ブラジル問題


2019年5月8日-NHK NEWS WEB
ブラジルで警察官の誤射急増 市民の被害相次ぐ


治安の悪化が深刻化する南米のブラジルで、パトロール中の警察官が市民を誤って射殺する事故が急増していて、国民の間で懸念が広がっています。
  ブラジルで警察の行動を監視しているNGO団体は7日までに、凶悪犯罪に対応するためだとして警察官が必要以上に銃を発砲し、流れ弾に当たる
     などして市民が犠牲になる事故が増えているという調査結果を発表しました。
  それによりますと、去年1年間で警察官が銃を発砲して容疑者などを殺害したのは、少なくとも5000人余りに上りましたが、その多くは罪のない市民だった
     としています。また、リオデジャネイロ州ではことし1月からの3か月間で、多くの市民を含む434人が射殺されたということです。
  警察官に射殺された市民の数は、ことしに入っても増え続けていて、NGO団体は独自に統計を取り始めた1998年以降、最悪のペースだとしています。
  その背景として団体では、増加する犯罪に対して警察が過剰に反応し、バスの車内や人通りの多い場所で発砲したり、不審だとみなした人に向けて警告なし
     に発砲したりしているためだと分析しています。
  ブラジルのボルソナロ大統領は治安を改善させるためだとして、銃の規制を大幅に緩和する方針を打ち出していますが、国民の間では銃を所持する人が
     増えれば逆に治安が悪化し、警察官の誤射による犠牲者も増えるのではないかと懸念が広がっています。


ブラジル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ブラジル連邦共和国、通称ブラジルは、南アメリカに位置する連邦共和制国家である。南米大陸で最大の面積を占め、ウルグアイアルゼンチン
     パラグアイボリビアペルーコロンビアベネズエラガイアナスリナムフランス領ギアナ(つまりチリエクアドル以外の全ての南米諸国)と
     国境を接している。また、大西洋上のフェルナンド・デ・ノローニャ諸島、トリンダージ島・マルティン・ヴァス島、サンペドロ・サンパウロ群島もブラジル領
     に属する。その国土面積は日本の22.5倍で[1]アメリカ合衆国よりは約110万km2小さいが、ロシアを除いたヨーロッパ全土より大きく、
     インドパキスタンバングラデシュの三国を合わせた面積の約2倍に相当する。首都はブラジリア
  南アメリカ大陸最大の面積を擁する国家であると同時にラテンアメリカ最大の領土、人口を擁する国家で、面積は世界第5位である。南北アメリカ大陸
     唯一のポルトガル語圏の国であり、同時に世界最大のポルトガル語使用人口を擁する国でもある。公用語はポルトガル語ではあるがスペイン語
     比較的通じる。ラテンアメリカ最大の経済規模であり、同時に世界で7番目の経済規模でもある。
  ブラジルは北部は赤道直下で、全体的に海流等の影響もあり気候は大変温暖であり、中南米最多の人口と経済規模である[3]

日本との関係(詳細は「日伯関係」を参照)
  日本との外交関係は1895年の修好通商航海条約調印から始まり、1897年に両国内に公使館を開設。1908年6月には日本からの本格的移民が開始され、
     笠戸丸がサントスに入港した。その後第二次世界大戦中の断交状態(ブラジルは連合国として参戦)と1950年代初頭の国交回復を経て、常に活発な
     人的、経済的交流が行われており、その距離の遠さにも関わらず世界各国の中でも特に日本との縁が非常に深い国である。
  1908年に最初の本格的な集団移民、いわゆる「笠戸丸移民」が到着して以降、第一次世界大戦期や第二次世界大戦を経て、1950年代に日本政府の
     後援による移民が停止されるまでにブラジルに渡った日本人移民の子孫は5世、6世の世代になり、サンパウロの世界最大級の日本人街リベルダージ
     を中心に、海外で最大の日系人社会(約150万人)を持つなどブラジル社会に完全に溶け込んでいる。
  1923年から1940年まで、五島出身のドミンゴス中村長八神父が初の海外派遣日本人宣教師として、サンパウロ州マットグロッソ州パラナ州、そして
     ミナスジェライス州南部の計4州で活躍した。「生ける聖人」と呼ばれており、現在、列福調査が進められている[27]
  日系ブラジル人は政治や経済などで、高い地位に就くものも多い他、特に長年の農業における高い貢献は非常に高い評価を得ている。2007年2月には、
     2世のジュンイチ・サイトウ空軍大将が空軍総司令官に任命され、ブラジル軍の最高位ポストに就いた初の日系人となった[28]
  また、1950年代以降、日本の高度経済成長期にかけて東芝トヨタ自動車東京海上日動コマツヤクルト本社日本航空など、重工業から金融、
     サービス業や運送業に至るまで、様々な業種の日本企業がサンパウロを中心に数百社進出しており、世界でも有数の規模の
     日本人学校サンパウロ日本人学校など、ブラジル国内に複数の日本人学校がある他、日本においてもブラジルの音楽やスポーツ、料理などの文化
     が広く親しまれており、また、両国間の人的交流が活発にあるなどその関係は非常に深いものがある。在留邦人は約6万人(2010年)、在日ブラジル人
     は約23万人(2010年、外務省)である。
  1962年に両国による合弁事業であるウジミナス製鉄所へのODAによる融資を行って以降、電気や港湾、衛生設備など、各種インフラの充実を中心とした
     ODAが継続的に行われている。しかしながら、ブラジルが工業国であり比較的インフラが整っていることから、近年はインフラでも環境、衛生関係の
     技術的要素に特化されたものとなっている。

人種と民族
  ブラジル人は大きく4つのグループに分かれる。トゥピー・グアラニー語族の言葉を話す先住民 グアラニー人、アマゾン先住民など)、植民当時の
     ポルトガル系、アフリカからの黒人奴隷の子孫(アフリカ系ブラジル人)、そして19世紀半ばからブラジルに定住するためにポルトガル以外の
     ヨーロッパ中近東日本を中心としたアジア諸国からやってきた移民である。
  ヨーロッパ系ブラジル人の多くは元ポルトガル人で、植民地時代はポルトガル人と原住民、黒人奴隷との雑婚が常態であった。独立後に続くイタリア人
     スペイン人ポルトガル人ドイツ人ポーランド人ウクライナ人ロシア人アシュケナジムユダヤ人などのヨーロッパ系や、
  日本人アラブ人シリア人レバノン人)、中国人などのアジア系の移民の波や、独立後も続いた黒人奴隷の流入がブラジルの多様な民族と文化の
     形成に貢献し続けている。尚、ヨーロッパ系ブラジル人は移民数で最多を占めたイタリア系が最多ともいわれている。今や混血が進んでおり正確
     なことは曖昧で把握できない。
  ただし北東部はアフリカ系ブラジル人ムラート(白人と黒人との混血)が多く、南部は主にドイツ系ポーランド系ウクライナ系をはじめとする
     中東欧系住民が、南西部はイタリア系スペイン系ポルトガル系アラブ系日系をはじめとして、サンパウロ州のコーヒーブームにより現存する
     ほぼ全てのエスニシティの移民が流入していたなど、地域差も見られる。
  白人人口は半数を割り込み、「黒人」「混血」が過半数を占めた[36]

宗教 (詳細は「ブラジルの宗教」および「en:Religion in Brazil」を参照)
  ブラジルは、世界で最も多くのカトリック人口を擁する国である。国民の約73%が、カトリックの信者で、これは1億1240万人に相当し、カルナヴァルなどを
     はじめとして現在も社会に強い影響を持つ。プロテスタント信者も1970年代より伝統的なルター派プレスビテリアンバプティストなどが増加し、
     近年はペンテコステ派やネオペンテコステ派も増加している。プロテスタントの信者は人口の15.4%となっている。
  ブラジル世論調査・統計機関(Ibope)の調査によると、有権者の27%は福音派信者だという、地理統計院(IBGE)のデータでの福音派信者の割合は1991年
     にはわずか8%、2010年でも22%だった[37]
  非キリスト教の少数宗教としてはマクンバポルトガル語版英語版バトゥーケポルトガル語版カンドンブレウンバンダポルトガル語版英語版など
     アフリカの宗教に起原するアフロ・ブラジル宗教がある。ブラジルのイスラム教はアフリカからの黒人奴隷のイスラーム教徒によってもたらされたが、
     現在では主にアラブ系ブラジル人の移民によって信仰されており、約55のモスクとムスリムの宗教センターがあると見積もられている。アジアからも 
     仏教神道道教やさまざまな新宗教などがもたらされているが、日系人の大半がカトリック信者である。1923年から1940年まで、五島出身の
     ドミンゴス中村長八神父サンパウロ州を中心に、日本人・日系人の間で初めて日本人カトリック宣教師として活躍した[38]
  日本発祥の宗教として創価学会の会員が存在するが、信者の大部分はブラジル生まれの非日系、非アジア系人である。他にも世界救世教、立正佼成会
     霊友会生長の家統一教会(韓国起源)などが布教活動をしている。無宗教者は人口の7.3%である。

カーニバル

毎年2月頃の四旬節の前に、国中の市町村でカーニバル(ブラジルポルトガル語では"カルナヴァウ"と発音する)が祝われる。期間中は国中を挙げ、
    徹夜でサンバのリズムに乗って踊りまくる。リオのカーニバルといえば、一般的に死者が多いことで知られるが、これはに酔ったための喧嘩や飲酒運転
    による自動車事故、心臓麻痺などで毎年数百人規模の死者が出ることである、したがってカーニバル自体での死者が多いということではない。
  リオデジャネイロで行われるカーニバルは世界的に有名で、世界各国から多くの観光客を呼び寄せている。エスコーラ・デ・サンバ(Escola de Samba、
    千人単位の大規模なサンバチーム、以下「エスコーラ」と略称)単位によるパレードがサンボードロモというコンテスト会場で行われ、一番高い評価を得た
    サンバチームが優勝する。いわゆるリオのカーニバルは、サンボードロモで行われるコンテストを指すことが多いが、それ以下の小規模なエスコーラや
    ブロッコ・カルナヴァレスコ(Bloco Carnavalesco)などが、リオ・ブランコ通りなど街中やイパネマ海岸付近などをパレードすることも多い。なお、
    リオのカーニバルはサンバだけだと思われがちであるが、マルシャ(ブラジル版3拍子のマーチ)やポルカなども演奏されてい

経済 (詳細は「ブラジルの経済」を参照)
  IMFの調査によると、2013年GDPは2兆2,460億ドルであり、世界7位、南米では首位である。一方、一人当たりの名目GDPは11,173ドルであり、先進国
     と比較すると依然低い水準である。[2] 建国以来長らく、イギリスアメリカ合衆国日本をはじめとする先進国からの重債務国であったが、
     ブラジルの支払い能力に応じたものであった。しかし、1956年に就任したジュセリーノ・クビシェッキ大統領は「50年の進歩を5年で」を掲げて開発政策
     を進め、内陸部のゴイアス州に新首都ブラジリアを建設し、1960年にリオデジャネイロから遷都した。クビシェッキは積極的な外資導入などにより
     日本やアメリカなど諸外国での評価は高かったものの、ブラジリア建設と遷都などの強引な手法、そして経済的な混乱を招いたことに対して
     ブラジル国内では現在でも賛否が大きく分かれている。1968年から1973年にかけてはクビシェッキの狙い通り、「ブラジルの奇跡」と呼ばれる
     高度経済成長を達成したが、第一次オイル・ショックによって挫折を余儀なくされた。1970年代の経済政策の失敗により、外貨準備は底を尽き、
     さらに債務が激増していった。
  1980年代には中南米を襲った債務危機に直面し、メキシコアルゼンチンペルーと並ぶ財政破綻国家の一つとして数えられ、インフレと莫大な累積債務
     に苦しんだ。1980年半ばに入ると世界的な金利上昇を契機にブラジルはマイナス成長を記録した。南米随一の大国ブラジルとはいえ、ブラジルの
     国家財政は限界に達しており、1983年には対外債務不履行を宣言した。その結果海外資本の流入は途絶え、国内の投資も鈍化。さらに対外債務
     の負担によって公共赤字が増大し、更なるインフレを加速させる結果となる。
  1980年代の後半には1000%以上のインフレが起こり、1993年には2500パーセントという途方もないハイパーインフレを招いてしまい、ブラジル経済は破綻した。
     従業員へのチップは100万クルゼイロ(アメリカ・ドルの1ドル以下の価値)、安いホテルの宿泊料は1億クルゼイロという途方もない額で、事実上、
     通貨は紙切れ同然となり紙幣の枚数を数えることができないため、重さで換算していたほど。この間の混迷による中間層の多くは没落し、富裕層の
     海外脱出が続くなど経済は混迷の度を深めた。
  しかし、一向にインフレは止まらず、ハイパーインフレ期の末期にはアメリカ・ドルしか流通しなくなってしまった。苦渋の選択の末にブラジル政府は当時の
     通貨クルゼイロを、合計4回に亘ってデノミを行い、通貨の価値を実に2兆7500億分の1という切り下げを断行し、新通貨レアルに交代。1994年になって、
     新通貨レアルとともに「レアル・プラン」と呼ばれるドル・ペッグ制を導入することによって、ようやくハイパーインフレを抑えることに成功。
  その後、1999年に起こったブラジル通貨危機により、一時は国家破綻寸前まで陥るが、IMFと米国の緊急融資により、何とか破綻は回避された。その一方
     で隣国のアルゼンチンは2002年にデフォルトしている。金融危機を乗り越えると、カルドーゾ政権下で成長を遂げるようになり、ルーラ政権では
     発展途上国向けの貿易拡大が行われ、ブラジルは長く続いた累積債務問題の解消へ向かう。その後の経済の回復とともに2007年には国際通貨基金
     への債務を完済し、債務国から債権国に転じた。
  メルコスール南米共同体の加盟国で、現在ではロシア中華人民共和国インドと並んで「BRICs」と呼ばれる新興経済国群の一角に挙げられるまでに
     経済状態が復活した。重工業、中でも航空産業が盛んで、エンブラエルは現在、小型ジェット機市場の半分近いシェアを誇り、一大市場である欧米諸国
     や日本などのアジア各国をはじめとする世界各国へ輸出されているなど、その技術力は高い評価を得ている。
  公衆衛生・教育などの公共サービスや交通インフラの水準は先進諸国に比べ低く、沿岸部と大陸内部の経済的な格差や貧富の格差が大きいが、
     経済や財政の好転を背景に近年急速に改善されつつあり、貧困層の生活水準の底上げは内需の拡大にも貢献している[要出典]
  また、GDPにおける税の割合は30%を超えており、BRICs諸国で突出している。これは、貧困層への援助のために課税が行われているためであるが、
     高い税率に嫌気がさしている富裕層からは現政権に対して不満の声があがり始めている。[要出典]
  2014年からは経済が減速し、建設部門をはじめとする産業界の失業が続出、2015年にはマイナス成長(-3.5%)記録している[30]ペトロブラスの汚職問題
     (オペレーション・カー・ウォッシュ)など政治の混乱もこれに拍車をかけている。全般的に新興国の景気が低迷する中で、ブラジルの景気後退は特に
     強いとされる[31]。大企業の業績低迷も深刻であり、国内主要15社の負債総額は1500億レアルにおよび、債務不履行の可能性があると危惧されている[32]


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