諫早湾干拓事業


2019.9.14-しんぶん赤旗-http://jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-14/2019091401_02_1.html
漁業者の開門請求権認める
最高裁判決 諫早湾訴訟 高裁に差し戻し


長崎県の国営諫早湾干拓事業をめぐり、潮受け堤防排水門の開門を命じた確定判決(2010年)を強制しないよう国が求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は13日、国側の訴えを認めて「開門しない」とした二審の福岡高裁判決を破棄し、審理を同高裁に差し戻しました。
 最高裁は、確定判決の時点の漁業者の共同漁業権が免許期間の経過で消滅し、開門を求める権利も失われたとした二審判決について「是認することができない」との立場を明確にしました。
 確定判決で示された「判決確定の日から3年を経過する日までに開門し、以後5年にわたって開門せよ」との判断について、次の免許期間(13年9月1日~)に移行しても開門を継続することを命じていたことは明らかだと指摘。同訴訟で国側が主張する“免許期間の経過”のみでは「確定判決についての異議の事由とはならない」とし、高裁に差し戻して審理を尽くす必要性を強調しました。
 判決を受け、最高裁の正門前に詰めかけた有明海の漁業者と支援者らは「よかった」「良識が示された」と喜びあいました。
 「よみがえれ!有明訴訟」弁護団の馬奈木昭雄団長は「かろうじて司法の信頼が保たれた」と振り返り、「(最高裁は)漁業者に開門請求権はあると明言し、私たちが示した論点を一方的に切り捨てた高裁の審理も厳しく批判されました。開門しなければ問題は解決しません。差し戻し審を頑張り抜きたい」と決意を述べました。


2019.9.13-産経新聞 THE SANKEI NEWS-https://www.sankei.com/affairs/news/190913/afr1909130025-n1.html
「宝の海」めぐり地域分断…複雑な構図も 諫早、現場の素顔
(1)
長崎県の国営諫早(いさはや)湾干拓事業をめぐり、潮受け堤防排水門の開門を命じた確定判決の無効化を国が求めた訴訟で最高裁は13日、審理を福岡高裁に差し戻した。開門して「宝の海」を取り戻したい漁業者側と、開門に反対する営農者側の対立は20年以上に及ぶ。現場を歩くと、堤防の防災機能としての評価とともに、単純な二項対立の構図ではない側面も浮かび上がる。(大竹直樹)
 ■「大雨でも安心」
 「一体いつまで振り回され続けるのか。早く決着をつけたい」。開門に反対する地元住民でつくる「諫早湾防災干拓事業推進連絡本部」の栗林英雄本部長(85)は13日、複雑な心境を吐露した。
 諫早湾を横断する全長約7キロの潮受け堤防。堤防上の歩道橋からは、有明海の青い海と農業用水を供給する茶褐色の調整池が見渡せる。湾が閉め切られたのは平成9年4月だった。
 「あの堤防ができてから大雨が降っても安心して寝られるようになった。堤防がなければ、この辺りはひと晩で冠水してしまう」
 昭和38年に入植が始まった旧干拓地の諫早市森山地区に住む主婦(65)は開門に反対の姿勢だ。堤防建設は湾の内側に農地を造成するためだけではなく、諫早地域を高潮などから守る防災機能の目的もあった。32年の諫早大水害では本明(ほんみょう)川が氾濫(はんらん)。死者494人、行方不明者45人という甚大な被害をもたらした。
 地区の自治会長を務める元ノリ漁師の農家、西村清貴さん(69)は「堤防ができる前から漁獲量は減っていた。開門しても有明海が良くなることはない。開門せずに有明海を再生すべきだ」と話す。
 ■「生態系崩れた」
 堤防によって干満差の大きい有明海は閉め切られ、干拓地へ海水が入ることはなくなった。それにより諫早湾で赤潮の発生や潮流の変化などの異常が増え、漁獲量が減ったと訴えているのが漁業者たちだ。
(2)
諫早市に隣接する佐賀県太良(たら)町の漁師、平方宣清(のぶきよ)さん(66)は「干拓で生態系が一気に崩れた」と憤り「補償金のために裁判をしているわけではない。宝の海を取り戻すためには、潮が出入りしやすい常時開門しかない」と訴える。
 町の特産物である竹崎カニや高級二枚貝のタイラギの漁獲量が減り、湾閉め切り3年後の平成12年にノリが大凶作になった。今の稼ぎ頭は中国に輸出するビゼンクラゲになったという。
 ■和解の道模索を
 見渡す限り平地の続く中央干拓地。670ヘクタールの広大な農地では、20年から野菜栽培を中心に大規模農業が営まれている。
 開門を求める漁業者と、望まない営農者-。干拓問題は、この単純な二項対立の構図ではない側面もある。営農者の中にも開門を求めている人がいる。農業生産法人社長の松尾公春(きみはる)さん(62)は「干拓農地の環境が悪い。海水が入ってこないので冬は寒く、水はけも悪い」と訴える。
 調整池に集まるカモなどの野鳥被害を訴え、開門と損害賠償を求める訴訟を起こしている松尾さんは「干拓地の地主である長崎県農業振興公社が営農者を締め付け、干拓地を離れる営農者もいる」と打ち明ける。
 一方、公社から約47ヘクタールの土地を借り、ハウス栽培のトマトなどを海外に輸出している「愛菜(あいさい)ファーム」専務の山内末広さん(64)は「もともと干潟だった土地なのでミネラル分が豊富で肥沃(ひよく)。われわれは『開門はしない』というから入植した」と振り返る。常時開門には否定的だが、「漁業者が生活できる環境に戻してあげなければいけない」と和解の道を模索すべきだとも考えている。


諫早湾干拓事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


諫早湾干拓事業(いさはやわんかんたく)とは、有明海内の諫早湾における干拓事業。諫早湾での干拓は古くから行われてきたが、本項目では主に1989年(平成元年)に着工した農林水産省による国営干拓事業とそれを巡る論争について記載する。

構想
1952年、長崎県知事西岡竹次郎(当時)が長崎県の平地を広げることと当時の食糧難を解決するために「長崎大干拓構想」として発案した。これが諫早湾干拓事業が発案されたきっかけである。干拓によって広大な干拓地が得られるとともに農地の冠水被害(塩害)が防がれ農業用水も確保されるとされた。諫早を流れる本明川は数年に1度の頻度で氾濫し、住民は水害に悩まされてきた[2]。1957年には500人以上が犠牲になる諫早大水害が起こっている。諫早市内には水害を防ぐために多数の水門が備えられており、見張り役が立って水門の開け閉めをしていたが危険な作業であった。当初の計画では諫早湾11000haを締め切って巨大な干拓地を造るものであったが、予算の関係で規模を1/3に縮小して農水省が1989年に着工した
   潮受堤防は全長7kmにもなる。・・・計画面積3500ha・・・造成面積: 約942ha(農用地等面積:約816ha、うち農地670ha)・・・調整池面積:約2,600ha・・・営農計画 - 露地野菜、施設野菜、施設花き、酪農、肉用牛・・・事業費 - 2,533億円

工事
   1989年より「国営諫早湾干拓事業」の工事が行われ、諫早湾奥に潮受け堤防が建設された。1997年4月14日潮受け堤防の水門が閉じられた。干拓の工事前に漁業補償として、総額279.2億円が支払われ、各漁協の漁業権は消滅(潮受堤防内八漁協)又は一部放棄・制限された
   2000年に有明海の養殖ノリが不作となると、本事業との関連が疑われ、2002年有明海沿岸の漁業者らが、潮受け堤防の閉め切りが不漁の原因であるとして工事中止などを求めて佐賀地方裁判所に提訴した。工事中止の仮処分申請も行った。2004年に佐賀地裁は漁業被害との因果関係を一部認め、工事中止の仮処分も決定されたが、2005年の福岡高等裁判所判決では仮処分を取り消され工事が再開された。
   潮受け堤防の締め切りから約10年後の2007年11月20日に完工式が行われた。同年12月22日午後5時、潮受け堤防の上に全長8.5kmの諫早湾干拓堤防道路が開通した。水門閉鎖により潮受け堤防内側の調整池は有明海から分離され淡水化された。調整池は農業用水源として使用された。調整池のさらに内側に内部堤防が築かれ、中央干拓地と小江干拓地が造成された。水の流れは干拓地の調整池から有明海への一方通行であり、調整池の水位が海面より+0.2mになると有明海への放流がなされた。潮受け堤防の締め切りにより高潮の被害は無くなった。

潮受け堤防の水門をめぐる動き
干拓に伴う漁業被害の報道
潮受け堤防の水門閉鎖後、深刻な漁業被害が発生していると報じられるようになった[2]。主な被害として、二枚貝タイラギの死滅、海苔の色落ちなどがあるとされ、自然保護団体や沿岸の各漁業協同組合が反対運動を行った。原因は干潟の浄化作用が機能しなくなった為とされたが、海苔養殖業者が消毒目的に散布した酸や化学肥料による影響との主張もあり、海苔養殖業者と他の漁業者との紛争も発生した。タイラギ貝の大量死は干拓工事開始の翌年1990年からが始まり、1993年からは休漁となっている。これらの被害を受けて、水門を開放して再び調整池を海水化したり、水門を撤去することを要求する運動が高まった。
開門を求める運動
2005年8月30日には、漁民らが公害等調整委員会に対して求めていた、有明海における漁業被害と干拓事業との因果関係についての原因裁定申請が棄却されている。潮受け堤防の開門を訴える人々の意見としては下記の内容が主なものである(以下出典は)。
  潮受け堤防の閉鎖以来、漁業被害がどんどん酷くなっており、その原因は諫早湾の干潟が失われたためである。生態系の回復には、開門による諫早湾の干潟の再生が不可欠である。
  潮受け堤防には河川の氾濫を防止する機能は無く、高潮を防止する機能しかない。開門しても洪水の防災効果が損なわれることは無い。もともと堤防の防災  機能は限定的なものであり、過大評価されている。
  調節池を海水化することにより、有毒なアオコが死滅することが期待できる。
  調節池を海水化しても、内部堤防によって干拓地への塩分侵入は妨げられ、塩害は増加しない。
  水門付近の海底はコンクリートで覆われているので、開門によってヘドロが巻き上がることは無い。
2002年の試験開門
これらの反対運動を受けて、2001年に武部勤農林水産大臣(当時)は干拓事業の抜本的な見直しを表明し、2002年4月から28日間の短期間の開門調査を実施した。調査期間中は調整池が海水面の-1mから-1.2mまでの水位を保つ形で水門が開けられて海水が調整池に導かれた。これにより調整池は塩分濃度は上昇して一時的に海水化され、その影響が検討された。しかし、調整池の淡水魚が死滅しただけで、有明海の環境は改善が認められなかった。短期の開門調査では「有明海の海洋環境の影響は検証できない」とされ[6]、2006年に農水省は「今後は開門調査は行わない」との方針を表明した。

開門を命じる判決 
2010年12月福岡高裁判決
2008年6月27日、漁民側が起こした干拓事業と漁業被害と関連を問う裁判で佐賀地方裁判所は漁業被害との関連を一部認め、潮受け堤防排水門について調査目的で5年間の開放を行うよう命じる判決を言い渡した。5年間という月日については開門によって生態系が回復するのに2年、その調査に3年とされた。これに対して国と主張が認められなかった漁民51人は福岡高裁に控訴した。赤松広隆農相(当時)は、未だ水門は開門されていないが、潮受け堤防排水門の開門調査に向けた環境アセスメントの結果を待たずに開門する可能性について「あり得る」と述べている。2010年12月6日福岡高等裁判所は佐賀地裁の一審判決を支持し、「5年間の潮受け堤防排水門開放」を国側に命じる判決を下した。判決は潮受堤防の閉め切りと漁業被害との間に因果関係を認め、期間中は高潮などの沿岸の防災上やむをえない場合を除き、水門は常時開放されるべきとした。また堤防の撤去と無期限開門については却下とした。国の責任については、「大型公共工事による漁業被害の可能性がある以上、率先して解明し適切な施策を講じる義務を負う」として、「中・長期開門調査は不可欠で、これに協力しないのは立証妨害である」とし、国の主張はことごとく退けられた
菅直人の上告見送り
菅直人はかねてより自民党が推進していた本事業を「無駄な公共事業」として強く批判しており、政権を取る前にも市民運動家やTVカメラを伴って水門に押しかけて水門をただちに開けるように要求するなどの行動を行っていた[1]。2009年9月民主党政権が誕生すると、民主党の検討委員会が「開門調査を行うことが適当」という見解を2010年4月にまとめた。2010年12月15日内閣総理大臣に就任した菅は、同年12月の福岡高等裁判所の判決について上告を断念すると表明した。これに対して中村法道長崎県知事は「国営事業として進められたのに(地元に)一切相談・報告がなく、報道で初めて聞いた。大変遺憾だ」として不快感を示した。政府内でも福岡高裁判決はあまりにも一方的であるとして上告する意見が大勢であった。諫早市長の宮本明雄(当時)や仙谷由人官房長官(当時)や鹿野道彦農水相(当時)が説得を試みたが、菅は「私が決断したことだ」と意見を変えず高裁判決を確定させた。長崎県知事・諫早市市長・雲仙市長・地元商工団体、農業関係者は連名で菅に23項目の抗議の質問状を提出した。産経新聞は、この判断により諫早湾干拓事業の問題が混迷化したと批判した
常時開門に向けた準備
福岡高裁の判決を受けて、国は開門に向けての準備を始める。2011年(平成23年)1月23日に当時の農林水産大臣と農林水産副大臣が長崎県を訪問し、地元関係者と意見交換を行った。また開門した場合の環境への影響を調査するために環境アセスメントを実施し、2011年10月18日にアセス準備書、2011年8月21日に修正版となるアセス評価書、2011年11月22日には更に修正を重ねた「諫早湾干拓事業の潮受堤防の排水門の開門調査に係る環境影響評価書(補正版)」を取りまとめて公表した。2012年11月2日農水省は、この事業で閉門中の水門の開門調査を2013年12月から実施する方向で長崎県側と最終調整する方針である事を発表した。これは前述の判決が2013年12月までに開門調査を始めるようにと命じたものであることによる措置である。

常時開門のために必要となった工事は下記のとおりである。
  代替水源対策(海水淡水化処理施設6カ所建設、ため池3カ所設置)および送水パイプライン(全長12.7km)
  常時排水ポンプ所設置(9か所)
  既設堤防の補強(67か所)
  既設ゲート、桶管補修(計26カ所)
  既設ゲートの電動化(10か所)
  排水門への汚濁膜設置(5m×1500m)
  塩害防止のための自走式スプリンクラーや散水設備設置
  海水浸透を防止するための地中への鋼矢板打ち込み(地下4mまで)
また、開門によって調節池の塩分濃度が上昇すると、様々な農業被害が発生することが予想され、それを最小限に食い止める対策として淡水化施設や貯水池などを349億円かけて諫早、雲仙両市に6カ所設置することになった。しかし後述の佐賀地裁の判断や住民の反対運動、長崎県の非協力によって頓挫した状態になっている。これとは別に、国は湾の環境調査や漁業再生事業として2004年から500億円を2018年までに費やしている
開門に反対する運動
堤防の治水機能の重要性を指摘する地元住民や営農者は開門に反対であった。開門命令を受けて農水省は長崎県の地元関係者の元に職員を派遣し戸別訪問を行った。その回数は、2013年度(平成25年度)当初予算成立後の同年5月15日から2014年度(平成26年)3月3日の約10カ月の間に、本省係官によるものが45回、九州農政局係官によるものが368回の合計413回にもなった。しかし、地元住民らの開門に反対する意思は強く、2013年9月9日に国有地で農水省が開門調査のために工事をに実施しようとしたところ、長崎県選出国会議員や県議、諫早市議らを含む住民ら約350人が集結してこれを阻止した。9月27日、10月28日にも開門に反対する地区住民のべ1700人に阻止されて、工事をすることができない事態となった。対策工事の予定地は開門反対派である民有地や県有地(長崎県と諫早市も開門に反対)が多く、それらの場所については着工する目処が立たず、開門に向けた対策工事は実施不可能となった[17]2002年4月から5月にかけて短期間の開門調査においては、漁業側の中からも、汚染された調整池の水やヘドロが有明海の環境に悪影響を及ぼすとして開門調査に反対する声があった。開門判決から5年経過した2015年9月の段階でも、開門に必要な工事は地元住民の反対運動に阻まれて全く着手できなかった。諫早市長の宮本明雄は、「開門調査は百害あって一利なし」と切り捨て、開門に向けての調査は工事は一切認めない考えを示した。また農水省が開門を求める裁判にも、地元住民の証言を認めないなど、干拓に対する政府の態度に変化が生じている点を指摘し、「民主党政権になってから諫早湾干拓事業は地元の意見を置き去りにして「無駄な公共事業」の象徴にされてしまった」と述べた。
開門反対派の主張
開門に反対する人々が問題としているのは下記の点である。
  水門を常時開放すると、水門の内外での水位差がなくなり、洪水に備えて水門内側の水位を下げておくという対応ができず、洪水被害が増えることが予想される。堤防が出来る前は、諫早では数年に一度の頻度で、市内を流れる本明川などが氾濫し、たびたび水害に悩まされてきた。昭和32年には500人の死者を出す  諫早大水害が起きている。堤防が出来てからは、高潮や洪水に悩まされることが無くなっている。
  干拓地では41経営体により672haの農地で農業が行われ、その背後地には約3500haの穀倉地帯が広がっている。調節池が海水化されて水源として使えなくなり、農業用水が不足する可能性がある。
  かつて地下水を農業用水として利用していた地区もあり、地下水の採取による地盤沈下が深刻であった。再び地下水採取が必要となると、地盤沈下が再燃する可能性が大きい。
  背後地(約3500haの穀倉地帯)の多くは、今回の干拓地より標高が低く、開門によって調節池の水位が上昇すれば排水不良となる可能性がある。
  調節池の水位上昇により地下水位が上昇し、地下からの海水浸透による塩害が危惧される。干拓前は塩害に比較的強いコメ作が中心であったが、調節池淡  水化後は土壌の塩分濃度低下をうけて畑作やビニルハウス栽培も盛んになっており、干拓以前にもまして塩害にシビアな状況になっている。
  高潮や冠水にそなえる堤防や排水設備が老朽化しており、水門開放には対応できない。
  狭い水門から大量の海水が出入りすることになり、海底のヘドロが巻き上げられ、水質が悪化する可能性がある。
開門を差し止める判決 
2011年4月19日、長崎県諫早市側の干拓地の入植者や後背地の住民、長崎県農業振興公社ら352の個人と団体が、国を相手に開門の差し止めを求める訴訟を長崎地方裁判所に提訴した。2013年11月12日、長崎地裁は、福岡高等裁判所の判決を受けて国が実施しようとしている開門によって、多数の住民が農業漁業の生活基盤を失い重大な影響を受けるとし、開門に向けて作業の差し止め命令(仮処分)を出した。国側は開門によって漁業環境が改善される可能性があるとしたが、長崎地裁はその可能性は低いと判断し、開門にともなう環境調査についても公共性の程度は高くないとした。2010年までは水門閉鎖と漁業被害との関連を一部認める判決があったが、その後の調査や漁獲高の推移より、水門との因果関係を疑う判断に傾いた。2015年の福岡高等裁判所では、タイラギやアサリ漁で漁獲高が減っていることは認定したが、「漁業環境の悪化が、開門しないことに起因するとは立証されていない」として1審の漁業者16人への計1億1100万円の賠償命令を取り消した

制裁金
間接強制の申立
2014年4月に漁業者(開門派) の申し立てにより佐賀地裁は開門に向けた制裁金(間接強制)を命令した。また2014年6月に営農者(閉門派)の申し立てにより長崎地裁も開門時の制裁金を命令した。その結果、開門しなければ漁業者に1日45万円(福岡高裁判決)と、開門すれば営農者に1日49万円(長崎地裁仮処分)という2つの制裁金(間接強制)が確定した。国は抗告したが2015年1月の福岡高裁はいずれの決定を支持した。国は許可抗告を行ったが、2015年1月、最高裁判所はいずれの制裁金も有効として棄却し、開門の有無に関わらず制裁金支払いが必要となる状態が確定した。決定では「審理すべき立場にない」として開門の是非には踏み込まず、「民事訴訟では当事者の主張により審理で判断が分かれることが制度上あり得る」とし、「国が開門について相反する義務を負うことになっても、根拠となる司法判断がある以上、間接強制を決定できる」とした。
制裁金の増額と課税
2015年3月24日には佐賀地裁は間接強制決定が奏功せず国が支払う制裁金額が不適当として、漁業者側に支払う間接強制の制裁金を日額90万円(1人当たり2万円)に増額することを決定した。これに対して税務署は「民事の制裁金は課税対象である」として、納税するように指導した。漁業者代表は、納得できないが一時的に納税することにする。納税の是非を巡っては司法の場で争うとした。2018年7月現在で、2014年7月から漁業者に計12億円が支払われている。漁民1人当たり年間730万円の額であるが原則弁護団が管理している。このため、制裁金を受け取れない一方で、年収増による医療費や介護保険料の減額措置が受けられなくなったという不満が漁業者側に強い。
漁獲高の推移
環境省での調査や、NPO法人有明海再生機構、西海区水産研究所、農水省統計などによる有明海の環境調査では、「有明海のうち、諫早湾及びその近傍部を除く海域については、本事業と環境変化の関係を認めることができない」という調査結果が出された。また、農水省も「諫早湾干拓事業による水質変化は、諫早湾に限られていた。」と発表した。環境モニタリングでは、潮受堤防の締切り後に諫早湾内の魚卵や仔稚魚の出現数が減少した結果は見られなかった。また、10種類の魚類について生態・生息分布・漁獲量の推移等を個別に調査・検討されたが、潮受堤防の締切り後に漁獲資源量が減少した事実も無かった。もともと有明海では、1987年頃より漁獲高は減少傾向にあったが、干拓事業の開始された時期に漁獲高が更に急激に減少した事実は調査の結果確認されなかった。
  日本陸水学会と日本水環境学会が2003年に開催した合同シンポジウムでは、海苔の不漁や色落ちの原因について様々な仮説を唱えて「諫早湾干拓事業の影響」とする一方で、豊漁については養殖管理技術の向上や天候の影響だと説明した。一方佐賀新聞によれば、有明海の海苔は諫早湾干拓事業後も2016年までに13年連続で販売額日本一を達成している。1989年から2007年まで、有明海の海苔の生産高は上昇基調である。特に有明海の佐賀県沿岸での海苔の生産は、18年間で倍増している。
  タイラギについては工事開始時期に諫早湾周辺で漁獲高が激減したが、1979年・80年に9000トン前後水揚げされていたものが、その後著しい不漁の状態が20年以上続いている状態であった。また近隣海域である八代海区でもかつて2000トン以上が水揚げされていたものが干拓工事の開始以前より殆ど収穫できない状態が続いていることが報告され、不漁が今に始まったことではなく、また他地区でも同じことが以前より観察され、その原因も不明であることが指摘された。アサリについても、諫早湾近傍での漁獲高減少が認められたが、有明海全体としては1989年から2007年までの期間で生産量に変化は認められなかった。
その後の司法判断
福岡高裁は「2013年12月20日までに水門を開けろ」と命令し(上告せずで2010年12月に判決確定)、長崎地裁は「当面開けてはならない」と命令(2013年11月仮処分命令)した。国は基本的に開門しない方向であったが、菅首相は上告を見送ったことにより、国は相反する司法判断を突き付けられることになった。いずれを優先するか明確な取り決めは無く、その後も裁判が続くことになる。
  「水門を開けろ」と判決を下した福岡高裁は、2015年9月の逆に長崎地裁の上告審判決で「漁業被害と、開門しないこととの間に因果関係は認められない」として開門を求める漁業関係者の請求を退けた。また長崎地裁が認めた一部漁業者への賠償も取り消した。この判決を受けて、菅義偉官房長官は、改めて最高裁での統一的判断を速やかに求めていき、国が背負っている相反する義務を解消に努力する方針を示している
  2018年3月、福岡高裁は開門しない方針として、漁業補償と復興を国が創設する100億円の漁業振興基金を充てるとする和解勧告を示していたが漁業者側はこれを拒否し、和解交渉は5月に打ち切られた。2019年6月に最高裁は漁業側の上告を棄却し、最高裁判決では初となる「開門せず」の判断を示す。
  「開門しろ」「開門するな」「開門してもしなくても制裁金はどちらかに払え」という「捻じれた司法判断」を受けた国は、その解消に向けて確定判決を無力化する訴訟を起こす。2014年12月の1審佐賀地裁は国側は敗訴したが、2018年7月30日、福岡高裁は、制裁金の支払いを認めた一審佐賀地裁判決を取り消す決定を示し、漁業者側への制裁金の支払い停止を認めた。判断の理由としては開門の是非には踏み込まず「開門請求権の根拠となる共同漁業権が既に消滅している」ということを理由として挙げた。漁業者側は支払いの再開を求めて最高裁へ上告した。2019年9月の上告審では、「漁業者側が開門を求める前提となる漁業権は再び与えられる可能性もある」として、漁業権が消滅するという理由だけで以前の判決の無力化は認められないとの判断を示し、2018年7月の高裁判決を破棄して福岡高裁に差し戻した。この判決では開門の是非に言及しなかったが、開門を命じた確定判決の無効化もあり得ると示唆した
裁判の時系列
2004年8月、佐賀地方裁判所(一審) - 工事中止の仮処分を決定
2005年5月、福岡高等裁判所(二審) - 工事中止の仮処分を取り消し
2007年11月、干拓事業完成。
2008年6月、佐賀地裁(一審) - 開門を命じる
2010年12月、福岡高等裁判所(二審) - 水門開放を命令。菅首相、控訴せず。判決確定
2013年11月、長崎地方裁判所(一審) - 水門開放請求を棄却。当面、開門してはならない。
2014年4月、佐賀地方裁判所 - 開門しなければ制裁金支払えと命令。(1人1日1万円)
2014年6月、長崎地方裁判所 - 開門すれば制裁金支払えと命令。
2014年6月、福岡高等裁判所 - 長崎地裁の制裁金の判断は妥当である
2014年12月、佐賀地裁 - 開門命令の判決を無力化せず。国側敗訴。2018年7月の福岡高裁へ
2015年1月、最高裁 - 制裁金の判断は矛盾していても、どちらも有効と認める。判決確定
2015年3月、佐賀地方裁判所 - 国が開門しないので、制裁金を倍額に増やせ。
2015年9月、福岡高等裁判所(二審) - 水門開放請求を棄却。
2015年6月、福岡高等裁判所(二審) - 佐賀地裁の倍額増額判断は妥当。最高裁へ
2015年12月、最高裁 - 佐賀地裁の倍額増額判断は妥当。判決確定。(1人1日2万円へ)
2016年1月、長崎地裁 - 和解勧告するも2017年3月に決裂。交渉打ち切り。
2017年4月、長崎地方裁判所 - 開門を差し止める判決。
2018年3月、福岡高等裁判所 - 和解勧告するも2018年5月に決裂
2018年7月、福岡高等裁判所(二審) - 漁業権が消滅しているとして、漁協への制裁金支払い停止を認める
        また漁協側に開門を求める権利も消滅している(2014年12月の佐賀地裁の上告審)。最高裁へ。
2019年6月、最高裁判所 - 漁業者による開門を求めた訴訟及び営農者による開門差し止めを求めた訴訟の上告を棄却。判決確定
2019年9月、最高裁判所 - 2018年7月福岡高裁の上告審。福岡高裁へ差し戻し。高裁判決を破棄。開門しない方針での解決を示唆

地元における干拓事業推進派の背景
諫早湾南岸の諫早市小野地区及び同市森山町地区には推進派住民が多い。この地域は島原半島首頚部の狭隘な地峡に当たり、江戸時代から昭和期にかけての干拓によって集水域面積に見合わないほどの広大な干拓地を擁するに至った地域である。例えば旧森山町の林野面積646haに対して耕地面積941haであり、この耕地面積の84.2%が水田である。これは諫早湾北岸北高来郡高来町(現諫早市高来町)の林野面積3,231haに対する耕地面積が725haであり、そのうち水田面積が66.6%であることと比較すると、その水田面積と比べてこれを涵養する集水域の狭さが理解できる。
  このため、この地域では不足しがちな灌漑用水を干拓地水田のクリーク網に溜めることで確保してきた。水をしっかりくわえ込む構造のクリーク網を備えた水田は、梅雨期にこの地方を頻繁に襲う集中豪雨によって容易に冠水し、田植え直後の稲が壊滅的打撃を受ける危険と隣り合わせの米作りを強いられてきた。こうした悪条件の克服は、といった一地方公共団体レベルの事業では手があまり、レベルの事業による給排水問題の解決が望まれてきた。これが、国や県当局が事業の当初からこの干拓は農業政策だけでなく地域の人命と財産を守る防災(冠水防止)をも目的とする根拠であり、諫早市小野地区と森山町地区住民、特にその中の水稲農家は事業遂行の人質的な立場にあるとも言える。








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