000年末頃から鉄をつくる技術が中近東世界に広がった。この地域が鉄器時代に入ったと考えられる
トルコの国土の大半を占めるアジア側のアナトリア半島(小アジア)とトルコ最大の都市であるヨーロッパ側のイスタンブールは、古代からヒッタイトフリュギアリディア東ローマ帝国などさまざまな民族文明が栄えた地である。
  一方、北アジアではトルコ(テュルク)系民族として突厥552年にモンゴル系民族の支配から独立した。現在のトルコ共和国ではこれを以てトルコの最初の建国とみなしている。その後、東西に分裂し、中央アジアのアラル海東岸に割拠した西突厥の部族の一つから部族長トゥグリル・ベグが出て西進を始めボハラ地方を部族で占領しセルジューク朝を成立させた。さらに西進して1055年バクダッドに入城、アッバース朝のカリフよりスルタンに指名された。事実上アッバース朝に変わってセルジューク朝がメソポタミアの支配者となる。しかし東アジアで覇権争いに敗れた契丹系の西遼が中央アジアに移動し、父祖の土地を占領すると、これと争って大敗し急激に衰えた、後にフラグの侵攻を受けて滅亡する。また中央アジアのトルコ系部族集団は、更にウイグル系民族に圧迫されてイラン(ペルシャ)北部、カスピ海東岸の隅地に逃亡し歴史の記録から消える。
  11世紀に、トルコ系のイスラム王朝セルジューク朝の一派がアナトリアに立てたルーム・セルジューク朝の支配下で、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ人が流入するようになり、土着の諸民族と対立・混交しつつ次第に定着していった。これら群小トルコ系君侯国はチンギスハーンの孫フラグのバグダッド占領、イルハーン帝国成立後もアナトリア西端に割拠して生き残り、その一つから発展したオスマン朝は、15世紀にビザンツ帝国を滅ぼしてイスタンブールを都とし、東はアゼルバイジャンから西はモロッコまで、北はウクライナから南はイエメンまで支配する大帝国を打ち立てる。モンゴル系のティムールにアンゴラ(アンカラ)の戦いで敗れ一時滅亡するが、アナトリア南部の険に依って抵抗し命脈を保った一族が、ティムールの死後オスマン朝を復興した。
19世紀、衰退を示し始めたオスマン帝国の各地ではナショナリズムが勃興して諸民族が次々と独立した。帝国はオスマン債務管理局を通して列強に財政主権を握られ、第一次世界大戦で敗北した。こうしてオスマン帝国は英仏伊、ギリシャなどの占領下におかれ完全に解体された。中でもギリシャは、自国民居住地の併合を目指してアナトリア内陸部深くまで進攻した。また、東部では、アルメニア国家が建設されようとしていた。これらに対してトルコ人たち(旧帝国軍人や旧勢力、進歩派の人たち)は国土・国民の安全と独立を訴えて武装抵抗運動を起こした。この抵抗運動をトルコ独立戦争(1919年5月)という。1920年4月アンカラに抵抗政権を樹立したムスタファ・ケマル(アタテュルク)の下に結集して戦い、1922年9月、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取った。1923年、アンカラ政権はローザンヌ条約を締結して共和制を宣言した。翌1924年オスマン王家カリフをイスタンブールから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した。シャリーアは国法としての地位を喪失した。トルコは大陸法だけでなく、アメリカ合衆国などからの直接投資も受け入れることになった。
  第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは、反共の防波堤として西側世界に迎えられ、1952年NATOに、また1961年OECDに加盟した。NATOとOECD加盟の間は西陣営内で経済戦争が起こっていた(セカンダリー・バンキング)。1956年ごろ、トルコはユーロバンクの資金調達先となったので外貨準備を著しく減らした。これを輸出で補うため単位作付面積あたりの綿花収穫量を急速に伸ばしたが、ソ連がすでに1944年から輸出量を世界で最も急ピッチに増産していた。      1952年に暴落した価格で南米諸国とも競争するトルコは、機関化する1980年代まで外貨準備を十分に確保することができなかった。
国父アタテュルク以来、トルコはイスラムの復活を望む人々などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、西洋化に邁進してきた(ヨーロッパ評議会への加盟、死刑制度の廃止、経済市場の開放と機関化)。その最終目標であるEUへの加盟にはクルド問題キプロス問題、ヨーロッパ諸国の反トルコ・イスラム感情などが障害となっている。
  またキリスト教(正教会)を国教とするアルメニア共和国とも緊張した関係が続いている。アルメニアの民族派はトルコ東南部を西アルメニアだと主張して返還を求めている。ナブッコ・パイプラインの拡張にかかわる国際問題となっている

政治
1982年に定められた憲法では、世俗主義が標榜されている。三権はほとんど完全に分立しており、憲法の目的(世俗主義、他)を達成するためにそれぞれの役割を果たすことが期待されている。このことが、世俗派と宗教的保守派との対立を助長し、その対決が終息しない遠因ともなっている。立法府として一院制トルコ大国民議会Türkiye Büyük Millet Meclisi、定数550名、任期5年)がある。行政は議会によって選出される国家元首大統領(任期7年)が務めるが、首相の権限が強い議院内閣制に基づくものであった。司法府は、下級審である司法裁判所、刑事裁判所、および控訴審である高等控訴院、憲法裁判所で構成され、通常司法と軍事司法に分離されている。司法は政党の解党判断、党員の政治活動禁止と言った政治的な事項についても判断できる。
その後、2007年の憲法改正英語版により大統領は国民投票により選出されることとなり、また任期も7年から5年へと短縮された。2010年の憲法改正英語版を経たのち、2017年の憲法改正英語版では大統領権限が強化され、議院内閣制を廃止することが定められている。

  政治は多党制の政党政治を基本としているが、政党の離合集散が激しく、議会の選挙は小党乱立を防ぐため、10%以上の得票率を獲得できなかった政党には議席がまったく配分されない独特の方式を採っている。この制度のために、2002年の総選挙では、選挙前に中道右派・イスラム派が結集して結党された公正発展党 (AKP) と、野党で中道左派系・世俗主義派の共和人民党(CHP) の2党が地すべり的な勝利を収め、議席のほとんどを占めている。2007年7月22日に実施された総選挙では、公正発展党が前回を12ポイントを上回る総得票率 47 % を獲得して圧勝した。共和人民党が議席を減らし、112議席を獲得。極右の民族主義者行動党 (MHP) が得票率 14.3 % と最低得票率 10 % 以上の票を獲得し71議席を獲得、結果的に公正発展党は340議席となり、前回より12議席を減らすこととなった。独立候補は最低得票率の制限がなく、クルド系候補など27議席を獲得した。

  ムスタファ・ケマル・アタテュルク以来強行的に西欧化を押し進めてきたトルコでは、その歴史においてケマルをはじめ、政治家を数多く輩出したがしばしば政治における重要なファクターとなっており、政治や経済の混乱に対してしばしば圧力をかけている。1960年に軍は最初のクーデターを起こしたが、その後、参謀総長と陸海空の三軍および内務省ジャンダルマ(憲兵隊)の司令官をメンバーに含む国家安全保障会議 (Milli Güvenlik Kurulu) が設置され、国政上の問題に対して内閣に圧力をかける実質上の政府の上位機関と化しているが、このような軍部の政治介入は、国民の軍に対する高い信頼に支えられていると言われる。1980年二度目のクーデター以降、特にイスラム派政党の勢力伸張に対して、軍は「ケマリズム」あるいは「アタテュルク主義」と呼ばれるアタテュルクの敷いた西欧化路線の護持を望む世俗主義派の擁護者としての性格を前面に打ち出している。軍は1997年にイスラム派の福祉党主導の連立政権を崩壊に追い込み、2007年には公正発展党による同党副党首の大統領選擁立に対して懸念を表明したが、この政治介入により国際的な非難を浴びた。8月29日には、議会での3回の投票を経てアブドゥラー・ギュル外相が初のイスラム系大統領として選出された。この結果、軍が最早以前のように安易に政治に介入できる環境ではなくなり、世俗派と宗教的保守派の対立はもっと社会の内部にこもったものとなってきている(エルゲネコン捜査)。
  2009年3月29日、自治体の首長や議員を選ぶ選挙が行われた。イスラム系与党・公正発展党が世俗派野党・共和人民党などを押さえ勝利した。
  2010年9月12日には、与党・公正発展党 (AKP) が提起した憲法改定案の是非を問う国民投票が実施された。現憲法は1980年のクーデター後の1982年に制定されたもので、軍や司法当局に大幅な権限を与え、国民の民主的権利を制限するといわれてきた。この憲法改定案は民主主義を求める国民の声や欧州連合 (EU) 加盟の条件整備などを踏まえ、司法や軍の政治介入を押さえ、国会や大統領の権限を強めることなど26項目を提起している。国民投票の結果、憲法改正案は58%の支持で承認された。投票率は 73 % であった。エルドアン首相は民主主義の勝利だと宣言した(AFP電)。また、国民投票結果について「発達した民主主義と法治国家に向けトルコは歴史的な一線を乗り越えた」と評価した。欧米諸国はこの改憲国民投票結果を歓迎している。欧州連合 (EU) の執行機関欧州委員会は、トルコのEU加盟に向けての一歩だと讃えた
  2014年8月28日にエルドアン首相は大統領に就任し、アフメト・ダウトオール外相が首相となったが、2016年5月22日にはビナリ・ユルドゥルムが新たな首相に就任した。その後、2017年に大統領権限の強化と首相職の廃止を盛り込んだ憲法改正案が可決され、2018年7月9日に首相職は廃止された。

軍事
トルコには軍事組織として、陸軍・海軍・空軍で組織されるトルコ軍 (Türk Silahlı Kuvvetleri) と内務省に所属するジャンダルマ(憲兵隊、Jandarma)・沿岸警備隊 (Sahil Güvenlik) が置かれている。トルコ政府は2011年末までに金銭を納めることで兵役を免除可能とすることで事実上良心的兵役拒否を合法化した。兵員定数はないが、三軍併せておおむね65万人程度の兵員数である。また、ジャンダルマ・沿岸警備隊は戦時にはそれぞれ陸軍・海軍の指揮下にはいることとされている。ただし、ジャンダルマについては、平時から陸軍と共同で治安作戦などを行っている。

指揮権は平時には大統領に、戦時には参謀総長 (Genelkurmay Başkanı) に属すると憲法に明示されており、戦時においてはトルコには文民統制は存在しない。また、首相および国防大臣には軍に対する指揮権・監督権は存在しない。ただし、トルコ軍は歴史的にも、また現在においてもきわめて政治的な行動をとる軍隊であり、また、国防予算の 15 % 程度が議会のコントロール下にない軍基金・国防産業基金等からの歳入であるなど、平時においてもトルコ軍に対する文民統制には疑問も多い。この結果、軍はいわば第四権と言った性格を持ち、世俗主義や内政の安定を支える大きな政治的・社会的影響力を発揮してきた。
  1960年と1980年にはクーデター軍事政権を樹立したこともある。近年はエルドアン政権の権限強化とそれに対するクーデター失敗、経済発展に伴う社会の成熟・多様化により、軍部の影響力は以前より低下している。
  軍事同盟としては1952年以降NATOに加盟し、1992年以降はWEUに準加盟している。また、1979年それ自体が崩壊するまでCENTO加盟国でもあった。2国間同盟としては1996年イスラエルと軍事協力協定および軍事産業協力協定を締結しており、1998年には実際にアメリカ合衆国・イスラエル・トルコの3国で共同軍事演習が行われた。
  NATO加盟国としては唯一、中露が主導する非欧米国家グループである上海協力機構の対話パートナーにもなっており、2015年にはエルドアン大統領によって正規加盟が要請された。中国からJ-600Tユルドゥルム英語版のような弾道ミサイルを導入しており、NATOのミサイル防衛を揺るがすHQ-9S-400のような地対空ミサイルも中露から購入する動きも見せた。2010年にはアメリカやイスラエルと行ってきたアナトリアの鷲英語版を中国と実施して中国と初めて合同軍事演習を行ったNATO加盟国となった
  トルコ南東部においてはPKKとの戦闘状態が長年続いている。南隣にあるイラクシリアに対しても、国境をまたいで活動するPKKやイスラム国など反トルコ勢力への攻撃と、親トルコ派勢力の支援を目的に、派兵や越境空爆をしばしば行っている
  また2016年には、ペルシャ湾岸のカタールの基地を利用する協定を結んだ

貿易
トルコの貿易は慢性的に赤字が続いている。2003年時点では輸出466億ドルに対し、輸入656億ドルであった。ただし、サービス収支、例えば観光による収入(90億ドル、2002年)、所得収支、例えば海外の出稼ぎからの送金などが多額に上るため、経常収支はほぼバランスが取れている。
輸出・輸入とも過半数を工業製品が占める。世界第2位の生産量を占める毛織物のほか、毛糸、綿糸、綿織物、化学繊維などの生産量がいずれも世界の上位10位に含まれる、厚みのある繊維産業が輸出に貢献している。衣料品を輸出し、機械類を輸入するという構造である。
輸出品目では工業製品が 83.2%を占め、ついで食料品9.9%、原材料・燃料5.0%である。工業製品では衣類21.1%、繊維・織物 11.1%、自動車10.5%、電気機械8.6%が主力であり、鉄鋼も輸出している。輸出相手国はヨーロッパ圏が主力であり、ドイツ 15.8%、アメリカ合衆国7.9%、連合王国7.8%、イタリア6.8%、フランス6.0%の順である。日本に対する最大の輸出品目はマグロ (21.7%)、ついで衣料品である。
輸入品目でも工業製品が65.9%に達する。ついで原材料・燃料21.3%、食料品4.0%である。品目別では機械類13.4%、電気機械9.2%、自動車7.7%、原油6.9%、繊維・織物5.0%である。輸入相手国も欧州が中心で、ドイツ13.6%、イタリア7.9%、ロシア7.9%、フランス6.0%、連合王国5.0%の順である。日本からの最大の輸入品目は乗用車 (12.1%)、ついで自動車用部品である。

インタ-ネット
トルコでは政治的な理由でネット検閲が行われている。2014年には裁判所の命令がなくてもウェブサイトを遮断したり、インターネットを通じて個人の閲覧記録を収集することを首相に認める法律(インターネット法に関する5641改正法)が可決されている
そのため、YouTubeなどGoogle関連を含む約3700の外部サイトへのアクセスは政府によってブロックされており、反政府運動の抑え込みや言論統制を理由にFacebookTwitterなどソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)も度々ブロックされている 
2017年4月29日にはトルコ政府は国内からのウィキペディアへの通信を遮断したと発表。運輸海事通信省英語版はウィキペディアに政府がテロ組織と連携しているような記事が書かれていることを非難し、「トルコに対して中傷作戦を展開する情報源の一部になっている」と主張している。当局はウィキペディアに対して削除を要請したが、ウィキペディア側は拒否したという。ウィキペディア側が要請に応じた場合、遮断解除を行うとしている


トルコ人
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トルコ人は、アナトリア半島とバルカン半島アラブ諸国の一部に居住し、イスタンブール方言を公用語・共通語とするトルコ語を話すテュルク系の民族である。アゼルバイジャン人トルクメン人とは民族的に親近関係にある。

トルコ共和国の主要構成民族であり、そのほぼ全てがムスリム(イスラム教徒)である。人口は7,000万人以上で、トルコの他、ブルガリアギリシャ領のエーゲ海の島々など東ヨーロッパにも居住する。また、西ヨーロッパ諸国に、はじめは出稼ぎが目的だったが次第に移住した者もかなりの数にのぼり、ドイツを中心にオーストリアリヒテンシュタインスイスなどのドイツ語圏の諸国に数百万人が国籍を取得し帰化して定住している。
そのほとんどは、オスマン帝国の支配下にあってトルコ語を母語としていたムスリムの子孫である。もともとオスマン帝国の時代には「トルコ人」という民族意識は薄く、特にイスタンブールを中心とするエリート階層はトルコ語の一種であるオスマン語を共通語としていたものの、血統的な出自は必ずしもトルコ系とは限らず、自称は「オスマン人」であって「トルコ人」またはオスマン帝国以前にあったセルジューク朝を築いた「セルジューク人」は田舎に住み農業や牧畜に従事する人々を指す語であった。アナトリアのトルコ系の言葉を話すムスリムの人々をまとめて「トルコ人」(「セルジューク人」)と呼び、彼らの属すオスマン帝国を「トルコ帝国」と呼んだのは、むしろヨーロッパなどの帝国外部の人々である。

テュルクはもともと中央アジアカザフステップからアルタイ山脈西部に起源を持つ遊牧民族集団であり、外見上はモンゴロイドの特徴を強く持っていたが、長い時間をかけて西へと進んできた中で、アラブやアナトリアなどの住民との混血が進んでいった。さらに、オスマン帝国時代には、東ローマ帝国時代から小アジアバルカン半島に住んでいたギリシャ人アラブ人ロマンス人の一派(ルーマニア人など)、カフカス系諸民族、クルド人アルメニア人スラヴ諸族南スラヴ人)、おなじテュルク系のブルガール人(オグール)とクマン人などと混血が進み、コーカソイドの容貌の特徴が濃厚となった現在に至る「トルコ人」が形成されて、コーカソイドとして分類されている。ところが、19世紀から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパで生まれオスマン帝国に持ち込まれたナショナリズムの思想がキリスト教徒の諸民族の間に広まり、ギリシャを手始めにオスマン帝国からバルカン諸国が独立していき、一方でロシア帝国領のムスリムの間で生まれた汎トルコ主義(汎テュルク主義)がオスマン帝国に流れ込んで、エリート階層の間にも「トルコ人」意識が広まり始めた。
最終的には、第一次世界大戦によるオスマン帝国の最終的な解体と、続くトルコ革命により、アナトリアにトルコ共和国が樹立された結果、アナトリアに住みトルコ語を話すムスリムの間にトルコ人意識が定着する。しかし、元来トルコ語を母語としないクルド人をトルコ人に同化・統合しようとする動きは、トルコに複雑な民族問題を投げかける要因となっている。


トルコの歴史
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トルコの歴史を記述する。現在のトルコ共和国はイスラム圏に属するが、その領土となっている地域の悠久の歴史を見ると、古代オリエント文明、古代ギリシアローマ文明、ビザンティン文化、イスラム文化などが栄え、多様である。また、同国最大の都市イスタンブールはローマ帝国、東ローマ帝国、オスマン帝国と3つの世界帝国の首都となった稀有の都市である。さらに近代においてはイスラム圏では世俗主義の近代国家の建設をいち早く行ったことが注目される。


トルコの国際関係
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トルコはイスラム教国ではあるが、世俗主義を標榜し西側諸国の一員と自認しているため、基本的な外交政策は親アメリカであり、欧州連合 (EU) への加盟を大きな外交目標としている。またイスラム諸国では珍しく表面上は親イスラエルを維持していたが、ガザ紛争 (2008年-2009年)を機にトルコ政府はイスラエルの行動を激しく非難し、2009年以降イスラエルとの関係が諸問題で冷却化している。背景には国民の99パーセントがイスラム教徒であり、イスラエルに対する反感が非常に強いという問題がある。

第一次世界大戦後の共和国建国から、第二次世界大戦までは国際関係の中で中立を基本的な路線としていた。建国当初はソビエト政権と友好的でイギリスとは緊張関係にあったが、1930年代に入ると対外進出を図るイタリアとの関係が悪化したため、イギリス・フランスとの接近を図るようになった。また近隣諸国との関係を改善するべく、1934年バルカン協商(トルコ、ギリシャユーゴスラヴィアルーマニア)を、1937年サーダーバード条約(トルコ、イランイラクアフガニスタン)を結んだ。現在ではトルコ共和国の国の標語のように使われている建国の父ケマル・アタテュルクの言葉「内に平和、外に平和」は、第二次世界大戦直前頃のトルコの外交路線をあらわしたものといえる。

第二次世界大戦でも当初中立を宣言し、イギリスへの接近の一方でドイツと不可侵条約を結ぶなど中立の維持に努めたが、1945年初頭に連合国側の勝利が決定的となり、連合国側の圧力によって枢軸国側に宣戦を布告した。これによりトルコは戦勝国となり、国際連合の原加盟国となった。
第二次世界大戦後はマーシャル・プランを受け入れて親米に大きく舵を切り、北大西洋条約機構 (NATO) に加盟し、中央条約機構 (CENTO) を設立して、西側のソビエト連邦に対する最前線となった。ソ連崩壊後も基本的な路線は変わらず、近年はアフガニスタンにも駐留軍を出している。

アメリカとの関係
冷戦時代を通じて親米路線が採られてきたが国民の間では中東におけるアメリカの覇権に対する反感が高まりつつあり、2003年初頭のイラク戦争直前には野党共和人民党を中心とする大々的な反戦キャンペーンが起こった。これに対し、議会の単独過半数を占める与党公正発展党は、アブドゥッラー・ギュル首相のもと、アメリカ軍の領内通過を認める方針を打ち出していたが、憲法第92条の外国軍の領内通過は議会の承認を要するとの条項にもとづき、2003年3月1日にトルコ大国民議会で行われたアメリカ軍の領内通過をめぐる議決において与党が100名近い造反者を出し、賛成票が反対票を上回るものの、出席議員の過半数に4票不足し否決。一時的に対米関係が悪化した。しかしその後首相に就任したエルドアンは、この国会決議を事実上反古にする形で1980年防衛協定に基づくものとして、国内基地の使用を一部容認するなど、対米関係の修復をはかっている。
2017年、トルコはイスタンブールのアメリカ総領事館の職員を政府転覆を図った疑いでトルコ側が逮捕、訴追した。このことにより二国間関係が緊迫し、トルコ、アメリカ双方が同年末までビザの発給を停止した。ビザの発給停止は年末までに解消された。2018年8月1日、牧師アンドリュー・ブランソンの拘束に関与したとして、米財務省はトルコのギュル英語版法相とソイル英語版内相に制裁を科した

ロシアとの関係
ロシアとはオスマン帝国時代から対立しており、16世紀以降、露土戦争第一次世界大戦などの形で断続的に交戦してきた。第二次世界大戦後の東西冷戦期、トルコはNATOに加盟してソビエト連邦と対峙。モントルー条約を基に黒海から地中海にかけてソ連艦隊の通行に制限をかけることも行う一方、非軍事面ではソ連側から経済協力を引き出し工業化への足掛かりを作る立ち回りを行っている。ソ連崩壊後も経済関係は活発であり、ロシア連邦からはパイプライン輸送で多くの天然ガスを輸入するほか[3]、2012年時点で年間330万人のロシア人がビジネス、バカンスで訪れる関係ができてい
  2015年10月、シリア内戦に対してシリア政権軍側を支援して介入していたロシア軍の空軍機がトルコ上空を侵犯。トルコはロシアに対し強く抗議を行った[5]。しかしながらロシア軍機の接近は繰り返されたため、翌月にはトルコがロシア空軍機を撃墜する事件(ロシア軍爆撃機撃墜事件)が発生している。両国は批難の応酬を繰り返して二国間関係は緊迫したが、2016年、エルドアン大統領がプーチン大統領に対して謝罪する形で終息が図られた
  その後の両国関係は緊密で、シリア内戦への対応をイランを含めた3カ国で協議しているほか、ロシア製地対空ミサイルS-400の購入契約を結んだ。またロシア国営原子力企業ロスアトムが2018年4月3日、トルコ南岸のアックユ原子力発電所を起工した[7]。同年11月19日には、ロシアから黒海を横断する新たな天然ガス・パイプライン「トルコストリーム」海底部分の完成式典がイスタンブールで開かれ、プーチン大統領がエルドアン大統領とともに出席した

中国との関係
中華人民共和国とは、冷戦時代は朝鮮戦争国連軍に参加したトルコ軍中国人民志願軍と交戦したこともあって対立関係にあった。しかし、1971年の国際連合でのアルバニア決議に賛成してトルコと中国は国交を正常化した。
冷戦終結後、両国は軍事的に接近した。トルコは1997年に人権問題を理由にアメリカからMLRSの交渉交渉が失敗し、中国の多連装ロケットシステムT-300カシルガ英語版の購入契約を結んだ。さらに弾道ミサイルB-611英語版も導入し、J-600Tユルドゥルム英語版を開発して2007年8月30日にトルコの首都アンカラで開催された軍事パレードで公開した。2009年までアメリカやイスラエルと行ってきた合同軍事演習アナトリアの鷲英語版を2010年に中国と実施しコンヤ空軍基地にはパキスタンとイランで給油した中国空軍Su-27が飛来した。2011年にはトルコ初の軍事衛星ギョクテュルク-2を中国から打ち上げてエルドアン首相はイスラエルの懸念を一蹴した。2012年にはトルコは中国の主導する上海協力機構の対話パートナーとなり、エルドアン大首相は正規加盟も示唆した。2013年には中国製地対空ミサイルであるHQ-9の購入を決定して波紋を呼ぶも2015年に契約が撤回された。トルコ政府の対中関係の強化には元毛沢東主義者でユーラシア主義者のドーウ・ペリンチェク英語版エルゲネコン事件に関係した政治家や軍人が関わってるともされる。
両国には東トルキスタン独立運動の問題があったが、1999年にトルコ軍の高官が訪中した際に中国政府から協力を要請され、2000年に安全保障の協定を結んで両国の情報機関はこの運動の活動家の情報収集や監視などで協力するようになった2009年ウイグル騒乱をめぐって一時中国と緊張関係になるも、後にトルコ政府は国内の反中的な勢力とメディア報道の排除も表明した2019年2月にトルコは国際連合人権理事会新疆ウイグル自治区の人権状況に懸念を示した唯一のイスラム教国だったが、同年7月に訪中したエルドアンは「新疆の人々は中国で幸福に暮らしている」としてトルコは反中的な勢力に対する安全保障協力を強化すると述べた世界ウイグル会議ラビア・カーディルはウイグル問題に消極的な理由についてトルコ国内のクルド人問題への中国の介入をトルコ政府は恐れてる可能性を挙げている


日本とトルコの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エルトゥールル号遭難事件
1887年、小松宮彰仁親王がヨーロッパ訪問の途中でイスタンブールに立ち寄った。それに応える形で1890年オスマン帝国スルタンであったアブデュル・ハミト2世の使節としてフリゲート艦「エルトゥールル」が日本へ派遣された。使節は明治天皇へ親書などを手渡し帰国の途についたが、和歌山県沖で台風に巻き込まれ座礁沈没、特使オスマン・パシャを含め500名以上の乗組員が死亡した。しかし紀伊大島の住民が救援に駆けつけ69名が救出、報せを聞いた明治天皇は直ちに医師と看護婦を派遣、救援に全力をあげた。さらに生存者には日本全国から多くの義捐金・弔慰金が寄せられ、1891年、生存者は日本海軍装甲コルベット金剛」、「比叡」の2艦によりオスマン帝国に丁重に送還された。1892年には日本各地で講演を行い義捐金を集めた山田宗有がトルコに渡り、アブデュル・ハミト2世に謁見している。この事件はトルコ国内で大きく報道され、日本人に対する友好的感情もこの時より醸成された。

第一次世界大戦
ロシアとの歴史的な対立関係、戦艦の購入を巡り英国と急速に関係が悪化したこと、ドイツの強い働きかけと陰謀(黒海襲撃英語版)などにより、オスマン帝国は、第一次世界大戦では同盟国側として参戦、連合国側として参戦した日本とは交戦国同士となる。敗れたオスマン帝国は1920年セーヴル条約によって広範な領土を失った。

戦間期
第一次世界大戦で敗戦国となったトルコは、さらなる列強による国土分割・植民地化の危機にあった(希土戦争チャナック危機)。しかし1922年からケマル・アタテュルクらの主導で祖国解放戦争が開始されトルコ共和国が成立(トルコ革命)、1923年ローザンヌ条約(日本を含む8か国が参加)で現在の国境が確定した。
1924年には日土の国交が樹立され、1926年には日土協会が発足。トルコでは近代化政策が進められたが、民族資本の育成や国立銀行の設立、法制面の整備などの諸改革は、日本の明治維新を手本にしたものであった。1930年、日土通商航海条約が結ばれ両国の関係はより強固になった。

第二次世界大戦
日本とトルコの関係は良好であったが、第二次世界大戦でトルコが枢軸国側に参加することは無かった。開戦当初からトルコは中立を宣言し、中立を長らく維持していたが、イギリスをはじめとした連合国の圧力により、1945年日本に宣戦布告した。しかし国内世論は宣戦布告に反対であり、日本に対しての軍事行動は一切行わなかった。

戦後戦中に破棄された両国の国交はサンフランシスコ平和条約によって回復した。この際トルコは日本に対して賠償金その他の請求を一切行わなかった。戦後は経済大国へと発展した日本によるトルコへの政府開発援助での支援が積極的に行われており、特にイスタンブール市内のインフラの整備などに日本の多額の資金と技術が投入されている。1985年イラン・イラク戦争では、イラン在留邦人の救出にトルコ航空機が出動、200名以上が救出されたほか、1999年のトルコ大地震の際には日本からトルコへ捜索隊・救助隊の派遣、緊急円借款供与、緊急物資・無償援助、仮設住宅供与などが行われた。ボスポラス海峡海底地下鉄のトンネルは日本の支援で行われた。地下鉄の車両は韓国に発注され、アンカラの地下鉄は中国の支援に負っている。






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