一人っ子政策-中国

一人っ子政策】 中国で1979年に施行された政策。 急激な人口増加を緩和するため、一組の夫婦につき子供を一人に制限し、二人目からは
罰金を科すもの。 人口抑制の効果はみられたが、社会全体の高齢化や労働人口の減少が深刻化したため、段階的に緩和策をとりながら2015年に廃止。



独立行政法人 労働政策研究所・研修機構
「一人っ子政策」撤廃の影響

中国では2016年1月にいわゆる「一人っ子政策」が撤廃され、すべての夫婦に二人目の子どもを持つことが認められるようになった。少子化の進展に伴う労働力不足、国内の投資・消費の縮小などが問題視されてきたことなどから、1970年代から続いてきた人口抑制策は転機を迎えた。今後は「二人っ子政策」のもとで、出産を奨励する方向に舵を切る。中央政府の決定を受け、各地方政府は規定を改定し、結婚・出産の時期を遅らせることにインセンティブを与える「晩婚・晩産休暇」を廃止するとともに、年齢を問わずに法定を上回る「出産休暇」を設けるといった出産優遇措置をとり始めた。だが、経済的な理由などから、2人目の子どもを持つことに消極的なカップルは少なくないとみられている。

出産の権利と管理
  中国では1970年代から急激な人口増加を抑制するため、「晩、稀、少」(遅く、間隔を空け、少なく産む)(注1) という「計画生育(出産)政策」をとるようになった。1978年には「できるだけ1夫婦あたりの子どもは一人とし、多くても二人とする」方針が国策として示され(注2)、1979年の全国計画出産工作会議でこの方針から「多くても二人とする」という文言が除かれ、上海市などで「一人っ子政策」がスタートした。1980年には「1組の夫婦に子供は一人とする」ことが全国的に提起された(注3)。法律上は、1978年憲法で「国家が計画出産を提唱し、推進する」ことが定められ、1982年憲法で夫婦に計画出産が義務付けられた(注4)。こうした原則のもとで、第二子出産の条件等の詳細な事項は各地方の条例で規定された。
  2002年には「人口・計画出産法」が公布され、「公民は出産の権利を有し、また法によって計画出産を行う義務を負い、夫婦双方は計画出産の実行に共同の責任を負う。」(第17条)、「国は現行の出産政策を安定させ、公民の晩婚晩産(注5)を奨励し、1組の夫婦が一人の子どもを持つことを提唱する。法律、法規に定める条件に適合するときには、第二子の出産を求めることができる。具体的規則<弁法>は省、自治区、直轄市人民代表大会又は同常務委員会が定める。」(第18条)とされ、この規定に適合しない子ども産んだ場合は「社会養育費」を納めなければならないこととされた(第41条)。
ただし、農村部では第一子が女児の場合、第二子の出産が認められ、その後、農村部で経済上の困難がある夫婦は数年間の間隔を空けて第二子を設けてよいとされた。また、夫婦とも一人っ子の場合や、少数民族などにはこの政策を緩和する措置がとられるようになっていた。
  2013年の中国共産党第18期中央委員会第3回全体会議では「改革の全面的進化に伴う若干の重大な問題に関する決定」がなされ、夫婦のどちらかが一人っ子であれば、子どもを二人まで設けることを許容する「単独二人っ子政策」が打ち出された。そして、2015年の同第5回全体会議で、1組の夫婦に二人の子どもを認める方針が示され、いわゆる「一人っ子政策」は「二人っ子政策」に変わった。

「二人っ子奨励」への転換
  「二人っ子政策」への変更に伴い、「人口・計画出産法」が改正された(注6)。第18条の「公民の晩婚・晩産を奨励し」という文言は削除され、「1組の夫婦が一人の子どもを持つことを提唱」は「1組の夫婦が二人の子どもを持つことを奨励」に代わった。さらに、第25条の「晩婚晩産の公民は、結婚休暇、出産休暇延長の奨励又はその他の福祉待遇を受けることができる」という条文が、「法律、法規の規定に該当し子女を出産する夫婦は、出産休暇の延長の奨励、その他福利待遇を受けられる」に改められた。
  法改正を受け、各地方はそれぞれの「人口・計画出産条例」の見直しを進めている。これまで各地方政府は「一人っ子政策」を推進するため、晩婚・晩産者に対して結婚・出産時の休暇を優遇する規定を設けていた。例えば、北京市、上海市では7日間(結婚休暇(注7)とあわせて10日間)、広東省では10日間(同13日間)の「晩婚休暇」が、北京市、上海市、広東省では30日間、山東省では60日間の「晩産休暇」が、対象となる労働者に付与されていた。「一人っ子父母栄光証」(注8)を取得している者などに、さらに長い休暇を与える地方もあった。
  「人口・計画出産法」の改正とともに各地方は条例を改正し、「晩婚休暇」「晩産休暇」など「一人っ子」を奨励する規定を相次いで廃止。それに代わり、「二人っ子政策」に基づく出産を促すため、出産の年齢にかかわらず法定(98日間)(注9)を上回る日数の出産 (生育、育児)休暇を設ける措置などをとり始めている(表1)。上海市や広東省では30日間、四川省、安徽(あんき)省では60日間の出産休暇を法定日数に上乗せして付与することが定められた。
また、配偶者 (夫)の「出産介護休暇」 (育児休暇、出産付添休暇)について、各地で妻の出産年齢などの条件を外し、付与日数を増やす改定も行われている。上海市ではそれまでの3日間(注10)を10日間に、広東省では10日間(注11)を15日間に増やした

少子高齢化に歯止めはかかるか
  中国国家統計局によると、中国の生産年齢人口(15~59歳)は2011年をピークに減少に転じた。「二人っ子政策」への転換には、こうした少子高齢化に歯止めをかけることが期待されている。中国社会科学院人口・労働経済研究所では「中国の出産率はすでに非常に低い状況であることから、今後の労働力不足は目に見えており、高齢化が急激に進んでいる。二人目出産の全面解禁は、出産率を速やかに引き上げ、人口構造上の矛盾を緩和する上で、極めてプラスに働く」との見方を示している。
  しかし、「中国青年報」などが約3000人の男女を対象に実施した調査結果 (2015年11月発表)によると、二人目の子どもを持つことについて「考える」と答えた人は約半数の46.2%だった。そして、51.6%が「生活の質は落としたくない」、40.4%が「今の生活のリズムを崩したくない」、32.1%が「職場での出世の可能性を犠牲にしたくない」として、二人の子どもを持つことに慎重な姿勢をみせている。また、86.6%が「社会の福利厚生が整わなければ安心して二人目を産めない」と答えている。
  中国のメディアである「毎日経済新聞」の報道によると、中国の旅行サイト「携程網」の最高経営責任者 (CEO)である梁建章氏 (北京大学教授)は2015年12月に行われたフォーラムで、「本当に二人目を産みたい夫婦は30%程度だ」との考えを示した。そのうえで、政府はGDP (国内総生産)の15%程度に相当する額の補助金を子育て世帯に支給することを検討すべきだと提案し、育児世帯の負担を軽減し、社会の少子高齢化に歯止めをかける必要性を訴えた。


2017.9,24-COURRiER-(https://courrier.jp/news/archives/98357/)
そして絶望だけが残った。残酷な社会実験“一人っ子政策”|ピュリッツアー賞受賞記者の渾身ルポ

  経済成長のためにと始めた“一人っ子政策”が中国を確実に蝕んでいる。この政策は妊娠中絶や精管切除を正当化するもので、そこから派生する問題は、
     高齢化による労働力不足、人身売買、多数の無国籍者……とその闇はどこまでも深い。それでも世界には、一人っ子政策を支持する声が聞かれる。
     こんなことは看過してはならない──ピュリッツアー賞受賞記者が描く驚愕のルポルタージュ。

中国経済はなぜ成長したのか
  冷戦のさなか、中国のロケット科学者たちが、ミサイルとも宇宙開発ともいかなる種類の兵器ともまったく関係ない一つの野心的な計画を考えついた。
     それは「赤ん坊についての計画」だった。一九八〇年九月二五日、中国共産党はこの計画について公開書簡のかたちでメディアなどに広く発表し、
     党員に子供の数を自主的に一人に制限するよう要請した。ここでいう要請とはその実、命令であった。かくして、世界でもっとも過激な社会実験
     「一人っ子政策」が始動し、それから三五年ものあいだ続けられた。そして現在も、世界人口の六分の一を占める中国人がどのように生まれ、生き、
     そして死ぬかを左右しつづけている。
  一人っ子政策は、短期集中ダイエットと同じように「効果がある」という理由を掲げて始められた。この政策は、アメリカの総人口に匹敵する人口を赤貧から
     救うという超人的課題の達成に不可欠な措置だと、中国指導部は主張した。しかし一人っ子政策は、短期集中ダイエットと同じく、過激な手段を採用
     し即効性を目指した結果、多くの副作用をもたらすことになった。強制的な精管切除や妊娠中絶などの一人っ子政策の行き過ぎは、国際社会の
     非難を招くこととなった。しかし中国の経済成長は目覚ましく、それに一人っ子政策が貢献しているとされているため、成長を称賛せざるをえない
     世界は批判をトーンダウンさせている。
  だが、誤解してはならないのは、中国の急速な経済成長は人口抑制計画とはほとんど関係がないということだ。それどころか、中国の人口政策は急速な
     高齢化と男性過剰、さらに今後予測される人口減少を招いたことから、未来の成長を阻害する政策だといえる。中国の急成長の一因となったのは
     人口減少ではなく、人口増加なのだ。この国が製造大国として台頭することができたのは、一人っ子政策立案以前の一九六〇年代から七〇年代に
     生まれた、ベビーブーム世代という安価で豊富な労働力があったからにほかならない。たしかに、出生数が少ないほど人的資源への投資はより
     大きな効果を生む。たとえば教育資源をとっても、人口が少ないほうが質の高い教育が可能になる。
  しかし、多くの経済学者の意見では、中国の急成長を支えたのは出生数の制限ではない。政府が積極的に海外投資を呼び込み、民間企業を
     育成したことだった。

大地震と家族。一人っ子政策の実験区を襲った悲劇
  近年中国でも最悪の惨事である四川大地震は、当初はごく単純な悲劇に思われた。大地が揺れ動き、建物が壊れ、約七万人の死者が出た。やがてこの
     地震は、一人っ子政策がもたらした悲劇が、衝撃的なかたちで表面化した出来事だということがわかってくる。震央となった什邡県が一人っ子政策の
     実験区だったことはほとんど知られていない。一九八〇年に一人っ子政策が全国的に導入される以前に、人口計画立案者たちは、四川省、中でも
     什邡県で重点的に、強制的な手段を用いて驚異的な低出生率を実現させるという実験を始めていた。
  四川省を選んだ第一の理由は、そこが中国の農村地域の中心であり、中国の全人口の一割が住む省だったからだ。第二に、鄧小平の出身地だからである。
     どんな理由だったにせよ、その実験は目覚ましい成果をあげた。
  一九七九年までに什邡の人口増加率は激減し、一人っ子政策に忠実に従った夫婦は九五パーセントに達した。四川のこの実験によって人口計画立案者
     たちは、中国には「人口政策の奇跡を実現」する「素晴らしい可能性があると確信した」と人口学者スーザン・グリーンハルは記している。
  実験が開始されてから約三〇年後、四川を地震が襲ったとき、国営新華社通信によれば約八〇〇〇組の夫婦が一人きりのわが子を失った。
     地元メディアによれば、什邡では三分の二以上が一人っ子家庭であり、地震で子供世代が全滅してしまった村もあるという。このことは地震という
     悲劇に奇妙な現象をつけ加えた。地震から数週間も経たないうちに、国の人口計画によってはるか昔に強制的な避妊手術を施された人々が、
     妊娠する能力を回復する手術を受けようと殺到したのだ。失ったわが子に代わる新しい子供を妊娠しようと誰もが必死になった。
  まもなくそうした人々は、騒ぎを起こさないという誓約書に無理やりサインさせられた。子供を亡くした親たちの嘆きや、多くの子供が死ぬ原因となった
     粗悪な学校建築に関する報道は、厳しく制限され、問題を追及しようとした地元住民は身柄を拘束された。多くの命が失われ、多くの家庭が
     損なわれたが、オリンピックの開催が数ヵ月後に迫る中、抗議の声は徹底的に潰された。

一人っ子世代の苦悩
  二〇〇五年、サンディエゴ州立大学の教授メイ・ジョンが一人っ子たちの手紙を調査した。手紙はラジオのトーク番組の司会を務める作家、陳丹燕宛に
     送られてきたもので、 『一人っ子宣言』というタイトルの本になっている。
  ジョン教授はそれらの手紙を読んで分析し、分類した。そして、一人っ子たちの大半が、親からのプレッシャー、過剰な愛情、そして孤独感を強く感じている
     ことを明らかにしたのだ。「総じて文面には憂鬱な調子が見られる。ストレスとプレッシャーが主なテーマとなっている」とジョンは指摘している。
  親が子供のために大きな犠牲を払っていることに、子供たちは困惑と罪の意識を抱いている。大学の授業料を払うために自分の血液を売ると言いだす
     父親。毎週末学校から帰ってくる娘のために豪華なごちそうを用意し、平日はその残り物だけで過ごす両親。ある一〇代の若者が母親について
     詳しく語った話では、彼女は毎日仕事に向かう前に、町の向こうから息子の寮まで朝食を携えてやってきてはベッドを整えるという。
  「すぐにルームメートたちから苦情が出ました。彼らは起きたときに部屋に女性がいることに慣れていなかったのです。それからはルームメートたちや、
     クラスメートたちまでもが僕に宝宝(赤ん坊)と、ニックネームをつけ、母がするように語尾に長く抑揚をつけて呼ぶようになったのです」
  こうした話からは親の期待の大きさが見てとれる。一人っ子世代の親の多くは、文化大革命のせいで教育を受ける機会を奪われたり、
     中断させられたりした、とジョンは指摘する。
  「親たちは自分の夢を叶えることができなかった分、唯一のわが子を通じて自分の夢を実現するしかないと考えている。親の切迫感が、あらゆる面で子供
     を成功へと駆り立てる圧力となっている」

こんなことを書く子もいる。
  「私たち一人っ子世代は自意識が過剰です。親世代の混乱した歴史のせいで、親の目標や膨らむばかりの親の夢をすべて背負わなければなりません。
     前の世代の人たちに比べると、私たちに自由な未来はなく、親が歩けなかった道をたどっているだけなのです。私たちは親の夢のために生き、親の夢
     のために奮闘しているのです」

社会をむしばむ異常な男女比
  中国農村部では通常、結婚に際して両家が金銭と贈り物を交換する。新郎の家からは結納金を、新婦の家からは持参金を払う。通常は、結納金を払う
     新郎側にとって得な仕組みである。なぜなら農村女性は、料理人であり性交渉の相手であり子供を生む存在という経済的価値があるからだ。
  毛沢東時代には、両家が交換するのはそれほど高額なものではなく、衣類やほうろうの洗面器といった程度のものだった。裕福な家なら、
     フライング・ビジョン社の自転車や紫檀の家具など高価な品を贈ることもあっただろう。ところが、一人っ子政策の下で生まれた世代が結婚年齢に
     達した二〇〇一年ごろから、これら「彩礼」の額は跳ね上がった。
  中国には一人っ子政策以前から、歴史的に男子を尊ぶ風潮があったのはたしかだが、これに加えて一人っ子政策が強要されたために、男女比の
     アンバランスが世界最大になったことは間違いない。
  二〇二〇年までに、中国では男性が女性より三〇〇〇万から四〇〇〇万人多くなり、中国の独身男性人口は、カナダやサウジアラビアの全人口と同等
     またはそれ以上になると予測される。一〇年後には、中国人の四人に一人が未熟練労働者の独身男性になると見込まれている。
  男子偏重文化は他の国にもあるが、中国ほど極端な例はない。一人っ子を男女どちらにするかの選択を迫られた結果、多くの中国人夫婦は家名の存続
     のため男子を選び、女児の間引きや遺棄が横行したという。技術が進んだ現在では、妊娠期間中に性別を判別して中絶するといった手段まで
     使うようになった。
  インドも同じく男子偏重の国だが、一人っ子政策は一度もとられたことがなく、新生児の男女比は男一〇八にたいして女一〇〇である。中国では、
     二人っ子政策に転換された時点で、男一一九対女一〇〇という驚くべき数字になっていた(世界平均は男一〇五対女一〇〇・男は女より危険な行動
     をとることが多く、男のほうが早世する確率が高いため、この比率は自然の法則にかなっている)。
  結婚相手を見つけることができない独身男性の人口がこれほど膨大になった国は、史上例を見ない。膨大な移民を受け入れるなら別だが、
     中国がそんな政策をとる見込みは薄い。独身の男性は「光棍(こうこん)」と呼ばれる。中国語で光棍とは「樹皮を剝いて作られた棍棒」を意味し、
     これでは後世に樹木の子孫を残すことはできず、つまり生物学的な行き止まりを意味することから転じて独身者を指すようになった。

そして双子が増加した
  一人っ子政策の国で、生殖医療が大ブームになった。中国では、体外受精その他の不妊治療をする医療機関として公的に認可されたものは、二〇〇一年
     には五件しかなかったが、急激に増加して今や二〇〇件を超える勢いだ。無認可の病院も入れれば、その数は計り知れない。排卵誘発剤、
     クロミフェンの販売数も激増し、ネット販売価格は一箱一ドル五〇セントまで値下がりした。
  中国における双子の出生数はこの一〇年のあいだに倍以上となり、八九人に一組の双子が生まれるほどまでになった。この数値は三〇人に一組という
     アメリカと比べるとまだ低い。
  しかしハーバード大学と北京大学の経済学者グループの研究によれば、アメリカで双子の出生率が上昇したのは、主に女性の出産年齢が上がったことが
     理由だった。これにたいし中国では、増加した双子の少なくとも三分の一が、一人っ子政策が理由で生まれたという。つまり、中国の女性たちは
     一人っ子政策をかいくぐるために、不妊治療薬を使用したり双子ではない子供を双子と登録したりすることで、意図的に「双子」の母となっている
     というのだ。
  たとえば二〇〇〇年、雲南省の役人は三〇〇余りある村から七〇〇組の「偽装双子」を摘発した。計画外出産にたいする罰金が高い省では、取り締まり
     の緩い省に比べて双子の出生数が多いことも研究者によって明らかにされている。少なくとも1つの推計では、上海の新生児五〇人に
     一組が双子だったという報道もあった。
  二〇一〇年には、広州市(広東省)の成功した女性実業家が、一ヵ月のあいだに八人の子供の母となり、生殖能力の限界と、国家人口計画出産委員会
     の許容範囲に挑戦した。
  不妊治療で多胎妊娠をし、さらに代理母二人を使って計八人の母になったのだ。マスコミは彼女を「八胞胎母親」つまり「中国のオクト・マム」
     (※オクトは「八」を意味する。二〇〇九年には第八子を産んだ)と呼んだ。地元はこの母親が不妊治療や代理母、診察料、十一人のベビーシッタ
     などにかけた費用は一六万ドル近いとも報じられた。
  この家族が訪れた写真館がインターネット上に彼らの家族写真を載せ、それが広がってこの事実が表沙汰になったのだが、これにたいし世間は、
     まさかという驚きで騒然となった。
  「何ということでしょう。一つの家族に子供八人とは……ほとんどの人がたった一人しか子供をもたない計画出産のご時世ですからね。この違いはあまりに
     大きすぎますね」。中央電視台の解説者は言った。
  「もうニュースというより、作り話のように聞こえるほどです」
  この家族はマスコミの目を逃れるため身を隠した。二年後、広州市計画出産委員会はこの件に関する捜査は終了し、この夫婦には相当額の重い罰金が
     科されると発表した。


一人っ子政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


一人っ子政策では、中華人民共和国における人口政策である。とりわけ1979年から2015年まで導入された厳格な人口削減策を指し、2014年から二人っ子
  に緩和されている。2018年時点で91万3593ヵ所の拠点と9400万人のメンバーを持つ中国計画出産協会が取り締まってきたが、二人っ子制限も廃止が
  検討されている[1]

概要
中華人民共和国建国前の旧中国では、1840年アヘン戦争から1949年の建国に至るまでの109年間に4億1000万人から5億4000万人と、1億3000万人、年平均0.26パーセントの人口増加率にしか過ぎなかった[2]。内戦や自然災害も多く、多産多死の「人口転換」前の段階であり、人口は停滞し続けた[2]。しかし、その後、社会は安定し、人口が急増し始める[2]。建国後の出生率の変動過程に注目しつつ、建国後の人口動態史を時期区分すると以下の4つの段階に区分される[3]
第1段階(1949年から1959年)・第1次人口増加期

1952年までをその前半期とする[3]。出生率の急上昇と死亡率の急低下により、自然増加率も2パーセント前後の高い水準にあった[3][4]1950年に制定された『中華人民共和国婚姻法』の理念(数千年来の旧中国の家父長的な家族制度を打破することなくして社会主義国家建設は実現できないとの考え)を徹底させる運動が展開され[3][5]、それまでは身分階層的に結婚できなかった層(多額の持参金を払えなかった男性など)を含めて、結婚ブームが巻き起こった[3][6]。『婚姻法』は、建国前までに見られた、賃借妻や売買婚などの封建的婚姻制度から女性を解放することを目的としていた[3][7]。この時期の社会経済政策の柱は、旧ソビエト連邦の影響を受け、子供に対する特別手当支給、不妊手術や人工妊娠中絶の禁止など、出生を奨励するものであった[8]1953年から1957年までは、第1次人口増加期の後半期になる[8]。1950年から出生率の低下が見られたが、死亡率の低下が著しく、戦乱もなかったため自然増加率はなお2.23パーセントと高水準を維持した[8][9]

第2段階(1959年から1962年)・「2000万人非正常死」の時期
この時期には、異常な自然災害を契機とし、1958年から始まった「大躍進」(積極的に経済を拡大しようとする政策)運動の失敗、誤った生産報告に起因する過剰な食糧の取り立て、中ソ対立に伴う旧ソビエトの全面撤退に対する債務返済のための無理な農産物輸送という3つの悪循環が生じたと言われた[8][10]。これについては後年「天災」というよりも、食糧分配の不均衡などの政策上の過ちによる「人災」であったことが明らかにされた[8]。小島後掲書によると、後退は食糧凶作からはじまったが、最大の理由は水利・植林・鉄造りなどに農民が動員されすぎ、収穫時に十分な刈り取りができなかったことにあるとされる[11]。その他、男性が動員された後の農作業を受け持った主婦が不慣れだったり、公共食堂のタダ食いで種子まで食べてしまい、翌年の蒔きつけができなかったりしたことも原因である[12]1960年の死亡率が出生率を上回る「絶対減」が生じ、自然増加率はマイナス0.45パーセントとなった[8]。人口ピラミッド上でも1960年出生コーホート(同時出生集団)人口がくびれており、世界各国の人口ピラミッドでもまれにみるピラミッド形状となる[13]。このことからしても、当時の「大災害期」の凄まじさ(「2000万人非正常死」といわれる)が推測できる[13][14]。実際、今日でも死者の数を伝える正確な記録、資料は残されていない[15]。しかし様々な形で伝えられる数字は、実に1500万人から4000万人に及んでいる[15]。総人口の2.5パーセントから6パーセントに及ぶ餓死者の数である[15]。もちろん餓死線上の人々はその数倍に及ぶと考えられる[15]

第3段階(1963年から1971年)・第2次人口増加期
一般に出生率は、何かの原因によって急低下するとその直後に反動や揺り戻しがあるとされるが、第3段階はその時期にあたり、1963年の出生率は4.337パーセントを記録した[13]。自然増加率は3パーセントの効率を続け、1970年には1年間に2321万人という史上最高の純増を示した[13]。この時期に出生した集団により1980年後半以降の第3次ベビーブームが生じたので、「一人っ子政策」をやむなく継続せざるをえなくなっている[13]

第4段階(1971年以降)・出生率低下期
1969年に3.411パーセントと高かった出生率は1979年には1.782パーセントと半減した[13][10]。人口の純増も1970年の2321万人から1980年の1163万人へと半減している[13]。わずか10年間にこのような出生減を達成した経験は、第二次世界大戦後の日本以外、世界史的にも極めてまれな事例である[13]。 以下に、中国の人口変動の表を示す[4]。単位は、年末総人口が1万人、出生率・死亡率。自然増加率はパーセント、平均寿命は年である。

中華人民共和国の人口政策史
中華人民共和国の人口政策史は三転四転と紆余曲折し、苦難の道のりであった[16][17]
1949年の建国直後の中華人民共和国では、人口の多いのは重要な財産であるとの楽観的な人口思想のもと、人口増加政策が進められた[16]社会主義社会は人口問題など存在しないという主張がされる一方で、「人口は幾何級的に増加するが、食糧は算術(等差)級的にしか増加しない」というマルサス人口論は資本主義擁護の最も反動的な理論であるとされた[16]
1953年中国で初めての人口センサスが行われたが、その結果は衝撃的なものであった[16]。人口センサス実施前は4億人から5億人と見込まれていたが、実施してみると6億193万人(国外華僑、留学生人口を含む)という、予想より1億人多い結果が出た[16]。さらに農業危機にもぶつかったこともあり、中国の人口増加政策は、政策転換を余儀なくされた[16]。そのため1954年から1957年には、計画出産が公式に奨励された[16][18]1957年の第1期全国人民代表大会第4回において「新人口論」を提出し、人口抑制策を説いた[16]
1953年に実施された第1回全国人口調査は、全国の人口の性別、年齢、民族構成、都市と農村の在住地別に区分し、その比率と実態をはっきりさせた。これは大変にいいことだったが、人口政策をより健全なものにし、科学者が研究工作を進めるのを助けるためには、出生、死亡、結婚、離婚、移動などの人口の動態についてさらにしっかりとした統計を行い、完璧な統計を公布する必要がある。(中略)
産児制限を実施して人口を管理するには、まず第一に幅広い宣伝によらなければならない。それによって広範な農民大衆に産児制限の重要性を理解させ、産児制限の方法を実際にできるようにし、さらに一方では、早婚の害と晩婚の利を、それに男子はおおむね25歳、女子は23歳が適当であることを宣伝する必要がある。(中略)
計画出産の実行は人口を管理するために最も好ましく、最も効果が大きい方法だが、最も重要なことは避妊を幅広く宣伝することで、人工的な妊娠中絶は絶対に避けなければならない。それは一つに殺生であり、母体内で形作られた嬰児にはすでに生存権があり、母体にとってよくない場合をのぞき、一般にこのようなことをすべきでないからである。
— 『人民日報』、1957年7月5日[18]しかし、これも長く続かなかった[16]1958年6月から「大躍進」が始まり、積極的に経済を拡大させようとする政策がとられた[19]。前述の馬寅初北京大学学長は、ブルジョア右派分子として厳しく批判され、1960年3月に学長職を追われた[19][17]。この後、「大躍進」の失敗と、3年連続の自然災害により、食糧危機が発生しても、出生抑制を主張することは人民の飢餓に対する危機感をかきたてることになるとの「政治的配慮」から、計画出産への政策転換はなかなか行われなかった[19]
ようやく1962年、出生率がピークになり、人口問題が相当深刻になってから、1962年に中央・地方を通じて計画出産指導機構が設けられ、1964年に計画出産弁公室になった[19]。しかし、折しも「文化大革命」が開始され、計画出産運動は中断されてしまう[19]1965年から1971年までのわずか6年間で人口の純増は1億2691万人に達し、1840年のアヘン戦争から人民共和国成立までの109年間の人口増にほぼ等しい数の純増となった[20]
1971年初め、周恩来首相の提唱で計画出産活動が始動し、文革終結後の1972年頃から農村を含めたより広範な計画出産活動が再開された[20][21]1973年8月に国務院に「計画出産指導小組」が設立され、「晩婚、晩産、1組の夫婦に子供2人まで」が提唱された[20]。1960年第の計画出産運動が大都市のみにとどまったのに対し、1970年代のそれは農村を巻き込み、全国レベルの出生率の急減に明らかな効果を示した[20]
1978年当時の中国社会科学院院長であった胡喬木は、「1977年の国民1人あたりの平均食糧は、1955年前の水準にしか相当しない。食糧生産の伸びは、人口の伸びにしか相当しない」と指摘した[20]現代化を早期に進めていくためには基盤作りとして人口抑制の必要性を説くこの発言は衝撃の発言であり、「一人っ子政策」導入の大きな契機となった[20]。また、この胡の指摘は、当時の中国社会主義農業政策の根幹である「人民公社」方式が国の食糧の増産という課題を解決しなかったことを歴然と判明させることとなり、「生産責任制」という資本主義的な制度の導入の根拠ともなった[20]
同年、ミサイル制御の技術者だった宋健中国語版は、『成長の限界』などマルサス主義の書籍の知識をもとにトップダウンによる強制的な人口抑制策を提唱し、中国共産党の首脳部に好意的に受け入れられた[22]。「2080年までに人口を3分の1減らさなければならない」とする宋の主張は、1979年成都で行われた会議において政策となり、銭信忠を責任者とした中華人民共和国衛生部を中心として、不妊化手術や刑罰を用いた専制的な人口抑制政策を実施した[22]
一人っ子政策のしくみ
その主たる柱は、「晩婚」・「晩産」・「少生」・「」(2人の子供の間を延ばして4年前後にする)・「優生」である[21][23][24]。この国策としての人口計画施行の法的根拠としては、第1に『中華人民共和国憲法』上の規定と[25][26]、第2に1980年改正の『中華人民共和国婚姻法』(1980年改正法)[25][26]、第3に各地区の計画出産条例がある[25]

『中華人民共和国憲法』の規定
     「国家は計画出産を推進して人口の増加を経済発展計画に適応させる」[25]
     「夫婦は双方ともに計画出産の義務を負う」[25]
『中華人民共和国婚姻法』の規定
法定婚姻年齢を引き上げ、男22歳・女20歳と世界的にも高齢とした[25]。もっとも少数民族は弾力的に引き下げ、男20歳・女18歳とし、補充規定を定めた[25]
婚姻の自由、一夫一婦制、男女平等という基本的支柱[27]とならべ、「夫婦は双方とも計画出産の義務を負う」と明記した[25]
一人っ子政策を推進することから必然的に生じてくる諸問題を解決するため、「婿入りの奨励」「子女が父母どちらの姓をも自由に証することができること」「夫婦別姓の権利」「家庭内における地位や遺産についての男女平等」「嬰児の溺殺その他の嬰児虐殺行為の禁止」がうたわれた[28]
離婚についても、感情に亀裂が生じ、調停しても効果がない場合には、広く認められるようになった[28]

優生保護の観点から「直系血族または4親等以内の傍系血族」「ハンセン病の治療をしていない患者、あるいはその他医学上結婚すべきでないと認められる疾病の患者」の婚姻禁止を明記した[28]

各地区の計画出産条例の規定
  ・婚姻法に定めた結婚年齢を上乗せして(都市部;男27歳・女25歳、農村部;男25歳・女23歳)規制した[29]
  ・第1子をもうけた夫婦が2子目を産まないと宣言して、「一人っ子証」を受領する[30]。2子以上は特定の条件を満たす夫婦のみ許可され、出産間隔4年を
     経て、許可が必要であるとの規制を定めている[31]
  ・超過出産や計画外出産に対する経済的な制裁と処罰をそれぞれ定めている[29]。賞罰制度をまとめると以下のようになる[29]
賞罰制度のまとめ
 「一人っ子」宣言をした夫婦は「七優先」という優遇策をうけている[29]。月5元(当時の平均月収の約1割)の奨励金を子供が14歳になるまで受領できる。
    ・託児所への優先入学、学費免除をする
    ・学校への優先入学、学費補助をする
    ・医療費支給
    ・就職の優先
    ・都市部における住宅の優遇配分、農村における「自留地」の優先配分がある
    ・退休金(年金)の加算と割り増し
 「一人っ子」宣言をしなかった夫婦は以下の不利益を受ける[29]
    ・超過出産費(多子女費ともいう)の徴収、夫婦双方賃金カット
    ・社会養育費(託児費・学費)の徴収
    ・医療費と出産入院費の自弁
    ・昇給や昇進の停止
  少子高齢化が明らかになっても、中国政府が一人っ子政策の廃止になかなか踏み込まなかったのは、これらの罰則によって生じる罰金が魅力的であった
    ためとの報道もあったのである[32]
各地区の計画出産条例による第2子出産が許可される例外的な場合
  都市部住民・農村部住民・少数民族で異なる規制を定めた[33]
  まず、国家幹部、職員労働者、その他都市部住民に対しては、全国共通して、原則1夫婦あたり子供1人で、以下の場合のみ例外的に第2子が許可される。    1-第1子が非遺伝性の身体障害者で働けない場合
   2-夫婦双方がともに一人っ子(ただし、後の2013年に夫婦どちらかが一人っ子であれば第2子の出産を認められることに緩和される[34]。)
   3-結婚後5年以上不妊で、養子をもらって以降妊娠した場合
   4-夫婦双方が帰国し定住している華僑
次に農村部住民については、以下の3類型に分かれる[33]
   第1類型、第2子の出産について厳格な所定条件を満たした場合のみ許可し、第2子の割合を全体の10パーセント以内に抑える[33]。この類型の
      規制は、北京天津上海の3直轄市と、人口のきわめて多い四川省江蘇省のみが定める[33]
   第2類型、第1子目が女児の場合、出産間隔を4から5年あけるとともに、母親が28歳以上の場合に第2子を許可する[33]。この類型の規制は、河北省
      内蒙古自治区山西省遼寧省吉林省黒竜江省など18の地区が定める[33]
   第3類型、第1子が男児でも第2子の出産が認められる、最も緩い類型で、寧夏回族自治区雲南省青海省広東省海南省の5地区が定める[33]
少数民族に対しては、以下の4類型となる[35]
   第1類型、転入した少数民族が、転入前の居住地から第2子出産許可を得ており、既に妊娠している場合には、第2子の出産が許可される[35]。北京、
      天津、上海の3都市で定められる[35]
   第2類型、都市部と農村部を問わず、夫婦双方が少数民族である場合、第2子の出産が許可される[35]。河北省、山西省、内蒙古自治区、吉林省、
      黒竜江省、安徽省福建省山東省広西チワン族自治区、雲南省、貴州省など12州で定められる[35]
   第3類型、都市部と農村部を問わず、夫婦双方のどちらかが少数民族である場合、第2子の出産が許可される[35]。寧夏自治区、青海省で定められる[35]
   第4類型、夫婦双方が少数民族で、どちらかが農民、または夫婦のどちらかが少数民族で、双方が農民である場合に、第2子の出産が許可される[35]
      遼寧省、湖南省で定められる[35]

一人っ子政策のきっかけと展開
1972年12月天津市に住む、女児1人を持つ1女性工場労働者が、「生産と建設のため、もう男の子を欲しがりません」と宣言し、これを伝え聞いた天津医学院の女性教師44人の連名で、「一人っ子提議書」が出されたことがきっかけである[36]。翌1979年1月26日全国計画出産弁公室主任会議が開催され、ここで初めて全国レベルでの一人っ子政策の基本路線が検討された[36]。この会議の直後、「一人っ子証(独生子女証)」が天津市や四川省で試行され始めた[30]。そして同年8月22日公布の「上海市革命委員会の計画出産推進に関する若干の規定」が最初の条例となった[30]。その後以下の4段階で推進された[37]

  1979年から1984年までの第1期は、1979年の全国計画出産弁公室主任会議に始まり、1980年の「公開書簡」によって国策として本格的に軌道にのせた
     時期である[37]。制度出発当初、第2子の出産条件についての明記がなかったが、1981年頃になると、以下の特殊事情の3条件が全国に共通して
     示された[37]。<1>第1子が非遺伝性の身体障害者で働けない場合、<2>再婚で一方に子があり、他方が初婚の場合、<3>長年不妊で養子を迎えた
     後で懐妊した場合、それぞれの該当者は、申請して許可を受けた場合に計画的に第2子を産むことができる[37]。いずれにしても第3子を産むことは
     許されない[37]。なお少数民族に対しては、計画出産は奨励するが、第2子を産む枠は拡大されている[37]
  1984年から1985年までが第2期にあたる。1984年8月にメキシコで国連の国際人口会議が開催された[38]。アメリカ合衆国のロナルド・レーガン政権が
     強制妊娠中絶・女嬰児殺害の手段で人口抑制をしているとの見地から中国政府を批判し、国際連合人口基金への援助停止を決定した。このような
     国際世論への配慮に加え、農村では厳しい政策の実施は困難であることから第2子の出産条件の拡大・緩和策に転換した[38]。具体的には、
     「農村で女子1人しか出産しておらず、困難があることが確認され、第2子の出産を望む」場合が追記され、男子労働力の確保、家の継承や
     老人扶養という伝統的思想がなお残存する農村で第2子出産を認めた[38]
  1986年から1987年が第3期にあたる[38]。農村では第1子が女児で政策どおりの実施に困難がある場合に4年の出産間隔をおいて、第2子の出産を
     許可することが浸透していった[39]。男子労働力の確保への願望は、家族単位での農業経営にあたる機会が増える「生産責任制」導入後いっそう
     強まった[39]。農村での出産政策の調整を全国的に広げて行った[39]
  1987年以降が第4期にあたる[39]。全国的に各地区レベルの「計画出産条例」を制定・改定していった確定整備期である[39]
一人っ子政策の問題点
一人っ子政策の影響と長寿化のため、中国の人口の高齢化は急速に進むと予想された[40]。これに社会保障制度の設計が追い付かず、中国は高齢化への備えが不十分なまま少子・高齢化社会へ突入することになる[40]。このことが貯蓄の減少・消費の低迷・設備投資の鈍化などを通じて経済成長にボディーブローのように影響を与えることが懸念された[40]

一人っ子政策が開始されて、四半世紀が経ち、1人の女性が生涯に産む子供の数の平均を示す合計特殊出生率は1.5から1.6に落ち込んでいるとされる[41]。都市部の若者の多くは、兄弟姉妹を持たず、「1-2-4体制」(子供1人を2人の親と4人の祖父母が世話をする)の中で成長したことで、他者とのコミュニケーションの能力に欠けた利己的な子供を生みだしていると言われる[42]。また、第2子以降を産んだことによる不利益を恐れて公式に届出がなされず戸籍に登録されないままとなっている、いわゆる黒孩子が多数発生しており、2010年の中国政府の統計においてすらその数は1300万人に上るとされている[43]
一人っ子(独生子女)を失った「失独家庭」は100万世帯に上るとされる[44]。彼らはネットで交流するなどして連帯し、このうち3000人以上が政府に補償を求める陳情を展開したが、認められなかった[44]。そこで約180人が、「2人目の出産が認められなかったために、老後の介護などで子供から得られる利益を失った」として2015年5月に北京第1中級人民法院に提訴した[44]。同法院は訴えを受理せず、日本の高等裁判所にあたる高級人民法院も「国家の政策調整の範囲内であり、裁判所が受理する案件ではない」との判断を示した[44]。原告側は日本の最高裁判所にあたる最高人民法院に不服申し立ての手続きをとっている[44]。2016年4月18日、彼らのような唯一の子供を事故や病気で失った親ら1000人が中国各地から北京に集まり、政府の国家衛生・計画出産委員会のビルの前で抗議活動を行った[45]。「失独者」と書かれた帽子を被り、「政策の犠牲になった者の存在を忘れるな」、また「政府のサポートが足りない」として、政府に暮らしと老後のケアを訴えた[45]。北京の警備が厳しさを増す中で1000人規模の抗議活動は異例である[45]。警官隊が駆けつけ数10台のバスを並べ、市民の目から、抗議の様子を遮断した[45]

高齢化のペースが日本などの先進各国より早いペースで進むことも、一人っ子政策の結果である[46]。中国民生部の統計によると2014年末時点で65歳以上の高齢者は1億3755万人であり、人口の10パーセントを占めるが、2034年には人口の20パーセントに達すると推計される[46]。国が豊かになる前に高齢化の波が押し寄せるという意味の「未富先老」という言葉も中国メディアを賑わすようになった[46]。他方でこれまで中国では、「親の介護は子どもがすべき」という伝統が根強かった[46]。2013年に施行された『改正高齢者権益保障法』でも「高齢者と別居する家族は、日常的に帰るか連絡すること」と明記する[46]。しかし、一人っ子政策や出稼ぎ労働の広がりで、家族だけで親の面倒を見ることが難しくなってきたため、この習慣も変わりつつある[46]習近平党総書記は2016年2月、「高齢化に効果的に対応しなければならない」と党と政府に指示して、老人介護を重大政策に掲げた[46]
一人っ子政策の柱の1つである「優生」を担う「優生優育」政策(簡体字: 优生优育)と呼ばれる障害者の出生率を抑制する優生学的国家政策も生命倫理人権の観点から問題視されている[47][48]。中国優生優育協会[49]、中国優生科学協会[50]がこの政策を支える社会団体(日本の独立行政法人外郭団体に近い)として中国政府の下で設立されている。この「優生優育」などに代表される研究者や政府の都合を優先する中国の組織風土2018年11月に中国で世界初の遺伝子操作されたヒトの出産が発表されて国際的な波紋を呼んだ際に槍玉にあがった[51]
また、一人っ子政策による一人っ子は小皇帝と呼ばれ、兄弟姉妹のいない環境下で過保護に育てられたとされ、「我儘」「協調性がない」等と批判されてきた。

一人っ子政策の緩和と政策変更
以上のような内容をもっていた一人っ子政策であったが、かつての「血の川ができようとも2人目は産ませない」などといった過激な一人っ子政策のスローガンも次第に廃止されるようになり[52]2015年10月29日に閉幕した中国共産党の重要会議である中央委員会第5回全体会議(5中全会)により、「一人っ子」政策の廃止が決定された[34]。同会議は、経済の中期計画である「第13次5カ年計画」案を採択し、その会議後に発表されたコミュニケ(公表文)では、「1組の夫婦が2人の子供を産む政策を全面的に実施し、人口高齢化への対策を進める」とした[34]。中国の人口学者はここ10年来、早期の政策変更を訴えてきたが、地方政府は学校などを建設することなどの負担増から政策変更には反対していた[53]
2013年には「夫婦どちらかが一人っ子ならば第2子の出産を認める」との緩和に踏み切っていた[34]。だが新制度の利用率は低迷し、2年後にさらなる変更を迫られた[34]2012年には、労働人口が初めて減少に向かったとされ、2020年代に至ると年間790万人のペースで労働人口が急減していくと予想されており[53]、「一人っ子」政策が世界的にも例のない速度で少子高齢化社会を引き起こし、経済成長にも悪影響を及ぼすと意識された[34]。先に高齢化と人口減少を迎えた隣国日本が、潜在的な経済成長率の低下に苦しむ姿を間のあたりにしているだけに、政権の危機感は強かった[53]
ただし、中国共産党は、計画出産そのものについては「基本政策として堅持する」として、2人までの制限は残すという姿勢を見せており、「子供を産みたい」という両親の思いを国家が一方的に制限する構図は続く[53]。中国政府の国家衛生・計画出産委員会は、10月30日、共産党が前日に「一人っ子」政策の変更を決めたことを受けて、2030年の人口が14億5000万人に増えるとの予測を明らかにした[54]。同委員会によると今回の政策変更で、すべての夫婦が2人目を産むことができるようになり、子供を産めるようになる夫婦は全国で約9000万組と見込まれ、少子化に歯止めがかかると期待する[54]。現在の新生児数は年間1700万人から1800万人とみられるが、今後数年間は増加に転じ、ピーク時には年間2000万人を超えると予測した[54]。同時にこの政策変更によって子供の数が増えても、資源の消費に影響があるが許容の範囲内であるとしている[54]

一方、子供向け用品などの需要が増えたり、労働人口も2050年時点で、これまでの予測より約3000万人増え、経済面のプラス効果があるとしている[54]。国家衛生・計画出産委員会の王培安副主任は11月10日、上述の共産党による緩和策により、全ての夫婦に2人目を産むことが認められることで、労働人口の減少が緩やかになるとの予測の発表をした[55]。将来の潜在経済成長率を0.5パーセント引き上げるとの試算を発表した[55]
全人代は2015年12月27日の常務委員会で、全ての夫婦が2人の子どもを持つことを認める人口・計画出産法の改正案を採択し、2016年1月1日から施行した[56]。法改正により、同年1月1日以降に生まれた子どもは2人目であっても全員が「合法」とされて戸籍が認められることになった[56]。同改正法にあっては、2人目を産むことを奨励するために、育児休暇を延長する方針も盛り込んだ[56]国務院は、2016年1月14日、一人っ子政策に違反したなどの理由で戸籍を得られないでいる人について、「無戸籍問題の全面解決」を求める意見を関係する中央・地方の政府機関に出した[57]。戸籍が取得できないでいる子どもについては、出生証明書と父母の戸籍などを示せば、戸籍を与えるとした[57]

中国が少子化を食い止めることができるかは、「一人っ子政策」を終えて初めての全人代となった2016年の全人代でも発言が相次いだ[41]。「二人っ子政策」により子供が産めるようになるとされた9000万組のうち、二人目を産もうと考えている夫婦は26パーセントにとどまるとの調査もある[41]。2016年3月の全人代では、「2人目を産んだ夫婦には各種の減税策を設けるべきだ」等の、出生策の増加を目指した政策提言が、全人代の代表(日本の国会議員にあたる)から相次いだ[41]。各代表には少子化が地方経済にとって重圧になるとの、危機感も強い[41]。全人代と同時に開催されている2016年の全国政治協商会議においては、「遅くとも2017年末までには全面的に計画出産を放棄するべきである」との踏み込んだ意見も見られたという[41]。これに対し、一人っ子政策の執行を担った国家衛生・計画出産委員会は、会期中の記者会見で、産児制限を終える時期を問われて、「計画出産の国策はこれからも長期にわたり堅持する」と答えた[41]
以下は、上記緩和策に対しての日本企業の反応の一例である。2014年の個人情報の漏洩問題と少子化で、国内通信教育の会員数が激減している教育大手のベネッセホールディングスは、新たな海外展開と介護事業を新たな主力事業に据えようとしている[58]。既に中国事業は会員数83万人と、日本国内の会員数76万人を上回る[58]。日本の幼児に絶大な人気を誇る「しまじろう」は、中国でも「巧虎(チャオフー)」として親しまれており、会員数拡大のカギにする[58]。同社の原田泳幸社長は「一人っ子政策の見直しも追い風」と話した[58]。」

このように、一人っ子政策が緩和され、2人目が産めるようになった2016年は、2人目の子どもを産みたいと願っていた夫婦が相次いで子供を作ったため、出生率が向上し、1.29となった。しかし、翌年の2017年は出生率は再び下がり、1.24となっている。2001年時点の出生率は1.34であり、中国の出生率は、日本(2015年の出生率は1.46)より低い状態が続いている[59][60]




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