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創価学会
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  創価学会は、日本宗教法人である。法華経系の在家仏教の団体 で、国内に公称827万世帯を擁する。1930年(昭和5年)11月18日創立。
「創価」とは「価値創造」の意味。創価学会は価値の中心に「生命の尊厳」の確立を置き、それに基づいた「万人の幸福」と「世界の平和」の実現を目標としている。
  『聖教新聞』(日刊)、『創価新報』(月2回)、『大白蓮華』(月刊)などの機関紙誌を発行。1964年(昭和39年)に結党された日本初の宗教政党公明党の支持団体である

  1930年(昭和5年)11月18日に、『創価教育学体系』が発刊され、尋常小学校校長であった牧口常三郎と、戸田城聖ら当時の教育者などが集い、日蓮仏法精神に基づく教育者の育成と雑誌の発行を目的とする創価教育学会」(初代会長:牧口常三郎、理事長:戸田城聖)を創立した。1937年(昭和12年)に、創価教育学会は日蓮正宗の1つとして位置付けられた。この組織が創価学会の前身となる。

  しかし、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)6月に牧口、戸田を含む幹部が治安維持法並びに伊勢神宮に対する不敬罪逮捕され、牧口は1944年(昭和19年)11月18日に獄死。1945年(昭和20年)7月3日、出獄した戸田は、組織名を「創価学会」に改称し組織を再建、1952年(昭和27年)、宗教法人の認証を得る。
  1951年(昭和26年)5月3日に第2代会長に就任した戸田城聖の下で、75万世帯を目標にした「折伏大行進」という名の大規模な布教活動が行われ、日本国内での創価学会の勢力は急拡大したが、強引な勧誘の手法は批判を呼び、社会問題化した。1958年(昭和33年)4月2日に戸田第2代会長が死去した後、1960年(昭和35年)5月3日に池田大作が第3代会長に就任した(現・名誉会長)。1991年(平成3年)11月に日蓮正宗宗門から破門される。

  教義的には日蓮末法時代の本仏と定め、法華経の肝心・南無妙法蓮華経の御本尊を認定して掲げ、「南無妙法蓮華経」の唱題を実践し、「法華経」思想の布教を宣言(広宣流布)し、平和世界の実現を目標とするとしている。
  1964年(昭和39年)には、「公明政治連盟」を創設し、日本の政党の要件を満たしている唯一の宗教政党として「公明党」を結成し、日本政治にも関わっている。政治学者の中北浩爾は、「公明党は、宗教団体の創価学会を支持母体として、一九六四年に結成された。自民党が財界をスポンサーとしつつ農村部に主な支持基盤を築いたのに対し、公明党は高度経済成長に伴って都市部に流入した比較的貧しい人々を組織化した。日本政治の中枢に位置した自民党とは違い、公明党は周辺から生まれ、成長していったのである。」とした。
教勢
  日本における創価学会公称の会員世帯数は約827万世帯。ただし、ここでいう世帯数とはこれまでに下付された本尊の総数であることから、当然に信仰を脱退した世帯や信仰心を失った世帯もあることに留意が必要である。

  宗教学者の島田裕巳は、創価学会がこのような大勢力となった要因について、2つの点を指摘している。
  ・1つ目は、「に対する信仰の有無」である。創価学会以外の新宗教は「不幸の原因は十分に供養されていない先祖の霊である」とする所が多いが、創価学会は「霊魂は存在しない」と断言している。戦後、新宗教に入信した人々は農村部から都市部に働きに出てきた農家の次男、三男などが多かったが、彼らは都市部に就職・移住していく時に仏壇を持参することもなく、先祖の供養に対する意識が希薄であったため、先祖供養信仰の新宗教に関心が無かったとしている。
  ・2つ目は、「葬儀」である。「創価学会は教勢を伸ばしていた頃は出家した僧侶集団である日蓮正宗と密接な関係を持っており、創価学会の会員になることは同時に日蓮正宗の信徒にもなったため、葬儀も日蓮正宗の形式で行われていた。しかし、他の新宗教は会員やその家族が死去した場合の葬儀という儀式がある所はほとんど無く、実家の仏教宗派の形式で葬儀が行われた為、その際、入会した新宗教の信仰を脱退して実家で信仰していた既成の宗教に逆戻りするきっかけとなっていた」と指摘している。
日本国外への進出、海外展開
  世界においては創価学会インタナショナル(SGI)として、日本を含む世界192カ国・地域に広がり、日本国外全体で約220万人のメンバーを擁している
教義関連
教義・理念
 ・法華経を広め、仏法が説く生命尊厳の思想を根本に、人類の幸福と社会の繁栄、世界平和の実現を目指す「広宣流布」という運動を実践する。(詳細は「広宣流布#解釈」を参照)
 ・万人の生命に等しく内在する、智慧と慈悲と勇気に満ちた仏の生命を最大に発揮する「人間革命」を信仰の指標とする。
 ・島田裕巳によれば、「かつては他の宗教や宗派を一切認めない姿勢を持っていた。また、創価学会員の子弟は、修学旅行などで神社仏閣を訪れた場合には、神社鳥居寺院の山門はくぐろうとしない」という。
経典・『法華経』・『新編日蓮大聖人御書全集』(創価学会版)
法華経を最高の経典とした天台智顗五時八教説と、それを受け継いだ日蓮の思想を基礎としている。
勤行 - 仏壇の前で経典を読誦する。創価学会勤行要典にもとづき、法華経の「方便品第二」と「如来寿量品第十六」を読誦する。朝と夕、一日に二回「勤行」を行う。
唱題-「南無妙法蓮華経(なん)」(「なむ」ではない)という題目を唱える行為。「勤行」のあと、随時「題目」を唱える。
  時間が取れない場合など「勤行」を行わずに、「題目」を唱えてもよいとされる。「南無妙法蓮華経」とは「法華経に帰依する」の意であり、「題目」は経典の表題を唱えることに由来する。
本尊・本仏(「法華曼荼羅#日蓮宗の「大曼荼羅」」も参照)
 ・本尊に関する事項は、会長が司る(創価学会会憲第9条第4項 及び 創価学会会則第12条第1項)。
 ・破門に伴って下付停止となったため、1993年(平成5年)10月からは日寛上人書写の本尊の複写を御形木御本尊として授与している。入会の条件が整った場合に日寛上人書写の本尊が会員に授与される。
 ・諸事情で自宅に仏壇を安置できない場合は、「お守り御本尊」と呼ばれる小型の御本尊を授与する。この本尊も日寛上人書写の複写である。
 ・「本門戒壇の大御本尊」については2002年(平成14年)の会則変更により表記が変更された。さらに2014年(平成26年)の会則改正により、「弘安2年(1279年)の本門戒壇の大御本尊は受持の対象とはしない」と聖教新聞上で公式発表された。
 ・「謗法払い」については、創価学会は新入会希望者に対して、
  1入会希望者自身が、かつての信仰対象の処分・返却を行うこと
  2本人が承諾しても他人が手伝ったり預かって持ち帰ったりしないこと。
  3謗法払いは入会する会員自身が自から自分自身で行う。
  4同居家族や所有関係者の事前了解を得ること。・・・を指導として徹底している。(詳細は「信者#創価学会」を参照「折伏大行進#歴史」も参照
本仏・・・日蓮末法本仏と仰ぐ。これは日蓮正宗系の教義であり、釈迦本仏論を採用する日蓮宗系と異なる点である。(詳細は「本仏#日蓮本仏論」を参照)
勤行
  創価学会勤行要典(2015年制定)に基づき、仏壇に御安置してある御本尊に向かい『法華経ニ十八品』のうち、「法華経方便品第二」の冒頭から十如是まで(十如是は三回唱える)、続いて「法華経如来寿量品第十六」の自我偈を読誦ののち、各御記念文を御祈念し、「南無妙法蓮華経」と題目を三回唱えた後、勤行を終える。日々、朝と夕(夜)の2回行う。(詳細は「勤行 (日蓮正宗)#創価学会の勤行」を参照)
組織活動
  央忠邦の1968年(昭和43年)の著書によれば、創価学会の会合には、本部総会(5月)、男子部総会(11月)、女子部総会(11月)、学生部総会(7月)、夏期講習会(8月)などがある。央氏によれば、創価教育学会時代(牧口の時代)から、会員同志が「それぞれの悩みや克服した信仰体験などを話り合い、信仰の結びつきを確認し合った」(央忠邦の1968年の著書より引用)場である座談会が伝統となっていた。座談会は班や地区の単位で行われ、央忠邦の1968年の著書によれば座談会の拠点は日本に二十万か所以上あった。
『聖教新聞』の購読者の開拓(詳細は「聖教新聞#購読について」を参照)
財務
  創価学会では年1回、広布部員を希望した会員にのみ、申込み用紙が会員宅に届けられる。1970年代中頃以前は財務部員と呼ばれ、現在は広布部員。以前は年間3000円程度であったが、現在は1口1万円からとなっている。生活保護者など一部を除き財務の対象者となっている。

  島田裕巳によると財務の一か月程前には決起大会が開かれ、「100万円出したら息子がいい企業に就職できた。」「保険を解約して学会のために捧げたら幸せになりました。」などの発言が相次ぎ、他の会員にプレッシャーをかけるという
教学の研鑽
  創価学会が編さんし出版している『日蓮大聖人御書全集』を基に行われる。その資料として月刊機関誌『大白蓮華』が用いられ、会員には「教学試験」の受験が奨励されている。(詳細は「大白蓮華#教学試験」および「御書 (日蓮)」を参照)
葬儀
  地域の儀典長を中心に読経の中心者とする友人葬の形式で執り行われている。原則として友人葬への参列では香典は必要ないとされているが、参列者が香典を持参する事、遺族が参列者が持参した香典を受け取る事は各位の自由である。また「読経料」「戒名料」などが必要な他宗派と違い、友人葬の中心者の儀典長は、謝礼を一切受け取らないものと定められている。
友人葬の料金
  友人葬を取り扱っている葬儀社や在住している地域によって若干の差は存在するが、東京の場合では友人葬の基本料金は概ね35万円位から50万円位である。 友人葬を取り扱う葬儀社によっては、一式で基本料金に含まれているケースとオプション料金として別料金になる場合がある。
  詳細は葬儀社への確認が必要である。
  ・納骨は、地区部長を通じて申し込むと、全国にある創価学会墓地公園が利用出来る。
  ・儀典長を中心に、生前の名前で葬儀を行うため、戒名料・読経料はかからない。
布教活動
  無宗教あるいは他の宗教を信仰する者を改宗させる事を「折伏という。
  1951年(昭和26年)に戸田が「青年訓」を発表し、青年部を中心に折伏大行進と呼ばれる大々的な布教が行われた。布教活動は多くの会員を増やすことになった反面、その強引な手法から社会問題になった。(詳細は「折伏大行進#歴史」を参照)
入会・退会の手続き(詳細は「信者#創価学会」を参照)
社会貢献活動
地域貢献活動
  創価学会では、個々の会員および団体レベルの双方で、近隣友好や地域貢献を推奨している。具体的には、祭りなどの行事への協力がある。創価学会本部および聖教新聞社本社がある新宿区信濃町では、町内会の盆踊り大会や防災イベントに会場を提供するなどしている。
  また、音楽隊が地域行事に際し演奏を行うケースもある。地域貢献の体験談集が過去に発刊されている
  宗教学者の島田裕巳は、「創価学会員が『広布即地域貢献』として団地自治会長や学校PTA、商店街役員などに積極的に就任し、それらの組織を『折伏の足場』にしようとしていると述べている。一般の人は仕事などに追われてそれらの役員には就きたがらないが、創価学会はそうした状況を利用して地域で主導権を握ろうとしている」と、分析している。島田によれば、昭和30年代から40年代の高度経済成長期には、仕事を求めて故郷を離れて都会を目指し多数の青年たちが、大企業中心の総評などにすいあげられることもなく、未組織労働者・中小零細業者として孤立無援の生活を送らざるを得なかった人たちが、組織化されて、「民族」とも形容できる濃い人間関係ができあがっていった。この組織化が画期的であり、そこに創価学会の社会的な意義があったと主張する
災害時の救援・復興活動
  大規模災害の発生時には、地域の会館で被災者を受け入れ、救援活動にあたっている。宗教専門紙の中外日報は、「阪神・淡路大震災では、創価学会の迅速な救援活動に対し兵庫県などから感謝状が贈られ、フランスオーストラリア香港シンガポールなど海外の新聞でも活動が報じられた」ことを報道した
  日本大震災に際しては、42の会館で約5千人を一時避難所として受け入れたほか、義捐金を拠出した。避難所はおおむね、地元会員組織の責任者と、他地域から派遣された専従職員を中心に運営され、医師看護師が健康相談を実施した。発災翌日には山形県新潟県などから支援物資が到着している。一部の会館は行政の指定避難所となっている。
  また、創価学会による東北被災地への救援活動は、アメリカのCNNのブログにも取り上げられたそして、東日本大震災からの復興にあたっては、「心の福光(復興)プロジェクト」を展開。その中で音楽隊(創価グロリア吹奏楽団、しなの合唱団、創価ルネサンスバンガード等)は「希望の絆」コンサートを開催し、仮設住宅の集会場などで合唱吹奏楽マーチングなどの演奏会を開催している
  なお、のちに「希望の絆」コンサートは、熊本地震 西日本豪雨などの被災地でも開催されるようになった。 2015年(平成27年)3月に宮城県仙台市で開幕された国連防災世界会議と、2016年(平成28年)5月にトルコイスタンブールで開催された世界人道サミット(en)では、一連の復興支援活動を報告している。

   宗教学者の寺田喜朗は、東日本大震災における、福島県浜通りの創価学会がどのようなサポートを提供してきたのかを検証した。「創価学会の支援活動のもっとも大きな特質は経済的・物質的な支援以上に、被災者へ積極的に生きる意味を提供し続けている点にあると考えている。」とした。
  また、「不条理な現実を受け止め、苦難・困難を試練と捉え返し、「人生に勝利する」ことを鼓舞するコミュニティとして創価学会は機能している。」とした
難民支援活動
  大規模災害や紛争の発生時に、各国大使館国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)への寄付を行い、難民支援にも関与している。
国際連合NGO(非政府組織)としての活動
  創価学会は国連広報局登録NGO(非政府組織である。SGI(創価学会インタナショナル)は1983年(昭和58年)に、国連経済社会理事会との諮問資格を持つNGOとして登録された。SGIニューヨーク国連連絡所は、2009年(平成21年)に、国連の「軍縮平和安全保障NGO委員会」において議長を務めた。SGIジュネーブ国連連絡所は、特に人権教育のテーマで活動を展開。2005年(平成17年)からスタートした国連の「人権教育のための世界プログラム」は、コスタリカ政府とSGIが中核となって実現している
図書贈呈運動
  創価学会の図書贈呈運動は、へき地や離島をはじめ教育環境に恵まれていない地域や、震災台風などの被害を受けた地域の子どもたちに書籍を贈呈するものである。1974年(昭和49年)にスタートした。2011年(平成23年)発生の東日本大震災以降は特に、被災地の学校への寄贈が重点的に行われている。
法華経の原典資料保全・研究活動
  法華経の原典研究に寄与する「法華経写本シリーズ」の出版活動を、公益財団法人・東洋哲学研究所と協力して推進している。各国に保存されてきた貴重な法華経写本を鮮明なカラー写真で撮影した「写真版」と、写本の“読み”をローマ字化した「ローマ字版」を公刊し、世界の研究者に広く提供して『法華経』を中心とした初期大乗仏教の研究に貢献するためのもの。2016年(平成28年)頭時点で16点が刊行され、「インド国立公文書館所蔵ギルギット法華経写本:写真版」「ロシア科学アカデミー東洋古文書研究所所蔵梵文法華経写本:写真版」などが含まれる
名誉会長と歴代会長
  歴代会長の中でも、初代・牧口常三郎、第2代・戸田城聖、第3代・池田大作のいわゆる「三代会長」は、「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」と2002年(平成14年)の会則変更(同年4月6日、文部科学大臣が認証)の際に定められた。ただし、三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。

  1960年代から1970年代にかけて、「池田を現人神とみなす狂信的な会員」が現れたため、池田自身が聖教新聞紙上で「私などを絶対視してはいけない」と明言したことがある。
  また、会長の任期は当初終身制だったが、池田の会長辞任に合わせて制定された創価学会会則で「1期5年で再任を妨げない」と改正された。「会長が任期途中で辞任、または死亡によって欠けた場合、後任者は前任者の残存任期を引き継がない」とされる。なお、会長任期は2015年(平成27年)の会則改正で「1期4年」に変更された。  歴代会長の中で名誉会長となっているのは池田のみであり、任期は定められていない。
池田の後継者に関する憶測
  2010年に第一線を退いた池田の後継者候補として、長男で創価学会副会長・副理事長を務めていた池田博正(現・主任副会長)の名前が浮上している。池田は当初、「学会は永久に世襲制はとりません。これは初代、二代、そして三代の私を含めた不文律のようなものになっている。」 と述べていた。
  一方で、関西創価学会のドンとして知られ、与野党問わず政界とのつながりが深い元総関西長の西口良三が2015年に死去したことを受け、池田から長男・博正への世襲が近くなったと予測する学会関係者もいる
日蓮系教団との関係
日蓮正宗との関係
日蓮正宗傘下の時代
  かつて創価学会は日蓮正宗の在家の信徒団体であったが、戸田が布教の利便と宗門である日蓮正宗を外護するため、宗門に宗教法人格の取得の許可を願い出た。そこで日蓮正宗は「新規に入会した会員は信徒として末寺に所属させること」、「(日蓮正宗の)教義を守ること」、「仏・法・僧の三宝を守ること」を条件に承諾した。
昭和52年路線
  1977年(昭和52年)1月の第9回教学部大会において、池田は創価学会を在家・出家の両方に通じる存在として位置付け、「創価学会の会館や研修所こそが近代における寺院」(島田裕巳(2004年)による引用)であり、『人間革命』は日蓮の遺文に匹敵する御書であるとした。これに対し、宗門である日蓮正宗側は池田の主張は教義からの逸脱であると批判し、批判を受けて創価学会は謝罪した。山崎正友が独自に宗門若手僧侶を扇動し、批判活動を行わせた。 (「日達#日達と創価学会の軋轢」も参照 )
  学会幹部が日蓮正宗総本山大石寺に登山を行う事で一応は収まったものの、その後も日蓮正宗(宗門)僧侶や檀徒による批判は続いた。

  1979年(昭和54年)7月22日に管長細井日達が遷化(死去)。日達は生前、後継者を指名していなかった。67世法主として阿部日顕が登座すると学会を含めた日蓮正宗内は混乱に陥る。学会に批判的な僧侶が「正信会」を結成、山崎も学会を退会して正信会に参加した。これに対し日顕は学会に友好的に接し、学会も日達から日顕に血脈相承が行われたと指導、池田も宗門を擁護する立場を取った。その結果、宗務院は正信会僧侶の大量処分に踏み切り、ついには批判派僧侶のほとんどが日蓮正宗から追放された。後に池田や学会は日顕が受けたのはあくまでも内証(内定)であって、正式な儀式は行われておらず、後継指名は成り立たないと解釈を変更している。(詳細は「正信会#結成とその後」および「日顕 (日蓮正宗)#正信会破門」を参照 )(「血脈相承_(日蓮正宗)#位置付け」も参照 )
日蓮正宗との対立・決別
  1990年平成2年)7月17日、日蓮正宗との連絡会議の席上、学会側が宗門や法主を批判して席を立つ。同年11月16日、第35回本部幹部会における池田のスピーチに対し、日蓮正宗側は法主や僧を軽視するものだとして学会に説明を求める「第三五回本部幹部会における池田名誉会長のスピーチについてのお尋ね」文書を送る。「お尋ね」文章の内容は、池田が僧を批判した、四箇格言を否定親鸞を好意的に評価した、外道(仏教以外)の歌である『歓喜の歌』を評価した、などとして批判する内容で、これに対し、学会側は「お尋ね」文書に対する「お伺い」文書を送付し、日蓮正宗側が自分たちを誹謗・中傷していると回答を拒否
  これを受け、日蓮正宗は規約を改正し、1984年1月に再任されていた池田の法華講総講頭の役職を解くことにした。1991年、創価学会は『聖教新聞』紙上等において日蓮正宗へ反論を行う。同年11月、日蓮正宗は、「創価学会」と「創価学会インタナショナル」(SGI)を破門した。
シアトル事件
  1992年(平成4年)6月、『創価新報』・『聖教新聞』に「日顕が1963年(昭和38年)に法務で米国ワシントン州シアトルに出張した際に、現地の売春婦と料金トラブルを起こして警察に通報され、身柄を拘束された」、「現地在住の学会員、ヒロエ・クロウが保釈手続きを行った」として、日顕を痛烈に批判する記事が掲載された。日蓮正宗側はそのような事実はまったく存在しないと否定し、日米両国で訴訟が行われた。また、この報道は創価学会や日顕と敵対する正信会・顕正会の機関紙でも報じられた。(「日顕 (日蓮正宗)#シアトル事件・クロウ事件」も参照 )
偽造写真事件
  破門後1992年(平成4年)11月、学会は機関紙『創価新報』に、芸者と戯れる日顕の宴席写真を掲載。日蓮正宗との訴訟に発展。地裁の判決では、学会側の写真修正を認定し、賠償請求を命じた。しかし、学会側が控訴した高裁において、日顕が芸者と戯れた宴席の事実を認定。よって、原告が求めた損害賠償は認められなかった。日蓮正宗側は上告するも、最高裁で棄却された。 (詳細は「偽造写真事件#訴訟へ」および「日顕 (日蓮正宗)#芸者写真問題」を参照 )
コーヒーカップ裁判
  1992年(平成4年)、神奈川県川崎市中原区にある日蓮正宗持経寺に息子の遺骨を預けていた創価学会員夫婦が、同伴した数人の学会幹部とともに息子の遺骨を受け取りに訪れた際、本堂で夫が遺骨を受け取り退出。しかし、5分後に再び本堂を訪れ遺骨骨壷ではなくコーヒーカップに入っていたと主張した。その後の裁判では、数々の証言から創価学会員は敗訴し主張は退けられた。(詳細は「コーヒーカップ裁判」を参照 )
日蓮正宗住職交通事故死
  1994年(平成6年)7月、北海道内で日蓮正宗住職の運転する自動車と学会員の運転する自動車が正面衝突する交通事故が起き、住職が死亡、学会員が重傷を負った。現場検証で住職の全面過失と認定されたが、週刊新潮など一部週刊誌が交通事故は創価学会によって仕組まれたものとする内容を掲載。後に事故の当事者である学会員が週刊新潮を提訴、最高裁は週刊新潮の敗訴を言い渡した。 (詳細は「日蓮正宗住職交通事故死事件」を参照 )
池田大作に対する狂言訴訟
  1996年(平成8年)、自らの金銭借款が原因で北海道創価学会の幹部を解任された女性が池田大作にレイプされたとの告発手記を『週刊新潮』に掲載。女性とその夫が池田を相手取り損害賠償請求の訴えを起こした。判決は「訴権の濫用による却下」として訴えそのものが退けられた。『週刊新潮』誌上においても、山田直樹は「およそ5年に及んだ裁判は、なんと実質審理に入らないまま終結」と訴訟を振り返り、「裁判を傍聴し続けた」という乙骨正生も「女性の訴えは時効であるとし、女性の夫の損害部分についても実質的な事実審理に入ることなく訴えを退けた」と記述している。(詳細は「池田大作に対する訴権の濫用」を参照 )
池田大作本仏論論争
  歴代会長の中でも、初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田の「三代会長」は、「広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である」と2002年(平成14年)の会則変更の際に定められた。さらに、2016年(平成28年)11月7日に施行された改正会則の第1章第3条2項として、「『三代会長』の敬称は、『先生』とする。」と加筆明記された。ただし、三代の会長個人を本仏である日蓮と同等またはそれ以上に崇め奉ることは認められていない。池田は過去に聖教新聞紙上で「私などを絶対視してはいけない。」と明言している。一方、日蓮正宗側は「池田本仏論」として批判している。 (詳細は「池田大作本仏論」を参照 )
冨士大石寺顕正会との関係
  創価学会と、顕正会の前身である妙信講は共に日蓮正宗内の一法華講という立場であったが、1970年代に学会が主導した大石寺正本堂の建立をめぐり、正本堂が日蓮の遺言(御遺命)にある「本門の戒壇」にあたるか否かの解釈で対立したのを皮切りに関係が悪化した。
  妙信講は「非国立」の戒壇を認めない、と言うよりは「国家権力立」ないし「皇室立」でなければならないとする解釈を顕正会に改名した現在も崩していないのに対し、学会と当時の宗門管長細井日達は「戦後民主主義体制の根幹たる主権在民の下では日蓮の指す国の概念は権力ではなく民衆である」という解釈のもと、正本堂落慶をもって御遺命は達成されたと宣言する。 (詳細は「国立戒壇#創価学会」および「冨士大石寺顕正会#国立戒壇と本門戒壇」を参照 )
  その後日達の仲介で両団体が協議し「正本堂は御遺命の戒壇にはあたらない」とする学会理事長・和泉覚(当時)の談話を聖教新聞に掲載することで一応和解。この談話は落慶法要直前の1972年(昭和47年)10月3日付紙面に掲載され、法要には妙信講関係者も出席した。しかし、和解した後も妙信講は国家権力ないし皇室による「狭義の」国立戒壇建立という思想を放棄せず、学会中央本部に対するデモなどの実力行使に踏み切る。これを受け日達は1974年(昭和49年)8月12日付で妙信講を講中解散処分に付した。 (詳細は「日達#妙信講破門」および「除名#日蓮正宗宗門の除名」を参照 )
日蓮宗との関係
  創価学会を含む日蓮正宗系教団では日蓮宗を「身延派」と呼び、距離を置いている。
小樽問答
  1955年(昭和30年)、日蓮正宗妙照寺所属の創価学会小樽班の会員と日蓮宗妙龍寺との間で論争が起こった。日蓮正宗及び創価学会と日蓮宗は幹部を派遣し、小樽市公会堂で公開法論に臨んだ。法論では日蓮宗側がスピーチするたびに激しいヤジが飛び大荒れとなった。
他の宗教との関係
  戸田城聖が存命だった1950年代から、教祖・日蓮の教義に従い、日蓮正宗以外のすべての他宗教・他宗派を一切認めず「邪宗・邪教」として批判してきた。その攻撃の矛先は折伏大行進期には立正佼成会天理教など日蓮・法華系あるいは神道系の新宗教団体、正本堂建立以降は妙信講(現・冨士大石寺顕正会)や正信会といった日蓮正宗系新宗教団体、そして破門後は日蓮正宗宗門へと向けられた。立正佼成会が新日本宗教団体連合会日本宗教連盟統一教会が傘下の政治組織国際勝共連合を通じて他教派との交流を取っているのと異なり、2017年(平成29年)現在でも学会本体・公明党共に日本国内の他の新宗教教団とは協調するまでには至っていない。 (「四箇格言」および「立正佼成会#活動・動向」も参照 )
  一方、日蓮正宗からの干渉により進捗に支障があったキリスト教イスラム教など仏教以外の既存世界宗教との対話は、同宗からの破門と前後して徐々に軟化。その傾向が顕著になったのは「SGI憲章」が制定された1995年(平成7年)11月23日以降で、憲章の7番目の項目として「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。」と記述され、方針転換を正式に表明した。現在、創価学会インタナショナルは(日本を含む)世界192の国と地域に組織を持ち、特定の宗教以外が厳しく制限されているイスラム圏社会主義国など一部地域を除いて全世界に活動の幅を広げるまでに至っている。
戦前の国家、神道との関係
  島田裕巳によると初代会長の牧口常三郎皇太神宮の神札である神宮大麻を拝むことを拒否し焼却させたが、国家神道の全てを否定していたわけではないという。第5回総会での全員座談会において牧口は靖国神社に参拝する意義を説き、靖国神社への参拝はご利益を得るためのものではなく感謝の心を表すものである点を強調した。さらに牧口は、天照大神や代々の天皇に対して「感謝し奉る」と言い、昭和天皇現人神と認め、「吾々国民は国法に従って天皇に帰一奉るのが純忠だと信ずる」と述べている。

  また、現代ビジネス(Web版週刊現代)によると、当初、創価学会の前身である戦前の創価教育学会は治安当局と左翼運動取締りにおいて協力的な関係にあった。創価教育学会は「赤化青年の完全転向は如何にして可能なるか」とうたったパンフレットを発行し、治安当局との蜜月ぶりを会員獲得に向けた宣伝材料にもしていた。牧口らは警視庁特高課やその元締めである内務省警保局思想検事ら治安当局と緊密に連絡を取り合っていた。しかし、共産党を壊滅させた後、治安当局が次に取り締まり対象としたのは宗教団体であった。一転して創価教育学会は特高警察の弾圧を受けることになった。ただしそれは創価教育学会が反戦・平和を訴えたからではない。神宮大麻を拝むことを拒否し焼却させるなどしたからである。

  当時、大方の宗教団体がそうだったように、日蓮正宗も戦争には協力的な立場だった。それは日蓮正宗の在家信徒団体である創価教育学会も同じであった。例えば、創価教育学会の機関紙「価値創造」の第6号には、日蓮正宗宗務院が1942年1月21日付で出した布告を転載していた。その布告の内容は、日蓮正宗が2月8日午後、大石寺において全国から僧侶や檀信徒を集め「大東亜戦争戦勝祈願大法要」を開催し、日蓮正宗にとって信仰の根本である「戒壇の大御本尊」の御開扉に続き、「戦争完遂宣誓式」を行うというものであった。さらに1941年10月の「価値創造」第3号ではアドルフ・ヒトラーの『我が闘争』について大きく紙面を割いて紹介し、ヒトラーを「現代の転輪聖王」と持ち上げ、理想的な君主とみなしていた。

  1942年になると、日本軍が南方で緒戦の勝利を重ねていたためか創価教育学会の幹部達から勇ましい発言が相次ぐようになる。『価値創造』の後継誌として出された小冊子「大善生活実証録」(国立国会図書館に覆刻版が所蔵されている)によると、総会の開会にあたり幹部の一人が「陛下の御稜威の下、我が陸海軍将兵が緒戦以来、赫々たる戦果を挙げている事は、吾等の衷心より感激に堪えない次第である……我国としても、もう寸毫の妥協も許されず、勝つか負けるかの一時のみ、否、断じて勝つの一手あるのみである」と挨拶。閉会では別の幹部が「いまや、皇国日本か北はアリューシャン群島方面より遥かに太平洋の真中を貫き、南はソロモン群島付近にまで及び、更に南洋諸島を経て、西は印度洋からビルマ支那大陸に、将又蒙彊満州に至るの広大なる戦域に亘り、赫々たる戦果を挙げ、真に聖戦の目的を完遂せんとして老若男女を問わず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、いまは恐くが戦場精神によって一丸となり、ひたすらに目的達成に邁進しつつあることは、すでに皆様熟知されるところである」と締めくくった。また、総会はいつも皇居に向かっての遥拝で始まり、会の終わりには軍歌が歌われた。

  一方、創価学会は「学会が軍部政府におもねっていたとすれば、牧口会長も戸田会長も、逮捕されることなど全くなかった」とする見解を取っている。その見解によると、1943年6月、牧口は戸田とともに日蓮正宗総本山・大石寺に召喚され、当局による弾圧を懸念した宗門側から「神札を受けるように」と勧められるも、日興の残した遺戒にある「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事」の精神を貫き通し、「承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません」と言って拒否した。それから1か月後、神札の受け入れを拒否した行為が不敬罪治安維持法違反にあたるとして、牧口や戸田、他の幹部ら21人は逮捕・投獄された。幹部たちは退転していったが、牧口・戸田の2名だけが最後まで信仰を貫き通した。牧口は1944年11月18日、学会の創立記念日にあたるこの日に東京拘置所で「殉教(=獄死)」し、1人生き残った戸田は終戦1か月前の1945年7月3日豊多摩刑務所から出獄し、弾圧によって壊滅状態だった学会の再建に挑んだというものである。
政治との関係
  創価大学中野毅によれば、創価学会の政治参加の動機は、中小企業労働者を中心とする民衆の代弁、政治の監視、信教の自由の確保の三点に集約されるという。会長秋谷日本外国特派員協会での1995年(平成7年)の会見でもこの3点が強調された。
  創価学会インタナショナルの Rie Tsumura によれば、創価学会の政治への関与は第二次世界大戦時に弾圧された経験をもとにした「主に防御的」("largely defensive")なものであった。

  國學院大學塚田穂高によれば、第二代会長戸田城聖は「国立戒壇」の建立を訴え、「王法仏法が冥合すべきである」(「王仏冥合」)として政教一致的な理念を論じた。中野毅によれば、戸田の展開した王仏冥合論・国立戒壇論は政教分離原則に反するとの疑念を受けやすかったが、戸田に日蓮正宗国教化を目指す意図はなかったという。国立戒壇の建立は創価学会の政治進出における宗教的目的であり、世俗的な目的はあくまで「社会の繁栄と個人の幸福」を一致させることにあったと中野は指摘した。中野によれば、「国立戒壇」建立は戸田時代初期の創価学会の政治参加の目標の一つだったが、早い段階でそれは放棄された。島田裕巳は、創価学会の政治への関心について戸田が1956年(昭和31年)に記した中での「本門の戒壇」への言及、池田の1959年(昭和34年)の「国立戒壇の建立と学会員の前途」という講演における「政治上に、本宗の正義を用いる」という発言に注目し、これらの表現は「実質的には日蓮正宗の国教化を意味」していたのではないかと論じた。
  戸田の下、創価学会は1956年(昭和31年)の第4回参議院議員通常選挙での白木義一郎北条雋八擁立などを通して政治に進出した。第三代会長池田大作の時代に「国立戒壇」という言葉は「本門の戒壇」「民衆の戒壇」などに言い換えられ、「仏法民主主義」「世界民族主義」など普遍性のある用語が目立つようになり、「国立戒壇」は1964年(昭和39年)の公明党結党宣言にも盛り込まれなかった。創価学会批判の妨害や政教分離を巡る言論出版問題を受けて1970年(昭和45年)に創価学会は「国立戒壇論」放棄・「政教分離」を宣言し、公明党綱領から「王仏冥合」などの文言が削除された。

  創価学会・公明党は、公明党結成後の1960年代靖国神社国家護持法案反対・日米安保条約改定反対など革新政党の立場にあった。中野毅によれば、このことが理由で創価学会は保守陣営から危険視された。島田裕巳は創価学会は「下層階級を組織化」する点で左翼陣営と競合していたと指摘し、創価学会が政界進出を始めた時点で創価学会は左翼陣営に批判されることはあったが保守陣営に批判されることはなかったと主張する。初期の創価学会は大都市に流入した下層民を中心にしており、学会員の圧倒的多数が社会階層の下層から中間層の下に位置することは2010年(平成22年)に至るまで変わりがない。

  寺田喜朗によれば「創価学会の中央―地方組織(中央本部・方面本部・都道府県本部―総合本部・圏ゾーン・本部・支部・地区・ブロック)は、選挙の区割りに対応する形で編成されて」おり、「選挙は、会員間の結合を強化し、組織を引き締め、会員を切磋し、達成感・充実感を与え、創価学会への帰属意識を高める重要なモメント」であるという。島田裕巳は、創価学会では選挙活動が一種のイベントとしての性格を持っており、選挙活動を共にしたことで親密になり、結婚にいたる創価学会員のカップルも少なくないとしている。
政教分離の問題(詳細は「政教分離原則」を参照 )
  宗教団体政治活動の自由を制限したり禁止したりすることは、憲法に定められた表現の自由結社の自由を侵害するものであり、宗教を理由にした差別になる。よって、憲法20条に反しないと解釈される。
  1970年(昭和45年)4月24日、民社党中央執行委員長春日一幸が「宗教団体が、議会政治機構を利用して政権を獲得することは、憲法の政教分離原則に反するのでは」と質した質問主意書を送付。政府は「宗教団体が推薦や支持をした者が公職に就任し、国政を担当しても、その宗教団体と国政を担当することとなった者とは法律的には別個の存在であり、(憲法20条が禁じている)宗教団体が政治上の権力を行使することには当たらない」旨の答弁書を出した。
政府の見解は
  ・「宗教団体が政治的活動をすることまで排除するという趣旨ではない。」大出峻郎・元最高裁判所判事
  ・「宗教団体と非常に密接な関係にある政党に属する公職の候補者が、その宗教団体の推薦、支持を受けて公職に就任し、国政を担当するに至る場合でも、その宗教団体と国政を担当する者とは法律的には別個の存在であります。(中略)宗教団体が政治上の権力を行使しているということにはならない。」大森政輔裁判官、元内閣法制局長官
  ・「「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が政治的活動をすることをも排除する趣旨ではない。」宮崎礼壹検察官、元内閣法制局長官
  ・「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が、政治的活動をすることをも排除している趣旨であるとは考えていない。」佐藤栄作・元総理大臣衆議院議員
  ・「政教分離は宗教法人の政治的活動を排除する趣旨でない。」麻生太郎・元総理、衆議院議員
  となっている。 その他、一部議員により「政教一致」であるとの批判はたびたびなされている。

  また内閣官房参与の飯島勲は2014年(平成26年)6月、「公明党と創価学会の関係は政教一致と騒がれてきたが,内閣法制局の発言の積み重ねで政教分離ということになっている。」と政府見解を説明したうえで、仮定の話として「法制局の発言,答弁が一気に変われば,『政教一致』が出てきてもおかしくない。」と発言した。しかし、直後に政府・与党は飯島の発言を否定。自民党の石破茂幹事長は「内閣を代表した形ではない。」と語り、菅義偉官房長官は政教分離についての政府見解を維持するかと問われ、「まったくその通りだ。」と回答している。宗教社会学者の弓山達也は、著書のなかで創価学会を例にあげながら「日本においては政教分離の原則があるが、宗教教団の政治への関与を禁じているわけではない。 むしろ、宗教教団が現世での幸福を願う限り、政治への関与は不可欠となり、特定の政治家を応援したり、宗教政党を結成して積極的に政界に進出したりすることは自然なことともいえよう。」と述べている。

日本共産党との関係(「宮本顕治宅盗聴事件」および「日本共産党と創価学会との合意についての協定」も参照 )
  日本共産党と創価学会は支持層ないし支援対象が重なることなどから、1950年代以降、選挙活動において互いを非難しあうなど対立関係にあった。 1969年(昭和44年)12月2日には日本共産党機関紙の『しんぶん赤旗』が藤原弘達の『創価学会を斬る』の出版を創価学会・公明党が妨害したと報じ言論出版妨害事件が表面化。1970年(昭和45年)には日本共産党委員長宮本顕治の自宅の電話回線を創価学会の学生部幹部数名が盗聴し、逮捕者も出た。
  その後1974年(昭和49年)12月、向こう10年間の「相互不干渉」と「共存」をうたう「創共協定」を両者で締結したが、自公連立政権の誕生後は対立が再燃し、しんぶん赤旗が「公明党と創価学会 『政教一体』で『悪政戦犯』の役割」と題した記事で、創価学会首脳が選挙戦で陣頭指揮を執り聖教新聞に会員を鼓舞する記事が掲載されるなどと批判したり、入信強要問題を取り上げるなどしている。

自由民主党との関係(詳細は「憲法20条を考える会」、「政教分離を貫く会」、および「反創価学会キャンペーン」を参照 )
  自民党とは自民党結党以降2代会長戸田城聖と自民党で総裁を務めた岸信介が友好関係にあり、岸の娘婿安倍晋太郎が岸の名代として大石寺の大講堂の完成式典に列席し祝辞を述べた。また創価学会が起こした言論出版妨害事件では公明党中央執行委員長・竹入義勝が自民党幹事長・田中角栄に事態の収拾を依頼、その後自民党田中派竹下派と公明党創価学会は親密、親交を深めていき田中の愛弟子小沢一郎が1993年に自民党を離党すると公明党幹部の市川雄一が小沢に接触、後に「ワン・ワン・ライス」となぞらえられた連携を見せ公明党が非自民党政権細川連立政権に参加、創価学会も全面的に協力した。この動きを見た自民党は、1993年(平成5年)に同党所属の有志議員が憲法20条を考える会を結成(会長は亀井静香)、「公明党と創価学会の政教分離問題を追及する」を旗頭に創価学会・公明党・細川連立政権に攻勢をかけた。

  1994年(平成6年)5月には公明党および創価学会に批判的な宗教団体や有識者からなる四月会の結成に同党所属の河野洋平が参加、自民党は長年の宿敵であった社会党と手を組み、政権を奪取すると、同年10月、同党の川崎二郎衆議院予算委員会日蓮正宗住職交通事故死事件を取り上げた 。
  1995年(平成7年)11月の衆議院宗教法人に関する特別委員会では同党所属の衆議院議員熊代昭彦が創価学会について「我々が内々にいろいろ聞いたところでは、不動産資産9兆円、流動資産1兆円というような堂々たるお力を持っておられるようなことでございますが……」と発言したほか、穂積良行朝木明代市議転落死事件と創価学会の関係について質問した。
  1996年(平成8年)には党の運動方針に「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していること」というスローガンが存在したがこれは前年に行われた参議院選挙で自民党が新進党に敗北したことから来る衆議院選挙で勝利し政権維持を目的としたものである。同年週刊誌に掲載された「池田大作レイプ事件」の内容を党の機関紙『自由新報』へ引用、内藤国夫、俵孝太郎が「シリーズ新進党=創価学会ウオッチング」と題し「池田大作と金の問題」や「池田大作レイプ問題」を数回掲載した一方、衆議院選挙で勝利し政権維持を目的を達成した後は自由民主党竹下派を中心に公明党との連立を模索する動きも出ていた。1998年(平成10年)4月、自民党総裁首相橋本龍太郎が(創価学会の抗議に応じて)『自由新報』の「池田大作レイプ問題」について事実ではなかったと謝罪した。自由新報は現在廃刊されている。これら一連の動きは自民党による反創価学会キャンペーンとして大々的に行われた。

  島田裕巳は、公明党は自民党と連立与党を組んでから政策面で必ずしも独自性を打ち出すことができず、結局、自民党の政策を追認しているだけに終わっていることが少なくなく、特に安全保障政策で公明党が党是とする平和主義の貫徹が妨げられていることから、創価学会内部で公明党に対する批判が潜在化しているとしている。
  また、島田は自民党内にも創価学会=公明党の発言力が強まることを警戒する人間はいることから、自民党内部において
創価学会=公明党への批判が高まれば創価学会=公明党としては民主党と連立を組む可能性が出てくる。そうなれば創価学会=公明党は動物と鳥の両方に取り入ろうとして結局はどちらからも嫌われ、暗い洞窟に追いやられたイソップ物語のコウモリになる危険がある、としている
提言
原水爆禁止宣言(「原水爆禁止宣言」も参照 )
  1957年(昭和32年)9月8日、第2代会長戸田城聖が創価学会第4回東日本青年部体育大会「若人の祭典」で核兵器の使用禁止を訴える宣言、いわゆる「原水爆禁止宣言」を行った。 戸田はこの宣言を遺訓として会員たちに託し、以後、創価学会が行っている、戦争体験者の証言を集めて出版する「反戦出版」や、反核・平和運動活動の淵源となったとされている。
日中国交正常化(「日中国交正常化」も参照 )
  1968年(昭和43年)9月8日、池田大作は、東京・両国日大講堂で行われた学生部幹部会の席上、「日中国交正常化提言」を発表した。 創価学会の出版機関第三文明社は日中が国交正常化にこぎつけることができたのは、日本では、通産大臣や初代経済企画庁長官などを歴任した高碕達之助、厚生、農林、文部の各大臣を歴任した松村謙三、首相を務めた田中角栄大平正芳、創価学会会長(現名誉会長)の池田大作、中国側では、最高指導者(中国共産党主席)の毛沢東、日本留学の経験をもつ首相の周恩来、早稲田大学で学んだ政治家の廖承志、中日友好協会会長を務めた孫平化ら、日中双方の政治家や各界指導者たち、そしてさまざまな民間人や諸団体の忍耐強い努力があったからにほかならないとまとめている。
マスメディアとの関係
  機関紙である聖教新聞などは、「無冠の友」と呼ばれる会員の有志による全国的な宅配網が整備されており、一般紙と同じく日刊で全国に配達されている。聖教新聞社は自前の印刷所を持たず、全国紙の系列の印刷会社や複数の地方紙に聖教新聞の印刷を委託している。
  地方紙としては印刷所の輪転機を遊ばせておく時間を減らせる上に、印刷代金を確保できる貴重な収入源として、聖教新聞社としては自社で全国に高速輪転印刷機の設備を維持せずに全国津々浦々に日刊で新聞を届ける事ができるという風に、両者の利害が一致している。また、全国紙でも毎日新聞社読売新聞社は聖教新聞の印刷を傘下の印刷会社で受託しており、読売新聞社は2020年(令和2年)5月1日から茨城県での聖教新聞などの配達業務を受託するまでになった。聖教新聞社(=学会)側には「無冠の友」の人手不足や学会員の高齢化が、読売新聞社には部数減に歯止めがかからない中、全国に整備した販売店の存続という課題が背景にあるといわれている一方、全国紙傘下の印刷会社に聖教新聞の印刷を受託させることで良好な関係を築き、学会批判の記事を書かせないようにしているという側面もあるといわれている。 (「聖教新聞#印刷」および「聖教新聞#配達」も参照 )

  創価学会には聖教新聞社を始め、潮出版社第三文明社などの系列出版社がある。 また、全国・地方を問わずラジオ局への番組提供は複数ある(下記参照)。テレビ局では地方局や独立U局を中心に池田原作のアニメや広報番組が放映されているほか、在京キー局などで聖教新聞のCMが放送されている。ただ、J-WAVE関西テレビテレビ熊本のように、公明党のCMおよび政見放送と当学会系列の学校教育機関創価大学創価学園)のCMを除き、創価学会関連組織(聖教新聞を含む)のCMの出稿(放送)の一切を受け入れない放送事業者もある。
創価学会が起こした社会問題
折伏大行進(詳細は「折伏大行進」を参照)
  戸田城聖は、第2代会長就任時の挨拶で、自身の存命中に75万世帯の弘教を発表。会員が折伏を進める過程で、入会しようとした家庭に他宗派の仏壇や神棚が置かれていると、それを謗法払い(焼却)したり、大人数で対象者を取り囲んだりと、時として強引さを伴ったため批判を呼び、社会問題化した。
未成年者への入信強要
  1959年(昭和34年)6月、長崎県に住んでいた当時19歳の少年Aは学会員から度重なり入信を強要された。入信を拒むAに対し学会員は自宅で座り込みをしたためAは根負けし入信。入信から20日後Aは「創価学会への入会は誤っていた。こんなものに入ったのは、自分がしっかりしていなかったからだ。」という遺書を残し自殺、Aの自殺を知った母親も後追い自殺をした。中国新聞は「創価学会に入会を強要されたばかりに、2人ともこんなことになって」という長女の談話を掲載した。その後週刊新潮がこの事件を報道。その中でAの自殺は創価学会への信仰の薄さが原因とする学会員から匿名の手紙が届き、それを見てショックを受けた母親が後追い自殺をしたとしている。
言論出版妨害事件(詳細は「言論出版妨害事件」を参照 )
  1960年代末から1970年代にかけて、創価学会と公明党が会長の池田大作や自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するため、学会員や公明党党員が著者・流通業者・取次店・書店に、脅迫や圧力をかけて出版を妨害したり、出版前の原稿に自らの主張を織り込むよう要求した問題。
  公明党が結成され衆議院で議席を獲得しはじめると、創価学会批判の書物が発表されることが増えた。1969年(昭和44年)の藤原弘達の『創価学会を斬る』をはじめとする様々な批判本に対して創価学会から圧力がかけられていることが明らかとなり、池田は1970年(昭和45年)5月に一連の妨害行為に対し謝罪した。この件は日本共産党の不破哲三も1970年国会での質問で取り上げた。1969年、共産党がNHKでの公明党との討論会で藤原弘達の『創価学会を斬る』をはじめとする様々な批判本に対し創価学会が著者出版社書店等に圧力をかけるなど出版妨害の事実があったことを告発したり、機関紙『赤旗』(現「しんぶん赤旗」)紙上で、田中角栄から介入を受けたという藤原の告発を掲載するなど追及した。

  これらの行為が、日本国憲法に保障された、言論の自由および出版の自由を侵害するものだとして、国会で取り上げられたが、当初、公明党はNHKの公開討論で「これらは全て嘘、デタラメである」と主張した。しかし、国会に招致された出版社や取次店などの証言により、創価学会・公明党が事件に関与していたことが明らかになるとマスメディアから激しい社会的批判にさらされると共に、創価学会・公明党の密接な関係や当時、公明党が創価学会の内部局として存在し、国会や地方議員を務めた人間が再び学会幹部として組織に戻るなど公明党が組織として独立していなかったことが、政教分離の観点から問題視された。

  1970年(昭和45年)、池田大作が「言論妨害の意図はなかった」としながらも、妨害行為に対し公式に謝罪、公明党を創価学会から切り離し組織として完全に独立させるなど、創価学会・公明党の問題点を改善することを公約した。しかし後年、池田の著書「新・人間革命」では「衆院選前に、藤沢達造(藤原弘達の仮名)の本とともに、学会の批判本が次々と出されたのだ。暗黒の嵐が吹き荒れ、伸一(池田氏の仮名)を倒さんとする、攻撃の毒矢が放たれたのであった。」と掲載。「週刊新潮」と不破哲三は、年月が経ったことに乗じて、歴史を改竄するものだと批判した。
選挙における不正投票、不正行為、問題行動(「大阪事件 (創価学会)」および「新宿替え玉事件」も参照 )
  ・1957年(昭和32年)4月に参議院大阪地方区補欠選挙が施行された際、創価学会員が大阪あいりん地区に住む日雇い労働者達に候補者名の氏名の入ったタバコ現金を渡したとして創価学会員ら47名が公職選挙法違反で逮捕された。裁判では小泉隆、池田大作は無罪、45名に有罪判決が下され、有罪となった会員45名は戸田会長の名で会員除名処分を受けた。
  ・1968年(昭和43年)に行われた第8回参議院議員通常選挙で不正行為(投票所入場券の窃盗、替え玉投票など)を行い、創価学会員34名が検挙された。
学会員が起こした犯罪、問題行動
  学会員が起こした犯罪や社会問題で裁判所が創価学会の組織的関与認めた事案として大阪事件といった選挙違反、コーヒーカップ裁判宮本顕治宅盗聴事件といった反目する団体への誹謗中傷行動、手帳強奪事件のように学会と袂を分かった元学会幹部への違法行為が挙げられる。かつて犯罪を起こし逮捕された学会幹部を除名せず、その幹部が数年後再び刑事事件を起こし学会幹部として逮捕されたこともあり組織として学会の体質が批判されたケースも存在した。
セクト問題、諸外国での騒動
フランス
  1995年12月にフランスの下院(フランス国民議会)で採択された「通常の宗教か、セクト(カルト)か」を判定する国際的な指針は調査委員会の委員長の名前を取って『アラン・ジュスト報告書』と呼ばれる。 「精神の不安定化法外な金銭的要求住み慣れた生活環境からの断絶肉体的保全の損傷子供の囲い込み反社会的な言説公秩序の攪乱裁判沙汰の多さ従来の経済回路からの逸脱公権力への浸透の試み」を「セクト構成要件の10項目」として列挙し、このうち1項目でも該当するものがあればその団体をフランス政府はセクトとみなしている。 リストアップされたのは創価学会を含む全部で174の宗教、宗教団体であった。
  ・フランス国民議会カルトに関する議会委員会(1995年)
  ・フランス国家警察情報機関総合情報局が、UNADFI(カルトの被害者と家族を守る協会の全国連合)など、複数のカルト監視グループと編集
  ・フランス国民議会カルトの財務、所有物、収益、同様にそれらの経済活動、経済・金融の関わりに関する公聴委員会報告(1999年)
  ・カルトと金銭に関するフランス議会報告、30数団体に注意を集中させ調査した
  2011年9月、フランスの新聞『ル・モンド』の月刊誌「Le Monde DES RELIGIONS」に『創価学会、自己の内なるブッダ』と題するルポタージュが掲載され、創価学会の歴史や活動が詳しく報じられた。ルポタージュは、創価学会が日蓮正宗と絶縁した理由について「創価学会のプラグマティズム、およびその在家による現代世界を中心に捉える方向性は、日蓮正宗の聖職者集団による教条主義的宗教観とはもはやできなくなったからである。」と解説した。また、過去にフランス国会に提出された報告書が創価学会をセクト扱いしていた背景についても解説し、首長直属機関であるセクト逸脱行為監視取締り関係省庁委員長ジョルジュ・フネックによる「ここ5年以上に渡りSGIフランスに関して、我々はセクト逸脱行為の通報を一切受けてない。運動体(SGIフランス)は礼拝文化商業活動を区別し、フランスにおいてはまったく問題を提起しない。」とのコメントを紹介している。
ベルギー
  ベルギーでは創価学会(SGI)が複数の未成年者を勧誘したことが発覚し社会問題となる、1997年、ベルギー議会調査委員会は未成年者保護のため創価学会(SGI)をセクト的な活動を行う団体にリストアップし未成年者への勧誘、入会を禁止した。
ドイツ
  1980年代から90年代にかけて、日本に留学していた複数のドイツ人が創価学会の総会で池田大作が右手(実際は右の拳)を高くつきだし、それに呼応して参加者たちが一斉に右手を突きだした光景を目撃したことから「創価学会はナチス式敬礼を行う危険な団体」などといった誤った風潮がドイツ国内に伝わる。その後1996年、創価学会インタナショナル(SGI)等を新宗教と精神世界グループの一団体としてリストアップした。
イギリス
  イギリスの経済紙『エコノミスト』1999年7月3日号で「創価学会は(日蓮正宗[大石寺]が創価学会との結び付きを断ち池田氏を破門したことによって)主な目的を失った現在、世界中で行っているよい仕事の成果を強調するようになった。さらに創価学会は富裕になって以降初期の目標を失ったその他多くの組織と同様に、批判者を脅迫、主流マスコミを脅して黙らせるという容赦なさでその利害を守っている。」と批判した。
イタリア
  2015年06月27日、イタリア共和国とイタリアSGI(イタリア創価学会仏教協会)との間に、インテーサ(宗教協約)が調印され、調印式がフィレンツェのイタリア文化会館で厳粛に執り行われた。しかし、式典に池田大作が出席せず代理人をたてたことからイタリアの大衆紙は「(受賞者なき授賞式)」、「(幽霊に勲章を授けた)などの批判記事を掲載した。
韓国
韓国に関連した批判が下記のようにある。
  ・1997年(平成9年)に行われた韓国大統領選挙で候補者の金大中が日本で秘密裏に公明党幹部と面会し、日本の公明党の影響下にある韓国SGIから支持を得られるように依頼し公明党幹部の藤井富雄が了承したとされる事実があること。
  ・韓国SGIが平和をテーマに行なった集会で竹島の領有権主張や歴史教科書問題、日本の軍国主義批判が背景になっていたことを、週刊新潮が「反日集会」と報道する。
  ・2002年(平成14年)8月15日、韓国・SGIが池田大作の指示で韓国の政治家へ総額20億ウォンの裏金をばら撒いた不正疑惑が、SGIの内部告発という形で韓国の有力全国紙である『中央日報』『東亜日報』『朝鮮日報』の3紙に掲載され日本では週刊実話が『韓国 三大紙上で暴露 池田大作SGI会長が韓国の政治家にバラまいた20億ウォン裏金疑惑』として掲載されたこと
創価学会に関する疑惑
P献金
  「創価学会には、P献金と呼ばれる献金が存在している」という疑惑。P献金のPとは「プレジデント(英:President)」の略で公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長を指しているというもの。公明党出身の国会議員福本潤一が2007年(平成19年)6月、外国人記者クラブで外国人記者を前にし、「公明党の議員は選挙で当選した際に衆議院議員は300万円、参議院議員は600万円の献金を行うよう要請されている」と記者会見した。福本の記者会見の内容を民主党の石井一が2007年(平成19年)10月16日、参議院予算委員会で「P献金」を追及した。 (「P献金#週刊新潮での掲載」も参照 )
暴力団への暗殺依頼疑惑
  創価学会に反抗・批判する人間の暗殺暴力団へ依頼したとされる疑惑。後藤組の元組長後藤忠政によれば元公明党最高顧問藤井富雄が後藤のもとを訪れ、池田大作名誉会長の名のもとに反創価学会の活動をしている有名画伯A(仮名)や亀井静香ら4名の暗殺を依頼されたという。また、共同通信社記者の魚住昭は『月刊・現代』の中で藤井が後藤に、創価学会に対して批判的な亀井静香を黙らせて欲しいと依頼する場面が収録されたビデオテープがあることを記している。暗殺リストに名前があった亀井静香は警察関係者、弁護士などと創価学会対策会議を行うこととなる。後藤は著書の中で池田が裏で何をしていたかといったら、山崎や藤井をパイプ役にして俺達ヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺達がちょっとでももの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、頬かむりだ。と批判した。
大鳳会という組織
  「大鳳会(おおとりかい)」という組織の存在について以下で取り上げられた。
   1週刊文春が『皇太子妃雅子外務省の創価学会シンパ「大鳳会」とディナーをした』という記事を掲載したこと。
   2「創価学会が外務省幹部に『外遊特別待遇』要請書を送った」とされる問題。
   3「外務省が、池田大作の海外訪問に特別の便宜を図っている」とされる内容が国会で審議されたこと。
財務私的流用疑惑
  下記のような例がある。
   ・1977年(昭和52年)に 民社党の春日一幸が国会で池田専用の豪華施設等について調査したところ、会員の財務が私的流用されていたのではという疑惑を持ち、当時の公明党委員長委員長竹入義勝宛に質問する旨の手紙を送った。春日は1970年(昭和45年)12月の衆議院予算委員会で池田の証人喚問を求めたが、自民党、公明党の反対で証人喚問は見送られた。また春日は創価学会が起こした言論出版妨害事件でも、国会で池田大作の証人喚問を求めた。
   ・1989年、神奈川県横浜市のゴミ処理施設に廃棄された金庫から1億円もの現金が発見された。当初創価学会は、この問題を第三者の視点から批判したが、数日後、創価学会総務の中西治雄が持ち主と名乗り出て、「(金庫のお金は)20年以上前に、自分が学会内で不正に蓄財したもので、その存在を忘れているうちに誤って捨てられた」等と述べた。
   ・しかし、すべて聖徳太子像が印刷された旧紙幣(C号券)で、半分は真新しい状態であり、「1000万円」と印字された帯封で束ねられたものや、一度も市中に出回っていない新札もあった。さらには中西が自宅を担保に借金をしていたことから矛盾点をマスコミから追及された。当時の学会内部は中西に同情的であり大多数の幹部が「この事件は中西が池田と学会のために泥をかぶった。」との見方をしていた。
創価学会へのデマ
茨城新聞による「香典泥棒」報道
  茨城新聞は創価学会信者宅からの取材をもとに1962年(昭和37年)4月1日号において「創価学会は信徒の家に葬式があると、親戚、知己から集まる香典はすべて創価学会支部が持ち去ることになっている」と報道した。創価学会側は記事の内容は事実無根と茨城新聞社へ抗議した。その後、確証が取れないと判断した同社は4月17日、茨城新聞に訂正記事を掲載した。
月刊ペンに掲載された名誉毀損(詳細は「月刊ペン事件」を参照 )
  雑誌『月刊ペン』が掲載した「四重五重の大罪犯す創価学会」や「極悪の大罪犯す創価学会の実相」という記事が名誉毀損罪にあたるとして、編集長の隈部大蔵が告訴され隈部が有罪となった。
朝木明代市議転落死(詳細は「朝木明代市議転落死事件」を参照)
  1995年(平成7年)9月、東京都東村山市議会議員朝木明代マンションから転落死し、後に警察が自殺と断定。朝木が創価学会と公明党の批判活動をしていたことから、他殺説や学会の陰謀説が浮上した。『週刊現代』・『週刊新潮』・『東村山市民新聞』の記事に対して、創価学会は名誉毀損で提訴し、3つとも学会側が勝訴した。
映画監督伊丹十三の転落死
  1997年(平成9年)に自殺(転落死)した伊丹十三の死が自殺ではなく他殺であるとした説(創価学会が関与したと断定する内容)が2ちゃんねるに掲載された。創価学会は2ちゃんねるの運営者を相手取り、訴訟を起こした。東京地方裁判所は2009年(平成21年)2月、証拠もないのに断定的な内容を掲載し続けたとして、被告に損害賠償金80万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
週刊文春による「池田大作重病説」報道
  『週刊文春』が2011年(平成23年)10月27日号(176ページから179ページ)で池田大作の看護師からの情報をもとに『衝撃スクープ 池田大作「創価学会」名誉会長 担当していた元看護師が語る「厳戒病室」本当の病状』と池田大作名誉会長の重病説を掲載した。週刊文春の記事を受け創価学会は週刊文春や発行元の文藝春秋社に「該当する看護師は存在せず、証言は事実無根である」と抗議。週刊文春は2カ月後の12月29日号で当時の編集長が「小誌は再取材を行いましたが、証言者が看護師であるとの確証を得るに至りませんでした。病状についての記述を取り消し、ご迷惑をおかけした関係者にお詫びいたします。」と謝罪した。
ワールドビジネスサテライトによる報道(詳細は「ワールドビジネスサテライト#問題となった放送内容」を参照 )
  テレビ東京系列で放送されている『ワールドビジネスサテライト』が2017年(平成29年)11月24日の放送で創価学会についての特集を組んだものの、テレビ東京側の不手際で創価学会への取材依頼などがなされないまま取材が行われた上、学会から除名された人物らの主張や言動を一方的に取り上げ、視聴者に学会に対する偏見を植え付けるものとなっていることなどを問題視した創価学会が抗議。テレビ東京は2018年(平成30年)2月22日までに報道内容の誤りを認めて謝罪した。
創価学会に対する肯定的評価
日本国内
  ・佐藤優は「池田氏の平和への思いは本物だ。加えて、池田氏は創価学会の理念を体現した存在だ。」「初代、二代、三代会長が投獄された創価学会の国家に対する距離感。SGIという国際組織。そして鎌倉時代、国家に弾圧された日蓮の縁起観。すべて具体性を伴っている。こうした一つひとつの「経験」が流れ込んで、創価学会の平和主義を形成しているのだ。」とした。また「SGIという国際組織によって、ナショナリズムや排外主義を超克しつつある創価学会が、このような局面でどのような役割を果たせるかが問われるだろう。」と述べている。

  ・田原総一朗(ジャーナリスト)は「度重なる試練に直面し、創価学会は間違いなく衰退するであろうという世論の推測を見事に裏切り、その都度、ピンチをチャンスに変えるという驚くべきエネルギーをもって、逆境を乗り越えてきたのである。どうやら、創価学会の強さは我々には想像も及ばないほど堅固なものらしい。」と示唆した。池田大作の人物像について、「おそらく近寄りがたい雰囲気を持っているに違いないというこちらの予想は見事に外れ、偉ぶったところを一切感じさせない人だった。しかも、人の話を聞くのが非常にうまい。これには、びっくりした。」と述べた。また、「私が池田に感じたのは、自分をよく見せようという下心がまったくなく、誠実で相手のことを気遣うことのできる、きめ細やかな神経の持ち主だということだ。」「喜怒哀楽もあり、とても人間臭い面も持ち合わせている。」とした。
  ・鶴見俊輔(哲学者、評論家、政治運動家) - 創価学会の布教活動が、日本の宗教の浄化に役立っているとして、「この意味で創価学会は、日本に本当の宗教心をつくるために、その前ぶれとして働くバプテスマヨハネであるかもしれない。」と所感を述べている。
  ・玉野和志(社会学者) - 「創価学会は『幸せにするシステム』とでも呼ぶべき組織原理を生み出し、会員たちがあきらめることなく、地道に自らの生活を継続する手助けをしてきたといえる。」と述べている。
  ・森秀人(評論家) - 創価学会について「中世以来、日本人が喪失していた信仰主体が現出した」と位置づけており、「創価学会は、人間による人間の回復という課題に、限定付にせよ応えることができたことの意味のほうがはるかに巨きい。」と評論した。
  ・中江克己(歴史作家) - 多くの創価学会員への取材を通して、「創価学会の10年」を編んだ。その中で「生命尊厳の仏教哲学が不動であり、それを社会に生かしていこうという運動が継続されていく限り、やはり創価学会に対する期待は大きいといわなければならない。」と書を結んでいる。
  ・佐木秋夫(宗教学者)と小口偉一(東京大学名誉教授) - 創価学会の教学運動について「教学の学習の盛んなことは、創価学会の重要な特色になっている。学習が行動の欠くことのできない源泉であることが、会員のあいだに広く理解されている。」と論及した上で「組織、動員、学習がいきいきと結びついていることが、創価学会を強大にしている」と評している。
  ・宮台真司(社会学者) - ウェブマガジンのインタビューで、「東日本大震災東北地方太平洋沖地震)の被災地における、個人で支え合う人間関係・つながりを持っている者と持たない者の格差を見せつけられた」と述べた上で、「創価学会の避難所は物も潤沢だし、配給物資も公平に、順当にシェアできるしくみがある。だから取り合いになったり、殺伐とした対立なども起こりえない。それは教会などのコミュニティと同じで、たとえば欧米などはハリケーン津波で被災しても行政や自治体は動かない。救援物資のディストリビューション(配給)をやるのは、教会なんです。」と発言。教会的なコミュニティーが果たす役割に言及し、その例として創価学会をあげた。
日本以外
  ・ブライアン・R・ウィルソン(国際宗教社会学会初代会長)、カレル・ドベラーレ(ベルギー・ルーベン大学名誉教授)- 創価学会について社会的考察をし、「創価学会は哲学的には明らかに個人主義と平等主義に立っているにもかかわらず、信仰における古参原理が仲間意識と結びついており、その結合には神秘的な要素がある。」と評している
  ・ダニエル・A・メトロ(メアリー・ボールドウィン大学教授) - 創価学会の平和運動を分析し、「創価学会が繰り広げている民衆レベルの平和運動は、もちろん、宗教的な使命感にもとづいたものにちがいない。しかし、必ずしも、全人類が創価学会に入会しなくとも仏法を基調にした〝平和のメッセージ〟を送り続けていくことによって、一人一人に〝精神の変革〟をおこさせていくことは可能である。また〝平和のメッセージ〟を全世界の人びとが共有することは、創価学会の使命を果たすことにも通じることだと思う。」と述べている。また、「創価学会は、日本の近代史におけるユニークな現象である。仏法理念を基盤として、これほどまでに広範な社会的運動を成功裏に展開した宗教団体は、かつてなかった」とも述べている。
  ・フィリップ・E・ハモンド(アメリカの宗教社会学者)、デヴィッド・マハチェク(宗教社会学者) - 創価学会を社会学的に研究。学会の歴史と哲学への考察を著書に記し、「創価学会の活動の原動力は、日蓮仏教がそなえている禁欲的な特質であり、あるいは、宗教的信念に照らして社会状況を変革しようとの強い思いである。」と評価した。また同氏は「1991年(平成3年)に行われた日蓮正宗からの分離が、プロテスタント宗教改革になぞらえられてきたのは当を得たことである」と評している。そして、「今回の一連の動きでもっとも印象的なことは、創価学会が塔婆――死者の代わりに供養される追悼のための銘板――を自分たちの金儲けのために売りつける強欲な僧侶たちを非難したことと、プロテスタントの宗教改革者たちが、贖宥状を販売する聖職者たちに異議を唱えたこととが、酷似している点である。」と述べた。
創価学会に対する批判
  政界進出を始めた時期に創価学会は、日蓮宗系他教団のほか、浄土真宗系教団、左翼陣営からの批判を受けることが増えた。島田裕巳によれば、1957年(昭和32年)の北海道での創価学会青年部隊と日本炭鉱労働組合と間の戦いを一つのきっかけとして、また1960年代の公明党結成に応じて、左翼陣営からの批判が刊行されるようになった。島田はこれらの教団・陣営は「民衆をターゲットとし」、「下層階級を組織化」する点で創価学会と競合していたと指摘し一方の保守陣営はこの段階では創価学会批判を展開していなかったとする。
離反者による批判
  元公明党書記長の矢野絢也は「学会員二世、三世は幼い頃から、家庭において池田大作が著した絵本やアニメを見せられ、いかに池田と創価学会の教義が素晴らしいかを刷り込まれる。しかも、一貫教育システムにより、筋金入りの創価学会員としてエリート教育される。一貫教育システムという醸成装置があればこそ、創価学会は次々と新たな学会員と「池田名誉会長」を信じて疑わない幹部を養成できる。」と指摘している。このほか、現在の学会の幹部は、こうした「池田チルドレン」たちによって固められ、公明党議員にも創価学園創価大学出身者がいる。このような教育によって、学会は強固な組織となり、池田の独裁体制も確立されたとしている。また、「100万円財務は、戸田第二代会長の表現を借りれば、学会が決して手を染めてはならない「邪宗教」への一歩を踏み出した瞬間だった」としている。
他団体による批判(「反創価学会キャンペーン」も参照 )
  ・NAACP(全米黒人地位向上協会)は創価学会が主催する「ガンジー・キング・池田平和建設の遺産展」について、「ガンジーキングは多大な功績を挙げたのを全世界の人が知っているが池田はいったい何をやったのか」と批判、主催するなら「ガンジー・キング・ブルース・(スプリングスティーン)展」とするべきだと主張した。その矛先は創価学会だけでなくモアハウス大学ローレンス・エドワード・カーターにまで向けられた。
  ・オウム真理教教祖麻原彰晃は、サンデー毎日から始まったオウムバッシングは聖教新聞を印刷している毎日新聞社グループと創価学会が結託して行っている、池田大作は日本侵略するフリーメイソンの手先であり「仏法」を曲げているまむしの一族などと批判。池田大作サリン襲撃未遂事件をはじめ化学兵器生物兵器を利用した学会に対するテロ攻撃を行った。
  ・幸福の科学の総裁大川隆法は自著で「現代社会における二つの悪」として、一つは悪徳マスコミ、もう一つの悪が「邪教・創価学会」であると批判。
著名人による批判
  ・内藤国夫 - 「政界に進出し、国家権力と結びつく、また結びつこうとする権力志向、権力依存の宗教団体は邪教の中の邪教ということだ。オウムより、はるかに始末が悪い難問である」。
  ・浅見定雄(元東北学院大学教授) - 「メンバーが結果的に一つの政党しか選ばなかったり、その宗教団体の指示による以外は他の政党に投票することもない-創価学会の指示で信者が自民党に投票する場合のように-もしそういう宗教があれば、その宗教は必ず政教分離の原則を破っているのであり、また恥ずかしいことだが、非常に未成熟で前近代的な宗教である」[152]
  ・石原慎太郎 - 池田名誉会長を「悪しき天才、巨大な俗物」と批判[153]
  ・俵孝太郎 - 学会と対抗していた組織四月会の代表幹事。2005年9月1日の『日刊ゲンダイ』でも創価学会を批判。
  ・徳川義寛(元昭和天皇侍従長) - 皇太子徳仁親王(現在の今上天皇)の親王妃候補について「新宗教(創価学会)を信仰する人間は親王妃、皇太子妃(未来の皇后)としていかがなものか」との考えを示した。一説では「先代の侍従長入江相政や、『2代続けて平民からの入内は慎むべき(上皇后:正田美智子、皇后:小和田雅子)』と発言し旧皇族旧華族が賛同したことを受けての発言」という説もある。しかし昭和天皇は、1988年(昭和63年)4月6日「慎重にすぎて好きな人が居なくなったり、徒に時を過ごしてもよくない。難しいと思うがよろしく頼む」「私は本人同士が良いならそれで良い」、同5月26日「浩宮(徳仁親王)のこと、その後は?」と当時の宮内庁長官富田朝彦に繰り返し伝えていたことが明らかとなっている[154]
  ・テリー伊藤佐高信 - 共同著書『お笑い創価学会』で創価学会を批判。
  ・杉田かおる - 自書『杉田』で創価学会を批判、主に池田大作や男性創価学会幹部の堕落ぶりを批判、また杉田自身がそうか学会関係者から受けたセクハラについても触れている。
  ・瀬戸内寂聴 - 創価学会が毎年会員から会費を徴収していることに対し「宗教法人は信者から会費を取ったり、儲けを出してはいけない」と批判[注 33]。この批判は創価学会以外の参拝料を徴収している寺院、仏閣へも向けられている
  ・大槻義彦 - ブログ「大槻義彦のページ」で池田大作・創価学会・公明党を政教分離の原則の観点から批判。
  いしいひさいち - 自書『大問題』で創価学会を批判。
フロランスラクロワ - パリの国立研究院の博士。十数年にわたり創価学会を取材・研究を重ね、「創価学会、タブーの解剖」というフランス国家博士論文を発表。
  ・筒井康隆 - 『SFマガジン』1965年8月増刊号で発表した短編小説『堕地獄仏法(中公文庫『東海道戦争』収録)』で、創価学会・公明党を連想させる宗教団体・政党が『政教一致体制』で支配する恐怖の日本社会を描いた。また、朝日新聞で連載していた長編『朝のガスパール朝日新聞社 のち新潮文庫)』では、信者らしき人物から筒井康隆に対する個人攻撃の投書があったため、筒井康隆は作中で実名を挙げて批判している。さらに『現代語裏辞典(文藝春秋のち文庫)』では『創価学会。そうか。がっかり』と揶揄する記述が見られる。
  ・段勲 - 自書『反人間革命』で創価学会を批判。
  ・韮沢忠雄日本共産党赤旗編集局長) - 既存マスコミが創価学会批判をタブー視しているとして、赤旗で創価学会批判を展開。
  ・後藤忠政(元山口組系後藤組組長) - 自書『憚りながら』で創価学会と後藤組(山口組)との関係を記載。
  ・蛭子能収 - 公明党支持者から食事中に強引なサインを要求され、公明党への支援も頼まれたことに立腹。「公明党の信者って、なんでそう熱心なのか不思議だが、相手の気持ちを考えない我がままな人ばっかりの集まりなんだろうなーと思う」と批判。
  ・H・N・マックファーランド(アメリカの学者) - 1963年から64年にかけて日本に滞在して日本のPL教生長の家などの新宗教について調査し、「神々のラッシュアワー」という本にまとめた。その本の中で唯一、創価学会の調査の時だけは不快な思いをしたとして「創価学会の多くの信者の厚かましさや無作法によって何度も何度も気分を害される」と記している。
  ・島田裕巳 - モアハウス大学キング国際チャペルの主催により世界各地で「ガンジー・キング・イケダ展」が開かれていることに関し、世界的に高く評価されているガンジーキング牧師に対してイケダに二人に匹敵するだけの功績があるか疑問に思う人は少なくないであろう、と批判した[158]。「謗法払い」といって以前信仰していた時の仏壇や神棚を焼却させることもあった。
  ・ナヴィーン・パトナーヤク(インド地方政党ビジュ・ジャナタ・ダル党首、後のインドオリッサ州首相)、「ガンジー・キング・イケダ展」に対し、創価学会はガンジーだけではインド独立をなし得なかったことやインドの歴史認識を学ぶべきだと批判。
猪口邦子 - 2000年(平成12年)に創価学会の「宗教的団結心」("religious solidarity")を核とした「巨大な政治的力」("enormous political power")を警戒する人もいると述べた。
  ・石井一 - 2007年10月16日第168回国会参議院予算委員会で、公明党と創価学会の関係について質問した
  ・藤倉善郎 (やや日刊カルト新聞を主宰する宗教ジャーナリスト)- 創価学会について、現在でもしつこい「折伏」や、批判者や組織内の造反者に対する常軌を逸した攻撃が常に行われているとしている。また「安保法制」などをめぐる造反者側についても、「公明党はもともと平和の党」「池田大作先生は平和主義者」などの主張は、批判者への攻撃や言論妨害、しつこい折伏等の社会問題が、むしろ池田の会長在任期間中に起きていることから、池田を美化する「かつての創価学会」正当化は、歴史の歪曲だと強く批判している。むしろこれら社会的な批判を浴びた問題を池田信仰に基づき正当化してきたのが、カルト的側面を正当化する「かつての創価学会」であるとする。
  ・西山茂(宗教社会学者・東洋大学名誉教授) - 日蓮仏教にとっての創価学会の功罪について、第一の「功」は、相手が権力を持った官憲であれ、伝統的な宗教習俗を信じる庶民に対してであれ、「謗法」厳戒の姿勢を取った「伝統突破」(折伏というブレイク・スルー)の力にあるとする。第二の「功」は、「本門戒壇」の建立を、戦後日本社会の中で具体的に運動化したことだとする。一方で、「罪」は「功」の裏の部分に当たり、第一の「罪」として、他宗教への悪口雑言や暴力的な神棚撤去等の深刻的な人権問題を引き起こしたこと、第二の「罪」として、会則変更等の転進の際に過去を総括せず、過去と現在の教団の自語相違に一向に無頓着であり、信頼できない点を挙げている。
  ・島薗進(宗教学者・東京大学名誉教授) - 創価学会では、その排他主義的かつ自己完結的な教義体系のゆえに、強力な集団的統合が実現しており、指導者の指示のもと、一元的な意思の一致が前提とされ、自由な問いや討論が封じられる傾向があるとしている。また、上位者の権威への従順が宗教的指導の範囲を超えており、統制された集団生活の枠組みが日常生活のすみずみの領域にまで及んでいるため、個人の自由に任される領域が縮小する傾向があるとしている。とくに池田名誉会長崇拝にはそうした傾向が強く、このような個人の自立の抑制が「師弟不二」「異体同心」などの強調により正当化されている、と分析している。
創価学会は「池田教」であるという批判 (「池田大作本仏論」も参照 )
  ・創価学会は池田教であると批判される主な要因として以下が挙げられる。 「池田大作本仏論」の存在および初代・牧口、第2代・戸田、第3代・池田を「三代会長」「創価学会永遠の指導者」とすることを決めた会則の存在に対し日本共産党が同機関紙『しんぶん赤旗』で批判している。その後2016年(平成28年)11月7日に施行された改正会則の第1章総則第3条2項に『「三代会長」の敬称は、「先生」とする。』と加筆明記される
  ・元公明党委員長矢野氏は指導者としての池田大作名誉会長への個人崇拝が顕著であると主張をしている。
  ・「創価学園の中には創立者池田大作の肖像画が至る所にあり、生徒たちはその前を通る時は必ず拝まなくてはいけない」という決まりがあると主張。
  ・「創価大学・創価学園の入学選考に対し、創設者の池田大作が『創設者枠』という選考枠(推薦入学枠)を設け、創価学会幹部の子息や創価学会取引先の子息などを池田の意のままに入学させた」との主張があ


臨床宗教師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


臨床宗教師は、終末期にある人に宗教の立場から心理面での寄り添いを行う宗教者、およびその養成講座修了者に対する仮称

概要
  2011年3月の東日本大震災発生後の5月、人々の心のケアのため、宮城県宗教法人連絡協議会により「心の相談室」が開設。2011年の東日本大震災を機に、東北大学で養成がはじまり、龍谷大学、鶴見大学、高野山大学、武蔵野大学、種智院大学等の大学機関もこれに取り組んでいる。
  また、緩和ケアを実践していた医師岡部健により、日本においてもチャプレンのように、寺院以外の場所で終末期患者に寄り添う宗教者の存在が必要との考えにより、心の相談室の事務局を務めた鈴木岩弓の在籍する2012年に東北大学において養成講座が創設された。
  養成講座の対象とする宗教者は、僧侶や牧師、新宗教の教師など特定の宗教に限らない。
  養成講座の開設は他大学にも広がり、龍谷大学実践真宗学研究科種智院大学臨床密教センター鶴見大学(及び總持寺)でも実施されるようになっている。
  2016年2月には、これらの講座を実施する諸機関により、日本臨床宗教師会が発足した。
講座内容
  3か月に亘り、座学とワークショップ、大学外、他宗教、病院・老健施設等での実習が行われる。
資格
  被災地や医療機関などで悲嘆や苦悩のケアに当たる宗教者「臨床宗教師」について、日本臨床宗教師会(島薗進会長)が2018年3月から資格認定制度を始める。資格化によって医師や看護師などほかの専門職と協力しやすくする狙いもあり、当初は80~100人程度を認定する見通しである。









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